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	<title>未分類 | 創造法編集社</title>
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	<description>社会学や哲学、その他創造に関する知識をまとめます</description>
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	<title>未分類 | 創造法編集社</title>
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	<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(43)】得られる教訓(複雑性､偶発性､多様性､柔軟性)</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-43-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 13:49:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[社会の複雑さをどう解くか？ハーバーマスの対話理論から学ぶ教訓。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-1" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-1">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">(9) 教訓</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">[9-1]複雑性､偶発性､多様性､柔軟性</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc9" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">(9) 教訓</span></h2>
<h3><span id="toc3">[9-1]複雑性､偶発性､多様性､柔軟性</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/4a393c62697c628f43950ba7bf20f01e.png"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5539" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/4a393c62697c628f43950ba7bf20f01e.png" alt="" width="589" height="433" /></a></p>
<p>世界は複雑であり､我々はそれを何らかの形で縮減することによって社会秩序を維持･生成･変化させている｡</p>
<p>社会学理論とは､簡単に言えば社会の複雑性を縮減するための道具である(同時に複雑性､いわばリソース､柔軟性を増大させることをも目的とするわけだが)｡</p>
<p>もちろん小難しいこの道具を使わなくても､我々は日常生活で無意識的に他者の身振りなどの模倣によって縮減方法を学び､縮減しているといえる｡しかしいざそれを｢説明｣しようとすると難しい｡そこで､より体系的､論理的､包括的に説明するための科学理論が必要とされるというわけである｡</p>
<p>今回学んだハーバーマスの｢コミュニケーション行為理論｣は､主に社会構造の記述のための道具であるといえる｡そしてその目的には強い規範意識が存在する｡つまり､｢<b>より善い社会のための理論</b>｣という意識である｡</p>
<p>社会秩序はどのような条件によって可能になるのかという問題を｢<b>意思疎通の成立の普遍的条件</b>｣と関連づけ､そこから得られる概念をもとにあるべき社会の姿を考えていこうとする姿勢がハーバーマスには存在する｡</p>
<p>従来の合理性理解は｢<b>道具的合理性</b>｣ばかりに注目してしまい､合理性概念の多様性や柔軟性を見逃してしまっていた｡</p>
<p>合理性の両義性やほかでもありうるという偶発性､柔軟性を指摘することにより､近代化における弊害を乗り越えようという姿勢がハーバーマスにはあった｡また､ほかの学者と議論することにより､｢<b>こうでもありうるかもしれない</b>｣と積極的に考え方を柔軟に採り入れている姿は輝かしく感じた｡それと同時に､人間の能力(コミュニケーション的理性)への｢<b>ほかではありえない</b>｣という強い信頼と期待を感じた｡</p>
<p>システムからものごとを考える､という道具は日常的にも使える｡生活世界からものごとを考える､という道具も日常的にも使える｡後者の場合はエスノメソドロジーなどで特に理解されようとしているものだといえる｡</p>
<p>｢なぜこの場には秩序があるのか､あるいはないのか｣と日常にふと現れる｢<b>ひび割れ</b>｣を通して疑問に思うことはあるはずだ｡システムから考え､生活世界から考え､あるいは両者の関係から考えるというパースペクティブ(視点)が得られることは能力の柔軟性へと確実に寄与しているのではないだろうか｡一つの視点よりも二つの視点で捉えられる方が等価な可能性や選択肢を見つけやすいという意味で柔軟性が高い｡</p>
<p>私は｢<b>社会がどうあるべきか</b>｣を真剣に考える社会学者が好きだ｡ハーバーマスの熱い思いと冷静な分析を見ていくことはとても楽しかった｡</p>
<p>今まで動画で扱ってきたウェーバー､デュルケム､シュッツ､パーソンズ､ルーマンなどの知見が総動員されている内容がハーバーマスの内容だともいえる｡ハーバーマスの社会学が理解できれば､古典的な社会学の内容はほとんど理解できるといっていいかもしれない｡</p>
<p>私が最初に学んだ社会学者はマックス･ウェーバーであった｡</p>
<p>｢倫理的な善悪を原則的に討論可能であり､実践理性の法定に訴えることによってその当否､甲乙の決着をつけることが可能である｣という趣旨をウェーバーは主張していた｡社会学者の中岡成文さんによると､ハーバーマスは｢<i>わたしはウェーバーのような天才ではないですよ</i>｣と言っていたそうだ｡</p>
<p>ウェーバーはこのようにもいっている｡</p>
<p>｢<i>人びとは倫理的に非難すべき行為に直面したとき､その行為を拒絶しながらも､決してそれを他人事とは思わず､自分もまた被造物として同じ過ちをまぬがれないと考えて､倫理の規範に共に従おうとするのであるが､すくなくとも､その限りにおいて､倫理的規範の『普遍妥当性』は人々のあいだに共同体をつくりだすものといえる｡</i>｣</p>
<p>あるいはこのようにもいっている｡「<i>われわれの認識手段が──絶対の観点からすれば──いかに取るに足らない価値しかもたず､いかに弱点だらけのものであるかを弁えるすべを心得､またそのことを日頃つねに自分に言い聞かせている者は､物事というものは必ずわれわれの経験をはみ出すものであり､それを捉えようとする理論はつねに誤謬を犯す可能性があるということを思い知らされたとしても、だからといって認識への努力そのものを放棄しようとは夢にも思わないでしょう｡……君がいま初めて自分に提起されたこの課題をどう解くか､それはもっぱら君自身の問題であり､君の良心と君の知性、君の心が責任を負うべき事柄です｡</i>」(アルフレートへの手紙から引用)</p>
<p>ハーバーマス的に解釈すれば､｢<b>我々</b><b>自身の問題であり､</b><b>我々</b><b>自身の良心と</b><b>我々</b><b>自身の知性､</b><b>我々</b><b>自身の心が責任を負うべき事柄です</b>｣ということになるかもしれない｡</p>
<p>社会問題は孤立した個人においてではなく､諸個人のコミュニケーションにおいて解くべき問題なのである｡もし良心と知性と心に照らし合えば､強制や偽りが社会問題の解き方として正しくないということに気づくはずである､ということになる｡</p>
<p>人間には理性があるはずであり､人を不可避的に配慮してしまう性質があるとする｡すくなくともそうした能力の種はもっていて､話し合えばきっと良い方向に向かうはずだというわけだ｡</p>
<p>その｢理性｣が原初的にいつごろ芽を出したのか､もっといえばいつごろ｢自我｣が芽生えたのか､そうした生物学的な言及も必要かもしれない｡生成論的な視点は置いておいて､静態論的にはどうやらそういう能力をもっているという点からスタートするという考え方もある｡</p>
<p>偶然であれ必然であれ､どういうわけか我々はそういう理性を発達させてきたのであり､その理性を通して社会秩序をなんらかの形で維持し､あるいは破壊してきた｡</p>
<p>ハーバーマスは近代化による社会秩序の歪みを理論的に指摘し､その歪みを｢<b>誰もが従うべきと考える規範</b>｣によって修正しようとした｡具体的には理想的な討議の条件やルールを提示したわけである｡</p>
<h2><span id="toc4">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc5">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc6">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc7">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc8">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc9">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc10">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc11">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc12">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc13">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc14">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc15">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc16">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc17">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(42)】ハーバーマスの｢討議倫理学｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-42-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-42-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 12:45:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[討議倫理学と3つの討議、普遍化原則の意味を簡単に整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-4]【治療法】ハーバーマスの｢討議倫理学｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ハーバーマスにおける｢討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">ハーバーマスの｢理論的討議｣､｢実践的討議｣､｢治療的討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">ハーバーマスの｢討議倫理学｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">ハーバーマスの｢討議倫理学原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">ハーバーマスの｢普遍化原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">ハーバーマスの討議倫理学の問題点とは</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">合意をシステムに反映させる方法について:グンター･トイプナーによる｢実在的接触｣</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">ブルーノ･ラトゥールによる｢事物の議会｣</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc20" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-4]【治療法】ハーバーマスの｢討議倫理学｣</span></h3>
<h4><span id="toc7">ハーバーマスにおける｢討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>行為関連の項目で見てきたように､｢コミュニケーション的行為｣と｢討議｣は違う｡そして｢討議｣と｢論争｣も違う｡</p>
<p>コミュニケーション的行為は基本的に｢妥当性｣が前提となっており､｢妥当性そのもの｣が問われることがない｡Aが｢明日来ると約束する｣と発話し､Bが｢わかった｣というような発話のケースにおいて妥当性そのものは暗黙に提示され､問われていない｡日常生活ではこのような会話が基本なのである｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>討議(独:Diskurs)</strong></span>：</big>通常のコミュニケーション的行為の前提となっている認識や規範が疑問視され､その真理性や正当性自体を議論の対象として行われる特別なタイプのコミュニケーションのこと｡</p>
</div>
<p>討議､論争､討論が翻訳語として混同されることが多い｡たんに相手を打ち負かすことだけを目的とするような意味での論争はハーバーマスの討議とは意味合いが異なる｡あるいは討議のなかにも理想的な討議と､そうではないグラデーションがあるのかもしれない｡</p>
<p>ハーバーマスはコミュニケーション的行為しかできないような能力から､コミュニケーション的行為と討議を使い分ける能力を獲得することを｢<b>発展(進歩)</b>｣と考えている｡</p>
<p>ある規範に疑いが出た場合､支障が出た場合､異議が出た場合などでコミュニケーション的行為から討議へと移行するという意味で､両者は連続的なものだという｡この｢<b>移行可能性</b>｣をどのように現実的に確保するかが重要になる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,247p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),45-46p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">ハーバーマスの｢理論的討議｣､｢実践的討議｣､｢治療的討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6ddbcf7e81f469a2ab182fade18f9112.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5531" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6ddbcf7e81f469a2ab182fade18f9112.png" alt="" width="527" height="240" /></a></p>
<p>討議はどの妥当性のタイプが主要な話題として中心となるかによって､3種類に区別される｡</p>
<p>真理性が問題となるときは理論的討議､正当性が問題となるときは実践的討議､誠実性が問題となるときは治療的討議である｡</p>
<p>たとえば｢日本の総人口は減少しているかどうか｣という事実が問題となったとき､統計データなどの根拠を提出できれば合意を目指すことが可能となる｡</p>
<p>｢死刑は廃止すべきか｣､｢難民受け入れを拡大すべきか｣､｢SNSを規制するべきか｣といった規範に関わる問題では､そうするべき/そうするべきではないと主張できる根拠をそれぞれが提示する必要がある｡たとえば経済的側面において根拠を提示したり､人道的側面において根拠を提示することもあるだろう｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a67f396e8e59b19560f9db9c5eb2fcab.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5532" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a67f396e8e59b19560f9db9c5eb2fcab.png" alt="" width="180" height="199" /></a></p>
<p>治療的討議の場合は､論拠を示して確認することが難しい｡</p>
<p>たとえば｢<i>本当は馬鹿にしたいだけじゃないですか</i>｣と異議申し立てをして､相手が｢<i>そんなつもりではない</i>｣と言ったとしてもそれ自体は証明にならない｡</p>
<p>誠実性は具体的な根拠､言い訳というよりも､<b>発言と矛盾しない行為を継続的に示すこと</b>が重要だという｡ちなみに､批判理論家の虚偽意識の指摘は､治療的討議に近い｡上辺では都合のいいことを言っているが､本当の狙いや機能は違うところにあるのではないかといった具合にである｡</p>
<p>ただしこの場合､本人が意図的に､故意に嘘をついている､不誠実だというより､それが当たり前で自然と思い込まされているという支配性がポイントになる｡</p>
<p>この意味で､ガダマー的な解釈学のニュアンスが強いかもしれない｡本人が語っている以上のこと､意識している以上のことを解釈しようとする試みであるともいえる｡本人は｢なるほど､そうかもしれない｡気をつけよう｡｣と思う場合もあるかもしれない｡</p>
<p>ベイトソンで見たようなダブルバインドに追い込んでいるシステムを批判するのも治療であるといえる｡本人は必ずしも､意図的に相手を追い込んでいるという自覚がないからである｡</p>
<p>ここで私が思い出すのはウェーバーの発言である｡</p>
<p>「<i>『究極の立場』ですって？そんなものは愚にもつかぬおしゃべりのきっかけになるだけですし､センセーションを呼び起こすだけで､なんの役にも立ちません｡それに､なによりもわたしは､長年の経験から､またわたしの原理的に確信するところからして､その問題に関してつぎのように考えております｡ある人間が本当に望んているものが何であるかは､これぞわが『究極の』立場だと称するその人の言い訳からではなく､およそ言抜けを許さぬその時々のまったく具体的な問題にたいして､というところの『究極の』立場からして､その人が実際にどう対処するかによってのみ確かめられるのだ､と｡</i>」(エーリッヒ・トゥルムラー宛てのウェーバーの手紙の内容)</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),46p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">ハーバーマスの｢討議倫理学｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>これで｢討議｣の概念はなんとなく理解できた｡では､｢倫理学｣とはどういう意味か｡</p>
<p>倫理学とは一般に､｢人の生き方､社会のあり方を哲学的に考える学問｣のことである｡｢あるべき生き方､あり方｣を主に｢規範｣という｡たとえば｢人を殺してはいけない｣というのは規範の一種である｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>討議倫理学</b></strong></span>：</big>｢理想的な討議という一定の形式に従ったうえで合意された規範的内容のみが正当であるとみなすべき｣という規範を掲げる倫理学のこと｡</p>
</div>
<p>正当化の形式的な手続きの条件を｢<b>討議倫理学原則</b>｣といい､規範内容の妥当性のテストに関わる条件を｢<b>普遍化原則</b>｣という｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">ハーバーマスの｢討議倫理学原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>討議倫理学原則とは､行為の規範の内容を直接的に規定するものではない｡</p>
<p>たとえば｢対等な立場で全ての当事者が参加する｣､｢参加者は自分の主張を掲げて論証する｣､｢参加者はすべての当事者が同意するような規範のみが正当性を持つ｣といったような形式に関わるものである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">ハーバーマスの｢普遍化原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>普遍化原則とは｢みんなが決める規範は､そこから出てくる影響が誰の利益をも侵害せず､だれにとっても受け入れられるものでなければならない｣という条件を意味する｡</p>
<p>カントの｢<b>定言命法</b>｣にニュアンスは近い｡定言命法とは､人間の行動が自分勝手なものではなく､誰もが従うべきであるような､世の中全体に調和をもたらすような行動の規準(普遍的立法)｣のことである｡｢汝の意思の格率が､常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ｣という言葉で知られている｡</p>
<p>とはいえ､カントの場合は｢<b>個人の思念</b>(反省)｣によってそうした普遍的な規範を捉えるというニュアンスが強い｡一方､ハーバーマスの場合は｢相互関係｣や｢対話｣､｢合意｣を重視する｡</p>
<p>つまり､複数の人々からなる討議によって規範がどうあるべきかを決めようとするのである｡｢<b>独話</b>(モノローグ)｣ではなく｢<b>対話</b>(ダイアローグ)｣が重視されると表現されることがある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,289p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc12">ハーバーマスの討議倫理学の問題点とは</span></h4>
<p>討議倫理学の問題はいくつか挙げられることがある｡たとえば､｢<b>当事者の範囲はどのように決められるか</b>｣が問題になる｡</p>
<p>たとえばある地域に原発を設置するかどうかが問題になったとする｡この場合､当事者は誰だろうか｡建設地の住民だろうか｡それともその電力を使う人達だろうか｡国民全員だろうか｡</p>
<p>また､どのような｢<b>能力</b>｣をもっていれば討議に参加する資格があるのだろうか｡</p>
<p>たとえば言語能力が乏しい子どもや障害者は参加していいのか｡人間以外の動物や植物､あるいは過去の人達の権利や未来の人達の権利についてはどう考えていくのか｡ハーバーマスは｢ロゴス中心主義｣や｢現前性の形而上学｣として批判されることがある(たとえばデリダなどに)｡(特に西洋的な意味での)｢理性｣を用いることのできる人達､それも｢現在｣の人達が中心となってどうあるべきかという規範を決定するものだからである｡</p>
<p>また､しかるべき当事者の範囲がわかったとしても､｢<b>全員が参加する</b>｣ということは現実的には難しい｡たとえばそれが難しいからこそ､日本では直接民主主義ではなく間接民主主義が採用されているのである｡</p>
<p>現実にはさまざまな問題があるが､ハーバーマスはまずは｢<b>理想</b>｣を(反事実的に)設定することを重要だと考えている｡現実的にどのように理想に近づけていくのか､というのは次の段階で考えることであるというわけだ｡たとえばハーバーマスと立場が近いドイツの哲学者であるアーペルは現実を考えて､｢仮想の相手の立場を考える｣といった｢思考実験｣を許容するといった考え方をしている｡一方で､ハーバーマスはまずは理想を整えることに重きを置き､例外や妥協をまずは隅に置く｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,228-234p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc13">合意をシステムに反映させる方法について:グンター･トイプナーによる｢実在的接触｣</span></h4>
<p>生活世界において､言語的コミュニケーションである討議を通してなんらかの規範が合意されたとする｡合意されるだけで､社会が変わるわけではない｡</p>
<p>たとえば経済システムの不健全性をなんとかすべきであると同意されたとして､ではどうやって変化させるのかという問題が生じる｡</p>
<p>システムと生活世界はお互い自律しており､直接的なコミュニケーションをとることはできないのである｡</p>
<p>我々の呼吸のあり方が､自動販売機における売買のあり方に影響を与えていないのと同じである｡言語ではなく､貨幣を入れるという作動を通してしか経済システムに直接的な影響を与えることができないのである｡</p>
<p>システムと生活世界はお互い自律しており､直接的なコミュニケーションをとることはできないのである｡</p>
<p>我々の呼吸のあり方が､自動販売機における売買のあり方に影響を与えていないのと同じである｡言語ではなく､貨幣を入れるという作動を通してしか経済システムに直接的な影響を与えることができないのである｡</p>
<p>そこで､ハーバーマスは｢<b>法</b>｣に注目する｡法は生活世界の言語的合意を､制度化されたルールへと変換する｢<b>媒介装置</b>｣の役割をもっているという｡討議､世論形成､政治的意志の形成､法律の形成､そして行政や経済への影響といった通路が考えられているのである｡</p>
<p>たとえば社会システム理論家のグンター･トイプナーは､法システムと経済･政治･教育･家族などの各システムとの間に実在的接触が可能であるということを認めているという｡</p>
<p>実在的接触でポイントなのは､同じ出来事で､別々のルールに基づいた異なるシステムが同時的に接触するという点である｡</p>
<p>たとえば環境汚染という出来事に､経済は｢企業活動｣､法は｢違法行為かどうかを判断｣といったように同時的に接触するとするようなイメージである｡たとえるならシステムは混ざり合うわけではなく､交差点でぶつかるといったイメージだろう(同じ出来事をそれぞれのシステムが同時的に観察する)｡</p>
<p>ハーバーマスの文脈で考えると､意図的に実在的接触を起こすことで異なるシステムに影響を与えようとしているのであり､特に｢法｣は交差点でぶつけやすいということになる｡</p>
<p>とはいえ､たとえば環境問題を法で解決しようとしても､企業は国外に工場を移転させたりするといったように柔軟に対処されてしまうケースが存在する(たとえばカーボンリーケージ｡法を国単位ではなく世界単位で縛ることは現実的には難しい)｡</p>
<p>システムはあくまでも生活世界に根ざしていなければならず､遊離してはならないというのがハーバーマスの基本的な主張である｡</p>
<p>直接コントロールできないにせよ､｢人々の理想的な討議による合意に基づく異議申し立て｣がシステムにある程度影響を与えることができる必要があるというわけだ｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,248-250p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">ブルーノ･ラトゥールによる｢事物の議会｣</span></h4>
<p>個人的にはフランスの社会学者であるブルーノ･ラトゥールが｢<b>事物の議会</b>｣を創出するべきだと主張していたことがハーバーマスとの関連では重要になると考える｡</p>
<p>たとえば1997年の京都会議では､｢政治家と科学者､実業家と戦闘的な人々が同じ集会のベンチに座っていた｣という点が評価されている｡それぞれの分野で分離して対話するのではなく､一つの場所で対話することで生じる秩序に期待しているのだと言える｡こうした分野横断的な組織における対話による合意によって､社会(世界)の全体に関わる課題に取り組むことができるのではないかというわけです｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣227-228p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc15">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc16">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc18">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc19">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc20">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc21">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc22">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc23">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc24">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc25">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc26">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc27">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc28">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-42-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(41)】家族､マスメディア､異議申し立て</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-41-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 12:25:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[ハーバーマスが語る「社会の歪み」を治すための3つの処方箋]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-3" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-3">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-3]【治療法】家族､マスメディア､異議申し立て</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">生活世界の植民地化から抜け出すための３つの対処法</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">【1】ハーバーマスの｢家族における社会化｣とは</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">【2】ハーバーマスの｢マスメディア｣とは</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">【3】ハーバーマスの｢異議申し立て｣とは</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-3]【治療法】家族､マスメディア､異議申し立て</span></h3>
<h4><span id="toc7">生活世界の植民地化から抜け出すための３つの対処法</span></h4>
<p>1981年の『コミュニケーション的行為の理論』において､ハーバーマスは｢生活世界の植民地化｣におけるネガティブな側面をどのように解決するか､その展望を3つの側面にわけて説明している｡</p>
<p>※ちなみに討議倫理は1983年や1991年､法の役割については1992年であり､ここでは扱われていない(このあと少しとりあげる)｡</p>
<p>3つの側面とは､｢<b>家族における社会化</b>｣､｢<b>マスメディア</b>｣､｢<b>異議申し立ての潜在力</b>｣だという｡</p>
<p>これらはコミュニケーション的合理性を高める可能性として考えられているが､同時に､非合理性に傾く可能性をもっているということに注意する必要があるという｡なにごとにも両義性があると考えるセンスが必要になる｡また､ルーマン的にいえばいずれかの具体的な方法に固執するのではなく､常にほかであり得るという偶発性(コンティンジェンシー)のセンスを考慮する必要があるといえるだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,179p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">【1】ハーバーマスの｢家族における社会化｣とは</span></h4>
<p>まず､｢家族における社会化｣とはどういうことか｡</p>
<p>ハーバーマスによると､批判理論の第一世代では､家族における社会化はネガティブに捉えられていたという｡｢家族は労働の外にあり､愛や安心の場所だ､防波堤だ｣という見方そのものが実は資本主義社会を支える考え方の一部にすぎないと彼らは批判する｡</p>
<p>癒やしの場があることで外の社会の過酷さが問題視されにくくなったり､労働力を再生産する場所としての機能が進んでいくことが問題視されにくくなる｡</p>
<p>いわゆる｢<b>虚偽意識</b>｣だということになる｡社会的支配関係を正当化するような認識を､自然で正しいものだと信じ込んでしまう状態のことである｡</p>
<p>ハーバーマスも､こうした虚偽意識があることは否定していない｡しかし､経済システム的な侵食から家族の成員を守るという機能が家族にないわけではないという｡</p>
<p>また､近代化が進むにつれて､家族のあり方も変化してきたという｡たとえば父親の権威が絶対ではなくなり､より対等になってきている｡家族単位ではなく個人単位の交流が増え､家庭教育もリベラルになってきたという(上から価値観を押しつけるのではなく､子どもの自律､尊重を重んじる)｡</p>
<p>こうした新しい家族のあり方は､他者との意思疎通をより円滑にするような自我形成の機能をもつという｡つまり､コミュニケーション的理性を育む場所としても機能するというわけである｡</p>
<p>実際､家族の民主化が進むにつれて､ヒステリーや強迫神経症は減っていったとハーバーマスはいう｡しかし､ナルシズムや神経過敏､思春期問題の先鋭化などの別の問題が生じてきているともいう｡こうした新たな問題は､親の態度が一貫していないことにある可能性をハーバーマスは指摘する｡たとえば｢<i>勉強するかどうか自由にしなさい</i>｣と口では言いながら､勉強しないと不機嫌な態度をとるといったイメージだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,179-180p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">【2】ハーバーマスの｢マスメディア｣とは</span></h4>
<p>２つ目の側面である｢マスメディア｣とは､どういうことか｡</p>
<p>まず､第一世代の批判理論家はマスメディアの発達に関して否定的だったという｡昔のような真剣な公共的議論は､現代の画一的で中身の薄いマスメディアによって失われたと考えられている｡</p>
<p>実際､ハーバーマスも『公共性の構造転換』(1962)において､市民はサロンやカフェ､新聞･雑誌などを通じて公開の場で批判的な討論を行い､社会的合意を形成していたが､現代社会ではそうしたあり方が忘れ去られていると指摘していた｡</p>
<p>ハーバーマスは｢メディア｣という概念を２つの意味で使い分けている｡</p>
<p>まずは､システムにおける｢<b>制御メディア</b>｣である｡たとえば経済システムにおいては｢貨幣｣､政治システムにおいては｢権力｣が制御メディアとなる｡生活世界のコミュニケーションにおいて､対話(言語)ではなく貨幣というメディアを通した売買が行為調整の代わりとなることを｢生活世界の技術化｣と表現することは先程学んだ｡</p>
<p>一方で､｢マスメディア｣はシステムの制御メディアではない｡ハーバーマスによればマスメディアとは｢<b>コミュニケーションの一般化された形態</b>｣だという｡</p>
<p>言語による特定の意思疎通を｢不要｣にする､取って代わってしまう制御メディアではなく､｢<b>集約</b>｣しているという｡それゆえに生活世界の文脈から離れていないという｡日常生活におけるコミュニケーションの一般化されたものというニュアンスが強いというわけだ｡</p>
<p>とはいえ､マスメディアは単に生活世界におけるコミュニケーションを集約する存在ではない｡社会心理学で前回(1ワード社会心理学第十三回の動画)学んだように､意図せずとも情報が偏ってしまうこと､中立的ではなくなってしまうことがありうる｡</p>
<p>スポンサーに配慮したり､特定の利益団体､権力団体に配慮して意図的に偏りをもたせる場合もありうる｡</p>
<p>ハーバーマスはそれでも､｢<b>責任能力のある行為者が断固たる態度で介入し､抗議すればマスメディアの方もそれを回避し続けることはできない</b>｣と主張する｡</p>
<p>たしかに､｢オールドメディアは偏向報道をしている｣と客観的な事実に伴う証拠をつきつけられ続ければ､メディア側も視聴者が減っていては維持できず､できるだけ中立的な報道､要約的な報道へと指向せざるをえないかもしれない｡</p>
<p>とはいえ､偏向報道かどうかを判断できる情報源へのアクセス能力や､その判断能力が備わったものがどれだけいるかという問題もあるだろう｡</p>
<p>事実かどうかはわからないが､｢インフルエンサーが批判しているから正しい｣といったような非合理的な根拠に基づく批判や合意が加速することをハーバーマスならよしとはしないといえる｡とはいえ､インターネットにおけるニューメディアが､新たな生活世界の要約的なメディア､公共圏として機能しうる両義性を指摘するかもしれない｡</p>
<p>そもそも､マスメディアは生活世界においてどのような機能をもっているのだろうか｡</p>
<p>ハーバーマスにおいて､メディア(コミュニケーション･メディア)の最も基本的な機能は｢<b>コミュニケーション行為の負担軽減</b>｣だという｡行為調整(社会統合)のなかでも､とくに｢負担の軽減｣に重点が置かれているということになる｡</p>
<p>われわれは｢普通はこういう意図だ｣､｢普通はこうする｣という日常知を無意識的に､身体知のレベルで学習していることが多い｡</p>
<p>例えば｢電車では目線を合わせない｣というマナーを私は誰かに直接的に教わったことはない｡しかし誰もがやっているから､そうするものなのだろうと自然とやっているのである｡あるいは｢じっとみられて嫌だった｣という他者の体験を対話で聞いたりして知っていくものであるともいえる｡</p>
<p>そしてそうした日常知は生活世界に蓄積されているものであり､間主観的に自明なものとして共有されてきたものが多い｡</p>
<p>その場その場で我々がどうすべきか逐一考えたり､対話によって合意しているわけではない｡こうした事態を｢<b>コンセンサス(了解)の前貸し</b>｣という｡我々がそういうものだと合意して決めたのではなく､｢そういうことにどうやら昔からなっている｣というタイプのものである｡</p>
<p>しかし近代化が進むにつれて､価値観は多様になっていく｡｢あたりまえ｣があたりまえではなくなっていく事態が増えていくのである｡</p>
<p>たとえば｢結婚して当たり前､異性のカップルが当たり前､終身雇用が当たり前､出社することが当たり前､男は外で働くことが当たり前､正月は神社が当たり前､テレビで情報を得ることが当たり前､和食が当たり前｣といったような価値観は古くなりつつある｡</p>
<p>｢コンセンサスの前貸し｣は素朴な前提であり､行為者自身が自分で内省したり､批判的に考えるといった機会は少ない｡</p>
<p>近代化によって真善美が分離し､価値観が多様化したことでコンセンサスの不成立のリスクが増加していくが､しかし｢<b>自分で考える能力</b>｣､すなわちコミュニケーション的理性も発展していくことをハーバーマスはポジティブに捉えている｡伝統だから､権威ある人がいうから､オピニオンリーダーがいうから､友だちがいうから､みんながしているからで単に前提としない時代であり､対話によって決めていこうというわけだ｡</p>
<p>とはいえ､細かいことまでいちいち対話で決めていては日常生活がままならない｡そこで､過剰な負担を軽減するためにコミュニケーション･メディアが機能するというわけである｡いわば最低限のマナーなどの範囲を我々はそこで知ることができる｡もちろんその範囲にたいして批判し､新たな合意を要約させるといったことも可能になるのだろう｡</p>
<p>電車のマナーを特集したり､人々の声を取材したりすることで､人々の価値観を我々は知ることができる｡一般書籍､新聞､ラジオ､テレビ､インターネットにおけるニュースサイトなどもマスメディアである｡</p>
<p>ときには｢こうあるべきだ｣とマスメディアの専門家が要約以上のことを述べることもある｡あるいは偏向報道の可能性もある｡</p>
<p>しかし､<b>潜在的にはマスメディアに対して批判可能</b>だとハーバーマスはいう｡一方で､｢制御メディア｣を通した作動はなかなか批判しにくい｡</p>
<p>たとえば｢<i>なぜこんなにある製品の市場価格が下がったのか､上がったのか</i>｣と､我々は何にむけて批判すればいいのだろうか｡ある会社の社長だろうか､社員だろうか､原材料を生産する会社だろうか､あるいは戦争だろうか､あるいは自分たちの日々の営みだろうか､あるいはそれら全てだろうか｡</p>
<p>システム全体を批判するにしても､システムが｢わかった､ちゃんとする｣と返事をするわけではない｡システムにおける作動は､戦略的行為よりもより一層批判しにくい性質をもっているといえる｡意図せざる創発的な結果として生じていることが多く､責任も分散せざるをえないのだろう(責任をとる中心が存在しない｡政治は批判の受け皿にすぎない｡)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,183p</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),52-54p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">【3】ハーバーマスの｢異議申し立て｣とは</span></h4>
<p>そして第三に､｢<b>異議申し立て</b>｣である｡</p>
<p>異議申し立てとはようするに､不健全な生活世界の植民地化のあり方に対して批判する行動のことである｡</p>
<p>生活世界からシステム世界への越境に対する抵抗､変革ということになる｡</p>
<p>ハーバーマスは異議申し立ての種類について､伝統的なものをただ守ろうとしているだけの｢<b>退却的な要素</b>｣と､コミュニケーション的理性の領域を守ろうとしている｢<b>解放的な要素</b>｣に区別している｡</p>
<p>退却的な要素とは､たとえば合理的な根拠､熟慮無しに､ただ昔からそうだという理由で従来の家族観､学校観､経済観､宗教観を保守したり､戻ろうと異議申し立てする立場である｡単に自分が損をするからと税制に不満をいう場合もこのケースだろう｡</p>
<p>解放的な異議申し立てとして､ハーバーマスは｢環境運動や平和運動｣をテーマとする青少年運動やオルタナティブ(対案提出)の運動の例をあげている｡</p>
<p>1997年のアメリカのSF映画で『ガタガ』という作品があった｡人類は人工授精と遺伝子操作によって､優れた能力をもった｢適正者｣とそうではない｢不適正者｣に区別されるというストーリーである｡遺伝子だけで就職の成否が決まるような世界である｡</p>
<p>たとえば技術の発展によって遺伝子が資本を稼ぐ能力に特化して類別されるとすれば､生殖という生活世界の領域にシステム領域が過度に侵食しているということになる｡</p>
<p>こんな話ありえないだろうと思う人もいるだろうが､技術的にそういう世界もありうる世界に私たちはすでに住んでいるのかもしれない｡人びとがコミュニケーション的合理性を失い､道具的合理性ばかりが発達した世界において､そうした技術を批判する人が少なくなる可能性がありうる｡</p>
<p>たとえばAIが仮に生活世界にとって悪いものだとしても､それを使わない国は周りの国に置いていかれる｡資本主義を採用しない国が置いていかれるようにである｡</p>
<p>遺伝子操作を強行的に使う国が出てこないといいきれないのである｡そして一度使われれば周りの国も使うようになり始める｡核兵器すら使うような世界において､｢<b>そんな非道徳的なことはしないだろう</b>｣と素朴に我々は信頼することができなくなってしまっている｡もはやわれわれの良心や意識といったもので｢制御｣できるような世界ではないのかもしれない｡あるいは良心や愛すらもシステムに予想され､柔軟に利用されるのかもしれない(自分の国民を愛するゆえに核兵器を使うように)｡</p>
<p>我々は自由に意識によって選択しているようにみえて､実は外堀を埋められ､主体的に選択せざるをえないようにされている可能性がある｡我々は資本主義も､核も､AIも､そして原発も簡単には放棄できない｡どんなに遠い危険が未来に待っていたとしても､近い未来に具体的な危険を回避するほうが先なのである｡</p>
<p>我々は環境運動家に対してやかましいと感じ､アフリカの飢餓の募金に対して知ったことかと構えがちである｡そんなことより自分の未来の確保であり､大事な人への援助であり､そして自分の国民への援助だというわけである｡短期的な弧をとらえることを倫理的に責めることは難しい｡</p>
<p>選挙において我々は自発的､主体的､熟慮的に選択しているつもりになっている｡しかしあらかじめ用意された乏しい選択肢の中から選ぶ作業はほんとうに熟慮的だといえるだろうか｡また､選ぶ情報はほんとうに全て公開されているのだろうか｡</p>
<p>何が獲得すべき情報かについて我々はそもそも理解できているのか｡選挙における選択が合理的な根拠に基づくものではなく､システム的な処理､単に権力側が用意した形式的な支持システムとなっていないといいきれるだろうか｡我々は趣味や恋人､進学先をほんとうに主体的に選んでいるのだろうか｡</p>
<p>フーコーは支配のあり方を､自ら主体的に支配を受けるようにするタイプとして語った｡支配するものが見ていなくても､自ら服従し､それを自由だとすら感じさせるような支配である｡</p>
<p>リオタールが､システムへの反抗もシステムにすでに予想されており､また柔軟に利用､対応されていると悲観したこととも関連している｡</p>
<p>きっと誰かが､どこかで反抗しているのだから､世界のシステムは暴走しないだろうと我々は安心してはいないだろうか｡そして反抗している人がどんな意図をもっているかについて､我々は理解しているだろうか｡</p>
<p>たとえば芸能人の不祥事ばかりがフォーカスされることがある｡ある領域への過剰な批判が意図的にフォーカスされ､他の批判が隠されている可能性がないといいきれるだろうか｡</p>
<p>ある具体的な反抗が過剰に可視化されることによって､別の本質的に反抗するべきもの､反抗されたくない核心が隠蔽化される可能性はないだろうか｡</p>
<p>あるいはそうした核心すらない､ルーマン的にいえばシステムの中心という､誰かを破壊すれば､システムのどこかを破壊すれば全てが崩壊するというような｢敵｣はいないという可能性はないだろうか｡それぞれがそれぞれのルールで利己的に動いているだけで､全体を制御する支配者などいないのではないだろうか｡</p>
<p>たとえば大統領を倒しても､別の大統領が代わるだけである｡ある会社を倒しても､別の会社が役割を引き継ぐだけである｡倒すべき相手がもしシステムだとすれば､それは一種の自己破壊なのかもしれない(システムの外に立てると思い込みがちである)｡</p>
<p>しかし修正する方法が一切ないとは思いたくない｡ハーバーマスのような希望はもっていたい｡そしてその希望はできるだけ理論的な根拠に基づき､独断ではなく､合意形成的なものでもありたい｡決断主義的だったり､単に非合理的であったりするだけでは危険であるという直観は理解できる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,184p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc11">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc12">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc13">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc14">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc15">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc16">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc17">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc18">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc19">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc20">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc21">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc22">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc23">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc24">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-41-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(40)】ハーバーマスの｢体系的に歪められたコミュニケーション｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-40-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 12:04:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[ハーバーマスの「体系的に歪められたコミュニケーション」とベイトソンの「ダブルバインド」の共通点とは。人間関係の歪みが精神に与える影響を、社会学の知見からシンプルに紐解きます。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-2]【病原】ベイトソンの｢ダブルバインド｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ハーバーマスの｢体系的に歪められたコミュニケーション｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">グレゴリー・ベイトソンの｢ダブルバインド｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc14" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-2]【病原】ベイトソンの｢ダブルバインド｣</span></h3>
<h4><span id="toc7">ハーバーマスの｢体系的に歪められたコミュニケーション｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>体系的に歪められたコミュニケーション</strong></span>：</big>表面上は了解が成立しているように見えるが､実際には隠された力関係や操作によって自由で対等なコミュニケーションが歪められている状態のこと｡ハーバーマスの概念｡</p>
</div>
<p>言語行為論の項目で､コミュニケーション的行為と戦略的行為の区別は諸個人の内心に依存することを我々は見てきた｡</p>
<p>たとえば｢<i>自由に意見を出してください</i>｣と上司が部下に言った場合､上司はいったいどんな意図を実際にもっているのだろうか｡｢本当に出してきたら冷遇するぞ､黙って言われたことに従え｡あくまでも周りに善い上司だと思われることをこっちは目的としているだけだ｡言葉通りに解釈するんじゃないぞ｡｣と思っているかもしれない｡あるいは言葉通りに､本当に自由に意見を求めているだけかもしれない｡我々は日常において､言語外の慣習､態度､発話者の性格などによってそれを察しようと努めるのである｡</p>
<p>部下は上司に､｢<i>それはほんとうはどういう意味ですか</i>｣と問うことは難しい｡上司は｢<i>文字どおりだよ</i>｣と弁明できるからであり､またそのように質問することは失礼にあたることがある｡</p>
<p>もし部下が文字どおりに解釈し､自由な意見を出して上司のアイデアを批判したとする｡その結果､上司は嫌な顔をして､部下を冷遇しはじめるかもしれない｡部下は｢<b>言っていることとやっていることが違う</b>｣と思うだろう｡しかもそれを部下は権力関係のせいで簡単に指摘(批判)できないのである｡コミュニケーションが歪んでいると､人間の精神も歪む可能性があるとハーバーマスは考える｡</p>
<p>たとえば隠れた意図で他者を操作しようとしたり､情報を他者に与えずに操作しようとしたり､権力で他者を操作しようとしたりする人がいる｡専門的な権威や難解な用語で他者を操作しようとしたり､選択肢を制限したりする人もいる｡</p>
<p>戦略的行為は批判可能性がないことに特徴があり､コミュニケーション的行為は批判可能性があることに特徴があったことを思い出すとわかりやすい｡<b>コミュニケーションの歪みは戦略的行為において生じやすい</b>というわけだ｡</p>
<p>コミュニケーションが歪んでいるかどうか､聞き手は言葉だけではわからない｡行為や態度との違いなどで感じ取ることができるだけである｡</p>
<p>また､話し手すら｢自分が歪めている｣という意識がないかもしれない｡受け手も歪められていると顕在的に意識できるかどうかわからない｡自分も戦略的行為をする側であり､｢そういうものだから｣と自然に操作し合うのかもしれない(たとえば上司に対して思ってもいないことを言うなど｡上司もまたモラハラなどと言われるから指摘しにくい｡)｡｢そうすることが効率の良いものだから｣と戦略的行為を学習するようになると､もはや明確に意識されなくなってくることがありうる｡画家が顔の描き方を逐一意識しないのとも似ている｡</p>
<p>巷では人をコントロールするためのハウツー本がベストセラーになることもある｡本心でどう思ってるかどうかではなく､他者にどう思われるかが中心となっていく｡他者をコントロールできる言葉選びや態度のあり方が学習されていくのである｡</p>
<p>本心から､対等に意思疎通をする機会は公共の場においてはめったにないのかもしれない｡私的な場においてすら難しくなっているかもしれない｡内は内､他所は他所と完全に分離した志向を人間は維持できず､他所における態度は内における態度に越境してくるのではないだろうか｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢クロニクル社会学｣,有斐閣アルマ,第一六刷,143p</p>
<p>｢クロニクル社会学｣,有斐閣アルマ,第一六刷,148p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">グレゴリー・ベイトソンの｢ダブルバインド｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6574113f3ede52d7a11b310ee31b56de.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5523" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6574113f3ede52d7a11b310ee31b56de.png" alt="" width="118" height="229" /></a></p>
<p>ここで私が思い出すのは､人類学者であるグレゴリー･ベイトソンの｢ダブルバインド｣である｡</p>
<p>※ちなみにルーマンはベイトソンの影響を受けているという点が個人的なポイントではある｡ハーバーマスが参照しているかどうかは分からないが､ルーマンの主張を十分に検討しているハーバーマスならば､ベイトソンの主張を理解していてもおかしくはない｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>ダブルバインド</strong></span>：</big>同じ関係の中で､互いに矛盾する命令やメッセージを同時に受け取り､しかもその矛盾を指摘したり関係から逃れたりすることが禁止されている状況のこと｡</p>
</div>
<p>たとえば親と子がいるとする｡親が子どもを罰して､｢これを罰と考えてはならない｣､｢私を処罰する人間とは思ってはいけない｣､｢この罰におとなしく屈してはならない｣というメッセージを言葉や身振りで伝えるケースなどである｡</p>
<p>要件は以下の４つに主にまとめることができる(詳細は別の機会で扱う)｡</p>
<p>第一に､１人以上の人間が存在すること｡第二に､くり返されること｡第三に､禁止命令が存在すること｡第四に､より抽象的なレベルで第一の命令と衝突するような第二の命令が存在することである｡</p>
<p>たとえば親の命令に従ってもだめであり､従わなくてもだめという状況で子どもはおかしくなってしまう(もちろん､遺伝的な影響がまったくないとベイトソンが述べているわけではなく､全てを遺伝のせいにではできないと述べているのである)｡この病気は｢<b>分裂精神病</b>(現在でいう統合失調症)｣と呼ばれている｡</p>
<p>親は口では｢<i>これは罰ではない</i>｣と言いながら､態度では無視したり､暴力をふるったりするのである｡あるいは｢<i>愛しているよ</i>｣と言いながら､身体に触れられるのを避けるような身振りをするのである｡</p>
<p>そうして子どもは論理階型を区別しなくなるように｢<b>学習</b>｣してしまうのである｡｢言っていることとやっていることが違う｣といった論理階型の区別ができなくなり､比喩や冗談を理解できなくなる｡</p>
<p>親からすれば､子どもは｢おかしくなってしまった｡なんらかの病気が(自分とは関係なく)生じた｣ということになる｡R.D.レインやフーコーの｢<b>狂気</b>｣とも重なる話である｡会社なら退職すればいいかもしれないが､しかし現実的に退職する行為は勇気がいる｡</p>
<p>子どもは｢<i>いったいそれはどういう意図なのか｡あなたは言ってることとやっていることが違う</i>｣と言えない｡もしそれを言ってしまえば親を非難することになってしまうからである｡非難したところで｢<i>そんなつもりはなかった､あなたを愛しているのよ</i>｣とかわされてしまうかもしれない(しかし態度は変わらないままである)｡</p>
<p>矛盾を指摘したり非難することもできず､その場から逃げ出すこともできない｡命令に従っても態度で｢それは違う｣と言われ､従わなくても親から｢言うことを聞けない子だ｣と非難されてしまう｡もうどうすることもできないような状況に陥るのである｡権力(親子関係)によって歪んだコミュニケーションの例だといえる｡</p>
<p>ベイトソンいわく､｢<b>分裂病の人間</b>｣などというものはどこにも存在しないそうだ｡あるのは｢<b>分裂病的システム</b>｣だという｡｢怒りっぽい性格｣なども同様に存在せず､人と人との間､関係の中で創発的に帯びる性質であるということになる｡人格や意識といった要素の実在論的な歪みではなく､要素同士の関係性の歪みなのである｡</p>
<p>システムが歪んでいるから､人間も歪むというわけである｡近代化に伴い核家族が増え､矛盾の状態を指摘してくれたり､子どもを守ってくれる人間が減っていることも関連しているのだろう｡信頼が生活世界のベースになければ近所付き合いも減っていくのであり､気軽に話しかけると不審者扱いされる可能性すらある(隠れた意図が怖い)｡</p>
<p>ベイトソンは以下のように目的的な合理性について語っている｡</p>
<p>｢芸術､宗教､夢その他の現象の助けを借りない､単に目的的な合理性は､いずれはかならず病に至り､生を破壊してしまう｡(……)生というものは､人間の意のままにならぬさまざまな回路が複雑に絡みあって成り立っている｡だが人間の目的心は､それらの回路のなかのごく短い弧の部分しかたどることができない｡意識に見えるのは回路の一部でしかないのだ｡目的合理性が破壊的なのはそのためである｡<i>このように､我々が生きている世界とは､循環するさまざまな回路からなる世界なのだ｡そしてそこで愛が生き続けるためには､叡智(すなわち､循環という事実を認識すること)の声を響かせなくてはならないのだ｡</i>｣</p>
<p>グレゴリー･ベイトソン『原初的芸術のスタイル･グレイス･インフォメーション』(1967)</p>
<p>たとえばDDT(強力な殺虫作用をもつ有機塩素系化合物)の使用は目的合理的行為(道具的行為)の典型例である｡人間は自然を思い通りに制御､支配､操作しようと試みたのである｡</p>
<p>しかし自然はさまざまなシステムが複雑に関わっており､人間はそのすべてを計算することは困難である｡毒にやられた虫を食べた鳥が死ぬだけでは済まない｡問題はより広範囲に波及するのである｡そして殺虫剤によって食糧が増え､人口が爆発的に増大した結果､世界はどうなるのか｡そこまで予測することは本当に可能なのだろうか｡</p>
<p>まず大前提として､｢認識枠組み(エピステモロジー)｣の誤りそれ自体はそこまで問題ではないという｡</p>
<p>たとえば､｢目的意識｣という認識枠組みは誤りであるかもしれない｡しかし過去百万年間も続いてきたとされ､産業革命以前までは大きな帰結をもたらす可能性はそれほど高くなかったという｡</p>
<p>誤った認識枠組みがなぜ現代において｢<b>危機</b>｣なのかというと､産業革命以降､｢<b>高いテクノロジー</b>｣との組み合わせが生じてきたからである｡</p>
<p>もしテクノロジーがそれほど発展していなければ､戦争で特定の国家が壊滅的に滅んだりすることはあるかもしれないが､核戦争で全生物が死滅するほどの危機や生態系が壊滅する可能性は非常に低いだろう｡しかしテクノロジーが発展していればそうした危機が現実味を帯びてきている｡｢人々の性格がずる賢くなっている､利益重視になっているから治しましょう｣という単なる道徳的､倫理的な話､学校でするような｢平和的で対等な仲良しグループになりましょう｣という話でもない｡｢<b>これからこの世界が維持できるかどうか</b>｣という深刻な話なのである｡</p>
<p>｢<i>自分たち自身の捉え方も､他人の捉え方も､とにかく思考の全体を組み立て直さなくてはならない｡これは面白がっていられることではない｡</i>｣､｢<i>自分たちと自然界との関係をこんなふうに捉えているものが､高度なテクノロジーを手にしたとしたら､それが生き続けていく可能性は地獄の雪玉ほどのものでしょう｡</i>｣とベイトソンは強く主張している｡</p>
<p>ベイトソンは危機の根を｢３つの原因｣にまとめている｡</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">テクノロジーの進展</li>
<li class="sample">人口増加</li>
<li class="sample">西洋文化の思考のあり方と世界に対する姿勢(アティチュード)の誤り</li>
</ol>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/14be9542a006b4f104522ff16d10e1fd.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5524" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/14be9542a006b4f104522ff16d10e1fd.png" alt="" width="451" height="487" /></a></p>
<p>図にするとこのようになる｡</p>
<p>それぞれの原因は相互作用関係にあり､それぞれは独自に自己促進的な増加を生じさせ､さらにそれぞれの原因の増加を強化するような仕組みになっている｡いわゆる負の連鎖である｡</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">人口の増加はテクノロジーを増加させ､人々の不遜を増加させる</li>
<li class="sample">テクノロジーの増加は人口を増加させ､人々の不遜を増加させる｡</li>
<li class="sample">人々の不遜(悪い認識枠組み)の増加はテクノロジーを増加させ､人口を増加させる｡</li>
</ol>
<p>それでは､こうした諸問題､｢病原｣を治療するためにはいかなる手段が可能なのだろうか｡</p>
<p>人口の増大やテクノロジーの増大を直接的に減少させることは難しいという｡人口を適切な量に維持したり､テクノロジーの方向を改善させるためには､｢不遜な認識論｣､つまり｢悪い認識論｣を｢正しい認識論｣に改善していく必要があるということになる｡</p>
<p>しかし､認識論を変えるというのはわれわれが想像する以上に難しいという｡｢怒りっぽい性格｣を変えるというような一部の､表面的なものの変革だけではなく､もっと｢<b>根底的な変化</b>｣である｡ベイトソンの用語でいえば学習２や学習３に相当するものである｡クーンでいえばパラダイムシフトにあたるものであり､デュルケムでいえば集合的沸騰が極大にまで達するときに変化するイメージだろう｡</p>
<p>認識論の変化は､｢戦略的行為中心の見方から､コミュニケーション的行為中心の見方へ｣とハーバーマス的にいえば理解できるのかもしれない｡</p>
<p>また､単に｢<b>意識を変えれば世界はなんとかなる</b>｣と考えるだけではなく､｢<b>現実的にどうするのか</b>｣という問題が存在する｡たとえばハーバーマスの場合は後で扱うように､｢(理想的な討議のための)法の整備｣などを提案している｡</p>
<p>｢対話でなんとかなる｣､｢認識論の変化でなんとかなる｣というだけではなく､理想と現実を織り合わせる必要がある｡そのためには理想と現実の両方に精通する必要がある｡</p>
<p>ウェーバーでいえば冷たさと温かさを同時に備え持つような不可能とも思えることを成し遂げなければならない｡社会学者はいわば｢<b>天使</b>｣にならなければならないのかもしれない｡あるいはマキャベリの君主論とも共通するものかもしれない(愛や誠実性だけを君主が備えていても､統治は上手くいかない｡)｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/04/24/durkheim-7-14/">【基礎社会学第三九回(14)】【コラム】｢来たるべき社会とその聖｣をベイトソンから考える</a></p>
<h2><span id="toc9">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc10">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc11">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc12">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc13">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc15">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc16">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc17">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc18">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc19">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc20">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc21">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc22">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>宮﨑駿の「出発点(1979~1996)」についてのまとめ</title>
		<link>https://souzouhou.com/2016/03/09/%e5%ae%ae%ef%a8%91%e9%a7%bf%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%87%ba%e7%99%ba%e7%82%b919791996%e3%80%8d%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%81/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Mar 2016 12:31:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[スタジオジブリ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[目次 宮﨑駿の「出発点」について要約失われた世界への郷愁について(42~51頁)失われた世界の憧れとしてアニメがあるアニメをつくる姿勢についてリアリズムについてギャグについて作品を作るにさいして何が一番大事か発想からフィ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">宮﨑駿の「出発点」について</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">要約</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">失われた世界への郷愁について(42~51頁)</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">失われた世界の憧れとしてアニメがある</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">アニメをつくる姿勢について</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">リアリズムについて</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">ギャグについて</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">作品を作るにさいして何が一番大事か</a></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">発想からフィルムまで(52~77頁)</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">発想</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">演出</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">脚本</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">主題と脚本と発想について</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">漫画映画の面白さ</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">宮﨑駿の原点(77~86頁)</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">子どもたちに”励まし&#8221;となる映画を作りたい</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">自分のやりたいことを作品に反映させるためには</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="sample2"><span id="toc1">宮﨑駿の「出発点」について</span></h2>
<p>６００ページほどの長い本のなかで、私が気になった箇所をピックアップして紹介（要約）していくいくことにする。</p>
<p>アニメについて書かれている本ではあるが、「創造」に関する本としても読むことができる。「創る」ということはどういうことかについてこの本は我々に教えてくれる。</p>
<blockquote>
<p>　日常の仕事の中で、御都合主義の話に、ちょっぴり真実味を付け加えたり、カラッポな人間像に、かすかな息吹を吹き込むことだってできる。汚い絵になるところを、とるに足らない程度であっても、ましな画面にしていくこともできる。そして、相手が油断して、スキができるのを狙いつづけるのだ。</p>
<p>　言い訳をやめて、日常的に努力している者にだけ、そのスキ間が見える。そのとき、君は初めて、君の展開したかった世界を、思いっきり投入する。</p>
<p>(54頁)</p>
</blockquote>
<h2 class="sample2"><span id="toc2">要約</span></h2>
<table>
<tbody>
<tr>
<td> １　失われた世界への郷愁がアニメ制作の原動力となる</td>
</tr>
<tr>
<td> ２　よい作品を見たり、それを乗り越えていく姿勢が大切</td>
</tr>
<tr>
<td> ３　虚構であっても中心にリアリズムがなければならない</td>
</tr>
<tr>
<td> ４　ギャグは一生懸命やった人が我を忘れて日常的な行動からはみ出してしまう、そういうもの</td>
</tr>
<tr>
<td> ５　何がいいたいか（テーマ）は技術よりも大事</td>
</tr>
<tr>
<td> ６　芸を磨く過程で、素材は&#8221;かたち&#8221;をなしていく</td>
</tr>
<tr>
<td> ７　世界を創ると、世界に縛られ始める</td>
</tr>
<tr>
<td> ８　マンガ映画の本当の面白さは、自転車が、スーパーカーと競争して、正々堂々と勝利を収めるところにある</td>
</tr>
<tr>
<td> ９  自分の子供時代に見たかったもの、あるいは自分の子供がみたがっているもの、つまり、そのとき何が欲しかったのか、というもの作りたい。それが作れたら、ほんとうに良い</td>
</tr>
<tr>
<td>１０　自分自身がしっかりと土台をもたないといけない</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h2 class="sample2"><span id="toc3">失われた世界への郷愁について(42~51頁)</span></h2>
<h3 class="heading1"><span id="toc4">失われた世界の憧れとしてアニメがある</span></h2>
<p><a rel="attachment wp-att-861" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/49ce08b462973c8d173653a36de3bdee.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-861" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/49ce08b462973c8d173653a36de3bdee.jpg" alt="宮﨑駿　ぱいにゃん" width="297" height="236" /></a></p>
<p><span style="font-size: 12pt;">　<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong>１０代なかば（ミドル・ティーン）</strong></span></span>において、誰しもが<strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 12pt;">自分の世界</span></strong><span style="font-size: 12pt;">を持ちたい</span>と願う。受験勉強やなんやらで<strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 12pt;">抑圧される時期</span></strong>であり、同時に<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="font-size: 12pt;">異性への関心をもつ時期</span></strong></span>である。そして<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">彼らはアニメが好き</span></strong>だ。宮﨑駿さんはこうした感情を<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">「<span style="color: #003300;">失われた世界の憧れ</span>」</span></strong>と名づけている。「<span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;"><strong><span style="font-size: 14pt;">自分はいまこうなっているけれど、こうでなかったら、ああいうこともできたはずだ</span></strong></span>」、こうした気持ちが彼らをアニメに熱狂させているのである。</p>
<p>　<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">世界の喪失を埋めるものとして、アニメがある</span></strong>。これはなかなかおもしろい指摘だ。喪失を埋めるものは他にもありそうだ。スポーツだとか、映画、テレビドラマ、ファッション、小説といろいろ考えられる。しかし、ミドル・ティーンが熱狂するのはとくに&#8221;アニメ&#8221;だ。あるいは&#8221;漫画&#8221;だ。<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">人間は</span></strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">生まれたときに</span><strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">、可能性を失っている</span></strong>。ある時代に生まれてしまえば、他の時代にうまてくる可能性を失うことになるからだ。あるいは同時代であっても、他の性別、他の家族といった多くの可能性を失っている。また、成長していくにつれて他の可能性も次第に失っていく。あのときもっと勉強をしていれば、あのときあの子に告白していれば、あのとき怪我をしなければ、さまざまな可能性が偏在する。そうした<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="font-size: 12pt; color: #3366ff;">失われた</span></strong><strong><span style="font-size: 12pt; color: #3366ff;">可能性に対して、人間は「空想」をもちだす</span></strong></span>。<strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 14pt;">失われた可能性への憧れが、　アニメの<span style="color: #3366ff;">原動力</span>となって<span style="color: #3366ff;">空想</span>を紡ぎ出していく</span></strong>といえる。</p>
<p>　人間は、<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">みたされない部分を&#8221;なにか”ととりかえることにより、満足する</span></strong>。宮﨑さんは恋人のいない時代に、東方動画の「白蛇伝」に出てくる「白娘（パイにゃん）」に対して恋愛感情に似た思いをもっていたそうだ。恋人がいないという満たされない部分を。アニメの女の子で埋めていたといえる。<span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;">アニメは満たされない部分の代用品</span>だ。悲劇の主人公に憧れる気持ちと、実際にその渦中に入ることは嫌だという気持ちが同時にある。そこには一種の<strong><span style="font-size: 12pt;">ナルシズム（自己陶酔）</span></strong>が存在している。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc5">アニメをつくる姿勢について</span></h2>
<p>　宮﨑さんの変わらぬ姿勢は、「<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="font-size: 14pt; color: #ff0000;">よい作品を見たり、それを乗り越えていく</span></strong></span>」姿勢だ。これじゃだめじゃないか、自分が作るとしたらこうする、といったような姿勢が大事である。宮﨑さんいわく、「<span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">みていて胸がドキドキして、しばしぼう然というようなアニメ</span>」は非情に少ないそうだ。こうした作品こそほんとうのアニメであるという。そういう作品を作るためには、<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="font-size: 12pt;">たった一枚の絵を描くにしても集中し</span></strong></span>、アニメーターが思いを込めて作らなければ、誕生するものではない。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc6">リアリズムについて</span></h2>
<p><a rel="attachment wp-att-860" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8f2405af47a4f4b6a8987d9f3cbfadef.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-860" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8f2405af47a4f4b6a8987d9f3cbfadef.jpg" alt="出発点　宮﨑駿" width="690" height="344" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8f2405af47a4f4b6a8987d9f3cbfadef.jpg 690w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8f2405af47a4f4b6a8987d9f3cbfadef-300x150.jpg 300w" sizes="(max-width: 690px) 100vw, 690px" /></a></p>
<p>　「<span style="font-family: 'times new roman', times, serif; color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: 12pt;">アニメの世界は&#8221;虚構&#8221;の世界だが、その中心にあるのは&#8221;リアリズム&#8221;ねあらねばらならないと私は思っている</span></strong></span>」と、宮﨑さんはいっている。虚構とは「事実ではないこと、いわゆるフィクション」だ。そしてリアリズムとは「現実をありのままに模写・再現しようとする芸術上の傾向」を意味する。虚構とは事実ではないものを、&#8221;事実らしく&#8221;つくりあげるということなので、虚構においてもリアリティが重要であることがわかる。リアリズムだけを極端に推し進めてしまえば、現実を重視し、空想を排除することになるので、紅の豚のように豚が喋ることはないだろう。あくまでもリアリズムを中心に、虚構を構成するという、バランスが重要であることがわかる。</p>
<p>　たとえば機械を動かすのは人一人であるが、動かすまでに設計者や整備士など何人もの人がいる。そういうところを細く描くことで、<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">虚構の世界であっても本物であり、それを描かないような作品は嫌</span></strong>だと宮﨑さんはいう。<span style="font-size: 10pt; font-family: 'times new roman', times, serif; color: #0000ff;">現代社会では人間が機械に従属し、機械が人間の運命の鍵を握っているが、このような&#8221;現実&#8221;の社会に対して、&#8221;アニメ&#8221;の世界においては人間が機械を動かせる</span>のである。それにもかかわらず、多くのアニメはそれを放棄してしまっているという。これは面白い指摘である。現実の社会でできないようなことを、アニメの世界ではできる。小説や映画の世界でも同じである。創造によって、現実とは異なる世界を作り出すことができるのだ。だから創造は面白い。</p>
<blockquote>
<p>つくられた世界？　たしかにそうさ。客も役者同様それは知っている。それでも楽しんでくれるのさ。・・・お客さんたちは、自分が勇敢で強くて、美しいことをさとるんだ。そうした性質があるからだ！</p>
<p>　つくられたウソの世界？　そうじゃない！　わしらはお客さんたちに真実を見せているのさ。こういうふうにだってなれる、というかたちでね。</p>
<p>（ロイド・アレグザンダー「セバスチャンの大失敗」神宮輝男訳）</p>
</blockquote>
<p>　アニメーションをつくるということは、ウソ（虚構）の世界を作ることでもある。本当にあった事実ではないからだ。もしこうなっていたら、こうだっただろうという空想を、事実のように見せるということだ。そこにはリアリズムも併存している。そしてもうひとつの世界を提示することで、お客さんたちの現実の疲れを癒やし、清々しい気分にさせてくれる。普段は弱気な少年も、アニメを見ているときは強くなった気分でいることができる。そこにアニメの魅力がある。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc7">ギャグについて</span></h2>
<p><a rel="attachment wp-att-863" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/6dce173ca41d3c333e9f2903f3554646.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-863" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/6dce173ca41d3c333e9f2903f3554646.jpg" alt="出発点　シータ" width="640" height="360" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/6dce173ca41d3c333e9f2903f3554646.jpg 640w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/6dce173ca41d3c333e9f2903f3554646-300x169.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></a></p>
<p>　「<span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">ほんとうのギャグとは―。一生懸命やった人が、なにかのひょうしにわれを忘れて日常的な行動からはみ出してしまう―そういうものだろう。</span></strong></span>」と、宮崎さんはいっている。人の間抜けさ、失敗を笑うのはギャグではなく、いやらしいものであると。たとえば美しくやさしいお姫様が、恋人の危機を救うために賊を足で蹴飛ばしてしまうようなとき、笑いが生まれる。お姫様像がこわれるのではなく、「<span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;">急にお姫様が人間として生きてくる</span>」。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc8">作品を作るにさいして何が一番大事か</span></h2>
<p><a rel="attachment wp-att-865" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8cf17773213c6feaca1a3a0e190261b5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-865" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8cf17773213c6feaca1a3a0e190261b5.jpg" alt="この世は生きるに値する" width="800" height="531" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8cf17773213c6feaca1a3a0e190261b5.jpg 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8cf17773213c6feaca1a3a0e190261b5-300x199.jpg 300w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/8cf17773213c6feaca1a3a0e190261b5-768x510.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></a></p>
<p>　「<strong><span style="font-size: 14pt; font-family: 'times new roman', times, serif; color: #ff0000;">その作品で何をいいたいか</span></strong>ということ」が一番大事である。いわゆるテーマだ。もしテーマがはっきりせずに、技術だけが先行したりすると、表現したいことが曖昧な、なんだかわからない作品になってしまう。反対に、<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">技術が劣っていたとしても、表現したいことがはっきりしている作品は、高く評価</span></strong>される。</p>
<blockquote>
<p>若いときはだれしも「はやく一人前になりたい」との気持ちからか、すぐ技術へと先走る。いまだ、アニメーターの道へ飛び込まぬ人たちまでもが、技術をうんぬん語り、技術面の知識を得ようとする。しかし、アニメにおける技術というものは、実際にこの世界へはいれば、わずかの間にマスターできることなのである。(49頁)</p>
</blockquote>
<p>　宮崎さんは大学に行くべきか、アニメーターにすぐなるべきかという高校生の質問に対して、「<span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;">なんでもよいから大学へ行きなさい。大学へ行き、四年間、大学生活をエンジョイしながら、絵の勉強したいならするのがよろしい</span>」と答えてる。もしすぐアニメーターになってしまえば、たくさんの仕事が押し寄せてきて自分自身のための勉強する時間がなくなってしまうからだ。<span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif; color: #0000ff;">物の見方や考え方といった基礎的な分野を固める時間が大事だ</span>。</p>
<div id="attachment_866" style="width: 348px" class="wp-caption alignnone"><a rel="attachment wp-att-866" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/041ea340c56aac7954d396ae63dd206f.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-866" class="size-full wp-image-866" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/041ea340c56aac7954d396ae63dd206f.jpg" alt="K0030831" width="338" height="450" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/041ea340c56aac7954d396ae63dd206f.jpg 338w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/041ea340c56aac7954d396ae63dd206f-225x300.jpg 225w" sizes="(max-width: 338px) 100vw, 338px" /></a><p id="caption-attachment-866" class="wp-caption-text">K0030831</p></div>
<p>　アニメの世界に入ってしまうと、本を読んで勉強したり、すぐれたイメージを創造するヒマがない現実が待っているという。たとえば、「<strong><span style="font-size: 10pt; color: #ff0000;">自分本来のイメージで飛行機を飛ばそうとするならば、飛行機に関する本を一冊でも読んで、そこからイメージをふくらませて欲しい</span></strong>」と宮崎さんはいう。テレビやアニメの真似、ジェット旅客機の経験からだけでは、ほんとうの飛行機を飛ばせることはできない。これはリアリズムの重視とも大きく関わっている。自然な歩き方、自然な建物、自然なロボット、自然な服のシミといった多くのリアリズムは経験と学習の両方から生まれるといったいいだろう。</p>
<h2 class="sample2"><span id="toc9">発想からフィルムまで(52~77頁)</span></h2>
<h3 class="heading1"><span id="toc10">発想</span></h2>
<p><a rel="attachment wp-att-868" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-868" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd.jpg" alt="夕焼けのジブリ" width="800" height="600" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd.jpg 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd-300x225.jpg 300w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd-768x576.jpg 768w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd-280x210.jpg 280w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/ca2804789da35b2b7aefb3a5a137eedd-150x112.jpg 150w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></a></p>
<p>　「<span style="color: #0000ff;"><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 12pt;">混沌の中から、君は自分の表現したいものの姿をおぼろげにつかまえていく。そして君は描きはじめる。ものがたりはまだできていなくても構わない</span></strong></span>」</p>
<p>　企画としての物語や<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">原作は引き金にすぎない</span></strong>。&#8221;<span style="font-size: 8pt;">漫画&#8221;原作のアニメは、世界を創る作業は済んだあとなのでつくる作業がつまらないらしい</span>。引き金に触発され、「君が今まで自分のうちに描いてきた世界、貯えてきたたくさんの風景や表現されたがっている思想、情感が、君の中から湧き出てくる」。大自然で遊んだり、人のあたたかさ、そしてつめたさにふれたりしてきた、そういう感情や風景が湧き出てくるのだ。</p>
<p>　「<span style="font-size: 12pt; color: #0000ff;">アニメーターになろうとする君は、すでに語るべき物語や、ある情念や、形にしたい架空の世界を、素材としていくつも持っているはずだ</span>」</p>
<p>  こうした世界は人が語った「借り物の世界」であったり、現実逃避の「ナルシズムの世界」であったりする。自己満足、自分本位で語るのではなく、<span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: 12pt;">誰かに伝えるためには、借り物やナルシズムの世界を、一つの世界に仕上げ</span></strong></span>ていかなければならない。想像力、技術などの<span style="background-color: #ffff99;"><strong><span style="font-size: 14pt; font-family: 'comic sans ms', sans-serif;">芸を磨く過程で、素材は&#8221;かたち&#8221;をなしていく</span></strong></span>のである。表現したいもの、喪失を埋めてくれるようなもの、憧れているもの、そうした素材を一つの世界に仕上げていくこと、進歩させていくことが重要である。そして素材はすべてのはじまりである。表現したいもの、<span style="font-size: 10pt;"><strong>テーマを自分の無意識や過去の意識の中、いわゆるカオス（混沌）の中からつかみ出してくる</strong></span>のだ。</p>
<p><a rel="attachment wp-att-872" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-large wp-image-872" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322-1024x768.jpg" alt="こずえとジブリ" width="1024" height="768" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322-1024x768.jpg 1024w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322-300x225.jpg 300w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322-768x576.jpg 768w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322-280x210.jpg 280w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322-150x112.jpg 150w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/178f7ffe9fff2f0dab81149348afd322.jpg 1000w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></p>
<p>　素材さえつかみ出すことができれば、ストーリー、キャラクター、背景、内容などは後からついてくる。最初に一つの世界の貴重となる絵を描く。そして「初めて描かれた絵」が生まれ、作品の準備段階がはじまる。</p>
<blockquote>
<p>　どんな世界、シリアスなのかマンガ的なのか、デフォルメの度合いは、舞台は、気候は、内容は、時代は、太陽は一つなのか三つなのか、登場する人物たちは、そして主題は何か・・・。描きすすむうちにしだいに明らかになっていく。できあいのストーリーに従うのではなく、こんな物語の展開は？こんな人物は出せないか！幹を太くし、枝をひろげ、あの梢の先（それが発想の出発点だったりする）、そしてその先の葉っぱへまで、枝はどんどん伸びていく。</p>
</blockquote>
<p>　「<span style="font-family: georgia, palatino, serif; font-size: 12pt;">できるだけたくさん描くことで、しだいに一つの世界が作られていく</span>」</p>
<p>　世界を構築していくさいに、矛盾したり反ぱつしたりする世界を捨てなければいけない。もし捨てたものが大事なものだったら、いつか使う日がくるまでにとっておけばいい。</p>
<p><a rel="attachment wp-att-873" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/b62144852a638d8de419e5c1dd232c4a.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-873" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/b62144852a638d8de419e5c1dd232c4a.jpg" alt="イメージボード６" width="551" height="389" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/b62144852a638d8de419e5c1dd232c4a.jpg 551w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/b62144852a638d8de419e5c1dd232c4a-300x212.jpg 300w" sizes="(max-width: 551px) 100vw, 551px" /></a> <a rel="attachment wp-att-874" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/f25ed0609123cacd347327f5496c2424.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-large wp-image-874" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/f25ed0609123cacd347327f5496c2424-1024x630.jpg" alt="イメージボード５" width="1024" height="630" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/f25ed0609123cacd347327f5496c2424-1024x630.jpg 1024w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/f25ed0609123cacd347327f5496c2424-300x185.jpg 300w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/f25ed0609123cacd347327f5496c2424-768x472.jpg 768w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/f25ed0609123cacd347327f5496c2424.jpg 1000w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a> <a rel="attachment wp-att-875" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/0f5cf66f98a0546c109f912dff2490a5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-large wp-image-875" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/0f5cf66f98a0546c109f912dff2490a5.jpg" alt="イメージボード４" width="625" height="464" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/0f5cf66f98a0546c109f912dff2490a5.jpg 625w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/0f5cf66f98a0546c109f912dff2490a5-300x223.jpg 300w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/0f5cf66f98a0546c109f912dff2490a5-150x112.jpg 150w" sizes="(max-width: 625px) 100vw, 625px" /></a> <a rel="attachment wp-att-876" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/bbd54a6199311924c102719193328338.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-large wp-image-876" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/bbd54a6199311924c102719193328338.jpg" alt="イメージボード３" width="400" height="260" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/bbd54a6199311924c102719193328338.jpg 400w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/bbd54a6199311924c102719193328338-300x195.jpg 300w" sizes="(max-width: 400px) 100vw, 400px" /></a> <a rel="attachment wp-att-877" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/a547f5e5c2c4987c81846b4051f1bec5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-large wp-image-877" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/a547f5e5c2c4987c81846b4051f1bec5.jpg" alt="イメージボード２" width="539" height="352" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/a547f5e5c2c4987c81846b4051f1bec5.jpg 539w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/03/a547f5e5c2c4987c81846b4051f1bec5-300x196.jpg 300w" sizes="(max-width: 539px) 100vw, 539px" /></a></p>
<blockquote>
<p>　それはかつて、自分が夢想した絵の切れっぱし、組立て中に放り出した物語の片方の幹、ある少女への憧れの記憶、趣味と思って深入りしていた分野の知識などが、一つ一つ役割をもって一本のナワに綯（な）われていくのを。君の中の、バラバラの素材が一つの方向をみつけて流れはじめたのだ。</p>
<p>　やがて虚構の世界の原形ができあがる。それがスタッフ全体の共通の世界になっていく。それはもう、そこにある世界なのだ！</p>
<p>　このプロセスがアニメーションの制作過程で”イメージボード”と呼んでいる過程で、もっとも胸はずむ時期である。</p>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc11">演出</span></h2>
<p>　どのシーンに力を注ぐか、そういったバランスを決定するのはアニメーターではなく、演出家である。仮に脚本通りに絵を描いていくだけなら、ストーリーボードはいらない。脚本の不備を補うものとして、ストーリーボードの意味がある。また、ストーリーボードより絵コンテのほうが安上がりだという。予算や製作時間の問題から、ストーリーボードが省かれるようになり、しだいにアニメーターたちは指示されたものを描き、動かすだけの職業になっていった。アニメーターは演出をしなくなり、ストーリーボードをかかなくなったのである。</p>
<blockquote>
<p>机にむかって呻吟（しんぎん）し、ボードを描き、自分の考えに笑い、興奮し、ときにはのめりこんで涙したアニメーターたちは、こうして退場していった。漫画映画という言葉が光を失っていき、「アニメーション」になり、「アニメ」になっていく過程である。</p>
<p>(61頁)</p>
</blockquote>
<h3 class="heading1"><span id="toc12">脚本</span></h2>
<p>　「<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: georgia, palatino, serif;">『発想』の段階で描いたたくさんの絵、語られたイメージの混沌とした材料の中に、実は表現したい本体がかくされている。脚本で大切なのは、本体を削り出し、しっかりとした根幹を打ち立てることなのだ。</span></strong>」</p>
<p><span style="color: #3366ff;"><strong><span style="font-size: 12pt;">　アニメーターのしごとは、クリスマスツリーの飾り付け</span></strong></span>のようなものだという。<span style="color: #3366ff; font-size: 12pt;"><strong>脚本家の仕事はクリスマスツリーの幹をつくること</strong></span>だ。幹がないクリスマスツリーも、飾りがないクリスマスツリーもバランスが悪い。</p>
<blockquote>
<p>極端な話、「A（主人公）とB（悪役）が最後に激しい闘いを演じてAが勝つ」だけでも脚本はいいのだと思う。それまでに、AとBがどういう人物で、なぜかくも激しく争わざるをえないのかが、しっかり描かれているなのならあとはどれほど愉快に、あるいは爽快に決着をつけるかの工夫であり、多くの場合動きが決め手になるし、絵にしてみなければわからないことが多い。これこそ、アニメーターの領域の仕事である。</p>
</blockquote>
<h3 class="heading1"><span id="toc13">主題と脚本と発想について</span></h2>
<p>「<strong><span style="font-size: 12pt; font-family: georgia, palatino, serif;">主題（テーマ）をはっきりさせる。主題というと、文明批評とか、世界平和とか大ゲサな看板を考える人もいるが、ここで言う主題は、もっと単純で素朴で、つまり根源になるものだ</span></strong>。(62頁)」</p>
<p>　大きな看板ほどいい加減な作品の隠れミノになりやすいらしいです。</p>
<blockquote>
<p>大切なことは、しっかりと裏付けのある人物たち、その人間たちが生きることを肯定している人たちであること、その人間の願いや目的がはっきりしていること、そしてできるだけ単純で無理のない筋の運び、だと思う。脚本がそれを踏まえてくれたなら、あとの飾り付けはアニメーターの仕事だ。そのシーンの意味をはっきりつかみ、登場人物の考えていることを踏み台に、芝居やアクションを考えていく。(62~63頁)</p>
</blockquote>
<p>　「<span style="font-size: 12pt; color: #3366ff;">幹（脚本）に不必要な物を削ったり、足りないものを補ったりして自分の頭のなかにその世界を再構成する</span>。」</p>
<p>　風景や家の構造などを頭のなかに構築していく。そうして世界を創る。<span style="font-size: 18pt; font-family: georgia, palatino, serif;">世界を創ると、世界に縛られ始める</span>。これは必ずしも悪いことではない。構造に矛盾したものを付け足すことはできないのである。自分の作った世界、頭のなかの世界を写生できるようになるまでにイメージを固めておくことが大切だ。私は創ったものに創られるという感覚、縛れるという感覚が一番興奮する。創造の爆発が起きている感じがする。対象と主体の合体のような感覚が、自分の中に広がっていくのだ。爆発をいかに形にして、見る人に伝えられるのか、そこを考えるだけでほんとうに楽しい。</p>
<blockquote>
<p>　丘があった、そこに登れば何が見えるのだろう。自分で登っていって、「ああ、湖があったんだ！」と。自分で発見したりもする。この仕事が場面設定の基礎なのだ。</p>
<p>　その世界でいま、AとBが対決しようとしている。あとはジグソーパズル。ありとあらゆる方法を考える。もし自分がAだったらどうするか、Bだったらどうするか。</p>
<p>　このとき、大切なのは理屈をとおすことではない。理屈はいくらでも考えつく。一番面白い方法を考えるのだ。かつて、アニメーターが笑ったり怒鳴ったり泣いたりしながらたくさんのボードを描いたように、描いていくにしたがってよくわかってくるはずだ。それぞれの人物のそのときの感情、怒りや喜びや、やさしさが自分のものになっていく。よく言われるように、役者としてのアニメーターに君はなっていく。</p>
<p>&nbsp;</p>
</blockquote>
<h3 class="heading1"><span id="toc14">漫画映画の面白さ</span></h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>「<span style="font-family: georgia, palatino, serif;"><strong><span style="font-size: 12pt; color: #3366ff;">マンガ映画の本当の面白さは、自転車が、スーパーカーと競争して、正々堂々と勝利を収めるところにある</span></strong></span><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace; font-size: 12pt;">ような気がする</span>。」</p>
<p>　通常、自転車がスーパーカーに勝つことはない。もし本当に勝ったらパロディのようになってしまう。そこで、上手な嘘の積み重ねで説得力のある勝利になったとき、愉快になるという。私の記憶が曖昧なのだが、丸裸の未来少年コナンは様々なロボットや武器を備えている敵にたちむかっていき、勝利するというストーリーがだった気がする。いきなりコナンが超人的なパワーを発揮してすべてを破壊する、というストーリーは愉快ではないだろう。出会った仲間たちと協力したりすることによって的に勝利していく、そういう積み重ねがうまくいき、説得力のある勝利になるのではないだろうか。</p>
<blockquote>
<p>マンガ映画の中で、のりものが地を走り、水をくぐり、大空をかけるのは、人を、束縛から開放するためでありたいと思う。</p>
<p>・・・</p>
<p>空間を画面に取り込み移動する視点は、開放感を生み、風や雲や、眼下に広がる美しい大地に、心からの挨拶を送りたくなるような、そんな素晴らしい画面とのりものを、いつか、本当に描いてみたい。(76~77頁)</p>
</blockquote>
<h2 class="sample2"><span id="toc15">宮﨑駿の原点(77~86頁)</span></h2>
<h3 class="heading1"><span id="toc16">子どもたちに”励まし&#8221;となる映画を作りたい</span></h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>　宮﨑さんは子どものときの受験時代に、病んでいたそうです。そしてそのときに劇画雑誌が出ていたそうです。劇画雑誌には「世の中はうまくいかないものだ」ということばかりが描かれていたそうです（笑）。そしてそれが宮﨑さんにとってある種の爽快感だったそうです。それがきっかけで、劇画のような「恨みつらみ」を描こうとしていたのです。しかし白蛇伝というアニメを見て、劇画に対する、「<span style="font-size: 12pt; font-family: georgia, palatino, serif;">オレが、いま描いている劇画は、本当に自分がやりたいことなのか、本当はちがうのじゃないか</span>」という疑問がわいてきたそうです。そうして劇画をやめて、漫画を描き始めてそうです。</p>
<p><span style="font-size: 8pt;">※劇画は基本的に大人向けであり、漫画は子供向けと考えてもらえれば分かりやすいと思います。内容も絵の描き方も違います</span>。</p>
<p>　宮崎さんが子供の頃は、いい子だったそうです。自分の意志ではなく、親の意見に従っていたそうです。しかし、少年・青年時代になると、いい子ではなく、自分の目で見、考えて立ち上がっていかなければいけないと気づきました。そして子どもの本質的な、純粋さをあにがしろにして、恨みつらみの劇画に走ったのです。その後で、「白蛇伝」をみて子どもの素直な、おおらかなものを描くべきだと思うようになったそうです。</p>
<blockquote>
<p>親というものは、子どもの純粋さ、大らかさをやもすれば踏みにじることがあるんですね。そこで、子どもに向かって「おまえら、親に食い殺されるな」というような作品を世に送り出したいと考えていたのです。親からの自立ですね。</p>
<p>　そういう出発点が、二十年間たった現在でも継続されているわけです。ですから作品のカギとして「自分が小学校三年生のとき、あのディズニーやソビエトの漫画映画をワクワクして待ち望んでいるとき、どんなものを見たがっていたか」というようなことが出てくるのです。</p>
<p>　そのうち、ぼくは結婚し、子どももできるようになってくると、こんどは、自分の子どもがどんな漫画映画を見たがっているかを考えるようになっていきました。</p>
</blockquote>
<p>　私の子供時代はまさに、ジブリにワクワクしていましたね。<span style="font-size: 8pt;">あとハリーポッターにも</span>。受験期はGANTZとか見ていましたね・・。その頃はロボットとかで破壊したい、とか考えたりしていたような気もします。落書きは子供の頃、モンスターでいっぱいだった気がします。大学でいろいろなことを学ぶうちに、少しずつ創りたい世界が変容しているのが今の私ですね。</p>
<blockquote>
<p>自分の子供時代に見たかったもの、あるいは自分の子供がみたがっているもの、つまり、そのとき何が欲しかったのか、というもの作りたい。それが作れたら、ほんとうに良いなあと思っているわけです。(83頁)</p>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc17">自分のやりたいことを作品に反映させるためには</span></h2>
<p>「<span style="font-family: georgia, palatino, serif; font-size: 12pt;">自分がやりたいことを少しでも作品に反映させるつもりなら、自分自身がしっかりとした土台をもたざるをえません</span>。」</p>
<blockquote>
<p>ぼくにとっての土台は、なんのために生きていこうとするのかわからないままさまよっている人たちに、元気でやっていけよ、というメッセージを送ることなのです。(84頁)</p>
</blockquote>
]]></content:encoded>
					
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		<title>伝わる日本語の「文章力」に関する５つのポイント</title>
		<link>https://souzouhou.com/2016/02/21/%e4%bc%9d%e3%82%8f%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e%e3%81%ae%e3%80%8c%e6%96%87%e7%ab%a0%e5%8a%9b%e3%80%8d%e3%81%ab%e9%96%a2%e3%81%99%e3%82%8b%ef%bc%95%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%82%a4%e3%83%b3/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Feb 2016 02:15:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://souzouhou.com/?p=730</guid>

					<description><![CDATA[目次   はじめに 文章力とはなにか定義「文章力」に関する５つのポイント１　言葉を削ればより伝わる２　「てにをは」を正しく使う３　的確に書く４　述語を書き忘れない５　読点を正しく使う   はじめに 　前回の記事である「伝 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">  はじめに</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0"> 文章力とはなにか</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">定義</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">「文章力」に関する５つのポイント</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">１　言葉を削ればより伝わる</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">２　「てにをは」を正しく使う</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">３　的確に書く</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">４　述語を書き忘れない</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">５　読点を正しく使う</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="sample2"><span id="toc1">  はじめに</span></h2>
<p>　前回の記事である「伝わる日本語の書き方について５つのポイント~明文術~」に続いて「文章力」について紹介したいと思います。基本的に「明文」と「文章力」は重なる部分が多いのです。「文章力」のひとつとして「明文術」があるのです。両方読んでいただけるとより伝わる日本語についての知識が深まると思います。さまざまな本を読んだ感想として、文章に関する本はほんとうに共通する部分が多いです。日本語の文法に関する部分から構成論に至るまで、ほとんど共通しています。異なる要素は「わかりやすさ」や「例の違い」ですね。私がこの本を読んで感じたのは、日本語の文法についてあまりにも無知だったことです。</p>
<p><span style="font-size: 8pt;">（前回の記事についてのリンクはこちら）</span><a href="https://souzouhou.com/2016/02/18/%e4%bc%9d%e3%82%8f%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e%e3%81%ae%e6%9b%b8%e3%81%8d%e6%96%b9%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%ef%bc%95%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%88%e6%98%8e/">伝わる日本語の書き方について５つのポイント~明文術~</a></p>
<p>　<span style="font-size: 8pt;">今回参考にする文献は『文章力の決め手』阿部紘久（日本実業出版社）です。参照する際はbと略すことにします。本書は６０のテクニックを例を挙げながら分かりやすく説明してくれているのでおすすめです。気になった方はぜひ手にとってみてください。</span></p>
<h2 class="sample2"><span id="toc2"> 文章力とはなにか</span></h2>
<h3 class="heading1"><span id="toc3">定義</span></h2>
<p>文章力は「<span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="color: #ff0000;">７つの要素からなる総合的かつ基礎的な能力</span></strong></span>」から構成されます。(b,138頁)</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td style="background-color: #85fbff;"><span style="font-size: 12pt;"><strong>７つの要素からなる総合的かつ基礎的な能力</strong></span></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">１　良いテーマを見つける「着想力」</span></strong></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">２　テーマに関わるさまざまな事象に連想を広げる「連想力」</span></strong></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">３　その中で書くべきことを峻別（しゅんべつ）する「優先順位の判断力」</span></strong></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">４　書くべきことを「構造的に把握する力」（因果関係などの論理的構造、時間的・地理的関係など）</span></strong></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">５　そこに自分独自の考えを加える「創造性、独自性」</span></strong></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">６　読み手の立場、心情、知識レベルなどを理解する「人間理解力」</span></strong></td>
</tr>
<tr>
<td><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">７　言わんとすることを、読み手に伝わる簡潔・明瞭な言葉で表す「言語表現力」</span></strong></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>　１から５にかけての要素は「<span style="font-size: 12pt; background-color: #ccffff;">自分の考えを組みて立てる力</span>」です。６の要素は「<span style="font-size: 12pt; background-color: #ccffff;">相手の身になって感じたり考えたりする想像力</span>」であり、７の要素は「<span style="font-size: 12pt; background-color: #ccffff;">的確な言語表現力</span>」です。この７の要素がはじめにの部分で紹介した「明文術」と重なりあうものです。こうした<span style="font-size: 10pt; background-color: #ffff00;">「何を感じ、何を考え、それをいかに伝えるか」を考える能力はほんとうに多様な場で役立つ</span>ものだと私は考えます。であるからこそ学ぶべきだと思います。「創造」のための「創造法」のひとつとして「文章力」を私は位置づけたいと考えます。</p>
<h2 class="sample2"><span id="toc4">「文章力」に関する５つのポイント</span></h2>
<p><span style="font-size: 8pt;">※私が独自に抜粋したものです</span></p>
<h3 class="heading1"><span id="toc5">１　言葉を削ればより伝わる</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">第四章のテーマです。問題は「削り方」です。たとえば「<strong><span style="font-size: 12pt;">重複を排す</span></strong>」、「<strong><span style="font-size: 12pt;">短い表現を選ぶ</span></strong>」などが考えられます。</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">◆会議の<span style="background-color: #00ffff;">とき</span>に上司に怒られた<span style="background-color: #00ffff;">とき</span>、ある先輩が励ましてくれた<span style="background-color: #00ffff;">とき</span>があった。</p>
<p style="padding-left: 30px;">◇会議で上司に怒られた<span style="background-color: #00ffff;">とき</span>、ある先輩が励ましてくれた<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>があった。</p>
<p style="padding-left: 30px;">（b,55頁）</p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">　この◇は改正されたものです。文が<strong>短くなっている</strong>ことがわかります。 また、<strong>同じ言葉が２つ以上重なること（重複）が避けられています</strong>。「とき」が３つ重なっていた文が、１つになっています。短い文章はわかりやすいです。<span style="font-size: 8pt;">ドストエフスキーの小説は読んだ人はわかると思いますが、一文が長く、分かりにくいです。ですがわかりやすさと文章の芸術性は別の話です。ここでは実用的な文章について話しています</span>。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　特に目立つ重複の例として<span style="font-size: 10pt;">「<strong>こと</strong>」「<strong>という</strong>」</span>が挙げられています。</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">◆自分が夢中になれる<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>を見つける<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>は、大切な<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>である。また、自分の苦手な<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>を知る<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>も、必要な<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>である。</p>
<p style="padding-left: 30px;">◇自分が夢中になれる<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>を見つける<span style="background-color: #00ffff;">の</span>は、大切である。また、自分の苦手な<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>を知る<span style="background-color: #00ffff;">の</span>も、必要である。</p>
<p style="padding-left: 30px;">(b,56頁)</p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">「こと」が減ってわかりすくなっていますね。<span style="font-size: 10pt;"><strong>「こと」は「の」に言い換えられる</strong></span>ことがポイントです。また、<span style="font-size: 10pt;"><strong>「ということ」は短く「こと」に言い換えたほうがいい</strong></span>です。たとえば、「約束を守る<span style="background-color: #00ffff;">ということ</span>を自分に課す」というよりも「約束を守る<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>を自分に課す」というほうが短くていいです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　他にも「<span style="font-size: 10pt;"><strong>同じ意味のことを重複して書いているケース</strong></span>」がよくあるそうです。以下に例を挙げます。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・「たいていの場合、〜であることが多い」という文は「たいていの場合」と「多い」という同じ意味のことが重複して書かれています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・「〜に応じたふさわしい〜を選んでいる」という文は「応じた」と「ふさわしい」が重複しています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・「〜参考として役立てたい」という文は「参考として」と「役立てたい」が重複しています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・「原因は〜のせいだ」という文は「原因」と「せい」が重複しています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・「考えてみると〜があると思う」は「考えてみると」と「思う」が重複しています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・「注目されるのは〜ポイントです」は「注目」と「ポイント」が重複しています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・他にも「いまさら〜もはや」、「明らかに〜確実」、「行ける機会を作ることができた」などが挙げられます。</p>
<p>　文を削るためには、<strong><span style="background-color: #ccffff;"><span style="font-size: 12pt;">「同じことが、もっと少ない字数で書けないか」と考える習慣をつけることが重要</span></span></strong>です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">・「〜しなくてはいけないこと」→「〜すべきこと」</p>
<p style="padding-left: 30px;">・「〜していくにあたって」→「〜するにあたって」</p>
<p style="padding-left: 30px;">・「〜であるのは」→「なのは」</p>
<p style="padding-left: 30px;">・「展開を行っている」→「展開している」</p>
<p style="padding-left: 30px;">・「開発が実施される」→「開発される」</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc6">２　「てにをは」を正しく使う</span></h2>
<p><strong><span style="font-size: 10pt;">「てにをは」とは、助詞</span></strong>を意味します。たとえば「に」と「で」の逆転現象がよく起きてしまっているといいます。「てにをは」を正しく使うことで、文章がわかりやすくなります。例文をまずは引用します。</p>
<blockquote>
<p>◆コンビニ<span style="background-color: #33cccc;">で</span>は年賀葉書も置いて<span style="background-color: #33cccc;">ある</span>。</p>
<p>◇コンビニ<span style="background-color: #33cccc;">は</span>年賀葉書も置いて<span style="background-color: #33cccc;">ある</span>。</p>
<p>◇コンビニ<span style="background-color: #33cccc;">で</span>は年賀葉書も<span style="background-color: #33cccc;">売って</span>いる。</p>
<p>（b,100頁）</p>
</blockquote>
<p><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則１</span>　</span><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">ある（いる）という存在には「に」を使う</span></strong></p>
<p><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則２　</span></span><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">「売る」などの行為には「で」を使う</span></strong></p>
<p><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則３</span></span><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">　場所には「で」、時間には「に」を使う</span></strong></p>
<p style="padding-left: 30px;">例：10月以降<span style="background-color: #33cccc;">に</span>、プレイが可能になります。ゲームセンター<span style="background-color: #33cccc;">で</span>学びたいです。</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則４　</span><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 10pt;">「に」と「を」の使い分け</span></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td><span style="font-size: 10pt;"><strong>「に向く」</strong></span></td>
<td><span style="font-size: 10pt;"><strong>「を向く」</strong></span></td>
</tr>
<tr>
<td>・静止物の方向性</td>
<td>・方向転換</td>
</tr>
<tr>
<td>・最初から定まった方向性</td>
<td>・意志的動作</td>
</tr>
<tr>
<td>「窓を南に向いている」</td>
<td>「声のする方を向く」</td>
</tr>
<tr>
<td>「子どもに向いた読み物」</td>
<td>「彼は横を向いてしまった」</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>（森田良行『日本語の類義表現時点』（東京堂出版））</p>
<p>✕勉強を励む　◯勉強に励む</p>
<p>✕任務を取り組む　◯任務に取り組む</p>
<p>✕相手の事情を十分に配慮したい　◯相手の事情に十分配慮したい</p>
<p>✕会議を遅刻する　◯会議に遅刻する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則5</span> <strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 10pt;">「を」と「で」の使い分け</span></strong></p>
<p><span style="font-size: 10pt;"><strong>動作の対象物には「を」を使い、最終的にやりたいことの手段や方法には「で」を使う</strong></span></p>
<blockquote>
<p>◆自分で稼いだお金<span style="background-color: #33cccc;">で</span>、車を買う<span style="background-color: #33cccc;">資金にする</span>。</p>
<p>◇自分で稼いだお金<span style="background-color: #33cccc;">を</span>、車を買う<span style="background-color: #33cccc;">資金にする</span>。</p>
<p>◇自分で稼いだお金<span style="background-color: #33cccc;">で</span>、車を買う。</p>
<p>(b,108頁)</p>
</blockquote>
<p>「で」の使い分け一覧（広辞苑）</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td>動作の行われる所・時・場所を示す</td>
<td>家の中<span style="background-color: #33cccc;">で</span>遊ぶ</td>
</tr>
<tr>
<td>手段・方法・道具・材料を示す</td>
<td>ペン<span style="background-color: #33cccc;">で</span>書く</td>
</tr>
<tr>
<td>理由・原因を示す</td>
<td>ペン<span style="background-color: #33cccc;">で</span>書く</td>
</tr>
<tr>
<td>事を起こした所を示す</td>
<td>組合<span style="background-color: #33cccc;">で</span>決めたこと</td>
</tr>
<tr>
<td>事情・状態を示す</td>
<td>いいかげんな気持ち<span style="background-color: #33cccc;">で</span>やる</td>
</tr>
<tr>
<td>期限・範囲を示す</td>
<td>明日<span style="background-color: #33cccc;">で</span>公演は終りです</td>
</tr>
<tr>
<td>配分の基準を示す</td>
<td>一時間<span style="background-color: #33cccc;">で</span>４キロ歩く</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>（デジタル大辞泉）</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則６</span>　<span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 10pt;"><strong>「を」と「が」の使い分け</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: 10pt;"><strong>人＋「を」〜ている（能動態）</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: 10pt;"><strong>物＋「が」＋〜られている（受動態）</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"> </p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: 12pt;"><strong>「を」の使い方</strong></span></p>
<table style="height: 229px;" width="828">
<tbody>
<tr>
<td>１ 動作・作用の目標・対象を表す。</td>
<td>「家<span style="background-color: #33cccc;">を</span>建てる」「寒いの<span style="background-color: #33cccc;">を</span>がまんする」「水<span style="background-color: #33cccc;">を</span>飲みたい」</td>
</tr>
<tr>
<td>２移動の意を表す動詞に応じて、動作の出発点・分離点を示す。</td>
<td>「東京<span style="background-color: #33cccc;">を</span>離れる」「席<span style="background-color: #33cccc;">を</span>立つ」</td>
</tr>
<tr>
<td>３ 移動の意を表す動詞に応じて、動作の経由する場所を示す。</td>
<td>「山道<span style="background-color: #33cccc;">を</span>行く」「廊下<span style="background-color: #33cccc;">を</span>走る」「山<span style="background-color: #33cccc;">を</span>越す」</td>
</tr>
<tr>
<td>４ 動作・作用の持続する時間を示す。</td>
<td>「長い年月<span style="background-color: #33cccc;">を</span>過ごす」「日々<span style="background-color: #33cccc;">を</span>送る」</td>
</tr>
<tr>
<td>補足</td>
<td>「水を飲みたい」などは、「を」の代わりに「が」を用いることもある。格助詞「を」は、の間投助詞から生じたといわれる。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p style="padding-left: 30px;">（デジタル大辞泉引用）</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: 12pt;"><strong>「が」の使い方</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"> </p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td>１ <strong>動作・存在・状況の主体</strong>を表す。</td>
<td>「山<span style="background-color: #33cccc;">が</span>ある」「水<span style="background-color: #33cccc;">が</span>きれいだ」「風<span style="background-color: #33cccc;">が</span>吹く」</td>
</tr>
<tr>
<td>２ <strong>希望・好悪・能力などの対象</strong>を示す。</td>
<td>「水<span style="background-color: #33cccc;">が</span>飲みたい」「紅茶<span style="background-color: #33cccc;">が</span>好きだ」「中国語<span style="background-color: #33cccc;">が</span>話せる」</td>
</tr>
<tr>
<td>３ （下の名詞を修飾し）所有・所属・分量・同格・類似などの関係を示す。</td>
<td>㋐所有。…の持つ。「われら<span style="background-color: #33cccc;">が</span>母校」 ㋑所属。…のうちの。 ㋒分量。 ㋓同格。…という。 ㋔類似。…のような。</td>
</tr>
<tr>
<td>４ （準体助詞的に用いて）下の名詞を表現せず、「…のもの」「…のこと」の意を表す。</td>
<td> </td>
</tr>
<tr>
<td>５ 形容詞に「さ」の付いたものを下に伴って、それとともに感動を表す。…が…（であることよ）。</td>
<td> </td>
</tr>
<tr>
<td>６ 連体句どうしを結んで、その上下の句が同格であることを表す。…（なもの）であって…（なもの）。</td>
<td> </td>
</tr>
<tr>
<td>７ （「からに」「ごとし」「まにまに」「むた」「やうなり」などの上に置かれ）その内容を示す。</td>
<td> </td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p style="padding-left: 30px;"> （デジタル大辞泉）</p>
<p style="padding-left: 30px;">例１：✕帽子<span style="background-color: #33cccc;">が</span>売っている◯帽子<span style="background-color: #33cccc;">を</span>売っているor帽子<span style="background-color: #33cccc;">が</span>売られている</p>
<p style="padding-left: 30px;">例２：✕天気予報<span style="background-color: #33cccc;">が</span>やっている　◯天気予報<span style="background-color: #33cccc;">を</span>やっている</p>
<p style="padding-left: 30px;">例３：✕フランス語<span style="background-color: #00ffff;">を</span>わかります　◯フランス語<span style="background-color: #00ffff;">が</span>わかります（<span style="background-color: #ffff99;">能力などの対象</span>）</p>
<p style="padding-left: 30px;">例４：✕憶測<span style="background-color: #00ffff;">が</span>呼んでいる　◯憶測<span style="background-color: #00ffff;">を</span>呼んでいる（動作・作用の目標・対象。「憶測」は主体ではなく対象。）</p>
<p style="padding-left: 30px;"> </p>
<h3 class="heading1"><span id="toc7">３　的確に書く</span></h2>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則１　<span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong>「例え」と「たとえ」を使い分ける</strong></span></span></p>
<p style="text-align: left; padding-left: 30px;">「たとえ」は「たとい」から来た言葉で「例え」とは無関係です。</p>
<p style="text-align: left; padding-left: 30px;"><span style="line-height: 28.8px;">「仮＝令／縦＝令／▽縦い（たとい）」と漢字で書きます。「例い」ではありません（デジタル大辞泉）。</span></p>
<p style="text-align: left; padding-left: 60px;"><span style="line-height: 28.8px;">（例）✕「</span><span style="background-color: #00ffff;">例え</span><span style="line-height: 28.8px;">賛成されても〜」◯「</span><span style="background-color: #00ffff;">たとえ</span><span style="line-height: 28.8px;">賛成されても〜」</span></p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則２<span style="font-size: 12pt;">　<strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">「すごい」と「すごく」を使い分ける</span></strong></span></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="background-color: #ffff99;">名詞</span>の前には「<strong>すごい</strong>」を使い、<span style="background-color: #ffff99;">動詞</span>や<span style="background-color: #ffff99;">副詞</span>の前には「<strong>すごく</strong>」を使います。</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「<span style="background-color: #00ffff;">すごい</span>気を使う。」◯「<span style="background-color: #00ffff;">すごく</span>気を使う」</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則２　<span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">「増大（減少）」と「拡大（縮小）」を使い分ける</span></strong></span></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="background-color: #ffff99;">数</span>の場合には「<strong>増大</strong>」、<span style="background-color: #ffff99;">規模</span>のばあいには「<strong>拡大</strong>」、<span style="background-color: #ffff99;">時間</span>のばあいには「<strong>延長</strong>（短縮）」です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　（例）✕「常連のお客様<span style="background-color: #00ffff;">拡大</span>を遂げる。」◯「常連のお客様を<span style="background-color: #00ffff;">増やす</span>ことができました。」</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則</span>3　<strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 12pt;">「から」と「こと」を使い分ける</span></strong></p>
<p style="padding-left: 30px;">「<span style="background-color: #ffff99;">きっかけ</span>」の場合、「こと」を使う。「きっかけ」は何かを始める契機となった「出来事」を意味するからです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「から」は理由を意味するので、「こと」を使いません。</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「〜のきっかけは〜<span style="background-color: #00ffff;">から</span>でした」◯「〜のきっかけは〜<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>でした」</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「〜した理由は〜<span style="background-color: #00ffff;">こと</span>でした」◯「〜した理由は〜<span style="background-color: #00ffff;">から</span>でした」」</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則４　</span><strong><span style="font-size: 12pt; font-family: 'times new roman', times, serif;">「一助」と「一因」を使い分ける</span></strong></p>
<p style="padding-left: 30px;">「一助」は良いことを実現するために手を差し伸べることを謙遜していう言葉です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「一因」は広く原因について使う言葉です。</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「あの死亡事故はネジが緩んでいたことが<span style="background-color: #00ffff;">一助</span>となっている。」◯「あの死亡事故はネジが緩んでいたことが<span style="background-color: #00ffff;">一因</span>となっている。」</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「災害復興の<span style="background-color: #00ffff;">一因</span>となる。」◯「災害復興の<span style="background-color: #00ffff;">一助</span>となる。」</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則５</span>　<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="font-size: 12pt;">「群を抜いている」と「著しい」を使い分ける</span></strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">「群を抜いている」は<span style="background-color: #ffff99;">優れているもの</span>を表すときに用いる。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「著しい」は<span style="background-color: #ffff99;">はっきりとわかるもの</span>を表すときに用いる。優劣は関係ない。</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「販売不振が<span style="background-color: #00ffff;">群を抜いている</span>」◯「販売不振が<span style="background-color: #00ffff;">著しい</span>」</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則６</span>　<span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">「欠かすことのできない」を使い分ける</span></strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">「欠かすことのできない」は「<span style="background-color: #ffff99;">無くてはならない必要な</span>」という意味です。悪いことに対して「欠かすことのできない」というと、悪いことが無くてはならない必要なことであるという意味になってしまいます。</p>
<p style="padding-left: 60px;">（例）✕「環境問題は<span style="background-color: #ffff99;">欠かすことのできない</span>問題だ」◯「環境問題は<span style="background-color: #ffff99;">常に関心を向けなければならない</span>」◯「環境問題は検討を欠かすことのできない問題だ」</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則７</span>　<span style="font-family: 'times new roman', times, serif; font-size: 12pt;"><strong>「能動」と「受動」を使い分ける</strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">「能動」とは、「<span style="background-color: #ffff99;">他からのはたらきかけを待たずにみずから活動<span style="text-decoration: underline;">する</span>こと</span>」を意味します。「能動」の対義語が「受動」であり、「<span style="background-color: #ffff99;">他から動作・作用を及ぼ<span style="text-decoration: underline;">される</span>こと</span>」を意味します。基本的に物は能動的ではなく、受動的です。</p>
<p style="padding-left: 60px;">✕「会社は法律を<span style="background-color: #ffff99;">守っ<span style="text-decoration: underline;">ている</span></span>」◯「会社では、法律が<span style="background-color: #ffff99;">守<span style="text-decoration: underline;">られている</span></span>」（会社は活動する主体ではなく場所です）</p>
<p style="padding-left: 60px;">✕「<span style="background-color: #ffff99;">洗練<span style="text-decoration: underline;">した</span></span>装い」◯「<span style="background-color: #ffff99;">洗練<span style="text-decoration: underline;">された</span></span><span style="text-decoration: underline;">装い</span>」（装いは主体ではなく対象です）</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則８　</span><span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">「する」と「させる」を使い分ける</span></strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="background-color: #ffff99;">相手やものを必要と<span style="text-decoration: underline;">しない</span></span>動詞を「自動詞」といい、<span style="background-color: #ffff99;">必要と<span style="text-decoration: underline;">する</span></span>動詞を「他動詞」といいます。自動詞が「する」に対応し、他動詞が「させる」に対応します。たとえば「チームを発足したい」という文章は誤りです。「を」は他動詞とセットで使うからです。「チームを発足させたい」が正しいです。自動詞として用いたいならば、「が」をセットで用います。「チームが発足する」となります。</p>
<p style="padding-left: 60px;">ただし、「を」であるあからといって必ず「させる」であるとは限りません。「を」「・・・する」をセットで使う場合もあります。「が」「・・・なる」と対応するような「を」の場合、「・・・させる」ではなく「・・・する」となります。</p>
<p style="padding-left: 90px;">「を」「・・・する」を使う場合で正しいケースは、対応が「が」「・・・なる」になるケースです。たとえば「いい匂いをさせる」の対応が「いい匂いがなる」でないことを考えれば、「を」・・・「する」が間違いであることがわかります。「いい匂いををさせる」の対応は「いい匂いをがする」です。「握力を強くさせる」の対応が「握力が強くなる」というように「が」「・・・なる」であることを考えれば、「を」・・・「する」が正しいことがわかります。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td style="background-color: #add2f7;">
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace; font-size: 10pt;"><strong>「が」「・・・する」</strong></span></p>
</td>
<td style="background-color: #add2f7;"><span style="font-size: 10pt;"><strong><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">「を」「・・・させる」</span></strong></span></td>
</tr>
<tr>
<td>いい匂い<span style="background-color: #00ffff;">がする</span></td>
<td>いい匂い<span style="background-color: #00ffff;">をさせる</span></td>
</tr>
<tr>
<td>原因<span style="background-color: #00ffff;">が</span>はっきり<span style="background-color: #00ffff;">する</span></td>
<td>原因<span style="background-color: #00ffff;">を</span>はっきり<span style="background-color: #00ffff;">させる</span></td>
</tr>
<tr>
<td>彼<span style="background-color: #00ffff;">が</span>北海道に出張<span style="background-color: #00ffff;">する</span></td>
<td>彼<span style="background-color: #00ffff;">を</span>北海道に出張<span style="background-color: #00ffff;">させる</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p style="padding-left: 30px;">（b,93頁)</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則９</span>　<span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="font-size: 12pt;">「なる」と「する」を使い分ける</span></strong></span></p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td style="background-color: #add2f7;">
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace; font-size: 10pt;"><strong>「が」「・・・なる」</strong></span></p>
</td>
<td style="background-color: #add2f7;"><span style="font-size: 10pt;"><strong><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">「を」「・・・する」</span></strong></span></td>
</tr>
<tr>
<td>握力<span style="background-color: #00ffff;">が</span>強く<span style="background-color: #00ffff;">なる</span></td>
<td>握力<span style="background-color: #00ffff;">を</span>強く<span style="background-color: #00ffff;">する</span></td>
</tr>
<tr>
<td>将来<span style="background-color: #00ffff;">が</span>明るく<span style="background-color: #00ffff;">なる</span></td>
<td>将来<span style="background-color: #00ffff;">を</span>明るく<span style="background-color: #00ffff;">する</span></td>
</tr>
<tr>
<td>彼<span style="background-color: #00ffff;">が</span>キャプテンになる</td>
<td>彼<span style="background-color: #00ffff;">を</span>キャプテンに<span style="background-color: #00ffff;">する</span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>（b,93頁)</p>
<p><span style="font-family: 'courier new', courier, monospace;">原則10</span>　<span style="font-size: 12pt;"><strong><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;">列挙する時は、品詞を揃える</span></strong></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">品詞とは：文法的性質によって分けられた単語の類。名詞，動詞など（大辞泉）</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="line-height: 28.8px;">◆地球温暖化の結果、<span style="background-color: #00ffff;">猛暑</span>、北極の氷が<span style="background-color: #00ffff;">溶けてしまい</span>、<span style="background-color: #00ffff;">海面上昇</span>などと、既に被害は出ている。（名詞、動詞、名詞）</span></p>
<p style="padding-left: 30px;">◇地球温暖化の結果、<span style="background-color: #00ffff;">猛暑</span>、北極の<span style="background-color: #00ffff;">氷の溶解</span>、<span style="background-color: #00ffff;">海面上昇</span>などと、既に被害は出ている。（名詞に統一）</p>
<p style="padding-left: 30px;">◇地球温暖化の結果、猛暑が<span style="background-color: #00ffff;">到来し</span>、北極の氷が<span style="background-color: #00ffff;">溶け</span>、海面も<span style="background-color: #00ffff;">上昇する</span>ななどと、既に被害は出ている。（動詞に統一）</p>
<p style="padding-left: 30px;">（b,96頁）</p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 30px;"> </p>
<h3 class="heading1"><span id="toc8">４　述語を書き忘れない</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">述語とは：文の成分の一。主語について、その動作・作用・性質・状態などを叙述するもの。「鳥が鳴く」「山が高い」「彼は学生だ」の「鳴く」「高い」「学生だ」の類。（デジタル大辞泉）</p>
<p style="padding-left: 60px;"><span style="font-family: 'times new roman', times, serif;"><strong><span style="background-color: #ffff99;">特殊な場合を除き、「述語」を省いてはいけません</span></strong></span>。（b,30頁)</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 60px;">◆当部のパソコンは機能陳腐化や、一部対応できないソフトも出始めている</p>
<p style="padding-left: 60px;">◇当部のパソコンは機能が<span style="background-color: #00ffff;">陳腐化し</span>、一部のソフトに<span style="background-color: #00ffff;">対応できなくなって</span>いる。</p>
<p style="padding-left: 60px;">・・・</p>
<p style="padding-left: 60px;">◆各線とも平常通りの運転です。</p>
<p style="padding-left: 60px;">◇各線とも平常通り運転<span style="background-color: #00ffff;">されています</span>。</p>
<p style="padding-left: 60px;">(b,31~32頁)</p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 90px;">「当部のパソコンは機能陳腐化や・・」という文章は述語がありません。後の文章にも「機能陳腐化」の述語にあたるものがありません。機能陳腐化という名詞に「している」という述語を加える必要があります。また、「各線とも平常通りの運転です」のように、「名詞」＋「です」で済ませるのではなく、「名詞」＋「述語」＋「です」（「運転されています」）とするべきです。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc9">５　読点を正しく使う</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">読点（とうてん）とは：日本語の文中の切れ目に打つ記号。普通には「﹅」を使う。てん（デジタル大辞泉）。</p>
<table>
<tbody>
<tr>
<td style="background-color: #83e4f7;">読点がほしいところ</td>
<td style="background-color: #83e4f7;">例</td>
</tr>
<tr>
<td>１　長めの「主語」の切れ目</td>
<td>AでもありBでもありCでもある少年が、ある少女と仲良しだ。</td>
</tr>
<tr>
<td>２　長めの「目的語」の切れ目</td>
<td>AでもありBでもありCでもあった時の悲しさを、覚えている</td>
</tr>
<tr>
<td>３　「原因」と「結果」、「理由」と「結論」の間</td>
<td>・・・であるから、・・・だ。・・・ので、・・・だ。</td>
</tr>
<tr>
<td>４　「情況・場」と「そこで起きていること」の間</td>
<td>・・を終え、・・・した。・・・していると、・・・だ。</td>
</tr>
<tr>
<td>５　「前提」と「結論」の間</td>
<td>・・・だったら、・・・だ。</td>
</tr>
<tr>
<td>６　時間や場所が変わるところ</td>
<td>１０年前に、・・・だった。</td>
</tr>
<tr>
<td>７　逆説に変わるところ</td>
<td>・・だが、・・・だ。</td>
</tr>
<tr>
<td>８　対比したり、言い換えたりする時</td>
<td>・・・する一方で・・・だ。・・・という人もいるほど、・・・は・・・だ。</td>
</tr>
<tr>
<td>９　別の意味に取られたくない時</td>
<td>
<p>✕思いがけない場所である人と出会った。</p>
<p>◯思いがけない場所で、ある人と出会った。</p>
</td>
</tr>
<tr>
<td>１０　隣同士の修飾語の間に、予想外の関係が生じてほしくない場合</td>
<td>
<p>✕粘り強く努力するという人として大切な姿勢を学んだ。</p>
<p>◯粘り強く努力するという、人として大切な姿勢を学んだ。</p>
</td>
</tr>
<tr>
<td>１１　ひらがな、カタカナ、漢字ばかりが続く場合</td>
<td> </td>
</tr>
<tr>
<td>１２　その他（挿入句の前後、長い修飾語の切れ目など）</td>
<td> </td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p style="padding-left: 60px;"> (b,188頁)</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>伝わる日本語の書き方について５つのポイント~明文術~</title>
		<link>https://souzouhou.com/2016/02/18/%e4%bc%9d%e3%82%8f%e3%82%8b%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e%e3%81%ae%e6%9b%b8%e3%81%8d%e6%96%b9%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%ef%bc%95%e3%81%a4%e3%81%ae%e3%83%9d%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%88%e6%98%8e/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 18 Feb 2016 09:43:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[はじめに 　この回は阿部圭一さんの『明文術―伝わる日本語の書き方』（NTT出版）を参考にして構成していきます。 良書ですので気になった方は購入をおすすめします。 どうやって日本語を読者にわかりやすく伝えることができるかに [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h3 class="heading1"><span id="toc1">はじめに</span></h2>
<p>　この回は阿部圭一さんの『明文術―伝わる日本語の書き方』（NTT出版）を参考にして構成していきます。 良書ですので気になった方は購入をおすすめします。 どうやって日本語を読者にわかりやすく伝えることができるかについて悩んでいたのでこの本を手に取りました。一緒に学んでいきましょう。  </p>
<p style="padding-left: 30px;">※この本を参照する際にはmと略すことにします。</p>
<div id="1">

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><ol><li><a href="#toc1" tabindex="0">はじめに</a></li></ol></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">明文とはなにか</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">定義</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">伝わる日本語の書き方の５つのポイント</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">１　階層構造をトップダウンで記述するのが良い方法である</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">２　文章を書く際に「目標」を設定する</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">３　文章を書くためには「構成案」が必要</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">４　事実と意見とは、明確に区別できるように書く</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">５　複数の解釈を許すな</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 class="sample2"><span id="toc2">明文とはなにか</span></h2>
<h3 class="heading1"><span id="toc3">定義</span></h2>
<p>「<strong><span style="color: #ff0000;">明快な文章と明確な表現とによって、事実と意見とを他人にできるかぎり正確に伝えようとする文章</span></strong>」を意味する（m,50頁） </div>
<div> </div>
<div style="padding-left: 30px;">　木下是雄という人がレポートは「明快な文章」と「明確な表現」で書くべきである、といっているのですが、まさにこの「明確な文章」が「明文」に近いものであると紹介されています(m,32頁)。</div>
<div style="padding-left: 30px;"> </div>
<div style="padding-left: 60px;">明快な文章「すじが通っていて一読すればよくわかり、二通りの意味にとれることのない文章」</div>
<div style="padding-left: 60px;">明確な表現「ぼかしたところがなく、ずばりと断定的な表現」</div>
<div style="padding-left: 60px;"> </div>
<div style="padding-left: 30px;">　もし明確ではない場合、つまり&#8221;曖昧&#8221;である場合、言いたいことが読者にうまく伝わりません。明文とは小説家が書くような「うまい文章」ではなく「伝わる文章」なのです。曖昧、つまり複数の解釈が可能になることを避けるためには、ぼかさないこと、断定的な表現であること、筋が通っていることが必要なのです。明文を書くということは、「<span style="color: #0000ff;"><strong>自分の頭のもやもやネットワークの中にある、今表現したいと思う文章という形に記号化すること</strong></span>」なのです。</div>
<div style="padding-left: 30px;"> </div>
<div style="padding-left: 30px;">　そして問題は、<span style="text-decoration: underline;"><strong>いかにして曖昧さを避けることができるか</strong></span>、という点にあります。この方法について５つ本書から抜粋して紹介したいと思います。</div>
<div style="padding-left: 30px;"> </div>
<div id="2">
<h2 class="sample2"><span id="toc4">伝わる日本語の書き方の５つのポイント</span></h2>
<p>※私が独自に抜粋したものです</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc5">１　階層構造をトップダウンで記述するのが良い方法である</span></h2>
</div>
<p>（定義）トップダウン(top down)記述とは：<span style="color: #008000;"><strong>階層構造の上部からしだいにレベルを下に移しながら記述していく方法</strong></span>です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">※階層構造とは、ピラミッド構造ともいい、高層建築物のように、各階を、下層から上層へと順に積み重ねて全体を構成している場合を意味します。たとえば短い文章の場合、表題が一番上、段落が二段目、文が三段目に来る場合が考えられます。</p>
<p style="padding-left: 60px;"><a rel="attachment wp-att-714" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/1e437cae932b7c53fc423bd35eb0eac2.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-714" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/1e437cae932b7c53fc423bd35eb0eac2.png" alt="文章の階層構造" width="479" height="479" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/1e437cae932b7c53fc423bd35eb0eac2.png 479w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/1e437cae932b7c53fc423bd35eb0eac2-150x150.png 150w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/1e437cae932b7c53fc423bd35eb0eac2-300x300.png 300w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/1e437cae932b7c53fc423bd35eb0eac2-60x60.png 60w" sizes="(max-width: 479px) 100vw, 479px" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トップダウンの反対はボトムアップであり、いちばん下のレベルから記述をはじめ、すでに説明した材料を使ってひとつ上のレベルの説明を組み立てていく方法です。 階層構造におけるトップダウン記述について本書では<strong>ルールF</strong>と名付けられています。</p>
<blockquote><p>[ルールF]トップダウン記述では、要点だけを簡潔に記述する。詳細はその後で述べる。これを上の階層から下の階層へ順に繰り返す。(m,36頁)</p></blockquote>
<p>　要点から詳細へ、概要から詳細へ、全体から部分へということですね。 階層構造とトップダウン記述が必要な理由は３つあるといいます(m,38頁)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong> １：読み手がどこでやめても、ある程度の情報が得られる </strong></p>
<p><strong>２：先に概要を示すことで、読み手は書き手とのあいだの文脈を作っていくことができる </strong></p>
<p><strong>３：書き手にとっても、各内容の要約が定まるので、その後の文章の焦点がブレにくくなる </strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ブログの文章などでも最後まで読まれるとは限らないので、重要なこと、読み取ってほしいことはトップ（最初）に記述し、後で詳細を記述することが望ましいですね。 トップダウン記述と関連して「重点先行主義」というものもあります。重点先行主義とは、重要な事から先に述べようとする文章・説明の記述を意味します。</p>
<p>　 　金出武雄は「前置きなしに話す」の28節で聴衆の関心度と発表の内容の重要度の関連性について述べています。</p>
<blockquote><p><a rel="attachment wp-att-717" href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/2da4b043a0044b39b8a99981287a260c.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-717" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/2da4b043a0044b39b8a99981287a260c.png" alt="スクリーンショット 2016-02-18 7.00.20" width="489" height="465" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/2da4b043a0044b39b8a99981287a260c.png 489w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2016/02/2da4b043a0044b39b8a99981287a260c-300x285.png 300w" sizes="(max-width: 489px) 100vw, 489px" /></a></p></blockquote>
<div id="4"><span style="text-decoration: underline;"><strong>プレゼンテーションなどにおいて日本人は話の初めに重要度の「低い」内容を話してるにもかかわらず、聴衆の関心度は「高い」</strong></span>のです。反対に、話の終わりは発表者が重要度の「高い」内容を話しているにもかかわらず、聴衆の関心度は「低い」のです。このズレを解消するためには、重要度の「高い」内容を話しの「初め」に持ってくることが重要であることを示唆しています。そのための方法として、トップダウン記述、重点先行主義は有効であることがわかります。起承転結とよく言われますが、<span style="color: #ff0000;"><strong>明文のためには「結起承承結」が望ましい</strong></span>のです。「転」がない理由として、説明の飛躍や断絶などがともなうからだといいます。いきなり読者である受け手と共有していない用語を転で使いはじめるなどということは望ましくありません。このことは<strong>ルールB</strong>で説明されています。</p>
<blockquote><p>[ルールB]受け手と共有している文脈に含まれない用語や概念を送りてが用いるときには、それより前にその説明がなされていなければならない。（m,45頁）</p></blockquote>
<p>最初に結論がきて、次に前置きである「起」がきます。それを受けて「承」がくるのですが、いくつ続いてもいいそうです。ルールBにしたがってそれまでに説明したことを使って次々と説明を展開していきます。最後にも「結」がありますが、これはまとめてきな「結」だそうです。 　</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc6">２　文章を書く際に「目標」を設定する</span></h2>
</div>
<p>設定するべき目標には次のものがあるといいます。（m,53頁）</p>
<p>１　文章の目的</p>
<p>２　読者およびその前提知識</p>
<p>　まずは「文章の目的」から見ていきます。</p>
<blockquote>
<p>[ルール１]あなたがこれから書く文章にたいして、読み手が求める目的を確認する。(m,53頁)</p>
</blockquote>
<p>　文章の目的は書き手が「書く目的」ではなく、<span style="text-decoration: underline;"><strong>読み手が「読む目的」</strong></span>であることに注意です。明文を書く目的は「<span style="color: #ff0000;"><strong>その文章を読む前と、読んだ後とで、読み手の頭のなかのモヤモヤネットワークに何が付け加えられることを期待するか</strong></span>(m,53頁)」です。こうした目的を自問自答して文章を書くことが望ましいといえます。たとえば私のこの記事においては、「どうやったら伝わる日本語を書けるようになるのだろうか」というモヤモヤネットワークに「明文」という方法、技術を付け加えることを期待しています。</p>
<p>　<strong><span style="color: #ff0000;">ひとつの文章には一つの目的（主題）にすることが重要</span></strong>です。文章の目的を一文で書いてみるとはっきりすると思います。こうした目的に関する文章を「目標規定文」というらしいです。こうした目標規定文を書くことによって、それ以降の文章執筆における枠組みが定まり、書きやすくなる効果が望めます。</p>
<p>　また、<span style="color: #ff0000;"><strong>表題にはその文章からどんな情報が得られるかを簡潔に記述する必要</strong></span>があります。</p>
<p>２　読者およびその前提知識</p>
<blockquote>
<p>　[ルール５]想定される読み手の層、および、読み手が知っていること、知っていないことを確認する。(m,56頁)</p>
</blockquote>
<p>　たとえばある会社の社員だけが読み手だった場合と、不特定の一般の読み手の場合だと当然「前提知識」が違います。前提知識の有無によって書き方を変える必要があるのです。前提知識を共有していないような読み手に文章を書く場合は、前提知識も説明するようにすることが望ましいといえます。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc7">３　文章を書くためには「構成案」が必要</span></h2>
<p>　いきなり構成案なしに文章を書くとガタガタになってしまいます。まずは構成案を考えましょう。具体的にいえば、<span style="color: #ff0000;"><strong>文章を構成する材料集めと材料を構成案の形に配列するという２つのステップが重要</strong></span>だそうです(m.58頁)。　材料メモは時間をかけてつくり、思いついたことは何でもメモしていきましょう。この作業にはたとえばブレインストーミング（与えられた問題に対してアイデアを次々に出していく）が有用です。イメージとしては、骨組みをまず作って肉付けしていく感じですね。</p>
<blockquote>
<p>[ルール９]書こうとする内容の情報構造を明確につかみ、それを反映するように段落や章・節の構成を決めていく。(m,62頁)</p>
</blockquote>
<p>　材料メモに書きだされたさまざまな関係（情報の構造）をつかむことが重要です。関係の例として、上位・下位関係、並列にならぶ関係、原因・結果あるいは理由・結論の関係、時間的、空間的な順序関係などが挙げられます。</p>
<p>　階層構造のルールについてもまとめてとりあげておきます。</p>
<blockquote>
<p>[ルール10]一つの構成単位には一つの話題しか書かない。</p>
<p>[ルール11]一つの構成単位（例えば、章)を構成する下位の単位（例えば、節）には、同格のものを並べる。その個数は、７つくらいまでとする。</p>
<p>[ルール12]下位の構成単位を並べる順序は、なんらかの規則に沿った順序にする。</p>
<p>[ルール13]あることを理解するには、先に別のことを知っておかなければいけないという、説明の順序に注意する。</p>
<p>(m,63~64頁)</p>
</blockquote>
<p>　ルール１０を「一単位一義の原則」というらしいです。一つの単位には一つの一義、一つの節には一つの一義、一つの段落には・・・文には・・と適応させていきます。</p>
<p>　ルール１２の「マジカルナンバー」は、人間が新しい情報を一度に覚えられる量だそうです。</p>
<p>　ルール１３は「文章のどこにおいても、そこまでに読んだことだけを使ってその記述が理解できるように、材料が配列されなければいけない」そうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc8">４　事実と意見とは、明確に区別できるように書く</span></h2>
<p>　これは当たり前のようですが、意外と見落とされがちですね　（おっとこれも意見ですね、とくに根拠がないので）。</p>
<p>ー&gt;&#8221;私は&#8221;よく見落としてしまうことがあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>事実とは、「証拠を示すことのできる陳述(m,98頁)」です。</p>
<p>意見とは、「主観的な判断」であるといっていいかもしれません。</p>
<p>※「推論、判断などの狭義の意見、確信、仮説、理論などの広義の意見(m,99頁)」などがあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　事実と意見を明確に区別できるように書く場合にはテンプレートを用意したほうがいです。事実の場合は、主観的な形容詞や副詞を入れないこと。代わりに「数値」を入れることなどが考えられます。大幅な減少、よりも30％の減少という方が望ましいです。意見の場合は、「私は・・・と考える」という書き方をするのです。本書では「・・・と考えられる、と思われる、であろう」などの表現は理系のレポートや仕事の文章ではできるだけ避けたほうがいいとあります(m,101頁)。著者が責任を逃れているような印象を与えるからです。</p>
<p>。</p>
<h3 class="heading1"><span id="toc9">５　複数の解釈を許すな</span></h2>
<p>　まずはルールを引用しておきます。</p>
<blockquote>
<p>[ルール48]修飾語と被修飾語とは隣り合っているのが、最も良い。</p>
<p>[ルール49]修飾語と被修飾語とは、なるべく近くにおく。</p>
<p>[ルール50]修飾語が、直後の語を修飾しないことを明示するには、修飾語の語の読点（、）を打つ。</p>
<p>[ルール51]長い修飾語を前に、短い修飾語を後にする。</p>
<p>[ルール52]すぐ後の語を修飾するのではなく、離れた語を修飾している語に注意。</p>
<p>[ルール53]「AとB」という形のとき、Bの後にも「と」を入れると、AとBとの並列性がより明確に表現できる。</p>
<p>(m,131~135頁)</p>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<p>修飾語と被修飾語についての説明をブリタニカ百科事典から引用しておきます。</p>
<blockquote>
<p>文法用語。「とてもきれいな絵」で，「とてもきれいな」はどのような絵なのか，「とても」はどれほどきれいなのかを示している。このように，文中で他の語句の表わす内容に限定や説明を加える語句を修飾語といい，修飾されている語句を被修飾語という。</p>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<p>まずはダメな例について挙げておきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「きのうお借りした本を返しに行きましたが、お留守でした。」</p>
<p>この文章における「曖昧な部分、複数の解釈を許す部分」は「きのう」という修飾語がどこにかかっているかという部分です。</p>
<p>「きのう」が「お借りした（被修飾語１）」にかかっているのか、「本を返しに行きました（被修飾語２）」にかかっているのかが曖昧ではっきりしていません。あるいは「お留守でした（被修飾語３）」だけにかかっているのかもしれません。</p>
<p>一週間前に借りた本を「きのう」返しに行ったのかもしれないからです。つまり「お借りした（被修飾語１）にはかかっていない、つまり被修飾語ではないという可能性も出てくるのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで、ルールを適用し、修飾語と被修飾語を隣り合わせ、あるいは近くにおきます。</p>
<p>「お借りした本を返しに&#8221;きのう（修飾語)&#8221;返しに行きました(被修飾語）が、お留守でした。」</p>
<p>となれば問題ないはずです。日本語は前から後に修飾語によって就職させるので、この場合「きのう」が「お借りした本」にかかることはありません。また、句読点をつけることによって、「お留守でした」にかかることもないのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「きのうお借りした本を返しに行きましたが、お留守でした。」という文には、「きのう」と「お借りした本を返しに」という修飾語が、「行きました」という被修飾語にかかっていると考えられます。この場合、どちらの修飾語を先に置くかということが問題になります。本書によれば、長い修飾語を先に置くのが望ましいそうです。</p>
<p>「お借りした本をきのう返しに行きましたが、お留守でした。」という文章に変える必要があります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「爽やかな５月と６月」</p>
<p>AのBとCという構造になっています。爽やかな（A）のはBなのか、Cなのかがわかりません。ここが曖昧です。</p>
<p>「（AのB）とC」という解釈と、「Aの（BとC）」という二つの解釈を許してしまっています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで、「６月と爽やかな５月」に変えることによって、２つの解釈を許さない文章ができます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「川べりにある露天風呂と本館とを結ぶ長い廊下」</p>
<p>川べりに本館がないということを明確にしなければいけない場合次の文になります。</p>
<p>「本館と川べりにある露天風呂とを結ぶ長い廊下」</p>
<p>AとBという形のときに、Bの後に「と」をいれると並列性が明確に表現できるそうです。</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>フリードリヒ・ニーチェまとめ</title>
		<link>https://souzouhou.com/2015/12/01/%e3%83%95%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%89%e3%83%aa%e3%83%92%e3%83%bb%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%83%81%e3%82%a7%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%81/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 01 Dec 2015 04:57:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[フリードリヒ・ニーチェ]]></category>
		<category><![CDATA[哲学]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[目次 目次フリードリヒ・ニーチェとは道徳の系譜学道徳的な善悪について系譜についてルサンチマンとはニヒリズムについて価値を支える絶対者としての神価値を支える神は死んだニヒリズム総括構成について参考文献 目次 フリードリヒ・ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-12" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-12">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">目次</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">フリードリヒ・ニーチェとは</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">道徳の系譜学</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">道徳的な善悪について</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">系譜について</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">ルサンチマンとは</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">ニヒリズムについて</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">価値を支える絶対者としての神</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">価値を支える神は死んだ</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">ニヒリズム</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">総括</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">構成について</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">参考文献</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2 id="index"><span id="toc1">目次</span></h2>
<ul>
<li><a href="#1">フリードリヒ・ニーチェとは</a></li>
<li><a href="#2">道徳の系譜学</a></li>
<li><a href="#3">ルサンチマンとは</a></li>
<li><a href="#4">ニヒリズム（虚無主義）とは</a></li>
<li><a href="#5">section5</a></li>
<li><a href="#6">section6</a></li>
</ul>
<div id="1">
<h2><span id="toc2">フリードリヒ・ニーチェとは</span></h2>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2015/11/ニーチェさん.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-293" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2015/11/ニーチェさん.jpg" alt="ニーチェさん" width="509" height="317" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2015/11/ニーチェさん.jpg 509w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2015/11/ニーチェさん-300x187.jpg 300w" sizes="(max-width: 509px) 100vw, 509px" /></a><br />
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ（独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日 &#8211; 1900年8月25日）は、ドイツの古典文献学者、哲学者。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには文学的価値も認められる。(wikiより)<br />
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</div>
<div id="2">
<h2><span id="toc3">道徳の系譜学</span></h2>
<h2><span id="toc4">道徳的な善悪について</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #ff0000;"><strong>道徳的な善悪は、論理的な帰結としての本来的な善悪とは関係がない</strong>。</span></p>
<p style="padding-left: 60px;">つまり、どんな道徳だとしても、最初から心の中や論理の中に存在していたわけではないということです。社会の中に規範やルールがまず存在し、それが次第に私たち一人一人の内部に入る来るようになるだけです。人殺しはいけない、というものは道徳的な基準であるが、最初から心のなかや論理の中に存在していたわけではありません。<strong><span style="color: #008000;">道徳とは長期間にわたって社会に存在していたルールが固定化したもの</span></strong>にすぎません。</p>
<p style="padding-left: 90px;">たとえば、「他人の物を盗むのは悪い行為である」という考えは<span style="text-decoration: underline;">ほとんど</span>すべての人間が合意する道徳です。たしかに私自身も盗むことは道徳的に悪い行為であると考えてしまいます。しかしこれは<span style="text-decoration: underline; color: #ff0000;"><strong>自然界のルールではなく</strong></span>、私たちが生まれた時から持っているものではありません。<strong>動物は平気で他の動物のものを盗みます</strong>。猫が他の猫の餌を奪い取っていることを見たことがあります。<strong>幼児はそもそも所有という概念を持っていません</strong>。社会化されることによって所有という概念を持たされるともいえるでしょう。また、<strong>ある部族、ある文化では窃盗が好ましいものとされていることもある</strong>でしょう。</p>
<h2><span id="toc5">系譜について</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">系譜とは、一般的に「同じような要素・性質を受け継いでいる事物のつながり同じような要素・性質を受け継いでいる事物のつながり」という意味です。道徳に関していえば<span style="color: #008000;"><strong>、現代の道徳がどのような経緯によって作り上げられてきたかについて検討をを加えるということ</strong></span>です。</p>
<p><a class="button" href="#index">▲ 目次にもどる</a></p>
</div>
<div id="3">
<h2><span id="toc6">ルサンチマンとは</span></h2>
</div>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #008000;"><strong>ルサンチマンとは、日本語でいえば「逆恨み、怨恨」</strong></span>です。<strong>ルサンチマンは</strong>現代において多くの道徳を形成している<span style="text-decoration: underline; color: #ff0000;"><strong>”キリスト教的な価値観”を生み出した発端</strong></span>といえます。</p>
<p style="padding-left: 60px;">たとえば<strong>キリスト教的な価値観では、善を利他的な行動</strong>であると考えてきました。そして<strong>悪を利己的な行動である</strong>と考えてきました。<span style="color: #000000;"><strong>こうした分類は本来的な善悪とは関係がありません</strong></span>。自然界のルールでもなく、生まれた時から持っているものでもありません。</p>
<p style="padding-left: 60px;">問題は、このようなキリスト教的な価値観がどのような経緯で発生してきたかということです。利他的・禁欲的なものを善とするのは、&#8221;<strong>強者が弱者に対して施しや慈善を行うことという力の系譜&#8221;</strong>に根ざしているものだと考え、その変異をたどることによって問題を明らかにしようとニーチェは考えたのです。そしてそれは<span style="color: #ff0000;"><strong>&#8220;迫害されてきた者たちの怨恨（ルサンチマン）によるもの</strong></span>だとニーチェは指摘しました。&#8221;</p>
<p style="padding-left: 90px;">（前提知識）<strong>キリスト教は長い間迫害を受けてきた</strong>らしいです。</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 90px;">ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。<br />
そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。<br />
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。<br />
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存在していませんでした。</p>
<p>その中で、キリスト教だけが絶えず迫害を受けていました。<br />
これは、キリスト教が当時の貧民層に広がっていったためです。<br />
従来の宗教が、現世の利益をもたらす事を説いているのに対し、キリスト教は、死後の安泰を求める宗教でした。<br />
現世において苦境にある貧困層にとって、脱出できない現状を捨てて、来世に望みをつなぐキリスト教は、当時唯一縋れる宗教だったため、貧困層に広まっていったと思われます。</p>
<p>現世よりも来世に望みをつなぐ宗教は、当時の為政者には不都合なものでした。<br />
死を恐れないキリスト教貧困者は、為政者のいう事を聞かず、反感や暴動などに簡単に参加する事になります。<br />
こういった危険な宗教に対しては、払底的に弾圧して消滅させるか、体制内に取り込むかしかありません。<br />
コンスタンティヌス帝以前は、弾圧し消滅させる方向でしたが、弾圧せせきれないほど大きくなってしまい、最後には体制内に取り込む事で、キリスト教をコントロールする事になります。</p>
<p>キリスト教の弾圧を行ったのは、<br />
ネロ帝（64年）、ドミチアヌス帝（95年）、トラヤヌス帝（107年）、ハドリアヌス帝（118年）デキウス帝～ヴァレリアヌス帝（250年～260年）、ディオクレティアヌス帝（303年）が、年表に記載されています。</p>
<p style="padding-left: 90px;"><a href="http://okwave.jp/qa/q4049446.html">キリスト教はなぜ迫害されたのか</a></p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 90px;">迫害とは、ニーチェいわく、”<strong>力のあるものが、力のないものたちの権利を侵害すること</strong>”という意味をもちます。キリストを信じる人達は、貧しく、現世よりも来世を重視し、力の強いものとしての支配者たちに対して反体制的であったため、弱い立場にあったといえます。こうした<span style="color: #ff0000;"><strong>力の関係が、力のあるものが、力を振るうことを厳（げん）に戒めるという価値観をキリスト教のなかで生成させた</strong></span>といえます。いじめられっこがいじめはよくないという価値観を生み出す感じに似ていますね。</p>
<p style="padding-left: 120px;">反対に、<span style="text-decoration: underline;"><span style="color: #ff0000;"><strong>ローマ的な価値観の中心は、力を自分のために使って、自らが幸福になること</strong></span></span>でした。ローマ的な価値観では冒険や格闘などにおいて力をふるうことが善とされてきた経緯があるみたいです。個人的なことですが、ドゥルーズによれば価値と価値の対立が新しい価値を生んでいくそうですが、ローマ的な価値観とキリスト教的な価値観の対立は排除や妥協を伴わないことだったのでしょうか。ローマ的な価値観はキリスト教な価値観を排除したことでしょう。反対もおそらくそうでしょう。排除ではなく吸収であったなら、どの部分をキリスト教的な価値観はローマ的な価値観を吸収したのでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<div id="4">
<h2><span id="toc7">ニヒリズムについて</span></h2>
<h2><span id="toc8">価値を支える絶対者としての神</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">キリスト教的な価値観は価値の正しさの理由を絶対者に求めたそうです。&#8221;<span style="text-decoration: underline; color: #0000ff;"><strong>単なる社会規範やルールではなく</strong></span>、<span style="text-decoration: underline;"><span style="color: #ff0000;"><strong>真理にまで</strong></span></span><strong>高めようとしたことの帰結</strong>として<span style="color: #ff00ff;"><strong>絶対者としての神の存在を根底に置く</strong></span>キリスト教的価値観の体系が構築された&#8221;とニーチェは指摘しています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">たとえば物を盗むことがいけないという根拠は、自分も盗まれたくないから、そういう文化だから、というような説明がよくされます。しかしそういった根拠は絶対的なものではなく、時代や文化によってかわる価値観です。こうした曖昧な根拠を絶対的な根拠にするためには、神様を持ち出すしかないのです。神様の意思だから、神様の言葉だから、といった絶対的な正当化です。このように、<strong>本来的な理由がない、その文化及び社会において使用されてきた規範であるから、といった正当化だけでは納得できなくなったので絶対者に支えられた価値観の体系が必要となった</strong>のです。</p>
<h2><span id="toc9">価値を支える神は死んだ</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">こうした<span style="color: #ff0000;"><strong>絶対者に支えられた価値観の体系はと長期間にわたって使用されているうちに、人々の心のなかに内在化し、道徳になっていきました</strong></span>。この道徳となった価値の体系を揺るがすような別の価値観が発生したのです。それは<strong><span style="text-decoration: underline; color: #ff00ff;">科学</span></strong>です。たとえば、「生物は神が作ったものではなく、進化によって発生したものである」（ダーウィニズム）だとか、「宇宙は創ったものではなく、ビッグバンによって発生したもの」だとかいう<strong>科学研究の成果が多く語られ、<span style="text-decoration: underline;"><span style="color: #ff00ff; text-decoration: underline;">絶対社（神）の存在が否定されるようになった</span></span>のが19世紀以降の近代</strong>です。ニーチェいわく、キリスト教的価値観の体系をそこで支えていた存在としての絶対者が不在となり、善悪や正しさの基盤が失われてしまったという。</p>
<h2><span id="toc10">ニヒリズム</span></h2>
<p style="padding-left: 30px;">ニーチェいわく、<span style="text-decoration: underline; color: #0000ff;">ニヒリズムとはキリスト教的価値観が失われたことによって発生したのではなく</span>、<span style="color: #ff00ff;"><strong>むしろキリスト教的価値観の体系の中にこそニヒリズムの種が存在していた</strong></span>という。</p>
<p style="padding-left: 60px;">自己解釈：価値観の体系を神に依存させなければ、ニヒリズムは発生しなかったかもしれないということか（？）。価値観を神に依存させなければならないような状況に陥らせた”なにか”がニヒリズムの”種の種”として考えることができる。そもそものキリスト教の価値観とは他者利益を善、自己利益を悪と考えることで、その当時のローマ的な価値観の反発として形成されたものだった。貧者の不遇が価値を生成させ、その価値を担保させるように、神を価値の基盤においた。となれば、ニヒリズムの根源はやはり貧者の不遇であり、貧者の不遇を形成したものは、貨幣システム等のシステムであったのかもしれない。</p>
<h2><span id="toc11">総括</span></h2>
<blockquote><p>「自分が間違っているかもしれない」と感じたとき、「どのような価値観に照らし合わせてそう感じるのか」を吟味し、検討しなくてはなりません。そして、「絶対的な正しさ」が存在しないからといって、悲しむ必要もなく。また、厭世する必要もありません。「正しさ」とは、「正しさを求める営みを続けること」の中にのみ存在しているのです。p99</p></blockquote>
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<h2><span id="toc12">構成について</span></h2>
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<h2><span id="toc13">参考文献</span></h2>
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<p>・「現代思想の使い方」高田明典（秀和システム）</p>
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