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	<title>蒼村 | 創造法編集社</title>
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	<description>社会学や哲学、その他創造に関する知識をまとめます</description>
	<lastBuildDate>Sat, 13 Jun 2026 10:42:06 +0000</lastBuildDate>
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	<title>蒼村 | 創造法編集社</title>
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	<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十四回(6)】パットナムの社会関係資本論への批判</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/06/13/social-psychology-14-social-capital-6/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 13 Jun 2026 10:42:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ロバート･パットナム]]></category>
		<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
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					<description><![CDATA[パットナムの社会関係資本を社会学の批判的視点から整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/Bi3vHVaSYlI?si=I4r-YOiRxtKp2TCf" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">パットナムの社会関係資本の理論に対する批判</span></h2>
<h3><span id="toc4">アスレイナーによるパットナムへの批判(一般的信頼と特定化信頼の混同)</span></h3>
<p>政治学者のエリック･アスレイナーは｢<b>経済的不平等</b>｣に着目している｡経済的不平等は信頼を壊し､腐敗を生み､さらに不平等を拡大させるという｢悪循環｣が生じるという｡こうした悪循環をアスレイナーは｢<b>不平等の罠</b>｣と表現する｡</p>
<p>経済的不平等があると､人々は特定の仲間だけを信頼するようになり､少数派や外部のコミュニティなどを含む社会全体への一般的信頼が低下するという点がポイントになる｡経済が不安定の時こそ､外国人への許容度も小さくなりがちなのだろう｡</p>
<p>アスレイナーはパットナムが一般的信頼と特定化信頼を混同しており､一般的信頼がちょっとしたボランティア活動等で培われるといった主張を否定している｡一般的信頼は主に幼少期に親たちから受け継ぐものの影響が強いというのがアスレイナーの主張である｡</p>
<p>経済的不平等が大きい社会では親は世の中は信頼できないという態度をとり､それが子どもに伝わり､さらに子どもは一般的他者を信頼せず､身内だけの効用を考えるようになり､経済的不平等が高まるというイメージになる｡</p>
<p>地域の交流やボランティアへの参加だけでは一般的信頼を醸成することが難しく､経済的不平等そのものを是正することが現実的には優先されるというわけだ｡法の整備や教育の整備といった長期的な格差是正が重要になるのだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019),271-272p</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019),282p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc5">リンによる｢数量分析の対象｣に関するパットナムへの批判</span></h3>
<p>社会学者の佐藤誠さんはパットナムへの批判を｢数量分析の対象に関する批判｣､｢宿命論的であるという批判｣､｢否定的な側面への軽視という批判｣､｢グローバリゼーションが考慮されていないという批判｣､｢具体的な打開策が考慮されていない批判｣などに整理している｡</p>
<p>社会学者のナン･リンは｢特定の組織の構成員数の変化｣ではなく､｢<b>ボランティア活動に人々が割り当てた総時間数</b>｣で測定すべきであったと批判している｡</p>
<p>たとえば単発的なボランティアへの参加､署名運動への参加､クラウドファンディングへの支援などは継続的な団体加入を伴わない｡しかしそういう形態の社会参加を考慮せず､特定の組織の､たとえばボウリングの団体の人数などの変化を追って｢社会関係資本が弱まっている｣と判断するならば短絡的だということになる｡</p>
<p>パットナムはアメリカの市民性が低下した原因として世代変化が50％､メディアが25％､仕事が10%､郊外化が10％といった詳細な数値で原因の割合を挙げているが､その根拠が不明瞭だという批判がある｡</p>
<p>佐藤さんは､｢矛盾に満ちた人間の心理や社会的行為が､あらゆる仔細な点にわたって数量的厳密さで説明されると考える無邪気さ｣と表現している｡過度な数量化への批判というわけだ｡非実体的なものを実体的なものへ､つまり可視化のかたちとして数量化する傾向はコールマンの系譜でもある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],6-7-8p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc6">ポルテスによる｢循環論｣であるという批判</span></h3>
<p>社会学者のアレハンドロ･ポルテスは､パットナムのイタリア分析について､歴史に原因を求めすぎることで｢<b>循環論</b>(トートロジー)｣に陥る危険があると批判している(Portes,Alejandro,1998)｡</p>
<p>たとえば､現在の北イタリアで市民性が高いのは､歴史が市民的に形成されてきたからだと説明する場合､｢市民的に形成されてきた｣という表現自体が､すでに市民性が高い状態を意味している｡そのため､結局｢市民性が高いのは､市民性が高かったからである｣という同語反復になり､市民性が高い理由の説明にはなっていない｡したがって､経済構造､政治制度､支配関係､教育水準など､市民性を生み出す具体的な要因の分析が必要となるというわけだ｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],8p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc7">佐藤誠さんによる｢精神主義的｣であるという批判</span></h3>
<p>佐藤さんによると､パットナムは<b>社会の改善のための現実的な手段を説明していない</b>という｡</p>
<p>パットナムは社会関係資本が衰弱化してきたアメリカ社会への処方箋として｢通勤時間を減らして近隣との結びつきを強めよう｣とか､｢テレビの前で過ごす受け身の時間を減らそう｣といった精神主義的スローガンが多いというわけだ｡アスレイナーの指摘するような経済的不平等に対する視点や､あるいはブルデュー的な階級の文化資本の再生産といった構造的な視点が重要になってくるのかもしれない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],10p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc8">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc9">おすすめ文献</span></h3>
<h4><span id="toc10">ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3NYuYKY"> ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</a></p>
<h3><span id="toc11">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc12">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc13">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Ia6J9u"> デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</a></p>
<h4><span id="toc14">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3FeJ8Do">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</a></p>
<h3><span id="toc15">参考論文</span></h3>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003][<a href="https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/16-1_sato.pdf">URL</a>]</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/94/0/94_65/_pdf">URL</a>]</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019)[<a href="https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/bulletin/bulletin_61/all.pdf#page=269">URL</a>]</p>
<p>長谷川 眞理子｢タテ社会日本と学術｣(2022)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/1/27_1_9/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>北岡一道｢研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ｣(2007)[<a href="https://jin-ai.repo.nii.ac.jp/record/1051/files/vol.39_p61-67.pdf">URL</a>]</p>
<p>松村茂樹 ｢日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み｣(2022)[<a href="https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7235/files/CC20061.pdf">URL</a>]</p>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十四回(5)】パットナムにおける｢民主主義の徳｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/06/12/social-psychology-14-social-capital-5/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/06/12/social-psychology-14-social-capital-5/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 12 Jun 2026 10:38:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ロバート･パットナム]]></category>
		<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
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					<description><![CDATA[パットナムとトクヴィルの思想から学ぶ社会関係資本と心の習慣。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/Bi3vHVaSYlI?si=I4r-YOiRxtKp2TCf" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">民主主義の｢徳｣としての社会関係資本</span></h2>
<h3><span id="toc4">パットナムにおける｢民主主義における徳｣とは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/5fe4349455770065006c06054447c5e4.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5758" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/5fe4349455770065006c06054447c5e4.png" alt="" width="169" height="191" /></a></p>
<p>社会関係資本は上手く行けば他者一般への信頼や寛容さが芽生え､社会参加や政治参加を促し､社会システムへの信頼が増大するといった民主主義にとっての｢<b>徳</b>｣をもたらすとパットナムはいう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,298p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc5">トクヴィルにおける民主主義的価値とは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/0d100f8c4cf4f1e6c7edb0b9504ecaa1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5759" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/0d100f8c4cf4f1e6c7edb0b9504ecaa1.jpg" alt="" width="153" height="253" /></a></p>
<p>パットナムの民主主義的価値の重視は､フランスの政治思想家であるトクヴィルの｢<b>自発的結社</b>(アソシエーション)｣を重視する考え方に遡ることができる｡</p>
<p>トクヴィルはアメリカ社会を観察し､人々が自発的に団体をつくること､その中で協力や公共精神が育つこと､それが民主主義を安定させると指摘している｡</p>
<p>トクヴィルの言葉を引用する｡</p>
<p>｢<i>貴族的社会では､人々が全体として強力に留置され固められているために､活動するために団結する必要を感じていない｡……これに反して､民主的民族では､すべての市民はひとりひとり独立しており､そして一人では弱いのである｡彼らはひとりびとりとしては､ほとんど無力なのである｡</i>｣</p>
<p>｢<i>そしてそれらの市民たちのうちの誰一人として､自分たちの同類者たちを､自分自身に協力させるように強いることはできないであろう｡それ故にそこでは､すべての市民は自由に助けあうことを学ばなければ､すべて無力に陥ってしまうのである｡</i>｣</p>
<p>(トクヴィル『アメリカの民主政治』下)</p>
<p>パットナムがハニファンの発言を引用しているが､この引用文はトクヴィルの文章と重なるところが多い｡</p>
<p>｢『<i>人々の日々の生活において最も重要な実体物とは､すなわち善意､友情､共感､そして社会的単位を構成する人間間､家族間の社会的交流といったものである……個人がひとり取り残されていれば､社会的には弱く頼りないものである｡</i>』｣</p>
<p>｢『<i>……しかし彼が近隣との交流を行い､そしてその近隣が他の近隣と交流することにより､そこには社会関係資本の蓄積が産まれ､それは直ちに彼の社会的必要を満たし､またコミュニティ全体の生活条件を改善するために十分な社会的力を有するものになるだろう｡コミュニティは全体として､その部分全ての協力によって恩恵を受け､また同時に個々人も､その属する組織の中に､隣人たちの援助や共感､そして友情という利益を見出すことになる</i>』｣</p>
<p>(パットナム『孤独なボウリング』)</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),81p</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,120p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc6">パットナムにおける｢啓蒙された自己利益｣とは</span></h3>
<p>パットナムは単純な｢利他主義｣を推奨しているわけではない｡パットナムが重視する利益は｢<b>啓蒙された自己利益</b>｣であり､｢<b>他者の利害に敏感な自己利益</b>｣だという｡</p>
<p>高野良一さんはパットナムの立場を｢<b>利他主義的利己主義</b>｣であると表現している｡他者や社会の利益を考えることが結果的に自分の利益にもなるという考え方である｡</p>
<p>ようするに､利他主義的利己主義の｢<b>エートス</b>(行為態度､心の習慣)｣を身につけることが重要だと考えられているというわけだ｡</p>
<p>社会の習慣が個人の態度を形作り､個人の態度も社会の習慣に影響を与えるという相互関係が重要になる｡こうした相互関係は社会心理学の用語で言えば｢<b>マイクロ=マクロ問題</b>｣と呼ばれている｡1人ひとりの行動がコミュニティを動かしたり､社会全体を変えていく力をもつのである｡そしてこの力は｢<b>参加</b>｣が必要であり､この参加をいかにして促すのか､強制か自発か､垂直か水平かといった構造の問題が関わってくる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),81-86p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc7">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc8">おすすめ文献</span></h3>
<h4><span id="toc9">ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3NYuYKY"> ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</a></p>
<h3><span id="toc10">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc11">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc12">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Ia6J9u"> デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</a></p>
<h4><span id="toc13">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3FeJ8Do">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</a></p>
<h3><span id="toc14">参考論文</span></h3>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003][<a href="https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/16-1_sato.pdf">URL</a>]</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/94/0/94_65/_pdf">URL</a>]</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019)[<a href="https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/bulletin/bulletin_61/all.pdf#page=269">URL</a>]</p>
<p>長谷川 眞理子｢タテ社会日本と学術｣(2022)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/1/27_1_9/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>北岡一道｢研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ｣(2007)[<a href="https://jin-ai.repo.nii.ac.jp/record/1051/files/vol.39_p61-67.pdf">URL</a>]</p>
<p>松村茂樹 ｢日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み｣(2022)[<a href="https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7235/files/CC20061.pdf">URL</a>]</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十四回(4)】パットナムの社会関係資本</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/06/11/social-psychology-14-social-capital-4/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/06/11/social-psychology-14-social-capital-4/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 11 Jun 2026 09:24:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ロバート･パットナム]]></category>
		<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
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					<description><![CDATA[パットナムの社会関係資本と、3つの構成要素を網羅。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/Bi3vHVaSYlI?si=I4r-YOiRxtKp2TCf" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">(4) パットナムにおける社会関係資本</span></h2>
<h3><span id="toc4">[4-1]『哲学する民主主義』､『孤独なボウリング』</span></h3>
<h4><span id="toc5">パットナムにおける社会関係資本とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>(パットナムにおける)<b>社会関係資本</b>(英:social capital)</strong></span>：</big>信頼･規範･ネットワークといった､人々の協力を促し社会の効率を高める社会的仕組みのこと｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/44ea8f90970d30101d88a6a36f4d9e05.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5741" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/44ea8f90970d30101d88a6a36f4d9e05.png" alt="" width="292" height="549" /></a></p>
<p>パットナムはアメリカの政治学者であり､代表作は『哲学する民主主義』(1993)や『孤独なボウリング』(2000)である｡</p>
<p>社会関係資本研究といえば現代ではパットナムの名前が第一に出てくるほどこの分野で著名な人物である｡</p>
<h4><span id="toc6">パットナムの『哲学する民主主義』(1993)の内容</span></h4>
<p>『哲学する民主主義』(1993)ではイタリアの南北の地域を比較し､社会関係資本の違いが民主主義の発展度に変化をもたらしていることを実証しようとした｡重要なのは､<b>経済的発展度だけで民主主義の発展度は説明できない</b>という点である｡</p>
<p>民主主義の発展度は｢<b>市民性の度合い</b>｣で測られている｡市民性の度合いはアソシエーンション数(自発的団体の多さ)､新聞購読率(公共問題への関心)､国民投票率(政治参加の積極性)､優先投票利用率(派閥的関係の強さ｡高いほど市民性が低い)などで測られている｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,298p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],4-5p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc7">パットナムの『孤独なボウリング』(2000)の内容</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/41675fa82c04f300dc3ec76b094ae45d.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5742" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/41675fa82c04f300dc3ec76b094ae45d.png" alt="" width="245" height="250" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/41675fa82c04f300dc3ec76b094ae45d.png 341w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/41675fa82c04f300dc3ec76b094ae45d-60x60.png 60w" sizes="(max-width: 245px) 100vw, 245px" /></a></p>
<p>『孤独なボウリング』(2000)ではアメリカにおいて社会的な活動への参加の低下がさまざまなアメリカの社会問題につながっていることが示されている｡</p>
<p>かつては集団でボウリングをしていたが､今では1人でボウリングをする人が増えているという趣旨をイメージすればよりわかりやすい｡</p>
<p>ここで重要なのは､『哲学する民主主義』(1993)におけるイタリアの分析結果である｢社会関係資本と民主主義の関係性｣はイタリア固有の現象ではなく､アメリカにも当てはまる<b>普遍的な現象</b>であることを示そうとしたという点である｡</p>
<p>政治の安定や経済の発展にとって､<b>物的資本や人的資本だけではなく､社会関係資本が重要な要因である</b>ことを示そうとしたのである｡</p>
<p>北アメリカは主にイギリス由来の議会制などを受け継いだのに対し､ラテンアメリカは主にスペイン由来の権威主義的･家族主義的な統治の影響を受けた傾向があり､これが民主主義の発展度の差を生んだとパットナムは説明している｡</p>
<p>市民性が高いほうが経済も政治も発展しやすいという点がポイントである｡社会問題は権威主義的な強制ではなく､自発的な協力によって解決するべきだとパットナムはいう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,300p</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,119p</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,121p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],4-5-6p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">アメリカの社会関係資本が衰退した４つの理由</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/37f64614444d87e5041962eae71222c6.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5743" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/37f64614444d87e5041962eae71222c6.png" alt="" width="353" height="145" /></a></p>
<p>アメリカの社会関係資本が衰退した理由として､パットナムは以下の4つの原因を挙げている｡</p>
<p>【1】世代変化 </p>
<p>生まれた時代によって市民参加の度合いが異なる｡</p>
<p>【2】電子メディアの影響  </p>
<p>テレビなどにより娯楽が個人化し､人との交流が減少｡</p>
<p>【3】仕事の変化</p>
<p>共働きなどで時間や余裕がなくなり地域活動に参加しなくなる｡</p>
<p>【4】郊外化 </p>
<p>通勤時間の増加により､地域との関わりが弱まる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],6-7p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc9">[4-2]パットナムにおける｢信頼･規範･ネットワーク｣</span></h3>
<p>パットナムにとって社会関係資本の構成要素は｢信頼･規範･ネットワーク｣の３つであった｡それぞれの中身とその関係を見ていく｡</p>
<h4><span id="toc10">パットナムにおける｢信頼｣とは</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>信頼</b>(英:trust)</strong></span>：</big>他人が誠実に行動し､協力してくれると見込む期待のこと｡</p>
</div>
<p>なお､エリック･アスレイナー(2008)は信頼は｢<b>一般的信頼</b>｣と｢<b>特定化信頼</b>｣に下位分類されると理論的に整理している｡パットナムの場合は後に扱うように架橋型と紐帯型で実質的に区分されている｡</p>
<p>一般的信頼とは見知らぬ他者への信頼であり､特定化信頼とは家族･友人などへの信頼のことである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019),282p</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),74-75p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">パットナムにおける｢互酬性の規範｣とは</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>互酬性の規範</b>(英:norm of reciprocity)</strong></span>：</big>互いに助け合う行為を社会的に期待するルールのこと｡</p>
</div>
<p>将来の見返り､見返りまでの時間(時間的に短い/長い)､相手の属性(特定/不特定)､コスト､自発性､規範性などが関わっている｡</p>
<p>パットナムは信頼の実質的な区分と同じように､互酬性も｢<b>特定的互酬性</b>｣と｢<b>一般的互酬性</b>｣として実質的に区分していると考えることができる｡</p>
<p>特定的互酬性は特定の相手との間で､比較的短時間に､ほぼ等価の見返りが返ってくることを前提としたルールを意味する｡たとえば｢友人にお金を貸し､後で返してもらう｣､｢誕生日プレゼントを送り合う｣､｢同僚の残業を手伝い､手伝い返してもらう｣といったケースが考えられる｡</p>
<p>一般的互酬性は相手や返済時期を特定せず､将来どこかで返ってくると期待して､今は見返りを求めずに他者にコストを払うことを前提としたルールのことである｡</p>
<p>たとえば｢道に迷っている人を案内する｣､｢災害時にボランティアに参加する｣､｢見知らぬ人のために寄付する｣といったケースが考えられる｡もちろん､両者の境界にはグラデーションがありうる｡たとえばボランティアが成績の内申点を上げるためという具体的な見返りを想定している場合がある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],4-5-6p</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),80-81p</p>
<p>香月孝志,｢社会学用語図鑑｣,プレジデント社,第一刷,249p</p>
</blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/12/17/one-word-sociology-gift-exchange-theory/">【１ワード社会学第十回】モースの｢贈与論｣とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc12">パットナムにおける｢ネットワーク｣とは</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>ネットワーク</b>(英:network)</strong></span>：</big>個人や集団のあいだに形成される社会的なつながり(関係)の構造のこと｡</p>
</div>
<p>ネットワークも特定的ネットワークと一般的ネットワークに区別できるかもしれない(パットナムがそのような用語で区別しているわけではない)｡特定的ネットワークは継続性や組織性が高く､一般的ネットワークは匿名性が高いといえる｡</p>
<p>たとえば道で迷っている人と私との間に継続的な関係は存在しないが､しかしつながりがまったくないわけではなく､視線が合っただけで何らかの意味でつながりが生じうる(社会学者のルーマンでいえば､その場で社会システムがパッと生じる)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,298p</p>
</blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-1/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(前編)</a></p>
<h4><span id="toc13">水平的なネットワークと垂直的なネットワークの違い</span></h4>
<p>ネットワークは水平的なものと垂直的なものに区分されている｡水平的ネットワークは対等な立場同士のつながりであり､垂直的ネットワークは上下関係にもとづくつながりのことである｡</p>
<p>パットナムはイタリアやアメリカの実証分析を行い､<b>水平的なネットワークが市民性を高め､民主主義を発展させ､社会的問題を解消する</b>と評価している｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/9642685bb9694b19263a09e985628672.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5744" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/9642685bb9694b19263a09e985628672.png" alt="" width="205" height="251" /></a></p>
<p>社会学者のハーバーマスでいえば､討議の土壌として､戦略的行為よりもコミュニケーション的行為が優先されるような社会が望ましいということになるのだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,298p</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,300p</p>
</blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/17/habermas-1-theory-of-communicative-action/">【１ワード社会学第十三回(1)】ハーバーマスにおける｢コミュニケーション行為理論｣</a></p>
<h4><span id="toc14">信頼､互酬性､ネットワークのそれぞれの相互補完関係</span></h4>
<p>コールマンやブルデューの箇所で確認したように､ネットワークそれ単体では資本とはみなせない｡ネットワークが資本となるためには信頼や互酬性という要素が必要になる｡</p>
<p>｢<b>信頼性や互酬性を創発的に帯びたネットワーク</b>｣こそが社会関係資本だといえるだろう｡</p>
<p>政治学者の坂本治也さんは､パットナムにおける信頼､互酬性､ネットワークのそれぞれの相互補完関係を｢<b>三位一体</b>｣と名付けている｡3つは別々の要素だが切り離せない関係にあり､一緒になってはじめて力をもつ｡</p>
<p>ネットワークへ参加するからこそ信頼や互酬性の規範が生まれ､互酬性の規範があるからこそネットワークや信頼が強化されるといった関係である｡</p>
<p>ただし､坂本さんはこうした相互補完関係の均衡をパットナムが実証しているわけではないという｡</p>
<p>それぞれの各構成要素はそれぞれの動き方をする可能性があるということになる｡たとえばネットワークが多いからといって信頼が高いとは限らず､現実にはズレや不均衡が生じる可能性がありうる｡どういった状況で適切な均衡が生まれるかは､ブルデューでいえば｢界｣次第､より抽象的にいえば社会的な文脈次第ということになるのだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),80-81p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc15">[4-3]紐帯型(結束型)社会関係資本/架橋(橋渡し)型社会関係資本</span></h3>
<p>パットナムの初期の著作では社会関係資本の肯定的側面ばかりが強調されていたが､否定的側面も挙げられるようになった｡たとえば『孤独なボウリング』(2000)では社会関係資本が紐帯型と架橋型に区分され､紐帯型の排他的側面が説明されている｡</p>
<h4><span id="toc16">パットナムの｢紐帯型(結束型)社会関係資本｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>紐帯型社会関係資本</b>(英:bonding social capital)</strong></span>：</big>同一集団内の効用のみを高める社会関係資本のこと｡※結束型社会関係資本､ボンディングソーシャルキャピタルなどともいう｡</p>
</div>
<p>たとえば家族､友人､特定の政治団体､特定の宗教団体を支持する人同士などの人間関係を意味する｡パットナムの例ではエスニシティ(民族性)に基づく友愛組織､教会の組織する女性の読書サークル､社交クラブなどが挙げられている｡たとえばKKKのような人種差別団体もこの例として挙げられる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>香月孝志,｢社会学用語図鑑｣,プレジデント社,第一刷,248p</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,232p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],8-9p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc17">パットナムの｢架橋(橋渡し)型社会関係資本｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>架橋型社会関係資本(英:bridging social capital)</strong></span>：</big>異なる集団間で効用を高めようとする社会関係資本のこと｡※橋渡し型社会関係資本､ブリッジングソーシャルキャピタルなどともいう｡</p>
</div>
<p>たとえば大学において他学部との共同プロジェクトを行ったり､ボランティア活動で多様な人々と関わったりするようなケース｡パットナムの例では市民権運動､青年グループ､宗教間宗教組織などが挙げられている｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>香月孝志,｢社会学用語図鑑｣,プレジデント社,第一刷,248p<br />
｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,232p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],8-9p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc18">リチャード･フロリダにおける創造性､寛容性､多様性</span></h3>
<p>社会におけるネットワークは少数派と多数派に区別することができる｡たとえば大きく分類すれば｢日本人のコミュニティ｣は日本において多数派であり､｢日本人以外の外国人のコミュニティ｣は日本社会において少数派である｡</p>
<p>それぞれのコミュニティがもし自分たちの内部の効用のみを高めようとする場合は｢<b>紐帯型社会関係資本</b>｣を有するコミュニティだということになる｡</p>
<p>多数派がもし紐帯型だった場合､集団内部の信頼､統合､連帯､互酬性といった要素は高まる｡しかし少数派の他のコミュニティを排除しようとする傾向も高まる危険性がある｡</p>
<p>日本でも外国人排斥運動を行うコミュニティが存在する｡政治でも｢日本人ファースト｣という言葉がキャッチフレーズとして特定の政党によって使われ､議論の対象になっていた(2025年の参院選)｡多数派の生活機会の改善が最優先であり､場合によっては過激な形をとる場合もある(たとえば特定の人種に対するヘイトスピーチを行う団体など)｡</p>
<p>少数派がもし紐帯型だった場合も集団内部の信頼､統合､連帯､互酬性といった要素は高まる｡自分たちの文化や､自分たちのネットワークを有効活用し､結束を高めようとする｡</p>
<p>しかし多数派からすればそのような活動が地域全体の社会的統合を弱体化させるものだとみなされることがある｡法に反した活動､あるいは法には反しないが文化的に理解しがたい活動の形をとる場合もあるからだろう｡たとえば特定の性別を軽視したり､深夜に集まって騒ぐといった行為が特定の文化的価値観に基づいていたとしても､他の文化的価値観をもっている人には｢ひび割れ｣として感じられることがある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a4407fd85ea7a3d3b635a77b921b1255.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5745" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a4407fd85ea7a3d3b635a77b921b1255.png" alt="" width="300" height="284" /></a></p>
<p>外国人だけではなく､カルト的に見える宗教的集団の団結も､多数派からすれば脅威だと見なされる場合があるといえる｡</p>
<p>学校での不良グループ､会社内での少数派など､あらゆる単位に少数派を見出すことができるかもしれない｡</p>
<p>アメリカの社会学者であるリチャード･フロリダは多数派が少数派の生活条件改善に寄与する｢<b>寛容性</b>｣を確保することは､社会全体の｢<b>創造性</b>｣を高めることに貢献すると主張している｡また､多数派自身の利益にもつながりうるという｡</p>
<p>少数派が多数派の生活条件改善に寄与する｢<b>文化的多様性</b>｣を確保することも同様だという｡</p>
<p>それぞれの共同体が自分たちの内部だけに指向するのではなく､外部のコミュニティにも指向することで社会的にポジティブな効果､たとえばコミュニティ同士の衝突(コンフリクト)の回避や創造性の向上につながるというわけだ｡</p>
<p>異なるコミュニティとの接触はアイデアの資源の宝庫となりうるのであり､社会的危機に柔軟に対応するための資源(リソース)として重要になってくるといえる｡</p>
<p>とはいえ自分や自分の所属集団を優先する人たちからすれば､｢現実を見ずに理想ばかりいうリベラル､左派｣､｢ポリコレにうるさい人たち｣と見なされがちである｡逆に彼らからすれば｢自分たちのことしか考えていない右派｣ということになるのだろう｡※ポリコレとはポリティカル･コレクトネスの略であり､差別的な表現をなくそうとする試みを一般に意味する</p>
<p>理想と現実にどのように折り合いをつけるのか､その理論と実践を妥当な根拠に基づいて提示できるか､議論しあえるかがポイントになるのだろう｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/f69f1c252343ce54a4f559679fdf3403.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5746" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/f69f1c252343ce54a4f559679fdf3403.png" alt="" width="844" height="537" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/f69f1c252343ce54a4f559679fdf3403.png 844w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/f69f1c252343ce54a4f559679fdf3403-800x509.png 800w" sizes="(max-width: 844px) 100vw, 844px" /></a></p>
<p>少数派と多数派の関係を図にするとこのようになるという｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,232p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc19">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc20">おすすめ文献</span></h3>
<h4><span id="toc21">ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3NYuYKY"> ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</a></p>
<h3><span id="toc22">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc23">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc24">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Ia6J9u"> デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</a></p>
<h4><span id="toc25">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3FeJ8Do">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</a></p>
<h3><span id="toc26">参考論文</span></h3>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003][<a href="https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/16-1_sato.pdf">URL</a>]</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/94/0/94_65/_pdf">URL</a>]</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019)[<a href="https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/bulletin/bulletin_61/all.pdf#page=269">URL</a>]</p>
<p>長谷川 眞理子｢タテ社会日本と学術｣(2022)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/1/27_1_9/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>北岡一道｢研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ｣(2007)[<a href="https://jin-ai.repo.nii.ac.jp/record/1051/files/vol.39_p61-67.pdf">URL</a>]</p>
<p>松村茂樹 ｢日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み｣(2022)[<a href="https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7235/files/CC20061.pdf">URL</a>]</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十四回(3)】ブルデューの社会関係資本</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/06/10/social-psychology-14-social-capital-3/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Jun 2026 08:46:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ピエール・ブルデュー]]></category>
		<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
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					<description><![CDATA[ブルデューの社会関係資本とは？文化資本やハビトゥスとの違い。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/Bi3vHVaSYlI?si=I4r-YOiRxtKp2TCf" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">(3) 社会関係資本とは</span></h2>
<h3><span id="toc4">ブルデューにおける社会関係資本とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/7c560545c138bf9dc67c06c25c6672e2-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5727" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/7c560545c138bf9dc67c06c25c6672e2-1.png" alt="" width="184" height="243" /></a></p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>(ブルデューにおける)<b>社会関係資本</b>(social capital)</strong></span>：</big>｢人とのつながり｣を意味し､文化資本と相互に支え合い､ともに象徴資本を形成するものだとされている｡</p>
</div>
<h3><span id="toc5">ブルデューにおける｢経済資本｣､｢文化資本｣､｢社会関係資本｣､｢象徴資本｣の違いとは､解説</span></h3>
<h4><span id="toc6">ブルデューの｢経済資本｣とは</span></h4>
<p>ブルデューは資本を<b>経済資本</b>､<b>文化資本</b>､<b>社会関係資本</b>､<b>象徴資本</b>の4つに分類している｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/7f59516c0cc2edc9ad2e82b4b0fad648.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5729" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/7f59516c0cc2edc9ad2e82b4b0fad648.png" alt="" width="332" height="235" /></a></p>
<p>経済資本は収入･資産･土地､所有物など､市場で交換可能であり､直接的に経済的利益を生む資源を意味する｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),76p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc7">ブルデューの｢文化資本｣とは</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;"><b>文化資本</b></span>(英:cultural capital)</strong>：</big>家庭環境や学校教育などを通じて各個人に蓄積され､さまざまな社会的行動の場面において有利､不利を生み出す有形･無形のもののこと｡</p>
</div>
<p>たとえば本や楽器､美術品は有形であり､話し方､振る舞い方､知識､学歴､資格､習慣などは無形である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/08/06/one-word-sociology-habitus/">【１ワード社会学第三回】ブルデューの｢ハビトゥス｣とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc8">ブルデューの｢象徴資本｣とは</span></h4>
<p>象徴資本は経済資本､文化資本､社会関係資本が社会的に正当で価値あるものとして認知されたときに現れる｢<b>評価としての資本</b>｣のことである｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/e1af6ca27d07a5179eacd9ec0acf90cd.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5730" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/e1af6ca27d07a5179eacd9ec0acf90cd.png" alt="" width="259" height="262" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/e1af6ca27d07a5179eacd9ec0acf90cd.png 259w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/e1af6ca27d07a5179eacd9ec0acf90cd-60x60.png 60w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/e1af6ca27d07a5179eacd9ec0acf90cd-120x120.png 120w" sizes="(max-width: 259px) 100vw, 259px" /></a></p>
<p>たとえば有名大学の学歴は高く評価されるものとして認識されているのであり､なんら評価されていない場では資本とみなされない｡</p>
<p>学歴が評価される場合と評価されない場合があるのと同様に､貨幣もまた評価されないと力を持たないような非実体的な側面を有している｡つまり､<b>経済資本も象徴資本としての形態をとりうる</b>とされる｡</p>
<p>われわれは紙幣を信頼､つまり紙幣を発行する政府を信頼するからこそ､経済資本が資本として機能しているのである｡<b>資本はただもっているだけで成立せず､価値があると社会的に認められている必要がある</b>｡</p>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),71-72p</p>
<h4><span id="toc9">ブルデューにおける｢界(場)｣とは</span></h4>
<p>たとえば見知らぬジャングルでは紙幣が象徴資本として機能しない場合がある｡ブルデューの用語で言えば｢<b>界</b>(場)｣の存在に資本の価値は依存しているのである｡界は社会的文脈よりも狭義であり､ルール･序列･競争などが構造化された場を意味する｡</p>
<p>たとえばある学問の世界では｢真理にどれだけ貢献したか｣といった基準がルールとして存在し､その具体的な形として査読付き論文の数や学歴､引用数､研究費の額などが資本として価値をもっていくといえる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/08/06/one-word-sociology-habitus/">【１ワード社会学第三回】ブルデューの｢ハビトゥス｣とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc10">ブルデューにおける文化資本､ハビトゥス､社会関係資本の違い</span></h4>
<p>ブルデューにおける文化資本､ハビトゥス､社会関係資本の違いがわかりにくい｡</p>
<p>たとえば教養や知識などは体現化された文化資本であり､本や道具､作品などは客体化された文化資本であり､学歴や資格は制度化された文化資本であるという｡文化資本は主に｢<b>自分の中(身体)に蓄積され､存在する資源</b>｣であるといえる｡学歴は紙に宿っているわけではなく､身体に宿っているものを可視化したものにすぎないといえる｡道具や芸術作品も有効に使いこなせる能力､鑑賞できる能力が重要になる｡</p>
<p><b>ハビトゥス</b>は｢<b>人が日常の中で身につけていく心的傾向</b>｣であり､必ずしも文化的な価値として現れているとは限らない｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/3a6741741c846312e743a42961c9007e.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5731" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/3a6741741c846312e743a42961c9007e.png" alt="" width="217" height="320" /></a></p>
<p>多くの社会的な場で無価値と見なされるものであっても､ハビトゥスといえるのである｡すぐイライラしてしまう心的傾向を幼少期に家庭において身につけ､たとえそれが社会で評価されていないとしてもハビトゥスだといえる｡</p>
<p>しかし文化資本は｢<b>資本</b>｣であり､その社会の一定の地位や収入を保証するもの､すくなくとも社会的に価値があるものと認識されていなければならない｡</p>
<p>したがって､どんな心的傾向でも適切とは限らず､<b>社会的な地位を高めるために有利な心的傾向</b>である必要がある｡もちろんどんなものが有利かは｢界｣に依存する｡</p>
<p>文化資本が個人に内在する文化的資源だとすれば社会関係資本は諸個人の間に存在する社会的資源､いわば｢<b>ネットワーク資源</b>｣だといえる｡</p>
<p>もちろんどちらも人と人との関係において､社会的な環境において形成されるという点では似ているが､その現れ方が異なるというイメージだろう｡たとえば｢文字を読むことができる能力｣と｢友人から助言をもらえる環境｣といった違いを考えればわかりやすい｡</p>
<p>しかしどんなネットワークでもいいかというと､そうではない｡</p>
<p>たとえば反社会的な集団につきまとわれている場合もある種のネットワーク､人間関係だが､それが社会の一定の地位を保証するとはほとんどの場合いえないだろう｡しかし､そうしたケースでさえ人間関係資本といえるような特殊な状況も想定することは可能だろう｡｢社会的に価値がある｣という場合の社会をどの範囲で切り取るかも問題になってくる｡たとえば刑事(警察という組織社会内)ならうまくそうした人間関係を活かすことのできる資産だと考えることができるかもしれない(情報源などとして)｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/08/06/one-word-sociology-habitus/">【１ワード社会学第三回】ブルデューの｢ハビトゥス｣とはなにか</a></p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),79-80p</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,254p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc11">コールマンにおける資本とブルデューにおける資本の考え方の違い</span></h3>
<p>コールマンにおける人的資本は｢<b>個人の能力</b>｣として位置づけられていた｡</p>
<p>もちろん､そうした能力が形成されるかどうかは階層や人間関係が関わっているとコールマンも考えている｡しかし､社会関係資本や人的資本が物的資本の形成を助ける限りで､つまり物的資本の生産性を高める限りで評価されるという観点の強調が強い｡コールマンが合理的選択理論の立場にあること､それゆえに経済学的視点が重視されることと関連してくるのだろう｡</p>
<p>また､コールマンは｢<b>ネットワークと資本の区分がはっきりしていない</b>｣とナン･リン(2001)によって批判されている｡</p>
<p>人と人との関係､つながり､ネットワークそのものを資本として扱ってしまっているというわけだ｡リンによると､ネットワークがあるだけでは資本とはいえず､そこに<b>信頼や互酬性があってはじめて資源として機能する</b>のだという｡たとえば親子関係が単にあるだけでは資本とはいえずに､信頼性や互酬性を必要とするということになるのだろう｡コールマンは信頼性などにも触れているが､その言及が十分ではないというわけだ｡たとえば情報源を信用できなければ関係をもっていても有用でないといえる｡</p>
<p>ブルデューの場合はコールマンと異なり､ネットワークと資本は区別されて考えられている｡たとえば｢<b>ネットワークのおかげで動かすことのできる資本</b>｣といったようにブルデューは表現している｡</p>
<p>しかしネットワークと資本をつなぐ要素をパットナムのように信頼や互酬性の規範であるとはブルデューは明確には主張していない｡</p>
<h3><span id="toc12">ブルデューにおけるネットワークの維持､強化､再生産､変化､逸脱について</span></h3>
<p>ブルデューはネットワーク(構造)が自然に生まれたり､自然に維持されるとは考えない｡<b>維持､強化､再生産されなければネットワークは消滅してしまう</b>ものとして考えている｡</p>
<p>もちろん､単に固定的に再生産されるだけではなく､<b>変化や逸脱の可能性</b>も認めている｡たとえばフランスの社会革命では文化がもはやそのままの形では維持できずに､大きく変化していったといえる｡</p>
<p>ブルデューは経済学者のマルクスのように文化(上部構造)の変化を単純に経済(下部構造)の変化に還元せずに､他の質の違う資本との相互作用を含めて複雑に考えている｡</p>
<p>経済資本は文化資本にどのように変換されたのか､あるいは文化資本は経済資本にどのように変換されていくのかといった分析が重要になる｡一方通行の因果関係の分析というよりも､循環的､再帰的な特定の場における相互作用を分析しようという立場であるといえる｡</p>
<p>人々の行為や態度のミクロな積み重ね､たとえば飲み会や､贈り物､挨拶などによって関係が維持されるのであり､いわば｢<b>投資</b>｣にあたる｡</p>
<p>この関係が価値があるものかどうかは界によって定まるのであり､｢<b>認知</b>｣を必要とする｡信頼や互酬性の規範は関係の前提というよりも､関係の結果として形成されるものなのだろう｡というより､<b>前提であると同時に結果である</b>というような､ルーマンでいえばシステム(構造)と要素の再帰的な関係とも似ている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-1/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(前編)</a></p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),79-80p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc13">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc14">おすすめ文献</span></h3>
<h4><span id="toc15">ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3NYuYKY"> ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</a></p>
<h3><span id="toc16">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc18">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
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<h4><span id="toc19">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
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<h3><span id="toc20">参考論文</span></h3>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003][<a href="https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/16-1_sato.pdf">URL</a>]</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/94/0/94_65/_pdf">URL</a>]</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019)[<a href="https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/bulletin/bulletin_61/all.pdf#page=269">URL</a>]</p>
<p>長谷川 眞理子｢タテ社会日本と学術｣(2022)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/1/27_1_9/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>北岡一道｢研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ｣(2007)[<a href="https://jin-ai.repo.nii.ac.jp/record/1051/files/vol.39_p61-67.pdf">URL</a>]</p>
<p>松村茂樹 ｢日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み｣(2022)[<a href="https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7235/files/CC20061.pdf">URL</a>]</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/06/10/social-psychology-14-social-capital-3/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十四回(2)】コールマンにおける社会関係資本とは</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/06/08/social-psychology-14-social-capital-2/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/06/08/social-psychology-14-social-capital-2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 08 Jun 2026 09:35:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジェームズ･コールマン]]></category>
		<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5716</guid>

					<description><![CDATA[コールマンの社会関係資本と物象的親ネットワーク論を整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/Bi3vHVaSYlI?si=I4r-YOiRxtKp2TCf" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">(3) 社会関係資本とは</span></h2>
<h3><span id="toc4">コールマンにおける社会関係資本とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>(コールマンにおける)<b>社会関係資本</b>(英:social capital)</strong></span>：</big>自己利益の達成を目指す主体との関係においてはじめて明らかになる社会構造の資源的側面のこと｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/7dca8587c76cb3708d7b57a4e5df1fdf.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5718" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/7dca8587c76cb3708d7b57a4e5df1fdf.jpg" alt="" width="153" height="244" /></a></p>
<p>コールマンはアメリカの社会学者であり､合理的選択理論などで知られている｡代表作は『社会理論の基礎』(1990)であり､そこで社会関係資本が解説されている｡</p>
<p>コールマンにおいて重要なのは､社会関係資本が人と人との間に存在するものであり､ある個人が孤立的に所有できるようなものではないという点にある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/b406be0801f9ab40b48a50eee248b3ba.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5719" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/b406be0801f9ab40b48a50eee248b3ba.png" alt="" width="353" height="250" /></a></p>
<p>コールマンはアメリカの社会学者であり､合理的選択理論などで知られている｡代表作は『社会理論の基礎』(1990)であり､そこで社会関係資本が解説されている｡</p>
<p>コールマンにおいて重要なのは､社会関係資本が人と人との間に存在するものであり､ある個人が孤立的に所有できるようなものではないという点にある｡</p>
<p>コールマンは｢<b>人的資本は点にあたり､社会的資本は点を結ぶ線にあたる</b>｣という言い方をしている｡</p>
<p>要素ではなく形式を見つめるといえば社会学者のジンメルを参照するとわかりやすい(※ジンメルについては基礎社会学第五回の動画を参照)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,230p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],1-3-4p</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),70-74p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc5">コールマンによる社会関係資本の具体例</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/b62e5434592b5963e5b0ce721bfc24fb.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5720" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/b62e5434592b5963e5b0ce721bfc24fb.png" alt="" width="292" height="258" /></a></p>
<p>コールマンの出した社会関係資本の具体例では､｢学校のつながり｣､｢医師と患者の信頼関係｣､｢地域で子どもを見守る関係｣などが挙げられている｡</p>
<p>たとえばコールマンは｢<b>学力は学校よりも家庭背景の影響が大きい傾向がある</b>｣と主張している(1966)｡また､｢カトリック系私立学校のコミュニティ的つながりが学力向上に寄与している｣と主張している(1980年代)｡</p>
<p>ただし､<b>社会関係資本はある人にとって有益でも､別の人には不利益となる場合もある</b>という｡</p>
<p>たとえば学校でわからない箇所を教え合う人間関係が生じていたとして､わからないところが少ない立場の人では自分のペースで勉強できないという不利益が生じている可能性が考えられる｡もちろん､別の面(たとえば頼られて嬉しいなど)で利益を得ている可能性もある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),73-74p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc6">コールマンにおける｢物的資本｣､｢人的資本｣､｢社会関係資本｣の違いとは</span></h3>
<p>コールマンは｢<b>物的資本</b>｣と｢<b>人的資本</b>｣を区別し､社会関係資本を｢<b>人的資本の拡張</b>｣として位置づけている(人的資本と機能的に関連づけている)｡※延長は性質は同じだが､拡張は性質が変わるというイメージである｡</p>
<p>「<i>おそらく過去三〇年の教育経済学の最も重要で最も独創的な発見は，……物理的資本が人的資本をも含むように拡張されうるという考えであろう</i>」とコールマンは述べている(1990)｡</p>
<p>ただし､物的資本や人的資本が｢<b>私財的側面</b>｣が強いのに対して､社会関係資本は個人にただちに利益がもたらされるわけではなく､時間をかけて社会全体に利益がもたらされるという点で｢<b>公共財的側面</b>｣が強いとされている｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),73-74p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],1-3-4p</p>
</blockquote>
<p>｢<b>物象的親ネットワーク論</b>｣とは</p>
<p>コールマンの社会関係資本理解で重要なのは､<b>物的資本の拡張で他の資本が位置づけられている</b>という点にある｡経済的資本の形成を促すような人的資本､人的資本の形成を促すような社会関係資本といったような関係にある｡資本形成を促すような資源だから､その資源も実質的には資本に等しい｡</p>
<p>物的資本の拡張として人的資本があるゆえに､社会関係をコト(関係)ではなくモノのように測定､分析しようとする姿勢がコールマンにはある｡｢資本｣という言葉自体にも｢モノ｣というニュアンスが漂っている(もともとは比喩として用いられていたのだが)｡</p>
<p>教育学者の高野良一さんはコールマンの立場を｢<b>物象的親ネットワーク論</b>｣と表現している｡関係をモノのように捉え､かつ家族などのネットワークを重視しているわけである｡</p>
<p>たとえば親の数(片親か両親か)､兄弟の数､接触の頻度などの｢<b>数値</b>｣に変換されてコールマンは社会関係資本の分析を行っていく｡</p>
<p>関係(社会学的事実)を統計などの数値によって分析する姿勢はデュルケムの『自殺論』をふまえて考えるとよりわかりやすいだろう｡</p>
<p>社会学者のデュルケムの場合も｢<b>モノのように</b>｣という比喩を重視した(※デュルケムのこの考えについては基礎社会学第三七回の動画を参照)｡</p>
<p>もちろん､モノ(要素)としてどこまでコト(関係)を正確に変換できるのかという点が問題になる｡全体には部分に還元できない要素がある複雑な事態と考えると､いかにして近似的にでも理解していくのかが課題となる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/01/30/durkheim-6-1/">【基礎社会学第三八回(1)】エミール･デュルケムの『自殺論』の目的を解説</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/12/17/durkheim-5-1/">【基礎社会学第三七回(1)】エミール･デュルケムの｢社会的事実を物のように考察せよ｣を解説</a></p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),75p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc7">ケネス・アローによる批判と､ナン･リンの擁護</span></h3>
<p>たとえば経済学者のケネス･アローは社会関係資本は資本と呼べないと批判している｡資本には本来､｢将来の利益のために､現在コストを払う｣という性質があり､それを社会関係資本は満たさないというのである｡</p>
<p>社会関係は投資して増やすものとして扱いにくいというわけだ｡例えば友人との付き合いによって利益が得られるかどうかは不確定である｡</p>
<p>社会学者のナン･リンはこうした批判を受け止め､資本を｢<b>市場の中で利益を生むことを期待してなされる投資</b>｣と定義することを提案している｡</p>
<p>友人との付き合いによって将来の情報共有､助けあいなどの非物質的な利益を期待できるというわけである(利益の概念も拡張されている)｡社会学者の佐藤誠さんは､｢無理に資本と呼ぶより『<b>社会的資源</b>』と呼ぶ方が適切である｣という｡資本と呼ぶからこそ｢モノ｣や｢実体｣の側面が強く意識されすぎて､過剰な数量化が生じやすくなるからである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014),70-71p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],23-27p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc8">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc9">おすすめ文献</span></h3>
<h4><span id="toc10">ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3NYuYKY"> ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</a></p>
<h3><span id="toc11">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc12">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc13">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Ia6J9u"> デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</a></p>
<h4><span id="toc14">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3FeJ8Do">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</a></p>
<h3><span id="toc15">参考論文</span></h3>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003][<a href="https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/16-1_sato.pdf">URL</a>]</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/94/0/94_65/_pdf">URL</a>]</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019)[<a href="https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/bulletin/bulletin_61/all.pdf#page=269">URL</a>]</p>
<p>長谷川 眞理子｢タテ社会日本と学術｣(2022)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/1/27_1_9/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>北岡一道｢研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ｣(2007)[<a href="https://jin-ai.repo.nii.ac.jp/record/1051/files/vol.39_p61-67.pdf">URL</a>]</p>
<p>松村茂樹 ｢日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み｣(2022)[<a href="https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7235/files/CC20061.pdf">URL</a>]</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/06/08/social-psychology-14-social-capital-2/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十四回(1)】ハニファン､ラウリィにおける社会関係資本とは</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/06/07/social-psychology-14-social-capital-1/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/06/07/social-psychology-14-social-capital-1/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 Jun 2026 03:16:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5705</guid>

					<description><![CDATA[つながりは資産か負担か？社会関係資本の基本を整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="//www.youtube.com/embed/WSdAkXevCNA?si=9goAwnEx2iFSSHyf" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">社会関係資本に関わる問題発生の例</span></h2>
<h3><span id="toc4">日常生活での失敗</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/3cabd104fbf283cc92bdeb0ab8b4830b.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5708" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/3cabd104fbf283cc92bdeb0ab8b4830b.png" alt="" width="274" height="240" /></a></p>
<p>近所の人々との挨拶や交流が少ないと､誤解や不信が生まれてしまうケースがある｡騒音問題やゴミ出し問題など､他者への配慮を欠いたトラブルにつながる可能性がある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a0d72068f93b961aa060d1860c5016ce.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5709" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a0d72068f93b961aa060d1860c5016ce.png" alt="" width="190" height="241" /></a></p>
<p>人付き合いは近所だけではなく､仕事場や友人関係など多様な範囲に及んでいる｡</p>
<p>たとえば仕事場で人間関係が乏しいと､業務に有利な情報が入ってこなくなり､昇進の可能性が小さくなってしまうかもしれない｡</p>
<h3><span id="toc5">その他</span></h3>
<p>ボランティアや近所付き合いなどの社会参加が乏しくなると､災害時に情報共有や助け合いが困難になる可能性がある｡</p>
<p>投票などの政治参加が少なくなると､政府に対する監視が乏しくなり､一部の人びとにのみ利益が生じる偏った政策が打ち出されてしまう可能性がある｡偏った思想の人びとの多くが政治参加するようになり､過激な政策が通りやすくなる可能性もある｡</p>
<h3><span id="toc6">人付き合いの負の側面</span></h3>
<p>もちろん､こうした人付き合いには負の側面もある｡近所で人付き合いがあることでトラブルが生じる可能性がある｡仕事場で飲み会などの勤務外拘束､御歳暮の贈りあいといった特定の人にとっては負担に感じるコミュニケーションがより多くなってしまう可能性がある｡</p>
<p>また､政治参加が多いゆえに誤った政策が打ち出されてしまうこともありうる｡</p>
<p>｢人付き合いをすれば単に個人や社会にメリットがある｣といった単純な問題ではない｡しかしそのメリット･デメリットを考える際に｢<b>社会関係資本</b>｣という概念を学んでおく意義があると考える｡</p>
<p>今回は社会学と関連が深いために､すこし専門的な内容も扱っていきたいと考えている｡とくに社会学者であるコールマンやブルデューの用いる社会関係資本の概念と､政治学者であるパットナムの用いる社会関係資本の概念を理解していく｡</p>
<h2><span id="toc7">社会関係資本とは</span></h2>
<h3><span id="toc8">社会関係資本とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<p>#</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>社会関係資本</b>(英:social capital))</strong></span>：</big>人と人との関係から生まれ､個人や社会の成果に影響を与える資源｡</p>
</div>
<p>#</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/1796040c24fd450a2e37ce7fa6b59433.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5710" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/1796040c24fd450a2e37ce7fa6b59433.png" alt="" width="242" height="248" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/1796040c24fd450a2e37ce7fa6b59433.png 395w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/1796040c24fd450a2e37ce7fa6b59433-60x60.png 60w" sizes="(max-width: 242px) 100vw, 242px" /></a></p>
<p>ソーシャル･キャピタルとカタカナで日本では用いられる場合がある｡あるいは社会資本､関係資本､人間関係資本などとも表現される｡</p>
<p>｢<b>社会資本</b>(social overhead capital)｣という場合､日本ではとくに社会インフラなどの公的投資を意味することが多い｡高速道路､空港､図書館や水道などである｡</p>
<h3><span id="toc9">社会資本と社会関係資本の違いとは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/3960aa91fcd7a454a8108d70f65fd7e3.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5712" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/3960aa91fcd7a454a8108d70f65fd7e3.png" alt="" width="310" height="264" /></a></p>
<p>ソーシャル･キャピタルとカタカナで日本では用いられる場合がある｡あるいは社会資本､関係資本､人間関係資本などとも表現される｡</p>
<p>｢<b>社会資本</b>(social overhead capital)｣という場合､日本ではとくに社会インフラなどの公的投資を意味することが多い｡高速道路､空港､図書館や水道などである｡</p>
<h3><span id="toc10">ハニファンにおける｢社会関係資本｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<p>社会関係資本のどの具体的な内容を強調するかは論者によって多様に分かれている｡<a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/ecc4ae24747fd61641e4a44f43d950fa.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5711" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/ecc4ae24747fd61641e4a44f43d950fa.png" alt="" width="284" height="196" /></a></p>
<p>最初期に｢<b>社会関係資本</b>｣という概念を用いたのは農村学校の指導主事ハニファン(1916)であり､｢<b>お金や資産ではなく､人々のあいだの善意や友情などの人間関係を指す比喩</b>｣として用いられていた｡</p>
<p>具体的には日常に欠かせない社会的な集団の相互の善意､友情､共感､社交などを意味している｡</p>
<p>ハニファンはそうした社会関係資本が希薄化してきたこと､とくに農村部にこそ社会関係資本に必要な文化的､経済的条件が欠けていると指摘している｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会学｣､有斐閣､第十一刷,121p</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],1-2p</p>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc11">グレン･ラウリィにおける｢社会関係資本｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>1977年にはアメリカの経済学者であるグレン･ラウリィ(Loury,Glenn)がアメリカ人の人種差別と労働市場を分析する際に｢<b>社会関係資本</b>｣の概念を使用している｡</p>
<p>ラウリィによると､個人の能力は人的資本であり､人的資本だけで社会の不平等は説明できないという｡不平等は家庭やコミュニティといった社会的条件､つまり社会関係資本が重要だと主張した｡</p>
<p>教育や法律などによって個人主義的に解決するのではなく､<b>社会の条件を改善していこう</b>とする構造的視点が強調されている｡</p>
<p>たとえば親が高学歴であり､親と子どもの関係性が充実していれば､子どもはそうした社会的条件の中に生きているということになる｡こうした社会的条件は親から子へ､子から新たな子へと再生産されやすくなり､経済的不平等もまた再生産されやすくなっていく｡ラウリィの考え方は後で扱うコールマンなどの社会学者などに影響を与えていった｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003],1-2-3p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc12">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc13">おすすめ文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3NYuYKY"> ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) ｢孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生｣</a></p>
<h3><span id="toc15">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc16">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc17">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Ia6J9u"> デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</a></p>
<h4><span id="toc18">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3FeJ8Do">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</a></p>
<h3><span id="toc19">参考論文</span></h3>
<p>佐藤誠｢社会資本とソーシャル・キャピタル｣[2003][<a href="https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/16-1_sato.pdf">URL</a>]</p>
<p>高野良一｢社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/94/0/94_65/_pdf">URL</a>]</p>
<p>稲葉陽二,戸川和成,｢社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察｣(2019)[<a href="https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/pdf/bulletin/bulletin_61/all.pdf#page=269">URL</a>]</p>
<p>長谷川 眞理子｢タテ社会日本と学術｣(2022)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/1/27_1_9/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>北岡一道｢研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ｣(2007)[<a href="https://jin-ai.repo.nii.ac.jp/record/1051/files/vol.39_p61-67.pdf">URL</a>]</p>
<p>松村茂樹 ｢日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み｣(2022)[<a href="https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7235/files/CC20061.pdf">URL</a>]</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/06/07/social-psychology-14-social-capital-1/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十四回(1)】アンダーソンのナショナリズム論概略</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/05/29/one-word-sociology-imagined-community-14-1/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/05/29/one-word-sociology-imagined-community-14-1/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 May 2026 17:14:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ベネディクト・アンダーソン]]></category>
		<category><![CDATA[１ワード社会学]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5945</guid>

					<description><![CDATA[アンダーソンのナショナリズム論の基礎用語と概要を整理｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/LM9oSEkk4NQ?si=Tc1P09xdey7bMYfS" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span style="display: inline-block; width: 0px; overflow: hidden; line-height: 0;" data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h3><span id="toc4">動画の分割</span></h3>
<p>今回は試験的に動画内容を細かく分割する(全体が長過ぎるため)｡</p>
<p>この動画は第1回目であり､全15回を予定している｡</p>
<p>(1)概要､整理<br />
(2)想像の共同体とは<br />
(3)出版資本主義とは<br />
(4)無名戦士の墓とは<br />
(5)メシア的時間<br />
(6)均質で空虚な時間<br />
(7)複製技術の時代<br />
(8)ナショナリズムの起源<br />
(9)ナショナリズムの変化(海賊版)<br />
(10)人種主義とナショナリズムの違い<br />
(11)アンダーソンの分析手法の整理<br />
(12)ベンヤミンにおける｢歴史の天使｣とは<br />
(13)ナショナリズムを維持する装置<br />
(14)ナショナリズムの倫理性<br />
(15)教訓</p>
<h2><span id="toc5">概要(要約)</span></h2>
<h3><span id="toc6">基礎用語の説明</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>想像の共同体</b></strong></span>(英:imagined community)：</big>成員同士が直接知り合っていなくても､自分たちが同じ共同体に属していると想像することで成立する共同体のこと｡</p>
</div>
<p>想像の共同体自体は昔からあり､宗教的共同体､王国的共同体などさまざまな想像のスタイルが存在している｡原始共同体ですら､そうした側面があるという｡</p>
<p>ベネディクト･アンダーソンによる『想像の共同体』(1983)という著作で念頭に置かれているのは､近代以降に特有の想像のスタイルによる共同体である､｢想像の政治共同体｣である｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>想像の政治共同体</b></strong></span>：</big>｢有限性｣､｢主権性｣､｢共同性｣という３つの近代特有の仕方で､心のなかに想像された共同体のこと｡｢<b>ネーション</b>(国民)｣とほぼ同義｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/919e8e96a7c9615c3a5cd8edee5692a9.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5946" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/919e8e96a7c9615c3a5cd8edee5692a9.png" alt="" width="521" height="467" /></a></p>
<p>ナショナリズムは｢<b>ネーション(想像の政治共同体)に対して愛着をもつ(価値づけを行う)言論や実践の集合</b>｣であると定義することができる｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>有限性としての想像</b></strong></span>：</big>共同体は｢境界をもつ限定された集団｣とみなされる想像のスタイルのこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>主権性としての想像</b></strong></span>：</big>共同体は｢集団のひとりひとりが主権的な存在(最高の意思決定主体)｣とみなされる想像のスタイルのこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>共同性としての想像</b></strong></span>：</big>共同体は現実には不平等があっても､心の中では｢深い愛によって結ばれた対等な仲間同士｣だとみなされる想像のスタイルのこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>出版資本主義</b></strong></span>(英:print capitalism)：</big>印刷技術と資本主義が結びつき､印刷物が大量生産･販売されるようになった社会的システムのこと｡</p>
</div>
<p>特に､中世においてラテン語(ごく一部のエリートが用いる各国の共通語)から俗語(地域ごとにしか伝わらない母語､方言)へと出版語が拡大されてきた点が重要である｡さらに行政語もラテン語から俗語へと切り替えられていった｡このようにして大量の人間が俗語による出版物を同時的に読むという体験が可能になっていったのである｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>人間の言語的多様性(</strong></span>英:human linguistic diversity)：</big>人類が単一の共通言語ではなく､多数の異なる言語に分かれて存在している状態のこと｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/c46df8bc6d9c55f4e7836e0298acfa2e.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5947" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/c46df8bc6d9c55f4e7836e0298acfa2e.png" alt="" width="626" height="611" /></a></p>
<p>アンダーソンはこれを｢<b>宿命</b>(容易に変えられない社会の性質)｣であり､資本主義でさえも克服できなかったと考えている｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>複製可能性</b></strong></span>：</big>同一の形式を大量に反復できること｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/b1e47914fc658825d09d43ede2734fba.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5949" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/b1e47914fc658825d09d43ede2734fba.png" alt="" width="632" height="349" /></a></p>
<p>モジュール､引用､海賊版､模倣などは｢(印刷のような)単なる反復｣ではなく､変容が含まれている｡他の空間や時間､文脈において部分的に取り入れられること､模倣できることも｢複製可能性｣と広義に解釈する｡</p>
<p>一方で､模倣/真正､起源/派生といった主体性に基づくナショナリズムの二分法をアンダーソンは避けている｡</p>
<p>アメリカの独立運動もフランス革命も､特定の誰かが意図的･主体的･計画的に創り出したモデルではないからである｡それゆえに､特許権や著作権といった｢真正性や起源性｣が強く帯びることはない｡</p>
<p>諸個人の大量の経験や条件の偶然の重なりにおいてナショナリズムは創発的に生じ､事後的に｢<b>あれはナショナリズムであった</b>｣と言語化､対象化され､構築される｡</p>
<p>さらに時間がたち､｢あれはこういうものだ｣と部分的に理念化(モデル化)されて｢出版物｣を通して流通し､模倣されていくという理解なのである｡たとえば独立運動者(クレオール)たちが現地民の反抗に恐怖心をもっていたといった要素､アメリカにおいて奴隷制が実質的に続いていた要素は捨象されていく｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>クレオール･ナショナリズム</strong></span>(英:Creole nationalism)：</big>ヨーロッパの宗主国ではなく､アメリカ大陸の植民地で生まれた白人エリート層(クレオール)を中心に形成された初期ナショナリズムのこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>クレオール</strong></span>(英:Creole,仏:Créole,西:Criollo)：</big>ヨーロッパ系の人々の子孫で､宗主国ではなく植民地(特にアメリカ大陸)で生まれた人々を指す歴史用語のこと｡宗主国で生まれた人びとは｢ペニンスラール｣と呼ばれる｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>クレオール的巡礼</strong></span>：</big>植民地生まれの官僚が縦方向にも横方向にも出世を制限された範囲内で勤務と移動を繰り返す儀礼的上昇移動のこと｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/122eb8991be9bc01fdfe86062d08cb5f.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5950" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/122eb8991be9bc01fdfe86062d08cb5f.png" alt="" width="718" height="509" /></a></p>
<p>ペニンスラールとは違い､基本的に宗主国へと移動して出世する道は閉ざされており､かつ植民地内でも上昇には一定の壁がある(トップになりにくい)｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/bee60dd0c990f40743f77b402ec675ed.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5951" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/bee60dd0c990f40743f77b402ec675ed.png" alt="" width="767" height="610" /></a></p>
<p>クレオール的巡礼はクレオールナショナリズムの発生において重要な前提のひとつであるといえる｡しかし､それ単体ではナショナリズムを生じさせたわけではなく､出版資本主義との交差が決定的に重要である｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>俗語ナショナリズム</strong></span>(英:vernacular nationalism)：</big>ラテン語のような超地域的言語ではなく､各地域の俗語を基盤として形成されたナショナリズムのこと｡</p>
</div>
<p>｢第二世代の民族言語的ナショナリズム｣とも表現されることがある(第一世代としてクレオールナショナリズムが位置づけられている)｡辞書編纂､歴史の編纂､王朝の行政俗語の採用などを通して民衆を中心に広がる､半ば無自覚的なナショナリズムであったという点がポイントである｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>公定ナショナリズム</strong></span>(英:official nationalism)：</big>王朝帝国が既存の支配を維持するために､ネーションと王朝帝国を意図的に結びつける形で形成されたナショナリズムのこと｡</p>
</div>
<p>俗語ナショナリズムへの応戦として発展したという時系列が重要である｡俗語ナショナリズムにおいて､｢主権は人民にある｣とか､｢共和制が望ましい｣といった思想が広がりつつあり､王朝側は危機に直面していた｡たとえばロマノフ王朝は自分たちが｢ロシア人｣であることを強調し､｢ロシア語｣を教育において採用することを義務化していく｢帝制ロシア化｣が代表例である｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>植民地ナショナリズム</strong></span>(英:colonial nationalism)：</big>新世界(アメリカ大陸)でも旧世界でもなく､主に｢第三世界(アジア･アフリカなど)の植民地｣における固有の仕方で形成されたナショナリズムのこと｡</p>
</div>
<p>新世界の植民地におけるナショナリズムとの違いとして､｢交通､通信技術の発達｣､｢現地の知識人層による独立運動の主導｣､｢旧来の多様なナショナリズムのモデルの利用｣､｢公定ナショナリズムの実施｣などが挙げられている｡特に､｢人口調査･地図･博物館｣という３つの統治技術が特徴的である｡</p>
<h3><span id="toc7">２つの問いと回答</span></h3>
<h4><span id="toc8">2つの問い</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/e542ed886ed6be232ff8f4aa1f9c7571.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5952" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/e542ed886ed6be232ff8f4aa1f9c7571.jpg" alt="" width="385" height="556" /></a></p>
<p>『想像の共同体』(1983)によってアンダーソンが明らかにしようとしている点は以下の2つの問いに整理できる｡</p>
<p>(1) ナショナリズムは歴史的にいつ､どのように｢<b>文化的人造物</b>｣として成立し､展開していったのか｡</p>
<p>つまり､｢<b>ナショナリズムの起源と流行</b><b>｣</b>を明らかにしようとしている｡</p>
<p>特に､どのような｢<b>社会的条件</b>｣のもとでナショナリズムが可能になったのかについてアンダーソンは中心的に取り組んでいる｡こうした立場は｢<b>社会構築主義的アプローチ</b>｣と呼ばれることがあり､本質主義とは対照的である｡</p>
<p>(2) ネーションは人々が想像力によって発明(構築)した｢文化的人造物｣にすぎないものであるにもかかわらず､なぜ死を伴うような心からの自己犠牲的な愛着を呼び起こすのか｡</p>
<p>出版資本主義の発展などの社会的条件によって､社会の変化や意識の変化が生じ､ネーションが人々の間で生じたことは説明できる｡しかし､人びとがネーションに対してこれほど深い愛着を感じることについて､これらの説明だけでは理解できない(奥行きまでは説明できない)｡構築主義とは異なる説明が必要になる｡</p>
<h4><span id="toc9">第一の回答</span></h4>
<p>まず第一の問いの回答について端的にまとめる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/c46df8bc6d9c55f4e7836e0298acfa2e.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5947" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/c46df8bc6d9c55f4e7836e0298acfa2e.png" alt="" width="626" height="611" /></a></p>
<p>ネーションという新しい想像のスタイルを可能にした条件は､｢出版技術｣､｢資本主義｣､｢人間の言語的多様性という宿命性｣のなかば偶然の､爆発的な相互作用である｡</p>
<p>資本主義だけ､出版技術だけ､人間の言語多様性だけでもネーションは生じなかったわけである｡３つの組み合わせにおいてはじめてネーションを成立させる十分条件となるとおおまかに理解することができる｡</p>
<p>ただし､この組み合わせは十分条件であって必要条件ではない｡たとえば｢資本主義､通信技術､人間の言語多様性｣の組み合わせでもネーションは生じたかもしれない｡資本主義ではなく､別の経済システムでもネーションは生じたかもしれない｡アンダーソンは本質主義的､進歩主義的な視点で現象を捉えていない｡</p>
<p>なぜ18世紀末のアメリカ大陸で最初にナショナリズムが生じたのか｡</p>
<p>言語も文化も違う｢原住民とクレオール｣たちがなぜ｢我々国民｣として定義され､なぜ言語も文化も同じ｢クレオールとペニンスラール｣たちが対立し､｢我々ではなく彼ら｣という意識が生じていったのか｡</p>
<p>たとえば南アメリカ独立運動の中心人物であり､クレオールであるサンマルティンは1821年に｢<i>今後､原住民を､インディオ､土民などと呼んではならない｡かれらはペルーの子にしてかつ市民であり､ペルー人として知られるべきである</i>｣と宣言している｡</p>
<p>身分､人種､歴史や言語すら超えて､｢我々国民｣という意識､｢ペルー国民｣という政治共同体が抽象的に想像されている｡南アメリカではこの時期の前後において18もの別々の国家が独立していった｡国家がどの範囲で独立するのかという問題は､植民地行政区画や政治的巡礼の範囲と深く関連していた｡ </p>
<p>たとえば印刷業者がジャーナリストを兼ねているのは北アメリカ特有の現象であったという｡</p>
<p>多数の地方新聞が発行され､初期の新聞では植民地国のニュースと宗主国のニュースの両方が掲載されていた｡ただし､宗主国では植民地国の新聞はほとんど読まれない｡一方で､クレオールたちは宗主国の新聞を読んでいる｡</p>
<p>最初の頃は新聞に政治的要素は少なかったという｡しかし､大量に複製された新聞を､同時期に､同じ行政区画の出来事を共有することで読者集団のあいだに想像の共同体が形成されていた｡</p>
<p>とくに北アメリカ(イギリスが支配していた範囲であり､後のアメリカ合衆国である)は行政範囲が狭かった点がポイントである｡独立運動前において小説の出版は乏しく､中産階級や知識人は少なかったという特徴も抑えておく必要がある｡独立を主導した層は多数の大地主､少数の商人､さまざまな専門的職業者(法律家､軍人､地方の役人など)だったという｡</p>
<p>印刷業者だけではなく､地方役人(クレオール)の役割も重要だった｡</p>
<p>ただし､｢出版技術､資本主義､人間の言語的多様性という宿命性のなかば偶然の､爆発的な相互作用｣が整うまでは､クレオール的巡礼は｢<b>想像の政治的共同体(ネーション)の形成になんら決定的な帰結をもたらさなかった</b>｣という｡アンダーソンがあくまでも重視する条件はこの３つなのであり､この３つを前提として様々な要素が促進され､あるいは発現していくのだといえる｡</p>
<p>とくにアンダーソンがナショナリズム成立の根源として重視するのは｢<b>比較の意識</b>｣である｡</p>
<p>『比較の亡霊』(1998)においては｢取り憑かれたかのように他の対象を比較せずにはいられない､めまいのような意識｣であると表現されている｡この｢比較可能性｣を高めた社会的条件､特に｢技術｣が重要になる｡</p>
<p>植民地で生まれたというだけで出世できないクレオールは､宗主国から派遣されてくるペニンスラール(宗主国生まれの西洋人)と自分たちと｢比較｣してしまう｡</p>
<p>行政的な巡礼においても､同じ(出世できない)境遇のクレオールたちと出会うたびに､｢同じ不遇の我々｣という意識がより集団的に生じていく｡なぜ同じような言語と文化をもち､能力をもっているのにもかかわらず出世が閉ざされているのか､差別されるのかと意識されていく｡</p>
<p>また､クレオールは宗主国の新聞も植民地の新聞も両方読み､｢彼らではない我々｣の存在を強く意識するようになっていく｡原住民との比較ではなく､｢同じ西洋人であるのに違う西洋人である｣という比較が重要である｡</p>
<p>マートン的に言えば準拠集団としてペニンスラールが重要だったのだろう｡同じ部分が多いほど差異が目立ち､しかも生まれは努力で変えられないという宿命性をもつ｡また､AでもBでもない､｢境界｣に位置することの効果として､イギリスの文化人類学者であるヴィクター･ターナー(1920-1983)のリミナリティやコミュニタス概念が参考になる｡</p>
<p>さらに｢統治技術｣として､そもそも官僚制が｢<b>兌換性</b>｣という特徴をもっていた点が重要である｡</p>
<p>封建制で重視されていた血統ではなく､能力が主に出世に影響するのであり､逆に言えば能力さえあればどの地域でも役人の代わりがきくようになっていく｡ただしクレオールは生まれで差別されたことが重要である｡公定ナショナリズムにおいても､｢同じ国民である｣という兌換性と｢我々(王族)は常に支配する権利をもつ｣という非兌換性が存在した｡第三世界では西洋的教育を受けた現地人が官僚として採用されていく(開かれている)が､出世の道は閉ざされていた｡</p>
<p>人的兌換性は｢文書の兌換性｣が補強した点も抑えておく必要がある｡｢標準化された俗語｣が国家の行政語に採用されることにより､A地区ではX言語､B地区ではY言語といったバラバラな状態が整理されていく｡</p>
<p>ラテン語は兌換がききやすい一方で､他国への人材流出という危険があった｡これに対して俗語は､国家内部に人材を囲い込みやすい｡まず出版俗語が広まり､その後､<b>統治上の利便性から</b>国家がそれを行政俗語として採用していくという時系列が重要である｡</p>
<p>｢統治技術｣､｢出版技術｣､｢資本主義(経済技術)｣に共通しているのは｢<b>複製可能性</b>｣である｡兌換性､均一性､抽象性､複数形といった近代特有の｢<b>新しい意識の枠組み</b>(認識枠組み)｣が重要である｡</p>
<p>技術の変化が新しい意識のあり方を可能にした説明方式をアンダーソンは重視する｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/108b79336787610122aa4b18fe64b510.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5953" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/108b79336787610122aa4b18fe64b510.png" alt="" width="908" height="488" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/108b79336787610122aa4b18fe64b510.png 908w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/108b79336787610122aa4b18fe64b510-800x430.png 800w" sizes="(max-width: 908px) 100vw, 908px" /></a></p>
<p>ナショナリズムは一度成立すると､他の国において成功モデルとして反復･模倣されていく｡</p>
<p>※図はざっくりとしたイメージ</p>
<h4><span id="toc10">第二の回答</span></h4>
<p>次に､第二の問いの回答について端的にまとめる｡</p>
<p>ナショナリズムには前近代において宗教や王国が担ってきたような｢<b>偶然性に伴う苦しみ</b>｣を緩和させる機能がある(ナショナリズムの魔術)｡</p>
<p>ネーションは古来からあり､未来においても永遠に続いていくかのような｢原初性｣､｢自然性｣､｢連続性｣､｢同時性｣､｢純粋性｣､｢ゲマインシャフト(共同体)の美｣といった感覚を人びとにもたらしている｡この感覚によって人びとは生きる意味や死ぬ意味を了解し､それらに対して自己犠牲を厭わない､無私的な愛着をもつ｡</p>
<p>純粋性､共同性､自然の絆､共同体の美といった感覚はさまざまな条件によって生じる｡</p>
<p>必要条件ではないが､典型的な条件として｢<b>言語</b>｣が挙げられている｡言語は起源がわからないほど古来から形を変えながらも続いてきたものであり､｢<b>自然</b>｣に存在するかのように感じられる性質をもっている｡また､国歌斉唱や出版物を通して､｢<b>同時性の経験</b>｣が想像によって形成される点が重要である｡顔も性格も知らない匿名的な大勢の仲間たちが同じ言語の国歌を斉唱し､出版物を読んでいると想像する経験が人びとを強く結びつけるのである｡</p>
<h3><span id="toc11">ナショナリズムの倫理性</span></h3>
<p>アンダーソンはナショナリズムに｢<b>愛･包摂･解放</b>｣的側面がある一方で､｢<b>排斥･排除･支配</b>｣的側面があることを『想像の共同体』(1983)では主張していた｡</p>
<p>ナショナリズムは｢<b>両義的な現象</b>｣なのであり､限定と無限定､具体と抽象などの二分法のどちらか一方には収まらない性質をもっている｡アンダーソンの言葉を使えば､｢<b>ネーションは同時に開かれかつ閉ざされたものとして立ち現れてくる</b>｣｡</p>
<p>ネーションが文化的人造物であるのにもかかわらず､自然なものとして意識され､現実的な力を強くもつ現象もこの両義性と関連している｡また､開かれ､かつ閉ざされた条件においてナショナリズムが発現してきたという点もポイントだろう｡</p>
<p>ネーションは言語を通じて人々の参加に開かれており､その意味においては､想像によって無限に連帯することが可能である｡しかし一方で､ネーションは｢自然なもの｣､｢選択を許さないもの｣､｢限定的なもの｣であるかのように､閉じたもの､宿命的なものとしても意識されている｡</p>
<p>｢閉鎖性｣を一切失ってしまえば｢境界(差異)｣が曖昧になり､ネーションを維持できない｡しかし｢開放性｣を一切失ってしまうと､ネーションは排斥や差別と強く接続してしまう可能性がある｡</p>
<p>ナショナリズムが｢閉鎖性｣に傾き過ぎている時､人はナショナリズムを排他的で｢危険｣だと感じてしまう｡</p>
<p>一方で｢開放性｣に傾き過ぎている時､人は｢自分の依拠するアイデンティティを見失った｣ように感じてしまう｡｢なんでもあり｣と｢こうでしかない｣の間のバランスをどうとるかが重要になる｡たとえば第二次世界大戦のナチスドイツによるホロコースト(大量虐殺､絶滅政策)は｢閉じすぎている｣ケースであるといえる｡今後AI技術の発展によって翻訳可能性などが高まり､グローバル化が加速し､｢開き｣に傾きすぎてしまうこともあるかもしれない｡</p>
<p>アンダーソンは後の著作である『比較の亡霊』(1998)において､宗教とナショナリズムの違いを説明することを通して｢<b>ナショナリズムの倫理性</b>(善性)｣を主張している｡</p>
<p>宗教の場合は｢自分の宗教は間違っているか｣という問いは自家撞着だが(なぜなら正しいと信じることが宗教の基本的な前提だから)､ナショナリズムの場合は｢自分のネーションは間違っているか｣という問いが意味をなす｡</p>
<p>しかし､ネーションが｢間違っている｣と判断するためには､比較対象となる｢<b>あるべき正しい姿</b>｣が必要になる｡</p>
<p>アンダーソンはそれを｢<b>社会的な違いをすべて取り除いた理想像</b>｣として考えている｡過去の死者や現在の子ども､未来でこれから生まれてくる人々といったような｢無垢な存在｣､｢単色の純粋性｣として想像されるネーションである｡</p>
<p>｢純粋な理想の想像の共同体｣と､｢自分たちの(不純な)現実の想像の共同体｣を比較すると､｢恥｣を感じることができるという｡</p>
<p>そしてこの恥をできるだけ取り除こうとする精神､意思が生じることになる｡この実践において｢<b>善性</b>｣が宿るのであり､善性を生じさせるゆえにネーションは｢<b>倫理性</b>(倫理的機能)｣をもつ｡｢到達できない理想に向かって行為を繰り返すこと自体に価値がある｣という実践の反復において倫理性が宿るのであり､具体的で個別的な内容に基づいて倫理性が宿るわけではない｡</p>
<p>ナショナリズムの理想が｢開放性と閉鎖性のバランス｣にあるとすれば､時代ごと､空間ごと､文脈ごとのバランスをうまく取り続けていかなければならない｡</p>
<p>またそれゆえに｢まさに今･ここ｣で修繕を考え､実践しなければならないのであり､｢いつか到来する完璧な理論や実践｣を単に待ち焦がれているわけにはいかない｡かといって焦って､短絡的な決断や懐古主義に走るわけにもいかない｡</p>
<p>ドイツの哲学者であるヴァルター･ベンヤミンは｢<b><i>一度定立された規範は､それ自体を維持することを目ざして暴力を発揮し続け</i></b><b>る</b>｣と述べている｡</p>
<p>アンダーソンはベンヤミンの思想に強く影響を受けている｡アンダーソンが描く理想は､ベンヤミンのメシア的世界の理想に似ている｡</p>
<p>アンダーソンが｢無垢な存在｣といったように極めて抽象的な形で理想を語るのはそうした理由で考えることができる｡</p>
<p>哲学者のイマニュエル･カント的にいえば｢規制的理念｣として想定されることになる｡善性は｢超越的な善性｣として彼方に想定されるが､彼岸には設定されない｡</p>
<p>映画などの複製技術は戦争のプロパガンダに使うこともできれば､理想へのテストや庶民への芸術の解放､新しい感覚の到来としても捉えることができる｡ナショナリズムもそれ自体で間違っているとか､正しいということはないのだといえる｡</p>
<p>ナショナリストは勝者の歴史を特定の目的､たとえば｢国民の一体感を高めるため｣に積み上げることがある｡都合の悪い出来事は忘却したり､捻じ曲げたりすることがある｡こうした過去志向は｢閉鎖性｣に傾いている｡</p>
<p>一方で､歴史の一切から目を背け､遠い未来ばかりを楽観して待つ未来志向もまた､｢開放性｣に傾きすぎてしまっている｡</p>
<p>現時充足的な時の志向は素朴で健全なものに思えるが､しかし現代社会の多くでは未来と過去の双方に目を向けなければ生きていけない(物質的豊かさや多様性を保持しようとすればなおさら)｡大事なのは｢未来と過去に目を向けてしまうこと｣ではなく､｢<b>未来と過去への目の向け方</b>｣なのである｡たとえば､ベンヤミンは抑圧され､忘却された過去を現在へと接続することで過去を救済し､またそうすることで新たな未来へと志向しようとしたと解釈することができる(ハーバーマスの解釈)｡</p>
<p>過去志向と未来志向の平衡性(バランス)をどうとるかも､ナショナリズムの両義性における平衡性と深く関わっている｡</p>
<p>平衡性を抽象的に､繊細にどのように表現できるのか､理論化できるのか､またそうした平衡性をそもそも目指すべきなのかを検討する作業が必要になる｡その一つがアンダーソンのナショナリズム論だと私は理解した｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/b21a5a4addc7101d0628a55c9ba6e409.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5954" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/05/b21a5a4addc7101d0628a55c9ba6e409.jpg" alt="" width="280" height="531" /></a></p>
<p>アンダーソンはベンヤミンの｢歴史の天使｣を引用した直後で､｢<i>この天使は死なない｡そして､我々の顔は前方の未明へと向けられている｡</i>｣と言った｡</p>
<p>我々は常に既に不完全であり､完全なバランスをとることができない｡しかしそれでも前を向いて生きていかなければならない｡｢<b>限定されたメシア的能力</b>｣のもとで最善を尽くすために､いかなる理論を整備するか､いかなる可能性と柔軟性のある資源を確保できるかが学問の役割として求められていると私は考える｡そのような｢<b>希望</b>｣がなければ学問を続けることができない｡</p>
<p>最後に､ウェーバーの文章を引用して終わる｡</p>
<p>｢<i>しかし､いつか色彩が変わる｡無反省に利用された観点の意義が不確かとなり､道が薄暮のなかに見失われる｡大いなる文化問題が､さらに明るみに引き出されてくる｡そのとき､科学もまた､その立場と概念装置とを換えて､思想の高みから事象の流れを見渡そうと身構える｡科学は､ただそれのみが研究に意味と方向とを示せる星座を目指して､歩みを進める｡</i>」(マックス･ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の｢客観性｣』160-161P)</p>
<h2><span id="toc12">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc13">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">ベネディクト・アンダーソン (著), 白石隆 白石さや (翻訳) 「定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4dRc3L4">ベネディクト・アンダーソン (著), 白石隆 白石さや (翻訳) 「定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行」</a></p>
<h4><span id="toc15">ベネディクト アンダーソン (著), 糟谷 啓介 (翻訳)「比較の亡霊: ナショナリズム・東南アジア・世界」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4uBH3Wz">ベネディクト アンダーソン (著), 糟谷 啓介 (翻訳)「比較の亡霊: ナショナリズム・東南アジア・世界」</a></p>
<h4><span id="toc16">ヴァルター ベンヤミン (著), Walter Benjamin (原名), 浅井 健二郎 (翻訳), 久保 哲司 (翻訳) 「ベンヤミン・コレクション (1)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4nUQAVZ">ヴァルター ベンヤミン (著), Walter Benjamin (原名), 浅井 健二郎 (翻訳), 久保 哲司 (翻訳) 「ベンヤミン・コレクション (1)」</a></p>
<h4><span id="toc17">J.(ユルゲン) ハーバマス (著), 三島 憲一 (翻訳) 「近代の哲学的ディスクルス I 」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/434Fbtg">J.(ユルゲン) ハーバマス (著), 三島 憲一 (翻訳) 「近代の哲学的ディスクルス I 」</a></p>
<h3><span id="toc18">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc19">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc20">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc21">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc22">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc23">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc24">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc25">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc26">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc27">参考論文</span></h3>
<p>原田一美,｢「ナチズムと人種主義」考(1) : 20世紀初頭までの系譜｣(2006)[<a href="https://osu.repo.nii.ac.jp/records/403">URL</a>]<br />
･人種主義の参考に</p>
<p>牲川波都季｢『想像の共同体』 試論: ナショナリズムにおける言語の役割に着目して｣(2005)[<a href="https://waseda.repo.nii.ac.jp/record/27125/files/GengoBunkaKyoikuKenkyu_3_Segawa.pdf">URL</a>]<br />
･アンダーソンの主張の参考に</p>
<p>粟津賢太｢記憶と追悼の宗教社会学: 追憶の共同体をめぐる考察｣(2015)[<a href="https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/record/2000818/files/shuken26_04_awazu_kenta.pdf">URL</a>]<br />
･ナショナリズム全般の参考に､特にウェーバー</p>
<p>竹内詩織&lt; 査読付研究ノート&gt; 1980 年代のナショリズム研究とローカリティ接続の試み:「創られた伝統」 と 「想像の共同体」 からの系譜(2022)[<a href="https://nara-wu.repo.nii.ac.jp/records/2001937">URL</a>]<br />
･アパデュライの主張の参考に</p>
<p>竹内詩織｢&lt;査読付論文&gt;二項対立からの脱却を目指すということ:ノンダモンの視点から戯曲『タージマハルの衛兵』を記述するという試み｣(2021)[<a href="https://nara-wu.repo.nii.ac.jp/records/2001831">URL</a>]<br />
･アパデュライの主張の参考に</p>
<p>大森いさみ ｢「感覚」をつなぐ媒体としての食物:テレビ番組「今日の料理」をとおした「味」の共有｣(2014)[<a href="https://nara-wu.repo.nii.ac.jp/records/2001004">URL</a>]<br />
･アパデュライの主張の参考に</p>
<p>梅森直之「想像の共同体」 以後のナショナリズム研究(2006)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpt2000/6/0/6_428/_article/-char/ja/">URL</a>]<br />
･｢比較の亡霊｣の参考に</p>
<p>三尾稔｢人類学における比較とナショナリズム: 比較の視線の転回を求めて｣(2010)[<a href="https://minpaku.repo.nii.ac.jp/record/1076/files/SER90_008.pdf">URL</a>]<br />
･｢比較の亡霊｣の参考に</p>
<p>蔡悦｢中国におけるファンダム・ナショナリズム: 現状と発展要因の考察｣(2025)[<a href="https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/0100497704/">URL</a>]<br />
･中国におけるナショナリズム論の参考に</p>
<p>山口裕之｢歴史の天使が現れる世界ーあるいは, ベンヤミンのメシアニズムにおける二つの時間構造について｣(2015)[<a href="https://tufs.repo.nii.ac.jp/record/4402/files/trc019013.pdf">URL</a>]<br />
･メシア的時間､歴史の天使の理解の参考に</p>
<p>三宅晶子 ｢ベンヤミンの&lt; 想起&gt; と私たち三宅晶子最終講義 (2020 年 1 月 28 日) II. テクストにおける 「想起」(2020)｣[<a href="https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/107514/349-P005.pdf">URL</a>]</p>
<p>･ベンヤミンテーゼの理解に</p>
<p>上田廣美｢ベンヤミン 「複製技術時代の芸術作品」 を読み直す｣[<a href="https://asia-u.repo.nii.ac.jp/record/2000592/files/10700798.pdf">URL</a>]<br />
･ベンヤミンの｢複製技術の時代｣の参考に</p>
<p>新倉 貴仁｢海賊版としてのナショナリズム : ナショナリズムとメディアをめぐる理論的視座の構築｣(2008)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/mscom/73/0/73_KJ00005006345/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>-アンダーソンの構築主義的アプローチについて参考に</p>
<p>新倉 貴仁｢ナショナリズム研究における構築主義 ベネディクト・アンダーソンの知と死｣(2008)<br />
[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/59/3/59_3_583/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>-アンダーソンの構築主義的アプローチについて参考に</p>
<p>
遠藤英樹｢ツーリズム, 創造性, オーセンティシティ｣(2002)[<a href="https://narapu.repo.nii.ac.jp/record/631/files/KJ00000053012.pdf">URL</a>]<br />
&#8211; ヴィクター･ターナー関連<br />
板東充彦， 飯嶋秀治， 髙橋紀子｢社会科学分野におけるコミュニティ研究の概観─ 臨床心理学的コミュニティ・アセスメントへの接続─｣[<a href="https://atomi.repo.nii.ac.jp/records/4101">URL</a>]<br />
&#8211; ヴィクター･ターナー関連</p>
<p>土佐昌樹 ｢リミナリティと東アジアの近代性をめぐる理論的ノート｣(2024)[<a href="https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/records/2000299">URL</a>]<br />
&#8211; ヴィクター･ターナー関連<br />
&#8211; アガンベンのホモ･サケル</p>
<p>井口由布｢B・アンダーソン 「想像の共同体」 再考:「文化」 概念の脱構築:「文化」 概念の脱構築: 報告 2 (&lt; 企画&gt; シンポジウム: 世界システムの変容と地域研究の再定義)｣(2004)[<a href="https://tufs.repo.nii.ac.jp/record/2809/files/cdats-hub3-8.pdf">URL</a>]<br />
&#8211; アンダーソン関連</p>
<p>三宅晶子｢「小さな門」 は開くのか?-ヴァルター・ベンヤミン 「歴史の概念について」 最後の言葉｣(2002)[<a href="https://tohoku.repo.nii.ac.jp/record/136602/files/0287-7813-2002-46-43.pdf">URL</a>]<br />
&#8211; ｢歴史の天使｣関連</p>
<p>鳥光美緒子｢ベンヤミンは実存哲学者か?(コメント論文, 歴史に非常ブレーキをかけるもの-歴史の天使が眼差す行方-, Forum 1)｣[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/hets/14/0/14_KJ00009889386/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>&#8211; ベンヤミン関連､特にハーバーマスのベンヤミン解釈</p>
<p>
小野 文生｢夜が織りあげたものを昼がほどく : シェリングとベンヤミンをめぐる「交感の非歴史的テーゼ」の序にかえて(コメント論文,歴史に非常ブレーキをかけるもの-歴史の天使が眼差す行方-,Forum 1)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/hets/14/0/14_KJ00009889387/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>池田 全之｢歴史に非常ブレーキをかけるもの : 歴史の天使が眼差す行方(報告論文,歴史に非常ブレーキをかけるもの-歴史の天使が眼差す行方-,Forum 1)｣[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/hets/14/0/14_KJ00009889384/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>井尻 直志｢『密林の語り部』とナショナリズム小説—語りの構造をめぐって—｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/hispanica/2014/58/2014_61/_article/-char/ja/">URL</a>]<br />
&#8211; ベンヤミンの均質で空虚な時間意識の参考に<br />
&#8211; アンダーソンの均質で空虚な時間意識の理解､及び｢小説｣についての理解｡とくにジョナサン･カラーの主張｡</p>
<p>浜 日出夫｢記憶と場所 近代的時間・空間の変容｣(2010)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/60/4/60_4_465/_article/-char/ja/">URL</a>]<br />
&#8211; 時間意識の変遷について参考に</p>
<p>長谷正人｢複製技術時代における思考の可能性-ベンヤミンの複製芸術論を読み直す｣(2019)[<a href="https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2019/04/HASE-Masato_0805-0820.pdf">URL</a>]</p>
<p>菅谷優｢ベンヤミンにおける習慣化の契機について｣(2024)[<a href="https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900122274/S27582337-53-P093.pdf">URL</a>]</p>
<p>佐藤貴史｢問いとしての余白 拙著 『ドイツ・ユダヤ思想の光芒』 をめぐって｣(2017)[<a href="http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/3251/1/10_%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%B0%8F.pdf">URL</a>]<br />
&#8211; ユダヤ神秘教について</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/05/29/one-word-sociology-imagined-community-14-1/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会心理学第十三回】｢議題設定効果｣とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/16/social-psychology-13-agenda-setting-effect/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/16/social-psychology-13-agenda-setting-effect/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 16 Apr 2026 12:35:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会心理学]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5934</guid>

					<description><![CDATA[ニュースの偏りはなぜ起きる？社会心理学で学ぶメディアの認知効果。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/krsW4oBFfmA?si=o-iOpjDrCC7Zxrmz" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<p>ショート動画で1分で説明しているバージョンも投稿する予定ですm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<p><b>社会心理学</b>とは､人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である｡</p>
<p>この動画シリーズは下の図に示すように､創造発見学に位置づけられている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4885" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/11f6042c6ccf53710357e2f70db0ba60.png" alt="" width="572" height="454" /></a></p>
<p>この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4976" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png" alt="" width="835" height="475" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135.png 835w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/85c7c902569fc837b357f0c5589db135-800x455.png 800w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></a></p>
<p>基本的な説明プロセスは､上の図の通りである｡</p>
<h2><span id="toc3">議題設定効果に関わる問題発生の例</span></h2>
<h3><span id="toc4">日常生活での失敗</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/d69a31678a3632c3adc4085ed0c15dea.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5311" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/d69a31678a3632c3adc4085ed0c15dea.png" alt="" width="313" height="225" /></a></p>
<p>ニュースで著名人の不祥事やスキャンダルばかりが繰り返し流され､その問題が社会で最も重要な問題であると考えてしまうケース｡中身を実際に精査したうえで重要だと考えているわけではなく､頻繁に流されたり､メインで扱われているからという単純な理由のケース｡</p>
<h3><span id="toc5">その他</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a6a087facbdf7fe7891a3a9a848daa21.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5312" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a6a087facbdf7fe7891a3a9a848daa21.png" alt="" width="343" height="308" /></a></p>
<p>いじめや未成年の犯罪ばかりがニュースで中心的に取り扱われると､｢未成年は危ない｣､｢学校はいじめだらけ｣と過剰に考えてしまうケース｡</p>
<p>薬の副作用や危険性ばかりが報道され､治療しないリスクそのものが話題に挙がらず､それらを考慮できなくなってしまうケース｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/3666f8eaef9eeef4b0f00a0a7e1211da.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5313" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/3666f8eaef9eeef4b0f00a0a7e1211da.png" alt="" width="371" height="358" /></a></p>
<p>選挙期間中､メディアが特定の争点や話題を繰り返し報道することで､有権者はその争点が一番重要だと優先順位を形成してしまい､ほかの争点を考慮できないケース｡</p>
<p>たとえば｢経済｣に特化して報道が繰り返されると､社会保障､教育､医療､環境､人権､地方政治などほかの問題が軽視されてしまう可能性がある｡</p>
<p>2026年1月22日に､とある情報番組で｢各政党がめざす方向性などについて『優しくて穏やかな日本』､『強くてこわい日本』という項目をつくり、7つの政党をそのいずれかに分類する｣という内容があった｡</p>
<p>こうした議題設定のあり方は､政治的公平性を損なうのではないかという批判が生じている｡メディアは単に事実を報告するのではなく､事実を編集･選択して報道する媒体であり､そのあり方が中立的ではない場合もありうる｡そのような観点から考える際に､社会心理学でいう｢<b>議題設定効果</b>｣の理解､及び類似する効果の理解は重要になる｡</p>
<h2><span id="toc6">議題設定効果</span></h2>
<h3><span id="toc7">社会心理学における｢議題設定効果｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>議題設定効果</strong>(英:agenda setting effect)：</big>ある争点やトピックが強調されればされるほど､その争点やトピックに対する人々の重要性の認識も高まるという効果のこと｡</div>
<p>1972年にマコームズとショーは｢新聞がどの争点をどれだけ目立つ形で扱っているか(例:トップ記事か､後ろのページか)｣と｢その地域の住民が何を重要な政治問題だと考えているか｣との間に､はっきりした対応関係があることを示した｡</p>
<p>これが議題設定効果研究の直接的な始まりとされている｡</p>
<p>議題設定効果を理解する際に必要な主要な概念は｢マスメディア｣､｢顕出性｣､｢メディア議題｣､｢ニュース規範｣､｢対象･属性･ネットワーク｣､｢オリエンテーション欲求｣､｢随伴条件｣などである｡</p>
<p>さらに類似概念として｢プライミング効果｣や｢フレーミング効果｣を理解する必要がある｡また､形成プロセス､実証研究を把握し､さらにメディア効果論がインターネットの発展によってどのように変動してきたのかを抑える必要がある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,272p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc8">マスメディアについて</span></h3>
<h4><span id="toc9">社会心理学における｢マスメディア｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a184ee5b80d732929c4dfb1bdf5acde0.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5314" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a184ee5b80d732929c4dfb1bdf5acde0.png" alt="" width="356" height="385" /></a></p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>マスメディア</strong>(英:mass media,大衆媒体)：</big>一般に､不特定多数の人々(マス)に情報やメッセージを伝達することを目的とした影響力をもつ媒体を意味する｡</div>
<p>1920年代にアメリカで新聞､雑誌､ラジオなどの広告媒体を指して｢メディア｣という言葉が使われ､やがてそれらを｢マスメディア｣と呼称するようになったという｡一般には、15世紀半ばのグーテンベルクによる活版印刷技術が､初期のマスメディアとされることが多い｡</p>
<p>｢<b>マスコミ</b>(マスコミュニケーション)｣は主に伝達過程を意味する言葉であるが､日常的にはマスメディアと同義的に扱われることが多い｡</p>
<p>マスメディアとそうではないメディアの区別はなんだろうか｡たとえばSNSで独自の情報を提供する個人を我々は｢マスメディア｣とは呼ばない｡商品の解説や時事の解説を行うユーチューバーに対して我々は｢マスコミ｣とは表現しない｡どちらかといえば｢<b>インフルエンサー</b>｣などと呼ぶ｡</p>
<p>近所で経済に詳しい人などに対しても｢マスメディア｣とは呼ばない(社会心理学的には<b>オピニオンリーダー</b>､世俗的には情報通などというのかもしれない)｡</p>
<h4><span id="toc10">社会心理学における｢制度的送り手｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>マスメディアは｢<b>制度的送り手</b>｣であることを特徴としている｡個人の気分や主観だけではなく､組織化された制度に基づいて､継続的に情報を送り出す媒体であるというわけだ｡</p>
<p>マス(不特定多数)に組織的に､そして継続的に情報を届けるゆえに影響力をもつ媒体は社会的に制約を受けている｡たとえば放送法では政治的公平性､事実の歪曲の禁止､意見が対立する問題については多角的に扱う義務が課されている｡</p>
<p>日本のテレビ番組は放送に使える電波が限られている以上､公共性を伴わざるをえないという点もポイントだろう(国の許可が必要)｡誰でも､いくらでも発信できるインターネットとの違いであるともいえる(それぞれのプラットフォームごとの規約はあるが)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,278p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">社会心理学における｢戦略的中立性｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>単に法によって縛られているからマスメディアは中立的であろうとするわけではない｡</p>
<p>マスメディアとされる媒体の多くは民間の営利団体であり､営利を目的としない団体は例外的である(NHKなど)｡営利を目的とする以上､できるだけ広い範囲の視聴者を獲得する必要がある｡それゆえに｢<b>戦略的中立性</b>｣と表現されることがある(最近のアメリカでは有料のチャンネルを通して多角化してきてはいる｡たとえばあるテレビチャンネルでは保守的､別のチャンネルではリベララルといった棲み分けがされているケース｡)｡</p>
<p>報道は単に公共的な理由のために中立であるだけではなく､営利団体として生き残るためにも中立である必要があるというわけだ｡</p>
<p>事実を捻じ曲げたり､一部の政党ばかりを報道するメディアは批判され､視聴者を失いかねない｡放送法のような特別な規制を受けていない新聞社も､歪んだ事実ばかりを報道していれば購読者を失ってしまう｡法律､道徳､自社の独自ルール､慣行などの一定の｢<b>(ニュース)規範</b>｣によってマスメディアは縛られているのである｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,278p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc12">｢顕出性｣､｢メディア議題｣</span></h3>
<h4><span id="toc13">社会心理学における｢顕出性｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>顕出性(英:salience)</strong>：</big>ある争点､トピックがどれだけ目立ち､重要だと感じられているかの度合いのこと｡</div>
<p>送り手側からすれば､対象をどれだけ強く､頻繁に扱っているかが指標となる｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),29p</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,274p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">社会心理学における｢メディア議題｣､｢公衆議題｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong><b>メディア議題</b>(英:media agenda)</strong>：</big>ニュース報道において､顕出性を基準に争点を順位づけしたもの｡</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>公衆議題(英:public agenda)</strong>：</big>受け手の意識の中で､争点が重要度順に並んだもののこと｡有権者議題とも表現されることがある｡</div>
<p>※今回は公衆と大衆の違いをとくに考慮せず､とくに自発性や討論可能性などを問わず､｢不特定多数の受け手=マス｣として理解することにする｡つまり､｢マス議題｣であると仮定して進める｡</p>
<p>たとえばテレビで50分間を少年犯罪のトピックに扱い､残り10分でその他のトピックを扱えば､少年犯罪に関する情報の顕出性が高いといえる｡</p>
<p>同じ量でも､新聞で見開きのページにあるものと､奥にあるものでは顕出性が異なる｡また､少ない量だが毎日扱えば､顕出性は高くなりやすいだろう｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/eb0b2725e40b3e5a4225815e64c4b098.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5315" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/eb0b2725e40b3e5a4225815e64c4b098.png" alt="" width="579" height="453" /></a></p>
<p>議題設定効果では､送り手の顕出性が受け手の顕出性へと転移すると考えられている｡少年犯罪が長く､頻繁に扱われれば､受け手もそれらの社会現象が重要だと捉えやすくなるというわけだ｡</p>
<p>ニュース報道が受け手の認知に変化を与えているわけである｡</p>
<p>かなり単純化すれば､<b>ニュースの構成が､そのまま受け手の意識にコピーされている</b>ということになる｡もちろん事態はそのように単純ではない｡</p>
<p>受け手の性質によって受け取り方が変わることがある(<b>選択的接触仮説など</b>)｡また､そもそも異なる配分をするメディアが複数ある(一つのチャンネルしか見ない､という人は少ないだろう)｡インターネットの発展によってメディアが多様化し､さらに効果が単純ではなくなっている側面もある｡自分はマスメディアの影響をあまり受けていないと考え､他人は受けていると考えやすいという研究もある(<b>第三者効果</b>)｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),29-30p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc15">リップマンによる『世論』からメディアのあり方を理解する</span></h3>
<h4><span id="toc16">リップマンにおける｢疑似環境｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>政治評論家のウォルターリップマンは､<b>｢人々は現実そのものではなく､メディアを通して作られた像によって世界を理解している</b>｣という見方を体系的に示した人物として知られている｡議題設定効果における主要概念は､リップマンが頻繁に参照されるという｡</p>
<p>我々は世界の出来事を全て直接的に経験することはできない｡それゆえに､情報の収集と流通を専門とする制度的媒体であるマスメディアに頼らざるをえない(依存せざるをえない)｡</p>
<p>しかし､マスメディアが示す世界像は､現実をそのまま全面的に写し出すものではない｡マスメディアが現実の解釈を歪めようと意図しなくても､編集や選択という作業がある以上､歪まざるをえないのである(哲学的には､個人が直接的に経験する場合も我々はある種の編集や選択をしているという意味で､二重､三重の編集を経ているといえる)｡</p>
<p>我々は直接的に経験する情報と､間接的に経験する情報の複合からなる環境イメージ(疑似環境)を構築し､それを前提に生きている｡それゆえに､我々の現実認識は必然的に偏らざるをえないのである｡</p>
<p>議題設定効果の問題になると､｢<b>メディアの意図的な偏り</b>(たとえばある芸能団体､政治家の不祥事は徹底的に報道しないなど)｣に目が行きがちになる｡しかし､<b>どんなにメディアが中立的に､誠実に情報を伝達しようと努めても､選択や編集がある限り情報は偏らざるをえないことを自覚する必要</b>がある(ウェーバー的にいえば事実判断だけではなく価値判断が入りこまざるをえない)｡もし､違う編集だったら違う感じ方をしたかもしれない､ということを常に前提とし､できるだけ中立的にこちら側も同じように捉える必要があるのだろう｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),30-31p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc17">マコームズによる同心円モデルから形成プロセスを理解する</span></h3>
<h4><span id="toc18">｢同心円モデル｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>コミュニケーション研究者のマコームズは､メディア議題がどのような要因(政治的､社会的､文化的条件)によって作られるのかを｢<b>同心円モデル</b>(玉ねぎモデル)｣によって整理している(McCombs,2014)｡P.シューメイカーとS.リースの階層モデルを､議題設定研究向けに簡略化したものだという｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/5d2e6f1a72731cfd2ebfdcb8cf7fc34a.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5316" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/5d2e6f1a72731cfd2ebfdcb8cf7fc34a.png" alt="" width="519" height="315" /></a></p>
<p>図にするとこのようになる｡</p>
<p>一番外側の層はメディアに情報を供給する主体であり､取材源である｡</p>
<p>彼らは基本的に中立ではなく､自らの利害を通すために情報を流している｡</p>
<p>たとえば犯罪が行われた情報を警察はマスメディアに流している｡マスメディアを通して我々に逃亡犯の危険性を伝えたり､罪を犯した人間は裁かれるということを示していると解釈することができる｡しかし､警察内の不祥事は意図的に流さないこともありえるだろう｡</p>
<p>政治家や企業なども同様である｡政治家は政敵に不利な情報を流したり､企業は自分たちの宣伝のために情報を流したりする｡一般人からのタレコミや一般人への取材もニュースリソースではあるが､ここでは組織的で継続的な取材源が基本として考えられている｡</p>
<p>ニュースリソースから(意図的かどうかにかかわらず)提供されないものは､基本的に報道対象にならない｡</p>
<p>ニュースメディアもひとつではなく､多数あると考えられる｡１日前に他のニュースメディアが大々的に報道したものはもはや｢<b>NEW</b>(新奇的)｣なものではなく､報道対象とならない場合がある｡同じ報道対象でも､違った側面､違ったアプローチで報道しようという変更が加えられることもある｡</p>
<p>さらに内側の層にはニュース規範が存在する｡何をニュースとして価値あるものとみなすか､どのような形式や基準で報道すべきかといった規範である｡</p>
<p>放送法のような形式的なものだけではなく､そのメディアの会社の基本的な方針を含むものである｡たとえばある新聞社は｢経済に関するニュースのみを取り扱う｣という方針をとるかもしれない｡あるテレビメディアは｢視聴者を獲得できるニュースのみを取り扱う｣という方針をとるかもしれない｡｢不正を暴くこと｣に特化する場合もあれば､｢教養の周知｣に特化する場合もある｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),31-32p</p>
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<h4><span id="toc19">マクナマスにおける｢ニュースバリュー｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>メディア研究者のJ.マクナマス(McManus,1994)は､<b>ニュースバリュー</b>(ニュースとして取り上げるに値すると判断される度合い)を10項目に分けて説明している｡</p>
<p>①時宜性(時がちょうどよいこと)､②近接性､③影響性､④人間的興味､⑤著名性､⑥非日常性､⑦対立､⑧｢良い絵｣があるか､⑨面白さ､⑩話題性の10項目である｡どれを重視するかはメディアごとに違うといえる｡</p>
<p>多くの場合､メディアにはスポンサーがいる｡テレビでも新聞でも広告がある｡メディアはスポンサーの悪口を言いにくいという意味で､ステークホルダー(利害関係者)であるといえる｡</p>
<p>たとえばマクドナルドがスポンサーの場合､｢ファーストフードの危険性｣といった情報は特集しにくいといえる｡このように､さまざまな外部的制約､内部的制約の段階を経て､どの争点の､どのような側面を､どのような順番､量､頻度で報道するかが選択されていくのである｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),34-35p</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),49p</p>
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<h3><span id="toc20">竹下俊郎さんの分類から｢メディアに影響を与える権力性｣について理解する</span></h3>
<h4><span id="toc21">｢現実構成論的視点｣とは</span></h4>
<p>社会学者の竹下俊郎さんは､メディア議題の形成過程に､｢<b>現実構成論的視点</b>｣と｢権力論的視点｣という２つの視点を加えることを提案している｡</p>
<p>現実構成論的視点は､他のニュースメディアやニュース規範に注目し､ニュース政策という組織的活動を通して現実がどのように構成されるかを捉える視点である｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),33-34p</p>
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<h4><span id="toc22">｢権力論的視点｣とは</span></h4>
<p>権力論的視点とは､極端に言えば｢<b>メ</b><b>ディア議題のあり方は社会の中で力を持つ人や組織が､どれだけメディアに影響を与えるかで決まっている</b>｣と考える見方のことであるといえる｡</p>
<p>取材源が勝手に舞い込んでくるわけではなく､ある程度の交渉が必要になることもある｡｢A事件は取り扱わないから､B事件の情報をくれ｣といった取引も行われているかもしれない｡</p>
<p>力をもつ権力組織は､マスメディアを通して自分たちの印象を良くしたいと考えているとする｡つまり､世論を都合のいいように操作したいのである｡</p>
<p>マスメディアは資金や情報､スポンサーといった利益や便宜と引き換えに､そうした世論の形成に協力するかもしれない｡社会的に周知すべき重要な議題だったとしても､権力組織とのつながりによって､それらを後回しにするかもしれない｡</p>
<p>あるいは､権力組織の意向に反してでも､国民に価値のある情報を最優先で流そうとするかもしれない｡権力関係の中でどのようにメディア議題が形成されるかを考えると面白い｡</p>
<p>たとえば政治学者の蒲島郁夫さんは､マスメディアには市民運動などの､権力的に弱い集団の声を拾い上げ､世論として可視化する役割をもっているという｡マスメディアが｢弱い側の声を政治に届ける存在｣なのか､それとも｢権力側に強く規定される存在｣なのか､その間で動くマスメディアのあり方を問う視点だといえる｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),31-32p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc23">｢オリエンテーション欲求｣､｢随伴条件｣</span></h3>
<h4><span id="toc24">社会心理学における｢オリエンテーション欲求｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>オリエンテーション欲求</strong>(英:need for orientation)：</big>ある対象に指向したいという欲求の度合いが､｢関連性｣と｢不確実性｣の組み合わせによって決まるという考え方のこと｡マコームズとウィーバーによって提起された(McCombs &amp; Weaver,1973)｡</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/7a502a2470117c811eac6ca05c0fd510.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5317" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/7a502a2470117c811eac6ca05c0fd510.png" alt="" width="660" height="264" /></a></p>
<p>関連性とは､ある争点やトピックが自分にとって重要だと感じられる度合いのことである｡</p>
<p>不確実性とは､どう判断し､どう対処すべきか分からない状態の度合いのことである｡</p>
<p>たとえば就活しなければならないとき､就職に関する争点･トピックは関連性が高い｡しかし､自分だけで直接それらに関する情報を集めることは難しく､不確実性が高い｡</p>
<p>そのような状態では､メディアなどで就活に関する情報を集めるという欲求が高まっているといえる｡つまり､オリエンテーション欲求が高いといえる｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),35-36p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc25">オールポートとポストマンによる｢流言の基本法則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>竹下俊郎さんによれば､オリエンテーション欲求はオールポートとポストマンによる｢流言の基本法則｣に考えが近いという(Allport &amp; Postman,1947)｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>流言の基本法則(英:the basic law of rumor)</strong>：</big>流言の流布量は､問題の重要さ(importance)と証拠の曖昧さ(ambiguity)の積に比例するという考えのこと｡※流言とは一般に､根拠の無いうわさのこと</div>
<p>マスメディア研究では送り手側に焦点を当てた｢効果･影響研究｣と､受け手側に焦点を当てた｢利用･満足研究｣という２つの側面がある｡</p>
<p>送り手にはなんらかの欲求､動機､目的があり､それに応じてメディアからの情報の受け取り方が違うという点は｢利用･満足研究｣の側面が強い｡いわば｢情報処理する個人｣という視点である｡選択的情報接触仮説(たとえばある政党を応援する人は､ある政党を支持するようなメディアを中心に見るようになるなど)もその例である｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),37-38p</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),39p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc26">マテスによる｢オリエンテーション欲求｣への修正</span></h4>
<p>マテス(Matthes,2006,2008)によると､オリエンテーション欲求における関連性と不確実性は｢予測因｣にすぎず､欲求を直接的に測定するものではないという｡</p>
<p>つまり､｢<b>なぜ欲求が高まりそうか</b>｣を説明する条件であり､｢<b>実際にどれだけ欲求しているか</b>｣の説明そのものではないというわけである｡また､関連性のほうが不確実性よりも強力な指標であるという｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),39-42p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc27">社会心理学における｢随伴条件｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>随伴条件</strong>(英:contingent conditions)：</big>ある理論的効果や仮説が成立する範囲や強度を左右する条件のこと｡</div>
<p>一般に｢随伴｣とは､ある物事が生じる際に､それと切り離せないかたちで他の物事が同時に成立することを意味する｡理論分析における随伴条件とは､原因と結果の単純な因果関係そのものではなく､その因果関係が現実に観察されるための背景的条件である｡</p>
<p>たとえば議題設定効果においては､メディアの報道量や報道配列が原因､受け手の認知上の重要度判断が結果とされるが､<b>その効果がどの程度生じるかは､受け手側の状況や環境条件に大きく左右される</b>｡A政党支持者とB政党支持者では､同一のニュース配列であっても重要度の受け取り方が異なる可能性がある｡</p>
<p>このように随伴条件として｢<b>情報を処理する個人</b>｣に注目する場合､オリエンテーション欲求の水準や既存の選好のあり方が重要になる｡それらの条件次第では､メディアの報道が受け手の認知にほとんど影響を及ぼさない場合も生じうる｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),35-36p</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,277p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc28">｢属性型議題設定｣と｢ネットワーク型議題設定｣</span></h3>
<h4><span id="toc29">社会心理学における｢対象型議題設定｣とは</span></h4>
<p>1970年代に始まった議題設定効果の研究では､｢<b>何を重要な争点として取り上げるか</b>(頻度や順番､量など)｣が議題設定と考えられていた｡</p>
<p>これが第一レベルの議題設定であり､｢<b>対象型議題設定</b>｣と名付けておくことにする｡この対象は｢選挙｣といった抽象的なトピックもあれば､｢特定の政党に関するトピック｣､｢選挙の公平性｣といった具体的な争点の場合もある｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),43p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc30">社会心理学における｢属性型議題設定｣とは</span></h4>
<p>1990年代になると､第二のレベルの議題設定モデルが提起されるようになる｡</p>
<p>メディアは単に対象(object)を強調するだけではなく､その対象の｢<b>特定の側面=属性</b>｣を強調する傾向に着目するものである｡これが｢<b>属性型議題設定</b>(attribute agenda-setting)｣と呼ばれるようになる｡</p>
<p>たとえば同じ政治家を取り扱うにしても､その人のどのような能力について扱うのかによって受け手の認知は変わりうるといえる｡</p>
<p>テロ事件を｢戦争｣という側面に特化して取り扱うのか､｢犯罪｣という側面に特化して取り扱うのか､｢宗教｣という側面について取り扱うのかによっても受け手の認知は変わってくるだろう｡</p>
<p>マコームズは議題を｢<b>新聞､テレビニュース､その他のマスメディアが作り上げた主要トピックスの優先順位のリスト､ならびに公衆や政策立案者が重要と思うトピックス</b>｣と定義している｡</p>
<p>議題の概念を対象そのものから､対象を構成し区分している属性､対象を性格づけている特徴にまで拡張したのもマコームズである｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),43p</p>
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<h4><span id="toc31">社会心理学における｢ネットワーク型議題設定｣とは</span></h4>
<p>2010年代になると､若い世代の研究者を中心に第三レベルの議題設定が提起されるようになってきたという｡</p>
<p>対象でも､対象の属性でもなく､｢<b>争点や属性どうしの結びつきの構造</b>｣が議題となるものである｡このような議題は｢<b>ネットワーク型議題設定(network agenda-setting)</b>｣と呼ばれている｡人は争点や人物､属性を一つずつ孤立して記憶しているのではなく､｢意味的なつながりをもった関係の網として理解している｣という考え方に基づいている｡</p>
<p>メディアが｢属性や争点の結びつき方｣として提示するネットワーク構造が､公衆の認識構造にも対応する形で転移するという仮説がここでは重要になる｡</p>
<p>たとえばマスコミュニケーション研究者のグオは､知事選挙や連邦上院議員選挙を対象に､候補者の属性(資質や性格など)がニュース記事内でどのように同時に言及されているか(共起)を分析している｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/d1add25719da3fd68106f28e9ee2fad2.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5318" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/d1add25719da3fd68106f28e9ee2fad2.png" alt="" width="702" height="325" /></a></p>
<p>ネットワークのイメージ図はこのようになる｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024),43-46p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc32">類似する効果との違い</span></h2>
<h3><span id="toc33">｢教化効果｣と｢議題設定効果｣の違い</span></h3>
<h4><span id="toc34">社会心理学における｢教化効果｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>教化効果</strong>(英:cultivation effect)：</big>長期･反復的接触によって､人々の｢社会はこういう世界だ｣という基本的な世界観が形成･歪曲される効果のこと｡培養効果とも呼ばれている｡ガーブナーなどによって提唱されている(Gerbner &amp; Gross,1976)｡</div>
<p>たとえばあるテレビのチャンネルでは､サスペンス､殺人､犯罪､権力闘争ばかりの番組が流されているとする｡そうした番組を受け手が視聴し続けると､世の中を恐ろしい場所だというような社会的なリアリティが形成されるのではないかというわけである｡</p>
<p>ガーブナーはアメリカのテレビ視聴を分析し､長時間のテレビ視聴者のほうが短時間の視聴者よりも効果が明確に見えることを検証している｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,273p</p>
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<h4><span id="toc35">教化効果と議題設定効果の違いとは</span></h4>
<p>議題設定効果は｢<b>重要性の順位</b>｣が変わるのに対して､教化効果では｢<b>世界観</b>｣が変わっている｡議題設定効果は短い時間でも影響するのに対して､教化効果では長い時間が必要である｡</p>
<p>たとえば経済の不況が高頻度で報道される場合､あるいは強調されて報道される場合､｢経済の不況｣が社会の中で重要なトピックだと認識されれば議題設定効果であるといえる｡経済の不況に関する番組が長期的に続き､｢自分たちの社会は不安定だ｣という社会的リアリティが構成されると考えれば教化効果であるといえる｡</p>
<h3><span id="toc36">｢プライミング効果｣と｢議題設定効果｣の違い</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>プライミング効果(英:priming effect)</strong>：</big>ある刺激を受けたとき､その影響でその後の行動や考え方が変わったり､別の刺激に対する感じ方が変わったりすること｡｢<b>呼び水効果</b>｣とも表現されることもある｡</div>
<p>1980年代にアイエンガーらが提唱した(Iyengar ＆ Kinder,1987:Iyengar,1991)｡</p>
<p>プライミング効果で重要なのは､｢個人の記憶内で特定の争点へのアクセス可能性が高まる｣という点である｡</p>
<p>ニュースなどで特定の争点に繰り返し接することで､その争点が記憶の中で思い出しやすくなり､判断の際に使われやすくなるというわけだ｡たとえば経済的側面で政党が評価されるニュースが繰り返し報道されると､受け手は政党を判断する際に｢経済的側面｣を思い出しやすくなるということになる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/09/05/social-psychology-6-priming-effect/">【１ワード社会心理学第六回】｢プライミング効果｣とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc37">プライミング効果と議題設定効果の違いとは</span></h4>
<p>｢アクセス可能性(想起のしやすさ)｣と｢顕出性(認知のしやすさ)｣は類似した概念であるといえ､プライミング効果を議題設定効果の一種と捉える見方もある｡</p>
<p>ただし､プライミング効果は｢個人の記憶内で特定の争点へのアクセス可能性が高まる｣という過程であり､議題設定効果は｢数ある争点の中で､特定の争点が重要なものとして認知される過程｣という違いはある(Scheufele,2000;Scheufele &amp; Tewksbury,2007)｡</p>
<p>報道で強調された議題は､たしかに｢個人の記憶内におけるアクセス可能性｣を高める場合がある｡</p>
<p>しかし､アクセス可能性が高まったからといって､かならずしも｢ある争点が重要なものであると認知される｣とは限らない｡プライミング効果が生じたからといって議題設定効果が同時的に必ず生じるとは限らない｡それゆえに同一視するべきではないという考え方がある｡</p>
<p>ウィーバーによると､両者を区別したとしても､プライミングによってアクセス可能性が高まることが､争点の顕出性を高めるという議題設定効果につながるといった関係性を想定することが可能だという(Weaver,2007)｡</p>
<p>自動的な因果関係はないかもしれないが､なにかしらの相関性はあるのだろう｡たしかに想起しやすいものは重要だと思いやすい傾向はありそうだ｡</p>
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<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会心理学｣,有斐閣,補訂版第二刷,273-274p</p>
<p>小林 哲郎, 稲増 一憲｢ネット時代の政治コミュニケーション メディア効果論の動向と展望｣(2011),88p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc38">｢フレーミング効果｣と｢議題設定効果｣の違い</span></h3>
<h4><span id="toc39">社会心理学における｢フレーミング効果｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>フレーミング効果</strong>(英:framing effect)：</big>同一の事象や争点であっても､それがどのような枠組み(フレーム)で提示されるかによって､受け手の理解･評価･判断が体系的に変化する効果のこと｡アイエンガーによって提唱された(Iyengar,1991)｡</div>
<p>たとえば､｢失業問題｣という争点･トピックを扱う場合を考えてみる｡経済指標などによって経済状況を提示するというAフレームを用いる場合と､失業した人のリアルな生活を撮影して伝えるというBフレームを用いる場合では受け手への伝わり方は異なる場合がある｡</p>
<p>Aフレームの場合は社会的に大きな問題だと考えられやすく､Bフレームの場合は個人の問題だと考えられやすいそうだ｡</p>
<h4><span id="toc40">フレーミング効果と議題設定効果の違いとは</span></h4>
<p>同じ争点でも､どの側面を強調するかによって受け手の認知が変わるという考え方は議題設定効果の第二レベル､つまり｢<b>属性型議題設定</b>｣と類似している｡</p>
<p>それゆえに､フレーミング効果を議題設定効果内に取り込むような立場が存在する｡フレームの違いは属性の違いに過ぎないというわけである(Price &amp; Tewksbury,1997)｡</p>
<p>ただし､両者の違いを強調する立場も存在する｡</p>
<p>プライミングや議題設定は｢<b>報道に接触すること自体</b>｣が影響をもたらすが､フレーミングにおいては｢<b>言葉遣いや表現方法など､報道内容の質的な違いが重要となる</b>｣という違いがあるからだ(Entman1993;Edy&amp;Meirick,2007) ｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/be5fe2ba4962a7966ce6953a960ac554.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5319" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/be5fe2ba4962a7966ce6953a960ac554.png" alt="" width="714" height="366" /></a></p>
<p>図で整理するとこのようになる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>小林 哲郎, 稲増 一憲｢ネット時代の政治コミュニケーション メディア効果論の動向と展望｣(2011),88-89p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc41">議題設定効果の具体例､実証研究</span></h2>
<h3><span id="toc42">マコームズにおける実証研究(選挙)</span></h3>
<p>マコームズの調査では､1976年のアメリカ大統領選挙において､メディアと世論の双方で14の候補者属性が共通して見つかったという｡スペインの1996年の国政選挙､台湾の1994年の市長選挙､日本の1993年の国政選挙などでも多くの一致が確認されたという｡実験研究によりメディア(送り手)の属性提示と世論(受け手)の属性認知との間にしばしば因果関係が見られることが確認されたということになる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>イータン， 李洪千， 小川恒夫｢マス・メディア, 世論, 政策間の関係に関する実証的研究 (1956 年~ 2004 年): 第 2 レベルの議題設定研究の視点から｣(2014),150p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc43">荒井紀一郎さんにおける実証研究(新聞)</span></h3>
<p>荒井さんの研究では､特定の項目が購読紙で突出して多く扱われている場合､ テレビやインターネットなど他メディアへの接触が少ない人ほど､その項目を｢自分にとって重要｣だと認識しやすくなることが確認されたそうだ｡</p>
<p>インターネット利用頻度が高い層であった場合も､新聞で多く扱われる争点が重要だと認識されていた点がポイントになる｡</p>
<p>また､購読紙ごとに｢重要だとされる争点｣が大きく異なるという多様性も指摘されている｡</p>
<p>そもそも新聞を見る年齢層なども検討する必要があるのかもしれない｡若い世代はそもそも新聞に接する機会はほとんどない(ネットニュースなどで間接的に接することはあるだろうが)｡テレビすら見なくなってきている｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>荒井 紀一郎｢民意のベースライン―新聞報道による議題設定効果の測定―｣(2014),118-119p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc44">得られる教訓</span></h2>
<h3><span id="toc45">オールドメディアとニューメディア</span></h3>
<h4><span id="toc46">メディアの怖さと依存性</span></h4>
<p>議題設定効果を一通り見て感じたことは､｢<b>使いようによっては受け手の認知をコントロールできる怖さ</b>｣と､｢<b>それでもメディアに情報を依存するしかない現実</b>｣である｡たしかにメディアが意図的な偏向報道をした場合は問題になるが､だからといってメディアに一切接しないという行動を我々はとることが難しい｡我々にはマスメディアが必要なのである｡</p>
<p>2024年の兵庫県知事選挙のとき､｢オールドメディア｣という言葉を頻繁に聞いた｡この言葉自体は昔からあるようだ｡</p>
<h4><span id="toc47">｢オールドメディア｣と｢ニューメディア｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong><b>オールドメディア</b>(英:old media)</strong>：</big>一般に､専門的な送り手が編集した情報を､多数の受け手に一方向的に配信するマスメディアのこと｡新聞､テレビ､ラジオ､雑誌など｡</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span><big><strong>ニューメディア(英:new media)</strong>：</big>一般に､受け手自身も発信者になりうる､多方向的で相互作用的な要素が強い情報メディアのこと｡SNS(X,Instagram等)､動画配信､ブログ､掲示板など｡</div>
<p>このyoutubeもニューメディアの一種だろう｡もちろん､両者の境目は厳密なものではなく､簡易的なものである｡</p>
<p>インターネットであったとしても､Yahooニュースのようにマスメディアの公共的インフラを背景としているサイトもある｡テレビ会社や新聞社などがニュースをインターネットを通して配信している内容が上位に来ることが多い｡なんの信頼性もない媒体はYahooニュースで基本的に配信することができない｡</p>
<p>一方で､X(旧Twitter)やyoutube､ブログなどでは制度的バックアップのない､ごくふつうの個人が発信している場合が多い｡</p>
<h4><span id="toc48">オールドメディアの偏向報道について</span></h4>
<p>兵庫知事選挙では､｢テレビなどのオールドメディアが情報を取得しながらあえて報道しない(テレビは真実を隠している)｣という点が批判されていた｡これが<b>偏向報道</b>というわけである｡</p>
<p>一方で､オールドメディアのカウンター側であるyoutubeやXなどで発信している人達の内容の一部がデマであるという報道もある(事実が検証されないまま情報が拡散されている)｡※実際に報道されなかった理由や内容の是非はここでは取り扱わない｡</p>
<h4><span id="toc49">統計的理解</span></h4>
<p>WVSデータ分析(安野,2018)によれば､日本では新聞･雑誌･テレビなどのオールドメディアを信頼する人が約7割いるという｡</p>
<p>総務省の｢情報通信白書｣(2021)ではテレビ･ラジオ･新聞は5〜6割が｢信頼できる｣と回答したが､SNSや動画投稿サイトは信頼できると答えた人が約15%とかなり低水準だったそうだ｡</p>
<p>沼田さんたちの研究(沼田,苗,池田,2020)によれば､全体の1.9%に､情報の真偽をまったく確認せずにシェアする人が存在したという｡また､その人たちの34.2%は､自分を｢公正･中立な立場で情報を流している｣と考えているという｡</p>
<p>SNSへの信頼度が高い人ほど､情報を確認せずに拡散する傾向が強いというわけである｡</p>
<p>オールドメディアが偏向報道を行っているニュースが出るたびに､我々はオールドメディアへの不信感が高まっていくことになる｡我々は実際に､テレビや新聞を見る頻度が減っていっている｡SNSで流れるニュースしか見ないという人がいてもおかしくない｡</p>
<p>結局はニューメディアが正しい情報を送り出してくれると考える人が増えてもおかしくない｡しかし､ニューメディアへの信頼が誤った情報の拡散につながりやすいとすればそれも問題である｡</p>
<p>たとえばウォルターらは｢<b>新聞を読む人ほど陰謀思考は相対的に弱く､SNSをよく使う人ほど陰謀思考は相対的に強い傾向がある</b>｣という(Walter &amp; Drochon,2022)｡</p>
<p>ただし､秦さんの研究によれば､日本では｢X(旧Twitter)の利用が高いほど､むしろ陰謀論信奉が低い傾向が示された｣という(秦正樹,2022)｡NHKや新聞を利用する人も､陰謀論信奉が低い傾向が見られたという｡プラットフォームごとの性質や､そもそも特定の性格をもったひとが特定のプラットフォームを使っているに過ぎないのかなど多角的に検討する必要があるといえる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>大賀 哲, 縄田 健悟, 藤村 まこと｢メディア信頼と陰謀論信念の関連性 オールドメディアとニューメディアの比較分析を通じて｣,164-165p</p>
<p>大賀 哲, 縄田 健悟, 藤村 まこと｢メディア信頼と陰謀論信念の関連性 オールドメディアとニューメディアの比較分析を通じて｣,166-167p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc50">情報リテラシーとオピニオンリーダー</span></h4>
<p>メディアには偏向報道を行う可能性が構造的に存在している｡オールドメディアは特に権力団体に忖度してしまいやすい構造にあるといえる｡しかし､ニューメディアも制度的な信頼性が乏しい場合があり､受け手はそれらを全面的に信用することが難しい｡また､ニューメディアも営利目的の場合､アクセスが稼げるなら情報の信憑性は二の次になってしまう場合があるといえる｡</p>
<p>ニューメディアだから､オールドメディアだからと一括りに考えるのではなく､事実かどうかを一旦保留し､精査する力､｢<b>情報リテラシー</b>｣が受け手に求められているといえる｡</p>
<p>とはいえ､現実的にどこまで我々が情報の妥当性をチェックできるのかという問題もある｡現実的には相互監視的な構造が必要になるのであり､スキルがないと監視がそもそもできない｡</p>
<p>構造的にはマスメディアが単一的ではなく､より多面的になることによって､情報の比較が可能になる必要もあるといえる｡ただし､情報を比較したうえでどちらが正しいのかを判断できる知識がやはり必要になる｡この意味で､適切な感覚と知識をもった､できるだけ特定の利害関係をもたない<b>オピニオンリーダー(知識人)</b>が監視し､共有するという構造も必要になるのではないだろうか｡</p>
<h2><span id="toc51">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc52">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc53">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/44IVnls">社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc54">デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Ia6J9u"> デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) ｢思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方｣</a></p>
<h4><span id="toc55">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3FeJ8Do">亀田 達也(監修)｢眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学｣</a></p>
<h3><span id="toc56">参考論文</span></h3>
<p>竹下俊郎｢メディア議題設定理論に関する付加的考察｣(2024)[<a href="https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/2000472/files/seikeironso_92_5-6_27.pdf">URL</a>]</p>
<p>小林 哲郎, 稲増 一憲｢ネット時代の政治コミュニケーション メディア効果論の動向と展望｣(2011)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes/27/1/27_85/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
<p>イータン， 李洪千， 小川恒夫｢マス・メディア, 世論, 政策間の関係に関する実証的研究 (1956 年~ 2004 年): 第 2 レベルの議題設定研究の視点から｣(2014)[<a href="https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AA1121824X-20140300-0147.pdf?file_id=114970">URL</a>]</p>
<p>荒井 紀一郎｢民意のベースライン―新聞報道による議題設定効果の測定―｣(2014)[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku/65/1/65_1_104/_pdf/-char/ja">URL</a>]</p>
<p>大賀 哲, 縄田 健悟, 藤村 まこと｢メディア信頼と陰謀論信念の関連性 オールドメディアとニューメディアの比較分析を通じて｣[<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jamsmedia/106/0/106_163/_article/-char/ja/">URL</a>]</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(45)】｢討議的沸騰｣について</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-45-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 14:15:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
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					<description><![CDATA[ルターの人間観と討議的沸騰。エゴを超えて納得を築く社会学。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">(9) 教訓</span></h2>
<h3><span id="toc3">[9-3]ルターの｢我､自由意志を欲せず｣の重みと､｢討議的沸騰｣について</span></h3>
<h4><span id="toc4">マルティン・ルターの人間観について</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/c27b50772c648f762420e6eab8f2231c.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5550" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/c27b50772c648f762420e6eab8f2231c.png" alt="" width="167" height="300" /></a></p>
<p>｢人類の幸福のため｣､｢弱者の救済のため｣､｢正義の実現のため｣という主語が大きな壮大な目的は果たして人間に実現可能なのだろうか｡</p>
<p>ここで私が思い出してしまうのは神学者マルティン･ルターである｡私がyoutubeで最初に扱った動画の人物でもある｡宗教革命に深く関わる人物であり､資本主義の精神の発展に関係する人物でもある｡</p>
<p>ルターはこのように人間についてたとえば述べている｡</p>
<p>｢<i>人間はあまりにも自己中心的に歪んでしまっているので､物的諸財ばかりか霊的諸財でさえも､これを自己本位的に歪めて悪用し､よろずに自分自身を追求することしか知らない､と｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間というものは､一般的に､また全体として見るならば､善とは何かをよくわきまえており､実際に善を望みもするが､しかし個々の具体的なケースとなると､その点でときどき間違いをおかし､善を望まない場合がある｡これが世間一般の人間に対する見方である｡しかし私はむしろ次のように言わなくてはならないと考えている｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間というものは､一般的に､また全体として見るならば､善とは何かをよくわきまえており､実際に善を望みもするが､しかし個々の具体的なケースとなると､その点でときどき間違いをおかし､善を望まない場合がある｡これが世間一般の人間に対する見方である｡しかし私はむしろ次のように言わなくてはならないと考えている｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間はその魂を神の像に似せて造られ､したがってまた神の恩恵を受けるにふさわしい存在であるが､しかし､生得の力だけに頼って生きるかぎり､彼はその手にゆだねられた被造物を(正しく管理せず)すべて台無しにしてしまう｡なぜなら､彼はよろずに自分自身にしか関心を示さず､また､もっぱら肉に属することしか追求しようとはしないからである｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間の自由意志が承認されているのは､人間の上にある事柄[対神関係]に関してではなく､もっぱら彼の下にある事柄に関してだけである｡つまり人間は､自分のお金や財産に関しては､それを意のままに使い､稼ぎだし､処分する権利をもつと考えても善い｡とはいえその点にかんしても､いつも我々は神の自由意志にもとづく介入を考慮しておかなくてはなるまいが｡</i>｣</p>
<p>｢<i>しかしながら､それ以外の神にかかわること､救いに関する事柄では､人間は自由意志をもたず､神の意志か､さもなくばサタンの意志か､そのどちらかの意志のとりこであり､下僕であり､奴隷である｡</i>｣</p>
<p>｢<i>私自身についていえば､私ははっきりと告白しておきたい｡私はどんなことがあっても自分に自由意志が与えられ､みずから浄福を獲得すべき何らかの力が私に授けられることを望まない､と｡それはなにも世に満ちたかくも多くの誘惑や危険､悪魔の襲撃にたいして､私がとても抵抗できそうにない……という理由だけからではない｡｣</i></p>
<p>｢<i>かりにどんな誘惑､どんな危険､どんな悪魔の攻撃もこの世に存在しないと仮定しても､それでも私は､もし自由意志が与えられているとしたら､いつもいつも極度の不安にさいなまれ､みずから浄福を獲(か)ちとるため､あたかも刀で空を切る者よろしく､きりきり舞いしなければならないからである｡</i>｣</p>
<p>｢<i>だって､そうではないか｡かりに私に無限の生命が与えられ､私が永遠に善き業に励むことができたとしても､それでも私は､神によしとされるためには自分がまだどれほどの功業を積まなければいけないかについて絶えず悩まされねばならず､その点で私の良心は決して安らかになりはしないだろう｡</i>｣</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>雀部幸隆｢知と意味の位相｣89-114p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc5">ルターにおける2つの抽象度の違う規範､偶像崇拝</span></h4>
<p>さて整理しよう｡ルターによれば､規範には２つのレベルがある｡まずは､神のみぞ知る､聖書からも直接的にはよくわからない｢<b>普遍的な規範</b>｣である｡次に､人間が各々具体的な状況において考える｢<b>特殊的な規範</b>｣である｡</p>
<p>人間が普遍的な規範を認識しようなどとは､おこがましいというわけである｡普遍的な規範がわからないのだから､ある行為が(神から見て)正しいかどうかもわからないので､人間は常に不安にならずにはいられない｡そんな不安な状態の中で神からの救済のために善行に励み続けるというのは､大変なことであるというわけだ｡</p>
<p>多くの人間は､結局自分勝手に､自己本位的に正しいと思うこと(その自己の範囲がたとえ家族､国家だとしてもである)を､心地よいと思える行為をしてしまう｡科学を信仰したり､異性を信仰したり､子どもを信仰したり､仕事を信仰したり､趣味を信仰したり､あるいは理性(コミュニケーション的理性にしろ認知道具的理性にしろ)を信仰したりするかもしれない｡</p>
<p>ルターからすればそれは世界内在的な対象に対する｢<b>偶像崇拝</b>｣であり､人がそれぞれ我を忘れて心酔し､心を奪われ､夢中になるものがそれぞれの偶像(価値)となるのである｡ウェーバーでいうところの｢<b>神々(価値観)の闘争</b>｣になる｡</p>
<p>ルターからすれば｢資本の増大が神からの救済の確信となる｣といった考えは､偶像崇拝にすぎない｡そんなことは人間にはわかりようがないからである｡</p>
<p>ルター的にいえば人間にできることは｢<b>信じることのみ</b>｣である｡自著の撤回を当時の国王から求められ､｢<i>わたしはほかにできない｡わたしはここに立つ｡神よ助けたまえ｡アーメン｡</i>｣とルターが言ったことは有名である(厳密な言葉は脚色という説があるが､近い内容のことは述べたようだ)｡</p>
<p>もし神を信頼することができれば､ルター的にいえば｢神の恩恵｣を感じることができれば､人間は正しいと思えるようなことを(もちろん確信をもつことはできないのだが)し続けられるかもしれない｡</p>
<p>たとえば哲学者のショーペンハウアーは､カント倫理の背景にキリスト教的道徳があると批判している｡他者を手段とするなかれ､人にウソをつくなかれ､物を盗むなかれといったぐあいにである｡</p>
<p>そうした具体的な内容を伴う規範を学問によって捉えることは慎重にならざるをえない｡だからこそハーバーマスは具体的内容ではなく､形式的な条件に普遍的な規範を限定しようとしたのである｡最低限､この｢<b>形式的な価値</b>(偶像)｣のみは優越的に､特権的に信じようというわけである｡そしてその普遍的な価値に基づいた合意の範囲内の各偶像への志向､多様性は許し合おうということになる｡</p>
<p>なぜなら､この偶像を他の偶像よりも上位であると信じないと他の偶像の妥当性を一切批判できないからである｡批判できないと世界の秩序は危ないというわけだ｡</p>
<p>もちろんカントは聖書の十戒そのものが定言命法だとは言っていない｡</p>
<p>人間にはきちんと考えれば普遍的な規範がわかるはずであり､その能力が先天的にあり､それをきちんと実行しなさいというわけだ｡しかしそれを実行することは難しい｡たとえばウソをつくことで失職を防げる場合､しかもそのウソで誰も傷つかず､支障がない場合どうするだろうか｡</p>
<p>私ならおそらくウソをついてしまう｡ウソをつくことは明らかによくないと思うことができる能力がありながら､ついてしまうのである｡もし暴力団に脅されて自著を撤回しろと言われたら､ルソーのように｢<i>できません</i>｣とはおそらく私ならいえない｡</p>
<p>地上で不合理な事態にさらされても､天国では救済されるはずである､と信仰しきること､実践しきることなども私には到底難しい｡たとえば自分の赤ん坊が生まれた次の日に死んだとして､天国ではどうにかなっていると信仰しきることも私には到底難しい｡</p>
<p>ルソーのように人間にとって外在的な神を信じて生きること､カントのように人間に内在する能力である定言命法に従って生きることは相当困難なのであり､普通の人間ではできないのではないか｡ニーチェのように永遠回帰を信じて生ききることも相当な困難を伴う｡</p>
<p>ジンメル的に解釈すれば｢そうした理想や超越性が”<b>あるかのように</b>”考えることの倫理的メリット｣といった現実的な解釈は可能かもしれない｡それが神であれ理性であれ､超越的な､反事実的なものへの｢<b>信仰</b>(信頼)｣がなければならない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>雀部幸隆｢知と意味の位相｣255-256p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc6">多様な動機の衝突と､それを調停する｢納得感｣の難しさについて</span></h4>
<p>そもそもの大前提として､人間は多様な｢<b>動機</b>｣をもち､そうした動機は自己内でも他者間でも｢<b>衝突</b>｣してしまうものなのである｡大事な人をまもるために職を失いたくないと私は考え､それゆえにウソをついてしまうかもしれない｡</p>
<p>あるいは誰かをコントロールしようとしたり､明らかに不要なガラクタをセールストークでそれが価値あるものだと思わせて買わせるかもしれない｡</p>
<p>討議によって規範を形成するという理想の提示はたしかに立派である｡カントのように定言命法に従って生きることも立派であり､ルソーのように信仰に従って生きようとすることも立派である｡</p>
<p>しかし多くの人にそうした立派な行為ができるのだろうか｡見知らぬ多くの他者が虐げられていて､自分は虐げられていないとする｡｢<b>虐げられている人々を救おうと立ち上がらなければならない｡それはしなければいけないことだから</b>｣と､私が他の私的な動機を差し置いて､その合意の形成へと向かうことは私に可能なのだろうか｡そんな時間を使うなら､家族や恋人といった大事な周りの他者を守ろうとするかもしれない｡</p>
<p>ハーバーマスにおいても､結局は｢<b>法</b>｣の力を頼らざるをえないのであり､なんらかの｢<b>サンクション</b>(制裁)｣を前提とせざるをえないのではないか｡要するに､制裁によって､他の動機を消そうとするわけである｡</p>
<p>もちろんそれは国家からの伝統的･権威主義的な押し付けや､宗教的な押しつけではない｡我々が妥当な根拠を元に合意して､｢<b>納得</b>｣して形成したのだから､それが法になってサンクションを伴ったとしても文句はいえないだろう｡</p>
<p>ここで重要なのは神であれ､権威であれ､合意であれ､｢<b>納得</b>｣が生じているかどうかである｡納得できればそれに従って､それを望み､それを動機として行為することが可能になる｡動機がコンフリクトを起こすことなく､調整されている状態である｡</p>
<p>ただし､納得が｢<b>健全に</b>｣生じるかどうかという点は重要になる｡しかし､なにをもって健全だといえるのか｡結果を十分に計算しないが､しかし動機だけは権力などに強制されずに健全な精神によって合意が形成された場合は健全に生じたといえるのか｡</p>
<p>たとえば｢人を殺してはいけない｣と私は納得できている｡そのルール(規範)の作成の瞬間に私はその場にいなかったが､しかしもしいたら納得して同意していただろう｡そしてそれに従わなければ制裁を受けることにも同意しただろうし､それに従わない人間に制裁を与えることにも同意しただろう｡</p>
<p>では､｢自国民10人をまもるために､他国民100人を犠牲にしてもいい｣というルールに納得できるか｡こうなると､それは｢状況次第だ｣と弁明することになるか､｢わたしにはよくわからないから専門家の意見を聞きたい｣と責任を放棄してしまうかもしれない｡</p>
<p>また､殺人においても同様であり､たとえば家族がそうした事件を起こしてしまったら｢正当防衛なら許される｣と弁明するかもしれない｡</p>
<p>旧約聖書にはイスラエル民族に敵対したアマレク人の殲滅(聖絶)を神が命じたと預言者サムエルが述べるシーンがある｡われわれはこれを一体どう解釈すればいいのか｡ルター的にいえば､神の考えは｢我々にはわからない､神のみぞ知る｣と信じることだけである｡これはウェーバー的な考えでは心情倫理であり､神に責任を丸投げすることでもあるのかもしれない｡</p>
<p>しかし神のみぞ知るという｢信仰｣を失っている多くの人びとにとっては深刻な問題である｡たとえば600万人ものユダヤ人が犠牲になったホロコーストとも重なる問題である｡</p>
<p>我々はキリスト教の神であれ､他の宗教の神であれ､国家というナショナリスティックな神であれ､趣味であれ､異性であれ､<b>その犠牲を許せなくなる心情がある</b>｡互いにこちらの正義のほうが勝ると考えて争うのである｡</p>
<p>愛する至上の価値を守るために､敵対するものを侵害してもいい､あるいは､｢それは悪いかもしれないがせざるをえない｣と思いがちなのである｡</p>
<p>だからこそ｢具体的な内容を信仰する｣ことは危険を伴うのであり､ハーバーマスは｢抽象的で手続き的な形式｣にシフトしたといえる｡貨幣という｢中身のない形式｣が人を自由にすると考えたジンメルと類比させることもできる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/01/31/georg-simmel-4/">【基礎社会学第十一回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (前編)</a></p>
<h4><span id="toc7">アドラーにおける理想と教育</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/212c685a0096598b6349fbcabcccf3f3.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5551" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/212c685a0096598b6349fbcabcccf3f3.png" alt="" width="174" height="313" /></a></p>
<p>たとえば心理学者のアドラーは｢完全という目標を具体的に思い浮かべるのはほとんど不可能であり､抽象的､理想的にのみ思い浮かべることのできるものである｣と考えている｡</p>
<p>具体的､現実的な形で理想を思い浮かべることは危険だとアドラーは考えているニュアンスがある｡</p>
<p>例えば共産主義だけが､あるいは資本主義だけが世界を善くする目標を我々に提供してくれる､キリスト教だけが､イスラム教だけが､〇〇教だけが､と具体的に考えれば考えるほど｢<b>他の価値観をもつ人々への蔑視や支配</b>｣になりかねない｡</p>
<p>｢なにが正しい道なのか我々は知ることができない｣が､人類が｢共同体感覚｣をもつことが人類の幸福へつながるとアドラーは信じている(国家などの狭い単位ではなく､理想としては世界全体という共同体であり､人間以外の動物､無機物すらも含む､考えられる限りもっとも広い包括的なシステム的単位だといえる)ということになる｡我々は大きなものの一部であるという感覚がそこにはある｡</p>
<p>そして人間にはそうしたことが可能だと､能力があると､選択することができるとアドラーは信じている｡その実践的な道としてアドラーは｢<b>教育</b>｣を重視し､可能性を見いだしている｡デュルケムもマンハイムも教育を重視していた｡</p>
<p>また､教育のあり方も変動的なものであり､時代によって価値観は代わり､適切な教育のあり方も変動していくという｡</p>
<p>理想はあくまでも理想である｡一方､我々は常に現実と直面している｡それゆえに､完全とまではいかないまでも､より完全に近いと信じることができる目的､手段の系列を理想という光に照らされて掴みとることが重要になる｡岸見一郎さんが｢<i>我々はアドラーの思想を大切にするからこそ､それを更新していかなければならない｡原理主義者になってはならない｡これは､あたらしい時代に生きる人間に託された､使命なのです</i>｣と強調していることとも通底する｡</p>
<p>わたしはこのウェーバーの言葉を思い出す｡｢しかし､いつか色彩が変わる｡無反省に利用された観点の意義が不確かとなり､道が薄暮れのなかに見失われる｡大いなる文化問題が､さらに明るみに引き出されてくる｡そのとき､科学もまた､その立場と概念装置とを添えて､思想の高みから事象の流れを見渡そうと身構える｡科学は､ただそれのみが研究に意味と方向とを示せる星座を目指して､歩みを進める｡｣</p>
<p>マックス･ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」149-150P</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/05/01/creation-discovery-studies-3-adler-7/">創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(７)アドラー心理学の哲学(共同体感覚)とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc8">見田宗介さんにおける｢拡大されたエゴイズム｣</span></h4>
<p>自分だけのためではなく､愛する他者のために生きるという態度も｢<b>拡大されたエゴイズム</b>｣であると社会学者の真木悠介さんは表現した｡なぜなら愛する他者以外に対する敵視や無関心､嫉妬等が発生してしまうからだ｡つまり､動機のコンフリクトが発生しうる｡</p>
<p>恋人や自国の民への攻撃は｢自分への攻撃｣であると感じる態度であり､自分たちが最優先(ファースト)であると考える立場である｡</p>
<p>｢宗教｣はこうした｢性のエゴイズム｣を克服する試みであるという｡特定の国を超えた関係を形作るからである｡</p>
<p>しかし宗教もまた自分とは異なる宗教に属する人たちに対する無関心や敵視を発生させてしまうことになりうる｡宗教もまた｢拡大されたエゴイズム｣といえるわけである｡エゴイズムゆえに愛があり､愛ゆえに人は苦しむのであり､他者を苦しませるのである｡</p>
<p>詩人の宮沢賢治さん(1896-1933)は特定の人を愛することを避け､宗教をも避けたという｡</p>
<p>こうした｢<b>自我の解放</b>｣が現実的な社会的枠組みのなかで可能かどうか､私にはわからない｡しかしエゴイズムが過剰にならないように､なんらかのバランスをとる仕組みが必要であるというのは妥当な主張ではないだろうか</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2017/11/23/%e3%80%8c%e8%87%aa%e6%88%91%e3%81%ae%e8%b5%b7%e5%8e%9f%e3%80%8d%e8%a6%81%e7%b4%84/">「自我の起原」要約</a></p>
<h4><span id="toc9">｢理性の他者｣への回帰</span></h4>
<p>こうした事態に対して､古代の素朴な伝統的ななんらかの社会へ戻ろうという方法もあるかもしれない｡あるいは芸術や無意識といった､近代的啓蒙思想からすれば非合理的な手法によって､あるいは飲酒という酩酊によって実現(治療･逃避)しようとする人もいるかもしれない｡</p>
<p>ハーバーマスはそうした非合理的な手法､いわゆる｢<b>理性の他者</b>｣に頼ることを徹底して避ける｡また､他者との違いを放棄することを望まない｡アーレント的な意味での他者性､レヴィナス的な意味での他者性､ジンメル的な意味での他者性を重視する｡</p>
<p>あくまでも理性の枠内で､エゴイズムやニヒリズムに対処しようとするわけである｡ゲーレンのように国家になにをすべきか任せようという新保守主義や､非合理的な決断に任せる過激思想も否定する｡</p>
<p>ちなみにこの姿勢は近代の成果を全面的に放棄するわけではないという意味ではグレゴリー･ベイトソンの考え方､真木悠介さんの考え方と類似している｡</p>
<p>理性を用いて､健全なシステムを謙虚に考えようという姿勢が彼らにはある｡私は彼らが好きだ｡</p>
<p>｢どうやって？｣｢それは実現可能？｣と批判することは簡単であるが､妥当な根拠をもって理念そのものを批判しきることは難しい｡虚偽意識(を批判する意識)は虚偽意識なのではないか､相関主義もまたひとつの価値観なのではないかというのもまた簡単である｡結局はいずれかの立場にコミットしなければならないとしたら､私はよりましな､健全な立場にコミットして生きたい｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,19p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">社会学的想像力をもった超人</span></h4>
<p>理性を用いて健全なシステムを謙虚に考えようとすれば､孤立的に､自分勝手な思念や内省によって考えるわけにはいかない｡</p>
<p>他者の気持ちになって考えてみるという姿勢が重要であり､また他者との実際の交流が必要である｡また､単に精神的な問題だけではなく､健全なシステムを考えるためにはさまざまな分野､社会学だけではなく生物学､物理学といった自然科学や他の社会科学にも精通していなければならない｡もちろん芸術などにも理解がある必要があるのだろう｡カントやルター的なものとは違った意味での｢<b>超人</b>｣にならなければならないといえるかもしれない｡</p>
<p>ライト･ミルズが述べたような｢<b>社会学的想像力</b>｣とも重なる問題であり､さまざまな経験と知識が必要になる｡</p>
<p>社会学者の宮台真司さん的にいえば､社会学はいわゆる｢団子の串｣であり､串だけをもっていても､それだけでは何の役にも立たないのである｡ゲーム機だけをもっていてゲームソフトをもっていないようなものである｡日常で他者を観察して団子を獲得したり､自分で経験してみたり､諸科学を学んで団子を獲得しなければならないのである｡</p>
<p>しかし｢<b>１人の人間</b>｣があらゆる学問に精通することは原理的に難しい｡それゆえに｢<b>協働</b>｣する必要がある｡過去の学者の知見を利用することも一種の対話であり､一種の共同作業である｡1人でなにもかもできるはずがない｡我々は巨人の肩の上で生きているのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>井庭崇,他「社会システム理論」128&#xfe0f;P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">｢討議的沸騰｣が多様な動機を｢納得感｣へ調和させる可能性について</span></h4>
<p>ここで､ハーバーマスの｢<b>討議</b>｣という概念と接合してくるのではないだろうか｡</p>
<p>もちろんそれぞれが専門分野に籠り､討議の時だけ交わればいいというわけではない｡</p>
<p>しかしそれぞれの強みをより｢<b>論理整合的に､理解可能な形</b>｣に翻訳できるのは､それぞれの専門家だというのも事実である｡もし彼らが理解可能な形で｢<b>言語化</b>｣を行い､人びとに互いに提供できるならば､時間のリソースを大きく節約することができる(もちろん言語以外のメディアのほうが容易に理解できることもあるだろうが)｡つまり､より人びとが多様な学問に精通しやすくなるといえる｡</p>
<p>もちろん､ここでいう専門家は大学教授や企業に所属する科学者などに限られない｡</p>
<p>カール･マンハイム的にいえば｢知識人｣だろう｡主婦(主夫)であれ漁師であれ､コックであれなんであれ､我々は何らかの意味で専門性を備えている｡ウェーバー的にいえば我々は｢<b>世界に対して意識的に態度を決め､それに意味を与える能力と意志をそなえた文化人</b>｣である｡</p>
<p>ウェーバーは｢<i>いたずらに待ちこがれているだけではなにごともなされないという教訓を引きだそう､そしてこうした態度を改めて､自分の仕事に就き､そして『日々の要求』に──人間関係のうえでもまた職業のうえでも──従おう</i>｣とも表現していた｡</p>
<p>日常の具体的な問題に責任を持って対処していればそれなりの｢<b>日常知</b>｣をもつのであり､その日常知はかけがえのないものであり､｢<b>柔軟性のためのリソース(資源)</b>｣だといえる｡専門知だけが世界のコンフリクトを解決するリソースではない｡むしろ日常知に基礎づけられていることが必要になる｡</p>
<p>この日常知を互いに交流させることは､よりよい討議への道へとつながっていくのではないだろうか｡もちろん､日常知をリソースとして串をさす社会学や､日常知を論理整合的に整える諸科学､専門知もその補助ないし総合としては必要である｡</p>
<p>専門家が専門知をつかって､きっと健全な世界のあり方を考えてくれるだろう､そうした超人が未来において現れてくれるだろうと待ち焦がれているだけの態度は､天国できっと救われる構造になってくれるはずであると信じる前近代的な態度と機能的に等価であり､そのままでは何も変わらない｡むしろその楽観視ゆえに事態は悪化し､技術の暴走を促しかねない｡</p>
<p>また､単に社会学という串でさされた全体的な団子を獲得できるというだけではない｡人々で討論するということは､そこにはデュルケム的な意味での｢<b>聖性</b>｣が宿ることもありうるのではないだろうか｡</p>
<p>人間がルター的な意味で｢肉欲のままに生きること｣､｢拡大されたエゴイズムに過剰に向かいすぎること｣を止めて生きるためには｢<b>抽象的で形式的な聖性</b>｣が必要になるといえるのではないだろうか｡</p>
<p>デュルケム的にいえば｢聖性｣は形を変えて｢社会｣に宿っている｡というより､社会こそが聖性なのである｡</p>
<p>たとえばフランス革命における集合的沸騰は､｢新しい聖性｣の生じた瞬間とデュルケムは捉えていた｡人間が集まって創発的に生じた力というものは､人間の肉欲､個人的な動機を超える力､制約する力をもつ｡そうした聖性に基づく力だからこそ､また､そうした聖性に｢<b>参加する意識</b>｣(モリス･バーマン的な意味での)をもつからこそ､そうした力に自発的に｢<b>納得</b>｣するのであり､その力に納得する限りにおいて､他者と肉欲的な利害関心を超越して他者に配慮できるのではないだろうか｡</p>
<p>より普遍的で健全で､バランスをもったものを志向する人びとが討議することで､そこには｢<b>健全な集合的沸騰</b>｣が生じる｡完璧ではない討議だとしても､人々を健全な形へ志向させる力があるのではないだろうか｡</p>
<p>もちろん､原始的な意味での､ハーバーマスやジンメルなら眉をひそめるような｢非合理的沸騰｣ではなく､｢<b>討議的沸騰</b>｣とでもよべるようなものであり､世界内在的な沸騰である｡ルーマンが言ったような｢無益な興奮｣にならないようにどのように集合的沸騰を生じさせることができるのか､その条件を考える必要がある｡そのためには適切な理論が必要であり､精緻なシステム理論を利用することも視野に入れる必要がある｡</p>
<p>近代化が進み､脱呪術化が進み､伝統的な力や宗教的な力､先天的な人間の力への信頼は失われ､もはやそうした力だけに｢納得｣を期待することはできない｡神々の闘争と表現されるように､あまりにも多様な価値観を人びとは信仰し始めている｡</p>
<p>もともとキリスト教的な神が登場する前､原始共同体においては人格的な神ではなく､社会そのものが神であった｡人々の集合的な力､社会の力が神聖な力であり､神そのものだったのである｡この神聖な力が人々を規範に従わせる力を持つのである｡やがて人々はこの力を記号化し､表象し､言語化し､さまざまな具体化を伴うようになり､そのひとつが｢法の力｣でもある｡</p>
<p>｢よくわからないけど､なんだか力がみなぎる｣ではなく､｢<b>よくわかり､そこに力を感じる</b>｣のである｡</p>
<p>人びとは活力を感じるようになる｡その力の源が､討議であり､妥当性に基づいているという点が重要である｡単なる伝統や宗教に基づく沸騰ではない｡もちろん､このようなドライな感覚で沸騰が､聖性が生じるかどうかはわからない｡しかし自己中心ゆえに脱自己中心的になる､閉じるゆえに開く､合理性ゆえに合理性に留まらない力をもつこともあると信じたい｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/04/24/durkheim-7-10/">【基礎社会学第三九回(10)】エミール･デュルケムにおける｢集合的沸騰｣とは</a></p>
<h2><span id="toc12">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc13">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
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<h4><span id="toc15">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc16">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc18">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc19">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc20">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc21">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc22">社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc23">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc24">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc25">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-45-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(44)】ハーバーマスかルーマンか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-44-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-44-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 13:57:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5542</guid>

					<description><![CDATA[討議かシステムか？社会学の巨頭が語る価値命題の根拠を整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">(9) 教訓</span></h2>
<h3><span id="toc3">[9-2]ハーバーマスかルーマンか</span></h3>
<h4><span id="toc4">討議で価値命題を出すわけにはいかない</span></h4>
<p>ハーバーマスとルーマンの論争(討議？)の書籍として共同で出版された『社会の理論か､それとも社会テクノロジーか――システム研究はなにをもたらすのか』(1971)が知られている｡</p>
<p>発端は1968年にフランクフルトで開かれたドイツ社会学会でルーマンが報告した『全体社会の分析の形式としての現代システム論』に対するハーバーマスの批判であり､その記録が書籍としてまとめられた｡</p>
<p>ルーマンは行政機関で働いていたという｡行政学の目的は､｢<b>行政行為に関わる価値命題を出すこと</b>｣である｡｢行政はこうすべきだ｣､｢行政官はこうするべきだ｣という価値命題を出すことが重要なのである｡</p>
<p>たとえば｢特定の集団ではなく､できるだけ公益を優先すべきである｣とか､｢行政官は法に基づいて､裁量は法の範囲内で行為するべきである｣とか､｢行政決定の理由を市民に説明すべきで､情報を公開するべきである｣といったようなイメージである｡</p>
<p>行政組織はなんらかの価値規範に基づいて判断し､行為しなければならない｡そしてその行政行為は我々の日常生活に強い影響を与えるものである｡保育園が増えるのか､水道費が下がるのか､ゴミ出しのルールはどうするかなど､さまざまな身近な問題に関わっている｡</p>
<p>なんらかの価値規範､価値基準に基づき､具体的な価値命題を出力しなければならないとすると､価値規範の妥当性はいかにして判断されるのだろうか｡たとえば｢情報はできるだけ透明にするべきである｣という規範はなぜ妥当なのか｡</p>
<p>ルーマンは価値命題の根拠として､｢<b>人々の合意</b>｣､つまりハーバーマス的にいえば｢<b>討議</b>｣に基づくべきとは考えない｡</p>
<p>また､人間が先天的にもっている､あるいは後天的に発達させると解釈される｢普遍的な理性｣､たとえば｢コミュニケーション的理性｣によって価値命題の根拠を基礎づけられるとも考えない｡誰でも考えれば普遍的に正しいと思えるようなものにきっとたどり着けるはずだろうとは素朴に考えない｡また､権力関係などの阻害条件を取り除いたとしても､それは変わらないという｡</p>
<p>価値命題の根拠としてルーマンは自分の｢<b>社会システム理論</b>｣が妥当だと考えている｡社会学者の宮台真司さんの説明によれば｢<b>価値命題を正当化するために､システムという概念を後から持ってきた</b>｣というわけである｡</p>
<p>ルーマンは｢<b>価値命題などなんら関心がない､ただ社会がどうなっているかを記述したいだけの技術屋(テクノクラート)</b>｣ではないのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>井庭崇､宮台真司､熊坂賢次､公文俊平｢社会システム理論｣､慶應義塾大学出版会､第二刷､56p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc5">社会学者は｢価値命題の出力｣ではなく､｢リソースの提供｣を目的とする</span></h4>
<p>もちろん､社会学が価値命題の出力を目的としているというわけではない｡</p>
<p>社会学によって目指されるのはあくまでも謙虚に｢社会の現象の客観的記述(どうあるべきかではなく､どうなっているか)｣である｡その意味でルーマンは社会学者としては無規範的であり､冷たい人間である｡</p>
<p>社会学の仕事は政治家や行政官､あるいは日常生活を送る人びとの価値命題の出力のさいの｢<b>リソース(資源)</b>｣の一つの提供だということになる｡私が好きなルーマンの言葉で言えば｢<b>ほかであり得る可能性(偶発性､コンティンジェンシー)の提示</b>｣である｡</p>
<p>｢こういう選択肢もありますよ､こっちのほうが効率は良いですよ､でも選ぶのは私たち専門家(社会学者)ではないです｣というわけである｡ウェーバー的にいえば責任倫理と心情倫理の2つを備えた政治家､官僚が選択するということになる｡</p>
<p>社会学の仕事は政治家や行政官､あるいは日常生活を送る人びとの価値命題の出力のさいの｢<b>リソース(資源)</b>｣の一つの提供だということになる｡私が好きなルーマンの言葉で言えば｢<b>ほかであり得る可能性(偶発性､コンティンジェンシー)の提示</b>｣である｡</p>
<p>｢こういう選択肢もありますよ､こっちのほうが効率は良いですよ､でも選ぶのは私たち専門家(社会学者)ではないです｣というわけである｡ウェーバー的にいえば責任倫理と心情倫理の2つを備えた政治家､官僚が選択するということになる｡</p>
<p>｢<i>トロンボーンはさまざまな共同社会の価値や連帯の感情をよびおこします｡ときどきこれらの楽器は不協和音を出すことがあります｡それをうまく調和させ､そこから一つのメロディーを生み出せる人は､ただ天分のある人だけ､つまり預言者や政治家､芸術家など､多少ともカリスマにめぐまれた人だけなのです｡わたしは教師であり､ですからまた認識を人々の使いものにできるよう調律する仕事にたずさわっております｡私の楽器は書棚にしまってあります｡ところがこの楽器は『音』を出しません｡この楽器をつかって､いきいきとしたメロディーをかなでることはできないのです｡</i>｣</p>
<p>ハーバーマスからすれば､こうしたルーマンの｢非規範的な姿勢｣は保守的に見えるという｡</p>
<p>仮に現代の政治家や行政官の出力が不適切だとして､その不適切なあり方を維持するためにリソースが用いられるならば､たしかに｢不適切な支配の正当化｣につながりうるものだといえる｡ルーマンは現代の社会のあり方を批判しようとか､政治的な革命や運動を引き起こそうという､積極的な意識がないようにハーバーマスには感じるのである｡</p>
<p>｢ただ社会がどうなっているかを記述するのがうまい人｣､つまりテクノクラート(技術屋)だというわけである｡</p>
<p>また､ハーバーマスからすればルーマンの社会記述が優れているのはシステム領域に限ってであり､生活世界は別である｡ルーマンからすれば生活世界も討議もシステムの一種であるが､ハーバーマスは断固としてそうした見方を拒絶するのである｡</p>
<p>また､社会システムの単位を人々の人格的なコミュニケーションではなく､非人格的なコミュニケーションとすることにもハーバーマスは反対している｡</p>
<p>ルーマンは言語的なコミュニケーションだけではなく､非言語的なコミュニケーションも視野にいれている｡同じような出力(機能)であればいいのであり､特定の出力方法にこだわるわけではない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣27~28p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc6">ハーバーマスの理論は保守主義的か</span></h4>
<p>ルーマンによると､ハーバーマスの理論こそ､｢(解放)保守主義｣的であるという｡批判や進歩という革新性を全面に出してはいるが､｢<b>抑圧的な社会構造から人間は解放されるべきであり､解放可能であるとされる主体の存在を当然の前提としている</b>｣ようにみえるという｡これは時代遅れで保守的な態度であるという｡</p>
<p>主体と客体､人間(生活世界)とシステムといった対立ではなく､システムと環境という新しく適切な区別から出発するべきだとルーマンは考える｡そうした意味で､ルーマンの社会理論は革新的ですらあるというわけだ｡</p>
<p>ハーバーマスが人間の理性の能力を信頼したヒューマニストであるとすれば､ルーマンは人間の理性の能力を信頼していないリアリストであるといえる｡</p>
<p>理性に基づいた討議によって世界の秩序のあり方を考える､価値命題を出力するという発想がない｡そうした素朴な出力をルーマンは信用しない｡｢普遍的なるもの｣をルーマンは重視せず､あくまでも特定のコンテクストに依存した妥当な論理関係を重視する(社会学的啓蒙､円熟した啓蒙)｡いわば特殊語用論に留まるといったイメージだろうか｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣29p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc7">処方箋を提示するよりも理論を整備するほうが先</span></h4>
<p>社会システム理論は直接的に価値命題を出力しない｡言いかえれば､社会システム理論は｢<b>処方箋</b>｣を直接的に提示する理論ではないということになる｡規範的な政治的主張を欠陥のある理論を前提にして具体的に述べるよりも先に､理論を整備するほうが先だとルーマンは考える｡</p>
<p>ルーマンの発言を引用する(『エコロジーのコミュニケーション』の序文)｡</p>
<p>｢理論に主導される分析に対しては､いつでも『実践との結びつき』が欠けていると非難することが可能である｡そうした分析は､誰かに処方箋を提示したりはしない｡ただ実践を観察し､もしも人々が事を急ぐあまり修正を必要とする観念にもとづいて行為している場合には､いったいそれがどれほど役に立つのかと､折に触れて問うだけである｡もちろん､修正を必要とする観念にもとづいて行為する場合でも何らかの有用な成果が得られる可能性は否定されない｡しかし､そうだとしても理論には相変わらずつぎのような意義があるであろう｡すなわち､よりよく統制された方法にもとづいて考えを構築するならば､有用な成果をもたらす可能性を高めることができる――とりわけ､無益な興奮をもたらす可能性を低めることができる､という意義である｡｣</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣30-31p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">理想的な討議の実現の難しさについて</span></h4>
<p>ルーマンによれば､そもそも理想的な討議はなかなか実現させることが難しいという｡たとえば討議のなかで､発言の機会を獲得しようとする競争､反応速度の違いといった構造的な問題が存在する｡つまり､非対称な関係が存在してしまうのである｡</p>
<p>また､討論は時間を必要とするものであり､長くなれば最初の方の発言が忘れられてしまうという問題があるという｡ルーマンにとって､高度に複雑化した社会で｢討議｣という手法は問題解決には適さないという｡</p>
<p>仮に理想的な討議が成立し､参加者が従うべき価値命題ができあがったとする｡それをどうやって実現させるのかという点でもルーマンは批判を行っている｡</p>
<p>たとえば宮台真司さんは､どんなに理想的な討議を行ったとしても､情報が統制されている可能性があるという｡また､情報が統制されているかどうかについて認識することもなかなか難しい｡そのような諸要因が構造的に複雑に絡み合っている状態の中で､個人の洞察に頼ったり､諸個人の合意に頼るわけにはいかないというわけだ｡</p>
<p>技術に関する知識は膨大に膨れ上がっている｡日常に生きる我々が仮にそれら全てにアクセス可能だとしても､それらを総合的に理解することは困難である｡人間の処理能力には限界があるのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,122-123p</p>
<p>井庭崇､宮台真司､熊坂賢次､公文俊平｢社会システム理論｣､慶應義塾大学出版会､第二刷､94p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">ルーマンにおけるシステム合理性</span></h4>
<p>これは｢人間的な合理性(コミュニケーション的合理性)｣にルーマンが批判的だったことと重なる｡もっとシステマティックな視点から得られる合理性をルーマンは欲しているのである｡それがシステム的合理性なのである｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>システム合理性</b></strong></span>：</big>環境の変化に応じてその目的をも変更し､個人的な動機レベルと切り離すことができるような､より複合的で包括的なシステムの縮減能力に基礎をおいた合理性のこと｡機能的に分化した社会システムが創発的に生み出す合理性のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>合理性</b></strong></span>：</big>極度に複雑な世界への関わりのなかで､複雑性を縮減する能力が強化されること｡合理的なものとは真に縮減能力をもつものに与えられるべき言葉であるという｡</p>
</div>
<p>ルーマンは全体社会それ自体はけっしてその姿を見ることも把握することもできない種類の集合的存在であるとみなしている｡</p>
<p>たとえば法システムや経済システムなどの機能システムを通して､それなりに描画しうる存在として推定することができるにすぎないと考えているという｡</p>
<p>結局は全体社会は近似的に､あるいはヒューリスティックに捉えることができるにすぎないということだろう｡そのためには全体性を参照できるような､複数の団子に串を刺すことができるようにならなければならない(これも相当の超人でなければ難しいだろう｡あるいは現代なら代わりにAIがシステム論的な回答を､その枠組さえ入力すれば出力してくれるのかもしれない｡ただし､その回答が妥当かを判定できる能力がなければならない｡)｡</p>
<p>熱くなって現実を見失うのではなく､謙虚に､柔軟性をもって多角的に現実を見つめるという姿勢が大事であるといえそうだ｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-1/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(前編)</a></p>
<h2><span id="toc10">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc11">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc12">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc13">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc14">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc15">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc16">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc17">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc18">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc19">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc20">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc21">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc22">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc23">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
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