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	<title>タルコット・パーソンズ | 創造法編集社</title>
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	<description>社会学や哲学、その他創造に関する知識をまとめます</description>
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	<title>タルコット・パーソンズ | 創造法編集社</title>
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		<title>【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2022/09/26/talcott-parsons-5/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2022/09/26/talcott-parsons-5/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 26 Sep 2022 09:20:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タルコット・パーソンズ]]></category>
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					<description><![CDATA[タルコット・パーソンズの「AGIL図式」についての説明記事です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-1" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-1">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">概要</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">要約、要旨</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">タルコット・パーソンズのプロフィール</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">動画での解説・説明</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">AGIL図式</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">AGIL図式とはなにか、意味</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">機能的要件とはなにか、意味</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">適応とはなにか、意味</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">目標達成とは、意味</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">統合とは、意味</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">潜在的パターンの維持および緊張の処理とは、意味</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">潜在的パターンとは、意味</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">緊張の処理とは、意味</a></li></ol></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">サブシステム相互のインプット・アウトプット(境界相互交換)</a><ol><li><a href="#toc15" tabindex="0">二重の交換過程</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">富とは、意味</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">権力とは、意味</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">連帯とは、意味</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">威信とは、意味</a></li></ol></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">象徴的相互交換メディア(一般化された交換手段)とは、意味</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">位相と次元の違い</a><ol><li><a href="#toc22" tabindex="0">位相、次元</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">そもそも時空ってなんだ</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">行為空間はユークリッド空間であり、位相運動記述のための媒介概念</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">パターン変数による静態的な分析から、構造的パターンが動態的になった</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">位相運動A→G→I→LとL→I→G→A</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">整理(動画のスライド)</a></li><li><a href="#toc28" tabindex="0"> 社会システムがいずれかの「次元」を「完全に」満たさなければ社会秩序は成立しないのか</a></li></ol></li><li><a href="#toc29" tabindex="0">構造機能主義の変遷について</a></li><li><a href="#toc30" tabindex="0">エネルギーの流れ</a></li><li><a href="#toc31" tabindex="0">ホメオスタシスと社会変動の関連について</a><ol><li><a href="#toc32" tabindex="0">ホメオスタシスとはなにか、意味</a></li><li><a href="#toc33" tabindex="0">ホメオスタシスと均衡維持</a></li><li><a href="#toc34" tabindex="0">社会そのものの変動の説明ができないという批判</a></li><li><a href="#toc35" tabindex="0">AGIL図式(1953)で社会変動を説明できるようになったのか</a></li><li><a href="#toc36" tabindex="0">オープンシステムを通した社会変動の説明</a></li><li><a href="#toc37" tabindex="0">目的論的(論点先取り、トートロジー)であるという批判に対してパーソンズはどのような反論をしているか</a></li><li><a href="#toc38" tabindex="0">構造機能主義と機能構造主義の違い</a></li></ol></li><li><a href="#toc39" tabindex="0">構造とシステムの違いについて整理</a></li><li><a href="#toc40" tabindex="0">Qなぜ機能が構造より変動的なのか</a></li><li><a href="#toc41" tabindex="0">サイバネティクスと社会変動</a><ol><li><a href="#toc42" tabindex="0">サイバネティクスとは、意味</a></li><li><a href="#toc43" tabindex="0">サイバネティクスを取り入れた社会変動</a></li><li><a href="#toc44" tabindex="0">サイバネティック・コントロールとはなにか</a></li></ol></li><li><a href="#toc45" tabindex="0">社会進化論</a></li></ol></li><li><a href="#toc46" tabindex="0">時系列の整理、前提知識の整理</a><ol><li><a href="#toc47" tabindex="0">初期パーソンズ(1937年~1950年)</a></li><li><a href="#toc48" tabindex="0">中期パーソンズ(1951年~1965年)</a></li><li><a href="#toc49" tabindex="0">後期パーソンズ(1966年~1979年)</a></li><li><a href="#toc50" tabindex="0">前提知識の整理</a><ol><li><a href="#toc51" tabindex="0">（１）社会化と社会統制という２つの機能の充足</a></li><li><a href="#toc52" tabindex="0">（２）AGILという四つの機能的要件の充足</a></li><li><a href="#toc53" tabindex="0">構造機能主義を機能要件、社会構造、社会状態でシンプルに説明する図式はパーソンズの説明なのか</a></li></ol></li><li><a href="#toc54" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc55" tabindex="0">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></li><li><a href="#toc56" tabindex="0">井庭崇・他「社会システム理論: 不透明な社会を捉える知の技法 (リアリティ・プラス) 」</a></li></ol></li><li><a href="#toc57" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc58" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc59" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc60" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc61" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc62" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc63" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc64" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc65" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc66" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">概要</span></h2>
<h3><span id="toc2">要約、要旨</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample"><span style="background-color: #ffff99;"><strong>AGIL図式とはなにか</strong></span>(まずは定義、用語を抑える)：社会秩序はいかにして可能かという問題を、パーソンズはシステムの存続・維持可能性の問題と捉え直し、その「<strong>機能的要件</strong>」をAGIL図式としてまとめたもの。1953年に発表された。AGILとはそれぞれ、社会システムの「<strong>適応</strong>」(Adaptation)、「<strong>目標達成</strong>」(Goal attainment)、「<strong>統合</strong>」(Integration)、「<strong>潜在的パターンの維持および緊張の処理</strong>」(Latent pattern maintenance)の頭文字である。そして、この枠組みのもと、それぞれの機能を典型的に担うシステムとして、適応(A)機能を担うのが<strong>経済</strong>、目標達成(G)機能を担うのが<strong>政治</strong>、統合(I)機能を担うのが<strong>社会共同体</strong>、潜在的機能の維持および緊張の処理(L)機能を担うのが<strong>文化</strong>だとした。たとえば分業に基づく生産行為という現象を、機能(A)を満たすため、貢献するために存在する、といったように現象や相互行為を「機能」によって説明していく。あらゆる行為や制度を機能貢献、システム維持のために存在している、というように枠組みで捉えていく試みだと言える。ただし、システムに非貢献的な要素、反構造的な要素は軽視され、社会化(L)や社会統制(I)によって矯正されていくというすこし楽観的なイメージがなされている感は否めない。</li>
<li class="sample">【構造機能主義①】まず1951年までの構造機能主義では、まず構造が<strong>パターン変数</strong>によって定義され、その構造の特性として２つの機能(<strong>社会化</strong>・<strong>社会統制</strong>)が定義されていた。まず構造ありきで、それを満たすような機能があるという順番。まず構造ありきであり、もし逸脱があれば、社会統制や社会化の機能によって再び安定的な行為をするようになるというイメージ。構造の維持が前提としてあり、それを満たすような機能を考えていくイメージ。たとえば医者が手術中に感情的になるとは患者は期待していない。つまり、医者と患者の相互行為にはある程度安定的なパターンがあり、それらが「構造」と呼ばれている。もし医者が感情的になって手術に失敗すれば、医師免許の剥奪などの社会統制があり、他の医者は自分がそうならないように安定的なパターンへと戻っていくようなイメージ。AGIL図式でいえばIとLしか考えられていないようなイメージ。問題は、ホメオスタシスの恒常性維持のように均衡(構造の維持)が前提とされていて、社会全体の変動がよく扱えないということだった。たとえば体温は常に37度前後で安定していて(構造)、寒くなれば体を震わせて(機能)体温を安定へと向かわせるが、構造の変動は扱えないというイメージ。たとえば体温が常に５０度で安定するような均衡状態が想定できない(50度で人間が死ぬのを変動とみなし、社会の解体を変動とすれば、たしかに変動を扱えているとはいえるが)。同じように社会も均衡、つまり一定の構造が前提とされていて、積極的な構造変動に対する姿勢がみられない。パーソンズ自身も、1951年において、今の構造機能主義では構造変動を扱うことは不可能であると述べている。扱えるのは「<strong>社会体系内部の変動</strong>」であり、「<strong>社会全体の変動</strong>」は無理だと述べている。先ほどの比喩で言えば、体を震わせたりすることが「社会体系内部の変動」にあたり、「体温が常に50度で安定するような大きな変動」が「社会全体の変動」に当たる。より効果的な２つの機能の発展という形のように、結局「体の震わせ方から暖房を使うように変わったよ」というレベルの変化の説明というわけである。</li>
<li class="sample">【構造機能主義②】1953年の構造主義では、まず機能ありきで、その機能との関係で構造が決定されていくという順番に変わっていく。社会における人間の相互行為のうちの恒常的な部分(構造)が特定の形態ｘであるのは、それが社会全体の状態yを成立させているからだ、という説明様式にかわる。ここでいうyが「<strong>機能的要件</strong>」であり、「<strong>AGIL四機能要件</strong>」である。たとえば、近代社会が業績主義、限定性というような構造的なパターンの形態をもっているのは、四つの機能を満たすためだ、というふうに考えていく。そして四つの機能を満たせなくなったら、今度は満たせるように別の構造的なパターンへと変動していく、と考えていく。とにかく四機能要件、つまり適応、目標達成、統合、潜在的パターンの維持及び緊張の処理はなくてはならない機能であり、それらが満たされなければ、<strong>満たされるように構造が変化</strong>するか、社会が成立しなくなるかのどちらかだとされている。もっと具体的に言えば経済、政治、法、文化のどれかが欠けていたら社会は無秩序で成り立たないよね、という話。この四機能ありきで、それを満たすために構造が時代によってどんどん進化して変わっていくよね、という話。たとえば人口が増えていけば、多くの工程を一人で行うよりも、多くの人が分業したほうがいいよね、効率がいいよね、機能要件(とくに経済)を満たせるよね、というような構造に変わっていく(対象への様態が限定的なパターンになっていく)。</li>
<li class="sample">【構造機能主義②は社会全体の変動を扱えるのか(1)】1953年の構造機能主義では、構造が静態的なパターン変数ではなく、動態的な位相運動によって考えられるようになってくる。つまり、満たすべき機能要件(<strong>AGIL四機能要件</strong>)が先にあり、その機能要件を満たすためにどのような位相運動が生じていくのか、というそれぞれの社会に特有の位相運動の在り方、体系内で常に一定のパターン示す位相運動を通して構造が考えられている。このように、位相運動を通じて均衡を分析する方法を、「<strong>動態均衡分析</strong>」という。なぜ動態均衡かというと、<strong>時間</strong>という要素が加わったからである位相運動は、時間の経過によってそれぞれの次元が極大化していく過程だとみなされ、その順序はA→G→I→L(問題解決、課題遂行の順序)とL→I→G→A(社会化・社会統制の順序)の２つがあるとされているそれに比べると、1951年の構造機能主義①では時間という要素が考慮されず構造が考えられているため、「<strong>静態均衡分析</strong>」と呼ばれる。それでは、「静態均衡分析」から「動態均衡分析」に変わることによって、「社会全体の変動」が扱えたのかというと、そうでもないという。ざっくりとしたイメージで言えば、「社会体系内部の変動」が「時間」の要素の追加によってより動的になったという感じ。より専門的な言い方をすれば、ミクロ的に見れば「動的」だが、マクロ的に見ればまだ「静態」だよね、という感じ。たとえば位相運動はたしかにAが極大化し、Gが極大化するというような時間的な継起、変動の要素があるが、それらの変動は基本的に「均衡(つまり、構造の維持)」が前提とされている点では構造機能主義①と同じだよね、という話。パーソンズの社会システム論は「均衡条件の分析」が中心であり、「構造維持」に偏っているという批判がなされている。比喩的に言えば体温維持のために体を震わせる過程がより詳細に、ダイナミックに分析できるようになっただけで、体温は依然として37度前後を目指しているよね(構造維持)、といったところ。</li>
<li class="sample">【構造機能主義②は社会全体の変動を扱えるのか(2)】構造機能主義①と構造機能主義②の違いは、静的か動的かの違いだけではなく、<strong>オープンシステム</strong>として扱われるようになったということもある。1958年になると、モデル２と言われる新しいAGIL図式が考えられる。パターン変数を組み合わせて作られた1953年のAGIL図式とは違い、<strong>外的</strong>・<strong>内的</strong>(external-internal)という対立軸、<strong>手段的</strong>・<strong>成就的</strong>(instrumental-consummatory)という対立軸を元にAGIL図式が作られるようになった。ここでいう外的の軸にAとGの次元があり、内的の軸にIとLの次元があるというのがポイントである。外的とは、社会システム以外の外部のシステムとも相互交換を行っていくことを意味している。たとえば経済活動は畑でじゃがいもを作るが、畑は社会システムの外にある、物理的環境である。それに対してI次元の法律、L次元の文化などは物理的なものというより概念的な価値や規範であり、社会システムの内部的なものに関わっている。つまり、構造機能主義①は社会の内部のものしか扱っていなかったが、構造機能主義②になると、社会の外部に開放されたオープンシステムとして構築されるようになったということである。たとえば気候の変動などの外部の環境を通して、特定の社会構造が環境に対する適応能力を失うということが考えられる。西洋の影響を受けて、文化を摂取し、日本が近代化していくこともありえる(これも外環境、文化システムとの相互作用によるもの)。そうすると、新たな機能の分化、構造の分化が生じることがありえる。たとえば人口過多になってこのままでは適応できないということになれば、分業(たとえば家族と企業の分化)などが生じ、新たなサブ構造、サブシステム(A)が生じることも考えられる。それでも適応できない場合は、「社会全体、社会全体のシステム」が解体し、<strong>新たな機能要件を充足する構造が再構築される可能性</strong>もある。このようにして、社会全体の変動を説明できるのではないか、という論理がある。</li>
<li class="sample">【構造機能主義②は社会全体の変動を扱えるのか(3)】「社会全体の変動」を「発展過程(連続)」として捉えれば、機能評価によって構造が変化する、つまり位相の極大化の在り方が変化していくということになるので、「社会全体の変動」が扱えるようになったということもできるかもしれない。たとえばある会社が自分の利益をあまり考えず、人とのつながりを大事にする傾向があったとする。しかしそれでは機能評価のうち経済(A)の要件を満たせなくなり、利益をより考えるような構造へと変わっていくと考える。一方で、「社会全体の変動」を「非発展過程(非連続)」として捉えれば、AGIL図式の枠組みでは扱えなくなってしまう。なぜなら「機能評価」によってNOとみなされた場合、適応能力を失った場合のみ変動していくのであり、十分に機能要件を満たしていて、構造が発展(変化)する必要がないと判断されるからである。1960年にパーソンズは自らの構造機能主義を、機能ありきという意味合いを込めて、「<strong>機能分析</strong>」と名称を変える。</li>
<li class="sample">【構造機能主義③】1966年になると、さらに社会変動を導くものとしてL→I→G→Aという<strong>サイバネティック・コントロール</strong>が考えられている。社会変動は、まず情報量が高い「L(潜在的パターン維持、緊張処理)」が変化することによって、他のシステムへと制御へとつながり、全体のシステムを変化させていくことが想定されている。つまり、社会変動の規定要因として価値要素が最も重くみられている。文化が変われば法律が変わり、法律がかわれば政治も変わり、そして経済も変わるようなイメージ。要するに、L次元が変化すればほかの全ての次元が変化し、社会全体の変動が生じていく、という話。具体的な変動の分析は、「原始社会、中間社会、近代社会」と区分を通して、発展段階(社会変動)を扱っている。こうして社会体系内部の変動でけではなく、社会全体の変動がサイバネティック・コントロールを通して分析できるようになっていく。たとえば中間社会から近代社会への変化の説明は、単なる「社会体系内部の変動」ではなく、「社会全体の変動」だといえる。ただし、このような社会進化のシステムも「適応能力の高度化、発展(連続)」として捉えられているのであり、構造維持のため(システム貢献的な機能)の適応能力の上昇、サブ構造の変化という点はあまり変わっていない。そもそもどのようなきっかけで文化がまず最初に変化するかの原理がよくわからない(環境適応(連続発展)の結果なのか、それとも偶然(非連続発展)の結果なのか)。もし文化が変化すれば、構造全体が変動するという論理はなんとなく理解できる。サイバネティクスの論理では、情報量の高いものが目的を制御するが(目的論)、同時に情報量の高いものはエネルギーの高いものに条件づけ(因果論)されているというわけである。やはり単なる偶然だけでは文化(情報)の変化は全体構造の変動につながらず、エネルギーの高いもの、つまり物理的な環境の条件付けとの関係が重要になる。とすると、例えばプロテスタンティズムの倫理が全体構造の変動に影響を与えていったのは単なる偶然ではなく、その変動の過程には当時の人口の増加、科学技術の発展など、さまざまな条件付けが同時に関係していたと考えていくのが自然ではないだろうか。ただ一方で、パーソンズは構造維持、機能がシステムに貢献するという目的論的な傾向が晩期まであり、やはり機能(たとえば文化に関係するL次元)が偶然に変化して全体構造の変動に影響を与えるというより、システムの維持に貢献するために機能が貢献的に変化、つまり必然的に変化して全体構造の変動に影響を与えていったと考えるほうが合点がいくような気がする。</li>
<li class="sample"><span style="background-color: #ffff99;"><strong>境界相互交換とはなにか</strong></span>（AGIL図式の発展を理解する）：境界とは各次元を境にしたものであり、各次元の間で「<strong>生産物</strong>」による相互交換、つまりインプットとアウトプットが行われるというもの。1958年に発表された。具体的にはA次元が「<strong>富</strong>」、G次元が「<strong>権力</strong>」、I次元が「<strong>連帯</strong>」、L次元が「<strong>威信</strong>」を産出する。アウトプットされた「生産物」がサブシステム間で相互交換され、消費されることで社会システムの四機能が充足され、秩序が均衡するとされている。これらは次元にも位相にも応用できると思われる。次元として考えれば、交換によってとりあえず四つの空間で機能が満たされているというような共時的なイメージに終わる。つまり、均衡するためには四つの機能に共時的に構造が分化し、それぞれの構造がそれぞれの機能を担い、「生産物」をアウトプットし、相互交換を行っていく、そういう方向性(次元)をそれぞれもっていく、というような抽象的なイメージで終わる。位相として考えれば、まずはA次元で境界相互交換が極大化していき、次にGが次元で境界相互交換が極大化していき、というように経時的な過程として扱うことができる。ただし、こうした時間的な継起は小集団(家族など)のようなミクロの分野に向いており、日本全体、世界全体というようなマクロな分野になると、相互行為、相互交換が複雑すぎて扱いにくいイメージがある。とはいえ、日本のある時点で今は経済が極大化している位相、「富」が一番アウトプットされている位相だ、と考えていけば、次の位相としては政治のアウトプットが重要になってくるな、とうように他の位相への影響を予想することもできるかもしれない。1969年にさらに「境界相互交換」を発展させ、「象徴的相互交換メディア」というものを考えるようになる。後期においては「生産物」が情報を含んだ「シンボル(象徴、文化的コード)」として交換過程そのものを「制御」するとされている。メディアとしてA次元が「<strong>貨幣</strong>」、G次元が「<strong>政治権力</strong>」、I次元が「<strong>影響力</strong>」、L次元が「<strong>価値コミットメント</strong>(忠誠)」という言葉に変わっていく。</li>
</ol>
<h3><span id="toc3">タルコット・パーソンズのプロフィール</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1939" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg" alt="" width="196" height="293" /></a>タルコット・パーソンズ(1902-1979)はアメリカの社会学者で、行為の一般理論(行為の準拠枠)、構造機能主義、AGIL図式などを提唱したといわれている。秩序問題をとりあげた社会学者の代表格。デュルケーム、ジンメル、ウェーバーなどの知識を受け継いで独自の理論を作り上げたとされている。主な著書は『社会的行為の構造』(1937)や『社会体系論』(1949)。</p>
<h3><span id="toc4">動画での解説・説明</span></h3>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="//www.youtube.com/embed/ohBw2HQY5R0" data-alt="動画の説明"></iframe></div>
<p><strong>・この記事のわかりやすい「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください</strong>｡</p>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<p>タルコット・パーソンズは基礎用語を理解しないとわからないことが多いので、できるだけ以下の基礎知識を得てからAGIL図式に取り組むことをおすすめします。</p>
<p>今回は動画作成のあとでよくよく考えるとこう説明したほうがいいんじゃないか、というような点が多く、改変するところが多かったです。改めて自分の理系の素養のなさを感じました。一度理系の内容を学び直したいです。特に位相と次元の違い、エネルギーの流れは理系の話が理解できていないと躓くところが多そうです。もともとパーソンズが古典力学を借用して概念を作ってたり、幾何学的な概念を借用して作っていたりするので、理解にはそれらの素養が必要になるというわけです。</p>
<p>正直な話、「これどういう意味？」と分かっていないことが多いです。パーソンズを理解したい方は参照論文といっしょに読んでいくことをおすすめします。こいつ読み違えてるな、とツッコみながら私の記事を軽く流して読んでやってください。私と同じように論文を読んでも「なんだこれ」という感想をもった方は、私の悩みに共感できることもあるかもしれません。</p>
<p>もっとお金があればパーソンズの本を全部買って原著を読んでいきたいのですが、なかなかお高く、手が出せそうもありません。もっとも、教養レベルではAGIL図式の定義さえ抑えていけば問題ないと思います。とはいえ、AGILの図式の定義のみを抑えていた所でなんら意味はなく、理解もできず、応用もできないと思います。</p>
<p>原著を買えない方、大きな図書館が近くにない方は、次善の策としてやはり偉大なデータベースである「論文」にアクセスすることをおすすめします。「この人難しく言い過ぎて何言ってるのかわからねーよ」の連続ですが、他の論文を読んでいくうちに、「ああ、あの人の言っていることはこういうことかもしれない」と、モヤがすこし晴れていく感覚の連続です。パーソンズに関してはまだ7割モヤがかかってる感じです。もっともパーソンズ自体が理念型・近似モデルとしては論理的に問題があることが多かったり、具体的な均衡の基準や制御の過程、尺度の説明をしていなかったりすることがあるようです。だからこそ、そうしたパーソンズ抽象的なモデルをコンパスのような指標としつつ、経験的なデータをと合わせて考えていくマートンのような中範囲理論が面白そうだな、と思ったり、機能等価主義は発見ツールなんだ！というルーマンの「目から鱗」が面白そうだな、と思ったりしました。</p>
<p>個人的には大黒さんの解説の、「パーソンズは目的論的だったり、数理的に考えれば論理的な不都合もでてくるけれど、均衡の値、四次元のそれぞれの機能を満たす値は経験的に発見する、ベクトルのような多変量的なものなんだよ。パーソンズの均衡状態は、具体的な経験からの一般化ではなく、ホメオスタシスのアナロジーにすぎない。だからこそ、AGIL図式は定量的尺度ではなく、発見的な用具なんだ」という箇所は「なるほど」と思いました。この辺はマートンの中範囲理論とも大きくつながってくるなと思いました。</p>
<p>いずれにせよルーマンやマートンを学ぶためにパーソンズをスルーするわけにはいかなかったので、いい経験になったなと思います。まるで教授のように読者に教えを説くというスタンスではなく、読者と同じ目線で、こう理解したけど、足跡(ログ)を残しておくね、もしかしたら理解の役に立つかもしれないよ、という感じで毎回記事を作成しています。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/">【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/07/20/functionalism-1/">【基礎社会学第二十五回】マリノフスキーとラドグリフ＝ブラウンの「機能主義」とはなにか</a></p>
<h2><span id="toc5">AGIL図式</span></h2>
<h3><span id="toc6">AGIL図式とはなにか、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>AGIL図式(AGIL schema)</strong></span>：</big>・社会秩序はいかにして可能かという問題を、パーソンズはシステムの維持・存続可能性の問題と捉え直し、その「機能的要件」を四つにまとめて図に表したもの。AGILとはそれぞれ、社会システムの「適応」(Adaptation)、「目標達成」(Goal attainment)、「統合」(Integration)、「潜在的パターンの維持(および緊張の処理)」(Latent pattern maintenance)の頭文字である。そして、この枠組みのもと、典型的に適応(A)機能を担うのが経済、目標達成(G)機能を担うのが政治、統合(I)機能を担うのが社会共同体、潜在的機能の維持および緊張の処理(L)機能を担うのが文化だとした。AGIL図式は四機能パラダイムや四つの機能要件論ともいわれることがある。</p>
</div>
<p>AGIL図式の定義だけを聞いて、なるほどこういうことか！と理解できる人はほぼいないと思います。とりあえず社会の維持のためには4つのなくてはならない機能が４つあるんだな、というイメージはまず理解できると思います。それが適応、目標達成、統合、潜在的パターン維持と緊張の処理というわけです。それだけだと抽象的でよくわからないので、具体的に言えば経済、政治、社会共同体、文化などが社会の維持にはなくてはならないよね、というイメージで説明していきます。エアコンが電力がなきゃ維持できないように、社会にも必要な必須要素が抽象的には４つあるよね、というイメージです。</p>
<p>４つの機能があるだけならわざわざ「図式」にする意味はなく、ただ列挙すればいいだけです。たとえば外的と手段的の組み合わせだと適応機能になるよね、というように組み合わせから4機能が得られているので、この四次元図式が便利だな、というようなイメージです。図式にするとなんとなくわかりやすいですからね。さらに、後の「境界相互交換」の説明も図があればよりわかりやすくなります。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_e7cab6f.png"><img decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2638" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_e7cab6f.png" alt="" width="525" height="471" /></a></p>
<p>基本的にはこの図を抑えていけばOKです。AGILの位置がどこでもいいというわけではなく、この位置関係にあるということが重要になります。その根拠付けがややこしいのですが、最終的には外的・内的(external-internal)という対立軸、手段的・成就的(instrumental-consummatory)という対立軸を元にこの図は作られました。今回はどうやってこの図が作られたのではなく、この図は一体何かをメインに説明していきます。</p>
<p>外的とか手段的ってなんだよ、と次に思うと思います。今回はこうしたAGIL図式においてなぜこの4機能が選ばれたのか、という点にはあまり触れません。ざっくりとしたイメージでは、経済は畑でじゃがいもを作り、じゃがいもを通して人々と売り買いして相互行為していきますよね。外の環境(社会システムの外)に働きかけ、それを手段として用いるイメージです。手段は「道具」をイメージすればいいかもしれません。「成就的」というとわかりにくいですが、「目的」と考えるとわかりやすいかもしれません。政治は経済よりは目的を考える行為ですよね。</p>
<p>AGILというのは大まかな枠組みがベールズによって準備されています。ベールズは四機能問題として適応問題、道具的問題、統合的問題、表出的問題というものを考えましたが、パーソンズがこの四機能を導くものはなにか、と考えに考えて「外的・内的、手段的・成就的」という対立軸をクロスさせればいいんじゃないか、と思いついたわけです。その前にはパーソンズ自身のパターン変数を組み合わせて構成する方法も試されていますが、最終的に選ばれたのが２つの対立軸をクロスさせる方法だったというわけです。ベールズの四機能の定義よりは、網羅性が高いと評価されているようです。</p>
<blockquote>
<p>「第三の特徴は、パーソンズ独自の機能要件論を社会システム論に組み込んだことである。当時「構造-機能主義」社会学では、機能要件論の開発が一つのテーマになっていた。機能要件とは、社会システムが活動しつづけてゆくために充足されなければならない機能的必要条件のことである。パーソンズは四つの機能要件を導き出した(1953年)。もしそれらのうちのどれかの機能の充足が阻害されれば、その社会システムは深刻な打撃を受けるか、最悪の場合には、環境との境界を維持できなくなって、環境に同化してしまうことすらあるかもしれない。さらに四機能要件論は、システムのサブシステムが分化するさいに、この四機能に沿って分化してゆくという仮説を潜在的に含んでいると考えられる。1953年にパーソンズはベイルズと協力しつつこの四つの機能要件論を発案した。彼の要件論は、AGIL図式あるいは四機能パラダイムと呼ばれることがある。社会システムは進化するにつれてA、G、I、Lと略称される四つの機能を一つずつ分担する四つのサブシステムに分化する。「適応」(Adaptation)を分担するサブシステム、「目標達成」(Goalattainment)を分担するサブシステム、「統合」(Integration)を分担するサブシステム、「潜在性」(Latency)を分担するサブシステムの四つである。最後の「潜在性」という用語がわかりにくいが、その内容は「パターン維持と緊張処理」である。四つのサブシステムは、具体的には「経済」「政治」「社会コミュニティ」「価値・宗教・(価値や宗教が世代間伝達される場および休養と子供を生み育てる場としての)家族」である。」</p>
<p>溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開－T.パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題－」27-28P</p>
<p>「パーソンズによって定式化された、最も代表的な機能要件図式。元来、ベールズによって定式化された小集団の問題解決行動の分析から導き出されたものであるが、その後、論理的に精錬され、社会システムから行為システム全体に一般化され、かつ経験的研究にも適用されている。それは、行為システムが直面する問題を外部的──内部的問題と手段──目的の問題、という二つの軸によって、四つの体系問題に区別する。すなわち、A機能=外部的・手段的な機能要件(適応Adaptation)、G機能=外部的・目的的な機能要件(目標達成Goal-aiment)、I機能＝内部的・目的的な機能要件(統合Integration)、L機能=内部的・手段的な機能要件(パターン維持Pattern maintenance または潜在性 Latency)、がそれである(図参照)。この図式は、晩年においてLIGA図式と最定式化されたが、実質的には同じである。」</p>
<p>「社会学小辞典」,36P</p>
<p>「社会秩序はいかにして可能かという問題を、パーソンズはシステムの存続可能性の問題と捉え直し、その機能的要件をAGIL図式としてまとめた。AGILとはそれぞれ、社会システムの『適応』(Adaptation)、『目標達成』(Goal attainment)、『統合』(Integration)、『潜在的パターンの維持』(Latent pattern maintenance)の頭文字である。そして、この枠組みのもと、適応(A)機能を担うのが経済、目標達成(G)機能を担うのが政治、統合(I)機能を担うのが社会共同体、潜在的機能の維持(L)機能を担う家族だとした。パーソンズは、この四つの機能で行為システムを分析し、さらに、四つの部門間の交換を媒介する『一般化されたメディア』の分析も行った。」</p>
<p>「社会システム理論」,183P</p>
<p>「モデルIIは、モデルIにおけるベイルズの原案に直接つながる「四つの機能問題」の再構成であるが、それとの対照において、モデルIIの特色は以下のとおりである。第一に、オープン・システムの根本的性格を基本にし、そこから二つの「二項対立」(41)を設定し、さらにそれらをクロスさせるという各次元導出の手続きは、ベイルズの原案に比べれば、網羅性に関して、信頼性が高いように思われる。モデルIにおける「四つの機能問題」は単に列挙的方法によつて、リスト・アップされていたが、モデルIIはよりシステマチックである」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」,14P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc7">機能的要件とはなにか、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>機能的要件(functional requisites)</strong></span>：</big>・社会システムが存続するために必要十分条件として要求される機能のこと。他に代替できない機能だとされている。もしどれかひとつでも充たされない、機能していない場合は、社会システムの均衡と安定が変化し、構造が変化し、社会変動が生じるとされている。要件を充足するようなシステムの構造と過程とを特定化しようとする分析を「機能要件分析」といいます。機能要件は「機能的命令」、「機能的緊急事態」あるいは「体系の諸課題」とも呼ばれることがあるそうです。</p>
</div>
<p>人々に意識されている場合もありますが、ほとんどの場合は意識されていないそうです。大澤真幸さんいわく、機能的要件とは社会の「目的」を意味しているそうです。</p>
<p>たしかに会社員で営業をしていたとして、その行為が社会を成立させる機能のひとつを今担っている、と明確に意識することはあまりなさそうですね。政治家なんかはわりと意識していそうですが(むしろ意識していなければやってはいけないのですが)。</p>
<p>必要十分条件は以下のようなざっくりとしたイメージです。要するに他に替えられない、ということです。この機能要件という考え方はかなりポイントになります。同じ機能分析でも、要件を外した形で社会の機能分析を行う人が出始めるからです(マートン、ルーマンなど)。</p>
<p>例えば「ぶどう」であることは「果物」であることを保証する十分な条件である。しかし、必要条件ではない。ぶどうではなく、みかんでもいい。</p>
<p>例えば「果物」であることは「リンゴ」であることを保証する必要な条件であり、十分な条件である。他に替えられない、必要要件である。</p>
<blockquote>
<p>「機能分析において、社会システムが存続するために充足すべき問題であって、これらの要件が充たされている限り、社会システムの存続と維持が保障される。その反対に、これらの要件が充たされない場合には、社会システムの均衡と安定が崩壊し、社会変動が生じる。機能的要件は、個々の文化的・社会的項目ごとに相対的に、またすべてのシステムに普遍的にも考えられる。後者の例としては、パーソンズのAGILの四機能が有名である。これは、理論構成に便利であるが、現実への適用において無理が生じやすい。機能的要件の論理は、社会学における機能分析の中心的な論理であるが、なお検討されるべき多くの問題を含んでいる。」</p>
<p>「社会学小辞典」,108P</p>
<p>「機能的要件については、先ほども少しふれましたが、要するに社会の目的です。どんな社会システムも、一種の『目的』、つまり機能的要件がある、と考えるわけです。その目的は、メンバーに意識されている場合もありますが、たいていは、はっきりと意識されていません。とにかく、社会システムは、それが満たされなくては維持できなくなるような、機能的要件(目的)をもっていて、社会システムは、社会状態が、その機能的要件を満たしているかどうかを評価している。」</p>
<p>「社会学史」,409P</p>
<p>「彼は機能要件のことを、『機能的命令』、『機能的緊急事態』あるいは『体系の諸課題』とも呼んでいる。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,161-162P</p>
<p>「行為システムに目標ないしは機能的要件を設定し、その目標を達成する、あるいは要件を充足するようなシステムの構造と過程とを特定化しようとする分析。例として、レヴィの『社会構造』(1952)やパーソンズのAGIL図式が挙げられる。」</p>
<p>「社会学小辞典」、108P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc8">適応とはなにか、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>適応(Adaptation)</strong></span>：</big>・社会システムから分化したサブシステムのひとつ。機能的課題は「社会システムの目標を達成するために必要とされる用具を提供すること」である。「A」と略される。典型的には「経済」が考えられている。要するに「富」を生産することが目的とされている。物質的な環境が念頭に置かれている。</p>
</div>
<p>目標達成の「手段・道具」を提供することが目的であり、物質的な外環境を統制下に置くという意味で、「手段＋外的」の組み合わせになるというのはわかりやすい。</p>
<p>たとえば電力が生産できない時代は火力という資源とそれを通した技術を通して「適応」した配分に基づいて物などが生産されていく。技術的知識に関わっている。</p>
<p>例：畑(外環境)に働きかけ、米などを獲得していく。※あまり具体的に考え過ぎると「具体性置き違えの誤謬」をしやすいので注意(<a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">分析的リアリズムの記事</a>を参照)。あくまでも抽象的なイメージで「経済」を考えていく必要がある。今回は抽象的に言ってるだけではなにを言っているか伝わらないと思うので、具体的に考えていく。</p>
<blockquote>
<p>「A.(適応)。これは,「状況における対象の諸特性に限定的にかかわる関心の認知的な学習の程度を特徴づける」&lt;ibid.,p.89=chap.III&gt;ものである。適応が首尾よくおこなわれるためには,(a)「現実」が行為(者)システムに付与する「要請」にたいして,システムの側が自らを調整するということ、(b)システムが外的状況にたいして能動的な変形を加えるということ,この二点が必要である。いずれの場合においても必然的に認知的な志向が強調される。外的状況を終局的に統御するためには,諸対象に関する「一般化された予見(generalized predictions)」によって「現実的な判断を下すことが必要とされる。「したがって,行為者の対象に対する関係は<strong>普遍性本位的</strong>なものたらざるをえない」&lt;ibid.,p.183=chap.V&gt;。また、状況が単に「調整」されるものではなく「統御」されるべきものであるならば,この普遍性本位的に規定された特性は,所与の目標一関心に関連した限定的なコンテクストのなかで知覚され、かつ処置されなければならない。「したがって、態度の性質は関心の<strong>限定性</strong>によって示される傾向を有する」&lt;ibid.&gt;。かくして,A位相の内容は「対象を組織化する」側の<strong>普遍性本位</strong>と,「態度を組織化する」側の<strong>限定性</strong>という,親和性をもった二つの変数の結合によって示されることになる。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,198-199P</p>
<p>「次に第3の適応問題の対応物は「経済サブシステム」である。このサブシステムの目標はその社会によって処理される「所得」を生産することである。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,15P</p>
<p>「Adaptationは、社会システムにとっての、特に物質的な環境を念頭においているのです。この機能的要件に特に責任があるのが、典型的には経済システムです。」</p>
<p>「社会学史」,413P</p>
<p>「適応(adaptation)とは、社会体系の目標を達成するために必要とされる用具を提供する機能のことである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,162P</p>
<p>「経済(A)は比較的わかりやすい。社会システムが外環境に適応するという意味は、これに働きかけて（労働）自らの活動に必要な資源を獲得し、さらには外的環境を自らの統制下に置くという積極的な側面をも含む。その中心的な関心は『適応的──道具的な客体操作』である。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,66P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc9">目標達成とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>目標達成(Goal-Attainment;goal gratification)</strong></span>：</big>・社会システムから分化したサブシステムのひとつ。このサブシステムの機能的課題は「社会システムの目標を決定し、その目標を達成するためにシステムの諸資源を動員すること」である。「<b>G</b>」と略される。具体的には「<b>政治</b>」である。有意義な目標を達成するためには、集合的行為を「組織化」する必要が出てくる。広義の目的ではなく、狭義の目的だという。たとえば人間が生きる意味など、広義の目的ではなく、国民が安全に生きるため、他国に侵略されないためといった狭義の目的が該当する。広義の目的は最終的には「テリックシステム」などにあたる(パーソンズ晩年の内容)。</p>
</div>
<p>例：経済が生産した「電気や水」を人間が安全に暮らすという目的のために分配する。国民の健全な暮らしという目的のためには、特定の誰か一人だけに電力や水道が集中するのではなく、全国民に行き渡るように動員する必要がある。バラバラに電気や水を作らせるのではなく、一部の会社に権限を与えて生産させ、資源を国民に動員させていく。</p>
<p>たとえば交通安全という目的のためには、好き勝手に車を運転させるわけにはいかず、免許を取らせるといったことが必要になる。社会には交通安全が大事だ、というような目標を決定する機能が社会には必要となる。具体的には政治など。もちろん、社会によってなにが目標となるかは異なる。</p>
<blockquote>
<p>「G.(目標達成)。これは,「陽表的な<strong>遂行</strong>過程に動機づけが<strong>感情</strong>的にかかわっているその程度を特徴づける」&lt;ibid.,p.8chap.III・傍点は筆者〉ものである。後続位置としてのシステム単位の位置Bは,行為者に,所与の特定の目標志向の成就に関して欲求充足の増大もしくは減少が生じている,あるいは「産出されている」という意味で先行位置Aとは異なっている(図6参照)。位置A,Bに関する先の私の指摘とは一見矛盾するようだが,これは第三章における以上のパーソンズの<strong>説明そのもの</strong>を、この場合に限ってより一般的な見地に立って「利用した」ということである。図中,Bの右側に(G)とあるのは位置BがG位相を示すということである。位置AはAdaptationの頭文字でもあるので(A)はあえて付さなかった。この位相の「対象への関心(すなわち『対象の組織化」・筆者)は、欲求充足にむけてそれが為すところのもの,すなわち<strong>遂行</strong>という観点からとらえられる」&lt;ibid.,p.184=chap.V&gt;。また,「先行するいかなる道具的一適応的な諸活動(A位相における活動・筆者だがこれは後にみていくように,G以外の全ての位相活動を含むものとしてとらえられるべきである)も早熟な欲求充足への傾向の抑制(inhibition)に結びついていた。―中略――だが,高潮してきた諸活動が実行に移されようとするときには,欲求充足への抑制は解除され,<strong>感情性</strong>が目標成就活動にみなぎる」&lt;ibid.&gt;。かくして,この位相の内容は,「対象組織化」の側の<strong>遂行本位</strong>と「態度組織化」の側の<strong>感情性</strong>によって説明されることになる。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,199P</p>
<p>「第2の問題に対応する「目標達成のサブシステム」は最も広い意味での政治的な機能に集点がある。「政治」の目標は社会システムの目標を獲得するために必要な条件を作り出すことである。換言すれば政治の目標は社会がそのシステムの目標を獲得する能力を最大にすることである。この能力は一般に権力といわれるものである。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,15P</p>
<p>「Goal-Attainmentは、狭い意味での目的です。これは政治システムのことが主として考えられているのです。たとえば『日本の国益のためには』と言うときに、国がある目的をもっているように語ります。そういう目的です。」</p>
<p>「社会学史」,413P</p>
<p>「目標達成(goal gratification)とは、社会体系の目標を決定し、その目標の達成に向って、体系の諸資源を動員する機能のことをいう。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,162P</p>
<p>「政治(G)は、普通、政府(機能)といわれているものよりはもっと広い。経済下位システムの目的は＜一般化された便益＞(経済の生産する物的材は、人間社会ではいかようにも利用できる。たとえば、原子力は大量殺戮兵器にも電力の供給にも利用可能)を生産することだが、政治では、社会共通の目標を実現するために必要な諸資源を動員するのが目的である。この能力を、権力と呼ぶ。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,66P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc10">統合とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>統合(Integration)</strong></span>：</big>・社会システムから分化したサブシステムのひとつ。このサブシステムの機能的課題は「社会システムが内部葛藤を起こしたりしないように、文化的価値パターンを個々人の動機づけと構造に関連付けるもの」である。「I」と略される。主に「社会統制」にあたる。「動機づけ」とは「どのような行為を意志するかしないか」に関わるもの。ざっくいえば「社会のまとまり」に関係した機能。</p>
</div>
<p>「価値」パターンが制度化されたものが「社会規範」というイメージ。制度化されることによって、より強固に人々に「動機づけ」を行う。ルールは守るという抽象的なイメージから、赤信号では止まるという具体的なイメージへと具体的に制度化し、行為に方向性、安定性、期待の予測性を与えていく。</p>
<p>具体的なレベルでは例えば「<b>社会共同体</b>」であり、より分析的なレベルでは「法律・規範」である。</p>
<p>例：法律は人々が犯罪など逸脱行為をしないように、人々を統制している。人々をできるだけ仲のよい状態に、葛藤を起こさない状態にさせるという機能。法律だけではなく、あの人は嫌なやつだ、というように視線を送られたり、メディアで批判されることも「社会統制」であり、社会にまとまりをもたせる機能のイメージに近い。</p>
<blockquote>
<p>「I(統合)。これは,「システムにおけるシステム単位の多面的一個別性本位的統合のレベルを特徴づける」&lt;ibid.p.89=chap.III&gt;ものである。パーソナリティ・システム(個人)の場合には,それは<strong>システムの</strong>「欲求充足の最適化」にかかわり,社会システム(集合体)の場合にはシステム内諸単位(諸個人)の「調整」にかかわる。「いずれの場合でも,それは個別的な(particular)単位が統合される行為一<strong>システム</strong>の結果的な全体的バランスの問題である」&lt;ibid.,p.90%3Dchap.III&gt;。この位相においては「対象はその多面的(diffuse)ないしは総括的な特性によってとらえられる傾向がある」&lt;ibid.,p.185=chap.V&gt;。また,(パーソンズはことわってはいないが,ここでは明らかに<strong>集合体</strong>の場合)「対象への個別性本位的な愛着は自我(ego)と同一のシステムの成員であることを強調して一中略一共有される諸関心の相互に連関する全体的な複合にかかわっている。自我が愛着するのは、限定的な地位(specificstatus)についている他者(alter)ないしは限定的な役割の遂行者ではなく,むしろシステムの成員として多面的な特性を有した他者なのである。かくして態度の特徴は多面性によって示される」(ibid.)。以上第五章の説明で,「対象」の側,「態度」の側の区別は必ずしも分明ではないが,ともかくもこの位相の内容は,それぞれ,<strong>個別性本位</strong>と<strong>多面性</strong>の結合によってとらえられる。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,199P</p>
<p>「第4のサブシステムは「統合サブシステム」である。これは社会システムが内部葛藤を起したり,不調整が起きないように、文化的価値型相を個々人の動機づけの構造と関係づけるものであり、通常これは社会統制と呼ばれる。これは「社会的連帯」を作り出し、逸脱行為に至る分裂的傾向を抑制し、調和した協力態勢を作り出そうとするものである。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,15P</p>
<p>「Integrationは、仲が良いということです。社会にまとまりがある、ということ。これを担うシステムを、パーソンズは、統合システムとか、社会共同体とか呼んでいます。」</p>
<p>「社会学史」,413P</p>
<p>「統合(integration)とは、体系を構成している諸々の単位(例えば行為者やその役割など)の間の関係を調整する機能のことである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,162P</p>
<p>「統合(I)は、文化的価値パターンを個々の行為者の動機づけに関係づける。こうして、社会システムは内的分化による葛藤や緊張を回避することが可能になる。このメカニズムは価値パターンの制度を維持する。そこには、伝統的な意味での『社会統制』機能が含まれている。経済が富、政治が権力という一般的な能力を生み出すというひそみに倣っていえば、統合は連帯(デュルケーム)を生み出す。こうして、動機づけの構造と価値志向の型の連結がここでの主要関心事となる。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,66P</p>
<p>「この関連で、パーソンズのAGIL図式の今日までの適用の仕方には二通りの方法が区別できるように思われる。いわば、「具体的な」適用と「分析的な」適用の二つである。たとえば、I次元に法や規範が位置づけられる場合には、社会システムの一要素としての法や規範が分析的な観点で抽出されている。けれども同時にたとえば選挙民の集合体としての「社会共同体」()が、I次元に位置づけられる場合には、具体的なシステムの分析的要素からなるシステムというよりは、社会システムの具体的な部分システムが意味されているという印象を強くうける(モデルIの時間的な分化という考え方とは異なってはいるが)。これらの二つの用法をパーソンズ自身は明確に区別していず、同一の図式の中で混用される場合には、混乱の可能性を否定できないように思われる(40)。」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」13P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc11">潜在的パターンの維持および緊張の処理とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">潜在的パターンの維持および緊張の処理</span>(Latent pattern maintenance)</strong>：</big>・社会システムから分化したサブシステムのひとつ。このサブシステムの機能的課題は「制度化された価値システムを変動させようとする圧力に対して、システムを安定的に保持しようとする機能と、システムの中で生じる緊張(ひずみ)を処理すること」である。「I」と略される。主に「社会化」にあたる。典型的にば<b>文化</b>(他にも家族・宗教・価値・動機づけのシステムなど)である。文化システムとL次元は区別されるということに注意。あくまでも制度化を経て価値となったものがこの次元で想定されている。</p>
</div>
<p>I次元がが「制度化」によって文化的価値パターンを個々人の動機づけるのに対して、L次元は「社会化」によって文化的パターンを動機付けると考えていくとわかりやすい。</p>
<p>たとえば制度化は、赤信号をまもらないと罰していくイメージ。それに対して社会化は、そもそもルールを守ることは善いことだ、というふうにもっと抽象的な価値を人々に学習させ、教え込むイメージ。罰や報酬に関係なしに、盗むことは悪いことだ、戦争は悪いことだ、という価値を人々に潜在的に維持させるイメージ。</p>
<p>もし「盗みたい、殴りたい」といった緊張が生じたときに、「そういうのは悪いことだよなぁ・・・」と価値を内面化しているからこそ思いとどまることができる。もし思いとどまることができず、そういった窃盗や暴行に至った場合は制度化によってきちんと制裁を与え、社会にまとまりをもたせる。</p>
<p>※潜在的な価値が制度化されたものが社会規範と考えるとわかりやすい。あるいは、抽象的な(制度化された)価値が価値であり、具体的な(制度化された)価値が規範であるというふうに考えるとうまく整理できる。L次元では制度化されたものが価値であり、文化システムとの違いにおいて重要になる。</p>
<p>文化システムの違いは、ある国ではこういうものが価値があるとみなされている、というような制度化された価値のイメージ。たとえば挨拶はするべきだよね、という国もあれば、挨拶は礼儀に反する、という国もある。挨拶に価値があるとみんなが思う国では挨拶はL次元に置かれるが、そうではない国ではL次元に置かれず、文化システムなどに置かれるイメージ。</p>
<p>おそらく、制度化された価値が「具体的な集合体内部の規則を超える一般的な規範のあり方」であり、デュルケームで言うところの「契約の非契約的要素」であり、「道徳」に該当する部分だと思われる。信頼や信用、平和など、より抽象的な制度化された価値のイメージ。</p>
<p>パーソンズが1951年のときに語っている言葉で一番近いのが「共通の価値への愛着、行為者が価値パターンを指示する共通の『心情』、「特定の道具的な利点と比較的無関係に『良いこと』とみなされる」といった定義に近い。たとえば日本では優先席で席を譲るというのは具体的な社会のルールというより、道徳に近い。法律が社会規範だとすれば、優先席のマナーは道徳、つまり「価値」に近い。人に優しくするのは「良いこと」というのはメリット・デメリットとは比較的無関係な「価値」に近い。それに対して赤信号で止まるのは価値というより、規範に近い。止まらなければ身の危険があるし、そうでなくても警察に捕まる可能性がある。</p>
<p>どちらも制度化されたものではあるが、その抽象度の違いによって分類できると考えていく。抽象度の低いものが「社会規範」であり、高いものが「価値」であり、どちらも「制度化」されていると考える。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/f36b0bb0005343c77f8af6577cc8c12a.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2641" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/f36b0bb0005343c77f8af6577cc8c12a.png" alt="" width="766" height="388" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/f36b0bb0005343c77f8af6577cc8c12a.png 766w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/f36b0bb0005343c77f8af6577cc8c12a-650x330.png 650w" sizes="(max-width: 766px) 100vw, 766px" /></a></p>
<p>※行為システムは社会システム、文化システム、パーソナリティシステム、行動有機体の4システムから構成されている。つまり、社会システムからすれば文化システムは外環境になる。さらに行為システムの外環境として、テリックシステムや物的ー科学システム、人間有機システムが考えられている。</p>
<h4><span id="toc12">潜在的パターンとは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>潜在的パターン</strong></span>：</big>・ほとんど緊張がなく、基本的な価値が共有され、お互いに期待通りにうごくようなパターンが守られているような状態。ほとんど習慣的なものであり、パーソンズは「慣性」に例えていることがある。価値志向のパターン。そういったパターンが守られているように動機付ける役割がL次元にある。パターンがそれぞれの特定の社会にとって「固有」のものであるというのがポイント。つまり、それぞれの社会で制度化された「価値のパターン」がここでは重要になる。</p>
</div>
<p>パターンはそれぞれの社会に固有のものであり、ほとんど恒常的なものであると考えられている。社会の深層に潜在していて、内面化(社会化)と制度化によって人々に獲得されていく。</p>
<p>例：日本において、挨拶をしたら挨拶で返されるというような状態は、潜在的パターンが維持されている。挨拶をしたら殴られるような状態は、潜在的パターンが維持されていない緊張状態。</p>
<p>L次元は基本的に活動せず、他のシステムと目に見える相互作用を行わない。それゆえに、「潜在」と言われている。相互作用は行わないといっても、目に見える相互作用は行わないだけで、見えに見えない活動はしている。</p>
<p>例：イメージで言えば「文化」がわかりやすい。日本の「挨拶の文化」は<b>制度化</b>されていて、「<b>社会化</b>」を通じて行われる。たとえば親や教師に「おはようと言われたらおはようと返しましょう」と教わり、子供はそれを学習し、「<b>内面化</b>」していく。内面化を通じて価値や規範に志向するようになる。多くの子供がこのように同じような価値や規範に志向するようになると、お互いの期待が一致する。つまり潜在的パターンが維持されている状態になる(はいはいいつものパターンね、というイメージ)。</p>
<p>文化は内面化され制度化された共通の価値であり、別の表現では「権利と義務に関する普遍的な道徳的一致」と定義されている。パーソンズの定義では、誰か一人だけが重要だと考えてるような特殊な文化ではなく、多くの人に一致するような、普遍的なものが想定されている。</p>
<h4><span id="toc13">緊張の処理とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>緊張の処理</strong></span>：</big>・緊張を適切に処理するメカニズムのこと。緊張は動機づけのさいに生じる緊張のことだとされている。</p>
</div>
<p>例：陰口を言っていることが相手にばれて、お互いの相互作用に緊張、ひずみが走るような状態のケースを考えてみる(期待の不一致など)。この場合、「相手が嫌な思いをしたらごめんなさいと言う」というようなパターンによって処理していく。緊張を適切に処理するメカニズムが社会秩序には必要とされている。日本以外の社会なら決闘によって解決するというメカニズムがあるかもしれません。</p>
<p>「学校ではタバコはよくない」と学習させる過程で、学生が「うるせー」と反抗したくなるかもしれません。そういう場合に緊張を処理するメカニズムとして、「年上のひとのいうことは聞きなさい」という価値によって行為を動機付けることで、緊張が処理され、やっぱりタバコはやめておこう、となるかもしれません。それでもタバコを吸っちゃう場合も考えられますが、そういう場合は「統制」(I次元)が機能していくと思います。つまり実際に校則違反として退学にしたりするわけです。</p>
<p>抽象的な価値パターンを動機づけさせようとさせる段階で、さらに確固として動機づけさせようとするわけです。その段階で「制度化」されていくイメージです。たとえば「平和はよいことだ」といいうより抽象的な価値パターンがあるからこそ、具体的な「暴力はいけない」という価値がうまれ、さらに社会規範として「暴行罪」に関連した法律に権威が与えられるわけです。なんら抽象的な価値が存在しない場合は、そもそも具体的な社会的規範として成立しにくいですよね。</p>
<blockquote>
<p>「L.(潜在性)。これは「中立性一特質本位という志向成分,すなわち抑制によって中立化された動機づけの緊張の程度を特徴づける」&lt;ibid.p.89%3Dchap.III&gt;ものである。また,「「特質」が確認されるのは、行為者と遂行過程の<strong>諸帰結</strong>である対象世界との関係の中においてである」&lt;ibid.&gt;。相互作用が<strong>中断</strong>している期間においても,システムが再始動すべきものであるとするならば、「動機づけのパタン」と「文化的なパタン」は維持され続けなければならない(この二つのパタンは、すでにみてきたことから明らかなように,テクスト《II》における「動機志向」,「価値志向」に,またこの《IIIにおける「態度組織化」規準,「対象組織化」規準に,さらにはまたパタン変数論に彼なりに最終的な結着をつけた文献gにおける「志向」,「様相」にそれぞれ照応している)。この中断期間においては,二つのパタンは、システムが相互作用状態にある時のように顕示的なものではない(notvisible)という意味で「潜在状態」にある。だが,システムがその生命を保持している限りそれは作動している。「それらはその潜在的位相においては、なかんずく,他の諸行為システムに自らを委譲してしまうことに対して境界を画するものとして作動する。さもなければ,システムの再活動は防害され,さまたげられることになるだろう」&lt;ibid.,p.185-chap.V&gt;。しかしながら「動機づけパタンと文化パタンの維持は,システムが中断状態にあるときだけではなく,特定のひとつの位相(すなわちA,G,1位相・筆者)が優勢であるときにも必然的である」&lt;ibid.&gt;し,「活動しているいかなる相互作用位相においても事実上潜在位相は存在する」&lt;ibid.,p.186&gt;。また,この位相は他の諸位相とくらべると「前」と「後」のない静止した位相であり,それは「システムの成員としての諸単位間に観察できるいかなる相互作用もない位相である」&lt;ibid.&gt;。単位に関して重要なのは,その自足的な<strong>特質</strong>のありよう(self-containedqualitivestate)である。「対象への志向は第一次的にその<strong>特質本位</strong>によってとらえられる」&lt;ibid.,p.187&gt;。また,この位相のさらなる第一次的な特徴は,それがパタン化されてはいるが,しかし抑制された動機づけ潜勢力の潜在的な「貯蔵庫」である,という点である。「かくして守られた中立性ないしは態度の抑制がこの潜在位相を特徴づける」&lt;ibid.&gt;。「対象組織化」の側の特質本位と「態度組織化」の側の中立性が親和性をもって結合し、この位相の内容が示されることになる。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,199-200P</p>
<p>「Latent pattern maintenance and tension managementは、わかりにくいのですが、直感的に言うとこうなります。たとえばわれわれが今日久しぶりに会ったとします。話を始めるときに、おおむね『いつものパターン』でやりますね。『もしかしたら、こいつにいきなりなぐられるかもしれない』なんて心配しません。このとき、Latent pattern(潜在的なパターン)が守られているわけです。ほとんど緊張がない。それはどうしてかというと、基本的な価値が共有されているからです。互いに、基本的には期待どおりに動くのです。この機能的要件を担っているのは、文化、あるいは『動機づけのシステム』である、とされています。」</p>
<p>「社会学史」,413－414P</p>
<p>「潜在的パターンの維持および緊張の処理(lattent pattern maintenance)とは、制度化された価値体系を変動させようとする圧力に対して、体系を安定的に保持しようとする機能と、いまひとつは体系のなかで生じる《ひずみ》を処理する機能のことである」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,162P</p>
<p>「各次元の内容については、ベイルズの原案に若干の変更がなされているが、ここでは、もっとも大きな変更が加えられている「潜在性」の次元についてのみ言及したい。パーソンズはL次元を、最終的には、システムのメンバー問に相互作用が観察されない位相、つまりシステムとしての「無活動」(inactivity)の状態と規定している3)。会社を例にとれば、これは社員たちが出勤していない夜や休日のことである。システムの構成要素である相互作用が一時的に中断されているという意味で、「潜在性」と名付けられている。相互作用が支障なく再開されるためには、この潜在性の位相において、一定の文化的パターンと動機づけのパターンがメンバーの内部において損われることなく、保持されていなければならない。この点をパーソンズは「パターンの維持」と呼んで重視している。ｌ次元には、「パターンの維持」と並んで「緊張処理」が位置づけられており、これは従来とくに問題視されてきた点である。パーソンズがこれらを異なった要件として扱わないのは、おそらく、パターン維持に関しても「慣性の法則」CS)を適用して考えているためではなかろうか。つまり、パターン維持が実際に問題となるのは、何らかの妨害要因が介入してくる場合だけと考えて、その妨害要因を「緊張」という用語で一括しているのであろう。そしてこの用語でパーソンズは、1次元で調整されなかったような個別的な「不満」と並んで、とくに道徳と現実の不一致という「意味の問題」を念頭にうかべているのではないかと推測しうる。いずれにせよ、二つの異なる要件が並列されているというよりも、むしろ「パターン維持」が主であり、それと関連する限りで「緊張処理」が追加されていると理解しておきたい(%)。」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」,13P</p>
<p>「社会はこれら4つの機能的問題に従って4つの機能的サブシステムに分化する。まず第1の問題に対応するサブシステムは「型相維持及び緊張処理のサブシステム」である。このサブシステムは制度化された文化、価値志向の型に関連している。即ちシステムの単位に参与している個々の行為者の行為を文化的価値に適合するように動機づけ,そこに生ずる緊張を解消しようとするものである。ここで生み出されるのは威信である。尚このシステムは価値であるため本来文化システムに属するものであるが,制度化によって社会システムの一部と成ったものであるから、文化システムとは区別して考えるべきである。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,15P</p>
<p>「型の維持と緊張処理のサブシステム（L）は、制度化された文化、なかんずく価値志向の型と関連している。『価値体系の統合とその制度化とを維持する』という命題である。価値体系が、システムの構成要素である個々の成員に(社会化を通して)内面化されるとき、社会システムの型(制度的構造＝秩序)の維持が可能となる。もちろん、その際生活場面での矛盾やパーソナリティ内部の動機づけ過程で発生するかも知れない緊張を適切に処理するメカニズムも用意されなければならない。かくして、この位相での中心課題は『潜在的──受容的な意味の統合とエネルギーの規制、および緊張の収容と排除』といわれるのである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,67P</p>
<p>「社会が安定するためには、個々人の「動機づけの構造」（すなわち、どのような行為を意志するかしないか）が、その社会に潜在的な「文化的な価値パターン」によって規定されていることが必要である。この「文化的な価値パターン」は、統合の位相において「制度化」されて「社会規範」となる、というのが、「価値」と「規範」という語のパーソンズ的使い分けのようにみえる（「ようにみえる」というのは、必ずしも一貫していないからだが）。」</p>
<p>山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」,64P</p>
<p>「第四の「パターン維持」の位相（文化）は「価値志向のパターン」であり、「このパターンは、すべての社会的行為にあてはまる」38。このパターンは当該の社会体系にとって固有のものであるとともに「ほとんど恒常的」なものであるが、社会の深層に「潜在」しているものなので、「内面化」と「制度化」という「複雑な『維持の操作』」を必要とする。」</p>
<p>山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」,64P</p>
<p>「共通の価値への愛着ということは、動機づけの点で考えるなら、行為者が価値パターンを支持する共通の『心情』をもっているということである。そうした共通の心情とは、しかるべき期待との同調がその同調から得られるどんな特定の道具的な『利点』&#8230;&#8230;とも比較的無関係に、『良いこと』とみなされるという意味に規定されるだろう。なおそのうえ、この共通の価値への愛着は、行為者の直接の充足要求に適合するとはいえ、つねにまた『道徳的』な側面をもっている。というのは、ある程度までこの同調は、行為者が参加するより広範な、つまり社会的な行為体系におけるかれの『責務』を明示しているからにほかならない。明らかに責務の明確な焦点は、特定の共通の価値指向によって構成される集合体なのである」</p>
<p>タルコット・パーソンズ『社会体系論』,47~48P</p>
<p>「パーソンズの社会システム理論は、制度化された規範を過剰に重視した理論であるとして批判されることが多い。彼は、経済が関わる相互作用と社会構造についても制度的な規範を重視する。パーソンズは、制度を具体的な集合体内部の規則を超える一般的な規範のあり方としているが、これはエミール・デュルケムの「契約の非契約的要素」を受け継いだ発想である。この発想は、契約順守の道徳的な同意が社会構造に（自覚的であれ暗黙であれ）埋め込まれていることを示している。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」,216P</p>
<p>「すでに、現世的な次元を超えた(超越的な)究極的価値(たとえば、宗教的信仰)を人間行為の基礎に見据えていたパーソンズにとって、その源泉を＜社会＞そのもののなかにみるデュルケームの社会理論はまさに＜鬼に金棒＞であった。さらに、デュルケームは、社会秩序が制度化された共通の価値から生まれること、市場の統制(秩序)は私的利益の合理的追求からではなく、共有された価値体系によって人間の相互作用を制御する道徳的秩序の産物であることを明らかにしていた。合理的に結ばれているはずの近代的契約の背後に、契約そのものを可能にする＜非契約的要素＞(たとえば、取引相手に対する信頼や信用)が存在することを発見したのはデュルケームであった。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,45P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc14">サブシステム相互のインプット・アウトプット(境界相互交換)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>境界相互交換</strong></span>：</big>・境界とは各次元を境にしたものであり、各次元の間で「生産物」による相互交換、つまりインプットとアウトプットが行われるというもの。具体的にはA次元が「富」、G次元が「権力」、I次元が「連帯」、L次元が「威信」を産出する。アウトプットされた「生産物」がサブシステム間で相互交換され、消費されることで社会システムの四機能が充足され、秩序が均衡するとされている相互交換はサブシステムの、さらにサブシステム同士で行われる。サブシステムはさらにa,g,i,ℓへと分化する(小文字lをℓと表記する)。ℓ次元は交換境界にならないというのがポイント。潜在しているので、目に見える相互交換が行われない。</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/319da5291e235236415be08c239a5e33.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2642" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/319da5291e235236415be08c239a5e33.png" alt="" width="1506" height="768" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/319da5291e235236415be08c239a5e33.png 1506w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/319da5291e235236415be08c239a5e33-800x408.png 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/319da5291e235236415be08c239a5e33-650x330.png 650w" sizes="(max-width: 1506px) 100vw, 1506px" /></a>図にするとこのようなイメージになる。図は「社会学の歩み」166Pを参考に作成</p>
<p>社会システムを上位システムとし、そこから４つのサブシステムへと分化していく。そして4つのサブシステムはお互いに「<b>境界相互交換</b>」を行うとされている。この際、相手のサブシステムへの出力が「<b>アウトプット</b>」であり、アウトプットされる側を「<b>インプット</b>」とする。アウトプットされたものが「<b>生産物</b>」である。つまり、サブシステム同士で生産物をお互いに交換しあっている。</p>
<p>1953年の『作業論文集』ではなく、『経済と社会』(1958)によって主張され、AGIL図式を発展させた。</p>
<p>生産物はA次元は<b>富</b>、G次元は<b>権力</b>、I次元は<b>連帯</b>、L次元は<b>威信</b>である。相互交換はサブシステムの、さらにサブシステム同士で行われる。サブシステムはさらにa,g,i,ℓへと分化する(小文字lをℓと表記する)。</p>
<p>ただし、ℓは「<b>交換境界</b>」にならない。例えばA次元のさらにa次元と、G次元のさらにa次元とが「<b>相互交換</b>」を行う。A次元のℓ次元やG次元のℓ次元は交換を行わない(潜在している)。アウトプットされた「生産物」がサブシステム間で相互交換され、消費されることで社会システムの四機能が充足され、秩序が均衡するとされている。<b>機能要件の充足のための「生産物の相互交換」を分析する必要</b>がある。</p>
<h4><span id="toc15">二重の交換過程</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/90beaa6efc2e8a0a2f2c93bb56fb74f4-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2643" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/90beaa6efc2e8a0a2f2c93bb56fb74f4-1.png" alt="" width="325" height="408" /></a>※図は「社会学の歩み」164Pを参考に作成</p>
<p>例えばAの適応の次元はこのようにさらにa,g,i,ℓに分化している。Aサブシステムのgサブシステムは分配や販売をLシステムのgサブシステム(例えば家族など)にアウトプットし、Lサブシステムのgサブシステムは家族などの労働者サービスをAシステムのgシステムにアウトプットするわけです。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_13ae5ac9.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2646" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_13ae5ac9.png" alt="" width="186" height="495" /></a><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/513668e3f71d7369f53362eb96c6a4ee.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2647" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/513668e3f71d7369f53362eb96c6a4ee.png" alt="" width="585" height="377" /></a>※図は大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」,211Pを参考に作成</p>
<p>パーソンズは下位システム間のインプット・アウトプットのフローにおいて、６対の相互交換(interchanges)を設定した。さらに、相互交換は「生産物」と「生産要素」という二重の交換過程が想定されているらしい。</p>
<p>つまり、アウトプット(生産物)とインプット(生産要素)という二重の交換過程が存在しているということです。</p>
<p>例えばL次元のg次元は「家計」だそうです。もっといえば「家族」が想定されています。パーソンズは家族を「潜在的・動機づけ的な機能を担う主体」の代表だとしているらしいです。そのため、L次元の典型的なシステムを「文化」ではなく「家族」と説明する参考書もあります。経済の視点からみると、家族は社会化を通した生活様式および職業役割の確立という要素を伴うそうです。たしかに家族でああしろこうしろ、将来はこうすべきだ、だから学校にいけ、云々と社会化が行われますよね。</p>
<h4><span id="toc16">富とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>富</strong></span>：</big>・次元の生産物。財およびサービスを支配して、これを社会の種々の水準でなんらかの目標あるいは関心に応ずるように、用具あるいは報酬財として用いるという一般化された能力。</p>
</div>
<h4><span id="toc17">権力とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>権力</strong></span>：</big>・G次元の生産物。社会の資源を動員して、これを用いて特定のかつ多少とも直接的な体系の集合的目標を達成する能力。</p>
</div>
<h4><span id="toc18">連帯とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>連帯</strong></span>：</big>・I次元の生産物。体系単位の行動を体系の統合上の必要に一致するように《一列に並ばせ》、逸脱行動に至る分裂傾向を抑制ないし阻止し、調和的な協力の条件をつくりだすという社会の機関が有する一般化された能力。</p>
</div>
<h4><span id="toc19">威信とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>威信</strong></span>：</big>・L次元の生産物。型への同調性を保つために型の維持あるいは緊張の処理を成功させる際の生産物であって、制度化された価値の体系にうまく合致するように行為するという能力。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「さらに、A・G・I・L図式によれば、上位体系から機能分化した四つの下位体系相互の間の関係についても、《インプット──アウトプット》の視点を導入することによって、分析のメスを加えることができる。例えば、社会の適応機能をうけもつ下位体系としての経済体系と潜在的パターンの維持と緊張の処理機能をうけもつ下位体系としての分化及び動機づけの体系(経験的には家族もひとつの典型例である)との間のインププットと──アウトプットの関係は次のように示される。経済体系のアウトプットは消費財およびサーヴィスであり、これが文化および動機づけの体系が経済体系にインプットされる。したがって、経済体系と文化および動機づけの体系との間の関係は、消費財およびサーヴィスと労働サーヴィスとが相互に交換される仮定として示されるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,165P</p>
<p>「富とは、『財およびサービスを支配して、これを社会の種々の水準でなんらかの目標あるいは関心に応ずるように、用具あるいは報酬財として用いるという一般化された能力である』。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,68P</p>
<p>「権力とは、『社会の資源を動員して、これを用いて特定のかつ多少とも直接的な体系の集合的目標を達成する能力である』。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,68P</p>
<p>「連帯とは、『体系単位の行動を体系の統合上の必要に一致するように《一列に並ばせ》、逸脱行動に至る分裂傾向を抑制ないし阻止し、調和的な協力の条件をつくりだすという社会の期間が有する一般化された能力である』。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,68P</p>
<p>「威信とは、『型への同調性を保つために型の維持あるいは緊張の処理を成功させる際の生産物であって、制度化された価値の体系にうまく合致するように行為するという能力である』(以上、『経済と社会』より)」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,68P</p>
<p>「社会システムの四つの機能要件は、こうして機能的に分化した四つの下位システムによって充足されることになるが、その際、これら各々は特有のアウトプット(富、権力、連帯、威信)を生み出す。社会システムの充足条件は、これらのアウトプットがサブシステム間で交換され、消費されることで実現される。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,69</p>
<p>「パーソンズらは、交換という現象の基礎にある社会的な要因を2つ挙げる。ひとつは分業であり、ふたつには関心の分散である。周知の例を挙げるなら、家計をになう人物は特定の企業によって雇用されているにしても、その企業からすべての財とサーヴィスを購入するわけではない。家計と企業とはその「第一次的目標」が異なっている。こうした家計と企業という異なった主体を貨幣が媒介して、たとえば「購買力」という形で一般化が行われる［Parsons&amp;Smelser1956:70-71（訳1:108-109）］。パーソンズらは、潜在的な動機づけの下位システムに家計（household）を位置づける。ここで示されているのは、大方に馴染みのある消費市場と労働市場の概略である（図６）。パーソンズらは、家族を潜在的・動機づけ的な機能を担う主体の代表としている。それは、経済の側から見て、社会化（socialization）をとおした生活様式および職業役割の確立という要素を伴う［Parsons&amp;Smelser1956:53-55（訳1:83-85）］。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」,210P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc20">象徴的相互交換メディア(一般化された交換手段)とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>象徴的相互交換メディア</strong></span>：</big>・中期におけるサブシステムの「生産物」をさらに洗練させたもの。後期においては「生産物」が情報を含んだ「シンボル(象徴、文化的コード)」として交換過程そのものを「制御」するとされている。</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/decc4e198b3d7dfda603e88fb228d311.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2649" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/decc4e198b3d7dfda603e88fb228d311.png" alt="" width="545" height="567" /></a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/26429c59f248fbe0f5bad4bd078effaa.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2650" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/26429c59f248fbe0f5bad4bd078effaa.png" alt="" width="1695" height="926" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/26429c59f248fbe0f5bad4bd078effaa.png 1695w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/26429c59f248fbe0f5bad4bd078effaa-800x437.png 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/26429c59f248fbe0f5bad4bd078effaa-1536x839.png 1536w" sizes="(max-width: 1695px) 100vw, 1695px" /></a></p>
<p>図にするとこんな感じです。</p>
<p>まず、「象徴」ってなんやねん、という話になるかと思います。別の言い換えでは「文化的コード」とも表現されています。</p>
<p>たとえば「貨幣」が「象徴」というのはわかりやすいですよね。貨幣そのものはパンのように食べられるわけではないからです。パンはもし国が崩壊しても、食べられるという価値は変わりませんが、「貨幣」の価値はなくなってしまいます。パン、水、携帯、さまざまな価値を抽象化していくと、「貨幣」という尺度が必要になってくるわけです。</p>
<p>サイバネティクスではコードは「意味あるコミュニケーションを行うために、情報をひとまとまりの諸シンボルに翻訳すること」を意味するらしいです。たとえばコンビニでパンを買う、というのもコミュニケーションのひとつです。客は貨幣というシンボルを通して、パンと交換できるわけです。政治家も同様に、こういう売り方はまずいでしょ、と行政を通した注意していくこと、つまり「権力」を通して企業とコミュニケーションを行っていくわけです。</p>
<p>このように、コミュニケーションは何かを「媒介」して行われ、またその「媒介物」がコミュニケーションを「制御」するとされています。たしかに貨幣の価値によってコミュニケーションは左右されますし、政治の安定度、国民の支持率によって権力はかわり、コミュニケーションは左右されそうです。サイバネティクスの考えでは情報量の多いものが低いものを左右するので、経済では「貨幣」が情報量が多そうだな、というのはなんとなくイメージできます。エネルギーの低さでいえば貨幣は「紙」を通してイメージできるものですが、実際クレジットカードなどで買い物する場合はただのデータであり、まさに「情報そのもの」ですよね。ちなみに国民が銀行に預けているお金もすべて銀行が紙で管理していると思われがちですが、その大半は銀行は所有しておらず、投資などに使っているそうです(一定の割合だけ銀行にあればいいとされているらしいです)。</p>
<p>境界相互交換では経済は「富」、政治は「権力」を産出するとされていましたが、象徴的相互交換メディアの場合は「貨幣」、「政治権力」という言葉に変わっていきます。より一般的な、コード的な言葉になるということですね。</p>
<p>適切な構造のために、各サブシステムの象徴的相互交換メディアが機能している。そうすることによって機能要件が充足され、社会秩序が維持される。</p>
<p>例：経済サブシステムでは貨幣が状況を反映して、物価、株価、金利といった形で経済活動を制御する。政治サブシステムでは政党が個々人の権力(一票の投票がもつ政治力)を集め、政策を実行する。貨幣は価値の尺度であり、貯蔵庫である。同様に、権力も価値の尺度であり、貯蔵庫である。制御が限界を超えると、構造が変動する。</p>
<blockquote>
<p>「これらのアウトプットは、後期になると情報を含んだシンボルとして交換過程そのものを制御すると理解されるようになる。そして、四つのアウトプットの名前も、貨幣、政治権力、影響、忠誠(価値コミットメント)と変わる。たとえば、貨幣。これは典型的な一般化された手段である。その意味は、それは、それ自身としてはなんの価値もないが(一万円札では鼻もかめない)、経済にとってはきわめて重要な交換手段であり、同時に価値(経済学的な)尺度であり、その貯蔵庫である。その性質(信用性、流通性、非ゼローサム性など)によって、それは交換関係においてシンボリックな機能を果たす。その形態は、信用、投資などさまざまに拡大する。それは、また、実際の財との関係でインフレやデフレ現象を引き起こす。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,80-81P</p>
<p>「社会システムは、その不断に変化する環境との相互作用によって、適切な(構造)調整をせまられる。たとえば、経済サブシステムでは、貨幣が状況を反映して(たとえば、物価、株価、金利などの形で)経済活動を制御するのである。もちろん、制御がある限界を越えると、経済システムの構造変動が起こることもあろう。この時期、パーソンズは、こうしてますます情報理論に傾いていったのである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,82P</p>
<p>「社会システムの一般理論を模索したパーソンズは、＜生きているシステム＞に共通する構造・機能分化というより一般的な理論枠組みを基礎に、四機能図式にたどり着いた。そして、機能の概念を中心に、しかも人間の行為に特有な文化的コード(シンボル)を組み入れて、サブシステム間のアウトプットの交換として、そのダイナミズムを解読しようと試み(一般行為システム)、その同じ論理で社会システムの構造との相互作用(したがって、システムは常にオープンである)、およびそれとの関係で決まる内部構造の展開(機能分化)という考え方があることである。そこで、先に社会システムの下位システム間のアウトプット交換としたのも、基本的にはシステムと環境の関係の具体化にすぎない。というのも、経済下位システムを主たる準拠にすれば、残りの三つのサブシステムはその環境と考えられるからである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,70P</p>
<p>「ある人物が、文化によって、その文化のエートスとエイドスに適合するべくプログラムされ標準化されること。また、文化全体の組織化のプログラム。方法もさす。サイバネティクス理論では、コード化とは、意味あるコミュニケーションを行うために、情報をひとまとまりの諸シンボルに翻訳することを言う。」</p>
<p>「デカルトからベイトソンへ」,417P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc21">位相と次元の違い</span></h3>
<h4><span id="toc22">位相、次元</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>位相(phase)</strong></span>：</big>・位相とは一般に、「数学で、収束や連続の概念が定義できるようにするために、集合に与える構造」を意味する。振動や波動で時刻や場所が同じ状態にあるところを同位相にあるというらしい。</p>
</div>
<p>位相についての重要な定義として、以下の３つが挙げられる。</p>
<p>１：時間間的に先立ち又は続くものの全体的様相に対するものとしてある、ある与えられた時点において起る過程の支配的な全体的様相</p>
<p>２：位相はある与えられた時点において起こる体系の運動が、他の三つの次元におけるその運動と比較して極大化される時の、ある時間区間を通じての体系の変化する状態</p>
<p>３：行為体系がAGILの機能的問題を同時に最大限にはたすことは行為の動機づけからして不可能</p>
<p>位相は比較的、理解が簡単ですね。適応の段階、目標達成の段階、統合の段階、パターン維持の段階、といったように時間の経過とともに段階が変化するイメージです。</p>
<p>たとえば体温が上がる、下がるという２つの方向をもっていたとして、上がっている時の位相と、下がっているときの位相として考えることができます。もし空間として座標を考えれば、ｘ軸に上がるという方向があり、y軸に下がるという方向がある、つまり次元があるというイメージです。</p>
<p>たとえば経済活動の生産によって、政治でその生産物をどのように配分するか、動員するかという目的を設定する必要が生じるとします。つまり、この場合は、まず経済の位相が極大化して、つぎに政治の位相が極大化していくという順序、位相運動が考えられます。同時にすべての位相が極大化して四機能が満たされる、というのはイメージしにくいような気がします。どの次元も満たされることによって均衡するという言い方はできますが、実際の満たされ方としては位相を考える必要があるというイメージでしょうか。</p>
<p>行為空間は「次元」の問題で、運動は「位相」の問題というわけです。</p>
<blockquote>
<p>「いずれにせよ私達は空間の次元構造を解明して、その四次元的事態に於て時間的様相に移って来たのであるが、この行為空間との相関事態に於てある時間のあり方が、パーソンズによって位相として理解されて居る事は、それが「時間的に先立ち又は続くものの全体的様相に対するものとしてある、或与えられた時点に於て起る過程の支配的な全体的様相」(一六七頁)として定義されて居る事からも明かであろう。同時に「位相は或与えられた次元に於ける体系の運動が、他の三つの次元に於けるその運動と比較して極大化される時の、或時間区間を通しての体系の変化する状態」(一八一頁)と叙べられて居る事も参照さるべきであろう。」</p>
<p>松野達雄「パーソンズ理論の次元＝位相論的理解の試み」,21P</p>
<p>「型の変数がこのように体系の機能的問題と関連しているのであれば．型の変数の新しい図式すなわちAGILは四次元空間にみたてられ、行為空間を構成することになる。行為体系がAGILの機能的問題を同時に最大限にはたすことは行為の動機づけからして不可能である．この四次元は交互に極大化しなければならない。行為空間の四次元の｝つにおける相対的に優勢な活動がその時点における行為体系の位相であり、この位相は周期的にかわり位相運動を行なつている。つまりAGILは行為の次元であるとともに各位相をも表示している。また社会体系の下位体系も上位体系の各位相を分担し、かつハレ位相運動を行なうのであり、AGILは上位体系に関して下位体系が受け持つ機能的問題をも示すことになる。」</p>
<p>霜野寿亮「権力概念の検討──タルコット・パーソンズの場合──」,31P</p>
</blockquote>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>次元(dimension)</strong>：</big>・次元とは一般に、「数学で、一般的な空間の広がり方の度合いを表すもの。座標の数で表される」らしい。</p>
</div>
<p>「空間が行為との相関的事態に於て、この行為が空間に示す方向を本来的に自らによって可能ならしめるものとしてある以上、この相関的事態に於て空間が方向座標としての次元的なあり方をなす事は異議のない事であろう」とパーソンズは説明しているようです。</p>
<p>次の時空の項目で検討しますが、ようするに「空間における方向」として四つの機能を考えるわけです。比喩的に言えばドラえもんのポケットです。我々の世界は三次元、つまり幅、奥行き、高さというx,y,zの三方向の座標しか認識することができませんが、さらにもう一つの方向の座標も数学的な表現としては可能というわけです。このもう一つの座標があるからこそ、ドラえもんのポケットはたくさん物が入るわけですね。</p>
<p>いわば、x,y,z,w(あるいはt)という四次元空間、四次元ユークリッド空間が考えられているわけです。この四つ方向、つまりは四つの機能要件を満たす限りで、この空間は秩序をもち、均衡していくというイメージです。</p>
<p>正直な話、x,y,z,tにおけるそれぞれの機能はなんだ、と考えることの意義は薄いと思います。とりあえず高さに対応するのは経済だ！というふうに考えていくより、四つの方向があり、四つの方向で空間は形成されていて、四つの方向の適切な値を満たす限りで空間は秩序を持ち、均衡し、維持存続するという理解で良いのだと思います。</p>
<blockquote>
<p>「謂わば空間的関連枠組とさるべきものの構造分析を、パーソンズは「行為理論に於ける作業論文」(一九五三)の中で、行為空間の次元の問題として扱って居る。空間が行為との相関的事態に於て、この行為が空間に示す方向を本来的に自らによって可能ならしめるものとしてある以上、この相関的事態に於て空間が方向座標としての次元(一六六頁)的なあり方をなす事は異議のない事であろう。この次元空間は古典力学と本質的には同じ仕方で分析されて時間的契機を導入し、X、y、Z、tの四次元空間であるとされる(八五頁)。そしてこの四次元空間を構成するそれぞれの座標は、その行為との相関事態に於てある限り、次のようなものであると理解されて居る。一、手段的目標達成の次元、G(八八頁)二、表現的次元、E(八九頁)三、適応的次元、A(八九頁)四、統合的次元、1(八九頁」</p>
<p>松野達雄「パーソンズ理論の次元＝位相論的理解の試み」,18P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc23">そもそも時空ってなんだ</span></h4>
<p>理系の素養がないと理解できなくて疲れますよね、わかります。</p>
<p>次元の話はちょっと文系の私には頭が痛くなる問題です。どうやらAGIL四次元図式と見る場合、この４つはx,y,z,tの「四次元空間」とされているらしいです。なんのことやらわかりません。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Coord_system_CA_0.svg_.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2651" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Coord_system_CA_0.svg_.png" alt="" width="500" height="484" /></a></p>
<p>まあたとえるなら社会はユークリッド空間のようなもの、ということになるのでしょうか。</p>
<p>Xが幅、Yが奥行き、Zが高さというイメージで、じゃあtはなんなんだという話になります。私達が生きている世界は「三次元」と呼ばれています。それに対して二次元ですよね。ディスプレイには奥行きがなく、X(幅)とZ(高さ)だけです。それに対して今打っている物理的なキーボードには奥行きがあります。上から見るとペラペラではなく、奥行きがある、厚みがあるように見えます。つまり3次元です。</p>
<blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_14592d70.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2652" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_14592d70.jpg" alt="" width="1453" height="1096" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_14592d70.jpg 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_14592d70-800x603.jpg 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_14592d70-280x210.jpg 280w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_14592d70-150x112.jpg 150w" sizes="(max-width: 1453px) 100vw, 1453px" /></a><a href="https://shuchi.php.co.jp/article/6620?p=1">出典</a></p>
</blockquote>
<p>この説明図はわかりやすいですね。たしかにドラえもんの「四次元ポケット」の四次元の意味を全然理解していませんでした。というか今も理解できていない気がします。移動したからなんやねん。とりあえずは三次元よりは頂点が多い、動ける方向が多いという感じでしょうか。</p>
<p>例えばディスプレイで「動画」を見る場合、画像と同じ二次元に加えて、さらに「時間」という次元が加わるらしいです。つまり3次元になるというわけです。とすると、3次元の我々の世界に「時間」という次元を加えれば、四次元になるというわけです。</p>
<p>つまり次元は「時間」の場合もあれば時間とは違う「方向」の場合もるわけですね。それにしてもX,Y,Zとも違う空間的な方向のイメージができません。上の図でも「書き表せない」と書いていますよね。そもそも四次元は人間が認識できない概念らしいですから、そもそも感覚的に理解することが難しいのかもしれません。</p>
<p>つまりドラえもんの四次元ポケットは「時間」ではなく、別の「方向」、つまりxやy、ｚと同等の計量空間としてもうひとつ次元(ｔと表すのかどうか知りませんが)があるわけですね。なにをいってるんだ、となるかもしれませんが、そういうことらしいです。すごくざっくりしたイメージで言えば、我々の現実の財布にはx,y,zしかないのでお札が100枚しか入らないけれども、さらにもうひとつの次元を加えると何枚でも入るような謎の空間ができちゃうよ、というわけです。</p>
<blockquote>
<p>専門用語で言えば、ドラえもんの四次元空間を「ユーグリッド計量空間としての四次元」といい、相対性理論の四次元空間を「ミンコフスキー空間」というらしいです。問題はパーソンズの場合はどっちの空間が想定されているんだ、という話です。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_145bd52f.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-2653" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_145bd52f.png" alt="" width="512" height="878" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_145bd52f.png 854w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_145bd52f-466x800.png 466w" sizes="(max-width: 512px) 100vw, 512px" /></a></p>
<p>「そもそも次元とは，独立した互いに干渉し合わないベクトルが取れる本数によって決定される。例えば0次元は点で取れるベクトルは0本なので0ベクトル，1次元は線なので取れるベクトルは1本，2次元は座標、平面の図形なので取れるベクトルは2本，3次元は我々が暮らす立体の世界なので取れるベクトルは3本である。」</p>
<p><a href="https://www.konkougakuen.net/ssh%20hp/2013Mat_25.pdf">出典</a></p>
<p>確かに，相対性理論では，運動を記述するのに４つの次元からなる空間を考えますので，この意味では相対論で，四次元空間を扱うと言えます．しかし，この座標の元は『三つの空間座標と一つの時間』とからなっていますから，先ほどの『空間座標が四本ある世界』とは違う話です．</p>
<p>私達は三つの空間座標と一つの時間軸で表される世界に住んでいますから，アインシュタインの理論に出てくる四次元空間には，一切，不思議なところは無いのです．(私たちの今住んでいる世界では，物には縦・横・高さがあり，時間が一方向に流れている，ということは，常識的に明らかではないでしょうか？)</p>
<p>アインシュタインの偉いところは，３次元の計量空間と時間を，４つセットにして計算した点にあります．というのは，物の長さと時間が独立ではないことが分かったからです．</p>
<p>四次元という言葉がどちらにも出てくるので，混乱する人がいるのでしょう．ドラえもんのポケットの中は(多分)， ユークリッド計量空間として四次元 です．相対論に出てくる四次元は， 普通の三次元に時間を足したもの(ミンコフスキー空間と言う) です．</p>
<p><a href="http://hooktail.sub.jp/welcome/what4dim/">出典</a></p>
</blockquote>
<p>「時空」という言葉は「時間と空間」をあわせて表現する物理学の用語らしいです。ニュートン力学において、絶対時間と絶対空間であるとされています。なんのこっちゃ。ようするに、お互いに独立、不動で、規制されないという考えです。そもそも「時空」という考えすらなかったそうです。</p>
<p>アインシュタインの登場により、時間と空間は独立ではなく、互いにその一部を交換して生ずるものだとされるようになります。いわゆる相対性理論というやつですね。たとえばものすごく早い飛行機に時計をのせて地球を一周させると、時計がすこし遅く進むらしいです。もし光のように早く人間が動くことができれば、他の人よりも遅い時間が流れるわけで、自分の体感では１０分でも、他の人には１年になる可能性もあるかもしれないというわけです。だからタイムマシンが可能なのではないか、ということが騒がれたらしいです。実際、光のように早く物を動かすためにはエネルギーが膨大にいるそうで、現実には難しいとかなんとか。</p>
<p>仮にA,G,I,Lの四システムがそれぞれ空間的な次元を持つとすれば、さらに時間の次元が加われば5次元になるのでは？と思ってしまいます。</p>
<p>あるいはAGILのどれか３つが空間的な次元をもち、残りの１つが時間としての次元として加わるのでは、とも考えることができます。</p>
<p>説明してくれている論文があるのですが、えらい難しい説明の仕方でチンプンカンプンでわかりませんでした。</p>
<blockquote>
<p>「元よりここで時空的な関連枠組とされるものも、時空の相関的統一性が或は科学的に相対性理論として、或は哲学的に種々の立場から立証されて居る今日、そのもの自身としての統一的な基本的構造を持つものと見られなければならないのであるが、然し本来直接的には分析的方向を取る理論的立場に立つ私達は、まずそれを空間的側面と時間的側面とに分け、個々独立して考察して行く事が便宜であろう。謂わば空間的関連枠組とさるべきものの構造分析を、パーソンズは「行為理論に於ける作業論文」(一九五三)の中で、行為空間の次元の問題として扱って居る。空間が行為との相関的事態に於て、この行為が空間に示す方向を本来的に自らによって可能ならしめるものとしてある以上、この相関的事態に於て空間が方向座標としての次元(一六六頁)的なあり方をなす事は異議のない事であろう。この次元空間は古典力学と本質的には同じ仕方で分析されて時間的契機を導入し、X、y、Z、tの四次元空間であるとされる(八五頁)。そしてこの四次元空間を構成するそれぞれの座標は、その行為との相関事態に於てある限り、次のようなものであると理解されて居る。一、手段的目標達成の次元、G(八八頁)二、表現的次元、E(八九頁)三、適応的次元、A(八九頁)四、統合的次元、1(八九頁)」</p>
<p>松野達雄「パーソンズ理論の次元＝位相論的理解の試み」,18P</p>
</blockquote>
<p>ほとんど呪文みたいな文章が続いているように見えてきます。要するに、時空は時間と空間が密接に不可分で関わり合ったものであり、アインシュタインの相対性理論以降、それらは立証されてきたというわけです。こうした時空を先ほどミンコフスキー空間、つまり三次元の空間に時間を足したものだと表現したわけです。時間を扱わずに、空間だけの次元を４つ合わせて考える空間をユークリッド空間というわけです。</p>
<p>ここからが大事です。両者は相対性理論から明らかなように密接に関わっていて切り離せないものですが、分析的に切り離して考えてみよう、というわけです。つまり、<strong>空間的な側面を「次元」として扱い、時間的な側面を「位相」として扱おう</strong>というわけです。次元と位相も両方扱うし、その関係も扱いますよ、というのがAGIL図式というわけです。空間的に配置しつつ、その空間に時間をプラスして考えて、ある空間からある空間へ時間ともに移動する、ということを考えてみようじゃないかというわけです。</p>
<p>まあ、なんとなくここらへんは文系の私でもなんとなく理解できます。</p>
<p>さて空間的な次元が４つあるという状況をイメージしてください。これはまさにドラえもんの四次元ポケットです。さてややこしいことに、パーソンズはAGILではなく、GEAIという四次元で説明しているようです。位相はAGILで説明しているんですけどね・・。</p>
<p>Gは手段的目標達成の次元、Eは表現的次元、Aは適応的次元、Iは統合的次元です。Eは結局Lに相当するものと考えていけばいいのでしょう。</p>
<p>じゃあ幅であるxはA次元に、奥行きであるy次元はL次元に、高さであるｚ次元はA次元を想定しているようです。これで三次元座標が出来上がります。残りの次元はI次元ということになります。</p>
<blockquote>
<p>「私達はここに「体系の中での体系的単位活動の全面認知的＝個別的妥当的統合のレベル」として特徴づけられるI次元を見る事になるのであるが、それは三次元事態以上の高い次元事態を示すものとして、当然四次元事態としてあるものと理解されなければならない。この四次元事態の本質的中核をなす基本座標は、当然多元的動態性の相関的統一事態としてある時問性tであると見られ、私達はこの座標に従う四次元事態に於て、時空の相関的統一態を一般的媒介者とし、単なる空間の次元から一オクターブ高い時間の次元へと移行し、弦ではも早、空間的次元相を離れて、時間的位相の相へと移って行くのである。本来かかるものとしてあるこの四次元的事態について、パーソンズはその社会均衡の一般的条件をなすものとして、謂わば極限的に「慣性の原則」(九〇、一〇三頁)を考えて居る。」</p>
<p>松野達雄「パーソンズ理論の次元＝位相論的理解の試み」,20P</p>
</blockquote>
<p>I次元が「時間性t」として定義されているんですが、やっぱりよくわかんないです。</p>
<p>そもそもドラえもんのポケットはx,y,zに加えてtではない「空間的な方向」として次元を加えるわけです。つまり、位相ではないなにか別の次元が加えられるわけですよね。ユークリッド空間ではtではなくwのほうがわかりやすいかもしれません。</p>
<p>！？切り離すんじゃないんかい！！！なぜ時間がユークリッド空間にぶっこまれるんだ、と困惑します。</p>
<p>この論文をよくよく読んでみると、I次元は「<span style="color: #0000ff;"><strong>時間化された空間</strong></span>として存在している」らしいです。時間化された空間として存在している、という意味はいまいち、というか１００％わかりませんが、そういうことらしいです。</p>
<p>反対に、位相においてはL位相において「<strong><span style="color: #0000ff;">空間化された時間</span></strong>」として存在しているらしいです。これがI次元とL位相の対応だそうです。tだけどtではない、そんな感じです。</p>
<blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_187cb435.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2655" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_187cb435.png" alt="" width="1670" height="1095" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_187cb435.png 1670w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_187cb435-800x525.png 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_187cb435-1536x1007.png 1536w" sizes="(max-width: 1670px) 100vw, 1670px" /></a><a href="https://jp.quora.com/yu-kuriddo-kuukan-de-tajigen-wo-kangae-ru-toki-jiku-ha-tagaini-chokkou-shi-te-iru-hitsuyou-ga-aru-node-seizei-4-jigen-made-shika-souzou-deki-ma-sen-ga-5-jigen-6-jigen-no-baai-mo-chokkou-shi-te-iru-no-desu-ka">出典</a></p>
</blockquote>
<p>ところで、話は戻りますが、ユークリッド四次元空間のおもしろい画像を見つけました。なるほどユークリッド四次元空間を２次元で表現するのは難しいらしいですが、もし表現するとしたら「入れ子構造」になるわけですね。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズの図式の最終的な姿は，亡くなる前年に関西学院大学で行なった講演・講義の記録『社会システムの構造と変化』に要約的に示されているので，これを主に参照しながら見ていこう。図式は入れ子式に何段階にもなっているが，最も拡張されたものは「人間の条件の一般的パラダイム」と呼ばれ，図1のような構成になっている」</p>
<p>春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成:3次元か4次元か」139P</p>
<p>「彼はあれこれ考えた末に，相互行為システムにとって最小限4種類の「機能的問題」が不可避的なものとして残るという結論に到達した([1]p.127)。それゆえ，そもそもの成り立ちからしてAGIL図式は2次元図式に分解できない（つまり2X2ではない）本来的な4次元図式なのである。」</p>
<p>春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成:3次元か4次元か」,140P</p>
</blockquote>
<p>そして「入れ子構造」と聞いて思い出すのが、春日さんのこの文章です。</p>
<p>やはりパーソンズの空間としての表現、つまりユークリッド四次元空間としては、入れ子構造のイメージなのだと思います。つまり、三次元座標のユークリッド空間に時間という次元を加えたのではなく、四次元座標のユークリッド空間であり、それは目に見えるものというよりは数学的な表現というわけです。</p>
<p>社会は四つの座標、つまり四つのベクトルをもっている、というイメージがなんとなく理解できます。幅としてｘという座標があり、奥行きとしてyという座標があり、高さとしてzという座標があり、さらにwあるいはtとして第四の座標がある(ドラえもんの四次元ポケットのようにお目には見えないけれども)という話です。もし二次元で可視化するとしたら、上の画像のような「入れ子構造」なるよ、という話です。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Tesseract.gif"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2656" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Tesseract.gif" alt="" width="240" height="240" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Tesseract.gif 240w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Tesseract-60x60.gif 60w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Tesseract-120x120.gif 120w" sizes="(max-width: 240px) 100vw, 240px" /></a>ちなみに動画にするとこのような感じの「入れ子構造」になるらしいです。名称は「正八胞体」というらしいです。入れ子になって小さく見える箱は、外側の大きく見える箱と実は同じ大きさ、長さだというのだからすごいですよね。もし可視化するとしたらこのように歪んでしまうわけです。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/860570dacb89bae370aa3cb24efb99ea.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2657" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/860570dacb89bae370aa3cb24efb99ea.png" alt="" width="319" height="261" /></a></p>
<p>このようにベクトルとして四つの方向、座標として四次元空間を理解するとしたら、正立方体のようにどこか上限、「値」があるのかという話になります。座標が無限に伸びていくのではなく、どこからここまで伸びれば「機能要件を満たす」というような最大値、最適値があるはずだ、と考えられます。</p>
<p>理論的にはあるはずなのですが、具体的な値は示されていないようです。「それぞれの社会による」という話で、均衡は「ホメオスタシスで体温が均衡するように・・・」というようにアナロジーで語られているそうです。要するに、具体的な値は経験的に「発見する問題」という話です。</p>
<blockquote>
<p>「ただ,パーソンズは機能要件を互いに無矛盾な順序的関係として構想したのではない。4機能は,当初はベイルズらの小集団実験の知見[Bales1953][Par-sons&amp;Bales1953]から演繹され,後にはシステムの対環境軸(空間アナロジー)と道具的/達成的軸(時間アナロジー)との「直積」から構成された[Parsons1959]。こうした当初の素朴なモデル構成は,富永健一によれば「ベクトル」の論理に類似している[富永1991:27-28]。ベクトルは合成が可能ながらも、互いに独立した値と方向を持っている(図2参照)。パーソンズの4機能図式(AGIL)は必ずしも仮説演繹的な順序論的説明命題を志したものではない。むしろ,各機能の「不完全な」状態がノーマルなものと見られるような「多変量的」関係を指示しているように思われる。4次元ベクトルは,それぞれ或る一定の値をアプリオリに設定できるものではない。その値は,むしろ経験的に「発見」されるべきである。AGILそれぞれは,確かに評価的な志向を持っているとはいえ,「関数」や「命題」として展開されてはいなかった。とはいえ,機能要件という用語に対するパーソンズの言明は,やはり誤解を招く。あたかもシステムがそれらのどれかを「完全に」満たさなければシステムの崩壊を招くかのように受けとめられるからである。パーソンズは,確かにこれらの要件がシステム維持の「必要条件」であるというニュアンスを述べているものの,その正確な「値」を明示していない。「選言」であれ「ベクトル」であれ,システムの機能が一種の「評価」であることは,パーソンズの生涯をつうじて変わりなかった。行為の実体的な目的論をサイバネティクスによって棚上げにしても,彼のシステム理論の論理は評価的な前提を含んでいる。その代表的な例が「均衡(equilibrium)」という概念である。彼の均衡概念はかなりの部分「記述的」な水準にとどまっていて,説明的というよりはむしろ「発見的」な概念としての特徴が有力である[Bailey1984]。しかしそれは,彼のシステム観念が,完全には機械論ではないという事実を示してもいる。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズと機能システム理論の課題-「構造一機能」理論に新しい意味を求めるための覚書」,134,135P</p>
</blockquote>
<p>ここでようやく大黒さんの「ベクトル」の話と「発見」の話がすこし理解できるようになりました。</p>
<p>AGILはユークリッド空間のように、独立した四つの方向をもっていますが、具体的な「値」が設定されているものではなく、「多変量的」だといいます。多変量的というのは統計の用語のようですね。複数の変数に関するデータをもとに、これらの変数間の相互関連を分析する統計的技法の総称らしいです。</p>
<p>ある国ではAがこのくらいの値、Gがこのくらいの値で均衡しているぞ、機能要件を満たしてるぞ、と経験的なデータを通して見つけていく感じです。レヴィの分析と似ていますね。</p>
<p>とはいえ、典型的な均衡状態を示す必要も一方であるので、理念型として生物学的アナロジーを通して均衡状態を提示した、という感じでしょうか。</p>
<blockquote>
<p>「晩年にいたって、パーソンズははっきりと初期・中期の「物理学的」な連立方程式モデル(パーソンズは「ニュートン・モデル」と呼んだ)を放棄して「メンデル・モデル」と自ら呼んだ「生物学的」で情報制御的な強調を含むモデルへと志向していった[Parsons1977:133-134]。したがって,パーソンズはそもそも定量的・連続的な「尺度」を求めてシステム理論を展開したのではない。彼にとって,相互作用の「均衡」は,なんらかの具体的な経験からの一般化ではない[Parsons1951:481]。それは,いわば一種の「アナロジー」であり,定量的尺度よりはむしろ「発見的」な用具としてより良く用いることができる。ただ,たとえそれが「記述的」「発見的」な用途を想定していようとも,少なくとも「典型的な」システム状態を確定することは社会の科学的分析にとって必須であるように思われる。パーソンズは,そうしたシステム状態を確定的に述べていない。生物学からホメオスタシスの観念を借りてきたのも,そうしたシステム状態のアナロジーを一つ追加したにすぎない。ベイリーによれば,そもそも,均衡とホメオスタシスとが混同されることをキャノン自身は忌避していた[Baily1984:9]。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズと機能システム理論の課題-「構造一機能」理論に新しい意味を求めるための覚書」,139P</p>
</blockquote>
<p>大黒さんのこの文章がすこし理解できるようになってきました。理念型、典型例、アナロジーとしてパーソンズは均衡状態をを示したに過ぎない、というイメージがなんとなく理解できます。実際の分析はマートンの中範囲理論のように、経験的なデータを通して分析していくというわけですね。理論のみで演繹的に命題が得られるわけではないというわけです。</p>
<h4><span id="toc24">行為空間はユークリッド空間であり、位相運動記述のための媒介概念</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>行為空間(action space)</strong></span>：</big>・位相運動記述のための媒介概念。ユークリッド空間のような四次元空間のイメージであり、三次元に時間を足した四次元時空(ミンコフスキー空間)ではない。四次元はそれぞれ線形的であるらしい。</p>
</div>
<p>行為はこの「行為空間」の一定の位置から、他の一定の位置へ動くとみなされる。つまり、行為において一番動いている位置が「位相」となる。行為の単位は個体(役割)であり、集合体(役割)である。役割とは機能の担い手のこと。行為はエネルギーの動機づけ(インプット)によって起こり、一定の方向(起動)を与えられ、アウトプットによって終わる。</p>
<blockquote>
<p>「このように考えると、Instrumental,Adaptive,Integrative,Expressive(これらの各々は、線型的即ち一次元的数量とみなし得る)を以て、四次元空間(従ってそれは、通常のユークリッド空間と考えてよい)を構成し、行為が始点から終点まで、この空間の一定の位置から他の一定の位置へと動くとみなすことは、むしろ自然であろう。これが即ち、パーソンズ＝ベイルズの考案した行為空間である。行為空間は、位絹運動記述のための媒介概念をなす。」</p>
<p>富永健一「行為空間と位相運動の理論研究パーソンズ=ベイルズの体系均衡の新しいフォーミュラ」,91-92P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc25">パターン変数による静態的な分析から、構造的パターンが動態的になった</span></h4>
<p><strong>静態的な構造概念</strong>：パターン変数による分析。時間を含んでいない構造概念。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/">【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか</a></p>
<p><strong>動態的な構造概念</strong>：AGIL図式の四次元空間、および四次元空間内での位相運動による分析。時間を含んだ構造概念。たとえばある位相運動は「境界相互交換」を通して、他の次元に影響を与えていくが、その影響の与え方、運動が「常に一定のパターン」を示していれば、「社会体系の構造的パターン」とみなすことができるという。</p>
<p>例：Aは富を生み、Gは権力を生む。これらはシンボルである。AとGの交換の仕方のパターンに安定的なものがあれば、それは「構造」とみなすことができるというわけである。交換は「過程」であり、変動であるという展で、変動的なものとして考えることができる。</p>
<p>AGIL図式では、非連続的な社会変動を扱えない：A、G、I、Lというように連続的に変化する位相の運動は扱えるが、それ以外の非連続的な運動は扱えないという意味だろう。予定調和的にA→G→I→Lという方向が最初から定められていて、もしそれらに反する行為があったとしても、L→I→G→Aという方向で社会統制がされ、AGILという位相運動へと戻るとされている。たしかにこれでは社会変動が予定調和的に扱われているような気がする。</p>
<blockquote>
<p>「かくて今や、社会体系は、ごのような力学的タームで規定される行為過程の相互依存的な複合的体系である。体系内の一単位が空間上で位置をかえれば、それはフィード・バックによって他の単位に順次に影響を与える(次節で述べる集団内の役割分化即ち位相運動の分化は、この原理によるものと考えられる)。現実にはこのフィード・バックの過程は、言語(ひとつの代表的なSymbolism)によるコミュニケーションを通じて行われるものとみなされる。また、これら単位の軌道上の運動が、体系内で常に一定のパターンを示すものとすれば、このパターンの相対的安定性を以て、その社会体系の構造的パターンとみなすことができる。この構造的パターンは、以前のパーソンズ理論の、Pattern variablesの組合せによる構造分析にあたるものであるが、以前の静態的(時間を含まぬ)構造概念が、著しく動態的になったことに注意すべきである」</p>
<p>富永健一「行為空間と位相運動の理論研究パーソンズ=ベイルズの体系均衡の新しいフォーミュラ」,92P</p>
<p>「従来のパーソンズ理論におけるpattern variables適用の体系分析が、機械的で静態的であるということは、多くの人々がもった感想であろうし、私もまたかねてからそれを主張してきたのであるが、新しい理論ではもはやそうではなくなっているのである。尤も、動態的ということばは、ここで注釈を要すると思う。私は動態的という場合、時間の経過による運動過程の記述を意味せしめた。静態とは、この運動の過程において、単位の相対的位置関係が一定のパターンを示していることを、その瞬間的断面によって記述する意味である。だから、たとえば「体系均衡」の概念をとりあげた場合、以前のパーソンズ理論ではいわば「時間を含まぬ均衡」であったものが、新しい理論ではequilibrium over timeとして扱われるようになった、ということが、理論の動態化なのである。しかし、もつと別な見方も可能である。即ち、均衡過程そのものは、たとえそれがmoving equilibrium(移動均衡)である場95合にも、マクロな意味では静態であるから、それは社会体系の変動過程を記述できないということがこれである。この議論は、発展過程を連続的なものとみるか、非連続なものとし・てみるかの問題と関連する。そして私は、非連続なものは、均衡分析のワクの外におしやられることを、容認せざるをえないと思う。ともかく、社会変動の問題は、依然として宿題である(。」</p>
<p>富永健一「行為空間と位相運動の理論研究パーソンズ=ベイルズの体系均衡の新しいフォーミュラ」,95-96P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc26">位相運動A→G→I→LとL→I→G→A</span></h4>
<p>AGIL四機能図式の４つのサブシステムは位相なのか、次元なのか、という点が重要になる。答えとしては、位相であもるし、次元でもあるというところだろうか。</p>
<p>ユークリッド空間として考えれば四つの方向があり、四つの次元から社会が構成されているということになる。</p>
<p>別の言い方をすれば、社会は四つの次元へと共時的に分化していくらしい。理念的には通時的に分化するのではなく、共時的に分化していくのである。なにをいってるんだ、と思う。しかしまず最初にAとGがうまれて、そのあとにIとLがうまれる、というような通時的な分化ではなく、同時に、共時的に分化していくイメージ。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズは通時的な分化を「位相」(phaese)と呼び、共時的な分化を「構造分化」(structural differentiation)と呼んで区別している()」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」,22P</p>
</blockquote>
<p>上の説明を見ても正直分からない。私の直感的なイメージでは、まず空間として「構造分化」が生じる。つまり、四つの方向、四つの次元からなる四次元空間が生じる。そこから、四次元空間のいずれかの次元が極大化していく。一番極大化している次元が「位相」であるというイメージです。</p>
<p>重要なのは、さらに極大化していく位相には「順序」というものが想定されているということです。それが以下の２つの順序です。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>位相運動A→G→I→L</strong></span>：</big>・問題解決(課題遂行)の位相運動の場合、A→G→I→Lの順番にそれぞれの位相が極大化していくとされている。まず問題の方向性を知覚し（A）、次に課題解決に向かい（G）、議論をまとめるために連帯の問題が生じ（I）、最後に集団課題が課題と感情の両方で解決されて満足する、あるいは緊張がとける（L）という順序いなると考えられている。ただし、L位相はほかの位相に比べると非活動であり、目標行動が潜在しているとみなされている。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>位相運動L→I→G→A</strong></span>：</big>・逸脱行動などの行為が生じた場合、社会統制のメカニズムが発動するとされている。社会統制の４つの過程はL→I→G→Aの順番で位相運動を行い、そうすることによって再び運動は正常の軌道(A→G→I→L)に戻り、体系は均衡へと復活するとされている。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「その順序は、課題場面におけヘへるベイルズの実験から帰納すれば、A,G,I,Lの順序になるものと考えられる。何故なら、成員の相互行為は、まず問題のオリエンテーションを知覚し(A)、次に直接の課題解決にむかい(G)、このあたりから白熱してくる議論をまとめるために連帯の問題がおこり(I)、最後に集団課題がtaskとemotionの両方で解決されて満足する又は緊張がとける(L)、という順序になるであろうから。但しこの場合、Expressiveはqualit,neutalityであることから、Gに比していわば非活動であり、目標行動が潜在化しているものとみなして、Latencyと呼びなおされている。」</p>
<p>富永健一「行為空間と位相運動の理論研究パーソンズ=ベイルズの体系均衡の新しいフォーミュラ」,93P</p>
<p>「しかしvisious circleの成立によって、この規範が効力を失ってしまう場合には、社会統制のメカニズムを発動させねばならはい。逸脱行動＝社会統制の四組の図式とsystem problemsの結びつきについては、既に第三節で述べた。社会統制の四つの過程は、L,I,G,Aの順序で位相運動するものと解釈することができる。かくて再び単位の運動は正常の軌道にかえり、体系は安定均衡に復する」</p>
<p>富永健一「行為空間と位相運動の理論研究パーソンズ=ベイルズの体系均衡の新しいフォーミュラ」,94P</p>
<p>「AGIL図式は,パーソンズとベイルズが創り上げた行為空間の4つの位相-次元である｡全体社会的レベルではA経済の体系,G政治の体系,I統合の体系,L文化の型と動機づけの体系,価値体系のレベルでは,A経済的価値,G政治的価値,I統合価値,L文化的価値ということになる｡さらに,集団に与えられた課題を遂行する場合の集団の位相運動はA-G-I-Lの方向に,社会化･社会統制の場合は,L-I-G-Aの順で位相運動が行われるとされる｡この図式を持って行われる社会集団の分析が構造機能分析である｡例えば,日本の現代の価値志向はどこにウエイトが置かれているかを見ると,経済価値であるとすれば,A次元が肥大化し,それによって他のすべての位相が影響を受けるであろうといった分析が行われる」</p>
<p>高旗正人「 パーソンズの子ども社会化パラダイムの検討 」,51P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc27">整理(動画のスライド)</span></h4>
<p>動画のスライド説明の時点ではよくわかっていなかったことが、いますこしずつわかってきた感じです。しかし言わんとしている内容はそこまで乖離していませんね。整理のためにこちらにも残しておきます。ユークリッドやら次元やら空間やら時空やらが何も分かってなかった段階の記述です。</p>
<p>０：ミクロ的なシステムを考える場合は「位相」、マクロ的なシステムを考える場合は「次元」として表記することにする。</p>
<p>・今回の「エネルギーの流れ」は主にミクロ的なシステムの流れ、モデルⅠが想定されているので「位相」である。より一般的なモデルであるモデル２の場合は「次元」と表記することにする。具体的な適用(ミクロ)と分析的な適用(マクロ)の区別。</p>
<p>元々ベールズの「四機能問題」に影響を受けてAGIL図式は作られており、ベールズの「四機能問題」は小集団の時間的な継起を前提にして作られている。社会全体というより、あるクラスの生徒たち、家族などの「成長」などの分析。</p>
<p>・位相と次元の違いについて</p>
<p><b>位相</b>：ミクロなレベル。主に時間の経過による運動を説明する際に使用する。パーソンズのAGIL図式は、時間の経過による「四位相運動」の分析である。サブシステムの「過程」の分析に近い。具体的な行為者(単数・複数)の行為における具体的な説明の際に用いられる分析。</p>
<p><b>次元</b>：マクロなレベル。主に行為がどの空間に位置するかを説明する際に使用する。パーソンズのAGIL図式は、「四次元空間」の分析である。具体的・特殊的なものではなく、一般的な行為者、一般的な社会、一般的な経済、一般的な文化が前提とされている。</p>
<p>経済活動(運動・過程)ではなく、経済そのものの機能を担う構造というのが次元のイメージ。それがいつ・どのくらい具体的に機能しているのかというのは位相の問題に関わってくる。次元の問題ではそれぞれが機能している限り、社会の秩序・均衡は維持されると仮定されている。</p>
<p>パーソンズが「社会変動」を説明できていないと批判されることがある。位相の変化はたしかに「時間に伴う機能の変化(極大化)」を扱うものではあるが、パーソンズは「社会システムの中の過程」と「社会システムの変動の過程」を明確に区別している(1951)。位相の変化は「社会システムの中の過程」に近い。あくまでも構造を維持するためにそれぞれの機能が変化していくというイメージ。</p>
<p>・「位相はある与えられた時点において起こる体系の運動が、他の三つの次元におけるその運動と比較して極大化される時の、ある時間区間を通じての体系の変化する状態」とパーソンズは述べている。</p>
<p>→どの次元が一番極大化しているか、というのは具体的な行為者、小集団を念頭におく必要があり、また具体的な時間を想定する必要がある。一番次元が極大化している「過程・運動」の段階が「位相」である。</p>
<p>こうしたミクロなレベルからさらにマクロなレベル、抽象的なレベルになると「次元の分析」になる。AGIL図式はマクロ分析にもミクロ分析にも適用可能だとみなされている。</p>
<p>（１）社会の秩序、均衡のためには四つの機能の次元がすべて充たされている必要がある。これらはどの社会も集団でも同じであり、どの時間経過によっても同じである。つまり、どの社会も四つの機能が必要十分条件として設定されている、という「構造」は変化しない。つまり、静かであり、定数である。静態均衡分析。基本的に社会の相互作用のパターンもパーソンズ中期ではあまり変化しないものと考えられている。慣性の法則にたとえられている(習慣的行動)。たとえばアメリカが機会の均等を重視するという構造は基本的に定数であり、相対的には変化しない。</p>
<p><span style="font-size: 8pt; background-color: #ffff99;"><em>動画では「４つの機能がある」という点を「構造」だとしてしまっていました。パターン変数によって、時間を含まずに構造を説明する場合が「静態的な構造説明」であるということになります。たとえば４次元だけで説明しようとして、そこに時間を含めない場合は「静態的な構造説明」になります。位相運動のために次元という枠組みがあり、位相運動の安定的なパターンを構造ということにすれば、それは「動態的な構造説明」だといえます。なぜなら、時間を含めて構造を考えているからです。ある位相が極大化したときに、ある国ではこのような相互交換によって他の次元に影響を与える一定のパターンがある、というとき、それは「構造」と言えるのだと思います。たとえば経済が不安定になったら政治に頼る傾向がある、などです。</em></span></p>
<p>次元≒機能を担う構造。サブシステムそのもの。惑星がどの位置にあっても力学的にはすべての時間において均衡しているのと同じ。時間や位置は問題ではない。つまり、位相は問題にならず、次元の問題。次元がそれぞれ機能しているかどうかが問題。どこで、どの時期といった具体的なものは問題にならない。例えば呼吸が機能するから人間が生きているという説明で、具体的な呼吸の量や順序、年齢、性別などまでを深く考慮しないイメージ。というより、人間の相互行為は複雑すぎて、すべて具体的に考えていかなければいけない社会変動は説明できないとパーソンズは中期においては述べていた(1951)。</p>
<p>（２）次元が具体的に何か、時間経過によって具体的にどのように機能が変動するのか、というのがミクロ分析であり、位相の分析である。</p>
<p>位相≒運動≒機能する過程。サブシステムの運動。動態均衡分析。</p>
<p>社会現象は惑星や機械と違い、変動、歴史的変化を考えていく必要がある。機械と社会の違いは、社会が「生きているシステム」、「開かれたシステム」だということ。どういう順番で機能が充たされるのか、という視点も重要になる。</p>
<p>・分析の例（１）</p>
<p>例：家族という具体的な小集団を分析し、さらに子供が時間の経過とともにどういった変化をしていくかを調べる場合</p>
<p>パーソンズは1953年の『作業論文』で位相運動の例を挙げている。たとえば「社会化・社会統制」の位相運動はL→I→G→Aの順に位相運動すると述べている。</p>
<p>たとえば生まれたばかりの赤ん坊は「口唇依存期」であり、L位相に位置するという言い方ができる。次に「愛情依存の時期」(I)の位相、潜在期（G）、成熟期(A)の位相運動の順序で「社会統制・社会化」が行われていくとパーソンズは説明している。こうした位相運動は子供の成長の過程を通して、どのように位相が変化していくかという分析。</p>
<p>フロイトの影響を受けているとされている。</p>
<p>・分析の例（２）</p>
<p>例：会社という具体的な小集団を分析し、さらに社員が時間の経過とともにどういった変化をしていくかを調べる場合</p>
<p>パーソンズは「問題解決(課題遂行)」の過程として、A→G→I→Lという位相運動を説明している。</p>
<p>たとえば最初は営業なり部品の生産なりを行う活動を行い、次に会社は成長するためにはさらにどんな物を作ればいいかという目標を決め、次に社員同士の強調・団結力を高め、最後に会社のマニュアル作りや研修によってよりパターンを維持するような行為を行っていく、というように位相運動が説明できるかもしれない。</p>
<p>・分析の例（３）</p>
<p>日本社会というマクロなレベルにおいて、Aにあたるものはなにか、Gにあたるものはなにか、Iにあたるものはなにか、Lにあたるものはなにかと考えていく。</p>
<p>位相運動として仮に経済が極大化しているとしたら、その極大化は他の次元にどのような影響を与えていくのか。例えば日本も戦後、経済が極大化していき、そのあとで経済で生産された財をどのように分配するかという問題が生じ、さらに国民の間での不満、犯罪などをどのように取り締まるかという問題、さらには教育はどのようにしていけばいいかなど、さまざまな位相を考えていく。先を予測し、そのために今何が最適な戦略かを考えていく。四つの機能の充たされ具合、位相運動がわかれば、変動を予測し、説明できるようになるとされている。</p>
<p>→仮に位相運動の「予測」ができないとしても、運動後で「解析」できればいいという意見もある。</p>
<p>さらに「<b>境界相互交換</b>」という概念を通じて、それぞれの次元の相互交換によって機能が充足されていくという、より具体的な基準を提示する(1958)。たとえばG次元はA次元から富をアウトプットされることによって、運動を極大化させていき、さらにI次元へと権力をアウトプットしていく。経済は政治の動員のための道具を提供し、政治によって法に権力をもたせ、といったように、位相運動をも説明する概念が整備されていく。つまり、機能するとはどういうことかをアウトプットとインプットで説明していくというわけである。ただし、具体的な小集団の分析において、どの程度のアウトプットが必要か、どの時期にどのアウトプットが極大化していくかといったものはミクロ分析の問題となる(経験的に発見していく問題であり、理論から演繹的に得られるものではない)。中期ではまず構造ありきで、経験的に構造を発見してから、その構造のために機能しているものはなにか、という順番。</p>
<blockquote>
<p>「いまひとつは、パーソンズの社会変動論への批判である。パーソンズは彼の主著『社会体系論』のなかで、『社会体系の変動の諸過程についての一般理論というものは、現在の知識の状態では不可能である』とみたこともあって、社会変動とは、社会体系そのものの変動とは区別される社会体系内部の変動のことであるとした。そしてそれは均衡から再均衡に至る一定方向の過程として想定されており、その近郊の攪乱要因、すんわち変動の要因は逸脱行動として考えられている。だがこの変動要因である逸脱行動もたえず社会統制のメカニズムが働くことによって、やがては解消され、再び均衡(再均衡化)に向うものと説明されるのである。それゆえ、彼のこうした変動論では、変動の予測や変動の源泉、さらには社会そのものの変動の説明は不可能であると批判されるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,177P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc28"> 社会システムがいずれかの「次元」を「完全に」満たさなければ社会秩序は成立しないのか</span></h4>
<p>A「完全」に満たすという言い方はしてない。満たされることが必要条件だという言い方をしているが、どうしたら満たされるかという「<b>値</b>」をパーソンズは提示していないという。位相運動を考えると、同時にすべての位相が極大化しているということはないとパーソンズはいう。つまり、いずれかが順番に極大化していくことで、機能要件が充たされていくという考え。では極大化とはどのくらいの「値」か、というのが問題になる。</p>
<p>　どの程度の「値」を満たせば位相運動をしたといえるのか、機能要件は満たされたといえるのかという基準がわからなければ、どうしたら均衡するのかということも具体的にはわからない。「<b>動態均衡</b>」をどのように分析すればいいのか。パーソンズは値や具体的な均衡状態を説明しなかった。パーソンズは相互行為においてお互いに期待が一致している状態を均衡と呼んだが、どのようにして社会全体の状態としてそれが判断できるのかが難しい。</p>
<p>　結局は「値」はア・プリオリに決まっているものではなく、「<b>経験的</b>」に「<b>発見</b>」されるものであるという(大黒正伸)。パーソンズは天下り(アプリオリ)的、演繹的に四機能を定めたが、マリオン・レヴィのように経験的なデータから社会が成立しなくなった状態を同定した上で、原因変数として機能要件を機能的に推測する方法もある。</p>
<p>　マクロなレベルでは値は決まっているものではなく、ミクロなレベルの分析において経験的に発見していくもの。日本社会ではこのくらい経済が機能していれば秩序は維持できるな、というようにデータを集めていく。あるいは社会秩序が乱れた村ではこれが原因だったな、と考えていく。ただし、どういう<b>基準</b>で機能している、機能していないを判断するかが問題となる。そもそもそのような判断は論理的に不可能、と批判する人もいる(いわゆる一般不可能性原理。機能的要件の評価を集計するというのはそもそもできるのかという問題。一つの構造に複数の機能という論理構成は成立しないという批判。もし４機能が同時に充たされるなら１つの機能になり、冗長)。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズの四機能図式(AGIL)は必ずしも仮説演繹的な順序論的説明命題を志したものではない。むしろ、各機能の『不完全な』状態がノーマルと見られるような『多変量』関係を指示しているように思われる。四次元ベクトルは、それぞれ或る一定の値をアプリオリに設定できるものではない。その値は、むしろ経験的に『発見』されるべきである。AGILそれぞれは、確かに評価的な志向を持っているとはいえ、『関数』や『命題』として展開されてはいなかった」</p>
<p>大黒正伸『パーソンズと機能システム論の課題』,134-135P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc29">構造機能主義の変遷について</span></h3>
<p>パーソンズ後期では「構造－機能主義」の考えも変わっていく</p>
<p>（１）中期では、まず構造ありきで、その構造の維持のために機能が貢献していると考えられている。構造と機能が同列の水準におかれている。この時期は構造－機能主義を名乗る。</p>
<p>（２）後期では、まず機能ありきで、その機能の変動によって構造が生まれてくると考えられている。機能は構造の上位にあると考えられている。機能が構造を制御する。また、構造と過程が同列の水準におかれるようになる。構造とはマクロな視点でみたときの用語であり、過程とはミクロな視点でみたときの用語であると考えることができる。この時期から機能分析と名称を変えていく。ルーマンはパーソンズに賛同し、自ら機能－構造主義と名乗っていく。さらにパーソンズはサイバネティクスの考えを取り入れ、「社会システムの中の過程」だけではなく「社会システムの変動の過程」も視野に入れていく。</p>
<p>パーソンズは構造と過程の関係を「相関的」と述べている。密接に関わり合っている関係。構造はある期間にわたって安定的な相互関係であり、過程はある時間の範囲内の変化の諸側面である。</p>
<p><span style="background-color: #ffff99;">※後期といっても、中期前半から中期後半への以降とみたほうがいいのかもしれない。パターン変数のみで静態均衡を通して構造を考えていた時期を中期前半(~1951)とすると、AGIL図式で動態均衡を考えるようになった時期(1953~)が構造－機能主義が機能－構造主義的に傾いていった時期だろうか。</span></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/7d0da2ec376daa363424ce582da01b40.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2658" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/7d0da2ec376daa363424ce582da01b40.png" alt="" width="485" height="311" /></a>※図は千石好郎「T・パーソンズの社会変動論と近代論」229Pの図を参考につくったもの。</p>
<p>・後期において、(次元に相当する)構造(構造的構成要素)」として、<b>役割</b>(A)、<b>集合体</b>(G)、<b>規範</b>(I)、<b>価値</b>(L)が考えられている。機能としては適応(A)、目標達成(G)、統合(I)、パターン維持(L)が考えられている。千石さんによれば構造に相当するものは「進化的普遍要素」であり、社会階層、文化的正当性、官僚制組織、貨幣及び市場、一般化された普遍的規範、民主的アソシエーションの６つが該当するそうだ。</p>
<p>・位相としては「過程(発展過程の諸様相)」として、<b>適応能力の向上</b>(A)、<b>機能分化</b>(G)、<b>包括</b>(I)、<b>価値の普遍化</b>(L)が考えられている。</p>
<p>・全体構造はサブ構造に分化する。そしてそれぞれのサブ構造は、それぞれの機能を担っている。これが「次元」の説明である。これはどの時間、どの社会においても変わらない。</p>
<p>・そこからさらに、それぞれのサブ構造は、それぞれの「過程」がある。これが「位相」の説明である。サブ構造は機能を担い、機能は構造を均衡に向かって変化させるために位相運動を行い、いずれかの位相を極大化させていくとされている。これは特定の社会の特定の状況によって、いまどの次元が極大化しているかの位相は異なる。A位相の国もあれば、G位相の国もある。これらは経験的に(統計などの)データを通して発見する問題。</p>
<p>・1953年はミクロ分析の枠組みとしての域を出ず、主に順序論的説明、位相運動の説明として用いられていた。</p>
<p>・1958年に、空間的アナロジー(外的・内的)と時間アナロジー(手段的・成就的)の2つの概念を通して説明することで、次元の説明としても用いられるようになった。具体的適用から、分析的適用へと応用できるようになったと解釈されている。</p>
<p>→ミクロの位相運動がベースのAGIL図式から、もっとマクロの一般化されたAGIL図式へと発展化したということだろうか。</p>
<p>たとえば具体的に言えば「選挙民、中学校の○○クラス」という要素がミクロ分析では用いられるが、マクロレベルの分析では「法・規範・社会共同体」といったように、より一般的な用語が用いられている。小集団だけではなく、システム一般に適応できるように改善されているという。</p>
<p>POINT：なぜAGILの図式が各々その位置なのか、という根拠付けが1953年と1958年で異なるということ。1953年は位相運動(A→G→I→LもしくはL→I→G→A)を前提に配置された。しかし1958年では外的・内的、手段的・成就的というより一般的な根拠付けがなされたということ。</p>
<blockquote>
<p>「ここで,1974年の論文「社会学における〈構造的機能的&gt;理論の現在の地位」において,述べられた「構造・機能主義」の修正意見について紹介しておこう。パーソンズは、「そもそもく構造〉と〈機能〉という二つの概念が同等なものではない」として,「連字符で結ばれたく構造・機能主義〉というレッテルは、ますます不適切になってきている」とする。そして,1「構造を実体化して考えるのは、本意ではない」こと,2「構造と過程とは相関的な概念である」を踏まえて,「構造」とは、「経験的な基盤から,特定の認識的企図にとって意義ある期間にわたってまたそのような一組の条件下で,安定的と仮定されうるか,あるいはそうであることが示される生体系の諸部分間の何らかの一組の関係」なのであるとし,また「過程」とは,「体系の状態あるいは体系の該当する部分ないし諸部分が,心に抱く特定の認識目的にとってふさわしく,また有意義である時間範囲内で変化してゆく諸側面を指定するもの」であると規定する。このようなパーソンズの新しい認識を踏まえて、「進化的普遍要素」と「適応能力の上昇」を解釈すれば,彼の社会進化論は,この「構造」と「過程」の両者を組み込んでいるものであることは明らかである。彼のいう「構造」は,社会階層,文化的正当性,官僚制組織,貨幣および市場,一般化された普遍的規範,そして民主的アソシエーションである。構造とは,実際には6個の進化的普遍要素のことである。そして,「過程」とは,分化,適応的上昇,包摂,価値一般化なのである。これらの作用によって進化の度合いの低い社会類型から高い社会類型への移行(「突破(breakthrough)」)が行われる。」</p>
<p>千石好郎「T・パーソンズの社会変動論と近代論」,230-231P</p>
<p>「パーソンズは、明示的に社会変動を論じたのは,彼の第2期の代表作である『社会システム論』(1951)のなかの第11章「社会システムの変動過程」においてである。パーソンズは,まず,この章の冒頭で「社会システムの中の過程」と「社会システムの変動の過程」とを明確に区別することが必要であるとする。そして,この章の末尾では,良い理論を「変動の問題と安定したシステムの中の過程の問題との双方に等しく適用できるものでなければならない」)と主張する。要するに,社会変動の社会システムとその環境との関係についての統一した理論が,パーソンズにとって求められていたのである。しかしながら,パーソンズは,彼の考察からの必然的推論によって「社会システムの変動の諸過程についての一般理論は,現在の知識の状態では、不可能である」と断定する。その理由を,「かかる理論がこのシステムの過程に関する法則についての完全な知識を含意しているであろうが,われわれはこうした知識を所有していない」とする。彼の『社会システム論』は、「そのようなシステムの中の変動の特殊な副次過程の理論である」に過ぎず,「システムとしてのシステムの変動の全般的過程の理論ではない」ところに求めている。」</p>
<p>「T・パーソンズの社会変動論と近代論」,222~223P</p>
<p>「&#8230;&#8230;パーソンズがホメオスタシス原理を社会システムに適用することに着眼したことの意義は,パーソンズ以前の社会学において行われていた第1種と第2種の社会システム・モデルが閉じ由たシステムであったのに対して,環境に対して開かれたシステム・モデル,すなわちここでわれわれが第3種のシステム・モデルとして位置づけたくシステムー環境のモデル〉を社会学にはじめて導入することを可能にした」11)という。しかしながら、ホメオスタシス原理に囚われていたので,「ホメオスタシス・テーゼは,本来的に構造変動のないシステムについて構築された理論である」が故に,「結果として、社会システムが構造変動にいたる過程を理論化することを断念せざるをえないという,大きな代償を支払わねばならなかった」のであると言う。先に紹介した『社会システム論』(1951)における「社会システムの変動の諸過程についての一般理論は,現在の知識の状態では、不可能である」というパーソンズの断定の背景には、このような学説史上の経緯があったのである。」</p>
<p>「T・パーソンズの社会変動論と近代論」,224P</p>
<p>「後にこの点をめぐって、①パーソンズの社会システム論はシステムの構造維持に偏っており、社会変動が説明できない、②均衡を重視するあまりシステム内部におけるさまざまな葛藤・闘争を無視しているといった批判がなされた。しかしこれらの批判はパーソンズの社会システム理論にさしたるダメージを与えることができなかった。というのも社会変動は、特定の社会構造が環境に対する適応能力を失った場合、新たな機能－構造の分化が生じ（社会システムの機能―構造変動）、それでも適応できない場合そのシステムは解体され、新たな機能要件を充足する構造の再構築が生じるという論理で説明が可能だからだ。（１３）それによって当該社会システムは、環境に対するより高度な適応能力を獲得する。パーソンズはこの適応能力の高度化を社会システムの進化ととらえた。しかしここでもいぜんとして議論の核心が「社会システムの構造維持」におかれていることに注意しなければならない。」</p>
<p>赤坂真人「パーソンズ以降における社会システム理論の展開」,5P</p>
<p>「いまひとつは、パーソンズの社会変動論への批判である。パーソンズは彼の主著『社会体系論』のなかで、『社会体系の変動の諸過程についての一般理論というものは、現在の知識の状態では不可能である』とみたこともあって、社会変動とは、社会体系そのものの変動とは区別される社会体系内部の変動のことであるとした。そしてそれは均衡から再均衡に至る一定方向の過程として想定されており、その近郊の攪乱要因、すnaわち変動の要因は逸脱行動として考えられている。だがこの変動要因である逸脱行動もたえず社会統制のメカニズムが働くことによって、やがては解消され、再び均衡(再均衡化)に向うものと説明されるのである。それゆえ、彼のこうした変動論では、変動の予測や変動の源泉、さらには社会そのものの変動の説明は不可能であると批判されるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,177P</p>
<p>「ところが一九五三年の『行為理論の作業論文』を経て一九五六年の『経済と社会』に至ると、社会システム概念は明確なAGIL図式として定式化され、その機能分化的下位システム間の交換過程に関しても詳しい分析が展開される。そしてこれに伴って社会体系と外部(外環境)、および所与の社会体系内部の下位体系内への相互交換過程(インプット──アウトプット分析)をかのうにする媒介メカニズムの研究、均衡回復過程、さらにはその緊張や葛藤の分析を通して変動過程さえもが考察されるようになるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,192-193P</p>
<p>「このようにみてくると,パースンズの理論は大きく発展しているが,その基本的な性格に於ては全く変化していないことが明かに成る。彼の理論の中心は依然として均衡理論である。最初に述べたように動態論の外に「構造変化論」が構想されているが両者の間には一義的な連続性はない。正に構造機能分析である。構造変化論についてはベラーの注目すべき分析があるが,次の機会に取扱いたい。第2はレベルの問題である。レベルの混同は第1モデルに於ても最も重要な問題点であったが,第2モデルに於てはシステムの4つの機能的問題の図式がミクロにもマクロにもそのままに適用されることに成った。「経済と社会」を貫く分析の手段はこれにつきる。然もシステム間或はそのサブシステム間の関連はインプットーアウトプットで単純に結びつけられているため、レベルの混同が著るしい。元来主意主義的行為理論の成立の基盤の1つであり,システム成立の条件であった筈の“principleofemergency&#8221;はすこぶるあいまいな、恣意的なものに成った。第3に彼の理論体系は結局のところ,構造一価値を条件にした分析である。然しこれをもってしては長期の変化は処理し得ない。価値体系の発展の論理が明かにされなければ理論体系は完成されない。「構造変化論」が問われなければならぬ。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,20P</p>
<p>「構造に対応する概念は過程であって、機能はより上位の概念だという認識である。構造－機能主義によると、既存の構造は（きっと）何か（大切な）機能を果たしているから存在しているのだという、いわば『まず最初に構造ありき』という発想になる。これでは、(構造)変動に対する積極的な姿勢は生まれない。そうではなくて、『まず最初に機能ありき』である。その機能との関係で構造が決定され、あるいは変化するのである。パーソンズの立場は、中期には、このように変化した。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,73P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc30">エネルギーの流れ</span></h3>
<p>１：エネルギーの流れは「<b>時間的な継起</b>」と考えられている。つまり、A、G、I、Lの位相が同時に、つまり「<b>共時的</b>」に生じるのではなく、段階を経て生じていくと考えられている(1953年)。先ほどの説明で言うと、いずれかの次元が極大化していくのであり、極大化している、つまり相対的に特に運動している次元が「位相」になる。</p>
<p>２：では、どのような順序でエネルギーが流れていくのか、つまりどのような順番でシステムは機能し、システム全体の秩序が均衡していくのか</p>
<p>３：行為システムにおいてエネルギーは「一方向的な過程をともなうもの」だとされている。すなわち、システムにエネルギーが流入し、システムからエネルギーが流出するという流れである。</p>
<p>４：パーソンズは<b>「A位相あるいはI位相を通してG位相へむかう一般的な傾向が存在する</b>」と発言している。AかIからGへ向かうというエネルギーの流れが示されている。</p>
<p>５：一方で、「説明のために、A→G→I→Lという位相運動を手ごろな『理念的』モデルとしてとりあつかう」とも発言している。要するに、細かく見ていけばA→G→I→Lという順にエネルギーが流れていかない例外もあるが、基本的にはそういう流れとして理念型、近似として扱うということである。そもそもAGIL図式、構造機能主義は「<b>近似</b>」を知るためのツールであるとされている。機械のように数式で正確に分析できるようなものだとは考えられていない。</p>
<p>６：川越次郎さんによれば、こうしたA→G→I→Lというエネルギーの流れは根拠が欠如しているという。そこで、川越さんはA→I→Gという顕在的なエネルギーの流れを提案している。</p>
<p>（１）まずA位相でシステムが外部から刺激としての問題を受け取る(エネルギーの流入)。しかしこの段階ではまだこのエネルギーは方向性、傾向をもっていない。そのため、L次元に照合し、どういった態度、方向性でいくべきかを決めていく。次に、態度が決まれば、どういった規準で客体をとらえていくかという方向性がL次元との照合によって決められていく。L次元はいわば「<b>規準そのもの</b>」であり、それぞれのシステムと相互作用は行わず、潜在する貯蔵庫のようなもの。問題解決のために対象を最大限見定め(普遍主義)、さらに限定的に対象を見定める過程。パターン変数でいうと<b>普遍主義</b>＋<b>限定性</b>の組み合わせ。</p>
<p>（２）次に、I位相で方向性が定まって選抜された問題が持ち込まれ、またL次元が参照され、「解釈」されていく。分析や総合の過程。解釈に必要な個別的な問題が持ち込まれ、多面的な熟慮がされる過程。パターン変数でいうと<b>個別主義</b>＋<b>無限定性</b>の組み合わせ。</p>
<p>（３）最後に、G位相で「解答」をシステム外部にアウトプット(流出)する過程である。つまり遂行の段階である。ここでもL次元が参照されている。いよいよ実行するときには感情の抑制は解除され、遂行の過程にある。パターン変数でいうと<b>業績(遂行)主義</b>＋<b>感情性</b>の組み合わせ。</p>
<p>L次元は常に潜在的で相互作用を行わないので感情は中立的であり、それぞれの内面に関わる問題なので所属(特質)が重要になってくる。パターン変数でいうと所属主義＋感情中立性の組み合わせ。このようにパターン変数を組み合わせてAGIL図式を根拠づける考え方を「<b>固有の親和性</b>」という(1953)。たしかにこのように考えていけば、子供の成長過程においてI位相が後にくる、というのは理解できる。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/896ca2dd4a013492106b4d59cbed7de0-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2659" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/896ca2dd4a013492106b4d59cbed7de0-1.png" alt="" width="1165" height="445" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/896ca2dd4a013492106b4d59cbed7de0-1.png 1165w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/896ca2dd4a013492106b4d59cbed7de0-1-800x306.png 800w" sizes="(max-width: 1165px) 100vw, 1165px" /></a></p>
<p>エネルギーの流れについて川越次郎さんの図を通して整理(「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」198,201P)</p>
<blockquote>
<p>「ここではあえて問題としてはとりあげないが,パーソンズに従うならば、社会システム(社会的相互作用)すなわち集合体のシステム単位は「役割(role)」であり、パーソナリティ・システムすなわち個人のシステム単位は「欲求性向(need-disposition)」である&lt;ibid.,p.88。エネルギーの流れに関してパーソンズは次のような公準(postulate)を提示する。「行為システムは一方向的な過程をともなうものと考えられる。&#8230;&#8230;「エネルギー』はたえずシステムへと『流入」し,かつ『流出」する。システム自体の内的源泉が自発的にこの過程を逆転させることはありえない」&lt;ibid.,p.97&gt;。私はこの「公準」を基本的に支持するものである。図6では,エネルギーはシステムとしての行為者へのインプットとして右側から流入し,それはまた変換されたエネルギーとして左側へと「一方向的に」流出する過程が示されている。なおことわっておくが,この図に示すシステム単位の「先行位置A」と「後続位置B」は,《III》の第三章でパーソンズがAGIL各次元を説明するために用いたものとはその意味あいを異にしている。そこでは各次元それぞれにおける「先行位置」と「後続位置」を示すものとしてA,Bが使われているが&lt;cf.,pp.80-90&gt;,ここではより一般的な観点からこれを使用している。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,198P</p>
<p>「ここでふたたび「エネルギーの流れ」(図6)に戻ろう。パーソンズは次のように述べている。「われわれが記述してきた諸位相は,単にシステムの異なった可能な諸状態の記述ではない。各位相の間には動機づけエネルギーの一方向的な流れの帰結として、決定的・動態的な諸関係が存在する。システムには,A(適応的)位相あるいはI(システム統合)位相を通してG(目標達成)位相へとむかう一般的な傾向が存在する」&lt;ibid.,p.187=chap.V&gt;。先にみた,「エネルギーの流れ」に関するパーソンズの「公準」&lt;ibid.,p.97%3Dchap.III&gt;と,章をかえたここでの言明とは完全に一致している。しかしながら彼はまた、公準にそったこの言明とは明らかに矛盾する見解をも提示している。「これらの留保条件(たとえば微視的&#8211;巨視的時間要因や,システム内単位間のコミュニケーションの難易度,単位数等の多くの未知の要因によって位相パタンが異なるであろうということ。筆者)にもかかわらず,われわれはひき続き説明のために、A→G→I→Lという位相運動を手ごろな『理念的(idealized)」モデルとしてとりあつかうであろう」&lt;ibid.,p.189&gt;。この位相運動を「公準」に示される「一方向的な過程」と同一視することはまったく不可能である。公準とは何ら関係のないところで「位相運動」が提示されている。換言するならば,A→G→I→Lという「流れ」には,これをささえるに足るだけの理論的な根拠(原理)が完全に欠如しているといってよい。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,200P</p>
<p>「この様にして形成された4つの位相或は次元は 全体としての社会システムの機能的サブシステム としてそれぞれ特有の機能を担っている。これは ミクロにもマクロにも適用することが可能であ る。小集団のようなミクロに於ては、時間的経過 にしたがって、4つの機能的サブシステムの1つ が極大化する「位相」と考えられ,集団や社会の マクロのレベルに於ては社会システムの機能を担 う「次元」と考えられる。次に4つの機能の連関 についてみておこう。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,14P</p>
<p>「このL次元の規定の仕方に明らかなように、各次元は、あるシステムの時間的な継起としてとらえられている。たとえば、行為の要素としての「文化パターン」は、通時間的に、システムに存在しているはずであるが、そのような分析的側面が、L次元の内容として考えられているのではない。つまり、分析的要素に分解される以前の具体的な社会システムが時間的な継起に従って各次元で考えられているのである。モデルIを機能要件の図式として考えてみると、それらの要件に関連してシステムが示す分化は、時間的な分化であって、共時的な構造の分化ではない(38)。この点は、もともとベイルズの原案が、小集団の問題解決のプロセスとして、時間軸にそって展開されていることに由来している。その意味で、モデルIは、実験室的な小集団研究の文脈によって、大きく制約されていると考えられる。モデルIにおいては、四つの機能問題と、システムの「具体的な」状態が直接結びつけられており、システムの分析的側面あるいは要素が、「分析的に」問題にされているのではない(39)。このような視点は、共時的な構造分化の程度がきわめて低い実験室的な小集団に対しては適合的であるが、よりマクロなレヴェルで社会システムを問題にする場合には、変更されなければならないだろう。ともあれ、モデルIにおいては、各次元の区別は、行為システムの分析的諸要素のシステム(たとえば、価値のシステム、規範のシステム)の区別と対応しているのではなくて、社会システムの時間的な分化と重なっており、各次元には、一定の時点での具体的な社会システムが位置づけられている。このことはモデルIの顕著な特色である。この関連で、パーソンズのAGIL図式の今日までの適用の仕方には二通りの方法が区別できるように思われる。いわば、「具体的な」適用と「分析的な」適用の二つである。たとえば、I次元に法や規範が位置づけられる場合には、社会システムの一要素としての法や規範が分析的な観点で抽出されている。けれども同時にたとえば選挙民の集合体としての「社会共同体」()が、I次元に位置づけられる場合には、具体的なシステムの分析的要素からなるシステムというよりは、社会システムの具体的な部分システムが意味されているという印象を強くうける(モデルIの時間的な分化という考え方とは異なってはいるが)。これらの二つの用法をパーソンズ自身は明確に区別していず、同一の図式の中で混用される場合には、混乱の可能性を否定できないように思われる(40)。」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」,13P</p>
<p>「モデルIにおいては、各次元の図式における位置は、主に「位相運動」の順のみに(また補足的に、パターン変数の組合せの共通項に)依拠している(42)。第二に、モデルIIは、システム一般に適用しうるよう構想されており、モデルIの小集団論的影響を払拭している。パーソンズがモデルIIへ移行しなけ14ればならなかった理由も、以上の二つの問題のためと思われる。」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」,14P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc31">ホメオスタシスと社会変動の関連について</span></h3>
<h4><span id="toc32">ホメオスタシスとはなにか、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>ホメオスタシス(homeostasis)</strong></span>：</big>・アメリカの生物学者キャノンが、生物が外環境の変化にもかかわらず一定の状態を保とうとする傾向に対して与えた名称。W.B.キャノンの『ホメオスタシス』(1932年)。恒常性維持。</p>
</div>
<p>例：暑いときは体温を下げるために汗をかく。寒いときは体温を上げるために体を震わせる。周りの環境に自分の体を適応させ、安定した状態を保っているという考え。</p>
<h4><span id="toc33">ホメオスタシスと均衡維持</span></h4>
<p>・1951年までのパーソンズでは社会の機能として「<b>社会化</b>」と「<b>社会統制</b>」が考えられた(構造－機能分析①と仮に定義する)。</p>
<p>→システムは自己維持の傾向があり、システム内の秩序を再生産、維持するメカニズム(機能)は「社会化」と「社会統制」にあると考えられた。機能は全体(システムの維持)に対する貢献と考えられている。</p>
<p>→最初にキャノンのホメオスタシスを応用させたメカニズムだといえる。体温が下がれば体を震わせるように、逸脱行動があれば社会統制によって秩序を維持させていくようなイメージ。</p>
<p><span style="background-color: #ffff99;">1951年までの考えでは、構造は静態的であり、パターン変数を通して、時間というものを考えずに安定的なパターンとして考えられていた。この安定的なパターンへと動機づけをさせる機能として、社会化と社会統制という機能があるイメージ</span></p>
<p>1953年になると、AGIL四機能要件をホメオスタシスと関連付けていく(構造機能分析②と仮に定義する)。</p>
<p>・社会システムも人間と同様に、一定の環境の中で存続、発展するために、その構造を複雑化(分化)させて、適応の能力を高めていくとパーソンズは考えた。各サブシステム(A・G・I・L)は他のシステムとの相互交換によってシステムの変数を最適化させようと機能していく。例えば円の価値が暴落しすぎて秩序が乱れたら、政治の権力によって暴落をもとに戻そうと相互交換を行っていく。</p>
<p>・社会システムはシステム内の秩序を再生産、維持するメカニズム、傾向があるとパーソンズは考えている。人間が安定した体温を保つように、社会も安定した秩序を維持するために４つの機能、四つのシステム問題を解決しなければならないと考えていき、解決するために適応の能力を高めていく。機能的に分化していった結果、生まれてくるのが四つのサブシステム、四機能要件。</p>
<p><span style="background-color: #ffff99;">1953年になると、次元に加えて位相運動が考えられるようになり、位相同士の運動を通した影響の与え方には安定したパターンがあると考えられるようになっていった。これをさらに具体的にしたものが1958年で発表した「境界相互交換」である。いわば交換を通した影響の与え方には一定のパターンがあり、それらの安定したパターンを「構造」と呼んだ。ただし、非連続的な変動は分析外とし、基本的には社会化や社会統制をとおして連続的なA→G→I→Lという順序へと回復するものだとされている。つまり、体温が均衡をたもつように回復するのと同じように、アナロジー的な前提が多分に含まれている時期だと言える。</span></p>
<blockquote>
<p>「パーソンズはこのような分析方法をもって、社会体系の分析に着手するのである。複数の行為者の相互作用の体系である社会体系は、境界維持的・均衡維持的・自己維持的な傾向をもつものと想定されている。こすいた特徴をもつ社会体系の概念は、イタリアの経済学者で社会学者であもあったパレートによる《均衡》の概念とアメリカの生理学者によるキャノンによる《ホメオスタシス》の概念から強い影響をうけている」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,160P</p>
<p>「型相変数が構造分析の道具であるのにたいして機能分析の発想は,3システム内の自己維持の傾向。即ちシステムはシステム内の秩序を再生産,維持するメカニズムをもっていると云う洞察によっている。チャンドラ・モースによれば,これは、マルサスやスミスの洞察に匹敵するものと評しているが,その当否はともかくとして、これがパースンズの機能分析の基本的なアイディアに成っていることは周知の通りである。勿論その着想は生物学に於けるキャノンのホメオステジースによっているのであるが,これを社会システム論の中で理論化した功績はパーソンズに帰せられる。更にこれが単なる着想にとどまらず,1具体的に社会化のメカニズム及び社会統制のメカニズムに結びつけ機能理論を構成したところに彼の理論の特徴がある。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,11P</p>
<p>「パーソンズはこのような分析方法をもって、社会体系の分析に着手するのである。複数の行為者の相互作用の体系である社会体系は、境界維持的・均衡維持的・自己維持的な傾向をもつものと想定されている。こすいた特徴をもつ社会体系の概念は、イタリアの経済学者で社会学者であもあったパレートによる《均衡》の概念とアメリカの生理学者によるキャノンによる《ホメオスタシス》の概念から強い影響をうけている」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,160P</p>
<p>「システムが自らを維持し保存しようとする傾向、かき乱されたときに元の状態に戻ろうとする傾向。恒常的なシステムは定常状態のシステムである。言い換えれば、システム内の変数を最大化するのではなく最適化しようとするのである。」</p>
<p>「デカルトからベイトソンへ」,417P</p>
<p>「アメリカの生物学者キャノンが、生物が外環境の変化にもかかわらず一定の状態を保とうとする傾向に対して与えた名称。パーソンズは、これを人間社会に応用し、社会システムにおいては、社会統制と社会化によって社会の秩序が維持されるとした。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,147P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc34">社会そのものの変動の説明ができないという批判</span></h4>
<p>・ホメオスタシスに基づいた理論では、よく「<b>社会そのものの変動</b>」の説明ができないと批判されている。中期の理論はほとんどホメオスタシス的な考えに基づいている。</p>
<p>ホメオスタシスにおいて人間の体温が36~37度前後という構造そのものが変動しないように、社会も構造そのものが変動しないというイメージをすればわかりやすい。外環境が寒ければ体温が下がってしまうので、サブシステムが体温を上げるように機能するが、これは構造そのものの変動ではない。機能が極大化していく過程は、体温が上がっていく過程と似ている。外環境(たとえば雪)などに影響を受けて機能が変動していくが、体温の構造(37度前後)は変わらず、再均衡に至るのと同じ。急に体温２０度に均衡するような構造変動が体で起きるわけではない。</p>
<p>→パーソンズ自身も、1951年の「社会体系論」で「<b>社会体系の変動の諸過程についての一般理論というものは、現在の知識の状態では不可能である</b>」といっている。</p>
<p>・パーソンズは「<b>社会システムの中の過程</b>」と「<b>社会システムの変動の過程</b>」を明確に区別している(1951)。</p>
<p>→パーソンズ「社会システムの変動の諸過程についての一般理論は、現在の知識の状態では、不可能である」</p>
<p>→社会システムそのものの変動の過程について説明するためには、システムの過程に関する法則について完全な知識をもっている必要がある。</p>
<p>・もし観察者が神のように全知全能であれば、相互行為がそれぞれどのように影響しあい、その全体の挙動がどうなるかを知ることができる。しかし、有限な存在である人間はその全てを知ることができない。</p>
<p>・パーソンズ「システムとしてのシステム変動の全般的過程の理論ではなく、システムの中の変動の特殊な副次過程の理論にすぎない」</p>
<p>・パーソンズがホメオスタシス原理を社会システムに適用したことの意義は、「開かれたシステム」を社会学に導入したこと。</p>
<p>・ただし、ホメオスタシス原理は本来的に構造変動のないシステムについて構築された理論であるがゆえに、パーソンズも結果として、中期においては社会システムが構造変動にいたる過程を理論化することを断念した。</p>
<p>・無秩序の中からどうやって秩序が生成するかといった「<b>秩序の生成</b>」の説明ができていないと批判されている。パーソンズの関心は、まず秩序ありきで、そこからどうやって「維持」されるかである。変動(生成)ではなく「維持」の説明。機能的要件が<b>どういう条件・規準で満たされるか</b>についての主張もあまりされていない。素朴な目的論はシステムの目標状態の実現に関する「条件」を提示せず、多くは予定調和的で自動的な成長や均衡の実現を述べているといわれています(小室直樹)。体温が自動的に均衡するように、社会も自動的に均衡することが念頭におかれているのではないか、ということです。</p>
<p>・パーソンズの機能主義は目的論的で、因果関係の説明になっていないという批判もある。要するに、なぜ他には代えられないという意味の機能要件でなければいけないのか、という説明が足りていないと批判されている。「AはBの機能を持つ」という言明は、「Aが存在するのは、Bのためである」という含意をもつ。「心臓が血液循環を行っている」という言明と、「心臓は血液循環のために存在している」という言明は違う。目的の先取り。論点先取り。例：ヘンペルによる批判</p>
<p>・ヘンペルによる機能主義への批判に対して論理的に反論することは難しかった。</p>
<p>パーソンズの場合は、そうした論理的な問題を理解しつつ、あくまでも「<b>近似</b>」としてAGIL図式を主張していたといえる。</p>
<p>佐藤俊樹さんによれば、パーソンズは「多様で複雑な因果関係をとびこえて、ごく少数の変数で説明が可能だとする説明様式は超因果性を導入している」という。</p>
<p>マートンはそうした超因果性、ようするに因果関係による説明ではない、科学的ではないという批判を受け入れ、「機能とは因果の特定の在り方」だと主張した。AによってBが生じていたとしても、BにとってAが不可欠だといえるわけではなく、Bを生じさせるA以外の要因は複数存在しうる(<b>機能的等価</b>)とした。パーソンズの説明様式は必要十分条件だが、マートンの説明様式は十分条件だというわけだ。さらにマートンは観察する範囲によって機能は変わると考えていく。観察できる範囲、具体的な経験、検証ができる範囲で機能を考えていくという理論が、「中範囲の理論」。さらにルーマンの場合は、因果関係の解明でもなく、機能的等価を見いだすこと自体に意義があると考えていく(<b>機能等価主義</b>)。</p>
<blockquote>
<p>「こうした機能要件の観念は,機能主義や機能分析に対する方法的ないしは論理的な論争を引き起こしてきた。とりわけ,科学的方法としての健全さを問われることになった。それは,主に以下のような嫌疑であった。:そもそも「システム」や「機能」という概念は科学的な地位を持ち得るのだろうか。;それは生物有機体の単純な「引き写し」や類推であって,いわゆる「目的論」の誤謬に陥ってはいないだろうか。・カール・ヘンペルは,科学哲学の立場から,機能分析を目的論の緩和された一種と見た。目的論は、一種の「論点先取」である。「AはBの機能を持つ」という言明は,「Aが存在するのは、Bのためである」という含意を持ち得る。「~のため」とはどんな事態を指すのだろうか。「心臓は血液循環を行っている」という表現は単なる記述であるが,「心臓は血液循環のために存在する」という表現はそうではない。機能という概念に含意されている「貢献」という意味合いは,そうした先取りされた「目的」を指すと解釈されかねない。設計者が存在するメカニズムは,そうした表現が可能である。複雑な部分/全体関係を持つ実体一有機体や社会一は,そうした意味での「機能的な記述」によって表現されることが多い」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズと機能システム理論の課題-「構造一機能」理論に新しい意味を求めるための覚書」128-129P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc35">AGIL図式(1953)で社会変動を説明できるようになったのか</span></h4>
<p>・1951年の「社会体系論」では社会変動の説明はできないと自ら主張していたが、1953年の「作業論文」ではできるようになったのか。</p>
<p>→まだ社会変動の説明はできていないと批判されているが、擁護する人もいる。</p>
<p>例えば富永健一さんは、社会構造が環境に対する適応能力を失った場合、新たな機能-構造の分化が生じ、それでも適応できない場合はシステム全体が解体され、新たな機能要件を充足する構造の再構築が生じるとして、社会変動の説明もできるとパーソンズを擁護している。</p>
<p>中野秀一郎さんは「社会システムの均衡や秩序を取り上げ、そのメカニズムを探ることは、必然的にその不均衡や混乱を考えることでもある」と擁護している。</p>
<p>→要するに、「社会システムの中の過程」の変動でも秩序が均衡しない場合は、システムが解体し、「社会システムの変動の過程」へと移行する余地がAGIL図式には残されているということ。これは「社会変動」に対する説明を含んでいるという話。</p>
<p>大黒正伸さんは「相互交換などによって複雑化することで、機能要件論の論理的問題を棚上げにした」と述べている。大黒さんによれば、パーソンズは「典型的なシステム状態」を確定することは必須であり、その上で記述的、発展的な用途を想定していたという(経験的に発見していくもの)。だからこそシステムの均衡状態を確定的に述べずに、生物学のアナロジーを用いたという。典型的なシステムの均衡状態は具体的な経験の一般化からきているものではなく、生物学のアナロジーにすぎないという。</p>
<p><span style="background-color: #ffff99;">富永健一さんは一方で、1953年の時点でのパーソンズの理論は社会変動の中で、特に「非連続的な均衡」を分析外としているとしている。そのため、社会変動の問題は、依然として課題であると述べている。つまり、1951年で「社会変動の一般理論は不可能である」、「静態均衡」という０の状態から、1953年において「動態均衡」を考えるというように、少しは前進したと言える。ただし、均衡があれば不均衡あるというような限定的な社会変動しか説明できなかったり、非連続的な社会変動変動は分析外におかれたりと、なにかと改善要素が大きいと言える。ただし、オープンシステムによって外的環境を通して適応不可になり、サブ構造が変動したすることもあり、それでも適応できなければ社会全体システムが崩壊し、再構築という全体システムの変動が生じるという論理がある、という主張もある(富永健一さんによるもの)。</span></p>
<blockquote>
<p>「後にこの点をめぐって、①パーソンズの社会システム論はシステムの構造維持に偏っており、社会変動が説明できない、②均衡を重視するあまりシステム内部におけるさまざまな葛藤・闘争を無視しているといった批判がなされた。しかしこれらの批判はパーソンズの社会システム理論にさしたるダメージを与えることができなかった。というのも社会変動は、特定の社会構造が環境に対する適応能力を失った場合、新たな機能－構造の分化が生じ（社会システムの機能―構造変動）、それでも適応できない場合そのシステムは解体され、新たな機能要件を充足する構造の再構築が生じるという論理で説明が可能だからだ。（１３）それによって当該社会システムは、環境に対するより高度な適応能力を獲得する。パーソンズはこの適応能力の高度化を社会システムの進化ととらえた。しかしここでもいぜんとして議論の核心が「社会システムの構造維持」におかれていることに注意しなければならない。」</p>
<p>赤坂真人「パーソンズ以降における社会システム理論の展開」,5P</p>
<p>「いまひとつは、パーソンズの社会変動論への批判である。パーソンズは彼の主著『社会体系論』のなかで、『社会体系の変動の諸過程についての一般理論というものは、現在の知識の状態では不可能である』とみたこともあって、社会変動とは、社会体系そのものの変動とは区別される社会体系内部の変動のことであるとした。そしてそれは均衡から再均衡に至る一定方向の過程として想定されており、その近郊の攪乱要因、すんわち変動の要因は逸脱行動として考えられている。だがこの変動要因である逸脱行動もたえず社会統制のメカニズムが働くことによって、やがては解消され、再び均衡(再均衡化)に向うものと説明されるのである。それゆえ、彼のこうした変動論では、変動の予測や変動の源泉、さらには社会そのものの変動の説明は不可能であると批判されるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,177P</p>
<p>「ところが一九五三年の『行為理論の作業論文』を経て一九五六年の『経済と社会』に至ると、社会システム概念は明確なAGIL図式として定式化され、その機能分化的下位システム間の交換過程に関しても詳しい分析が展開される。そしてこれに伴って社会体系と外部(外環境)、および所与の社会体系内部の下位体系内への相互交換過程(インプット──アウトプット分析)をかのうにする媒介メカニズムの研究、均衡回復過程、さらにはその緊張や葛藤の分析を通して変動過程さえもが考察されるようになるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,192-193P</p>
<p>「このようにみてくると,パースンズの理論は大きく発展しているが,その基本的な性格に於ては全く変化していないことが明かに成る。彼の理論の中心は依然として均衡理論である。最初に述べたように動態論の外に「構造変化論」が構想されているが両者の間には一義的な連続性はない。正に構造機能分析である。構造変化論についてはベラーの注目すべき分析があるが,次の機会に取扱いたい。第2はレベルの問題である。レベルの混同は第1モデルに於ても最も重要な問題点であったが,第2モデルに於てはシステムの4つの機能的問題の図式がミクロにもマクロにもそのままに適用されることに成った。「経済と社会」を貫く分析の手段はこれにつきる。然もシステム間或はそのサブシステム間の関連はインプットーアウトプットで単純に結びつけられているため、レベルの混同が著るしい。元来主意主義的行為理論の成立の基盤の1つであり,システム成立の条件であった筈の“principle of emergency&#8221;はすこぶるあいまいな、恣意的なものに成った。第3に彼の理論体系は結局のところ,構造一価値を条件にした分析である。然しこれをもってしては長期の変化は処理し得ない。価値体系の発展の論理が明かにされなければ理論体系は完成されない。「構造変化論」が問われなければならぬ。」</p>
<p>倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』,20P</p>
<p>「社会理論の最低限の使命として、社会変動(社会構造の変化)を説明できなくてはなりません。では、構造－機能分析によって、社会変動を説明できるのか。この理論で、社会の変動とは、どういうことを意味しているか考えてみるとよい。この論理の中で社会が変化するのは、機能的要件の内容が変わったときです。機能的要件が一定のままなら、社会変動は生じません。その社会システムのアイデンティティを規定してるような、評価基準が変わったとき、社会変動が起きるわけです。しかし、構造－機能分析には、社会システムの機能的要件がどのように変化するのかとか、どのように生成されるのかは、まったく視野に入っていないのです。だから、構造－機能分析は、社会変動を説明できない。社会の変化を説明できないということは、実は、そもそもホッブズ問題に答えられない、ということでもあります。構造－機能分析では、無秩序の中からひとつの社会秩序が生まれてくるメカニズム、社会の生成や変化を説明することはできません。」</p>
<p>「社会学史」,422P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc36">オープンシステムを通した社会変動の説明</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>オープンシステム</strong></span>：</big>・開かれたシステム、生きているシステムなどともいわれる。従来の社会システムが閉じたシステムであったのに対して、環境に対して開かれたシステムを社会学に取り入れたのがパーソンズだという。どこに対して開かれているのかというと、システム外の環境である。具体的には社会システム外の、文化システム、パーソナリティシステム、行動有機体などが想定されているという。さらにそれらのシステムはさらに外環境であるテリック・システムや物理ー科学システム等につながっていることが晩期では示されていく。システム外の環境とのインプット・アウトプットの交換を通じて環境に適応し、他方システム内の統合を維持するという相互に独立な二つの課題を果たさなければならないとされている。たとえば同じシステム間のインプット・アウトプット交換も同時に行い、それぞれの境界を維持し、機能要件を満たしていくという課題も存在する(境界相互交換)。</p>
</div>
<p>重要なのは、システムが環境に開かれているということであり、システム外とシステム内の相互交換を通じて、構造変動の条件になりうるということである。たとえば中野秀一郎さんは、外システムである文化システムと、社会システムが相互交換を行うケースを取り入れている。文化システムにおける価値は社会システムにおけるL次元の価値とは異なり、制度化されていない価値である。このような価値が社会システムに移植されることによって、やがて制度化され、構造全体に影響を与えていく、つまり変化させていくこともありうるという話である。</p>
<p>同じように、富永健一さんも「特定の社会構造が環境に対する適応能力を失った場合、新たな機能－構造の分化が生じ（社会システムの機能―構造変動）、それでも適応できない場合そのシステムは解体され、新たな機能要件を充足する構造の再構築が生じるという論理」を提唱している。</p>
<p>要するに、システムが開かれていることにより、外環境に影響を受けて構造が変動することもあるというわけである。たしかに感染症が流行るなどの外環境によって、人々の安定したパターンがガラリと変わることもありえる、とイメージしていけばわかりやすいかもしれない。え、こんなことで怒るの？というような予期できないパターンが多く生まれ、やがてそうしたパターンが制度化されて安定し、構造が変動し、機能要件を満たすようになるというわけである。マスクを付けることがあたりまえの構造に変化するようにである。</p>
<p>ただし、赤坂真人さんが言及しているように、パーソンズは晩期にいたるまで、常に「均衡」、つまり「構造の維持」に関心があった。構造がもし変動するとしたら、より適応能力を高めた状態、つまり「発展・進化」が前提とされている。キリンが飢えそうになり、適応能力を失っているときに、首を長くするように構造を変化して、環境に適応する能力を再度身につけていくようなイメージだろうか。もし人間も極寒の温度が続けば、体の構造が２５度で安定するように構造の変動が起こるかもしれない。</p>
<p>晩期になると「サイバネティクス」を取り入れて、嚮導要因として「文化」が大事だとパーソンズは主張するようになった。重要なのはどのようなきっかけで文化が変わるのかである。文化が変われば他の次元に影響を与えて、全体が変動していくという制御の論理は理解できる。しかしどのようなきっかけなのだろうか。適応能力を失ったときだろうか。それとも「偶然」だろうか。</p>
<p>パーソンズは「進化的普遍的要素(evolutionary universals)」を「ただ一回だけ出現するというよりもむしろ、異なる諸条件のもとに作動するさまざまな体系によって＜偶然発見され＞やすい進化を助長するのに十分重要ななんらかの組織的発達」と説明した。</p>
<p>たとえばウェーバーでいうと「プロテスタンティズムの倫理」は嚮導要因のひとつにあたるといえる。つまり、文化(宗教)が経済を制御し、経済が政治を制御し、政治が法を制御し、さらにそれらの価値が一般化していくような過程のように思える(つまり、近代化の嚮導要因として宗教革命が位置づけられるのではないかと思う)。しかしプロテスタンティズムの倫理を通して従来の倫理(カトリック)が変わったのはなぜだろうか。偶然だろうか。それとも環境が変化したからであろうか。たとえば人口が増え、科学技術が発達し、他の国との接触が増えたからだろうか。偶然かどうか判断することは難しい。ウェーバーがプロテスタンティズムの倫理の原因を中世、さらに古代ギリシャの合理性へと求めていったように、複数の因果関係が考えられる。何が偶然で、何が必然で、何が連続的な発展で、何が非連続的で、何が環境適応の結果で、何が非環境適応の結果なのか、正直私にはよくわからない。極端な話、じゃんけんで勝った人の文化を我が国では取り入れる！と特に社会的・環境的な文脈もない気まぐれで宣言し、偶然勝った人の文化がその国中で影響を与えるようになり、社会構造の変動が生じるというケースを考えれば、それは環境適応の結果といえるのだろうか。そうしたアブノーマルな、均衡非維持的、非連続的な発展ケースというものがサイバネティクスを取り入れたことで扱えるのだろうか。</p>
<p>ミクロの視点で言えば「意図せざる結果」かもしれないがマクロの視点で言えば「環境に適応するための結果」だったのかもしれない。もし偶然に生じた文化の変化によって社会全体が、つまり構造全体の変動が生じるとすれば、それは予定調和で自動的な成長(単なる機能の上昇)や均衡(構造維持)の実現ではなく、柔軟な構造変動の理論の要素をもっているとえる。偶然に生じた文化の変化というのは、ある意味では富永健一さんがいっていた「非連続的な発展」と考えていいのではないだろうか。つまり、1953年の時点では捉えきれていなかった「非連続的な発展」が、サイバネティクスの導入、サイバネティクス・コントロールの概念の導入によって視野に入ってきた、といったところだろうか。</p>
<blockquote>
<p>「社会システムの一般理論を模索したパーソンズは、＜生きているシステム＞に共通する構造・機能分化というより一般的な理論枠組みを基礎に、四機能図式にたどり着いた。そして、機能の概念を中心に、しかも人間の行為に特有な文化的コード（シンボル）を組み入れて、サブシステム間のアウトプットの交換として、そのダイナミズムを解読しようと試み(一般行為システム)、その同じ論理で社会システムの構造と機能を概念化したのである(社会システム)。留意すべきは、この発想の基礎に、システムと環境との相互作用(したがって、システムは常にオープンである)、およびそれとの関係で決まる内部構造の展開(機能分化)という考えがあることである。そこで、先に社会システムの下位システム間のアウトプット交換としたのも、基本的にはシステムと環境の関係の具体化にすぎない。というのも、経済下位システムを主たる準拠にすれば、残りのサブシステムはその環境と考えられるからである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,70P</p>
<p>「他方、機能は、よりダイナミックな展開を示す。それは、比較的安定した内的構造とシステム外部の不断に変化する環境的条件との媒介を司る。その結果として、構造の変革をも視野に入れることになるのである。大切な点は、社会システムの環境とは、それを取り囲んでいる物理的環境というよりは、より直接的には、行為の一般理論の他のサブシステム、すなわち(個々のメンバーの)人格、この人格の基底をなす行動有機体(生物としての人間)、そして文化である。これらは、社会システムのなかに常に十分制度化されているというわけではないので、構造変動の条件になりうる。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,74P</p>
<p>「パーソンズはモデルIの他に、一九五八年以降もう一つのモデルを提出している(図2)。彼によれば、オープン・システムは、システム外の環境とのインプット・アウトプットの交換を通じて環境に適応し、他方システム内の統合を維持するという相互に独立な二つの課題を果たさなければならない。このことから外的ー内的(external-internal)という軸を設定する。手段を準備する局面と、その手段を利用して課題を成就するという局面を区別して手段的―成就的(instrumental-consummatory)という軸を考える。これらの二つの軸を交差させて四つの機能問題を導出し、これに関してシステムの構造が分化すると仮定している。各次元の具体的内容あるいは名称は、モデルIをほぼそのまま継承している。」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」,14P</p>
<p>「&#8230;&#8230;パーソンズがホメオスタシス原理を社会システムに適用することに着眼したことの意義は,パーソンズ以前の社会学において行われていた第1種と第2種の社会システム・モデルが閉じたシステムであったのに対して,環境に対して開かれたシステム・モデル,すなわちここでわれわれが第3種のシステム・モデルとして位置づけたくシステムー環境のモデル〉を社会学にはじめて導入することを可能にした」11)という。しかしながら、ホメオスタシス原理に囚われていたので,「ホメオスタシス・テーゼは,本来的に構造変動のないシステムについて構築された理論である」が故に,「結果として、社会システムが構造変動にいたる過程を理論化することを断念せざるをえないという,大きな代償を支払わねばならなかった」のであると言う。先に紹介した『社会システム論』(1951)における「社会システムの変動の諸過程についての一般理論は,現在の知識の状態では、不可能である」というパーソンズの断定の背景には、このような学説史上の経緯があったのである。」</p>
<p>千石好郎「T・パーソンズの社会変動論と近代論」,224P</p>
<p>「後にこの点をめぐって、①パーソンズの社会システム論はシステムの構造維持に偏っており、社会変動が説明できない、②均衡を重視するあまりシステム内部におけるさまざまな葛藤・闘争を無視しているといった批判がなされた。しかしこれらの批判はパーソンズの社会システム理論にさしたるダメージを与えることができなかった。というのも社会変動は、特定の社会構造が環境に対する適応能力を失った場合、新たな機能－構造の分化が生じ（社会システムの機能―構造変動）、それでも適応できない場合そのシステムは解体され、新たな機能要件を充足する構造の再構築が生じるという論理で説明が可能だからだ。（１３）それによって当該社会システムは、環境に対するより高度な適応能力を獲得する。パーソンズはこの適応能力の高度化を社会システムの進化ととらえた。しかしここでもいぜんとして議論の核心が「社会システムの構造維持」におかれていることに注意しなければならない。」</p>
<p>赤坂真人「パーソンズ以降における社会システム理論の展開」,5P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc37">目的論的(論点先取り、トートロジー)であるという批判に対してパーソンズはどのような反論をしているか</span></h4>
<p>たとえばキャノンのホメオスタシスの分析は、高等な有機体では体温が一定に保たれるという観察結果(事実)から出発するが、もちろんその次のステップは、なぜ恒常的な体温が維持されるのかというメカニズムの解明であり、それは目的論的な問いではない、と反論している。</p>
<p>→ただし、これは社会の均衡に同じように当てはめていいのか、という問題も出てくる</p>
<p>1958年の「境界相互交換」や1966年以降の「サイバネティクス・コントロール」などで積極的に「社会変動」を扱うようになっていく。サイバネティクスの考えを通じて、変動を導く論理、嚮導として情報量の高いものからの制御を考えていく(社会システムでいえばL次元から変化することで社会変動が生じていく)。ただし、パーソンズの関心は後期においてもシステムの「均衡・維持」にあり、変動を「適応」して「進化」していく過程だと捉えている。そのため、保守的だと批判されることがある。</p>
<p>しかし、共有価値というものがどうやらあるぞ、というのは事実なわけです。パーソンズは以下のように釈明しています。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズは次のように釈明している。たとえば、キャノンのホメオタシスの分析は、高等な有機体では体温が一定に保たれるという観察結果(事実)から出発するが、もちろんその次のステップは、なぜ恒常的な体温が維持されるのかというメカニズムの解明である。そして、これは決して目的論的な問いではない。」</p>
<p>中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』72P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc38">構造機能主義と機能構造主義の違い</span></h4>
<p>・パーソンズの構造-機能主義とルーマンの機能-構造主義の違い：<b>論理上の後先の問題</b></p>
<p>パーソンズの<b>構造-機能主義</b>：システムには機能的要件という満たされなければいけない(<b>四つの、代替不可能な</b>)目的があり、その目的を満たすような構造が選ばれるという論理。社会システムがNOと機能評価すれば構造が変わり、YESと評価すれば構造が維持されていく。パーソンズ中期では構造が先に定義されて、その構造の特性として機能が定義されていた。<b>まず構造ありき</b>で、そのあとに機能が特定できる。パーソンズは後に、マートンとの議論を通し、<b>まず機能ありき</b>という発想に変わっていき、自らを「機能分析」と名乗るようになっていく。まず「機能要件」ありきで、機能との関係で構造が決定され、変動していく。</p>
<p>ルーマンの<b>機能-構造主義</b>：構造という形で因果関係を特定できるのは、それ以前に機能的視点が与えられてからであるという発想。<b>まず機能ありき</b>で、そのあとに構造が特定できる。ある機能を満たすためにはどのような構造が必要なのか、同じような選択肢があるのか、と考えていく。</p>
<p>　ルーマンは同じ機能を果たしうるさまざまな構造がありうるということを示すということに関心がある。<b>機能的等価物</b>の発見を目指している。四機能的要件だけが社会秩序のために必要不可欠である、と固定的に考えるのではなく、この機能でもいいんじゃないか、代わりがきくのではないか、この構造のこの機能産出でもいいんじゃないか、と考えていく。たとえば安全保障という目的のためには、同盟を結ぶという手段もあれば、自国を強化するという手段もあり、機能的に等価といえるものがあるといえる。等価な原因可能性を並列させ、比較することが機能分析。Aという原因だけではなく、B、Cという原因でもありえた、という偶有可能性が見えた時、理解につながると考えていく。ルーマンの定式化では機能分析とは「<b>ある限定化された形での比較の領域を開くこと</b>」である。</p>
<blockquote>
<p>「例えば『機能構造主義』でいえば、パーソンズの理論では、構造が先に定義されて、その構造の特性として機能が定義される。それに対して、ルーマンの方法では、構造という形で因果関係を同定できるのは、それ以前に機能的視点があたえられているからである。『構造機能主義』か『機能構造主義』かは、その論理上の後先を表現したものだ。ルーマンの考え方がわかっていれば、ごく自然な言葉づかいである。」</p>
<p>「社会学の方法」,303P</p>
<p>「構造－機能主義とは、先に説明したとおり、システムには『機能的要件』という満たされなければならない目的があって、その目的を満たすような構造が選ばれる、とする論理です。機能－構造主義は、この論法を逆手にとるのです。満たすべきある機能要件があるとする。その同じ機能的要件を満たすのに、他にどのような選択肢があるのか、どのような構造が他にありうるのか、を開示するために機能という概念を活用するわけです。たとえば、ある国の安全保障が目的だとする。その目的を果たすためには、強国と軍事同盟を結ぶという手もあるし、自国の軍備の強化という手もあるかもしれないし、周辺国との平和条約の締結という手もあるかもしれない。機能的に等価なさまざまな選択肢がある。」</p>
<p>「社会学史」,562-563P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc39">構造とシステムの違いについて整理</span></h3>
<p>Q　構造とシステムは同じなのか    A　構造はシステムとは異なる概念。</p>
<p>（１）システムは「構成要素やサブシステムの相互作用、相互関係からなるひとつのまとまりであり、境界を維持していく能力をもっている」</p>
<p>（２）構造は、構成要素やサブシステムの相互作用のうち、特に変化しやすいものを除いた恒常的な部分。</p>
<p>（３）機能は、構成要素やサブシステムの相互作用のうち、特に変化しにくいものを除いた一時的な部分。</p>
<p>→システムは構造＋機能からなっていて、構造は機能を担っている。AGILはそれぞれサブ構造であり、それぞれの構造はそれぞれの機能を担っている。</p>
<p>構造－機能主義とは、社会の基本単位を「<b>相互作用</b>」とし、相互作用の集まりを「システム」と名付け、その全体の挙動を構造と機能で近似できるとしたもの。ただし「境界維持システム」については積極的に説明されていないという。システムは「単なる相互作用の集まりのシステム」ではなく、「境界維持システム」でもあるという。この問題は「二重定義」だといわれ、批判されている。つまり、システムがシステムを維持しているという構造であり、社会が社会をつくっているという構造になる。こういう発想をサイバネティクスでは<b>自己組織化</b>という。外からの司令(制御)なしに、自律的に秩序が形成される現象のことを意味する。この発想はルーマンのオートポイエティックシステムへとつながっていく。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/42cd42a301fe966bfed67e93e5cb8dfe.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2661" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/42cd42a301fe966bfed67e93e5cb8dfe.png" alt="" width="1065" height="283" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/42cd42a301fe966bfed67e93e5cb8dfe.png 1065w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/42cd42a301fe966bfed67e93e5cb8dfe-800x213.png 800w" sizes="(max-width: 1065px) 100vw, 1065px" /></a></p>
<p>構造は設計図で、設計図通りに機能が産出されている状態が社会状態というイメージ。さらに、その社会状態が機能評価によって制御されている。設計図通りに部品を生産しているけど、この方法だと国民が飢えてしまうよね、と評価されれば設計図が変わるというイメージ。構造が機能を司るのと同様に、機能も構造を司っている。構造が何かというより、機能しているかという点に重点が置かれている。※イメージ</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/0f061b31e48780c6d9af8f9ee996263a.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2662" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/0f061b31e48780c6d9af8f9ee996263a.png" alt="" width="1160" height="535" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/0f061b31e48780c6d9af8f9ee996263a.png 1160w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/0f061b31e48780c6d9af8f9ee996263a-800x369.png 800w" sizes="(max-width: 1160px) 100vw, 1160px" /></a></p>
<p>全体構造がサブ構造に分化するイメージの図。人間の体が心臓は血液の循環という役割をもち、目は獲物を捉えるという役割をもっているように見えるのと同様に、社会も複数の構造に分かれ、それぞれの機能を産出するという役割に分かれる。そしてその機能はどれでもいいというわけではなく、それぞれ４つの目的、必要不可欠な機能要件をもっているとされ、<b>四つの機能にそって構造が分化する</b>とされる。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/95ac04384c67870cdf647b8b0fed6f8b.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2663" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/95ac04384c67870cdf647b8b0fed6f8b.png" alt="" width="1031" height="789" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/95ac04384c67870cdf647b8b0fed6f8b.png 1031w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/95ac04384c67870cdf647b8b0fed6f8b-800x612.png 800w" sizes="(max-width: 1031px) 100vw, 1031px" /></a></p>
<p>全体のシステムとサブシステムのイメージ。</p>
<p>・「分化した構造」と「分化した機能」の両方を合わせて「分化したシステム」が構成されている、と考えるとわかりやすい。全体システムは「分化した構造と分化した機能」(まとめてサブシステムという)に分化し、さらに分化した構造と分化した機能はお互いに相互補完的な状態にある。構造の維持のために機能が貢献しているというイメージ。中期では同列の水準に構造と機能がおかれ、後期では機能がより上位の水準におかれるようになり、機能による構造の制御と説明されるようになった。構造が実体としてなにかあり、そのために機能が貢献するのではなく、機能がまず先にあり、機能によって構造が決定、変化していくという発想に変わる。</p>
<p>四つの分化した構造がある、という視点を向ければ、安定したパターンが見つかることがある。たとえば日本では上下関係に厳しいという比較的安定したパターン、構造がA次元で見つかるかもしれない。アメリカではコネよりも能力にこだわるという安定したパターン、構造がA次元で見つかるかもしれない。</p>
<p>ただし、それらの分化した構造は同時に機能を担うものであり、生産物をアウトプットしながら他のサブシステム(AからGへなど)や他のシステム(社会システム以外のシステム)と相互交換を行っている。つまり、相対的に不変的な構造と、変化していく機能がセットになってサブシステムが構成されていて、その四つのサブシステムからなる全体システムが社会システムであるといえる。たとえば自然災害(社会システム以外のシステム)によって国内の生産が難しくなれば、外国との輸出入を通して、A次元が機能していくようになるかもしれない(社会システムの中の過程が変動していく。機能要件さえ満たせば産出する機能自体が変動してもいい)。</p>
<blockquote>
<p>「「構造」とシステムは異なる概念である。システムとは、「相互に関係をもつ構成要素からなるひとまとまりの全体であり、その全体はその環境に対して、境界を維持してゆく能力を持つ」と定義すると、構造とは「システムの部分、構成要素、あるいはそれらの相互の関係のうちで、変化しやすいものを除いた定常的な部分、構成要素、相互関係のこと」である。「構造」概念は、「システム」概念よりも古くから使われてきた。「構造」の概念には二つの意味がある。友枝敏雄らによると、一つは複数の「地位-役割」間の関係および社会資源配分の定型化されたパターンを指し、他の一つは、これらの「地位-役割」間関係その他の定型化されたパターンを生み出す原理あるいは規則を意味する。たとえば、企業内であれば、組織内の「地位-役割」の配置によって、相互行為は、ある程度パターン化されている。伝統社会においては、伝統および慣習によって、人々の相互行為はパターン化されている。これらのパターン化された相互行為のまとまったものを「構造」と呼ぶ。これが第一の意味である。第一の意味の構造を産出する原理、規則あるいは規範を第二の意味で「構造」と呼ぶことがある。たとえば、わが国には年功序列の規範があり、近代社会には平等主義、普遍主義、業績主義の規範がある。社会システムの構造の二側面のうち、前者を「パターンとしての構造」と呼び、後者を「規則としての構造」と呼ぶことがある（友枝敏雄1998:7-8頁）。パーソンズの場合は、これらの二つの意味を区別しないで、「定常的なもの」を構造と呼んでいる。ギデンズの「構造化理論」に見られる「構造」は第二の「規則としての構造」を指していると思われる。」</p>
<p>溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開－T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題－」,30P</p>
<p>「まず、社会構造がある。その社会構造のもとで、特定の社会が実現するわけです。これを、あまり使う言葉ではありませんが、『社会状態』と言う。どのようなイメージか。会社にたとえて言うと、会社には組織図がありますね。これが『社会構造』です。その通りに人員を配置し、それぞれの人が役割を果たすと、会社としての動きが起きる。それが『社会状態』(社会システムの状態)」。</p>
<p>「社会学史」,408P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc40">Qなぜ機能が構造より変動的なのか</span></h3>
<p>A機能は他のシステム(外環境)との媒介を司っているから</p>
<p>社会システムの環境は主に他の文化システム、行動有機体、パーソナリティシステムなどである。</p>
<p>例：江戸時代の日本では、外国の文化が一部では取り入れられながらも、多くが「制度化」まではされていなかった。しかし、文化システムが社会システムの機能を通じて移植される場合もある。たとえば近代化の過程でさまざまな文化を日本は外国からとりいれて、自らの文化として制度化していったといえる。卑近な例でいえば、12月のクリスマスにケーキを食べるというパターンは元々日本がもっていたものではなく、海外において元々制度化されていた文化が移植されたものである(え？クリスマスなのに一人なの？と後ろ指をさされるのも制裁の一つなのかもしれない)。こうした移植は文化システムから社会システムへの移入であり、機能が外環境との媒介を通して変動していく過程だといえる。もちろん、こうした移入を通して全体構造が変動する場合もありえるし、サブ構造だけ、システム過程だけが変動する場合もありえる。</p>
<p>例：日本は近代化を通して、コネよりも業績を重視しよう、という構造に変動してきたともいえる(最近では終身雇用という構造が維持されなくなり、成果主義に移ってきたというのもわかりやすいかもしれない)。システム外の環境、たとえば他の国は成果主義を通して成長していき、このままでは日本は遅れていき、輸出量が減ってしまい、社会システムを維持できなくなる可能性がある。そういうときに、社会構造をもとにした社会状態に対して、機能評価としてNOがつきつけられ、構造が変動していくこともありえるというわけである。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/1b3aa5be2f0015cf0b777284697503c9.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2664" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/1b3aa5be2f0015cf0b777284697503c9.png" alt="" width="685" height="445" /></a></p>
<p>媒介のイメージ図</p>
<blockquote>
<p>「次いで、この構造と可変的でかつ動的な要素である変数とを関連づける作業(＝機能分析)がそれである。したがって構造＝機能分析は、その手続き上、構造分析が機能分析に先行していることが分る。また、そこで『機能』とは、体系の構造に対する変数の機能のことであり、それは構造維持、すなわち体系の維持に貢献するか否か、という観点でとらえられている。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,160P</p>
<p>「他方、機能は、よりダイナミックな展開を示す。それは、比較的安定した内的構造とシステム外部の不断に変化する環境的条件との媒介を司る。その結果として、構造の変革をも視野に入れることになるのである。大切な点は、社会システムの環境とは、それを取り囲んでいる物理的環境というよりは、より直接的には、行為の一般理論の他のサブシステム、すなわち(個々のメンバーの)人格、この人格の基底をなす行動有機体(生物としての人間)、そして文化である。これらは、社会システムのなかに常に十分制度化されているというわけではないので、構造変動の条件になりうる。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,74P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc41">サイバネティクスと社会変動</span></h3>
<h4><span id="toc42">サイバネティクスとは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>サイバネティクス(cybernetics)</strong></span>：</big>・アメリカの数学者ウィーナーが創始した、通信理論や情報処理理論に基づいて物理現象や社会現象などを扱おうとする科学のこと。ある状況で、制御可能な変数と制御不可能な変数があるとき、制御可能なものを変化させることで状況をより良いものにし、目標を達成させる方法であると定義される。</p>
</div>
<p>・一般に、人間の持つコントロール機能と、それらの機能の代用するべく作られた機能とを研究する学問。より広義には、メッセージ、情報交換、コミュニケーションの科学。例えば家屋の自動温度調整システムなどはフィードバック制御を利用している。例：エアコンで設定した設定温度(目標値)と実際の室温(出力値)を比較して、温度に差があれば、その温度の差分を入力値へ反映させることで室温が設定温度(目標値)になるようにフィードバック制御されているらしい。</p>
<blockquote>
<p>「アメリカの数学者ウィーナーが創始した、通信理論や情報処理理論に基づいて物理現象や社会現象などを扱おうとする科学のこと。ある状況で、制御可能な変数と制御不可能な変数があるとき、制御可能なものを変化させることで状況をより良いものにし、目標を達成させる方法であると定義される。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,143P</p>
<p>「人間の持つコントロール機能と、それらの機能の代用するべく作られた機能とを研究する学問。より広義には、メッセージ、情報交換、コミュニケーションの科学。」</p>
<p>「デカルトからベイトソンへ」418P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc43">サイバネティクスを取り入れた社会変動</span></h4>
<p>・後期(1966~)のパーソンズはホメオスタシスにくわえて、「サイバネティクス」を自分の理論に応用させていく(構造機能分析③と仮に定義する)</p>
<p>→パーソンズはサイバネティクスをとりいれることによって、より積極的に社会変動の説明を行うようになった。</p>
<p>→機能分化、システム構造の再編成といった構造の「変化」を方向づける「<b>嚮導原理</b>」はなにかがポイントになる。※嚮導(きょうどう)とは道案内のこと。要するに構造変化を導くものを説明できれば、社会そのものの構造変化を説明できることになる。詳細はサイバネティック・コントロールの項目で説明。</p>
<h4><span id="toc44">サイバネティック・コントロールとはなにか</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>サイバネティック・コントロール</strong></span>：</big>・情報量は多いがエネルギーが低いものが、情報量は少ないがエネルギーが高いものをコントロールすると考えられている。サイバネティクスの基本的な考えは「制御可能なものを変化させることで状況をより良いもの」にすること。制御とはいわゆる「コントロール」のことである。</p>
</div>
<p>　生物学でいえば、エネルギーは低いが情報量が多いものがDNAである。髪の毛一本からクローンを再生できるイメージをすればわかりやすい。行為システムでいえば、情報量が高いものを順に並べると、文化システム、社会システム、パーソナリティシステム、行動有機体となる。つまり、文化システムは社会体系を制御し、社会システムはパーソナリティシステムを制御し、パーソナリティシステムは行動有機体を制御するという秩序関係、階統制(<b>サイバネティック・ハイアラーキー</b>という)がある。一方で、エネルギーが高いものはエネルギーが低いものを「<b>条件付ける</b>」という。</p>
<p>同様に、社会システム内でもL、I、G、Aの順に制御されていく。つまり、社会システム内で最初に社会変動を導くものは「パターン維持・緊張の処理(L)」の次元であるとされている。</p>
<p>AGIL図式は晩年にはLIGA図式と言われるようになったが、それはサイバネティック・コントロールの制御の順番がL→I→G→Aだからである。</p>
<p>→社会変動は、まず情報量が高い「L(潜在的パターン維持、緊張処理)」が変化することによって、他のシステムへと制御へとつながり、全体のシステムを変化させていくことが想定されている。つまり、社会変動の規定要因として価値要素が最も重くみられている。文化が変われば法律が変わり、法律がかわれば政治も変わり、そして経済も変わるようなイメージである。</p>
<p>→パーソンズのこうした価値要素偏重主義的な考え方は批判されることがある。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/9276fd5974c16b992dc99cc9fb58df00-2.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2665" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/9276fd5974c16b992dc99cc9fb58df00-2.png" alt="" width="745" height="619" /></a></p>
<p>図にするとこのような感じ。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズは、ここで生物学や行動科学の領域で新たに展開してくる『制御の理論』、サイバネティクスに注目する。行為の一般的準拠枠では、現実に行動するのは(中枢神経系の制御によって体を使いながら環境に適応している)行動有機体である。しかし、それはランダムな行動をするのではなく、(文化要素を内面化して形成されている)人格(パーソナリティ)システムの統制下にある(のが普通である)。この人格(社会システムの構成員のそれぞれ)は、今度は社会(システム)の制御を受けるが、その社会システムは文化(システム)の制御に服するのである。これが、パーソンズの考えた広義の行為体系におけるサイバネティック・コントロールである。すなわち、情報量大なるものがエネルギー量大なるものをコントロールする。こうしてパーソンズは四機能図式に基づく一般行為システム論や社会システム論にサイバネティクスを結合させたのであった。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」,75P</p>
<p>「さらに、一九六六年の『諸社会──進化論的・比較論的視点』では人間行為を行動有機体、パーソナリティ、社会体系および文化体系の四つに分けるパラダイムを展開し、これら四社の相互関係を確定する過程で、行動有機体・パーソナリティ・文化体系を『外環境』とする社会体系の分析を行う。同時に、これら四者よりなる人間行為全体が『物理的環境』と『究極的現実』という『外環境』に適応するシステムとしても概念化される。そして社会システム論においては、その変動過程を明らかにするために、『分化』、『適応的上昇』、『統合』、『価値の一般化』などの概念が導入されて進化論的な変動論が展開されるとともに、行為体系全体の秩序付けのメカニズムとして『サイバネティックな秩序関係』という考え方が取り入れられるのである。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,193P</p>
<p>「システム概念もまた、W・バックレイが指摘しているように、今日では均衡を指向する機械システム、恒常性維持を指向する有機体システム、さらには構造生成メカニズムを内包する社会・文化的システムというように区別され、初期における機械的、有機体系のアナロジーを超えて、今日社会体系論の基底にあるものは系内的・系外的適応諸過程の中で『自らを組織化する系』(自己組織型)あるいはサイバネティック・メカニズムを組み込んだ動態的なシステム概念を想定すべきであるという認識が一般化している。従って、これまで構造──機能分析に対して投げられてきた『現状維持的で、変動論が欠如している』という批判はもはや往時の妥当性をもたなくなっている。明らかにパーソンズが最近到達した行為体系論もこの水準に到達していると考えてよかろう。パーソンズが到達した『境界相互交換のモデル』は、ブラウやホマンズたちの試みている《社会交換論》と、その進め方との違いはあれ、共通な発想を含んでいる。」</p>
<p>「社会学のあゆみ」,194P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc45">社会進化論</span></h3>
<p>・パーソンズは中期ではホメオスタシスの影響を受け、有機体的なアナロジーの域にすぎなかった。つまり、体温が均衡状態を維持するように、社会の秩序も基本的に社会化や社会統制、四機能によって均衡状態に至ることが前提とされていた傾向がある。</p>
<p>・パーソンズ後期ではサイバネティクスの影響を受け、社会変動も積極的に扱うようになる。</p>
<p>たとえば社会の発展段階を「<b>原始社会、中間社会、近代社会</b>」と区分し、発展段階(社会変動)を扱っている。ここでは発展や進化、適応の上昇過程が「変動」とみなされる。</p>
<p>社会変動の３つのポイント</p>
<p>（１）システムの諸要素がさらに分化し、機能的相互依存が高まる</p>
<p>（２）分化した諸要素を統合する新しいメカニズムが発展する</p>
<p>（３）環境に対するシステムの適応機能が上昇する</p>
<p>社会の発展要因として、パーソンズは進化を可能にする要件として「<b>普遍的進化的要素</b>」というものを考えた。社会階層、文化的正当性、官僚制組織、貨幣及び市場、一般化された普遍的規範、民主的アソシエーションの６つがあるとされている。例えば原始社会から中間社会へ至る際の「普遍的進化的要素」は「社会階層と文化的正当性」の２つだと考えられている。たとえば文化的正当性では紀元前４世紀頃の世界宗教やギリシャ哲学が念頭におかれている。原始社会は読み書きすらできていない段階のイメージ。残りの４つが中間社会から近代社会へ至る際の要素である。</p>
<p>たとえば貨幣及び市場はA次元の発展、官僚制組織はG次元の発展、一般化された普遍的規範はI次元の発展、民主的アソシエーションはL次元の発展と捉えることができる。</p>
<p>・分化、適応的上昇、包括、価値の一般化という４つの「過程(段階)」によって社会は変動(進化)していくとされている。</p>
<p>適応機能(A)の発展過程が「適応的上昇」であり、目的達成(G)の発展過程が「機能分化(専門分化)」であり、統合機能(I)の発展過程が「包括」であり、パターン維持(L)の発展過程が「価値の一般化」である。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/7d0da2ec376daa363424ce582da01b40-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2666" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/7d0da2ec376daa363424ce582da01b40-1.png" alt="" width="485" height="311" /></a></p>
<p>この表をみると、機能と構造、過程の関係がわかりやすい。たとえば統合という機能を可能にするような構造として規範が選ばれ、さらに規範は包括という過程がある、というように考えていく。たとえば社会が複雑になるにつれて、「みんな仲良くしようよ」という機能のために「鉄拳制裁」という単純な構造では好ましくなくなり、「平等の法律」という構造が選ばれるようになり、そうした構造の発展過程は「包括」であるといえる。「目標達成」のために「とりあえず貴族や地主が兼任して政治家にもなろうよ」という構造から、「政治の能力がある専門家がなろうよ」という構造に変化していく過程を「機能分化」と捉えることができる。ウェーバーで言うところの「職業政治家」は近代になってはじめて多くでてきている。</p>
<p>発展過程としては分化、適応的上昇、包摂、価値の一般化の順番で進んでいくらしい。</p>
<p>たとえば家族と企業組織が分化すれば、生産力が上がり、適応的上昇が生じる。そして分化によって社会を統合する必要が生じ、包摂の過程になる。さらに統合のメカニズムが正当性を獲得することで、価値の一般化がされていく。</p>
<p>重要なのは、社会の機能が分化するだけ、複雑になるだけでは社会変動が完了したとはいえず、そうした分化が「<b>包摂</b>(統合)」され、最終的には「<b>価値の一般化</b>」がされる必要があるということ。</p>
<p>→「文化」が一番重要になる。L次元が他の次元を制御出来ないとシステムは均衡せず、他の次元が複雑化して適応能力が上がったとしても、構造は安定しない。</p>
<p>具体的に言えば、「分業はあたりまえだよね」、「能力第一だよね」、「官僚制は合理的だよね」、「政治参加は権利だよね」というような価値感が人々に浸透しない限り(パターンの維持がなされない限り)、相互行為の期待は一致せず、したがって社会の均衡、秩序も弱くなってしまう。サイバネティクスでは文化の次元が他の次元を制御していくと考えていく。たとえば教育によって、「政治参加は権利、男女平等、分業制度は合理的」というのを徹底的に教えていくイメージ。</p>
<p>目標の達成にはA→G→I→Lという位相になるが、実際に社会の安定の過程、制御の過程としてはL→I→G→Aという流れが必要になるというイメージ。情報が少ないものは情報が多いものを条件付、情報の多いものは情報の少ないものを制御するという関係、両方の流れによって社会が成り立っている。国民を飢えさせないために分業体制が効率的だとしても、分業によって国民同士の関係がピリついて、アノミー(無秩序)になっては社会が成り立たない。分業は効率的で、効率的に仕事をすることは善いことなんだ、というような文化が土台にあると価値の一般化が行われ、政治に権威づけがされ、政治によって経済を制御しやすくなるイメージ。</p>
<p>たとえば近代化の具体的な分析において、パーソンズは近代化の成功は「道具的活動主義の価値が優位を占める文化的風土から生まれる」と述べている。</p>
<p>他にも、18世紀以降の産業革命、民主革命、教育革命の前提として、17世紀に北西ヨーロッパでそれらの革命を可能にする宗教的、文化的、政治的、法的基盤が成立していたという(16世紀からはじまる宗教革命が念頭に置かれているのだろうか)。つまりこれらの情報量の高い要素が、情報量の低い経済や政治に変化を促し、統合過程、教育によって統合に権威をもたせる価値の一般化の過程が必要になる、というのがざっくりとした流れのイメージ。ウェーバーが資本主義の発展の要因のひとつとして「エートス」を、デュルケムが統合の要因として「宗教的な熱狂、集合的沸騰」を挙げたのも「文化」の重要性が見えてくる。</p>
<blockquote>
<p>「後期パーソンズの社会変動論は、初期パーソンズが＜殺した＞スペンサーの進化論にもう一度戻るものだといわれるが、実際は、デュルケームの影響がより強いのである。サイバネティクスの考え方が全面的に取り入れられているものもその特徴である。パーソンズは、システムの攪乱や変動は、エネルギー的条件と（あるいは）、情報による制御の障碍によると考える。それによって、社会システムの進化(変動)過程は次のような三つの特徴を示す。第一は、システムの諸要素がさらなる分化を遂げて、機能的相互依存が高まる。第二に、こうしてより分化した諸要素を統合する新しいメカニズムが発展する。第三に、これによって環境に対するシステムの適応機能が上昇する。&#8230;..基本的には、社会的共同体と分化がともにさらなる分化を遂げることから、新しい統合の問題が生まれる。社会変動はこれを反映したものである。情報制御の観点から、パーソンズはこの変動を、文化によって導かれるものだと理解するが、それが同時により下位のレベルにある物的必要を制御していくのである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」83-84P</p>
<p>「基本的には、社会共同体と文化がともにさらなる分化を遂げることから、新しい統合の問題が生まれる。社会変動はこれを反映したものである。情報制御の観点から、パーソンズはこの変動を、文化によって導かれるものと理解するが、それが同時により下位のレベルにある物的必要を制御していくのである。具体的に見てみよう。近代西洋社会の発展を跡づけて、パーソンズは三つの重要な＜革命＞を可能にする、宗教的、文化的、政治的、法的(すなわち、情報的)基盤が成立したという。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」84P</p>
<p>「パーソンズの進化論的社会変動論は、より分析的には、分化、適応的上昇、包摂、価値の一般化という四段階を経て一サイクルが完結する。未分化な古い形の家族が、近代的な家族と企業組織に分化し、その結果、たとえば企業の生産性が上がるという形でシステムの適応機能が上昇する。しかし、こうして分化し、自立性の高くなった下位グループを規範的な枠組みのなかで統合するという新たな統合問題に応えて、新しい統合メカニズムが求められる(包摂)。そして、それが新たな正当性を獲得するのである(価値の一般化)。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」85P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc46">時系列の整理、前提知識の整理</span></h2>
<h3><span id="toc47">初期パーソンズ(1937年~1950年)</span></h3>
<p>要旨：秩序問題を「<b>共通価値統合</b>」で解決する</p>
<p><b>秩序問題</b>(ホッブズ的秩序問題):社会秩序はなぜ可能なのか</p>
<p><b>共通価値</b>：あらゆる社会の行為者に共通する価値。究極的価値。人間は共通価値へ志向する生き物であるとパーソンズは考えた。ある集合体に共通して望ましいと思われているような要素を規範的要素という。</p>
<p><b>共通価値統合</b>：・個々の行為が社会的規範や価値の共有によって規制されていて、社会のまとまり、秩序が形成されている状態のこと。社会的規範は赤信号だと止まる、優先席を譲るというような具体的なもので、価値は平和などの抽象的なイメージ。</p>
<p><b>規範的志向</b>：人間は諸刺激に単に反応するだけではなく、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとすることに関心があるというもの。</p>
<p>・『社会的行為の構造』(1937年)：ホッブズ的秩序問題、共通価値統合、規範的志向、分析的リアリズム、主意主義的行為理論、行為の準拠枠(触りだけ)、究極的目的と究極的手段の図を展開。</p>
<p>１：主に功利主義的行為理論、実証主義的行為理論、理想主義的行為理論への批判と、彼らを乗り越えようとした4人の学者の紹介。</p>
<p>２：マーシャル、パレート、デュルケム、ウェーバーなどを紹介しながら、彼らの良いところを自分の理論に取り入れ、収斂(しゅうれん)させていく。</p>
<p>３：<b>主意主義的行為理論</b>とは既存の行為理論の問題点を改善し、新しい行為理論を作り上げようとしたもの</p>
<p>４：パーソンズは主意主義的行為理論によって<b>ホッブズ的秩序問題</b>(自然状態、つまり国家、社会、文化などがない原子論的個人の集まりからいかにして社会秩序は成り立つのか)が解決できると考えた。</p>
<p>５：個人の集まりというのは複数の行為者からなる<b>システム</b>の問題である。個人の集まりが<b>創発的特性</b>を生みだし、さらにこの創発的特性が価値や規範となり、この価値規範(コンフリクトを生み出さないような相互に調和的な価値)が個人を規制するようになる。こういうわけで社会に秩序が形成されることになる。このような秩序の状態を「<b>共通価値統合状態</b>」という。それゆえに、「万人の万人に対する闘争」は発生しない。</p>
<p>６：一方で、単位行為においてすでに要素として規範がある。この単位行為においてすでに規範があるということはいろいろと批判がされている。つまり個人の集まりによって創発的特性が生み出されるはずなのに、そのメカニズムを説明せず、個人の段階で創発的特性である価値がすでに個人を規制している。これを論点先取り、アプリオリ(経験や事実に先立つ条件)的、トートロジーなどと批判されることがある。アレクサンダーがいうところの個人主義のジレンマである(個人主義的に、個人の主体性や創造性、自由を重視して社会秩序を考えた結果、超経験的なもの(アプリオリ的なもの)を前提とせざるをえなくなり、結果として個人主義的立場を維持できなくなること)。</p>
<h3><span id="toc48">中期パーソンズ(1951年~1965年)</span></h3>
<p>要旨(1)：秩序問題を「<b>制度的統合</b>(<b>社会化</b>と<b>社会統制</b>)」で解決する</p>
<p>要旨(２)秩序問題を「<b>AGIL図式</b>の充足」で解決する。「社会化」は「L次元」に吸収されている。「社会統制」は「I次元」に吸収されている。AGIL図式の説明は後述する。</p>
<p>要旨(３)他の次元、「A次元」と「G次元」は社会学の固有の対象ではなく、<b>「I」次元と「L」次元が社会学の固有の対象である</b>と主張。つまりAやGは経済学や政治学が扱う分野であり、パーソンズの社会システム論は「<b>社会学と他の学問をつなげるためのもの</b>」であると考えることができる(当時社会学の地位は他の経済学などに比べて低かったという背景もある)。社会理論だけではなく、経済理論などを含めた一般理論の構築が目標となる。</p>
<p>・『社会体系論』(1951)：システム論(パーソナリティシステム、社会システム、文化システム)、機能構造分析、役割、期待の相補性、ダブルコンティンジェンシー(二重の条件依存性)、価値の共有、行為の準拠枠(価値志向と動機志向　行為者──状況図式等)。</p>
<p>・『行為の総合理論をめざして』(1951)制度化と内面化。</p>
<p>・『価値・動機・行為体系(1951年)』：５つのパターン変数</p>
<p>・『行為理論の作業論文集』(1953)：AGIL図式の作成。４つのパターン変数に絞られる。ベールズとの共著。</p>
<p>・『General theory in Sociology（社会学における一般理論）』(1958)  モデル２のAGIL図式がはじめて出る</p>
<p>・『経済と社会──経済学理論と社会学理論の統合の研究─』(1958) 社会統制がI次元に吸収されていることを言及。シルズとの共著。相互交換過程、境界相互交換のモデルがAGIL図式に付け加えられる。</p>
<p>・『Sociology Today』(1959)や『American Socialogical Review』(1960)で「パターン変数」と「行為の関係枠(AGIL図式)」を再度接続させる。</p>
<p>・『Theory of Society』(1961) 社会化がL次元に吸収されていることを言及。</p>
<p>・行為理論から体系理論に関心や力点が移ったのが中期以降とされている。前期を主意主義的だとすれば、中期以降は規範主義的、実証主義的だとされる。個人の主体性が弱まり、ガーフィンケルがいうところの「判断力の麻痺した人間」と批判されるようになる。</p>
<p>・中期は個人の行為や主体性というより、個人を動機づけるもの(価値・規範)に重点が置かれている。</p>
<p>POINT：1937年の「共通価値統合」をさらに発展させ、「制度的統合」という概念を考えた</p>
<p>POINT：「秩序問題(社会的秩序はいかにして可能か)」を「システムの存続可能性の問題」と捉え直し、その機能的要件をAGIL図式としてまとめた(1953)。ただし、こうした考え方は前期と同様に、「秩序の生成」ではなく「秩序の維持」の説明で、まず秩序ありきだと同様に批判されている。パーソンズは生物学におけるホメオスタシスの維持と同様に、まず体温が維持されていることを観察したら、どういうメカニズムで維持されているかを研究するのが自然であると反論している。</p>
<p><b>社会化</b>：指向(志向)の基本的な型をパーソナリティに内面化する動機づけの過程。学習によって形成される。</p>
<p><b>内面化</b>：・文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティシステムの一部となること。社会化(学習による獲得)を通じて、一定の「共通価値」への同調が行為者の欲求の一部となること。特定のパターンの組み合わせが行為者の欲求の一部となることを意味する(パターン変数の内面化)。内面化はパーソナリティシステムにおいて行われる。</p>
<p>例：市民社会の諸個人には、商取引は公明正大でなければいけないという共通の価値が内面化されている。学校で教わったり、他人の行為を見たり、そういうことの積み重ねで学習され、内面化される。パーソンズによれば人間は価値へと志向するもの、つまり価値を内面化する生き物であるとされている。</p>
<p><b>制度化</b>：文化システムの価値や規範が社会システムの制度として正当性を付与され、それらからの逸脱が報酬と制裁によってコントロールされること。「行為者のもっている期待を、人々が分かちもっている価値の型と統合すること」。社会統制とも呼ばれる。パーソナリティシステムにおける内面化だけではパターン変数の安定性が保証されないので、社会システムにおいて制度化されている必要がある。共通の価値の内面化(秩序を維持させるような、特定のパターン変数の内面化)はパーソナリティシステムや社会システム、文化システムをつなぐ側面がある。<b>内面化され制度化された共通価値を文化と呼ぶ</b>。文化は個人(パーソナリティ)と社会を媒介する重要な要素である。文化は選択的な指向や秩序付けの基準を提供する。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Untitled-Diagram.drawio22.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2669" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Untitled-Diagram.drawio22.png" alt="" width="751" height="341" /></a></p>
<p>例：「挨拶は善いものだ」という共通価値が学習によって内面化され、かつ日本文化といえば挨拶だというような「制度」になっているケース(挨拶をするものは常識人だと報酬を受け、挨拶をしないものは無礼だと制裁を受ける)。あるいは犯罪行為を法律で罰する等。もちろん、制度になっていないような文化もあり、そうしたものは社会システムではなく、文化システムと区別されることになる(AGIL図式におけるLサブシステムの文化と、文化システムの文化は異なる。あくまでも、制度化された価値規範が社会システムにおける文化)。</p>
<h3><span id="toc49">後期パーソンズ(1966年~1979年)</span></h3>
<p>・『社会類型──進化と比較』(1966)：サイバネティクスを取り入れたシステムの変動論、、コントロールハイアラーキー(L→I→G→A図式)など。他にも社会進化論の内容などがある。「社会共同体」という概念が導入され、統合機能を担うものだとされている。</p>
<p>・『政治と社会構造』(1969)：境界相互交換のモデルを発展させる。一般化された交換手段ともいう。</p>
<p>・『アメリカの大学』(1973)　AGIL図式を使って、実際に社会を分析する。</p>
<p>・『社会システムの構造と変化』倉田和四生編訳 （創文社 1984年、1978年来日時の講演録）人間条件のパラダイムを発表する。行為システムが文化システム、社会システム、パーソナリティシステム、行動システムという下位システムから構成され、行為システムがI次元として設定される。他にL次元にテリック(目的)システム、A次元に物理──科学システム、G次元に人間有機システムが設定される。</p>
<p>・1979年に死去</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/07878a79f1158e70bbeae623f5a4634d.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2670" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/07878a79f1158e70bbeae623f5a4634d.png" alt="" width="935" height="385" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/07878a79f1158e70bbeae623f5a4634d.png 935w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/07878a79f1158e70bbeae623f5a4634d-800x329.png 800w" sizes="(max-width: 935px) 100vw, 935px" /></a></p>
<h3><span id="toc50">前提知識の整理</span></h3>
<p>大前提：パーソンズは「<b>社会秩序</b>」に関心がある。「<b>社会秩序はなぜ可能なのか</b>」に関する問題を「<b>ホッブズ的秩序問題(秩序問題)</b>」という。</p>
<p>社会秩序が存在するとは言い換えれば社会システムが「<b>均衡状態</b>」にあることである。均衡状態とは自己(自我)と他者が互いに他者の「<b>役割</b>」の「<b>期待</b>」にそった行動をしている状態である(<b>相補的期待</b>)。例えば挨拶をしたら殴られるというような期待していない行動を頻繁にされるような社会は「均衡状態」にないといえる。お金を払えば物が交換できるというような期待が実現しないような状態も同様である(もちろん、お金で物の交換が前提として期待されない社会もある)。</p>
<p>→<b>どうやって均衡状態は維持されるのか</b>、という点が重要になる。</p>
<p>・初期パーソンズ(1937~1950)の「秩序問題」に対する解答は「<b>人々が価値・規範に志向するから社会秩序が可能になる</b>」というものだった。おおざっぱなイメージであれば、「普通暴力はいけないよね」といったような志向を人間はするようになるから、社会秩序は成り立つという話。※志向とは関心を向けること</p>
<p>個人の集まり、相互行為から「社会システム」、「<b>創発的特性</b>」が生み出され、この創発的特性が価値や規範となり、価値規範が個人を規制し、社会秩序が形成されるという答え。「<b>共通価値統合状態</b>」と表現されている。創発的特性とは、「諸要素が集合して一つの全体をつくる場合や、ある現象の組成水準が低次のものから高次のものへ発展する場合に、元の要素や低次の水準には存在しなかった新しい特性」。</p>
<p>→具体的にどのようにして相互行為から秩序が生み出されるか、その生成原理が示されず、所与のもの(ア・プリオリ)とされていると批判される。論点先取り。</p>
<p>・中期パーソンズ(1951~1965年)「秩序問題」に対する解答は主に２つに分かれる</p>
<h4><span id="toc51">（１）社会化と社会統制という２つの機能の充足</span></h4>
<p>（１）秩序問題を「<b>制度的統合</b>(<b>社会化</b>と<b>社会統制</b>)」で解決する</p>
<p>社会において相対的に変化しにくいような要素(定数)を構造といい、変化しやすい要素(変数)を機能という。1951年までのパーソンズにとって、構造とは「制度」であり、構造の分析のために「<b>パターン変数</b>」を使用していた(以前の私の動画を参照)。1951年における「<b>機能</b>」とは、構造化(制度化)された「<b>役割</b>」の集合的パターンに個人行為者が「<b>動機づけられること</b>」である。</p>
<p>つまり、機能とは「動機づけ」のこと。お互いの期待を一致させるためには、「学習」を通じた「社会化」をパーソナリティ(個人)が行う必要がある。親に怒られ、先生に怒られて、法律を学んで、「どうするべきか」を学んでいく。そうすることで人々の期待が一致するようになる。そうすることで秩序は均衡し、ダブルコンティンジェンシー問題は解決するとされている。</p>
<p>「逸脱」する場合には「社会統制」が行われる。つまり、機能は動機づけであり、動機づけとは具体的に「社会化」と「社会統制」のメカニズムを通して行われるということである。社会化と社会統制が機能していることによって、人々が安定した構造にそった相互行為ができ、社会秩序が維持される。</p>
<p>例：日本には「業績主義vs所属主義」のどちらかといえば、所属主義の傾向がある、この傾向は相対的に変化しにくい要素であり、構造だと言える、というように考えていく。医者と患者の相互作用において、医者はどちらかといえば感情中立性の傾向がある、など。</p>
<p>逆にアメリカでは業績主義の傾向がある。所属主義に「動機づけ」を行うような機能とはなにか、というように考えていく。たとえば実際の能力よりも家柄やコネを重視するように傾向づけるのは文化だったりする。この場合、文化は「動機づけ」の機能をもっていると考えることができる。もし、反構造的な行為である「逸脱行動」があれば、「社会統制」によって再度均衡へ向かうと考えられている。たとえばある村でコネを無視して入社を断れば、取引先から契約を打ち切られるなど、統制が行われる。村八分などもその例かもしれない。</p>
<p>・1951年までのパーソンズによる「秩序問題」に対する考え方は、規範・価値への志向は生まれもってそなわったものではなく、<b>後天的</b>に獲得していくもので、共に学習による社会化を通して獲得されていくというもの。</p>
<p>・社会統制は「制度」によって行われる。たとえば法律で罰するというのも制度のありかたのひとつ。秩序問題への解答として「価値・規範へと志向するから」というのが最初期の考えであり、次に「社会化」と「社会統制」といった「機能」へと移っていく。まず構造があって、それを維持するための「機能」、メカニズム、仕組みとして「社会化」や「社会統制」があるという順番。</p>
<h4><span id="toc52">（２）AGILという四つの機能的要件の充足</span></h4>
<p>（２）秩序問題を「<b>AGILという四つの機能的要件の充足</b>」で解決する。「社会化」は「L次元」に吸収されている。「社会統制」は「I次元」に吸収されている。</p>
<p>→今回の内容。ざっくりとしたイメージで言えば、経済、政治、社会共同体、文化の四つがちゃんとそれぞれの特定の構造に即して機能していれば社会秩序は「維持」されている。文化が具体的にどのような構造か、パターンかは社会によって違うが、文化が機能しているというのは同じ。</p>
<p>→「秩序問題」がなぜ秩序が「生成」されるかではなく、<b>なぜ秩序が「維持」されるかに読み替えられている</b>。</p>
<p><b>機能的要件</b>：社会システムが存続するために必要十分条件として要求される機能のこと。他に代替できない機能だとされている。もしどれかひとつでも充たされない、機能していない場合は、社会システムの均衡と安定が変化し、社会変動が生じるとされている。「機能的命令」、「機能的緊急事態」、「システムの諸課題」とも呼ばれている。</p>
<p><b>機能要件分析</b>：機能的要件を充足するようなシステムの構造と過程を特定化しようとする分析。</p>
<p><b>システム</b>：相互に関係を持つ構成要素からなるひとまとまりの全体であり、全体はその環境に対して境界を維持していく能力をもっていると仮定されている。システムは相互依存性、均衡、システム境界という３つの特徴があると規定されている。</p>
<p>（１）<b>相互依存性</b>：安定した諸部分ないし諸項目は相互依存関係にあるべきである</p>
<p>（２）<b>均衡</b>：安定したシステムは内外の変化にも関わらず、一定の状態を保つ傾向がある</p>
<p>（３）<b>システム境界</b>：安定したシステムは、環境に対して一定の境界を維持する。</p>
<p><b>社会システム</b>：個人あるいは集合体の相互作用の全体。個々の自覚的な目的や動機に還元できない「<b>創発的な特性</b>」をもっているとされている。</p>
<p>パーソンズの定義では「社会的──文化的な次元における２人ないしそれ以上の行為者間で行われる相互作用の過程によって生じるシステム」である。社会システムの単位は「<b>役割</b>」だとされている。→A、G、I、Lはそれぞれ独自の「役割」をもっている。お互いの機能が独自的で、かつお互いに依存しあっていることにより秩序が維持される。具体的な依存関係、交換関係は「<b>境界相互交換</b>」で分析されている(後述)。</p>
<p>役割とは「<b>機能の担い手</b>」であるとされ、行為者の思考の中の志向化された部分である。システムではまず機能の分化が生じ、分化した機能の異なった種類の役割の配分が行われ、また、その機能はお互いに相互作用の過程にあり、密接な関わり合いを持っている。例えば政治と経済はお互いに密接に関わっていることにより、適切に機能できるようになる。社会システムにおける単位は「役割」であり、私達が日常的に使う「個人」という用語の中の物質的・有機的な部分は社会システムではなく、「パーソナリティシステム」や「行動システム」に近い。パーソナリティシステムの単位は「欲求性向」である。食べたい、寝たい、といった「欲求」のイメージ。行為の中でもとくに「社会的行為」を担う部分が社会システムであり、社会では「役割」が中心概念となる。そして「役割」は社会化や社会統制が担うものであり、社会化はL次元、社会統制はI次元という機能が担っている。感情的になりたいと欲求があっても、社会行為としては求められている役割に応じて自分を制御し、中立的になるといったようなイメージ。</p>
<p>パーソンズは社会システムは一定の環境のなかで存続・維持・発展するために、その構造を<b>複雑化</b>(<b>分化</b>)させ、適応の能力を高めようとすると考えた。</p>
<p>→社会システムはA、G、I、Lという四つのサブシステムへと分化していき、環境を維持、つまり均衡を維持するための能力を高めていく。</p>
<p><b>構造</b>：社会システムを構成する諸要素のうち、相対的に不変的で安定的な要素(定数)のこと。例：日本人はどちらかといえば業績より所属を重んじるなど。基本的にパターン変数で構造が分析されるものだとされている。</p>
<p><b>機能</b>：社会システムを構成する諸要素のうち、相対的に可変的で動的な要素(変数)のこと。構造、システムの維持に貢献するか否かという点でとらえられている。システム外部とシステム内部を媒介するものとされている。</p>
<p>例：経済は災害などの環境の変化で機能として変化しやすいが、アメリカ人が所属より業績を重視するという傾向、構造は変化しにくい。日本においていきなり挨拶は無礼だ、というパターンに変化することはあまりない。暇つぶしとしてゲームをするか、スポーツをするかといった機能の具体的な内容は変化しやすい。同じ機能をもっていれば、より最適な、貢献する機能へと変動していく。分業のほうが貢献するなら、経済の体制も分業にかわっていく。</p>
<p><b>社会状態</b>：社会構造のもとで特定の社会が実現した状態。</p>
<p>・会社の組織図が社会構造だとすれば、組織図にそって人員が配置され、それぞれが役割を果たし、会社として存続・維持されている状態を「社会状態」という。</p>
<p><b>構造機能理論</b>：社会状態の出現とその変動(別の社会状態への変化)を、「相互連関論(構造分析)」と「機能評価(機能分析)」という２つの分析によって説明する理論のこと。構造機能主義、構造機能分析ともいう。パーソンズは後に、機能分析と名称を変える。</p>
<p>端的にいえば、社会の構造はどのような機能を生み出し、社会全体がうまく作動していくためにその機能はどのように貢献しているか、あるいは貢献していないのかという視点から分析すること。まず構造があって、その構造を維持するような機能があると中期では考えられている。後期ではまず機能があって、機能との関係で構造が決定されるという「<b>機能分析</b>」に変わっていく。ルーマンは「<b>機能構造主義</b>」という名称に変えるべきだと主張した。構造より機能が上位という考え。</p>
<p>AGIL図式では、社会システムはサブシステムに分化し、それぞれのサブシステムがそれぞれ独自の機能をもち、全体の構造の維持のために貢献しているとされている。例：経済というサブシステムは社会システムの維持のために機能している。たとえば食べ物を生産したり、車を生産したりすることで社会の秩序の維持に貢献している。</p>
<p><b>相互連関論</b>：変数の間の相互関係を分析すること。主に構造分析にあたる。具体的には「パターン変数」などによって分析されるとされている。</p>
<p><b>機能評価</b>：相互連関から導かれた社会状態が、機能的要件の達成度に関して、ポジティブまたはネガティブに評価を受けていると解釈するということ。主に機能分析にあたる。</p>
<p>・社会システムは社会状態が機能的要件を満たしているかどうか評価している</p>
<p>１：もし機能的要件が満足できる水準で満たされていない、ということになったら、社会構造が変更される。</p>
<p>２：変更された社会構造のもとで、再度実現された社会状態が機能的要件を満たしているかどうか評価される。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_52ec503e.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2671" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_52ec503e.png" alt="" width="338" height="344" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_52ec503e.png 338w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/Snag_52ec503e-60x60.png 60w" sizes="(max-width: 338px) 100vw, 338px" /></a></p>
<p>例：人口が増え、人との交流が盛んになっていくと、ゲマインシャフトという構造では社会が維持できなくなる。そこで、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと構造が変化し、機能要件を満たしていく。村社会にありがちなコネ中心(所属主義)の構造、職人が全ての役割を担う形態(無限定性)から、近代の都会にありがちな業績中心、分業の構造(限定性)へと変化していく。仕事で結果を残せるものが優遇されていく構造に変化することで、社会秩序が維持されていく。</p>
<h4><span id="toc53">構造機能主義を機能要件、社会構造、社会状態でシンプルに説明する図式はパーソンズの説明なのか</span></h4>
<p>この項目は正直よく頭に入ってないので、動画で扱っていません。この記事では「AGIL図式はなにか」だけに絞ろうと思い、「AGIL図式がどのようにして作られたか」と「AGIL図式への批判」は意図的に多くの部分が削られています。</p>
<p>とはいったものの、AGIL図式とはなにか、の説明に「機能要件、社会構造、社会状態」という３つの要素で説明してしまっているので、少し後悔しています。なぜなら、こうした説明方式はパーソンズへの批判を通して生まれたものらしいからです。つまり、「AGIL図式への批判」の記事で扱うべき項目のように思えるからです。</p>
<p>なのですこし扱って終わります。いつかまとめて「AGIL図式への批判」として記事にしたいと思います。とりあえずはもうお腹いっぱいなので、当分AGIL図式は扱いたくありません。マートンを扱うときに触れたいと思います。</p>
<p>大澤さんが「社会学史」で、構造機能主義とはこのようなものである、という説明に「機能要件、社会構造、社会状態」という３つの要素でシンプルに説明していました。なるほどわかりやすいな、と思ったものです。</p>
<p>しかし、「パーソンズの記述そのものを丁寧に追うと混乱の中に入っていくので、彼の言っていることを煎じ詰めるとどうなるのか、結論的に言ってしまいます。『構造－機能分析』というのは、こういう論理になっています(「社会学史」,407P)」とありました。たしかにパーソンズそのままの説明ではないようです。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/5e248d3b7ce9e7419850e1f87728f735.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2672" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/09/5e248d3b7ce9e7419850e1f87728f735.png" alt="" width="535" height="365" /></a></p>
<p>ではこうしたシンプルな論理の説明はいったいどこからきているのかというと、橋爪大三郎さん・志田基与師さん・恒松直幸さんという３人の日本の学者による論文「Parsonsの構造－機能分析」(1982)が元になるようです。そこで、構造－機能の骨格という説明図式があるみたいです。</p>
<p>（１）社会構造が社会状態を決定する</p>
<p>（２）社会変動とは社会構造の変動である</p>
<p>（３）機能要件は、社会状態を機能評価する</p>
<p>（４）機能要件が社会構造を制御する</p>
<p>重要なのは、機能要件がそれぞれ平等かどうかなようです。もし、A,G,I,Lの値のそれぞれを順序的に機能要件を満たしていき、極大化させていかないと、社会の均衡が成立しないと仮定します。</p>
<p>パーソンズは機能要件を満たすか、満たさないかといったように「２値」によって評価しています。</p>
<p>ある構造xのもとで、四つの機能y1~y4が機能を満たしているか、満たしていないかと評価されます。パーソンズは具体的な「値」を示していません。</p>
<p>共時的に満たされるとは考えられておらず、位相運動として通時的に満たされると考えられています。たとえばAが満たされ、次にGが満たされ、Iが満たされ、Lが満たされていくといった位相運動を通じて社会が均衡する、とミクロのレベルでは考えられていました。</p>
<p>ということはy1が満たされ、y2が満たされていない、というようなケースが出てきます。AGIL図式では、このような状態について何も言えないらしいです。y1が100%、y2が70%、y3が６０％、y4が５０％満たされていればよい、というようなことをいえないというわけです。</p>
<p>もしかりに、y1が100%、y2が70%、y3が６０％、y4が５０％満たされていればよいということになれば、y1~y4は別々の機能ではなく、1*y1+0.7*y2+0.6*y3+0.5*y4で定義できる「一つの機能」で済むかららしいです。</p>
<p>ただし、黒田さんいわく、「パーソンズは機能要件を互いに無矛盾な順序的関係として構想したのではない」そうです。「パーソンズの4機能図式(AGIL)は必ずしも仮説演繹的な順序論的説明命題を志したものではない。むしろ,各機能の「不完全な」状態がノーマルなものと見られるような「多変量的」関係を指示しているように思われる。4次元ベクトルは,それぞれ或る一定の値をアプリオリに設定できるものではない。その値は,むしろ経験的に「発見」されるべきである。AGILそれぞれは,確かに評価的な志向を持っているとはいえ,「関数」や「命題」として展開されてはいなかった。とはいえ,機能要件という用語に対するパーソンズの言明は,やはり誤解を招く。あたかもシステムがそれらのどれかを「完全に」満たさなければシステムの崩壊を招くかのように受けとめられるからである。」と言っています。</p>
<p>「<strong>あたかもシステムがそれらのどれかを完全に満たさなければシステムの崩壊を招くかのように受けとめられるからである</strong>」という点が極めて重要な点だと思います。たしかに二価的な評価として考えれば、「完全に満たす」か「それ以外」という風に考えてしまいます。つまり、「100%」か「それ以外(99~0%)」というわけです。</p>
<p>機能要件が満たされるか、満たされないかは「経験的に発見するもの」らしいです。たとえばy1はこのくらいでいい、y2はこのくらいでいい、といったように実際の社会の観察、データを通して発見していくものという話です。たとえばy1が70%、y2が60%、y3が90%、y4が50%であったとしても、機能要件を満たしている、といえるケースがあるといえます。この社会なら70％の機能要件の達成率であっても、機能要件が満たされているといえるな、というふうに具体的な分析において「発見」していくわけですね。そもそも～％満たされているかどうか、どうやって決めるんだ、とは思いますが。しかし仮に経験的にそれらのケースが発見されたとしても、0.7*y1+0.6*y2+0.9*y3+0.5*y4で定義できる「一つの機能」になってしまうのではないでしょうか。</p>
<p>要するに、二価的な説明は「典型的な」システム状態を確定するためのモデル、理念型のようなもので、実際の分析は実際の社会の観察を通した「発見」を通して考えていく必要があるというわけです。</p>
<p>黒田さんは「仮に、均衡を単独の機能要件とすれば、志田らの数理的批判に耐えられるのだろうか。均衡という擁護が物理学から来ていることは確かであるが、均衡一般のイメージについてパーソンズはそれほど詳説していない&#8230;&#8230;したがって,「動的均衡」というアイデアをベイリーは2つの点から疑問視する。一つは「どのくらいの時間継続する均衡か」という点と,もうひとつは「どの程度の均衡か」という点である。この二つの“How&#8221;は,パーソンズは明確に述べなかった点である。&#8230;&#8230;パーソンズは,そうしたシステム状態を確定的に述べていない。生物学からホメオスタシスの観念を借りてきたのも,そうしたシステム状態のアナロジーを一つ追加したにすぎない。」と述べています。</p>
<p>要するに、パーソンズは「動的均衡(動態均衡)」について具体的にどういう状態かを明確に述べていないというわけです。明確に述べず、生物学のホメオスタシスによるアナロジーの説明で済ましているようなイメージです。典型的な均衡のイメージとして、A→G→I→Lというそれぞれの位相が極大化していく、つまり機能要件が満たされていくという過程は説明したはいいものの、具体的に均衡として「値(どの程度)」や「時間の継続(どのくらいの間)」を述べていないという話です。</p>
<p>それゆえに、<strong>～％</strong>というように「<strong>定量的</strong>」に説明するのがAGIL図式というより、～という資本主義経済制度は機能している、というような「<strong>記述的・発見的</strong>」な説明をパーソンズは想定していたんじゃないか、というわけです。</p>
<p>たしかに定量的に説明しようとすると、橋爪さんたちのような「数理的批判」にさらされますね。しかし記述的・発見的な説明のための道具としてAGIL図式を利用すれば、ある程度使えるんじゃないか、とも思えてきます。だとすればレヴィのような具体的な機能要件の中身をデータから見つける、という作業と同じじゃないか、とも思えてきます。とはいえ、「典型的な均衡状態」を説明するために、AGIL四機能図式というのは意義があった、ということもできそうです。そういう指標というか、理念型、近似モデルのようなものがあれば、実際に経験的な分析をするために便利だよね、といっところでしょうか。</p>
<p>「ただ、橋爪さんたちの批判は、構造-機能分析にちょっと厳しい条件を課しすぎているかなと思います。つまり、機能的要件がたくさんあって、それが全部対等であって、集計することができないじゃないか、というのですが、社会システムの機能的要件は、優先順位が初めから決まっている可能性もあります。たとえば、会社でも、社員みんなが幸福な気分で働いているということと、収益を上げることを比べたら、後者のほうが優先されるでしょう・このように、機能的要件には実は初めからランキングがあるので、全部の機能的要件が対等だと考えた橋爪さんたちの議論は、やや構造-機能分析に対して厳しい」</p>
<p>(大澤真幸「社会学史」422P)</p>
<p>大澤さんが説明していることと、黒田さんが説明していることがつながってきます。ようするに、機能的要件のランキングは社会ごとに違い、具体的に記述し、発見していくものだという話です。理念型的にはどの機能的要件も平等な、順序的関係としてそれぞれが１００％(１か０かで)満たされていく、というような「典型的な例」として考えられているだけという話です。理念型的、典型的な例を突き詰めていけば論理的におかしいところが見つかるけど、典型的な例だからしょうがないよね、具体的な値は示せないよね、しょせんは生物学的なアナロジーにすぎないよね、というようなイメージですかね。佐藤俊樹さんはこのような「近似だから許される」ような傾向の危険性も述べていました。</p>
<p>ほんとうはAGIL図式が一つの構造から四つの構造へと共時的に分化するという説明において、そもそも一つの社会が「四つの独立した下位構造をもつ」ということはそもそもおかしいんじゃないか、四つの社会があることと区別できないんじゃないか、という佐藤俊樹さんのはなしも扱いたかったのですが、そろそろしんどくなってきたのでここで終わります。気になる方は参考書籍からどうぞ。</p>
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<p>「ただ,パーソンズは機能要件を互いに無矛盾な順序的関係として構想したのではない。4機能は,当初はベイルズらの小集団実験の知見[Bales1953][Par-sons&amp;Bales1953]から演繹され,後にはシステムの対環境軸(空間アナロジー)と道具的/達成的軸(時間アナロジー)との「直積」から構成された[Parsons1959]。こうした当初の素朴なモデル構成は,富永健一によれば「ベクトル」の論理に類似している[富永1991:27-28]。ベクトルは合成が可能ながらも、互いに独立した値と方向を持っている(図2参照)。パーソンズの4機能図式(AGIL)は必ずしも仮説演繹的な順序論的説明命題を志したものではない。むしろ,各機能の「不完全な」状態がノーマルなものと見られるような「多変量的」関係を指示しているように思われる。4次元ベクトルは,それぞれ或る一定の値をアプリオリに設定できるものではない。その値は,むしろ経験的に「発見」されるべきである。AGILそれぞれは,確かに評価的な志向を持っているとはいえ,「関数」や「命題」として展開されてはいなかった。とはいえ,機能要件という用語に対するパーソンズの言明は,やはり誤解を招く。あたかもシステムがそれらのどれかを「完全に」満たさなければシステムの崩壊を招くかのように受けとめられるからである。パーソンズは,確かにこれらの要件がシステム維持の「必要条件」であるというニュアンスを述べているものの,その正確な「値」を明示していない。「選言」であれ「ベクトル」であれ,システムの機能が一種の「評価」であることは,パーソンズの生涯をつうじて変わりなかった。行為の実体的な目的論をサイバネティクスによって棚上げにしても,彼のシステム理論の論理は評価的な前提を含んでいる。その代表的な例が「均衡(equilibrium)」という概念である。彼の均衡概念はかなりの部分「記述的」な水準にとどまっていて,説明的というよりはむしろ「発見的」な概念としての特徴が有力である[Bailey1984]。しかしそれは,彼のシステム観念が,完全には機械論ではないという事実を示してもいる。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズと機能システム理論の課題-「構造一機能」理論に新しい意味を求めるための覚書」,134,135P</p>
<p>「晩年にいたって、パーソンズははっきりと初期・中期の「物理学的」な連立方程式モデル(パーソンズは「ニュートン・モデル」と呼んだ)を放棄して「メンデル・モデル」と自ら呼んだ「生物学的」で情報制御的な強調を含むモデルへと志向していった[Parsons1977:133-134]。したがって,パーソンズはそもそも定量的・連続的な「尺度」を求めてシステム理論を展開したのではない。彼にとって,相互作用の「均衡」は,なんらかの具体的な経験からの一般化ではない[Parsons1951:481]。それは,いわば一種の「アナロジー」であり,定量的尺度よりはむしろ「発見的」な用具としてより良く用いることができる。ただ,たとえそれが「記述的」「発見的」な用途を想定していようとも,少なくとも「典型的な」システム状態を確定することは社会の科学的分析にとって必須であるように思われる。パーソンズは,そうしたシステム状態を確定的に述べていない。生物学からホメオスタシスの観念を借りてきたのも,そうしたシステム状態のアナロジーを一つ追加したにすぎない。ベイリーによれば,そもそも,均衡とホメオスタシスとが混同されることをキャノン自身は忌避していた[Baily1984:9]。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズと機能システム理論の課題-「構造一機能」理論に新しい意味を求めるための覚書」,139P</p>
<p>「ところが、システムの境界を働きかけの因果関係で定義した場合、機能分化仮説は成立しない。第五章の世界システム論のところでも出てきたように、相互行為(相互作用)を因果的な影響関係だとすれば、相互行為の全体のなかに独立した部分はありえない。相互行為の全体を一つのシステムだとすれば、その内部に部分システムが成立することはない。システムの境界は影響のおよぶ範囲、すなわち因果の果てにしかおけないからだ。それゆえ、AGILのように複数の機能があるとすれば、一つの構造Xの一つの状態xが複数の機能y1~y4をみたす/みたさないということになる。この場合、例えばy1がみたされ、y2がみたされないようなケースが必ず出てくる。なぜならば、もしy1~y4がつねに同時にみたされる/みされないとすれば、それは複数の機能ではなく、一つの機能になるからだ。この『y1がみたされ、y2がみたされない』ケースでは、状態ｘはどうなるのか。機能要件論では、これについて文字通り何もいえない。y1が70%みたされy2が80%みたされればよい、みたいに考えることもえきない。もしそういう合成ガアできるのならば、y1とy2は別々の機能ではなく、0.7*y1+0.8＊y2で定義できる一つの機能になるからだ。」</p>
<p>「社会学の方法」,205P</p>
<p>「ただ、橋爪さんたちの批判は、構造-機能分析にちょっと厳しい条件を課しすぎているかなと思います。つまり、機能的要件がたくさんあって、それが全部対等であって、集計することができないじゃないか、というのですが、社会システムの機能的要件は、優先順位が初めから決まっている可能性もあります。たとえば、会社でも、社員みんなが幸福な気分で働いているということと、収益を上げることを比べたら、後者のほうが優先されるでしょう・このように、機能的要件には実は初めからランキングがあるので、全部の機能的要件が対等だと考えた橋爪さんたちの議論は、やや構造-機能分析に対して厳しい」</p>
<p>「社会学史」422P</p>
<p>「それは、(任意の)社会状態の出現とその変動(別の社会状態への変化)を、以下に述べるような二つの分析の局面を通じて説明する社会理論である、と。二つの分析の局面とは、第一に、相互連関論であり、第二に、機能評価です。」</p>
<p>「社会学史」,408P</p>
<p>「社会状態というのは、抽象的に言えば、互いに関係のある（有限個の）要素＝変数の組み合わせで表現できます。というと抽象的ですが、たとえば、出版社という組織であれば、編集者でやっていること、営業でやっていること、あるいは執行部や人事部でやっていること、そうしたことが、互いに連動しているわけです。だから、ある要素＝変数の変化は、別の要素＝変数の変化へと波及していく。営業部の方針が、編集部にも影響を与えたり、逆の影響関係があったりする。このような要素（変数）の間の相互関係を分析するのが、相互連関です。」</p>
<p>「社会学史」,408-409P</p>
<p>「機能評価とは、相互連関から導かれた社会状態が、機能的要件の達成度に関して、ポジティブまたはネガティヴに評価を受けている、と解釈する、ということです。」</p>
<p>「社会学史」,409P</p>
</blockquote>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc54">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc55">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijS8YK" target="_blank">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></p>
<h4><span id="toc56">井庭崇・他「社会システム理論: 不透明な社会を捉える知の技法 (リアリティ・プラス) 」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3xSio4H" target="_blank">井庭崇・他「社会システム理論: 不透明な社会を捉える知の技法 (リアリティ・プラス) </a></p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc57">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc58">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc59">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc60">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc61">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc62">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc63">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc64">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc65">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc66">参考論文</span></h3>
<p>１：小林淳一「AGIL図式の経験的妥当性と有効性」(<a href="https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2231600/p017.pdf">URL</a>)</p>
<p>２：溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開－T.パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題－」(<a href="https://core.ac.uk/download/pdf/196704861.pdf">URL</a>)</p>
<p>３：友枝敏雄「方法論的個人主義にもとづく社会理論の問題点―パーソンズとロールズを中心として」(<a href="https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/86455/ahs43_001.pdf">URL</a>)</p>
<p>４：春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成:3次元か4次元か」(<a href="https://core.ac.uk/download/pdf/228713329.pdf">URL</a>)</p>
<p>５：池田有二「ダブル・コンティンジェンシーと社会システム創発に関する一考察」(<a href="https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001202555020928">URL</a>)</p>
<p>６：赤坂真人「パーソンズ以降における社会システム理論の展開」(<a href="https://www.google.com/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=&amp;esrc=s&amp;source=web&amp;cd=&amp;cad=rja&amp;uact=8&amp;ved=2ahUKEwjVjMqI8vX5AhV1nFYBHZtZB74QFnoECAoQAQ&amp;url=https%3A%2F%2Fkiui.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_uri%26item_id%3D1005%26file_id%3D19%26file_no%3D1&amp;usg=AOvVaw10q8dnRKahxrEgsGzL5HEz">URL</a>)</p>
<p>７：川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」（<a href="https://shotoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=1026&amp;item_no=1&amp;attribute_id=21&amp;file_no=1">URL</a>）</p>
<p>８：溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/30/2/30_2_2/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>９：倉田和四生『T.パーソンズ理論の展開』(<a href="https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/6/6_ch02.pdf">URL</a>)</p>
<p>１０：山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/18916">URL</a>)</p>
<p>１１：佐藤カツコ「家族における子どもの社会化に関する一考察―ベールズの相互作用分析による親子関係の分析―」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds1951/25/0/25_0_146/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>１２：春日淳一『N.ルーマンのメディア論について』(<a href="https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=7313&amp;item_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>１３：大黒正伸「パーソンズと機能システム理論の課題-「構造一機能」理論に新しい意味を求めるための覚書」(<a href="https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=36482&amp;item_no=1&amp;attribute_id=15&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>１４：大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=2511&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>１５：千石好郎「T・パーソンズの社会変動論と近代論」(<a href="https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=616&amp;item_no=1&amp;attribute_id=21&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>１６：山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/18916">URL</a>)</p>
<p>１７：霜野寿亮「権力概念の検討──タルコット・パーソンズの場合──」(<a href="https://www.google.com/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=&amp;esrc=s&amp;source=web&amp;cd=&amp;ved=2ahUKEwjb39S0zK_6AhWJ_mEKHTk7Bi8QFnoECAsQAQ&amp;url=https%3A%2F%2Fkoara.lib.keio.ac.jp%2Fxoonips%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%2FAN00224504-19700615-0018.pdf%3Ffile_id%3D138735&amp;usg=AOvVaw0ZkbImAa8qe1d2O2kYogFp">URL</a>)</p>
<p>１８：松野達雄「パーソンズ理論の次元＝位相論的理解の試み」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/7/2/7_2_17/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>１９：富永健一「行為空間と位相運動の理論研究パーソンズ=ベイルズの体系均衡の新しいフォーミュラ」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/6/4/6_4_88/_article/-char/ja/">URL</a>)</p>
<p>２０：高旗正人「 パーソンズの子ども社会化パラダイムの検討 」(<a href="https://cur-ren.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=726&amp;item_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>２１：溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開－T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題－」(<a href="https://core.ac.uk/download/pdf/196704861.pdf">URL</a>)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jun 2022 09:32:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タルコット・パーソンズ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=2226</guid>

					<description><![CDATA[タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」について説明している記事です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">１：概要</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">ざっくり要約</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">動画での解説・説明</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">タルコット・パーソンズとは</a></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">２：パターン変数</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">パターン変数とは、意味</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">１：感情性 vs 感情中立性</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">２：無限定性 vs 限定性</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">３：所属主義 vs 業績主義</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">４：普遍主義 vs 個別主義</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">５：自己中心的志向 vs 集合中心的志向</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">パターン変数ができた経緯(ゲマインシャフトとゲゼルシャフト)</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">パターン変数の変遷、最終的に４つになった</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">主体と客体</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">志向様態と対象状況の区別</a></li></ol></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">「価値志向と動機志向」とパターン変数との関連性</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">パターン変数と社会秩序</a><ol><li><a href="#toc18" tabindex="0">前期パーソンズと中期パーソンズ、後期パーソンズの整理</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">初期パーソンズ</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">内面化と制度化(中期パーソンズ以降)</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">パターン変数とAGIL図式との関連</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">役割とパターン変数の関係</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">医者のケース</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0"> </a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">国のケース</a></li></ol></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">参考文献</a><ol><li><a href="#toc27" tabindex="0">参照論文リスト</a></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc29" tabindex="0">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></li><li><a href="#toc30" tabindex="0">高城和義『パーソンズとウェーバー 』</a></li><li><a href="#toc31" tabindex="0">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc32" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc33" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc34" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc35" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc36" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc37" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc38" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc39" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">１：概要</span></h2>
<h3><span id="toc2">ざっくり要約</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample"><strong>パターン変数</strong>：ジレンマに直面した行為者の行為選択を五つの二項対立軸で記述したもの。最終的には四つの二項対立に絞られ、この四つの二項対立の組み合わせによってAGIL図式が構成された。</li>
<li class="sample">五つの二項対立軸は、「<strong>感情性 vs 感情中立性</strong>」、「<strong>無限定性 vs 限定性</strong>」、「<strong>個別主義 vs 普遍主義</strong>」、「<strong>所属主義vs 業績主義</strong>」、「<strong>集合中心的志向 vs 個人中心的志向</strong>」。最後の「集合中心的志向 vs 個人中心的志向」が外された。</li>
<li class="sample">行為者は特定の分かれ道を選ぶように導かれている。<span style="color: #0000ff;"><strong>でたらめでランダムな選択ではなく、特定のパターン(型)を選ぶようになっている</strong></span>。特定のパターンの組み合わせはそれぞれの社会に特有なものがある。それぞれの個人は特定の役割をお互いに期待されている(<strong>相補的期待</strong>)。特定のパターン変数の選択は、特定の役割として現れる。</li>
<li class="sample">特定のパターン変数を選ぶように導くものは、文化であり、共通の価値・規範である。文化は選択的な指向(志向)の基準を個人に提供する。個人は共通価値を内面化し、さらに共通価値が社会において制度化されることで、社会の秩序が安定する。内面化とは「文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティシステムの一部となること」であり、制度化とは「文化システムの価値や規範が社会システムの制度として正当性を付与され、それらからの逸脱が報酬と制裁によってコントロールされること」である。</li>
</ol>
<p>・以前の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</a></p>
<p>・次回の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/09/26/talcott-parsons-5/">【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか</a></p>
<h3><span id="toc3">動画での解説・説明</span></h3>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="//www.youtube.com/embed/p7hgkdcu6R4" data-alt="動画の説明"></iframe></div>
<p><strong>・この記事のわかりやすい「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください</strong>｡</p>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h3><span id="toc4">タルコット・パーソンズとは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1939" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg" alt="" width="196" height="293" /></a>タルコット・パーソンズ(1902-1979)はアメリカの社会学者で、行為の一般理論(行為の準拠枠)、構造機能主義、AGIL図式などを提唱したといわれている。秩序問題をとりあげた社会学者の代表格。デュルケーム、ジンメル、ウェーバーなどの知識を受け継いで独自の理論を作り上げたとされている。主な著書は『社会的行為の構造』(1937)や『社会体系論』(1949)。</p>
<h2><span id="toc5">２：パターン変数</span></h2>
<h3><span id="toc6">パターン変数とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>パターン変数(Pattern variables)</strong></span>：</big>・<span style="color: #0000ff;"><strong>ジレンマに直面した行為者の行為選択を五つの二項対立軸で記述したもの</strong></span>。５つの対立軸とは、「<span style="color: #0000ff;"><strong>感情性 vs 感情中立性</strong></span>」、「<span style="color: #0000ff;"><strong>無限定性 vs 限定性</strong></span>」、「<span style="color: #0000ff;"><strong>個別主義 vs 普遍主義</strong></span>」、「<span style="color: #0000ff;"><strong>所属主義vs 業績主義</strong></span>」、「<span style="color: #0000ff;"><strong>集合中心的志向 vs 個人中心的志向</strong></span>」。５つのパターン変数の説明は後で扱います。他にもいろいろな定義があるみたいです。「共通価値、秩序形成のあり方」。「人格システムや社会ステムの型(構造)を決定する組み合わせ」。「社会的行為者が直面する行為の方向を解決するべきジレンマの組合わせ」。「行為者が客体(他者)に関わるときの関係の性質を記述するときに使う『あれか/これか』式の選択肢」。「行為者が社会的客体に対したときに、どのようなジレンマに直面しているのか、ということに関するパターン」。「行為のオリエンテーション(志向)のパターンを分類する概念装置。「行為それ自体を記述するもの」。「主体から見た客体とのコミュニケーションのあり方を規定する変数」「５つの志向の分かれ道＝変数」。型の変数や類型変数ともいわれる。なお、5番目の「集合志向的──自己志向的」が除かれることもある。特定の組み合わせはそれぞれの社会に特有なものがある。</p>
</div>
<p>ジレンマとは一般に、「二つの相反する事柄の板挟みになること。矛盾。両方を選択することはできないような状況」のことです。</p>
<p>二項対立とは一般に、「一般に、二つの概念が存在しており、それらが互いに矛盾や対立している」ことです。</p>
<p>たとえば感情性と感情中立性を両立させることは難しいです。感情性をあたたかさ、感情中立性をつめたさに例えるならば、あたたかさとつめたさを両立させようとしているようなものです。つまり、相反する事柄の板挟みになっているわけです。部屋をあたたかくしようとすれば、つめたさは失われ、部屋を冷たくしようとすれば、あたたかさは失われます。あちらを立てればこちらが立たずというわけです。</p>
<p>ジレンマは一般に、どちらを選んでも不利益があるものを意味します。たとえば「城から出れば殺される、城から出なくても殺される」というような八方塞がり的なイメージが一般的です。</p>
<p>しかしパターン変数におけるジレンマはどちらかといえば、いいとこ取りができない、片方を選べばもう片方は選べないというような両立ができないようなニュアンスだと思います。コーヒーの暖かさを冷たさを同地には両立できず、基本的にどちらかしか選べませんよね。しかしどちらも選択肢も利益になりえます。</p>
<p>こういうものは具体例で考えるとわかりやすいんですよね。医者(行為者は)５つの二項対立軸でいうとどの軸を選ぶのか、つまり<strong>二項のうちどちらを選ぶパターンがあるのか</strong>、という問題です。この二項の「分かれ道」を「変数」というわけです。２つに「<strong>変化するもの</strong>(variables)」なので「変数」です。パーソンズによれば医者の場合は「感情性か感情中立性」の二項対立軸でいうと、感情中立性を選ぶパターンがあるそうです。</p>
<p>私のような文系には「変数」という言葉が直観的になかなかわかりにくいです。たとえば変数x時間勉強すれば、司法試験に合格できる可能性がy%上がるとします。この場合、xは変数になります。より詳細にいえばxは独立変数で、yは従属変数です。もっと理系的にいえばyはxの関数であるといいます。2時間なり200時間なり2000時間なり、xの数値は主体的に変化するわけです。このxが二通りしか無いような状況が二項対立軸なわけです。司法試験のたとえでいうと、1000時間コースと2000時間コースしかないようなものです。どちらかしか選べない。しかし1000時間か2000時間か選ぶことができ、どちらかに変化させることは出来るわけです。それにしたがって結果として1000時間なら20%、2000時間なら40％というようにyの変数も決まるというわけです。これが数学的に正しいかどうかはよくわかりませんが、そういうイメージです。</p>
<p>パターン変数で重要なのは、ここでいうyが社会秩序なのです。つまり、社会秩序を安定させるように行為者はXを選ぶというわけです。医者のほとんどが感情的だったら病院の秩序は難しいですよね。<strong>どうやら人間は価値(規範)へ向かう生き物らしい</strong>のです。無秩序か秩序だったら、秩序を選ぶような傾向がある。規範からの逸脱よりも同調したほうが行為者の利益に結びつくからです。こういった志向を規範的志向といいます。詳細は後で扱います。</p>
<blockquote>
<p>「日本語に訳すと『変数』ですが、variablesは『変化するもの』という意味ですから、数字でなくてもかまいません。では『パターン変数』とは何かというと、行為者が客体(他者)に関わるときの関係の性質を記述するときに使う『あれか/これか』式の選択肢です。つまり、行為者が社会的客体に対したときに、どのようなジレンマに直面しているのか、ということに関するパターンなのです。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』399P</p>
<p>「いまの引用に「諸変数の相互依存」という特徴的な表現があった。これはパーソンズの行為理論にとって中心的な概念なので、少し詳しく解説しておきたい。諸個人が行為するとき、五つの、それぞれに対をなす志向の「分かれ道」（dichotomy）があって、諸個人は必ずそれらのうちのどちらかを選択しなければならない、とされる。五対の「分かれ道」とは次の五つをいう。①感情性と感情中立性（自我の態度に関わるもの。医者は患者に対して感情中立的でなければならないが、親が子供に対する場合はそうであってはいけないだろう。）②限定性と無限定性（これも自我の態度。医者の患者への関心は病気の治療に限られる、すなわち限定的であるが、親の子供への関心は無限定的である。）③普遍主義と個別主義（他者への志向のタイプ。親は我が子を特別の対象として考えるが、医者にとって個々の患者に差別はない。前者を個別主義、後者を普遍主義という。）④所属本位と業績本位（これも他者への志向のタイプ。他者の身分、家柄、肩書きを重んじる態度が前者、後者は他者の業績を評価する。「資質と遂行」ともよばれる。）⑤自己中心志向と集合体中心志向（自我と他者の双方に関わるもの。自分の価値観を重視するか、所属する集団の価値観を重視するか、の違い。）パーソンズはこれら五対の「分かれ道」を「変数」（variables）とよび、諸個人は、各々の行為にあたって、五対の変数に関してでたらめに選択を行うのではなく、ある特定のパターン（型）に従って選択を行うように導かれる、と主張した。その「特定のパターン」はその社会に特有のものであって、それは、また「文化」ともよばれる。社会体系の「自己維持」は何よりもまずこの「パターンの維持」（patternmaintenance）によるものとされ、パーソンズはこれを、社会体系における文化の固有の機能であると主張する。」</p>
<p>山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」、58-59P</p>
<p>「パターン変数は20世紀中葉のアメリカを代表する社会学者であったパーソンズが提案した概念であり、五つの軸によって行為選択のジレンマを表現するものである（ParsonsandShils1951=1960：122－123）。このパターン変数は主意主義的行為理論というパーソンズが考案した研究の枠組みに準拠している。主意主義的行為理論とは要するに自我を持つ行為者の価値合理的な主体的行為選択を重視する行為理論であり、例えばこの行為理論は行為者に外在する社会的事実が行為者を拘束するとみなすデュルケーム実証主義を、行為者に内在する社会的事実が行為者の自発的なふるまいとしてそれを拘束すると再解釈した（Parsons1937=1982：110－120）」</p>
<p>小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」、41P</p>
<p>「本稿の序論で確認したようにパターン変数とは、ジレンマに直面した行為者が行う行為選択を五つの二項対立軸で記述したものである（ParsonsandShils1951=1960：122－123）。このパターン変数は「志向」とその「客体」という基本的要素によって記述される行為概念、という1950年代当時にパーソンズが依拠していた概念図式を前提としている。パターン変数の五組は以下の通りであった。（１）感情性―感情的中立性（２）自己中心的な志向―集合中心的な志向（３）普遍主義―個別主義（４）所属本位―業績本位（５）限定性―無限定性ParsonsandShils（1951=1960：124－125）に基づくこの五組のうち、（１）、（２）、（３）は行為を構成する「志向」の選択の分析から導出され、（４）、（５）は「客体」をどう捉えるべきかという問題についての検討から構成された（ParsonsandShils1951=1960：123－124）。」</p>
<p>小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」46~47P</p>
<p>「したがって、行為者のレヴェルを、集団にとるにせよ、個人にとるにせよ、行為を記述するための概念が必要となる。この点で、行為のオリエンテーションのパターンを分類する概念装置であるパターン変数が役立つ。ベイルズのコミュニケーションの十二のカテゴリーと比較すれば、パターン変数の方が、変数群の定義とそれらの相互関係がより明瞭であり、またコミュニケーションとしての行為だけでなく、すべての行為に適用可能である点で、より一般的である。さらに、役割・規範・価値などの、行為システムの分析的諸要素にも適用可能であると考えられるので、理論的な射程範囲もより広い。&#8230;&#8230;他方、パターン変数は、いわば行為それ自体を記述するものである。」</p>
<p>溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」5P</p>
<p>「パーソンズによれば、諸個人は、不安よりは安定を、逸脱よりは秩序を選ぶ傾向、すなわち「合理性」をもっている。パーソンズは、行為が「規範に指向する」という言い方で、これを説明しているが、すなわち、社会体系の成員である個々人の行為の動機づけが、社会体系のもつ「規範的な文化的基準」「価値の規範的なパターン構造」と合致することを言っている。なぜ行為が「規範に指向する」かというと、体系の成員である個人にとって、「規範への指向」（または「基準への同調」）は、その反対のもの（すなわち、規範からの「逸脱」）よりも「その行為者たちの利益に結びつく」からである。逸脱は、規範的パターンの「攪乱」であり、「緊張」であるとされる。」</p>
<p>山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」、61P</p>
<p>「客体類別と客体への態度をパターン化した上の四組の変数は，主体からみた客体とのコミュニケーションのあり方を規定する変数と理解することができる」</p>
<p>春日 淳一「N.ルーマンのメディア論について」、9P</p>
<p>「構造-機能分析についてさらに説明する前に、パーソンズの作った概念をいくつか紹介しておきます。それらは、構造-機能分析の理論とは独立に、かなり役立つからです。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』399P</p>
<p>「彼はこの共通価値を&#8230;&#8230;５組の選択肢からなるパターン変数として示している」</p>
<p>「クロニクル社会学」、44P</p>
<p>「行為者は、結局(とパーソンズは考えたのだが)、図２で示したような五つの行為状況での選択を避けるわけにはいかない。パーソンズはこれを、人間行為におけるジレンマ(矛盾)とその解決(選択)ととらえたのである。ちなみにこれを『型の変数』と呼ぶ理由は、これらの二項的選択肢のどちらかを選びとること、およびその組み合わせが、人格システムや社会システムの『型』(構造)を決定することになるからである。」</p>
<p>中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』57P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc7">１：感情性 vs 感情中立性</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>感情性 vs 感情中立性(affectivity vs affective neutrality)</strong></span>：</big>・<strong><span style="color: #0000ff;">客体に対して情動的な態度をとるかとらないかの区別</span></strong>。※情動：一般に、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、不安というような激しい感情の動きのこと。</p>
<p>感情的に接するか、感情を抑えて接するかの区別。欲求の充足を重視するか、規律を重視するかの区別。感情移入(カセクシス)の問題は従来の功利主義がとりあげてこなかった「非合理性」の問題であり、非合理性を考慮することは重用になる。指向(志向、態度)の分類に属する。<span dir="ltr" role="presentation">自我の態度に関わるもの。</span></p>
</div>
<p>人間の行為は感情を発露する場合も、抑制する場合もあるというのはわかります。それだけなら単純です。重用なのは、この「どちらを選ぶかという選択」の際に人間の行為に影響を与えるもの、人間の行為を規制するのものはなにかという問題です。何の制限もなく完全に自由に人間はランダムあるいは合理的に選択しているわけではありません。</p>
<p>たとえばTwitterで気に入らないアカウントがあったとして、「あなたが嫌いです」と直接言う人は少ないですよね。自分の感情をそのまま表に出すのはどこかよくないことなのではないか、という規制が働くわけです。別に嫌いだと言って逮捕されたり、民事で訴えられる可能性はほとんどありません。しかしそれが道徳的にどこかよくないことだという空気を感じ、感情中立的に指向することがあります(これを共通の価値が<strong>内面化</strong>されているという)。つまり、自由に対して制限する要素があるのです。これがパーソンズでいうところの共通価値であり、究極的目的であり、道徳的規範であり、社会的規範であり、文化でもあります。</p>
<p>そんなこと言うのはひどいよ、抑えなよ、というように周りから批判(制裁)を受けることもありますし、あんなこと言われたのによく感情を抑えたね、というように報酬を受けることもあります。(こうしたものを<strong>制度化</strong>されているといいます。要するに共通の価値にそった行為をすることが正統だとしっかり思われているような状況です。法律という形で保証されることもあります)。</p>
<p>例：利益になったとしても嫌いな相手とは接しないのは感情性。利益になるから嫌いな相手とも感情を抑えて接する感情中立性。</p>
<blockquote>
<p>「１、感情的(affective)/感情中立的( affective neutrality)」。たとえば、ある編集者が私と関わるときに、『大澤は苦手だけど、良い本を書くんだよな』と思っていたとします。そうすると、嫌いだけど、感情を押し殺して、感情中立的に関わる。これに対して、彼が趣味であるサーフィンに一緒に行く友達は、好きか嫌いかの問題だけで選ぶ。嫌いなのに無理して一緒に行くことはない。それが感情的ということです。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』、400P</p>
<p>「やや通俗的にいうと、行為の規範という観点からは、ひとは単にある行為において自らの感情を発露するか、それとも抑制するかだけではなく、行為状況に応じて、これをどう扱うべきか文化的規範によって決まっていることも少なくない。こうして、親しい仲間内では変に感情を抑制していると、冷たいとか、他人行儀だとかと非難を受けることにもなるし、逆に、フォーマルな関係で、みだりに感情を露呈するのは、はしたないことだと考えられてリウ。また、医師が患者の感情的動転に付き合っていたら正しい医療行為を行うことができなくなるであろう。行為状況に応じて、このどちらを選ぶべきかが第一のジレンマである(感情性対感情中立性)。」</p>
<p>中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』58-59P</p>
<p>「Ｉ．「満足すること」と「規律に従うこと」のジレンマ感情（affectivity）―感情中立（affective neutrality）」</p>
<p>池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、18P</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_184cc025.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2013" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_184cc025.png" alt="" width="583" height="425" /></a><span dir="ltr" role="presentation">小門裕幸</span>「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」,４１P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc8">２：無限定性 vs 限定性</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><span style="background-color: #ffff99;"><big><strong>無限定性 vs 限定性(diffusenes vs </strong></big></span><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>specificity)</strong></span>：</big>・<span style="color: #0000ff;"><strong>客体に対して多面的な関心を寄せるか、限られた側面だけに関心をよせるかという態度の区別</strong></span>。相手の特定の側面にのみ興味を持つか、すべての面に興味を持つかという区別。客体への態度(指向)に属する。<span dir="ltr" role="presentation">自我の態度に関わるもの。</span>対象における利害の見通しに関する定義。行為の関わる範囲をどう決めるかという問題。機能的拡散性(全体性)──機能的限定性ともいう。</p>
</div>
<p>全人格的に関心を限定せずに相互行為をする機会が人生の間どれほどあるでしょうか。友人との関係ですら限られた側面だけに関心をよせている場合があります。学校においては独りだと気まずいから仲良くしておく、大学においては課題などの内容を教えてもらうといった一面的な利害関係のみが存在するケースもあります。恋人などはすべての側面に関心があるかもしれませんが、そういった理想的な恋人関係はなかなか難しそうです。あなたの全てに関心がある、すべてを受け入れると瞬間的に感じたとしても、数日後にはあなたのそういうところが受け入れられない、この関係になんの利益があるのかと思ってしまうのが人間です。仕事においてはなおさら、お金にならないならあなたと相互行為をする必要がない、コミュニケーションを取る必要がないという状況は多々あるはずです。</p>
<p>例：恋人の多くの面に関心をよせるのは無限定性。仕事の取引相手に限られた側面だけ関心をよせるのは限定性(利益になるかどうかという関心のみなど)。</p>
<blockquote>
<p>「前者は客体の限られた側面にだけ関心を寄せるか，多面的な関心を寄せるかの区別であり，後者は客体にたいしで情動的な態度をとるかとらないかの区別である。」</p>
<p>春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、141P</p>
<p>「たとえば今、この社会学史に関わっている何人かの人がいます。そのときにそれぞれの関心事は、『大澤にそれだけの知識や能力があるか』&#8230;&#8230;つまり、互いに相手の特定の側面に興味をもっているわけです。逆に言えば、それ以外のことについては興味がない。これが限定性です。それに対して、無限定性はすべての側面ということになります。たとえば、誰かと意気投合して一生の友人になりました。これは無限定性です。彼のすべてが好きなんだと。それに対して仕事の必要の範囲でのみ関わるのは、限定性です。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』401-402P</p>
<p>「V．対象における利害の見通しに関する定義個別性（specificity）―拡散性（diffusivity）」</p>
<p>池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、19P</p>
<p>「最後のジレンマは、行為の関わる範囲をどう決めるかに関係する。恋人、夫婦、親しい友人たちの関係は相互に全人格的な関わりを予想していよう。お互いに、プライバシーのなかにまで入り込んだ人間と人間とのつき合いが期待されてもいる。他方、デパートで買い物をするとか、医者の診断を受けるなどというときは、われわれは決して相手との関係で人格のすべてを関わらせるわけではない。その相互行為にとって必要な部分においてのみ、われわれは相手との関係に入る。したがって、男性の意志が女性の患者に対して医療行為上着衣を脱がせたとしても、それは診療行為の範囲にとどまるし、またとどまるべきものとされるのである。この型の変数は、機能的限定性対機能的拡散性(全体性)と名付けられた。」</p>
<p>中野秀一郎「タルコット・パーソンズ」61P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc9">３：所属主義 vs 業績主義</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>所属主義 vs 業績主義(ascription vs achievement)</strong></span>：</big>・<span style="color: #0000ff;"><strong>客体を所属という基準で見るのか、業績という基準で見るのかの区別</strong></span>。「『何が出来るのか』と『誰がするのか』の区別」。資質──遂行、所属地位──業績地位とも呼ばれる。例えば教師が生徒の成績で判断する場合は業績主義、生徒の親が誰か、生徒と仲が良いかで判断する場合は所属主義になる。</p>
</div>
<p>特に近代以降においては業績主義の傾向があるようです。昔はいくら仕事ができても、頭が良くても身分違いの人間とは基本的に結婚できなかったと聞いたことがあります。これは所属主義です。現代は基本的に自由に結婚ができます(もちろん家柄等を強く気にする人もいると思いますが)。公務員なども基本的には資格試験の成績や適応能力が重視され、誰がという所属はそれほど重視されません。能力と適性があれば公務員になることができます。もっとも、市役所などの一部の地方公務員は「誰が」という要素が強いと聞いたことがあります(地元の有力者の息子などは優先的に採用されやすい)。実際問題としてテストの成績だけではなく、最終的には面接を通して総合的に判断されるので、コネが介入する余地はありますよね。</p>
<p>例：生徒の親が誰か、人種はなにかという基準で判断する場合は所属主義。教師が成績という基準で生徒を判断する場合は業績主義。</p>
<blockquote>
<p>「これは社会学では一番よく使われるかもしれません。人間を評価するときに、その人の先天的な属性(人種・性別など)によるのか、その人が獲得してきた業績によるのか。たとえば、コネで採用するのは属性主義です。それに対してその人の業績を選ぶのが業績主義」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』401P</p>
<p>「客体をその業績でみるか属性でみるかの区別である」</p>
<p>春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」141P</p>
<p>「④所属本位と業績本位（これも他者への志向のタイプ。他者の身分、家柄、肩書きを重んじる態度が前者、後者は他者の業績を評価する。「資質と遂行」ともよばれる。）」</p>
<p>山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」、59P</p>
<p>「第四には、行為の対象(他者)をどうみるか(評価)するかという選択肢である。パーソンズ用語では、業績主義対帰属主義と呼ばれている。前者では他者は『何ができるのか』(能力)で評価されるのに対して、後者では『かれは誰か』(帰属)で認知されるのである。大学の教師は学生の成績にはこだわるが、かれがどのような家柄・門地の出身であるかは関係ないことである。この発送は、人類学者のリントンが提唱した『帰属的地位』と『達成的地位』の概念に基づいていると言われている。」</p>
<p>中野秀一郎「タルコット・パーソンズ」60-61P</p>
<p>「社会的対象［＝社会的客体］の「諸様相」の間の選択」</p>
<p>池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、18P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc10">４：普遍主義 vs 個別主義</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>普遍主義 vs 個別主義(universalism vs particularism)</strong>：</big>・<strong><span style="color: #0000ff;">客体を普遍的な規準にもとづいて扱うか，主体との特定の関係にもとづいて扱うかの区別</span></strong>。「自己の動機と直結させて客体に対処するか、一般化された法律などの準拠枠を採用するかの区別」。例：親は子どもを特別扱いするので個別主義、教師は生徒を平等に扱うので普遍主義。</p>
</div>
<p>たとえば法律は基本的に「法の下の平等」が原則としてあります。天皇だろうが総理大臣だろうが社長だろうがホームレスだろうが、殺人をしたら同じ罪に問われるわけです。生活保護の申請のケースで、たとえばまったく同じような条件なのに片方だけが許可され、片方だけが却下されるといった不平等はあってはいけません。法律においても行政においても基本的に普遍主義的な選択を期待されます。またその期待に答えて裁判官や公務員は対応すると予測できます。一方で、弁護士はとにかく依頼人の利益を優先するので個別主義であるともいうことができます。弁護士が相手の検事にも依頼人にも平等に対応するということは通常考えられません。</p>
<p>例：教師が生徒を平等に扱うのは普遍主義。親が自分の子供を特別扱いするのは個別主義。</p>
<blockquote>
<p>「第三には、規範基準の適用原則に関するジレンマがある。パーソンズの専門的な術語では、これは感傷的標準と認識的標準の選択であるといわれる。前者の場合、行為者は自己の動機と直結させて客体に対処するが、後者の場合には、ある一般化された準拠枠を採用する。たとえば、ウェーバーの合法的支配は近代社会の特徴をあらわすひとつのシンボル的制度だが、そこでは法(律)はすべての人々に平等に適用されるべきものとされている(一般化された準拠枠)。」</p>
<p>中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』60P</p>
<p>「普遍的な価値とか理念とか正義とか信義とかのためにやるのか、それとも特定の自分たちの利益とか自分たちなりの価値観や習慣、あるいは自分たちの存続とか伝統を重視するのか。」</p>
<p>大澤真幸「社会学史」、400P</p>
<p>「III．価値志向選択のタイプの間の選択　普遍主義（universalism）―個別主義（particularism）」</p>
<p>池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、18P</p>
<p>「他者への志向のタイプ。親は我が子を特別の対象として考えるが、医者にとって個々の患者に差別はない。前者を個別主義、後者を普遍主義という。）」</p>
<p>山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」、58-59P</p>
<p>「客体を普遍的な規準にもとづいて扱うか，主体との特定の関係にもとづいて扱うかの区別」</p>
<p>春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、141P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc11">５：自己中心的志向 vs 集合中心的志向</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>自己中心的指向 vs 集合中心的指向(self-orientation vs collectivity-orientation)</strong></span>：</big>・<strong><span style="color: #0000ff;">個人的な利害と集合体の利害との区別</span></strong>。「利益や規律の基準を自分個人におくか、それとも他者を含めた集合体全体におくかのジレンマ」。自己志向的──集合志向的ともいう。例えば株のトレーダーは自己の利益を中心に、利己的に行為するが、医者は社会の成員の全体の利益を考え、利他的に行為する。戦争における特攻などは集合中心的志向(集団のために自己を犠牲にする)。個人同士の相互行為というより、集合体と個人の相互作用を含むのでパターン変数から除外されることもある。</p>
</div>
<p>例：自分の利益にしか関心のない株トレーダーは自己中心的志向。戦時中の特攻などは集合中心的志向。</p>
<p>このパターン変数はパターン変数に含まれないことがあります。というより最終的には含まなくなった、という言い方のほうが正しいですね。</p>
<p>１：1939年の「専門職と社会構造」では３つのパターン変数が紹介されていて、自己中心的指向──集合中心的指向はそのうちのひとつでした(自己関心──無関心と当時は表現されていました)。他の２つのパターン変数は、機能的限定性──機能的多面性、普遍性本位──個別性本位です。</p>
<p>２：1951年の「行為の一般理論をめざして」では感情性──感情中立性と帰属性本位──業績性本位のパターン変数が加えられます。これで５つになります。帰属性本位──業績性本位のパターン変数は文化人類学者であるR.リントンの区別をそのまま借用したものだそうです。1951年の「社会体系論」ではパターン変数のうちの「動機志向」に分類されている。しかし、同じ1951年の「行為の一般理論」ではある箇所ではパターン変数として分類され、ある箇所ではパターン変数から除外されている(中立的なものと扱われている)らしい。</p>
<p>３：1953年の「行為理論の作業論文」では自己中心的指向──集合中心的指向が完全に削除される。パーソンズは「この第五のパターン変数は,行為システムを分析するうえでの最も一般的な目的のためには無視することができる」とまでいっている。</p>
<p>４：第五のパターン変数が除外される理由は、「孤立したものとして考えられた各行為の内部問題というよりも,むしろ相互作用システムの内部問題にかかわるものだから」です。簡単に言えば、1対１の関係ではなく、１対集団の関係を扱うものになる。ある一人の患者さんに対して感情的になるか、感情中立的になるかというのは１対１の関係ですが、国のために特攻した戦時中の日本の兵士の行為は、特定の一人に対する態度ではありません。</p>
<blockquote>
<p>「これは、自分のためにやるのか、会社のためにやるのか、といったことです。たとえばお家の名誉のために命を捨てるというのは集合志向的だけど、俺にとってはそんなことはどうでもいいと思って自分のことだけを考えれば自己指向的になる。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』400P</p>
<p>「第二のジレンマは、自己志向対集合志向という名前がついているが、その意味は次のようなことである。すでにみたように、パーソンズは近代資本主義を観察していた。そこでは、経済行為主体が自己の利益を極大化しようとして他者と相互作用を行う(たとえば、市場におけるものの売買)。他方、かれが関心をもっていたもう一つの社会現象、専門職、とくに医師の行為を観察していると、医師の患者との関係は決してかれ自身の利益の極大化を目指すものではなく、むしろ患者(他者)の幸福(病気の治癒)というような利他的な動機づけが医師の行為を支配していることに気がつく。利益や規律の基準を自分個人におくか、それとも他者を含めた集合体全体におくかというジレンマは、われわれがまた日常生活のなかで頻繁に経験するところであり、ひとはときに応じて、このような選択に決着をつけなければならない。」</p>
<p>中野秀一郎「タルコット・パーソンズ」60P</p>
<p>「パターン変数にはもうひとつ，自己指向／集合体指向(self-orientationvs.collectivity-orientation)というペアがあるが，これは集合体とその成員の関係を規定するものであり，成員間の相互行為の様式には直接のかかわりをもたないので，さしあたりとりあげない」<span class="" dir="ltr" role="presentation">。</span></p>
<p>春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、142P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc12">パターン変数ができた経緯(ゲマインシャフトとゲゼルシャフト)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>パターン変数ができた経緯</strong></span>：</big>・パーソンズによれば、フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」という分類から分析的に取り出されたものがパターン変数。つまり、きっかけはテンニースの分類、およびその分類への不満にある。</p>
</div>
<p>テンニースについての詳細および出典は前回の記事を参照してください。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/02/28/ferdinand-toennies-1/">【基礎社会学第十五回】フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」とはなにか</a></p>
<ol class="sample">
<li class="sample">ゲマインシャフト：協同社会。親密な本質意志に基づいた感情的・情緒的結合。　例：家族</li>
<li class="sample">ゲゼルシャフト：利益社会。契約的な選択意志に基づき、他者を手段化した結合　例：自発的結社</li>
<li class="sample">テンニースは「歴史的発展として、ゲマインシャフトの時代からゲゼルシャフトへの時代へ移行していく」と主張した。</li>
</ol>
<p>パーソンズによれば、テンニースの分類では不十分。たとえば医者の治療はゲマインシャフトかゲゼルシャフトかのどちらか一方だけに分類できない。さらに細かく分析的要素に分ける必要があるという。それがパターン変数へとつながっていく。</p>
<p>例：医者は自己利益を第一とせず、公平無私であるという点ではゲマインシャフト的。合理的で分業(専門職)的という意味ではゲゼルシャフト的。どちらか一方だけにおおざっぱに分類できない。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_52ec503e.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2229" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_52ec503e.png" alt="" width="338" height="344" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_52ec503e.png 338w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_52ec503e-60x60.png 60w" sizes="(max-width: 338px) 100vw, 338px" /></a></p>
<p>ゲマインシャフトとゲゼルシャフトをパターン変数で分類する。</p>
<p>テンニースの分類ではいろいろな要素が混同されていたが、整理し直すとこのような要素の集まりとして分類できるというもの。</p>
<p>パーソンズのパターン変数は医療社会学の研究から医師など医療従事者の専門職としての職業的な役割を分析するなかで始められた試みであり、社会的行為者が直面する行為の方向を解決するべきジレンマの組合わせを表している。</p>
<p>※医者の例は後ほど見ていく</p>
<p>要するに、共同体か利益社会か、あるいは本質意思か選択意思かといった分類をテンニースは行ったわけです。パーソンズはこうした分類だけでは不満で、さらに多くの要素、つまり多くの組み合わせを作ったということです。</p>
<p>テンニースと最も違う点は「主体的自我」がゲマインシャフト的な要素においてあるかどうかです。テンニースの場合はゲマインシャフトにおいては主体的自我が乏しく、近代化に伴ってゲゼルシャフト化していくにつれて出現したという理解だそうです。一方で、パーソンズの場合はゲマインシャフトの場合においても主体的な自我が想定されています。</p>
<p>パーソンズの場合は「主意主義的行為理論」といって行為者の主体性や人間の自由意志による選択を重視する立場です。したがってゲマインシャフトの場合でも人間は主体的な自我をもって自由に選択していることになります。とはいったものの、完全に自由ではなく、共通価値によって規制されています。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズによると、パターン変数は、『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』という概念の中に含まれていたことを、分析的に取り出したものです。いま見たようにパターン変数は五組の二項対立です。簡単に言えば、感情的・集合指向的・個別主義・属性主義・無限定性がゲマインシャフト的な系列で、感情中立的・自己指向的・普遍主義・業績主義・限定性がゲゼルシャフト的な系列です。『ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト』という対立には、いろいろな要素がごちゃまぜになって入っていたが、それを解きほぐすと、この五つの対立になる、というのがパーソンズの理解です。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』402-403P</p>
<p>「パーソンズは、年代初期にパターン変数（）─型の変数とか類型変数とも訳される─と称される概念図式の構成を行っている。これは、パーソンズが、医療社会学の研究から医師など医療従事者の専門職としての職業的な役割を分析するなかで始められた試みであり、社会的行為者が直面する行為の方向を解決するべきジレンマの組合わせを表しているものである。そして、この理論の発想の源泉となったのが、テンニースの著名なゲマインシャフトとゲゼルシャフト（）という対立軸であったこともよく知られているところであろう。」</p>
<p>木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」6P</p>
<p>「この「分解」で注意すべき点が二つある。一つは、自我の主体的な行為選択のジレンマというパターン変数の定義に関連する。テンニース自身の議論を参照すればわかるように、人間が生来的に有する意志を基盤に相互連関的な統一を形成する有機的共同体というゲマインシャフトの定義には主体的な行為者が含まれない。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変動というテンニースの議論の要旨は、まさにここでいう主体的な自我を持つ行為者が出現したということに他ならない。他方でパターン変数概念は、例えばゲマインシャフト的な所属本位とゲゼルシャフト的な業績本位とを主体的自我を持つ行為者が選択する、という様式に基づいている。このような文脈の相違の一方で、二つ目の注意点として両者の共通項を取り上げることもできる。それは端的にいえば、両概念が前近代から近現代へという進化論的文脈を共有している点である。例えば所属本位―業績本位は、客体があらかじめ有している特質に基づいて評価される前近代社会から何を成し遂げたのかによって客体を評価する近現代社会へ、という文脈にしばしば埋め込まれる。」</p>
<p>小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」48P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc13">パターン変数の変遷、最終的に４つになった</span></h3>
<p>・パターン変数は最終的に全部で４つの二項対立軸となった</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">1939年の『専門職と社会構造』では３つ</li>
<li class="sample">1951年の『行為の一般理論をめざして』では５つ</li>
<li class="sample">1953年の『行為理論の作業論文』では４つ</li>
<li class="sample">最終的に外されたのは5つ目の集合中心的志向 vs 自己中心的志向の二項対立軸。</li>
</ol>
<p>・1939年の時点では、自己関心vs無関心、機能的限定性vs機能的多面性、普遍性本位vs個別性本位という３つのパターン変数が例証されている。</p>
<p>ただし、1939年の時点ですてに４つだったらしい(4つ目は未分化な形で提出されていたという)。4つ目というのが「感情性vs感情中立性」</p>
<p>・1951年になり、「帰属性本位vs業績性本位」が新たに追加されることになる。このパターン変数は文化人類学者であるR.リントンの区別を借用したものだという。</p>
<p>・1953年になり、集合中心的志向 vs 自己中心的志向のパターン変数が削除され、4つのパターン変数として確定する。</p>
<p>※他の変遷については後ほど扱う(なぜ5つ目が外されたのか、なぜ４つになったのかなど)。</p>
<blockquote>
<p>「「専門職と社会構造」1939&lt;文献a&gt;。パーソンズは,この論文が書かれた17年後,『経済と社会』の中で,パタン変数の四組のうち三組まではすでにここで「例証されている」と明言している〈文献f,p.34.footnote,訳書I,61頁〉。彼が,専門的職業人としての医者と患者の役割・役割期待関係を主として例解しながら,最初に提示するパタン変数の対立する組みあわせは次の三通りである。(1)自己関心(self-interest)対無関心(disinterestedness)。(2)機能的限定性(functionalspecificity)対機能的多面性(functionaldiffuseness)。(3)普遍性本位(universalism)対個別性本位(particularism)。(1)の二つの対立変数は,いわゆる「利己的(egoistic)」対「利他的(altruistic)」の区別と同じものではない。しかしながら,self-interestには「私利私欲」,disinterestednessには「公平無私」という意味あいが強くうかがわれる点からでもあろうか,後にこれは,より一般的な用語,すなわち自己志向(self-orientation)対集合体志向(collectivity-orientation)に変えられているく文献b,c&gt;。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、187P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc14">主体と客体</span></h3>
<p>・主体は「行為者」あるいは「自我(ego)」と呼ばれる。特に行為者同士の相互作用においては自我という。ただし、パーソンズにおける「行為者」は個人だけではなく、複数の個人かならる集合体としての行為をも含んでいる。個人の状況に対する志向は、集合体の状況に対する志向にも適合するとパーソンズは考えている。例えば医者は特定の個人だけではなく、医者たちという複数の集団で考えても同じような選択をする、ということになる。</p>
<p>・客体は「社会的対象」と「非社会的対象」の二種類がある。社会的対象は「個人」あるいは「集合体」などの他者を意味する。非社会的対象は「物理的対象」あるいは「文化的対象」(シンボル)を意味する。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_531cdc28.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2230" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_531cdc28.jpg" alt="" width="1517" height="1440" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_531cdc28.jpg 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_531cdc28-800x759.jpg 800w" sizes="(max-width: 1517px) 100vw, 1517px" /></a></p>
<p>上の図が、主体と客体に対する関係の図。『超自我と社会システム論』(1952) 44Pの図。この図の詳説は省略する(図は川越さんのものを孫引きしました)。フロイトの制震構造の図式を大幅に修正したものらしい。パーソンズにおいてはこれがパーソナリティシステムにあたる。社会システムとは,自我(ego)と他者(alter)の相互的な志向(行為)連関,すなわち相互作用システムに他ならない。</p>
<p>重要なのは、客体が社会的対象と非社会的対象に分かれること、社会的対象は「他者」のことであり、非社会的対象は「文化的対象」と「物理的対象」であるということ。主体と客体(他者)は相互作用状況内にあること。主体は文化的対象を内面化しているということ。</p>
<p>例：お墓を蹴ってはいけないという文化を自己が無意識的にも意識的にも取り入れていく（内面化）。お墓を蹴れば非難される(制度化)。こうした文化は主体の選択に基準を提供し、客体にたいしてどういう相互作用をするか、行為をするか、評価するか、態度をとるかといった志向のあり方に影響を与えていく。</p>
<blockquote>
<p>「社会システム,パーソナリティ・システム,文化システムの関係は次のように整理されよう。まず,行為の準拠枠の諸成分は「主体(thesubject)」と「客体(theobject)」とに大別される。主体とは「行為者一主体」のことであり,相互作用状況内では「自我(ego)」とよばれ,その状況に対する行為の志向(orientation)のあり方が分析上の問題とされる。行為者-主体は単に「行為者」とよばれる場合があり,それは常に「ひとつの行為システム」である。かかるものとしての行為者は,(a)単数のパーソナリティ(apersonality)であるか,(b)単数の社会システム(asocialsystem)であるか――すなわち,個人としての行為者であるか,複数の個人からなる集合体としての行為者であるか――のいずれかである。(b)は(a)の集合にほかならないから,行為の一般理論の目的にとっては、状況に志向する「行為者」は必然的に(b)にも適合する,とパーソンズは考えているようである(この点に関して私も異存はない。&#8230;&#8230;社会的対象とは,「主体」の場合と同様「行為者」すなわち「行為システム」(ただし複数形で示される)のことであるが,相互作用状況内では,これは自我に対して「他者(alters)」とよばれ,分析上問題とされるのはその「客体」としての側面である。かかるものとしての他者は自我の場合と同様――ただし複数形で示される&#8211;(a)パーソナリティ(個人)であるか(b)社会システム(集合体)であるかのいずれかである。また,非社会的対象は,(1)物理的対象と(ii)文化的対象(すなわちシンボルないしはシンボル・システム)とに区別される。(ii)は行為の準拠枠という観点から文化システムをとらえて,それを抽象化したものである。以上の関係をパーソンズは図1のように整理している&#8230;&#8230;」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、189P</p>
<p>「社会システムとは,自我(ego)と他者(alter)の相互的な志向(行為)連関,すなわち相互作用システム(interactionsystem)に他ならない,とするのがパーソンズの基本認識である。それは,ミニマムには図にみるように二項行為者モデルとして提示されている。もちろん,すでにみたように,複数の社会システム(集合体)がいわば「集合的自我」なり「集合的他者」として相互作用を行ない,より上位の社会システムを構成することは理論的に可能である。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、190P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc15">志向様態と対象状況の区別</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>志向様態と対象状況の区別(mode of orientation and object situation)</strong></span>：</big>・<strong><span style="color: #0000ff;">主体(自我)はどういう態度をとるか、客体をどう捉えるかという区別</span></strong>。志向様態の優位性の問題か、対象状況における不確実性の問題かという区別。別の言い方そすれば「態度の側」か、「対象カテゴリー化の側」かという区別。社会対象に対して態度をいかに組織化するか、社会対象それ自体を相互関係の中でいかにして組織化するかという区別。</p>
</div>
<p>様態(ようたい)：物事のありかた</p>
<p>例：感情的な態度を他者にとるというのは志向様態。他者を業績という基準で接するというのは対象状況。</p>
<ol class="sample">
<li class="sample"><b>志向様態に分類されるパターン変数</b>：感情性 vs 感情中立性、限定性 vs 無限定性</li>
<li class="sample"><b>対象状況に分類されるパターン変数</b>：所属主義 vs 業績主義、普遍主義 vs 個別主義</li>
</ol>
<p>※自己中心的志向 vs 集合中心的志向は最終的にはどちらにも分類されないものとみなされ、(一般理論の構築のための)パターン変数から外された。</p>
<p>難しいですよね。～性という場合は「態度を組織化する側の変数」を意味し、主義(本位)という場合は「対象を組織化する側の変数」を意味するというわけです。組織化とは要するに共通価値によって制御を受けるということです。</p>
<p>たとえば感情性か感情中立性かというジレンマにおいては、自分の<strong>態度(志向)</strong>が共通価値によって制御されています。患者に対して医者は感情中立性という態度を選ぶという場合などですね。この場合、感情中立性への方向づけは共通価値によって制御、つまり組織化されています。</p>
<p>一方で、属性主義か業績主義かというジレンマにおいては、<strong>対象が</strong>共通価値によって制御されています。たとえば教師が学生の成績のみで判断するようなケースの場合は属性主義ですよね。ここでいう対象は「生徒(客体、他者)」になります。生徒をどのように扱うか、つまり客体をどのように文化価値によって規定するかという問題です。裁判官が被告を平等に扱う場合も、客体(被告)をどのように文化価値にによって規定するかという問題になります。裁判官の場合は法律によって客体(被告)を平等に扱うことが規定されることになります。</p>
<p>わかったような、わからないような気がしてきますよね。自分は他者に対してどういう態度をとるかという問題と、他者(対象)のどういう側面を扱う態度をとったらいいのか、という区別でしょうか。教師が生徒を平等に扱うというときは「生徒の扱われ方」が問題となり、教師自身のなにかが特別に問題となるわけではないのです。たとえば彼氏が彼女にたいして特定の面だけではなく、多くの面で接するというような場合は、彼氏自身の態度が問題となります。</p>
<table class="table6">
<tbody>
<tr>
<th>客体をどうとらえるかについての分析(客体類別、他者への志向のタイプ)</th>
<td>指向(志向)の選択の分析(<span dir="ltr" role="presentation">自我の態度に関わるもの。</span>)</td>
</tr>
<tr>
<th>
<p>（１）所属本位──業績本位</p>
<p>例：他者を同じ国民かどうかで好き嫌いを判断する　他者に対して所属を基準にして好きという態度をとる</p>
<p>・他者をBを基準にしてAという態度をとる</p>
</th>
<td>
<p>（１）感情性──感情中立性</p>
<p>例：他者に対して怒る態度　他者に対して怒るという態度。好きだから仕事をする、嫌いだから仕事をしない、嫌いだけど仕事をするなど。</p>
<p>・他者に対してAという態度をとる</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>
<p>（２）普遍主義──個別主義</p>
<p>例：他者を普遍的な基準にもとづいて等しく平等に扱う　他者に対して普遍的な法律を基準にして許可という態度をとる</p>
<p>・他者をBを基準にしてAという態度をとる</p>
</th>
<td>
<p>（２）限定性──無限定性</p>
<p>例：他者に対して限定的に関わる。商品の支払いの受付のみで関わるという態度をとる。</p>
<p>・他者に対してAという態度をとる</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>
<p>（？）自己志向的──集合志向的</p>
<p>例：他者よりも自分を優先する態度</p>
<p>この変数は他の変数とはすこし違う。なぜなら集合体と成員の関係を規定するものであり、成員間(１対１)の関係とはすこしずれる。他のパターン変数は１：１も、１：複数も、複数対複数もそれぞれ含んでいるようにみえる。</p>
</th>
<td>&nbsp;</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>（１）から（３）は客体類別で、（４）から（５）は志向様態という分類が可能になります。自分が感情的かどうかというのは自分の態度の問題ですよね。一方で、所属本位や業績本位は客体が何を成し遂げるか、客体が有している特質に関する問題、基準の問題になります。</p>
<p>自分(主体)が感情的になるか、感情を抑えるかという心の態度の問題です。もちろん行為とは基本的に相互関係なので、他者(客体)も関係します。たとえば医者が患者(他者、客体)にたいして感情移入するかどうかです。正直な話、指向と客体類別の違いよくわからないですよね。どちらも客体は関係しているわけです。客体に対してAという態度をとることと、客体に対してBという基準によってAという態度をとることの違いなんですかね。</p>
<p>たとえばAさんが貴族だから感情中立的に接するという場合、地位を判断基準にして態度をきめているので、これは所属主義ともいえます。単純にAさんだから(所属や業績に関係なく)感情中立的に接するという態度をとるという場合は感情中立性といえます。明確な基準(貴族かどうか、法律という基準があるかどうかなど)があるかどうかの違いなんですかね。友達だから怒る、という場合は所属(主体との関係性)を基準にしているので、やはり所属主義ともいえます。友達でも成績が悪いから怒る、というような場合は業績主義だといえます。</p>
<p>たとえば会社でコネで採用される(所属本位)か、学業の成績で採用されるかという二項対立を考えてみましょう(業績本位)。</p>
<p>「行為の対象(他者)をどういう基準で見るか、どう評価するか」という問題です。自分がどういう方向性をとるかというより、他者をどう捉えるかという客体の問題です。たとえば教師は生徒(他者)を親が金持ちだとか、貴族であるとかそういった所属地位で評価するのか、内申点が良いといったような業績で評価するのかという問題です。</p>
<p>限定性と無限定性は指向性の問題です。たとえば患者(他者、客体)の一面的な部分だけ(たとえば治療という限定的な部分だけ)で関わるのか、プライベートまですべて含めて関わるのかという態度の問題です。</p>
<p>わかったような、わからないような気がします。感情的になるか、感情中立的になるかについても何らかの基準が存在するのでは？と思いますよね。たとえば権力者なら感情を抑え、よくしらない失礼な他人なら感情を抑えないという基準があるかもしれません。したがって、基準があるかどうかが志向様態と客体類別の違いではなさそうです。どちらかといえば、その基準が、より主観的な場合か客観的な場合かという違いのような気がします。たとえばムカつくから怒る、というような主観的な場合は志向様態です。社会では店員に限定的に対応することが要求されている、というような場合は客観的であり、客体類別だといえそうです。</p>
<p>とはいったものの、志向様態も客体類別もどちらも「規範」によって制御される行為です。つまり、社会ではどういう態度をとるか、どういう基準をとるかという方向を規範によって規定されているわけです。こういう場合は感情を抑えるべきだ、といように行動をある程度規定され、また本人もその方向へと努力するわけです(規範的志向)。つまり、どちらも客観的な文化的価値・規範を参照するわけですが、規定されつつも、どういう態度をとるかという問題では志向様態、規定されつつも、どういう基準をとるかという問題では客体類別という感じでしょうか。</p>
<blockquote>
<p>「それによると客体類別は普遍性／特殊性(universalismvs.particularism),遂行／資質(performancevs.quality)の二つの軸で行なわれる。前者は客体を普遍的な規準にもとづいて扱うか，主体との特定の関係にもとづいて扱うかの区別であり，後者は客体をその業績でみるか属性でみるかの区別である。&#8230;&#8230;一方，客体への態度は限定性／無限定性(specificityvs.diffuseness).情緒性／中立性(affectivityvs.affectiveneutrality)の二軸で類別される。前者は客体の限られた側面にだけ関心を寄せるか，多面的な関心を寄せるかの区別であり，後者は客体にたいしで情動的な態度をとるかとらないかの区別である。」</p>
<p>春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、141P</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_2149ef1c.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2022" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_2149ef1c.png" alt="" width="1109" height="734" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_2149ef1c.png 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_2149ef1c-800x529.png 800w" sizes="(max-width: 1109px) 100vw, 1109px" /></a></p>
<p>「(1) 感情性 対 感情中立性。(2) 自己志向 対 集合体志向(《I》の自己関心 対 無関心の改訂)。 (3)普遍性本位 対 個別性本位。(4)帰属性本位 対 業績性本位(のちに特質本位 対 遂行本位と 改訂)。(5)(機能的)限定性 対 (機能的) 多面性。(1), (2),(3)の対立変数は状況内対象に対する行為者の志向様態(mode of orientation)のディ レンマ(志向様態間の優位性の問題)から導出されたものであり, (4), (5)の対立変数は対象状況 (object situation)に内在するディレンマ(対象状況における不確定性の問題)にかかわるも である。この「志向様態」,「対象状況」という二つの用語は同テクスト &lt;p.253,訳書405頁参照&gt; に第五図として提示された「動機志向」「価値志向」にそれぞれ対応するはずである。この図表は, 同じ年に出版された文献 c, p.105(訳書114頁参照)で「パタン 変数のグルーピン グ」と銘うたれて,より簡明なかたちに変換され,図3のように示されているし,さらにまたテクスト《III》にお いてもこの図表はそのまま引用されている&lt;文献e, p.67&gt;。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,193-194P</p>
<p>「①感情性と感情中立性（自我の態度に関わるもの。医者は患者に対して感情中立的でなければならないが、親が子供に対する場合はそうであってはいけないだろう。）②限定性と無限定性（これも自我の態度。医者の患者への関心は病気の治療に限られる、すなわち限定的であるが、親の子供への関心は無限定的である。）③普遍主義と個別主義（他者への志向のタイプ。親は我が子を特別の対象として考えるが、医者にとって個々の患者に差別はない。前者を個別主義、後者を普遍主義という。）④所属本位と業績本位（これも他者への志向のタイプ。他者の身分、家柄、肩書きを重んじる態度が前者、後者は他者の業績を評価する。「資質と遂行」ともよばれる。）⑤自己中心志向と集合体中心志向（自我と他者の双方に関わるもの。自分の価値観を重視するか、所属する集団の価値観を重視するか、の違い。）」</p>
<p>山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」58~59P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc16">「価値志向と動機志向」とパターン変数との関連性</span></h2>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio12.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2021" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio12.png" alt="" width="551" height="281" /></a></p>
<p>・図にするとこのような感じになる。集合中心的志向 vs 自己中心的志向は中途半端な存在として扱われている。</p>
<p>・動機志向が志向様態に、価値志向が対象状況に対応しているというのがポイント。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>志向(orientation)</strong></span>：</big>・行為の準拠枠において行為が目的との関連で行為者により行為に付与された意味によって導かれること。行為者が客体に対して何らかの関心を向けること。指向ともいう。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>動機志向(motivational-orientation)</strong></span>：</big>・行為者が客体に対して欲求の充足を期待すること。動機指向ともいう。自分の欲求との関係だけで考えること。例：お腹が空いたから食べる。お腹が空いたから奪う。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>価値志向(value-orientation)</strong></span>：</big>・行為者が客体に対して文化的な価値の実現を期待すること。自分がもっている、あるいは信頼している文化的な価値との関係で考えること。価値指向ともいう。例：より美しく食べる。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範的志向(normative orientation)</strong></span>：</big>・人間は諸刺激に単に反応するだけではなく<strong>、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとすることに関心がある</strong>というもの。また、そのような傾向へと自らを方向づけること。単位行為における単位として扱われることがある。現実には規範的志向に沿わないような行為もあるが、行為の準拠枠においてはすべて規範的志向をもつものに限定される(単純な反射的行動などが除外されるように)。人間は規範に従おうと「努力」する存在である(また、その意味において自由であるという)。</p>
</div>
<p>四単位のうちの規範は規範的”志向”と言われることがある。志向とは関心を向けることであり、心の中の動き、方向である。おそらく規範は行為者に完全に外在しているようなイメージで考えると、行為単位レベルではなく行為体系レベルになってしまうからだろう。つまり、行為体系レベルで生じる創発特性が規範的要素にあたるもので、これは個人レベルでは生じない。極端な話、無人島で生まれて1人で暮らす人間(原子論的個人のイメージ)が、争いはよくないだとか、愛はよいだとかそういう規範へ志向するのかという問題。無人島で独りで暮らす人間にそもそも社会的行為は不可能であり、ほぼすべて行動になる。</p>
<p>もちろん象徴(シンボル)という言葉が単位行為にあるように、ある規範は行為者の心の中にのみ存在するという意味では行為者に内在している(たとえばお墓そのものに規範が存在しているわけではなく、お墓を神聖だと思う行為者の心に規範が存在している)。ポイントは、この心が行為者1人だけに由来するものか、集団で共通に心の中に存在するような望ましいものかということ。殺人は善いというようなものも心の中に存在し、目的や手段を規定しているという意味では規範になるのか。共通に望ましいかどうかは個人の段階ではわからないのではないか(独断的に思うことはできるが、それでいいのか)。それぞれ自分勝手な規範へ志向したら秩序は解決しないのではないか。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範的要素</strong></span>：</big>・「あるものが、(１)集合体の成員達にとって(２)集合体の一部の成員達にとって(３)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素」。要するに、<strong>ある集合体に共通して望ましいと思われているような要素を規範的要素</strong>というわけです。別の用語で言えば「共通価値」であり、「究極的価値」です。ただし究極的価値他の目的のための手段ではなく、論理的に最上位の目的であり、まさにそれ自体を目的としているのですこし印象が違います。</p>
</div>
<p><strong>規範と規範的要素は違う</strong>。規範的要素の中に、規範が含まれている。さらには価値や社会的規範をまとめて1937年時点では規範的要素と言っていることがある。端的に言えば<b>多くの人間が共通して望ましいと思っているような要素</b>を言う。たとえば平和や愛などはどちらかといえば価値に、老人に電車で席を譲るというのは社会的規範にあたる(抽象度の違いで区別、あるいは価値は外側から制御し、規範は内側から制御するというイメージ)。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範(norm)</strong></span>：</big>・単位行為における規範とは、「手段と目的を関連づける基準」であり、規範的要素における規範とは、「<strong>望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述</strong>」である。さらに規範的要素となると、「<strong>複数の人間にとって共通して望ましいとされる基準</strong>」となる。一般に規範とは、「社会や集団において、成員の社会的行為に一定の拘束を加えて規整する規則一般」を意味する。</p>
</div>
<p>(単位行為の文脈における)<b>規範</b>：手段と目的を関連づける「<strong>基準</strong>」。合理的なものもあれば非合理的なもの、没合理的なものもあるとされる。</p>
<p>(規範的要素のうちのひとつの)<b>規範</b>：規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述。ここでは望ましいかどうかは個人の判断のみであり、複数の行為者による共通の承認という要素がないとも考えられる。その意味で、単位行為レベルでは創造的な余地、能動的な余地が残されていると解釈されるケースがある。たとえば、集団で人種差別は望ましいと思われていた場合でも、ある個人が自分の意思で能動的に、人種差別は善くないという規範へと志向するなどといったブレイクスルー(創造、革命的)要素。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>価値(value)</strong></span>：</big>・具体的な個々の状況を超えて行為者はこうすべしという格率</p>
</div>
<div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>行為体系における構造的要素</strong></span>：</big>・行為体系は「究極的目的(究極的価値)」、「内在的中間領域」、「究極的手段」の３つの構造的要素にわけることができる。</p>
</div>
<p>・行為体系における３つの<b>構造的要素</b>(中期以降ではパーソナリティ体系、社会体系、文化体系などに行為体系から分化していくことになるが、初期ではまだ分化していない。)</p>
<p>【１】<b>究極的な条件</b>：たとえば遺伝や森や海などはそれ自体としては有意味ではない。しかし行為者によって意味づけされることで、主観的に、心の中で価値のあるものとなる。また、行為には欠かせないという意味で、行為の条件や手段である。</p>
<p>【２】<b>内在的中間領域</b>：目的──手段関係の中間領域。目的を達成するために行為者は必要な手段を選択し、主体的に活動していく領域。</p>
<p>【３】<b>究極的価値</b>：目的ー手段の連鎖の最上位に位置するようなもの。例えばお金を稼ぐため(目的)に仕事をする(手段)が、お金を稼ぐというのもさらに何かの目的のための手段であると考えられる。この連鎖の最上位、なにかのための手段ではなくそれ自体が目的というような分析的な概念を究極的価値という。この究極的価値は規範的要素(共有価値)にあたる(定義的には下位の目的でもよいとありますが、目的そのものという意味からはそう解釈できる)。秩序を形成する本質的な要素。究極的価値(究極的目的)は共通価値の「具体的な現れ」とも表現されている。</p>
<p>・パーソンズは究極的価値(究極的目的)を非経験的なもの、宗教的なものと考えた。</p>
<p>・人間の中間領域、つまり目的と手段の連鎖を統合するような、頂点で支えているような要素が「究極的価値」である。</p>
<p>例：生きるために食べる、食べるために稼ぐ、稼ぐために働く、働くために学ぶ&#8230;といった目的と手段の無数の連鎖がある。その最上位の目的が究極的目的(価値)である。ある目的が究極といえるかどうかという価値判断ではなく、目的と手段の連鎖には<b>論理的に</b>最上位の目的と最下位の手段があるということ。究極的目的の「具体的な中身」については時代や社会などによって異なる。その意味でパーソンズの理論は<b>抽象的な一般理論</b>であり、個別具体的な理論ではない。比喩的に言えば「入れ物」であり、「枠組み(準拠枠)」である。</p>
<p>たとえば生きる目的は神から救済されるため、遺伝子を残すため等。それにたいして最下位のものが究極的条件であり、手段をとるための基礎をなすものであると考えることが出来る。学ぶためには脳みそが機能していて、文字が読めて、図書館を利用できて、といった条件が最下位付近にはある。木材は中間領域で人間が目的の達成に価値がある手段だと考えることで、はじめて意味をもってくる。木材それ自体に人間から離れて独自に、客観的に意味をもっているわけではない。</p>
<p>・このように考えると、究極的価値や究極的条件は基本的に個人レベルにおいてはコントロールが及びにくく、ある程度外在しているものであると考えられる。人間は中間領域において、究極的価値へ向かって自ら(下位の連鎖の)目的や手段を意志的に、努力によって選択していく存在であり、その意味で主意主義的であると考えることができる。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio15-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2048" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio15-1.png" alt="" width="746" height="316" /></a></p>
</div>
<blockquote>
<p>「まず、行為者が客体に対して何らかの関心を向けることを『指向(orientation)』といいます。その『指向』には二種類ある、というのがポイントです。『動機指向(motivational-orientation)』と『価値指向』。動機指向とは、行為者が客体に対して欲求の充足を期待する、ということです。そして価値指向は、行為者が客体に対して文化的な価値の実現を期待するということ、にあたります。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』393P</p>
<p>「パーソンズのオリジナリティのポイントは、『価値指向』のほうにある。行為者に価値志向があるがために、社会秩序は可能になる、というわけです。つまり、共通の文化的価値や規範が、行為者に『内面化』され、社会システムに『制度化』されているがために、社会秩序が可能になる、ということがパーソンズの結論です。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』395P</p>
<p>「以上が五つの二価的な構造をもつ型の変数であり、パーソンズによれば、人間の行為における規範的志向の選択は、これで尽きているというわけである。一つの行為が五つの二価値のいずれか一つを選択するとすると、その組み合わせは全部で三十二になる。そこで、論理的には行為を三十二の類型に分けることが可能になるわけだけれども、これは大変煩雑であるから、実際の適用には若干の単純化が施される。繰り返すが、ここで析出される三十二の行為類型は、まず文化の要素としての規範の構造であり、より具体的には『役割期待』の形で人々の行為を拘束する。さらに、これがパーソナリティのなかに内面化されたときには、その人間の様式を決定する基準（動機づけ）の構造となって人格の一部を形成しているのである。さらに、こうした行為の様式を決定する基準（動機づけ）の構造となって人格の一部を形成しているのである。さらに、こうした行為者による行為が集合的に秩序立った全体を構成したときには、それは社会の（制度的）構造としても現出する。こういうわけで、この変数群によって決定される『型』は、文化、人格、社会を横断(通底)するのである。」</p>
<p>中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』62P</p>
<p>「行為システム一般の準拠点として,一方の極に動機志向を,もう一方の極に価値志向を置きながらパーソンズは次のように述べる。「パタン変数の二つのもの(感情性一中立性と,多面性&#8211;限定性・筆者)は準拠システムの一方の極(動機志向・筆者)に特別に関連しており,他の二つのもの(普遍性本位一個別性本位と,帰属性本位一業績性本位・筆者)はもう一方の極(価値志向・筆者)にとりわけ関連し,第五のもの(集合体志向-自己志向・筆者)は,いわば両極のあいだで『中立的』である。」</p>
<p>川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、194P</p>
<p>「規範的という語の定義を引用しておこう。「あるものが、(１)集合体の成員達にとって(２)集合体の一部の成員達にとって(３)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素に、ふさわしい語として、規範的という用語が用いられる」この定義の特徴は、ある要素が、成員聞に共通して望ましいと認められていること、ないし認められるべきだと行為者が考えているということ、つまり成員間における共通性(ないし共有性)が強調されていることである。規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、「規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コlスの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である」)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた「手段と目的を関連守つける基準」という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員聞に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」11P</p>
<p>「こうしてパーソンズは、「人間は、諸刺激に単に反応するだけではなくて、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとする(これが規範的指向 引用者)、するという経験的事実」を分析の出発点にして、この規範的指向を、行為の根本的な要素とみなすことになる。けれども、この「経験的事実」の反面、つまり共通のパターンに一致しない行為の可能性が存在することも確かである。パーソンズの主旨は、後者を否定するのではなくて、前者の事実に問題領域を限定する、ということである。このことを彼は明確に自覚していて、次のように述べている。「空間が古典力学にとって、根本的であるのと同じ意味で、規範的指向は、行為図式にとって根本的である。空間的位置の変化以外に運動がないのと同様に、規範に従おうとする努力(effort)以外に、行為はない。どちらの場合も(力学と行為理論　引用者)この命題は、定義ないし定義からの論理的な帰結である。けれども、人間行為が、実際に規範的に指向しているかどうかという問題を提起することは、今の目的にとって必要がない」。この文章は要するに、システム・レヴェルにおいて採用されている概念閲式を明示しているものと考えられる。「規範に従おうとする努力」という行為の定義スケッチは、彼の種々の定義スケッチの中で、(「秩序問題」が彼の第一のテーマであるとするならば)最も直裁的な表現であろう。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」12-13P</p>
<p>「規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、『規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である』(『社会的行為の構造』,75P)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた『手段と目的を関連付ける基準』という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員間に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。以上から明らかなように、「規範的要素」という概念は、複数の行為者から成るシステムを前提にしてむり、複数の行為者による共通の承認ということを含んでいる」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」11P</p>
<p>「社会や集団において、成員の社会的行為に一定の拘束を加えて規整する規則一般を意味する。成員たちが多少とも共有している価値との関係でいうと、その価値に誘導されて行為を規整するのが規範であるから、規範は価値よりも、行為を具体的に特定化する度が大きい。したがって、規範は、行為において追求される目的選択の基準や、その実現に取られるべき行為の様式に関する指示を含んでいる。社会規範は通常、①慣習(伝統、流行、風俗を含む)、②習律(モーレス)、③法、に分類される。規範はすべて、それへの同調のチャンスを高めるような社会的サンクション(報酬と罰)を伴っている。サンクションは誇りや恥の感じをもたらす無定型の圧力から、明示的な非難、称賛を経て物理的強制に至る多様なかたちをとる。</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、108P</p>
<p>「『社会的規範』は、個々の相互行為を統制するものである。社会と時代が異なれば、それに応じて異なった規範がその社会と時代に通用するだろう。「価値」と「規範」の違いは、その内容の抽象性が高いか（価値）、それとも具体的な状況にある程度対応して具象的に表現されているか（規範）の違いである。たとえば、教育制度において、身分、出自、性差などの個人の属性に関わらず、教育の機会を与えることが、教育制度における「価値」であろう。他方、学生は試験に際して、カンニングをしてはいけないという決まりは、「社会的規範」である。（1937年当時のパーソンズは、「価値」と「社会的規範」をまとめて「規範的要素」と呼んでいる。）以上のように、「価値」は具体的な個々の状況を超えて行為者はこうすべしという格率であるのに対して、「規範」は、具体的な相互行為の場面を想定し、「社会の秩序」を維持するために、あるいは、「社会システム」が活力を持って作動してゆくためにプラスとなる行為を奨励し、マイナスとなる行為を禁止する決まりであると基本的には考えられる。」</p>
<p>溝部 明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」、31~32P</p>
<p>「まず,社会的行為を構成する要素は究極的価値=規範的要素ultimatevalue,内在的中間領域intrinsic-intermediatesector,究極的条件ultimateconditionのいずれかに区分される。。言い換えれば,社会的行為は究極的価値,内在的中間的要素,究極的条件という三大要素から構成される」</p>
<p>小松 秀雄 「パーソンズ社会学における宗教-ウェーバーからパーソンズへの転換-」73P</p>
<p>「そのうえでパーソンズは、究極的目的と道徳的規範は社会の成員により共有されている共通価値の具体的な表れであるとみなすことによって、『行為者が共通価値に裏打ちされた道徳的規範を義務として遵守し、同じく共通価値から派生する究極的目的の実現に努力するならば、社会秩序を形成、維持できるにちがいない』と結論づける。」</p>
<p>「クロニクル社会学」,40P</p>
<p>「「秩序問題」に対する（1937 年当時の）パーソンズ自身の解答は、次のようなものだった。コンフリクトを生み出さないような相互に調和的な価値を社会のメンバーたちは共有しており、そのことによって社会のまとまりが形成され、その社会は支障なく作動してゆく。また、個々の行為は社会的規範によって規制されており、とくに暴力と欺瞞を手段とすることは禁じられている。規範に違反する行為に対しては、社会統制が作用して、人々が規範を遵守するように促す。こうして一つの社会システムがまとまりを維持しつつ作動し、その内部は規範と社会統制によって規制されている（この状態をパーソンズは「共通価値統合」と呼んだ）ので、そこに、「万人の万人に対する闘争」が発生する可能性はない。」</p>
<p>溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」、20-21P</p>
<p>「ここでパーソンズは，功利主義の科学的な合理性による行為ではなく，価値や理念によってなされる行為を想定する。つまり，科学的に検証可能な合理的知識という観点から見た場合，非合理的と見える行為である。宗教的行為などがそれにあたるのであるが，パーソンズにとってはそうした価値こそ，行為を成り立たせるための重要な要素となるものであった。この価値は，個々人の総和を超えたところに生成する創発特性であると同時に，社会的に望ましいものとされる。また，行為者にもそうした価値を帯びて内面化されることによって，行為を導く要素となるのである。パーソンズは、功利主義批判を通して，以上のような「共通価値による統合」をもって，「ホッブス問題」を解決しようとしたのである。」</p>
<p>村井重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」、46P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc17">パターン変数と社会秩序</span></h2>
<h3><span id="toc18">前期パーソンズと中期パーソンズ、後期パーソンズの整理</span></h3>
<p>※今回は主に中期パーソンズのパターン変数を中心に検討します。AGIL図式にはあまり触れません。</p>
<p>初期以前：1935年『社会学理論の中で究極価値が占める位置』</p>
<p>初期パーソンズ(1937年~1951年)：行為の準拠枠、主意主義的行為理論関連、共有価値の理論など 『社会的行為の構造(1937年)』(この段階でパターン変数は３つだけ)</p>
<p>中期パーソンズ(1951年~1966年)：社会システム関連(パターン変数やAGIL図式、制度化、内面化)　『行為の総合理論を目指して(1951年)』　『価値・動機・行為体系(1951年)』(４つのパターン変数、５つのパターン変数はここで扱われる)　『社会体系(1951年)』『行為理論の作業論文(1953)』</p>
<p>後期パーソンズ（1966年～）：サイバネティクスがAGIL図式と結び付けられる。コントロールハイアラーキー(L→I→G→A)など。</p>
<p>パーソンズの一番目の著作は1937年の『社会的行為の構造』です。主意主義的行為理論や共通価値統合、ホッブズ的秩序問題に取り組みました。初期パーソンズとして分類されます。行為の準拠枠もこのあたりですね。</p>
<p>パーソンズは1951年に『行為の総合理論を目指して(Toward a General Theory of Action )』をシルスと共編著で刊行し、1953年にベールズと共著で『Working Papers in the Theory of Action』を刊行しました。後者の方は邦訳すると『行為理論の作業論文』ですね。『Working Papers in the Theory of Action』のほうではじめてAGIL図式が説明されたそうです。このあたりが中期パーソンズです。</p>
<p>パターン変数の説明は1951年の『行為の総合理論を目指して』のほうです。また3つのシステムや制度化と内面化の説明もこちらです。AGIL図式ではさらに行動有機体というシステムが加わり、４つのシステムになります。1951年の『行為の総合理論を目指して』のあたりから社会システム論を展開していったようです。1951年には他にも『社会体系論』などがあり、そこでは役割や相互行為などが説明されています。</p>
<p>１：パーソンズ初期においては個人の行為や近くに重点が置かれている。個人の役割が強調されている。主意主義的行為理論。人間の自由な選択意志がメイン。功利主義への批判外面。</p>
<p>２：パーソンズ中期においては「動機づけ」に注意が集中している。秩序安定のシステムについて関心が向かう。</p>
<h3><span id="toc19">初期パーソンズ</span></h3>
<p>※初期パーソンズについては以前の記事を参照。出典は省略する。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</a></p>
<p>１：1951年代以降を中期、それ以前を初期とする。『行為の一般理論をめざして』(1951)において「制度化」と「内面化」という考え方が出てくる。また、3つのシステム(文化システム・社会システム・パーソナリティシステム)から社会が考えられている。更に重要な「役割」という考え方も出てくる。パターン変数が４になったのも、この論文(５つと表記される箇所も同時にある)。『専門職と社会構造』(1939)の時点では３つ。</p>
<p>２：『行為理論の作業論文』(1953)において、AGIL図式という考え方が出てくる。パターン変数が４つに確定したのはこの論文。AGILという４つの機能に合わせて、４つのパターン変数の組み合わせ(対立ではなく親和的なもの)が考えられる。</p>
<p>・今回は主に1951年における制度化と内面化、3つのシステムを扱う。AGIL図式にはあまり触れない。※各システムを形成する行為システムやそれらを形成する単位行為の説明はすでに行ったので省略する。</p>
<p>・初期パーソンズの復習</p>
<p>１：『社会的行為の構造 』(1937)では「いかにして社会秩序は可能なのか」というホッブズ的秩序問題が重要だった。</p>
<p>２：その解決方法は、「共通価値統合」にある。この解決方法は中期の『行為の一般理論を目指して』(1951)では「制度的統合」という言葉に代わっていく。</p>
<p>３：「共通価値」とは初期パーソンズにおいて、個人のレベルでは存在せず、集団において生じる「創発的特性」である。個々人の総和を超えたところに生成する価値であると同時に、社会的に望ましいものとされている。個人にのみ焦点を当てても確認されないような要素である。</p>
<p>・共通価値の具体的な表れが究極的価値(究極的目的)や道徳的規範、社会的規範である。価値は抽象度が高く、規範は抽象度が低いというイメージ。たとえば「人に優しくするべき」は抽象度が高く、「電車で妊婦に席を譲るべき」は抽象度が低い(具体度が高い)。</p>
<p>・ただし、共通価値は必ずしも倫理的に善いものというわけではなく、共通して集団においてもたれている価値であり、共有されているということが重要。</p>
<p>・パターン変数でいえば、共通して見られるような特定の変数。例：医者は感情中立であることが望ましいと共有されている場合、これは共通価値になる(共通価値の世俗化、具体的な現れともいえる)。</p>
<p>４：万人の万人に対する戦いを生み出さないような価値(規範)を共有しているから、社会の秩序が生成される(この解答は規範解ともいわれる)。</p>
<p>・パーソンズによれば<b>人間は価値へと志向する生き物</b>だという。人間の行為は条件に規定されつつ、規範にも規定され、さらに規範へと意志や努力をもって志向する(意志や努力という点で行為を捉えるので、主意主義的行為理論という)。</p>
<p>・初期パーソンズにおいては、「人間は、諸刺激に単に反応するだけではなくて、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとするという経験的事実(『社会的行為の構造 』(1937),76P)」と規範的志向について説明している。動機志向だけではなく、価値志向をもつ生き物という前提がある。また、価値や規範においては合理的なものだけではなく、非合理的なものも含まれているのがポイント。非合理的(没合理的)なものの例としては宗教などが挙げられる。</p>
<p>・中期パーソンズにおいては、なぜ人々が規範的志向をもつのかというと、<b>諸個人は不安よりは安定を、逸脱よりは秩序を選ぶ傾向、そのような「合理性」があるから</b>だという。超自我というものが人間にはあり、それらが価値を内面化して、私的利益よりも集合的利益を優先するようになっているらしい。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズによれば、諸個人は、不安よりは安定を、逸脱よりは秩序を選ぶ傾向、すなわち「合理性」をもっている。パーソンズは、行為が「規範に指向する」25という言い方で、これを説明しているが、すなわち、社会体系の成員である個々人の行為の動機づけが、社会体系のもつ「規範的な文化的基準」「価値の規範的なパターン構造」と合致することを言っている。なぜ行為が「規範に指向する」かというと、体系の成員である個人にとって、「規範への指向」（または「基準への同調」）は、その反対のもの（すなわち、規範からの「逸脱」）よりも「その行為者たちの利益に結びつく」からである。逸脱は、規範的パターンの「攪乱」であり、「緊張」であるとされる。行為理論においては、「役割」はつねに「他者の役割期待」と表裏一体の（相補的な）ものとして存在する。すでに確立した規範があって、個人はそれへ一方的に同調することを求められているのではなく、「規範への指向」が規範を確立するという相互作用によって「共通の価値志向の型の内面化」が達成され、ついでその価値が制度化されることで、堅固な社会体系が成立するとされる。」</p>
<p>山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」61P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc20">内面化と制度化(中期パーソンズ以降)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>内面化(internalization)</strong>：</big>・<span style="color: #0000ff;"><strong>文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティシステムの一部となること</strong></span>。社会化(学習による獲得)を通じて、一定の「共通価値」への同調が行為者の欲求の一部となること。特定のパターンの組み合わせが行為者の欲求の一部となることを意味する(パターン変数の内面化)。内面化はパーソナリティシステムにおいて行われる。</p>
</div>
<p>例：市民社会の諸個人には、商取引は公明正大でなければいけないという共通の価値が内面化されている。学校で教わったり、他人の行為を見たり、そういうことの積み重ねで学習され、内面化される。パーソンズによれば人間は価値へと志向するもの、つまり価値を内面化する生き物であるとされている。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>制度化(institutionalization)</strong>：</big>・<span style="color: #0000ff;"><strong>文化システムの価値や規範が社会システムの制度として正当性を付与され、それらからの逸脱が報酬と制裁によってコントロールされるこ</strong><strong>と</strong></span>。「行為者のもっている期待を、人々が分かちもっている価値の型と統合すること」。社会統制とも呼ばれる。パーソナリティシステムにおける内面化だけではパターン変数の安定性が保証されないので、社会システムにおいて制度化されている必要がある。共通の価値の内面化(秩序を維持させるような、特定のパターン変数の内面化)はパーソナリティシステムや社会システム、文化システムをつなぐ側面がある。内面化され制度化された共通価値を文化と呼ぶ。文化は個人(パーソナリティ)と社会を媒介する重要な要素である。文化は選択的な指向や秩序付の基準を提供する。</p>
</div>
<p>共通価値が内面化され、制度化されたものが「文化」である。文化は個人に内面化されつつ、社会システムの制度であもるので、個人と社会を媒介し、統合し、秩序付ける役割を持っている。例：「挨拶は善いものだ」という共通価値が学習によって内面化され、かつ日本文化といえば挨拶だというような「制度」になっているケース(挨拶をするものは常識人だと報酬を受け、挨拶をしないものは無礼だと制裁を受ける)。あるいは犯罪行為を法律で罰する等。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>社会化</strong></span>：</big>・指向の基本的な型をパーソナリティに内面化する動機づけの過程。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>動機づけ</strong></span>：</big>・状況にどう立ち向かうかという行為の指向を形成するメカニズム。役割制度に強制的かつ自発的に順応させるメカニズム。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>役割</strong></span>：</big>・「行為者の志向のなかで、相互作用の過程への彼の参加を構成し、また規定するような、組織化された部分。相補的期待を含んでいる」。パーソンズによれば<strong>社会構造のもっとも重要な単位は人間ではなく役割</strong>である。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>相補的期待</strong></span>：</big>・個人は社会体系に参加する際に、他者の期待によって規定される。また、他者もこちらの期待によって規定されるので、相補的期待という。</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Untitled-Diagram.drawio22.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2233" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Untitled-Diagram.drawio22.png" alt="" width="751" height="341" /></a></p>
<p>制度化と内面化を図にしたもの。行為を制御する価値や規範が社会システムにおいて制度化され、パーソナリティシステムにおいて内面化される。共通価値の制度化と内面化を通して、社会が安定し、秩序が生まれるという。</p>
<p>このような秩序生成を、「<b>制度的統合</b>」ともいう。</p>
<p>ただし、価値や規範は所与のものであり、価値や規範そのものの生成システムを説明しきれていない、価値がどう維持されるかの説明をしているだけ、という批判がある。</p>
<p><b>パターン変数の内面化</b>：特定のパターンの組み合わせが行為者の欲求の一部となることを意味する。パターン変数とは共通価値の具体的な現れである。</p>
<p>・なにが具体的に共通の価値であるかは、時代や社会によって異なる。たとえば前近代ではゲマインシャフト的な組み合わせが秩序につながったが、近代以降では人口が増え、分業などゲゼルシャフト的な組み合わせが秩序につながるということもある。時は金なりと思われる時代もあれば、そう思われない時代もある。神の救いが切実に認識されていた時代もあれば、認識されなくなる時代もある。</p>
<blockquote>
<p>「少し用語を解説しておくと、まず内面化(internalization)」というのは、社会化(学習による獲得)を通じて、一定の文化的価値と規範への同調が、行為者の欲求の一部となることです。」</p>
<p>「社会学史」、大澤真幸、395P</p>
<p>「社会的相互作用の体系が安定化しうるのは共通の価値志向の内面化を通じてである。これをパーソナリティに関する用語に翻訳するなら、当該個人の役割による志向の型の一つびとつに対応して、超自我の組織という要素があることを意味する。あらゆる場合、超自我の要素の内面化は、適当な限界内で適当な機会に、私的利益に対する集合的利益の優先を承認しようとする動機づけを意味する」</p>
<p>タルコット・パーソンズ「行為の総合理論をめざして」、p.238</p>
<p>「制度化(institutionalization)というのは、一定の文化的価値と規範が社会システムの制度として正当化を付与され、それからの逸脱がサンクション（報酬と制裁）によってコントロールされることを意味しています。」</p>
<p>「社会学史」、大澤真幸、395P</p>
<p>「社会システムにおける＜望ましいもの＞を定義している規範的概念、それが文化要素としての価値である。それが個々人の行為を制御するのは、社会化のメカニズムを通して人格システムの中に内面化し、行為の動機づけを形成するからであり、またこうした行為の集合状態としての社会構造を基礎づける。そのことを、価値・規範の制度化と呼ぶ。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」、中野秀一郎、94P</p>
<p>「動機づけとは、状況にどう立ち向かうかという行為の指向を形成するメカニズムのことであり、そしてその状況には役割構造も含まれている。それゆえ、もしもそうした指向が、社会の共通した基準に従ってあらかじめ行為者としてのパーソナリティ・システムのなかに組み込まれていれば、役割相互行為は努力や意志といった主意的で不確実な要素に依存すること無く、自動的かつ確実に遂行されることになる。こう考えるパーソンズにあっては、指向の基本的な型をパーソナリティシステムに内面化する動機づけの過程としての社会化と、そこから逸脱した行為を再度適正な方向へと動機づける社会統制とが、社会システムの秩序にとって決定的な意味をもつことになる。こうして、彼の行為の準拠枠を構成する要素は、行為者、指向、状況へと変更されることになる。」</p>
<p>「クロニクル社会学」,42-43P</p>
<p>「社会体系とは、行為理論の関係枠のなかで分析された、複数の人間の相互作用の体系である。それは、もちろん、個人としての行為者の関係によって、ただそのような関係だけによって成り立っている」</p>
<p>タルコット・パーソンズ「行為の一般理論をめざして」、37P</p>
<p>「社会学は「共通価値による統合という属性によって理解することのできる社会的行為体系に関する分析的理論の展開をめざしている科学である」と定義することができよう」(Parsons,1937＝1989:)</p>
<p>「「整合された体系」とは秩序・安定・均衡・統合を具備した体系であり、その根底にあるのは、内面化・制度化された「共通的価値」である（「共通的価値なしにいかなる秩序もない」21）。パーソンズはこの「内面化され制度化された共通的価値」を「文化」とよぶ。」</p>
<p>※21=タルコット・パーソンズ「家族」</p>
<p>山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」、60P</p>
<p>「われわれが選び取った概念化の基本方針によれば、文化的要素は、コミュニケーションおよび相互行為過程にみられる指向の相互性のその他の側面を媒介し、規制するパターン化された秩序の要素なのである。行為の動機づけの構成要素にたいする文化の関係には、つねに規範的側面がみられ、すなわち、文化は選択的な指向や整序づけの基準を提供している、とわれわれは主張してきた」</p>
<p>タルコット・パーソンズ「社会体系論」、327P</p>
<p>「制度化とは、「行為者のもっている期待を、人々が分かちもっている価値の型と統合することである」［ParsonsandShils(eds.)1951,p.20,訳,31頁］。つまり行為者の保有する価値や規範が社会において承認され、社会の価値や規範になることである。これに対して、内面化とは、文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティ構造の一部になることである。パーソンズのいう制度化と内面化を図示すると図1のようになる」</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_43857eab.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2225" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_43857eab.png" alt="" width="767" height="391" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_43857eab.png 767w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/06/Snag_43857eab-650x330.png 650w" sizes="(max-width: 767px) 100vw, 767px" /></a>友枝敏雄「方法論的個人主義にもとづく社会理論の問題点 : パーソンズとロールズを中心として」6P</p>
<p>「社会構造のもっとも重要な単位は人間ではなく役割である。役割とは、行為者の志向のなかで、相互作用の過程への彼の参加を構成し、また規定するような、組織化された部分である。それは、行為者自身の行為と、彼が相互作用する他の人々の行為に関する一組の相補的期待を含んでいる」</p>
<p>タルコット・パーソンズ『行為の一般理論を目指して』、37P</p>
<p>「もちろん、個人は強制された・不自由な存在とされてはいないが、個人は社会体系に「参加」する際に、「規定」「組織化」を受けるものとされている。何によって「規定」されるかというと、他者の「期待」であるが、他者もこちらの「期待」によって「規定」されるわけだから、「相補的期待」とよばれる。&#8230;&#8230;「役割」とは、端的に言えば、「機能の担い手」であるから、パーソンズらは社会を「諸機能の体系」として見ていることになる。この考え方は、現代社会を大企業または大組織（官庁その他）をとおして見る場合に有効なもので、ふつう構造的機能主義とよばれる。さて、「社会構造のもっとも重要な単位」は、マルクス主義的準拠枠では、「商品」であった。パーソンズらがそれを「役割」と言い換えたということは、社会をモノの体系ではなく、「機能の担い手」である個人の行為の体系としてとらえようとする新しい準拠枠の提示なのであるが、「役割」とは「行為者の志向のなか」の「組織化された部分」だという主張の意味をまず考える必要があろう。」</p>
<p>山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」、57P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc21">パターン変数とAGIL図式との関連</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>AGIL図式</strong></span>：</big>・パーソンズはどんな社会にも４つの機能要件があると考えた。機能要件とは「それが満たされなくては社会システムが維持できなくなるような社会の目的」である。この4つの機能要件のそれぞれの頭文字がA、G、I、LなのでAGIL図式という。それぞれ<strong>A</strong>daptation(適応)、<strong>G</strong>oal Attainment(目標達成)、<strong>I</strong>ntegration(統合)、<strong>L</strong>atent pattern maintenance and tension management(潜在的なパターンの維持と緊張緩和)である。</p>
</div>
<p>※今回はAGIL図式の詳細には触れません。</p>
<p>4パターンの二項対立の組み合わせは4×４で全部で16通りあります。そのうちの4通りにあたるものが、AGIL図式を構成するそうです。残り12通りは、社会の4つの機能要件にははいらないということになります。パーソンズは社会システム以外に、文化システム、行動システム、パーソナリティシステムがあると考えたのです。それぞれのシステムに4通りの組み合わせがあります。</p>
<p>AGLI図式、すなわち社会システムにあたるものは以下の4通りの組み合わせです。１：「普遍主義＋限定性」(適応)、２：業績主義＋感情性(目標達成)、３：無限定性＋個別主義(統合)、４：所属主義＋感情中立性(型の維持)です。</p>
<p>※４番目は業績主義＋感情中立性と書いていましたが、正しくは所属主義＋感情中立性ですm(_ _)m　2023 0120追記　訂正済み</p>
<p>今回は<strong>AGIL図式にもパターン変数が関係している</strong>という点、<strong>行為を説明するに１６通りのパターンがあり、そのうちの４通りのパターンが社会システムを説明する際の行為のパターン</strong>だという点を確認して終わります。詳細が気になる方は以下の引用から論文を参照してみてください。論文にはなぜそのような組み合わせになるのかの説明がないので、パーソンズの原典を参照したほうがいいかもしれません(タルコット・パーソンズ『社会システムの構造と変化』 )。社会学基礎として扱う内容ではないと思うので省略します。AGIL図式についてはパーソンズの最終回に扱う予定です。</p>
<blockquote>
<p>「そして最終的には，4組の2項対比で与えられたパターン変数のすべての組み合わせ(16通り）が行為システムのサブシステムのサブシステム（全部で16個ある）り「行為システム」という表現はないが，である」([21]90頁）のひとつずつに割り当てられて図2のような対応ができあがる。図2は『社会システムの構造と変化』の第8図(81頁）パターンパーソンズは「型の変数は行為システムの構造おをそのまま示しておよびシステム間の関係の下に横たわり，基礎をつくっているメタ・アクション・カテゴリーと見ているのだから，図2は図1の右上区画の「行為システム」を16分割したものと解釈してよいだろう。少なくとも図2の右上4区画が「社会システム」に対応することは，『経済と社会』の第一章末尾の「術語についてのノート」の記述からも明らかである([23]訳I59頁）。」</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_158bc4dd.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2009" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_158bc4dd.png" alt="" width="839" height="833" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_158bc4dd.png 839w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_158bc4dd-800x794.png 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_158bc4dd-60x60.png 60w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_158bc4dd-120x120.png 120w" sizes="(max-width: 839px) 100vw, 839px" /></a></p>
<p><span dir="ltr" role="presentation">春日 淳一</span>「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」141P</p>
<p>「ロッシェは、つの機能のそれぞれが、対象の様相に関するつのパターン変数の選択と、対象への方向性づけに関するつのパターン変数の選択に結びつけられていると述べ、これを図のような図解によって要約を行っている）。その後のパーソンズの研究歴では、ほとんど図式だけが縦横に駆使されることになるが、彼は死去の前年にも私の知的な歴史の中で非常に重要な役割を演じたとしてパターン変数の意義を認めていたのである。」</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_15982f83.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2010" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_15982f83.png" alt="" width="774" height="518" /></a></p>
<p>木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」6-7P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc22">役割とパターン変数の関係</span></h3>
<p>・役割とパターン変数の関係</p>
<p>役割は任意のものではなく、「社会システムを維持・安定・統合するための役割」。この役割のあり方が「パターン変数」として表される。</p>
<p>例：コンビニの店員は客に「限定性」であることを求め、客もコンビニの店員に「限定性」であることを求める。お互いにプライベートな事柄には関与してほしくないとのぞみ、商品の売り買いという限定的な要素のみの役割を期待している(相補的期待)。また、そうした相補的期待が社会システムを安定させ、相互行為を安定させる。こうしたものが社会秩序につながる。</p>
<p>・ダブルコンティンジェンシーとパターン変数</p>
<p>パターン変数の安定は、<b>ダブルコンティンジェンシー(二重の不確実性)</b>を緩和させる。ダブルコンティンジェンシーとはお互いに相手の出方が不確実であるという状態。社会が安定していれば、相手の出方を予測し、期待できる。共通の価値が個人に内面化され、社会で制度化されているからこそ、その期待はより高まる。</p>
<blockquote>
<p>「五対の「分かれ道」の選択において、自我は自らの欲求性向の充足を求めつつ、他我の反応を考慮するわけだが、他我の反応は必ずしも完全に予想できるものではないし、その結果として、それに対する自我の反応も完全に予想できるものではないことになる。パーソンズは、社会的行為に固有のこの二種類の不確定性を「二重の相互依存性」（doublecontingency）として概念化した。もし個人がその時々の気まぐれに従ってでたらめな選択を行うとしたならば、そこにはいかなる秩序もないであろうが、実際には、社会にはこのような混乱を「規制するパターン化された秩序」が存在する。そのメカニズムが「期待の相補性」および「内面化され制度化された共通の価値」すなわち「（文化の）規範的側面」の働き（＝「パターン維持」）である、とされる。すでに何度か触れたように、行為理論の準拠枠の中心概念は「役割」である。社会体系において諸個人が担う「役割」は、任意の役割ではなく、「社会体系を維持・安定・統合するための役割」であり、それがどのように形成されるのかに対する答えが「共通の価値志向の型の内面化」と「制度化」であることを見た。社会体系の安定性・一貫性は、その成員である諸個人が「共通の価値志向の型の内面化」のための学習を安定的に行うためにも必要とされる。」</p>
<p>山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」、60-61P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc23">医者のケース</span></h3>
<h3><span id="toc24"> </span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2008" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-1.png" alt="" width="954" height="595" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-1.png 954w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-1-800x499.png 800w" sizes="(max-width: 954px) 100vw, 954px" /></a>図にするとこんな感じです。医者の場合は５つの二項対立軸のうち、感情中立性、限定性、普遍主義、業績主義、集合志向的を選択する傾向、パターンがあるというパーソンズの分析です。医者はそういう行為を選択するように「役割」を期待されているので、そういう選択になるわけです。具体的にいえば患者は医者にそのような選択を期待しているということになります。反対に医者も患者に「役割」を期待しています。同じように二項対立軸から選択していき、患者は感情、自己志向的、個別主義、所属主義、無限定性を選択する傾向があるそうです。</p>
<table class="table6">
<tbody>
<tr>
<th>感情中立性</th>
<td>
<p>医者は病気に立ち向かう際には患者の個人的背景などに考慮することはむしろ職務の邪魔になり、感情の中立性が期待されている。</p>
<p>・患者についての個人的な好き嫌いを診療行為のさいに表現しない</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>限定性(個別性)</th>
<td>
<p>医者の資質は個々の専門領域に収斂する傾向があるために個別性をもつ。</p>
<p>・患者の個人的な要件をあいだにはさまずに、患者の治療だけに専念する</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>普遍主義</th>
<td>
<p>専門的科学者であるという意味での普遍性を追求する。</p>
<p>・患者のコネの有無にかかわりなく公平に診る</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>業績主義</th>
<td>
<p>意志の能力を評価や名声は、業績達成によって病者のみならず同業者からも評価される</p>
<p>・診療時の患者の症状や告知に注目する</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>集合志向的</th>
<td>
<p>医師の職務は、個人の利害というよりも病人を救うという、社会の集合体への奉仕という道徳性をもたされる。</p>
<p>※成員間の間の相互作用の様式には直接関わりを持たないので、とりあげられないことがある。つまり上の４つの二項対立軸のみでも考えることが出来る。</p>
</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>どうやら医者にはこのような行為のパターンがあるらしい、というものがわかったとして、それをどのように活かすのでしょうか。たとえばある病院で無秩序状態が生じていたときに、この５つのパターンとは逆の要素、つまり患者から期待されていない行為が医者によってされているかもしれません。たとえば病院の経営陣が利益ばかりを追求し、お金持ちには感情的に寄り添い、貧乏人には感情中立というよりむしろ冷たくしているかもしれません。あるいは業績ではなく親が誰か、いくら献金しているかなどが重視されたり、専門領域に欠けた人間ばかりが集まっているかもしれません。</p>
<p>ある個人(あるいは集団)と個人の期待が一致するにはどのようなパターンをとるとうまくいくのか、という観点で考えても面白いかもしれませんね。社会関係の性質を分析するためにパターン変数は有用という意味が少し分かった気がします。経営者目線でいえば、社員はどういう役割を顧客に求められているか、という点が重用になり、その役割に答えるために社員にどんな行為のパターンを教えるかという話になります。顧客の期待に寄り添いすぎても経営がうまくいかなくなる(経営者側の期待と一致しない)ので、ちょうどいいところを取る必要がありそうですね。需要と供給の一致という経済学の「均衡」的な考え方と近いのかもしれません。</p>
<blockquote>
<p>「パターン変数は、人間の行為がどのような複数の〈性質〉の二価的な対極的評価軸によって価値づけられてゆくのか、について解説したものであることは確かである［1974:65;1951:59］。当該箇所のパーソンズの叙述は、理論的というよりも、何か具体的な事象を念頭においた上での抽象化であると推測できるが、それを彼が具体的に示していないので、読者はその理解に困難を極める原因になっている。いずれにしても、パーソンズは5つの二価的な対極的評価軸の説明を終えたあとに、それらを2つのジレンマと2つの選択および1つの定義として、あわせて5項目をパターン変数の評価軸として次のようにまとめる［1974:72-73;1951:67］。『社会体系論』の邦訳のように英語用語を加えるとこの二価的な対極的評価軸がとても見えにくくなるので、ここでは註釈に廻し日本語の翻訳だけを以下に示してみよう6）。パーソンズの役割定義のパターン変数I．「満足すること」と「規律に従うこと」のジレンマ感情―感情中立II．「個人的利害」と「集合体の利害」のジレンマ自己指向―集合体指向III．価値志向選択のタイプの間の選択普遍主義―個別主義IV．社会的対象［＝社会的客体］の「諸様相」の間の選択業績達成―地位帰属V．対象における利害の見通しに関する定義個別性―拡散性以上のように説明した後に、同書第X章において、医師が用いる行為（actions）についてこれらの5つの二価的な対極的評価軸のうち、どちらが優先するかをパーソンズは解説する。それによると医師役割のもつパターン変数は、（1）感情中立（affective neutrality）、（2）集合体指向（collectivity-orientation）、（3）普遍主義（universalism）、（4）業績達成（achievement）、（5）個別性（specificity）から成り立っている［パーソンズ1974:429-430］【表.2】。」</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_8d751f9.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1995" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_8d751f9.png" alt="" width="842" height="340" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_8d751f9.png 842w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_8d751f9-800x323.png 800w" sizes="(max-width: 842px) 100vw, 842px" /></a>池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」8~9P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc25">国のケース</span></h3>
<p>たとえば国(社会)の分類では4通りのパターンで説明ができています。たとえば普遍主義と業績主義の組み合わせを持つのはアメリカ、普遍主義と帰属主義の組み合わせを持つのはドイツといったように分類して比較することができるそうです。他の感情性──非感情性などの変数パターンを使わず、特定の変数パターンの組み合わせで分析できるというのもポイントですね。</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">【<b>業績主義 + 普遍主義</b>】例：アメリカ：関係ある人々に関わりなく適用される規則によって個人的業績に高い価値をおく社会</li>
<li class="sample">【<b>業績主義 + 個別主義</b>】例：古代中国：行為者にふくまれている個別的に関係ある人脈を考慮する規則にしたがって、個人的業績に高い価値をおく社会</li>
<li class="sample">【<b>所属主義 + 普遍主義</b>】例：ドイツ：行為は普遍的規範によって導かれるが、伝統的な地位のヒエラルキーが社会システムの内部に支配的に重要なものとして残っている社会</li>
<li class="sample">【<b>所属主義＋個別主義</b>】例：：ラテンアメリカ：行為者の地位により、そして行為の個別的人脈によって変化する規範によって行為が導かれる社会。</li>
</ol>
<p><span dir="ltr" role="presentation">小門裕幸さんによれば、日本は感情性、集合体中心的志向、個別主義、所属主義になるそうです。上記のボックス的に言えば、所属主義＋個別主義になります。パーソンズでいうところのゲマインシャフトの組み合わせが日本のパターンであり、アメリカはその反対にゲゼルシャフトの組み合わせであるというのは重要かもしれません。</span></p>
<blockquote>
<p>「そこで、パーソンズは、パターン変数のうち、対象様相のパターン変数と呼ばれる普遍主義個別主義と業績性帰属性というつの組み合わせを用いて社会構造の比較分析を試みた。それは、ロッシェの図解によれば、以下のつのボックスの形に表現することができるようになっている（図））。そして、ここに例として挙げられた社会のなかに、アメリカ、古代中国、ラテンアメリカとともに、普遍主義と帰属性を組み合わせた場所にドイツが登場していることに注意をしたい。」</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_11bc70a9.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1999" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_11bc70a9.png" alt="" width="717" height="440" /></a></p>
<p>木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」、7P</p>
<p>「日本人は（i）の欲求充足と規律という項目では感情中立というよりは感情性が強い範疇におり、（ii）の私的関心と集合的関心でも自我思考ではなく集合体志向の範疇にあり、（iii）の価値志向基準でも普遍主義でなく個別主義にあると言える。そして業績より帰属性をもとめる。タルコット・パーソンズのパターン変数では、日本人はすべからく前近代の特徴を示しているのではないか。」</p>
<p>小門裕幸「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」40P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc26">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc27">参照論文リスト</span></h3>
<p>１：山本 祥弘「パーソンズ医療社会学の形成について― 初期専門職研究と医療社会学の差異に着目して ―」(<a href="https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=8115&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1&amp;page_id=30&amp;block_id=164">URL)</a></p>
<p>・主にパーソンズ全体の概略的な理解の参照にしました。</p>
<p>２：小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」(<a href="https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=8115&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1&amp;page_id=30&amp;block_id=164">URL</a>)</p>
<p>・主にパターン変数や主意主義的行為理論の定義を参照しました。内容自体は基礎的ではなく、応用的です。</p>
<p>３：木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」(<a href="https://ouc.daishodai.ac.jp/files/profile/educational_research/shokei/past_15601.pdf">URL</a>)</p>
<p>・パターン変数の詳細について参照しました。AGIL図式との関連についても参照。</p>
<p>４：宇賀博「初期パーソンズ研究」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/15/2/15_42/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>・主にパーソンズ全体の概略、とりわけデュルケームとフロイト、ミードとの関連</p>
<p>５：池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」(<a href="https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/27518/cdob_10_001.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主に役割期待とパターン変数の説明の参照</p>
<p>６：<span dir="ltr" role="presentation">小門裕幸</span>「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」(<a href="https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=8820&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・前近代と近代のパターン変数の参照,日本人のパターン変数</p>
<p>７：山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/18916">URL</a>)</p>
<p>・パーソンズの用語全般の参照</p>
<p>８：大黒正伸「パーソンズとシュンペーター合理性をめぐる出会い」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=2529&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・究極的目的の説明に関する参照、目的手段の図を参照</p>
<p>9：大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=2511&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・究極的目的の説明に関する参照</p>
<p>１０： 小松 秀雄 「パーソンズ社会学における宗教-ウェーバーからパーソンズへの転換-」(<a href="https://kobe-c.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=1244&amp;item_no=1&amp;page_id=33&amp;block_id=148">URL</a>)。</p>
<p>・究極的目的の説明、究極的条件、究極的価値、中間、聖なるものに関するもの等の参照。</p>
<p>１１：溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/21/3/21_1/_pdf/-char/ja">(URL</a>)</p>
<p>・主に主意主義と規範的指向の参照</p>
<p>・規範的要素の定義の参照</p>
<p>１２：<span dir="ltr" role="presentation">溝部 明男</span>「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」(<a href="https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=6141&amp;item_no=1&amp;attribute_id=26&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>・主にパーソンズ全体の用語の解説の参照　</p>
<p>・価値と規範の違い</p>
<p>・規範的要素が価値と社会的規範を合わせたものという説明</p>
<p>１３：山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/18916/1/journal06.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主にパーズン全体の用語の解説の参照　</p>
<p>１４：溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/30/2/30_2_2/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>１５：高旗正人「 パーソンズの子ども社会化パラダイムの検討 」(<a href="https://cur-ren.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_snippet&amp;pn=1&amp;count=20&amp;order=16&amp;lang=japanese&amp;creator=%E9%AB%98%E6%97%97+%E6%AD%A3%E4%BA%BA&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>１６：友枝敏雄「方法論的個人主義にもとづく社会理論の問題点 : パーソンズとロールズを中心として」(<a href="https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/86455/">URL</a>)</p>
<p>・内面化や制度化、パーソンズの用語全般について参照</p>
<p>１７：春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」(<a href="https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=8340&amp;item_no=1&amp;attribute_id=19&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>・パターン変数とAGIL図式との関連について、及びパターン変数の医者の例について参照</p>
<p>１８：春日淳一「N.ルーマンのメディア論について」(<a href="https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=7313&amp;item_no=1&amp;attribute_id=19&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>１９：名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/37/2/37_93/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>・パターン変数の説明について参照</p>
<p>２０：川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」（<a href="https://shotoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=1026&amp;item_no=1&amp;attribute_id=21&amp;file_no=1">URL</a>）</p>
<p>・パターン変数の説明について参照　特に客体類別</p>
<p>２１：新 睦人「パーソンズからルーマンとハバーマスへ(佐藤報告に対する討論)」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasess/1/0/1_KJ00001928753/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２２：新明正道「タルコット・パーソンズについて──その学問的業績の全体像──」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tja1948/37/1/37_1_1/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２３：小松秀雄「パーソンズ社会学における宗教 -ウェーバーからパーソンズへの転換- 」(<a href="https://kobe-c.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=1244&amp;item_no=1&amp;page_id=33&amp;block_id=148">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して。構造的要素、デュルケーム</p>
<p>２４：佐藤勉「社会的なものの論理―T・パーソンズのばあい―」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/29/2/29_2_68/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２５： 大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」(<a href="https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0022/BS00220L056.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主意主義に関して、単位行為の詳細</p>
<p>・行為体系の定義、創発特性の定義</p>
<p>２６：大束貢生「 パーソンズのマックス・ウエーバー解釈について」(<a href="https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0026/DO00260L303.pdf">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２７：川上周三「ピューリタン系譜の社会思想家の比較研究―マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソンズ―（上）」(<a href="https://senshu-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=7305&amp;item_no=1&amp;attribute_id=32&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２８：山下雅之 「パ ーソンズにおける社会学の成立」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/30/3/30_35/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>マーシャルに関して</p>
<p>２９：赤坂真人「パレート社会システム論再考（II）―歴史における社会システムの均衡―」(<a href="https://kiui.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=993&amp;item_no=1&amp;attribute_id=19&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>パレートに関して</p>
<p>３０：霜野寿亮「<span dir="ltr" role="presentation">権力概念の検討 : タルコット・パーソンズの場合</span>」(<a href="https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?koara_id=AN00224504-19700615-0018">URL</a>)</p>
<p>３１：鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」(<a href="http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/23035/KJ00000099988.pdf">URL</a>)</p>
<p>単位行為　主に分析と記述</p>
<p>32：<span dir="ltr" role="presentation">村井,重樹「</span>目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」(<a href="https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000060-0043.pdf?file_id=33371">URL</a>)</p>
<p>・主に創発特性</p>
<p>３３：田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」(<a href="https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=13329&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・主に努力</p>
<p>３４：遠藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程　パーソンズの初期論文を中心に」（<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/30/1/30_145/_pdf/-char/ja">URL</a>）</p>
<p>・主意主義・努力</p>
<p>３５：奥村隆「行為とコミュニケーション　ふたつの社会性についての試論」（<a href="https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=1902&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=49">URL</a>）</p>
<p>・行為の準拠枠　メモ：ルーマンとの関連など面白いので後で参照する。奥村さんの説明は全体的に柔らかく分かりやすい。</p>
<p>３６：奥村隆「距離のユートピア──ジンメルにおける悲劇と遊戯──」(<a href="https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=1936&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・主にジンメルの自由について</p>
<h3><span id="toc28">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc29">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</span></h4>
<p>※全5冊あるみたいです</p>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijK2zx" target="_blank">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></p>
<h4><span id="toc30">高城和義『パーソンズとウェーバー 』</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/38tkBK2" target="_blank">高城和義『パーソンズとウェーバー 』</a></p>
<h4><span id="toc31">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijS8YK" target="_blank">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></p>
<h3><span id="toc32">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc33">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc34">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc35">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc36">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc37">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc38">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc39">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 28 Apr 2022 13:57:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タルコット・パーソンズ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=2118</guid>

					<description><![CDATA[タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」について説明している記事です。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-3" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-3">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">概要</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">動画での解説・説明</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">タルコット・パーソンズとは</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">パーソンズ関連の記事</a></li></ol></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">分析的リアリズムとはなにか、基礎用語解説</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">分析的リアリズムとは、意味</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">分析的抽象性とは、意味</a><ol><li><a href="#toc9" tabindex="0">・モリスバーマンを通して「概念」を考える</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">・パーソンズとウェーバーの概念観の違い</a></li></ol></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">概念の実在性とは、意味</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">概念とは、意味</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">理論とは、意味</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">主意主義的行為理論とは、意味</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">構成主義とは、意味</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">普遍主義とは、意味</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">分析的概念とは、意味</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">補論：ラプラスの悪魔</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">補論：一般理論は虫眼鏡である</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">経験主義批判</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">経験主義とは、意味</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">経験的一般化とは、意味</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">実証主義とは、意味</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">実証主義的経験主義とは、意味　(実証主義的行為理論へ)</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">個別主義的経験主義とは、意味(理念主義的行為理論へ)</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">直観主義的経験主義とは、意味(理念主義的行為理論へ)</a></li></ol></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">単位行為における分析的リアリズムとは</a><ol><li><a href="#toc28" tabindex="0">単位行為とは、意味</a></li></ol></li><li><a href="#toc29" tabindex="0">単位分析</a><ol><li><a href="#toc30" tabindex="0">単位分析とは、意味</a></li><li><a href="#toc31" tabindex="0">単位分析における行為者とは、意味</a></li><li><a href="#toc32" tabindex="0">単位分析における目的とは、意味</a></li><li><a href="#toc33" tabindex="0">単位分析における状況とは、意味</a></li><li><a href="#toc34" tabindex="0">単位分析における規範的志向(規範・価値)</a><ol><li><a href="#toc35" tabindex="0">補論：デカルトと原子論</a></li></ol></li><li><a href="#toc36" tabindex="0">単位分析と経験主義</a></li></ol></li><li><a href="#toc37" tabindex="0">要素分析</a><ol><li><a href="#toc38" tabindex="0">要素分析とは、意味</a></li><li><a href="#toc39" tabindex="0">要素分析における目的</a></li><li><a href="#toc40" tabindex="0">要素分析における手段</a></li><li><a href="#toc41" tabindex="0">要素分析における条件</a></li><li><a href="#toc42" tabindex="0">要素分析における規範</a><ol><li><a href="#toc43" tabindex="0">補論：規範的要素</a></li><li><a href="#toc44" tabindex="0">補論：創発特性</a></li></ol></li><li><a href="#toc45" tabindex="0">要素分析における特徴</a><ol><li><a href="#toc46" tabindex="0">１：観察者自身が要素を決定できるので、４要素すべて特定可能</a></li><li><a href="#toc47" tabindex="0">２：規範的志向、意志と努力</a></li><li><a href="#toc48" tabindex="0">３：時間という概念</a></li><li><a href="#toc49" tabindex="0">４：規範は心の中にある</a></li></ol></li><li><a href="#toc50" tabindex="0">社会学は分析的諸科学</a></li><li><a href="#toc51" tabindex="0">抽象化の三段階</a></li><li><a href="#toc52" tabindex="0">定数と変数</a></li><li><a href="#toc53" tabindex="0">要素分析整理</a></li></ol></li><li><a href="#toc54" tabindex="0">ウェーバーの「理念型」への批判</a><ol><li><a href="#toc55" tabindex="0">理念型とは、意味</a></li><li><a href="#toc56" tabindex="0">パーソンズによる理念型批判</a></li><li><a href="#toc57" tabindex="0">普遍化概念としての理念型と個別化概念としての理念型</a></li><li><a href="#toc58" tabindex="0">具体性置き違えの誤謬</a></li><li><a href="#toc59" tabindex="0">理念型と創発特性との関連、全体と部分、一般理論と特殊理論、モザイク理論</a></li><li><a href="#toc60" tabindex="0">補論：ウェーバーの理念型とファウスト</a></li><li><a href="#toc61" tabindex="0">補論：なぜ観察者は他者の内心がわかるのか</a></li><li><a href="#toc62" tabindex="0">補論パーソンズへのよくある批判</a></li></ol></li><li><a href="#toc63" tabindex="0">参考文献</a><ol><li><a href="#toc64" tabindex="0">参照論文</a></li><li><a href="#toc65" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc66" tabindex="0">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></li><li><a href="#toc67" tabindex="0">高城和義『パーソンズとウェーバー 』</a></li><li><a href="#toc68" tabindex="0">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc69" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc70" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc71" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc72" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc73" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc74" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc75" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc76" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc2">概要</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample">分析的リアリズム：分析的・抽象的な概念を観察者が主観的に構成し、枠組み(概念から構成された一般理論)を通してのみ実在(リアリティ)の一面を把握することができると考える立場。この立場では概念は実在そのものではないが、実在の一部分に対応していると考えられており、その意味で分析的抽象性(概念)が実在性へと結合する。</li>
<li class="sample">分析的概念：現象の具体的属性あるいは性質を抽象化した概念。分析的要素を組み合わせて分析的概念が構成される。</li>
<li class="sample">単位行為：行為理論において基礎的単位となるもの。分析的概念。概念図式。行為者、目的、状況(手段＋条件)、規範という４つの「単位」に分解して現象を行為者の観点から具体的に分析する場合と、目的、手段、条件、規範という４つの「要素」に区分して現象を観察者の観点から抽象的、一般的に分析する場合にわかれる。目的や手段といった「分析的要素」が組み合わされることによって「分析的概念」が構成され、さらに「分析的概念」が組み合わされることによって「行為体系(システム)」や「社会体系」、「文化体系」などが構成される。この全体的な枠組みを「行為の準拠枠」という。
</li>
<li class="sample">今までの理論は分析単位に留まっており、要素分析からなる一般理論という視座に欠けていた。特定の歴史的個体にのみ適用できる特定の理論の構築ではなく、不特定多数の具体的分析に用いることができるような分析的要素からなる分析的概念を構成することが社会学の役割だとパーソンズは主張する。たとえるなら物理化学における質点であり、質点は質量や速度から構成される。そして質点はあらゆる物体に適用できるのであり、特定の物体のみに適用するものではない。</li>
<li class="sample">パーソンズによれば社会学の定義は「共通価値による統合という特性によって理解することのできる限りにおける、社会的行為体系に関する分析的理論の展開を目指す科学(『社会的行為の構造』)」である。パーソンズはまず社会の秩序はどうして成り立つのかと考え、その解決方法として「共通価値への志向」を考えた。この共通価値は個人と個人の相互作用によってできる創発特性であり、個人の行為に還元されない特性である。しかし、個人の行為に還元されない特性を調べるためにはまず個人の行為を定義する必要があり、また個人の行為から分析的に出発する必要がある(行為理論)。そうしてできた単位が単位行為である。単位行為は行為体系を構成し、行為体系は社会体系を構成する。社会体系は共通価値という創発特性を生みだし、創発特性は経済や政治の安定性へとつながる。それらは社会の秩序へとつながっていく。</li>
</ol>
<h3><span id="toc3">動画での解説・説明</span></h3>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="//www.youtube.com/embed/scLECAa1dFc" data-alt="動画の説明"></iframe></div>
<p><strong>・この記事のわかりやすい「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください</strong>｡</p>
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<h3><span id="toc4">タルコット・パーソンズとは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1939" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg" alt="" width="196" height="293" /></a>タルコット・パーソンズ(1902-1979)はアメリカの社会学者で、行為の一般理論(行為の準拠枠)、構造機能主義、AGIL図式などを提唱したといわれている。秩序問題をとりあげた社会学者の代表格。デュルケーム、ジンメル、ウェーバーなどの知識を受け継いで独自の理論を作り上げたとされている。主な著書は『社会的行為の構造』(1937)や『社会体系論』(1949)。</p>
<h3><span id="toc5">パーソンズ関連の記事</span></h3>
<p>・以前の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</a></p>
<p>・次回の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/">【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/09/26/talcott-parsons-5/">【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか</a></p>
<h2><span id="toc6">分析的リアリズムとはなにか、基礎用語解説</span></h2>
<h3><span id="toc7">分析的リアリズムとは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">分析的リアリズム</span>(Analytical Realism)</strong>：</big>・<span style="color: #0000ff;"><strong>「分析的抽象性」と「概念の実在性」を結びつけた立場</strong></span>。分析的実在主義ともいう。単に現実(リアリティ)を記述してもリアリティを把握したことにはならず、分析的な枠組み(行為の準拠枠)を通してのみ、現実のリアリティを把握できるという態度。観察された経験的事実を寄せ集めても現象の理解はできず、観察者の特定の観点(関心)から特定の現象の特定のケースの特定の値を一面的・抽象的に分解して取り出し、それらを再構成することで理解できるという考え。たとえば経済学の場合は人間の行動の経済的な側面のみに関心を集中して現象を理解しようとする。パーソンズの場合は習慣的な行動や感情的な行動といった目的を伴わない行動を除外し、条件と規範に規定されて目的と手段を意識的に選択するという一面的な行為のみを扱う。こうした行為は具体的な現実(リアリティ)そのものではないが、単に事実を記述するよりもリアリティを把握できるという。</p>
</div>
<p>パーソンズが分析的リアリズムを誰の影響で作り上げたかについては諸説あるそうです。カミックによればフランク・ナイトによる影響が強いそうです。他にもウェーバーの理念型、ヘンダーソンの事実──概念図式、ホワイトヘッドの「科学と近代世界」を経由したという解釈もあります。多くの学者の考えが収斂された態度だと言えそうです。</p>
<p>分析的抽象性と概念の実在性は次の項目で扱います。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズ理論を特徴づけているもうひとつの側面は、その抽象性にある。当時のアメリカ社会学を支配していたのは、シカゴ学派を中心とした経験主義的な方法であった。経験主義はモノグラフィを重視し、観察と調査だけを科学的であると考え、抽象的な理論一般化を軽視した。それに対してパーソンズは、科学は出来事をあるがままに記述するのではなく、それを要素に分解して理論的な内容を再構成するべきだと考えた。彼は自らのこの立場を分析的リアリズムと呼び、あらゆる事象に通底する分析的要素によってすべての人間行為を説明する行為の一般理論をめざした。パーソンズにあっては、資本主義が直面した秩序問題と、社会学が科学であるかぎり要求される普遍的な理論的概念枠組みとが段階的に精緻化され、それが構造──機能分析へと収斂していったのである。」</p>
<p>「クロニクル社会学」,38P</p>
<p>「パーソンズ行為理論の認識論的前提である「分析的リアリズム」（Parsons1937:vol.2,730=1989:第五分冊138）は、科学的な訓練を受けた観察者であることを、当該の行為の状況の事実を知るための必要条件としている。だから、パーソンズによれば、行為者自身による行為の状況の記述は、科学的な観察者からすれば不正確なものでしかない。たしかに社会秩序はリアルなものとして存在しているが、それは分析的にしかあきらかにならないというわけである。パーソンズの行為理論は、まさにこのリアルな社会秩序が可能になるための分析的な前提条件を整理することであった（有名な「共有価値」説はここから導出されている）。」</p>
<p>西山真司「 政治学におけるエスノメソドロジーの寄与」80P</p>
<p>「カミックの要約に従って、ナイトの考え方を手短に引用しておく。経済学は真の、また精密な科学である。それは不変的な法則に到達することができる。その点では、数学や力学と変わりがない。すべての一般的真実は、結局、経験からの帰納である。しかし、帰納だけでは膨大な事実の集積ができるだけで、それでは意味がない。理論と離れて事実が存在するということはありえない。観察は科学者の関心と相関するが、科学者の考えは、彼の目的や概念や感情や形而上学的な観念によって浸透されている。その科学者のつくりあげる理論というものは、抽象的で、一般的に重要と考えられる現象のある側面を選択したものである。その理論は、選択した側面にだけ関わって、他の側面を排除している。経済学は人間行動の経済的な側面に関心を集中する。そして、理論的な原理と細かい事実に関する研究の間の相互作用(interplay)から、一つの分析的な(analytical)構造が構成される。それは、選択的な意味でのリアリティの記述である。カミックの整理によると、ナイトの見解は、結局、演繹と帰納、両方の相互作用(interplay)から理論がつくられ、またその理論は抽象の産物である、というものである(Camic1989:52)。このような考え方は、ナイトだけではなく、A.ヤングその他の人々の著作にもあらわれていた。パーソンズはこのような考え方を、彼自身の方法論的立場となし、「分析的リアリズム」31)と名付けた。この「分析的リアリズム」という名称はおそらくパーソンズのオリジナルなものと思われる。しかし、ナイトその他の著作の中でも、&#8221;analytical&#8221;&#8221;reality&#8221;という用語は、断片的ではあるが使用されており、パーソンズはそれらの語をヒントにこの名称を発案したのである。」</p>
<p><span dir="ltr" role="presentation">溝部明男</span>「パーソンズ研究における二つのスタイル : J.C.アレグザーンダとC.カミック」,66-67P</p>
<p>「これに対して、後者の分析的要素概念は、われわれの実際観察するものがもっぱら特定ケースにおける特定の値(あたい)だけであるような一般的属性を指示しているがゆえに、抽象的である。たとえば、ある物体がある質量(一般的属性)をもつことは観察できるが、質量そのものは観察できない。ある行為がある程度の合理性(一般的属性)をもつことは観察できるが、合理性そのものは観察できない。この場合、質量、合理性は、分析的要素概念なのである。パーソンズにおいては、このような分析的要素概念が前面に出ているのであり、概念はフィクションではなく、客観的なリアリティの一側面を把握できるとされる。具体的な現象は、この分析的要素のとる値の組合せとして、あるいは、この要素の組合せとして記述される。こういった意味で、パーソンズのスタンスは分析的リアリズムなのである(Ibid.:730,747-748=5-138,162-164)。」</p>
<p>大野道邦「ソローキンとパーソンズ文化システム概念をめぐって」</p>
<p>「パーソンズは価値を科学の範疇で捉えるために分析的リアリズムの考え方を導入する。分析的リアリズムでは,科学の区分の根拠は「一つの科学が取り扱う`実在&#8217;の客観的性質の中にではなくて,科学者の関心の`主観的な&#8217;方向のうちにある」(Parsons[1937→1949:582=1974VI:170])。すなわち実在の区分は科学者という主体の概念構成によって形成されたものであるとする。だから,分析的リアリズムでは,観察者の構成する概念によって分析がなされている。この分析的リアリズムによって,要素分析が可能となり,適切な体系が考察可能となる。分析的リアリズムは,丸山によれば21である(丸山[1991:136])1°)。このように分析的リアリズムによれば,具体的な実在は様々の理論によって把&#8230;握可能である。従って現象は社会現象としても自然現象としても把握可能である(Par-sons[19371949:730f=1989V:138f])」、62P</p>
<p>「こうしてたどりついた分析的実在主義の立場は、具体的に次のように表現できるだろう。「理論や概念は本質的に抽象的であり、いかに総合しようとも決して具体的現実そのものの反映とはなりえない。したがって、そのままの形では経験的実在のなかにその対応物を見いだすことはできないが、それは決して概念が現実の恣意的な歪曲であったり、単なる虚構であることを意味するものではない。科学的理論や概念は実在の諸側面を適切に把握しうるものであり、具体的な事象から分析的に分離された諸要素との部分的対応という限定された形ではあるが、実在との対応を有するものである」。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」126P</p>
<p>「パーソンズの方法論的立場は「分析的実在主義(AnalyticalRealism)」と呼ばれる。自伝によれば、彼はこの立場にM.ウェーバーの「理念型」の考察を含む学問論、L.J.ヘンダーソンの「事実と概念図式についての陳述」、そしてA.N.ホワイトヘッドの「具体性置き違えの誤謬」を含む『科学と近代世界』を経由して到達したという。)「分析的実在主義」とは、基本的に理論を構成する諸概念の「分析的抽象性」と、概念に対応する具体的事象の「実在性」という二つの異なった要請を結びあわせたものである。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」124P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc8">分析的抽象性とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>分析的抽象性()</strong></span>：</big>・科学的認識及び概念は抽象的であるということ。この立場を「抽象主義」ともいう。パーソンズの分析的リアリズムはこの抽象主義の要請を含んでいる(赤坂真人)。</p>
</div>
<p>たとえば経験主義は「<b>具体性置き違えの誤謬</b>(ホワイトヘッドの言葉)」を犯しているという。つまり、「概念」を「具体的なもの」として実体化してしまっているというミスである。「概念」はあくまでも「抽象的なもの」であるという立場をパーソンズはとっている。抽象化することは正しいが、それが具体的なものと混同されてはいけない。</p>
<p>例：古典力学では「物質の配置は空間と時間において単に位置を占めているもの」として概念化されている。しかしこれはあくまでも抽象的な概念であり、実体化させて「現実にもすべての物質は空間と時間において単に位置を占めているだけであり、世界には精神というものはなく、物質のみから成る」という考えに至るのは間違え。現実には位置を占めているだけではなく、位置同士の複雑で多様な相互関係性がある。</p>
<h4><span id="toc9">・モリスバーマンを通して「概念」を考える</span></h4>
<p>別の言い方をすれば、「<b>地図は土地ではない</b>(アルフレッド・コージプスキーの言葉)」でもあると私は考える。たとえば車道で光をみれば我々は即座に「車」だと捉える。しかしこの捉えているのは「概念」である。自分の頭の中の枠組みを通して光を見ることで、それが車だと認識する。しかし実際には「蛍の群れ」かもしれない。２つの光は車であるという概念はあくまでも地図にすぎず、土地そのものではない。現実は概念を通して抽象化され、認識されるが、その概念は現実そのものではない。犬と狼が区別されるのは狼という概念が人間によって構成されたからである。</p>
<p>医者がレントゲンを見て、即座に異変があると気づく。画家が絵を見て、即座にデッサンが崩れていると気づく。これらは一定の枠組み(図柄、図式)を通して見たからこそ、即座に認識することができるといえる。バーフィールドでいうと形付けであり、「アルファ思考」である。感覚をイメージ(図、概念)に置き換える行為である。このイメージは抽象的なものであり、実体そのものではない。しかし、アルファ思考といえるほどまでに形付けされていると、人間はイメージを実体そのものだと考える傾向があるという。</p>
<p>我々は「現実の出来事(リアリティ)そのもの」を経験するのではなく、アルファ思考(概念化)によって経験している。つまり、体験(経験)は一般的概念に関係づけられてはじめて経験となるという考えがパーソンズやウェーバーにはある。</p>
<h4><span id="toc10">・パーソンズとウェーバーの概念観の違い</span></h4>
<ol class="sample">
<li class="sample">ウェーバーは体験(経験)と認識を区別している</li>
<li class="sample">ウェーバーは体験は一般的概念に関係づけられてはじめて経験となると考えた。経験はそれ自体としては「生のもの」ではなく、概念図式によって選択的に知覚され、意味を持ったまとまりとして構成される。</li>
<li class="sample">ウェーバーは「認識」が一般的な概念図式によって決定されているという事実を強調できなかった。→ウェーバーは一般理論をつくろうとはせず、あくまでも個別具体的な現象をその場限りの理論をもって理解し、因果関係を特定しようとした。一般概念よりも歴史的概念などの把握が中心であった。</li>
<li class="sample">パーソンズはヘンダーソンの影響を受け、「科学的認識は主観において合理的に構成された、一般概念による経験的データの秩序付けによって成立する」と考えた。歴史的概念は「具体性置き違えの誤謬」を犯しやすく、まずは一般概念の構築、およびその関係付けによる一般理論の構成を先にするべきであり、そこからその枠組を通して現象を説明していくべきだとした(公理論による演繹)。</li>
<li>POINT:カントのようなフレームは先天的な形式として備わっているものであるが、パーソンズにおいては後天的に、観察者の主観において枠組みが構成されるものだとして捉えられている。中期以降で言えば「社会化(内面化)」によって規範を学習していくような例でわかる。つまり、枠組み(概念図式、概念)は先天的なものではなく、後天的な「学習」によるものである。</li>
</ol>
<blockquote>
<p>「以上の三つの経験主義批判とウェーバーの理念型批判に、われわれは次のような要請を看取することができる。すなわち第一に、実証主義的経験主義における概念の実体化に対する批判から、「科学的認識および概念は抽象的である」との「抽象主義」の要請を&#8230;&#8230;」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」125P</p>
<p>「恐らくヘンダーソンのこの陳述がパーソンズに与えたもっとも重要な影響は、「理論の分析的抽象性」をあらためて自覚させたことであろう。)パーソンズによれば、ウェーバーは体験(Erleben)と認識(Erkennen)とを区別し、体験は一般的諸概念に関係づけられてはじめて経験となるものであること、したがって経験はそれ自体、決して「生のもの」ではありえず、概念図式によって選択的に知覚され、ひとつの意味をもったまとまりとして構成されたものであることを正しく指摘した。にもかかわらず彼は、認識の対象となる経験の価値関心による選択という観念にとらわれ、結果として、経験それ自体が一般的な概念図式によって決定されているという事実を十分に強調しえなかった。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」128P</p>
<p>「ここで我々は問題の核心に行き当たる。すなわち、自分が日常として生きている世界では、人はみな鳥類学者なのだ。我々の経験とは、現実の出来事そのものの経験ではなく、社会全体によって含意された一連のアルファ志向の経験なのである。タルコット・パーソンズの用語で、『注解(glosses)』の経験と言っても同じだ。要するに、世界を図柄として捉えることは、学習の初期段階から同じなのだが、はじめは動的で具体的だったのが次第に自動的・概念的に──すなわちアルファ思考的に──なっていくということである。ここで、ピーターエイチンスタインが『科学の諸概念』で挙げている例を紹介しよう。&#8230;&#8230;この話のポイントはこうだ。ふたつの光が平行に、同じスピードで、夜の道を進んでいれば、我々の文化では、それは自動的に『車』を意味する。光そのものをまともにかぶって、その経験を形づけるのではなく、『車』の概念が直接に形をなすのである。そうした出来合いの枠を破って、経験の豊かな可能性を開くことができるのが、幼児であり、、詩人であり、画家である。X線の場合も、それが『正しく読める』学習を済ませていない者だけが、さまざまなイメージを揺らめかすことができる。どんな文化も、どんな下位文化(鳥類学、X線学等)も、アルファ思考のネットワークができあがったうえに、はじめて安定して存在するのである。アルファ思考が存在せず、すべてをそのつどはじめから形づけなくてはならないとしたら、科学も、現実というもののモデルも、成立しなくなってしまうのだ。このネットワークはしかし、あくまでもモデルである。我々はそれを忘れがちだ。『地図は土地ではない』とは、アルフレッド・コージブスキーが『科学と正気』(一九三一)のなかで述べた有名な言葉だが、我々は自分たちが描いた地図を見て、それが現実の世界だと思ってしまうのである。あのとき『車』と見えたものが、本当は蛍だったとしたら&#8230;&#8230;？地図に二しかすぎないものを土地だと思って生きる──そこに参加からの離脱がある。アルファ思考は必然的に参加を排除してしまうのだ。」</p>
<p>モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ』154P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc11">概念の実在性とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>概念実在論()</strong></span>：</big>・<strong><span style="color: #0000ff;">概念は実在そのものではないが、科学的概念は実在と対応している</span></strong>。概念は単なる恣意的な虚構ではない。パーソンズは具体的な事象は分析的に分離された諸要素(概念)と部分的に対応していると考えている。パーソンズは「ウェーバーの概念の虚構説に強く反対し、科学的概念の実在との対応性、すなわち概念実在論」の立場を主張した(赤坂真人)。</p>
</div>
<p>・概念は実在のある側面を適切に理解するものであり、具体的な事象から分析的に分離された諸要素と部分的に対応している。つまり、実在と限定的に対応している。この点をもって、概念には実在性があるといえる。パーソンズの言葉で言えば、思惟による「<b>論理的秩序</b>(概念)」の前に「<b>事実的秩序</b>(実在)」が存在する。概念は実在の一部の反映ではあるが、実在は概念に還元されない。</p>
<p>・ウェーバーは概念非実在論(観念論、概念虚構説)。たとえば「国家」という概念は主観的に人々が国家の存在を信じない限り、存在しないものとされている。人間の絶えざる意味付けと共同主観化によってはじめて社会的客体は存在する(この考えでは客観的な意味内容は主観によって絶えず創られ、変化する)。「水」という物体は主観的に人々が信じなくても存在する(認識できるかは別として)が、「国家」はそうではないということ。極論すれば、国家は<b>ラング</b>(言葉による規約)にすぎない。水を人々が概念化することによって水の物理的性質が変わるわけではない。しかし国家は概念化することによって絶えず変わる。</p>
<p>・パーソンズの場合は、行為という概念には適切な意味内容、たとえば目的、手段、条件、規範からなるという適切な規定が与えられる。行為について自由に解釈して、自由に言語によって分節化してよい、という想定はされていない(水の物理的性質のように、社会学における概念も「一義的」な答えがあるとみなされる)。概念に先立って実在があるのであり、概念化と同時に実在が創られているのではない(虫眼鏡が対象を変化させるのではない)。人々が国家という概念を言語や行為や主観によって作ると同時に国家という社会的事実が実在するわけではなく、人々が概念化する前に国家という社会的事実は存在する。</p>
<blockquote>
<p>「これによってウェーバーは、経験主義において見失われた、認識における抽象的一般概念の重要性を回復させることに大きく貢献した。だがパーソンズによれば、ウェーバーは次の一点で重大な誤りを犯した。すなわち彼は「概念を実在の反映とは考えずにむしろく有用な虚構とみなす」立場を取ったのである。これに対しパーソンズは、「科学の一般概念のいくつかのものは決して虚構ではなく、客観的な外的世界の諸側面を適切に&lt;把握する〉ことができる」として、ウェーバーの概念の虚構説に強く反対し、科学的概念の実在との対応性を、すなわち「概念実在論(Begriffs realisms)」の立場を明示した。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」125P</p>
<p>「デュルケームと比較するとウェーバーには『実在としての社会』という視点が全面に見えてこない。&#8230;&#8230;すなわち彼にとっては、人間の絶えざる意味づけとその共同主観化こそが、社会的客体を存在せしめる第一義的な条件なのである。P.L.バーガー(PeterL.Berger)はそれを社会現象の「主観的基礎」と呼んだが、ここに社会学において観念論が生き残る余地がある。すなわち社会学の認識対象である「社会的事実」は、先天的に備っている身体的な感覚および知覚能力、すなわち丸山主三郎の言葉でいえば〈身分け構造〉によって把握されるものではなく、言語による主観的規定〈言分け〉によって現前する存在だからである。)もちろん自然科学の対象としての自然的客体の場合も、言語的な分節化によってわれわれの主観に現前するのではあるが、それは言語的分節化以前に実在すると前提される客体に、概念が適切な規定を与えた結果、われわれの意識にとらえられるようになったという意味での現前にすぎない。それに対し社会的客体の様相は、われわれの言語的規定および意味づけによって大きく変化する。極端な観念論の立場に立てば、社会はラング〈諸民族に特有の言語で規定された人間関係についての規約〉にすぎないものとして、単なるコトバに還元する見解さえ引き出せよう。しかし実在論の立場をとる限り、この言語的分節化の恣意性と、それに伴う客体の様相の変化という問題は回避される。なぜならパーソンズの言葉で言えば、われわれの主観において構成した論理的秩序(logical order)以前に、実在そのものこの事実的秩序(realorder)が厳然と存在し(=実在の認識に対する先行)、前者は後者を反映するという意味で無限の多様性を示すことはありえないと考えられるからである。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」130P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc12">概念とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>概念()</strong></span>：</big>・パーソンズにとって概念とは、「先立って存在している実在に適切な名称と意味内容の規定を与えたもの(命名目録)」である(赤坂真人)。したがって、概念化の前に実在があるのであり、実在が概念化によって創造されるというわけではない。概念は実在を把握するための道具にすぎない。</div>
<p>POINT１：ある実在にたいしては一義的な意味をもつにすぎず、<b>多義的・創造的に解釈される余地はない</b>とみなされる。要するに、「<b>解釈</b>」されるのではなく「<b>解読</b>」されるものとしてみなされている。例えるなら、国語のテストでは決まった解読があり、創造性的な解釈の余地はない。こうした創造的な「解釈」の欠落は意味学派によって批判されている。</p>
<p>POINT２：分析的リアリズムは<b>所与の社会的事実の「解読」に限定</b>されている。その際のコードは「行為の準拠枠(概念からなる理論的枠組み)」である。そしてこのコードが自由に創造されることや、コードを使ってテキストを自由に解釈できるとは考えられていない。※ただしパーソンズが自分の理論(コード)が唯一絶対のものだ、と考えていたかどうかは議論がある(複数の理論を認めていると解釈もできる)。たとえばカミックは「<b>過度の一般化</b>」としてパーソンズを批判している。たとえば「単位行為図式」では目的を明確に持たないような習慣的行為や感情的行為が排除されているという。</p>
<blockquote>
<p>「以上のように実在論は、一般に概念を、それに先立って存在している実在に適切な名称と意味内容の規定を与える、単なる「命名目録」と考える伝統的な記号観に立つ。しかしながらこのような立場は、必然的に「言語的分節化による指向対象の創造」という視点、すなわち「社会的事実に関する我々の主観的な概念化が、同時に社会的事実を創造する(=認識と実在の同時性)」という視点を背後に押しやってしまう。パーソンズの概念図式論は、認識対象の性質と範囲が概念図式によって規定されることを正しく指摘しているが、それは、あくまでも「観察者が概念図式を構成する以前に存在している」社会的客体を把握するための図式であって、存在論的な意味で「認識の対象を積極的に創造する」ものではない。「概念の意味を変更する」ことや「視点をずらす」ことで「今まで見えなかったものが見えてくる」という場合、それは「隠れていたものに光をあてる」という意味ではなく、「見慣れたものが、新しい意味を担って、まったく異なったものとして見えるようになった」ということであろう。すなわち視点そのものが客体を創造するのである。だが、自然科学的実在論をとるパーソンズの分析的実在主義においては、所与の社会的事実の解読(コードに照してテクストの一義的な意味を探ること)に限定され、解釈(コードを自由に創造し、テクストをふくらませながら創造的に読むこと)はなしえない。したがって、社会学のひとつの課題である「自明的意味世界の相対化」、すなわち社会的事象を意味付与的に解釈することで既存の解釈を相対化し、その自明性を問い返すことによって社会的意味世界の再活性化をはかる知識社会学的視点が抜け落ちる。いわゆる意味学派(現象学的社会学・象徴的相互論・エスノメソドロジー等)によるパーソンズ批判は、なによりもこの文脈において読まれねばならない。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」130P</p>
<p>長い引用で申し訳ありません。しかしこれは極めて重要な文章だと思います。何度も見返す予定です。</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc13">理論とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>理論()</strong></span>：</big>・パーソンズによれば、経験との対応をもった一般概念が論理的に相互に関係づけられたもの</p>
</div>
<p>たとえばパーソンズにおける「<b>一般概念</b>」は目的、手段、条件、規範である。これは自然科学において、質量や速度といった概念と類似している。この４要素からなる図式を単位行為図式というが、これは「<b>概念図式</b>」である。</p>
<p>たとえば「質量」は太陽にも人間にもカエルにも石ころにも適用することができる「<b>一般性</b>」をもっている「<b>一般概念</b>」であり、「<b>抽象的属性</b>」である。</p>
<p>同じように、「目的」は佐藤さんの買い物にも、田中さんの受験勉強にも、鈴木さんの選挙活動にも適用することができる「一般性」をもっている。</p>
<p>こうした「一般概念(分析的要素)」が論理的に相互に関係づけられたものが「分析的概念」であり、「分析的概念」から構成されたものが「一般理論」である。具体的には「<b>主意主義的行為理論</b>」などを意味する。「相互に関係づけられた」とは、たとえば規範が目的や手段を規定するといったようなこと。あるいは単位行為同士の相互作用などを通して行為体系を構成したりすること。</p>
<blockquote>
<p>「これに対しパーソンズは、理論とは「経験との対応をもった〈一般概念〉が論理的に相互に関係づけられたもの」という定義でじゅうぶんであり、科学哲学者のC.G.ヘンペル(Hempel,C.G.)E.ネイグル(ErnestNagel)、そしてG.C.ホマンズらが主張した、「初期条件への適用により〈説明と予測〉の演繹を可能とする普遍的命題の立言集」のみを理論と考える立場を、「不必要に厳密と思える妥当性の基準」としてこれを退けた。)」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」131P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc14">主意主義的行為理論とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>主意主義的行為理論()</strong></span>：</big>・行為を分析の基礎単位として考え、行為を規定する要素を遺伝や環境といった条件だけではなく規範をも考慮し、さらにその規範を科学的・合理的なものだけではなく宗教といったような没合理的なものを含めることにより、行為者を規範へ意志をもって努力する存在として主意主義的に構成された行為理論のこと。</p>
</div>
<p>この用語は前回扱ったので省略します。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a></p>
<h3><span id="toc15">構成主義とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>構成主義()</strong></span>：</big>・科学的認識は主観において合理的に構成された、一般概念による経験的データの秩序付けによって成立するという考え。パーソンズは構成主義の立場をとっている(赤坂真人)。</p>
</div>
<p>概念は客観的に実在・現象そのものに存在しているのではない。人間に先天的に備わっているようなものでもなく、<b>観察者が自らの主観において合理的に構成するもの</b>として考えられている。</p>
<blockquote>
<p>「第二に、個別主義的経験主義における認識論的経験論の批判から、「科学的認識は主観において合理的に構成された、一般概念による経験的データの秩序づけによって成立する」という「構成主義」の要請」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」125P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc16">普遍主義とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>普遍主義()</strong></span>：</big>・科学的認識及び概念は普遍的であるべきという立場。パーソンズは普遍主義の立場をとっている(赤坂真人)。</p>
</div>
<p>普遍の対義語は特殊である。一般に普遍とは「多くの事例に共通して見られるさま」を意味し、特殊とは「ある事例に際立って見られるさま」を意味する。<br />
たとえば「目的」は多くの行為に共通して見られるさまである。「質量」が多くの物体に共通して見られるのと同様である。パターン変数によって行為のタイプを特定する場合も同様であり、パターン変数という概念の組み合わせによってどんな行為も分類できるとみなされる(普遍性をもつ)。<br />
たとえば「ナポレオンの目的」は個性的であり、特殊的な概念である。「ナポレオンの目的」を概念化したとしても、それは一般概念ではない。比較による差異の索出は使えるかもしれないが、ある個別的な事例の属性として記述することはできない。社会学の対象は一般概念であり、特殊概念は歴史学などほかの学問の対象となる。たとえば「官僚制」は普遍的であるが、「中国家産官僚制」は特殊的である。ウェーバーの理念型(これも概念)は「官僚制」にも「中国家産官僚制」にも用いられており、普遍的なものだけが対象となっているわけではない。ウェーバーは概念が普遍的になればなるほど社会科学的には価値が小さくなる、とまでいっている。</p>
<h3><span id="toc17">分析的概念とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>分析的概念()</strong></span>：</big>・現象の具体的属性あるいは性質を抽象化した概念。より正確な定義としては「特定の事例の特定の値いにおいてのみ観察しうる、ある一般概念としての『分析的要素』が論理的に関係づけられたもの」。</p>
</div>
<p>POINT：分析的概念は具体的事例をある属性に即して適切に記述するという意味で、実在と対応する。それゆえに、概念実在論といえる。現象の具体的な「実体」を抽象化した概念ではないという点で、理念型概念とは異なる。</p>
<p>例：質量は分析的要素である。質点は分析的概念である。質点(F)は「質量(m)、速度(v)、位置(r)」によって論理的に関係づけられ、構成される。いわゆる運動方程式。パーソンズは行為＝質点、質量＝目的、速度＝状況、位置＝規範として比喩的に扱っている。努力はエネルギー。</p>
<p>例：太陽の「質量」という場合、それによって記述されるのは太陽の具体的な質量の値(具体的な属性)である。「質量」と「太陽」の関係は外延的な関係ではない。たとえば「生物」と「人間」の場合は、人間が外延にあたる。しかし太陽は質量の外延ではない。質量は太陽の属性である。人間は生物の属性ではない。目的は行為の属性である。</p>
<blockquote>
<p>「それに対して「分析的概念」は類概念ではなく、「現象の具体的属性あるいは性質」を抽象化した概念である。従って分析的概念の特殊的要素は、「ある対象のある属性に関する具体的な値」で構成されるのであり、何らかの実体を値としてとることはない。例えば太陽の「質量」という場合、それによって記述されるのは、太陽の具体的な質量の値であり、太陽そのものが「質量」の外延であるわけではない。すなわち分析的概念は具体的事例を、ある属性に即して適切に記述するという意味で「実在と対応する」のである。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」127P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc18">補論：ラプラスの悪魔</span></h3>
<p>・フランスの数学者ラプラスが考えた仮定。ある瞬間におけるすべての原子と位置と運動量をすべて知ることができる存在を仮定すると、未来を完全に予測することができるという考え。機械論的、決定論的、唯物論的思考。</p>
<p>・この抽象化された概念を実体化させると、世界には精神というものがなく、あるのは物質だけという考えになる。</p>
<p>・しかしこれらは概念にすぎない。現実には観察によって実験の結果が変わってしまう(いわゆる不確定性原理)。要するに、原子の位置や運動量を確実に全て知ることはできず、確率的にしか知ることができない。位置や加速度は独立して存在しているのではなく、相補的に存在している。つまり相互作用が現実にはある。ラプラスにおける抽象化された概念ではそうした相互作用が無視されている。</p>
<p>→これは「理念型」ともつながる。現実には無限に思えるほど大量の相互作用から行為というものが形成されるが、観察者はたとえば「経済的合理性」という一面的な観点をとりだして考える。とりだされた理念型は他の要素を無視している点で完全なフィクションである。しかし現実の分析には有用である。同様に、科学における摩擦のない平面や完全な真空という概念も完全なフィクションではあるが、現実の分析には有用である。しかしそうした概念を「実体化」させてはいけない。大澤真幸さんの例えでは、「似顔絵」のようなもの。似顔絵それ自体は誇張・抽象化されており、本人それ自体ではないが、犯人探しなどには有用になる。</p>
<blockquote>
<p>「アインシュタインをも含めた古典物理学の認識論においては、ふたつの考えがその大前提となっている。ひとつは、あらゆる現実は物体と運動によって完全に記述可能である、という考え。ものの位置とその加速度(質量×速度)こそが、現象世界の本質であるというわけだ。もうひとつの考えは、我々の意識は参加しない意識である、ということである。せかいのさまざまな現象は、我々がそこにいてそれを見ようと見まいと何ら変りはなく、我々の精神は不変の現実を少しも動かすことはない、ということである。第一の前提は、厳密な因果論、つまり決定論の基礎をなしている。おそらくこれをもっとも明確に表現したがの、フランスの数学者ピエール・シモン・ド・ラプラスである。ラプラスは一八二八年に、こう述べている──我々の物理学を以てすれば、ある時間における、宇宙のすべての分子の位置と加速度を知ることができさえすれば、過去・未来を問わず他のあらゆる時間におけるそれら分子の位置と加速度を計算することができるであろう、と。そして実験者は実験の一部ではないという第二の前提は、この第一の前提の唯物論的視点を肯定するものであり、さらには、実験が反復可能であることを保証するものである。したがって、もしかりにある科学者が、自分は機械的に斜面を転がされたサイコロに精神を集中しただけでその運動パターンを支配することができる、と宣言し、しかもその主張が正しいことが明らかになれば、物理学の一分野の内容が否定されるだけでなく、物理学全体の理論的土台が崩れ去ることになる。意識が＜外＝そこ＞にある世界の一文となり、科学は錬金術に逆戻りし、予測可能性という大前提が(少なくとも理論的には)崩壊してしまうことになるのである。このような過程を一部現実にしたのが量子力学である。量子力学のもっとも重要な哲学的意味は、独立した観察者などというものは存在しないということだ。このことを分かりやすい形で要約したのが、量子力学の生みの親のひとりウェルナー・ハイゼンベルグが一九二七年に提唱した『不確定性原理』であるい。」</p>
<p>モリスバーマン「デカルトからベイトソンへ」156-157P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc19">補論：一般理論は虫眼鏡である</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/016ed1006f2df5b156d882f624ccfaf5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2123" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/016ed1006f2df5b156d882f624ccfaf5.jpg" alt="" width="1920" height="949" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/016ed1006f2df5b156d882f624ccfaf5.jpg 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/016ed1006f2df5b156d882f624ccfaf5-800x395.jpg 800w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/016ed1006f2df5b156d882f624ccfaf5-1536x759.jpg 1536w" sizes="(max-width: 1920px) 100vw, 1920px" /></a></p>
<p>・観察者は虫眼鏡(認識の枠組み)がなければ現象を説明することができない。虫眼鏡を通さないと実在は把握できない、とみなされている。素人が難解な数式を見ても答えがわからないように、枠組みがなければ複雑な現象を説明できない。ただ数式が見えているだけである。数式を見ることはできるが、素人では「説明」することはできず、「理解」することもできない。素人がレントゲン写真を見ても「コード(理論、概念)」を知らないので患者の異変(テキスト)がわからない。レントゲンをそのまま記述しただけでは意味がない。数式を説明するためには、数字という概念や方程式(数字と数字の関係性)をマスターする必要がある。自然現象を理解するためには「質量」や「速度」という概念と、それらの相互関係をマスターする必要がある。では、社会学では何が必要な一般概念か。</p>
<p>自然科学では人間の目的や規範を把握できる枠組みがない。<b>社会科学では目に見えない人間の目的や規範を把握することが重要となるので、その枠組みを用意しないといけない</b>。</p>
<p>いくら現象を観察したところで、その見え方、理解の方法が確立されていなければ科学として成立しない(経験主義、特殊理論への批判)。<b>社会学が他の学問と肩を並べるためには、自然科学のように一般概念を用いた一般理論をつくるべきだ</b>、とパーソンズは考えた。</p>
<h3><span id="toc20">経験主義批判</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/1134223acbe6be3983c0f8214bcc9dea-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2124" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/1134223acbe6be3983c0f8214bcc9dea-1.png" alt="" width="791" height="591" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/1134223acbe6be3983c0f8214bcc9dea-1.png 791w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/1134223acbe6be3983c0f8214bcc9dea-1-280x210.png 280w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/1134223acbe6be3983c0f8214bcc9dea-1-150x112.png 150w" sizes="(max-width: 791px) 100vw, 791px" /></a></p>
<p>・パーソンズの理論は規範と条件の両方を重視した「一般理論(主意主義的行為理論)」を作成しようとした。</p>
<h3><span id="toc21">経験主義とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>経験主義(empricism)</strong>：</big>・一般には、「経験をすべての知識の源泉とする立場」。パーソンズの文脈においては、「ある理論体系のカテゴリーだけでそれが適用される総体に関して科学的に重要な事実はすべて説明できると考える立場」、端的に言えば「実在に本質的な区分があるという考え」を意味する。</p>
</div>
<p>「実在に本質的な区分があり、その区分をそのまま記述すれば実在を認識できる」vs「人間の主観側の構成した区分によってのみ、実在を認識することができる」</p>
<p>「科学的な知識は人間に外在する現実の反映そのもの」vs「科学的な知識は人間が実在を主観的に選択し秩序立てて構成することによってのみ得られる」</p>
<blockquote>
<p>「経験をすべての知識の源泉とする立場。①認識論としては古代ギリシアからそんざいするが、とくに16,17,18世紀,ベーコン(Bacon,F.),ロック,ヒューム(Hume,D.)に代表されるイギリス経験論が有名である。これは近代科学の成立に積極的に貢献し、また実証主義や唯物論の源泉ともなった。社会学を実証科学として確立するうえでの貢献も大きい。経験&lt;論&gt;と呼ばれることが多い。②特殊に経験&lt;主義&gt;と呼ばれる場合、経験によって確認しえないものすべてを否定しようとする立場に対する批判的呼称となる。それは合理的思考、演繹的思考、弁証法的思考に対立する立場とされる。現在では、個別的な経験を不当に拡大したり、それに執着する立場への蔑称として用いられる。」</p>
<p>142P</p>
<p>「ここで「経験主義」という用語が特殊な意味で使われていることに注意せねばならない。すなわち「経験主義という言葉は、ある理論体系の諸範疇だけで、それが適用される総体に関しておよそ科学的に重要な諸事実はすべて説明しつくせるのだと明示的にか暗黙的にか主張するような理論体系を指示するために用いられる」。(Parsons,T.,前掲書、1937年、邦訳、第一分冊、113頁)。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」、124P</p>
<p>「経験主義とは,現象の性質によって科学の方法を固定化したものである。だから,現象を分割して説明する方法である単位分析のみが分析の方法であり,経験的一般化以上の分析ができない。そして,この方法では,価値は現象の中に実在しないから単位分析では捉えられない。「功利主義的思想」,そして「実証主義[Positivism]的行為理論」と「理念主義的行為理論」が価値を行為の理論に含めることができなかった理由を,パーソンズは,価値という「実在」が具体的現象として存在すると考える「経験主義的認識論」に求めている。この場合の「経験主義」とは日常使用している「経験的」という用語とは異なっている。経験主義とは実在に本質的区分があり,この実在の区分に基づいて主体の側の認識の区分が成立しているという考え方である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」62-63P</p>
<p>「若い頃生物学と哲学(とくに、カントの『純粋理性批判』)を勉強した経験から、かれはひとが諸事象を理解するということは、ある理論的な概念枠組みを通してそれらを『解釈』することだと考えた。こうした考え方は、社会理論では哲学史の用語を借りて新カント主義と呼ばれている。なるほど、事実は一見観察によってわかるように思われるが、それは『わかっている』のではなく、『見えている』だけなのだ。わかるためには、そのことに対してある『意味』が与えられなければならない。この意味をつくりだすのが理論枠組みである。かれは、ハイデルベルグ留学でこの確信をいっそう強くして帰国するのだが、当時のアメリカ社会学の実情は、まさにこの意味では理論不在の状態であった。パーソンズは書いている。『帰国してみると、行動主義(客観主義)が花盛り。主観的な解釈が科学的な有効性をもつと信じるものは、しばしば馬鹿者扱いされる始末であった。また、いわゆる経験主義も隆盛を極めており、それによると、科学的な知識とは、主観の外に厳然として存在する現実の反映そのものであり、主観が(勝手に)あれこれ選択するなどはもってのほかであると考えられていた。』ヘンダーソンやホワイトヘッドの影響の元、パーソンズはこの考え方をいっそう明確に自らの理論構築の基礎におくようになる。具体的なもの(経験的なもの)をいくら並べても、それは事象の理解にはならないし、ましてやそこから理論が生まれるわけでもない。理論は、事象(経験)に意味を与える分析的抽象であって、人間の精神が構築するものだというわけである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」、中野秀一郎、31-32P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc22">経験的一般化とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">経験的一般化</span>(emprical generalization)</strong>：</big>・一定の経験にもとづいて、さまざまな諸事実を観察し、それあの観察諸事実を整序したうえで、諸事実相互の関係について仮説を設計すること。パーソンズにおいては、単位分析による比較から諸現象に共通する単位を導き出すことであり、理論形成にはいたらない。</p>
</div>
<p>・ある特定の状況では特定の行為をする傾向がある、というような一般化。単位分析では「事実(データ)の記述による羅列」か、もしくはその経験的一般化しかできない。</p>
<p>・たとえば自殺という行為を、プロテスタント、教育水準、貯金額といったような単位へ分解するとする。そしてプロテスタントの人間はカトリックの人間より自殺する傾向がある、というような「相関」をもって一般化するようなケース。</p>
<p>※デュルケムはこのような単純な経験的一般化を行っていない。デュルケムの場合は教育の高さにも相関があると判明し、どちらが自殺率に因果関係を持つかわからなくなった(現代で言えば疑似相関の可能性)。つまり見えているデータを並べただけでは法則や理論がわからない。そこでデュルケムは見えていないデータとして「社会的統合度」や「アノミー的自殺」といった概念(観察者の枠組み)を持ち出してくる(現代で言えば潜在変数の発見)。そこから概念を組み合わせ理論へと構成する。その意味で、デュルケムは見えている現実を記述するだけの極端な経験主義者とは一線を画す存在であったといえる。</p>
<h3><span id="toc23">実証主義とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>実証主義(positivism)</strong>：</big>・経験的事実にもとづいて確証できる認識以外を否定する立場</p>
</div>
<blockquote>
<p>「経験的事実にもとづいて確証できる認識以外を否定する立場。実証主義は、18世紀フランスの数学的自然研究の運動(ダランベール、ラグランジュ、ラプラスら)の方法論を継承して、それを社会現象の研究に拡張したコントにおいて完成した。コントによれば実証的(positif)の意味は六つある。つまり、①『否定的』に対する『肯定的』、②『絶対的』に対する『相対的』、③『空想的』に対する『現実的』、④『無益』に対する『有益』、⑤『不確実』に対する『確実』、⑥『曖昧』に対する『明確』」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、234P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc24">実証主義的経験主義とは、意味　(実証主義的行為理論へ)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">実証主義的経験主義</span>()</strong>：</big>・すべての実在は本質的に時間的、空間的な位置を占め、それゆえに、ひとつの理論体系によってすべての実在が把握可能であるとされる立場。ひとつの理論体系とは特に古典力学の論理形式を意味する。社会現象はすべて自然現象に還元され、現象の変化は理論体系において与えられた諸変数の値を知ることによって、説明され、予測されると考えられる立場。機械論的決定論など。実証主義的経験主義は自然科学においては理論体系を認めているが、抽象化することによって得られた概念を具体的事象そのものだと取り違え、実体化する傾向がある。これを「<strong>具体性置き違えの誤謬</strong>」という。</p>
</div>
<p>・「<b>実証主義的経験主義</b>」とは社会現象はすべて自然現象に還元されると考えであり、観察できない価値概念は無用のものとされる。単位行為でいう「目的」や「価値」を直接観察することはできない。なぜなら、目的や価値は行為者の「心の中に」存在しているからである。観察者が観察できるものは究極的には「条件」であり、条件さえ分かれば手段や行為は自動的(＝科学的)に決定される(実証主義的行為理論につながる)。パーソンズはこうした考え方を<b>機械論的決定論</b>として批判した。古典力学や功利主義的な古典派経済学など。抽象的な一般理論は自然科学においては必要とみなされるが、社会現象については理論が拒否される。ただし、自然科学においても具体的事象の抽象化によって得られた「概念」を「具体的事象そのもの」と取り違えてしまっている。</p>
<p>・社会科学の方法＝自然科学の方法のみであり、目に見えるもののみを扱う。人間の目的や価値は目に見えないから扱わない。極端な経験主義は実証主義的行為理論につながる。パーソンズはこうした経験主義を批判している</p>
<p>「具体性置き違えの誤謬」とは「抽象化することによって得られた概念を具体的事象そのものだと取り違え、実体化する過ち」のことです。(これはかなり比喩的な解説ですが)たとえば友人の「田中さんは鬼だ」と表現してみるとします。これは田中さんの数ある性質の中の、「怒りっぽく乱暴である」という性質を取り出して、抽象化し、概念化したものです。田中さんを理解するために鬼という概念は便利ですが、田中さん自体は鬼ではありませんし、鬼それ自体は概念であり、実在していません。それゆえに、田中さんは鬼である、だから退治しなければいけないといったような「取り違え」をしてはいけないわけです。</p>
<p>同じように、古典力学では「物質は精神から切り離されて、無感覚、無価値、無目的なものである」と抽象化さています。しかし物質が「具体的に」無感覚であるか、無価値であるかは別なのです。これは田中さんが自体が鬼でないのと似ています。たとえば摩擦のない平面や真空状態という抽象的な概念によって法則を導き出すのは便利ですが、摩擦のない平面や真空状態が具体的に自然に存在しているわけでもなく、重力そのものや速度そのものが具体的に存在しているわけでもありません。しかし摩擦のない平面や真空状態という抽象的な概念は便利ですよね。便利だけれども、それを実在そのものと誤解してはいけないですよ、という話です。</p>
<p>ここで重要になっているのが「実在」と「抽象」の関係です。抽象的な概念は実在そのものではないです。しかし実在そのもののある一面を認識するためには欠かせないものです。したがって、科学的な理論や概念は実在のある側面を適切に理解することができるという点で、実在と関わっているのです。この関わり方が「分析的」なので、パーソンズの手法が「分析的リアリズム」と呼ばれているわけです。</p>
<blockquote>
<p>「実証主義的経験主義は,実証主義的行為理論の前提条件になっている。この考え方では,すべての実在は本質的に時間的,空間的な位置を占める。それ故,一つの理論体系によってすべての実在が把握可能であるとされる。ここでの一つの理論体系とは自然科学,特に古典力学の論理形式のことである。だからこの考え方によれば,社会現象はすべて自然現象に還元される。現象の変化は,理論体系において与えられた諸変数の値を知ることによって,説明され予測されると考えられている。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、63P</p>
<p>「ホワイトヘッドに依れば、近代科学の基本前提は17世紀以来、次の2点である：a）世界は物質から成るという科学的唯物論。物質は精神から切り離されて、無感覚、無価値、無目的なものであるとされる。そしてb）宇宙における物質の配置は、空間と時間において「単に位置を占めるsimplelocation」ことと捉えられる。このような抽象化された思考によって、近代科学は多くの知見を産み出した。抽象化と推論によって一般法則を見出し、その成果を人間の文明に生かすこと。これが近代科学技術の基盤であり、近代文明の基礎となっているのである。問題は、このような抽象化された前提に立つ近代科学の成果を、そのまま現実の具体性であると思い込むこと、にある。これがホワイトヘッドの言う「具体性置き違いの誤謬」である。何が置き違えられているのであろうか。抽象化自体に誤謬はない。抽象化された前提に立って得られる理論を、そのまますべてが具体性のものだと信ずることに誤謬が潜む、ということである。また、「単に位置を占める」という前提は、関係性の無視あるいはその脱落ということでもあろう。この点は後述されるであろう。」</p>
<p>「文明と経営・生命と象徴から学問と倫理へ」――浦井憲先生の整理を受けて、改めて考えること（１）――村田晴夫(<a href="http://ethic.econ.osaka-u.ac.jp/seminar/17p/MurataGakumonRinri-01.pdf">URL</a>)</p>
<p>「まず第一に実証主義的経験主義とは、抽象的な一般理論概念の重要性を認めるものの、具体的事象の一部分を抽象化することによって得られた概念を具体的事象そのものと取り違え、これを実体化する傾向が著しい立場をさす。具体的には『科学と近代世界』のなかでホワイトヘッドが痛烈に批判した機械論的な近代科学、とりわけ古典力学や、功利主義思想に基づいて展開された古典派経済学がそれにあたる。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」124P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc25">個別主義的経験主義とは、意味(理念主義的行為理論へ)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">個別主義的経験主義</span>(読み)</strong>：</big>・すべての実在はそれぞれ本質的に独特のものであり,数多くの理論体系によっても,すべての実在を把握することは不可能であると考える立場。認識は感覚・知覚器官を通して得られた印象の蓄積により成立すると考える極端な経験主義であり、主観の側でのカテゴリーや枠組みによる経験の秩序付け、認識の主観的構成を認めず、事象は観察され、記述されたもののみが客観的な知識とみなされる立場。</p>
</div>
<p>・すべての実在は独特のものであり、どんな理論によってもすべての実在を把握することは不可能であると考える立場。</p>
<p>・認識の主観的構成を認めない。理論や概念を通した認識を認めず、感覚的な印象のみを認める極端な立場。抽象的な概念が認められていない。</p>
<p>→社会現象に関してできることは、具体的に詳細に記述することのみ。理論を通して捉えることができるリアリティを取りこぼしているとパーソンズは批判している。</p>
<p>→理念主義的行為理論につながる</p>
<blockquote>
<p>「個別主義的経験主義は「理念主義[ldealism]的行為理論」の前提条件になっている。この考え方によれば,すべての実在はそれぞれ本質的に独特のものであり,数多くの理論体系によっても,すべての実在を把握することは不可能である。特に理念主義的行為理論を導く個別主義的経験主義では,自然現象には自然科学の理論体系が必要であるが,社会現象,とりわけ人間現象においては理論体系自体が拒否される。なぜなら人間現象は物質的なものではなく精神的なものだからである。人間現象は具体的独自性と個性を持っ。故に人間現象を64理論的に把握することは困難である。理念主義的行為理論の前提条件である経験主義では,人間現象そして社会現象に関しては具体的に詳細に記述することのみが唯一の客観的な方法である。よって個別主義的経験主義では理論的把握自体が成り立たない。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、63P</p>
<p>「認識は感覚・知覚器官を通して得られた印象の累積により成立すると考える極端な経験主義をさす。この立場は主観の側での一般的範疇(category)や枠組(frame)による経験の秩序づけ、すなわち認識の主観的構成を認めず、認識の成立根拠を経験にのみ求める。そこから「事象は観察され記述され、時間の経過のなかで位置づけられるにすぎない」と考えられ、しかもそのようにして得られた知識が唯一客観的な知識とみなされる。言うまでもなくこのようなタイプの経験主義は、認識の成立根拠とされる経験そのものが、なんらかの一般的諸概念を前提としなければ成立しないことを見落している。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」、125P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc26">直観主義的経験主義とは、意味(理念主義的行為理論へ)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">直観主義的経験主義</span>()</strong>：</big>・具体的な現象を記述し説明するためには理論的な把握が必要であるとされる立場。ただし、理論は説明される当該の人間現象ごとに必要となる。一般的な抽象概念によって個性的な歴史現象を把握してしまうと、個性が壊されてしまうと考えている。概念の分析的抽象性を否定する立場。</p>
</div>
<p>・認識の主観的構成(理論)を認めるが、社会科学においては自然科学のような普遍的法則の認識はできず、個々の歴史的事象の「個性」を把握することにあり、具体的な事象にはそれぞれ具体的な理論が存在すると考えている。概念の「個性」が強調され、概念の「一般性」が否定されている。</p>
<p>たとえば具体的な歴史現象を一般理論で捉えると、個性が破壊されると考えられている。具体的な歴史現象はその歴史現象を捉えるための具体的な理論のみが用いられるという考え。</p>
<p>パーソンズは歴史的説明は<b>一般理論なしには不可能である</b>という批判を向けている。具体的な現象ごとに具体的な理論が構成されていくと、具体的な理論同士の関連性をつけることが難しくなり、全体としてはモザイク理論のようにバラバラなイメージしか見えてこなくなってしまう。「具体性置き違えの誤謬」も犯しやすくなる。</p>
<p>→理念主義的行為理論につながる</p>
<blockquote>
<p>「直感主義的経験主義では,個別主義的経験主義とちがって,具体的な現象を記述し説明するためには理論的な把握が必要であるとされる。しかし,人間現象の個別的特性が強調されたために,人間現象に対応している各々の理論にも個別的な特性があると主張される。この立場では理論は説明される当該の人間現象ごとに必要となり,各々の理論は本質的にはなんら結び付いてはいない。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、64P</p>
<p>「具体的な「現象を分解して何らかの一般概念に包摂するような試みは個性を破壊する企てである」として、概念の分析的抽象性を否定する立場を言う。このような立場は、広い範囲の具体的現象に適用可能な一般理論の構築に関心を寄せる「分析的諸科学」の論理としてはまったく不当であるのみならず、知識の妥当性の証明に必要な一般的、理論的諸概念を欠くという点で、特殊な具体的事象の因果関係の理解をめざす「歴史的諸科学」の論理としても妥当性を欠くものとパーソンズは批判した」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」、125P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc27">単位行為における分析的リアリズムとは</span></h2>
<h3><span id="toc28">単位行為とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>単位行為(Unit-act)</strong>：</big>・行為体系における「最小単位」のこと。単位行為は四種類の「単位(部分)」に分解して理解するものと、四種類の「要素」分析的に区分して理解するものの二種類がある。前者の場合は、行為者、目的、状況(手段＋条件)、規範的志向(規範・価値)という四種類の単位分解される。後者の場合は、目的、手段、条件、規範という四つの要素に分析的に区分される。前者は「単位分析」といわれ、後者は「要素分析」といわれる。単位分析と要素分析は現象間の関係を何らかの形で分析的に説明する「説明的方法」であり、現象を詳細に言語によって記述する「記述的方法」とは区別される。行為の四つの要素を特定しなければ、行為は有意味に記述することはできないとされる。</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/251cd3f71630b33f3834ca8ca7ce9bd2.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2096" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/251cd3f71630b33f3834ca8ca7ce9bd2.png" alt="" width="631" height="552" /></a></p>
<p>ややこしいですよね。しかも参考書籍や論文では単位と要素の区別が明確にされていないケースもあります。調べてているうちにだんだん面倒になってきます。そもそも単位分析と要素分析にきちんとわけて説明している論文が少ない。</p>
<h2><span id="toc29">単位分析</span></h2>
<h3><span id="toc30">単位分析とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff00;">単位分析</span>()</strong>：</big>・単位によって現象を分解して説明しようとする方法。分解された単位間の相互分析によって現象を説明する方法である。この場合の単位は具体的な実在であり、単位は具体的現象の一部分となる。ただし、分解された単位はもはや実在そのものではなく、抽象化されたものであり、<strong>仮説的に存在する実体</strong>(entity)となる。実在(reality)そのものではない。単位分析による比較から、諸現象に共通する単位が導き出されるという。これを経験的一般化という。物理学で物質が原子に分解されるように、行為も諸単位(部分)に分解される。単位分析における単位は行為者、目的、状況、規範(価値)の４単位。</p>
</div>
<p>たとえば私が木を斧で切るとします。この現象を単位よって分解すると、行為者(私)という単位がうまれます。しかし条件や規範、目的や手段から完全に切り離された私というものは実在していません。それらは頭の中だけで存在しているフィクションです(完全なフィクションというわけではなく、実在と対応があるフィクションです)。レゴブロックでできた恐竜を分解して、一つのパーツに分解するのとは少し違うのです。</p>
<blockquote>
<p>「単位分析は,単位によって現象を区分して説明しようとする方法である。単位分析では,現象は,物理学ですべての物質が原子に分解されるように,部分に分解されて単位となる。そしてその単位間の相互分析によって当の現象を説明する。この場合,単位は具体的な「実在」[Reality]である。すなわち単位は具体的現象の一部分である。また,単位分析による比較から諸現象に共通する単位が導き出される。これが「経験的一般化」[EmpiricalGeneralization]である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、61P</p>
<p>「前者の概念の場合、たとえば、具体的な実体としての生きている有機的全体からその部分＝単位(細胞・組織・器官)を引き離して取り出したとき、その部分＝単位は以前と同じようには<strong>具体的に存在している</strong>ものとして観察しえないので、この部分＝単位は一種の抽象化されたものである。すなわち、この部分＝単位は、フィクションであり仮説的に存在する実体(entity)なのである。要するに、この部分ないし単位概念は、虚構を指示している。」</p>
<p>大野道邦「ソローキンとパーソンズ文化システム概念をめぐって」</p>
<p>128P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc31">単位分析における行為者とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>単位行為における行為者</strong></span>：</big>・行為の主体のこと。行為者は個人であるか集団であるかは問われない。</p>
</div>
<p>パーソンズはあまり「誰が」というような具体性にはこだわっていないようです。なぜなら一般理論の形成が目的であり、「行為者一般」が問題となるからです。何ができるか、どんな肉体的能力をもっているかという要素は条件や手段などに分類されています。パーソンズの用語では「自我」などとも呼ばれることがあります。</p>
<blockquote>
<p>「行為者とは行為の主体のことである。パーソンズの行為理論では,行為者は個人であるか集団であるかは問われない。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc32">単位分析における目的とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>単位分析における目的</strong></span>：</big>・行為過程が志向する事象の未来の状態</p>
</div>
<blockquote>
<p>「目的とは,「行為過程が志向する事象の未来の状態」のことである(Parsons[1937→1949:44=19761:78])。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc33">単位分析における状況とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">単位分析における状況</span>()</strong>：</big>・手段と条件を合わせたもの。行為過程の状況を意味する。目的に合わせて制御できるものが手段であり、制御できないものが条件となる。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「手段・条件とは,行為過程の状況のことである。この状況の中で目的に合わせて制御できるものが手段であり,制御できないものが条件である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc34">単位分析における規範的志向(規範・価値)</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">単位分析における規範的志向</span>(規範・価値)</strong>：</big>・規範は行為者を内側から制御し、価値は外側から制御する。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「最後に行為の「規範的志向」[Normativeorienta-tion]において,規範は行為者を内側から制御し,価値は外側から制御する。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc35">補論：デカルトと原子論</span></h4>
<blockquote>
<p>「ここまで、ベーコンとは対照的なデカルトの姿勢が強調されたかもしれない。ベーコンが五感を頼みにして、データ、実験、機械的操作の術を知の土台と見るのに対し、デカルトはそれらを純粋な精神の明晰さをかき曇らせる異物として、まずは排斥し、幾何学に基盤を持つ知の獲得法を追求した。外界を知るための第一ステップは、複雑に見える問題をその複雑さのまま記述すること。そうしたら次に、その紛糾して不明瞭な問題を分解し、もっとも単純な構成要素を取り出す。この基本ユニットのレベルでは、明晰判明なるものはすぐさま見て取ることができるだろうから、それをきちんとおさえて、あとは純論理的に問題を再構成していけばよい。このやり方で行けば、複雑に見える問題も、人知による征服が可能である。我々自らがそれを分解し再構成した以上、その問題は我々によって『知られたのだ』。──この方法論はデカルトにとって、探究の果てに掘り当てた金の鉱脈だった。これこそ世界を知る唯一の鍵だと彼は考えた。『幾何学者たちが、あれほど困難な証明問題を、かくも単純明快な論理の連鎖を延々とつないでいくことで解いてしまう、そのやり方を適用することで、およそこの世で知りうることは、すべて知られるのではないだろうか&#8230;&#8230;』</p>
<p>このデカルト的思考体系が、その後どのような人々の意識に食い入り、西洋における意識の歴史を方向づけたかということに思いを馳せるとき、その測り知れない影響力に呆然とするほかはない。たしかにベーコンの影響──知と産業的有用性との結合、『実験』という知の産業的有用性との結合、『実験』という知のための策術の定着──も、現代の科学思考の根本をなすものではあるが、デカルトのえ異教はそれをしのいで余りあるように思われる。さらに、デカルトの方法論は、ベーコンのそれとは百八十度異なっているかに見えて、テクノロジー推進という点ではしっかりと結託している。というのも、デカルトが描く本質的人間──すなわち思惟する存在──は、純粋に機械的な活動にいそしむのである。この精神的存在は、ひとつのたしかな方法をもって、自分とは切れた外なる世界と向かい合う。そして相手に対し、その方法を何度も何度も機械的に適用し、ついには知りうるべきことのすべてを知ってしまう。しかもその方法自体からして、機械的である。対象をもっとも単純な構成要素に分解してそれぞれを知るという行為をもって、その寄せ集めとしての全体を知ったことにするのだ。部分と全体との関係を、一インチが寄り集まって一フィートになるようなものとして捉えているのである。なんか以下に分けて測定し、結果を合計して答えよするように、それぞれの知覚の結果を足すことで、対象が知れるという考え方だ。分解し、測定し、寄せ集めよ&#8230;&#8230;ものを知るには、最小の単位に分けよというこの思考型は、まさに『原子論』という呼び名がふさわしい。物質的世界を相手にした場合も、知の世界を相手にした場合も、『原子論』は、全体の部分の総和として、それ以上でもそれ以下でもないものとして、取り扱う。この見方を土台とした哲学を後世に残した小t路が、デカルトの最大の業績だった。」</p>
<p>モリスバーマン『デカルトからベイトソンへ』33P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc36">単位分析と経験主義</span></h3>
<p>単位分析は経験的一般化にとどまるものであり、従来の行為理論はこのレベルにとどまっていた。</p>
<blockquote>
<p>「この分析的リアリズムは,先の4人の行為理論の研究から出てきたものである。パーソンズによれば,この4人の行為理論は,「経験主義」[Empiricism]の影響によって,単位行為や行為体系を適切に考察することが出来なかった。経験主義とは,現象の性質によって科学の方法を固定化したものである。だから,現象を分割して説明する方法である単位分析のみが分析の方法であり,経佛大社会学第22号(1997)パーソンズの主意主義的行為理論について経験的一般化以上の分析ができない。そして,この方法では,価値は現象の中に実在しないから単位分析では捉えられない。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」62-63P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc37">要素分析</span></h2>
<h3><span id="toc38">要素分析とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">要素分析</span>()</strong>：</big>・<strong>分析的要素によって現象を説明する方法</strong>。単位分析では捉えられない特性(創発特性)を捉えるために考案された。観察者の観点から要素を構成して区分することが特徴的。分析要素は目的、手段、条件、規範の４要素。要素分析における単位行為の要素は観察者自身が決定できるので、４要素すべて特定することができる。さらに、行為者には規範的志向があるという前提がおかれている。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「これに対して、後者の分析的要素概念は、われわれの実際観察するものがもっぱら特定ケースにおける特定の値(あたい)だけであるような一般的属性を指示しているがゆえに、抽象的である。たとえば、ある物体がある質量(一般的属性)をもつことは観察できるが、質量そのものは観察できない。ある行為がある程度の合理性(一般的属性)をもつことは観察できるが、合理性そのものは観察できない。この場合、質量、合理性は、分析的要素概念なのである。パーソンズにおいては、このような分析的要素概念が前面に出ているのであり、概念はフィクションではなく、客観的なリアリティの一側面を把握できるとされる。具体的な現象は、この分析的要素のとる値の組合せとして、あるいは、この要素の組合せとして記述される。こういった意味で、パーソンズのスタンスは分析的リアリズムなのである(Ibid.:730,747-748=5-138,162-164)。」</p>
<p>大野道邦「ソローキンとパーソンズ文化システム概念をめぐって」</p>
<p>128P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc39">要素分析における目的</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">要素分析における目的</span>()</strong>：</big>・ある行為の結果と、その行為をしなかったときに起こる事態との差。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「目的とは,ある行為の結果と,その行為をしなかったときに起こる事態との差である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
<p>「目的は,分析的には、期待される将来の具体的事情ではなく、行為者が行為することをさし控えたばあいに発生する結果とは異なるものである。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」,71P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc40">要素分析における手段</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">要素分析における手段</span>()</strong>：</big>・行為者が制御することで望ましい方向に変化させることのできる事態の<strong>ある側面</strong></p>
</div>
<blockquote>
<p>「手段とは,行為者が制御することで望ましい方向に変化させることのできる事態のある側面である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
<p>「また,手段は,分析的には、具体的な道具ではなく、行為者が事物に関する知識と制御とによって望ましいものに変更できる事物の属性(aspects or properties)である。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」,71P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc41">要素分析における条件</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">要素分析における条件</span>()</strong>：</big>・行為一般に帰属できない状況という要素</p>
</div>
<blockquote>
<p>「条件とは,行為一般に帰属できない状況という要素である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
<p>「究極的な諸条件は、分析的には,ある具体的な行為者の制御不能な情況に関する具体的な諸特徴ではなく,行為一般に帰せしめえない情況の抽象的な諸要素である。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」,71P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc42">要素分析における規範</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">要素分析における規範</span>()</strong>：</big>・未定義。大束さんによれば「行為体系の創発特性を導く要素」。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「最後に規範に関してはパーソンズは定義を与えていないが,行為体系の創発特性を導く要素であると考えられる。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<p>パーソンズは「秩序問題」の関係を「分析的リアリズム」の立場で行った。この秩序問題の解決における単位行為の「規範」は「共通価値」にあたるものだとみなされる。つまり、集団において共通して望ましいと思われているような規範である。しかし「単位分析」レベルにおいて創発特性は確認できない(技術的合理性のみ)。つまり、単位分析だけでは創発特性がみられないので、秩序問題は解決できない。共通価値は行為体系(社会体系)レベル、つまり単位行為の集積によってはじめて生じる特性(分析的概念)だからである。</p>
<p>そこで、具体的な属性の集まりである単位分析ではなく、より抽象的な、観察者の観点から構成される要素分析において、規範を共通価値であるとして組み込むことによって秩序問題を解決しようとしていることがわかる。これは論点先取りだといわれることもある。パーソンズにいわせればおそらく、要素分析における規範は実在そのものではないが、実在と対応している「近似的なもの」であるということになるのだろう。</p>
<p>秩序問題についての論点先取りについては前回の記事を参照。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<p>元々分析的リアリズムというものは人間の主意主義的要素、創造性やら自由意志といった従来の経験主義に欠けていることを批判し、それらを取り入れて理論を作ろうとしたものである。しかし、分析的リアリズムを論理的につきつめていけば、人間の主意主義性がどんどん消えていっているのではないか、という批判がある(パーソンズのパラドックス)。</p>
<p>ただしこのパーソンズのパラドックスへの批判として、パーソンズは単に従来の経験主義を批判しようとするポレミーク(論争)として人間の創造性や主体性を強調しただけであり、理論としては「努力する存在」にすぎず、またカントのように、規範へ向かって志向すること自体を自由と解釈している傾向があるという。</p>
<p>この点については前回の記事を参照。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十六回】マックス・ウェーバーの「理解社会学」とはなにか</a></p>
<blockquote>
<p>「第二に、個人を要素と考えるデユルケムの観点を受けて、パーソンスは「手段ー目的連関図式」の目的を個人的に定義しうるものではなく、社会的要素を含むものと考え、同時に、社会が均衡した状態で安定したシステムであるための条件として「共通価値システム」の観念をデユルケムから引き出してきて、これら二つの観念を、先述の「集合体」の強調(「集合体〈社会〉の優位」)とともに「秩序問題」の解決にとって決定的な意義をもつものとして位置づける。すなわち、パーソンスは「共通価値システム」の観念を「手段i目的連関図式」の目的次元に充当し、また概念図式としての「単位行為」に対しては、そのインプリケーションとして予め定義されていた「規範的志向」(これは、行為の目的と手段を選択する範囲を決定していく機能をもっている)に組みこむことによって「秩序問題」(「目的のランダム性」)の解決に機能させるのである&#8230;&#8230;しかしながら、以上の議論には、目的を主体的に選択していく「独立したエージエンシー」としての人間(行為者)、そしてそのエージエンシーの属性・所産としての行為といったところの、パiソンスの「行為の主意主義理論」において定式化された諸観念は、もはや組み込まれる余地は残されていない。その結果、行為の分析は人間エージエンシーを分析するのではなく、所与の意味へのオリエンテーションを明らかにすること、いわば「共通の価値システム」とそれをパーソナリテイの構成要素として摂取していく過程とを把握することで果たされることになる。この意味において、パーソンスが「共通の価値統合の属性の観点から、社会的行為のシステムが理解されうる限りに・おいて社会的行為のシステムの分析理論を発展させていくことを試みる科学」として社会学を定義申つけているのは極めて象徴的である。ここに・おいて、パーソンスはかつて彼自身が「出発点」において批判したところの「行動主義」と同列の地点に立っているのである。この特徴を「パーソンスのパラドックス」と呼ぼう。そしてこのパラドックスは、「陥葬」を底胎していた「分析的実在主義」の内在的論理にパラレルであって、その論理的な帰結とみなしうるのである」</p>
<p>前川正行「初期パーソンズにおける論理構造」、131P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc43">補論：規範的要素</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>規範的要素()</strong>：</big>・「あるものが、(１)集合体の成員達にとって(２)集合体の一部の成員達にとって(３)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素」。要するに、ある集合体に共通して望ましいと思われているような要素を規範的要素というわけです。別の用語で言えば「共通価値」であり、「究極的価値」です。ただし究極的価値他の目的のための手段ではなく、論理的に最上位の目的であり、まさにそれ自体を目的としているのですこし印象が違います。</p>
</div>
<p>規範と規範的要素は違う。規範的要素の中に、規範が含まれている。さらには価値や社会的規範をまとめて1937年時点では規範的要素と言っていることがある。端的に言えば<b>多くの人間が共通して望ましいと思っているような要素</b>を言う。たとえば平和や愛などはどちらかといえば価値に、老人に電車で席を譲るというのは社会的規範にあたる(抽象度の違いで区別、あるいは価値は外側から制御し、規範は内側から制御するというイメージ)。</p>
<blockquote>
<p>「規範的という語の定義を引用しておこう。「あるものが、(１)集合体の成員達にとって(２)集合体の一部の成員達にとって(３)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素に、ふさわしい語として、規範的という用語が用いられる」この定義の特徴は、ある要素が、成員聞に共通して望ましいと認められていること、ないし認められるべきだと行為者が考えているということ、つまり成員間における共通性(ないし共有性)が強調されていることである。規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、「規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コlスの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である」)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた「手段と目的を関連守つける基準」という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員聞に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」11P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc44">補論：創発特性</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong><span style="background-color: #ffff99;">創発特性</span>(emergent property)</strong>：</big>・一般に、「諸要素が集合して一つの全体をつくる場合や、ある現象の組成水準が低次のものから高次のものへ発展する場合に、元の要素や低次の水準には存在しなかった新しい特性」を意味する。パーソンズにおいては創発特性は5種類の合理性に区別されている。原初的合理性は技術に、経済的合理性は効用に、政治的合理性は権力に、社会的合理性は共通価値に結びついている。パーソナリティにおける合理性は定かではない。</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio17.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2054" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio17.png" alt="" width="687" height="721" /></a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/5245a3167a5dbf6ea1951bf735938a65.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2126" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/5245a3167a5dbf6ea1951bf735938a65.png" alt="" width="665" height="582" /></a><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio15-2.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2127" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio15-2.png" alt="" width="746" height="316" /></a></p>
<p>詳細は扱いませんが、共通価値が創発的特性のひとつというのは覚えておいたほうが良さそうです。</p>
<p>個々人の総和を超えたところに生成する価値であると同時に、社会的に望ましいものとされている。個人にのみ焦点を当てても確認されないような要素。この価値は共通価値、共有価値ともいわれる。この共有価値の具体的な形(表出)が究極的目的や究極的価値、道徳的規範や社会的規範である。抽象度の高いものが価値であり、具体度の高いものが規範。たとえば人殺しは善くない、神様を信じるというのは価値であり、信号無視はよくないというのは社会的規範、墓を蹴ってはいけないというのは道徳的規範のイメージ。どちらかといえば価値は外在よりで、規範は内在より。</p>
<p>こうした共通価値がないと支配に正統性がうまれず、したがって権力も安定しません。権力が安定しないと資源の配分も安定しません。要するにまずは社会が安定して、その上で経済やら政治やらが安定するということだと思います。こうした価値による統合を共通価値統合といいます。中期では制度による統合へと重点が変わります。</p>
<blockquote>
<p>「諸要素が集合して一つの全体をつくる場合や、ある現象の組成水準が低次のものから高次のものへ発展する場合に、元の要素や低次の水準には存在しなかった新しい特性が出現し付加される。この新しい特性をいう。たとえば、分業は個人にはなくて集団において創発してくる特性であり、言語は人間以下の水準にはなくて人間の水準で創発する特性である。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、390P</p>
<p>「創発特性とは,適当な大きさに統合された行為体系に典型的に現れる特性である。特定の創発特性は,行為体系が小さすぎたり大きすぎると観察されなくなる。この創発特性は,パーソンズによれば,5種類の合理性に区別されている6)。この5種類の創発特性は,ミクロな行為体系に典型的に現れるものから順に,「原初的合理性」,「経済的合理性」,「政治的合理性」,「社会的合理性」と,そして「パーソナリティ」である。またそれら創発特性の具体的表現と&#8217;して「技術」[Technology],「効用」[Utility],「権力」[Power],「共通価値[Common-Value]があげられている7)。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」59P</p>
</blockquote>
<p>「共通価値」がないと支配に正統性がうまれず、したがって権力も安定しない。権力が安定しないと資源の配分も安定しない。</p>
<p>・価値による統合を「共通価値統合」といいます。「(社会学は)<b>共通価値による統合という特性によって理解することのできる限りにおける、社会的行為体系に関する分析的理論の展開を目指す科学である</b>(『社会的行為の構造』)。」</p>
<h3><span id="toc45">要素分析における特徴</span></h3>
<h4><span id="toc46">１：観察者自身が要素を決定できるので、４要素すべて特定可能</span></h4>
<blockquote>
<p>「まず,この単位行為では4要素すべてが特定できる。なぜなら観察者自身が要素を決定できるからである。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc47">２：規範的志向、意志と努力</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/2c76834151a4aeec0af1c4ae4655ba9d.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2099" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/2c76834151a4aeec0af1c4ae4655ba9d.png" alt="" width="331" height="191" /></a>規範は直接的に条件を規定できません。たとえば遺伝や環境は自分自身ではどうにもなりません。たとえば地震や干ばつで食糧が不足している、という条件は自分ではどうしようもないような条件です。この条件を規範が規定する、というようなことはないはずです。</p>
<p>規範が規定するのは「目的」です。食べ物がほしいという目的を持ったとします。そして条件からは土地が豊かな国の人間から奪うという選択肢と、自分の国でなんとかするという選択肢、あるいは他の何らかの手段といった選択肢が与えられるとします。もし「平和は善いものだ」という規範が目的を規定していたならば、食べ物がほしいという目的は、平和的な手段を伴うものとして規定を受けるわけです。したがって、規範は目的を規定し、さらに手段をも規定します。</p>
<p>条件は手段を規定しますが、規範も手段を規定するので、間接的に規範が条件と結びつきます。人間の行為は条件に規定されつつ、規範にも規定され、さらに規範へと意志や努力をもって志向するということになります。条件からの規定は人間がどうしようもないような、ある種の「自動的な強制」ですが、規範は「強制」ではないのです。あくまで「選択」の問題とります。人殺しが悪いこととされている世の中で、人間が人殺しをしないというのは、遺伝子が性欲を導くような自動的なものではないのです。あくまでも、人間が意思や努力によって志向することから、人殺しをしないという選択が導かれるわけです。だからこそ、実際に意志や努力をしないことで人殺しする人間もいるわけです(逸脱ケース)。</p>
<blockquote>
<p>「第二に,行為には規範的志向があると考えられる。というのは,行為者の目的は選択的要因である規範,価値の影響を受けているからである。ここから,条件から手段を規範から目的を導くために,条件と規範を結び付ける「意志」[Will],「努力」[Effort]という要素が必要となる。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc48">３：時間という概念</span></h4>
<p>目的が設定された途端に同時に手段が選択されるのではなく、そこには時間的な距離がある。この<b>距離</b>を埋めようとして人間は意志をもって努力し、選択を行う。そういった意味で主意主義的という解釈。</p>
<blockquote>
<p>「第三に,目的は手段に先行することから,目的と手段の間には時間的な差がある。だから,この単位は時間という概念を含む。最後に,規範的要素は行為者の心の中にのみ存在する。なぜなら,観察者が規範的要素を観察できるのは,規範が実現され,ある形態をとるからである。(Parsons[1937→1949:731‐737=1989V:139‐147])」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc49">４：規範は心の中にある</span></h4>
<p>規範は心の中だけにある。規範は人間が存在しなければ意味づけされず、ただの物質である。</p>
<p>例：墓を蹴ってはいけないなど人間は規範的志向をもつが、墓自体はなんら規範ではなく、ただの石であり、シンボル。</p>
<p>規範は心の中だけにあり、心というのは「主観的」なものである。この主観的要素を重視するという点で、主意主義的であるという解釈。客観的要素、目に見えて経験できる合理的要素のみを重視すると決定論的な考えになり、主意主義的要素は弱まる。</p>
<blockquote>
<p>「最後に,規範的要素は行為者の心の中にのみ存在する。なぜなら,観察者が規範的要素を観察できるのは,規範が実現され,ある形態をとるからである。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、58P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc50">社会学は分析的諸科学</span></h3>
<p>１：パーソンズは社会学を「<b>分析的諸科学</b>」だと考えており、特定の具体的現象を説明することは社会学の仕事ではないと考えている。そういった具体的現象の説明は歴史的諸科学の仕事であると考えた。要するに、社会学の仕事は現象の特定の具体的分析のための「枠組み(道具)」を提供することであると考えた。また、パーソンズは「普遍的な法則」を追求しているのであり、個別具体的な特定の歴史のみに対応する法則や概念、理論を追求しているのではない。だからパーソンズの理論は一般理論と呼ばれている。こうした個別具体的な理論をパーソンズはアドホック、つまりその場限りの理論として批判している。</p>
<p>２：パーソンズにとって特定の具体的分析のための道具とは「行為の準拠枠(一般理論)」であり、たとえば初期パーソンズにおいては「単位行為図式」も行為の準拠枠のひとつである。中期においてはAGIL図式に当たる。</p>
<p>３：(社会学ではなく)歴史的諸科学は社会学がつくりあげた「行為の準拠枠」を用いて、①具体的な現象を分析的諸要素に分解し、②それぞれの分析的要素に具体的な変数値を与え、③その現象を記述し、現象を説明する。ただしこうした説明は社会学の役割ではない、とパーソンズは考える。</p>
<blockquote>
<p>「第二に、パーソンズは歴史的な多様性という問題(行為および行為者観における批判と同一の線上にある問題)をうまく取込むことができなかった、とカミックは批判している。『構造』中のパーソンズは新古典派の議論に従って、特定の具体的現象を説明することは、社会学のような分析的諸科学の仕事ではなく、歴史的諸科学の仕事であると主張した。歴史的諸科学はある具体的な現象を、分析的諸科学のそれぞれの概念図式に従って、分析的諸要素に分解し、それらの分析的要素に具体的な変数値を与えながら、その現象を記述し、分析的諸科学の提供する法則を使ってその現象を説明する。この考え方には、分析的諸要素が歴史的に多様であるという可能性がはじめから排除されている、とカミックは批判する(Camic1989:54)32)。こうして方法論においても、またもパーソンズは、チャーターを書くためには重要であっ*たかもしれない特定の方法論を、その分野のあるべき唯一の方法論にまで格上げして一般化するという誤りをおかした、とカミックは批判している(Camic1989:54)。」</p>
<p><span dir="ltr" role="presentation">溝部明男</span>「パーソンズ研究における二つのスタイル : J.C.アレグザーンダとC.カミック」、68P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc51">抽象化の三段階</span></h3>
<p>４：抽象化には「<b>3つの段階</b>」がある。そのどの段階でも行為の準拠枠が適用される。①具体的な事実「部分(単位)」へ抽象化する段階。②構造的関係が抽象化され、確定させる段階。③分析的要素(変数)が選択される段階。構造的関係とはたとえば目的と規範がどのように関係しているか、行為同士はどのように関係しているかといったことを扱う。この関係は抽象的な関係であり、具体的な関係そのものではない。</p>
<p>POINT：①現象を言語で記述②単位分析の段階＝記述的概念の構成③記述的概念どうしの関連④要素分析の段階＝分析的概念の構成</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズは彼が提出する分析的理論が三重の抽象に基づいている、と指摘している。 準拠枠の適用によって構成される事実、全体から切り離された単位、選択された変数、という三重の抽象の産物として、分析的理論があるという意味である」<br />
<span dir="ltr" role="presentation">溝部明男</span>「パーソンズ研究における二つのスタイル : J.C.アレグザーンダとC.カミック」、80-81P</p>
<p>「ジンメルが、抽象化の道に乗り出したことは称賛されるべきであるが、抽象化の第一は、『部分』ないし『単位』であり、第二は『構造的関係』である。『ジンメルの抽象化の議論は、単位と構造的関係の議論にかぎられている』が、第三に『分析的要素』ないし『変数』という重要な『抽象化の様式』がある。ジンメルはこれを完全に無視している。このようなパーソンズは、第一草稿と同じ批判を展開している。パーソンズによれば、分析的要素を無視した結果、ジンメルは、記述的概念レヴェルにとどまっている。むろん一定の限定された目的のためには、記述的概念は有用であり、不可欠でさえある。分析的要素は、記述的概念をさらに要素に分解したものにほかならず、その意味で、記述的概念を構成している分析的要素へと、さらに分析をすすめ、複数の分析的要素の組み合わせとして、概念を構成しなおすことが必要となる。記述的概念にのみとどまっていたのでは、概念の実体化をまねくのみならず、体系的一般理論を構築することは不可能となる。ウェーバーもまた、ジンメルと同じように、記述的理念型に焦点を置いていたが、ジンメルと異なってウェーバーは、理念型の体系的分類を構成するという試みを通じて、事実上、『一般化された分析的理論』へと導かれていった。」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」、34-35P、岩波書店</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc52">定数と変数</span></h3>
<p>５：分析的要素には「単位(部分)」と「要素」の二種類がある。それぞれ単位分析、要素分析と呼ばれる。具体的な現象を単位に分解し、<b>定数</b>を取り出していく抽象化の過程を「単位分析」という。さらに観察者の視点から分析的に区分し、<b>変数</b>が選択されていく過程を「要素分析」という。</p>
<p>・比喩的に言えば、主観的カテゴリーは「定数」であり、分析的カテゴリーは「変数」である。</p>
<p>例：単位分析において、規範は「具体的な規範」が想定されている。たとえば「鈴木院長のように怒りっぽくならないようにしよう」といったような具体性をもっているかもしれない。これは行為者の観点から説明されるもの。数値は固定されている、つまり「<b>定数</b>」である(端的に言えば、正解があるものであり、実在そのものに近い。※ただし、本人がすべて明確に目的を述べることはできない。なぜならば複雑すぎるから。当然、他者である観察者も「目的そのもの(リアリティ)」を全て把握することはできない)。</p>
<p>要素分析においては、規範はたとえば「感情性 or 感情中立性」といったように考えられる。観察者が医者(個別的ではなく、医者一般)の規範を分析的に取り出す場合、「感情中立性」である、という要素が選択される。これは「<b>変数</b>」である。「感情性か感情中立性か」といったような数値が固定化されていない状態であり、ここから観察者が「<b>選択</b>」していく。</p>
<p>正直な話、この定数と変数についてよく理解できていません。おそらく鈴木さんの論文を読めば理解できる人もいると思うので、そちらを参照してください。昔の論文ほど説明が難しい。また、変数と定数について詳述してる論文もほとんどない。</p>
<p>定数が端的に言えば正解があるもの、といいました。いわゆる「事実(データ)」にあたります。「橋から飛び降りて死んだ」という行為があるとすれば、「橋」は事実となり、データとなります。もし物理学的な枠組みなら、飛び降りる際の速度や距離の具体的な数値が定数となるのだと思います。社会科学において重要なデータは主に４つであり、それは行為者、目的、状況、規範です。この４つの定数をまずは特定する必要があります。自殺した人の目的はなにか、どんな状況だったかなどです。それは「観察」によって具体的な事実を「記述」していく段階です。行為の文脈において必要なデータであり、「橋」は渡るものなどの具体的な用途として捉えられ、橋の分子構造などまでは社会学的文脈で必ずしも特定、記述する必要がないケースがほとんどです。</p>
<p>変数とは端的に言えば「選択肢」です。たとえばパーソンズは後に「パターン変数」という概念を用いますが、この変数は二項対立的に設定されています。あるいは選択肢というより「属性」といったほうがいいかもしれません。物理学でいえば「質量」などにあたります。たとえば質量自体は具体的な数値をもっていませんが、具体的数値をいくつも表現できる概念です。たとえば太陽の質量は～であり、橋の質量は～である、といういいかたができます。太陽の質量は～であるというのは定数ですが、質量それ自体は変数であり、属性であり、そのものは存在していません。いうならば値が固定されていないという意味で変数ですね。</p>
<blockquote>
<p>「したがって、パーソンズによれば、部分ないし類型概念と分析的要素とは『論理的に根本的に区別』されなければならない。『分析的要素』とは、『一定の記述的準拠枠内で有意味となる具体的現象の一般的属性、ならびにその組み合わせ』である。物体を、ある特定の量・速度・①をもつものと叙述する時、量、速度、位置は、この分析的要素であり、『変数的要素』とみることができる。」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」61P、岩波書店</p>
</blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-2.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2128" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-2.png" alt="" width="954" height="595" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-2.png 954w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio9-2-800x499.png 800w" sizes="(max-width: 954px) 100vw, 954px" /></a></p>
<p>・たとえば規範への志向は、上のパターン変数からも分かる通り、二項対立的に説明される(パーソンズ中期以降)。ここでは具体的な実体ではなく、「<b>抽象的な属性(変数)</b>」の「<b>選択</b>」によって説明される。たとえば医者の行為を規定する規範は、感情性か感情中立性のどちらかといえば、感情中立性である、といったように説明される(どちらかに必ず分類されるので、漏れることはない＝必ず特定できる)。もちろんこれは観察者の観点であり、”<b>実際に</b>”<b>具体的な行為者がどのような観点をもっているかは関係がない</b>。ある個別的・個性的な医者が内心では怒りに満ち満ちていたとしても、<b>観察者の関心は一般的な医者の一般的行為の属性であり、捨象される</b>。その意味で、実在そのものではないが、しかし医者のある一面のリアリティを把握している、ともいえる。だから分析的リアリズムなのである。そしてこの把握のための概念は分析的概念であり、一般的概念である必要があり、具体的な実体、具体的な概念であってはならない。たとえば「ヒトラーの感情性」といった具体的・実在的・個別的・個性的なものをパターン変数の分析的概念として用いることはできないし、そのようなものは行為体系の基礎概念や単位とはならない。そのような実体を理論の基礎単位とするとモザイク理論になってしまう。ある人間の感情がヒトラーの感情と似ているかどうかというような比較のみできる(これは理念型のやり方)。</p>
<p>要するに、定数とは正解であり、変数とはその正解をより抽象的に表現するものである、と私は捉えています。別の言い方をすれば、定数とは記述的概念であり、変数とは分析的概念です。記述的概念が「怒っている」なら、分析的概念は「感情的か感情中立性かといえば、感情的である」と表現されるということになります。定数は具体的で、変数は抽象的です。</p>
<p>たとえば「大学に受かるために勉強する」という場合、定数は「大学に受かるため」というものが記述されます。変数は「受験勉強によってのみ生じたと思われる結果」となります。この変数は「定数」と同じように「観察」によって決定されるものですが、抽象度が違います。もちろん、行為者本人が「大学に受かるため」と言明したところで、それ以外の目的があるかも知れませんし、あらゆる目的が絡まりあう複雑な目的があるかもしれません。だからこそ、定数には正解がありますが、その定数を全て具体的に正確に記述することは困難になります(だから抽象化して理解する必要が出てくる)。困難ゆえに、変数として捉え直してリアリティをつかもう、という話です。これが記述的概念から分析的概念への移行です。</p>
<p>たとえば「橋から飛び降りた」という行為は、飛び降りた結果に「死んだ」というものがあるとすれば、目的は「死ぬこと」であるということになります(もちろんそれ以外も論理的には含んでいますが)。しかし、ほんとうに死ぬことが目的だったのか？という具体的な定数としては観察者からしたら確定しようがありません。人の内心を他人が完全に捉えることなど不可能であり、一面的に観察者が選択していくしかないということになります(その意味で、経験そのものの説明ではなく、経験(実在)のある属性を説明するにすぎません)。つまり、抽象的な変数を選択していくわけです。</p>
<p>もし、事故と自殺がまったく同じ外形だったらどうするか、というような問題にもなってきます。ウェーバーいわく、理念型を通した理解はあくまでも「相関」があるかどうかです。相関性があるからといって因果関係がわかるわけでもなく、社会学における実験や論証で客観性を高めたとしても、それは確実にズバリそれが目的である、ということはできないのです。ウェーバーのことばでいえば客観性の蓋然性(がいぜんせい)、つまり確かさの度合いを経験的法則や比較によって高める作業にすぎません(客観的可能性の問題)。</p>
<blockquote>
<p>「以上で一般慣用のフレーム・オブ・リファレンス内で記述される具体的現象について観察される事実はすべて説明されたが,科学上のデータ・カテゴリーすべてを説明し尽してはいない。以上はむしろ,物理学上,通常,定数(constants)といわれているものだけである。そのほかに物理学上および社会科学上重要なものとして,変数の値(the values of the variables)がある。自殺のばあい,物理学上重要な変数値はジャンプの場所から水面までの距離などである。社会科学上重要な変数値は、行為者の情況に関する若干の特殊な特徴,行為者の目的,その他である。これらのデータは,定数と同様、つねに特殊な具体的状況において与えられている。これらはけっして理論的概念から導びかれず,観察によって決定されなければならない。しかしながら,データ相互間の重要な意味関連が明らかであれば,われわれは理論的に別のデータの組を論証することができる。たとえば,あるシステムの4つの変数のうち3つの変数の値がわかっていれば,われわれは,必要な論理的もしくは数学的技術を用いて,第四の変数値を導出できる。かくして,どの具体的問題に関するデータも二種類のデータ,すなわち定数的データと変数値に区別できる。フレーム・オブ・リファレンスのもっとも重要な機能の1つは,既述の区別を可能にすることである。定数的データはフレーム・オブ・リファレンスによって記述されうるにすぎず,そのさらに詳細な分析には別の「用語」が必要である。他方,変数値の記述は分析の出発点にすぎない。それは,変数を区別するためには,分析的諸要素が定義されなければならないからである。この作業は次節で行なわれる。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」、76P</p>
<p>「社会科学者はこの自殺を1つの「行為」とみる。物理学者は1つの「イベント」とみる。社会科学者は,この行為には溺死するという「具体的」目的があると述べる。(行為者は「自分は水死する」ことを期待している。)手段は「飛び込み」であり,「条件」としては橋の高さ,水深,陸地と飛び込み地点との距離,飛び込みの衝撃や肺への水の浸入に関する生理学的影響,などがある。行為者は物理的空間のシェーマによって理解可能な現象に「志向」したのである。すなわち,かれはジャンプすれば落ちる,泳げなければ溺れることを知っていたのである。この事実が行為のシェーマによって述べられるとき,これらの物理的事実は「データ」とみなされ,そしてこれらの事実が与えられれば,社会科学者の設定する問題は、泳げないのになぜ橋から飛び込んだのか,であり,かれの関心は、泳げないのに飛び込めば溺死する,という結果を自殺者自身が知っているという事実にだけ集中する。これに対して物理学者がこの特殊現象を研究するときの関心の焦点は、落下する,という「イベント」である。かれはこのイベントに「落下する物体の法則」を適用する。「ジャンプする」ということは,かれにとっては1つの与えられた事実であり,かれは,橋から飛び込んだ「理由」を問わない。「動機」を問うとすれば,かれはもはや「物理学」のフレーム・オブ・リファレンスによって記述できなくなる。すなわち,物理学という特殊理論体系にとって重要な用語を用いてデータを記述できなくなる。&#8230;&#8230;すなわち,記述的なフレーム・オブ・リファレンスの科学的機能は,ある理論体系にとって重要であり,またそれによって記述可能である現象についての諸事実とそうでない諸事実とを区別するような方法で,現象の記述を可能ならしめることである。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」74-75P</p>
<p>「以上はむしろ,物理学上,通常,定数(constants)といわれているものだけである。そのほかに物理学上および社会科学上重要なものとして,変数の値(thevaluesofthevariables)がある。自殺のばあい,物理学上重要な変数値はジャンプの場所から水面までの距離などである。社会科学上重要な変数値は、行為者の情況に関する若干の特殊な特徴,行為者の目的,その他である。これらのデータは,定数と同様,つねに特殊な具体的状況において与えられている。これらはけっして理論的概念から導びかれず,観察によって決定されなければならない。&#8230;&#8230;かくして,どの具体的問題に関するデータも二種類のデータ,すなわち定数的データと変数値に区別できる。フレーム・オブ・リファレンスのもっとも重要な機能の1つは,既述の区別を可能にすることである。定数的データはフレーム・オブ・リファレンスによって記述されうるにすぎず,そのさらに詳細な分析には別の「用語」が必要である。他方,変数値の記述は分析の出発点にすぎない。それは,変数を区別するためには,分析的諸要素が定義されなければならないからである。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」76P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc53">要素分析整理</span></h3>
<p>１：<b>現象をそのまま記述するためでは説明したことにはならない</b>。現象は複雑であり、無限に思えるような相互作用から成り立っている。現象(実在そのもの)を全て記述することは不可能。</p>
<p>２：現象を「説明」するためには「一般理論」が不可欠であり、この理論は「概念」を関係づけることによって構成される。つまり、<b>現象を説明するためには概念</b>が必要になる。「特殊理論」では概念を実体化してしまう危険性があるので避ける。</p>
<p>３：概念をとりだすためには、具体的な現象を「<b>分解</b>」する必要がある。たとえば具体的な行為は「<b>(具体的な)行為者、(具体的な）目的、(具体的な)状況、(具体的な)規範</b>」に分解することができる(単位分析)。この段階は「記述的概念」であり、概念によって具体的な現象を一面的に記述することになる。行為者は誰々、目的は何々と、記述していく。現象をそのまま記述するのではなく、枠組みを通して記述していく。例えば橋の「分子構造」などは行為という文脈では重要な記述ではなく、渡ることができる「橋」が手段として有用な記述になる等。どこまで分解するべきか、どう分解すべきか、という基準を単位分析は与えてくれる。こし器のようなもの。</p>
<p>４：<b>「具体的概念」へと分解しただけでは現象を「説明」したことにはならない</b>。分解して共通の要素を見つけ出し、経験的一般化をおこなったところで「理論」は構成できない。</p>
<p>例：「受験勉強」という行為を、田中さん、勉強する、大学へ受かるため、等々に分類して分解したところで説明にはならない。田中さんと佐藤さんには共通して大学へ受かるためという目的をもっている、と言明したところでそれは理論にはならない。</p>
<p>５：単位分析では「<b>創発特性</b>」を説明できない。</p>
<p>→創発特性とは、<b>孤立した個人のレベルでは確認できないような特性</b>であり、個人と個人の相互作用によってはじめて確認できるものである(全体は部分の単なる集合ではなく、それ以上の性質をもつ)。したがって、現象から行為者や目的を孤立させても、説明しきることはできない。たとえば受験勉強に経済的合理性があると説明するためには、「経済合理性という創発特性」が前提となる。勉強は善いものであるという規範(共通価値)を説明するためには、社会体系レベルの、「社会的合理性という創発特性」が前提となる。それゆえに、具体的な現象から具体的な概念へと分解することは第１段階目の「<b>抽象化</b>」であり、それらは「<b>分析的要素</b>」となる。</p>
<p>６：<b>「行為体系」を構成するような「単位行為」</b>を考える必要がある。この「単位行為」は<b>行為者の主観的な観点からではなく、</b><b>観察者</b><b>の分析的な観点から作る必要</b>がある。つまり、具体的概念ではなく、<b>一般概念</b>が必要とされる。単位分析によって分解された概念を、さらに要素に区分し、分析的要素を組み合わせて再構成する。</p>
<p>・この一般概念の組み合わせからなるものが単位行為であり、この単位行為の組み合わせからなるものが行為体系であり、行為体系からそれぞれ構成されるものが社会体系、パーソナリティ体系、文化体系である。社会学は「<b>社会体系</b>」を主な分析の対象とする。そうした全体の枠組みを、「<b>行為の準拠枠</b>」という。それゆえにパーソンズの理論は多次元性をもつといわれる。</p>
<p>例：要素分析における「目的(分析的要素、一般概念)」には大学に受かるため、といったような個別的な具体性がない。「<b>もし行為をしなくても起きたであろう事態を行為の結果から引いた残りの部分</b>」という言い方からわかるように、どの行為であっても目的が特定できる。たとえば受験勉強をしたことで起きたような結果を目的と論理的に確定させることができるからである。もし大学に受かったなら、その大学に受かったという結果は”<b>自動的</b>に”目的へと分類される(具体的な行為者が具体的なイメージとして思い浮かべているかどうかは関係がない)。</p>
<p>自然科学において「質量」それ自体は具体的な値をもっていないように、社会科学において分析的要素である「目的」は具体的な値をもっていない、一般概念として扱われる。</p>
<p>・概念(感情中立性という観察者の選択)は実在(ある特定の医者が規定されている特定の規範)そのものではない。しかし、医者一般の特定の属性が「感情中立性」という判断を下すことはできる。これはリアリティそのものではないが、こうした枠組みによって分析することで、リアリティの一面を把握することができる、とパーソンズは考える。</p>
<p>というよりパーソンズは具体的・歴史的・個別的な医者の実在性を明らかにすることに重点を置いていない。そうした分析は「歴史諸科学」の役割であると考えている。もし具体的な医者の具体的な概念がわかったところで、それは「具体性置き違えの誤謬」を犯しやすくなってしまう。大事なのは一般概念であり、分析的概念である。</p>
<h2><span id="toc54">ウェーバーの「理念型」への批判</span></h2>
<h3><span id="toc55">理念型とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>理念型()</strong></span>：</big>・</p>
<p>無限に多様な実在から、観察者が自分の価値関心によって一面的に実在のある要素を取り出して構成された、それ自体矛盾のない論理的なモデル。実在に理念型と対応するものは存在せず、現実の現象(実在)と比較することによってのみ、「差異(偏倚)」を索出し、その現象の個性や特徴を明らかにすることを目的としている。マックス・ウェーバーの考えた概念。</p>
</div>
<p>理念型の詳細については前回説明したので、省略します。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2021/12/19/max-weber-2/">【社会学を学ぶ】マックス・ウェーバーの「理念型」とはなにか(概略編)</a></p>
<h3><span id="toc56">パーソンズによる理念型批判</span></h3>
<p>１：ウェーバーは「理念型(概念)」を「完全な虚構」だと主張している。</p>
<p>２：しかし、完全な虚構といいながら、理念型は「実体化(実在そのものだとみなされる)」する危険性を孕んでいるとパーソンズは批判している。なぜか。</p>
<p>３：ウェーバーが「歴史的概念」と「分析的概念」を区別できていないから。この区別をしない結果、「具体性置き違えの誤謬」が生じてしまっている。</p>
<p>・歴史的概念＝ウェーバーにおける個別化概念としての理念型。たとえば家産官僚制など、特定の歴史的個体にそくして構成された概念。当該歴史的個体にのみ適用可能。</p>
<p>・分析的概念＝ウェーバーにおける普遍化概念としての理念型。たとえば資本主義など。不特定多数の具体的分析に適用可能。</p>
<p>・具体性置き違えの誤謬＝抽象概念を具体的実体だと思いこんでしまうこと</p>
<blockquote>
<p>「以上の二つの思考方法の欠点を修正した理論がウェーバーの理念型という方法である。理念型は「具体的なものから抽象され,統一的な概念形式を形成するように組み立てられたもの」である(Parsons[1937→1949:603=1974VI:202])。しかしこの理念型も,前述の単位分析と要素分析との両方の視点が混同されたものであった。このため,この理念型の理論もまた科学の一般体系を形成することはなかった。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」、64P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc57">普遍化概念としての理念型と個別化概念としての理念型</span></h3>
<p>パーソンズいわく、ウェーバーには２つの理念型が混同して使われている。パーソンズの言葉では、「普遍化概念としての理念型」と「個別化概念としての理念型」である。</p>
<p><b>普遍化概念としての理念型</b>：不特定多数の具体的分析に適用可能な、行為の類型的仮定、または関係の類型に関する理想上の概念構成。たとえば「官僚制」。</p>
<p><b>個別化概念としての理念型</b>：ある特定の歴史個体に即して構成された概念。たとえば「中国家産官僚制」。</p>
<p>・この２つが混同されることによって、「<b>具体性置き違えの誤謬</b>(ホワイトヘッドの言葉)」を犯す危険性をもっているという。つまり、完全なフィクションであるといいつつも、歴史的に実在する個別具体的概念を用いて理念型を構成することによって、その理念型を実在するものであると混同しやすくなってしまう。</p>
<blockquote>
<p>「しかし、もし研究者に理念型という分析道具が与えられるならば、彼らは、現実に生起するさまざまな事象を、理念型と比較することによって把握することができる。その意味で理念型は、『究極的価値』要素をふくむすべての行為を理解するための、客観的基準となる。こう理解したうえでパーソンズはさらに、アレクサンダー・フォン・シュルティングに依拠して、『ウェーバーは理念型という述語のもとで、普遍化概念と個体化概念との、二つのまったく異質な範疇を一括してしまっている』という、批判的観点を提示する。パーソンズによれば、『個体化概念としての理念型』とは、『<strong>ある特定の</strong>歴史的個体』にそくして構成された概念であり、したがって当該歴史的個体にのみ適用可能な理念型である。これは、実体的な現象にかんする概念(たとえば『近代合理的・市民的資本主義』、『インド・カースト制』、『中国家産官僚制』など)と、理念にかんする概念(たとえば『カルヴィニズム神学』、『業＝輪廻思想』など)とを、ともにふくんでいる。これらは、科学者の価値関心にしたがって、歴史的諸事実のなかから本質と考えられる要素がえりぬかれ、極度に単純化された概念として構成されたものである。これにたいして『普遍化概念としての理念型』は、『事象の仮想上の諸過程にかんする概念構成』であり、『不特定多数の具体的分析に適用可能な、行為の類型的過程、または関係の類型にかんする理想上の概念構成』である。『目的合理的行為』、『資本主義』、『伝統的支配』、『官僚制』などはすべて、この『普遍化概念としての理念型』と考えられる。パーソンズは、ウェーバーの理念型のなかにふくまれている『二つの異質な範疇』をこのように峻別して、理念型のフィクションとしての本来の正確が厳密に保持されているのは、『普遍化概念』の場合だけであり、『個体化概念としての理念型』は、これとまったく異質の論理的性格をもつと理解する。『個体化概念としての理念型』は、ある特定の歴史的個体にそくして構成されているために、それは『普遍的概念』ではなく、あくまで『歴史的概念』とみなければならないからである。それに歴史的個体の一側面にではなく、まさに本質と考えれられる諸要素についての概念構成である以上、研究の単なる道具ではありえない。」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」59P、岩波書店</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc58">具体性置き違えの誤謬</span></h3>
<p>・たとえば「官僚制」という普遍化概念としての概念すら「実体化」する傾向がウェーバーにはあるという。普遍化概念と個別化概念を区別していないと、普遍化概念を個別化概念的に、つまり実体的にあつかってしまう危険性が前提にある。パーソンズいわく、ウェーバーは「鉄のように貫徹する合理化」といった表現を官僚制にあたえており、これは理念型に歴史的具体性が付与されてしまっているという。つまり、「具体性置き違えの誤謬」をおかしてしまっている。ウェーバーは官僚制が近代化の帰結としては不可避であり、ペシミズム的な要素があるといいます。</p>
<blockquote>
<p>「つまりウェーバーの場合、理念型は本来フィクションであるとされているにもかかわらず、理念型のなかに、歴史具体的な事象にかんする『個体化概念』を同時にふくんでいるために、具体的分析のなかでは、そのフィクションとしての性格があいまいにされ、たえず実体化される危険をふくんでいる。『個体化概念』のみならず、官僚制のような『普遍化概念としての理念型』もまた──この両者が明確に区別されていない以上──、実体化の危険性を免れていないという。」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」59-60P</p>
<p>「とはいえ、『鉄のように貫徹する合理化過程』(=官僚制的化石化)という『ウェーバーの経験的著作の顕著な特徴』も、このような方法論的問題点の帰結にほかならない。『疑いもなく、鉄のように堅固な合理化過程[というウェーバーの理解]の理論的基礎は、社会発展の一局面を分離し、かつけっして歴史的現実を描画したものとは考えられていなかった理念型に、歴史的具体性を付与する点にあったと思われる。もしこのような誤りが正されるならば、合理化過程が全社会過程を絶対的に支配しているとする命題は、地に落ちてしまうことになろう。』こうしてパーソンズは、ウェーバーの悲観的な将来展望のもつ一面的な像を克服する方向として、『理念型の結合のしかたにふくまれている硬直性』の克服を、模索することになる」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」67-68P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc59">理念型と創発特性との関連、全体と部分、一般理論と特殊理論、モザイク理論</span></h3>
<p>１：理念型(個別化概念)は変数の値が固定されてしまっている(つまり定数)。</p>
<p>２：そのような理念型は具体的な歴史的個体にのみ適用可能であり、普遍的に適用可能することができない。ただし、差異を索出するという意味では使用できる。</p>
<p>３：変数の値が固定された特殊な枠組みは他の特殊な枠組みと同じ共通の枠組み(一般理論)をもっているわけではないので、それぞれの枠組みの中で完結している。特殊理論同士を組み合わせても明快な説明に至らず、モザイク理論になってしまう。</p>
<p>４：具体的な事象を分解して、一面的に矛盾の内容に構成して説明することには限界がある。なぜなら、他の事象との相互作用(創発特性)などが見えてこないからである。ある特定の行為に関するある特定の理論を構成しても、他の行為との関連が大局的に見えてこない。他の行為との相互作用、つまり行為体系レベルの枠組みや社会体系レベルの枠組みなしには、行為レベルを説明することはできない。</p>
<p>・「具体性置き違えの誤謬」を犯さないような概念構成とはなにか。</p>
<p>→「分析的概念」である。パーソンズでいえば「目的」や「規範」といった「分析的要素」から構成された「単位行為」や、「単位行為」から構成された「創発特性」など。</p>
<p>・なぜ「具体性置き違えの誤謬」を犯さないのか</p>
<p>→ウェーバーの理念型のように歴史的・具体的な「実体」を抽象化したものではないから。たとえば「ヒトラーの第三帝国支配」という「具体的な実体」を抽象化すると「カリスマ的支配」になる。しかしこのカリスマ的支配は「具体的な実体」を抽象化したゆえに、「具体性置き違えの誤謬」を犯しやすい。論理学の用語で言えば、「ヒトラーの第三帝国支配」は「カリスマ的支配」の「外延」になってしまっている。生物という概念のなかに人間という概念があるような関係である。それに対して、「太陽」は質量の外延ではない。「行為者」は目的の外延ではない。「ヒトラーの第三帝国支配」は「カリスマ的支配」の外延である。「人間」は「生物」の外延である。</p>
<p>パーソンズにおける「質量」は行為者の「目的」にあたる。この目的は一般的概念であり、一般的行為者の属性であり、歴史的・個別的な行為者の具体的な目的ではない。だからこそ実体化しにくい。太陽における質量と同じように、行為における目的であり、それは「具体的な実体」ではなく、「具体的な属性」を抽象化したものである。太陽の質量は「具体的な実体」ではなく「具体的な属性」であると同じように、行為者の目的は「具体的な実体」ではなく「具体的な属性」としてみなされる。</p>
<p>端的に言えば、「カリスマ的支配」と頭の中でイメージしたときにヒトラー(実体)が頭の中でチラつくのである。一面的に、観察者の価値理念から秩序立てて構成したのだからそれは「完全な虚構」であるといったところで、具体的な実体、歴史的な個体を元に構成している以上、それが実在すると思い込む危険性をもっている。だからこそ、概念を構成する際には「具体的な行為の実体」ではなく「具体的な行為の属性」を抽象化するべきだ、ということになる。実際にウェーバーは「官僚制」を実体化するような表現を行っている(官僚制的化石化等)。</p>
<blockquote>
<p>「ウェーバーの理念型は、変数間の固定的な関係に着目して、なにほどかアドホックに構成されており、実体化の危険からもまぬがれていない。このような理念型が、『理想的な実験的条件』を備えていない複雑な現実に適用されるならば、『ウェーバーの多元主義は、理念型を本質とみなすことによって、具体的な歴史的個体や歴史的諸過程の有機的統一を、破壊しがちとなる──ある意味で、分析それ自体に内在しているわけではないにしても──。理念型は、その実体化という局面において、文化や社会を、異質な諸原子(＝類型)』からなると考える、いわゆる『モザイク理論』に帰結する。」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」67P</p>
<p>「そもそもパーソンズは、より一般的に、理念型のような類型概念に、分析道具としての大きな限界を感じ取っていた。もし蒸気機関のような機械体系を部分ないし単位に分解しても、シリンダー、ピストン、ボイラー、バルブなどは、意味をもちうる。しかし有機的システムの場合、ひとたびシステムから分離された部分ないし単位は、システムのなかにおかれているときと同じものではなく、それはいわば『虚構的性格』をもつ。逆にいえば、有機的システムは、諸部分のたんなる合成ではなく、諸部分が関係しあったときに新たに創出される『創発的属性』をもつ。それゆえ、有機的システムを部分ないし類型によって理解することは、ホワイトヘッドのいう『誤って与えられた具体性の誤謬』におちいる危険性が大きい。部分ないし類型概念の抽象的性格を失念し、それを実体化する危険性があるという。この危険は、同時に、複雑な有機的システムを、極度に単純化して理解することにつながる。」</p>
<p>高城和義、「パーソンズとウェーバー」60P</p>
<p>「論理学的に言えば、「類」概念は「種」から「個」へ特殊化される普遍概念であり、逆に言えば、「種」や「個」は「類」の外延を構成する関係にある。したがって、もし理念型が「類」概念であるとすれば、その特殊的要素(すなわち理念型の実質的内容)は、類型の外延にあたる「具体的実体」で構成されねばならない。例えば「カリスマ的支配」という類型の特殊は、ヒトラーの第三帝国支配や、ある教祖による教団支配といった具体的事例で構成される。だがこのとき、これらの事例をもとにして構成された理念型は、事例の多様な属性から特定の観点を価値関心に従って一面的に選択し、それを論理適合的に整合化することによって構成した「仮説的実体」であるがゆえに、理念型と一致する事態そのものを現実に見い出すことはできない。すなわち理念型は具体的事例に適用し、その偏差によって事例の個性を認識することを目的とする概念であり、それによって事例の具体的属性を記述することはできないのである。それに対して「分析的概念」は類概念ではなく、「現象の具体的属性あるいは性質」を抽象化した概念である。従って分析的概念の特殊的要素は、「ある対象のある属性に関する具体的な値」で構成されるのであり、何らかの実体を値としてとることはない。例えば太陽の「質量」という場合、それによって記述されるのは、太陽の具体的な質量の値であり、太陽そのものが「質量」の外延であるわけではない。すなわち分析的概念は具体的事例を、ある属性に即して適切に記述するという意味で「実在と対応する」のである。もちろん分析的要素を組み合わせて、対象を分類することも可能である。だが分析的概念は、第一義的に「分類」ではなく「記述」に指向する概念である。すなわち、ある対象を属性の観点から部分へと分解(すなわち分析)し、それぞれを具体的な値(または事実)で記述する。」</p>
<p>赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」127P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc60">補論：ウェーバーの理念型とファウスト</span></h3>
<p>・ウェーバーにおいて理念型は複数の構成が存在できると考えており、相反する複数の理念型を対決させていくことこそ、認識実践の進歩と考えている。</p>
<p>・ウェーバーにおいては、概念は非実在であり、常に後代によって更新されていくもの、批判されていくものとして扱われている。実在と対応した属性ではなく、実在と理念型を比較することで歴史的実体の個性が明らかになる、というその場かぎり、その時代限りの道具にすぎない。</p>
<p>・たとえば「ヒトラーの第三帝国支配」によって「カリスマ的支配」が構成され、それが実体化されるようなら、概念と実体は異なるものだと批判すればいい。過ちがあれば正していく。「ヒトラーの第三帝国支配」が理念型の具体事例として好ましくないなら、べつの具体事例を使ったものと対決させていけばいい。未来の時代において、もはや特定の価値理念から形成されたある概念が不必要となることもある。それぞれの時代において、それぞれの価値理念から形成していけばいい。たとえば今の時代は資源が有限なので、経済的な観点から概念が構成されることがある。しかし将来では資源が無限になり、別の観点から概念が構成されることがあるかもしれない。</p>
<p>・パーソンズは過度の一般化、過度の抽象化をしすぎて行為者の主観、観察者の主観という観点を取りこぼしているのではないか。</p>
<blockquote>
<p>「科学のみが寄与できる出来事とは、経験的実在[そのもの]でもなければ、経験的実在の模写でもなく、ただ経験的実在を思考により妥当な仕方で秩序づける、概念と判断である。&#8230;&#8230;..生活は、その非合理的な現実性において、また、可能なその意義の豊かさにおいて、汲み尽くされることなく、価値観系の具体的な形成は、つねに流動的であり、人間文化の幽遠な未来に向けて、たえず変遷を遂げる運命にある。あの最高の価値理念から分かれ出てくる光は、時を貫いて流転していく膨大な出来事の混沌のなかから、たえず交替していく一有限部分をとらえて、その時時に降り注ぐのである。」</p>
<p>マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」149-150P</p>
<p>「しかし、いつか色彩が変わる。無反省に利用された観点の意義が不確かとなり、道が薄暮れのなかに見失われる。大いなる文化問題が、さらに明るみに引き出されてくる。そのとき、科学もまた、その立場と概念装置とを添えて、思想の高みから事象の流れを見渡そうと身構える。科学は、ただそれのみが研究に意味と方向とを示せる星座を目指して、歩みを進める。」</p>
<p>同,161P</p>
<p>「&#8230;&#8230;新しい願望が目覚める。女神の永遠の光が飲みたくて、夜を背にし、昼を面にし、空を負い、波に俯して、わたしは駆ける。」</p>
<p>同,161P、ウェーバーによる『ファウスト』の引用</p>
<p>「しかし、ウェーバーにおいて理念型は、「現実的なるものの叙述ではない」けれども「存在すべきもの」とか「模範的なもの」を意味しているのではなく、むしろ認識の手段として位置づけられており、複数の構成が可能であると考えられている。そしてウェーバーは、相反する複数の理念型を対決させていくことにこそ認識実践の進歩を認めているのである。要するに、理念型は、ウェーバーにとって何よりも各々の認識者の関心に支えられて構成されたところの「主観的なるものと関連する諸要素を含むところの――これは、パーソンスによって排除されていたものである――カズイスティックな認識手段なのである。そしてこのようなウェーバーの理念型に対する態度は、「ひとつの完結した概念体系をつくりあげ、その中に何らかの意味で究極妥当的な組織のかたちで実在を総括し、さてそこから再び実在を演繹しうるようにするのがたとえいか程遠い未来のことであるにしても文化科学の目標でありうるという思想の無意味なこと」を主張し「永遠の春」としての科学をめざす彼の立場に反映されている。それ故、パーソンスが言うところのウェーバーが「体系化された一般理論を発展させることを誤った」という批判は、不当であるし、何よりもウェーバーにおいて概念の非実在性と更新されていく認識手段の根拠となっている「主観的なるものとの関連」を無視したうえでの理念型批判は、ウェーバーの曲解にほかならない。」</p>
<p>前川正行「初期パーソンズにおける論理構造」、132-133P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc61">補論：なぜ観察者は他者の内心がわかるのか</span></h3>
<p>POINT：パーソンズはなぜ、他人が行為者本人の目的や規範を特定できると思ったのか</p>
<p>１：ア・プリオリな前提があるから。パーソンズは人々が規範へと志向するということを前提としており、また共有された規範があるということを前提としている。<b>それがどのように生成されたかの説明をせず、所与のもの</b>という前提をおく。これが「論点先取」と批判される理由である。</p>
<p>２：人々は同じ規範を共有しているゆえに、同じ規範が具体的なそれぞれの人間の目的を規定していることになる。<b>同じ規範によって目的が規定されているので、人々の目的は近似している</b>、と推定することができる。つまり、同じ規範によって我々は規定されているので、他人であっても本人の目的を「そのもの」ではないが、「近似的に」追体験できると考えられる。つまり、「ありのままの目的(リアリティそのもの)」を説明することはできないが、同じ規範によって規定されているのだから、「ありのままの目的のある側面(リアリティのある部分)」は分析的に把握できるのではないか、という判断。</p>
<p>・たしかに具体的な行為者の具体的な目的を全てありのままに説明することは「複雑」すぎて不可能である。具体的な目的を全てありのままに「記述」することも「概念によって抽象化」することもできないし、すべてを「理解・解釈」することもできない。そんなことができるのはラプラスの悪魔の前提にいるような神様や宇宙人のみである。</p>
<p>例：全ての因果的連関を特定することは人間には不可能。たとえば田中さんが受験勉強をする行為の目的を特定するためには、田中さんだけではなく、田中さんの両親との関係、友人との関係、政治との関係、学校との関係、近所との関係…と無限に思えるようないんがかんけいの連鎖からなりたっている。もしこの<b>全ての因果的連関を特定できるならば、抽象理論などいらない</b>。しかし<b>特定できないならば、抽象理論は必要とされる</b>。</p>
<p>・ウェーバーの場合は抽象概念として、理念型を使う。理念型という虚構と、現実の行為を比較して、その差異をみつけだす。たとえば「プロテスタントの予定説」は理念型で考えれば、論理的に「宿命論」に帰結する。なぜなら、救われているかどうか産まれる前から宿命的に定められているなら、現世で何をしてでも無駄だからである。</p>
<p>しかし現実には、「現世では何をしても無駄」というような宿命論に基づいた行為がされていないことが確認される。むしろ、より、倫理的な行為が積極的に確認できる。</p>
<p>→概念(理念型)と実在には差異(変異)がある。この変異はなにか、と明らかにしていくために理念型は有用となる。ウェーバーの分析では「救われているかどうかという不安」が明らかにされていく。理念型のモデルでは目的合理的行為が基準とされていて、感情的行為は排除されていた(だからこそ一面的なモデルなのである)。しかし、理念型によって、リアリティの一面が明らかになっていく。</p>
<p>→リアリティそのものは特定不可能だから、抽象理論を使って、個別的・具体的な現実の一面を理解し、その因果的連関を突き止めていこう、というウェーバーの立場。</p>
<p>パーソンズも基本的にはウェーバーと同じ立場である。なぜなら、「リアリティそのもの」は無限に多様であり、全て特定することはできず、全て記述することもできず、理論(分析的概念)を通してのみ把握できると考えるからである。</p>
<p>ただし、パーソンズはウェーバーとは違い、個別的・具体的でその場限りの概念ではなく、<b>一般的な概念や、それを関係づけた体系(システム)を通して分析するべき</b>だと主張した。パーソンズいわく、「ウェーバーは主観的に理解された個人行為者の準拠枠から出発したために行為の社会体系の一般的枠組みを発展できるとは考えなかった」らしい。</p>
<p>端的に言えば、理念型(概念)同士の関係が体系的に明らかになっておらず、その場限り(アドホック)な、その歴史的個体かぎりの説明になっているという。</p>
<blockquote>
<p>「第二の留意点として、この行為概念は自分の身体動静と他人の身体動静を区別しなければならない。この区別の必要性は概念を具体的現象へと適用し、それを言語化しようとする局面であらわになる。当事者が自分である場合には、その身体動静が行為であるか否か、また行為であるとしてそれがどのような目的を持って為されるのかを確信し、その内容を知ることは容易であるように思われるだろう。しかしこの概念を他人にまで適用しようとする際にはそれほどうまくいかない。その場合には可規的な身体動静から不可視の目的を導き出す以外に適用の方策があり得ないからである。つまり当事者が自分である場合には、身体動静そのものが為される事前に、目的を〈ありのまま〉の実体として確信し、その内実を描写することは可能であるように思われるだろうが、当事者が他人である場合には身体動静そのものが為された事後にしか、自分によるその確信、描写は可能でなく、且つ常にその妥当性についての疑念を打ち消すことができない。」</p>
<p>「社会学的行為理論において、この問題は、自分の行為と他人の身体動静とのあいだに存する異質性を積極的に評価する方向ではなく、いかにすれば両者のあいだに同一性を確保できるのかという方向に向けて思考され、ヒューム、アダム・スミスにおける「共感」概念からさほど隔たっていない「追体験」による近似値的把握の可能性という素朴ではあるが説得力ある想念から始まって、粗型としてはヴェーバーに、また洗練されたものとしては初期パーソンズに要約されるような規範的価値システムの「共有」として解決されやここでそれぞれの解決について詳述することはできないのだが、いずれにせよ諸個人の目的よりも上位に位置する、或いは諸個人の白的を内包する集団的目的の「共有」を解決の鍵とすることにかわりはない。他人の身体動静は自分と目的を「共有」しているから、自分の行為の似姿として扱うことができる、またそうすることによって行為概念は実用的な理論的資産であることができる、というわけだ。近年でも例えばアレクザンダーは次のように述べて「共有」による解決を要約し、基本的にそれを支持する立場をとっている。「行為の『目的』という伝統的概念は、実際に、行為に対する内的、主体的準拠のふたつの異なる水準を含むものとして見られ得る。-規範とは行為を導く将来への期待の総合的概念である。目標とは所与の行為において追求される特定の目的であり、特定の状況への準拠とともに追求される理想的状態である」。パーソンズ、ブレクザンダーにおいて、集団的規範と個人的目標は同じ「目的」の語のもとに統括される。自分と他人の身体動静は集団的規範を介して同じ「目的」を持つものと見なされ得る。しかしこの解決は他人の身体動静の拭いきれない不可解さを抹消してしまうのではなかろうか。パーソンズにしたがうならば、我々は他人の〈ありのまま〉の目的を把握することができることになる。「(行為)図式の準拠枠は特別な意味で主観的である。つまり、それは、分析され考察される行為をおこなう『行為者の見地から見て生起する』諸現象、諸事物、諸出来事を論じるのである」両RSEsa&#8211;)生]。この文言は、まるで、自分が他人になり替わることが可能である言っているように読める。」</p>
<p>左古輝人「行為概念の再検討」6-7P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc62">補論パーソンズへのよくある批判</span></h3>
<p>・パーソンズへよくある批判</p>
<p>１：パーソンズの理論はそもそも正しいのか。もし一般理論が正しければ、たしかに社会現象を近似的に捉えることができる。多くの社会学者はこの一般理論の挑戦は失敗したと考えている。AGIL図式が論理的整合性や近似性を失っていることを橋爪大三郎さんなどに論証されているケースなど。他にもア・プリオリな前提があるなど(論点先取り、大澤真幸さんなど)。</p>
<blockquote>
<p>「一般理論という着想を導入することで、パーソンズはウェーバーの熟練的な解決と逆の方向に、社会学をひっぱった。何しろ、四つの要件のみたされ具合がわかれば、社会の大きな動きがつかめるというのだから。なかなかすごい着想だったと私も思うが、問題はもちろん、そのしくみの理論が正しいかどうかにある。現在では、多くの社会学者はパーソンズの構造機能主義は失敗したと考えている。どこで破綻したのか。それは大きく二点ある。一つはモデルとしての論理的整合性、もう一つはこれが近似なのかである。」</p>
<p>佐藤俊樹「社会科学の方法」、203P</p>
</blockquote>
<p>２：主意主義的要素が要素分析の時点でほとんどなくなってしまっているのではないか。意味学派からの批判。概念の実在性を強調するがゆえに、主観的世界からの創造的解釈や理解を軽視している(シュッツなど)。</p>
<p>３：「過度の一般化(カミックなどが言及)」を行い過ぎではないか。たとえば明確な目的がないような習慣的行為や感情的行為はどうやって説明するのか。ミルズによれば「難解な誇大理論」。</p>
<p>※ただし、パーソンズによる「社会システム」によって社会現象を捉えるという考え方は、N・ルーマンなどに引き継がれていった。ウェーバーが言うように、<b>学問の目的は後世において批判され、乗り越えられていくこと</b>にあり、その点でパーソンズを理解し、問題点を把握し、自分でそうした問題点の改善を考えていくことができるという点で有意義である。</p>
<h2><span id="toc63">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc64">参照論文</span></h3>
<p>星が多いほど参考・引用が多い論文となります。とくに星にそれ以上の意味はありません。自分の振り返り用です。</p>
<p>★★１： 大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」(<a href="https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0022/BS00220L056.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主意主義に関して、単位行為の詳細。今回依拠しているメインの論文。</p>
<p>２：大野道邦「ソローキンとパーソンズ文化システム概念をめぐって」(<a href="https://tachibana.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=304&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>単位行為の詳細</p>
<p>３：西山真司「 政治学におけるエスノメソドロジーの寄与」(<a href="https://nagoya.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=23209&amp;item_no=1&amp;attribute_id=17&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>分析的リアリズムとはなにかについて　およびガーフィンケルとの関連</p>
<p>４：佐藤勉「社会的なものの論理―T・パーソンズのばあい」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/29/2/29_2_68/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>置き違えられた具体性の誤謬、個人主義とパーソンズ</p>
<p>５：周藤真也「エスノメソドロジーと人びとの社会学」(<a href="https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/21633/file_preview/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E7%A4%BE%E4%BC%9A_11-63.pdf">URL</a>)</p>
<p>具体性取り違いの誤謬</p>
<p>６：鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」(<a href="http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/23035/KJ00000099988.pdf">URL</a>)</p>
<p>単位行為の詳細　特に単位要素や分析的要素の詳細</p>
<p>７大黒正伸「方法論的個人主義と「原子論」―経済学方法論から社会学が学ぶこと―」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=3138&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・分析的法則とは</p>
<p>★８：<span dir="ltr" role="presentation">溝部明男</span>「パーソンズ研究における二つのスタイル : J.C.アレグザーンダとC.カミック」(<a href="https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=1808&amp;item_no=1&amp;attribute_id=26&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>・分析的リアリズムとは</p>
<p>９：吉良伸一「初期パーソンズ研究──パーソンズ社会理論の基本的視角──」(<a href="http://jsasa.org/paper/9_2.pdf">URL</a>)</p>
<p>・分析的リアリズムとは</p>
<p>★１０：鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 1)」(<a href="http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/23026/KJ00000099974.pdf">URL</a>)</p>
<p>★★１１：赤坂真人「社会システム論の系譜(Ⅲ)──ヘンダーソンとパーソンズ；科学方法論をめぐって──」(<a href="https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/71/71-ch8.pdf">URL</a>)</p>
<p>・分析的リアリズムとは　経験主義の説明、分析的リアリズムの定義、ウェーバーとの関連など詳細に語られている。おすすめ。もっとはやく読みたかったが、検索になかなかひっかからなかった(画像媒体なので)。</p>
<p>★１２：前川正行「初期パーソンズにおける論理構造」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/28/1/28_119/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>・分析的リアリズムとは</p>
<p>１３：左古輝人「行為概念の再検討」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/40/3/40_3/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>・なぜ他人である観察者に行為者の内心がわかるといえるのか</p>
<h3><span id="toc65">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc66">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</span></h4>
<p>※全5冊あるみたいです</p>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijK2zx" target="_blank">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></p>
<h4><span id="toc67">高城和義『パーソンズとウェーバー 』</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/38tkBK2" target="_blank">高城和義『パーソンズとウェーバー 』</a></p>
<h4><span id="toc68">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijS8YK" target="_blank">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></p>
<h3><span id="toc69">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc70">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc71">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc72">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc73">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc74">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc75">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc76">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
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			</item>
		<item>
		<title>【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 11 Apr 2022 08:12:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タルコット・パーソンズ]]></category>
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					<description><![CDATA[タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」についての記事です]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">概要</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">動画での解説・説明</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">タルコット・パーソンズとは</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">パーソンズ関連の記事</a></li></ol></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">パーソンズを３つの時期にわけて理解する</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">初期パーソンズ</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">中期パーソンズ</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">後期パーソンズ</a></li></ol></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">基礎用語解説</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">主意主義的行為理論とは、意味</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">主意主義とは、意味</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">努力とは、意味</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">行為理論とは、意味</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">行為の準拠枠とは、意味</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">単位行為</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">単位と要素(記述レベルと分析レベル)　</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">単位行為の数式</a></li></ol></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">行為体系とは、意味</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">創発特性</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">規範的要素</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">規範的志向</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">規範とは、意味</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">価値と規範の違い</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">事実的秩序と規範的秩序</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">行為体型における構造的要素</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">非合理性と没合理性の違い</a></li></ol></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">収斂理論</a><ol><li><a href="#toc29" tabindex="0">１：主意主義的行為理論とは、意味</a><ol><li><a href="#toc30" tabindex="0">補足：自由意志とマトリックス</a></li><li><a href="#toc31" tabindex="0">補足：方法論的個人主義と方法論的集団主義</a></li></ol></li><li><a href="#toc32" tabindex="0">実証主義的行為理論と理想主義的行為理論への批判</a></li><li><a href="#toc33" tabindex="0">実証主義とは、意味</a><ol><li><a href="#toc34" tabindex="0">実証主義的行為理論とは、意味</a></li></ol></li><li><a href="#toc35" tabindex="0">ホッブズ的秩序問題と功利主義的ジレンマ</a></li><li><a href="#toc36" tabindex="0">理想主義的行為理論とは、意味</a></li><li><a href="#toc37" tabindex="0">収斂理論</a></li><li><a href="#toc38" tabindex="0">マーシャル、パレート、デュルケム、ウェーバーの理論について</a></li><li><a href="#toc39" tabindex="0">アレフレッド・マーシャル</a></li><li><a href="#toc40" tabindex="0">ヴィルフレド・パレート</a></li><li><a href="#toc41" tabindex="0">エミール・デュルケーム</a></li><li><a href="#toc42" tabindex="0">マックス・ウェーバー</a></li></ol></li><li><a href="#toc43" tabindex="0">主意主義的要素</a><ol><li><a href="#toc44" tabindex="0">パーソンズにおける行為理論のどこが主意主義的なのか</a></li><li><a href="#toc45" tabindex="0">その他補論</a><ol><li><a href="#toc46" tabindex="0">イマニュエル・カントにおける自由</a></li><li><a href="#toc47" tabindex="0">ゲオルク・ジンメルにおける自由</a></li><li><a href="#toc48" tabindex="0">補論：ウェーバーと文化</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc49" tabindex="0">パーソンズの主意主義的行為理論への批判</a><ol><li><a href="#toc50" tabindex="0">１：社会的な要素を重視するあまり、非社会的、創造的な要素を軽視しているのではないか。保守的だと批判されている。</a></li><li><a href="#toc51" tabindex="0">２：そもそも規範がどうやって生成されるか妥当な説明を与えず、所与のものとして扱われている。</a></li><li><a href="#toc52" tabindex="0">３：初期では主意主義的要素を重視していたのに、中期以降は行動を規定する基準としての「規範(共通価値)」を重視するようになった。</a></li></ol></li><li><a href="#toc53" tabindex="0">参考文献</a><ol><li><a href="#toc54" tabindex="0">参照論文</a></li><li><a href="#toc55" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc56" tabindex="0">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></li><li><a href="#toc57" tabindex="0">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc58" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc59" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc60" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc61" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc62" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc63" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc64" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc65" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc2">概要</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample"><strong>主意主義的行為理論</strong>：行為を分析の基礎単位として考え、行為を規定する要素を遺伝や環境といった条件だけではなく規範をも考慮し、さらにその規範を科学的・合理的なものだけではなく宗教といったような没合理的なものを含めることにより、行為者を規範へ意志をもって努力する存在として主意主義的に構成された行為理論のこと。</li>
<li class="sample">主意主義的行為理論はパーソンズ初期(主に1937年の『社会的行為の構造』)の内容であり、まだ社会体系への言及は少ない。既存の行為理論(実証主義、功利主義、理想主義、さらにそれを乗り越えようとしたウェーバーやパレート、デュルケムなど)を紹介しつつ、単位行為(目的＋手段＋条件＋規範)と行為体系(単位行為の集合＋創発特性)を枠組みとして秩序問題(ホッブズ的秩序問題)を考えるという内容。端的に言えば人間は規範的志向をもち、価値を共有するので秩序問題は解決するとされた。</li>
<li class="sample"><strong>収斂理論</strong>：実証主義は条件を重視したが規範を軽視した。理想主義は規範を重視したが条件を軽視した。功利主義は条件と規範の両方を重視したが、規範の内容を合理性のみという偏った考え方をした。<br />
パーソンズは行為が条件と規範の両方に規定され、かつ規範は合理的なものだけではなく、没合理的なものを含めた理論を構築しようとした。</li>
<li class="sample"><strong>パーソンズへの批判</strong>：１：初期では主意主義的要素を重視していたのに、中期以降は行動を規定する基準としての「規範(共通価値)」を重視するようになった。２：論点先取りという問題がある(共通価値の生成メカニズムに対して説明不足)。</li>
</ol>
<h3><span id="toc3">動画での解説・説明</span></h3>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="//www.youtube.com/embed/cqIn-0CfC3Y" data-alt="動画の説明"></iframe></div>
<p><strong>・この記事のわかりやすい「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください</strong>｡</p>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h3><span id="toc4">タルコット・パーソンズとは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1939" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg" alt="" width="196" height="293" /></a>タルコット・パーソンズ(1902-1979)はアメリカの社会学者で、行為の一般理論(行為の準拠枠)、構造機能主義、AGIL図式などを提唱したといわれている。秩序問題をとりあげた社会学者の代表格。デュルケーム、ジンメル、ウェーバーなどの知識を受け継いで独自の理論を作り上げたとされている。主な著書は『社会的行為の構造』(1937)や『社会体系論』(1949)。</p>
<h3><span id="toc5">パーソンズ関連の記事</span></h3>
<p>・以前の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a>(今回の記事)</p>
<p>・以後の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/">【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/09/26/talcott-parsons-5/">【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか</a></p>
<h2><span id="toc6">パーソンズを３つの時期にわけて理解する</span></h2>
<h3><span id="toc7">初期パーソンズ</span></h3>
<p>パーソンズ初期(1937年~1950年)</p>
<p>・『社会的行為の構造』(1937年)：ホッブズ的秩序問題、共通価値統合、規範的志向、分析的リアリズム、主意主義的行為理論、行為の準拠枠(触りだけ)</p>
<p>１：主に功利主義的行為理論、実証主義的行為理論、理想主義的行為理論への批判と、彼らを乗り越えようとした4人の学者の紹介。</p>
<p>２：マーシャル、パレート、デュルケム、ウェーバーなどを紹介しながら、彼らの良いところを自分の理論に取り入れ、収斂(しゅうれん)させていく。</p>
<p>３：主意主義的行為理論とは既存の行為理論の問題点を改善し、新しい行為理論を作り上げようとしたもの</p>
<p>４：パーソンズは主意主義的行為理論によってホッブズ的秩序問題(自然状態、つまり国家、社会、文化などがない原子論的個人の集まりからいかにして社会秩序は成り立つのか)が解決できると考えた。</p>
<p>５：個人の集まりというのは複数の行為者からなる体系(システム)の問題である。個人の集まりが創発的特性を生みだし、さらにこの創発的特性が価値は規範となり、この価値規範が個人を規制するようになる。こういうわけで社会に秩序が形成されることになる。つまり、秩序問題は行為体系や社会体系レベルの問題である。</p>
<p>６：一方で、単位行為においてすでに要素として規範がある。この単位行為においてすでに規範があるということはいろいろと批判がされている。つまり個人の集まりによって創発的特性が生み出されるはずなのに、個人の段階で創発的特性である価値がすでに個人を規制している。これを論点先取り、アプリオリ(経験や事実に先立つ条件)的、トートロージーなどと批判されることがある。アレクサンダーがいうところの個人主義のジレンマである(個人主義的に、個人の主体性や創造性、自由を重視して社会秩序を考えた結果、超経験的なもの(アプリオリ的なもの)を前提とせざるをえなくなり、結果として個人主義的立場を維持できなくなること)。</p>
<p>・今回扱うパーソンズは初期パーソンズが中心。前回の内容はホッブズ的秩序問題(これもまた初期パーソンズが中心)であり、今回は重点を「単位行為」、及び単位行為と行為体系の関係について置く。今回の内容で基礎的な初期パーソンズは終わりです。次回は中期パーソンズを取り上げます(おそらくパターン変数)。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<h3><span id="toc8">中期パーソンズ</span></h3>
<p>パーソンズ中期(1951年~1965年)</p>
<p>・『社会体系論』(1951)：内面化(摂取)、制度化、システム論(パーソナリティシステム、社会システム、文化システム)、機能──構造分析、役割、期待の相補性、ダブルコンティンジェンシー、価値の共有、行為の準拠枠(価値志向と動機志向、内面化、制度化等　行為者──状況図式等)</p>
<p>・『価値・動機・行為体系(1951年)』：５つのパターン変数</p>
<p>・『作業論文』(1953)：AGIL図式、４つのパターン変数に絞られる</p>
<p>・行為理論から体系理論に関心や力点が移ったのが中期以降とされている。前期を主意主義的だとすれば、中期以降は規範主義的、実証主義的だとされる。個人の主体性が弱まり、ガーフィンケルがいうところの「判断力の麻痺した人間」と批判されるようになる。</p>
<p>・中期は個人の行為や主体性というより、個人を動機づけるもの(価値・規範)に重点が置かれている。</p>
<h3><span id="toc9">後期パーソンズ</span></h3>
<p>パーソンズ後期(1966年~)</p>
<p>・AGIL図式のさらなる発展をめざした。</p>
<p>・『社会類型──進化と比較』(1966)など：サイバネティックスを取り入れたシステムの変動論、、コントロールハイアラーキー(L→I→G→A図式)など。他にも社会進化論の内容などがある。</p>
<p>・情報量が大きいものがエネルギーが大きいものを制御するというサイバネティックス・コントロールという考え方が面白い。体系(システム)でいえば、文化システムが社会システムを制御し、社会システムが人格システムを制御し、人格システムが行動システム(行動有機体)を制御するというアラーキー(位階制)になっているというもの。</p>
<p>・<b>サイバネティックス</b>：ある状況で、制御可能な変数と制御不可能な変数があるとき、制御可能なものを変化させることで状況をより良いものとし、目標を達成するための方法。アメリカの数学者ウィーナーが考え出したといわれている。</p>
<h2><span id="toc10">基礎用語解説</span></h2>
<h3><span id="toc11">主意主義的行為理論とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>主意主義的行為理論(voluntaristic theory of action)</strong></span>：</big>・行為を分析の基礎単位として考え、行為を規定する要素を遺伝や環境といった条件だけではなく規範をも考慮し、さらにその規範を科学的・合理的なものだけではなく宗教といったような没合理的なものを含めることにより、行為者を規範へ意志をもって努力する存在として主意主義的に構成された行為理論のこと。</p>
</div>
<p>パーソンズにおいて行為理論は単位行為と行為体系の２つに大きく分類することが出来る。従来の功利主義(実証主義)的行為理論には主体性や能動性が欠けており、一方で理念主義的行為理論は現実の条件を考慮していないととパーソンズは批判する。1937年の『社会的行為の構造』においてこれらの行為理論を欠点を踏まえ、ひとつにまとめあげようとしたもの(収斂という)が主意主義的行為理論である。具体的に行為理論における主体性や能動性は、規範的なものに強制されて人間が行為するのではなく、人間が触発されて能動的に志向するというような要素だったり、規範的なものは社会の成員によって修正・創造される余地があるという意味であると解釈される(溝部)。主意主義的な要素がパーソンズによって強調されたのは、決定論的な実証主義を批判するためである。</p>
<blockquote>
<p>「行為は、外的な要因の規定力から多少なりとも独立した行為社の能動的な努力を不可欠なものとして要請する主観的・理念的な選択の過程である、と想定する立場からの行為理論のことで、パーソンズが提唱したもの。ヴォランタリズム。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、276P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc12">主意主義とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>主意主義(voluntarism)</strong></span>：</big>・一般に、意志や感性を知性や理性よりも優先させる立場。反対に、知性や理性を優先させる立場を主知主義という。</p>
</div>
<p>・パーソンズにおいては意志や努力、人間の主体性、主観性、能動性、自由意志による選択、創造性などを重視する立場等さまざまな解釈がある。</p>
<p>・パーソンズが直接的に述べたのは、規範に対して積極的に関心を持とうと「<b>意志」をもって</b>「<b>努力」</b>(effort)するという意味合い。努力と意志については後述。</p>
<blockquote>
<p>「ラテン語の voluntas (意志) に由来する言葉で，真理と知性を第1のものとする主知主義に対して，善と意志の優位を説く哲学的な考え方。心理学的，倫理学的，神学的，形而上学的主意主義に区別すれば，心理学的主意主義は，人間を何かある目標に向って意欲し，知性や悟性が意志に従属しているような存在と考えるもので，その代表者はホッブズ，ヒューム，ショーペンハウアーらである。」</p>
<p>出典：ブリタニカ国際大百科事典(<a href="https://kotobank.jp/word/%E4%B8%BB%E6%84%8F%E4%B8%BB%E7%BE%A9-76679">URL</a>)</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc13">努力とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>努力(effort)</strong></span>：</big>・力学におけるエネルギーに相当するとパーソンズは比喩的に表現している。さらに、行為者は目標の達成へと「努力」するものとして定義されている。もっとも、努力へと導くものは「精神的及び肉体的エネルギー」ともあるので、エネルギーがまずありそれが動機によって努力へと転換されると考えることも出来る。また、社会化の過程において、努力は「後天的に自発的には意志と努力によって，他発的には訓練と賦課によって獲得されるもの」とある。したがって、努力には自発性を含むものとして考えることもでき、また意志と同列に考えられているとも解釈できる。パーソンズは行為を決定論的な、自動的・受動的な過程とは考えておらず、意志と努力による選択過程を経ると解釈している。このような要素から、パーソンズの主意主義的要素は努力に関係していると考えられ、また努力をどのように解釈するかによって主意主義的要素が大きいのか、小さいのかが決まるといえる。</p>
</div>
<p>この記事でもっとも重要な部分ですが、もっとも曖昧で捉えにくい部分です。努力を主意主義的要素として捉えるという論文が多い中、この努力の意味がよくわからないというわけです。パーソンズも努力をきっちりと定義している様子はありません。溝部さんのように力学におけるエネルギーというような解釈をする場合、これは主意主義的要素として解釈して良いのか困惑します。</p>
<p>とりあえずは「意志や努力」というキーワードがあるので、主意主義的なものが含まれているというのは明らかなようです。ただし「自由意志」といったような自由や創造性が含まれているかどうかは解釈の問題となるようです。</p>
<p>たとえば人間は強制によって選ばされているわけではなく、自分の意志で選択しているという意味ではそこに「自由」を解釈できます。</p>
<blockquote>
<p>「内容的には「行爲者とはすべての社会体系の単位を構成するものであり，それは目標の達成へと努力し，諸対象・諸事物へ情緒的，感情的に反応し，そして多かれ少なかれ自己の状況，目標及び自己自身を認識的に知り理解していると云う基礎的性格を有する実体（entity）である」<sup>4</sup>」</p>
<p>4=タルコット・パーソンズ「社会体系論(1951)」11P</p>
<p>田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」29P</p>
<p>「動機（motive）とは意識所有体に於て，行爲遂行の努力へと導かしめるための精神的及び肉体的エネルギーの発動を促がすところの，主観的な意味を附与された，それが外在的要素から構成されている場合はそれが内面的に主観化された，起動的原因である。動機付け又は動機化（motiva-tion）とは，ある主体における変化過程に前提的に動機を附与するところの過程である。換言すれば，意味的要素をして動機へと構成せしめるところの過程であり，云わばあらゆる素材対象は動機化の関門を通って動機へとなる。」</p>
<p>田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」32P</p>
<p>「パーソンズは云う。「社会学的に関連せる形態に於ては，「動機化」は人格の段階で組織されたものとしてやってくる。」又行爲諸過程のエネルギーや「努力」要因（“effort”factor）の窮極の渕源は有機体から派生される。従って又，ある意味に於てすべての満足と損失とは有機体的意義を有する。しかし根源は有機体の得失に根ざすものではあるが，動機化の具体的組織は行爲理論にとっては，有機体の有機的欲求に於ては分析されえない。この行爲要素の組織は行爲の理論にとっては，就く行爲者の彼の状況に対する関係の機能であり，その関係の，即ちこの意味に於ては「経験」の，歴史である。」20）しかし乍ら必要の限度に応じてある條件のもとに，心理学その他の可能な理論を動員することを妨げるものではない21）」</p>
<p>田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」33P</p>
<p>「第二の特性はその習得可能性にある。この場合に於ける習得乃至学習（learning）とは個人の具体的行爲に於て，文化の要素の必要な統合が動機付けられるに至る過程である。このことは文化型象の要素を個々の行爲者の行爲体系の中へ組み入れることである。即ちこゝに於て，文化が社会体系のみならず個人間に於ても移動するものであることが明瞭に知られる。しかもそれは，その特性の示す如く個人が発生学的に遺伝的に獲得するものではなく，後天的に自発的には意志と努力によって，他発的には訓練と賦課によって獲得されるものである。従ってそこには習得の難易が対象の性質と主体の能力とによって決定されるけれども，その間において最初の試みから反復によって体得されるまでの時間的経過が考えられる。」</p>
<p>田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」45P</p>
<p>「人格は自我意識のみではなく，更にそれに伴って自己目的を自己意志によって求め之を自己のものたらしめんと努力する。それは一応自己完結的であり，その損失も獲得も自らの責任と権利を以て覆われるものである。それは意思決定論，非決定論を別としても，少なくとも自我意識の側にあっては意志は自由であると主観していることに変りはない。かゝる人間の行爲活動の過程に於て，そこには自我意識形成と並行して，性格がその先天的なものの他に後天的なものも附帶せられ，両者は混融してその人格独自の性格が形成される。かくして他我との区別の明確さは，その内面的主観的な自我意識と外面的客観的な諸性格と容姿と相俟って独自の人格を形成するに至る。かくして，たとえ性格は類型的に分類把握することが必ずしも不可能でないとしても，自我意識の本質そのものは簡約不能（irreducibility）であり，こゝに人格的人間を一個の個人として把握する所以がある」田野﨑昭夫田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」49P</p>
<p>「目的・状況・規範を結びつける要素として、「努力」(effort)が考えられている。「努力」は力学におけるエネルギーの対応物であるといわれる。日常的用語法における、困難に打克ちながら刻苦勉励するというような意味あいが、この「努力」という概念に付着しているのかどうか。ここではエネルギーの相似物という説明に力点をおいて、一つの専門用語と受けとっておきたい。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」4P</p>
<p>「まず「主意主義的」という語の使用例を検討する。パーソンズが「窮極的価値論文で最初にこの語を使用したのは、「主観的目的が:::実際に行為における実効的要因を構成する」という言明に関連させてであり、第二の使用の支脈においては「人聞が事実目的を達成しようと努め、しかもその目的に対する合理的な手段適用によってそうする」という言明が続く(286P)。この二つの言明を受ける形で、行為が自動的過程ではなく「努力」と「意志」の行使の結果であることを確認した上で、最も明確な定式化を示す第三の使用例が提主意主義的行為理論の生成過程157示される。行為という概念自体、寸実在する」目的と、目的手段関係についての合理的規範を離れては意味をなさず、他方その規範を実現しようとする中で努力によって克服さるべき障害物を離れても意味をなさない。(287P。これが行為の主意主義的概念(voluntaristic conception of action」である。この言明のうち、最後の「障害物」という語を「条件」と置き換えるなら喝ここで述べられている内容は『社会的行為の構造』での定式と完全に一致することは明白である。そしてまたここで示されている行為の四つの構成要素l!目的・規範・努力・障害物＝条件のうち、前三者が「実証主義に欠落していたものとしてパーソンズによって把握されていた限り、また行為の「条件」(遺伝・環境)要素への還元による説明が「実証主義」に特有の傾向と把握されていた限り、「行為の主意主義的概念」とはつまるところ「実証主義」的行為概念に「ロマン主義」的要素を加えた上での「綜合」概念ということになる。」</p>
<p>遠藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程　パーソンズの初期論文を中心に」157-158P,<span dir="ttb" role="presentation">タルコット・パーソンズ「社会学理論における窮極的価値の位置」</span>(1935)</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc14">行為理論とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>行為理論(theory of action)</strong></span>：</big>・「行為」を基礎単位として現象を考えようとする理論。あるいは行為に関する定義命題。パーソンズによれば行動と行為は区別され、一定の条件に合致するような行動が行為とみなされる。端的に言えばパーソンズにおける行為とは社会的行為である。社会的行為は目的と手段図式の元、条件と規範によって規制されつつ、意識的に人間が行為を選択する図式で説明され、単位行為と言われる(主体性を強調するという点から主意主義的行為理論と呼ばれる)。この単位行為の集合からなるものが行為体系である。行為体系とは端的に言えば個人同士の行為の相互作用からなる。従って、行為理論とは単位行為と、その集合である行為体系を秩序だてて理論として構築されたものを意味する。</p>
</div>
<p>・行為理論と体系理論を区別して考えます。行為理論は体系理論の前提というわけです。そして行為理論は単位行為と行為体系に区別して考えることができます。行為体系とは行為の相互作用の過程、行為の集合を意味します。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio13.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-2037" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio13.png" alt="" width="436" height="404" /></a></p>
<p>この図の内容は後期パーソンズの内容です。「人間の条件の一般的パラダイム」と呼ばれ、パーソンズの図式の最終的な姿だそうです。亡くなる前年に関西学院大学で『社会システムの構造と変化』という講義が行わており、そのときの図だそうです。この図は行為システムがそれぞれの体系を基礎づけているという意味がわかりやすいです。個人の相互作用がそれぞれのシステムを生み出すというわけですね。さらに行為システムへ文化システムや社会システムはそれぞれ影響を与えるというわけです。具体的に言えば文化システムは規範の要素であり、行為を規制するものであり、また個人はこの規範へ能動的に志向するというわけです。たとえば人殺しは善くない、というような文化は個人の行為を規制します。そうした文化は個人にある程度外在しているもの、デュルケムで言う社会的事実であはありますが、その外在しているものを個人は内在化(内面化)させるといるわけです。さらに社会システムはそうした価値を法律などによって制度化し、さらに秩序を安定へつなげます。</p>
<p>次回のパターン変数の内容なのであまり深掘りはしませんが、要するに単位行為からなる行為体系(行為システム)は一定のパターンがあるというわけです。二項対立による変数が４つあり、その組み合わせは4の２乗で１６通りあります。４図式で考えれば、合計で４つのシステム(それぞれ４通りずつ)を構成することになります。つまり、１６通りのうち４通りのパターンの組み合わせが社会システムを構成し、他の組み合わせはそれぞれ文化システム、パーソナリティシステム、行動システムを構成するということになります。</p>
<blockquote>
<p>「一般的には、M.ウェーバーに始まりパーソンズによって精緻化され、現在もその整備が進められている、行為に関する一群の定義的言明(および経験命題)をいう。実質的には、社会的行為の概念を中核として、行為システムの安定と変動とを首尾一貫して記述するための概念図式である。すなわち、行為理論は、ダイアディックな(二者関係の)相互行為過程の考察から導き出された基本的範疇によって、行為システムの構造と機能(あるいは過程)を系統立てて記述することをその目的とする抽象的な概念図式である。したがって、行為理論は同時に、行為システム理論つまり社会体系・文化体系およびパーソナリティ体系の理論であもり、そのための行為の一般理論(general theory of action)ともいわれる。さらにもう少し広く考えて、社会や集団をその成員の行為にまで分解して把握しようとする分析の一般的方針ないしアプローチも、行為理論に含めてよい。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、166P</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3062e8e3.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-2038" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3062e8e3.png" alt="" width="531" height="537" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3062e8e3.png 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3062e8e3-791x800.png 791w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3062e8e3-60x60.png 60w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3062e8e3-120x120.png 120w" sizes="(max-width: 531px) 100vw, 531px" /></a></p>
<p>「図式は入れ子式に何段階にもなっているが，最も拡張されたものは「人間の条件の一般的パラダイム」と呼ばれ，図1のような構成になっている([21]27頁，第4図）。当面の対象である社会システムは，行為システムの「統合的サブシステム」と位置づけられており，そのことから分かるように社会システムの要素は行為，正確には相互行為である。念のため『社会体系論』(1951)の冒頭に立ち返ると，「〔本書の議論の〕基システム本的な出発点は，行為の社会体系という概念である：：いいかえれば，個人行為者たちのあいだで，相互行為がおこなわれる条件を考えるとそういった相互行為の過程を科学的な意味システムでの一つの体系とみなすことができる」([19]訳9頁．〔〕内は引用者の補足）と記されている。」</p>
<p>春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」139P</p>
<p>「行為は社会システムの要素という側面以外の側面，すなわち，パーソナリティ・行動・文化の各システムの要素という側面をも，もっているとパーソンズは考えるからである。」</p>
<p>春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」142P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc15">行為の準拠枠とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>行為の準拠枠(action frame of reference)</strong></span>：</big>・行為体系や社会体系の分析に行為を不可欠な枠組みとして採用する概念図式のこと。行為理論における基礎的な道具、枠組みのこと。準拠枠とは関係枠、枠組みとも翻訳されることがある。何のための枠組みかというと、分析のための枠組みである。分析の際はこの色眼鏡を通してください、ということである。初期に構想された「行為の準拠枠」は中期以降では「AGIL図式」へと発展し、さらに後期では「LGIL図式(コントロールハイアラーキー)」へと発展していった。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「文化・社会現象の解明に、行為という術後を必要不可欠なものとして採用する概念図式。パーソンズによると、その内容のエッセンスは、具体的な単位としての行為を目標・状況・規範・動機づけの四つの要素から記述するところにある。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、165P</p>
<p>「社会体系とは、行為理論の関係枠のなかで分析された、複数の人間の相互作用の体系である。それは、もちろん、個人としての行為者の関係によって、ただそのような関係だけによって成り立っている」</p>
<p>タルコット・パーソンズ「行為の総合理論をめざして」,37P</p>
<p>「パーソンズは、『社会的行為の構造』を出版していた当時から、目的論を前提にし、目的を達成するための手段を選択する基準として、規範を重視していた。もちろん、手段を選択する際には、その条件としての社会環境も考慮しなければならないと考えていた。この目的・手段・条件・規範という行為の準拠枠自体の中に、既に進化論の適応性や淘汰性としての選択性が内包されているのである。この行為の準拠枠とパターン変数的思考がさらに展開され、AGIL図式となって結実するのである。このAGIL図式に、サイバネティクス的思考を取り入れることによって、後期パーソンズは、進化論的かつ比較論的な社会理論を完成させることになったのである。後期には、彼は、彼の図式を、AGIL図式ではなく、LIGA図式と呼ぶことになった。初期パーソンズも規範の重要性を認識していたが、後期になってそれがいっそう前面に出てくることになったのである。それは、サイバネティクス的思考を取り入れ、エネルギー最小で情報最大のものが、エネルギー最大で情報最小のものを制御するというヒエラルキー的思考に良く具現されている。」</p>
<p>川上周三「ピューリタン系譜の社会思想家の比較研究―マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソンズ―（上）」、28P</p>
<p>「もう少しパーソンズの『社会体系論』を見よう。彼は冒頭で、この本は「行為の準拠枠を用いて社会体系を分析するための概念図式を説明し、例証すること」を主題とする、という。つまり、「行為」から出発し、「行為の社会体系」として社会を描こう、というのだ（Parsons1951＝1974：9）。」</p>
<p>奥村隆「行為とコミュニケーション　ふたつの社会性についての試論」38P</p>
<p>「まず第一に、構造的要素には、目的、手段、条件、そして規範という最小の区別がある。これら四つのすべてを特定化することのできないような行為の記述は意味がない。それはちょうど、質点を記述するには若干の最小属性があり、そのいずれを欠いてもその記述は不完全なものになるのと同様である。第二に、これら諸要素間の関係づけのなかに行為の規範的志向、つまり目的論的性格が含意されている。行為はいつでも規範的と条件的という二つの次元を異にする要素の緊張関係の中に置かれている、と考えなければならない。ある行為をその過程に注目してみれば、それは条件的的要素が規範に同調させられる方向に変化していくものとして捉えることができる。この規範的要素を排除することは行為概念そのものを排除することであり、そうなれば極端な実証主義の立場に行き着くしかない。条件の排除（これもまた上の緊張関係の排除を意味する）もまた、同様にして行為概念それ自体の排斥につながり、理想主義的な流出論に帰着せざるをえないことになる。このように、条件をその一方の端に置き、他の端には目的と規範的ルールを据え、そしてその両者を結びつけるものとして手段と努力が配置される。第三に、本来この準拠枠には時間的要素が含まれている。行為は時間を含んだ過程である。行為の目的論的性格に対応して、規範的要素と非規範的要素との間には時間軸が関わっている。目的の概念には将来への言及、つまり予期されてはいるが行為者の介在なしには存在し得ないだろう事態が含まれている。行為者の頭の中では、目的は状況と同時的に、しかも『手段の選択』に先立って存在している。そしてこの後者は、結果に先行していなければならない。こうした諸要素間の関係が記述されうるのも時間軸に沿ってのことである。最後に、その図式は、これまで議論してきたような意味で本来的に主観的なものである。このことはつぎの事実、すなわち規範的要素は行為者の心のなかにだけ『存在する』ものとして考えることができるという事実によってこの上なく明瞭に示されている。」（タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造』,pp.７３２－７３３.稲上毅・厚東洋輔・溝辺明男訳、１４０－１４１頁。）</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc16">単位行為</span></h3>
<div id="attachment_2028" style="width: 631px" class="wp-caption aligncenter"><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio10-2.png"><img loading="lazy" decoding="async" aria-describedby="caption-attachment-2028" class="wp-image-2028 size-full" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio10-2.png" alt="単位行為図式" width="621" height="461" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio10-2.png 621w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio10-2-150x112.png 150w" sizes="(max-width: 621px) 100vw, 621px" /></a><p id="caption-attachment-2028" class="wp-caption-text">単位行為図式</p></div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>単位行為(unit act)</strong></span>：</big>・単位行為には具体的な現象を単位に分解して考えるもの(単位分析)と、観察者側が要素に区分されたもの(要素分析)の２種類がある。ひとつが、<strong>行為者、目的、状況(手段、条件)、規範という４つの&#8221;単位&#8221;</strong><strong>で行為を</strong>”<strong>説明</strong>”<strong>する図式</strong>。もうひとつが、<strong>行為を</strong>&#8220;<strong>分析</strong>&#8220;<strong>する際の図式は目的、手段、条件、規範という四つの”要素”である。</strong>単位行為は行為システムにおける「最小単位」である。この４つの要素自体は功利主義的行為理論と同じであるが、それぞれの中身が違う。特に規範のなかには非合理的な価値や信念も含まれているという点が最も異なる(もちろん功利主義的な合理性という価値も含まれている。非合理性は没合理性ともいう)。この単位行為の結合は行為体系につながる。単位行為と行為体系をまとめて行為理論といい、行為理論は社会システム理論の前提となる。レゴブロックで恐竜を作る際のパーツにあたる。ただし単なるパーツの集まりではなく、創発的特性を伴い、単なる部分の集合以上のものを生み出す)。基本的な点は行為者、目的、手段の3要素が規範と条件の両方から規定(制御)されるということである。この単位行為を基準にして行為体系や社会体系を考えていく枠組みを「行為の準拠枠」という。</p>
</div>
<h4><span id="toc17">単位と要素(記述レベルと分析レベル)　</span></h4>
<p>※今回はこの部分は詳説しません。次回に「分析的リアリズム」と題して繰り越すことに決めました。</p>
<p>この話がややこしい。単位行為を先程、行為者、目的、状況、規範という４つの「単位」にわけるといいました。この分類は行為者にとって意味のある行為の最小単位です。</p>
<p>行為者以外になにがあるのか、といえばそれは「観察者」です。パーソンズによれば観察者が構成する単位行為は、目的、手段、条件、規範です。そうです、行為者が欠けています。言い換えれば目的、状況、規範になります。行為を分解した単位、あるいは分解から再構成された行為というのは、原子論的です。この単位だけでは創発的特性(個人１人では説明できない共通価値など)を説明できません。この創発的特性を説明するために、観察者側が行為を区分して分析する必要があるといいます。</p>
<p>その前に前提として「科学の方法」というのを紹介しておきます。パーソンズによれば科学の方法は以下の３つに分類できるそうです。正直な話をすれば物理を学んでいる気分になって文系の人間はズシッとくるものがありますが、大事な部分なので理解していきましょう。</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">記述的方法：現象を詳細に言語によって記述する方法。目的は説明する現象を定義すること</li>
<li class="sample">説明的方法：現象間の関係を何らかの形で分析的に説明すること。説明的方法は「現象を単位或いは部分に区分することで説明すること」と、「分析的リアリズムを用いること」の２つに分かれる。</li>
<li class="sample">単位分析：単位によって現象を区分して説明する方法。単位間の相互分析によって現象を説明する。この単位は具体的な実在(reality)であり、具体的な現象の一部分である。単位分析による比較から諸現象に共通する単位が導き出されるとき、これを経験的一般化(Empirical Generalization)という。イメージで言えば物理学で物質を原子まで分解するようなもの。</li>
<li class="sample">要素分析：分析的要素によって現象を説明する方法。<strong>単位分析では捉えられない特性を捉えるために考案された</strong>(ここは大事)。単位分析は具体的現象を分解したものであり、行為体系を分解して残るのは単位行為だけになり、行為体系を考える際に必要とされた<strong>「創発特性(共通価値)」が消滅してしまう</strong>(原子論的個人を想定すると、道徳や価値のような創発特性が消える。集合は単なる部分の集まりではない)。パーソンズは観察者の観点を導入することで、単位分析によって見過ごされがちな側面を分析することが可能になると考えた。</li>
<li>分析的リアリズム(要素分析)：</li>
</ol>
<p>難しいですよね分かります。しかしなんとなくわかります。これは先程学んだパレートの「具体的な歴史は繰り返さないが、歴史の抽象度を上げると共通の部分が見えてくる」という話を思い出します。あるいは具体的現象を分析するための枠組みとしてウェーバーが理念型モデルを想定したことも思い出します。理念型モデルはユートピアであり、それに当てはまる具体的な現象は殆どありませんが、分析には有効だという話でした(もっとも、パーソンズは理念型に対して全面的に賛成というわけではなかったようですが)。</p>
<table class="table6">
<tbody>
<tr>
<th>
<p>単位分析</p>
<p>・単位は「具体的現象」を分解することで得られる</p>
<p>・単位分析とは、単位によって現象を区分して説明しようとする方法。</p>
</th>
<td>
<p>要素分析</p>
<p>・要素はあらかじめ構成された概念によって分析的に得られる。</p>
<p>例：創発的特性や共通価値は要素分析上の概念であり、具体的現象の部分(単位)ではない。</p>
</td>
</tr>
<tr>
<th>具体的</th>
<td>抽象的</td>
</tr>
<tr>
<th>行為者目線</th>
<td>観察者目線</td>
</tr>
<tr>
<th>
<p>呼び方：単位・部分</p>
<p>【１】行為者：行為の主体(個人・集団であるかを問わない)</p>
<p>【２】目的：行為過程が志向する事象の未来の状態</p>
<p>【３】(状況)手段・条件：行為過程の状況のこと。状況の中で制御できるものが手段であり、制御できないものが条件。</p>
<p>【４】：規範・価値：規範は行為者を内側から制御し、価値は外側から制御する(規範と価値が区別されているのはポイントか)</p>
</th>
<td>
<p>呼び方：要素</p>
<p>【１】目的：ある行為の結果と、その行為をしなかったときに起こる事態との差</p>
<p>【２】手段：行為者が制御することで望ましい方向に変化させることの出来る自体のある側面</p>
<p>【３】条件：行為一般に帰属できない状況という要素</p>
<p>【４】規範：(パーソンズは定義をしていないが)行為体系の創発特性を導く要素</p>
<p>POINT１:観察者の分析単位における４単位はすべて特定できる(心の中だからわからない、というケースは具体的なケースに起こること)。</p>
<p>POINT２：規範的志向がある(行為者の目的は選択的要因である規範、価値の影響を受けているから。条件から手段を、規範から目的を導くために、条件と規範を結びつける意思や努力という要素がある)</p>
<p>POINT３：目的は手段に先行するので、目的と手段には時間的な差がある。したがって、行為単位には時間という概念が含まれる</p>
<p>POINT４：規範的要素は行為者の心の中にみに存在する(観察者は規範そのものを見ることはできない)。観察者が規範的要素を観察できるのは、規範が実現され、ある形態をとるからである。</p>
</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>ものすごく直観的な把握では、記述レベルにおける行為単位は具体的なもので、分析レベルにおける行為単位は抽象的なものです。</p>
<blockquote>
<p>「行為のシェーマは主要諸特徴を有し,その使用にさいし2つの異なるレベル―記述的と分析的一に分けることが必要である。理論が適用できる具体的現象は,具体的意味をもつ行為体系として記述される。この体系はつねにヨリ小さな諸部分または単位に分割されることができ,この分割すなわち分析が 分に行なわれるならば,「単位行為 (unit act)」具体的行為体系の一部分として有意味性をもつ行為体系の「最小」単位――に到達する。この単位行為は、行為の窮極的下位体系ではあるが,行為理論の看点からは,分析不可能な実体なのではなく,複雑なものである。すなわち,行為の具体的諸要素――具体的な目的,具体的な諸条件,および目的に対する手段ならびに手段の選択を規制する1つ以上の規範一一から組成されている。注意を要する点は,これら 諸要素の1つひとつは1つの具体的な実体であるが,単位行為の1部分とみられないかぎり行為理論にとってはまったく重要ではないということである。たとえば,椅子は物理学のコンテクストでは分子と原子の複合体であるが,行為の文脈においては1つの手段,「座るものなのである。この意味で,行為理論の具体的=記述的使用と分析的使用との区別は必須である。目的は,分析的には、期待される将来の具体的事情ではなく、行為者が行為することをさし控えたばあいに発生する結果とは異なるものである。究極的な諸条件は、分析的には,ある具体的な行為者の制御不能な情況に関する具体的な諸特徴ではな く,行為一般に帰せしめえない情況の抽象的な諸要素である。また,手段は, 分析的には,具体的な道具ではなく、行為者が事物に関する知識と制御とによ って望ましいものに変更できる事物の属性(aspects or properties) である。」</p>
<p>鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」70~71P</p>
<p>「単位行為は,「行為者」[Actor],「目的」[End],「手段・条件」[Means・Condition],「規範・価値」[Norm・Value]という四種類の「単位」[Unit]に分解される。そしてまた,「目的」,「手段」,「条件」,「規範」という「要素」[Element]に分析的に区分される。単位行為は行為体系の一部分であり,行為者にとって意味のある行為の最小単位である。単位行為には,単位あるいは,「部分」[Part]に分解した形式と,観察者の構成する要素に区分した形式がある。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」57P</p>
<p>他の説明は基本的に大束さんの論文を参考にしています(すべて引用すると大量になるので省略します。)。</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc18">単位行為の数式</span></h4>
<p>・単位行為と行為体系を数式にするとどうなるか</p>
<p>A=S(T, t, ie, r)+E(T, t, i, r, ie)+N(T, t, ie, i, r)</p>
<p>Z=(A1+A2+A3+&#8230;&#8230;.An)+Rel+Ri+Rc</p>
<p>A:単位行為 S:状況(手段と条件) E:目的 N:規範 T:科学的に妥当な知識 t:非科学的な要素 i:理念的要素 ie:理念的要素の象徴的表出 r:ランダムに変化する要素</p>
<p>Z:行為体系 Rel:単位行為 の原基的関係 Ri:個人に関わる創発特性 Rc諸個人の相互関係に由来する創発特性</p>
<p>単位行為＝状況(科学的に妥当な知識、非科学的な要素、理念的要素の象徴的表出、ランダムに変化する要素)＋目的(科学的に妥当な知識、非科学的な要素、理念的要素、ランダムに変化する要素、理念的要素の象徴的流出)＋規範(科学的に妥当な知識、非科学的な要素、理念的要素の象徴的表出、ランダムに変化する要素)</p>
<p>重要なのは、規範は合理的なものと没合理的なもの、ランダム的なものがあるということです。宗教的な自殺はよくないといったような規範のみが人間を規定するわけではなく、科学的な知識も人間を同様に規定する。従来の功利主義は科学的な知識のみ、合理的な規範のみを前提に行為を考えていたという点でパーソンズは批判している。また、目的がランダムに変化する要素のみと考える立場の功利主義を批判している。</p>
<p>要するに役に立つかどうか、有効かどうか、利益(欲求を充足させるかどうか)になるかの計算可能性のあるものが科学的な要素です。ウェーバーで言えば目的合理性です。理念要素は宗教、道徳などで没合理性といわれます。算数のテストで１＋１＝３と答えるようなものは没合理性というより非合理性(無知、誤謬)ですが、墓を蹴ってはいけないというようなものは没合理性(宗教、道徳)です。知識要素は科学的なものだけではなく非科学的な無知やミスも含まれます。</p>
<blockquote>
<p>「功利主義思想においては単位行為が集積した結果である行為体系(H社会状態)については95パーソンズの行為理論における諸問題(一)でみたようにまったく楽観的公見通ししかもっていなかったが、ホップスは「この単位が定義どおり事実として存主するとすれば、そごから帰結される具体的体系の性質はどのようなものか、この点まで立ち入ってそれを演縛しているのである。ではその帰結とは何であろうか。それこそが1万人の万人にたいする戦闘状態」にほかならない。ここに功利主義思想がこれまでまったく気づかずにいた秩序問題がもっとも鋭い形で提起されたことになる。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題,95-96P</p>
<p>「パーソンズは主意主義的行為理論における単位行為と行為 体系を次のような等式で表している(SSA p.82=訳一巻一三 四頁)。<br />
A=S(T, t, ie, r)+E(T, t, i, r, ie)+N(T, t, ie, i, r)</p>
<p>Z=(A1+A2+A3+&#8230;&#8230;.An)+Rel+Ri+Rc</p>
<p>A:単位行為 S:状況 E:目的 N:規範 T:科学的に妥当な知 識 t:非科学的な要素 i:理念的要素 ie:理念的要素の象徴的 表出 r:ランダムに変化する要素 Z:行為体系 Rel:単位行為 の原基的関係 Ri:個人に関わる創発特性 Rc諸個人の相互<br />
関係に由来する創発特性</p>
<p>S (状況)は条件と手段からなるとパーソンズによって書か れているので(SSA p.78=訳一巻一二六頁)、結局主意主義 的行為理論における単位行為の構成要素は、条件、手段、目的、規範の四つであることがわかる」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題,100P</p>
<p>「行為と行為体系をわかっもっとも決定的な違い、それは、パlソンズの等式が明瞭に示しているように、創発特性がド仔在するか一合かということである。創発特性が行為体系において存在しているということは、いうまでもなく、ある社会状態は単なる単位行為の総和とは異なる性質を有しており、逆にいえば、そのような社会状態はけっして単位行為へと還元されることはない、ということを意味している。功利主義思想においては、前節で述べたように原子論的な考えが強かったため、この創発特性についてはほとんどまったく主題化されることがなかったのであった。しかしながらパlソンズもまたごの創発特性に関していえば、その存在は認めるのであるが(したがって素朴な方法論的個人主義者ではないーしかしそれを理論の中心に位置づけることはしていないのだから、実質的に功利主義と選ぶところがなくなってしまっている、といわねばならない。パ1ソンズは功利主義思想の特徴のうち原子論についてはついに克服できていないばかりか、自らもそこに陥ってしまっているのである。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題,101P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc19">行為体系とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>行為体系(action system)</strong></span>：</big>・行為が一定の秩序のもとに組織化されている状態。単位行為が集合したものであり、単なる集合ではなく創発特性に従って統合されたものである。</p>
</div>
<p>・端的に言えば行為の集合だが、他にも創発特性という重要な特徴がある。初期パーソンズでは行為体系とその他の社会体系や文化体系は明確に分離していなかった。明確に理論化されるのは中期以降。単位行為が行為体系を構成するように、行為体系は社会体系や文化体系をそれぞれ構成する。その構成はパターン変数の４つの組み合わせからできており、それぞれの組み合わせは特定の機能をもつ(いわゆるAGILであり、それぞれ適応、目標達成、緊張処理、統合という四機能をもつ)。</p>
<blockquote>
<p>「行為が一定の秩序のもとに組織化されている場合、それを行為システムと呼ぶ。パーソンズは『社会体系論』(1951)などにおいて、行為システムを社会体系、パーソナリティ体系、文化体系に区分している。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、165P</p>
<p>「単位行為が集合したものを,パーソンズは「行為体系」と呼ぶ。行為体系とは,単位行為の規範的志向を,観察者の構成した要素である「創発特性」[Emergent properties]に従って統合したものである。創発特性とは,適当な大きさに統合された行為体系に典型的に現れる特性である。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」58-59P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc20">創発特性</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>創発特性(emergent property)</strong></span>：</big>・一般に、「諸要素が集合して一つの全体をつくる場合や、ある現象の組成水準が低次のものから高次のものへ発展する場合に、元の要素や低次の水準には存在しなかった新しい特性」を意味する。パーソンズにおいては創発特性は5種類の合理性に区別されている。原初的合理性は技術に、経済的合理性は効用に、政治的合理性は権力に、社会的合理性は共通価値に結びついている。パーソナリティにおける合理性は定かではない。</p>
</div>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio20.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2216" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio20.png" alt="" width="687" height="721" /></a></p>
<p>詳細は扱いませんが、共通価値が創発的特性のひとつというのは覚えておいたほうが良さそうです。</p>
<p>個々人の総和を超えたところに生成する価値であると同時に、社会的に望ましいものとされている。個人にのみ焦点を当てても確認されないような要素。この価値は共通価値、共有価値ともいわれる。この共有価値の具体的な形(表出)が究極的目的や究極的価値、道徳的規範や社会的規範である。抽象度の高いものが価値であり、具体度の高いものが規範。たとえば人殺しは善くない、神様を信じるというのは価値であり、信号無視はよくないというのは社会的規範、墓を蹴ってはいけないというのは道徳的規範のイメージ。どちらかといえば価値は外在よりで、規範は内在より。</p>
<p>こうした共通価値がないと支配に正統性がうまれず、したがって権力も安定しません。権力が安定しないと資源の配分も安定しません。要するにまずは社会が安定して、その上で経済やら政治やらが安定するということだと思います。こうした価値による統合を共通価値統合といいます。中期では制度による統合へと重点が変わります。</p>
<blockquote>
<p>「諸要素が集合して一つの全体をつくる場合や、ある現象の組成水準が低次のものから高次のものへ発展する場合に、元の要素や低次の水準には存在しなかった新しい特性が出現し付加される。この新しい特性をいう。たとえば、分業は個人にはなくて集団において創発してくる特性であり、言語は人間以下の水準にはなくて人間の水準で創発する特性である。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、390P</p>
<p>「創発特性とは,適当な大きさに統合された行為体系に典型的に現れる特性である。特定の創発特性は,行為体系が小さすぎたり大きすぎると観察されなくなる。この創発特性は,パーソンズによれば,5種類の合理性に区別されている6)。この5種類の創発特性は,ミクロな行為体系に典型的に現れるものから順に,「原初的合理性」,「経済的合理性」,「政治的合理性」,「社会的合理性」と,そして「パーソナリティ」である。またそれら創発特性の具体的表現と&#8217;して「技術」[Technology],「効用」[Utility],「権力」[Power],「共通価値[Common-Value]があげられている7)。」</p>
<p>大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」59P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc21">規範的要素</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範的要素()</strong></span>：</big>・「あるものが、(１)集合体の成員達にとって(２)集合体の一部の成員達にとって(３)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素」。要するに、ある集合体に共通して望ましいと思われているような要素を規範的要素というわけです。別の用語で言えば「共通価値」であり、「究極的価値」です。ただし究極的価値他の目的のための手段ではなく、論理的に最上位の目的であり、まさにそれ自体を目的としているのですこし印象が違います。</p>
</div>
<p>規範と規範的要素は違う。規範的要素の中に、規範が含まれている。さらには価値や社会的規範をまとめて1937年時点では規範的要素と言っていることがある。端的に言えば<b>多くの人間が共通して望ましいと思っているような要素</b>を言う。たとえば平和や愛などはどちらかといえば価値に、老人に電車で席を譲るというのは社会的規範にあたる(抽象度の違いで区別、あるいは価値は外側から制御し、規範は内側から制御するというイメージ)。</p>
<blockquote>
<p>「規範的という語の定義を引用しておこう。「あるものが、(１)集合体の成員達にとって(２)集合体の一部の成員遼にとって(３)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素に、ふさわしい語として、規範的という用語が用いられる」この定義の特徴は、ある要素が、成員聞に共通して望ましいと認められていること、ないし認められるべきだと行為者が考えているということ、つまり成員間における共通性(ないし共有性)が強調されていることである。規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、「規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コlスの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である」)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた「手段と目的を関連守つける基準」という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員聞に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」11P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc22">規範的志向</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範的志向(normative orientation)</strong></span>：</big>・人間は諸刺激に単に反応するだけではなく、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとすることに関心があるというもの。また、そのような傾向へと自らを方向づけること。単位行為における単位として扱われることがある。</p>
</div>
<p>四単位のうちの規範は規範的”志向”と言われることがある。志向とは関心を向けることであり、心の中の動き、方向である。おそらく規範は行為者に完全に外在しているようなイメージで考えると、行為単位レベルではなく行為体系レベルになってしまうからだろう。つまり、行為体系レベルで生じる創発特性が規範的要素にあたるもので、これは個人レベルでは生じない。極端な話、無人島で生まれて1人で暮らす人間(原子論的個人のイメージ)が、争いはよくないだとか、愛はよいだとかそういう規範へ志向するのかという問題。無人島で独りで暮らす人間にそもそも社会的行為は不可能であり、ほぼすべて行動になる。</p>
<p>もちろん象徴(シンボル)という言葉が単位行為にあるように、ある規範は行為者の心の中にのみ存在するという意味では行為者に内在している(たとえばお墓そのものに規範が存在しているわけではなく、お墓を神聖だと思う行為者の心に規範が存在している)。ポイントは、この心が行為者1人だけに由来するものか、集団で共通に心の中に存在するような望ましいものかということ。殺人は善いというようなものも心の中に存在し、目的や手段を規定しているという意味では規範になるのか。共通に望ましいかどうかは個人の段階ではわからないのではないか(独断的に思うことはできるが、それでいいのか)。それぞれ自分勝手な規範へ志向したら秩序は解決しないのではないか。</p>
<blockquote>
<p>「こうしてパーソンズは、「人間は、諸刺激に単に反応するだけではなくて、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとする(これが規範的指向 引用者)、するという経験的事実」を分析の出発点にして、この規範的指向を、行為の根本的な要素とみなすことになる。けれども、この「経験的事実」の反面、つまり共通のパターンに一致しない行為の可能性が存在することも確かである。パーソンズの主旨は、後者を否定するのではなくて、前者の事実に問題領域を限定する、ということである。このことを彼は明確に自覚していて、次のように述べている。「空間が古典力学にとって、根本的であるのと同じ意味で、規範的指向は、行為図式にとって根本的である。空間的位置の変化以外に運動がないのと同様に、規範に従おうとする努力(effort)以外に、行為はない。どちらの場合も(力学と行為理論　引用者)この命題は、定義ないし定義からの論理的な帰結である。けれども、人間行為が、実際に規範的に指向しているかどうかという問題を提起することは、今の目的にとって必要がない」。この文章は要するに、システム・レヴェルにおいて採用されている概念閲式を明示しているものと考えられる。「規範に従おうとする努力」という行為の定義スケッチは、彼の種々の定義スケッチの中で、(「秩序問題」が彼の第一のテーマであるとするならば)最も直裁的な表現であろう。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」12-13P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc23">規範とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範(norm)</strong></span>：</big>・単位行為における規範とは、「手段と目的を関連づける基準」であり、規範的要素における規範とは、「望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述」である。さらに規範的要素となると、「複数の人間にとって共通して望ましいとされる基準」となる。一般に規範とは、「社会や集団において、成員の社会的行為に一定の拘束を加えて規整する規則一般」を意味する。</p>
</div>
<p>(単位行為の文脈における)<b>規範</b>：手段と目的を関連づける「基準」。合理的なものもあれば非合理的なもの、没合理的なものもあるとされる。</p>
<p>(規範的要素のうちのひとつの)<b>規範</b>：規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述。ここでは望ましいかどうかは個人の判断のみであり、複数の行為者による共通の承認という要素がないとも考えられる。その意味で、単位行為レベルでは創造的な余地、能動的な余地が残されていると解釈されるケースがある。たとえば、集団で人種差別は望ましいと思われていた場合でも、ある個人が自分の意思で能動的に、人種差別は善くないという規範へと志向するなどといったブレイクスルー(創造、革命的)要素。</p>
<p><b>規範的要素</b>：複数の行為者による共通の承認を前提とする(この定義では、単位行為レベルでは生じない規範というものが見られる)。</p>
<blockquote>
<p>「規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、『規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である』(『社会的行為の構造』,75P)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた『手段と目的を関連付ける基準』という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員間に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。以上から明らかなように、「規範的要素」という概念は、複数の行為者から成るシステムを前提にしてむり、複数の行為者による共通の承認ということを含んでいる」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」11P</p>
<p>「社会や集団において、成員の社会的行為に一定の拘束を加えて規整する規則一般を意味する。成員たちが多少とも共有している価値との関係でいうと、その価値に誘導されて行為を規整するのが規範であるから、規範は価値よりも、行為を具体的に特定化する度が大きい。したがって、規範は、行為において追求される目的選択の基準や、その実現に取られるべき行為の様式に関する指示を含んでいる。社会規範は通常、①慣習(伝統、流行、風俗を含む)、②習律(モーレス)、③法、に分類される。規範はすべて、それへの同調のチャンスを高めるような社会的サンクション(報酬と罰)を伴っている。サンクションは誇りや恥の感じをもたらす無定型の圧力から、明示的な非難、称賛を経て物理的強制に至る多様なかたちをとる。</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、108P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc24">価値と規範の違い</span></h3>
<p>価値：具体的な個々の状況を超えて行為者はこうすべしという格率</p>
<p>規範：具体的な相互行為の場面を想定し、「社会の秩序」を維持するために、あるいは、「社会システム」が活力を持って作動してゆくためにプラスとなる行為を奨励し、マイナスとなる行為を禁止する決まり</p>
<blockquote>
<p>「『社会的規範』は、個々の相互行為を統制するものである。社会と時代が異なれば、それに応じて異なった規範がその社会と時代に通用するだろう。「価値」と「規範」の違いは、その内容の抽象性が高いか（価値）、それとも具体的な状況にある程度対応して具象的に表現されているか（規範）の違いである。たとえば、教育制度において、身分、出自、性差などの個人の属性に関わらず、教育の機会を与えることが、教育制度における「価値」であろう。他方、学生は試験に際して、カンニングをしてはいけないという決まりは、「社会的規範」である。（1937年当時のパーソンズは、「価値」と「社会的規範」をまとめて「規範的要素」と呼んでいる。）以上のように、「価値」は具体的な個々の状況を超えて行為者はこうすべしという格率であるのに対して、「規範」は、具体的な相互行為の場面を想定し、「社会の秩序」を維持するために、あるいは、「社会システム」が活力を持って作動してゆくためにプラスとなる行為を奨励し、マイナスとなる行為を禁止する決まりであると基本的には考えられる。」</p>
<p>溝部 明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」、31~32P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc25">事実的秩序と規範的秩序</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>事実的秩序(factual order)</strong></span>：</big>・ランダム性やチャンスと対立するもの、科学的な分析を受け入れることが出来るもの。経験科学によって理解可能な程度の行為の規則性、安定性。人々の行為が斉一的に生起し、科学的に理解可能な状態。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範的秩序(normative order)</strong></span>：</big>・規範的体系に定められた道筋にしたがって物事が生起すること。行為過程がなんらかの規範によって一定程度制御されていること。正しいと思われるイメージに従って、人々の行為が規則的に席している状態のこと。</p>
</div>
<p>主に功利主義な前提である「目的のランダム性」への批判であり、目的はある程度科学的な分析の対象となるとされている。</p>
<p>パーソンズによる「事実的秩序」とはそのようなランダムなものではなく、一定の規則がある秩序のことである。たとえばある人間が朝決まった時間に起き、決まった時間に寝るとする。この人間はまったくランダムに寝起きするわけではなく、一定の規則にしたがって寝起きしていることが観察できる。こうした規則は科学的に理解できる(たとえば数字などによって)事実であるといえる。</p>
<p>しかしそうした事実が「安定」するのはなぜか、という問題も生じる。それは「規範」によるものだとパーソンズはいう。たとえば決まった時間に寝起きすると仕事の効率が上がるよね、といったような規範が人間の中に内面化されていると、より決まった時間に寝起きするようになるかもしれない。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズが『社会的行為の構造』の中で、社会秩序を事実的秩序(factual order)と規範的秩序(normative order)に区分したことはよく知られている。もっとも、その概念化はごくあっさりとしたもので、事実的秩序は、「ランダムネスやチャンスと対立するもの」であって、「科学的な分析を受け入れることができる(susceptible)もの」、規範的秩序は「規範的体系に定められた道筋にしたがって物事が生起すること」とされている(Parsons1937:91)。しかし、この区分によって彼が強調したかったのは次のことだ。すなわち、社会学の探究対象である社会秩序は、まずもって科学的分析の対象となりうる事実的秩序でなければならない。そして、「社会秩序は科学的分析を受け入れられうるかぎりにおいて常に事実的秩序なのだが、&#8230;それは何らかの規範的要素の働きなしには安定的であることはできない」(Parsons1937:92)。つまり、社会秩序はそこに何らかの規範的要素の働きがあるからこそ、科学の対象となりうるのであって、規範的要素が働いていなければ安定的な事実的秩序であることができない。規範的要素こそは、社会秩序を「秩序」たらしめる不可欠の条件なのだ、ということである。」</p>
<p>盛山和夫「経験主義から規範科学へ－ 数理社会学はなんの役に立つか －」、200P</p>
<p>「(規範的秩序とは)正しいと思われたイメージに従って、人々の行為が規則的に生起している状態のこと。人々の行為が斉一的に生起し、科学的に理解可能な状態である事実的秩序(factual order)と区別される。パーソンズ(『社会的行為の構造』1937)は秩序問題を解決するために、この2つの社会秩序のあり方を区別した。規範的秩序が成立することで、規範は人々のパーソナリティ体系へ内面化され、逸脱に対する内面的な抑止力を得ると同時に、規範の社会体系による制度化も可能となり、力による逸脱の統制も可能となる。事実的秩序は、規範的秩序のおかげで、内的・外的保障を得て安定化し、長期の存続が可能となるという。」</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc26">行為体型における構造的要素</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>行為体系における構造的要素</strong></span>：</big>・行為体系は「究極的目的」、「内在的中間領域」、「究極的手段」の３つの構造的要素にわけることができる。</p>
</div>
<p>・行為体系における３つの<b>構造的要素</b>(中期以降ではパーソナリティ体系、社会体系、文化体系などに行為体系から分化していくことになるが、初期ではまだ分化していない。)</p>
<p>【１】<b>究極的な条件</b>：たとえば遺伝や森や海などはそれ自体としては有意味ではない。しかし行為者によって意味づけされることで、主観的に、心の中で価値のあるものとなる。また、行為には欠かせないという意味で、行為の条件や手段である。</p>
<p>【２】<b>内在的中間領域</b>：目的──手段関係の中間領域。目的を達成するために行為者は必要な手段を選択し、主体的に活動していく領域。</p>
<p>【３】<b>究極的目的</b>：目的ー手段の連鎖の最上位に位置するようなもの。例えばお金を稼ぐため(目的)に仕事をする(手段)が、お金を稼ぐというのもさらに何かの目的のための手段であると考えられる。この連鎖の最上位、なにかのための手段ではなくそれ自体が目的というような分析的な概念を究極的価値という。この究極的価値は規範的要素(共有価値)にあたる(定義的には下位の目的でもよいとありますが、目的そのものという意味からはそう解釈できる)。</p>
<p>・パーソンズは究極的価値を非経験的なもの、宗教的なものと考えた。</p>
<p>・人間の中間領域、つまり目的と手段の連鎖を統合するような、頂点で支えているような要素が「究極的価値」である。</p>
<p>例：生きるために食べる、食べるために稼ぐ、稼ぐために働く、働くために学ぶ&#8230;といった目的と手段の無数の連鎖がある。その最上位の目的が究極的目的(価値)である。ある目的が究極といえるかどうかという価値判断ではなく、目的と手段の連鎖には<b>論理的に</b>最上位の目的と最下位の手段があるということ。究極的目的の「具体的な中身」については時代や社会などによって異なる。その意味でパーソンズの理論は<b>抽象的な一般理論</b>であり、個別具体的な理論ではない。比喩的に言えば「入れ物」であり、「枠組み(準拠枠)」である。</p>
<p>たとえば生きる目的は神から救済されるため、遺伝子を残すため等。それにたいして最下位のものが究極的条件であり、手段をとるための基礎をなすものであると考えることが出来る。学ぶためには脳みそが機能していて、文字が読めて、図書館を利用できて、といった条件が最下位付近にはある。木材は中間領域で人間が目的の達成に価値がある手段だと考えることで、はじめて意味をもってくる。木材それ自体に人間から離れて独自に、客観的に意味をもっているわけではない。</p>
<p>・このように考えると、究極的価値や究極的条件は基本的に個人レベルにおいてはコントロールが及びにくく、ある程度外在しているものであると考えられる。人間は中間領域において、究極的価値へ向かって自ら(下位の連鎖の)目的や手段を意志的に、努力によって選択していく存在であり、その意味で主意主義的であると考えることができる。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio15-1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2048" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Untitled-Diagram.drawio15-1.png" alt="" width="746" height="316" /></a></p>
<blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3cba6aa1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-2050" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3cba6aa1.png" alt="" width="1481" height="369" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3cba6aa1.png 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/04/Snag_3cba6aa1-800x199.png 800w" sizes="(max-width: 1481px) 100vw, 1481px" /></a></p>
<p>「この行為準拠枠ではまた、目的と手段は相対的な関係にあり、一連の『連鎖』を成している。ある行為で目的として想定される事柄でも、もっと大きな（高度な、または広い）別の目的の『手段』かもしれない。そして、分析的な想定として、そうした連鎖の一方の側に『究極的目的』を、他方の側に『究極的手段』が置かれる。究極的目的とは、いかなる目的の手段でもなくそれ自体が目的そのものであるという意味であるが、涅槃や永生などという超越的ないしは宗教的な目的がそれにあたるとされる。分析的な想定とはいえ、究極的な目的は上位の目的を持たないがゆえに、『本来的』な規範としての合理性とは異なる次元で設定される。」</p>
<p>「大黒正伸「パーソンズとシュンペーター合理性をめぐる出会い」」108,111P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc27">非合理性と没合理性の違い</span></h3>
<p>パーソンズによれば宗教などは非合理的(irrationality)なものに入らないそうです。非合理的なものとは無知や誤謬(ごびゅう、ミス)の要素が強いみたいですね。</p>
<p>たとえば1+1=3というのは算数のテストではミスであり、非合理的です。しかし神様はいると信じるというのは無知や誤謬とは必ずしも言い切れず、科学からしたら「言及できない(わからない、理解できない)」ものとなります。明確にミスといえるのは分かるものであり、非合理的であると断言できます。しかしわからないものに対しては断言できないので、没合理的(non-rational)という言い方が望ましいのかもしれません。</p>
<p>ちなみに没と非の違いとはなにか、ときかれたらなかなかむずかしいですよね。英語でirrationalといえば「馬鹿げた、理性のない」といった意味になります。non-rationalは「理論または観測というよりも直観を通じて得られた、理由に基づいていない」という意味になります。</p>
<blockquote>
<p>「しかし、パーソンズは、目的と手段との間には合理的ではない関連の仕方も存在することを指摘する。彼は、目的と手段との「象徴的」な関連という事態を想定する。宗教儀礼は、そうした目的-手段関連の代表例である。パーソンズは、行為を構成する要素として、知識要素（科学知識、無知、誤謬）の他に理念要素（宗教、道徳、など）をも想定する。そうした要素は本来的な合理性からの偏倚と言えるものの、非合理性（irrationality）とは異なるものである。パーソンズは、こうした要素の性質を「没合理的（non-rational）」と呼んでいる。彼の行為理論の基本図式には、合理／非合理／没合理という三元区分が含まれる［大黒2007］。こうして見ると、パーソンズの関心は、合理性そのものに限られるわけでなく、合理性を必須の要素として含む行為の一般理論にあった。彼は、合理性からの「逸脱」を詳細に論じる志向をつとに持っていた。「合理性セミナー」に対するレポートにおいても、パレートの「論理的行為」と「非論理的行為」という区別を参照し、合理／非合理という従来の二分法を相対化しようとした［Parsons1940（HUA）:7-9］（3）。」</p>
<p>大黒正伸「パーソンズとシュンペーター合理性をめぐる出会い」、108P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc28">収斂理論</span></h2>
<h3><span id="toc29">１：主意主義的行為理論とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>主意主義的行為理論(voluntaristic theory of action)</strong></span>：</big>・主意主義とは人間の主体性、能動性、自由意志による選択を重視する立場のこと。一般に、意志や感性を知性や理性よりも優先させる思想上の立場を主意主義、反対に知性や理性を優先させる立場を主知主義という。人間の主体性を行為理論にとりこんだものが、主意主義的行為理論である。行為理論とは行為を分析の最小単位と考えて物事を理論的に考えることである。</p>
<p>パーソンズにおいて行為理論は単位行為と行為体系の２つに大きく分類することが出来る。従来の功利主義(実証主義)的行為理論には主体性や能動性が欠けており、一方で理念主義的行為理論は現実の条件を考慮していないととパーソンズは批判する。1937年の『社会的行為の構造』においてこれらの行為理論を欠点を踏まえ、ひとつにまとめあげようとしたもの(収斂という)が主意主義的行為理論である。具体的に行為理論における主体性や能動性は、規範的なものに強制されて人間が行為するのではなく、人間が触発されて能動的に志向するというような要素だったり、規範的なものは社会の成員によって修正・創造される余地があるという意味であると解釈される(溝部)。主意主義的な要素がパーソンズによって強調されたのは、決定論的な実証主義を批判するためである。</p>
</div>
<blockquote>
<p>「行為は、外的な要因の規定力から多少なりとも独立した行為社の能動的な努力を不可欠なものとして要請する主観的・理念的な選択の過程である、と想定する立場からの行為理論のことで、パーソンズが提唱したもの。ヴォランタリズム。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、276P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc30">補足：自由意志とマトリックス</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>自由意志(free will)</strong></span>：</big>・外からの制約をまぬがれた自発的な意志、具体的には選択可能性をいう.</p>
</div>
<p>話はすこし変わりますが、最近アマゾンプライムでマトリックスという映画を見ました。うろ覚えですが紹介します。</p>
<p>モーフィアスというキャラクターは預言者のいうことを信じています。預言者は機械のプログラムを擬人化したものなのですが、現実で言えばキリスト教的における預言者とも近いニュアンスを持っていると感じました。たとえばキリスト教の預言者が、神はこういっている、将来こうなるだろう、あなたはこうすべしであると。モーフィアスはそれ(世界は救世主によって救われる)を信じて、救世主を探し当て、機械の支配(預言者は味方側のプログラ的な感じです)と戦っていきます。</p>
<p>さてマトリックス世界の機械のプログラム(敵)がこういっていました。世界は選択しているようで、実は因果関係であり、作用、反作用にすぎない。つまり原因と結果であり、選ばされているだけである。と。つまり人間の自由意志などというものは幻想にすぎないというわけです。しかしネオ(主人公であり、預言者の言う救世主、キリスト教的に言えばイエス・キリスト)は敵の前でこういいました。「選択が大事だ」と。</p>
<p>つまり人間は条件や文化によってある程度は因果律に影響をうけるけども、最終的に選択するのは人間であり、そこに自由があり、意志があり、能動的な要素があり、全てが決定論的に説明できるわけではない、というわけです。</p>
<p>これはまさにパーソンズのいう主意主義的なものです。人間は遺伝や環境といった自分ではどうにもならないものに行動を規定される存在です。ご飯を食べていないからお腹が減るというのは人間の意志ではどうにもならないですよね。そこから逃れることはできない、原因と結果です。しかし、規範的なものに制御されているとき、それは遺伝や環境のように強制されているわけではありません。規範的なものへの同調は強制ではなく、”ある程度”自発的で自由な選択によるもの、つまり主体的な努力によって志向するものだというわけです。</p>
<p>たとえばある部族において、生贄のためにある人間を捧げなければいけないとします。この生贄は部族にとって大事なのものであり、規範だったとします。そしてこの規範は個人に対して自由をある程度制限します。生贄なんてどうでもいい、知るかといったような行動は取りにくいわけです。しかし大事な友人が生贄に捧げられるというときに、人間は選択に迫られます。規範への同調か、逸脱か、あるいは新しい規範の創造かです。たしかに生贄は大事だ、それでも私はそれを拒み、友人を助けると能動的で主体的な意志を見せたとき、これはやはり人間には選択というものが大事になってきそうだということが直観的にわかります。たとえば熊に襲われないように生贄をしていた場合、勇気を振り絞ってカリスマ的な人間が熊を打倒し、これで怯える必要はないといったようにブレイクスルーが起きることもあるでしょう。</p>
<p>もちろん因果律を押し広げれば、友人を大事だと思うようになった理由など原因と結果ですべて把握できると反論があるかもしれませんが、結局のところ人間の行動はすべてが合理的なものではなく、不合理的で予測できないものもあるわけです。そういう人間だからこそ、選択の自由というのがあるわけです。たとえば動物実験において、ある刺激を与えればある作用が必ず見られる、といったような生物ではないわけです。人間は選択をする生き物であり、意志を重んじる姿勢というのは大事だなと思います。</p>
<p>たとえば監視カメラがないような場所で財布を拾ったとします。自分の経済的な効用を最大にしようとすれば、中身を抜き取ったほうがいいと功利主義的な発想をすればなるかもしれません。しかし人間は選択する生き物です。財布を抜き取るか、抜き取らないか、それはその人間の積み重ねや家庭環境、遺伝等から完全に決定できるものでしょうか。それでもやはり！(ウェーバーの責任倫理と心情倫理のように)といって財布を交番に届ける人もいるでしょう。こうした行為はパーソンズ的にいえば規範によって行動がある程度規制されているからですが、しかし規制されている中でも最終的に選択をするのは自律的な個人であり、自発的な意志や努力というわけです。</p>
<p>わかったような、わからないような気がしますが、多分そういうことです。”完全には”規定されていない中間領域に人間はいるわけです。ロボットのプログラムでは、１＋１と入力すれば答えは２と帰っていきます。このロボットは完全に因果律にしばられています。紙に火をつければ必ず燃えるのと同じです。原因と結果です。しかし人間は３にも４にも０にも－１００にもなる可能性を秘めているわけです。”完全に”規範によっても規定され、強制されていると考えれば文化決定論であり、ロボットのような機械決定論と変わりせん。しかし完全には規範によって強制されていないとなれば、人間の自由意志の余地はあるわけです。選ばされている受動的な存在ではなく、選ぶという能動的な存在でもあるのです。１か０かではなく、その中間にあるわけです。そういうものが、主意主義的行為理論のエッセンスではないでしょうか。</p>
<blockquote>
<p>「自由意志(free will) 外からの制約をまぬがれた自発的な意志、具体的には選択可能性をいう。意思の自由というのも同じテーマであり、決定論(determinism)との堆肥で問題となる概念である。すなわち、人間の行為は、神によって、あるいは生物学的な諸条件によって、あるいは社会的諸関係によって、あらかじめ決定されているという主張に対する反論の場面で用いられる。社会学では、方法論的集団主義と方法論的個人主義の対立に、この概念がかかわっている。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、276~277P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc31">補足：方法論的個人主義と方法論的集団主義</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>方法論的個人主義(methodological individualism)</strong></span>：</big>・社会あるいは社会諸関係の分析単位を個人に求め、個人の心理や行動および個人間の相互作用などから社会あるいは社会諸関係を説明していこうとする方法的志向</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>方法論的集団主義の(methodological collectivism)</strong></span>：</big>・社会或いは社会諸関係を個人ではなく、集団もしくは下位の社会関係に求める方法的志向</p>
</div>
<p>パーソンズの場合は社会の分析単位を個人に求めつつ、その個人に対する集団的な力、デュルケムで言う集合意識や道徳にも重きをおいています。パーソンズの用語で言えば創発であり、規範です。つまり個人主義と集団主義のいいとこ取りをしようとした、かっこよく言えば止揚しようとしたわけです。</p>
<blockquote>
<p>「方法論的集団主義に対比されるもので、社会あるいは社会諸関係の分析単位を個人に求め、個人の心理や行動および個人間の相互作用などから社会あるいは社会諸関係を説明していこうとする方法的志向。この場合は、一般に、社会は諸個人の相互作用のネットワークとして把握される。」</p>
<p>「方法論的個人主義に対比されるもので、社会或いは社会諸関係を個人ではなく、集団もしくは下位の社会関係に求める方法的志向。社会科学の成立のためには、多かれ少なかれ社会を実在として捉える見方が必要であったが、この方法が極端化されると、個人の役割や自律性を極大化する考え方に陥る。」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、564P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc32">実証主義的行為理論と理想主義的行為理論への批判</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample">実証主義的行為理論の悪い点：目的の軽視→人間の主体性の軽視につながる</li>
<li class="sample">理想主義的行為理論の悪い点：条件の軽視→人間の主体性や超経験的に要素が強調されすぎて、条件の軽視につながる</li>
<li>両者の良いところを合わせようとしたものが主意主義的行為理論。人間の行為は条件によっても規範(究極的価値、規範、非合理的な要素)によっても両方規定される存在であり、その中で人間は能動的、主体的、創造的に、意志と努力を伴って行為する存在。</li>
</ol>
<p>・従来の行為理論は主体性を重んじてこなかった。パーソンズは人間の主体性が軽視され、条件によって行動が決定される受動的・機械的な行為理論を批判している。その代表例として実証主義的行為理論と理想主義的行為理論という従来の行為理論の２つをまずは批判している。</p>
<h3><span id="toc33">実証主義とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>実証主義(positivism)</strong></span>：</big>・経験的事実にもとづいて確証できる認識以外を否定する立場</p>
</div>
<blockquote>
<p>「経験的事実にもとづいて確証できる認識以外を否定する立場。実証主義は、18世紀フランスの数学的自然研究の運動(ダランベール、ラグランジュ、ラプラスら)の方法論を継承して、それを社会現象の研究に拡張したコントにおいて完成した。コントによれば実証的(positif)の意味は六つある。つまり、①『否定的』に対する『肯定的』、②『絶対的』に対する『相対的』、③『空想的』に対する『現実的』、④『無益』に対する『有益』、⑤『不確実』に対する『確実』、⑥『曖昧』に対する『明確』」</p>
<p>「社会学小辞典」、有斐閣、234P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc34">実証主義的行為理論とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>実証主義的行為理論()</strong>：</big>・実証主義(positivism)とは、経験的事実に基づいて確証できる認識以外を否定する立場のこと。実証主義的行為理論には２つあり、第一に極端な実証主義であり、第二に功利主義である。極端な実証主義においては、目的が合理的に選択され、さらに手段が合理的に選択される。何が合理的かは条件(遺伝や環境)によって因果関係的にすべて特定できると考える。端的に言えば機械決定論的、ダーウィニズム的、行動主義的な立場であり、環境に対する動物的適応のように人間の行為が概念化される。第二の功利主義においては、手段においては合理性の基準を採用するが、目的は合理的に選択されるのではなく、ランダムであると考える。ランダムであるとは、各々の欲望に準じて自由に選択されるということであり、この選択を規制する要素は物理的条件以外の何ものもないという立場である。したがって、パーソンズのいうような規範による規制もない。パーソンズによれば功利主義は目的を合理的に考えても、ランダムに考えても秩序問題を解決できないという意味でジレンマに陥っているという。これを功利主義のジレンマという。なお、功利主義行為理論も主意主義行為理論と同じように目的、手段、条件、規範の４要素からなる枠組みを考えるが、規範の要素が合理性に限定されているという点で主意主義的行為理論とは異なる。主意主義的行為理論は合理性だけではなく、宗教などの非合理的な要素をも含む。</p>
</div>
<ol class="sample">
<li class="sample">【極端な実証主義的行為理論】：手段だけではなく目的も合理的に選択され、人間の行動は遺伝や環境といった条件から決定論的に分析可能だとする立場。人間の主体性(主観的観点)が失われてしまう。多くの場合、目的が合理的であるとは、効用を最大化させるという目的が設定される。この場合の効用とは端的に言えば生命の維持である。このケースで言うと、生命の維持につながらないような不合理な目的は設定されない。</li>
<li class="sample">【よりマシな功利主義的行為理論】：条件に規定されつつも、目的はランダムであり、手段のみ合理的に選択されるという立場をとっている。パーソンズと同じように規範によって行動が規定されるという点は同じだが、規範の内容が合理性のみという点でパーソンズと異なる。パーソンズの主意主義的行為理論は功利主義的行為理論をベースとしつつ、非合理性を取り入れた新しい行為理論だと考えることが出来る。</li>
<li>ホッブズ的秩序問題：実証主義的行為理論も功利主義的行為理論もホッブズ的秩序問題を解決できない。たとえば功利主義的行為理論の場合は、目的がなんの規制もなく欲求にもとづいて人間に自由に選ばれる。たとえば楽をしたいという欲求を人間が考え、それを目的にするとする。その手段は合理的に考えられるので、自分で田を耕すといった非効率的なものよりも、他者の財物をだまし取ったり、暴力によって奪い取るという手段が選択される。その結果、万人の万人に対する戦いが帰結する。</li>
</ol>
<p>原因を科学的に特定し、結果を推測する。ある程度のミスや無知などは考慮に入るが、宗教といった科学では理解できないような没合理的要素は考慮されない。なぜならばそれは経験不可能だから。たとえば神は目に見えないので科学の対象とならない。</p>
<blockquote>
<p>｢このように，目的の地位について．実証主義思想は『功利主義的ディレンマ」に陥ることになる。つまり二つのうちのいずれかに落ち着かざるをえない。目的の選択における行為者の能動的作用因を行為の独立要因として目的要素をランダムなものにするか，あるいは目的のランダム性という客観的含意を否認し，目的の独立性を消去し，目的を状況の諸条件と融合して目的を非主観的範晴一主として生物学的理論の分析的意味における遺伝や環境といった範鴫一によって分析可能な要素とするかのいずれかである」（Parsons,1937＝1976:105-6）」</p>
<p>タルコット・パーソンズ「社会的行為の構造」、105-106P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc35">ホッブズ的秩序問題と功利主義的ジレンマ</span></h3>
<p><b>ホッブズ的秩序問題</b>：国家や社会もない、バラバラの個人(原子論的個人)という想定をした場合にいかにして社会秩序が生成されるかという問題。</p>
<p>・功利主義ではこの問題を解けないとパーソンズは批判した。功利主義では目的がランダムであると設定されている。つまり目的は個人が自由に、各々の欲望に応じて能動的に選択される。この目的の選択を規制するものはほとんどない(物理的な条件などのみ)。その意味で、主意主義的要素がある。もし目的の選択までもが合理的に選択されると考えた場合は、極端な実証主義、したがって機械論的決定論に陥る。</p>
<p><b>功利主義的ジレンマ</b>：目的がランダムな場合を想定し、手段のみ合理的と考えると万人の万人に対する戦い(戦争)が帰結する。なぜなら暴力や詐欺といったものが目的達成のための合理的な手段として選択されるから。目的は自分勝手に設定され、平和や愛といった特定のものに収束するわけではない(規範によって規定されない)。目的が合理的に設定されると考えた場合、決定論的になり、主意主義的要素が消える。どちらを選んでも行為をうまく分析することはできない。</p>
<h3><span id="toc36">理想主義的行為理論とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>理想主義的行為理論()</strong>：</big>・理想主義は観念主義といわれる場合もある。極端な実証主義的行為理論が「条件」にこだわるのに対して、極端な理想主義的行為理論は「目的」にこだわる。たとえば神がもち出され、神が人間に目的を与えたという理想をまずは掲げる。そこから手段などが流出されていく(流出論)。極端な理想主義においては、条件が軽視される。パーソンズにおける道徳的な規範に自発的に意思するような人間ではなく、理想的な規範に受動的に従うようなイメージである。代表的なものはドイツ観念論など。環境から独立した人間の内面世界が想定され,その内面における特定の価値や観念は人間の行為が目指すべき目標とされる。</p>
</div>
<p>・たとえば神がもち出され、神が人間に目的を与えたという理想をまずは掲げる。そこから手段などが流出されていく(流出論)。極端な理想主義においては、条件が軽視される。パーソンズにおける道徳的な規範に自発的に意思するような人間ではなく、理想的な規範に受動的に従うようなイメージである。代表的なものはドイツ観念論など。環境から独立した人間の内面世界が想定され,その内面における特定の価値や観念は人間の行為が目指すべき目標とされる。</p>
<p>・ここでいう神は具体的・個別的な神であり、目的となる。分析的・抽象的に抽出されたものではない。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズは宗教のリアリティを否定する自然主義的実証主義 を、受け入れ難い立場としてくり返し批判する。それに対して,理想主義では環境から独立し た人間の内面世界が想定され,その内面における特定の価値や観念は人間の行為が目指すべき 目標になる。行為の目標になる価値や観念の中には政治的なものもあれば、経済的なものもあ り得るが,突き詰めていくと宗教的なものに行き着く。そのように考えれば,宗教的なものが 行為の目標となる価値や観念の最も基本的な源泉になるだろう。<br />
明らかにパーソンズにとっては理想主義の立場が望ましいけれども,人間が持つ生物有機体 としての側面や環境との関わりも社会的行為においては無視できない役割を果たしているか ら,実証主義の立場を一方的に退けるわけにはいかない。そこで,彼は理想主義の中でも特に ウェーバーの行為の類型論を軸にして,環境や生物有機体を行為者にとって有意味な状況とい う要素に再構成しながら,主体的要素である価値や観念に接合した。そのようにして,主意主義と名づけられた総合的な行為理論の枠組みが形成され,後の「行為者-状況」図式と体系論 を展開していくための基礎が出来上がる。」</p>
<p>小松秀雄「パーソンズ社会学における宗教 -ウェーバーからパーソンズへの転換- 」73P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc37">収斂理論</span></h3>
<p>主意主義的行為理論は<b>収斂理論</b>：収斂(しゅうれん)と読む。要するに既存の理論をうまく組み合わせていくこと。たとえば実証主義は条件を重視したが規範を軽視した。理想主義は規範を重視したが条件を軽視した。功利主義は条件と規範の両方を重視したが、規範の内容を合理性のみという偏った考え方をした。</p>
<p>パーソンズは行為が条件と規範の両方に規定され、かつ規範は合理的なものだけではなく、没合理的なものを含めた理論を構築しようとした。</p>
<h3><span id="toc38">マーシャル、パレート、デュルケム、ウェーバーの理論について</span></h3>
<p>前回扱ったので、デュルケムやウェーバーは概要のみ扱います。パレートやマーシャルについても軽く扱って終わります(そろそろ文量が多すぎるため、別の機会に扱います)。</p>
<p>パーソンズによる『社会的行為の構造(1937)』はマーシャル、パレート、デュルケム、ウェーバーという4人の行為理論の紹介という側面が大きい。主意主義的行為理論は、彼らの良いところを独自にパーソンズが取り込んで、新しいものとして主意主義的行為理論というものを作り上げたということになる。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<h3><span id="toc39">アレフレッド・マーシャル</span></h3>
<p>アルフレッド・マーシャル(1842-1924)は経済学者です。 功利主義的な世界観をもつひとです。</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">マーシャルは功利主義的な世界観を持っていた。</li>
<li class="sample">マーシャルは人格の発展という倫理的な価値を重視していた。この倫理的な価値は従来の功利主義的における合理的な価値とは異なる、独自性を持つものであり、パーソンズはこれを評価した。</li>
<li class="sample">マーシャルは合理的に見える経済人の行為は、動機として非合理的な理想(人格の発展)に基づいていた。→実証主義的な前提に立ちながらも、理想主義的な要素が見られた。</li>
</ol>
<blockquote>
<p>「マーシャルは行為の動機が利己的でない場合もありうること(同一三六頁てあるいはそうした場合の方が人間にとって本質的であると考えたのである。合理的を特質とする経済的な行為の基礎、即ちその動機としてマーシャルは、非合理的な理想を置いた。この独創的な思考の線は、経済的な行為の担い手を合理性という単色の枠から脱け出させ、それをより具体的で豊かなイメージに近付けたといえよう。このことは、マーシャルの主張の中心である人格の発展というテ17をみればわかる。それは観念的な精神主義ではなく、自由な企業活動という制度によって倖証された企業家を担い手とする、具体的な理念である。&#8230;&#8230;なぜなら行為における倫理的な要素への着目は、合理的な欲求充足として行為をとらえる功利主義とは全く異質だからであり、最も合理的なはずの企業活動にみられる経済人の行為が、人格の発展という倫理的な価値をめざすということになるからである。要約すれば、マーシャルの思想の中に見出された二つの線は、一方に功利主義の伝統であり、それは個人主義と合理性を核とするものであった。他方はマーシャルが独自に発想した異質な要素、つまり行為を導く倫理的な価値であり、それは特に、功利主義と無縁の思想伝統を継承するウェーバーへ接近する線をなしていることが明らかにされた。そして両者の接点に位置する発想が、行為における倫理的要素への着目なのである」</p>
<p>山下雅之 「パ ーソンズにおける社会学の成立」40-41P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc40">ヴィルフレド・パレート</span></h3>
<p>ヴィルフレド・パレート(1948-1923)は経済学者であり、社会学者でもあります。「パレート均衡」などでよく知られている人物です。</p>
<p>パレートによれば人間の行為は論理的な行為と非論理的行為(残基)にわけられる。前者は合理的な行為であり、後者は非合理的行為として分類することが出来る。</p>
<p>たとえば古代ギリシアの水夫は海の神ポセイドンに毎年犠牲を捧げているが、このような行為は非論理的行為とされている。なぜなら、この犠牲によって航海の安全が保たれているという科学的な根拠がなにもないからである。しかしそういう非論理的なものに人間はとらわれるということにパレートは着目し、パーソンズはこの姿勢を評価している。</p>
<p>他にも論文で紹介されていた「変化しにくいもの(残基・利害)」と「変化しやすいもの(派生体・エリートの周辺)」という二分法が面白かったです。これによれはパーソンズにおける「変化しにくいもの(構造)」と「変化しやすいもの(機能)」に対応しているからです。つまりパレートの社会システム論をパーソンズは継承したということになります。</p>
<p>また、「歴史は二度と繰り返さない」という格言の説明も面白かったです。歴史は二度と繰り返さないので、具体的に細部にだわると法則を見つけ出すことはできませんが、抽象的なレベルを上げれば、同じ構造を把握することが可能というものです。これはウェーバーのいう理念型を思い出す内容です。理念型も同様に、理念型自体は現実のものとは一致しないが、思考の中で純論理的に秩序付けられたという意味で、抽象的なレベルが上っています。重用なのはおそらく残基の部分が変化しにくいというところでしょう。前期はパーソンズでいうところの「規範」にあたります。端的に言ってしまえば文化です。日本人的なもの、日本人が道徳的だと考えるものは数日、数年では簡単に変わりそうにないですよね。たとえば和をもって尊しとなすという規範は長い間続いているものだと思います。しゃしゃり出ることが嫌われる傾向は私の学生の時代にもありました。</p>
<blockquote>
<p>「歴史的、社会的事象は細部にこだわる限り、法則命題を定立することはできない（歴史的事象の一回起性）。だが抽象レベルを上げれば、それらの事象に同じ構造や斉一性を把握することが可能となる。残基は緩慢にしか変化しない。ゆえに残基を現象の不変的部分を決定する要因の一つとすることができる。&#8230;&#8230;だが、ここで私が注目したいのは科学的方法論ではなく、パレートが相対的に「変化しにくいもの（残基・利害）」と「変化しやすいもの（派生体・エリートの周流）」という二分法を用いて、社会システムの分析を行ったことである。なぜならパーソンズが自ら言明しているように、彼もまたパレートが理想とした、社会システムの偏微分方程式による記述を諦め、代替策として相対的に「変化しにくいもの（構造）」と「変化しやすいもの（機能）」という構造－機能分析の手法を採用したからである。この点においてパーソンズは明らかにパレートの社会システム論を継承している。」</p>
<p>赤坂真人「パレート社会システム論再考（II）―歴史における社会システムの均衡―」6-7P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc41">エミール・デュルケーム</span></h3>
<p>【３】<b>エミール・デュルケーム</b>(1858-1917)</p>
<p>・デュルケームは合理的・功利的な行為だけではなく、「価値(道徳)」に着目した。「祝祭」において人々は集まって祭儀を行い、「集合的沸騰」と呼ばれる人的・物理的な集中、心的な融合状態がなされるそうだ。これによって成員は連帯し、協同体が形成され、したがって秩序が形成される。</p>
<p>・規範(道徳、究極的価値、聖なるもの)が秩序の形成を生成するという考え方がパーソンズによって引き継がれた。</p>
<p>・デュルケームがもし集合的沸騰のメカニズムを説明しきれていれば、価値の生成メカニズムに対して有力な手がかりになったのかもしれない(アイデアのみ)。</p>
<p>詳細は前回の記事を参照 <a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a>)。とくにウェーバーにおいては権威(正統性、カリスマ性)が重用になる。ウェーバーにおけるカリスマ性(神がかりなもの、非合理的な要素を多分に含むもの)はパーソンズにおける規範へとつながる。</p>
<h3><span id="toc42">マックス・ウェーバー</span></h3>
<p><b>マックス・ウェーバー</b>(1864-1920)</p>
<p>・日常性や利害に関係した経済性といった世俗的なものの対極に位置づけられる概念である「カリスマ」というアイデアをパーソンズは受け継いだ。これはパーソンズにおける規範(究極的価値、共有価値、特に没合理的な規範)にあたる。たとえば預言者などはカリスマであり、このカリスマ性が支配の正当性につながる。利益になるから支配を受けるのではなく、カリスマ性があるから支配を自発的に受けるという図。合理性だけでは説明しきれない。</p>
<p>・他にも理念型を批判的に受け継いだとされる(次回の動画でおそらく扱う予定です)。</p>
<h2><span id="toc43">主意主義的要素</span></h2>
<h3><span id="toc44">パーソンズにおける行為理論のどこが主意主義的なのか</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample">【前提】パーソンズは実証主義への批判の際に、実証主義は「人間が本質的に能動的、創造的な、評価する存在であるという事実を曖昧にしている」と批判した。これを批判したからには、人間の主意主義的要素を曖昧にしない行為理論を考えた、ないしそれを目指している、と考えることができる。</li>
<li class="sample">目的を自分で選択し、手段を自分で選択し、目的を達成しようと意志・努力をもって行為するという３つの点で主意主義的要素が認められるという説</li>
<li class="sample">条件や規範によって人間は行動を規定されるが、規範による規定は強制ではなく、拘束されつつ自発的に志向するという点で主意主義的要素がある</li>
<li class="sample">規範は人間の行動を規定するが、規範自体は人間によって修正や創造されうる余地があるという点で主意主義的要素がある</li>
<li>目的ー手段図式は「時間的要素」がある。目的を思い浮かべて手段を選択するという意味で、目的は手段に先行する。つまり目的は時間的に手段よりも前に、過去にある。目的が設定された途端に同時に手段が選択されるのではなく、そこには時間的な距離がある。この距離を埋めようとして人間は意志をもって努力し、選択を行う。そういった意味で主意主義的。たとえば他の動物は目的を思い浮かべるとほとんど同時に手段を選択しているケースが多い(ほぼ無意識的な行動)。</li>
<li>規範は心の中だけにある。たとえば文化は人間が存在しなければ意味づけされず、ただの物質である。たとえば墓を蹴ってはいけないなど人間は規範的志向をもつが、墓自体はなんら規範ではなく、ただの石である。しかしただの石に人間が意味づけするゆえに、それはシンボル(象徴)として意味をもつようになる。つまり規範は人間の心の中だけに存在するという意味で、主観的なものであり、そうした意味で主意主義的である。</li>
</ol>
<p>具体例</p>
<p>１：腹が減ったから食べ物を探すというのはほとんど条件からの強制。</p>
<p>２：食べ物を探す手段として他者からの略奪を選ぶかどうかという段階では規範から規定(制御)を受ける。「略奪は善くない、平和は善いこと」等。</p>
<p>・略奪を選ばずに自力でなんとかしようといったような「<b>努力</b>」を目的選択、手段選択、目的達成を通して「<b>意志</b>」をもって行うという点で、主意主義的要素が見られる。</p>
<p>人間の主観的な要素や動機、要するに「頭の中身」を、別の言葉で言えば「精神」を扱うことになります。</p>
<p>たとえば「自殺」を考えてみましょう。ある人間が橋から落ちて死んだとします。これを自然科学的に考えればどうなるでしょうか。正直文系にはよくわかりませんが、速度がどうたら力がどうたら、どこが損傷しただのどうのこうの、そうやって原因と結果が結び付けられるわけです。ここでいうところの人間の頭の中身、つまり動機は考慮に入れられません。なぜなら目で見えないからであり、客観的にわからないからです。外形的要素・環境的、遺伝等はまったく同じ自殺でも、頭の中(動機)は不合理なものあれば合理的なものも可能性としてはあるわけです。観察者はこれを「推定」するしかありません。「確定」は難しいのです。</p>
<p>たとえば遺書によって人間が「経済的に苦しくなったので自殺します」と書いていたとしても、あるいは本人がそう思ってたとしても、別の隠された、無意識的な動機によって行為している可能性もあります。たとえば私は社会が良くなるように、その知識を皆で共有するためにブログを書いている、と今頭の中で考えたとします。しかし実際は承認欲求だったり、あわよくばお金になると良いなとか、そういう考えもあるかもしれません。自分でもよくわからないのに、観察者が人間の頭の中を正確に、科学的に把握することは難しいわけです(脳みそをいじくってどこの神経が作用しているからどうのだの未来においては言えるかもしれませんが)。</p>
<p>ウェーバーなら理念型によって、ユートピア的に人間の動機を理解しようとします。たとえば目的合理的な動機をもとにしたモデルを作って現実を比較し、その差異によって分析しようとするわけです。たとえば生命保険をかけてしんだのだから、家族や社員に財産を残すという目的のために合理的に自殺という行為をしたのだろう、という推定もできます。実際に現在の裁判では本人がいくら自分が過失だったと主張してもそれが客観的に証明できないと過失だと見なされません。普通この場合なら、横切る歩行者に気づいただろう、というようにある種の理念型によって現実との比較がなされるわけです。</p>
<p>さてパーソンズの場合はどうかというと、人間は規範と条件によって規定される存在です。それならば規範と条件が明らかになれば、人間の行為の大部分は説明可能になるはずです。もし条件だけから説明すれば、機械論的決定論になります。たとえばある条件のもとでは原因と結果の関係が必ず結びつくと考えるわけです。特定の刺激を与えれば特定の作用をもたらすというようにです。条件が全て明らかになり、相互作用も全て明らかになれば、自ずと結果もすべて予測できることになります。</p>
<p>しかしパーソンズで重用なのは、人間が規範によっても規定される存在であり、また規範それ自体は非合理的な場合もあり、科学によって把握することは難しいとされている点です(だからこそ非合理的なものは完全に予測できず、原因と結果の連鎖に組み込むことが難しい。。また、規範は人間を完全に規定するわけではないのです。たとえば食事を取らないとお腹が空く、腐った魚を食べるとお腹が壊れる、というのは完全に条件に規定されている現象です。他にも火に触れると反射的に手を引っ込めるというのも完全に規定されています(これは行為ではなく行動ですが)。</p>
<p>人を殺すというケースを考えてみましょう。たとえば貧困で食べるものがなく、もう死にそうで、他人を殺して食べ物を奪わないと絶対に生き残れないというような極端なケースを考えてみます。機械決定論的に考えれば、貧困などの状況が原因となり、人を殺して食べ物を奪うという結果に結びつきます。この原因と結果には人間が自由に選択できる余地などなく、必ず帰結するものです。別の言葉で言えば無数の原因と結果の積み重ねによって「選ばされている」ものであり、完全に決定されているものです。条件だけで考えればそうなるかもしれません。あるいは実証主義的に考えれば、人間は自分の効用を最大化するという目的をもつので、生命の維持という目的の手段として強奪が最も合理的な手段として帰結することになります。これは万人の万人に対する戦いに通じます。</p>
<p>しかし(物理的)条件以外に、(精神的)規範というものもまた、人間を規制するものだとパーソンズは考えます。人を殺さなければ生き残れず、条件は自分に強奪を促します。しかし一方で、規範は自分に「人を殺すことは善くない」と訴えかけてきます。ここで人間は「選択」に迫られます。人を殺すか、殺さないかです。ここで自由意志の問題、したがって「選択可能性」の問題が出てきます。パーソンズによれば人間は規範的志向をもちます。つまり規範へ向かう意思や努力をもちます。これは強制ではなく、主体的、能動的な志向だというわけです。たしかに人の物を盗んではいけないと訴えかけてきたとしても、実際に盗む人間はいるわけです。だから完全には強制できない。</p>
<p>ただしこの「完全には強制できない」という曖昧なものになると社会秩序もまた不安定になりかねないので、パーソンズは中期以降、「制度化」という話を持ち出してきます。たとえば盗んだら「法律で罰せられる」というような制度によってより秩序が安定するようになるということです。しかしパーソンズは中期以降、この制度に重点を置くようになり、主意主義的要素が薄れていったという批判があります。たしかに盗まないのは自由な意思というより、法律による制裁が怖いからだ、というような感じもします。</p>
<p>さらにパーソンズは規範への志向だけではなく、規範そのものを修正、創造する余地もあると述べているそうです。その意味では確かに人間の創造性、主体性の余地もあるかもしれません。ウェーバーは官僚制は容易に破壊されないと予言し、パーソンズがこれに対して批判したのは、これと関連してるのかもしれませんね。というのも官僚制は一種の規範(合理性)だからです。もっとも、ウェーバーはカリスマ性によってブレイクスルーできる可能性をもっているともいいました。不可能ごとにアタックしないようではだめですよね。</p>
<blockquote>
<p>「例えば、「構造』に先立って書かれ(一九三五年)似通った論旨をもった「究極価値」論文の冒頭には、「(実証主義は)人間が本質的に能動的、創造的な、評価する存在であるという事実を曖昧にしている」。これと同様の命題は、「構造」中にも、やや調子を落とした形で散見される。けれどもこのような命題がどれだけの合意をもっているのか、ということを、パーソンズは彼の理論と結びつけて限定してはいない。従って、右のような文章を、初期パiソンズの全体に照らして限定する作業は、読み手の側に残されているということになる。そこで、これまで検討してきたパーソンズの所説に従って解釈すれば、右の文章中の人間の能動性・創造性とは、行為が「規範的要素」によっても規定されており、その際行為者は規範的要素に対して、強制からではなく、ぞれのもつ拘束性に誘発されて指向するのであり、またその規範的要素は、条件的要素とは異って、社会の成員によって修正・創造されうるものである(この側聞をパーソンズは、付言するだけで十分に議論してはいない)、という意味にすぎない。」</p>
<p>溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」17P</p>
<p>「｢行為者は，未来の望ましいある特定の事態を表象に思い浮かべながら，特定の条件下で，その実現にもっともふさわしい手段を，なんらかの規範に依拠して選択し，目的達成に努力する存在として立ち現れることになる。こうしたパーソンズの『単位行為」範鴫の中には，目的定立，目的達成にふさわしい手段の選択，目的を成就しようとする『意思と努力』，この３点において，そして同時に，これらを行為者の『主観的観点』に即して理解しようとする点において，主意主義的性格が込められているということができる」</p>
<p>高城和義，1986,「パーソンズの理論体系」日本評論社．44P</p>
<p>「パーソンズは、個人の能動的行為を支えるものとして規範的要素が作用しているという点を積極的に考察し、個人の自立性を高めるものとしての秩序を考えているのである。さらにかれは、こうしたものとしての規範が物的条件の制約の下にあり、規範的要素と非規範的要素の間に緊張関係が存していることを忘れているわけではい&#8230;&#8230;もしも現代社会の秩序が事実において人間性を抑圧しているとすれば、人間的自由と両立関係にある秩序を重視するパーソンズにとって、秩序問題の真の解決は、既存の秩序の打倒と個人の自律性と適合的な、新たなる秩序の形成によってしか考えられないのである。この点において、再びわれわれは、パーソンズが現代社会の現実的秩序そのものを十分に捉えきれていないし、なかでも経済構造の把握において骨く、いいかえれば、人間的自由に対する社会的制約要因を重視するとする自らの行為理論の鉄則が、必ずしも貫徹されてはいないことを知らないわけにはいかない」</p>
<p>佐藤勉「社会的なものの論理―T・パーソンズのばあい―」、73P</p>
<p>「私の考えでは、こうした制度的統合の公理の背景には、パーソンズ自身の独得の考え方、すなわち主意主義的な人間観、そうした人間の社会生活に適合的なものとしての多元的な社会観ならびにそうした人間と社会のかけ橋としての個人主義の価値の重視といった三つの前提が存しているのである。この三つの前提を考えなければ、この公理の意味するところは十分に理解されないだろう。社会秩序は、よしんば個人の欲求充足をしばしば抑圧することがあるとしても、外在的で拘束的な道徳的規範がパーソナリティの中に内面化されて、いわば行為者の内部環境となって、内側から個人をコントロールして、個人の自律性を高める73ことができる(15)。個人の自律性を保証しうる社会秩序はどんなものかということが、パーソンズにおける秩序問題の核心なのである。以上の諸説から、パーソンズは秩序一般を取り上げているのでないことは歴然としている。抽象的な個人を想定して、そうした個人と社会一般との関係に関する空想的・思弁的な考察をめぐらし、その帰結として、抽象的な個人と空想的な社会の連関の理論として、制度的統合の公理が想定されたのではない。それどころか、西欧社会の歴史的発展をふまえた上で、制度的統合の公理という方法的武器で、現代西欧社会における秩序の存在形態さらには社会現象・行為現象の現実形態を解明しようとしているといってよい。そのさい、パーソンズは禁欲的プロテスタンティズムの倫理に代表される自由主義的個人主義に着目している。この個人主義がいわゆる集合主義と両立しうる点をパーソンズはみごとに見ぬいているのであり、両者の関係に関する論理的表現が制度的統合の公理なのであるといってよいだろう。」</p>
<p>佐藤勉「社会的なものの論理―T・パーソンズのばあい―」、73-74P</p>
<p>「行為者はまったくでたらめに目的を選択し行為しているのでつねに社会的な究極価値によって規制されているというわけである。それだけではない。この価値は、行為者にたいして事物のように外在しているのではなく、個人のパーソナリティを構成すべく内面化されることによって、行為者は自発的にこれにコミットするようにさえなるのである。ここに秩序問題を解くときの「蹟きの石」となっていた目的のランダム性は完全に克服されることになった(すくなくともパlソンズはそう考えた)。秩序問題に解決を与えたとするパーソンズの秩序観は次のような言明に端的に表れている。「社会に共通の価値態度が存在するかぎりにおいて、社会は非生物学的レヴェルにおいて利害関係の力の均衡以上のものになりうるのだ」」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」９９P</p>
<p>「単位行為は、目的・手段・条件・規範によって構成される。この準拠枠により、行為者は、時間軸に沿って、将来実現してほしい目的を思い浮かべながら、特定の条件下で、目的実現のために最も適した手段を、何らかの規範に照らして選択し、目的達成を目指そうと努力する存在なのである。この目的―手段図式は、心の中に存在する規範的要素に依拠して手段を選択し、目的実現を図ろうとするのであるから、本来的に「主観的なもの」なのである。彼は、この主観性、すなわち主意主義の側面を強調し、そのために規範的要素を取り入れ、ある条件の中で、規範に依拠して、目的実現のための手段を選択するという行為図式を主張している。」</p>
<p>川上周三「ピューリタン系譜の社会思想家の比較研究―マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソンズ―（上）」,２５-２６P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc45">その他補論</span></h3>
<h4><span id="toc46">イマニュエル・カントにおける自由</span></h4>
<p>「カントにとって人間は道徳という自由の法則にしたがうがゆえに自由なのであったが、パーソンズにとってもまた、究極的価値の内的な命令にしたがうことは合理的な意志の行使と矛盾するものではなく、むしろそれを支えるものであった」(盛山和夫さんの解釈)</p>
<p>たとえば「嘘をついてはいけない」という道徳に従うことは、一見不自由に思える。自由に嘘をつきたいのに、つけないから。しかしカントいわく、道徳に従うがゆえに自由だという。一般的な考えでは意思を強くもて、という場合は命令に盲目的に従うというより自分で考える態度を指します。しかしカントは道徳(という命令)に従うがゆえに自由であると考えた。つまり、意思的であること、自由であること、規範に規定を受けることはそれぞれ矛盾しない。</p>
<p>要するに、自分勝手な目的や手段の選択が「自由意志による選択」なのではなく、規範(カントでいうところの道徳)に方向付けられた上での目的や手段の選択が「自由意志による選択」という考え。人間の自由(主体性)をどう捉えるかという解釈の問題にもなる。自分勝手になんら道徳から規定されず、自由に選択できるという意味での主意主義ではない。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズ研究の立場から、パーソンズは主意主義的行為理論を作り上げようとしたのに、秩序問題の解決に専念するあまり主意主義的要素がいつのまにかすっかり消え去ってしまったという「パーソンズのパラドックス」を主張する論者(前川一九八三)にも基本的に同じことがいえる。なぜなら、パーソンズのいう主意主義とは、行為者は単にパーソンズの行為理論における諸問題条件的要素に拘束されるだけでなく、社会の価値規範にたいしても積極的にコミットするよう「努力」する存在であるという意味であり(『社会的行為の構造』二巻一九二頁参照)、そもそも規範にたいしても主体的・能動的に振る舞いえるという意味はこめられていなかったからである。だから行為の主意主義理論において行為者が社会的な価値に背後からつき動かされているような印象を与えるにしても、そのことがパーソンズの考える主意主義(このような用語を使用することの当否はさておき)と矛盾するわけではない。盛山はパーソンズが主意主義をこのように考えたことに関して、パーソンズにたいするカントの影響を指摘している。「カントにとって人聞は道徳という自由の法則にしたがうがゆえに自由なのであったが、パーソンズにとってもまた、究極的価値の内的な命令にしたがうことは合理的な意志の行使と矛盾するものではなく、むしろそれを支えるものであった」(盛山一九九二一三頁)。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」107-108P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc47">ゲオルク・ジンメルにおける自由</span></h4>
<p>補論：ゲオルク・ジンメルの自由と個人に関する考察</p>
<p>１８世紀の自由：<b>量的個人主義</b>、<b>単一性の個人主義</b></p>
<p><b>自由と平等は調和する</b>：不平等を取り除くこと。奴隷制や身分制度の「制度」を廃止すれば人間は自由で平等になる。この考えの根底には、人間は社会的なもの(社会的地位や教育、制度など)を取り去ってしまえば、皆同じ人間(<b>普遍的人間</b>)であるというものがある。</p>
<p>ジンメルのカント理解：カントのいう定言命法「汝の意志の格率が同時に一般的立法の原理として妥当するように行為せよ」は、私は他人とは違うという「手前勝手な空想」ではなく、「何人たるかを問わぬ」道徳律の前における平等を意味し、これを実現する「<b>道徳的な人間だけが自由</b>」である。そもそもジンメルは完全な自由などありえないと考えており、自由とは完全な自由と完全な不自由の間にあるものと考えています。規定されているがゆえに、その開放から自由を感じたり、規定されていることを意識した上で意思的に従うという意味で自由を感じるのかもしれません。たとえば将軍からの命令で仕えていたある兵士が不自由を感じていたとしても、将軍のカリスマ性に魅力を感じ、自発的に従うことが自分の意志であり、それは自由だと考えているような想定ができます。この兵士は完全に命令に規定されたマシーンではなく、ある程度の自発性、自由、命令に従おうとする努力が見られます。</p>
<p>１９世紀の自由：<b>質的個人主義</b>、<b>唯一性の個人主義</b></p>
<p>自由と平等の調和は難しいと考える。したがって、「自由なき平等」か「平等なき自由」にわかれる。前者は社会主義的、後者は資本主義的である。貧富の差などは広がるが、ひとりひとり個性的になる。また、個性的であることがビジネスでも有利になる。分業体制は人との違いを生み出す。</p>
<p>・１８世紀の人間は奴隷制や身分制から開放され、自由に、平等になったし、開放されるという点で個人が重んじられていた。１９世紀になると、<b>平等になったがゆえに、人との違い(個性)や不平等を求めるようになった</b>。人と違うこと、自分が特別でありかけがえのない、代わりのない存在であることが重視されるようになり、そうした状態は「平等なき自由」に近い。</p>
<p>・１８世紀から１９世紀に変わるにつれて、自由な個人から特別な個人へと求めるものが変わっていく。ジンメルは「平等なき自由」を評価した(分業体制が人との違い(差異)を生みだしていったのを評価したように)。</p>
<blockquote>
<p>「ジンメルはまず「自由」とはなにかを論ずる。そして、完全な自由などないと彼はいい、これまでの義務が新しい義務に取り換えられる「義務の交替」において、それまでの圧迫が脱落したと感じるとき「自由」が感じられるのではないかという（ibid.:301）。「個人的自由は、けっして孤立した主体の純粋に内的な性質ではなく、いかなる相手もそこにいなければその意味を失う相関現象である」。自由もまた相互作用のなかに位置づけられる。「人間のあいだのいっさいの関係が、接近の要素と距離の要素から成り立つとすれば、独立とは、距離の要素がなるほど最大になってはいるが、しかし&#8230;&#8230;完全には接近の要素が消滅してしまうことのできない関係である」（ibid.:319）。このように、「接近と距離」のあいだに「自由」はあり、どちらかが消滅するゼロ点などはない。われわれの状態はあらゆる瞬間に、「ある程度の拘束とある程度の自由から合成される」（ibid.:320）」</p>
<p>ibid=ゲオルク・ジンメル『貨幣の経済学』132P</p>
<p>奥村隆「距離のユートピア──ジンメルにおける悲劇と遊戯──」</p>
<p>「ジンメルは、こうした考察から、18世紀の「個性概念」とは、すべての人間に含まれている真の「人格」はまったく平等であって、人格的自由は平等を排除せずむしろこれを包含するという個性概念である、と主張する（ibid.:114）。これを彼は、「量的個人主義」「単一性の個人主義」とも呼ぶ（ibid.:126）。ひとつの「普遍」へと平等に到達する自由を個々人が追求すること、これが18世紀的な個性であり、個人主義であるというのだ。だがこの「個性概念」「個人主義」は19世紀に大きく転換し、これをジンメルは「質的個人主義」「唯一性の個人主義」（ibid.:126）と呼ぶ。これについて次項で検討してみよう。」</p>
<p>ibid=ゲオルク・ジンメル『貨幣の経済学』</p>
<p>奥村隆「距離のユートピア──ジンメルにおける悲劇と遊戯──」136P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc48">補論：ウェーバーと文化</span></h4>
<blockquote>
<p>「『文化』とは、世界に起こる、意味のない、無限の出来事のうち、人間の立場から意味と意義とを与えられた有限の一片である。人間が、ある具体的な文化を仇的と見て対峙し、『自然への回帰』を要求するばあいでも、それは、当の人間にとって、やはり文化であることに変わりはない。けだし、かれがこの立場決定に到達するのも、もっぱら、当の具体的文化を、かれの価値理念に関係づけ、『軽佻浮薄にすぎる』と判断するからである。ここで、すべての歴史的個体が論理必然的に『価値理念』に根ざしている、というばあい、こうした純論理的──形式的事態が考えられているのである。いかなる文化科学の先験的前提も、われわれが特定の、あるいは、およそなんらかの『文化』を価値があると見ることにではなく、われわれが、世界に対して意識的に態度を決め、それに意味を与える能力と意志をそなえた文化人である、ということになる。」(マックス・ウェーバー『客観性』92-93P)</p>
</blockquote>
<p>この文章はウェーバーにおける主意主義性がみられます。かっこいい。</p>
<h2><span id="toc49">パーソンズの主意主義的行為理論への批判</span></h2>
<h3><span id="toc50">１：社会的な要素を重視するあまり、非社会的、創造的な要素を軽視しているのではないか。保守的だと批判されている。</span></h3>
<p>たとえば単位行為における「規範」は、集団に共有されないようなある個人のみが抱くような基準は規範とみなされない。極端に言えば、殺人は善いことであるとある個人が考え、その基準を元に自分の行動が規定されるようなケース。</p>
<p>→規範がそれぞれの個人によってバラバラであり、独自の基準が規範として認められるなら、ウェーバーの言うところの神々の闘争(価値の対立)状態になり、結局のところ万人の万人に対する戦いが帰結する(ホッブズ的秩序問題は社会や国家がない原子論的個人を想定する)。秩序問題の解決には、集団に共有されるような価値がまずあり(論点先取り)、その価値は個人を規定し、個人はその価値を自ら望ましいものとして自発的に取り込んで選択していくという順序が用いられる。</p>
<h3><span id="toc51">２：そもそも規範がどうやって生成されるか妥当な説明を与えず、所与のものとして扱われている。</span></h3>
<p>・これはホッブズ的秩序問題でも扱った通り、論点先取りと言われる問題。</p>
<p>・単位行為においてすでに規範という分析要素があるが、この要素は社会体系レベルにおいてはじめて創発的特性として現れる、個人に還元されない要素だったはずなのに、単位行為レベルですでに扱われているのはおかしいという批判。</p>
<h3><span id="toc52">３：初期では主意主義的要素を重視していたのに、中期以降は行動を規定する基準としての「規範(共通価値)」を重視するようになった。</span></h3>
<p>→<b>個人主義のジレンマ</b>（アレクサンダー）：個人主義的方法で秩序に接近しようとすると、秩序はランダムで予見不可能なものになってしまう。そうしたランダム性に満足できず、超個人的なものを導入し、集合主義的な方法へと進んでしまう。その結果、個人主義的立場を維持できなくなる。</p>
<p>→<b>判断力の麻痺した人間</b>（ガーフィンケル）：パーソンズの描くところの行為者は社会の価値によって背後からつき動かされるだけの存在、いわば「判断力の麻薄した人間」になり下がっており、行為者のもつ創造的・能動的側面がほとんど無視されてしまっている。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズの影響力の低下を引き起こした要因のひとつは、社会秩序は行為者間の価値共有によって維持されるという彼がその初期から一貫して保持した中核ともいうべき考えが、批判の集中砲火を浴びることになったということであろう。そこでなされた批判の代表的な見解は次のようなものである。パーソンズの描くところの行為者は社会の価値によって背後からつき動かされるだけの存在、いわば「判断力の麻痺した人間」(Garfinkel1967p.67)になり下がっており、行為者のもつ創造的・能動的側面がほとんど無視されてしまっている。このような批判がある程度のインパクトをもったということは、その後の現象学的社会学やエスノメソドロジーなどいわゆる意味学派の隆盛を思い起こせばよかろう。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」93-94P</p>
<p>「結局、パーソンズは創発特性の存在を認めるという意味では、確かに素朴な方法論的個人主義の立場を免れているのではあるが、しかし創発特性の問題を主題として取り上げていないため、実質的にはアレクサンダーのいう「個人主義のジレンマ」に巻き込まれることになってしまった。個人主義のジレンマという言葉で意味されているのは、次のような事態である。理論家が徹底して、個人主義的方法で秩序に接近しようとするなら、彼は秩序の理解をほとんどランダムにしまったく予見不可能なものにするような偶有性に開かれたレヴェルを説明の中に導入しなければならないのだが、ほとんどの理論家にとってこのようなランダム性は満足しがたいものなので、彼はやむなく超個人的なものを導入することでより集合主義的な方向へ進むことになってしまい、個人主義的立場を維持できなくなってしまう(Alexander1988p.224)。-アレクサンダー自身はこのようなジレンマを現象学やインターラクショニズムに見いだしているのであるが、パーソンズもまた同じジレンマに陥っていることがこれまでのわれわれの考察で明らかになったと思われる。つまり、行為体系における創発特性という集合主義的問題を棚上げし、単位行為レヴェルで議論を進めようとするため、究極価値が「つねに/すでに」先取りされる形で規範のなかに埋め込まれてしまうのである。だから、われわれは、アレクサンダーが秩序問題の個人主義的解決に向けた次のような批判の言葉は、そのままパーソンズにもあてはまるものである、と結論づけねばならない。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」102-103P</p>
<p>「パーソンズ研究の立場から、パーソンズは主意主義的行為理論を作り上げようとしたのに、秩序問題の解決に専念するあまり主意主義的要素がいつのまにかすっかり消え去ってしまったという「パーソンズのパラドックス」を主張する論者&#8230;&#8230;」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」107-108P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc53">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc54">参照論文</span></h3>
<p>※最初はパターン変数について調べていたので主意主義に関しては後半の文献中心になります</p>
<p>１：山本 祥弘「パーソンズ医療社会学の形成について― 初期専門職研究と医療社会学の差異に着目して ―」(<a href="https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=8115&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1&amp;page_id=30&amp;block_id=164">URL)</a></p>
<p>・主にパーソンズ全体の概略的な理解の参照にしました。</p>
<p>２：小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」(<a href="https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=8115&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1&amp;page_id=30&amp;block_id=164">URL</a>)</p>
<p>・主にパターン変数や主意主義的行為理論の定義を参照しました。内容自体は基礎的ではなく、応用的です。</p>
<p>３：木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」(<a href="https://ouc.daishodai.ac.jp/files/profile/educational_research/shokei/past_15601.pdf">URL</a>)</p>
<p>・パターン変数の詳細について参照しました。AGIL図式との関連についても参照。</p>
<p>４：宇賀博「初期パーソンズ研究」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/15/2/15_42/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>・主にパーソンズ全体の概略、とりわけデュルケームとフロイト、ミードとの関連</p>
<p>５：池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」(<a href="https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/27518/cdob_10_001.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主に役割期待とパターン変数の説明の参照</p>
<p>６：<span dir="ltr" role="presentation">小門裕幸</span>「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」(<a href="https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=8820&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・前近代と近代のパターン変数の参照,日本人のパターン変数</p>
<p>７：山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/18916">URL</a>)</p>
<p>・パーソンズの用語全般の参照</p>
<p>８：大黒正伸「パーソンズとシュンペーター合理性をめぐる出会い」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=2529&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・究極的目的の説明に関する参照、目的手段の図を参照</p>
<p>9：大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=2511&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・究極的目的の説明に関する参照</p>
<p>１０： 小松 秀雄 「パーソンズ社会学における宗教-ウェーバーからパーソンズへの転換-」(<a href="https://kobe-c.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=1244&amp;item_no=1&amp;page_id=33&amp;block_id=148">URL</a>)。</p>
<p>・究極的目的の説明、究極的条件、究極的価値、中間、聖なるものに関するもの等の参照。</p>
<p>１１：溝部 明男「初期パーソンズの諸問題　主意主義と秩序問題」<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/21/3/21_1/_pdf/-char/ja">(URL</a>)</p>
<p>・主に主意主義と規範的指向の参照</p>
<p>・規範的要素の定義の参照</p>
<p>１２：<span dir="ltr" role="presentation">溝部 明男</span>「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」(<a href="https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=6141&amp;item_no=1&amp;attribute_id=26&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>・主にパーソンズ全体の用語の解説の参照　</p>
<p>・価値と規範の違い</p>
<p>・規範的要素が価値と社会的規範を合わせたものという説明</p>
<p>１３：山田吉二郎「<span dir="ltr" role="presentation">広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について</span>」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/18916/1/journal06.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主にパーズン全体の用語の解説の参照　</p>
<p>１４：溝部明男「パーソンズのAGIL図式－その形成における基本的問題－」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/30/2/30_2_2/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>１５：高旗正人「 パーソンズの子ども社会化パラダイムの検討 」(<a href="https://cur-ren.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_snippet&amp;pn=1&amp;count=20&amp;order=16&amp;lang=japanese&amp;creator=%E9%AB%98%E6%97%97+%E6%AD%A3%E4%BA%BA&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>１６：友枝敏雄「方法論的個人主義にもとづく社会理論の問題点 : パーソンズとロールズを中心として」(<a href="https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/86455/">URL</a>)</p>
<p>・内面化や制度化、パーソンズの用語全般について参照</p>
<p>１７：春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」(<a href="https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=8340&amp;item_no=1&amp;attribute_id=19&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>・パターン変数とAGIL図式との関連について、及びパターン変数の医者の例について参照</p>
<p>１８：春日淳一「N.ルーマンのメディア論について」(<a href="https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=7313&amp;item_no=1&amp;attribute_id=19&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>１９：名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/37/2/37_93/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>・パターン変数の説明について参照</p>
<p>２０：川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」（<a href="https://shotoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=1026&amp;item_no=1&amp;attribute_id=21&amp;file_no=1">URL</a>）</p>
<p>・パターン変数の説明について参照　特に客体類別</p>
<p>２１：新 睦人「パーソンズからルーマンとハバーマスへ(佐藤報告に対する討論)」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasess/1/0/1_KJ00001928753/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２２：新明正道「タルコット・パーソンズについて──その学問的業績の全体像──」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/tja1948/37/1/37_1_1/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２３：小松秀雄「パーソンズ社会学における宗教 -ウェーバーからパーソンズへの転換- 」(<a href="https://kobe-c.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=1244&amp;item_no=1&amp;page_id=33&amp;block_id=148">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して。構造的要素、デュルケーム</p>
<p>２４：佐藤勉「社会的なものの論理―T・パーソンズのばあい―」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/29/2/29_2_68/_pdf/-char/en">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２５： 大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」(<a href="https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0022/BS00220L056.pdf">URL</a>)</p>
<p>・主意主義に関して、単位行為の詳細</p>
<p>・行為体系の定義、創発特性の定義</p>
<p>２６：大束貢生「 パーソンズのマックス・ウエーバー解釈について」(<a href="https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0026/DO00260L303.pdf">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２７：川上周三「ピューリタン系譜の社会思想家の比較研究―マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソンズ―（上）」(<a href="https://senshu-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=7305&amp;item_no=1&amp;attribute_id=32&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>主意主義に関して</p>
<p>２８：山下雅之 「パ ーソンズにおける社会学の成立」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/30/3/30_35/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>マーシャルに関して</p>
<p>２９：赤坂真人「パレート社会システム論再考（II）―歴史における社会システムの均衡―」(<a href="https://kiui.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=993&amp;item_no=1&amp;attribute_id=19&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>パレートに関して</p>
<p>３０：霜野寿亮「<span dir="ltr" role="presentation">権力概念の検討 : タルコット・パーソンズの場合</span>」(<a href="https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?koara_id=AN00224504-19700615-0018">URL</a>)</p>
<p>３１：鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」(<a href="http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/23035/KJ00000099988.pdf">URL</a>)</p>
<p>単位行為　主に分析と記述</p>
<p>32：<span dir="ltr" role="presentation">村井,重樹「</span>目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」(<a href="https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN0006957X-00000060-0043.pdf?file_id=33371">URL</a>)</p>
<p>・主に創発特性</p>
<p>３３：田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」(<a href="https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=13329&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・主に努力</p>
<p>３４：遠藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程　パーソンズの初期論文を中心に」（<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/30/1/30_145/_pdf/-char/ja">URL</a>）</p>
<p>・主意主義・努力</p>
<p>３５：奥村隆「行為とコミュニケーション　ふたつの社会性についての試論」（<a href="https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=1902&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=49">URL</a>）</p>
<p>・行為の準拠枠　メモ：ルーマンとの関連など面白いので後で参照する。奥村さんの説明は全体的に柔らかく分かりやすい。</p>
<p>３６：奥村隆「距離のユートピア──ジンメルにおける悲劇と遊戯──」(<a href="https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=1936&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>・主にジンメルの自由について</p>
<h3><span id="toc55">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc56">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</span></h4>
<p>※全5冊あるみたいです</p>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijK2zx" target="_blank">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></p>
<h4><span id="toc57">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijS8YK" target="_blank">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></p>
<h3><span id="toc58">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc59">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc60">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc61">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc62">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc63">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc64">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc65">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
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			</item>
		<item>
		<title>【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 20 Mar 2022 13:33:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[タルコット・パーソンズ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=1922</guid>

					<description><![CDATA[タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」についての記事です]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-5" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-5">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">概要</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">動画での解説・説明</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">タルコット・パーソンズとは</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">パーソンズ関連の記事</a></li></ol></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">ホッブズ的秩序問題とはなにか</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ホッブズ的秩序問題とは、意味</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">トマス・ホッブズとは</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">自然状態の概略</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">社会契約の概略</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">【強制解】秩序問題に対するホッブズの解答ー「権力」ー</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">パーソンズによるホッブズへの批判</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">そもそもホッブズは自然権の放棄は社会というものの存在を仮定しているのではないか、という批判(金泰明さん)</a></li></ol></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">功利主義とホッブズの自然状態の近似性</a><ol><li><a href="#toc15" tabindex="0">功利主義の意味</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">原子論的個人主義</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">目的に対する手段の合理性</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">経験主義</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">目的のランダムネス</a><ol><li><a href="#toc20" tabindex="0">功利主義のジレンマ</a></li></ol></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">功利主義とホッブズの近似性</a><ol><li><a href="#toc22" tabindex="0">１：原子論</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">２：合理性</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">３：経験主義</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">４：目的のランダム性</a></li></ol></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">功利主義的なホッブズ的秩序問題の解決：合意による協力解</a></li></ol></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">パーソンズによる功利主義への批判</a><ol><li><a href="#toc28" tabindex="0">「合理性」への批判</a><ol><li><a href="#toc29" tabindex="0">ヴィルフレド・パレートによる非論理的行為</a></li></ol></li><li><a href="#toc30" tabindex="0">「目的のランダム性」への批判</a><ol><li><a href="#toc31" tabindex="0">事実的秩序と規範的秩序</a></li><li><a href="#toc32" tabindex="0">エミール・デュルケームによる道徳的連帯：聖なるもの</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc33" tabindex="0">パーソンズによる秩序問題の解決(概略)</a><ol><li><a href="#toc34" tabindex="0">結論</a></li><li><a href="#toc35" tabindex="0">批判</a></li><li><a href="#toc36" tabindex="0">合理性以外の行為があることの説明：マックス・ウェーバーの「正当性」</a><ol><li><a href="#toc37" tabindex="0">お墓を蹴ることはよくない？</a></li><li><a href="#toc38" tabindex="0">マックス・ウェーバーによる支配の三類型：支配の３つの正当性</a></li></ol></li><li><a href="#toc39" tabindex="0">目的のランダム性の克服：カリスマ</a><ol><li><a href="#toc40" tabindex="0">カリスマとはなにか</a></li></ol></li><li><a href="#toc41" tabindex="0">共通価値への志向、内面化、制度化</a><ol><li><a href="#toc42" tabindex="0">整理</a></li><li><a href="#toc43" tabindex="0">共通価値とは、意味</a></li><li><a href="#toc44" tabindex="0">内面化とは、意味</a></li><li><a href="#toc45" tabindex="0">制度化とは、意味</a></li><li><a href="#toc46" tabindex="0">共通価値統合とは、意味</a></li><li><a href="#toc47" tabindex="0">目的のランダム性の克服</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc48" tabindex="0">パーソンズへの批判</a><ol><li><a href="#toc49" tabindex="0">循環論法</a></li><li><a href="#toc50" tabindex="0">パーソンズは循環論法に気づいていた？</a></li></ol></li><li><a href="#toc51" tabindex="0">ゲーム理論で考えるとかなりわかりやすい</a><ol><li><a href="#toc52" tabindex="0">囚人のジレンマ</a></li><li><a href="#toc53" tabindex="0">保証ゲーム</a></li><li><a href="#toc54" tabindex="0">チキンゲーム</a></li></ol></li><li><a href="#toc55" tabindex="0">参考文献</a><ol><li><a href="#toc56" tabindex="0">参照論文</a></li><li><a href="#toc57" tabindex="0">今回の文献</a><ol><li><a href="#toc58" tabindex="0">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></li><li><a href="#toc59" tabindex="0">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc60" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc61" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc62" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc63" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc64" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc65" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc66" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc67" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc2">概要</span></h3>
<ol class="sample">
<li class="sample">ホッブズ的秩序問題：社会秩序はなぜ可能なのか</li>
<li class="sample">ホッブズの解答：権力による強制力によって可能になる(強制解)</li>
<li class="sample">ロックの解答：同意による協力によって可能になる(協力解)</li>
<li class="sample">パーソンズの解答：規範によって可能になる(規範解)</li>
</ol>
<h3><span id="toc3">動画での解説・説明</span></h3>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="//www.youtube.com/embed/2B1zumuTZ4E" data-alt="動画の説明"></iframe></div>
<p><strong>・この記事のわかりやすい「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください</strong>｡</p>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h3><span id="toc4">タルコット・パーソンズとは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1939" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Talcott_Parsons_photo.jpg" alt="" width="196" height="293" /></a>タルコット・パーソンズ(1902-1979)はアメリカの社会学者で、行為の一般理論(行為の準拠枠)、構造機能主義、AGIL図式などを提唱したといわれている。秩序問題をとりあげた社会学者の代表格。デュルケーム、ジンメル、ウェーバーなどの知識を受け継いで独自の理論を作り上げたとされている。主な著書は『社会的行為の構造』(1937)や『社会体系論』(1949)。</p>
<h3><span id="toc5">パーソンズ関連の記事</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a>(今回の記事)</p>
<p>・次回の記事</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/11/talcott-parsons-2/">【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/04/28/talcott-parsons-3/">【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/06/13/talcott-parsons-4/">【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/09/26/talcott-parsons-5/">【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか</a></p>
<h2><span id="toc6">ホッブズ的秩序問題とはなにか</span></h2>
<h3><span id="toc7">ホッブズ的秩序問題とは、意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>ホッブズ的秩序問題</strong>：</big>・人間は放っておくと各々自分の利益を最優先に考えて行動し、「万人の万人に対する戦い(無秩序状態)」に至る。それにもかかわらず社会に秩序はあるのはなぜか、という問題。ホッブズ問題ともいう。</p>
</div>
<h3><span id="toc8">トマス・ホッブズとは</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/300px-Thomas_Hobbes_portrait.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1912" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/300px-Thomas_Hobbes_portrait.jpg" alt="" width="300" height="316" /></a></p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>トマス・ホッブズ(1588-1679)</strong>：</big>・心境と革命から王政復古にかけてのイングランドの哲学者。1634年から1636年にかけてデカルトやガリレイと交流し、1640年に『法学要綱』を執筆する。1651年には主著『リヴァイアサン』を公刊する。</p>
</div>
<h3><span id="toc9">自然状態の概略</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>自然権</strong>：</big>・人間が生まれながらにして持っているとされる権利。ホッブズによれば自然状態において人間は「かれ自身の自然、つまりかれ自身の生命を維持するために、かれの欲するままにその力を用いる自由(『リヴァイアサン』)」をもつ。自然状態において人間は「平等で自由な存在」であり、自己保存のために活動は自由の名のもとに肯定される。ホッブズは人間は心身の諸能力においてはほぼ平等であり、他者を永続的な支配関係におくほどの根拠をもたないという。また「希少性(きしょうせい)」が前提にされている(たとえば食べ物も土地も異性も貴金属も無限に存在しているわけではないから争いが生じる)。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>自然状態</strong></span>：</big>・国家も法も社会もない、権力の真空状態。人間を規制するものは人間とその自然環境のみ。</p>
</div>
<p>１：善悪の共通の基準がない(人間は自由であり、人間の行動を縛るような国家や社会、法や道徳はない)</p>
<p>２：最大の善は「生命の保全」であり、最大の悪は「死」であるが、それは各人にとって各人の善悪である。</p>
<p>３：人々の能力は大差ない。頭の良さも身体能力も同じようなものだと仮定する</p>
<p>４：国家や社会がない。法律や道徳など、人間の行動を制限するものはない。人間を制限するのは自然環境や人間だけである。社会がないので人間はお互いに孤立している。</p>
<p>５：人間には「理性」がある。理性とは予見能力や計算能力のことであり、人間固有のものである。将来への予見ができるということは、現状では満足しないということであり、将来の抗争を予見して自分の力をどこまでも増大させようとする。</p>
<p>６：人間には「情念」がある。情念は死への恐怖や自己保存などが根本的なものとして挙げられる。この情念のために理性は道具として使われる。自己保存のために「他者による承認」や「他者の物の獲得」という目的などが設定されたりする。</p>
<p>情念は他にも恐怖、復讐、好奇心、高慢、競争、不信、自尊心といったものがある。簡潔にいえば情念とは「意志の働き」のことである。恐怖を回避するために手段を選択、復讐心を満たすために手段を選択、好奇心を満たすために手段を選択といったように目的と手段がセットで考えられている。情念は大きく分ければ善(自己保存)と悪(死)である。人によって善がなにかは変わる(バラバラ)。</p>
<p>たとえば「Aは餓死したくないからBの食べ物を奪って殺す」というときに、Aにとって殺人行為は善である。しかしBにとって殺人行為は悪である。Bからした自分の権利が侵害され、Aからすれば自分の権利を行使しただけである。どんな場合でも殺人はよくない、生命は保全されるべきだといったような共通の基準はない。現代人は餓死しそうな場合でも殺人はよくないということを意識できるが、それは国家という権力や、社会に共通した道徳がすでに存在しているからである。自然状態においてそうた国家や社会はなく、権力も道徳も存在しない。</p>
<p>お互いに殺人は自分が生きるためには善であると思っている場合、殺し合うことになる。したがって万人の万人に対する戦いが帰結する。</p>
<p>たとえば２人の人間の目の前にリンゴがひとつあるとする。お互いに、自然権としてりんごを食べるという権利を持つ。しかし資源は有限であり、また能力も平等であるので、先に食べられてしまうのではないか、というような不安が生じる。お互いが敵になり、お互いをりんごを食べるために滅ぼそうとし、戦いが生じる。</p>
<p>要するに人は平等故に不安が生じる。この不安ゆえに戦争が生じる。人を殺してはいけないというような道徳も、殺したら罰せられるというような法律もないので万人の万人に対する戦いが帰結する。</p>
<h3><span id="toc10">社会契約の概略</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>社会契約説</strong>：</big>・政治や法などの権力をいったん無いものと考え、人間の自然状態をまずは想定し、人間の本性を確定しつつ、そこから共通権力の必要を導き出し、個々人の相互契約による国家の設立を論証するというもの。ホッブズが『市民論』ではじめて定式化したといわれている。</p>
</div>
<p>１：自然状態では論理的に「万人の万人に対する戦い」が生じる</p>
<p>２：「万人の万人に対する戦い」は人々に「死の危険状態」を生み、この「死の危険状態」が「平和は善であるということを万人に共通して認めさせる」。死に対する恐怖が人々に平和を希求させ、理性が平和の条件を人間に認識させる。</p>
<p>３：人々は共通して理性によって戦争が悪であり、平和が善であると認めるようになる。また平和のための手段もすべて善であるということになる。人々は共通して平和を目的とするようになる。</p>
<p>４：平和のための単なる手段として、正義、信義、感謝、信頼、思いやり等々の「徳」が手段として考えられる。この徳は<span style="text-decoration: underline;">万人共通の</span>善悪の尺度となる。</p>
<p>５：人々は平和のための手段として、自然権(生命の保存のためにはなんでもしていいという権利)を放棄する(社会契約を結ぶ)。自然権は主権者(君主あるいは合議体)に譲渡され、主権者は統治者、その他は非統治者(国民)となる。こうして国家(共通の権力)が形成される。統治者は法をつくり、自然権を制限することによって他人の自然権を侵害するような行為が制限されるようになる。この法をまもらないものには物理的に強制される(死刑など)。こうして社会秩序が形成される。</p>
<h3><span id="toc11">【強制解】秩序問題に対するホッブズの解答ー「権力」ー</span></h3>
<p>ホッブズは「社会秩序はいかにして可能か」の問いに対して、「個人の自由を国家権力に譲渡することによる秩序の実現」と解答した。これは「<strong>強制解</strong>」ともいわれるらしい。たしかに国家が怖いから殺人はやめておこう、というのは直観的に理解できる。別の言い方をすれば「<strong>権力</strong>」で秩序を解決したことになる。国家は「強制力」をもっている(ウェーバーでいうところの「暴力」である)。</p>
<p>紛争理論(コンフリクト理論)では争いこそが秩序を形成するという考えらしい。もしこの世に資源が無限にあり、食べ物で争う必要もなく、また異性を取り合う必要もなく、好き嫌いもほとんど一致しており・・・というような究極の仮定をすれば争いが生じないかもしれない。そこでは殺人や盗みが起きないので、そもそも善悪の判断すら難しい。太っている人や痩せているがいない世界で太っているとか痩せているとかいうものを認識しにくいように、悪がない世界で善もまた認識しにくい。要するに秩序(社会集団における望ましい状態を保つためのきまり)すら生じないのではないだろうか。デュルケームは犯罪は正常だといったが、それは世の中に善悪の基準があるからである。先程の究極の仮定では犯罪が生じず、善悪の基準がなく、したがって秩序も存在しないことになる。</p>
<p>しかしこの世は有限であり、争いも生じる。争いが生じた結果、社会契約によって権力が一箇所に集中し、この権力は強制力をもつようになり、社会に秩序をもたらすというわけだ。</p>
<blockquote>
<p>「マルクス主義やR.ダーレンドルフや批判理論が強調してきたのは、社会秩序成立の、このような権力的な契機である。彼らはコンフリクト理論と呼ばれる社会理論の系譜に属している(Dahrendorf　1968=1976)。上位者と下位者の間の保有する資源の格差、権力の格差を前提として、両者の間に利害対立や価値の対立がみられうのが社会の常態であり、上位者による下位者の支配を基本的な秩序像ととらえる見方である。コンフリクト理論の先駆けであり、権力の矯正による社会秩序の成立を最初に発生論的に説明したのが、T.ホッブズである。」</p>
<p>『社会学』、有斐閣、80P</p>
<p>「秩序問題への解は、強制解（ホッブズ自身の解答）、規範解（デュルケムやパーソンズ）、協力解（ロールズ、ノージック、近年のゲーム理論家など）等に分類される。個人の自由を国家権力に譲渡することによる秩序の実現という強制解に、近代社会の主体的個人の前提との両立を図る反論を対置してきた歴史ともいえるであろう。規範解は個人の主体的な行為の背景に学習された規範が存在することが秩序を担保するとする。協力解は、個人の合理的な選択というミクロ的要素が集積されてマクロ的秩序に至るとする」</p>
<p>高橋聡「教育統治におけるホッブズ的秩序問題」、1-2P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc12">パーソンズによるホッブズへの批判</span></h3>
<p>１：なぜ人々が自然状態において自然権を相互に放棄するのかわからない。ホッブズの前提からすれば、最適な行動(合理的な行動)は自然権を放棄することではなく、暴力や詐欺行為といったような自然権を行使し続けることである。人々が暴力や詐欺行為といった直接的な利益を犠牲にして、万人共通の善(平和)のために国家を形成するという合理性は拡大解釈ではないか。自分の自然権を放棄するという合理性は、ホッブズの前提(国家も社会もなく、人間は孤立していて、規範や道徳も一切ない)から帰結させることは難しいのではないか。</p>
<p>２：人々の善悪の共通の基準はバラバラであるという前提から、なぜ<span style="text-decoration: underline;">共通の</span>基準として平和が導き出されるかがわからない。死の恐怖に直面したとしても、各々の生命の保存という善が目的となり、その手段は暴力であったり、詐欺になったりするはず。「自分だけではなく全体の生命の保存」、つまり平和を共通の目的としてもつという自体はどう説明するのか。</p>
<blockquote>
<p>「この間題にたいするホッブズ自身の解決はよく知られていよう。自らの安全を確保せんとするため人民が主権者と契約を結ぶごと、すなわち社会契約がそれである。だがパーソンズはこのような功利主義的解決には満足しない。というのもこの考えの背後には、行為者が自分のおかれた状況において目的を合理的に追及するだけでなく、状況全体を理解し安全を得るために自分の将来の利益を犠牲にしてまで行為を遂行するということが仮定されているが、これは合理性の概念を過度に拡大してしまっており、また安全にたいする利害の一致をすでに想定していることで功利主義的前提(目的のランダム性)を突き崩しているからである。また功利主義的解決のもうひとつの方法であるロックの「利害の自然的合致」は単なる形而上学であり(この形而上学は古典派経済学に受け継がれるごとになった)とても解決と呼べるようなものではなし。このように功利主義思想を保持する限り秩序問題はその存在が消去されるか、あるいは極めてミスティファイされたかたちで解決が与えられるかのどちらかであった。それではパーソンズはこの秩序問題をどのようにして解いたのであろう」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、96P</p>
<p>[ホッブズは戦争状態から脱するために、合理性はその領分を越えて「将来、獲得されるだろう利益を犠牲にしてでも安全というものを確保しながら、暴力と欺瞞を排斥するのに必要な行為」、すなわち、社会契約まで拡大した。ホッブズ問題におけるの社会契約説の意義は、人々の安全を担保するのになによりも暴力排除を基本原則にしたことにある。しかし、パーソンズの「関心を寄せている解決法はこれ（社会契約)と同じものではない」</p>
<p>金泰明「ホッブズ問題における「二重性」の原理的考察　パーソンズからルソー、ヒュームへ、66-67P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc13">そもそもホッブズは自然権の放棄は社会というものの存在を仮定しているのではないか、という批判(金泰明さん)</span></h3>
<p>興味深かったので紹介しておきます。</p>
<p>要するにホッブズにおいては、自然状態においては自然権を放棄するというようなことはありえず、社会状態においてはじめて可能になるという話です。国家も社会もない自然状態においていかにして社会秩序がされるかという話だったのに、自然状態から社会状態への移行が突然設定され、そこから自然権の相互放棄とつながっているというわけです。</p>
<p>簡単に言えば循環論法的だというわけです。社会に秩序があるのは、社会に秩序があるからであるという話になります。なぜなら社会というものがある時点で規範というものがあるからです。この規範がさらに安定ないし維持されるためには社会契約が必要であり、国家が必要であるということは理解できます。しかし、そもそも社会はどうしてできたのか、という説明はないわけです。国家の形成に社会という前提があることは理解できますが、そもそも社会はどのようにして自然状態から形成されるのでしょうか。要するに「いかにして秩序は可能か」ではなく「いかにして秩序は安定するのか」という問題にすり替わっているということです。後で扱いますが、パーソンズも同じようにすり替わっています。金泰明さんによればこのような循環論法はホッブズ的な自然状態の前提では避けられないといいます。</p>
<blockquote>
<p>「社会契約において、自然権の放棄を行う際、だれが「第一の履行者になる」のか。この点について、ホッブズ自身はつぎのように述べている。「はじめに履行するものは、相手があとで履行するであろうという保証をなにももたない、&#8230;（中略（&#8230;したがってはじめに履行するものは、かれの生命と生存手段をまもる権利（かれはそれをけっして放棄しえない（に反して、自己をうらぎってその敵にひきわたすのである。しかしながら、ひとつの権力が想定されて、さもなければ自分たちの誠実を破棄しようとする人びとを拘束する、社会状態civilstateにおいては、その恐怖はもはや、もっともなものではない。そしてそういう理由で、その信約によってはじめて履行することになっている人は、そうするように義務づけられるのである（5（。」（中略は筆者（ホッブズは、自然状態では各人がすすんで自分の自然権を放棄するのはありえないとみている。人びとが互いの権利を放棄しあうのは自然状態（規範の無の状態（では叶わず、「ひとつの権力が想定されて」いる状態、したがって社会状態においてである。つまり、ホッブズの社会契約説は、出発地としての「ひとつの権力が想定」された社会状態から「いかにして社会秩序は修正可能か」という問いである。そもそものホッブズにおいても「ホッブズ問題」は捻じれてしまっている」</p>
<p>金泰明「ホッブズ問題における「二重性」の原理的考察　パーソンズからルソー、ヒュームへ、54P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc14">功利主義とホッブズの自然状態の近似性</span></h2>
<h3><span id="toc15">功利主義の意味</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>功利主義</strong>：</big>・パーソンズによれば功利主義には4つの特徴がある。１：原子論的個人主義、２：目的に対する手段の合理性、３：経験主義、４：目的のランダムネス。</p>
</div>
<h3><span id="toc16">原子論的個人主義</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>原子論的個人主義</strong>：</big>・原子論とはそれ以上に分割できない単位を考える思想のことです。功利主義でいえばそれ以上に分割できない単位は「個人」だということになります。ウェーバーの方法論的個人主義も社会学の最小単位を「個人(個人の行為)」だとしています。社会現象は諸個人の個人的属性だけから説明できるとするものです。</p>
</div>
<p>パーソンズは諸個人の個人的属性だけからではなく、個人が集まったときの創発的特性を重視しています。</p>
<blockquote>
<p>「バラバラの個々の行動主体が相互にぶつかったり、離れたり、すれ違ったりしているだけの状態はおよそ秩序を生み出さない」</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_2811b052.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1935" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_2811b052.png" alt="" width="573" height="476" /></a>福井康太「『秩序』としての紛争：再考」、920P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc17">目的に対する手段の合理性</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>目的に対する手段の合理性</strong>：</big>・手段が目的に対して整合性をもつということ。つまり、ある目的に対して常に合理的な手段を選ぶという前提が功利主義にはある。</p>
</div>
<p>パーソンズによれば、功利主義には行為者が「合理的な科学的知識をある程度もっているという想定」があるそうです。人間がみんな目的合理的に行為するという前提にたつわけですから、目的合理的に行為できる知識があるという前提があるのかもしれません。たとえば１２０円のオニギリと１１０円のオニギリが並べられ、同じ品質で同じ味だとします。目的を利益であると仮定すれば、行為者は全員１１０円のオニギリの方を買うことになります。あえて１２０円を買うといったような行為はないものと想定されるわけです。現実には今日は気分で高いオニギリを買ってみよう、というような非合理的な行動をする人間もいるかもしれません。しかしそうした非合理的な行動は科学的に説明しにくいので除外するというわけです(科学的に検証可能な合理性のみ扱う)。</p>
<p>たとえば囚人のジレンマでは、皆合理的に選択していますよね。頭が悪い囚人というものは想定されていないわけです。皆合理的に考えることが出来る結果、ジレンマというものが発生するわけです。</p>
<p>ウェーバーは理念型において、目的合理的に行為する人間というものを想定しています。また、そうした理念型は現実にはほとんど存在しないとしています(そうした意味で観念主義的)。ウェーバーはそうした合理的から出発して、現実の非合理的を分析するという方法論的な合理主義を選択しました。現実には目的合理的行為の他にも価値合理的行為、伝統的行為、感情的行為などさまざまな行為があります。功利主義は行為を目的合理的行為に限定しています。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズによれば「[功利主義的］思想においては，「能率の合理的規範」と呼ばれる一つの特殊なタイプが圧倒的に強調されていた」（Parsons,1937＝1976:９５)。すなわち，功利主義においては，この特殊なタイプの規範に注意が集中されているのである（Parsons,1937＝1976:９５)。これこそパーソンズが功利主義的行為理論の規範の地位に対して批判をなす点である。ここで功利主義が出発点としているのは，「行為者が自らの行為状況について合理的な科学的知識をある程度もっているという想定である」(Parsons,1937＝1976:lOl)。こうした見地に立てば,行為者は科学的な探求者であるかのように行為することになり，目的一手段図式は科学的に検証可能な合理性によってのみ結び付けられることになる。パーソンズは，この意味での狭い合理的規範によっては，社会的行為を十分に捉えきれないと考える。」</p>
<p>村井重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」 45P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc18">経験主義</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>経験主義</strong>：</big>科学的な命題を根拠にしているということ。個々の目的からみて最も合理的な行為は、科学的な知識に基づいて一義的に確定できるということ。</p>
</div>
<h3><span id="toc19">目的のランダムネス</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><strong>目的のランダムネス</strong>：</big>・どんな目的を掲げるかはランダムであるということ。個人の目的の持ち方は自由であるということ。</p>
</div>
<p>ここはすごくややこしいというか、正直今でもわかっている自信がありません。</p>
<p>まず「情念」と「目的」の違いがよくわからない。ホッブズによれば情念とは生命の保存、死への恐怖、不安、好奇心といったような「意志の働き」を意味します。別の言葉で言えば人間の「本性」であり、簡単に言えば「感情」です。とりあえず人間はそういう情念というものをもっているというわけです。</p>
<p>そしてこの情念に従って、目的というものが追求されます。というように功利主義では考えます。別の言い方をすれば、各々の欲望にしたがって目的が追求されるわけです。たとえば「いっぱい食べたい」という欲望があるなら、「他人の財の獲得」という目的が選ばれ、その手段として「殺人」が選ばれるかもしれません。目的＝情念とするとややこしくなるので、情念ー目的ー手段というふうにわけて考えます。</p>
<p>さて功利主義では「目的のランダムネス」というものを前提とします。功利主義では人間は功利、つまり利益、あるいは自分にとって快をもたらすものを第一とするという前提があります。したがって、目的は各々が快と考えるものを基準にするわけです。たとえば私は痛みを苦しみと捉えますが、人によってはSMクラブでみられるように痛みを快と考える人もいるでしょう。支配されることに快を覚えるひとも、支配することに快を覚える人もいます。究極的にいえば人間は生命の保存という情念で動いているのですが、目的設定段階において人は様々なものを設定しうるというわけです。</p>
<p>その意味で人間は主意的、つまり自由な意志があるということになります。ウェーバーは人間の頭の中、つまり主観は観察者には究極的にはわからないものとみなしました。当事者さえ、自分がどんな目的をもっているか、どういうものに突き動かされて行為しているか自覚できていない場合もあるのです。だからこそ「理念型」という分析モデルの多くは「目的合理的行為」が基準となります。こういうケースなら”普通は”こういう目的をもっていると想定できるよね、というような前提を持ち込みます。たとえばビジネスマンは”普通は”利益を第一にしているよね、というような前提で考えるわけです。</p>
<p>囚人のジレンマのケースも同様です。普通は懲役が長いと嫌だよね、だから懲役を短くするという目的を所与のものとして設定するわけです。本来は懲役が長いほうがいいと思っている人もいるかもしれません、つまりランダムなはずですが、分析のためには全員懲役が長いと嫌だというものを前提とするわけです。</p>
<p>ランダム性とはパーソンズによれば「理解不能あるいは知的な分析が不可能だということを指し示すための総称的用語」だそうです</p>
<blockquote>
<p>「ここでパーソンズは「事実的秩序」を、「確率の統計的法則に従う現象の厳密な意味におけるランダム性あるいは偶然性」の反対に位置づける。「偶然性あるいはランダム性とは、理解不能あるいは知的な分析が不可能だということを指し示すための総称的用語である」と考えるパーソンズにとって「事実的秩序」は、「本質的に論理的理論、特に科学というものによって理解可能」な秩序を指している。これに対して「規範的秩序は、それが目的であれ規則であれあるいは他の規範であれ、常に規範あるいは規範理論と秩序問題規範的要素の一定の体系と相関的なものである」（Parsons1937:91＝1976:152）という。「事実的秩序」と「規範的秩序」をこのように定義したパーソンズは、「万人の万人に対する闘争」に陥らずホッブズの望むように「事実的秩序」が長期にわたって安定化するには、「規範的秩序」が一定程度遵守されていなければならないと下記のように主張する」</p>
<p>田上大輔,佐々木啓「規範理論と秩序問題:社会学における規範的問いと経験的問いに関する一考察」,80－81P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc20">功利主義のジレンマ</span></h4>
<p>もし仮に、人間は遺伝子による説明や、環境による適応などによって、あるケースにおいてはある目的をもつと科学的に立証できたとします。そうしてしまうと「人間には自由な意志がある」という前提が薄れてしまうのです。パーソンズは人間の主観的なもの、つまり自由な意思を重視したので功利主義の「目的のランダム性」やその反対の「目的の合理性」を批判したというわけです。</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>功利主義のジレンマ</strong></span>：</big>・目的のランダム性を仮定しても、目的の合理性を仮定しても、好ましくない結果が生じること</p>
</div>
<p>１：「目的のランダム性」を仮定する。人間が自由に目的を設定し、その手段は合理的に選択するので暴力や詐欺が横行し、万人の万人に対する戦いが生じる</p>
<p>２：「目的のランダム性」を否定し、遺伝や環境によって目的は分析可能であり、合理的に説明できると仮定する。人間の自由な意思、主観的な観点が失われてしまう。</p>
<blockquote>
<p>「そして，功利主義的行為理論がこの前提に立った場合，深刻な帰結に導かれるという。いわゆる「功利主義のディレンマ」である。パーソンズは以下のようにいう。｢このように，目的の地位について．実証主義思想は『功利主義的ディレンマ」に陥ることになる。つまり二つのうちのいずれかに落ち着かざるをえない。目的の選択における行為者の能動的作用因を行為の独立要因として目的要素をランダムなものにするか，あるいは目的のランダム性という客観的含意を否認し，目的の独立性を消去し，目的を状況の諸条件と融合して目的を非主観的範晴一主として生物学的理論の分析的意味における遺伝や環境といった範鴫一によって分析可能な要素とするかのいずれかである」（Parsons,1937＝1976:105-6）一方で，目的選択のランダム性を仮定した場合,行為者が合理性を唯一の規範として手段を選択すれば，ホッブスのいうような「万人の万人による闘争」が帰結される。他方で目的そのものを合理的に選択すれば．科学的知識に基づく選択となり，主観的観点が失われる。つまり，行動主義や環境への適応と大差がなくなるのである。パーソンズは，こうして功利主義が内包する問題点を検討，批判していく中から，自らの主意主義的行為理論へと展開していくのである。」</p>
<p>村井重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」45~46P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc21">功利主義とホッブズの近似性</span></h3>
<p>パーソンズはホッブズを功利主義の純粋系と見なしていたので、その関連を復習していく。</p>
<h4><span id="toc22">１：原子論</span></h4>
<p>ホッブズは社会も国家もない、孤立した人間を想定したことから、原子論的個人主義を想定していたといえる。</p>
<blockquote>
<p><span dir="ltr" role="presentation">「</span><span dir="ltr" role="presentation">ホップズにとって閤家は「自然の所与」ではなく，1政治秩序は，人間の技術によって作り出されるべきものjである。この秩序の形成過程は「因果的な必然的メカニズム」として構成されるが，それが「科学としての新しい政治学」である。そこで絶対的主権者の権力に服従するのは個々人の「自己保存の自然的衝動」であり，「自律的な市民主体」としてではない[佐藤1996:56-7J。結局，ホッブズのf新しい政治哲学」では「原子論的に解体された抽象的個人」は「結対的な因果的必然性」のもとに「技術的に適用可能な」ものとされ，「自己決定の自由」が与えられた理性的存在であるが，その理性は「支配のための技術的，道具的理性に還元され」ている[佐藤1996:56-7」。</span></p>
<p>菊池理夫「共通善の政治学」と社会契約論(3)一一共通善の政治学とホップズの社会契約論」 258P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc23">２：合理性</span></h4>
<p>ホッブズの前提によれば、人間は自分の生命の保存のために理性を使って最適の手段を考えることが出来るという。この「理性による最適の手段」というのは、功利主義における「科学的知識による合理的な手段」に近似する。</p>
<blockquote>
<p>「ホッブズは,自然状態においては,各人が,「自らの自然本性すなわち生命の保全の為に,自らの力を自らが意志するままに用い,従って,自らの判断と推理によって自らの生命の保存の為に最適の手段であると考える,あらゆることを為す自由」を有するとし,この自由を「自然権」と呼んでいる」</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc24">３：経験主義</span></h4>
<p>ホッブズは「神」などの非経験的なものをもちださない。自然界の現象をすべて物理的、必然的な因果法則で把握しようとしていることから、経験主義的といえる。</p>
<blockquote>
<p>「機械論的な自然観は、神与の秩序としての自然観には、そのなかに鋳込まれた可能性や目的、すなわち目的因があって、それが全被造物の発展を支配しているというアリストテレス──トマス的な目的論的自然観を否定して、自然界の現象をすべて物理的、必然的な因果法則で把握することが可能である、という自然観である。そのばあい、ホッブズは哲学を定義して、つぎのように述べている。『哲学とは、われわれがまずもっているその原因ないし生成についての知識から、正しい推論によって得られる、結果または現象についての知識であり、さらにまた、まずその結果を知っていることから得られる原因ないまたは生成についての知識である。(『物体論』」)』」</p>
<p>「政治思想史」、有斐閣、149－150P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc25">４：目的のランダム性</span></h4>
<p>ホッブズは人間を自由だと考えました。自由とは、「外的障害」のないことであり、したがって社会や国家などによって自分の行為を規制されないことです。</p>
<p>もし社会や国家があれば、自分の行動は完全に自由ではなく、ある程度規制されます。たとえば現代では、A君のレアなポケモンカードがほしいと思っても、それを奪う自由は制限されます。しかし自然状態においては、A君の食料をほしいと思えば奪うことのできる権利が人間にはあるとホッブズは仮定しています。もちろんA君から反発され、行動は制限されるかもしれませんが、それは法や道徳からの制限ではありません。つまり一定の条件による制約にすぎないということです。</p>
<p>したがって、ホッブズにおいて人間は自由であり、自らの情念のために自由に目的を設定することになります。「他人の財物を奪う」という目的を設定することもあれば、「鹿を狩る」という目的を設定するかもしれません。他人の物を盗んで生命を保存するか、自分で探すかは自由というわけです。しかし一端他人の物を盗むという目的が設定されれば、その手段としては最も適した行動が選ばれます。たとえば「暴力や詐欺」という手段がホッブズによれば選ばれるというわけです。</p>
<blockquote>
<p><span id="page40R_mcid6" class="markedContent"><span dir="ltr" role="presentation">「ホッブズは,自然状態においては,各人が,「自らの自然本性すなわち生命の保全の為に,自らの力を自らが意志するままに用い,従って,自らの判断と推理によって自らの生命の保存の為に最適の手段であると考える,あらゆることを為す自由」を有するとし,この自由を「自然権」と呼んでいる。自然権は「各人の万事に対する権利」である自由とは外的障害がないことである(6)が,自然状態では,人々が各人の善の追求を互いに妨害し合うことが実際に生じる筈である。従って,外的障害がないとは,他人からの妨害がないことではなく,何らの法的あるいは道徳的な制止も受けないということである。それゆえ,「自然の権利」とは,何を為しても,法的あるいは道徳的な制止や非難や処罰を受けないという事態に他ならない.」</span></span></p>
<p>木曾好能「ホッブズの道徳哲学―読書ノート―」、75P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc26">功利主義的なホッブズ的秩序問題の解決：合意による協力解</span></h3>
<p>功利主義的の主な特徴は権力による「強制解」というよりも、合意による「協力解」にあります。この協力解の要素はホッブズというよりジョン・ロック的だといえますが、詳細は扱わず概略のみ扱っていきます。</p>
<p>秩序問題は国家などの強制力を伴う「権力」によって安定しますが、それだけでは安定しないと考えます。たとえば教師と生徒の関係が、「問題を起こしたら退学にする」という強制力だけで秩序が成り立っているわけではなさそうですよね。生徒側にとっても教室に秩序があることがなんらかの「利益」になるわけです。たとえば勉強に集中できるといった利益があります。</p>
<p>つまり、教師と生徒の間には「<strong>合意</strong>」があり、それは「<strong>利害の一致</strong>」によるものだというわけです。国家側からの一方的な権力による支配だけでなく、国民側からの自発的な秩序への貢献が秩序の安定へとつながるということです。</p>
<p>ジョン・ロックによれば神が人間を「利害の関心の自然な一致」へ向かうように創っているそうです。こうしたジョン・ロックの秩序問題の解決方法を、形而上学的として批判したそうです。</p>
<p>進藤さんによればホッブズも同様に、権力による秩序形成だけではなく、服従者の自発的な「同意」によって秩序が形成され、その根拠は「自己利益」だといいます。要するに利害が一致しているから国家に従うということになります。たとえば奴隷のように扱われた場合、革命が起きて無秩序になってしまいますが、きちんと人間として扱われ、国家の保護による利益が合った場合、自発的に人間は従うようになり、秩序も安定するという理解ができます。</p>
<p>パーソンズは利己性や合理性だけでは、結局、利害の一致には至らないと考えているようです。つまりジョン・ロックのような神が利害の一致に向かわせてくれるといったような形而上学的な前提を持ち出さないと難しいという話です。ということは利害の一致以外にもなにか秩序を形成する要素があるのではないか、とパーソンズは考えていきます。</p>
<blockquote>
<p>「なぜなら専制政府も排他的に「外的ー(物理的)手段で規制を達成することはできず、何らかの形で「内的」な規則の遵守を必要とするからであり、服従者の側での規則の遵守という行為には、服従者という個人の自律性・独立性を想定する限り、遵守の「根拠」の問題が提起されるからである。ホッブズの提示案からすれば、この根拠は「自己利益」の計算に求められる。つまり「強制」の「根拠」には「合意(consensus)」が措定されていることになる。個人主義的アプローチから「自由と拘束」の二律排反を解決する道は、「拘束の合意による自発的服従」以外には考えられない。この視点からパーソンズの処方をみた場合、この処方は未だ処方の名に値していない。「共有」とは一つの論理的要請であって、「自由と拘束」の問題の核心は「いかにして(how)「なぜ(why)」この「共有」が可能なのかにあるからである。パーソンズは「いかにして」に対しては「社会化」という解答を与えているが、「なぜ」の問題には答えてはいない。」</p>
<p>進藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程　パーソンズの初期論文を中心に」 159-160P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc27">パーソンズによる功利主義への批判</span></h2>
<p>パーソンズの功利主義への批判は主に「合理性」と「目的のランダム性」に向けられている。いちばん重要なのは「目的のランダム性」への批判である。</p>
<h3><span id="toc28">「合理性」への批判</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>合理性への批判</strong></span>：</big>・功利主義は目的に対する手段の合理性のみを想定しており、それ以外の非合理的なものを無視している。</p>
</div>
<p>人間は目的合理的行為のみをするわけではない。その例としてパレートを紹介している。具体的には「価値」や「道徳」といったものが合理性という規範以外にも用いられるとパーソンズは考えている。</p>
<p>ウェーバーでいうと功利主義は「目的合理的行為」のみが想定されていて、他の「価値合理的行為」や「伝統的行為」、「感情的行為」が分析の対象外として軽視されている。</p>
<h4><span id="toc29">ヴィルフレド・パレートによる非論理的行為</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Vilfredo_Pareto.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1925" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Vilfredo_Pareto.jpg" alt="" width="221" height="309" /></a>ヴィルフレド・パレート(1848-1923)はイタリアの経済学者。「誰かの満足を向上させるためには、すくなくとも一人の別の人の満足を低下させなければいけない」というパレート最適状態を考案した人物として知られている。</p>
<p>パレートによれば人間の行為は論理的な行為と非論理的行為(残基)にわけられる。前者は合理的な行為であり、後者は非合理的行為として分類することが出来る。</p>
<p>たとえば古代ギリシアの水夫は海の神ポセイドンに毎年犠牲を捧げているが、このような行為は非論理的行為とされている。なぜなら、この犠牲によって航海の安全が保たれているという科学的な根拠がなにもないからである。しかしそういう非論理的なものに人間はとらわれるということにパレートは着目し、パーソンズはこの姿勢を評価している。</p>
<blockquote>
<p>「非論理的行為とは具体的にどういうことかというと、パレートは、例として、古代ギリシアの水夫たちが、海の神ポセイドンに毎年、犠牲を捧げた行為を挙げている。それで航行の安全を守るわけですが、それは経験的な実証に基づくものではない。本人の自己満足にすぎないわけで、非論理的です。でも、そういうものに人間は支配される。人間には感情があり、その感情に従えば、科学的に見れば非論理的な行為もあることを、パレートは重視した。つまり、人間の行為の、功利主義とは関係のない部分についてのセンスがあるということが、パーソンズがパレートをマーシャルの後に置いた理由です。」</p>
<p>大澤真幸「社会学史」390P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc30">「目的のランダム性」への批判</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>目的のランダム性への批判</strong></span>：</big>・人間の目的は完全にランダムではない。目的は完全に自由に選ばれるのではなく、規範や価値によってある程度制御されている。</p>
</div>
<p>パーソンズによれば人間の目的は完全にランダムというわけではなく、「究極価値(道徳、規範)」によって方向づけられているという。</p>
<p>パーソンズはランダム性への批判として、事実的秩序がみられることや、規範的秩序によって目的が制御されていることを挙げている。</p>
<h4><span id="toc31">事実的秩序と規範的秩序</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>事実的秩序(factual order)</strong></span>：</big>・ランダム性やチャンスと対立するもの、科学的な分析を受け入れることが出来るもの。経験科学によって理解可能な程度の行為の規則性、安定性。</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>規範的秩序(normative order)</strong></span>：</big>・規範的体系に定められた道筋にしたがって物事が生起すること。行為過程がなんらかの規範によって一定程度制御されていること。</p>
</div>
<p>主に功利主義な前提である「目的のランダム性」への批判であり、目的はある程度科学的な分析の対象となるとされている。</p>
<p>パーソンズによる「事実的秩序」とはそのようなランダムなものではなく、一定の規則がある秩序のことである。たとえばある人間が朝決まった時間に起き、決まった時間に寝るとする。この人間はまったくランダムに寝起きするわけではなく、一定の規則にしたがって寝起きしていることが観察できる。こうした規則は科学的に理解できる(たとえば数字などによって)事実であるといえる。</p>
<p>しかしそうした事実が「安定」するのはなぜか、という問題も生じる。それは「規範」によるものだとパーソンズはいう。たとえば決まった時間に寝起きすると仕事の効率が上がるよね、といったような規範が人間の中に内面化されていると、より決まった時間に寝起きするようになるかもしれない。</p>
<blockquote>
<p>「パーソンズが『社会的行為の構造』の中で、社会秩序を事実的秩序(factual order)と規範的秩序(normative order)に区分したことはよく知られている。もっとも、その概念化はごくあっさりとしたもので、事実的秩序は、「ランダムネスやチャンスと対立するもの」であって、「科学的な分析を受け入れることができる(susceptible)もの」、規範的秩序は「規範的体系に定められた道筋にしたがって物事が生起すること」とされている(Parsons1937:91)。しかし、この区分によって彼が強調したかったのは次のことだ。すなわち、社会学の探究対象である社会秩序は、まずもって科学的分析の対象となりうる事実的秩序でなければならない。そして、「社会秩序は科学的分析を受け入れられうるかぎりにおいて常に事実的秩序なのだが、&#8230;それは何らかの規範的要素の働きなしには安定的であることはできない」(Parsons1937:92)。つまり、社会秩序はそこに何らかの規範的要素の働きがあるからこそ、科学の対象となりうるのであって、規範的要素が働いていなければ安定的な事実的秩序であることができない。規範的要素こそは、社会秩序を「秩序」たらしめる不可欠の条件なのだ、ということである。」</p>
<p>盛山和夫「経験主義から規範科学へ－ 数理社会学はなんの役に立つか －」、200P</p>
<p>「社会現象はまったくランダムに、でたらめに起こることはない。そこには何らかの程度パターン化されたまとまりが観察される。何でも起こりうるように思われるし、衝撃的な犯罪や事件も起こることもあるが、通常は、教室では淡々と授業がなされ職場でも整然と業務がこなされていく。ルーティン化された家族の日常や職場での日常がある。&#8230;このような大なり小なりパターン化されたあり方が安定的に存在するとき、構造が観察されるという。言い換えれば、一定の＜秩序＞が存在するということになる。しかもこの構造は何らかの変動を前提としたものであり、秩序も変動の可能性を内包したものである。ではなぜ秩序が存在するのだろうか。人々の行為を、一定の範囲内に抑制している社会的メカニズムは何だろうか。それが秩序問題である。」</p>
<p>「社会学」、有斐閣、79P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc32">エミール・デュルケームによる道徳的連帯：聖なるもの</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Emile_Durkheim.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1926" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Emile_Durkheim.jpg" alt="" width="229" height="324" /></a>エミール・デュルケーム(1858-1917年)はフランスの社会学者。社会学を「道徳科学」と位置づけ、諸個人の統合を促す要因としての道徳(役割)を解明することにあると考えた。</p>
<p>デュルケームは合理的・功利的な行為だけではなく、「価値(道徳)」に着目しました。デュルケムによれば「祝祭」において人々は集まって祭儀を行い、「集合的沸騰」と呼ばれる人的・物理的な集中、心的な融合状態がなされるそうだ。これによって成員は連帯し、協同体が形成され、したがって秩序が形成される。野中さんによればデュルケームは集合的沸騰のメカニズムについて詳しく語っていないらしい。</p>
<p>どうやら祝祭は聖なる力をもち、人々を連帯させる「機能」をもっている。つまり道徳(宗教的な価値)は秩序を生み出す機能をもっている。そして祝祭自体は各々からみれば「非合理的な行為」である。たとえばパレートが水夫のポセイドンへの生贄を経験的には立証されない非合理的行為としていたが、人々が集まり、生贄を聖なるものと見なし、「集合的沸騰」が生じたとき、その非合理的な行為は連帯へとつながり、「社会秩序」を形成することになる。</p>
<p>道徳が大事だというのは功利主義とは違う観点である。功利主義ではそのような前提はない。単純にランダムな目的に合理的に行動する個人のみが前提とされている。道徳が共有され、そうした道徳に制限を受けながら合理的・あるいは非合理的に行為する個人というものは想定されていないのである。利己的で個人主義な功利主義の前提とは対称的に、利他的で集合主義的な側面がある。</p>
<p>パーソンズはデュルケムから「道徳的な結合の重要さ」を学んだ。</p>
<blockquote>
<p>「タルコット・パーソンズによれば、デュルケームの宗教理論の基本的意義は、「経験的で観察可能な実体である『社会』が人聞の非経験的なものの観念およびそれに対する能動的態度の観点からのみ理解可能である」ことをあきらかにしている点にある。パーソンズがいうには、デュルケームにおいては宗教が社会現象であるのではなく、「社会が宗教現象である」のだ。」</p>
<p>野中亮「『宗教生活の原初形態』における『俗』の位置」,21P</p>
<p>「まず、宗教を明確に定義している。その部分を引用します。宗教とは、『神聖として分離され禁止された事物と関連する信念と行事との全体的なシステムであり、教会と呼ばれる同一の道徳的共同体に、これに帰依するすべての人を結合させる。』この定義によると、宗教を構成しているのは二つの要素です。第一に、聖なるもの。これに信念と行事が関係する。第二に、連帯。キリスト教に即して言えば、それは教会です。デュルケームは、これら二つを独立のものとは見なしておらず、むしろ表裏一体関係にあると考えています。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』、244P</p>
<p>「デュルケームの宗教理論の特色として、まず「聖なるもの」を中核とした宗教の定義があげられる。従来の「神」や「超自然」などによる定義を退け、「聖」と「俗」の分離とそれにともなう諸儀礼の総体をもって宗教の定義としたのである。つまり宗教とは、「聖なるもの、すなわち分離され禁止された事物に関連する信念と実践との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に帰依するすべての者を結合させる信念と実践」なのである。」</p>
<p>野中亮「『宗教生活の原初形態』における『俗』の位置」,20P</p>
<p>「彼は宗教の本質を、世界を聖と俗の２つの領域に二分する思考に求める。この２つの領域は共通する点をもたない。絶対的に異質な二領域であり、禁止(タブー)によって厳しく隔てられている。宗教のもうひとつの特徴は、それが教会というかたちにおける集合現象であるということである。この集合的な宗教意識に表されるのは、非人格的な神聖な力である。それは特定の個人に帰属させることはできない力である。この力の源泉は何か。デュルケムはそれを集合生活の生み出す道徳的な力、すなわち社会の力に求める。社会は諸個人を超越する力であり、個人を拘束する道徳的な力として、崇拝の対象となるのである。聖なるものの本質は社会にあり、宗教とは社会現象にほかならない。」</p>
<p>「クロニクル社会学」33-34P</p>
<p>「功利主義は個人主義的でかつ利己的な人間感です。しかし、デュルケームは社会的な連帯のような、人間の行為の前提となる道徳的な結合の重要性に気づいていた。デュルケームの見方は、功利主義に対するアンチテーゼになっているわけです。」</p>
<p>大澤真幸『社会学史』、390P</p>
<p>「すでに、現世的な次元を超えた(超越的な)究極的価値(たとえば、宗教的信仰)を人間行為の基底に見据えていたパーソンズにとって、その源泉を＜社会＞そのものにみるデュルケームの社会理論はまさに＜鬼に金棒＞であった。さらに、デュルケームは、社会秩序が制度化された共通の価値から生まれること、市場の統制(秩序)は私的利益の合理的追求からではなく、共有された価値体系によって人間の相互作用を制御する道徳的秩序の産物であることを明らかにしていた。合理的に結ばれているはずの近代的契約の背後に、契約そのものを可能にする＜非契約的要素＞(たとえば、取引相手に対する信頼や信用)が存在することを発見したのはデュルケームであった。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」、中野秀一郎、45P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc33">パーソンズによる秩序問題の解決(概略)</span></h2>
<h3><span id="toc34">結論</span></h3>
<p>今回は「主意主義的行為理論」や「単位行為」、「構造ー機能主義」には触れずに概略のみを扱う。</p>
<p>まず結論から言えば、パーソンズによる秩序問題の解決は3つの要素に要約される。</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">行為者が従う規範には、単に効率性のような合理的なものではなく、価値あるいは道徳とでも呼べるようなものが含まれる。</li>
<li class="sample">行為者は常に社会によって課される究極価値によって方向づけられている。</li>
<li class="sample">行為者は究極価値を内面化することで、積極的に価値に参与するようになる</li>
</ol>
<blockquote>
<p>「秩序問題にたいしてパーソンズが与えた解決の要点を示せば次のようにまとめられよう。(一)行為者が従う規範には単に効率性のような合理的なものだけでなく、価値あるいは道徳とでも呼べるようなものも含まれる。(二)行為者は常に社会によって課される究極価値によって方向づけられている。(三)行為者はこの価値を内面化することで積極的に価値コミットメントを行うようになる。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、99P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc35">批判</span></h3>
<p>１：第一に、パーソンズに対する批判は「循環論法」であるという点である。ホッブズが「国家や社会がない状態で社会秩序はいかにして可能か」という問いを立てたのに対して、パーソンズは「社会が人々に規範による方向づけを促すから」と解答している。つまり社会というものが前提され、この社会が人々に秩序を生み出すというわけだ。社会というものがすでに存在している時点で社会秩序というものがあるのではないか、という話になってしまう。</p>
<p>２：第二に、価値によってつき動かされている個人の存在は「判断力の麻痺した人間(ガーフィンケルによる言葉)」だという批判であり、人間の創造的・能動的側面が失われているというものである。</p>
<p>・ホッブズも同様に、自然状態においては誰も自然権を放棄しようとせず、社会状態というものを想定した場合に社会契約は可能となり、国家が形成され、社会秩序が成り立つと結論づけている。つまりホッブズにおいても循環論法的である。</p>
<p>・無から有を想定するのはむずかしく、有からどうやって安定した有をもたらすのかという意味ではパーソンズの分析は意義があるという意見もある。つまり、「社会秩序はどうやって安定するか」という問いにすり替わっているが、それはそれで重要な問いだということだ。</p>
<h3><span id="toc36">合理性以外の行為があることの説明：マックス・ウェーバーの「正当性」</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>正当性</strong></span>：</big>・「行為を統制し、行為がそれに対して方向づけられている規範体系の属性」。行為者が秩序に正当性を与えるときの動機は非利害的、無私的なものとされている。</p>
</div>
<p>正直な話、「行為者が秩序に正当性を与えるときの動機は非利害的、無私的なものとされている」というのはどういう意味か理解していない。</p>
<p>たとえば異常に戦闘力が高いといったようなカリスマ性をもつ部族長が盗みを行った部族の1人を殺すとき、それは正当なものとみなされるだろうか。カリスマ性がある彼が行うことなのだから、正しいのだろうというような推定が人々の間で行われるのだろうか。あるいは「族長」というものは正しいと伝統的に考えられており、それゆえに殺人も正当性があるという推定が行われるのだろうか。このような推定は必ずしも「利害関係、利己的」のみによって行われているものではなく、「非利害関係、非利己的」に行われているというのはなんとなく理解できる。</p>
<p>ウェーバーによれば社会的行為は目的合理的、価値合理的行為、伝統的行為、感情的行為の４つにわけられる。伝統的行為は功利主義のような目的合理的とは違う行為である。そして伝統的支配は、必ずしも合理的なものとはいえない。昔から単にそうだからといった理由で族長の支配を正当化するように従属して行動するようなものが「合理的行為」とは必ずしも言えないというわけだ。</p>
<p>つまり、合理性という観点だけでは考えることができない、非合理的、非利害的、無私的な要素が「伝統的」なものや「カリスマ的」なものがあるというわけである。たとえば私の前にイエス・キリストが現れるとする。私はキリスト教徒ではないが、もし目の前に実際に現れたとしたら信じざるをえないだろう。そしてイエス・キリストが「人に優しくしなさい」と言ったなら、それに従ってしまうかもしれない。優しくすることが自分に利益があるとか、合理的だとかは関係なく、イエス・キリストのカリスマ性に影響を受け、非利害的に行為してしまう。そしてその非利害的な行為はイエス・キリストの正当性を高める。</p>
<p>もちろんカリスマ性は時間が経過すると伝統的になる。イエス・キリストは見たことがないが、どうやら昔からカリスマ性があると言われているから、そうなのだろう、というように日常化する。イエス・キリストの教えに従うことが合理的かどうかは置いておいて、どうやら昔からイエス・キリストのいうことは正しいとされているから従おうということになる。やがてキリスト的な教えの一部が法律へと変わり、法律に書いてあるからそれに従うことが正しいのだろうと正当性が変わっていく。</p>
<p>純粋に利害関係だけで考えれば規範は安定しないが、カリスマや伝統、合法的なもの、つまり<strong>「正当性」は社会をより安定させる</strong>とパーソンズは考えたのである。確かに人々が利害関係だけで生きていたら生存競争になり、「万人の万人に対する戦い」が生じる。しかし人々の間には利害関係という規範だけではなく、非利害関係的な「カリスマ性」や「道徳」といったものがどうやらある。こうした規範をパーソンズは「究極的価値」と呼び、この「究極的価値」が人々に共有されることによって秩序が成立すると考えた。</p>
<blockquote>
<p>「それでは正当性とは何であろうか。パーソンズによれば、それは行為を統制し、行為がそれにたいして方向づけられている規範体系の属性のことである。行為者が秩序に正当性を与えるときの動機というのは「非利害的＝無私的」なものであった。そうであるなら、人々がある秩序を正当なものであるとみなして行為するかぎり、そこに見られる行為者の態度というのは道徳的なものにほかならない。パーソンズはここにウェーバーとデュルケムのパラレリズムを見いだす。すなわち、ウェーバーもデュルケムもともに行為のふたつの規範的要素である「利害的なもの」と「非利害的＝無私的なもの」を区別して考えており、前者の規範だけでは社会状態がきわめて不安定であり、後者の規範こそ(ウェーバーなら正当性、デュルケムなら道徳的権威)が社会をより安定させるものである、と考えていたのである。」</p>
<p>「秩序問題にたいしてパーソンズが与えた解決の要点を示せば次のようにまとめられよう。(一)行為者が従う規範には単に効率性のような合理的なものだけでなく、価値あるいは道徳とでも呼べるようなものも含まれる。(二)行為者は常に社会によって課される究極価値によって方向づけられている。(三)行為者はこの価値を内面化することで積極的に価値コミットメントを行うようになる。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、97P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc37">お墓を蹴ることはよくない？</span></h4>
<p>たとえばお墓を蹴ったところで科学的に言えばバチはあたらない。しかし私はお墓をけることができない(人目が全く無く、法的に罰せられないとしても)。お墓を蹴って10万円もらえるとしても蹴らないだろう。これは功利主義的な観点からすればきわめて非合理的行為である。しかしどういうわけか、私はお墓を蹴ることはよくないという動機を持っている。自分のことだけを考えれば蹴るのだが、どういうわけか蹴らない。こういった私の非合理的、非科学的、非論理的な動機というものがどういうわけか規範に正当性を与える。こうした非合理的な行為というものをどういうわけか、人間はする。功利主義はこの点を取り入れていないという。</p>
<p>それは社会にどういうわけか道徳というものがあるからである。「お墓を蹴ることはいけない」という道徳が人々の間に共有されている。どうやって共有されているか、どうやって道徳が生まれたかはよくわからないが、どういうわけか共有されている。パーソンズによれば共有は「社会化」によって生じるとされている。たとえば学校の授業では「道徳」という授業があり、たとえば大麻はよくないとか、暴力はよくないとか、そういうことを教わる。親や友人、先生によって注意されることによって人々はどういうわけか社会化され、価値を共有する、すなわち内面化していく。そうして社会秩序というものが形成されていく。</p>
<h4><span id="toc38">マックス・ウェーバーによる支配の三類型：支配の３つの正当性</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/330px-Max_Weber_1918.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1928" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/330px-Max_Weber_1918.jpg" alt="" width="330" height="452" /></a>マックス・ウェーバー(1864-1920)はドイツの社会学者である。支配の類型は３つに分けることができ、それは伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配であるとした。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/01/09/max-weber-3/">マックス・ウェーバーの『職業としての政治』から「支配の三類型」を学ぶ。</a></p>
<p>要するに、統治者が人々を支配するもっともな根拠、つまり正当性は昔からそうであるという伝統的なものか、統治者が神がかっているといったカリスマ的なものか、法律でそのように決まっているからといったような合法的なものかの３つにわけられるということである。</p>
<h3><span id="toc39">目的のランダム性の克服：カリスマ</span></h3>
<h4><span id="toc40">カリスマとはなにか</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>カリスマ</strong></span>：</big>・人物にやどった非日常的な能力・資質。ウェーバーによれば、日常性や利害に関係した経済性といった世俗的なものの対極に位置づけられる概念。ウェーバーによればカリスマは一時的な現象であり、日常化によって伝統的な支配や合法的支配へと変化していく。たとえば合法的支配の典型的な例である官僚制は合理性をその性質としている。</p>
</div>
<h3><span id="toc41">共通価値への志向、内面化、制度化</span></h3>
<h4><span id="toc42">整理</span></h4>
<p><b>究極的価値</b>：共通価値や道徳的規範、共通の心情とも呼ばれる。詳細に言えば、共通価値の具体的な表れが究極的な目的や道徳的規範である。究極的価値の具体例は、平和、自由、平等など、宗教的信仰など。</p>
<p>ややこしいので究極的価値＝共通価値＝道徳的規範と考えてもいいのではないかと思う。</p>
<p>１：究極的価値、たとえば平和という紛争を生み出さないような相互に調和的な価値が人々に共有され、内面化されていく。この結果社会に秩序が形成される<br />
２：個々人は究極的な価値の具体的な表れである「社会的規範(道徳的規範)」によって規制・制御されている。たとえば暴力や詐欺を手段とすることはそうした規範から制御を受ける。暴力はよくないことだよね、という規範が人々の行動・自由を縛る。<br />
３：ただ規範があり、それが人々を精神的に縛るだけでは秩序は安定しない。それが制度化(社会統制)することによってさらに安定する。たとえば暴力や詐欺を行うものには罰を与え、それを防いだものを褒め称えるなど。<br />
４：共通価値(究極的な価値・社会的規範・道徳的規範など)が人々に内面化され、制度化された状態をパーソンズは「共通価値統合」と呼んだ。このような共通価値統合がおこなれている状態では万人の万人に対する戦いは生じない。</p>
<h4><span id="toc43">共通価値とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>共通価値(common value)</strong></span>：</big>・あらゆる社会の行為者に共通する価値。究極的価値。ウェーバーでいえば「カリスマ」であり、デュルケムでいえば「聖なるもの」。人間は共通価値へ志向する生き物であるとパーソンズは考えた。この共通価値によって秩序問題が解決されるという解答を、「規範解」というらしい(Desmond P. Ellis)。</p>
</div>
<h4><span id="toc44">内面化とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>内面化(読み)</strong></span>：</big>・社会化(学習による獲得)を通じて、一定の「共通価値」への同調が、行為者の欲求の一部となること。</p>
</div>
<p>例：市民社会の諸個人には、商取引は公明正大でなければいけないという共通の価値が内面化されている。学校で教わったり、他人の行為を見たり、そういうことの積み重ねで学習され、内面化される。パーソンズによれば人間は価値へと志向するもの、つまり価値を内面化する生き物であるとされている。</p>
<blockquote>
<p>「少し用語を解説しておくと、まず内面化(internalization)」というのは、社会化(学習による獲得)を通じて、一定の文化的価値と規範への同調が、行為者の欲求の一部となることです。」</p>
<p>「社会学史」、大澤真幸、395P</p>
<p>「社会的相互作用の体系が安定化しうるのは共通の価値志向の内面化を通じてである。これをパーソナリティに関する用語に翻訳するなら、当該個人の役割による志向の型の一つびとつに対応して、超自我の組織という要素があることを意味する。あらゆる場合、超自我の要素の内面化は、適当な限界内で適当な機会に、私的利益に対する集合的利益の優先を承認しようとする動機づけを意味する」</p>
<p>タルコット・パーソンズ「行為の総合理論をめざして」、p.238</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc45">制度化とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>制度化</strong></span>：</big>・一定の価値と規範が社会システムの制度として正当性を付与され、それらからの逸脱が報酬と制裁によってコントロールされること。社会統制とも呼ばれる。</p>
</div>
<p>共通価値が内面化され、制度化されたものが「文化」である。文化は個人に内面化されつつ、社会システムの制度であもるので、個人と社会を媒介し、統合し、秩序付ける役割を持っている。例：「挨拶は善いものだ」という共通価値が学習によって内面化され、かつ日本文化といえば挨拶だというような「制度」になっているケース(挨拶をするものは常識人だと報酬を受け、挨拶をしないものは無礼だと制裁を受ける)。あるいは犯罪行為を法律で罰する等。</p>
<blockquote>
<p>「制度化(institutionalization)というのは、一定の文化的価値と規範が社会システムの制度として正当化を付与され、それからの逸脱がサンクション（報酬と制裁）によってコントロールされることを意味しています。」</p>
<p>「社会学史」、大澤真幸、395P</p>
<p>「社会システムにおける＜望ましいもの＞を定義している規範的概念、それが文化要素としての価値である。それが個々人の行為を制御するのは、社会化のメカニズムを通して人格システムの中に内面化し、行為の動機づけを形成するからであり、またこうした行為の集合状態としての社会構造を基礎づける。そのことを、価値・規範の制度化と呼ぶ。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」、中野秀一郎、94P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc46">共通価値統合とは、意味</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></div>
<div class="box26"><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>共通価値統合</strong></span>：</big>・共通価値が規範と制度化によって規制されている状態。</div>
<blockquote>
<p>「「秩序問題」に対する（1937 年当時の）パーソンズ自身の解答は、次のようなものだった。21コンフリクトを生み出さないような相互に調和的な価値を社会のメンバーたちは共有しており、そのことによって社会のまとまりが形成され、その社会は支障なく作動してゆく。また、個々の行為は社会的規範によって規制されており、とくに暴力と欺瞞を手段とすることは禁じられている。規範に違反する行為に対しては、社会統制が作用して、人々が規範を遵守するように促す。こうして一つの社会システムがまとまりを維持しつつ作動し、その内部は規範と社会統制によって規制されている（この状態をパーソンズは「共通価値統合」と呼んだ）ので、そこに、「万人の万人に対する闘争」が発生する可能性はない。」</p>
<p>溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」、20-21P</p>
<p>「ここでパーソンズは，功利主義の科学的な合理性による行為ではなく，価値や理念によってなされる行為を想定する。つまり，科学的に検証可能な合理的知識という観点から見た場合，非合理的と見える行為である。宗教的行為などがそれにあたるのであるが，パーソンズにとってはそうした価値こそ，行為を成り立たせるための重要な要素となるものであった。この価値は，個々人の総和を超えたところに生成する創発特性であると同時に，社会的に望ましいものとされる。また，行為者にもそうした価値を帯びて内面化されることによって，行為を導く要素となるのである。パーソンズは、功利主義批判を通して，以上のような「共通価値による統合」をもって，「ホッブス問題」を解決しようとしたのである。」</p>
<p>村井重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」、46P</p>
<p>「社会学は「共通価値による統合という属性によって理解することのできる社会的行為体系に関する分析的理論の展開をめざしている科学である」と定義することができよう」(Parsons,1937＝1989:)</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc47">目的のランダム性の克服</span></h4>
<p>パーソンズはウェーバーの「カリスマ性」という概念を通して「目的のランダム性」を克服したという。パーソンズにとって「カリスマ性」とは「究極的価値」であり、「共通の価値」である。</p>
<p>復習すると、目的のランダム性とは功利主義の特徴の一つであり、人々は人間以外からなんら規制されずに、自由に目的を設定するというものである。もちろん窃盗をしようとすれば窃盗をされる側から妨害を受けるといった不自由があるが、そうした意味での自由ではない。国家や法律、社会の道徳といったものからなんら規制されずに、各々の欲望、各々が考える善に従って自由に目的を設定するという意味での自由である。そうした意味で人々の欲望から設定される目的はランダムであり、科学的にはわからないということになる。だから功利主義では目的を所与のものとしたりする(たとえば囚人のジレンマでは囚人は懲役を短くするという目的が所与のものと設定されている)。</p>
<p>もし目的がランダムではなく、遺伝や環境によって決定されるとすれば、それは「決定論」的な考えになってしまう。そうすると、社会学的な意義、つまり人々の主意性(自由な意思)を見失う。</p>
<p>パーソンズは「共通価値へ志向する」という人間像、つまり「共通価値」によって人間の自由はある程度規制されると考えた。自由が規制されるということは、ランダム性が弱まるということである。これは「複雑性」が弱まると呼ばれることもある(ダブルコンティンジェンシー問題)。たとえば共通価値がなければ、青信号で渡る歩行者に車が突っ込んでくるかもしれない。赤信号なら車は止まる、というような共通価値(どちらかというと制度に近いが)があるからこそ、人々は秩序をもって生活することができ、交通事故を防ぐことが出来る。</p>
<p>問題はどのようにして共通価値が内面化されるかである。共通価値というものがどうやらあり、人々がそうした共通価値へと志向するというのはなんとなくわかる。たしかにお墓を蹴ってはいけない、人を殺してはいけない、人のものを盗んではいけないといった価値を私は心のどこかで目指しているのかもしれない。具体的には法律があるからという制度によってそうせざるをえないように規定されたりもしている。たとえば赤信号で進めば警察に逮捕されてしまうかもしれない。</p>
<p>パーソンズはウェーバーの支配の三類型を通して、どうやら人々は「共通の価値へと志向するものだ」というものを確認している。カリスマ性(共通の価値)は伝統的な支配や合法的支配に変化していったとしても、ただカリスマ性の表現方法が変わっただけだとパーソンズは理解している。パーソンズはカリスマ概念こそ非利害的な究極的価値であり、人々がこの究極的価値にいつの時代でも志向しているということを立証したかったらしい。</p>
<p>どうやら社会には究極的価値(共通価値、カリスマ、聖なるもの)というものがいつの時代にもあるらしく、また人々はこの価値へ向かって関心を向けているぞ、ということはわかる。しかしなぜそもそも究極的価値というものがあるのか、それについての答えがわからない。それは社会秩序のために機能しているからだ、というのでは答えにならない。</p>
<blockquote>
<p>「この共通価値あるいは究極価値と呼ばれる「規範解」の存在を認めることが秩序問題を解くことにたいして与える効果は絶大である。すなわち、功利主義思想の前提である目的のランダム性にたいして一定の制御を与えることになるのだ。行為者はまったくでたらめに目的を選択し行為しているのでつねに社会的な究極価値によって規制されているというわけである。それだけではない。この価値は、行為者にたいして事物のように外在しているのではなく、個人のパーソナリティを構成すべく内面化されることによって、行為者は自発的にこれにコミットするようにさえなるのである。ここに秩序問題を解くときの「蹟きの石」となっていた目的のランダム性は完全に克服されることになった(すくなくともパーソンズはそう考えた)。秩序問題に解決を与えたとするパーソンズの秩序観は次のような言明に端的に表れている。「社会に共通の価値態度が存在するかぎりにおいて、社会は非生物学的レヴェルにおいて利害関係の力の均衡以上のものになりうるのだ」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、99P</p>
<p>「個々の行為が、バラバラにならず、ある形(秩序)を示すのは、そこに内在している規範的要素のせいであるとして、それでは一体どのようにして規範が共有され、人々の間に一定の共通な意識(集合意識)が生まれるのか。ここでは、もう一度デュルケームが援用される。個人意識が、類似のものになるのは、その内的状態を表現するシンボル(記号)を用いて人々がコミュニケーションできるときである。ここに、いわば個人主義を超える鍵があるのだ。共通のシンボル・システムによってコミュニケーションが可能になるとき、規範や価値、あるいは状況の定義さえもが共有されることになる。これを、文化の共有といい、これによって相互作用が可能になるのである。」</p>
<p>「タルコット・パーソンズ」、中野秀一郎、51P</p>
<p>「パーソンズはなにゆえにウェーバーのカリスマ概念に着目しこれほどまでにその外延を広げなければならなかったのか、という問いこそがここでは重要である。簡潔にいえばその答えは、あらゆる時代、あらゆる社会の行為者には共通する価値への態度が見いだせるということを立証したかったからということにほかならない。どのような伝統や制度であってもカリスマ的要素が存在しているということは、逆にいえばカリスマ的要素が社会秩序を成り立たせるための基礎であるということを意味する。パーソンズにとってカリスマとは規範に方向づけられた行為者が共通に指向するような価値であり、またそれは究極価値に対して付された明証なのであった。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、99P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc48">パーソンズへの批判</span></h2>
<h3><span id="toc49">循環論法</span></h3>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>循環論法(じゅんかんろんぽう)</strong></span>：</big>・論理学で、論点先取の虚偽の一。証明すべき結論を前提に用いる論法。</p>
</div>
<p>問い１：なぜある価値が究極的価値であるといえるのか</p>
<p>答え１：究極的価値だといえるのは、人々の間で共有されているからである</p>
<p>問い２：なぜ人々の間で共有されているのか</p>
<p>答え２：人々の間で共有されている理由は、それが究極的価値な価値だからである。</p>
<p>問い３：なぜある価値が究極的価値であるといえるのか</p>
<p>答え３：究極的価値だといえるのは、人々の間で共有されているからである</p>
<p>問い４：なぜ人々の間で共有されているのか</p>
<p>答え４：人々の間で共有されている理由は、それが究極的価値な価値だからである。</p>
<p>以下ループ(循環する)</p>
<p>問い１：なぜある人が信頼できるといえるのか</p>
<p>答え１：それはいい人だからである</p>
<p>問い２：なぜいい人だといえるのか</p>
<p>答え２：それは信頼できる人だからである</p>
<p>問い３：なぜある人が信頼できるといえるのか</p>
<p>答え３：それはいい人だからである</p>
<p>問い４：なぜいい人だといえるのか</p>
<p>答え４：それは信頼できる人だからである</p>
<p>以下ループ(循環する)</p>
<p>パーソンズへのよくある批判としては、それが「循環論法」であるという批判があるらしい。結局の所、「<strong>究極的価値生成のメカニズムが説明されていない</strong>」ということにつきる。とりあえず共通の価値というものを所与のものとして、それがどうやって人々に内面化されるか、ということが説明されている。たとえばそれが「社会化」、つまり価値の学習によってされ、さらに制度によって保障されるわけである。我々は学校や家庭で「人の物は盗んではいけない」と教わり、さらに「法律」によって盗んだら逮捕されるということで秩序を内面化し、安定化させていく(秩序安定問題)。</p>
<p>しかしそもそもなぜ人の物は盗んではいけないというものが共通の価値になったのだろうか(秩序生成問題)。そのメカニズムについては説明されていない。人間の歴史のどこかで、どういうわけか、それが共通の価値というものにどうやらなっているらしい。たとえば平和という共通の価値、究極的価値を考えてみると、人間の歴史のどこかでそれが究極的価値として生成されたことになる。おそらくキリストが生まれるよりももっとまえ、メソポタミア文明よりさらに前、途方も無い昔、社会というものがないような状態から、どういうわけか共通の価値が生成された。</p>
<p>秩序安定問題とは、どうして社会というものができるのかという問いでもある。しかしパーソンズは「社会というものには共通の価値があり、この共通の価値が人々の間で内面化されることによって秩序が形成される」としている。つまり社会というものがある前提になってしまっている。これを論点先取りというらしい。ホッブズも同じように、社会というものを前提としたなら、人々は自然権を相互に放棄するだろうとしている。つまりこれも論点先取りである。複数の人間が１人の君主に権力を譲渡するという社会契約論も同じように、「複数の人間(つまり共同体)」が団結して君主に権力を譲渡していることになる。つまり、あらかじめ共同体という社会があり、この共同体が君主に権力を譲渡しているのである。共同体が存在している時点で社会秩序がすでにあるのではないか、なぜ共同体(つまり社会)が生成されたのか、つまり社会秩序＝共同体がどうやって生成されたのかのかという話になる。</p>
<p>ホッブズ的秩序問題というのはどうやらそうとう難しく、だからこそアポリア(解決できない問題)といわれている。</p>
<blockquote>
<p>「実際、パーソンズの理論では、この究極価値生成のメカニズムやそれがなにゆえに行為者によって内面化されるかがまったく明らかでないため、この究極価値をめぐって「万人の万人にたいする戦闘状態」を帰結させることが、原理的にはつねに可能なのである。というのも究極価値の究極性を何と考えるかは、行為者によって様々でありうるからである。だからパーソンズには次のように問えるはずである。なにゆえにある価値なり目的なりが究極的であるといえるのか、この《究極的なるもの》をめぐってのランダム性はいったいどのようにして克服されるのか、と。パーソンズならこう答えるかもしれない。ある価値や目的が究極的なものでありうるのは、それが行為者聞に共有されているからである、と。しかしこれでは単に間いがずらされただけであろう。われわれはさらに、それではなぜその価値が共有されているのか、と問うことが可能なのであるから。ここで、それはその価値が究極的なものであるから、と答えたなら議論は完全に循環論に陥ってしまう。ある価値が究極的であるのは、それが行為者に共有されているからであり、それが共有されているのは、その価値がまさに究極的であるからだ、というように。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、102P</p>
<p>「整理すると、パーソンズの回答はこうなります。共通の価値は行為者に内面化されているのです。それを保障するために、社会的にも制度化されている。そういう条件があれば、社会秩序が実現するという論理です。でも、これで人は納得するでしょうか。パーソンズ先生、いくらなんでもそれは？と思うところです。なぜかというと、『社会秩序が成り立つのは、価値が人々の間に共有されているからだ』というのは、論点先取だからです。つまり、循環論法です。なぜ、人々の間に共通の価値が内面化されているのかが説明されなくてはなりません。それを、制度化によって説明するわけですが、考えてみれば、そのような制度化が効果的になされている状態こそ、社会秩序が成り立っているということではありませんか。そうすると、パーソンズは、社会秩序が成り立っているために社会秩序は可能だ、と言っていることになる。だから、『行為の準拠枠』でホッブズ問題が解けたとは言えません。これは、パーソンズに対する一般的な批判ですし、私もこの批判は正しいと思います。」</p>
<p>大澤真幸「社会学史」、396P</p>
</blockquote>
<h3><span id="toc50">パーソンズは循環論法に気づいていた？</span></h3>
<p>名部さんによればパーソンズは循環論法に気づいていたという。正直この話は理解することができなかった。興味がある人は論文を参照してみてはどうだろうか。</p>
<p>アポリアに直面したからデュルケムの「非契約的要素」を導き出した、とはどういうことか。非契約的要素とは、信頼や信用である。人々はただ合理的な利得計算によって契約するわけではなく、相手への信頼や信用といった非合理的な要素を伴って契約を結んでいる。仮に究極的な価値＝信頼や信用だったとしても、なぜその価値が共有されているのかという問題が生じてきそうだ。</p>
<p>もし人々の究極的な価値が「人それぞれ」であったとしたら、たしかに人それぞれの「究極的な価値」をめぐって万人の万人に対する戦いが生じるかもしれない。ウェーバーでいうところの「神々の争い」が生じてしまう。実際に宗教戦争などは価値と価値とのぶつかり合いによって生じていたのかもしれない。話は少しずれるが、北斗の拳の「愛ゆえに人は争う」という言葉を思い出す。ある２人の人間が１人の女性を愛し、愛を究極的な価値においたとする。そうするとこの２人はお互いに争い合うかもしれない。</p>
<blockquote>
<p>「実際、パーソンズの理論では、この究極価値生成のメカニズムやそれがなにゆえに行為者によって内面化されるかがまったく明らかでないため、この究極価値をめぐって「万人の万人にたいする戦闘状態しを帰結させるごとが、原理的にはつねに可能なのである。というのも究極価値の究極性を何と考えるかは、行為者によって様々でありうるからである。」</p>
<p>「実はここでパーソンズが直面しているアポリアは、「社会契約論」において生ずるアポリアとまったく同型である。社会契約とは諸個人と共同体の契約を意味するわけだが、実はその契約の一方の当事者である共同体じたいが社会契約の結果生ずるはずのものなのである。当然パーソンズ自身はこのような契約におけるパラドックスに気づいており、だからこそデュルケムから「契約における非契約的要素」を導き出してきたのであった。しかしパーソンズの認識は甘かったといわねばならない。「契約における非契約的要素」が究極価値であるとするなら、いま見たように、この要素をめぐって同様の問題が生じてしまうのである。もちろん問題のレヴェルは異なるのであるが、事態の本質はまったく変わらない。問題がただ先送りされるだけのことだ。」</p>
<p>名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」、102P</p>
<p>「なぜなら個人主義的アプローチからする限り、ホッブズの「自己利益」の追求が「万人の万人に対する戦闘」を帰結するように、「超越的目的」の追求はウェーバーの「神々の闘争」を帰結するからでる。両者の行為が各々異質の規範に導びかれていようと、その論理的帰結に変わりはない。パーソンズはいかなる根拠の上にこの問題を解決したのか。問題設定そのものを変えるとによってである。パーソンズはまず「秩序」の存在を経験的事実として前提する。その上でこの「秩序」の説明がいかにして可能かを問うたのである。このことは何を意味するか。ホップズの提起した「秩序問題」とは、自律的な独立した個人の能動性を分析の出発点に据えた場合、いかにして秩序が可能か、という問題提起である。パーソンズはこの間いの方向を逆転させる。経験的事実として秩序は存在する、このことはいかにして可能かーーこれがパーソン両目ズの採択した方法である-ホップズの問題提起が個人の自律性を基礎に置いている限り「個人主義的社会唯名論的」アプローチであるとすれば、パーソンズの問題のたで方は「秩序ーの存在を前提とする限り「集合主義的ー社会実在論的」アプローチであるということができる。個人主義的・主意主義的立場からすれば、個人の「窮極目的」の追求の社会における論理的帰結は「万人の万人に対する戦闘」か「神々の闘争」である。この論理的帰結にもかかわらず経験的に秩序は存在する。このことはいかにして可能か。程度の違いこそあれ事実的に「窮極目的」が「共有」され、この「共有された窮極目的」が「統合された体系」をなすと考えることによって。これがパーソンズの「秩序問題ーであり、その処方箋なのである。」</p>
<p>進藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程　パーソンズの初期論文を中心に」,160P</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc51">ゲーム理論で考えるとかなりわかりやすい</span></h2>
<p>詳細は下記より参照してください。</p>
<p>高橋一行「<span dir="ltr" role="presentation">ホッブズの政治哲学とゲーム理論</span>」(<a href="https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/12628/1/shakaikagakukiyo_35_2_39.pdf">URL</a>)</p>
<h3><span id="toc52">囚人のジレンマ</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_2367e675.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1929" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_2367e675.png" alt="" width="1372" height="778" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_2367e675.png 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_2367e675-800x454.png 800w" sizes="(max-width: 1372px) 100vw, 1372px" /></a></p>
<p>・もし自分が黙秘していた場合、懲役２年（相手も黙秘）か懲役１０年(相手が自白)です。</p>
<p>・もし自分が自白した場合、懲役０年か５年です。選択肢１「２か１０」、選択肢２「０か５」というわけです。</p>
<p>・囚人が自分の利益を合理的に追求しようとしたら、自白が最適な戦略(支配戦略)となります。</p>
<p>・相手が黙秘を選んだと仮定して、自分が黙秘したら懲役2年、自分が自白したら0年なので自白を選びます。</p>
<p>・相手が告白を選んだと仮定して、自分が黙秘したら10年、自分が自白したら5年なので自白を選びます。</p>
<p>・相手の行動に関わらず、自分が最も得をしようとしたら自白を選ぶのです(支配戦略) 。</p>
<p>要するに、功利主義的な前提、人間は利己的で自分の利益を最大化しようとし、その手段としては最も合理的なものを選択するという前提に立てば、人間は万人の万人に対する戦い(つまり全体の不利益)が帰結するというわけです。かなりわかりやすいモデルですね。</p>
<p>しかし各個人が合理的な戦略をとった結果、全体としては望ましい結果にならないので囚人のジレンマというのです。</p>
<p>たしかに全体として望ましい結果(パレート最適)は両方黙秘の(2,2）で合計4年ですよね。しかし合理的な戦略をとった結果、(5,5)の合計10年になってしまうからジレンマというわけです。</p>
<h3><span id="toc53">保証ゲーム</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23765ab7.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1930" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23765ab7.png" alt="" width="1244" height="674" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23765ab7.png 1244w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23765ab7-800x433.png 800w" sizes="(max-width: 1244px) 100vw, 1244px" /></a>自然人AとBが森の中で会ったと仮定します。お互いに大量のドングリを同時に発見しており、さてどうするかという状況です。そして自然人AとBの間には、約束は互いに守るべきという規範が内面化されているような状況を想定します。つまり、パーソンズ的な想定です。価値の共有が内面化されている状態というわけです。</p>
<p>もし自然人AとBがどちらも平和的な戦略を取れば、お互いにドングリを分け合い、お互いの利益は５ずつになります。</p>
<p>片方が戦闘戦略をとれば、ドングリを独り占めできるので利益は＋１０、といきたいところですが、「約束は互いに守るべきという規範」がある状況なので、ドングリが得られても「社会的信用」がなくなってしまいます。したがって戦闘戦略をとった人間の利益は０であり、平和戦略をとった人間は死んでしまうので－２０です。</p>
<p>お互いに戦闘戦略をとるとすれば、半分の確率で殺され、勝ったとしても社会的信用が落ちるので、お互いに-１０です。</p>
<p>したがって、個人の利益を最大化しようと合理的な選択をとるとすれば、自然人ABは両方とも平和戦略を取ることになります。相手が平和戦略をとると仮定すれば、自分の利益は５か０になります。５を選ぶので平和戦略を取ることになります。相手が戦闘戦略をとると仮定すれば、自分の利益は－２０か－１０になります。－１０を選ぶので戦闘戦略をとることになります。５か－１０なら５を選ぶので、平和戦略を取ることになります(おそらく)。</p>
<p>要するに、価値の共有がされているから平和になる、つまり社会秩序が生じるよね、という話です。</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23ba8d65.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1931" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23ba8d65.png" alt="" width="1271" height="660" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23ba8d65.png 1000w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_23ba8d65-800x415.png 800w" sizes="(max-width: 1271px) 100vw, 1271px" /></a></p>
<p>価値の共有がされていないような状態で考えてみましょう。もし戦闘戦略を選んで相手が平和戦略を選んでいた場合、自分の利益は１０になります。相手は死んで利益はマイナス１０です。もしお互いに戦闘戦略をとった場合はお互いにマイナス５，お互いに平和戦略を取った場合はお互いにプラス５です。</p>
<p>もし相手が平和戦略をとると仮定した場合、自分が平和戦略をとるとプラス５、戦闘戦略をとるとプラス１０です。したがって、戦闘戦略をとります。もし相手が戦闘戦略をとると仮定した場合、平和戦略をとるとマイナス２０、戦闘戦略をとればマイナス５なので戦闘戦略をとります。したがって戦闘戦略をとることが最適な戦略となり、万人の万人に対する戦いが帰結します。つまり、規範はやっぱり大事だよね、ということが確認できます。</p>
<h3><span id="toc54">チキンゲーム</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_269e87f7.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-1933" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_269e87f7.png" alt="" width="1230" height="663" srcset="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_269e87f7.png 1230w, https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2022/03/Snag_269e87f7-800x431.png 800w" sizes="(max-width: 1230px) 100vw, 1230px" /></a>チキンゲームとは別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって一直線に走行するゲームのことです。プライドのせいで悲劇的な結末、たとえばぶつかって両方死んでしまうような状況です。先にハンドルを切った人間はチキン、つまり臆病者と言われてしまうのです。</p>
<p>さて高橋さんが考えたホッブズ的なチキンゲームモデルでは、ドングリをめぐって一方が武器を捨て、他方が武器を維持していた場合、武器の保持者が相手を殺す必然性はないと考えているようです。囚人のジレンマケースで利己的で戦争好き、ホッブズでいえば暴力を最も合理的な手段として考えるので、相手が武器を捨てた場合は殺しにかかるかもしれません。しかし武器を捨てることには不安も生じるといいます。もしかしたら相手が非合理的な人間で、自分を殺してくるかもしれせん。そういう感情的な人間的のモデルを想定しているようです。</p>
<p>こういう計算は苦手なので、詳細は高橋さんの論文を見てください。平和戦略をとった場合は利益が５か０、戦闘戦略をとった場合は１０か－１０です。(5+0＝5)か(10-10=0)かなら０を選び、平和戦略を両方取るよね、という話なのではないかと思います。</p>
<p>保証ゲームではたしかに社会秩序が形成されますが、そもそも規範は社会の中で形成されるという循環論法的な問題があります。そこでチキンゲーム的な想定を考えて、やっぱりお互いに死ぬのは不利益なので平和戦略を取り合うよね、となるのかもしれません。他にも繰り返しゲーム等、他のモデルも想定されているようなので興味がある人はみてください。もともとチキンゲームは核戦争的な想定で考えられており、核戦争で人類が滅亡がするのが怖いので各国平和戦略をとるよね、という話です(現在はロシアが暴れてますが)。</p>
<blockquote>
<p>「高橋によれば，P.D.では国家を形成しようとする議論は生じることがなく，ホップズが平和に至る可能性を論証しているとすれば，このモデルはホップズ理論にはふさわしくないものである。A.G.の問題点は「社会性を持たない個人」から社会が形成されるためには「個人のなかに社会的規範」が形成される必要があるが，その規範は「社会の中でしか形成され得ない」という矛震があることである。この点で，c.G.が最もホップズ理論を説明できるという〔高橋一行2001:32-3J0c.G.はP.D.と同様に，「人は利己的であり，戦争好きである」という前提があるが，P.D.のプレイヤーは「理性的な計算のできる個人」であるのに，c.G.は「名誉欲と死の恐怖という情念の聞で揺れ動く，感情的な人間であるこの点で，c.G.の方が「より現実的な人間観」であり，そのためにホップズは現実的に平和への可能性を証明したと高橋は主張する。」</p>
<p>P.D.=囚人のジレンマ</p>
<p>A.G＝保証ゲーム</p>
<p>C.G=チキンゲーム</p>
<p>菊池理夫「共通善の政治学」と社会契約論(3)一一共通善の政治学とホップズの社会契約論」</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc55">参考文献</span></h2>
<h3><span id="toc56">参照論文</span></h3>
<p>１：高橋章子「相互行為論のデュルケム――デュルケム, パーソンズ, ガーフィンケルの秩序形成の論理を比較して」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/60/2/60_2_209/_pdf/-char/ja">URL</a>)</p>
<p>２：春日淳一「ダブル・コンティンジェンシーについて」(<a href="https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_view_main_item_detail&amp;item_id=8356&amp;item_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>３：村井重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」(<a href="https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN0006957X-00000060-0043">URL</a>) 功利主義のジレンマについて主に参照</p>
<p>４：大黒正伸「方法論的個人主義と「原子論」― 経済学方法論から社会学が学ぶこと―」(<a href="https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=3138&amp;item_no=1&amp;attribute_id=18&amp;file_no=1">URL</a>)</p>
<p>５：進藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程　パーソンズの初期論文を中心に」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/30/1/30_145/_article/-char/ja/">URL</a>) 　主に循環論法についての参照</p>
<p>６：倉田和四生「行為理論の展開―T・パーソンズとの関わりを中心として」(<a href="https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0022/BS00220L056.pdf">URL</a>)</p>
<p>７：山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」(<a href="https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/18916/1/journal06.pdf">URL</a>) ※一番わかりやすかったですがこれはこの記事のメインではなく、次回以降の行為の準拠枠理解のための論文です</p>
<p>８：高橋聡「教育統治におけるホッブズ的秩序問題」(<a href="https://iwate-pu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&amp;item_id=3282&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>)</p>
<p>９：土場学「合理的選択と共感的想像力」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/7/2/7_2_2_25/_pdf/-char/ja">URL)</a> 主に功利主義の４つの特徴の参照と、パーソンズの功利主義批判の説明の参照です</p>
<p>１０：名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/37/2/37_93/_pdf/-char/ja">URL</a>)　主に功利主義が解けなかった秩序問題に対する説明の参照、パーソンズの秩序問題の解決の要約　この論文が一番詳細です</p>
<p>１１：木曾好能「ホッブズの道徳哲学―読書ノート―」(<a href="https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24483/1/1108.pdf">URL</a>) ホッブズ基礎理解</p>
<p>１２：澤部明男「初期パーソンズの諸問題」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/21/3/21_1/_pdf/-char/ja">URL</a>) 主にランダム性の説明の参照</p>
<p>１３：名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/37/2/37_93/_pdf/-char/ja">URL</a>)主にパーソンズのホッブズ批判の説明の参照</p>
<p>１４：金泰明「ホッブズ問題における「二重性」の原理的考察　パーソンズからルソー、ヒュームへ(<a href="https://keiho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=139&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>) 主にパーソンズへの批判(循環論法)における説明</p>
<p>１５：ホッブズ基礎理解(橋爪さん)<a href="https://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Resume%20on%20Hobbes%20Leviathan.htm">URL</a></p>
<p>１６：菊池理夫「共通善の政治学」と社会契約論(3)一一共通善の政治学とホップズの社会契約論」(<a href="https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=1481&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">URL</a>)　主に原子論の参照、及びゲーム理論の考察の参照</p>
<p>１７：野中亮「『宗教生活の原初形態』における『俗』の位置」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/41/3/41_19/_pdf/-char/ja">URL</a>) 主にデュルケムとパーソンズの関連性についての参照</p>
<p>１８：高橋一行「<span dir="ltr" role="presentation">ホッブズの政治哲学とゲーム理論</span>」(<a href="https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/12628/1/shakaikagakukiyo_35_2_39.pdf">URL</a>)ゲーム理論についての参照</p>
<p>１９：田上大輔,佐々木啓「規範理論と秩序問題:社会学における規範的問いと経験的問いに関する一考察」<a href="https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&amp;item_id=7387&amp;item_no=1&amp;attribute_id=22&amp;file_no=1">(URL</a>)</p>
<p>２０：福井康太「『秩序』としての紛争：再考」(<a href="https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2547365/p333.pdf">URL</a>) 主にバラバラな個人に対する理解の参照</p>
<p>２１：盛山和夫「経験主義から規範科学へ－ 数理社会学はなんの役に立つか －」(<a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjams/21/2/21_2_199/_pdf/-char/ja">URL</a>)主に事実的秩序と規範的秩序の理解の参照</p>
<p>２２：溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された３つの理論的課題」(<a href="https://kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&amp;active_action=repository_action_common_download&amp;item_id=6141&amp;item_no=1&amp;attribute_id=26&amp;file_no=1&amp;page_id=13&amp;block_id=21">URL</a>) 主に共通価値統合の理解の参照</p>
<h3><span id="toc57">今回の文献</span></h3>
<h4><span id="toc58">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</span></h4>
<p>※全5冊あるみたいです</p>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijK2zx" target="_blank">タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』</a></p>
<h4><span id="toc59">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://amzn.to/3ijS8YK" target="_blank">中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」</a></p>
<h3><span id="toc60">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc61">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc62">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc63">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc64">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc65">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc66">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc67">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
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