【基礎社会学第十五回】フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」とはなにか

Contents

はじめに

注意事項

・テンニースはこの第一回のみで基礎社会学としては終わりです。次回はパーソンズを扱う予定です。

・より正確に把握する必要がある場合(大学のレポート等で利用するなど)は以下の参照論文や最後にまとめてある参考文献や各引用文を参照してください。

・敬体と常体が混在しています。統一させるかどうか検討中です(この記事は論文でも公的なものでも依頼されたものでもないので気にする必要はないのですが)

・概要以外は概要及び動画制作のためのメモのようなものだと思ってください。

参照論文リスト

1:小川晃生『パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考 : ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して』(URL)  要約が綺麗で参考になりました

2:渡邊隆信『「共同体としての学校」の起源と史的展開 ドイツ新教育における「ゲマインシャフト」概念に着目して』(URL) 用語の意味について参考になりました

3:田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」(URL) この論文が基礎理解として一番わかりやすく、テンニース理解の助けとなりました

4:渡辺牧「地域おこしの社会学に向けて」(URL) ゲノッセンシャフトについて参考にしました

5:田中人「コミュニティ観の今日的位相―多主体的協働秩序としてのコミュニケーション的共同性―」(URL) ゲノッセンシャフトについて参考にしました

6:村田陸「国家法秩序による権威請求の理論的基礎としてのゲマインシャフト的国民集団像 : メンバーの離脱可能性に対する理論的課題に関する試論」(URL)ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの定義について参照しました。

7:西澤真則「テンニェスのゲマインシャフト論における記憶と本質意志」(URL) 本質意志における記憶や適意、習慣について詳細な説明がなされていますが、応用的な内容です。

8:西澤真則「遺稿 “Die Tatsache des Wollens”(意志の事実) におけるテンニェスの社会学の基礎概念の解明: 記憶をめぐる本質意志論と選択意志論との比較」(URL) 上に同じ。特に「了解概念」について参考になります。

その他WEBで参考にしたのはコトバンクにおける各辞典です。参考書籍については最後にまとめて紹介しています。

テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の書籍について

・第一章「主要概念の一般的規定」

・第二章「本質意志と選択意志」

・第三章「自然法の社会学的基礎」

・結論部:ゲゼルシャフトからゲゼルシャフトへの歴史的発展について

理解の概要

1:ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの定義を理解する

・最もシンプルな定義はゲマインシャフトは「共同社会」であり、ゲマインシャフトは「利益社会」であるというもの。前者の代表例は「家族」であり、後者の代表例は「自発的結社」である。

・より理念型的な定義はゲマインシャフトは「親密な本質意志に基づいた感情的・情緒的結合」であり、ゲゼルシャフトは「契約的な選択意志に基づき、他者を手段化した結合」であるというもの。

・よりテンニース的な定義をシンプルにすればゲマインシャフトは「実在的有機的生命体」であり、ゲゼルシャフトは「観念的機械的形成物」である。

・より価値理念的な定義をすれば、ゲマインシャフトは「持続的な真実の共同生活」であり、ゲマインシャフトは「一時的な外見上の共同生活」である。

・ゲマインシャフトのタイプは大きく「家と共同体」に分かれ、家は孤立した家、農村の家、都市の家、領主の家の4つに分かれ、共同体は村落共同体と都市にわかれる。支配と服従の関係が強い場合はヘルシャフト的であり、協同的な要素が強い場合はゲノッセンシャフト的である。またゲマインシャフトは「血のゲマインシャフト、場所のゲマインシャフト、精神のゲマインシャフト」の3つに分類することが出来る。

2:本質意志と選択意志の定義を理解する:意志のあり方が社会関係を規定する

・結合形態を決定する原因は「意志」にあり、この「意志」は「本質意志と選択意志」に分かれている。前者はゲマインシャフトを形成し、後者はゲゼルシャフトを形成する。

・本質意志とは「人間に生まれながらにして備わっているような先天的・遺伝的な意志」であり、選択意志とは「主体が深く考えて目的に役立つ行為を選択するというもの」である。前者は自然発生的で、後者は人工的である。

3:ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの発生要因(基盤)を理解する

・ゲマインシャフトの基盤は「了解」であり、ゲゼルシャフトの基盤は「価値の同等性ないし協約(契約)」である。

・了解とは「相互に共通な結合的な心をもつということ、いわゆる絆」であり、価値の同等性とは「様々な差異があるものをゲゼルシャフトに共有される尺度に照らして客観的な同等性をもつと判断すること」であり、協約とは「交換商品としての労働などの活動を保証するための装置、相互に他者を利用し合う交換の一致した意志」である。価値の同等性の例は「貨幣」である。貨幣によって労働者(労働力と貨幣の交換)や商品という概念がおこり、市場や資本が形成され、協約が生まれるようになる。協約とは一般に協議した上で約束をとり結ぶことである(たとえば現代日本で貨幣が物と交換できるのは、貨幣が物と交換できるということが保証(協約)されているからである。協約がなければ「ただの紙きれ」)。

4:ゲマインシャフトからゲマインシャフトへの発展を理解する

・テンニースは「歴史的発展として、ゲマインシャフトの時代からゲゼルシャフトへの時代へ移行していく」と主張した。

・中世の小都市や前近代的な村落共同体をゲマインシャフトとして扱い、近代以降に顕著な市民社会や商業取引団体をゲゼルシャフトとして扱っていることから、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行というように理解されている

・近代とは「打算的、合理的な選択意志により利害を媒介としたゲゼルシャフトが優勢になる社会」であり、「ゲマインシャフトが解体していく過程が近代化」であり、「近代化は不可避の道」である。

5:発展の際に生じる弊害と克服方法について理解する→ゲノッセンシャフトの理解

・ゲマインシャフトのネガティブ面:ゲマインシャフトの支配関係(ヘルシャフト)が常に理想的であるとは限らず、権力を持つ側の残忍さや服従する側の抑圧を生むとテンニースは指摘してる。例:虐待など

・ゲゼルシャフトのネガティブ面:「うそはゲゼルシャフトの基盤である」というテンニースの言葉のように、自然的行為ではなく仮面的行為が増え、他者の領域に踏み込まない非親密的な「本質的分離(非本質的結合)」が前提とされ、対人関係は敵対的になり、労働が疎外されていく。

・ゲノッセンシャフトとは「成員の自由意志に基づく契約によって形成される団体(協同組合)」であり、「横のつながりによる関係」である。テンニースはゲノッセンシャフトを「ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの統合した姿」として捉えた。ゲマインシャフトに純粋に代表されるような自然意志による親と子の支配関係(ヘルシャフト)でもなく、ゲゼルシャフトに純粋に代表されるような商人同士の単なる利益追求による契約関係でもなく、自由意志による絆、仲間意識によるよって協力し合う団体の概念によってゲゼルシャフトのネガティブ面を乗り越えようと考えた。

6:応用)ジンメルとのゲゼルシャフトに対する考えの差異を検討する→ゲゼルシャフトのポジティブ面の理解

ジンメルはテンニースが「真実の共同生活」と評価したゲマインシャフトを「不自由」だと考え、「一時的な外見上の生活、嘘の基盤」と評価したゲゼルシャフトを「自由であり社会的理想」だと考えた。詳細は前回の記事より参照。「嘘の基盤」については「社交」が参考になり、「自由」については「貨幣の哲学」が参考になる。

ゲオルク・ジンメルの「純粋社会学」の例である「軸の転回」、「社交」について学ぶ。

【基礎社会学第十一回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (前編)

【基礎社会学第十四回】マックス・ウェーバーの社会的行為の四類型とはなにか

7:その他

現代日本はゲゼルシャフトかゲマインシャフトか、あるいは両方の性質があるとしてどのようなものがあると考えられるか:ある現実の団体がゲマインシャフト的か、ゲゼルシャフト的かといったように分析できるという点では便利(ただしテンニースは現実の団体と理念としての団体を混同しているという批判もある)

例:日本の企業は終身雇用制度など、ゲマインシャフト的な要素があったが現在はどうか

動画での説明

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フェルディナンド・テンニースのプロフィール

フェルディナント・テンニース(1855~1936)はドイツの社会学者。1909年のドイツ社会学会の設立から1933年のナチスによって解散に追い込まれるまで同学会の会長を務め、ドイツ社会学の指導的存在だった。主著は1887年の『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:純粋社会学の基本概念』。

1:ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの定義を理解する

ゲマインシャフトとは

POINT

ゲマインシャフト(独:Gemeinschaft)・共同社会。共同体(共動態)。地縁的・血縁的共同体。実在的有機的生命体。本質意志に基づく有機的結合。本質意志とは「生まれながらにして備わっているような先天的・遺伝的な意志」のことであり、有機的とは生物のように自然発生的であることを意味している。例:家族(血縁関係)、農村社会(地縁関係)など

ドイツ語のGemeinは「互いに緊密に結びついた」、「共通の」、「一般の」から派生した言葉です。shaftは「人間などの集合体や状態」を意味します。

ゲマインシャフトは直訳すれば「緊密に結びついた共同体」という意味になります。

テンニースはゲマインシャフトについて様々な説明をしています。「利害関係抜きの信頼に満ちた親密な実在的有機的生命体」だとか、「持続的な真実の共同生活」だとか、「生きた有機体」といった説明があります。

たとえば親と子の関係が単なる利害関係によるものではないということは直感的に理解可能です。子供が無能だから関係を解消する、というようなことは通常は起きにくいです。親と子は親密な関係にあり、それは意識的と言うよりも無意識的に、あるいは遺伝的にそのようになるようにプログラムされているのかもしれません。鳥が自分の産んだ子供を大事に育てるようにです。別の言い方で言えば「生命の伝達を目標とする父子関係」です。

昔の中世的なギルドにおける親方とその弟子の関係は家族ではありませんが、親密な関係にあったといいます。現代の職場では基本的にプライベートなものはもちこまれませんが、中世的なギルドではそうした区別が明確ではなく、生活の場でもあったようです。それに対して社員が無能だから雇用関係を解消するというのは多々あります(ゲゼルシャフト的)。

村田さんが離脱するかどうかが個人の選択の問題であるかどうかが認識されない場合は「ゲマインシャフト」であり、認識される場合は「ゲゼルシャフト」であるという定義をしていました。なるほどわかりやすい。たしかに親子関係は基本的に離脱するかどうかという問題が認識されにくい。「お前なんてもう知らん、絶縁だ」というケースは例外的なものである。それに対して「会社に入社するかどうか、退社するかどうか」は基本的に個人の選択であり、生まれながらにして家業を継ぐというケースのほうが現代では少数だと言える。

職業の選択自由をジンメルが近代的な現象だとみなしたことからもそうしたものが理解できる。親の家業を継ぐものとしてギルドで働くようなケースや農家を継ぐようなものは選択の自由というより、そこで働くように決められているようなものである。そうした意味でゲゼルシャフト的であるといえる。

このように考えると夫婦関係は限界事例なのかもしれない。親が定めた結婚相手とお見合いで結婚し、自由に離婚することができないようなケースでは離脱可能性が低く、またそれが認識されにくいという点でゲマインシャフト的である(日本では中世において基本的に男だけが離婚できる権利をもっていたらしい。諸説あり。)。現代では自由に結婚し、自由に(もちろん実際は難しい側面もあるが)離婚することが可能である。そうした意味でゲゼルシャフト的である。村田さんや田中さんがいうように、ゲゼルシャフトとゲマインシャフトはウェーバーのいうところの理念型的であり、架空のものである(現実を分析するモデルにすぎない)。

「F.テンニース(1855-1936)は,ニーチェら「生の哲学」の影響を受け,意志のあり方が社会関係を規定すると考察した.『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』で,利害を抜きに人々の「本質意志」により持続的に結びついたゲマインシャフト(共同社会)を「真実の共同生活」ととらえて,その意義を評価した。」

渡辺牧「地域おこしの社会学に向けて」、42P

「特に冒頭部分においてテニエスは、この論文の主題は人間の意志の肯定的な相互関係であるとし、そこから形成される結合体Verbindungの様々な類型を扱うと述べている。彼によれば、その結合体のうちで実在的有機的生命体とみなされるものがゲマインシャフトGemeinschaftであり、観念的機械的形成物とみなされるものがゲゼルシャフトGesellschaftであると規定される。前者は通常、特に意識されることはないが、所与のものとして生活全般に浸透し、日常的に実感できる実体的な結合であり、より高次の集団の欠くべからざる一部として機能する。後者はそれに対し、意識的かつ理性的に選択される人工的な結合であり、集団の中で一定の役割は果たしているが代替可能である。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 218P

「ドイツ語の「ゲマインシャフト(Gemein-schaft)」という言葉は、中高ドイツ語の「ge-meine」(「互いに緊密に結びついた」、「共通の」、「一般の」)から派生したものである。原義は、①共通の言葉と行為によって生じた人間同士の結合、②社会的行為枠組としての結合している状態、すなわちさまざまな社会集団であり、18世紀にいたるまで「ゲゼルシャフト(Gesellschaft)」の類義語ないしは同義語として使用されてきた」

渡邊隆信『「共同体としての学校」の起源と史的展開 ドイツ新教育における「ゲマインシャフト」概念に着目して』、496P

「ゲマインシャフトの起源は、萌芽形態としては母子関係であり、さらに夫婦関係、兄弟関係など具体的な血縁関係も含まれるとされる。この様々なゲマインシャフト的関係を総合する統一的なモデルとなるのが、「生命の伝達」を目標とする父子関係である。テニエスによれば、この関係はゲマインシャフトの原理をすべて集約しているという。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 218P

「ゲマインシャフト(Gemeinschaft、共同社会、community)とゲゼルシャフト(Gesellschaft、利益社会、society)という用語は社会学の基本用語であるが、一方で、その語義は論者によってまちまちである。この区別はテンニース、ギールケ、ヴェーバーなどによって繰り返し説明され、その後も繰り返し定義づけがおこなわれているが、これらの概念があくまでも両極的な社会類型を表す理念型であるために、詳細な概念規定は実際上不可能である。また、各論者が口々に指摘しているように、現実の社会関係は多くの場合においてゲマインシャフト的関係とゲゼルシャフト的関係の両側面を持っているため、特定の社会関係を指して、それがどちらの類型に属するものかを真剣に議論することには実りがない。とはいえ、概括的なイメージとして、通例、家族がゲマインシャフトの典型例として、契約による自発的結社がゲゼルシャフトの典型例として挙げられる」

村田陸「国家法秩序による権威請求の理論的基礎としてのゲマインシャフト的国民集団像 : メンバーの離脱可能性に対する理論的課題に関する試論」、160P

「現に所属しているメンバーが、所属し続けるか離脱するかという問題について、個人の選択の問題であると認識している社会を、本稿ではゲゼルシャフトと呼ぶ。したがって、ゲゼルシャフトには、メンバーの離脱可能性が常に存在する。これに対し、所属し続けるか離脱するかという問題そのものが認識されない社会、換言すれば、メンバーにとって所属が所与でかつ不変な事実として認識されている社会を、本稿ではゲマインシャフトと呼ぶ。したがって、ゲマインシャフトには、メンバーの離脱可能性は通常想定されない。」

村田陸「国家法秩序による権威請求の理論的基礎としてのゲマインシャフト的国民集団像 : メンバーの離脱可能性に対する理論的課題に関する試論」、161P

ゲゼルシャフトとは

POINT

ゲゼルシャフト(独:Gessellsschaft)・利益社会。利益結合社会。目的共同体。伝統社会。観念的機械的形成物。選択意志に基づく人工的結合。選択意志とは、「主体が合理的・打算的に目的に対する適切な手段を選択する意志」を意味する。人工的とは自然ではなく人間が意図的、作為的に結合していることを意味している。例:大都市や国民国家にみられる自発的結社

ドイツ語のGesselは単体としては存在せず、職人や仲間という意味があるようです。直訳すれば「職人の集合状態」になりますね。もっとも、18世紀までゲゼルシャフトはゲマインシャフトと類義語ないし同義語として使用されていたようなので、語源から区別するのはむずかしいのかもしれません。どちらも「仲間の状態」という意味が本質にあり、ゲマインにおける「緊密に結びいた」を強調したいがためにゲゼルシャフトからゲマインシャフトをわけたといったほうが理解しやすいです。ただの仲間か、親密な仲間かというような違いとでもいうのでしょうか。あれ?どっちがゲマインでどっちがゲセルだっけ?となりやすいのでこのへんを理解するといいかもしれません。

代表的なものは大都市や国民国家に見られるらしい。国民国家が「自発的結社」というのはどういうことか。

たとえば私は「日本国民の一員」です。テンニースの定義的に言えばゲゼルシャフト的な関係を私は結んでいることになります。たとえば盗難にあえば警察にいって犯人を捕まえてもらうように頼むことができます。私が国に対して税金を納めるのは政治家と親密だからでもなく、また国民同士親密だからというわけでもありません。税金が敵からの防衛や国内の治安、福祉の向上等につながると考えるからです(といってもそのように利益に対する明確な意志を私が有しているかと言えばそうでもなく、単に法律で決まっていて、払わないと差し押さえや罰金等が怖いという理由もあります)。このように「そうなっているから、そういうものだから」という意識の前(日常化する前)、国家というものが形成される時点にさかのぼると「利害関係」という明確な意志があったのかもしれません。明治時代の日本のような、藩主同士が争うことをやめ、外国からの敵に備える時に利害関係による一致から団結する(明治政府の誕生)ようなイメージがなんとなくあります。

あるいはもっと単純な例として企業同士の協力が挙げられます。あるいはYouTuberに企業が案件などを通じて依頼するのは、単にYouTuberと仲がいいからだとか、同じ日本人だからとか、同じ場所に住んでいるからとか、家族だからとかそういったゲマインシャフト的な理由ではなく、宣伝に使え、自社の利益になるという合理的な理由があるからです。利益がなくなれば案件を依頼されることがなくなりますし、業績が伸びなければスポンサー契約が終わるかもしれません。このようにゲゼルシャフトは基本的に「利益」を目的としています。この人に依頼すればこのくらいの集客が見込める等の「計算」がそこにはあり、明確な「意識」があり、計算によって決まるという意味では「機械的」です。

息子だから社長を継がせようというのはゲマインシャフト的ではありますが、一方でそのほうが会社経営にとって無駄な争いがなくなり、業績が見込める等の合理性があればゲゼルシャフト的ともいえるのかもしれません。例えば日本の終身雇用制度にも一定の合理性があるという議論がありました。

「通説的には、近代国家像は自発的結社的な水平関係(ゲノッセンシャフト)やなんらかの共通目的―公益の実現や、人権の保護など―に対する目的合理的ないしは価値合理的な協同関係(ゲゼルシャフト)によって特徴づけられる。自由意志と自由意志に由来する諸権利を持った平等な諸個人からなる水平的な協同関係という国民集団像は、社会契約論を理論的基礎に据えて成立した近代市民社会・近代国家の基盤にあると言ってよい。」

村田陸「国家法秩序による権威請求の理論的基礎としてのゲマインシャフト的国民集団像 : メンバーの離脱可能性に対する理論的課題に関する試論」、157P

2:本質意志と選択意志の定義を理解する:意志のあり方が社会関係を規定する

本質意志とは

POINT

本質意志(ほんしついし)・人間に生まれながらにして備わっているような先天的・遺伝的な意志。適意、習慣、記憶という3つの形式があり、この3つの形式がひとつの全体または統一を形成しているという。

テンニースによれば意志のあり方が社会関係を規定するという。たとえば先天的・遺伝的な意志はゲマインシャフトを形成するということだ。その最たる例が「母と子の関係」である。あるいは習慣によるものも本質意志に含まれるという。たしかに母親と子供のあり方は単に遺伝的なものだけではなく、習慣的なもの、文化的なものも左右される。遺伝だけの意志を取り出して分析することはなかなか難しそうだ。他の動物、たとえば猿や鳥を見ると本能的に子を親は守り、育てるように見え、集団で暮らしている種が多い。このように見ると人間もこれらと同じように、そうった結合の本能をもっているようにも類推できる。遺伝子を残すように動物はプログラミングされているというような話を思い出す。

それでは企業同士の利益を目的とするような意志が習慣や遺伝子と無関係かどうかというと、正直よくわからない。単純にこの資本主義世界においては利益を増大させることが遺伝子を残すためには有利であり、生物は遺伝子を残す方向へ本質意志をもつなどという言い方もできそうだ。とはいったものの、目的を「意識」するか「無意識的」どうかに焦点を当てれば区別しやすい。たとえば企業Aは利益を増大させるために企業Bと合併するというようなときに、意志が無意識的であるはずがない。だいたいの企業は利益を計算し、結果を予測し、目的を明確にして行為している(ウェーバーでいう目的合理的行為)。

一方で母親と子供の関係は「自分の世話を老後にさせる」という明確な利益目的のために「子と親子関係を継続させる」というような意識的なものは薄いだろう(ウェーバーでいう感情的行為ないし伝統的行為)。就職活動も同じように、自分の能力が活かせるかどうか、給料はどうか、将来性はどうかなどが意識的に計算され、会社に所属することが基本である。親の仕事を継ぐのがあたりまえ、というようなケースは現代でもあるが、中世以前ではむしろそれが普通だった(利益があるか、自分にあっているかどうかではなく、継ぐのが当たり前で所属に対して無意識的)。

記憶は「印象を再生する能力であるとともに、「記憶」を媒介として形成される習慣の再現と、それに対する意味づけを通して、失われた出来事を共有する基盤をもたらす」そうです。たしかに純粋に遺伝的な本能だけで親子関係が結ばれるというわけではなく、自分が子供の頃に親とはこういう関係だったというような「記憶」を媒介として習慣を再現するということがありそうです。友人に優しくされた記憶があれば違う友人にも優しくしますよね。そういう意味では受け継がれていくものであり、「文化」的なものだといえます。ちなみにテンニースはゲマインシャフトは文化を作り、ゲゼルシャフトは文明を作るといったようなことを言っています。

適意は「新陳代謝、器官の発育、それらを脅かす不快な状態の排除、そして生殖による自己保存といった活動」といったような生物的活動の過程を意味するようです。たしかに生殖は本能であり、そうした衝動を満たすという意志を元に行動するというのは理解できます。またそうした生物的な衝動による行為は「能動的な意志」により鍛錬させ、維持されるようになるそうです。ややこしい話みたいなのでここでは深堀りしません。

本質意志が先天的・遺伝的な意志だからといって非知性的な意志ではないようです。むしろ知性的な意志であるとテンニースは言っているようです。本質意志は適意・記憶・習慣から構成されます。適意はたしかに生物の自己保存といった活動の過程を含みますが、そうした衝動による行為は「能動的な意志」、つまり知性的な意志によって維持され、習慣となり、記憶されるというわけです。これら3つの形式を通して人々の間に親密なつながりや了解が生まれ、ゲマインシャフトが構成されていきます。どのようにして3つの形式がゲマインシャフトを構成するかは西澤さんの論文を参照してみてください。従来のテンニース理解では3つの形式のうちの適意、つまり思惟が少ない要素が強調されていたという主張のようです。

西澤さんによればテンニースのこの3つの形式のうちのひとつである「記憶」が単なる知識の貯蔵庫としてしか扱われず、共同性の本質形成との関わりの中で触れらなかったと主張しているようです。たとえば習俗が伝承や因習によって記憶として保持され、人々の呼びかけに応じて現前するというのはわかるような、わからないような感じがします。たとえばある村で「豚は食べてはいけない」という習俗があり、それが伝承によって親から子へ、子から孫へ伝えられて記憶として保持されたケースを考えてみればわかるのかもしれません。そうしたものが人々の間に共有されることで親密なつながりが形成されるというのは理解できます。

たとえば部活動や特定のサークル、特定のグループでは内輪のルールのようなものがあります。掟が記憶によって共有されているから仲間だという意識、結合的な心としての了解がもてるというのは理解できます。つまり親密なつながりには記憶が不可欠であり、それは過去のものを現前させるという知的な営み、理性的な意志の過程を経たものだというわけです。

日本人はお辞儀をよくしますが、海外では似たような瞬間は少ないです(逆に海外ではハグやキスなどして日本人が驚く場合がある)。お辞儀をしないような人間はマナー知らずとして仲間としてみなされない、というようなこともあるかもしれません。お辞儀は東アジアにおいてみられる伝統的な挨拶であり、日本では鎌倉時代に武家の礼法として洗練されたそうです。この習俗が伝習や因習によって記憶として保持され、現代においても続いていていて、人々を同じ仲間として結びつけてると考えると理解しやすく、それは単なる非知性的、動物的な意志ではなく、過去にあったものを現前させる知的な意志だというわけです。

「本質意志とは人間に生まれながらにして備わっているような「先天的・遺伝的な意志」(Tönnies1887=1953:127)であり、それには適意、習慣、記憶という三つの形式があるとされる。テンニースは本質意志のこの三つの形式が「一つの全体または統一を形成している」(Tönnies1887=1953:144)と主張するが、このように共通した本質を有する複数の形式が相互連関しつつ統合しているという考え方がテンニースにおけるゲマインシャフトや本質意志といった概念の基本的枠組みである」

小川晃生『パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考 : ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して』、43P

「彼は、A.ショーペンハウアーやF.W.ニーチェの『生の哲学』に影響を受け、人間の意志の形式が社会や社会関係のあり方を決定すると考えた。意志を、欲求や習慣などに関連した自然発生的な『本質意志』と、打算的で合理的な選択に関連し人為的に生成された『選択意志』とに区分し、前者が前近代的な『ゲマインシャフト』(共同社会)を後者が近代的な『ゲゼルシャフト』(利益社会)をそれぞれ生みだすと捉える。」

「クロニクル社会学」、那須壽編、有斐閣アルマ、44P

「テンニェスによれば、「記憶」は、印象を再生する能力であるとともに、「記憶」を媒介として形成される習慣の再現と、それに対する意味づけを通して、失われた出来事を共有する基盤をもたらすと考えられている。例えば、宗教的祭祀や芸術作品は、過去の共同存在において形成され、現在を生きるわれわれを支える記憶の網の目のなかに保持されるとされる。それゆえ、テンニェスの述べる「記憶」は、同一空間に閉鎖的な共同関係ではなく、特定の時間と空間を超えた記憶の共同性を開示する可能性を有する鍵概念である」

西澤真則「テンニェスのゲマインシャフト論における記憶と本質意志」、1P

「本質意志論の枠内では、意志の第一の定義に叶うものとして、まず適意が挙げられている。生物としての人間は、新陳代謝、器官の発育、それらを脅かす不快な状態の排除、そして生殖による自己保存といった活動を営むなかで、「自己の生命を促進する活動や行為」を「生具的な快感」により肯定する。この一連の生物学的な過程は、「力の感情」により「行動へと駆り立て」られ、快的な対象や「行為」の獲得へと至る「衝動であり意志」である――これが生物としてみられた人間の適意である。」

西澤真則「テンニェスのゲマインシャフト論における記憶と本質意志」、16P

「一体性や慣習はいずれも、積極的に平和を促進する力をも有している。両者は、自然的なあるいは習慣によって基礎づけられた個々の関係を肯定し、友好的行為や援助を義務化し、魂の根源的または観念的なる統一と調和とをもたらす―この場合、魂の根源的な統一・調和として直接的に表現されたものが家族精神であり、魂の観念的な統一・調和としてはむしろ形態的・象徴的に表現されたものが慣習である。したがって、魂の統一・調和は、一体性や慣習によって思い出され再生されるのである。祝祭や祭祀の意味と価値とは、それによって喜びや悲しみに対する共同の参与と、聖なるもの・神的なるものへの共同の帰依献身が、調和のとれた整った形で表現されているという点に存するのである。」

『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(下)』p.161

「記憶とは、能動的な社会過程であり、その過程をたんに覚えたことがらの想起と同一視することはできない。われわれは、過去の出来事なり状態についての記憶を絶えず再生産しており、したがって、こうした繰り返しは経験に連続性を与えていく。(…)伝統とは、《集合的記憶を組成する媒体》であると言うこともできよう。一個人にのみ帰属する言語が存在しないように、一個人にのみ帰属する伝統も存在しない。伝統の「完全無欠性」は、たんに時間を超えて持続しているという事実に由来するのではなく、現在を過去に縛り付けていく一連の要素を確認するためにおこなう、解釈という絶え間ない「作業」に由来しているのである。」アンソニー・ギデンズ「ポスト伝統社会に生きること」pp.120

選択意志

POINT

選択意志(せんたくいし)主体が深く考えて目的に役立つ行為を選択するというもの。打算的で合理的な選択。

「選択意志とは、その主体である「自我」(Tönnies1887=1953:126)が、思惟された目的に役立つ活動ないし行為を選択するというものである(Tönnies1887=1953:150)。テンニースはこの選択意志において目的と手段を区別しており(Tönnies1887=1953:153)、また目的に対する適切な手段を選択することを阻害する道徳的・感情的判断を選択意志が排除すると見做した」

小川晃生『パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考 : ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して』、43P

クーリーによる理念型的なゲマインシャフト、ゲゼルシャフトの定義

  1. 第一次集団(ゲマインシャフトに対応):親密な本質意志に基づいた感情的・情緒的結合
  2. 第二次集団(ゲゼルシャフトに対応):契約的な選択意志に基づき、他者を手段化した結合

田中さんの論文ではテンニースが「理論上の集団と歴史上の集団を混同している」という批判があるという趣旨があった。理論上の集団とは、前回ウェーバーで学んだ「理念型」としての概念である。C・H・クーリーによるゲマインシャフトとゲゼルシャフト的な定義は理念型的に構成されているゆえに便利であるが、本来のテンニースの文脈化から離れた定義であるという問題もあるという。

ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの定義はたしかにややこしい。たとえばゲマインシャフトは直訳では共同社会であり、田中さんの論文でいうと「実在的有機的生命体」にあたる。渡邉さんの論文でいうと「利益関係抜きの信頼に満ちた親密な実在的有機的な生命体であり、持続的な真実の共同体であり、生きた有機体」である。そしてゲゼルシャフトは「観念的機械的形成物」であり、「利害関係を媒介とした観念的機械的な形成物であり、一時的な外見上の共同生活、機械的な集合体・人工物」である。

こうした定義はテンニース的な文脈を考慮したものであるが、「過剰に意味付与されている」という見方もあるらしい。たしかになんというか、ごちゃごちゃしていて頭にスッと入ってこない。特に「真実の共同体」はウェーバーでいうところの価値判断的な要素が強いように思われる。こうあるべき社会関係の在り方と、こうなっている社会関係の在り方がごちゃごちゃになっているのかもしれない。つまりウェーバーでいうところの「価値自由」に関連する。

クーリー的なゲマインシャフトとゲゼルシャフトの定義は理念型的に作られていて、そのほうがスッキリしており理解しやすかったので紹介しておきます。

第一集団:親密な顔と顔とをつきあわせた結びつき,その結果としての集団成員間に存在する連帯感と一体感などを特徴とする集団。

第二次集団:特定の利害関心に基づいて意識的に組織され,成員の間接的な接触をその特色とする集団

百科事典マイペディアより引用

※理念型についての基礎理解は前回の記事を参照

【社会学を学ぶ】マックス・ウェーバーの「理念型」とはなにか(概略編)

「もちろん一番よく知られているのは社会集団論としてであろう。集団類型としてクーリーの第一次集団・第二次集団説などと比較される。ここではテニエスの論文の文脈を離れてゲマインシャフトとゲゼルシャフトの両概念を、集団の理念型として用いようとする。したがって両用語の定義が特に重要視され、ゲマインシャフトを親密な本質意志に基づいた感情的・情緒的結合、ゲゼルシャフトを契約的な選択意志に基づき、他者を手段化した結合と単純に規定している。先に概観したように、テニエスの図式は過剰に意味付与され過ぎているとの見方もあり、そのような制約を離れて単純な図式のもとで自由に用いることが生産的であるとする評価もある(見田1988)。それに対しては文脈を離れて用いることについては認めながらも、それのみが有用であるという見解については疑問の声も上がっている(飯田1991)。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 222-223P

ゲマインシャフトのタイプの整理:家と共同体

家(独:Haus)

1:孤立した家:自己完結した遊牧民などの家

2:農村の家:自給自足の家

3:都市の家:交換に頼り、自らの需要以上のものを作る必要がある

4:領主の家:支配と所有という特殊な地位

支配従属関係が強い場合は「ヘルシャフト」である(主人と奴隷、親と子など) ヘルシャフトはゲマインシャフトの部分集合

夫婦関係はヘルシャフト的であもり、ゲゼルシャフト(ゲノッセンシャフト)的であもる。支配と服従の関係でもあり、対等関係でもあるケースがある。

例:日本は家父長制の傾向が強く、父親の支配力がつよかった。近代以降もその影響力は強いが、同時に対等関係という要素もある(家父長制は現代になって法律から削除された)。

共同体(独:Gemeinde)

1:村落共同体:土地の統一的使用

2:都市:集合的生活形態に起因する共同性、芸術、宗教への結びつき

1:血のゲマインシャフト:血縁共同体としての家族を柱とする親族の結びつき

2:場所のゲマインシャフト:地縁共同体としての農村集落の近隣関係

3:精神のゲマインシャフト:友人の結びつき

  

「ところでゲマインシャフトのタイプは、大きく「家」Hausと「共同体」Gemeindeという二つのタイプに分けられる。そのなかでも「家」のタイプはさらに、孤立した家(自己完結した遊牧民などの家)、農村の家(自給自足、またはゲマインシャフトの中で補給)、都市の家(交換に頼るため、自らの需要以上のものを作る必要がある)、領主の家(支配と所有によって特殊な位置を占める)といった四つのタイプに分けられる。次に「共同体」のタイプは、村落共同体(土地の統一的使用)と都市(集合的生活形態に起因する共同性、芸術・宗教への結びつき)の二つの型がみとめられる。これらの集団の中には、都市の家のように、生活のために物資の交換を必要とするものも含まれている。後述するようにテニエスは交換・商業活動をゲゼルシャフトの中心的活動としているが、ここでの交換については、商業活動のように営利的なものではないと強調し、あくまでもゲマインシャフト的な規範のもとでの活動であると述べている。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 219P

3:ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの発生要因(基盤)を理解する

了解とはなにか

POINT

了解(独:Verstaendnis)・相互に共通な結合的な心をもつこと。人間を一つの全体の部分として統合する特殊な社会的力であり、社会的共感。理解されたことの共有に支えられた「共感」。了解はゲマインシャフトの心理的基盤である。了解は理性的な意志と言語に依拠している。他者の承認を必要とし、他者の存在に介在されることで人間の共同的文化的営みの深層に根を張る。

「了解」はすこしイメージしにくいです。こういうケースは個人的な経験上記憶に残らず、2~3日で頭の中から消えていってしまいます。なんとか理解したいですね。正直論文の説明を見ても何を言っているか具体例がなく、抽象的でよくわからない。

西澤さんの説明によれば記憶は「了解」を経由するそうです。記憶とは本質意志の3つの形式の1つです。たとえば「挨拶」という昔の習俗が人々によって伝承され、記憶として保持されていくわけですが、その記憶の過程には「了解」があるというわけですね。挨拶はするものだという「社会的共感」がないと記憶は本質意志として形成されず、ゲマインシャフトとして親密なつながりも生じにくくなるというのは理解できます。

たとえば「女は殴っていい」というようなものを習慣化させ、記憶として伝承させ、ゲマインシャフトを今から作ろうとしても現代日本では難しいでしょう(他の文化では可能かもしれませんが)。そのような習俗は「社会的共感」を得られないからです。したがって了解されず、本質意志とはならず、親密なつながりもうまれないというわけです。そう考えればゲマインシャフトの心理的な基盤には了解があるということは理解できます。

「このゲマインシャフトの心理的基盤となっているものは、相互に共通な結合的な心もち、つまり了解Verstaendnisである。了解は理性的意志と言語に依拠しており、特に共通の語の定義は共同生活の秩序としての自然の法を支えることになる。したがってゲマインシャフトの成立条件としては、成員間の感情的なつながりが深く、コミュニケーションが密であること、成員間に了解が存在すること、成員が共同生活を行っていることがあげられる。そこから、あらゆるゲマインシャフト的集団の原型は「家族」である、という考え方が生じることになる。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 219P

「この意志は『本質意志』、つまり母と子の愛情のように人間が生来そなえている生々しい本能的意志、思惟に先行して自然に発達してくるもの、『了解』を絆として成り立つ心情と、『選択意志』、つまり商人のように合理的・打算的でまさに活動に先行してその計算を行う、思惟そのものの産物としての観念的・人工的な意志とにわかれる。」

「社会学のあゆみ」、有斐閣新書、17P

「そしてテンニースによれば、ゲマインシャフトを結びつけているのは「人間を一つの全体の部分として統合する特殊な社会的力であり、社会的共感である」(Tönnies1887=1953:37)ところの「了解」である。」

小川晃生『パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考 : ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して』、42-43P

「了解とは、「相互に共通な結合的な心もち」であり、理解されたことの共有に支えられた「共感」である。そのような共通の理解とは、本質意志の内容としての「過ぎ去った」「過去的なる」記憶を媒介にした他者との共有の営みを意味する。精確には、テンニェスは、「了解」を、言語の形成を受け、発展を遂げる動きの中において捉えている。しかし、同時に、そうした言語の運動は、情報の伝達手段としてでもなく、自分の思いを一方的に相手に押しつける、伝達内容としての言語でもなく、また「申し合わせによってそのようなものと定められた」己に関わりのない外から与えられた言語でもないという。そうではなく、了解の成立発展は、「共に喜び共に悲しむ傾向とによって規定され」た、他者の「私」への関与と、「私」の他者への関与と、そうした直接的関与を取り巻き、それを支え活かす人間の共同的文化的営み――遺稿においては、これは直覚的な「愛」と呼ばれる――の全体のなかに顕現する暗黙の言語に基づいている。……テンニェスによれば、了解概念は、一つ一つの言語的活動を可能にする言語性とも言い換えられうる、「部分との連関において全体として運動し、全体として働きかける」有機体の姿である。そうした言語性に裏づけられた了解の存在とは、一者のあらわれを可能にする、全体の存在の支えを前提とし、その限りで全体の存在を活きたものとして理解し、また語りかける一者の存在により、全体は支えられもするような相互関係そのものである。それゆえ、了解は、他者の承認を必要とし、他者の存在に介在されることで人間の共同的文化的営みの深層に根を張った「人間を一つの全体の部分として結合する特殊な社会的力であり、社会的共感」のことにほかならない。」

西澤真則「遺稿 “Die Tatsache des Wollens”(意志の事実) におけるテンニェスの社会学の基礎概念の解明: 記憶をめぐる本質意志論と選択意志論との比較」,47-48P

「この「自発的なものとして理解」されるべき有機的生命、すなわち本質意志こそ、個別性を全体へとつなぎあわせることで形成される人と人との相互関係である。その流れが習慣や儀礼のなかに痕跡を残す了解の構造にほかならない4。そしてその了解の構造の一つの表現形式が、表象の相互関係と意志の事実との交錯点に現れる、表象としての記憶であり、また意志としての記憶である」

西澤真則「遺稿 “Die Tatsache des Wollens”(意志の事実) におけるテンニェスの社会学の基礎概念の解明: 記憶をめぐる本質意志論と選択意志論との比較」,36P

「【進化心理学における共感】 進化心理学では,ヒトが共感システムをどう獲得してきたのかが検討されている。すなわち,系統発生的には,原モグラが樹上生活する原猿(=サル)への進化過程で,環境の変化や捕獲者による脅威に対して,生存や防衛のシステムを改善しながら環境適応を果たしてきたが,最初は樹上にニッチを見つけ,昆虫や樹脂を食資源として利用した。その後,果実や葉を食用とすることで身体を大型化させ,危険がいっぱいの地上に降りた。そうして捕食者に対抗する防衛手段として進化させたのが,集団行動であった。集団は個体間にストレスを発生させるが,これを低減し,親和行動を促進させるために発達させたのが,多様な情動である。また,身体の大型化に伴って脳の容量も増加し,他の個体の心を読みとる認知システム(心の理論theory of mind)が進化した。こうして霊長類は,ダンバーDumber,R.I.M.とバートンBarton,R.A.(1997)が仮説を立てたところの社会脳social brainを進化させた。

 同様に,サルから進化したヒトも情動と認知のシステムを駆使して,必ずしも弱いとは限定できないが,子どもに対して情緒的にも認知的にも共感する。動物行動学者アイブル・アイベスフェルトEibl-Eibesfeldt,I.(1972)によれば,共感性は生得的なものであり,同種の他個体に対する援助メカニズムであると考えている。これに従えば,子どもへの愛や信頼である子育てや親子の愛着が容易に説明できる。さらに,この共感のメカニズムこそが,動物同様ヒトが有していた攻撃性に歯止めをかけ,その結果,ヒトが集団行動や絆を形成する基盤となると考えられる。このように考えると,共感は,子育てという直接的な遺伝子複製を超えて,集団生活をする他個体に対してヒトがもつ利他的行動(間接的な互恵性)や道徳性とも関連する。ヒトが他個体を認識し,他人の心の理論を把持し,それに基づき親和的な社会生活をするうえで,共感による基盤は必須なものと考えられる。

心理学辞典より引用(URL)

協約とはなにか

POINT

協約(独:Konvention)・交換商品としての労働などの活動を保証する、活動遂行を強制するための装置。約束の手続き。協約的な約束や契約とも呼ばれる。契約とは相互に他者を利用しあう交換の一致した意志。

たとえば近代的な結婚が「契約」というのはなるほどと思いました。中世以前は簡単に離婚ができませんでしたが、近代以降は離婚がより簡単にできるようになったというのは理解できます。「契約結婚」というかたちもあり、離婚しやすいような形を事前に作ることも出来るようです。

たとえば日本の鎌倉時代の結婚というえば家と家との結びつきという面が強く、またそのために簡単に離婚ができないというのは理解できます。武家などでは政略結婚が当たり前だったそうです。ジンメルならそれは人格的な結びつきによる関係で、近代によって自由恋愛として解放されていったなどと言いそうですね。

国と国同士も協約(契約)関係にあるそうです。思い当たるのが1951年に締結されたといわれる日米安全保障条約でしょうか。日本の安全を保証するために米軍の日本駐留などを定めたもので、1960年に改定され、軍事行動に関して相互協力義務などが定められたそうです。これは日本にも利益があり、アメリカにも利益がある協約といえます。もちろんパワーバランスの偏りはあるかと思いますが、どちらも利益を目的として合理的に選択されたものであり、選択意志の要素があるといえます。アメリカと日本の関係が親密的でゲマインシャフトそのものだ!と考える人はほとんどいないでしょう。「平和と公益も、『人々の協約または協約に示されている相互恐怖』によって維持されている」という言葉がぴったりだといえます。

契約の定義が「相互に他者を利用し合う交換の一致した意志」というのも理解しやすいです。アメリカと日本の関係はお互いに利用し合うという交換の一致した意志だからです。あるいは大家と賃借人の関係も契約によるもので、大家にとっては家賃をもらえるという利益で賃借人を利用し、賃借人にとっては部屋をかしてもらえるという利益で大家を利用し、利益が一致しているわけです。スーパーで物を買う際も、リンゴを手に入れるという利益と、貨幣がもらえるという利益が一致しているわけです(法的には売買契約といい、レジにリンゴをもっていった時点で契約書がなくても売買契約が成立します)。この契約を前提にして人々はゲゼルシャフトを、たとえば名前も年齢も性格も知らない見知らぬスーパーの店員と機械的結合ができるわけです。それは中世以前の、農家と鍛冶屋が人格的な結びつきによって米と農具を交換するといったようなものとは違うわけです(契約ではないから)。もし自分の利益にはならなくても、同じ仲間だから、親密だからといって交換したり、あるいは自分の利益になったとしても仲間じゃないからといって交換しないこともあるでしょう。

また貨幣経済があるからこそアメリカと日本の関係が可能になったというもの理解できます。貨幣経済があるからこそ日本とアメリカにおいて貿易が可能になるからです。ブレトンウッズ体制のように常にドルと金(ゴールド)の交換、たとえばゴールド1オンスと1ドルが常に交換されることによって紙切れの価値が保証されていったそうです。詳しい経済学はよくわかりませんが、固定相場制(1ドル=360円)によって円の価値も安定し、世界の市場おける取引も安定していったのでしょう。日本から360円をもらったが、翌日には1ドルの価値もなく、0.1ドル程度の価値しかないような不安定の場合は取引が難しくなるというのは直感的に理解できます。

「交換商品としての労働などの活動を保証する、活動遂行を強制するための装置」というのもなんとなく理解できます。貨幣に価値があるというのは人々からの信頼によるものだ、というジンメルの話を思い出します。もし紙切れが物と突然交換できなくなるような保証されないような前提にたっていれば、労働する意味がほとんどなくなってしまうような人が多くなるはずです。牛丼を何杯も売って紙幣をもらっても、その紙幣が何物にも交換できないような価値しかない場合、労働なんてしない、自分のためだけに生産するというような状態、あるいは物々交換経済に戻ってしまうでしょう。物々交換時代に戻ってしまえば、必ずしも人と人との関係は利益第一としたものではなく、地縁的なつながりや仲間という意識、同じ地域に住むものだから信頼して物々交換をするといったような状態になるかもしれません。

ではどうやって貨幣の価値が保証されているのか、そのシステムはどうなのか、協約とどのように関連しているのでしょうか。テンニースの時代とは違い、現在は不換貨幣であり、貴金属の裏付けがありません。昔のようにドルと金の交換も保証されていないのです。ゴールドとドル貨幣が常に交換できるという協約がない状態で、なぜ人々は貨幣を信頼できるのでしょうか。それは結局「信用」なのかもしれませんね。あるいは「習慣」かもしれません。あるいは貨幣は物と交換できるものだ、昨日もできた、だから今日もできる、というような特に根拠のないがなんとなく保証されているというものでしょうか。経済学的には貨幣が納税手段としては価値をもつ(リンゴと交換できるかどうかは保証できないが、国が納税手段としては確実に保証する)だとかいろいろな話があるそうですが、長くなりそうなのでこの辺にしておきます。

「テニエスは、このようなゲゼルシャフトの社会的基盤を「協約」Konvention と見ている。協約は交換商品としての労働などの「活動」を保証する、活動遂行を強制するための装置である。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 220P

「このようなゲゼルシャフトにおける人々は自分たちの排他的な所有権を前提としつつ(Tönnies1887=1953:65)、それを生産するのに必要な労働量という単一の基準によってその価値が測定される(Tönnies1887=1953:69)ところの商品を「交換」しながら生活している。このようなゲゼルシャフトにおいて人々を結びつけているのは「契約」に他ならない(Tönnies1887=1953:74)。テンニースはゲゼルシャフトを特定の土地や血縁に拘束されないものだと見做し(10)、それが無限に拡大してゆくことで「世界市場」(Tönnies1887=1953:86)や「世界共和国」(Tönnies1887=1953:325)が成立すると主張した。」

小川晃生『パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考 : ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して』,43P

「ゲゼルシャフトの最も基本的な姿を示す大都市では、注意・比較・計算など人々の考量にもとづく協約的な約束の手続きが交錯している。ここでは、当然、契約的関係が支配していて、人々は、家族、土地、町、迷信、信仰、伝承された儀礼や義務から事実上解放されるのであるが、他方、家族が次第に滅亡し、村や町の古い静かな和やかな共同住居が姿を消し、殺風景な狭い風景が生じる。そこでは、近隣や友情が協約的な社交にとって代わられ、結婚の関係も、随時解消できる契約的な関係になる。ゲゼルシャフトにおいて欠くことのできない唯一の動機は『利益』であって、相互に他者を利用しあう交換の一致した意志が『契約』なのである。平和と公益も、『人々の協約または協約に示されている相互恐怖』によって維持されている。」

「社会学のあゆみ」、有斐閣新書、18P

価値の同等性とはなにか

POINT

価値の同等性・様々な差異があるものを、ゲゼルシャフトに共有される尺度に照らして、客観的な同等性を持つと判断すること。尺度としてはそれ自体としては価値のない「貨幣」などが用いられる。ゲゼルシャフトを発生させる要因は「価値の同等性」にあるとテンニースは考える。

価値の同等性の例は「貨幣」だそうです。金や銀もそれ自体としてはあまり価値がないものだったのかもしれません(現在はゴールドがスマートフォンやパソコンなどの部品として必須レベルで使われていますが)。

たとえばリンゴと米は様々な差異があります。色、形、食感、人の好み等々さまざまです。つまり主観的に価値付される要素が大きいといえます。たとえば私はリンゴと桃ならリンゴのほうが好きであり、したがってリンゴのほうが価値があると考えます。しかし他の人は桃のほうが価値があると考えるかもしれません。このようにバラバラでは人と人との交換が円滑に行われません。今日は気分でリンゴのほうが好きだ、おまえのリンゴは信用できないなんてこともあるかもしれません。しかし貨幣ならどうでしょうか。自分の労働を貨幣と交換すれば、貨幣はリンゴにも桃にも交換できます。リンゴも100円、桃も100円だとすれば、貨幣によってそれぞれ客観的な同等性をもつことになります。あるいは米が1000円だったとしても、貨幣によって交換可能という意味では同等であるといえます。つまり質の違いではなく、単なる量の違いになります(桃は嫌いだから自分のリンゴ1000個でも交換したくないが、自分のリンゴ1個と100円なら交換してもいい)。どのくらいの量になるかというのはおそらく希少性や労働量、あるいは市場における需要と供給などさまざまな要因があるのだと思います(たとえば任天堂スイッチが転売され需要過多になってた時期は、スイッチの価格が上がっていた)。

このように貨幣(価値の同等性)は物と物との間の交換を可能にし、労働力を貨幣と交換する「労働者」を生み出し、また「商品」や「債務」、「所有権の分割」といったものを生み出していきます。さらには市場や資本が発生し、どんどんゲゼルシャフト結合が可能になっていくわけです。テンニースによれば特定の土地や血縁に拘束されないゲゼルシャフトは無限に拡大し、世界市場や世界共和国が成立すると考えたそうです。世界市場についてはよくわかりませんが、たしかに国同士の取引は昔より盛んになっていますね。見知らぬ外国人の商品を個人同士が簡単に輸出入できます(お互いの利益が一致している限り取引が誰であれどこであれ可能になる)。

「ここで注目されるのは、この結合関係は所与ではなく、交換という目的のために選択的に形成されるということである。そのようなゲゼルシャフトを発生させる要因を、テニエスは「価値の同等性」であるとしている。「価値の同等性」とは、様々な差異があるものを、ゲゼルシャフトに共有される尺度に照らして、客観的な同等性を持つと判断することである。しかもその場合の尺度として、貨幣など、それ自体としては価値のないものが用いられる。このような客観的価値判断は異なるものとの交換を可能とし、そこに取引関係が生じることとなった。このやり方に従えば労働と物品の交換が容易となる。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 219-220P

4:ゲマインシャフトからゲマインシャフトへの発展を理解する

ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行

テンニースによれば近代になるにつれてゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行してきたという。つまり中世以前がゲマインシャフト的で、近代以降がゲゼルシャフト的というわけだ。

「結論部ではゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという歴史的発展について、さらに国家を越えた世界というつながりについての考察がなされている。テニエスは歴史的にはゲマインシャフトの時代からゲゼルシャフトの時代へ移行していると主張している。類型区分としてみるならば、ゲマインシャフトは、家内経済に支えられ、一体性を心理的基盤とした本能的連帯による家族生活、農業を生活の手段とし、慣習を共有するという感情的連帯感に支えられた村落生活、宗教を基礎とした道徳的連帯によって秩序づけられ、工芸技術や芸術によって成り立つ小都市生活に結びつくとされる。一方ゲゼルシャフトは、商業に依存し、利益追求のための協約を履行することで成立する会社組織に代表される大都市生活、工業の促進によって発展し、立法・政治についての様々な打算の総括として現れる国民生活、学問・科学の世界における、理性や意識性を基盤とした世論形成による世界主義的生活に結びつくものと定義されている。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 221P

「テンニースはこのようにゲマインシャフトとゲゼルシャフトという対概念によって、人々の共同生活を2つに類型化する。そのうえでこの対概念を歴史過程に当てはめることによって、ゲマインシャフト(中世)からゲゼルシャフト(近代)へという社会構造の歴史的推移を法則的に描き出そうとした。」

渡邊隆信『「共同体としての学校」の起源と史的展開 ドイツ新教育における「ゲマインシャフト」概念に着目して』、30P

5:発展の際に生じる弊害と克服方法について理解する→ゲノッセンシャフトの理解

整理比較表

【ゲマインシャフト】【ゲゼルシャフト】

【主な特徴】

・代替可能性が低い(例えば家族は代わりがききにくい)

・自然発生的

・具体例:家族、村落共同体、中世的な小都市の徒弟制度など

・無意識的(思考に先行する意志)

・本質的には結合を前提としている

【主な特徴】

・代替可能性が高い(同じような能力があればスーパーの店員は誰でもいい)

・人工的

・具体例:市民社会、世界貿易、工業や商取引

・「交換」という目的のために人間関係が形成される

・欠くことのできない唯一の動機は「利益」

・意識的(思考による意志)

・本質的には分離を前提としている

【発生要因】

・了解

【発生要因】

・価値の同等性(貨幣など)

【他:限界事例?】

前提:ヘルシャフト

親と子、主人と召使いのような純粋な支配関係

・夫婦関係

ヘルシャフト的でありながら、ゲノッセンシャフト(ゲゼルシャフト)的な対等関係もありえる

【他:限界事例?】

・ゲノッセンシャフト

ゲマインシャフト的なものとゲゼルシャフト的なものが同時に存在するような関係=協同関係

例:中世ギルド(ツンフト)は自由意志によって基づくが、精神のゲマインシャフト(単なる支配関係ではなく横のつながり、仲間意識)が存在している。純粋な国民国家は横のつながりというより縦のつながり(つまり合理的な支配関係)の側面が強い。国民が政治家の政策に従うのは仲間だからか?それとも利害関係の一致か?法で決まっているからか?伝統的だからか?仲間意識がない横のつながりというのもありえる(単に利益になるから手を結ぶような会社同士の関係などは純粋にゲセルシャフ的か)。

【問題点】

・本質的な結合ゆえの分離

権力を持つ側の残忍さや服従する側の抑圧を生むことをテンニースは指摘している

例:虐待など

【問題点】

・公共空間においてよくある他者への無関心・敵対心、本質的な分離ゆえの結合

例:電車でお互いに目線を合わせずたちいらないようにする。無関心であるからこそ大都会での生活が成り立つ(ゴフマンの儀礼的無関心)。

・他者から手段としてしか見られなくなる。労働の疎外化(労働は単に利益を得るための行為となり、本質的に充足感が得られず、労働に対して無関心・適意を抱く)が生じる。

例:たとえば部品を作って生計を立てているが、なんのための部品かよくわからず、だれに売られるかもよくわからず、部品のための手段も自分が提供しているわけではない。ロボットのようにただ部分的な(分業的な)機能を求められ、その労働に対して貨幣が交換されていく。

中世以前のゲマインシャフト的な農家では、自分の労働を自分で管理できていたので労働から疎外されていなかった。

・仮面的行為、嘘のゲゼルシャフト、擬制的な社会(非自然的社会)、友情が協約的な社交に代わる

「確かに父子関係は、年齢・経験などにより困難な労働にも耐えうる父親が次世代を担う自分の子供を保護し、子供は父親の権威に服することになっており、ゲマインシャフトの支配関係の原型であるといえよう。もちろんテニエスはこの原理が常に理想的に働くとは限らず、ときとして権力を持つ側の残忍さや服従する側の抑圧を生むことも指摘している。これはテニエスが、ゲマインシャフトを無批判に認めていた訳ではないことを示している。」

田中まり「テニエス 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』 再考」 219P

(人々は)「互いに愛しあい、互いに慣れ親しみやすく、しばしば喜んでお互いについて相互にともに語り共に考え合う」

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、61P、 岩波文庫

「本来的あるいは自然的状態としての人々の意志の完全な統一」

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、22P、 岩波文庫

「信頼に満ちた親密な水入らずの共同生活」

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、35P、 岩波文庫

(ゲマインシャフトをむすびつけているのは)「人間を一つの全体の部分として統合する特殊な社会的力であり、社会的共感である」→了解

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、37P、 岩波文庫

「人々はそれぞれ一人ぼっちであって、自分以外のすべての人々に対しては緊張状態にある。かれらの活動範囲や勢力範囲は相互に厳密に区切られており、その結果、各人は他人が自己の領分に触れたり立ち入ったりするのを拒絶する。すなわち、これらの行為は敵対行為と同様なものと考えられるのである。」

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、91P、 岩波文庫

「人々は、ゲマインシャフトではあらゆる分離にもかかわらず結合しつづけているが、ゲゼルシャフトではあらゆる結合にもかかわらず依然として分離し続ける」

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、91P、 岩波文庫

「マルクスは、近代工業の発達が、多くの人たちの労働を、単調で面白くもない課業に変えていくと最初に推測した論者のひとりである。マルクスによれば、分業は、人間を労働から疎外していく。マルクスは、たんに労働だけでなく、資本主義的工業生活の全体的枠組みにたいしても、人々がいだく無関心なり敵意を、疎外と称した。マルクスの指摘によれば、伝統社会では、労働は多くの場合、心身を疲れさせるものだった──農民は、時として夜明けから夕暮れまでせっせと働かねばならなかった。しかしながら、農民はその労働が多くの知識と技能を必要としていたため、自分の労働を現実に管理していた。対照的に、多くの工業労働者は、製品を造るのに断片的に寄与するだけで、自分の仕事にたいする管理権をほとんどもっていない。また、工業労働者は、その製品が、どのような仕方で、誰に売られていくのかに関して何の影響力ももっていない。ジョッキーのような労働者にとって、労働は疎外されたもの、つまり、収入を得るためにしなければならないが、本質的に充足感が得られない課業のように思われている、とマルクス主義者は主張する。」

「社会学」、アンソンー・ギデンズ、而立書房、P736P

ゲゼルシャフトの問題点

テンニースはゲマインシャフトを「真実の共同生活」といったように肯定的に評価し、ゲゼルシャフトを「一時的な外見上の共同生活」といったように否定的に評価したとみられている。

たとえばテンニースがゲゼルシャフトに区分した「国民国家」の成立は一般に、18世紀のイギリス市民革命や18世紀のフランス革命の時期と重なっている。一般に「近代」とは西洋史において15~16世紀移行を指し、大航海時代や宗教改革が分岐点とされる場合もある。あるいは資本主義の本格的な始まりであるイギリスでの16世紀に起きた農業革命の時期とも重なる。

テンニースはゲマインシャフトの発生要因を「価値の同等性」、特に貨幣であると主張している。貨幣が流通していなければここまでゲゼルシャフトは発展していなかったということだ。ジンメルも同じように貨幣は分業を推し進め、分業は人格的な結合を解体していったと説明している。

国民国家がゲゼルシャフトであるということは、選択意志に基づいていることを意味する。つまり商人の取引のように合理的・打算的な意志である。マックス・ウェーバーが近代国家を合理的支配に分類し、官僚制と関連付けたことを考えれば理解しやすい。行政府の官吏は合理的に、ルールに従って行動しているからだ。感情によって親身に上司と部下は結びついているのではなく、法律などのルールによってその関係が合理的に規定されている。部下が上司に従う理由は同じ仲間だから、親密だからといったゲマインシャフト的な「了解」によるものではなく、「法律で従うことが決まっているから」という合理的な理由である。このような意志は生まれながらに備わっているものではなく、人間が人為的に作り出したものであるという。

ゲマインシャフトの典型例で言う家族、とりわけ「母と子」の関係が本質意志によるものというものは理解しやすい。赤子が意識的に母親と契約によって打算的に結合しているなどと到底考えることはできない。母親は自分が産んだ子だから同じ仲間であるのは先天的に当然だというように無意識的に親密さが構成されている。

一方で国家と国民の繋がり、たとえば政治家や官僚と私企業の会社員は母と子のように親密だろうか。あるいはアマゾンでものを購入する時に目に見えない商人との間に母と子のような親密さがあるだろうか。法律で決まっているから国家が税金を要求するなら従い、購入したほうが得だと思うから商品から物を買う。ジンメルでいうところの「人格的な関係」がどんどんなくなっているようなものだ。ただしジンメルはこのことを必ずしも悲観的に考えておらず、むしろ「自由」を生みだすものとして肯定的に評価している。

たしかにアメリカと日本が仲良しこよしで友情だけでつながっているかといえば、そうではない。利害関係が大きい。たとえば中国がアメリカに攻めたときに日本が加勢してくれることを期待するだとか、あるいは貿易における利益だとか、日本が中国から攻められたときのアメリカの加勢だとか、そういった利害関係によって機械的につながっているイメージが強い。一方で母と子は必ずしも利益によってつながっていない。自分に利益がないから子を捨てることは現代日本ではほとんど見られていない。一方で、利益にならないから能力のない社員をクビにするということはある。一方で、能力がなくても長期雇用が保証されるような側面もある(日本的雇用慣行、経営家族主義)。昔は親方と弟子のように単なる利害関係ではなく、家族のように職場が構成されていたと言える。あるいは実際に家族で農作業をしたりしていた。

「近所の人がどういう人か知らない」というのが大都市にはよくあるそうだ。という私も、特に大都市に住んでいるわけではないが近所の人のことをよく知らない。名字くらいは表札を見ているから知っているが、話したことがほとんどない。儀礼的な挨拶はするが、それは親密さからくるものではない。要するに「無関心」である。ゴフマンでいうところの儀礼的無関心、ジンメルでいうところの「人格的な関係からの解放」、テンニースでいうところの「擬制(見せかけ、ウソ)」を意味しているのかもしれない。もし近所の人々と深い付き合いがあれば、どういう人間であるべきかが無意識的に規定されていくのかもしれない(ジンメルで言うと個性が育ちにくい)。親密な付き合いは人を自由にするが、不安にする。そのどちらをとるべきだろうか。テンニースはゲゼルシャフトの非親密な付き合いを嘆き、ジンメルはその副作用を意識しながらも自由と個人の発生を評価した。

同じ地域に住んでいる仲間だから結合するのが当たり前だったような近代以前の結合とは明らかに異なってきていることがわかる。スーパーの店員が誰かもよく知らないし、正直、能力があれば誰でもいい。アマゾンで物を購入する時にレビューの評価数以上に考慮するものがあまりない。自分にとって得かどうか、利益があるかどうかをたしかに中心に考えている。一方で、家族は代えがたいものであり、友人や恋人が単なる利害関係によるものではないことも意識している。つまりゲゼルシャフト的な側面とゲマインシャフト的な側面がある。しかし地方の農家の親密な近所付き合いとは明らかに質が違うものであり、こうしたことからゲマインシャフト的な結合からゲゼルシャフト的な結合へ移行しているということは理解できる。

テンニースにおける「擬制」というのは都会の冷たさにもよく表れそうだ。暴漢に襲われている女性を見かけても、自分の生命が危ないからと言って打算的に考え、手を差し伸べようとしないゲゼルシャフト的なイメージができる。一方で親密なつながりの強い田舎ではほとんどの人間が顔見知りであり、同じ仲間だから自分の利益を深く考えず助けるといったゲマインシャフト的な精神がイメージできる。自分はいかにも道徳的であるかのように擬制しながらも、いざとなったら打算的に逃げ出すような都会人を理念型的にイメージできてしまう。口では人に優しく、他者に尽くすことは素晴らしいと言いながら、いざとなったら自分の利益を考えて行動できない。

「ゲマインシャフトは持続的な真実の共同生活であり、ゲゼルシャフトは一時的な外見上の共同生活に過ぎない」

フェルディナント・テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)、37P、 岩波文庫

「テンニースはあきらかにゲマインシャフトを本来的な共同生活のあり方と見なし、それが失われつつあることを嘆いている。」

「社会学」、有斐閣、38P

「大都市のゲゼルシャフト化状態にたいする評価でもうかがわれるように、テンニースは近代社会のあり方を批判的にとらえている。人間は、もともと『自分自身の主人であるが、それが拘束されて自己自身の負債者となり下僕となっている』。人間自ら自分の物質的欲望充足の手段と化し、おもちゃになっている。まさに疎外化の極み。倒錯した世界。搾取するものとされるものの両極分解。こうした近代社会の矛盾はどのような方向で解決されうると考えられたのか。」

「社会学のあゆみ」、有斐閣新書、19P

ゲノッセンシャフトとは

POINT

ゲノッセンシャフト(協同社会、協同組合、協同体、団体、同等関係)・成員の自由意志に基づく契約によって形成される団体。ドイツの法学者O.ギールケによって考えられた概念。ギールケによればゲノッセンシャフトとは兄弟の契りを基本形式とする横の親等関係によって構成される人為的団体。縦の親等関係による支配的団体構造(ヘルシャフト)とは対立する概念。テンニースはゲノッセンシャフトをゲマインシャフトとゲゼルシャフトの統合した姿として考えた。

たとえば母と子、父と子のような関係は「支配関係」だといいます。たしかに子供は親に従い、親は子を支配します。こうした支配は人為的、つまり意識的なものではなく、人間が生まれ持って備わっている無意識的・先天的・遺伝的なものです。つまりテンニースでいうところのゲマインシャフト的な支配関係です。

それに対してゲゼルシャフトは目的のために意識的、人為的に作られた関係です。たとえば共通の敵から守るために国家として団体を形成したりするケースです。

どちらかといえばゲノッセンシャフトはゲゼルシャフトに近く、ゲゼルシャフトの部分集合として扱われることもあります。またヘルシャフトも同様にゲマインシャフトの部分集合として扱われることもあります。どちらも理念型的であり、現実にはゲノッセンシャフトにもヘルシャフトにも両方の性質、つまりゲゼルシャフト的なものもゲマインシャフト的なものもあったそうです。

たとえば夫婦関係は夫(あるいは妻が)が妻(あるいは夫を)を支配するような側面もあれば、同等の立場のような側面もありえるそうです。このケースではヘルシャフトとゲノッセンシャフトが同時に存在することになります。ヘルシャフトの純粋型、要するにゲマインシャフト(ヘルシャフト)の純粋型としては「子に対する親、召使いに対する主人」があるそうです。たしかにそのほうが支配関係的な側面が強いです。

協同組合とはおそらく「ギルド」的なイメージをすればいいのではないかと思います。中世都市における商人の団体はテンニースでいえば「ゲマインシャフト」の範疇に属します。テンニースの分類においては「精神のゲマインシャフト」、つまり朋友(ほうゆう)に属します。つまり「仲間」です。職人同士は縦のつながりというより横の対等なつながりによってつながり、協力し助け合っているといえます。おそらくはゲマインシャフトの中の部分集合、つまり精神のゲマインシャフトがゲノッセンシャフトの内容に近いです。

純粋なゲマインシャフトが支配関係、たとえば親と子、主人と召使いにあるとして、純粋なゲゼルシャフトは単なる利益によってつながった組織(たとえば組合費だけを納めればいいというような)ものが考えられます。この純粋なゲゼルシャフトとゲゼルシャフトの間にあるものがゲノッセンシャフト的だということです。間というよりも「いいとこどり」というイメージです。仲間だから助け合うのであり、支配関係にはなく、かといって無意識的に結合するものではなく、意識的・理性的に組織される団体です。要するに中世ギルト的なものです。

ギルドではジンメルが言っていたように、単なる利益団体ではなく「生活共同体」だったわけです。ジンメルによればそれゆえに人格的には支配されていたそうです。要するに「同じであること」を求められるというわけです。出る杭は打たれるわけですから個人主義や自由が育ちにくかったというわけです。しかし純粋に強制されない自発的な組織であり、助け合いの精神に元で作られた理想的な協同組合ならば、人格的に支配されず、自由で個人主義的なものが育つこともありえそうです。ギルドは──設立初期の頃は違ったかもしれませんが──自発的な組織というよりも、ほとんど強制的だったようです(ギルドに加入しない者には営業が認められない)。しかし一旦入れば、対外的独占、対内的平等というように「支配関係」というよりは「対等な関係」であり「横のつながり」の性質があったようです。

「テンニースは必ずしもゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行を完全に否定的に捉えていたわけではない。彼の関心は強固な社会主義者としての立場から、むしろ資本主義的近代の批判へと向けられていたといえる。また彼の議論はゲマインシャフトとゲゼルシャフトの二元的図式で説明されることが一般的だが、「ゲノッセンシャフト」(Genossenschaft:労働者による商品の共同購入のための結社)という概念においてゲマインシャフト的要素がゲゼルシャフト的生活条件に適合される例にも触れていることに注意せねばならない。」

田中人「コミュニティ観の今日的位相―多主体的協働秩序としてのコミュニケーション的共同性―」9P

「テンニースは、近代社会への道、ゲゼルシャフトのへの道をただ単に批判的にみていたのではなかった。『慎重に、思慮をもって、忍耐づよく』解決するための方策として、彼は、労働者の『ゲノッセンシャフト』(Genossenshaft,協同組合)を、いわば『下から』の改革として提案した。『ゲノッセンシャフトの拡大的完成=われわれが後続する世代に遺そうと願う遺産としての、より高次の人間的ゲマインシャフトの新時代を準備する』のであると。」

「社会学のあゆみ」、有斐閣新書、19P

「彼(ドイツの法学者ギールケ)によればゲノッセンシャフトとは,兄弟の契りを結合の基本形式とする横の親等関係によって構成される「人為的」団体であり,祖父母,親,子,孫という縦の親等関係によって構成される「支配的」団体構造と対立する概念であって,ゲルマン共同体やギルド共同体がこれにあたるとしている。さらに,協同組合のような結合体をゲノッセンシャフトと呼ぶことがあり,F.テンニェスなどは協同組合運動をゲマインシャフトとゲゼルシャフトの総合した姿と認め,ゲノッセンシャフトとしている。 」

ブリタニカ国際大百科事典

「したがってゲマインシャフトを非合理的,ゲゼルシャフトを合理的と割り切ることはできず,現実の当該集団がどの程度各理念型に近づいているかが問題である。テンニースは同等関係(ゲノッセンシャフトGenossenschaft)と優越・従属関係(ヘルシャフトHerrschaft)について,ゲマインシャフト的なものとゲゼルシャフト的なものを見ていた。子に対する親,召使に対する主人,共同社会での年長者はゲマインシャフト的権威関係の典型であるが,夫妻の場合は同等と優越との組合せとされ,ゲゼルシャフトでも概念上の同等関係と事実上の権威委譲関係との矛盾が見られるとした。」

世界大百科事典

「この語に最初に重要な意味をもたせたのは、ドイツ歴史法学を代表するギールケである。彼は、人間は社会的存在であり、目的を達成するためにつねに集団生活を営むとするが、集団目的の達成は、少数者の意志への成員の服従による場合と、成員の協同による場合とがあるとして、前者を支配、後者を協同体(あるいは団体)とよび、両者の原形が家族にみられると考えた。すなわち親子関係は支配を、兄弟姉妹関係は協同を示すわけである。しかもこの協同体は、自然発生的な原始的共同体とは異なり、成員の自由意志に基づいて契約によって成立するものであることに特色をもつ。」

日本大百科全書

「個々の人格と同業組合の関係もまた、人格と所有の関係と似た発展をたどった。中世の組合はその成員を全人として自らのうちに取り込んでいた。織物職員のツンフト(中世ヨーロッパの同業組合)は、織物職人のたんなる利益擁護にとりくむ個人の集団ではなく、専門職、社交、宗教、政治、その他多くの分野にまたがる生活共同体だった。どんなに即物的利益を中心に集団を作っていても、中世の団体はメンバーひとりひとりのなかに直接息づいていたし、またメンバーたちも権利をもたないまま団体のなかにとけこんでいた。こうした統合形態とは対象的に、貨幣経済は、メンバーから会費を要求するだけの、あるいは金銭的利益のための無数の団体の成立を可能にした。それによって一方では団体活動の純粋な即物性、純然たる技術的性格、あるいは人格的影響からの脱皮などが可能となった。他方、主体は、もはや全人としてではなく、主としてカネの拠出と受領によって全体とつながっているにすぎなくなり、自らを拘束していた束縛から解放された。」

「ジンメル・コレクション」264-265P

「テンニェスの新解釈によっていつかは切り開かれるべき共同存在の未来構想、すなわちゲゼルシャフト化した現代において、共感と同情とにもとづくゲマインシャフト的契機を再興する可能性―これをテンニェスはゲノッセンシャフトと表現した」

西澤真則「テンニェスの社会哲学の基礎としての意志論 : 記憶論の視角からみた本質意志論の再構成」※これは論文というより論文の審査内容みたいですがわかりやすいので引用しました(URL)。

感想:「当初われわれは、互いにただ相手の手段でしかなかった」

テンニースにおける知識をいくら吸収したとしても自分の中で消化できないとまるで意味がない。自分の考えと結び付けないと記憶として全く定着せず、ただ時間の浪費に終わる。おそらくゲマインシャフトが共同体、ゲゼルシャフトが利益社会、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと近代になるにつれて移行していったという表面的な知識しか残らず、他は残滓として消えていくのかもしれない。ゲマインシャフト=あったかい、ゲゼルシャフト=冷たい、どっちも世界には重要だけど、どうバランスをとる?という問題意識はなんとなく頭に残る。

私は生活の中でゲマインシャフト的な結合も、ゲゼルシャフト的な結合もしている。名前も顔も知らない顧客の人とただお互いの利益の合致により結合し、一切の親密さもない機械的な結合に辟易することもある(アマゾンでワンクリックで結合できる)が、それが生活において重要で、便利であるということも認識できる(ゲゼルシャフト的な世界があるからこそ私はパソコンを手にすることができたし、科学も発達できたし、国同士の公益も容易になったし、技術も共有できるようになったし、戦争も減った?)。同時に名前も顔も知っている友人や大事な人、家族たちとの結合の素晴らしさとそれゆえの煩わしさも認識することが出来る(両親や恋人、友人との喧嘩は距離が近いことにより起こり、それで一喜一憂するし個性的なものが否定されがち)。一方には倦怠感と自由が、一方には親密感と不自由がある。そのどちらにも良さがあり、どちらにも悪さがある。ジンメルのいうところの両義性である。近すぎても遠すぎてもよくないというのは直感的には理解できる。

いいとこどりのバランスをとれたいいな、という安直な感想を持っているが、具体的にどのような結合がベストで最適で平衡的なのかは想像できない(マルクスでいえば革命なのだろうか)。テンニースのいうところのゲノッセンシャフトも正直よくわからない。資本主義か共産主義かの二択という単純な問題ではないことも理解できる。世界はどうあるべきかより自分はどうあるべきか、なにを選択し、どのような結合をしていくかというほうが正直身の丈にあっている。ラブアンドピースが大事なんていうことはヒッピーだって主張していることだし(有閑階級の遊びじゃないかと思うこともある。生活がある人にはラブアンドピースにはそぐわない人が嫌がるような営業の仕事もする必要がある。コンビニの店員がいて助かっている)、そうした価値と現実をどのように結合させていくかが一番難しい。私的な場においては親密に、公の場においては相手と自分の利益の均衡を重視し、うまく折り合いをつけていけるような世の中が個人的な決断としてはベストなのではないかと思う。

私的な場においても打算を中心に恋人や友人、親との関係が構築され始めたら「心に穴」が空きそうだ。しかし「どうやって折り合いをつけるのか?」というのが問題なのだが、それについて私が答えを持っているわけではない。しかし自分の利益、つまり何か目的のために手段として関係をもつのではなく、関係をもつこと自体が目的であるというようなものはたとえば恋愛という場において、あるいは芸術の場においてよく実感できる(世界は完全にゲゼルシャフト化したわけではない)。恋人からなにか金銭的な利益がなくても共に在ること自体で充実し、あるいは絵を描いていること自体で充実し、あるいは一緒に絵を共有すること自体で充実するような体験がある。つまりゲマインシャフト的な結合を根底に置きつつ、そこに帰ることができ、居場所が在るからこそゲゼルシャフト的な冷たい結合に耐えることができ、またゲゼルシャフト結合すら楽しむことが出来るのかもしれない。デュルケムが連帯の強さが自殺率に関係するといったことも理解できる。人はゲゼルシャフト的な関係だけでは精神的に耐えられないのではないだろうか。

ちょうどムーミンにおいてスナフキンは旅をするが、彼にはムーミン谷の仲間たちとうというゲマインシャフト、魂のゲマインシャフトがあるからこそ旅を楽しむことが出来る。行きずりの人たちとの関係はゲゼルシャフト的かもしれないが、それはそれで自由として楽しめる。自由として楽しめるのは帰る場所が在るからである。都会に独り立ちした若者も、実家という帰る場所(故郷)が在るからこそ冷たい都会に耐えられる。無限にゲゼルシャフト的な関係を結び、常に自分が相手の手段として在るのではなく、帰ったら自分がただの手段ではなくそれ自体として迎えてくれる場所があるからこそ自由を楽しめるのである。そう考えるとやはりまずはゲマインシャフト的な結合を容易にできるような精神性、文化をどうにかして蓄積する必要があるのかもしれない。あるいはベーシックインカムのように一定の生活を保証してあげるとか、そういうのもゲゼルシャフト的な結合意識の緩和になるのかもしれない(利益を生まなければ生きていけないという前提意識の緩和)。今更古代の人間に戻って農作物だけを生産して自給自足で生きていく生活に戻ることは難しいだろう(便利さをいまさら捨てられるか)。戻るか、進むかだけではなく第三の道はあるのか。

ムーミンにとってスナフキンは人格的に、それ自体で利益があり、なにか金銭的なものをもたらしてくれたり、交換してくれたり、労働してくれたりするから価値があるのではない。そういう人間関係を一人でも二人でも保てていたら、冷たいゲゼルシャフトも自由な結合として楽しめるのかもしれない。個人的な考えではやはりそうしたゲマインシャフト的な結合も血縁的な結合を除けば、最初はゲゼルシャフト的な結合から始まることもあると思う。最初はお互いを単なる手段と考えていたが、次第に目的となったというのはあるはずだ。ゲゼルシャフト的な結合が在るからこそ人を結びつけ、そこからゲマインシャフト的な結合に発展する場合がある。最初は相手の給料のみを目的としていた人間も、次第にその人間そのものを愛するようになるかもしれない。きっかけとしてのゲゼルシャフトとして、ゲゼルシャフトにもゲマインシャフト結合の機会を増やすという独自の価値を帯びるのかもしれない。であるとすれば相手の単なる手段となれるような、自分の利益を高めるような行為もゲマインシャフトにつながる可能性を増やすことも在る。

最後にウェーバーの言葉を引用して終わる。

「さて、ある男がある女と恋愛関係にあり、その関係について彼がこう言うと仮定しよう。『われわれ二人の関係は初めはたんなる情熱にすぎなかったが、いまではそれは一個の価値である』と。この文章の前半をカント的倫理の冷徹な即物性にのっとって言い換えるなら、つぎのようになる。『当初われわれは、互いにただ相手の手段でしかなかった。』──そしてそう言い換えることによって、人はこの文章全体を、いやなに、そいつは全く当節流行のあの『個人主義』というやつ──おかしなことに人は今日よくこういう言い方をするのだが──の表れにすぎないよ、と片づけてしまうかもしれない。だが、実をいうとこの男の言葉は、人間の倫理とのかかわり方には無限の多様性が在ることを、ものの見事に言い当てているわけである。われわれはこのところをぜひともよく理解しなければならない。この男は消極的な言いまわしで、だからまた、他人を『たんなる手段としか見なさない』という倫理上否定されるべき人間の扱い方の対局にある態度とは積極的には一体なんなのか、という問いにはいっさい答えることなく、明らかにつぎのことを言外に語っているのである。一、倫理外的な独立の価値領域の承認。二、倫理の領域と倫理外的領域との峻別。三、倫理外の諸価値に仕える行為にも、通常の倫理的尊厳とはまたちがった倫理的尊厳のさまざまなヴァリエーションがありうるという事実ならびにその意味の確認。」

『マックス・ウェーバー 社会科学論集』、河出書房新社刊、318P

参考文献・おすすめ文献

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト 下―純粋社会学の基本概念 (岩波文庫 白 207-2)

雀部幸隆『知と意味の位相―ウェーバー思想世界への序論』

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蒼村蒼村

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