動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(6)[D]生活世界関連
[6-7]フーコーとハーバーマスの論争、権力論
フーコーの権力論について
フーコーはフランスの哲学者である。
フーコーに言わせれば、たとえば生活世界の合理化における新しい教育学の登場は「権力のあり方」が変わっただけだとみなし、解放的側面を強調しないかもしれない(詳細は1ワード社会学第五回の動画を参照)。
いわゆる「自発的に服従する主体」、「効率の良い支配」が近代では生じていくのである。時間割、成績評価、序列化といったように細かく諸個人を子どもの頃から訓練し、自発的に服従するように施すというわけである。
教師に常に監視され、我々は教師がいないところでも訓練どおりに自発的に「そうすべきだから、そうしたいから」と生きるようになるのである。ほんとうに伝統を自発的に批判する能力が上がっているのか、その批判の方向性自体が規定されているのではないかと立ち止まる必要がある。
ハーバーマスは1980年代にフーコーを批判したが、フーコーは直接的な反論はしていない(その後対面はしている)。
フーコーは真理は歴史的構築物にすぎず、理性は権力と結びついており、普遍的な基礎づけは疑わしいと考えているという。「すべての人間に共通する理性」や「歴史の必然的な進歩」といった大きな物語を、特定の権力構造を正当化するために使われているだけだと批判しているのである。
「人間は海辺の砂に描いた顔のように消えるだろう、賭けてもいい」という有名なフーコーのフレーズがある(『言葉と物』)。
ここでいう「人間」とは近代的な啓蒙主義者が思い描いた理想的な人間像(歴史的構築物)のことである。理性的で自律的で、理性をもちいて客観的な真理をやがて獲得する事が可能であり、理想の社会を形成することができるような近代的人間像である。リオタールの「大きな物語」とも重なる認識である。
近代においてはじめて神でも自然でもなく、「人間」が知の中心となった(いわゆるヒューマニズム)が、それは一定の枠組み(エピステーメー)を通してそのように認識されていただけであり、やがて消えるというわけである(クーンでいえば一定のパラダイムを通した認識、マンハイムでいえば一定のイデオロギーを通した認識になるのだろう)。
【1ワード社会学第五回】フーコーの「パノプティコン」とはなにか
ハーバーマスのフーコー批判
たとえばルーマンは人間の理性よりもシステム的な理性(合理性)を重視しており、ヒューマニズム的な態度をとっていない(ニヒルな態度、リアリスティックな態度である)。アドルノらがヒューマニズムに絶望した認識とも重なってくる。
一方で、ハーバーマスは人間の理性を規範的に信頼しているのである。ただし、孤立した人間の意識に根ざすものではなく、諸個人からなる間主観的な理性ではある。すべての範囲の合理化を盲目的に信頼しているわけではない。
また、ハーバーマスはフーコーに対して、権力を批判するならなんらかの規範が必要ではないかと批判している。
※「間主観性」という概念がすこしわかりにくいので、このあとの項目で整理したい。
理性を批判して「非理性的なもの」を擁護するのはいいが、理性を批判することはそもそも理性によらなければできないのではないかとハーバーマスは批判する。
これはポパーとの論争とも共通する自己遂行矛盾性だというわけだ。ハーバーマスは理性には暴走する面、支配する面があると認めながら、それでも理性には対話的で合意を指向する側面もあると考え、非理性ではなく理性の内側で異議申し立てをするべきだと考えるのである。
また、権力的なものに異議申し立てをして、それが成功したとすれば、それは一種の権力となり、新たな反権力を生み出すというジレンマをフーコーは見抜いていながら、フーコーは反権力の側、弱者の側に妥当性を認めているとハーバーマスは指摘している。
なぜ屈服するよりも闘争(異議申し立て)が正しいのかの根拠を考えるような理論も欠けているという。また、戦略的行為ばかりが想定され、コミュニケーション的行為が想定されていないともいう。
・特に参考にしたページ
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,202-210p
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)



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