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【1ワード社会学第十三回(16)】ハーバーマスの「コミュニケーション的行為の機能」
- 2026/3/28
- ユルゲン・ハーバーマス
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(4) [B]コミュニケーション的行為関連
[4-5]ハーバーマスの「コミュニケーション的行為の機能」(文化的再生産、行為調整、社会化)
ハーバーマスの「文化的再生産」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
ハーバーマスはコミュニケーションのポジティブな機能として、文化的再生産、行為調整、社会化の三つを挙げている。それぞれ順に説明していく。
文化的再生産:社会の中で共有されている考え方や価値観、知識などを、人々が話し合いを通じて受け継ぎ、保ち、必要に応じて変えていくこと。
コミュニケーション的行為は「意思疎通」をすることであり、対話を通じて「文化」を理解し合うことを可能にする。
たとえば親は子に対して、「挨拶はするべきだ」、「人に悪口を言ってはいけない」、「暴力をふるってはいけない」、「部屋で靴をはいてはいけない」といったさまざまな文化を対話(あるいは身振り、背中で語ること)を通じて伝えていくことができる。この場合、親の文化は子の文化へと伝えられていくという意味で、文化的に再生産されているわけである。
もちろん、社会学者のブルデュー的な意味で読書習慣やピアノ、塾といった特定の階層に特徴的な文化も再生産されているという視点も重要である。
たとえば高学歴の親はいわゆるハイカルチャーを子どもへと継承する傾向がある。
階級自体がコミュニケーションによって再生産されうるという視点が重要になる。貨幣といった量的なものだけで階級が再生産されているわけではないのである。食事のマナーや礼儀作法といった言葉にならないようなものも受け継がれているのである。
文化資本(英:cultural capital):家庭環境や学校教育などを通じて各個人に蓄積され、さまざまな社会的行動の場面において有利、不利を生み出す有形・無形のもののこと。ブルデューの概念。
もちろん、ある文化が維持されなくなることや、まるで違う形に変革されることもある。たとえば「会社の飲み会への参加はあたりまえ」という文化は現代において変化してきている。「男はこうあるべきだ」、「女はこうあるべきだ」という価値観も昔とは同じではない。
ただし、多くのコミュニケーション的行為は基本的にある妥当性を前提にして行為するケースであり、妥当性そのものの是非が主題となっているケースではない(文化的再生産の維持側面が強い)。妥当性が既にあり、それを根拠にして他者に要求したり、期待したりしているのである。
妥当性そのもの、文化のあり方そのものが疑われ、それを維持すべきかどうか、変化させるべきかどうかが主題になる行為は「討議」とされ、コミュニケーション的行為とは区別されている(討議については後述)。
たとえば「AIは規制すべき」、「政治家における女性の割合をもっと増やすべき」といった対話は討議的だといえる。「AIの使い方を教えてほしい」という依頼は、すでに「AIを使うこと自体は正しい」という主張がある程度含意されていると推定できる(内心の如何によらず、形式的にそのような立場に置かれる)。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,152p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,154p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,169p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,175p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,288p
【1ワード社会学第三回】ブルデューの「ハビトゥス」とはなにか
ハーバーマスの「行為調整」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
行為調整:複数の人の行動をすり合わせる機能のこと。行為整合とも呼ばれる。
社会的行為の特徴として行為調整があるとしたが、コミュニケーション的行為の場合の調整は「了解」を基準としている。つまり、合意が(自発的、非強制的に)形成されるようなものが調整とみなされるのである。そしてそのような意味での行為調整には、協力関係や社会的連帯を産み出す機能がある。「社会的連帯」はデュルケムの理論とも関連が深いものである。
社会的行為の基礎がコミュニケーション的行為であり、コミュニケーション的行為が行為調整機能をもち、行為調整機能は社会的連帯を生むという関係はとても重要である。
社会的連帯が生じていることは「社会的秩序」が生じていることと強く関連する。社会的秩序はなぜ可能かという問いに、「相互行為における合意の形成によって」と答えていくのである。なぜそのような合意が可能かというと、人間にはそうした能力である「コミュニケーション的理性」が備わっているからであり、理性がそのように「発展」してきたからであるという説明になる。
コミュニケーション的理性が発達する前は、「昔からそうだから」といった伝統的な力、宗教的な力、カリスマ的な力が人々の行為を調整していたといえる(詳細は基礎社会学第八回を参照)。
ウェーバー的に言えば人々を権力的に支配していたのであり、近代になるにつれて、伝統的支配から合法的支配へ支配のあり方が変わっていったということになる。パーソンズが秩序問題に対して「規範解」の立場にあるとすれば、ウェーバーの場合は「権力解」になるのだろう。ハーバーマスの場合は「対話によって合法的な支配を共同で(健全に)目指す可能性」を探っているということになるかもしれない(そしてそれは社会の発展、理性の発展であるとみなされている)。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,287p
【基礎社会学第三六回(2)】エミール・デュルケムの「機械的連帯と有機的連帯の違い」を解説
【基礎社会学第八回】マックス・ウェーバーの『職業としての政治』から「支配の三類型」を学ぶ。
【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか
ハーバーマスの「社会化」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
社会化:個人が他者とのコミュニケーションを通じて、社会の規範や価値を身につけ、自分が何者であるかを理解し、一貫した人格を形成していく過程のこと。
「自分が何者であるか(アイデンティティ)」を理解することは、社会で生きていくうえで一般に望ましいとされている。
何がいい行為なのか、何をしてはいけないのか、どう生きていくべきか、なにを大事にしていくべきかがまったくわからなければ人は不安になる。
このような価値の問題が急に不安定になった近代化において急激に自殺が増大した原因をデュルケムは「アノミー的自殺(無規制的自殺)」だと論じたこととも関連してくる。昔からそうだから、宗教的にそうだからといった価値が急激に揺らいだ時代であり、自分で価値を選び取る能力、反省する能力が発展した時代でもある。
G.H.ミード的に言えば、社会化とは「他者の役割取得」に関連している(詳細は基礎社会学第二十七回の動画を参照)。
他者の役割取得とは、他者の自分に対する態度、役割、期待などを予期できる能力である。相手は何をしてほしいのか、相手は自分にどうあってほしいのかを認識できる能力である。
たとえば、電車では騒がずにいてほしい、目線をあわせないでいてほしいと感じ取れる能力であり、もしそれができないと他者から奇異な目、同胞ではない目で見られてしまう(このあたりの秩序のあり方は、ゴフマンの相互行為儀礼を参照するとわかりやすい。ゴフマンについては1ワード社会学第四回を参照)。
外国に行って作法がまったくわからず、この社会の一員ではない、よそ者であると感じてしまうケースと似ている(むこうからもよそ者と思われる)。
アイデンティティーはこのような「社会的承認」だけではなく、他者とは異なる自分であるという意識である「独自性」も一般的には意味している。
デュルケムは個性化を社会化という前提においてのみ発揮できる、国家ありきではじめて人間は現代的な意味での自由を手に入れることができると考えていた。つまり、社会的承認の範囲で他者とは異なる自分を示すということが重要だというわけだ。
もちろん、討議によって「そもそも承認されないことがおかしい」と新たな変革を望むことは可能だが、自分勝手に好きなように独自性を出すことだけがアイデンティティーではないはずだ。
なんでもかんでも自分の恣意的な意識や気分によって価値観を変えたり、現実を認識できるわけではないのである。その意味で、社会的条件に不可避的にアイデンティティーのあり方はある程度規定されているといえる。たとえば「普通とは違うかどうか」は「普通」を知っている必要があるといえる。
規定されていることさえ疑わず、自分は自由意志をもって選択していると思い込んでいる場合もある。このように考えるとフーコーの権力論に接続できる。あるいは、意識されにくい「ふつう」を意識化し、揺さぶり、問い直すことが大事だと考えればデリダの脱構築的な考え方に接続できるかもしれない。
ハーバーマス的に言えば、対話的合理性を保つことができる範囲でのみ、伝統的、感情的、宗教的、個人的な営みが許容されるということになるのだろう。揺さぶりにしろ新しい形の支配にしろ、健全な討議に寄与するかどうかがポイントになるといえる。
他者との了解を全く目指そうともしないで自分勝手に伝統だからと正当化したり、これが個性だからと正当化することをよしとしないのである。
そして対話的合理性をたもつためにはそれなりの「仕組みや手続き」が必要であり、その1つに国家があり、法の整備などがあるのだろう。その具体的な内容はまずさておいて、合理的に話し合える形式、能力、構造をハーバーマスは重視するのである。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,152p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,287p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,293p
【基礎社会学第三八回(6)】エミール・デュルケムの「アノミー的自殺」を解説
【基礎社会学第二十七回】G・H・ミードの「プレイとゲーム、重要な他者と一般化された他者」とはなにか
【1ワード社会学第四回】ゴフマンの「ドラマツルギー」とはなにか
【1ワード社会学第五回】フーコーの「パノプティコン」とはなにか
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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