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	<title>ユルゲン・ハーバーマス | 創造法編集社</title>
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	<description>社会学や哲学、その他創造に関する知識をまとめます</description>
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	<title>ユルゲン・ハーバーマス | 創造法編集社</title>
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	<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(45)】｢討議的沸騰｣について</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-45-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 14:15:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
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					<description><![CDATA[ルターの人間観と討議的沸騰。エゴを超えて納得を築く社会学。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-1" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-1">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">(9) 教訓</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">[9-3]ルターの｢我､自由意志を欲せず｣の重みと､｢討議的沸騰｣について</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">マルティン・ルターの人間観について</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">ルターにおける2つの抽象度の違う規範､偶像崇拝</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">多様な動機の衝突と､それを調停する｢納得感｣の難しさについて</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">アドラーにおける理想と教育</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">見田宗介さんにおける｢拡大されたエゴイズム｣</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">｢理性の他者｣への回帰</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">社会学的想像力をもった超人</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">｢討議的沸騰｣が多様な動機を｢納得感｣へ調和させる可能性について</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc14" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">(9) 教訓</span></h2>
<h3><span id="toc3">[9-3]ルターの｢我､自由意志を欲せず｣の重みと､｢討議的沸騰｣について</span></h3>
<h4><span id="toc4">マルティン・ルターの人間観について</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/c27b50772c648f762420e6eab8f2231c.png"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5550" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/c27b50772c648f762420e6eab8f2231c.png" alt="" width="167" height="300" /></a></p>
<p>｢人類の幸福のため｣､｢弱者の救済のため｣､｢正義の実現のため｣という主語が大きな壮大な目的は果たして人間に実現可能なのだろうか｡</p>
<p>ここで私が思い出してしまうのは神学者マルティン･ルターである｡私がyoutubeで最初に扱った動画の人物でもある｡宗教革命に深く関わる人物であり､資本主義の精神の発展に関係する人物でもある｡</p>
<p>ルターはこのように人間についてたとえば述べている｡</p>
<p>｢<i>人間はあまりにも自己中心的に歪んでしまっているので､物的諸財ばかりか霊的諸財でさえも､これを自己本位的に歪めて悪用し､よろずに自分自身を追求することしか知らない､と｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間というものは､一般的に､また全体として見るならば､善とは何かをよくわきまえており､実際に善を望みもするが､しかし個々の具体的なケースとなると､その点でときどき間違いをおかし､善を望まない場合がある｡これが世間一般の人間に対する見方である｡しかし私はむしろ次のように言わなくてはならないと考えている｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間というものは､一般的に､また全体として見るならば､善とは何かをよくわきまえており､実際に善を望みもするが､しかし個々の具体的なケースとなると､その点でときどき間違いをおかし､善を望まない場合がある｡これが世間一般の人間に対する見方である｡しかし私はむしろ次のように言わなくてはならないと考えている｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間はその魂を神の像に似せて造られ､したがってまた神の恩恵を受けるにふさわしい存在であるが､しかし､生得の力だけに頼って生きるかぎり､彼はその手にゆだねられた被造物を(正しく管理せず)すべて台無しにしてしまう｡なぜなら､彼はよろずに自分自身にしか関心を示さず､また､もっぱら肉に属することしか追求しようとはしないからである｡</i>｣</p>
<p>｢<i>人間の自由意志が承認されているのは､人間の上にある事柄[対神関係]に関してではなく､もっぱら彼の下にある事柄に関してだけである｡つまり人間は､自分のお金や財産に関しては､それを意のままに使い､稼ぎだし､処分する権利をもつと考えても善い｡とはいえその点にかんしても､いつも我々は神の自由意志にもとづく介入を考慮しておかなくてはなるまいが｡</i>｣</p>
<p>｢<i>しかしながら､それ以外の神にかかわること､救いに関する事柄では､人間は自由意志をもたず､神の意志か､さもなくばサタンの意志か､そのどちらかの意志のとりこであり､下僕であり､奴隷である｡</i>｣</p>
<p>｢<i>私自身についていえば､私ははっきりと告白しておきたい｡私はどんなことがあっても自分に自由意志が与えられ､みずから浄福を獲得すべき何らかの力が私に授けられることを望まない､と｡それはなにも世に満ちたかくも多くの誘惑や危険､悪魔の襲撃にたいして､私がとても抵抗できそうにない……という理由だけからではない｡｣</i></p>
<p>｢<i>かりにどんな誘惑､どんな危険､どんな悪魔の攻撃もこの世に存在しないと仮定しても､それでも私は､もし自由意志が与えられているとしたら､いつもいつも極度の不安にさいなまれ､みずから浄福を獲(か)ちとるため､あたかも刀で空を切る者よろしく､きりきり舞いしなければならないからである｡</i>｣</p>
<p>｢<i>だって､そうではないか｡かりに私に無限の生命が与えられ､私が永遠に善き業に励むことができたとしても､それでも私は､神によしとされるためには自分がまだどれほどの功業を積まなければいけないかについて絶えず悩まされねばならず､その点で私の良心は決して安らかになりはしないだろう｡</i>｣</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>雀部幸隆｢知と意味の位相｣89-114p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc5">ルターにおける2つの抽象度の違う規範､偶像崇拝</span></h4>
<p>さて整理しよう｡ルターによれば､規範には２つのレベルがある｡まずは､神のみぞ知る､聖書からも直接的にはよくわからない｢<b>普遍的な規範</b>｣である｡次に､人間が各々具体的な状況において考える｢<b>特殊的な規範</b>｣である｡</p>
<p>人間が普遍的な規範を認識しようなどとは､おこがましいというわけである｡普遍的な規範がわからないのだから､ある行為が(神から見て)正しいかどうかもわからないので､人間は常に不安にならずにはいられない｡そんな不安な状態の中で神からの救済のために善行に励み続けるというのは､大変なことであるというわけだ｡</p>
<p>多くの人間は､結局自分勝手に､自己本位的に正しいと思うこと(その自己の範囲がたとえ家族､国家だとしてもである)を､心地よいと思える行為をしてしまう｡科学を信仰したり､異性を信仰したり､子どもを信仰したり､仕事を信仰したり､趣味を信仰したり､あるいは理性(コミュニケーション的理性にしろ認知道具的理性にしろ)を信仰したりするかもしれない｡</p>
<p>ルターからすればそれは世界内在的な対象に対する｢<b>偶像崇拝</b>｣であり､人がそれぞれ我を忘れて心酔し､心を奪われ､夢中になるものがそれぞれの偶像(価値)となるのである｡ウェーバーでいうところの｢<b>神々(価値観)の闘争</b>｣になる｡</p>
<p>ルターからすれば｢資本の増大が神からの救済の確信となる｣といった考えは､偶像崇拝にすぎない｡そんなことは人間にはわかりようがないからである｡</p>
<p>ルター的にいえば人間にできることは｢<b>信じることのみ</b>｣である｡自著の撤回を当時の国王から求められ､｢<i>わたしはほかにできない｡わたしはここに立つ｡神よ助けたまえ｡アーメン｡</i>｣とルターが言ったことは有名である(厳密な言葉は脚色という説があるが､近い内容のことは述べたようだ)｡</p>
<p>もし神を信頼することができれば､ルター的にいえば｢神の恩恵｣を感じることができれば､人間は正しいと思えるようなことを(もちろん確信をもつことはできないのだが)し続けられるかもしれない｡</p>
<p>たとえば哲学者のショーペンハウアーは､カント倫理の背景にキリスト教的道徳があると批判している｡他者を手段とするなかれ､人にウソをつくなかれ､物を盗むなかれといったぐあいにである｡</p>
<p>そうした具体的な内容を伴う規範を学問によって捉えることは慎重にならざるをえない｡だからこそハーバーマスは具体的内容ではなく､形式的な条件に普遍的な規範を限定しようとしたのである｡最低限､この｢<b>形式的な価値</b>(偶像)｣のみは優越的に､特権的に信じようというわけである｡そしてその普遍的な価値に基づいた合意の範囲内の各偶像への志向､多様性は許し合おうということになる｡</p>
<p>なぜなら､この偶像を他の偶像よりも上位であると信じないと他の偶像の妥当性を一切批判できないからである｡批判できないと世界の秩序は危ないというわけだ｡</p>
<p>もちろんカントは聖書の十戒そのものが定言命法だとは言っていない｡</p>
<p>人間にはきちんと考えれば普遍的な規範がわかるはずであり､その能力が先天的にあり､それをきちんと実行しなさいというわけだ｡しかしそれを実行することは難しい｡たとえばウソをつくことで失職を防げる場合､しかもそのウソで誰も傷つかず､支障がない場合どうするだろうか｡</p>
<p>私ならおそらくウソをついてしまう｡ウソをつくことは明らかによくないと思うことができる能力がありながら､ついてしまうのである｡もし暴力団に脅されて自著を撤回しろと言われたら､ルソーのように｢<i>できません</i>｣とはおそらく私ならいえない｡</p>
<p>地上で不合理な事態にさらされても､天国では救済されるはずである､と信仰しきること､実践しきることなども私には到底難しい｡たとえば自分の赤ん坊が生まれた次の日に死んだとして､天国ではどうにかなっていると信仰しきることも私には到底難しい｡</p>
<p>ルソーのように人間にとって外在的な神を信じて生きること､カントのように人間に内在する能力である定言命法に従って生きることは相当困難なのであり､普通の人間ではできないのではないか｡ニーチェのように永遠回帰を信じて生ききることも相当な困難を伴う｡</p>
<p>ジンメル的に解釈すれば｢そうした理想や超越性が”<b>あるかのように</b>”考えることの倫理的メリット｣といった現実的な解釈は可能かもしれない｡それが神であれ理性であれ､超越的な､反事実的なものへの｢<b>信仰</b>(信頼)｣がなければならない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>雀部幸隆｢知と意味の位相｣255-256p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc6">多様な動機の衝突と､それを調停する｢納得感｣の難しさについて</span></h4>
<p>そもそもの大前提として､人間は多様な｢<b>動機</b>｣をもち､そうした動機は自己内でも他者間でも｢<b>衝突</b>｣してしまうものなのである｡大事な人をまもるために職を失いたくないと私は考え､それゆえにウソをついてしまうかもしれない｡</p>
<p>あるいは誰かをコントロールしようとしたり､明らかに不要なガラクタをセールストークでそれが価値あるものだと思わせて買わせるかもしれない｡</p>
<p>討議によって規範を形成するという理想の提示はたしかに立派である｡カントのように定言命法に従って生きることも立派であり､ルソーのように信仰に従って生きようとすることも立派である｡</p>
<p>しかし多くの人にそうした立派な行為ができるのだろうか｡見知らぬ多くの他者が虐げられていて､自分は虐げられていないとする｡｢<b>虐げられている人々を救おうと立ち上がらなければならない｡それはしなければいけないことだから</b>｣と､私が他の私的な動機を差し置いて､その合意の形成へと向かうことは私に可能なのだろうか｡そんな時間を使うなら､家族や恋人といった大事な周りの他者を守ろうとするかもしれない｡</p>
<p>ハーバーマスにおいても､結局は｢<b>法</b>｣の力を頼らざるをえないのであり､なんらかの｢<b>サンクション</b>(制裁)｣を前提とせざるをえないのではないか｡要するに､制裁によって､他の動機を消そうとするわけである｡</p>
<p>もちろんそれは国家からの伝統的･権威主義的な押し付けや､宗教的な押しつけではない｡我々が妥当な根拠を元に合意して､｢<b>納得</b>｣して形成したのだから､それが法になってサンクションを伴ったとしても文句はいえないだろう｡</p>
<p>ここで重要なのは神であれ､権威であれ､合意であれ､｢<b>納得</b>｣が生じているかどうかである｡納得できればそれに従って､それを望み､それを動機として行為することが可能になる｡動機がコンフリクトを起こすことなく､調整されている状態である｡</p>
<p>ただし､納得が｢<b>健全に</b>｣生じるかどうかという点は重要になる｡しかし､なにをもって健全だといえるのか｡結果を十分に計算しないが､しかし動機だけは権力などに強制されずに健全な精神によって合意が形成された場合は健全に生じたといえるのか｡</p>
<p>たとえば｢人を殺してはいけない｣と私は納得できている｡そのルール(規範)の作成の瞬間に私はその場にいなかったが､しかしもしいたら納得して同意していただろう｡そしてそれに従わなければ制裁を受けることにも同意しただろうし､それに従わない人間に制裁を与えることにも同意しただろう｡</p>
<p>では､｢自国民10人をまもるために､他国民100人を犠牲にしてもいい｣というルールに納得できるか｡こうなると､それは｢状況次第だ｣と弁明することになるか､｢わたしにはよくわからないから専門家の意見を聞きたい｣と責任を放棄してしまうかもしれない｡</p>
<p>また､殺人においても同様であり､たとえば家族がそうした事件を起こしてしまったら｢正当防衛なら許される｣と弁明するかもしれない｡</p>
<p>旧約聖書にはイスラエル民族に敵対したアマレク人の殲滅(聖絶)を神が命じたと預言者サムエルが述べるシーンがある｡われわれはこれを一体どう解釈すればいいのか｡ルター的にいえば､神の考えは｢我々にはわからない､神のみぞ知る｣と信じることだけである｡これはウェーバー的な考えでは心情倫理であり､神に責任を丸投げすることでもあるのかもしれない｡</p>
<p>しかし神のみぞ知るという｢信仰｣を失っている多くの人びとにとっては深刻な問題である｡たとえば600万人ものユダヤ人が犠牲になったホロコーストとも重なる問題である｡</p>
<p>我々はキリスト教の神であれ､他の宗教の神であれ､国家というナショナリスティックな神であれ､趣味であれ､異性であれ､<b>その犠牲を許せなくなる心情がある</b>｡互いにこちらの正義のほうが勝ると考えて争うのである｡</p>
<p>愛する至上の価値を守るために､敵対するものを侵害してもいい､あるいは､｢それは悪いかもしれないがせざるをえない｣と思いがちなのである｡</p>
<p>だからこそ｢具体的な内容を信仰する｣ことは危険を伴うのであり､ハーバーマスは｢抽象的で手続き的な形式｣にシフトしたといえる｡貨幣という｢中身のない形式｣が人を自由にすると考えたジンメルと類比させることもできる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/01/31/georg-simmel-4/">【基礎社会学第十一回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (前編)</a></p>
<h4><span id="toc7">アドラーにおける理想と教育</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/212c685a0096598b6349fbcabcccf3f3.png"><img decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5551" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/212c685a0096598b6349fbcabcccf3f3.png" alt="" width="174" height="313" /></a></p>
<p>たとえば心理学者のアドラーは｢完全という目標を具体的に思い浮かべるのはほとんど不可能であり､抽象的､理想的にのみ思い浮かべることのできるものである｣と考えている｡</p>
<p>具体的､現実的な形で理想を思い浮かべることは危険だとアドラーは考えているニュアンスがある｡</p>
<p>例えば共産主義だけが､あるいは資本主義だけが世界を善くする目標を我々に提供してくれる､キリスト教だけが､イスラム教だけが､〇〇教だけが､と具体的に考えれば考えるほど｢<b>他の価値観をもつ人々への蔑視や支配</b>｣になりかねない｡</p>
<p>｢なにが正しい道なのか我々は知ることができない｣が､人類が｢共同体感覚｣をもつことが人類の幸福へつながるとアドラーは信じている(国家などの狭い単位ではなく､理想としては世界全体という共同体であり､人間以外の動物､無機物すらも含む､考えられる限りもっとも広い包括的なシステム的単位だといえる)ということになる｡我々は大きなものの一部であるという感覚がそこにはある｡</p>
<p>そして人間にはそうしたことが可能だと､能力があると､選択することができるとアドラーは信じている｡その実践的な道としてアドラーは｢<b>教育</b>｣を重視し､可能性を見いだしている｡デュルケムもマンハイムも教育を重視していた｡</p>
<p>また､教育のあり方も変動的なものであり､時代によって価値観は代わり､適切な教育のあり方も変動していくという｡</p>
<p>理想はあくまでも理想である｡一方､我々は常に現実と直面している｡それゆえに､完全とまではいかないまでも､より完全に近いと信じることができる目的､手段の系列を理想という光に照らされて掴みとることが重要になる｡岸見一郎さんが｢<i>我々はアドラーの思想を大切にするからこそ､それを更新していかなければならない｡原理主義者になってはならない｡これは､あたらしい時代に生きる人間に託された､使命なのです</i>｣と強調していることとも通底する｡</p>
<p>わたしはこのウェーバーの言葉を思い出す｡｢しかし､いつか色彩が変わる｡無反省に利用された観点の意義が不確かとなり､道が薄暮れのなかに見失われる｡大いなる文化問題が､さらに明るみに引き出されてくる｡そのとき､科学もまた､その立場と概念装置とを添えて､思想の高みから事象の流れを見渡そうと身構える｡科学は､ただそれのみが研究に意味と方向とを示せる星座を目指して､歩みを進める｡｣</p>
<p>マックス･ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」149-150P</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/05/01/creation-discovery-studies-3-adler-7/">創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(７)アドラー心理学の哲学(共同体感覚)とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc8">見田宗介さんにおける｢拡大されたエゴイズム｣</span></h4>
<p>自分だけのためではなく､愛する他者のために生きるという態度も｢<b>拡大されたエゴイズム</b>｣であると社会学者の真木悠介さんは表現した｡なぜなら愛する他者以外に対する敵視や無関心､嫉妬等が発生してしまうからだ｡つまり､動機のコンフリクトが発生しうる｡</p>
<p>恋人や自国の民への攻撃は｢自分への攻撃｣であると感じる態度であり､自分たちが最優先(ファースト)であると考える立場である｡</p>
<p>｢宗教｣はこうした｢性のエゴイズム｣を克服する試みであるという｡特定の国を超えた関係を形作るからである｡</p>
<p>しかし宗教もまた自分とは異なる宗教に属する人たちに対する無関心や敵視を発生させてしまうことになりうる｡宗教もまた｢拡大されたエゴイズム｣といえるわけである｡エゴイズムゆえに愛があり､愛ゆえに人は苦しむのであり､他者を苦しませるのである｡</p>
<p>詩人の宮沢賢治さん(1896-1933)は特定の人を愛することを避け､宗教をも避けたという｡</p>
<p>こうした｢<b>自我の解放</b>｣が現実的な社会的枠組みのなかで可能かどうか､私にはわからない｡しかしエゴイズムが過剰にならないように､なんらかのバランスをとる仕組みが必要であるというのは妥当な主張ではないだろうか</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2017/11/23/%e3%80%8c%e8%87%aa%e6%88%91%e3%81%ae%e8%b5%b7%e5%8e%9f%e3%80%8d%e8%a6%81%e7%b4%84/">「自我の起原」要約</a></p>
<h4><span id="toc9">｢理性の他者｣への回帰</span></h4>
<p>こうした事態に対して､古代の素朴な伝統的ななんらかの社会へ戻ろうという方法もあるかもしれない｡あるいは芸術や無意識といった､近代的啓蒙思想からすれば非合理的な手法によって､あるいは飲酒という酩酊によって実現(治療･逃避)しようとする人もいるかもしれない｡</p>
<p>ハーバーマスはそうした非合理的な手法､いわゆる｢<b>理性の他者</b>｣に頼ることを徹底して避ける｡また､他者との違いを放棄することを望まない｡アーレント的な意味での他者性､レヴィナス的な意味での他者性､ジンメル的な意味での他者性を重視する｡</p>
<p>あくまでも理性の枠内で､エゴイズムやニヒリズムに対処しようとするわけである｡ゲーレンのように国家になにをすべきか任せようという新保守主義や､非合理的な決断に任せる過激思想も否定する｡</p>
<p>ちなみにこの姿勢は近代の成果を全面的に放棄するわけではないという意味ではグレゴリー･ベイトソンの考え方､真木悠介さんの考え方と類似している｡</p>
<p>理性を用いて､健全なシステムを謙虚に考えようという姿勢が彼らにはある｡私は彼らが好きだ｡</p>
<p>｢どうやって？｣｢それは実現可能？｣と批判することは簡単であるが､妥当な根拠をもって理念そのものを批判しきることは難しい｡虚偽意識(を批判する意識)は虚偽意識なのではないか､相関主義もまたひとつの価値観なのではないかというのもまた簡単である｡結局はいずれかの立場にコミットしなければならないとしたら､私はよりましな､健全な立場にコミットして生きたい｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,19p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">社会学的想像力をもった超人</span></h4>
<p>理性を用いて健全なシステムを謙虚に考えようとすれば､孤立的に､自分勝手な思念や内省によって考えるわけにはいかない｡</p>
<p>他者の気持ちになって考えてみるという姿勢が重要であり､また他者との実際の交流が必要である｡また､単に精神的な問題だけではなく､健全なシステムを考えるためにはさまざまな分野､社会学だけではなく生物学､物理学といった自然科学や他の社会科学にも精通していなければならない｡もちろん芸術などにも理解がある必要があるのだろう｡カントやルター的なものとは違った意味での｢<b>超人</b>｣にならなければならないといえるかもしれない｡</p>
<p>ライト･ミルズが述べたような｢<b>社会学的想像力</b>｣とも重なる問題であり､さまざまな経験と知識が必要になる｡</p>
<p>社会学者の宮台真司さん的にいえば､社会学はいわゆる｢団子の串｣であり､串だけをもっていても､それだけでは何の役にも立たないのである｡ゲーム機だけをもっていてゲームソフトをもっていないようなものである｡日常で他者を観察して団子を獲得したり､自分で経験してみたり､諸科学を学んで団子を獲得しなければならないのである｡</p>
<p>しかし｢<b>１人の人間</b>｣があらゆる学問に精通することは原理的に難しい｡それゆえに｢<b>協働</b>｣する必要がある｡過去の学者の知見を利用することも一種の対話であり､一種の共同作業である｡1人でなにもかもできるはずがない｡我々は巨人の肩の上で生きているのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>井庭崇,他「社会システム理論」128&#xfe0f;P</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">｢討議的沸騰｣が多様な動機を｢納得感｣へ調和させる可能性について</span></h4>
<p>ここで､ハーバーマスの｢<b>討議</b>｣という概念と接合してくるのではないだろうか｡</p>
<p>もちろんそれぞれが専門分野に籠り､討議の時だけ交わればいいというわけではない｡</p>
<p>しかしそれぞれの強みをより｢<b>論理整合的に､理解可能な形</b>｣に翻訳できるのは､それぞれの専門家だというのも事実である｡もし彼らが理解可能な形で｢<b>言語化</b>｣を行い､人びとに互いに提供できるならば､時間のリソースを大きく節約することができる(もちろん言語以外のメディアのほうが容易に理解できることもあるだろうが)｡つまり､より人びとが多様な学問に精通しやすくなるといえる｡</p>
<p>もちろん､ここでいう専門家は大学教授や企業に所属する科学者などに限られない｡</p>
<p>カール･マンハイム的にいえば｢知識人｣だろう｡主婦(主夫)であれ漁師であれ､コックであれなんであれ､我々は何らかの意味で専門性を備えている｡ウェーバー的にいえば我々は｢<b>世界に対して意識的に態度を決め､それに意味を与える能力と意志をそなえた文化人</b>｣である｡</p>
<p>ウェーバーは｢<i>いたずらに待ちこがれているだけではなにごともなされないという教訓を引きだそう､そしてこうした態度を改めて､自分の仕事に就き､そして『日々の要求』に──人間関係のうえでもまた職業のうえでも──従おう</i>｣とも表現していた｡</p>
<p>日常の具体的な問題に責任を持って対処していればそれなりの｢<b>日常知</b>｣をもつのであり､その日常知はかけがえのないものであり､｢<b>柔軟性のためのリソース(資源)</b>｣だといえる｡専門知だけが世界のコンフリクトを解決するリソースではない｡むしろ日常知に基礎づけられていることが必要になる｡</p>
<p>この日常知を互いに交流させることは､よりよい討議への道へとつながっていくのではないだろうか｡もちろん､日常知をリソースとして串をさす社会学や､日常知を論理整合的に整える諸科学､専門知もその補助ないし総合としては必要である｡</p>
<p>専門家が専門知をつかって､きっと健全な世界のあり方を考えてくれるだろう､そうした超人が未来において現れてくれるだろうと待ち焦がれているだけの態度は､天国できっと救われる構造になってくれるはずであると信じる前近代的な態度と機能的に等価であり､そのままでは何も変わらない｡むしろその楽観視ゆえに事態は悪化し､技術の暴走を促しかねない｡</p>
<p>また､単に社会学という串でさされた全体的な団子を獲得できるというだけではない｡人々で討論するということは､そこにはデュルケム的な意味での｢<b>聖性</b>｣が宿ることもありうるのではないだろうか｡</p>
<p>人間がルター的な意味で｢肉欲のままに生きること｣､｢拡大されたエゴイズムに過剰に向かいすぎること｣を止めて生きるためには｢<b>抽象的で形式的な聖性</b>｣が必要になるといえるのではないだろうか｡</p>
<p>デュルケム的にいえば｢聖性｣は形を変えて｢社会｣に宿っている｡というより､社会こそが聖性なのである｡</p>
<p>たとえばフランス革命における集合的沸騰は､｢新しい聖性｣の生じた瞬間とデュルケムは捉えていた｡人間が集まって創発的に生じた力というものは､人間の肉欲､個人的な動機を超える力､制約する力をもつ｡そうした聖性に基づく力だからこそ､また､そうした聖性に｢<b>参加する意識</b>｣(モリス･バーマン的な意味での)をもつからこそ､そうした力に自発的に｢<b>納得</b>｣するのであり､その力に納得する限りにおいて､他者と肉欲的な利害関心を超越して他者に配慮できるのではないだろうか｡</p>
<p>より普遍的で健全で､バランスをもったものを志向する人びとが討議することで､そこには｢<b>健全な集合的沸騰</b>｣が生じる｡完璧ではない討議だとしても､人々を健全な形へ志向させる力があるのではないだろうか｡</p>
<p>もちろん､原始的な意味での､ハーバーマスやジンメルなら眉をひそめるような｢非合理的沸騰｣ではなく､｢<b>討議的沸騰</b>｣とでもよべるようなものであり､世界内在的な沸騰である｡ルーマンが言ったような｢無益な興奮｣にならないようにどのように集合的沸騰を生じさせることができるのか､その条件を考える必要がある｡そのためには適切な理論が必要であり､精緻なシステム理論を利用することも視野に入れる必要がある｡</p>
<p>近代化が進み､脱呪術化が進み､伝統的な力や宗教的な力､先天的な人間の力への信頼は失われ､もはやそうした力だけに｢納得｣を期待することはできない｡神々の闘争と表現されるように､あまりにも多様な価値観を人びとは信仰し始めている｡</p>
<p>もともとキリスト教的な神が登場する前､原始共同体においては人格的な神ではなく､社会そのものが神であった｡人々の集合的な力､社会の力が神聖な力であり､神そのものだったのである｡この神聖な力が人々を規範に従わせる力を持つのである｡やがて人々はこの力を記号化し､表象し､言語化し､さまざまな具体化を伴うようになり､そのひとつが｢法の力｣でもある｡</p>
<p>｢よくわからないけど､なんだか力がみなぎる｣ではなく､｢<b>よくわかり､そこに力を感じる</b>｣のである｡</p>
<p>人びとは活力を感じるようになる｡その力の源が､討議であり､妥当性に基づいているという点が重要である｡単なる伝統や宗教に基づく沸騰ではない｡もちろん､このようなドライな感覚で沸騰が､聖性が生じるかどうかはわからない｡しかし自己中心ゆえに脱自己中心的になる､閉じるゆえに開く､合理性ゆえに合理性に留まらない力をもつこともあると信じたい｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/04/24/durkheim-7-10/">【基礎社会学第三九回(10)】エミール･デュルケムにおける｢集合的沸騰｣とは</a></p>
<h2><span id="toc12">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc13">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc15">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc16">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc18">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc19">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc20">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc21">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc22">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc23">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc24">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc25">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-45-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(44)】ハーバーマスかルーマンか</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-44-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-44-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 13:57:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5542</guid>

					<description><![CDATA[討議かシステムか？社会学の巨頭が語る価値命題の根拠を整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">(9) 教訓</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">[9-2]ハーバーマスかルーマンか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">討議で価値命題を出すわけにはいかない</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">社会学者は｢価値命題の出力｣ではなく､｢リソースの提供｣を目的とする</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">ハーバーマスの理論は保守主義的か</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">処方箋を提示するよりも理論を整備するほうが先</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">理想的な討議の実現の難しさについて</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">ルーマンにおけるシステム合理性</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc15" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">(9) 教訓</span></h2>
<h3><span id="toc3">[9-2]ハーバーマスかルーマンか</span></h3>
<h4><span id="toc4">討議で価値命題を出すわけにはいかない</span></h4>
<p>ハーバーマスとルーマンの論争(討議？)の書籍として共同で出版された『社会の理論か､それとも社会テクノロジーか――システム研究はなにをもたらすのか』(1971)が知られている｡</p>
<p>発端は1968年にフランクフルトで開かれたドイツ社会学会でルーマンが報告した『全体社会の分析の形式としての現代システム論』に対するハーバーマスの批判であり､その記録が書籍としてまとめられた｡</p>
<p>ルーマンは行政機関で働いていたという｡行政学の目的は､｢<b>行政行為に関わる価値命題を出すこと</b>｣である｡｢行政はこうすべきだ｣､｢行政官はこうするべきだ｣という価値命題を出すことが重要なのである｡</p>
<p>たとえば｢特定の集団ではなく､できるだけ公益を優先すべきである｣とか､｢行政官は法に基づいて､裁量は法の範囲内で行為するべきである｣とか､｢行政決定の理由を市民に説明すべきで､情報を公開するべきである｣といったようなイメージである｡</p>
<p>行政組織はなんらかの価値規範に基づいて判断し､行為しなければならない｡そしてその行政行為は我々の日常生活に強い影響を与えるものである｡保育園が増えるのか､水道費が下がるのか､ゴミ出しのルールはどうするかなど､さまざまな身近な問題に関わっている｡</p>
<p>なんらかの価値規範､価値基準に基づき､具体的な価値命題を出力しなければならないとすると､価値規範の妥当性はいかにして判断されるのだろうか｡たとえば｢情報はできるだけ透明にするべきである｣という規範はなぜ妥当なのか｡</p>
<p>ルーマンは価値命題の根拠として､｢<b>人々の合意</b>｣､つまりハーバーマス的にいえば｢<b>討議</b>｣に基づくべきとは考えない｡</p>
<p>また､人間が先天的にもっている､あるいは後天的に発達させると解釈される｢普遍的な理性｣､たとえば｢コミュニケーション的理性｣によって価値命題の根拠を基礎づけられるとも考えない｡誰でも考えれば普遍的に正しいと思えるようなものにきっとたどり着けるはずだろうとは素朴に考えない｡また､権力関係などの阻害条件を取り除いたとしても､それは変わらないという｡</p>
<p>価値命題の根拠としてルーマンは自分の｢<b>社会システム理論</b>｣が妥当だと考えている｡社会学者の宮台真司さんの説明によれば｢<b>価値命題を正当化するために､システムという概念を後から持ってきた</b>｣というわけである｡</p>
<p>ルーマンは｢<b>価値命題などなんら関心がない､ただ社会がどうなっているかを記述したいだけの技術屋(テクノクラート)</b>｣ではないのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>井庭崇､宮台真司､熊坂賢次､公文俊平｢社会システム理論｣､慶應義塾大学出版会､第二刷､56p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc5">社会学者は｢価値命題の出力｣ではなく､｢リソースの提供｣を目的とする</span></h4>
<p>もちろん､社会学が価値命題の出力を目的としているというわけではない｡</p>
<p>社会学によって目指されるのはあくまでも謙虚に｢社会の現象の客観的記述(どうあるべきかではなく､どうなっているか)｣である｡その意味でルーマンは社会学者としては無規範的であり､冷たい人間である｡</p>
<p>社会学の仕事は政治家や行政官､あるいは日常生活を送る人びとの価値命題の出力のさいの｢<b>リソース(資源)</b>｣の一つの提供だということになる｡私が好きなルーマンの言葉で言えば｢<b>ほかであり得る可能性(偶発性､コンティンジェンシー)の提示</b>｣である｡</p>
<p>｢こういう選択肢もありますよ､こっちのほうが効率は良いですよ､でも選ぶのは私たち専門家(社会学者)ではないです｣というわけである｡ウェーバー的にいえば責任倫理と心情倫理の2つを備えた政治家､官僚が選択するということになる｡</p>
<p>社会学の仕事は政治家や行政官､あるいは日常生活を送る人びとの価値命題の出力のさいの｢<b>リソース(資源)</b>｣の一つの提供だということになる｡私が好きなルーマンの言葉で言えば｢<b>ほかであり得る可能性(偶発性､コンティンジェンシー)の提示</b>｣である｡</p>
<p>｢こういう選択肢もありますよ､こっちのほうが効率は良いですよ､でも選ぶのは私たち専門家(社会学者)ではないです｣というわけである｡ウェーバー的にいえば責任倫理と心情倫理の2つを備えた政治家､官僚が選択するということになる｡</p>
<p>｢<i>トロンボーンはさまざまな共同社会の価値や連帯の感情をよびおこします｡ときどきこれらの楽器は不協和音を出すことがあります｡それをうまく調和させ､そこから一つのメロディーを生み出せる人は､ただ天分のある人だけ､つまり預言者や政治家､芸術家など､多少ともカリスマにめぐまれた人だけなのです｡わたしは教師であり､ですからまた認識を人々の使いものにできるよう調律する仕事にたずさわっております｡私の楽器は書棚にしまってあります｡ところがこの楽器は『音』を出しません｡この楽器をつかって､いきいきとしたメロディーをかなでることはできないのです｡</i>｣</p>
<p>ハーバーマスからすれば､こうしたルーマンの｢非規範的な姿勢｣は保守的に見えるという｡</p>
<p>仮に現代の政治家や行政官の出力が不適切だとして､その不適切なあり方を維持するためにリソースが用いられるならば､たしかに｢不適切な支配の正当化｣につながりうるものだといえる｡ルーマンは現代の社会のあり方を批判しようとか､政治的な革命や運動を引き起こそうという､積極的な意識がないようにハーバーマスには感じるのである｡</p>
<p>｢ただ社会がどうなっているかを記述するのがうまい人｣､つまりテクノクラート(技術屋)だというわけである｡</p>
<p>また､ハーバーマスからすればルーマンの社会記述が優れているのはシステム領域に限ってであり､生活世界は別である｡ルーマンからすれば生活世界も討議もシステムの一種であるが､ハーバーマスは断固としてそうした見方を拒絶するのである｡</p>
<p>また､社会システムの単位を人々の人格的なコミュニケーションではなく､非人格的なコミュニケーションとすることにもハーバーマスは反対している｡</p>
<p>ルーマンは言語的なコミュニケーションだけではなく､非言語的なコミュニケーションも視野にいれている｡同じような出力(機能)であればいいのであり､特定の出力方法にこだわるわけではない｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣27~28p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc6">ハーバーマスの理論は保守主義的か</span></h4>
<p>ルーマンによると､ハーバーマスの理論こそ､｢(解放)保守主義｣的であるという｡批判や進歩という革新性を全面に出してはいるが､｢<b>抑圧的な社会構造から人間は解放されるべきであり､解放可能であるとされる主体の存在を当然の前提としている</b>｣ようにみえるという｡これは時代遅れで保守的な態度であるという｡</p>
<p>主体と客体､人間(生活世界)とシステムといった対立ではなく､システムと環境という新しく適切な区別から出発するべきだとルーマンは考える｡そうした意味で､ルーマンの社会理論は革新的ですらあるというわけだ｡</p>
<p>ハーバーマスが人間の理性の能力を信頼したヒューマニストであるとすれば､ルーマンは人間の理性の能力を信頼していないリアリストであるといえる｡</p>
<p>理性に基づいた討議によって世界の秩序のあり方を考える､価値命題を出力するという発想がない｡そうした素朴な出力をルーマンは信用しない｡｢普遍的なるもの｣をルーマンは重視せず､あくまでも特定のコンテクストに依存した妥当な論理関係を重視する(社会学的啓蒙､円熟した啓蒙)｡いわば特殊語用論に留まるといったイメージだろうか｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣29p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc7">処方箋を提示するよりも理論を整備するほうが先</span></h4>
<p>社会システム理論は直接的に価値命題を出力しない｡言いかえれば､社会システム理論は｢<b>処方箋</b>｣を直接的に提示する理論ではないということになる｡規範的な政治的主張を欠陥のある理論を前提にして具体的に述べるよりも先に､理論を整備するほうが先だとルーマンは考える｡</p>
<p>ルーマンの発言を引用する(『エコロジーのコミュニケーション』の序文)｡</p>
<p>｢理論に主導される分析に対しては､いつでも『実践との結びつき』が欠けていると非難することが可能である｡そうした分析は､誰かに処方箋を提示したりはしない｡ただ実践を観察し､もしも人々が事を急ぐあまり修正を必要とする観念にもとづいて行為している場合には､いったいそれがどれほど役に立つのかと､折に触れて問うだけである｡もちろん､修正を必要とする観念にもとづいて行為する場合でも何らかの有用な成果が得られる可能性は否定されない｡しかし､そうだとしても理論には相変わらずつぎのような意義があるであろう｡すなわち､よりよく統制された方法にもとづいて考えを構築するならば､有用な成果をもたらす可能性を高めることができる――とりわけ､無益な興奮をもたらす可能性を低めることができる､という意義である｡｣</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣30-31p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">理想的な討議の実現の難しさについて</span></h4>
<p>ルーマンによれば､そもそも理想的な討議はなかなか実現させることが難しいという｡たとえば討議のなかで､発言の機会を獲得しようとする競争､反応速度の違いといった構造的な問題が存在する｡つまり､非対称な関係が存在してしまうのである｡</p>
<p>また､討論は時間を必要とするものであり､長くなれば最初の方の発言が忘れられてしまうという問題があるという｡ルーマンにとって､高度に複雑化した社会で｢討議｣という手法は問題解決には適さないという｡</p>
<p>仮に理想的な討議が成立し､参加者が従うべき価値命題ができあがったとする｡それをどうやって実現させるのかという点でもルーマンは批判を行っている｡</p>
<p>たとえば宮台真司さんは､どんなに理想的な討議を行ったとしても､情報が統制されている可能性があるという｡また､情報が統制されているかどうかについて認識することもなかなか難しい｡そのような諸要因が構造的に複雑に絡み合っている状態の中で､個人の洞察に頼ったり､諸個人の合意に頼るわけにはいかないというわけだ｡</p>
<p>技術に関する知識は膨大に膨れ上がっている｡日常に生きる我々が仮にそれら全てにアクセス可能だとしても､それらを総合的に理解することは困難である｡人間の処理能力には限界があるのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,122-123p</p>
<p>井庭崇､宮台真司､熊坂賢次､公文俊平｢社会システム理論｣､慶應義塾大学出版会､第二刷､94p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">ルーマンにおけるシステム合理性</span></h4>
<p>これは｢人間的な合理性(コミュニケーション的合理性)｣にルーマンが批判的だったことと重なる｡もっとシステマティックな視点から得られる合理性をルーマンは欲しているのである｡それがシステム的合理性なのである｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>システム合理性</b></strong></span>：</big>環境の変化に応じてその目的をも変更し､個人的な動機レベルと切り離すことができるような､より複合的で包括的なシステムの縮減能力に基礎をおいた合理性のこと｡機能的に分化した社会システムが創発的に生み出す合理性のこと｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>合理性</b></strong></span>：</big>極度に複雑な世界への関わりのなかで､複雑性を縮減する能力が強化されること｡合理的なものとは真に縮減能力をもつものに与えられるべき言葉であるという｡</p>
</div>
<p>ルーマンは全体社会それ自体はけっしてその姿を見ることも把握することもできない種類の集合的存在であるとみなしている｡</p>
<p>たとえば法システムや経済システムなどの機能システムを通して､それなりに描画しうる存在として推定することができるにすぎないと考えているという｡</p>
<p>結局は全体社会は近似的に､あるいはヒューリスティックに捉えることができるにすぎないということだろう｡そのためには全体性を参照できるような､複数の団子に串を刺すことができるようにならなければならない(これも相当の超人でなければ難しいだろう｡あるいは現代なら代わりにAIがシステム論的な回答を､その枠組さえ入力すれば出力してくれるのかもしれない｡ただし､その回答が妥当かを判定できる能力がなければならない｡)｡</p>
<p>熱くなって現実を見失うのではなく､謙虚に､柔軟性をもって多角的に現実を見つめるという姿勢が大事であるといえそうだ｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-1/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(前編)</a></p>
<h2><span id="toc10">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc11">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc12">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc13">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc14">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc15">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc16">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc17">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc18">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc19">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc20">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc21">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc22">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc23">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-44-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(43)】得られる教訓(複雑性､偶発性､多様性､柔軟性)</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-43-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-43-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Apr 2026 13:49:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5537</guid>

					<description><![CDATA[社会の複雑さをどう解くか？ハーバーマスの対話理論から学ぶ教訓。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-3" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-3">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">(9) 教訓</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">[9-1]複雑性､偶発性､多様性､柔軟性</a></li></ol></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc5" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc7" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc9" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">(9) 教訓</span></h2>
<h3><span id="toc3">[9-1]複雑性､偶発性､多様性､柔軟性</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/4a393c62697c628f43950ba7bf20f01e.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5539" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/4a393c62697c628f43950ba7bf20f01e.png" alt="" width="589" height="433" /></a></p>
<p>世界は複雑であり､我々はそれを何らかの形で縮減することによって社会秩序を維持･生成･変化させている｡</p>
<p>社会学理論とは､簡単に言えば社会の複雑性を縮減するための道具である(同時に複雑性､いわばリソース､柔軟性を増大させることをも目的とするわけだが)｡</p>
<p>もちろん小難しいこの道具を使わなくても､我々は日常生活で無意識的に他者の身振りなどの模倣によって縮減方法を学び､縮減しているといえる｡しかしいざそれを｢説明｣しようとすると難しい｡そこで､より体系的､論理的､包括的に説明するための科学理論が必要とされるというわけである｡</p>
<p>今回学んだハーバーマスの｢コミュニケーション行為理論｣は､主に社会構造の記述のための道具であるといえる｡そしてその目的には強い規範意識が存在する｡つまり､｢<b>より善い社会のための理論</b>｣という意識である｡</p>
<p>社会秩序はどのような条件によって可能になるのかという問題を｢<b>意思疎通の成立の普遍的条件</b>｣と関連づけ､そこから得られる概念をもとにあるべき社会の姿を考えていこうとする姿勢がハーバーマスには存在する｡</p>
<p>従来の合理性理解は｢<b>道具的合理性</b>｣ばかりに注目してしまい､合理性概念の多様性や柔軟性を見逃してしまっていた｡</p>
<p>合理性の両義性やほかでもありうるという偶発性､柔軟性を指摘することにより､近代化における弊害を乗り越えようという姿勢がハーバーマスにはあった｡また､ほかの学者と議論することにより､｢<b>こうでもありうるかもしれない</b>｣と積極的に考え方を柔軟に採り入れている姿は輝かしく感じた｡それと同時に､人間の能力(コミュニケーション的理性)への｢<b>ほかではありえない</b>｣という強い信頼と期待を感じた｡</p>
<p>システムからものごとを考える､という道具は日常的にも使える｡生活世界からものごとを考える､という道具も日常的にも使える｡後者の場合はエスノメソドロジーなどで特に理解されようとしているものだといえる｡</p>
<p>｢なぜこの場には秩序があるのか､あるいはないのか｣と日常にふと現れる｢<b>ひび割れ</b>｣を通して疑問に思うことはあるはずだ｡システムから考え､生活世界から考え､あるいは両者の関係から考えるというパースペクティブ(視点)が得られることは能力の柔軟性へと確実に寄与しているのではないだろうか｡一つの視点よりも二つの視点で捉えられる方が等価な可能性や選択肢を見つけやすいという意味で柔軟性が高い｡</p>
<p>私は｢<b>社会がどうあるべきか</b>｣を真剣に考える社会学者が好きだ｡ハーバーマスの熱い思いと冷静な分析を見ていくことはとても楽しかった｡</p>
<p>今まで動画で扱ってきたウェーバー､デュルケム､シュッツ､パーソンズ､ルーマンなどの知見が総動員されている内容がハーバーマスの内容だともいえる｡ハーバーマスの社会学が理解できれば､古典的な社会学の内容はほとんど理解できるといっていいかもしれない｡</p>
<p>私が最初に学んだ社会学者はマックス･ウェーバーであった｡</p>
<p>｢倫理的な善悪を原則的に討論可能であり､実践理性の法定に訴えることによってその当否､甲乙の決着をつけることが可能である｣という趣旨をウェーバーは主張していた｡社会学者の中岡成文さんによると､ハーバーマスは｢<i>わたしはウェーバーのような天才ではないですよ</i>｣と言っていたそうだ｡</p>
<p>ウェーバーはこのようにもいっている｡</p>
<p>｢<i>人びとは倫理的に非難すべき行為に直面したとき､その行為を拒絶しながらも､決してそれを他人事とは思わず､自分もまた被造物として同じ過ちをまぬがれないと考えて､倫理の規範に共に従おうとするのであるが､すくなくとも､その限りにおいて､倫理的規範の『普遍妥当性』は人々のあいだに共同体をつくりだすものといえる｡</i>｣</p>
<p>あるいはこのようにもいっている｡「<i>われわれの認識手段が──絶対の観点からすれば──いかに取るに足らない価値しかもたず､いかに弱点だらけのものであるかを弁えるすべを心得､またそのことを日頃つねに自分に言い聞かせている者は､物事というものは必ずわれわれの経験をはみ出すものであり､それを捉えようとする理論はつねに誤謬を犯す可能性があるということを思い知らされたとしても、だからといって認識への努力そのものを放棄しようとは夢にも思わないでしょう｡……君がいま初めて自分に提起されたこの課題をどう解くか､それはもっぱら君自身の問題であり､君の良心と君の知性、君の心が責任を負うべき事柄です｡</i>」(アルフレートへの手紙から引用)</p>
<p>ハーバーマス的に解釈すれば､｢<b>我々</b><b>自身の問題であり､</b><b>我々</b><b>自身の良心と</b><b>我々</b><b>自身の知性､</b><b>我々</b><b>自身の心が責任を負うべき事柄です</b>｣ということになるかもしれない｡</p>
<p>社会問題は孤立した個人においてではなく､諸個人のコミュニケーションにおいて解くべき問題なのである｡もし良心と知性と心に照らし合えば､強制や偽りが社会問題の解き方として正しくないということに気づくはずである､ということになる｡</p>
<p>人間には理性があるはずであり､人を不可避的に配慮してしまう性質があるとする｡すくなくともそうした能力の種はもっていて､話し合えばきっと良い方向に向かうはずだというわけだ｡</p>
<p>その｢理性｣が原初的にいつごろ芽を出したのか､もっといえばいつごろ｢自我｣が芽生えたのか､そうした生物学的な言及も必要かもしれない｡生成論的な視点は置いておいて､静態論的にはどうやらそういう能力をもっているという点からスタートするという考え方もある｡</p>
<p>偶然であれ必然であれ､どういうわけか我々はそういう理性を発達させてきたのであり､その理性を通して社会秩序をなんらかの形で維持し､あるいは破壊してきた｡</p>
<p>ハーバーマスは近代化による社会秩序の歪みを理論的に指摘し､その歪みを｢<b>誰もが従うべきと考える規範</b>｣によって修正しようとした｡具体的には理想的な討議の条件やルールを提示したわけである｡</p>
<h2><span id="toc4">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc5">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc6">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc7">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc8">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc9">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc10">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc11">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc12">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc13">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc14">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc15">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc16">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc17">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/14/habermas-43-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(42)】ハーバーマスの｢討議倫理学｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-42-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-42-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 12:45:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5529</guid>

					<description><![CDATA[討議倫理学と3つの討議、普遍化原則の意味を簡単に整理。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-4]【治療法】ハーバーマスの｢討議倫理学｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ハーバーマスにおける｢討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">ハーバーマスの｢理論的討議｣､｢実践的討議｣､｢治療的討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">ハーバーマスの｢討議倫理学｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">ハーバーマスの｢討議倫理学原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">ハーバーマスの｢普遍化原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">ハーバーマスの討議倫理学の問題点とは</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">合意をシステムに反映させる方法について:グンター･トイプナーによる｢実在的接触｣</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">ブルーノ･ラトゥールによる｢事物の議会｣</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc17" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc20" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc25" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc26" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc27" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc28" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-4]【治療法】ハーバーマスの｢討議倫理学｣</span></h3>
<h4><span id="toc7">ハーバーマスにおける｢討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>行為関連の項目で見てきたように､｢コミュニケーション的行為｣と｢討議｣は違う｡そして｢討議｣と｢論争｣も違う｡</p>
<p>コミュニケーション的行為は基本的に｢妥当性｣が前提となっており､｢妥当性そのもの｣が問われることがない｡Aが｢明日来ると約束する｣と発話し､Bが｢わかった｣というような発話のケースにおいて妥当性そのものは暗黙に提示され､問われていない｡日常生活ではこのような会話が基本なのである｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>討議(独:Diskurs)</strong></span>：</big>通常のコミュニケーション的行為の前提となっている認識や規範が疑問視され､その真理性や正当性自体を議論の対象として行われる特別なタイプのコミュニケーションのこと｡</p>
</div>
<p>討議､論争､討論が翻訳語として混同されることが多い｡たんに相手を打ち負かすことだけを目的とするような意味での論争はハーバーマスの討議とは意味合いが異なる｡あるいは討議のなかにも理想的な討議と､そうではないグラデーションがあるのかもしれない｡</p>
<p>ハーバーマスはコミュニケーション的行為しかできないような能力から､コミュニケーション的行為と討議を使い分ける能力を獲得することを｢<b>発展(進歩)</b>｣と考えている｡</p>
<p>ある規範に疑いが出た場合､支障が出た場合､異議が出た場合などでコミュニケーション的行為から討議へと移行するという意味で､両者は連続的なものだという｡この｢<b>移行可能性</b>｣をどのように現実的に確保するかが重要になる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,247p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),45-46p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">ハーバーマスの｢理論的討議｣､｢実践的討議｣､｢治療的討議｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6ddbcf7e81f469a2ab182fade18f9112.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5531" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6ddbcf7e81f469a2ab182fade18f9112.png" alt="" width="527" height="240" /></a></p>
<p>討議はどの妥当性のタイプが主要な話題として中心となるかによって､3種類に区別される｡</p>
<p>真理性が問題となるときは理論的討議､正当性が問題となるときは実践的討議､誠実性が問題となるときは治療的討議である｡</p>
<p>たとえば｢日本の総人口は減少しているかどうか｣という事実が問題となったとき､統計データなどの根拠を提出できれば合意を目指すことが可能となる｡</p>
<p>｢死刑は廃止すべきか｣､｢難民受け入れを拡大すべきか｣､｢SNSを規制するべきか｣といった規範に関わる問題では､そうするべき/そうするべきではないと主張できる根拠をそれぞれが提示する必要がある｡たとえば経済的側面において根拠を提示したり､人道的側面において根拠を提示することもあるだろう｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a67f396e8e59b19560f9db9c5eb2fcab.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5532" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/a67f396e8e59b19560f9db9c5eb2fcab.png" alt="" width="180" height="199" /></a></p>
<p>治療的討議の場合は､論拠を示して確認することが難しい｡</p>
<p>たとえば｢<i>本当は馬鹿にしたいだけじゃないですか</i>｣と異議申し立てをして､相手が｢<i>そんなつもりではない</i>｣と言ったとしてもそれ自体は証明にならない｡</p>
<p>誠実性は具体的な根拠､言い訳というよりも､<b>発言と矛盾しない行為を継続的に示すこと</b>が重要だという｡ちなみに､批判理論家の虚偽意識の指摘は､治療的討議に近い｡上辺では都合のいいことを言っているが､本当の狙いや機能は違うところにあるのではないかといった具合にである｡</p>
<p>ただしこの場合､本人が意図的に､故意に嘘をついている､不誠実だというより､それが当たり前で自然と思い込まされているという支配性がポイントになる｡</p>
<p>この意味で､ガダマー的な解釈学のニュアンスが強いかもしれない｡本人が語っている以上のこと､意識している以上のことを解釈しようとする試みであるともいえる｡本人は｢なるほど､そうかもしれない｡気をつけよう｡｣と思う場合もあるかもしれない｡</p>
<p>ベイトソンで見たようなダブルバインドに追い込んでいるシステムを批判するのも治療であるといえる｡本人は必ずしも､意図的に相手を追い込んでいるという自覚がないからである｡</p>
<p>ここで私が思い出すのはウェーバーの発言である｡</p>
<p>「<i>『究極の立場』ですって？そんなものは愚にもつかぬおしゃべりのきっかけになるだけですし､センセーションを呼び起こすだけで､なんの役にも立ちません｡それに､なによりもわたしは､長年の経験から､またわたしの原理的に確信するところからして､その問題に関してつぎのように考えております｡ある人間が本当に望んているものが何であるかは､これぞわが『究極の』立場だと称するその人の言い訳からではなく､およそ言抜けを許さぬその時々のまったく具体的な問題にたいして､というところの『究極の』立場からして､その人が実際にどう対処するかによってのみ確かめられるのだ､と｡</i>」(エーリッヒ・トゥルムラー宛てのウェーバーの手紙の内容)</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),46p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">ハーバーマスの｢討議倫理学｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>これで｢討議｣の概念はなんとなく理解できた｡では､｢倫理学｣とはどういう意味か｡</p>
<p>倫理学とは一般に､｢人の生き方､社会のあり方を哲学的に考える学問｣のことである｡｢あるべき生き方､あり方｣を主に｢規範｣という｡たとえば｢人を殺してはいけない｣というのは規範の一種である｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>討議倫理学</b></strong></span>：</big>｢理想的な討議という一定の形式に従ったうえで合意された規範的内容のみが正当であるとみなすべき｣という規範を掲げる倫理学のこと｡</p>
</div>
<p>正当化の形式的な手続きの条件を｢<b>討議倫理学原則</b>｣といい､規範内容の妥当性のテストに関わる条件を｢<b>普遍化原則</b>｣という｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">ハーバーマスの｢討議倫理学原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>討議倫理学原則とは､行為の規範の内容を直接的に規定するものではない｡</p>
<p>たとえば｢対等な立場で全ての当事者が参加する｣､｢参加者は自分の主張を掲げて論証する｣､｢参加者はすべての当事者が同意するような規範のみが正当性を持つ｣といったような形式に関わるものである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc11">ハーバーマスの｢普遍化原則｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>普遍化原則とは｢みんなが決める規範は､そこから出てくる影響が誰の利益をも侵害せず､だれにとっても受け入れられるものでなければならない｣という条件を意味する｡</p>
<p>カントの｢<b>定言命法</b>｣にニュアンスは近い｡定言命法とは､人間の行動が自分勝手なものではなく､誰もが従うべきであるような､世の中全体に調和をもたらすような行動の規準(普遍的立法)｣のことである｡｢汝の意思の格率が､常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ｣という言葉で知られている｡</p>
<p>とはいえ､カントの場合は｢<b>個人の思念</b>(反省)｣によってそうした普遍的な規範を捉えるというニュアンスが強い｡一方､ハーバーマスの場合は｢相互関係｣や｢対話｣､｢合意｣を重視する｡</p>
<p>つまり､複数の人々からなる討議によって規範がどうあるべきかを決めようとするのである｡｢<b>独話</b>(モノローグ)｣ではなく｢<b>対話</b>(ダイアローグ)｣が重視されると表現されることがある｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,289p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc12">ハーバーマスの討議倫理学の問題点とは</span></h4>
<p>討議倫理学の問題はいくつか挙げられることがある｡たとえば､｢<b>当事者の範囲はどのように決められるか</b>｣が問題になる｡</p>
<p>たとえばある地域に原発を設置するかどうかが問題になったとする｡この場合､当事者は誰だろうか｡建設地の住民だろうか｡それともその電力を使う人達だろうか｡国民全員だろうか｡</p>
<p>また､どのような｢<b>能力</b>｣をもっていれば討議に参加する資格があるのだろうか｡</p>
<p>たとえば言語能力が乏しい子どもや障害者は参加していいのか｡人間以外の動物や植物､あるいは過去の人達の権利や未来の人達の権利についてはどう考えていくのか｡ハーバーマスは｢ロゴス中心主義｣や｢現前性の形而上学｣として批判されることがある(たとえばデリダなどに)｡(特に西洋的な意味での)｢理性｣を用いることのできる人達､それも｢現在｣の人達が中心となってどうあるべきかという規範を決定するものだからである｡</p>
<p>また､しかるべき当事者の範囲がわかったとしても､｢<b>全員が参加する</b>｣ということは現実的には難しい｡たとえばそれが難しいからこそ､日本では直接民主主義ではなく間接民主主義が採用されているのである｡</p>
<p>現実にはさまざまな問題があるが､ハーバーマスはまずは｢<b>理想</b>｣を(反事実的に)設定することを重要だと考えている｡現実的にどのように理想に近づけていくのか､というのは次の段階で考えることであるというわけだ｡たとえばハーバーマスと立場が近いドイツの哲学者であるアーペルは現実を考えて､｢仮想の相手の立場を考える｣といった｢思考実験｣を許容するといった考え方をしている｡一方で､ハーバーマスはまずは理想を整えることに重きを置き､例外や妥協をまずは隅に置く｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,228-234p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc13">合意をシステムに反映させる方法について:グンター･トイプナーによる｢実在的接触｣</span></h4>
<p>生活世界において､言語的コミュニケーションである討議を通してなんらかの規範が合意されたとする｡合意されるだけで､社会が変わるわけではない｡</p>
<p>たとえば経済システムの不健全性をなんとかすべきであると同意されたとして､ではどうやって変化させるのかという問題が生じる｡</p>
<p>システムと生活世界はお互い自律しており､直接的なコミュニケーションをとることはできないのである｡</p>
<p>我々の呼吸のあり方が､自動販売機における売買のあり方に影響を与えていないのと同じである｡言語ではなく､貨幣を入れるという作動を通してしか経済システムに直接的な影響を与えることができないのである｡</p>
<p>システムと生活世界はお互い自律しており､直接的なコミュニケーションをとることはできないのである｡</p>
<p>我々の呼吸のあり方が､自動販売機における売買のあり方に影響を与えていないのと同じである｡言語ではなく､貨幣を入れるという作動を通してしか経済システムに直接的な影響を与えることができないのである｡</p>
<p>そこで､ハーバーマスは｢<b>法</b>｣に注目する｡法は生活世界の言語的合意を､制度化されたルールへと変換する｢<b>媒介装置</b>｣の役割をもっているという｡討議､世論形成､政治的意志の形成､法律の形成､そして行政や経済への影響といった通路が考えられているのである｡</p>
<p>たとえば社会システム理論家のグンター･トイプナーは､法システムと経済･政治･教育･家族などの各システムとの間に実在的接触が可能であるということを認めているという｡</p>
<p>実在的接触でポイントなのは､同じ出来事で､別々のルールに基づいた異なるシステムが同時的に接触するという点である｡</p>
<p>たとえば環境汚染という出来事に､経済は｢企業活動｣､法は｢違法行為かどうかを判断｣といったように同時的に接触するとするようなイメージである｡たとえるならシステムは混ざり合うわけではなく､交差点でぶつかるといったイメージだろう(同じ出来事をそれぞれのシステムが同時的に観察する)｡</p>
<p>ハーバーマスの文脈で考えると､意図的に実在的接触を起こすことで異なるシステムに影響を与えようとしているのであり､特に｢法｣は交差点でぶつけやすいということになる｡</p>
<p>とはいえ､たとえば環境問題を法で解決しようとしても､企業は国外に工場を移転させたりするといったように柔軟に対処されてしまうケースが存在する(たとえばカーボンリーケージ｡法を国単位ではなく世界単位で縛ることは現実的には難しい)｡</p>
<p>システムはあくまでも生活世界に根ざしていなければならず､遊離してはならないというのがハーバーマスの基本的な主張である｡</p>
<p>直接コントロールできないにせよ､｢人々の理想的な討議による合意に基づく異議申し立て｣がシステムにある程度影響を与えることができる必要があるというわけだ｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,248-250p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc14">ブルーノ･ラトゥールによる｢事物の議会｣</span></h4>
<p>個人的にはフランスの社会学者であるブルーノ･ラトゥールが｢<b>事物の議会</b>｣を創出するべきだと主張していたことがハーバーマスとの関連では重要になると考える｡</p>
<p>たとえば1997年の京都会議では､｢政治家と科学者､実業家と戦闘的な人々が同じ集会のベンチに座っていた｣という点が評価されている｡それぞれの分野で分離して対話するのではなく､一つの場所で対話することで生じる秩序に期待しているのだと言える｡こうした分野横断的な組織における対話による合意によって､社会(世界)の全体に関わる課題に取り組むことができるのではないかというわけです｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣227-228p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc15">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc16">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc17">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc18">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc19">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc20">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc21">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc22">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc23">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc24">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc25">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc26">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc27">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc28">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-42-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(41)】家族､マスメディア､異議申し立て</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-41-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 12:25:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[ハーバーマスが語る「社会の歪み」を治すための3つの処方箋]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-5" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-5">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-3]【治療法】家族､マスメディア､異議申し立て</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">生活世界の植民地化から抜け出すための３つの対処法</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">【1】ハーバーマスの｢家族における社会化｣とは</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">【2】ハーバーマスの｢マスメディア｣とは</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">【3】ハーバーマスの｢異議申し立て｣とは</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-3]【治療法】家族､マスメディア､異議申し立て</span></h3>
<h4><span id="toc7">生活世界の植民地化から抜け出すための３つの対処法</span></h4>
<p>1981年の『コミュニケーション的行為の理論』において､ハーバーマスは｢生活世界の植民地化｣におけるネガティブな側面をどのように解決するか､その展望を3つの側面にわけて説明している｡</p>
<p>※ちなみに討議倫理は1983年や1991年､法の役割については1992年であり､ここでは扱われていない(このあと少しとりあげる)｡</p>
<p>3つの側面とは､｢<b>家族における社会化</b>｣､｢<b>マスメディア</b>｣､｢<b>異議申し立ての潜在力</b>｣だという｡</p>
<p>これらはコミュニケーション的合理性を高める可能性として考えられているが､同時に､非合理性に傾く可能性をもっているということに注意する必要があるという｡なにごとにも両義性があると考えるセンスが必要になる｡また､ルーマン的にいえばいずれかの具体的な方法に固執するのではなく､常にほかであり得るという偶発性(コンティンジェンシー)のセンスを考慮する必要があるといえるだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,179p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">【1】ハーバーマスの｢家族における社会化｣とは</span></h4>
<p>まず､｢家族における社会化｣とはどういうことか｡</p>
<p>ハーバーマスによると､批判理論の第一世代では､家族における社会化はネガティブに捉えられていたという｡｢家族は労働の外にあり､愛や安心の場所だ､防波堤だ｣という見方そのものが実は資本主義社会を支える考え方の一部にすぎないと彼らは批判する｡</p>
<p>癒やしの場があることで外の社会の過酷さが問題視されにくくなったり､労働力を再生産する場所としての機能が進んでいくことが問題視されにくくなる｡</p>
<p>いわゆる｢<b>虚偽意識</b>｣だということになる｡社会的支配関係を正当化するような認識を､自然で正しいものだと信じ込んでしまう状態のことである｡</p>
<p>ハーバーマスも､こうした虚偽意識があることは否定していない｡しかし､経済システム的な侵食から家族の成員を守るという機能が家族にないわけではないという｡</p>
<p>また､近代化が進むにつれて､家族のあり方も変化してきたという｡たとえば父親の権威が絶対ではなくなり､より対等になってきている｡家族単位ではなく個人単位の交流が増え､家庭教育もリベラルになってきたという(上から価値観を押しつけるのではなく､子どもの自律､尊重を重んじる)｡</p>
<p>こうした新しい家族のあり方は､他者との意思疎通をより円滑にするような自我形成の機能をもつという｡つまり､コミュニケーション的理性を育む場所としても機能するというわけである｡</p>
<p>実際､家族の民主化が進むにつれて､ヒステリーや強迫神経症は減っていったとハーバーマスはいう｡しかし､ナルシズムや神経過敏､思春期問題の先鋭化などの別の問題が生じてきているともいう｡こうした新たな問題は､親の態度が一貫していないことにある可能性をハーバーマスは指摘する｡たとえば｢<i>勉強するかどうか自由にしなさい</i>｣と口では言いながら､勉強しないと不機嫌な態度をとるといったイメージだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,179-180p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">【2】ハーバーマスの｢マスメディア｣とは</span></h4>
<p>２つ目の側面である｢マスメディア｣とは､どういうことか｡</p>
<p>まず､第一世代の批判理論家はマスメディアの発達に関して否定的だったという｡昔のような真剣な公共的議論は､現代の画一的で中身の薄いマスメディアによって失われたと考えられている｡</p>
<p>実際､ハーバーマスも『公共性の構造転換』(1962)において､市民はサロンやカフェ､新聞･雑誌などを通じて公開の場で批判的な討論を行い､社会的合意を形成していたが､現代社会ではそうしたあり方が忘れ去られていると指摘していた｡</p>
<p>ハーバーマスは｢メディア｣という概念を２つの意味で使い分けている｡</p>
<p>まずは､システムにおける｢<b>制御メディア</b>｣である｡たとえば経済システムにおいては｢貨幣｣､政治システムにおいては｢権力｣が制御メディアとなる｡生活世界のコミュニケーションにおいて､対話(言語)ではなく貨幣というメディアを通した売買が行為調整の代わりとなることを｢生活世界の技術化｣と表現することは先程学んだ｡</p>
<p>一方で､｢マスメディア｣はシステムの制御メディアではない｡ハーバーマスによればマスメディアとは｢<b>コミュニケーションの一般化された形態</b>｣だという｡</p>
<p>言語による特定の意思疎通を｢不要｣にする､取って代わってしまう制御メディアではなく､｢<b>集約</b>｣しているという｡それゆえに生活世界の文脈から離れていないという｡日常生活におけるコミュニケーションの一般化されたものというニュアンスが強いというわけだ｡</p>
<p>とはいえ､マスメディアは単に生活世界におけるコミュニケーションを集約する存在ではない｡社会心理学で前回(1ワード社会心理学第十三回の動画)学んだように､意図せずとも情報が偏ってしまうこと､中立的ではなくなってしまうことがありうる｡</p>
<p>スポンサーに配慮したり､特定の利益団体､権力団体に配慮して意図的に偏りをもたせる場合もありうる｡</p>
<p>ハーバーマスはそれでも､｢<b>責任能力のある行為者が断固たる態度で介入し､抗議すればマスメディアの方もそれを回避し続けることはできない</b>｣と主張する｡</p>
<p>たしかに､｢オールドメディアは偏向報道をしている｣と客観的な事実に伴う証拠をつきつけられ続ければ､メディア側も視聴者が減っていては維持できず､できるだけ中立的な報道､要約的な報道へと指向せざるをえないかもしれない｡</p>
<p>とはいえ､偏向報道かどうかを判断できる情報源へのアクセス能力や､その判断能力が備わったものがどれだけいるかという問題もあるだろう｡</p>
<p>事実かどうかはわからないが､｢インフルエンサーが批判しているから正しい｣といったような非合理的な根拠に基づく批判や合意が加速することをハーバーマスならよしとはしないといえる｡とはいえ､インターネットにおけるニューメディアが､新たな生活世界の要約的なメディア､公共圏として機能しうる両義性を指摘するかもしれない｡</p>
<p>そもそも､マスメディアは生活世界においてどのような機能をもっているのだろうか｡</p>
<p>ハーバーマスにおいて､メディア(コミュニケーション･メディア)の最も基本的な機能は｢<b>コミュニケーション行為の負担軽減</b>｣だという｡行為調整(社会統合)のなかでも､とくに｢負担の軽減｣に重点が置かれているということになる｡</p>
<p>われわれは｢普通はこういう意図だ｣､｢普通はこうする｣という日常知を無意識的に､身体知のレベルで学習していることが多い｡</p>
<p>例えば｢電車では目線を合わせない｣というマナーを私は誰かに直接的に教わったことはない｡しかし誰もがやっているから､そうするものなのだろうと自然とやっているのである｡あるいは｢じっとみられて嫌だった｣という他者の体験を対話で聞いたりして知っていくものであるともいえる｡</p>
<p>そしてそうした日常知は生活世界に蓄積されているものであり､間主観的に自明なものとして共有されてきたものが多い｡</p>
<p>その場その場で我々がどうすべきか逐一考えたり､対話によって合意しているわけではない｡こうした事態を｢<b>コンセンサス(了解)の前貸し</b>｣という｡我々がそういうものだと合意して決めたのではなく､｢そういうことにどうやら昔からなっている｣というタイプのものである｡</p>
<p>しかし近代化が進むにつれて､価値観は多様になっていく｡｢あたりまえ｣があたりまえではなくなっていく事態が増えていくのである｡</p>
<p>たとえば｢結婚して当たり前､異性のカップルが当たり前､終身雇用が当たり前､出社することが当たり前､男は外で働くことが当たり前､正月は神社が当たり前､テレビで情報を得ることが当たり前､和食が当たり前｣といったような価値観は古くなりつつある｡</p>
<p>｢コンセンサスの前貸し｣は素朴な前提であり､行為者自身が自分で内省したり､批判的に考えるといった機会は少ない｡</p>
<p>近代化によって真善美が分離し､価値観が多様化したことでコンセンサスの不成立のリスクが増加していくが､しかし｢<b>自分で考える能力</b>｣､すなわちコミュニケーション的理性も発展していくことをハーバーマスはポジティブに捉えている｡伝統だから､権威ある人がいうから､オピニオンリーダーがいうから､友だちがいうから､みんながしているからで単に前提としない時代であり､対話によって決めていこうというわけだ｡</p>
<p>とはいえ､細かいことまでいちいち対話で決めていては日常生活がままならない｡そこで､過剰な負担を軽減するためにコミュニケーション･メディアが機能するというわけである｡いわば最低限のマナーなどの範囲を我々はそこで知ることができる｡もちろんその範囲にたいして批判し､新たな合意を要約させるといったことも可能になるのだろう｡</p>
<p>電車のマナーを特集したり､人々の声を取材したりすることで､人々の価値観を我々は知ることができる｡一般書籍､新聞､ラジオ､テレビ､インターネットにおけるニュースサイトなどもマスメディアである｡</p>
<p>ときには｢こうあるべきだ｣とマスメディアの専門家が要約以上のことを述べることもある｡あるいは偏向報道の可能性もある｡</p>
<p>しかし､<b>潜在的にはマスメディアに対して批判可能</b>だとハーバーマスはいう｡一方で､｢制御メディア｣を通した作動はなかなか批判しにくい｡</p>
<p>たとえば｢<i>なぜこんなにある製品の市場価格が下がったのか､上がったのか</i>｣と､我々は何にむけて批判すればいいのだろうか｡ある会社の社長だろうか､社員だろうか､原材料を生産する会社だろうか､あるいは戦争だろうか､あるいは自分たちの日々の営みだろうか､あるいはそれら全てだろうか｡</p>
<p>システム全体を批判するにしても､システムが｢わかった､ちゃんとする｣と返事をするわけではない｡システムにおける作動は､戦略的行為よりもより一層批判しにくい性質をもっているといえる｡意図せざる創発的な結果として生じていることが多く､責任も分散せざるをえないのだろう(責任をとる中心が存在しない｡政治は批判の受け皿にすぎない｡)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,183p</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),52-54p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">【3】ハーバーマスの｢異議申し立て｣とは</span></h4>
<p>そして第三に､｢<b>異議申し立て</b>｣である｡</p>
<p>異議申し立てとはようするに､不健全な生活世界の植民地化のあり方に対して批判する行動のことである｡</p>
<p>生活世界からシステム世界への越境に対する抵抗､変革ということになる｡</p>
<p>ハーバーマスは異議申し立ての種類について､伝統的なものをただ守ろうとしているだけの｢<b>退却的な要素</b>｣と､コミュニケーション的理性の領域を守ろうとしている｢<b>解放的な要素</b>｣に区別している｡</p>
<p>退却的な要素とは､たとえば合理的な根拠､熟慮無しに､ただ昔からそうだという理由で従来の家族観､学校観､経済観､宗教観を保守したり､戻ろうと異議申し立てする立場である｡単に自分が損をするからと税制に不満をいう場合もこのケースだろう｡</p>
<p>解放的な異議申し立てとして､ハーバーマスは｢環境運動や平和運動｣をテーマとする青少年運動やオルタナティブ(対案提出)の運動の例をあげている｡</p>
<p>1997年のアメリカのSF映画で『ガタガ』という作品があった｡人類は人工授精と遺伝子操作によって､優れた能力をもった｢適正者｣とそうではない｢不適正者｣に区別されるというストーリーである｡遺伝子だけで就職の成否が決まるような世界である｡</p>
<p>たとえば技術の発展によって遺伝子が資本を稼ぐ能力に特化して類別されるとすれば､生殖という生活世界の領域にシステム領域が過度に侵食しているということになる｡</p>
<p>こんな話ありえないだろうと思う人もいるだろうが､技術的にそういう世界もありうる世界に私たちはすでに住んでいるのかもしれない｡人びとがコミュニケーション的合理性を失い､道具的合理性ばかりが発達した世界において､そうした技術を批判する人が少なくなる可能性がありうる｡</p>
<p>たとえばAIが仮に生活世界にとって悪いものだとしても､それを使わない国は周りの国に置いていかれる｡資本主義を採用しない国が置いていかれるようにである｡</p>
<p>遺伝子操作を強行的に使う国が出てこないといいきれないのである｡そして一度使われれば周りの国も使うようになり始める｡核兵器すら使うような世界において､｢<b>そんな非道徳的なことはしないだろう</b>｣と素朴に我々は信頼することができなくなってしまっている｡もはやわれわれの良心や意識といったもので｢制御｣できるような世界ではないのかもしれない｡あるいは良心や愛すらもシステムに予想され､柔軟に利用されるのかもしれない(自分の国民を愛するゆえに核兵器を使うように)｡</p>
<p>我々は自由に意識によって選択しているようにみえて､実は外堀を埋められ､主体的に選択せざるをえないようにされている可能性がある｡我々は資本主義も､核も､AIも､そして原発も簡単には放棄できない｡どんなに遠い危険が未来に待っていたとしても､近い未来に具体的な危険を回避するほうが先なのである｡</p>
<p>我々は環境運動家に対してやかましいと感じ､アフリカの飢餓の募金に対して知ったことかと構えがちである｡そんなことより自分の未来の確保であり､大事な人への援助であり､そして自分の国民への援助だというわけである｡短期的な弧をとらえることを倫理的に責めることは難しい｡</p>
<p>選挙において我々は自発的､主体的､熟慮的に選択しているつもりになっている｡しかしあらかじめ用意された乏しい選択肢の中から選ぶ作業はほんとうに熟慮的だといえるだろうか｡また､選ぶ情報はほんとうに全て公開されているのだろうか｡</p>
<p>何が獲得すべき情報かについて我々はそもそも理解できているのか｡選挙における選択が合理的な根拠に基づくものではなく､システム的な処理､単に権力側が用意した形式的な支持システムとなっていないといいきれるだろうか｡我々は趣味や恋人､進学先をほんとうに主体的に選んでいるのだろうか｡</p>
<p>フーコーは支配のあり方を､自ら主体的に支配を受けるようにするタイプとして語った｡支配するものが見ていなくても､自ら服従し､それを自由だとすら感じさせるような支配である｡</p>
<p>リオタールが､システムへの反抗もシステムにすでに予想されており､また柔軟に利用､対応されていると悲観したこととも関連している｡</p>
<p>きっと誰かが､どこかで反抗しているのだから､世界のシステムは暴走しないだろうと我々は安心してはいないだろうか｡そして反抗している人がどんな意図をもっているかについて､我々は理解しているだろうか｡</p>
<p>たとえば芸能人の不祥事ばかりがフォーカスされることがある｡ある領域への過剰な批判が意図的にフォーカスされ､他の批判が隠されている可能性がないといいきれるだろうか｡</p>
<p>ある具体的な反抗が過剰に可視化されることによって､別の本質的に反抗するべきもの､反抗されたくない核心が隠蔽化される可能性はないだろうか｡</p>
<p>あるいはそうした核心すらない､ルーマン的にいえばシステムの中心という､誰かを破壊すれば､システムのどこかを破壊すれば全てが崩壊するというような｢敵｣はいないという可能性はないだろうか｡それぞれがそれぞれのルールで利己的に動いているだけで､全体を制御する支配者などいないのではないだろうか｡</p>
<p>たとえば大統領を倒しても､別の大統領が代わるだけである｡ある会社を倒しても､別の会社が役割を引き継ぐだけである｡倒すべき相手がもしシステムだとすれば､それは一種の自己破壊なのかもしれない(システムの外に立てると思い込みがちである)｡</p>
<p>しかし修正する方法が一切ないとは思いたくない｡ハーバーマスのような希望はもっていたい｡そしてその希望はできるだけ理論的な根拠に基づき､独断ではなく､合意形成的なものでもありたい｡決断主義的だったり､単に非合理的であったりするだけでは危険であるという直観は理解できる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,184p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc11">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc12">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc13">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc14">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc15">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc16">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc17">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc18">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc19">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc20">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc21">社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc22">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc23">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc24">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-41-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(40)】ハーバーマスの｢体系的に歪められたコミュニケーション｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-40-theory-of-communicative-action/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 12:04:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[ハーバーマスの「体系的に歪められたコミュニケーション」とベイトソンの「ダブルバインド」の共通点とは。人間関係の歪みが精神に与える影響を、社会学の知見からシンプルに紐解きます。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-2]【病原】ベイトソンの｢ダブルバインド｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ハーバーマスの｢体系的に歪められたコミュニケーション｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">グレゴリー・ベイトソンの｢ダブルバインド｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc14" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-2]【病原】ベイトソンの｢ダブルバインド｣</span></h3>
<h4><span id="toc7">ハーバーマスの｢体系的に歪められたコミュニケーション｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>体系的に歪められたコミュニケーション</strong></span>：</big>表面上は了解が成立しているように見えるが､実際には隠された力関係や操作によって自由で対等なコミュニケーションが歪められている状態のこと｡ハーバーマスの概念｡</p>
</div>
<p>言語行為論の項目で､コミュニケーション的行為と戦略的行為の区別は諸個人の内心に依存することを我々は見てきた｡</p>
<p>たとえば｢<i>自由に意見を出してください</i>｣と上司が部下に言った場合､上司はいったいどんな意図を実際にもっているのだろうか｡｢本当に出してきたら冷遇するぞ､黙って言われたことに従え｡あくまでも周りに善い上司だと思われることをこっちは目的としているだけだ｡言葉通りに解釈するんじゃないぞ｡｣と思っているかもしれない｡あるいは言葉通りに､本当に自由に意見を求めているだけかもしれない｡我々は日常において､言語外の慣習､態度､発話者の性格などによってそれを察しようと努めるのである｡</p>
<p>部下は上司に､｢<i>それはほんとうはどういう意味ですか</i>｣と問うことは難しい｡上司は｢<i>文字どおりだよ</i>｣と弁明できるからであり､またそのように質問することは失礼にあたることがある｡</p>
<p>もし部下が文字どおりに解釈し､自由な意見を出して上司のアイデアを批判したとする｡その結果､上司は嫌な顔をして､部下を冷遇しはじめるかもしれない｡部下は｢<b>言っていることとやっていることが違う</b>｣と思うだろう｡しかもそれを部下は権力関係のせいで簡単に指摘(批判)できないのである｡コミュニケーションが歪んでいると､人間の精神も歪む可能性があるとハーバーマスは考える｡</p>
<p>たとえば隠れた意図で他者を操作しようとしたり､情報を他者に与えずに操作しようとしたり､権力で他者を操作しようとしたりする人がいる｡専門的な権威や難解な用語で他者を操作しようとしたり､選択肢を制限したりする人もいる｡</p>
<p>戦略的行為は批判可能性がないことに特徴があり､コミュニケーション的行為は批判可能性があることに特徴があったことを思い出すとわかりやすい｡<b>コミュニケーションの歪みは戦略的行為において生じやすい</b>というわけだ｡</p>
<p>コミュニケーションが歪んでいるかどうか､聞き手は言葉だけではわからない｡行為や態度との違いなどで感じ取ることができるだけである｡</p>
<p>また､話し手すら｢自分が歪めている｣という意識がないかもしれない｡受け手も歪められていると顕在的に意識できるかどうかわからない｡自分も戦略的行為をする側であり､｢そういうものだから｣と自然に操作し合うのかもしれない(たとえば上司に対して思ってもいないことを言うなど｡上司もまたモラハラなどと言われるから指摘しにくい｡)｡｢そうすることが効率の良いものだから｣と戦略的行為を学習するようになると､もはや明確に意識されなくなってくることがありうる｡画家が顔の描き方を逐一意識しないのとも似ている｡</p>
<p>巷では人をコントロールするためのハウツー本がベストセラーになることもある｡本心でどう思ってるかどうかではなく､他者にどう思われるかが中心となっていく｡他者をコントロールできる言葉選びや態度のあり方が学習されていくのである｡</p>
<p>本心から､対等に意思疎通をする機会は公共の場においてはめったにないのかもしれない｡私的な場においてすら難しくなっているかもしれない｡内は内､他所は他所と完全に分離した志向を人間は維持できず､他所における態度は内における態度に越境してくるのではないだろうか｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢クロニクル社会学｣,有斐閣アルマ,第一六刷,143p</p>
<p>｢クロニクル社会学｣,有斐閣アルマ,第一六刷,148p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">グレゴリー・ベイトソンの｢ダブルバインド｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6574113f3ede52d7a11b310ee31b56de.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5523" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/6574113f3ede52d7a11b310ee31b56de.png" alt="" width="118" height="229" /></a></p>
<p>ここで私が思い出すのは､人類学者であるグレゴリー･ベイトソンの｢ダブルバインド｣である｡</p>
<p>※ちなみにルーマンはベイトソンの影響を受けているという点が個人的なポイントではある｡ハーバーマスが参照しているかどうかは分からないが､ルーマンの主張を十分に検討しているハーバーマスならば､ベイトソンの主張を理解していてもおかしくはない｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong>ダブルバインド</strong></span>：</big>同じ関係の中で､互いに矛盾する命令やメッセージを同時に受け取り､しかもその矛盾を指摘したり関係から逃れたりすることが禁止されている状況のこと｡</p>
</div>
<p>たとえば親と子がいるとする｡親が子どもを罰して､｢これを罰と考えてはならない｣､｢私を処罰する人間とは思ってはいけない｣､｢この罰におとなしく屈してはならない｣というメッセージを言葉や身振りで伝えるケースなどである｡</p>
<p>要件は以下の４つに主にまとめることができる(詳細は別の機会で扱う)｡</p>
<p>第一に､１人以上の人間が存在すること｡第二に､くり返されること｡第三に､禁止命令が存在すること｡第四に､より抽象的なレベルで第一の命令と衝突するような第二の命令が存在することである｡</p>
<p>たとえば親の命令に従ってもだめであり､従わなくてもだめという状況で子どもはおかしくなってしまう(もちろん､遺伝的な影響がまったくないとベイトソンが述べているわけではなく､全てを遺伝のせいにではできないと述べているのである)｡この病気は｢<b>分裂精神病</b>(現在でいう統合失調症)｣と呼ばれている｡</p>
<p>親は口では｢<i>これは罰ではない</i>｣と言いながら､態度では無視したり､暴力をふるったりするのである｡あるいは｢<i>愛しているよ</i>｣と言いながら､身体に触れられるのを避けるような身振りをするのである｡</p>
<p>そうして子どもは論理階型を区別しなくなるように｢<b>学習</b>｣してしまうのである｡｢言っていることとやっていることが違う｣といった論理階型の区別ができなくなり､比喩や冗談を理解できなくなる｡</p>
<p>親からすれば､子どもは｢おかしくなってしまった｡なんらかの病気が(自分とは関係なく)生じた｣ということになる｡R.D.レインやフーコーの｢<b>狂気</b>｣とも重なる話である｡会社なら退職すればいいかもしれないが､しかし現実的に退職する行為は勇気がいる｡</p>
<p>子どもは｢<i>いったいそれはどういう意図なのか｡あなたは言ってることとやっていることが違う</i>｣と言えない｡もしそれを言ってしまえば親を非難することになってしまうからである｡非難したところで｢<i>そんなつもりはなかった､あなたを愛しているのよ</i>｣とかわされてしまうかもしれない(しかし態度は変わらないままである)｡</p>
<p>矛盾を指摘したり非難することもできず､その場から逃げ出すこともできない｡命令に従っても態度で｢それは違う｣と言われ､従わなくても親から｢言うことを聞けない子だ｣と非難されてしまう｡もうどうすることもできないような状況に陥るのである｡権力(親子関係)によって歪んだコミュニケーションの例だといえる｡</p>
<p>ベイトソンいわく､｢<b>分裂病の人間</b>｣などというものはどこにも存在しないそうだ｡あるのは｢<b>分裂病的システム</b>｣だという｡｢怒りっぽい性格｣なども同様に存在せず､人と人との間､関係の中で創発的に帯びる性質であるということになる｡人格や意識といった要素の実在論的な歪みではなく､要素同士の関係性の歪みなのである｡</p>
<p>システムが歪んでいるから､人間も歪むというわけである｡近代化に伴い核家族が増え､矛盾の状態を指摘してくれたり､子どもを守ってくれる人間が減っていることも関連しているのだろう｡信頼が生活世界のベースになければ近所付き合いも減っていくのであり､気軽に話しかけると不審者扱いされる可能性すらある(隠れた意図が怖い)｡</p>
<p>ベイトソンは以下のように目的的な合理性について語っている｡</p>
<p>｢芸術､宗教､夢その他の現象の助けを借りない､単に目的的な合理性は､いずれはかならず病に至り､生を破壊してしまう｡(……)生というものは､人間の意のままにならぬさまざまな回路が複雑に絡みあって成り立っている｡だが人間の目的心は､それらの回路のなかのごく短い弧の部分しかたどることができない｡意識に見えるのは回路の一部でしかないのだ｡目的合理性が破壊的なのはそのためである｡<i>このように､我々が生きている世界とは､循環するさまざまな回路からなる世界なのだ｡そしてそこで愛が生き続けるためには､叡智(すなわち､循環という事実を認識すること)の声を響かせなくてはならないのだ｡</i>｣</p>
<p>グレゴリー･ベイトソン『原初的芸術のスタイル･グレイス･インフォメーション』(1967)</p>
<p>たとえばDDT(強力な殺虫作用をもつ有機塩素系化合物)の使用は目的合理的行為(道具的行為)の典型例である｡人間は自然を思い通りに制御､支配､操作しようと試みたのである｡</p>
<p>しかし自然はさまざまなシステムが複雑に関わっており､人間はそのすべてを計算することは困難である｡毒にやられた虫を食べた鳥が死ぬだけでは済まない｡問題はより広範囲に波及するのである｡そして殺虫剤によって食糧が増え､人口が爆発的に増大した結果､世界はどうなるのか｡そこまで予測することは本当に可能なのだろうか｡</p>
<p>まず大前提として､｢認識枠組み(エピステモロジー)｣の誤りそれ自体はそこまで問題ではないという｡</p>
<p>たとえば､｢目的意識｣という認識枠組みは誤りであるかもしれない｡しかし過去百万年間も続いてきたとされ､産業革命以前までは大きな帰結をもたらす可能性はそれほど高くなかったという｡</p>
<p>誤った認識枠組みがなぜ現代において｢<b>危機</b>｣なのかというと､産業革命以降､｢<b>高いテクノロジー</b>｣との組み合わせが生じてきたからである｡</p>
<p>もしテクノロジーがそれほど発展していなければ､戦争で特定の国家が壊滅的に滅んだりすることはあるかもしれないが､核戦争で全生物が死滅するほどの危機や生態系が壊滅する可能性は非常に低いだろう｡しかしテクノロジーが発展していればそうした危機が現実味を帯びてきている｡｢人々の性格がずる賢くなっている､利益重視になっているから治しましょう｣という単なる道徳的､倫理的な話､学校でするような｢平和的で対等な仲良しグループになりましょう｣という話でもない｡｢<b>これからこの世界が維持できるかどうか</b>｣という深刻な話なのである｡</p>
<p>｢<i>自分たち自身の捉え方も､他人の捉え方も､とにかく思考の全体を組み立て直さなくてはならない｡これは面白がっていられることではない｡</i>｣､｢<i>自分たちと自然界との関係をこんなふうに捉えているものが､高度なテクノロジーを手にしたとしたら､それが生き続けていく可能性は地獄の雪玉ほどのものでしょう｡</i>｣とベイトソンは強く主張している｡</p>
<p>ベイトソンは危機の根を｢３つの原因｣にまとめている｡</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">テクノロジーの進展</li>
<li class="sample">人口増加</li>
<li class="sample">西洋文化の思考のあり方と世界に対する姿勢(アティチュード)の誤り</li>
</ol>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/14be9542a006b4f104522ff16d10e1fd.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5524" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/14be9542a006b4f104522ff16d10e1fd.png" alt="" width="451" height="487" /></a></p>
<p>図にするとこのようになる｡</p>
<p>それぞれの原因は相互作用関係にあり､それぞれは独自に自己促進的な増加を生じさせ､さらにそれぞれの原因の増加を強化するような仕組みになっている｡いわゆる負の連鎖である｡</p>
<ol class="sample">
<li class="sample">人口の増加はテクノロジーを増加させ､人々の不遜を増加させる</li>
<li class="sample">テクノロジーの増加は人口を増加させ､人々の不遜を増加させる｡</li>
<li class="sample">人々の不遜(悪い認識枠組み)の増加はテクノロジーを増加させ､人口を増加させる｡</li>
</ol>
<p>それでは､こうした諸問題､｢病原｣を治療するためにはいかなる手段が可能なのだろうか｡</p>
<p>人口の増大やテクノロジーの増大を直接的に減少させることは難しいという｡人口を適切な量に維持したり､テクノロジーの方向を改善させるためには､｢不遜な認識論｣､つまり｢悪い認識論｣を｢正しい認識論｣に改善していく必要があるということになる｡</p>
<p>しかし､認識論を変えるというのはわれわれが想像する以上に難しいという｡｢怒りっぽい性格｣を変えるというような一部の､表面的なものの変革だけではなく､もっと｢<b>根底的な変化</b>｣である｡ベイトソンの用語でいえば学習２や学習３に相当するものである｡クーンでいえばパラダイムシフトにあたるものであり､デュルケムでいえば集合的沸騰が極大にまで達するときに変化するイメージだろう｡</p>
<p>認識論の変化は､｢戦略的行為中心の見方から､コミュニケーション的行為中心の見方へ｣とハーバーマス的にいえば理解できるのかもしれない｡</p>
<p>また､単に｢<b>意識を変えれば世界はなんとかなる</b>｣と考えるだけではなく､｢<b>現実的にどうするのか</b>｣という問題が存在する｡たとえばハーバーマスの場合は後で扱うように､｢(理想的な討議のための)法の整備｣などを提案している｡</p>
<p>｢対話でなんとかなる｣､｢認識論の変化でなんとかなる｣というだけではなく､理想と現実を織り合わせる必要がある｡そのためには理想と現実の両方に精通する必要がある｡</p>
<p>ウェーバーでいえば冷たさと温かさを同時に備え持つような不可能とも思えることを成し遂げなければならない｡社会学者はいわば｢<b>天使</b>｣にならなければならないのかもしれない｡あるいはマキャベリの君主論とも共通するものかもしれない(愛や誠実性だけを君主が備えていても､統治は上手くいかない｡)｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/04/24/durkheim-7-14/">【基礎社会学第三九回(14)】【コラム】｢来たるべき社会とその聖｣をベイトソンから考える</a></p>
<h2><span id="toc9">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc10">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc11">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc12">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc13">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc14">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc15">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc16">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc17">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc18">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc19">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc20">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc21">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc22">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/10/habermas-40-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(39)】ハーバーマスの治療法関連</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-39-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-39-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 08 Apr 2026 21:29:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5515</guid>

					<description><![CDATA[システムが日常の対話を奪う「生活世界の植民地化」。ハーバーマスが説いた現代社会の病理を、医療や教育の具体例を交えてシンプルに解説します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-7" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-7">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(8) [F]治療法関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[8-1]【病原】｢生活世界の植民地化｣とは</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ハーバーマスの｢生活世界の植民地化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">｢生活世界の技術化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">｢生活世界の内的植民地化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">｢生活世界の貧困化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(8) [F]治療法関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[8-1]【病原】｢生活世界の植民地化｣とは</span></h3>
<h4><span id="toc7">ハーバーマスの｢生活世界の植民地化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>生活世界の植民地化</b></strong></span>：</big>本来はコミュニケーション的行為があるべき生活世界で､戦略的行為が取って代わってしまうこと｡社会統合とシステム統合が競合し､行為調整をシステム統合が取って代わり､生活世界の役割が不健全な形で解体されていく現象だといえる｡</p>
</div>
<p>第一に､｢本来コミュニケーション的行為があるべきところ｣とはいったいどのような状況･領域･文脈なのだろうか｡</p>
<p>生活世界で重要なのは文化の伝承･変化､社会的連帯､人格の形成であった｡つまり､これらの機能に直接的に関連するような領域だということになる｡たとえば医療の現場においては患者との対話によって治療のあり方が決まるべきだとすれば､対話をせずに病院が利益を出せるかどうかのみかによってシステム的に決まるあり方は｢生活世界の植民地化｣だといえるかもしれない｡</p>
<p>第二に､コミュニケーション的行為があるべきところに戦略的行為が｢<b>取って代わる</b>｣とはどういう事態なのか｡</p>
<p>さきほど両義性において､貨幣はコミュニケーションの｢<b>補助</b>｣となる､選択肢の増大､自由の性質の変化をもたらすポジティブな側面としても評価されていた｡人と人との意思疎通を補助するようなタイプのシステム的合理性もあるということになる｡物質的再生産が生活世界の維持にポジティブに寄与している場合もあれば､物質的再生産のために生活世界がネガティブに利用されてしまう場合もあるというわけだ｡単に恩恵を受けるだけではなく､犠牲を強いられる場合があるのである｡</p>
<p>たとえば今までは｢対話｣において価格が決定されていたが､近代化によって｢市場というシステム｣においてシステム合理的に価格が決定されるようになったとする｡これは対話的コミュニケーションがシステム的作動に置き換わっている｡</p>
<p>対話的な売買が､非対話的な売買に置き換わっている｡これだけで犠牲かどうか､病理かどうかを判定することは難しい｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/49d56ea6105b97700a826763c0574a98.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5517" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/49d56ea6105b97700a826763c0574a98.png" alt="" width="447" height="512" /></a></p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>大澤真幸,｢社会学史｣,講談社現代新書,第二刷,529p</p>
<p>｢本当にわかる社会学｣,現代位相研究所編,第四刷,228p<br />
｢クロニクル社会学｣,有斐閣アルマ,第一六刷,143p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">｢生活世界の技術化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>ハーバーマスは｢植民地化｣という言葉以外にも､｢<b>技術化</b>｣や｢<b>貧困化</b>｣という言葉を用いている｡</p>
<p>いずれも｢<b>代替</b>｣というニュアンスは共通しているが､｢内的植民地化｣や｢貧困化｣はネガティブな側面の強調であり､｢技術化｣はポジティブな側面の強調であるという印象を受ける｡もちろん､これらは同じ事態の異なる側面であり､単に技術化がポジティブだという趣旨ではない｡</p>
<p>市場システム(技術システム)によって､今まで対話によって費やしていた時間やエネルギーが軽減され､意思疎通が円滑になる場合は｢<b>技術化</b>｣であるといる｡法システムの発展によって対話によって問題を解決するのではなく､法で形式的に決着をつけることも増えている(法で解決すべきではない場面もあるかもしれないが)｡</p>
<p>つまりこの側面の場合は生活世界の意思疎通の補助として､ポジティブにも評価されうるのである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,173p<br />
中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">｢生活世界の内的植民地化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>ハーバーマスは｢内的植民地化｣という言葉も用いている｡一般に植民地化とは､｢ある集団･国家･体系が､他の地域や領域に進出し､ 政治的･経済的･文化的支配を確立する過程｣を意味する｡</p>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>内的植民地化</b></strong></span>：</big>生活世界の植民地化が特に人格の形成に病的な影響を与える現象のこと｡とくに文化的再生産の領域への越境(侵食)が重要となる｡</p>
</div>
<p>一般的な植民地化のイメージは以下のような過程をたどる｡たとえば戦争において軍事的制圧を相手の国にまず行い､相手の抵抗力を奪う｡相手の国の政治制度､法制度､文化などを自分の国の利益になるような形で変容させる｡たとえば自分たちの国のための労働をさせたり､資源を獲得させたりするのである｡上辺では｢あなたたちのためだ｣と言うかもしれない｡</p>
<p>自分たちの目的が第一であり､暴力などの権力を背景とした同意を強制し､了解といった意思疎通は二の次であるという意味で戦略的だといえる｡</p>
<p>内的植民地化は同じ全体社会の内部において､システムが生活世界を｢<b>単なる手段</b>｣として従属させるというようなイメージとなる｡</p>
<p>たとえば教育は｢健全な人格形成｣､｢文化の伝承｣といった目的を担ってきた｡しかし､教育がそうした目的のためではなく､経済システムのため､あるいは政治システムのためといったように､単なる手段､悪くいえば奴隷となってしまうこともある｡</p>
<p>教育では､学校は人格形成よりも進学率や就職率といった量的な評価が重要になっていく｡経済成長のための教育という二次的な位置づけになっていくわけである｡具体的に日々生きていく人々の生活のためというより､経済システムの維持のため､政治システムの維持のためといった手段の目的化がはじまり､その転倒した目的の手段として人々の日々の生活が位置づけられてしまうのである｡</p>
<p>たとえば公共事業では本来､市民が意思疎通によってどういう施設が重要かを決定するという側面がある｡しかし､建設業者が自らの利益だけを目的として､公共事業を単なる手段としようとする場合もある｡効率性や操作性､利益性ばかりが求められていくのである｡</p>
<p>家族内でも偏差値やIQといった量的な指標､どれだけいい仕事に就いて利益を出せるかという目的意識が重要になっていく｡</p>
<p>科学の領域では意思疎通よりも研究資金の獲得が重要になっていく｡福祉の領域では単なる行政的な手続きが重視されるようになる｡医療の領域では対話よりも保険の点数が重要になる｡もちろん名目的には社会のため､人々の暮らしのため､自分たちの生活のためかもしれないが､しかしほんとうにそうだろうか､と一度立ち止まる必要があるのかもしれない｡また､全てが虚偽であると極端に断罪することに対しても立ち止まる必要がある｡</p>
<p>ジンメルも個人化と社会化にはコンフリクトが生じることを指摘していた｡さらに所属する社会はひとつではなく､近代化に伴って複数に増えていく｡また､複数に所属することでさらに個人化､個性化､多様化が進んでいく｡</p>
<p>しかし<b>それぞれの社会の範囲ごとに､個人を一面化しようとする力</b>がある｡｢われわれの正しさに従え｣と規定してくるのである｡職場では｢利益や効率を重視しろ｣と個人に責め立て､家族では｢利益よりも子どもを大事にしろ｣と個人に責め立て､宗教では｢良心を信じろ｣と個人に責め立て､友人は｢もっと友情を大事にしろ｣と責め立てる｡</p>
<p>それぞれの社会がそれぞれの一面化を責め立て､さらにそれぞれの社会同士が対立的に､お互いを手段化しようと争っている｡</p>
<p>それぞれの領域でそれぞれすべきことがあるときっちり区別でき､それらが相補性を､つまりお互いを高められるような生活世界の技術化ならまだいいが､侵食､衝突し合っている場合は問題となる｡支配は服従を促し､服従はさらなる支配を促していくというエスカレートする性質をもつので問題となりやすいといえる｡</p>
<p>そんなコンフリクトの状態で人々の精神は平常ではいられないことがある｡もはや複雑に個性化した個人が何を考えているのか､よくわからない｡ダブルコンティンジェンシーが容易に解消されない事態も出てくる｡</p>
<p>このようにして｢<b>他者への信頼</b>｣が薄れていく可能性もあるのである｡そして｢自分がどうあるべきか｣というパーソナリティについても不安になっていくのである｡こうした内的植民地化はハーバーマスにおいて<b>近代社会の病理の根底</b>であると解釈されている｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,173p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,175p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">｢生活世界の貧困化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>｢生活世界の貧困化｣は｢生活世界の内的植民地化｣にかなり近い概念だといえる｡具体的には文化の伝承や社会的連帯の維持､人格の形成といった再生産能力が弱まる事態を意味する｡</p>
<p>文化とはなにか､どういったものを継承し､変化させていくべきか､人間はどうあるべきで､なにをするべきで､社会はどうなっていくべきかといったことを日常生活において人びとはコミュニケーションしなくなっていく｡</p>
<p>こうしたことを考えるのは｢<b>専門家</b>｣であり､日常で考えることではないとみなされるようになるのである｡たとえば科学者だったり政治家がその役割を担うということになる｡実際､われわれのほとんどは科学的な仕組みや政治的な仕組みの専門的な内容をほとんどよく理解していない｡それゆえに話し合うことも少ない｡当事者ではなく｢<b>お客様</b>｣のような気分で接しているわけである｡</p>
<p>真善美が､科学､政治･法､芸術が生活世界において一体的であった時代から､それぞれが機能分化し､自律していく｡生活世界で担う役割や機能が乏しくなり､システムによる行為調整に依存する傾向は増大していくことになる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,173p<br />
中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,288p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc11">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc12">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc13">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc14">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc15">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc16">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc17">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc18">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc19">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc20">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc21">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc22">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc23">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc24">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-39-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(38)】ハーバーマスの｢社会統合｣､｢システム統合｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-38-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-38-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 08 Apr 2026 21:19:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5512</guid>

					<description><![CDATA[ハーバーマスが提唱した「社会統合」と「システム統合」の違いを解説します。生活世界における対話と、貨幣や権力によるシステム的制御。秩序がどのように維持され、私たちが直面するコンフリクトがどう解消されるのか、その核心に迫ります。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(7)[E]システム関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[7-5]ハーバーマスの｢社会統合｣､｢システム統合｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ダブルコンティンジェンシー問題の解消</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">ハーバーマスの｢社会統合｣と｢システム統合｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">自立と依存の両義性</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc11" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc13" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc15" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(7)[E]システム関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[7-5]ハーバーマスの｢社会統合｣､｢システム統合｣</span></h3>
<h4><span id="toc7">ダブルコンティンジェンシー問題の解消</span></h4>
<p>ハーバーマスは社会全体を生活世界とシステムという二つの側面に分けた｡</p>
<p>そして生活世界の主な機能を｢<b>社会統合</b>｣､システムの主な機能を｢<b>システム統合</b>｣と表現した｡</p>
<p>パーソンズやルーマンでいえば､行為調整は｢<b>ダブルコンティンジェンシー問題の解消</b>｣ということになるのだろう｡</p>
<p>自分がどう出るかは相手の出方次第であり､相手から見ても同様であるときの状態のことである｡そうした状態ではまともな意思疎通は難しくなるが､現実にはどのように解消(行為調整)されているのかという話である｡</p>
<p>社会統合とシステム統合に共通している点は､どちらも｢<b>行為調整</b>(行為整合)｣を目的としているという点である｡もっとも､システム統合の場合は出来事の調整､要素同士のあり方の安定性を意味するのであり､たとえば機械のパーツ同士でも調整が行われているといえる｡</p>
<p>つまり､なんらかの｢<b>秩序</b>｣を生成､維持することが目的なのである｡別の側面からいえば､｢<b>コンフリクト</b>(矛盾･葛藤)｣を避けるということになる｡目的論的に考えるというより､そのような結果(機能､出力)があることによって全体が維持されていると記述できる｡体温調節が何のためにあるかはわからないが､人間の生命を維持しているとは記述できる｡</p>
<p>たとえば道を歩いている人が正面から来たとして､自分が右に行ったら相手も右にくるかもしれない｡どっちにくるかわからないという意味でコンフリクトの状態にあるが､現実ではだいたいなんとかなっている(解消されている)｡</p>
<p>右へ行きますよ､というなんとなくの兆候が事前に顔や動作などにあらわれているかもしれない｡ちょっとした作動でその場その場で秩序が構成されていることもあり､必ずしも法律や習慣､言語などのメディアを必要とするとは限らない｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/03/20/talcott-parsons-1/">【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか</a></p>
<h4><span id="toc8">ハーバーマスの｢社会統合｣と｢システム統合｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>社会統合</b></strong></span>：</big>人と人との間のコミュニケーションを通して行為調整をするという機能のことであり､生活世界において主に実行されている｡主に｢コミュニケーション的合理性｣が発揮される｡</p>
</div>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>システム統合</b></strong></span>：</big>システム内における要素と要素との間の制御を通して行為調整をするという機能のことであり､システムにおいて主に実行されている｡主に｢道具的合理性(目的合理性)｣が発揮される｡</p>
</div>
<p>社会統合の例:家族内の話し合いで争いをなくそうとする場合は､社会統合のニュアンスが強い｡</p>
<p>システム統合の例:売り手と買い手が対話をしなくても貨幣を通して取引が成立する場合は､システム統合のニュアンスが強い｡※もちろんこれらはただの例であり､実際はグラデーションがありうる｡たとえば対話によって価格を決め合う場合もあるだろう｡</p>
<p>ハーバーマスは生活世界という土台のうえに､システムがあると考えていた｡もちろんこれらは｢実体的な領域｣の区分ではなく､行為調整の性質の違いである｡</p>
<p>たとえば生活世界の代表的な領域にみえる家族においてもシステム的な行為調整があるのである｡大事なのは家族や市場といった実在的な領域ではなく､どういったメディアに媒介されているか(言語かそれ以外か)､戦略的か了解的かといった性質の差異なのである｡もちろん､家族の領域においてはできるだけ意思疎通が重視されるべきだ､といった言い方は可能である｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢ブリッジブック社会学｣,信山社,玉野和志編,第一刷,151p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,152p</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),47p</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993),55-56p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc9">自立と依存の両義性</span></h4>
<p>ハーバーマス的な理解でいえば､システムは生活世界から分化した､つまり自立したということになる｡しかし完全に自立できるわけではなく､結局は生活世界的に依存も同時にしているのである｡</p>
<p>ただし､生活世界もシステムに物質的にも規範的にも依存しているのであり､そこから完全に抜け出そうとすることは難しくなっているとハーバーマスはいう｡</p>
<p>ルーマン的な言い方をすれば｢<b>自律すると同時に依存している</b>｣ということになるだろう｡たとえば貨幣がなくなっただけで我々の世界の意思疎通は混乱し､貨幣を通した平等や交換の自由という規範が崩壊するといったケースが考えられる｡</p>
<p>システムとかけ離れた生活世界の規範は維持､復古しにくくなっているといえる｡システム的合理化のポジティブな側面を残しつつ､ネガティブな側面をいかにして緩和するかという点が問題となる｡１か０かの単純な話ではなくなっている｡</p>
<p>ジンメルの項目で｢信頼｣が前提となることを学んだが､そうした諸前提は生活世界で主に再生産されている｡</p>
<p>貨幣でコミュニケーションできるためには貨幣に対する信頼が必要であり､他者への信頼が必要なのであり､政府の権力を正当であると信頼する必要がある｡レヴィナスが｢慈悲｣を､ジンメルが｢信頼｣を､デリダが｢他者への配慮｣を重視したが､ハーバーマスはより包括的に｢<b>生活世界における理想的な意思疎通</b>｣を重視したということになるのだろう｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢ブリッジブック社会学｣,信山社,玉野和志編,第一刷,152p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc10">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc11">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc12">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc13">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc14">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc15">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc16">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc17">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc18">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc19">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc20">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc21">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc22">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc23">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-38-theory-of-communicative-action/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(37)】ジンメルの｢両義性｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-37-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/09/habermas-37-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 08 Apr 2026 21:13:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://souzouhou.com/?p=5506</guid>

					<description><![CDATA[貨幣がもたらす「自由」と「空虚」という両義性から、社会の基盤となる「信頼」や「前契約的要素」の本質を考察します。]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-9" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-9">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(7)[E]システム関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[7-4]ジンメルの｢両義性｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">契約の前契約的要素</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc9" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc10" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc12" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc16" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(7)[E]システム関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[7-4]ジンメルの｢両義性｣</span></h3>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/9049742772f974bc49490f65537add29.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5508" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/9049742772f974bc49490f65537add29.png" alt="" width="183" height="302" /></a></p>
<p>｢<b>両義性</b>｣の話題で忘れてはならないのは､社会学者のゲオルク･ジンメルだろう｡代表作は『社会学の根本問題』､『貨幣の哲学』など｡デュルケム､ウェーバーと並ぶ社会学の創始者と表現されることがある｡</p>
<p>ジンメルは『貨幣の哲学』において､貨幣を｢交換可能性の純粋な形式｣であるとした｡</p>
<p>例:ダイヤモンドが欲しいと考えるとする｡簡単には手に入らず､ダイヤモンドへの｢<b>距離</b>｣を感じるとする｡このときにダイヤモンドには客体としての｢<b>価値</b>｣が生じている｡しかし自分の牛と交換してもらえるだろうか､自分の布と交換してもらえるだろうか､交換できるとしてどのくらいの量が必要だろうか､といったように物々交換では｢<b>欲望の二重の一致</b>｣がなかなか難しい｡対話してみなければ一致するかどうかがわからない｡今日は一致するが明日は一致しないかもしれない｡</p>
<p>そこで｢<b>貨幣</b>｣を通すことによって､欲望の二重の一致がより容易になる｡ダイヤモンドが欲しいなら100万円なり1000万円なりを払えば入手することができる｡</p>
<p>ジンメルにとって交換とは心的な相互作用であり､具体的な｢<b>内容</b>｣を手に入れるための貨幣はそのためのもっとも純粋な｢<b>道具</b>(形式･手段)｣だということになる｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/b4e01f3e8ddd71b8e0571f4207afe10a.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5509" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/b4e01f3e8ddd71b8e0571f4207afe10a.png" alt="" width="286" height="196" /></a></p>
<p>それ自体は全く価値がない(紙切れ同然)という点､もっとも内容がなく､もっとも形式的であるという点で大事である｡</p>
<p>ゴールドやシルバーなどは内容(価値)をもちやすいので､紙幣のほうがより純粋に交換のために用いることができるのである｡</p>
<p>貨幣のポジティブな面として､ジンメルは｢<b>自由</b>｣や｢<b>個性</b>｣を生みだしたことをあげている｡</p>
<p>たとえば昔は税を｢<b>物</b>｣で支払うことによって､職業の選択の自由などがなかったという｡農家はずっと米などを領主に納めなければいけないのであり､選択肢がない｡｢貨幣｣を納めればいいとなれば､どの職業でもいいということになる｡また､物を貨幣で購入することによってその生産者と人格的に関わらなくて済む｡</p>
<p>貨幣のネガティブな面として､ジンメルは｢<b>空虚</b>｣を生みだしたと述べている｡</p>
<p>たとえば､自分がかけがえのないと思える質的･個性的な仕事も､最もそうでないと思えるような仕事と同様に時給1000円でありうる(労働の抽象化が生じている｡マルクス的にいえば物象化である)｡貨幣を集めること自体に価値を感じるケチや貨幣を使うこと自体に価値を感じる浪費家なども出てくる｡単なる手段が目的となってしまうような事態である(転回)｡</p>
<p>ジンメルは｢自由なき平等｣よりも｢平等なき自由｣を高く評価する傾向がある(明示的にではないが)｡</p>
<p>ジンメルは｢<i>幸福な時代が来て､こういう多様性が美しく調和するに至れば､あの活動における衝突や闘争が残っていても､それは人類にとって単に障碍ではなく､却って､人類に呼びかけて新しい力を開発させ､人類を新たなる創造へ導くことになるのであろう</i>｣と希望的に述べている｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/01/31/georg-simmel-4/">【基礎社会学第十一回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (前編)</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2022/02/11/georg-simmel-5/">【基礎社会学第十三回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (後編)</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2025/04/24/durkheim-7-12/">【基礎社会学第三九回(12)】【コラム】ジンメルにおける｢適切な距離｣</a></p>
<h4><span id="toc7">契約の前契約的要素</span></h4>
<p>ハーバーマスは｢システム的合理化｣に､解放的側面と疎外的な側面をみてとっている｡これはジンメルの診断と重なるものである｡</p>
<p>また､ハーバーマスは理想的な対話の状態として｢人々の違い､個性｣も重視していたこととも重なってくる｡アーレントの他者性の重視とも重なる｡そしてルーマンですら､全体主義を危険であると考え､そのための防波堤として社会システムの機能分化の必要性を考えていたほどである(ルーマンの数少ない規範的表明である)｡個性が押しつぶされるほどの全体主義的な画一化は避けたいというのが､彼らに共通している価値判断なのだろう｡彼らに共通して言えるのは､｢(合理的な範囲の)<b>柔軟性､複雑性､リソース(社会的資源)の保持</b>｣だといえる｡</p>
<p>また､ジンメルは｢<b>信頼</b>｣に重きをおいているという点で､デュルケム的な意味での｢<b>契約の前契約的要素</b>｣､あるいはハイデガーの｢<b>解釈的循環</b>｣とも重なるものがある｡</p>
<p>貨幣はそれ自体に価値がないゆえに､価値があるという信頼が大事になってくる｡信頼を保証するのは政府であり､政府への信頼と言える(そして理念上､政治や行政は我々の代表､代理であり､政府への信頼は我々の我々に対する信頼でもある)｡ジンメルは｢信頼｣を他者たちに対する心の原初的態度(社会関係を可能にする基礎的態度)であると考えているのではないだろうか｡</p>
<p>レヴィナスが｢<b>慈悲</b>｣を､ジンメルが｢<b>信頼</b>｣を重視したという点はかなり面白い(面白がっていられるような事態ではないが)｡</p>
<p>いずれにせよ我々は他者を､社会を､世界を信頼しなければ生きていけない｡フッサールが述べたように､生活世界の根底には不可疑的で超越的な直観で溢れている｡スーパーで売っている水が安全かどうか､ワクチンが安全かどうか､パンが安全かどうか､原発が安全かどうか､われわれの多くは専門技術をもって確かめているわけではない｡専門家でさえも全ては把握できない｡つまり､我々の｢<b>暗黙的な了解</b>｣によって成り立っているのである｡契約以前の諸要素である慈悲や信頼といった土台の崩壊､その存在の確かさを疑い始めることは一種の危機である｡</p>
<p>他者や社会を信頼できないとすれば､我々は｢<b>疑う</b>｣ことになる｡他者はいつでも自分を欺く戦略をとっていることを常に前提とするようになり､また､それを前提にさらにシステムは効率化されていく(たとえば騙されても保険でお金が保証されるといったように)｡</p>
<p>世界大戦ではドイツに都合の良い降伏条件を出しながら､それをまもらないという｢戦略｣がその後の大悲劇になんら無関係であるといいきれるだろうか(1918年のウィルソンの十四か条では表面的に対等性や対話性､自律性を並べ立てておきながら､実際に締結された1919年のヴェルサイユ条約ではほとんどその反対の内容であった｡ヒトラーの台頭は時代的にはその後である｡)｡</p>
<p>ハーバーマスが生活世界を重視する理由､ヒューマニスティックで理想的なものを過剰に重視する理由はここにも関係してそうである｡</p>
<p>人間は効率を過剰に重視すると､ときには野蛮な選択もとれてしまうのである｡こうした話はゲーム理論､いわゆる囚人のジレンマでもおなじみである｡双方が合理的な選択をとるゆえに､全体では悲惨な結果になってしまうというものである｡しかし慈悲を与えろ､信頼しろ､対話しろといってなんとかなるほど簡単な､制御可能な社会ではなくなってしまっているという現実的な側面もある｡どのようにして理想と現実を折り合わせていくのか､平等と自由を折り合わせていくのかがポイントとなる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢社会学｣,有斐閣,51-53p</p>
<p>クリスティアン･ボルフ｢ニクラス・ルーマン入門｣､18-19p</p>
</blockquote>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-4/">【基礎社会学第三六回(4)】エミール･デュルケムの｢非契約的要素｣を解説</a></p>
<h2><span id="toc8">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc9">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc10">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc11">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc12">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc13">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc14">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc15">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc16">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc17">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4880593508/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4880593508&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=009f3e2b26ad145fcf5b5b9af985ac34" target="_blank">社会学 第五版</a></p>
<h4><span id="toc18">社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641053898/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641053898&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=72d8061762b43ee3cf228bc6f94281a1" target="_blank">社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)</a></p>
<h4><span id="toc19">クロニクル社会学</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4641120412/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4641120412&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=70dbea010ff34843c3a086a108837a11" target="_blank">クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)</a></p>
<h4><span id="toc20">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4833423111/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4833423111&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=12c6523e52a8ad8c7f6186f2a7e8638b" target="_blank">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></p>
<h3><span id="toc21">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>【１ワード社会学第十三回(36)】ハーバーマスの｢システムの合理化｣</title>
		<link>https://souzouhou.com/2026/04/06/habermas-36-theory-of-communicative-action/</link>
					<comments>https://souzouhou.com/2026/04/06/habermas-36-theory-of-communicative-action/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[蒼村]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 06 Apr 2026 13:09:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[ユルゲン・ハーバーマス]]></category>
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					<description><![CDATA[目次 動画での説明はじめに社会学とはなにか記事の分割(7)[E]システム関連[7-3]ハーバーマスの｢システムの合理化｣ハーバーマスの｢システムの合理化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説ルーマンの｢複雑性の縮減｣ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-11" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-11">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">動画での説明</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">はじめに</a><ol><li><a href="#toc3" tabindex="0">社会学とはなにか</a><ol><li><a href="#toc4" tabindex="0">記事の分割</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">(7)[E]システム関連</a><ol><li><a href="#toc6" tabindex="0">[7-3]ハーバーマスの｢システムの合理化｣</a><ol><li><a href="#toc7" tabindex="0">ハーバーマスの｢システムの合理化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc8" tabindex="0">ルーマンの｢複雑性の縮減｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</a></li><li><a href="#toc9" tabindex="0">｢システムの合理化｣そのものは病理的な現象ではない</a></li><li><a href="#toc10" tabindex="0">カール・マルクスが見逃していた近代的合理化のポジティブな側面</a></li></ol></li></ol></li><li><a href="#toc11" tabindex="0">参考文献リスト</a><ol><li><a href="#toc12" tabindex="0">今回の主な文献</a><ol><li><a href="#toc13" tabindex="0">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></li><li><a href="#toc14" tabindex="0">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></li></ol></li><li><a href="#toc15" tabindex="0">汎用文献</a><ol><li><a href="#toc16" tabindex="0">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></li><li><a href="#toc17" tabindex="0">大澤真幸「社会学史」</a></li><li><a href="#toc18" tabindex="0">新睦人「社会学のあゆみ」</a></li><li><a href="#toc19" tabindex="0">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</a></li><li><a href="#toc20" tabindex="0">アンソニー・ギデンズ「社会学」</a></li><li><a href="#toc21" tabindex="0">社会学</a></li><li><a href="#toc22" tabindex="0">クロニクル社会学</a></li><li><a href="#toc23" tabindex="0">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</a></li></ol></li><li><a href="#toc24" tabindex="0">参考論文</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">動画での説明</span></h2>
<div class="video-container"><iframe class="fastyt" width="300" height="169" data-src="////www.youtube.com/embed/_AcfFofw1cM" data-alt="動画の説明" data-mce-fragment="1"><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span><span data-mce-type="bookmark" class="mce_SELRES_start">﻿</span></iframe></div>
<p>よろしければサイト維持のためにチャンネル登録をよろしくお願いしますm(_ _)mモチベになっていますm(_ _)m</p>
<h2><span id="toc2">はじめに</span></h2>
<h3><span id="toc3">社会学とはなにか</span></h3>
<p>社会学とは､｢<b>社会を対象とする学問</b>｣のことである｡そして社会とは基本的に｢<b>人々の社会的行為の相互作用の集まり</b>｣を意味する｡</p>
<p>なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが､根本的には｢<b>社会を分析し､よりよい社会へ導くため</b>｣だといえる｡社会とはなにか､どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/11/27/durkheim-4-1/">【基礎社会学第三六回(1)】エミール･デュルケムの社会学とはなにか､学ぶ意味や価値はあるのか</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-4898" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2025/07/692dc39654b332d6dc4442b3d36bb6e1.png" alt="" width="599" height="474" /></a></p>
<p>この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている｡要するに､<b>アイデアをひらめくための情報を学ぼう</b>というわけである｡ビジネス､友人関係､学業､さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい｡</p>
<p>できるだけ<b>１ワード</b>に説明する対象を絞っていく｡</p>
<h4><span id="toc4">記事の分割</span></h4>
<p>(準備中)</p>
<h2><span id="toc5">(7)[E]システム関連</span></h2>
<h3><span id="toc6">[7-3]ハーバーマスの｢システムの合理化｣</span></h3>
<h4><span id="toc7">ハーバーマスの｢システムの合理化｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<div class="box26"><span class="box-title">POINT</span></p>
<p><big><span style="background-color: #ffff99;"><strong><b>システムの合理化</b></strong></span>：</big>技術的なシステムの生産性､操作性､制御性が増大すること｡主な機能は｢物質的再生産｣である｡</p>
</div>
<p>生活世界の合理化においては｢<b>諸個人の意思疎通を円滑にする</b>｣という点が重要であり､システムの合理化においては｢<b>物質的再生産を円滑にする</b>｣という点が重要だということになる｡後で扱うが､別の用語で言えばそれぞれ社会統合､システム統合となる｡</p>
<p>ハーバーマスにおいて､こうした技術システムの要素は言語によるコミュニケーションや意識といったものではない｡</p>
<p>社会は生活システム(非システム)とシステムの２つの側面からなり､さらにシステム領域には経済システムや政治システムといったサブシステムがあるという｡それぞれの制御メディアは貨幣や権力という点はルーマンと同じである｡</p>
<p>たとえば経済では｢<b>貨幣</b>｣というメディアを通した｢<b>支払い</b>｣という(非言語的な)作動が中心となっている｡我々が無言でレジで買い物をするイメージ､自販機でお金を入れるイメージをするとわかりやすい｡</p>
<p>｢言語｣というメディアを通した｢発話｣が中心の生活世界とは明確に区別されている(ルーマンは言語以外にもありうるし､対等でなくともコミュニケーションは調整されることがありうることを重視するかもしれない｡対等性や言語性をかならずしも理想として位置づけないのであり､他の等価な可能性に開けている)｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,244-245p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,160p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc8">ルーマンの｢複雑性の縮減｣とはなにか､意味､定義､わかりやすく解説</span></h4>
<p>ルーマンの用語でいうと､システムの合理化は｢<b>複雑性の縮減</b>｣と重なってくる｡複雑性とはざっくりいえば｢同時に選択できない選択肢の数の度合い｣を意味する｡</p>
<p>たとえばランチタイムに行く店の選択肢が10通りより100通りあるほうが複雑性が高く､かつ同時に複数の選択肢をとることはできないだろう｡しかし予算や時間､交通のアクセス(という観点)によってその選択肢は絞られるかもしれない(複雑性の縮減)｡</p>
<p>ただし､近代において複雑性は大幅に縮減されるが､しかし大幅に複雑性は増大しているという点は抑えておく必要がある｡これは矛盾ではなく､抽象度が異なるという点に注意する必要がある｡部分をスッキリさせてしまったゆえに全体がスッキリしないようなイメージ｡たとえば貨幣を出すか/出さないかという選択肢のシンプルさによって､取引相手や商品が大幅に増える｡</p>
<p>たとえばお金を出せば物を買えるという意味で複雑性は縮減されているが､｢お金を出せば物を買えるという仕組み｣のレベルでは選択肢が膨大に増加し､複雑性は増大している｡われわれのほとんどは円の価値が下がったり上がったりする理由をもはや把握できない｡選ばれうる選択肢が何千､何万､とあり､しかもそれらは時系列的に組み合わさっているのである｡</p>
<p>選択肢が増大するようになると､選ばれない選択肢が増える｡しかし､選ばれなかった選択肢は消失するわけではなく<b>潜在している</b>のである(偶発性､ほかでありうる可能性の増大)｡その意味で複雑性は増大するが､しかしある選択肢がシステマティックに選ばれるようになるという意味で複雑性は縮減されているのである｡可能性の水準では増大し､期待の水準では縮減されているという言い方もできそうだ｡</p>
<p>昔は農家の息子は農家になるしかなかった｡現代では高校に行くか､別のことをするかといった｢選択肢｣は増大しているが､多くの人(99%)は結局は高校に行こうとする､あるいは高校に行かせるのである｡</p>
<p>そして選択肢､いわばシステム内の要素の可能な組み合わせが豊富なシステムほど､適応能力､柔軟性が高いというポジティブな側面がある｡社会学は新たな理論を通して現象を一定の枠組みで観察しようとするという意味で複雑性を縮減しているが､それゆえに､新しい解釈や選択肢が増大するのであり､複雑性が増大しているともいえる｡</p>
<p>たとえば鉄しか生産できない会社は鉄が不要になったときに淘汰されるが､鉄も銅もプラスチックも生産する会社､あるいは生産可能な会社は淘汰されにくく､需要に柔軟に対応できる｡</p>
<p>ただし社会全体でみると､予測が困難､意味が不安定､相互依存リスク､制御不可能性などのネガティブな側面もある｡そしてこのネガティブな側面は構造的な帰結であり､解決することは難しい｡</p>
<p>たとえば金融市場が崩壊しただけで､それと相互依存的なシステムは深刻なダメージを受けるのであり､その社会と相互依存的な他の社会も深刻なダメージを受けるのである｡<b>ルーマンは社会全体を調整できるような特権的､中心的なシステムの存在を機能分化した社会に認めていない</b>(政治システムにも期待できない)｡たとえば社会全体に関わる環境問題に対応しようとしても､政治は経済のせいにして､経済は政治のせいにしようとするといったことが現実的に生じている｡</p>
<p>行政システムにおいては､法規や命令体系がきっちりしており､話し合いよりも手続きや権限が重要となる｡話し合いは本質ではなく､所定の手続きをふめばいいのである｡</p>
<p>｢<b>そういう決まりになっていまして･･･</b>｣というお役所仕事的なセリフをよくきくだろう｡ルールを大事にするか､現場の判断を大事にするかといった葛藤はよく映画やドラマのテーマとなっている｡行政官が自分の頭で考えて仕事を処理しているというより､ロボットのように決められた所定の作業を処理しているというイメージが｢システムの合理化｣に近い｡効率性を求めていくとそうなるのである｡店員もロボットのように客を処理し､客もまた店員をロボットのようにみなす｡</p>
<p>たとえばある許可申請がその許可条件に満たすかどうかを形式的なルールに基づいて処理する場合もわかりやすい｡</p>
<p>｢かわいそうだから許可する｣､｢お金持ちだから許可する｣､｢きわめて非合理的でも伝統だから許可する｣といった人間的なコミュニケーションは基本的に許されていない｡たとえば信号を青にするか赤にするかが機械の気分で決まるわけではないのと同じであり､システム的に決まっているのである｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-1/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(前編)</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-2/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(中編)</a></p>
<p><a href="https://souzouhou.com/2024/09/05/niklas-luhmann-1-3/">応用社会学第一回:「社会システム理論は楽しい」(後編)</a></p>
<h4><span id="toc9">｢システムの合理化｣そのものは病理的な現象ではない</span></h4>
<p>ハーバーマスによると､システムの合理化は<b>必ずしもそれ自体は病理的な現象であるわけではない</b>という｡病理的な現象は生活世界の領域にシステムが越境するときに生じるからである(生活世界の植民地化については後で扱う)｡｢システムをぶっ壊せ｣と安直に､非合理的な根拠に基づいて革命を志向するような青少年たちをハーバーマスは批判的に見ている｡</p>
<p>では､システムの合理化における健全な側面とは具体的になにが考えられているのだろうか｡</p>
<p>システムの合理化が健全であるためには､生活世界におけるコミュニケーションを｢<b>侵食</b>｣せずに､むしろ｢<b>支える</b>｣ものである必要がある｡利潤や支配の拡大だけを過剰に目的にせず､社会の安定､安全や公平といった指標を重視する必要がある｡</p>
<p>ハーバーマスはそうした例として､｢<b>貨幣が言語に代わって取引を調整することを可能にするケース</b>｣をあげている｡</p>
<p>いうまでもなく､貨幣は近代特有のメディアではない｡紀元前７世紀頃にはすでにリュディアなどで貨幣が鋳造され､流通していたという｡</p>
<p>近代において重要なのは､経済システムが自律した(分化した)という点である｡たとえば身分や慣習が取引を規定する側面がつよかったという｡｢誰が買うのか｣という人格的な側面が売買に関係していたのである｡しかし近代の経済システムでは基本的に｢誰が買うのか｣は(多くの場合は)問題にならない｡</p>
<p>近代の経済が自律するにつれて､売買をいかにスムーズに行うのかという意味での合理性が近代において高まっている｡</p>
<p>需要と供給で価格が決まり､｢対話｣を個人間で毎回行わなくても標準価格がわかるようになる(たとえば今ではネットなどで調べればすぐに市場の価格がわかる)｡他にも､同じ規格の商品を大量生産する仕組みを整え､品質を一定にすることで､品質について｢対話｣する必要がなくなる｡</p>
<p>個人間の信頼関係による｢対話｣で資金を調達しなくても､銀行制度などを利用して条件さえ満たせば誰でもせずに資金を調達できるようになる｡</p>
<p>いままで言語的コミュニケーション(コミュニケーション的行為)で調整しされていたものが､貨幣的コミュニケーションで調整されるようになったというわけである｡</p>
<p>ハーバーマスによればこうした貨幣による代替は､｢<b>人間の選択の幅</b>｣を広げるものであり､｢<b>自由の性格の変化</b>｣というポジティブな側面を観ることができるという｡</p>
<p>たしかに具体的な人間関係においていちいち価格を交渉したり､お金を借りたりするというのは大変である｡われわれは銀行員と人格的なやりとりをするわけではなく､単に会社の目的合理性(どれだけ効率的に稼いでいけるのか)を示すことができればよくなった｡会社でもプライベートな側面を分けて､経済的な側面においてのみ同僚と関わることでコミュニケーションの衝突が生じにくくなっているかもしれない｡</p>
<p>たとえばある宗教に属していない､身分が違うからという理由で価格を高く設定されたり､お金を貸してもらえないケースは｢選択の幅が狭い｣ものであるといえる｡また､Amazonのように知らない相手とも安全に交換できるという意味で｢選択肢｣も増えているといえる｡</p>
<p>たしかに対話が不要という意味で従来からすれば冷たい仕組みではあるが､個人を共同体的な拘束から｢<b>解放</b>｣するというポジティブな要素がある｡</p>
<p>もちろんこうした例は｢反省や対話のための合理化｣ではなく､｢物的な再生産のための合理化｣という意味で｢生活世界の合理化｣とは異なる合理化､つまり｢システムの合理化｣であるという点には注意する必要がある｡</p>
<p>システムの合理化が進展するにつれて､生活世界にも影響を与え､｢生活世界の合理化｣というポジティブな効果をもたらしている｡システム的な考え方がコミュニケーションにおいても発揮されているというイメージである｡</p>
<p>さらに､システムの合理化は生活世界の合理化だけではなく､対話をする土台としてインフラの整備､市場の機能､行政の安定といったものももたらしているという意味で､生活世界にポジティブに寄与している｡</p>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/ab383ff5c9cb3ad1e05542e022e7b351.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter size-full wp-image-5503" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/ab383ff5c9cb3ad1e05542e022e7b351.png" alt="" width="631" height="544" /></a></p>
<p>これらの関係を図にするとこのようなイメージとなる｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>｢自己･他者･関係｣(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,244p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,162p</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,184p</p>
</blockquote>
<h4><span id="toc10">カール・マルクスが見逃していた近代的合理化のポジティブな側面</span></h4>
<p><a href="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/ab199c0d54d66ddba76da2d1fffa3ac0.png"><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter  wp-image-5504" src="https://souzouhou.com/wp-content/uploads/2026/03/ab199c0d54d66ddba76da2d1fffa3ac0.png" alt="" width="158" height="297" /></a></p>
<p>ハーバーマスは､ドイツの哲学者であるマルクスは社会の機能分化(ヘーゲル的にいうと｢全体性の喪失｣)がポジティブな役割を果たすことを十分に理解､評価できなかったと批判している｡</p>
<p>具体的には身分制の解体､契約の自由の成立､市民権の確立､政治参加の可能性の拡大､経済的移動の自由など､新しい可能性が開かれたのである｡封建的階級関係は再編成されるという事態を読み取ることができなかったというわけだ｡</p>
<p>もちろん､貨幣の登場や資本主義的なシステムの発展は､マルクス的な意味での｢<b>物象化</b>｣というネガティブな側面ももっていることをハーバーマスは理解している｡</p>
<p>物象化とは簡単に言えば､本来は人間同士の社会関係であるものが､あたかもモノとモノの関係であるかのように見えてしまう状態のことである｡たとえば労働者は｢人｣ではなく｢人件費｣として扱われる｡｢人間の時間｣は｢時給｣になる｡｢教育｣は｢投資｣になる｡｢文化｣は｢市場価値｣になる｡｢人生の選択｣は｢費用対効果｣が基準となる｡この傾向が過度に進めば､生活世界をシステムが侵食するというネガティブな側面につながり､その結果､選択の増加は単なる無規制的状態(アノミー)へと転じてしまう｡</p>
<p>ハーバーマスは近代的合理化を､道具的合理化とコミュニケーション的合理化という二つの側面から再解釈した｡システムの合理化は主に道具的合理化に位置づけられる｡</p>
<p>出来事を｢行為､行動､その他の作動｣に区別できるとすれば行為及び行動において道具的合理化された出来事があり､作動においても道具的合理化された出来事があるということになる｡そしてシステムの合理化にはポジティブな面とネガティブな面の２つの側面があるというわけだ｡つまり､｢<b>両義的な事態</b>｣をハーバーマスは読み取っているわけである｡</p>
<blockquote>
<p>･特に参考にしたページ</p>
<p>中岡成文｢ハーバーマス｣,講談社,163p</p>
</blockquote>
<h2><span id="toc11">参考文献リスト</span></h2>
<h3><span id="toc12">今回の主な文献</span></h3>
<h4><span id="toc13">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/4bLm8sZ">J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」</a></p>
<h4><span id="toc14">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/41drQ0B">中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」</a></p>
<h3><span id="toc15">汎用文献</span></h3>
<h4><span id="toc16">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3IppNe8">佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」</a></p>
<h4><span id="toc17">大澤真幸「社会学史」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3CUbL3f">大澤真幸「社会学史」</a></p>
<h4><span id="toc18">新睦人「社会学のあゆみ」</span></h4>
<p><a href="https://amzn.to/3LG8hpn">新睦人「社会学のあゆみ」</a></p>
<h4><span id="toc19">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる</span></h4>
<p><a rel="noopener" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00IR44T26/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00IR44T26&amp;linkCode=as2&amp;tag=souzoulog-22&amp;linkId=f2712c443f380f792438b51627b4e2de" target="_blank">本当にわかる社会学　フシギなくらい見えてくる！</a></p>
<h4><span id="toc20">アンソニー・ギデンズ「社会学」</span></h4>
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<h4><span id="toc21">社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc22">クロニクル社会学</span></h4>
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<h4><span id="toc23">社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像</span></h4>
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<h3><span id="toc24">参考論文</span></h3>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/616/files/nagano_14-04-03.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/567/files/nagano_15-01-08.pdf">URL</a>]</p>
<p>永井彰｢コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)｣(1993)[<a href="https://nagano.repo.nii.ac.jp/record/582/files/nagano_15-03-05.pdf">URL</a>]</p>
<p>嘉目道人｢発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任｣(2020)</p>
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