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フリードリヒ・ニーチェまとめ
- 2015/12/1
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目次
フリードリヒ・ニーチェとは
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日 – 1900年8月25日)は、ドイツの古典文献学者、哲学者。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには文学的価値も認められる。(wikiより)
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道徳の系譜学
道徳的な善悪について
道徳的な善悪は、論理的な帰結としての本来的な善悪とは関係がない。
つまり、どんな道徳だとしても、最初から心の中や論理の中に存在していたわけではないということです。社会の中に規範やルールがまず存在し、それが次第に私たち一人一人の内部に入る来るようになるだけです。人殺しはいけない、というものは道徳的な基準であるが、最初から心のなかや論理の中に存在していたわけではありません。道徳とは長期間にわたって社会に存在していたルールが固定化したものにすぎません。
たとえば、「他人の物を盗むのは悪い行為である」という考えはほとんどすべての人間が合意する道徳です。たしかに私自身も盗むことは道徳的に悪い行為であると考えてしまいます。しかしこれは自然界のルールではなく、私たちが生まれた時から持っているものではありません。動物は平気で他の動物のものを盗みます。猫が他の猫の餌を奪い取っていることを見たことがあります。幼児はそもそも所有という概念を持っていません。社会化されることによって所有という概念を持たされるともいえるでしょう。また、ある部族、ある文化では窃盗が好ましいものとされていることもあるでしょう。
系譜について
系譜とは、一般的に「同じような要素・性質を受け継いでいる事物のつながり同じような要素・性質を受け継いでいる事物のつながり」という意味です。道徳に関していえば、現代の道徳がどのような経緯によって作り上げられてきたかについて検討をを加えるということです。
ルサンチマンとは
ルサンチマンとは、日本語でいえば「逆恨み、怨恨」です。ルサンチマンは現代において多くの道徳を形成している”キリスト教的な価値観”を生み出した発端といえます。
たとえばキリスト教的な価値観では、善を利他的な行動であると考えてきました。そして悪を利己的な行動であると考えてきました。こうした分類は本来的な善悪とは関係がありません。自然界のルールでもなく、生まれた時から持っているものでもありません。
問題は、このようなキリスト教的な価値観がどのような経緯で発生してきたかということです。利他的・禁欲的なものを善とするのは、”強者が弱者に対して施しや慈善を行うことという力の系譜”に根ざしているものだと考え、その変異をたどることによって問題を明らかにしようとニーチェは考えたのです。そしてそれは“迫害されてきた者たちの怨恨(ルサンチマン)によるものだとニーチェは指摘しました。”
(前提知識)キリスト教は長い間迫害を受けてきたらしいです。
ローマ帝国では、帝国に反感を示さない限り、宗教には立ち入らない方針を貫いていました。
そのため、ローマ帝国内には、エジプトのイシス神が大ブームを引き起こしたり、オリエントのミトラ教が広く信仰されたり、ギリシャ哲学の流れを組むオルフェウス教などが広まっていました。
ローマによるユダヤ滅亡においては、ユダヤ人がローマに反抗したために起きた事件で、ユダヤ教を弾圧したわけではありません。
マニ教やイスラムの弾圧は、キリスト教がローマの国教となってからの話で、当時のローマ帝国には存在していませんでした。その中で、キリスト教だけが絶えず迫害を受けていました。
これは、キリスト教が当時の貧民層に広がっていったためです。
従来の宗教が、現世の利益をもたらす事を説いているのに対し、キリスト教は、死後の安泰を求める宗教でした。
現世において苦境にある貧困層にとって、脱出できない現状を捨てて、来世に望みをつなぐキリスト教は、当時唯一縋れる宗教だったため、貧困層に広まっていったと思われます。現世よりも来世に望みをつなぐ宗教は、当時の為政者には不都合なものでした。
死を恐れないキリスト教貧困者は、為政者のいう事を聞かず、反感や暴動などに簡単に参加する事になります。
こういった危険な宗教に対しては、払底的に弾圧して消滅させるか、体制内に取り込むかしかありません。
コンスタンティヌス帝以前は、弾圧し消滅させる方向でしたが、弾圧せせきれないほど大きくなってしまい、最後には体制内に取り込む事で、キリスト教をコントロールする事になります。キリスト教の弾圧を行ったのは、
ネロ帝(64年)、ドミチアヌス帝(95年)、トラヤヌス帝(107年)、ハドリアヌス帝(118年)デキウス帝~ヴァレリアヌス帝(250年~260年)、ディオクレティアヌス帝(303年)が、年表に記載されています。
迫害とは、ニーチェいわく、”力のあるものが、力のないものたちの権利を侵害すること”という意味をもちます。キリストを信じる人達は、貧しく、現世よりも来世を重視し、力の強いものとしての支配者たちに対して反体制的であったため、弱い立場にあったといえます。こうした力の関係が、力のあるものが、力を振るうことを厳(げん)に戒めるという価値観をキリスト教のなかで生成させたといえます。いじめられっこがいじめはよくないという価値観を生み出す感じに似ていますね。
反対に、ローマ的な価値観の中心は、力を自分のために使って、自らが幸福になることでした。ローマ的な価値観では冒険や格闘などにおいて力をふるうことが善とされてきた経緯があるみたいです。個人的なことですが、ドゥルーズによれば価値と価値の対立が新しい価値を生んでいくそうですが、ローマ的な価値観とキリスト教的な価値観の対立は排除や妥協を伴わないことだったのでしょうか。ローマ的な価値観はキリスト教な価値観を排除したことでしょう。反対もおそらくそうでしょう。排除ではなく吸収であったなら、どの部分をキリスト教的な価値観はローマ的な価値観を吸収したのでしょうか。
ニヒリズムについて
価値を支える絶対者としての神
キリスト教的な価値観は価値の正しさの理由を絶対者に求めたそうです。”単なる社会規範やルールではなく、真理にまで高めようとしたことの帰結として絶対者としての神の存在を根底に置くキリスト教的価値観の体系が構築された”とニーチェは指摘しています。
たとえば物を盗むことがいけないという根拠は、自分も盗まれたくないから、そういう文化だから、というような説明がよくされます。しかしそういった根拠は絶対的なものではなく、時代や文化によってかわる価値観です。こうした曖昧な根拠を絶対的な根拠にするためには、神様を持ち出すしかないのです。神様の意思だから、神様の言葉だから、といった絶対的な正当化です。このように、本来的な理由がない、その文化及び社会において使用されてきた規範であるから、といった正当化だけでは納得できなくなったので絶対者に支えられた価値観の体系が必要となったのです。
価値を支える神は死んだ
こうした絶対者に支えられた価値観の体系はと長期間にわたって使用されているうちに、人々の心のなかに内在化し、道徳になっていきました。この道徳となった価値の体系を揺るがすような別の価値観が発生したのです。それは科学です。たとえば、「生物は神が作ったものではなく、進化によって発生したものである」(ダーウィニズム)だとか、「宇宙は創ったものではなく、ビッグバンによって発生したもの」だとかいう科学研究の成果が多く語られ、絶対社(神)の存在が否定されるようになったのが19世紀以降の近代です。ニーチェいわく、キリスト教的価値観の体系をそこで支えていた存在としての絶対者が不在となり、善悪や正しさの基盤が失われてしまったという。
ニヒリズム
ニーチェいわく、ニヒリズムとはキリスト教的価値観が失われたことによって発生したのではなく、むしろキリスト教的価値観の体系の中にこそニヒリズムの種が存在していたという。
自己解釈:価値観の体系を神に依存させなければ、ニヒリズムは発生しなかったかもしれないということか(?)。価値観を神に依存させなければならないような状況に陥らせた”なにか”がニヒリズムの”種の種”として考えることができる。そもそものキリスト教の価値観とは他者利益を善、自己利益を悪と考えることで、その当時のローマ的な価値観の反発として形成されたものだった。貧者の不遇が価値を生成させ、その価値を担保させるように、神を価値の基盤においた。となれば、ニヒリズムの根源はやはり貧者の不遇であり、貧者の不遇を形成したものは、貨幣システム等のシステムであったのかもしれない。
総括
「自分が間違っているかもしれない」と感じたとき、「どのような価値観に照らし合わせてそう感じるのか」を吟味し、検討しなくてはなりません。そして、「絶対的な正しさ」が存在しないからといって、悲しむ必要もなく。また、厭世する必要もありません。「正しさ」とは、「正しさを求める営みを続けること」の中にのみ存在しているのです。p99
構成について
参考文献
・「現代思想の使い方」高田明典(秀和システム)
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