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【1ワード社会学第十三回(10)】「コミュニケーション的理性」が発揮される具体例:教授と学生のケース
- 2026/3/23
- ユルゲン・ハーバーマス
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(3) [A]合理性関連
[3-9]「コミュニケーション的理性」が発揮される具体例:教授と学生のケース
妥当性要求の批判可能性
ハーバーマスは「妥当性要求の批判可能性」の例として、教授と学生のケースを取り上げているので紹介していく。妥当性とは、話し手が発話を通して暗黙に主張している自らの正当性を意味する。
教授がゼミの途中で学生に対して、「水を1杯もってきてください」と頼んだという状況をハーバーマスは設定している。言語行為論的にいえば、依頼行為である。
この場合、強制的な命令ではないと仮定されている。
学生が教授に対して妥当性を要求している状況を考えてみる。つまり、「あなたの言っていることの正当性を示してください」と要求しているわけである。
もし学生が教授の依頼を正当性があると考えていれば、わざわざ妥当性を要求するという「批判」を行う必要はない。
たとえば「優先席を譲ってほしい」と高齢者にお願いされた場合、我々の多くはそれが正当な要求だと考え、いちいち批判したりしない。
大事なのは正当性がもしないと考えれば妥当性を要求できるという「批判可能性」があるかどうかなのである。優先席の例において、「私は足が不自由なので、それは難しいです」という反論を行うこともありえる。
では、もし学生が教授を批判するとすればどのようなケースが考えられるだろうか。
まずは「水を汲める場所が遠すぎて、授業が終わるまでに帰ってこられなくなる」と学生は批判することができる。このタイプの批判は「客観的真理性への批判」であるとされている。そもそも(水をもってきてもらうという)依頼行為の前提である「事実認識」が正しいのかどうかという批判である。
次に、「教授は学生に使い走りをさせる権利はありません」と学生は教授に対して批判することができる。
このタイプは「規範的正当性」への批判であるとされている。規範的に許される行為かどうかが問題となり、教授にそのような要請をする権限があるかどうかがポイントとなる。
第三に、「本当は私を皆の前で貶めたいだけではないですか」 と学生は教授に対して批判することができる。
このタイプは「主観的誠実性」への批判であるとされている。話し手は本心からそう言っているかという点がポイントとなる。教授の内的意図が誠実でない可能性を指摘しているわけである。
ここで重要なのは、どの妥当性の観点からでも原則的に批判や拒否が可能な構造になっているという点である。
もちろん、構造として可能だからといって、その批判が妥当であるかどうかは別の問題である。また、構造として可能であるからといって批判が容易であるかどうかも別の問題である。「いつでも批判可能な形式がコミュニケーション的行為には潜在している」という状態が普遍的なのである。そうした構造が上下関係の権力や物理的な暴力などによって歪められている場合はあるが、しかし構造が存在していないことを意味しない。
・特に参考にしたページ
「自己・他者・関係」(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,242p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,155p
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993),42-43p
ジャン・ピアジェのシェマから考える理性の発達
ハーバーマスはこうした相互行為能力(コミュニケーション的合理性)を発達的に獲得されてきたものと考えている。こうした考えは心理学者のジャン・ピアジェに影響を受けているという。
生まれつき固定化されたものではなく、成長や経験を通して発達する能力なのである。
アイデンティティも同様であり、自己中心的なものから、他者の気持ちをとりいれるような能力を得ていくわけである(ミードがおままごとや野球を通して獲得していくと述べたこととも関連する)。
【基礎社会学第二十七回】G・H・ミードの「プレイとゲーム、重要な他者と一般化された他者」とはなにか
この意味で、カント的に先天的なものと意識哲学的にのみ捉えるわけではなく、デュルケム的に後天的なものであるとも社会学的に捉えているといえるだろう。
ピアジェによれば、初期乳幼児においては身体の活動と認知は切り離すことができないという。たとえば赤ちゃんは「泣く=ミルクをもらえる」という感覚的なシェマをもっている。
2歳から7歳になると、絵や言葉で物事を現す象徴的シェマに発達する。さらに7歳から11歳になると、数量や順序などの論理を扱うことのできる「論理的シェマ」に発達する。12歳を超えると、仮説や未来の想像などの抽象的な概念を扱える「抽象的シェマ」に発達するという。
ハーバーマスは言語能力を「シンタクスや音声の規則の体系を獲得する段階から、言語の普遍的な運用能力を獲得する段階を経て、通常のコミュニケーション的行為と討議を使い分ける段階へと発達する」と考えているという。
相手の要求に正当性がないと感じた時にきちんと批判するためには、言語を理解し、使用し、さらにその使用を通して冷静に、相手の視点になって考え、了解を目指していく必要がある。「相手が嫌いだから、スッキリするから、目立てるから論破してやろう」という自己中心的な動機に基づいた能力はズレた考え方であるといえる。
・特に参考にしたページ
「クロニクル社会学」,有斐閣アルマ,第一六刷,146-147p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,165-166p
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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