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【1ワード社会学第十三回(26)】ハーバーマスの「生活世界」
- 2026/3/31
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(6)[D]生活世界関連
[6-3]ハーバーマスの「生活世界」
ハーバーマスにおける「生活世界」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
(ハーバーマスにおける)生活世界(独:Lebenswelt):コミュニケーション的行為が成立するための、自明な共通前提となる背景的な意味世界のこと。
「全体社会」という用語は生活世界とシステム世界の2つからなる世界を意味する(つまり、社会は生活世界とシステム世界という2つの側面をもつというわけである)。システムについては後述する。
まず、ハーバーマスは生活世界という概念は曖昧であり、対象化できないという。
そもそも生活世界とは明確な把握をすり抜けることを本質とすらしているという。たとえば生活世界の要素の1つが「背景知」だとすれば、それを具体的に知ることができている時点で、非背景化され、もはや背景知とはいえなくなる。反省された知識と反省以前の知識は異なるものである。ポランニー的にいえば暗黙知のようなものだといえる。「ふつうはそういうものでしょ」という種類のものである(自転車の乗り方、呼吸の仕方のように)。
たとえば「部屋では靴をぬぐ」、「雨が降ったら傘をさす」、「電車で目線を合わせない」といった多様な(日常)知の形態が日本にはある。
・特に参考にしたページ
「自己・他者・関係」(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,243p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,172p
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993),50p
ハーバーマスにおける「生活形式」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
このような具体的な形態は「生活形式」と呼ばれる。いわば「生き方」である。生活形式自体は時代や社会によって変動するものであり、その多くは体で自然に覚えたもの(社会化されたもの)である。昔の宗教的な社会では神の教え通りに生きることが(他の細かい生活形式を規定する)生活形式であり、封建的な社会では領主の教え通りに生きることが生活形式だったかもしれない。
ただし、「生活形式」と「生活世界」は異なる概念である。「生活世界」というものはどんな時代、どんな社会であったとしても、そして多様な生活形式が入り混じった社会であったとしても普遍的に存在する構造だとハーバーマスはいう。それがないとすれば社会が存在しているとは言えないようなものである。挨拶する文化がなくなったとしても我々の社会は維持されるのは、他の要素がなんらかの機能を代替しているからだといえるだろう。
つまり、生活形式とは生活世界の普遍的構造のなかで表現され、具体化されたパターンだということになる。具体的な文化的伝統や言語的な解釈パターンのストックもここにあたる。
・特に参考にしたページ
「新しい社会学の歩み」,有斐閣アルマ,第一刷,192p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,173p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,287-288p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,293p
生活世界における「文化」、「社会」、「パーソナリティ」
生活世界の普遍的な構造は分析的には「文化」、「社会」、「パーソナリティ」からなるとされている。
より具体的にいえば、生活世界とは「文化の伝承と革新」、「社会的統合と連帯の確立」、「アイデンティティの形成(社会化)」という要素からなるというわけである。たしかに具体的な生活形式が違えど、なんらかの文化はあり、なんらかの統合はあり、なんらかの社会化は存在しているといえる。また、それらは社会の維持になんらかのかたちで具体化を伴って機能しているといえる。あるいは「コミュニケーションを円滑化させている、動機づけている」といえる。
生活世界は「領域」的なものではない。たとえば鳥の集団を見て、鳥の世界があそこには物理的(実在論的)に存在すると感じるときの世界とは異なる。つまり、固定的で実体的な領域を意味しない。難しい言葉でいえば論理階型が違う。料理よりも料理のメニューのほうが抽象度が一段高い。
・特に参考にしたページ
「自己・他者・関係」(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,244p
生活世界はいかにして維持されているのか
たとえば家族や学校は生活世界であり、市場はシステムであるといったような領域的な区分ではないのである。形式的にいえば、「潜在的に批判可能な行為領域かどうか」がハーバーマス的には重要になってくる。
もちろん、上司に批判をしたりすることが現実的には困難な場合があるが、しかしそれでも潜在的には可能な構造になっているような領域のことである。
たとえば自販機でジュースを買うときに、「なぜお金を入れたのに出てこないんだ」と自販機に言語で問いただしても意味はなく、潜在的にも不可能である。しかし八百屋で値段について高すぎると批判することは可能である。「株価はなぜ下がったのか」というのも同じような問題である。後で扱うが、これはシステム的世界の範囲の問題である。
生活世界の普遍構造が「文化」、「社会」、「パーソナリティ」に分析的に区分されるとして、いったいどのようにそれらは維持されているのだろうか。
ハーバーマスの答えを端的に言えば「コミュニケーション的行為によって」ということになる。情報伝達の場合もあれば規範に規制された行為もあればドラマツルギー的行為の場合もあるだろう。それゆえに、生活世界とはコミュニケーション的行為で成り立っている世界のことだといえる。
コミュニケーション的行為をしているのはだれかというと、我々(人格をもち、言語的能力を有し、理性を発揮することができる)人間である。孤立した1人の人間だけではコミュニケーション的行為はできない。相互行為によって生活世界は維持され、時には変革されるのである。
また、生きている我々が産まれ落ちたときからすでに常に生活世界はそこにあり、我々はその生活世界から多くを学習して生きている(ハイデガー的にいえば贈与されている)。
・特に参考にしたページ
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993),50p
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993),55-56p
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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