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【1ワード社会学第十三回(23)】ハーバーマスとガダマーの論争
- 2026/3/30
- ユルゲン・ハーバーマス
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(5) [C]言語行為関連
[5-8]ハーバーマスとガダマーとの「解釈学論争」
ガダマーの「解釈学」とはなにか
ガダマーはドイツの哲学者であり、新しい形で「解釈学」を主張した人物である。
解釈学とは古代ギリシャに起源をもつもので、一般には「実際に書かれていることだけではなく、著者が本当に伝えたかったことを読み解く学問」だとされている。
ガダマーは過去に書かれた文書から著者の本当の主張を読み取るだけでは不十分であると主張する。大事なのは現在において解釈をする側と、解釈される側(過去の文書)との「対話」であるという。
ガダマーはこのような意味での対話をするための前提を「地平」と呼ぶ。人間は完全に中立的に、透明性をもって過去の文書を解釈したり、対話できるわけではない。いわゆる「先入観」をもって解釈せざるをえないのである。
哲学者のハイデガーによる「理解の先行構造」とも関連するものである。特定のテキストを解釈するためには、そのテキスト(個)が属している言語体系や文学類型など、より大きな全体を理解していなければならないという。
たとえば和歌に「桜」とあったとしても、それを解釈するためには日本文学において桜はどのような文化的意味とみなされてきたのかを知っておく必要がある(儚さなど)。わざわざ「この場合、桜は儚さを意味している」とテキストに書いてあるわけではない。
個を理解するためには全体を理解しておく必要があり、全体を理解するためには個を一歩一歩解釈していくしかないという循環を「解釈学的循環」という。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,71-72p
「続哲学用語図鑑」,166-167p
ルーマンにおける「卵が先か鶏が先か」
ちなみにルーマンは「最初にシステムがあり、常にすでに作動している」という出発点があり、なぜ最初のシステムができたかという点には立ち入らないという方法論的な態度をとっている(知ることが困難)。
ルーマンは歴史的に最初の社会はいったいいつ、なぜ、どのように生じたかといったことは扱わないのである。先程扱ったミュンヒハウゼンのトリレンマ的に言えば、基礎づけ主義的には「この地点(なんらかの社会システム)を所与とするほかない」ということになる。
どういうわけか社会はすでに常に存在しているのであり、それらがどのように維持(自己再生産)されているのか、変化しているのかを記述することが社会システム理論だからである。
ルーマンは歴史的に最初の社会はいったいいつ、なぜ、どのように生じたかといったことは扱わないのである。先程扱ったミュンヒハウゼンのトリレンマ的に言えば、基礎づけ主義的には「この地点(なんらかの社会システム)を所与とするほかない」ということになる。
どういうわけか社会はすでに常に存在しているのであり、それらがどのように維持(自己再生産)されているのか、変化しているのかを記述することが社会システム理論だからである。
「理解されうる存在は、言語である」
解釈する側の地平はたとえば解釈する側が育ってきた環境、文化、いわゆる「伝統」などである。我々はそうした地平によって規定されているのである。
つまり、伝統や先入観は単に否定されるものではなく、「理解の条件」なのである。なんら伝統を所有していない主体は過去のテキストを理解することができない。かといって解釈する側の地平ばかりが過剰であっても単なる「偏見」で終わってしまう。
ガダマーによれば大事なのは解釈する側の地平と解釈される側の「地平の融合」だという。こういう言い方を聞くとヘーゲル感がある。絶対的な地点への総合というよりも開かれ続ける過程の連続といったイメージだろう。
これは他者の地平と自分の地平が一致することを意味するのではなく、他者の地平を「理解」するということである。地平融合をくりかえすことによって、過去と現在が対話によって媒介され、より普遍性の高い大きな歴史的地平が生じていくという。こうして生じた歴史的地平こそが伝統であるという。
解釈学はもともと聖書や法典などの規範的なテキストを正しく解釈する技法として出発したが、現代における解釈学では新聞のテキスト、一般書のテキスト、そして対話におけるテキストまで拡大されている。
ガダマーが重視するテキストは科学のような特殊な形式言語ではなく、我々が日常的に話している自然言語だという。ガダマーは「理解されうる存在は、言語である」というテーゼを唱えている。あらゆる理解(解釈)は日常言語という形式によって達成されるという考え方である。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,73-78p
ハーバーマスは1967年にこのようなガダマーの「哲学的解釈学」について批判を行った。
ハーバーマスはまず、「解釈学的循環」については肯定している。対象を理解するためには完全に中立であるわけではなく、なんらかの前提を伴っており、また、なんらかの意味で既に知っていなければならないというわけである。つまり予備理解が先にあり、その次に対象への理解があるのである。また、理解においてテキスト(言語)が中心であるという主張にも肯定している。
ハーバーマスが否定するのは、哲学的解釈が素朴に伝統を肯定し過ぎであり、対話を信頼しすぎだというこ点である。
我々は日常言語によって物事を理解し、他者を理解し、地平を広げている。しかし、この理解のあり方は政治や経済などによって歪むことがありうるという。これは後で扱うが、「生活世界の植民地化」として理論化されていくことになる問題である。
イデオロギー批判や精神分析によって、そうした歪みの構造を明らかにして改善していかなければ健全な「対話」は難しいとハーバーマスは考えるのである。
また、そうした反省を促すような理論も必要であるという。これがコミュニケーション的理論、(ハーバーマスにおける)批判理論であるといえる。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,73-78p
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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