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【1ワード社会学第十三回(21)】ハーバーマスの「普遍語用論」
- 2026/3/29
- ユルゲン・ハーバーマス
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(5) [C]言語行為関連
[5-6]ハーバーマスの「普遍語用論(形式語用論)」
ハーバーマスの「普遍語用論」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
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普遍語用論(独:Universalpragmatik):言語を用いた意思疎通が可能になるための普遍的条件を明らかにしようとする理論のこと。
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形式語用論とも表現されることがある。オースティンの語用論はハーバーマスから見れば「特殊語用論」であり、記述的だといえるのだろう。
社会にはなんらかの社会秩序が存在する。そして社会秩序はなんらかの「社会的行為(相互行為)」、特に「コミュニケーション的行為」からなっている。
もちろんコミュニケーション的行為は言語以外にもありうる。ボディーランゲージや絵によるやりとり、なにも反応しないというリアクションもありえるだろう。
ハーバーマスはそうした非言語的要素もまた生活世界を支えていることを認めている。しかし、ハーバーマスは後で説明するように「討議」を重視し、万人が理解できるような生活形式をより重視しているのである。それが言語を用いた生活形式であるということになる。
ここでいう言語能力は単に言葉を扱えるというものではなく、言葉を媒介として認知・了解を他者と指向することのできるコミュニケーション的理性を意味する。
近代化に伴って発展してきたシステム領域もまた、言語が用いられない領域である。たとえば貨幣や権力を通してやりとりがそこでは行われ、それによって一定の秩序(行為調整)がそこでは生じている。
しかし生活世界において言語を通した意思疎通や、討議がまだ行われていることも事実である。言語を通した社会秩序の維持や変化はシステム論で捉えられるような領域ではなく、「言語行為論」(コミュニケーション行為理論)でのみ捉えられるのであるという。システム論がいらないというわけではなく、システム論は別の領域において必要になるという話だ(いわば棲み分けの必要性である。システムについては後述)。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,290p
「新しい社会学の歩み」,有斐閣アルマ,第一刷,191-192p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,154p
「意味論」、「統語論」、「語用論」の違いとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
そもそも「語用論」とはなにか。たとえばチャールズ・W・モリスは意味論、統語論、語用論を区別した人物として知られている(1938)。
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意味論(英:semantics):記号と、それが指し示す対象との関係を扱う理論のこと。
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例:「犬」という文字記号とある<動物(指示対象)>の関係を考察する
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統語論(英:syntactics):記号どうしの配列・構造関係を扱う理論のこと。
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例:「犬ここいる」という文章は統語論的に不適切であり、「ここに犬がいる」という文章は統語論的に適切である。もちろん、「宇宙人は火星に存在する」という文章も統語論的には適切である。
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語用論(英:pragmatics):意味論と統語論に、さらに記号の使用者を含めて考察する理論のこと。
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つまり語用論は、記号が誰によって、どの状況で、どのように使われているかを扱うわけである。
記号論の創始者たちは、語用論は状況により変化するもので、経験的にのみ調べることができる領域だと考えた。いわば「特殊語用論」というわけである。
・特に参考にしたページ
「新しい社会学の歩み」,有斐閣アルマ,第一刷,181p
「言語論的転回」、「語用論的転回」、「コミュニケーション論的転回」
ウィトゲンシュタインやオースティンによって、哲学の中心問題は、個人の内的意識の分析や言語的叙述(写実)の重視から、意味や理解を成立させている言語の構造と使用の分析へと転換した。これがいわゆる「言語論的転回」や「語用論的転回」である。
ハーバーマスはこの言語論的転回を評価しつつも、それが言語使用の記述にとどまり、叙述以外の発話と世界との妥当性関係を体系的に解明していない点で不徹底であると批判する。また、合理性の基準が主として事実命題の真理妥当性に依拠しているため、発語内行為の合理性を包括的に理論化できていないと考える。
このような経緯で提唱される理論が「普遍語用論」だというわけである。
具体的な内容は今まで扱ってきたものである。言語を用いた意思疎通が可能になるための普遍的条件として、単なる情報伝達ではなく意思疎通(認知、了解)が構造的に必要だという点、そして認知が可能となるためには理解可能性という妥当性が必要であり、了解が可能となるためには三種類の妥当性が必要だという点である。そしてそれらが権力などによって妨げられていないという条件が重なってくる。
これらの構造はあらゆるコミュニケーション的行為に存在するのであり、特定の社会でのみ観察される特殊的な構造ではないのである。
もちろん具体的な内容として何が妥当かというのはそれぞれの文化によって異なるかもしれない。しかし、何らかの妥当な根拠に基づいて意思疎通が行われるという構造は普遍的であるとハーバーマスは主張するのである。
もちろんこうした構造があったとしても、阻害されて潜在的なままになっている場合はある。そしてこの阻害こそが社会的な問題を生じさせるわけである。また、ある現象が「社会問題であり、不適切であり、修正しなければならない」と批判できる根拠として、普遍語用論は基礎づけになるという点も重要である。
前近代社会はコミュニケーション的合理性がなかなか発揮されていなかったが、それなりの秩序は存在していた。しかしそれは宗教的な力や伝統的な力によるものであり、現代ではもはや頼るべきではない力だとハーバーマスは考えている。「昔からそうだから、神がそう言うから」だけではもはや他者を批判できない時代になってきているのである。
普遍的な構造としては存在しているという言い方は、我々が筋肉を十分につけていないとしても、筋肉をつけられる構造が普遍的に備わっているのと似ている。
もちろん意思疎通の構造は個人の自分勝手な内省や物理的な顕微鏡で観察できるものではなく、諸個人同士の関係を捉えていく必要もあるという点には注意する必要がある。ミクロとマクロの反復によってどうにか捉えていこうというイメージだろう。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,291p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,147p
「新しい社会学の歩み」,有斐閣アルマ,第一刷,180p
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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