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【1ワード社会学第十三回(7)】ハーバーマスにおける「コミュニケーション的合理性」、「コミュニケーション的理性」とは
- 2026/3/19
- ユルゲン・ハーバーマス
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(3) [A]合理性関連
[3-6]ハーバーマスにおける「コミュニケーション的合理性」、「コミュニケーション的理性」とは
ハーバーマスにおける「コミュニケーション的合理性」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
たとえば「煙が苦手なのでここでタバコを吸わないでください。」とAが述べたとする。この言語行為は合理的だろうか。
道具的合理性を基準にすれば、(効率が最大かどうかはさておいて)「他者に喫煙行為をやめてほしい」という目的があり、その手段(道具)として「発話を通した要求」を行っているといえる。
もっと確実性の高い方法(たとえば警察官を連れていくなど)もあるかもしれないが、日常的には手間やリスクを考えたうえである行為が最も理にかなっていると計算して選ばれるのだろう。もちろん、計算をせずに、ただ注意すべきだからするといったケースもありうるかもしれない。
Aの発言に対して、Bが「わかった、吸わないよ」と返事をし、喫煙行為をやめたとする。目的は達成され、他者を操作すること、制御できたということになる。
このようなAとBのやりとりは一般的には意思疎通のとれた相互行為、つまりコミュニケーションとみなされるだろう。
ハーバーマスは、相互行為には「道具的合理性(目的合理性)」だけではなく、「コミュニケーション的合理性」も発揮されていると考えた。
しかしこの「コミュニケーション的合理性」を理解することはなかなか難しい。まずは「道具的理性」を理解するために、カント、ウェーバー、パーソンズ、ホルクハイマーなどを扱ってきた。彼らが見いだせなかった、あるいは特別に評価してこなかった近代に特有の合理性が「コミュニケーション的合理性」だということを理解するためでもある。
コミュニケーション的合理性:他者との言語的相互行為において、妥当性要求の批判に開かれているという性質のこと。簡潔に言えば、「言葉を通じてお互いに了解し合える可能性」の尺度のこと。
ある行為の内容が普遍的、客観的事実として正しかったり、目的に対する手段として最も効果的であったりするという意味ではないことに注意する必要がある。妥当性要求については次の項目で説明する。
・特に参考にしたページ
「社会学小辞典」、有斐閣、新板増補版第四刷,195p
「自己・他者・関係」(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,241p
合理性と理性の違いとは
「合理性」と「理性」の違いがいまいちわかりにくい。そもそも、カントにおいて理性は理論理性と実践理性にわけて考えられ、理性とは「能力」を意味していた。そしてギリシア古代の時代などですでに理論理性や実践理性は発揮されていた。
しかし近代化に伴い、「目的はどうあるべきか、真善美はいかにあるべきか」という実践理性を発揮する機会が減少し、理論理性も「普遍的事実の認知」といった価値的な目的の手段ではなく、目的の価値にかかわらず、単に手段の効率性、自然や他者への技術的な操作、支配可能性として用いられることが増えていった。
このように、目的が善いか悪いかにかかわらず、価値中立的に、ある目的を達成するために最も効率の良い手段を考えるためだけの手段として利用される理性が「道具的理性」である。
道具的理性の前提として、まずは客観的に状況を認知する能力が必要であり、これが「認知的理性」とされる。
つまり、数ある理性のうちのひとつが道具的理性であり、この道具的理性をどれだけよく発揮できているかという尺度が「目的合理性(道具的合理性)」だということになる。
認知的理性をどれだけ発揮できているかという尺度は「認知的合理性」であるといえる。まとめて、「認知・道具的理性」とされている。
理性が「能力」であり、合理性は理性がどれだけ発揮されているか、つまり「理に適っているか」を測る「尺度」であると考えることができる。
「あの人は理性的だ、理性的に行為している」と言えるための尺度が「道具的合理性」や「目的合理性」、「技術的合理性」であることが一般的になる過程が近代化だともいえる。
現代人の多くからすれば、宗教的な行為はもはや理性的に行為しているとみなされにくい。
感情的行為や伝統的行為だけではなく、価値合理的な行為もまた同様に理性の外におかれるようにみなされる傾向が強まっている。ウェーバーの言葉で言えば「主知主義的合理化」や「脱呪術化」だろう。ここでいう主知主義とは「可能性としてはなにごとでも知性で解明できるという信念」であり、合理化とは「意味適合性、計測性、可測性、可算性など技術と予測が中心になっていくこと」を意味する。たとえば火の玉などの超常現象も、なんらかの科学的な説明が可能だろうと思っているわけである。「神」さえもなんらかの社会的な創発として説明していくわけである。
【基礎社会学第二十回】マックス・ウェーバーの「職業としての学問と神々の闘争」とはなにか
ハーバーマスの「コミュニケーション的理性」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
さて、このように理性と合理性を理解した場合、「コミュニケーション的理性」はどのように定義可能か。
コミュニケーション的理性:自分の主張の根拠を示したり、他者の批判に理由をもって応答したりして相互了解を志向することのできる能力のこと。対話的理性とも呼ばれている。
ハーバーマスは、「コミュニケーション的理性の概念を十分な懐疑を経て作り出した」と素直に述べている。大事なことは、「道具的理性以外にも近代において発達した理性が存在すると示すこと」だという。
そのためにはコミュニケーション的理性のコンセプトがもっとも適切であり、そのような能力が発揮されている生活におけるさまざまな現象において、それを支持する証拠を集めていったのである。もしコミュニケーション的理性が虚構だというのなら、その理由を提示してほしいとハーバーマスはいう。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,143p
「反事実的」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
ただし、ハーバーマスはコミュニケーション的理性が「反事実的」であることを認めている。
反事実性とは「経験的事実としては完全に実現されているかどうかにかかわらず、意味理解や相互行為の成立条件として不可避に、潜在的に前提されている構造的な性質」といった意味合いである。この「反事実性」は個人的に理解しにくい概念であり、すこし時間を割いて理解する必要がある。
妥当性要求については次の項目で詳細を扱うが、簡単に言えば「これは真である、これは正しい、私は誠実だ」と対話において相手に意識的あるいは暗黙裡に主張することである。
たとえば「明日は雨が降る」という単純な発話であっても、「この情報は真である」、「私はウソをついていない」、「相手に情報を伝えることは正しい」といったことを相手に主張していることに(形式的、構造的、必然的に)なるのである。ここでいう「暗黙裡」とは、隠れて意識しているといった心理的、いわゆる「無意識」といったニュアンスというより、「意識しているかどうかにかかわらず」、「そういうルールとして」といったニュアンスが強い。
「妥当性に関して我々が内心で意識していなくても、妥当性を相手に主張することになる」という部分が極めて重要であり、いまいちわかりにくい。
対話という形式に両者が参加した時点で、発話は妥当性を主張しているということに構造的に、必然的になるのである。これが「コミュニケーション的合理性が対話の中に形式的、構造的に組み込まれている」という意味合いなのである。単純な心理学的、意識哲学的な話ではないのである。どういう意図があるにせよ、対話という形式をとるならばかならず妥当性を主張していることになるのである。
そういう対話関係、ジンメル的にいえば心的相互作用の形式に入るならば必ず創発するのであり、それが具体的に可視化されるかどうか、理想的に可視化されるかどうか限らないという意味で「反事実的」だというわけだ。
【基礎社会学第五回】ゲオルク・ジンメルの「形式社会学」とはなにか
また、「妥当性を相手に主張することと、批判に開かれていることは表裏一体であり、同じ構造の2つの側面である」という点もわかりにくい。
なぜなら、妥当性を主張するとは、相手に批判されたり、相手に疑われたら理由を示すことができるという立場に自分を置くことであるからである。ここが極めて大事である。
もし仮に「私の主張への批判を一切許さないし、私の主張の根拠を聞くことも一切許さないし、私はウソをいっているし、私は事実もいわないし、正しいことも言わない。」と言われれば、ほとんどの人は対話しようとする(コミュニケーション的行為をする)動機を失う。
そもそもこの場合ですら、「この発話全体を真であると受け取れ」という暗黙の要求があるかもしれない(矛盾することになるが)。
我々は日常生活において、たしかに何らかの形で、何らかの程度において批判を封じられている。たとえば学校では教師に対してマナーの悪さを生徒は批判することが難しい。
暴力団に対して批判することも難しい。腕っぷしが強い友人に対して批判することも難しいかもしれない。あるいは恋人に対して、喧嘩したくないから批判できない場合もあるかもしれない。
我々は日常生活において、経験的事実として常に完璧に実現、表現、具体化、可視化されているわけではないが、対話の前提として不可避に想定される構造として「妥当性の主張や批判可能性」が存在するのである。言語というルールの仕様であり、個人の心理や人それぞれの道徳といった問題ではない。
「対話しておきながら妥当性を主張する立場に立っていない」というのは、対話を遂行しておきながら対話が遂行する条件を否定しているようなものである。たとえるなら質問をしておいて、「回答を受け取るつもりはない」と支離滅裂なことをいうのと同じである。質問をするということは回答を受ける立場をとることに形式的になるのである。
もし批判を受けますと構造的には示しながら、しかし発話構造の外部において(たとえば権力、表情などで)批判はするなよと示している場合は、「歪み」が生じているということになる。この歪みの大きいほど、理想が潜在的なままにとどまっている度合いも大きいと言える。
ハーバーマスの用語で言えばコミュニケーション的行為ではなく戦略的行為へと転化するのである(両者は後で扱う)。
現実には、我々の妥当性の主張は必ずしも具体的で明確な根拠に基づいているわけではなく、批判に対して応えない場合もある。そして相手に対して批判できない場合もある。
このように、「理想として、形式的に前提としていながらも、現実にはその理想は完全には発揮されずにある程度潜在していることがある」という意味でコミュニケーション的理性は反事実的なのである。
・特に参考にしたページ
「自己・他者・関係」(社会学ベーシックス),世界思想社,第一刷,243p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,292p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,120p
規制的な理念としてのコミュニケーション的理性
いわゆる「規制的な理念」としてコミュニケーション的理性が働いているということになる(カントの概念に由来する)。
現実に完全に実現されるものではないが、思考や行為を方向づけるために不可避的に前提される理想的基準のことである。ハーバーマスによるとこうした規制的な理念が存在しないとそもそもコミュニケーションは成り立たないという。ルーマン的に考えれば、あくまでも理想であるからこそ対話する動機が生じるということになるのかもしれない。
理想が現実と完全に一致してしまうと、人は動機を失ってしまう可能性もある。たとえばスロットで777しかでないとして、人はスロットをしようとするだろうか。現実化するかわからない可能性があり、その理想を前提とするからこそ人は現実化しようと試みるのである。
まとめよう。
- 対話が成立しているということは、発話がなんらかの妥当性を主張しているという立場に置いているということに形式的に必ずなる。
- 妥当性を主張しているという立場にあるということは、批判に応答可能な立場にあるということにも形式的に必ずなる(相手に批判の権利を与えるということでもある)。
- そうした形式はあくまでも理想であり現実には相手に対して批判できない場合もあれば、相手に対して批判させないように働きかける場合もある(批判可能性は潜在したままになる)。
- しかしその現実における批判不可能性は、対話という形式的な構造や理想そのものから由来するのではない。例:暴力団が相手の場合、形式的には妥当性が必ず要求されているが、純粋な対話的構造からすれば外部的な要素である「暴力」によって批判可能性が実質的に制限されてしまっている。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,293p
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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