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	<title>ジョン･ラングショー･オースティン | 創造法編集社</title>
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	<description>社会学や哲学、その他創造に関する知識をまとめます</description>
	<lastBuildDate>Sat, 28 Mar 2026 05:25:55 +0000</lastBuildDate>
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	<title>ジョン･ラングショー･オースティン | 創造法編集社</title>
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	<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:45:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
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					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､8分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-1" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-1">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">教訓</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">複雑性､偶発性､多様性､柔軟性</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">デリダ=サール論争､寄生的な発話と脱構築について</a><ol><li><a href="#toc8" tabindex="0">真面目な発話と寄生的な発話の違い</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">デリダにおける記号の反復可能性</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">不真面目な発話における変革的力について</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">ベイトソンにおける｢学習の学習｣</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc14" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<p>ショート動画で1分で説明しているバージョンも投稿していますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<h2><span id="toc5">教訓</span></h2>
<h3><span id="toc6">複雑性､偶発性､多様性､柔軟性</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_14-54-15.png"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5301" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_14-54-15.png" alt="" width="590" height="437" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_14-54-15.png 590w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_14-54-15-150x112.png 150w" sizes="(max-width: 590px) 100vw, 590px" /></a></p>
<p>言葉は世界を単に写し出したり､コピーするものではなく､世界を作り出すものであるという見方は面白い｡言葉は発話だけではなく行為でもあり､また思考にも関係している｡あらゆる活動の基盤となるものであり､我々は日々､世界を創り出しているのだといえる｡</p>
<p>食べたり､壊したり､触ったりしなければ世界は変わらないと心のどこかで私は思っていたのかもしれない｡しかし､発話行為も同様に世界を変化させるという意味で機能等価的でありうる｡</p>
<p>また､｢単に発話そのものだけを見ても発話の意味や機能が見えてこない｣という視点も重要である｡それは全体の中の部分にすぎず､全体を把握しなければ部分のあり方が見えてこないのである｡こうしたホーリスティック(全体論)的な考え方は社会学者のデュルケムや人類学者のベイトソンがもっていた考え方である｡あるいは構造において要素のあり方が規定されると考えれば､構造主義的である｡</p>
<p>我々の発話の意味や機能､そしてそれらが導く結果は｢社会的コンテクスト｣が強く影響する(言葉を使わない行為も､行動も､なんらかの意味をもつためにはコンテクストが関係するといえる)｡</p>
<p>デュルケムでいえば人間は社会的に拘束されているということになる｡ただし､そうした社会的コンテクストは不動のものではなく､我々の日々の行為､そして日々の発話によって変化しうるものであると考えれば社会学の構築主義に近づく｡さらに社会的慣習だけではなく｢身体｣にも影響を受ける存在と考えればメルロ･ポンティの思想に近づく｡｢主体性(意識)｣を重視すればサルトルなどの思想に近づくだろう｡我々は様々な要素に､複雑に影響を受け､選択し､行為して生きている｡</p>
<p>コンテクストによって意味が変化するという点はベイトソンにおいても重要だった｡たとえば｢玩具の作り物のステーキ｣に対して､｢<i>食べてみたい</i>｣と発話したとする｡</p>
<p>この場合､多くの場合は&lt;冗談だよ&gt;というコンテクストにおける発話だと解釈される｡しかし､そうしたコンテクストを解釈できない人間がいる｡｢ふつうこれは冗談だ｣という慣習を知らないのではなく､<b>言葉通りの意味以外を受け付けないように学習した人間</b>である｡現代日本社会では基本的にそうした人物は｢発達障害｣と診断される傾向がある(たとえばアスペルガー症候群など)｡</p>
<p>こうした症状はDNAなどの生得的なものだけではなく､社会的に､たとえば家族内での歪んだコミュニケーションで後天的に生じうるという点がポイントである｡</p>
<p>では､こうした家族内の歪んだコミュニケーションを生み出しやすいような社会的な仕組みが存在するのか､認識枠組みが存在するのかと考えていくと､より大きな構造的な話につながっていく｡</p>
<h3><span id="toc7">デリダ=サール論争､寄生的な発話と脱構築について</span></h3>
<h4><span id="toc8">真面目な発話と寄生的な発話の違い</span></h4>
<p>デリダ=サール論争とは､オースティンの言語行為論をめぐって､｢意味は通常の発話者の意図と文脈によって基礎づけられる(サールのオースティン解釈)｣のか､｢それとも反復可能性によって意図や文脈そのものが成り立っている(デリダ)｣のかを争った哲学論争のことである｡</p>
<p>ジャック･デリダ(1930-2004)はフランスの哲学者である｡1971年の国際会議(モントリオール)においてデリダによってオースティンへの言及が口頭発表され､｢署名 出来事 コンテクスト｣が1976年に英訳された｡</p>
<p>1977年に｢差異ふたたび:デリダへの反論｣という題名で批判をサールが発表する｡デリダはサールの反論に対して､1977年に｢有限責任会社abc｣を発表し､再反論している｡さらにハーバーマスが｢近代の哲学的言説｣(1985)のなかでサール寄りの立場をとっている｡</p>
<p>オースティンは｢<b>真面目な発話</b>｣を基準に発話行為論を構築しようとした｡｢真面目ではない発話｣とは､舞台､詩､冗談､独り言などの発話のことであり､｢<b>寄生的な発話</b>｣と呼ばれ､分析から除外したわけである｡｢真面目ではない発話｣ではない発話が｢真面目な発話｣ということになる｡</p>
<p>たとえば冗談で｢<i>１兆円渡すと約束する</i>｣といった場合､遂行的な発話は奇妙で､空虚であるということになる(約束という機能をもたない)｡この例だと極端だが､｢<i>明日は遅刻しないと約束する</i>｣場合でも冗談でありうるし､独り言でありうる｡そんな(普通はありえなそうな)可能性まで考えていたら理論の構築が難しいというわけなのだろう｡しかしデリダからすれば､その｢<b>可能性</b>｣こそが大事なのである｡</p>
<p>寄生とは一般に､｢他に頼って生きる｣ことを意味し､それ自体では意味をなさないものである｡</p>
<p>｢ある社会において､普通はAという意味であり､Bという機能を果たす｣という基本的な前提があるからこそ､その前提を参照し､かつ無効化できるのである｡駄菓子屋で｢<i>お会計は100億円になります</i>｣という冗談が通じるのは､文字どおりの普通の意味を理解したうえで､かつそれが本気ではないと理解できるからである｡｢<i>あなたの家を燃やします</i>｣と舞台で聞いて本気で驚かないのも同様である｡文脈に依存しているのは全ての発話がそうだが､冗談の場合は普通の発話とはどういう意味か､<b>普通はどう受け取られるかという状態に依存している</b>のである｡</p>
<p>通常の約束事をあえて踏み外し､｢<b>ズレ</b>(差異)｣を作ることで生まれる(通常ではない)機能をもつ発話が｢冗談｣だということになる｡</p>
<p>オースティンはそうした｢寄生的な発話｣を再び一般的な考察の対象として扱うこともあるかもしれないが､今回の分析から意識的に排除すると述べている｡オースティンは基本的に｢<b>通常の状況で発せられた</b>｣という条件で考えているのである｡要するに､オースティンは｢通常の意図と文脈から構成される『真面目な発話』によって安定的に理論を基礎づけよう｣としているわけである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>森達也｢言語行為論と政治的自由―「談話のコントロールとしての自由」 をめぐって―｣(2009),92p</p>
<p>岩本一｢オースティン・サール VS. デリダ―サール= デリダ論争の脱構築的・哲学的考察―｣(2005),28-30p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">デリダにおける記号の反復可能性</span></h4>
<p>それに対してデリダは､<b>そもそも通常の意図や文脈は理論の前提とはならない</b>と批判している｡</p>
<p>たとえば三角形が成立する条件は｢三つの辺をもつこと｣であるが､時系列的に｢最初に３つの辺が時間的に最初に現れた｣というわけではない｡三つの辺は三角形の｢<b>成立条件</b>(論理的前提)｣なのである｡同じように､｢この言い方は､普通はこういう意味だ｣が成立する条件として｢<b>反復可能性</b>(他の場面でも違ったように使うことが可能)｣が必要になるのである｡ズレる可能性を抑える状態が普通だというのなら､そもそもズレる可能性が存在していなければならない｡そして､ズレが絶対にないという状態は言語の使用でありえないということになる｡可能性は常に残るのであり､低めることができるにすぎない｡柔軟性､偶発性を０まで食い尽くして固定することはできないのである(常に開かれている)｡</p>
<p>たとえば｢<i>100億円になります</i>｣という言葉は､駄菓子屋で店主が言えば冗談であり､企業を買収しようとしているビジネスマンが言えば冗談ではない場合がある｡</p>
<p>このように､我々は状況によって本気か冗談かを区別することが可能である(と日常的には感じている)｡この区別が可能であるのは､そもそも記号(言語)の意味が固定的ではなく､ズラす事が可能な､不安定な､揺れるものだからであり､それを前提に社会的な営みが上乗せされているからである｡(どんな発話でも､どんな状況でも)冗談として解釈されうる､意図しうるという事態はそうした｢<b>揺れ</b>｣を表す重要な要素なのである｡</p>
<p>記号に対する解釈がズレる余地を常に含んでいるような構造的な性質を｢<b>記号の反復可能性</b>｣という｡｢普通の意味｣とは､記号が本来的にもつ反復可能性によるズレが､暫定的に社会的慣習によって抑え込まれている状態にすぎない｡</p>
<p>ただし､反復可能性は｢普通の発話｣が成立するための論理的前提条件であって､それ自体が発話の成功を保証するものではない｡反復可能性が存在し､かつ､｢<b>反復可能性に伴う解釈のズレをできるだけ抑える作業</b>｣が社会的に繰り返し行われることで､また､それらが文化として蓄積されることで､ある記号をある解釈へと固定的に考えることが可能となり､狙った意図を成功させる可能性を高めているにすぎない｡もちろん､そうした｢反復可能性に伴う解釈のズレの抑制｣は完全ではなく､常に変動する可能性をもっている｡</p>
<p>オースティンは｢真面目な文脈｣を､冗談という文脈ではない､舞台という文脈ではないといったように定義している｡つまり｢非標準的｣がわかるからこそ､｢標準的｣がわかるのである｡</p>
<p>もし理論から｢非標準的なもの｣を排除してしまうと､標準という概念が成り立たなくなってしまう｡前提として排除したものを､前提としてすでに使っているのである｡</p>
<p>要するに､デリダは｢非通常的な文脈｣も分析の対象としていないのはおかしいといっているのである｡重要なのは｢<b>発話への解釈が揺らがざるをえないこと</b>｣への視線である｡理想的で安定的で､静態的な｢構造｣への重視への批判だろう(いわゆる脱構造主義的な立場である)｡</p>
<p>とはいえ､そもそも通常/非通常の分類をどのように行うのかという問題がまだある｡オースティンのように､所与のものとして安直に前提することは問題になる(こうした批判は､パーソンズに対する保守性への批判と重なるものを感じる)｡言語行為が成功するためには｢慣習的な手続き｣や｢意図｣が必要だとオースティンはいい､それらは｢通常性｣に依存している｡デイヴィッドソンの場合も｢主体は合理的である｣と仮定することから始まるが､その社会において合理的であるとされる状態は何か､合理的ではないとされる状態は何かという分析から始める必要があるといえる｡</p>
<p>たとえば｢Aという発話がXという文脈で用いられれば､αという意味や機能をもつ｣というケースがある社会で頻繁に､くり返し用いられていれば通常性が高いといえるのか｡</p>
<p>どの程度､どの範囲ならそういえるのか｡過去を基準とするのか､現在を基準にするのか｡どんな人物が使っていればいいのか｡なにをもって人物といえるのか｡普通の人物とはどういう性質をもっているのか｡そもそも最初の1回目はどうやって成立したのか｡｢反復可能性に伴う解釈のズレの抑制｣はいかにして実行されているのか､また､それが十分だとどうして見なされるのか｡｢<b>ズレの抑制がされたものだと理論的に仮定して進める</b>｣だけでは､十分ではないのだろう｡</p>
<p>前提の前提､その前提といったように､理論を基礎づけることには困難が生じてくる可能性がある｡オースティンの言語行為論は安定した基礎を持てない､揺らぎざるをえないという結論になってしまう｡理論的なものは置いておいて､現実の｢反復可能性に伴う解釈のズレの抑制｣がいかに現場で生じているか(たとえばズレたときの事後的な秩序の修復作業など)を徹底的に素直に記述しようとしたエスノメソドロジーはその点､(理論化を諦めて､あるいは戦略的に中断して)揺らぎに着目しているといえるかもしれない｡</p>
<p>サールは｢排除は暫定的なものにすぎないとオースティンは述べている｣といってデリダの解釈は誤読であると反論している｡詳細なサールの反論はここでは省く｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>森達也｢言語行為論と政治的自由―「談話のコントロールとしての自由」 をめぐって―｣(2009),92p</p>
<p>岩本一｢オースティン・サール VS. デリダ―サール= デリダ論争の脱構築的・哲学的考察―｣(2005),28-30p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">不真面目な発話における変革的力について</span></h4>
<p>このような難しい話はあまり身に入ってこないが､面白いと思った点があった｡それは､｢<b>不真面目な発話が､時に慣習そのものを変更する潜在力をそなえている</b>｣というデリダの主張である｡</p>
<p>冗談を言ったり､パロディとして扱ったりすることで､習慣が変わるということはありうる｡たとえば冗談で｢<i>今日からこの会社ではスーツではなくアロハシャツにします</i>｣と社長が述べ､社員はそれを冗談と受け止めつつも､｢<b>そうでありうる可能性</b>｣を考えるようになり(普通であることがより揺らぎ)､私服出社が慣習(普通)となる可能性がある｡</p>
<p>｢不真面目な発話｣がもし一切許されず､｢<b>習慣に迎合的な発話(普通の発話､解釈のズレが少ない会話)</b>｣しか世の中に存在しないとすれば､習慣は変化しにくいだろう｡もしこの世に適切で健全な習慣しかないと仮定するならばそれでもいいだろうが､そうとは限らない｡</p>
<p>木前利秋さんや野平慎二さんによると､討議という発話において生じているのは単なる意見交換ではなく､｢<b>他者との違いに気づき､いったん自分の立場や自己同一性を保留し､そこから自己と他者をつなぎ直す過程</b>｣だという｡｢自分が思う通常の文脈｣とは異なる｢他者の通常の文脈｣などがありうること､その｢差異｣を認識することが重要だということになる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>丸橋静香｢J・ハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論に基づく話し合い活動の充実方策: ハーバーマスにおけるオースティン言語行為論受容の批判的検討を通して｣(2015),67p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">ベイトソンにおける｢学習の学習｣</span></h4>
<p>このように自分の当たり前を意識化することは､ベイトソンでいえば学習2に関係してくるのではないだろうか｡<b>自分がある常識を学習していることを学習する</b>のである｡</p>
<p>たとえばハルの反復学習の研究では､ランダムな音節を記憶するという実験があったという｡毎回出される音節が違うので､特定の１:１の記憶(学習1)はあてにならない｡しかし､被験者全員が試行回数を増やすにつれて成績が伸びていったという｡より高次の､言葉にしにくい｢<b>コツ</b>｣のようなものが体得されていったのである｡いわゆる｢類の学習｣である｡｢<b>この場は冗談が許される場である(特定の発話に限定されるのではなく)</b>｣といったような学習の学習も､学習２(より抽象的なパターンの学習)に近い｡</p>
<p>我々はトイレに行ったら手を洗うことを学習１のレベルで学習している｡しかし､泥で汚れた場合も手を洗い､おにぎりを握る前にも手を洗う｡では､人に触る場合はどうだろうか｡おにぎり-洗う､泥-洗うといった個別の学習(学習1)だけを我々はしているわけではない｡</p>
<p>このように｢通常､我々は手は清潔にしておくべきだ｣といったより高次の､抽象的な(論理階型の高い)パターンを､コンテクストを学習するのである｡</p>
<p>我々の社会では､そうした抽象的なパターンを基盤としているのではないだろうか｡また､それらを意識することは｢<b>あたりまえ｣</b>すぎて意外と難しい､盲点なのである｡</p>
<p>医者がレントゲン写真で病気を判断できるのも学習２のレベルであり､医者はなぜそのような診断をできるか言語化しにくい(このシミが､こうであるといった学習１レベルの説明は可能だが)｡絵描きにどうして絵を上手く描けるか説明させるのも難しいだろう｡｢繰り返し練習してきたから｣という回答が素直な回答だろう｡人間の足だけを上手く描けるようなスキルが会得されるわけではなく､馬の脚やテーブルの脚も描けるような､より抽象的な学習が行われている｡</p>
<p>ベイトソンのダブルバインド理論では､あえて患者の前提とセラピストの前提との衝突をはかり､患者を治療するという手法がある｡</p>
<p>もしこの社会に､｢理論的に不健全な前提｣がはびこっていて､それが社会では｢通常の前提｣とみなされ､学習２のレベルで学習されていたとしたらどうだろうか｡社会のセラピーを行う必要があるのではないだろうか｡もちろん､｢なぜ理論的に不健全だといえるのか｣という難問がそこにはある｡フーコーにおける狂気の問題とも類似しているかもしれない｡仮に不健全さがわからないとしても､｢<b>柔軟性</b>｣や｢<b>変動可能性</b>｣を自覚する､確保するという態度は来たるべき危険への備えとして有用ではないだろうか｡</p>
<p>また､ ベイトソンは｢『遊び』とは､それを作る行為が､何らかの『非遊び』の行為と関係する(ないしはそれを表示する)現象であることは､これまで述べたところからいえそうである｡そうだとすれば､遊びにおいて､遊びではない何かが信号によって置き代わっている､ということになる｡その点から､遊びという現象の発生は､コミュニケーションの進化における重要な一歩だったという言い方ができそうである｣と述べている｡原初的な揺らぎへの生成論的な視線といえるかもしれない(たとえば噛むことと攻撃が1対1で固着している状態から､攻撃かもしれないし､遊びかもしれないという変化)｡</p>
<p>ベイトソンの｢遊びと空想の理論｣の論をデリダと組合せて考えても面白いかもしれない｡冗談やパロディがいかに人間のコミュニケーションの基礎として重要だったかがわかるからである｡つまり､冗談やパロディは発話行為論の基礎を考える際にも重要なのである｡周縁的な例外では済まされない｡</p>
<h2><span id="toc12">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc13">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc15">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc16">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc17">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc18">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc19">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc20">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc21">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc22">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc23">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</title>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:43:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5578</guid>

					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､7分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">【1】判定宣告型の発話</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">【2】権限行使型の発話</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">【3】行為拘束型の発話</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">【4】態度表明型の発話</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">【5】言明解説型の発話</a></li></ol></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">ジョン･サールによる発語内行為の分類リスト</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">【1】表現描写型</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">【2】指示指令型</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">【3】行為拘束型</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">【4】心情表明型</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">【5】宣言公表型</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">聞き手の状態の重視</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc20" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc21" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc23" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc29" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc30" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</span></h3>
<p>オースティンは暫定的な分類だと前置きしながら､｢<b>判定宣告型</b>｣､｢<b>権限行使型</b>｣､｢<b>行為拘束型</b>｣､｢<b>態度表明型</b>｣､｢<b>言明解説型</b>｣という5つのパターンに発語内行為を分類している｡これらは実際にどういった動詞が使われているかがポイントなのではなく､そのような行為として機能するような(発語内の力を生じさせる)タイプの発話があるという点である(もちろん動詞は指標としてわかりやすいものだが)｡この分類はのちにジョン･サールによって批判され､より精緻な分類が主張されている(後述)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),754-755p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc7">【1】判定宣告型の発話</span></h4>
<p>評価､判断､裁定､査定､診断､規定､指定などの機能をもつ｡陪審員やレフェリーの行なう判定などがその典型｡</p>
<h4><span id="toc8">【2】権限行使型の発話</span></h4>
<p>指令､命令､許可､任命､使命､助言､警告など｡警察に家宅捜索の許可を裁判官が許可する場合など｡</p>
<h4><span id="toc9">【3】行為拘束型の発話</span></h4>
<p>約束､賛成､許可･認可､保証､賭ける､提議するなど｡義務の負担が関係するようなタイプである｡</p>
<h4><span id="toc10">【4】態度表明型の発話</span></h4>
<p>詫びる､祝意を表す､歓迎する､祝福するなど｡人の行動や運命に対する感情･態度を示す発話のこと｡</p>
<h4><span id="toc11">【5】言明解説型の発話</span></h4>
<p>応答､主張､言及､異論を唱える､報告する､退ける､拒否するなど｡</p>
<p>ジョン･サールは５つの批判をオースティンに対して行っている｡</p>
<p>第一に､動詞と行為が区別されていない｡第二に､動詞の中には遂行動詞ではないものがある｡第三に､分類カテゴリー間に交錯が認められる｡第四に､それぞれのカテゴリーに分類された動詞の多くが､当該のカテゴリーの定義を満たしていない｡第五に､全体を貫く分類原理が見当たらない｡要するに､思いつき的であり､体系的ではないという批判である｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),763-765p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc12">ジョン･サールによる発語内行為の分類リスト</span></h3>
<p>サールの分類では､発語内行為は表現描写型､支持指令型､行為拘束型､心情表明型､宣言公表型の五つのタイプに分かれている｡</p>
<p>サールは全体を貫く分類原理を12項目挙げている｡たとえば､発話行為の目的の違い､言葉を世界に対応させるか､世界を言葉に対応させるかといった方向の違い､話し手の心理的立場の違いなどである｡</p>
<h4><span id="toc13">【1】表現描写型</span></h4>
<p>典型例は確認､主張､予言､記述､説明､診断など｡</p>
<p>発語内行為の目的は｢事態を示すこと｣である｡言葉を世界に合わせている｡</p>
<h4><span id="toc14">【2】指示指令型</span></h4>
<p>典型例は願望､指図､命令､依頼､支持､提案､助言など｡</p>
<p>発語内行為の目的は｢話し手が聞き手にある行動を行なわせようとすること｣である｡世界を言葉に合わせている｡</p>
<h4><span id="toc15">【3】行為拘束型</span></h4>
<p>典型例は約束､義務､威嚇､契約､保証などである｡</p>
<p>発語内行為の目的は｢話し手を将来の行動に拘束し義務付けること｣である｡世界を言葉に合わせている｡</p>
<h4><span id="toc16">【4】心情表明型</span></h4>
<p>典型例は感謝､祝賀､弁解､悔やみなど｡</p>
<p>発語内行為の目的は｢命題内容の事態に対する誠実条件からみた心的立場の表明｣である｡言葉と世界の対応の方向性は問題にならないという｡</p>
<h4><span id="toc17">【5】宣言公表型</span></h4>
<p>典型例は宣戦布告､解雇通告､任命､遺言など｡</p>
<p>発語内行為の目的は｢この発話行為が成功裡に行なわれれば､命題内容と現実との一致が実現する｣ということである｡言葉と世界の方向は双方向である｡</p>
<h4><span id="toc18">聞き手の状態の重視</span></h4>
<p>ちなみにサールはオースティンのように｢発語行為､発語内行為､発語媒介行為｣ではなく､｢発語行為､命題行為(指示行為､述定行為)､発語内行為､発話媒介行為｣と分類している｡</p>
<p>サールは､あらゆる発話が命題行為による命題pと､発語内行為による力Fから構成されているという｡それゆえに､F(p)という記号で表される｡同じ命題でも異なる力をもったり､複数の力をもつことがある｡発話の分析を形式化するために､命題内容pと発語内の力Fを便宜上､独立的に扱ったということなのだろう｡</p>
<p>また､サールはオースティンとは異なり､｢<b>聞き手の状態</b>｣を約束が成立するための条件として含んでいるという点がポイントである｡たとえば｢約束｣という行為が発語内で遂行される条件として､以下のものが挙げられている｡</p>
<p>命題は話し手による未来の行為であること｡話し手と聞き手はその行為が行われることを望んでいる事｡話し手はそれを行おうとしている事｡話し手はそれを行う義務を負うこと｡</p>
<p>聞き手が望んでいることが必要であるという説得的な強調は､よりハーバーマスのコミュニケーション的行為とつながる観点だろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),763-765p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc19">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc20">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc21">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc22">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc23">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc24">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc25">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc26">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc27">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc28">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc29">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc30">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:39:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5574</guid>

					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､6分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-3" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-3">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">一般的な前提</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">ウィトゲンシュタインにおける理由と原因の区別</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">デイヴィッドソン｢因果的説明と因果関係は厳密に区別するべきだ｣</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">因果関係が帰納以外によって説明できることを認めるなら､理由によって因果的説明が可能</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">デイヴィッドソンにおける｢欲求｣と｢信念｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">デイヴィッドソンによる解釈のルール:｢寛容性の原理｣､｢総体的証拠の要請｣､｢自制の原理｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">デイヴィッドソンの｢非法則的一元論｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">オースティンとデイヴィッドソンの接続</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">社会学における因果関係の扱い</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">目的に沿った結果と､副次的な結果の区別</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc18" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc19" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc21" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
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<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</span></h3>
<p>※これを理解しないと他の話を曖昧にしか理解できていないことになると考え､コラム的に扱うことにする｡今まで曖昧に｢行為｣や｢理由｣､｢因果関係｣という言葉を用いてきたので､いい整理となる｡ウェーバー､シュッツ､マートンなどの理論にも深く関係する話である｡</p>
<p>まずは一般的な前提を整理したあとで､デイヴィッドソン以前の立場を検討する(主にウィトゲンシュタイン)｡</p>
<h4><span id="toc7">一般的な前提</span></h4>
<p>もし聞き手Bが､｢発話者Aが『<i>その犬は危険だ</i>』と言ったから､私は逃げた｣と説明したとする｡</p>
<p>この場合､発話者Aの発言が聞き手Bの行為の｢理由(reason)｣として説明されたことになるのか｡それとも行為の｢原因(cause)｣として説明されたことになるか｡</p>
<p>ここでいう行為は､主に｢意図的行為｣が想定されているといえる｡脚を叩かれて反射的に脚を動いた場合は行為とみなされない｡無意識的な行為はどうなのか､という問題は保留する(グラデーションがあると考える)｡</p>
<p>いずれにせよ行為は(程度の差こそはあれ)主体的なものであり､選択的なものであるという前提があると考えるのが一般的な考え方だろう｡</p>
<p>一般に､理由とは｢行為をなぜそうしたかと説明するための動機､目的､意図｣を意味する｡行為がある理由のために遂行されたようなケースを｢<b>意図的行為</b>｣と呼んだりする｡</p>
<p>日常的には､理由を説明することは意図(動機､目的)を説明することでもある｡｢なぜ､冷蔵庫のケーキを食べたのか｣という質問にたいして､行為者は｢お腹が空いていたから｣や｢好きなケーキだから｣という意図を説明すれば､理由を説明したことになる｡理由を説明するのは､主に｢<b>納得や理解､正当化</b>｣のためだということになる｡｢ルビーを盗んだのは､貧しい人達を助けるためだ｣などは､行為に理解を求める言明だろう(普通､因果的な言明とはみなさない)｡</p>
<p>もし完全に意図的な行為ではないとすれば､理由を説明できないことになる｡たとえば､なぜ脚を叩かれて脚が動いたのか､私は｢理由｣をよく説明できない｡すくなくとも､｢脚を動かしたいと思った｣からではない｡脚を触られて脊髄反射的に脚が動くという事柄は｢行為(action)｣ではなく｢<b>出来事(event)</b>｣であるとみなされてきた｡水が0度以下で凍ることが｢出来事｣であるようにである｡</p>
<p>一般に､原因には｢意図｣が存在する必要はない｡たとえば脊髄反射といったような物理的なシステムによって説明する場合､意図は説明に必要ない｡水が氷る原因を､｢水が凍りたいと思ったからだ｣とは目的論的に説明しない｡水が凍る原因は｢分子運動が減少したからだ｣といったように説明する｡</p>
<p>一般に､｢理由｣ではなく｢原因｣と｢結果｣が結びついているような関係を｢<b>因果関係</b>｣という｡</p>
<p>ある出来事(=原因)が生じることで､それに依存して別の出来事(=結果)が生じる関係のことである｡&lt;AがBを引き起こしている&gt;といえるような関係である｡</p>
<h4><span id="toc8">ウィトゲンシュタインにおける理由と原因の区別</span></h4>
<p>哲学者のウィトゲンシュタインは､｢<b>私が腕を上げるという事実から､私の腕が上がるという事実を引くとなにが残るか</b>｣と問いかけている｡</p>
<p>もし腕を上げるという事実から腕が上がるという事実を引いても残るものがあるとして､それをxとする｡このxをどのように我々は見つけることができるのだろうか｡たとえばウィトゲンシュタインは｢試みる｣といった心的作用､いわゆる｢<b>意思作用</b>｣のようなものでは問いへの答えに不十分だと考えている｡</p>
<p>｢<b>心的な意志作用のようなものが引き算の結果として残ることはない</b>｣という答えが現代的には標準的な見解だという(オースティンの立場でもある)が､直感的には理解しがたい｡</p>
<p>第三者が行為のみを独立的に観察すると仮定して､たしかに｢手を挙げた｣と｢手が挙がった｣を区別することが難しい｡ここで重要なのは｢意志｣や｢意図｣が､行為の内部による部品や､身体動作に先立つ独立した出来事として考えられているわけではないという点である｡</p>
<p>たとえば､｢腕を上げた｣が｢意思+身体運動｣によって構成され､｢腕が上がった｣が｢身体運動のみ｣によって構成されているとする｡</p>
<p>｢意思+身体運動｣で構成されているなら､意思という要素は独立的に存在する必要がある｡｢意思という出来事｣が生じたのはいつなのか､どうやって生じたのか｡｢意思という出来事｣はどのような実体なのか｡たんなる物理的な神経作用だとすれば､それは物理的な身体運動とどのように区別されるのか｡</p>
<p>もし仮に､心的な実体など存在せず､なんらかの神経作用のみが存在するとすれば､｢腕を上げた｣と｢腕が上がった｣に本質的な違いはなくなる｡どちらも身体動作であり､それらの動作がより複雑かどうかの違いだろう｡</p>
<p>意思が｢脳内の物理的実体｣でも｢心的な実体｣でもないとすれば､それはいかなるものなのか｡ウィトゲンシュタイン的に言えば､それは｢<b>ゲームのルール</b>｣が関係していることになる｡</p>
<p>たとえば教室で授業をしているという文脈を考えてみる｡この場合､我々は｢腕が上がった｣と｢腕を上げた｣という行為の違いを日常的に理解することができる｡しかもそれは､物理的な神経過程の差でも､独立的な心的要素の有無の差でもない｡</p>
<p>それは､｢<b>使われ方の差</b>｣である｡同じようにみえる身体運動であったとしても､文脈やルールによって異なる身体動作として周囲に理解され､また自分でもそのように説明することができる｡</p>
<p>意思は目に見えない心的要素を探しにいったり､目に見える脳内部品(電気信号の変化など)に探しにいくのではなく､ある行為が置かれている文脈に探しにいくということになる｡その意味で､｢腕が上がった｣と｢腕を挙げた｣という事態の内在的な差はないが､外在的な文脈(社会的文脈)によって差(差異)が生じるということになるのだろう｡文脈を外部から持ち出さない限り､｢腕を挙げた｣から｢腕が上がった｣を引いて残るものはなにもないということになる｡</p>
<p>｢意思があるから腕を上げるのではない｡その運動を『腕を上げた』と呼ぶような言語ゲームを我々がプレイしているから､そこに意思があると説明できるのだ｣ということになるわけだ｡</p>
<p>もし心的実体や物理的実体に差があるとすれば我々は第三者としてそれを見ることはできないが､社会では我々は｢彼には〇〇という意図があった｣と見なしている｡裁判官が｢被告人は明確に相手を傷つける意図があったとみなす｣と判断するようにである｡裁判官は社会的慣習(ルール)を参照して意図を判断するのであり､脳内の動きを物理的に覗いたり､心的要素を特殊能力で読み取ったりするわけではない｡</p>
<p>その根拠には｢<b>普通は</b><b>そういう意図があると考えるからだ</b>｣というわけである｡言語や行為が用いられる｢<b>状況</b>｣に焦点が当てられている｡</p>
<p>第三者は見ることはできないが､行為をした本人は意図があることを感じているのではないか､としたらどうか｡しかしこの場合も､<b>本人は自分の心を覗き込んで意図という心的要素や物質を発見しているわけではない</b>｡</p>
<p>ある動作をどのような文脈に置くかという本人の宣言にすぎない｡たとえば教室で､｢質問があるから手を挙げたのではない､空を飛ぶために手を挙げたのだ｣と本人が説明したとする(行為の前にせよ後にせよ)｡それが社会的に普通の文脈ではなくとも､ある文脈に行為を置いているという点では変わらない｡</p>
<p>ここまでの説明を整理すれば､｢出来事と行為｣､｢原因と理由｣は区別されるということになる｡</p>
<p>それぞれは厳密に区別されなければならないというわけである｡いわゆる｢<b>行為の理由は原因ではない</b>｣という｢<b>反因果説</b>｣の立場である(デイヴィッドソン以前の､20世紀英米哲学で支配的だった立場)｡</p>
<p>ある出来事(身体動作)を意図的行為(身体動作+x)として特別に記述するためには､ウィトゲンシュタイン的に考えれば外から｢文脈｣を持ち出す必要がある｡</p>
<p>しかし文脈を持ち出したところで可能になるのは意図を理由として位置づけることであり､意図を原因として位置づけることではない｡両者はカテゴリーが違うのである(論理階型､抽象度が違う)｡メニューの文字(理由)と､実際の料理(原因)を同じ扱いにはできない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>吉田廉｢行為と解明 アンスコムは 「反因果説」 ではない｣(2021),200p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">デイヴィッドソン｢因果的説明と因果関係は厳密に区別するべきだ｣</span></h4>
<p>哲学者のデイヴィッドソン(Donald Davidson)は､｢<b>因果的説明と因果関係は厳密に区別するべきだ</b>｣という｡そして､｢<b>理</b><b>由による説明は因果的説明｣になりうる</b>｣という｡</p>
<p>ここでいう｢<b>因果関係</b>｣とは出来事cと出来事eの間に実際に存在するとされる結びつきのことである(<b>出来事の間の､どのように記述されても変化しない関係のこと</b>)｡この因果関係は記述などの説明に依存しない｡だれかが説明しなくとも､水は0度以下で凍るという因果関係には影響しないと想定されている｡</p>
<p>因果関係が｢<b>事実</b>｣であるとすれば､因果的説明は｢<b>言明</b>｣である｡たとえば｢<b>一般にAならばBだ｡いまAが起きた｡ゆえにBが起きた</b>｣といった法則的言明が因果的説明の代表格だといえる｡伝統的な立場では､説明といえるためには帰納から得られる｢<b>法則</b>｣が重要だった(普遍性や再現性の重視｡例えば､Aは空腹だったからケーキを食べたという事態は特殊的である｡次の日には満腹でも食べているかもしれない)｡</p>
<p>従来は､｢AだからBである｣というような理由を表す言明は因果的説明と見なされてこなかった｡それゆえに科学的説明とみなされにくかったのである｡｢質問をしたかったから手を挙げた｣という言明は因果的説明とみなされてこなかったのである(いわば理由的説明にすぎない)｡</p>
<p>状況を限定して､何度ワイングラスを落としてもワイングラスが割れた場合を想定するとわかりやすい｡</p>
<p>これは反証可能性を残す(n回目に割れない場合もありうる)のだが､しかし｢継起の法則性､蓋然性が高い傾向｣は得られる｡このタイプの認識は相関関係(Aが起きるときにBも起きやすい関係)であることを排除できない｡</p>
<p>因果関係はこのような継起の規則性以外にも､<b>単称因果</b>として認識されるタイプがある｡つまり､｢c(出来事)がe(出来事)を引き起こした｣というケースであり､規則性や繰り返しを前提としていない(1回限りの出来事でも因果といえる)｡※cはcause(原因),eはeffect(結果)の略｡</p>
<p>単称因果は20世紀後半にアンスコムやデイヴィッドソンが哲学的な主張として因果的説明として扱いだしたという点がポイントである｡それまでは因果は基本的に規則性として､哲学者のヒューム的理解を前提として考えられていた｡つまり､継起の規則性による説明が主な因果関係の説明､つまり因果的説明と考えられてきた｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>太田雅子｢因果的説明と因果関係｣(1997),39p</p>
<p>吉田廉｢行為と解明 アンスコムは 「反因果説」 ではない｣(2021),200-201p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">因果関係が帰納以外によって説明できることを認めるなら､理由によって因果的説明が可能</span></h4>
<p>デイヴィッドソンは｢因果関係は観察という帰納によって知られる｡理由は観察によらず知られる｣という主張を認めるが､｢因果関係は帰納によってのみ知られる｣という主張は認めないという｡</p>
<p>もし因果関係が観察(帰納)以外の方法で知られるとするならば､理由が行為の原因であるということも認められるはずだという｡なかなか小難しくて､わかりにくい｡</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">原因とは､観察によって判明する一般法則に従うものである｡</li>
<li class="sample">理由は心のなかにあるもので､一般法則として観察できるものではない｡</li>
<li class="sample">それゆえに､理由は原因ではない｡</li>
</ol>
<ol class="sample">
<li class="sample">原因とは､｢観察によって判明する一般法則に従うものである｣とは限らない｡</li>
<li class="sample">理由は心のなかにあるもので､一般法則として観察できるものではない｡</li>
<li class="sample">理由が原因であることを｢法則性の欠如だけ｣を根拠に排除することはできない｡</li>
</ol>
<p>ようするに､理由が帰納的･法則的に観察できないというという点が理由を原因とみなさない点だったが､その前提が崩れるとすれば､理由を原因と見なせる余地がでてくることになる｡</p>
<p>では､原因は法則的言明以外にどうやって知ることができるのか｡たとえば｢CがEを引き起こした｣といえる場合である(単称因果)｡たとえば反事実条件(｢もしAがなかったら､Bは起きなかった｣)は単称因果が成立すると判断するためのテスト方法である｡しかしそれがどのように｢理由を原因｣と見なせることにつながるのか｡</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">原因を｢e(出来事)を引き起こしたc(出来事)｣と定義する｡この定義を満たすために帰納的法則を持ち出す必要はない(くり返し確認される必要はない)｡</li>
<li class="sample">｢ある理由が､ある行為を引き起こした｣といえる(単称因果のクリア)｡より厳密に言い換えると､｢ある行為をその理由によって説明することが正当であるといえる｣をクリア｡</li>
<li class="sample">理由は原因でありうる｡</li>
</ol>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>太田雅子｢因果的説明と因果関係｣(1997),39p</p>
<p>吉田廉｢行為と解明 アンスコムは 「反因果説」 ではない｣(2021),200-201p</p>
<p>大庭健 ｢乖離していく主体: 行為の因果説の帰趨｣(2013),85-86p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">デイヴィッドソンにおける｢欲求｣と｢信念｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>デイヴィッドソンは理由を｢<b>欲求と信念という2つのセット</b>｣として考えている｡これらはいわゆる｢<b>心的なもの</b>｣である｡</p>
<p>欲求はより広く､｢<b>肯定的態度</b>｣と言い換えられることもある｡欲望､衝動､出来心､多様な道徳的見解､美的な原理原則､貧富による偏見､社会的慣習､公共的あるいは個人的な目標と価値などもこのカテゴリーに位置する｡｢社会的慣習｣がここに入ってくるのはオースティンの文脈では重要になってくる｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>欲求(肯定的態度)</strong></span>：</big>｢そうしたい｣､｢それを良いと思っている｣という態度のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>信念</strong></span>：</big>今自分がしている行為が､その肯定的態度を満たす行為だという認識のこと｡</p>
</div>
<p>この２つを合わせたものをデイヴィッドソンは｢<b>基本理由</b>｣と呼んでいる｡</p>
<p>従来の考え方では､理由は行為を正当化･合理化するための要素に過ぎなかった｡行為を引き起こしたものではなく､行為を後からもっともらしく(理解可能な)説明するものにすぎない｡</p>
<p>デイヴィッドソンは､理由は行為を正当化するためだけではなく､実際に行為を引き起こす原因である必要があると考えている｡</p>
<p>たとえば傘の修理を頼む行為を､｢私は老人を助けたいと思っている｣という欲望と､｢傘の修理を頼んで代金を払えば助けになる｣という信念によって合理的に説明することはできる｡</p>
<p>しかし､実際には｢ただ傘を直したかった｣だけかもしれない｡つまり､行為を正当化しうる理由は多様にあり(別様にありうる､偶発的)､どれが実際の理由であったか<b>非決定的</b>なのである｡それゆえに､正当化するだけでは行為を説明したことにはならない｡行為を説明するためには因果的にも説明できる必要がある(両方を同時に満たすことが重要になる)｡つまり､正当な理由のなかでも､主たる理由､これが実際の理由だというものを見つけなければならない｡</p>
<p>基本理由の中で､特に主要な理由が行為を実際に引き起こした原因だとデイヴィッドソンは考えている｡｢<b>行為を正当化する(主たる)理由は､行為の原因である</b>｣と主張しているわけである｡</p>
<p>では､なぜ主たるな理由とわかるのか｡｢ある理由はある行為を引き起こした｣と帰納によらず､どのような方法によって証明することが可能なのか｡｢老人を助けたい｣ではなく､｢ただ単に傘を直したかったから｣が主たる理由だとどうしてわかるのか｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>木村正人｢動機づけ理由と正当化: 現代行為論とシュッツ現象学｣(2025),25p</p>
<p>吉田廉｢行為と解明 アンスコムは 「反因果説」 ではない｣(2021),201p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc12">デイヴィッドソンによる解釈のルール:｢寛容性の原理｣､｢総体的証拠の要請｣､｢自制の原理｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>物理的事象に対して扱うような帰納的手法をとることはできない｡｢同じ川に人間は二度入れない｣というヘラクレイトスの言葉を私は思い出す｡人間は同じ文脈に二度は入れないので､くり返しの実験はできない(昨日ケーキを食べたときの状況を全て再現することは難しい)｡これは物にもいえることだが､物は変数の固定といった近似がより可能なのだろう｡周りにいた友人や昨日あった出来事などを再現しなくてもよく､空気抵抗などが近似できればいい｡</p>
<p>そこで､｢ある行為の主たる理由は〇〇である｣と解釈できるルールをいくつかデイヴィッドソンは設定している｡寛容性の原理､総体的証拠の要請､自制の原理などである｡心理的領域に帰納的法則を打ち立てることは難しいので､これらのルールに基づく｢<b>解釈</b>｣によって主たる理由を記述(説明)しようというわけだ｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>寛容の原理</strong></span>：</big>行為者を｢合理的な主体｣として解釈せよという規範的要請のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong><b>総体的証拠の要請</b></strong></span>：</big>行為者を｢手元の情報をすべて考慮して判断する主体｣として解釈せよという規範的要請のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong><b>自制の原理</b></strong></span>：</big>行為者を｢自分が最善と思うことを実行する主体｣として解釈せよという規範的要請のこと｡</p>
</div>
<p>冷蔵庫にあるケーキを食べている人がいるとする｡この人がケーキを食べた理由はなんだろうか｡</p>
<p>もし合理的な行為者だと仮定すれば､｢カロリーを失うために食べた｣という理由は該当しないだろう(これが合理的だという状況もありうるが)｡そもそも､行為者は空腹なのか｡ケーキを食べていい文化に属しているのか｡周りに誰かいるのか｡ダイエットをしたいのか｡こうした全体的なデータに合わせて､もっとも有力な理由を探す必要がある｡</p>
<p>もしもっとも有力な理由があるのにもかかわらず､それを理由として選択しないという事態は考えにくいと想定する｡同じくらい正当な理由が複数あったとしても､状況を限定していけば一つに絞れるのだろう｡</p>
<p>このようなルールをもとに検討したうえで提出された｢主たる理由｣は行為の｢原因｣とみなしていいということになる｡こうした理由が行為を実際に引き起こした因果連鎖の中に入っていると考えられるのである｡</p>
<p>もちろん､非合理的な行為はどう説明するのか､意識の弱さ(アクラシア)の場合はどう説明するのか､逸脱因果事例はどう説明するのかといった問題もあるが､ここでは検討しない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>大庭健 ｢乖離していく主体: 行為の因果説の帰趨｣(2013),96p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc13">デイヴィッドソンの｢非法則的一元論｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>デイヴィッドソンは｢行為の理由は行為の原因である｣という主張を擁護する枠組みとして｢<b>非法則的一元論</b>｣を唱えている｡</p>
<p>一般的には｢理由は心の出来事であり､原因は物の出来事である｣といったように二元論的に考えられがちである｡実際､心の次元の出来事は物の次元の出来事のように帰納によって法則化できない｡しかし､デイヴィッドソンは｢<b>同じ出来事(因果関係)</b><b>を心の次元のルール(合理性)で記述しているか､物の次元のルール(法則性)で</b><b>記述</b><b>しているかの違いだ</b>｣と考えた(因果的説明のあり方が違うだけ)｡それゆえに､｢非法則的｣であり､(同じ出来事という意味で)一元論なのである｡また､｢個別的理解｣と｢予測と制御｣といったような説明の目的の違いもあるかもしれない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>大庭健 ｢乖離していく主体: 行為の因果説の帰趨｣(2013),89-90p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">オースティンとデイヴィッドソンの接続</span></h4>
<p>さて､オースティンの話に戻ろう｡</p>
<p>もし仮に､｢理由が原因である｣と言えるならば､｢Aの発話が理由となってBの行為を引き起こした｣と言えることになる｡つまり､｢Aの発話が行為の原因である｣と言えることになる｡</p>
<p>たとえば誹謗中傷的な発話をされて､｢仕事を辞める｣という行為が生じた場合､発話が原因であったといえる場合があるということになる｡つまり､発語内的拘束効果の原因は発話(発語行為･発話媒介行為･発話媒介行為が一体となったもの)にあるといえることになる｡</p>
<p>従来の理解では､｢発話｣が｢仕事を辞める｣という結果に繋がったかどうかを因果的に説明することは困難であると考えられていた｡仕事を辞めるという行為は意図的行為であり､人間の｢意図｣は因果的に説明しにくい性質のものであるからだ｡</p>
<p>あくまでも､理解､説得力を高める機能をもつ｢理由的な説明｣にすぎない｡それでも我々は日常的に､この理由的な説明も重視してきたと言える(因果的だとも日常的には考えられていたのだろう｡)｡デイヴィッドソンは理由説明 vs 因果説明という二分法そのものを崩したという点がポイントになる｡</p>
<p>もっとも､寛容の原理や総体的証拠の要請のルールをどこまで解釈者が現実的に使いこなせるのかという問題はあるだろう｡｢手元の情報の全て｣をどうやって我々は確認するのだろうか｡そもそも合理的な主体とは､どのような主体だろうか｡</p>
<p>オースティンは｢真面目な発話｣を基準に発話行為論を構築しようとした｡非合理的な要素が強い冗談や詩を分析から除外しているのである｡これは､デイヴィッドソンが｢合理的な主体｣という前提を置いたことと重なってくる｡そうしないと行為を解釈することが難しいからだろう｡</p>
<p>整理しよう｡</p>
<p>(1)｢その犬は危険だ｣と話し手が言えば､｢警告｣という状態(発語内的成果)が慣習Aによって生じる｡</p>
<p>なぜなら､それを｢警告｣だと考えるのがその社会･状況ではもっともだとみなされるからである｡</p>
<p>話すことと､遂行された機能(力､警告という状態)は同時的であり､強い結びつきが生じている｡しかしその結びつきを担保するのは慣習である｡自然科学におけるような法則的な因果説明ではない｡</p>
<p>しかし､発話が慣習によって力を生じるとみなすだけの主たる理由があるとみなされるなら､それは原因であるとみなすことができ､因果関係を説明する｢因果的説明｣であるといえる｡いわば制度的因果だといえる｡</p>
<p>(2)｢警告という状態｣が成立し､そのことで聞き手が｢逃げる｣という行為(発語内的拘束効果)を引き起こしたといえるかどうかは､慣習Aではなく慣習BやCによって生じうる｡聞き手の信念や肉体的な強さといった非慣習的な要素も強く関わってくるゆえに､(1)よりも判定が複雑だといえる｡</p>
<p>聞き手が｢警告｣を行為の理由=原因として見なすことができるためには､そういえる｢主たる理由だ｣だといえる必要がある｡しかし､もしいえたなら､(1)と同様に､因果的説明だといえる(制度的因果よりも非制度的な要素がより関わりあっているのでより複雑な因果ではあるが)｡</p>
<h4><span id="toc15">社会学における因果関係の扱い</span></h4>
<p>社会学では因果関係をどのように考えてきたのかを見ていこう｡</p>
<p>社会学者のマートンは｢機能｣を目的ではなく結果として捉えて考えている｡発話にどんな意図や目的があるかは問題ではなく､実際にどのような行為がなされたかという結果が重要なのである｡</p>
<p>もし｢逃げる｣という結果が生じたなら､発話には｢逃がす｣という機能があったこと仮定できる｡目的を因果関係の枠組みでは捉えない立場がマートンの立場である(理解や特定の補助としては役立つとみなすが)｡</p>
<p>結果によって発話の機能が推定されるとすれば､発話者の責任は結果に基づくということになってしまいかねない｡</p>
<p>たとえば｢<i>その犬は危険だ</i>｣と発話したことで､&lt;犬にわざと噛まれに行った&gt;という結果が生じた場合､その発話には｢犬に噛まれに行かせる機能があった｣ということになってしまい､責任を問われかねない｡もちろん､前提として発話だけにその機能があったのかという､複雑な問題もある｡複数の原因があり､また最後の一押しにすぎなかったかもしれない｡ある条件だけが原因であるというような差異法などを利用して検証する必要があるのだろう(これが社会科学では難しいのだが)｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/03/12/robert-king-merton-2/">【基礎社会学第三十五回】ロバート・K・マートンの実証的機能分析とはなにか</a></p>
<p>マックス･ウェーバーは動機を｢<b>行為者自身や</b><b>観察者が</b><b>ある行動の当然の理由と考えるような意味連関</b>｣と定義し､さらに動機の意味連関を2つのタイプに分けている｡</p>
<p>第一に､意味適合的連関である｡つまり､思考や習慣の平均的なものからみて､普通は正しいというような動機のことである｡</p>
<p>第二に､因果適合的連関である｡経験的規則から見て､いつも実際に同じような経過をたどる可能性の度合いが高い動機のことである｡｢因果的説明｣とは因果適合的連関の把握であり､｢理由的説明(解明的理解)｣とは｢意味適合的連関｣に相当すると考えることができる｡</p>
<p>ウェーバーは理由的説明を因果的説明だとは思っていない｡エスノメソドロジーやシンボリック相互作用論では､｢平均｣ではなく､対象者の仔細な状態を(対象者の気持ちになって)できるだけ実直に､偏見なく記述することがポイントになるといえる｡</p>
<p>発話が客観的にどのような動機を内包しているかは､これらのいずれかの連関に依存するのだろう｡</p>
<p>たとえば｢<i>その犬は危ない</i>｣という発話で｢逃げる｣という行為は､意味適合的に連関しているといえるとして､因果適合的に関連しているといえるか｡いわゆる準客観性を高めるためには､どれだけ犬が危険か､聞き手は特殊な訓練を受けていない弱者かといった強い限定が必要になってくるだろう｡あるいは同じような状況のケースとの｢比較(差異法､比較対照実験)｣が必要になる｡</p>
<p>また､ウェーバーは目的合理的行為のタイプの理念型をもっとも重視している｡</p>
<p>非合理的なタイプはそれらの理念型から索出することを基本戦略としている(非合理的なタイプではない､ということが合理的なタイプとの差異からわかる｡理念型とどの程度現実がかけ離れているかという戦略である｡合理的な理念型タイプそれ自体は現実に存在しないとされ､あくまでも理想の､抽象的なモデルである｡)｡</p>
<p>法律の世界ではいわゆる｢<b>相当因果関係</b>｣を満たしているかどうかがポイントとなり､法則的な因果的説明をする必要がない場合が現実の社会では多い｡というより､社会科学では自然科学のような因果的説明をすることは困難である(例外のケースに近い)｡それゆえにウェーバーは自然科学におけるような客観性ではなく､｢<b>準客観性</b>､<b>客観可能性</b>｣と表現したわけである｡</p>
<p>相当因果関係とは､ある出来事や行為が､ある結果を生じることについて､<b>社会的･慣習的･目的論的に妥当と考えられる因果関係のこと</b>である｡｢普通はどう捉えられ､どういう行為を促してしまうのか｣を加味する必要があるといえる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/02/21/max-weber-6/">【基礎社会学第十四回】マックス・ウェーバーの社会的行為の四類型とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2021/12/19/max-weber-2/">【基礎社会学第六回】マックス・ウェーバーの「理念型」とはなにか(概略編)</a></p>
<h4><span id="toc16">目的に沿った結果と､副次的な結果の区別</span></h4>
<p>｢<b>目的に沿った結果(発話に慣習的結びついたもの)</b>｣と｢<b>副次的な結果(後続事､たまたま生じたもの)</b>｣を区別して考えてみよう｡</p>
<p>たとえば｢<i>その犬は危険だ</i>｣という発話に通常の慣習によって込められている目的は&lt;警告という状態の成立&gt;であり､&lt;警告という状態&gt;が成立すれば一応は発話の内在的な目的が達成される｡しかし､そこから継起して&lt;逃げる&gt;という結果が生じなかった場合､我々は｢警告したが上手くいかなかった｣などと表現する｡警告は成立したが､全体として成功はしていないというわけだ｡</p>
<p>しかし&lt;逃げる&gt;という結果も&lt;逃げない&gt;という結果も､発話本来の目的である警告状態の成立からすれば､副次的な結果であると考えることができる｡聞き手の気分によっても逃げるという結果や逃げないという結果は影響を受ける｡それに対して､聞き手の気分によらず､警告という状態は成立しうる｡</p>
<p>しかし､警告状態の成立と｢逃げる｣という結果には深い関わりがあり､｢逃げない｣という結果には深い関わりがないと我々は考えることもできる｡なぜそう考えるのかというと､<b>聞き手が合理的な人物であるとすれば</b>､逃げるという結果を選択するのが妥当であり､｢警告的な言明を聞いたことが逃げた理由だ｣と言明できるからだ｡したがって､｢警告的発話が逃げるという結果を引き起こした｣といえ､｢たまたま発話とは強い関係なしに生じた｣とはいえないことになる｡もちろん､どうやって証明するのかという現実的な問題は存在する｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020),9-10p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc17">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc18">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc19">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc20">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc21">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc22">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc23">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc24">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc25">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc26">社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc27">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc28">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:36:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
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					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､5分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">オースティンの｢発語内の力｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">定義</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">辞書的な意味と指示対象的な意味の違いとは</a></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">オースティンの｢発語行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">二分法の実質的放棄</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">定義</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">オースティンの｢音声的行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">オースティンの｢用語的行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">オースティンの｢意味的行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">｢発語内行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">オースティンの｢発語媒介行為｣とはなにか</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">発語内行為と発語媒介行為の違いとは</a><ol><li><a href="#toc18" tabindex="0">発語媒介行為の範囲が広すぎる問題</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc20" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc21" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc23" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc29" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc30" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">オースティンの｢発語内の力｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<h4><span id="toc7">定義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>発語内の力</strong></span>(英:illocutionary force)：</big>社会的文脈に基づいて､発話がある種の行為を成立させる力のこと｡</p>
</div>
<p>二分法の曖昧性で見たように､文の形式だけでは発語内の力が成立するかどうかは判断できない｡どういった行為が遂行されるか､あるいはそもそもされないかは<b>具体的な状況(コンテクスト)によって変動(依存)する</b>のである｡</p>
<p>たとえば､｢<i>そこに犬がいる｡</i>｣という文章はどういう文脈で発話されているのだろうか｡また､どういう慣習がその社会には存在しているのだろうか｡</p>
<p>たとえばその犬は(飼い犬ではない)野犬であり､野犬は危ないもの(安全ではないもの)であるという文化がそこにあるとする｡そして､山道で兄弟で散歩しており､兄が弟に対して発話したとする｡この場合､通常は､｢そこに犬がいる｣という発話は単なる｢事実確認的発話｣ではなく､警告行為を同時的に遂行しており､｢発語内の力｣をもっているといえる(もし犬の保護活動家なら違うかもしれないし､アニメやゲームといったなんらかのフィクションの中なら､ゲットしよう､戦おう､話しかけようという意味になるかもしれない)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参照したページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,226p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">辞書的な意味と指示対象的な意味の違いとは</span></h4>
<p>警告する､命令する､約束するといった動詞にはなんらかの｢意味｣がある｡｢意味｣はいわゆる語義,｢<b>辞書的な意味</b>(sense)｣と､｢<b>指示対象的な意味</b>(reference)｣にわかれるといえる｡</p>
<p>しかし､辞書的な意味(一般的な意味)や指示対象的な意味がわかったところで､その動詞が単なる叙述機能しかもたないのか､約束機能をもつのかは判断できない｡</p>
<p>たとえば｢<i>牛が来ている！</i>｣という発話が単なる助言なのか､命令なのか(たとえば闘牛士に牛の元に行けと言っている)､陳述なのかを決めるのは一般的意味や文の形式ではなく､文脈や慣習なのである｡</p>
<p>一方で､｢<i>牛</i>｣や｢<i>来ている</i>｣､｢<i>牛が来ている</i>｣という語義的な意味は特定の文脈(誰が､どこで､どののような個別的要素)に依存しないといえる｡発語内の力が特定され､発揮され､役割をもつのは文脈のおかげだということになる｡｢命令｣として機能をもつような発話となったとき､語義や指示対象とは違うタイプとして(命題として事実を記述するとは違う)､別次元の役割を担っているのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参照したページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,226p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc9">オースティンの｢発語行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<h4><span id="toc10">二分法の実質的放棄</span></h4>
<p>オースティンは｢事実確認的発話｣と｢行為遂行的発話｣を明確に二分することはできないと考え､それらの<b>二分法を実質的に放棄</b>した｡</p>
<p>そして､<b>全ての発話は同時に行為遂行的側面をもちうる</b>と結論づけた｡発話における行為遂行的な3つの側面とは､｢発語行為｣､｢発語内行為｣､｢発語媒介行為｣の３つである｡</p>
<p>単純に言えば､｢言うことそのもの｣､｢言いながらすること｣､｢言った結果として起こること｣である｡</p>
<p>いままでの分類で言えば､事実確認的発話も､行為遂行的発話も､全てこの3つの側面をもちうるということである｡もっと端的に言ってしまえば､発話(何かを言う事)とは全て行為(発話と同時的に何かをすること)なのである｡なんら行為遂行的側面をもたないような出来事を｢発話(発言､発語)｣とは見なさないのであり､それは｢鳴いている｣ようなものなのだろう｡我々は虫と会話することはできない(おそらく)｡</p>
<p>単純に言えば､｢言うことそのもの｣､｢言いながらすること｣､｢言った結果として起こること｣である｡</p>
<p>いままでの分類で言えば､事実確認的発話も､行為遂行的発話も､全てこの3つの側面をもちうるということである｡もっと端的に言ってしまえば､発話(何かを言う事)とは全て行為(発話と同時的に何かをすること)なのである｡なんら行為遂行的側面をもたないような出来事を｢発話(発言､発語)｣とは見なさないのであり､それは｢鳴いている｣ようなものなのだろう｡我々は虫と会話することはできない(おそらく)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),751-752p</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">定義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>発語行為</strong></span>(英:locutionary act)：</big>何らかの言語表現を実際に発する行為のこと｡言葉を言うことそのもの｡</p>
</div>
<p>オースティンはそこからさらに､<b>音声的行為</b>､<b>用語的行為</b>､<b>意味的行為</b>に側面を下位分類している｡基本的にはこの発語行為が､オースティン以前の言語分析で中心だった範囲だという｡</p>
<p>注意しておきたいのは､たとえば音声的行為だけで発語行為が成り立つというわけではないという点である｡音声的行為は構成要素にすぎない｡仮に音声的側面のみを満たす出来事があったとしても､それは発語行為ではない｡</p>
<p>音声的行為であり､用語的行為であり､かつ意味的行為である行為が発語行為なのであり､他の行為や非行為との違いなのである｡また､｢発語行為であって､発語内行為ではない｣というケースも存在しないことに注意する必要がある｡</p>
<p>オースティンの分類では､発語行為であるということは､なんらかの行為をその発語内で遂行しているということになる｡オースティンの有名な言葉で言えば｢<b><i>何かを言うことは､それだけで何かをすることである</i></b>｣ということになる｡</p>
<p>また､オースティンは明示的には発語内行為が発語媒介行為を一切伴わずに独立的に生じるような扱いをしていないという｡つまり､発話を発語行為､発語内行為､発語媒介行為という側面に分けるというのは分析的､便宜的にそれぞれの局面を切り分けているということになる(後で扱うが､ハーバーマスは発語内行為と発語媒介行為を独立的に分類しているという点がポイントである)｡たしかに､何らかの警告が適切に成立すれば､それを無視するにせよ受け容れるにせよ､なんらかの結果が生じていると考えるのが自然だろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),753-754p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc12">オースティンの｢音声的行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>音声的行為とは､<b>音</b>(noise)を発することである｡文法もめちゃくちゃで､まるで無意味な音を口から出した場合も､音声的行為であるといえる｡オースティンは発話を音声だけではなく文字も含めて考えていたはずだが､ここでは典型例が選択されているのだろう｡</p>
<p>たとえば猿が鳴いても､それだけで我々は｢発話している｣とはみなさない｡しかし｢音を発しているな｣とみなすことはできる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),753-754p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc13">オースティンの｢用語的行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>用語的行為とは､ある単語(words)を一定の文法に合致した形で配列する行為である｡</p>
<p>｢<i>アケパケテは存在する</i>｣といった発話もその例だろう｡私が今適当に作った単語を用いているが､文法的には正しい配列である｡｢<i>存在､しかし､それは､そして､である</i>｣というような配列は用語的行為ではない｡</p>
<p>指示対象をもたない単語だけで発話し､会話することは困難である｡明示的に指示対象が存在しない場合も､単に省略されている場合が多いといえる｡</p>
<p>たとえば｢<i>難しい</i>｣という発話は｢<i>私はその仕事をすることが難しい</i>｣の省略形として考えることができる(形容詞だけで直接的に指示対象に関わることは難しい)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),753-754p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">オースティンの｢意味的行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>意味的行為とは､一定の語をある特定の対象に結び付けて一定の意味をともなって使用する行為のことである｡</p>
<p>たとえば､｢<i>彼は私に出ていけと言った</i>｣という発話をオースティンは例に挙げている｡&lt;彼&gt;や&lt;私&gt;という特定の対象に言葉が結びついている(指示対象をもっている)｡｢出ていけ｣や｢言った｣という動詞もまた､それらの指示対象と結びついている｡もちろん､実在的な対象とは結びつかないが､理念的な対象と結びつく場合も意味的行為になりうる｡</p>
<p>たとえば｢1+1=2である｣のような発話も､意味的行為だということができる｡</p>
<p>たしかに､1は&lt;今キーボードを叩いている私&gt;や&lt;隣の家のポチ&gt;のような指示対象をもたない｡しかし､理念的には存在するものであり､単なる妄想だったり､架空の存在ではない｡｢<i>このリンゴは赤い</i>｣というときのリンゴは物理的(個別的､実在的､偶然的､事実的)に存在するが､｢<i>リンゴは赤い</i>｣と述べるときの｢リンゴ｣は理念的(本質的､普遍的､必然的)にしか存在しない｡｢<i>この新幹線は世界最速だ</i>｣という命題の真偽は時間の流れで変化することはあるが､｢<i>色は広がりを持つ</i>｣という命題の真偽は基本的に変化しない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),753-754p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc15">｢発語内行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff00;">発語内行為</span>(英:illocutionary act)</strong>：</big>何かを言いながら同時に遂行される行為のこと｡</p>
</div>
<p>例えば約束する､忠告する､警告すると言った遂行動詞をともなう形が典型例である｡</p>
<p>もちろん､今まで見てきたように､遂行動詞を伴わずとも行為が遂行される場合もある｡</p>
<p>慣習や文脈といった状況によってある語句が｢<b>発語内の力</b>｣をもち､特定の行為を同時的に遂行させるような発話が｢発語内行為｣なのである｡オースティンが分析対象の中心として考えたのはこの側面であり､この類型を体系的に分類しようとした｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),753-754p</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
<p>｢続･哲学用語図鑑｣,プレジデント社,273p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc16">オースティンの｢発語媒介行為｣とはなにか</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong><b>発語媒介行為</b></strong></span>(英:perlocutionary act)：</big>発語行為を行ないつつ発語内行為を遂行することによって､ある種の｢結果や効果｣を引き起こす行為のこと｡※話し手が意図したものであろうと､なかろうと変わらない｡</p>
</div>
<p>たとえば｢<i>その犬は危険だ</i>｣という発話は発語行為であり､かつ警告行為であるという意味で発語内行為である｡そして､その結果､聞き手が避難したという結果をもたらした場合､発語媒介行為だといえる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/6cc9624f5afadd00046ab30ad6c882a1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5297" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/6cc9624f5afadd00046ab30ad6c882a1.png" alt="" width="613" height="530" /></a></p>
<p>図にするとこのようなイメージになる｡</p>
<p>生じる効果は聞き手ではなく､話し手の場合もあるのではないだろうか｡たとえば｢<i>この道は危険だ</i>｣と自分に警告し､それによって別の道を選ぶという結果が生じる場合がある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),753-754p</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc17">発語内行為と発語媒介行為の違いとは</span></h3>
<h4><span id="toc18">発語媒介行為の範囲が広すぎる問題</span></h4>
<p>発語内行為とは､｢<b>発話において(in)慣習的な力(発語内の力)をもつ行為</b>｣である｡</p>
<p>発語媒介行為とは｢<b>発話によって(by)感情･思考･行動に何らかの効果(結果)を生み出すこと</b>｣である｡</p>
<p>しかし､これらの定義だけだと､両者を厳密に区別することは難しい｡なぜなら､発話媒介行為の定義が広すぎるからである｡</p>
<p>たとえば聞き手に何ら効果を与えない発話内効果を考えることは難しい｡たとえば｢<i>そこに犬がいるから気をつけて</i>｣と発話した場合､発話において｢警告｣という効果が相手に生じているとする(聞き手の感情･思考の変化に関わらず､発語内行為としての警告行為は形式的に成立する)｡聞き手が警告を理解した場合､その後､いかなる行為をするにせよ､｢理解した｣という状態(効果･結果)をもたらしている(発語媒介行為が成立)｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/42e233473d6990616bcd76854eb6c3f5.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5298" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/42e233473d6990616bcd76854eb6c3f5.png" alt="" width="541" height="371" /></a></p>
<p>つまり､発語内行為によって聞き手に慣習的に生じるような｢結果｣と､聞き手によるその｢結果｣を通じた慣習的､あるいは非慣習的に生じるような｢結果｣を区別することが難しいというわけだ｡</p>
<p>なんらかの結果が聞き手に生じていれば発語媒介行為だといえるなら､両者の境目が曖昧になってしまう｡※発語媒介行為を単なる結果として解釈せずに､発語媒介行為が結果を起こすようなケースとしたほうがいいのかもしれないが､表記的には厳密には考えないでおく｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,225p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),754-755p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc19">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc20">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc21">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc22">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc23">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc24">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc25">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc26">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc27">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc28">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc29">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc30">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:31:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5568</guid>

					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､4分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-5" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-5">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">オースティンの｢適切性の条件｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">定義</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">(A)慣習と状況に関する条件</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">(B)手続きに関する条件</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">(C)誠実さと行為の一貫性に関する条件</a></li></ol></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">二分法の曖昧性について</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">(1) 事実確認的発話だが､適切性が問えるケース</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">(2) 行為遂行的発話だが､真実性に関わっているケース</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">(3) そもそも形式では両者を判断できない</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc19" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">オースティンの｢適切性の条件｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<h4><span id="toc7">定義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>適切性の条件</strong></span>(英:felicity conditions)：</big>ある発話が遂行的行為として成功するために満たされなければならない社会的･制度的条件のこと｡</p>
</div>
<p>事実確認的発話が真/偽の判定の対象になるのに対して､行為遂行的発話が適切/不適切の判定の対象になるという点がポイントである｡</p>
<p>適切性の条件の違反には､｢<b>行為自体が不成立になる違反</b>｣と､｢<b>行為は成立するが不誠実になる違反</b>｣の二種類があるという｡違反しなければ適切だというわけだ｡</p>
<p>条件は｢<b>慣習と状況に関する条件</b>(A)｣､｢<b>手続きに関する条件</b>(B)｣､｢<b>誠実さと行為の一貫性に関する条件</b>(C)｣の３つに大きく分かれ､それぞれ下位分類が２つずつある｡AとBは｢行為自体が不成立になる違反｣であり､Cは｢行為は成立するが不誠実になる違反｣である｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),750-751p</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,223p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">(A)慣習と状況に関する条件</span></h4>
<p>(A1)<b>発話によって行為を遂行するための社会的慣習が存在すること</b></p>
<p>例:たとえば｢被告人を懲役3年に処する｣と判決を言い渡したとしても､司法制度の慣習がない社会では行為が不成立となる｡</p>
<p>(A2)<b>その慣習が適切な状況･資格のもとで適用されること</b></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a63c98961c93fb488d9fcbbe7a6ec800.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5294" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a63c98961c93fb488d9fcbbe7a6ec800.png" alt="" width="290" height="289" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a63c98961c93fb488d9fcbbe7a6ec800.png 290w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a63c98961c93fb488d9fcbbe7a6ec800-60x60.png 60w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/a63c98961c93fb488d9fcbbe7a6ec800-120x120.png 120w" sizes="(max-width: 290px) 100vw, 290px" /></a></p>
<p>例:命令する権限のない者が｢命令する｣と言っても命令は成立しない｡たとえば裁判官の資格がない八百屋が裁判所で｢被告人を懲役3年に処する｣と判決を言い渡しても､行為は成立しない(日本の慣習では)｡</p>
<h4><span id="toc9">(B)手続きに関する条件</span></h4>
<p>(B1)<b>慣習が定める手続きが正しいこと</b></p>
<p>例:船の命名式で､シャンパンのボトルを船体にぶつけて割るという慣習があるとする｡しかし､担当者がシャンパンではなくペットボトルを船体にぶつけ､｢この船をリバティ号と名付ける｣と発話しただけのケース｡この場合､この命名行為は遂行されず､不成立となる｡</p>
<p>(B2)<b>B1(正しい手続き)が完全に実行されること</b></p>
<p>例:契約という慣習があり､当事者はその資格があり､契約手続きなどの不備がない場合で｢<i>契約します</i>｣と発話しても､契約の相手がその手続きを完了させなかった場合､契約が完了したことにはならない｡つまり､契約は不成立となる｡</p>
<p>B1は誤った手続きで相手が手続きを完了させた場合であり､契約は不成立となる(名前を書き間違えるなど)｡B2は正しい手続きで当事者が手続きを完了させなかった場合であり､契約は不成立となる｡</p>
<h4><span id="toc10">(C)誠実さと行為の一貫性に関する条件</span></h4>
<p>(C1)<b>発話者が､発話に含まれる意図や感情を実際にもっていること</b></p>
<p>例:来る気がなくても｢<i>来ると約束する</i>｣と言えば約束自体は成立するが､不誠実と評価される｡</p>
<p>ちなみにAやBに違反する場合を｢<b>不発</b>(misfires)｣とオースティンは表現する｡Cに違反する場合は｢<b>濫用</b>(abuses)｣である｡</p>
<p>(C2)<strong>発話者が､その意図や感情に従って行動すること  </strong></p>
<p>例:約束したのに来なければ､約束は成立しているが首尾一貫性を欠き､不誠実となる｡</p>
<p>他人の意図や感情を我々は直接見ることはできない｡発話が慣習的に前提している意図や感情がここでは問題となるのだろう｡</p>
<p>｢<i>明日行くと約束する</i>｣といえば､通常､発話者は｢行くつもりである｣という意図をもっているべきという<b>規範的な要請</b>である｡</p>
<p>もちろん､｢しかるべき意図をもっていないが､実際に約束が履行された場合｣､外見上､第三者には誠実に見えるかもしれない｡しかし､当人にはそれが不誠実かどうかは判断することができる(C1違反)｡｢約束を守るつもりだった｣というようなケースでは､行為が履行されていない以上､しかるべき意図をもっていようがもっていなかろうが不誠実だと言える(C2違反)｡このあたりの話はカントの哲学と関連が深いといえるだろう｡</p>
<h3><span id="toc11">二分法の曖昧性について</span></h3>
<p>今までの話では､事実確認的発話は真偽性しか問えないタイプであり､行為遂行的発話は適切性しか問えないタイプという整理だった｡</p>
<p>しかし､オースティンは事実確認的発話でも適切性を問うことができたり､行為遂行的発話でも真実性に関わっているケースがあるという｡つまり､両者の違いが曖昧であり､はっきり分けることができないという話だ｡</p>
<h4><span id="toc12">(1) 事実確認的発話だが､適切性が問えるケース</span></h4>
<p>たとえば｢<i>ジョンの子どもは禿である</i>｣という発話は､事実確認的な発話である｡しかし､ジョンに子どもがいない場合､真偽を検証することが難しい｡</p>
<p>ジョンの子どもを見てハゲているかどうか確認できないため､真であるとも偽であるともいえない｡かといって無意味な文でもない｡</p>
<p>それゆえに､｢不適切｣だといえる｡適切性の条件で言えばA２に違反しているのだろう｡いわゆる｢存在前提が不成立｣のケースであり､かつ言明に求められる一般的な手順に反しているともいえる｡</p>
<p>そもそも真偽を問うことができないなら事実確認的な発話ではないのではないか､という疑問が生じる｡重要なのは｢発話と事実が対応する構造｣になっているという点であり､それが実際に検証可能かどうかとは別なのだろう｡このあたりはたとえばラッセルとストローソンの間で論争が起きるほど重要な問題として言語哲学では扱われている｡ストローソン的に言えば､文の形式だけではなく､文脈や意図を考慮に入れて､真偽が判定できるかどうかそのものを確認する必要があるということになる｡ラッセル的に言えば､形式的に処理できるということになる｡</p>
<p>｢発話と事実が対応する構造になっていない｣のは｢<i>あいうえお</i>｣や｢<i>こんにちは</i>｣という単なる発話や､典型的な行為遂行的発話のケースだろう(これらもなんらかの命題の省略形といえるのかもしれないが)｡</p>
<p>他にも､｢<b>虚偽の報告</b>｣や｢<b>単なる当て推量</b>｣の場合は､オースティンによると不誠実な陳述であるという｡</p>
<p>たとえば｢<i>この橋は安全である</i>｣という記述は事実確認的発話であり､真偽を問うことができる構造であり､検証も可能だといえるとする｡しかし､安全ではないのに安全だと発話することは不誠実だといえる｡また､安全かどうかを判断する知識がないのに､適当に言ったとしても不誠実だといえる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),751-752p</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,224p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc13">(2) 行為遂行的発話だが､真実性に関わっているケース</span></h4>
<p>オースティンは審判の判定における｢<i>アウト</i>｣という発話を挙げている｡いわゆる判定行為である｡</p>
<p>もし権限を与えられた審判が手続きに従って適切な場所で､適切な相手に､邪な意図なしに｢<i>アウト</i>｣だと言ってある選手をアウトにするならば､適切で誠実な行為だといえる｡ただし､｢実際にそれがアウトかどうか｣を事実との関わりにおいて問うことは可能だという｡つまり､真実性に関わる問いが可能なのである｡</p>
<p>行為遂行的発話は真偽を構造的に問うことができない発話ではなかったのか､と疑問が生じる｡｢真偽を問うこと｣と｢真実性に関わること｣は微妙にニュアンスが違う｡</p>
<p>｢アウトにしたという行為は真か偽か｣といったように問うことはできない｡世界を単に記述する行為ではなく､社会的･制度的な事実を生じさせる行為だからである｡しかし､そのアウトを<b>事実との関わりにおいて､実際にアウトに値する行為だったかどうかを検証することはできる</b>｡つまり､｢真実性に関わること｣ができるのである｡</p>
<p>｢〇〇という理由で､アウト！｣と言った場合､同じく判定行為である｡しかし､｢〇〇という理由が真であるかどうか｣を続けて問うことは可能である｡ここでは｢行為そのものの成立(制度的効果)｣と｢その前提となる事実の真偽｣が切り分けて考えられているということになる｡</p>
<p>文全体の一部に対して真実性と関連づけたり､文の隠れた前提に対して真実性と関連づけることが可能であるというわけだ｡</p>
<p>たとえば､｢<i>私の時計をあなたにあげる</i>｣という発話は､贈与行為である｡</p>
<p>しかし､ラッセル的に文章を分解すると､｢この時計は私のものである｣という前提が隠れていることになる｡そして｢<i>この時計は私のものである</i>｣という命題の真偽を問うことは可能である｡それゆえに､行為遂行的会話は真実性に関わることが可能だといえるのかもしれない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),751-752p</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,224p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">(3) そもそも形式では両者を判断できない</span></h4>
<p>行為遂行的発話の典型的な文法的特徴として､<b>遂行動詞があること､一人称であること､能動態であること､現在形であること</b>が考えられる｡</p>
<p>しかし､例えば｢芝生に立ち入ることは禁止されています(Es wird verboten, den Rasen zu betreten.)｣という発話は三人称であり､受動態であるというように例外も出てくる｡遂行動詞がなくても成り立つことは先程確認した｡</p>
<p>たとえば｢<i>あなたはオフサイドだった｡</i>(Sie waren abseits.)｣という発話は｢過去形｣であるが､判定行為として機能している｡</p>
<p>一方で､ほとんど行為遂行的発話に典型的な文法を用いても､遂行的発話とは言い難い文章もある｡たとえば｢<i>私は毎朝､彼を相手に､雨が降ると賭けをする｡</i>(Ich wette (jeden Morgen) mit ihm, da es regnen wird.)｣という発話は事実確認的発話とみなしうる｡</p>
<p>｢<i>私は後悔の念を抱いている｡</i>｣という発話は事実確認的発話であるのにもかかわらず､実質的には謝罪行為として機能し､行為遂行的発話と見なせる場合がある｡</p>
<p>このように､<b>遂行文と事実確定文を区別する絶対的な規準は存在せず､流動的である(状況や慣習に依存する)と言わざるをえない</b>とオースティンは結論づけている｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),751-752p</p>
<p>･｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,224p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc15">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc16">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc18">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc19">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc20">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc21">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc22">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc23">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc24">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc25">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc26">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:27:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5564</guid>

					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､3分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">それぞれの定義</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">具体例</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</span></h3>
<h4><span id="toc7">それぞれの定義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong><b>遂行動詞</b></strong></span>(英:performative verb)：</big>発話自体にある行為を同時に遂行させるような機能をもたせる､慣習的に用いられる動詞のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>顕在的遂行発話</strong></span>(英:explicit performative utterance)：</big>遂行動詞を明示的に含む発話のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>顕在的遂行発話</strong></span>(英:explicit performative utterance)：</big>遂行動詞を明示的に含む発話のこと｡</p>
</div>
<p>オースティンによれば､歴史的に見ると原初的遂行発話が先に生まれ､顕在的遂行発話が後に発達したという｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),750p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">具体例</span></h4>
<p>例えば｢約束する｣､｢命令する｣､｢警告する｣､｢禁止する｣､｢遺贈する｣といった遂行動詞をオースティンは例として出している｡</p>
<p>これらの動詞が含まれている場合は､発話が同時にそれらの行為を遂行するというわけである｡</p>
<p>･顕在的遂行発話の例１:命名</p>
<p>｢<i>私はこの船を&lt;エリザベス女王号&gt;と命名する｡</i>｣</p>
<p>･顕在的遂行発話の例２:遺贈</p>
<p>｢<i>私はこの時計を私の弟に遺贈する｡</i>｣</p>
<p>･顕在的遂行発話の例３:約束</p>
<p>｢<i>私は君に､明日時間通りに来ることを約束します｡</i>｣</p>
<p>･原初的遂行発話の例１:約束</p>
<p>｢<i>私は明日､時間通りに来ますよ｡</i>｣</p>
<p>このように｢約束｣という遂行動詞が用いられなくとも､実質的に約束行為となっているケースが存在する｡つまり､発話によって同時になんらかの行為を遂行するために､<b>遂行動詞を必ずしも含む必要がない</b>というわけである｡</p>
<p>とはいえ､遂行動詞を明示的に用いない場合は曖昧となりやすいので､｢約束したつもりはなかった｣ということが生じやすいといえる｡社会的な慣習や､その具体的な状況次第で約束とみなされるかどうかは変動するからである｡裁判において､｢契約すると言わなくても､その発言は実質的に契約したとみなされる｣と判定がくだされるケースと似ている｡裁判では｢普通はそう解釈する｣といった社会的な慣習が優先される｡</p>
<h2><span id="toc9">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc10">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc11">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc12">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc13">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc14">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc15">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc16">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc17">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc18">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc19">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc20">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:22:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5561</guid>

					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､2分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-7" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-7">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">オースティンの｢事実確認的発話｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">事実確認的発話の定義</a><ol><li><a href="#toc8" tabindex="0">事実確認的発話の具体例</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">指示対象がないケースはどうなのか､ラッセル､クワイン</a></li></ol></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">｢行為遂行的発話｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">行為遂行的発話の定義</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">行為遂行的発話の具体例</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">発話内で事実が同時的に作り出されているとはどういうことか</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">｢言語論的転回｣､｢語用論的転回｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc19" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a><span style="background-color: #ffff00;">(今回の記事)</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">オースティンの｢事実確認的発話｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<h3><span id="toc7">事実確認的発話の定義</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>事実確認的発話</strong></span>(英:constative utterances,事実確定的発話)：</big>世界の状態(事実)についての記述を行うものであり､真偽の判定を事実への対応に委ねる構造をもつような発話のこと｡</p>
</div>
<p>例えば事実を単に記述する文や発話がその典型例である｡コンスタティブとは｢陳述的な｣という意味である｡ちなみにオースティンにとって発話(発言)とは口に出して発音することだけではなく､紙に文字で書くことなどを含んでいる｡現代で言えばインターネットにおけるチャットも発話の一種になる｡</p>
<p>オースティン以前では､言語のもつ役割はもっぱら｢<b>言葉以外の何かを表すこと､陳述するこ</b>と｣だと思われていたという｡</p>
<p>たとえば言語分析哲学の基礎を築いたフレーゲは分析対象を｢<b>真偽の判断ができる文(命題)｣</b>に主に絞っている｡前期ウィトゲンシュタインでは｢科学的な命題と事実は一対一の関係にあり､同じ数だけ存在している｣という写像理論を唱え､｢<b>真偽の判定ができないような命題は言語の間違った使い方</b>｣であるとみなされている｡論理実証主義でも同様に､｢<b>検証可能な命題のみが科学的</b>｣だとされている｡つまり､言語の中でも｢事実確認的発言｣が重視されてきたというわけである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,222p</p>
<p>｢続･哲学用語図鑑｣,プレジデント社,272p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),748-749p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">事実確認的発話の具体例</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/8674efa551a86841492dc1eea991aef5.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5290" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/8674efa551a86841492dc1eea991aef5.png" alt="" width="283" height="296" /></a></p>
<p>(1) ｢<i>この犬はかみつく癖がある</i>｣</p>
<p>(2) ｢<i>父は機嫌が悪い</i>｣</p>
<p>これらの発話はいわゆる命題であり､それぞれの要素(いわゆる意味)は世界の実体と対応している｡それゆえに､真偽が検証可能である｡</p>
<h4><span id="toc9">指示対象がないケースはどうなのか､ラッセル､クワイン</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/0d4bd470da863088ed2984012ab4f215.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5291" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/0d4bd470da863088ed2984012ab4f215.png" alt="" width="309" height="284" /></a></p>
<p>一方で､｢<i>ペガサスは存在しない</i>｣という命題は検証することが難しい｡なぜならペガサスには対応する実物(<b>指示対象</b>)が存在しないからである(おそらく)｡｢<i>隣の部屋に犬のポチはいない</i>｣という命題とは違うのである｡</p>
<p>｢１+１=２である｣というようなケースは確かに実物は存在しないが､理念的には実在すると考えられている(たとえば現象学者のフッサール)｡実在的にも理念的にも存在しない､中立的な存在は真偽の判定が難しいとされている｡それゆえに､｢ペガサスは実在しない｣は事実確認的発話ではないといえるのではないか｡</p>
<p>たとえばよく噛みつく犬を見て､｢<i>この犬はかみつく癖がある</i>｣と発話したところで､いかなる現実的な変化が生じるのだろうか｡</p>
<p>従来は｢単に何ごとかを陳述すること｣であり､他に変化を生じさせるような行為とは区別されていたのである｡もちろん､情報を他者に伝達したり､真偽の判定のガイドとなったりするといった機能はある｡しかし言語にはこのような機能以外を持つような発話のタイプもあるとオースティンは考えた｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2023/01/19/husserl-1/">【応用哲学第一回】フッサールの現象学における「志向性」とはなにか</a></p>
<h3><span id="toc10">｢行為遂行的発話｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<h4><span id="toc11">行為遂行的発話の定義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff00;"><strong>行為遂行的発話</strong></span>(英:performative utterance)：</big>発話すること自体が一つの行為を成立させる発話のこと｡</p>
</div>
<p>単に陳述することを意味せず､真偽を問うことが難しいという点がポイントになる(ただし無意味ではない)｡</p>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,222p</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),748-749p</p>
<h4><span id="toc12">行為遂行的発話の具体例</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/d090674884cb738d5b7c39ec654e5daa.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5292" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/d090674884cb738d5b7c39ec654e5daa.png" alt="" width="357" height="239" /></a></p>
<p>たとえばオースティンは｢<i>私は明日雨が降る方に６ペンス賭ける</i>｣という発話を典型的な行為遂行的発話として紹介している｡</p>
<p>この発話はなんらかの事実を単に報告しているわけではない｡</p>
<p>たとえば｢<i>雨が昨日降った</i>｣､｢<i>雨が今降っている</i>｣､という過去や現在に関する発話は｢事実確認的発話｣だといえる｡</p>
<p>発話によって過去の事実､現在の事実を単に陳述しようとしているに過ぎないからだ｡それゆえに､それらの事実の真偽を問うことができる｡</p>
<p>※未来に関する発話は哲学的にはすこしややこしいので､いったん保留する｡いわゆる｢未来の偶然性の問題｣に関わり､現在の時点で真か偽かをもつのか､未決定なのかという問題である｡もし未決定ならば､真偽は問えずに､事実確認的発話とはいえなくなる｡未来に関する話であっても､｢明日は雨が降るか､降らないかである｣なら真偽が問えるだろう(必ずどちらかが成立するから)｡色は広がりをもつという命題はもっともだが､明日は広がりをもたなくなるかもしれない｡過去および現在においてほとんど100%そうなっているにすぎない(可能性の高い予測)｡</p>
<h4><span id="toc13">発話内で事実が同時的に作り出されているとはどういうことか</span></h4>
<p>｢<i>私は明日雨が降る方に６ペンス賭ける</i>｣という文章には､｢<i>明日雨が降る</i>｣という未来に関する文章と､｢<i>６ペンス賭ける</i>｣という現在に関する文章の２つが組み合わさっている｡</p>
<p>｢<i>６ペンス賭ける</i>｣という文章は｢<i>６ペンス賭ける</i>｣という発話によって行為が遂行されている｡つまり､｢<i>賭ける</i>｣という発話によって&lt;賭ける&gt;という行為が同時に遂行されているのである｡</p>
<p>｢<i>６ペンス賭ける</i>｣という文章の真偽が問えないということは､全体としては陳述行為が遂行されていないということになる｡</p>
<p>たとえば｢６ペンス賭ける｣と発話したあとで､｢本当は賭けていない｣といっても､その発話が｢偽｣とはいえない(真であるともいえないのだが)｡</p>
<p>たとえば､｢<i>彼は『昨日その箱が開けられた』方に今､６ペンス賭けた｡</i>｣という発話の場合は真偽を問うことができるだろう｡なぜなら､その発話において賭けるという行為が遂行されたわけではないからである｡</p>
<p>しかし､｢<i>私は『昨日その箱が開けられた』方に６ペンス今賭けた｡</i>｣という発話の場合は､真偽を問うことができない｡なぜなら､その発話において賭けるという行為が遂行されたからである｡</p>
<p>ただし､文のあり方だけで事実確認的か､行為遂行的かを区別することは難しい｡</p>
<p>たとえば｢<i>彼は『昨日その箱が開けられた』方に今､６ペンス賭けた</i>｣という発話によって､実質的に彼が６ペンス賭けていると同時に見なされる｢<b>社会的な文脈(制度的文脈)</b>｣もあるかもしれない(通訳などの代理人とみなされるようなケース)｡発話がどのような行為を遂行する機能として作用するかは､<b>社会的な文脈に依存する</b>のである｡極端な話､｢<i>1万円</i>｣と発話しただけで賭けるという行為が遂行されることもある｡本人が意図せずともそのように機能する可能性がある(たとえばオークションでは1万円と発話するだけで入札として機能する)｡</p>
<p>たとえば｢<i>６ペンス賭ける</i>｣と言ったが､６ペンスをもっていなかった場合､脅されて言わされていた場合はありうる｡つまり､不適切な賭け､不誠実な賭けになりうる｡しかしそのことで賭けるという行為が真であるとか､偽であるとかを判定できない｡重要な点は現在においてすでに｢賭けるという状態｣を<b>同時的に作り出している</b>ことである｡それゆえに真偽を問えない｡｢過去にあったことを報告する｣､｢現在にあることを記述する｣という作業とは違う｡｢事実を創る発話｣をしながら同時にそのことを事実として発話(報告)することは難しい｡報告は遅れてしまう｡</p>
<p>オースティンは真/偽ではなく適切/不適切で判断されるような行為を遂行行為的発話と見なしている(｢適切性の条件｣の項目で後述)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),749p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">｢言語論的転回｣､｢語用論的転回｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>正直この辺りは理解しにくい｡まず､基本的に｢言葉｣と｢事実｣は分離されて考えられていた｡たとえば｢<i>今､雨が降っている</i>｣という言葉の前に､&lt;今雨が降っている&gt;という事実が先にあり､それをコピーしているだけである｡</p>
<p>哲学的にはそもそもコピーは可能なのか､客観そのものがどうして存在するといえるのかという古来からの問題があり面白い｡事実に言葉が従属するのではなく､言葉が事実をリードするという逆転を<b>言語論的転回</b>や､<b>語用論的転回</b>という｡</p>
<p>言葉が事実を表象(コピー)するのではなく､<b>言葉が事実を成立させるパーツの一部となってしまっている</b>と考えるとよりわかりやすい｡</p>
<p>現在の何らかの状態をコピーするのではなく､事実を｢<b>創り出す</b>｣行為なのである｡それゆえに､一致させるべき事実が独立的に存在せず､真偽の判定ができないのである｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_15-39-07.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5303" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_15-39-07.png" alt="" width="1000" height="464" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_15-39-07.png 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/2026-01-16_15-39-07-800x371.png 800w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></a></p>
<p>かなり簡略化すると､このように整理できるだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>宮坂豊夫｢発話行為理論に向けて点描 (2): JL オースティンと JR サールの理論｣(1993),754-755p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc15">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc16">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc18">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc19">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc20">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc21">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc22">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc23">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc24">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc25">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc26">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 10 Mar 2026 21:16:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ジョン･ラングショー･オースティン]]></category>
		<category><![CDATA[１ワード社会学]]></category>
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					<description><![CDATA[１ワード社会学第十二回目､1分割目の記事です(全8分割)｡]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">オースティンの｢言語行為論｣</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">｢言語行為論｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">定義</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">言語分析哲学について</a></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">｢行為｣と｢発話｣は違うのか</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">｢行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">世界に変化を及ぼすという要素について</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">マックス・ウェーバーにおける社会的行為と動機</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc14" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc15" tabindex="0">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></li></ol></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="///www.youtube.com/embed/mzUzrFpmlRI?si=V2to687D80sxFcAr" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span style="display: inline-block; width: 0px; overflow: hidden; line-height: 0;" data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-1/">【１ワード社会学第十二回(1)】オースティンの言語行為論:行為と発話の違いとは</a>(<span style="background-color: #ffff00;">今回の記事</span>)</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-2/">【１ワード社会学第十二回(2)】オースティンの言語行為論:事実確認的発話と行為遂行的発話</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-3/">【１ワード社会学第十二回(3)】オースティンの言語行為論:｢顕在的遂行発話｣と｢原初的遂行発話｣の違い</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-4/">【１ワード社会学第十二回(4)】オースティンの言語行為論:適切性の条件とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-5/">【１ワード社会学第十二回(5)】オースティンの言語行為論:｢発語行為｣とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-6/">【１ワード社会学第十二回(6)】オースティンの言語行為論:ウィトゲンシュタイン､デイヴィットソンにおける｢理由と原因の違い｣とは</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-7/">【１ワード社会学第十二回(7)】オースティンの言語行為論:オースティンによる暫定的な発語内行為の分類リスト</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2026/03/11/one-word-sociology-speech-act-theory-8/">【１ワード社会学第十二回(8)】オースティンの言語行為論:教訓</a></p>
<h2><span id="toc5">オースティンの｢言語行為論｣</span></h2>
<h3><span id="toc6">｢言語行為論｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h3>
<h4><span id="toc7">定義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>言語行為論</strong></span>(英:Speech act theory)：</big>発話は何かを｢単に陳述する｣という機能だけではなく､発話それ自体がコンテクストに依存した行為として同時的に機能することで多様な機能を現実に生じさせていると考える主張､理論のこと｡</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/fb9cac85bec025c47de61b9cfa2b66c8.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5287" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/fb9cac85bec025c47de61b9cfa2b66c8.png" alt="" width="195" height="370" /></a></p>
<p>言語行為論の基礎はイングランド生まれの<strong>ジョン･ラングショー･</strong><b>オースティン</b>によって創始され､アメリカ生まれのジョン･サールによって精密に理論化されている｡</p>
<p>オースティンは社会学者ではなく､哲学者である｡しかし社会学者であるハロルド･ガーフィンケルやユルゲン･ハーバーマスなどに影響を与えている重要な人物である｡この次の動画で扱う予定のハーバーマスの『コミュニケーション的行為の理論』を学ぶ際の前提知識となるものである｡1962年にオースティンによる『<b>言語と行為</b>』(How to Do Things with Words)が出版され､言語行為論が説明されている(1955年の講義がオースティンの没後にまとめられたもの)｡</p>
<h4><span id="toc8">言語分析哲学について</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>言語分析哲学</strong></span>(英:analytic philosophy of language)：</big>哲学的問題を言語の意味･使用･論理構造の分析によって整理･理解しようとする､あるいはそれだけで解決できるとする哲学のこと｡</p>
</div>
<p>オースティンの言語行為論は大きな枠組みでいうと｢言語分析哲学｣に属し､そのなかの｢日常言語派｣に位置する｡※今回､言語分析哲学の歴史全体を詳細に検討することはできない｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/f3a810e1cb350fcbd911aa0a3b0901dc.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5288" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/f3a810e1cb350fcbd911aa0a3b0901dc.png" alt="" width="829" height="664" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/f3a810e1cb350fcbd911aa0a3b0901dc.png 829w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/f3a810e1cb350fcbd911aa0a3b0901dc-800x641.png 800w" sizes="(max-width: 829px) 100vw, 829px" /></a></p>
<p>(極めてざっくりと)言語分析哲学の影響の流れを図で整理すれば､上の図のようになる｡</p>
<p>ただし､オースティンがウィトゲンシュタインの名前に言及したことはなく､影響関係は不明瞭である｡※ウィトゲンシュタインがオースティンに影響を与えていた可能性があると主張する論文もある｡</p>
<p>Daniel W. Harris &amp; Elmar Unnsteinsson ｢ Wittgenstein’s influence on Austin’s philosophy of language｣(2018)｡</p>
<h3><span id="toc9">｢行為｣と｢発話｣は違うのか</span></h3>
<h4><span id="toc10">｢行為｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>オースティンは｢<i>ある文を述べることは行為の遂行そのものであるか､あるいはその遂行の一部分をなすことであり､この行為が何かを言うことだけとして扱われることは考えられない</i>｣と述べている｡</p>
<p>｢行為｣とはいったいなにか､整理する必要がありそうだ｡ただし､オースティンは行為を厳密には定義していない｡後述するように､遂行的な発話とそうではない発話を分類し､例示していくという手法をとっている｡</p>
<p>｢単に何かを言うこと｣はいわゆる｢<b>陳述</b>｣である｡そして陳述も一種の｢<b>行為(発話行為)</b>｣である｡それゆえに､発話は行為とは無関係なものではない｡また､それゆえに､｢<b>発話は行為である</b>｣というオースティンの視点に新しさを感じることはできない｡</p>
<p>ここで大事なのは､オースティンは行為を､｢<b>遂行を伴うタイプと､伴わないタイプ</b>｣に分けているという点である｡</p>
<p>発話行為以外の行為を考えてみる｡たとえば｢物を譲渡する｣というのは行為か｡また､この場合に､何が｢遂行｣されているのか｡</p>
<p>たとえば哲学者のフォン･ウリクト(1977)は行為を｢<b>意図的に世界(自然)において変化を起こしたり､慎んだりすること</b>｣であると定義している｡物を譲渡することによって､私のもっていた本が相手の手に渡ることは､たしかになんらかの変化を意図的に生じさせたといえそうだ｡</p>
<p>テオ･ヘルマン(1989)は行為は｢<b>出来事</b>｣であり､｢<b>主体の観察可能な身体的な動きとして理解できる</b>｣必要があるという｡</p>
<p>さらに､｢<b>ある特定の状況や行為に関与するものの状況把握､制度上の条件､社会的ルールのもとで成立するという条件も存在する</b>｣という｡</p>
<p>たとえば口を動かさず､手で文字を書くわけでもなく､相手にものを手で渡すわけでもない場合､｢譲渡行為｣とは多くの場合､いえないのだろう(もちろん慣習次第だが)｡また､｢署名によって譲渡が成立する｣という慣習(ルール)がない場合も､署名による譲渡は遂行されない可能性がある｡</p>
<p>たとえば自分の言語が通じない僻地で｢この財宝を譲渡します｣と文字で書き置きしたとしても､原住民には伝わらず､譲渡が遂行されない可能性がある(そもそも私的所有という概念が慣習的に存在しない場合もある)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>金井満｢意味と発話行為と言語ゲーム｣(2011),27-28p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">世界に変化を及ぼすという要素について</span></h4>
<p>発話は基本的に全てなんらかの意味で行為であると仮定する｡しかし､全てが｢遂行を同時的に伴う行為｣ではない｡では､｢同時的に遂行を伴わない行為｣とはいったいなにか｡</p>
<p>たとえば｢単になにかを報告すること｣はいったいなにを遂行しているのだろうか｡｢<i>この犬はかみつく癖がある</i>｣と陳述した場合､そこには何の意図があって､なにが遂行されているのか｡</p>
<p>オースティンは著作の前半部分において､陳述を行為遂行的発話とは言わずに､事実確認的発話と最初は定義している｡つまり､なんら同時的に遂行されていないということになる｡｢あの馬に10万円賭ける｣という発話は同時的に｢賭ける｣という行為が遂行されているので､｢行為遂行的発話｣である(それぞれの用語については後述)｡</p>
<p>オースティンにおける｢遂行的行為｣は単に何か(世界)を遂行(表現)するだけではなく､｢<b>世界に変化を及ぼす</b>｣という他の積極的要素が重要になるのだと考えられる｡物理的なものだけではなく､目に見えない地位の変動､感情の変化､変化の停止なども含めてである｡世界を単に描写しただけでは何かを積極的に遂行したとはいえないのだろう｡たとえばサールは言葉と世界の対応に基づいて発話のタイプの分類を試みている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/f8506b26ff7b1f55f190b8eaca51fe8b.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5289" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/01/f8506b26ff7b1f55f190b8eaca51fe8b.png" alt="" width="710" height="606" /></a></p>
<p>これまでの整理を図にするとこのようになる｡</p>
<p>後半のオースティンは二分法を曖昧であるとして放棄し､最終的には全ての発話は何らかの行為を遂行していると結論づけている｡陳述も報告､伝達､断定といったような積極的な評価が与えられていくのである｡</p>
<h4><span id="toc12">マックス・ウェーバーにおける社会的行為と動機</span></h4>
<p>社会学者のマックス･ウェーバーによれば行為とは｢<b>単数或いは複数の行為者が主観的な意味を含ませている限りの人間行動</b>｣のことである｡</p>
<p>行動である｢<b>主観的意識がないような無意識的･反射的行動</b>｣とは区別されている｡行為とはもっぱら人間に特有のものだといえる｡</p>
<p>また､社会的行為を｢<b>他者とのかかわりにおいてなされる行為</b>｣であると定義している｡</p>
<p>発話において意図的に世界において変化を起こすということは､多くの場合は<b>他者とかかわるもの</b>であるといえる｡他者がいない状況で｢遅刻しないと約束する｣と発話したところでしかたがない｡また､｢約束はまもらなければならない｣という<b>慣習､ルール</b>がなければ効力をもたないだろう｡このように､遂行的な発話は基本的に社会的な慣習に依存し､他者とのかかわりにおいてなされ､世界に変化を与える行為であると暫定的に仮定できる｡ただし､他者とほとんど無関係に独り言の発話によって生じるものもありうるかもしれない｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/02/21/max-weber-6/">【基礎社会学第十四回】マックス・ウェーバーの社会的行為の四類型とはなにか</a></p>
<h2><span id="toc13">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc14">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc15">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3Nhrz9B">J. L・オースティン (著), 飯野 勝己 (翻訳) ｢言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか (講談社学術文庫 2505)｣</a></p>
<h3><span id="toc16">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc18">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc19">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc20">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
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<h4><span id="toc21">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
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<h4><span id="toc22">社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc23">クロニクル社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc24">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
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<p>&nbsp;</p>
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