【基礎社会学第三十一回】カール・マンハイムの「イデオロギー」とはなにか

Contents

はじめに

概要、要旨、まとめ

  1. 「知識社会学」とは、知識と社会的存在の関係、知識の生成の社会的条件を明らかにしようとする社会学のこと
  2. 「知識」は自然科学的なものと社会科学的なものに分けられ、後者のものが知識社会学の対象とされている。「知識の存在被拘束性」とは、あらゆる知識は社会的存在に依存ないし帰属し、方向付けられているということ。
  3. 「イデオロギー」は、「社会的存在」に拘束された知識や世界観を意味し、「視座構造」とも呼ばれる。「社会的存在」とは階級、世代、生活圏、宗派、職業集団、学派などの多義的な用語。イデオロギーは部分的イデオロギーと全体的イデオロギーに区別され、さらに全体的イデオロギーは特殊的イデオロギーと普遍的イデオロギーに区別される。イデオロギー的見方を敵対者に対してばかりでなく、自分自身にも適用する勇気をもち、いっさいの思想や観念を、それぞれの担い手の社会的存在位置と関連付けてイデオロギーとして捉える立場である普遍的イデオロギーが知識社会学の分析対象とされている。また、評価的イデオロギーと没評価的イデオロギーという重要な区別も行っている。
  4. 「ユートピア」とは未来に準拠しており、現実を追い越してしまっている意識あるいは視座構造のこと。ユートピアが「未来」に準拠しているのに対して、イデオロギーは「過去」に準拠している。マンハイムにおけるユートピアのポイントは、「新しい現実をつくりだしていく可能性がある」という点にある。知識はイデオロギー的なものとユートピア的なものに区別されるというのがポイント。支配者集団の知識はイデオロギー的、被支配者集団の知識はユートピア的になる傾向があるという。前者は過去を保持しようとする傾向、後者は未来へ向けて革新していこうとする傾向があるといえる。

動画説明

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その他注意事項

私が記事を執筆する理由について

カール・マンハイムの論文整理

『世界観解釈の理論への寄与』(1921~1922)

『文化社会学的認識の特性について』(1922)

『文化とその認識可能性についての社会学理論』(1924) 草稿

『知識社会学問題』(1925)

『保守主義的思考』(1927)

『世代の問題』(1928)

『精神的なるものの領域における競争の意義』(1929)

『ドイツにおける社会学の問題性について』(1929)

『イデオロギーとユートピア』(1929)→第一論文(3つの論文が合わさった著作)

『学問としての政治は可能か?』→第二論文

『ユートピア意識』→第三論文

『知識社会学』(1931)

『インテリゲンチアの社会的及び政治的意義』(1932)

『ドイツ社会学』(1934)

『変革期における人間と社会』(1935)

→「自由のための計画」

『現代の診断』(1943)

カール・マンハイムとは

POINT

カール・マンハイム(1893-1947)ハンガリー生まれの社会学者。ドイツへ亡命し、さらにイギリスへと亡命していった。主著は『イデオロギーとユートピア』(1929)。マルクス主義的イデオロギー論を克服しようと新しいイデオロギー論を唱えた。また、「自由のための計画」を掲げ、自由に浮動しつつ「時代診断」をする知識人像を提唱した。知識社会学ではロバート・マートン、ピーター・バーガー、トーマス・ルックマンなどに影響を与えている。また、ミルズやカルチュラルスタディーズの分野に影響を与えたとも言われている。

「ハンガリー出身の社会学者。ドイツでフランクフルト大学教授となったが、ナチスの脅威が強まるなかでイギリスに亡命し、ロンドン大学へと移った。ジンメルに師事した。一九二九年に出版した『イデオロギーとユートピア』(一九二九、一九三六年)では、マルクス主義的イデオロギー論を克服しようとし、一躍脚光を浴びた。『自由のための計画』を掲げ、自由に『浮動』しつつ『時代診断』をする知識人像を提唱した。」

井庭崇、他「社会システム理論」145P

全体の流れについて

1:カール・マンハイムの「知識社会学」とはなにかを理解する。ざっくりいえば、知識と社会的存在(社会的集団)の関係や、構造を明らかにする学問である。知識によって社会的存在が拘束されていることを、「知識の存在被拘束性」という。

2:「知識」とはなにかを理解する。とりわけ、「イデオロギー」の理解が重要になる。ただしマンハイムにおける「知識」や「存在」は曖昧で、説明不足であると批判されることがある(今回はここまで)。

3:「知識人」とはなにかを理解する。知識人はどうあるべきなのか、教養とはなにかなどを理解する。キーワードは「浮動的インテリゲンチャ」である。

4:「相関主義」と「相対主義」の違いを理解する。知識社会学は「相関主義」の立場で物事を考える学問である。

5:『時代診断論』において、マンハイムが近代社会をどのように診断したのかを理解する。キーワードは「甲羅のない蟹」、「機能的合理性」である。

6:「自由のための計画」を理解する。社会はどのようにあるべきなのか、なにを規制して、なにを規制するべきではないのかなどを考えていく。また、「教育」はどうあるべきなのか、「社会技術」はどのように利用していくべきなのかを理解していく。

7:連字符社会学とはなにかを理解する。

8:マンハイムへの批判を取り扱う。ルーマンやマートン、シュッツとの関連を扱う。

9:宮台真司さんがとりあげていた「知識人」のあるべき姿について取り扱う。

10:モリス・バーマンにおけるマンハイムとの関連を取り扱う。

※第三回でマンハイムの動画は終わる予定。5~7は第三回に扱う予定。8~10は各動画で必要に応じて扱う。特に9や10は第二回で扱う予定。

知識社会学

知識社会学とはなにか、意味

POINT

知識社会学(sociology of knowledge)・知識と社会的存在の関係、及び知識の生成の社会的条件を明らかにしようとする社会学を指す。

「『社会学事典(HandwörterbuchderSoziologie)』の一項目として執筆された知識社会学でマンハイムは,存在よりも意識にかける比重をいっそう大きくする。『知識の存在被拘束性の事実にかんする学説』である知識社会学は,たんなる存在被拘束性の事実の叙述,すなわち『ある特定の環境から特定の見解がつくられるという事実の社会学的叙述をこえて,あらわれでたものを把握する力とその力の限界とを再構成するゆえに,批判でもある』とされる。

水野邦彦縹渺たる存在被拘束性」84P

「マンハイムは,まずはじめに,彼の知識社会学の利点と限界との両方を明瞭に指摘した。「究極的な真理と虚偽の基準は、客体の追究において見出されなければならない。そして,知識社会学は,これにとってかわるものではない。」(p.4)人間の観念を、彼が社会構造で占める特殊な位置に関係づけることは真理や妥当性に接近することとは全く違ったプロセスである。知識の社会学的理論が,われわれに語ることができるのは,如何にして観念が発生するかであって,観念が真であるか偽であるかではないのである。」

山田隆夫「カール・マンハイム研究(4):《イデオロギーとユートピア》《インテリゲンチヤ》《現代の診断》《エピローグ》」,164P

「ある理論を理解しようとする場合には、又その理論の目的を捉えることが必要であろう。では、マンハイムの知識社会学は何を目的とするものなのであろうか。シモンズによれば、それは、異文化間の、あるいは異なった立場の間の相互理解を可能にするための理論の構築だとされる(Si-monds;p.18,pp.80-81)。」

千葉芳夫「歴史主義的知識社会学の視座」,40P

「知識社会学は、知識・認識・意識をそれ自体として独立したものではなく、それが組み込まれている社会的文脈との関連において、つまりは、存在拘束性において理解しようとする。当時の状況を、政治性を有する複数の精神的潮流の対立としてとらえたうえで、それらの存在拘束性を明らかにすることが試みられる。このような手続きをつうじて、各々の立場は、普遍的妥当性を有する絶対的なものとはなりえず、部分的・相対的なものにとどまるということが明確になる。」

澤井敦「マンハイムとラジオ」,6P

「人間の認識活動一般および知識と社会的存在との関係を対象とする社会学の一分野。第一次大戦後、シェーラー、マンハイムらによって確立された。とくにマンハイムは、マルクス主義のイデオロギー論を克服するものとして知識社会学を構想した。彼は、すべての知識とりわけイデオロギーの存在被拘束性を主張するとともに、イデオロギー概念を部分的イデオロギーと全体的イデオロギー概念、特殊的イデオロギーと普遍的イデオロギー概念に区別し、マルクス主義は全体的ではあるが特殊的イデオロギーの域を出ていないと批判した。そして相手方のみならず自らの視座をも相対化しうる立場を歴史主義にもとづく相関主義とし、その担い手としてインテリゲンチアを想定した。マートンは、マンハイムの理論的曖昧さを指摘しつつ、ヨーロッパ種の知識社会学とアメリカ種のマス・コミュニケーションの社会学とを対比し、両者の総合の重要性を説いた。また知識社会学の展開のなかから『科学社会学』『社会学の社会学』などの新しい研究分野が開拓されてきている。」

「社会学小辞典」430P

「マンハイムは、時として、知識社会学のことを『社会学的精神史』とも呼ぶ。解釈学的に把握された意味連関の多様な社会的分化を、社会学的観点から分析し、意味解釈を精緻化することが、その趣旨である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂55P

「ただ、ここで注意すべきなのは、この普遍的イデオロギーという立場が、『知識の存在被拘束性』を前提としたうえで、自他の存在拘束性を問うという立場ではないという点である。そうではなく、そもそも『知識の存在拘束性』という認識自体を可能にしているような視座構造の特性をも問うということ、したがって、いいかえれば、知識社会学的認識自体の存在拘束性をも問うということである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂70P

「 知識社会学の営みを一言でまとめるなら、知識(生成)の社会的条件の研究ということになろう。しかし、その知識社会学も、当初、数学や自然科学を研究対象から除外する方針を採ってきた。マンハイムは知識の存在被拘束性の適用可能な思考領域を、「内在的な発展法則」や「純粋に論理的な可能性」ではなく、「存在条件」と言える諸々の「理論外的条件」によって決定される領域としたからである[Mannheiml929=1975:298]。」

中村和生「知識社会学から知識の実践学へ」,174P

マックス・シェーラーとの関連性について

マックス・シェーラー(1874-1928)が最初に構想したとされている。シェーラーは社会学を文化社会学と実在社会学に区分し、知識社会学は文化社会学の下位に属するとしている。

シェーラーいわく、文化社会学で扱うのは宗教や芸術や法といったいわゆる精神として形容される「理念因子」であるとされ、実在社会学で扱うのは経済的、政治的集団や制度といった「実在因子」であるとされている。そして「理念因子」と「実在因子」の関係を明らかにすることが文化社会学の中心問題であるとされている。

「A.ウェーバーと同じくドイツ文化社会学の旗手に数えられるシェーラーが追究したのは,生活内容全般の下部構造たる「実在因子」(血縁的,経済的,政治的な集団や制度の諸形態)が上部構造たる「理念因子」(宗教,哲学,芸術,科学,法といった精神あるいは理想の諸様態)におよぼす歴史的な実現作用,および後者が前者の歴史におよぼす指導・制御作用の双方に認められる支配的な法則性の解明であった。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,93P

「非合理的かつア・プリオリな価値的本質を感情によって直観する感情的直観主義の立場をとるシェーラーは,その独特の現象学的知見を方法的基礎として文化社会学(知識社会学)の彫琢をはかったが,自身の構想が体系的に示されたのは『知識社会学の諸問題』(1924)においてであった。同著でシェーラーは,観念−物質という二元論的思考にもとづいて,社会学を文化社会学(die Kultursoziologie)と実在社会学(die Realsoziologie)とに区分する。このうち前者が扱うのが,人間の精神論を前提とする「理念因子」であり,後者が扱うのが,生殖や権力への欲動といった人間の本能論を前提とする「実在因子」である。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,93P

知識社会学のその後について

その後、マンハイムがシェーラーの知識社会学、ジンメルの文化の哲学、A・ウェーバーの文化社会学、M・ウェーバーの文化科学などに影響を受け、独自の知識社会学を確立していく。現代ではマンハイムの知識社会学は「古典的知識社会学」と呼ばれている。

マンハイム以後はピーター・バーガーやトーマス・ルックマンなどに影響を与えたとされている。他にもデイヴィッド・ブルアやロバート・マートン、日本では丸山眞男に影響を与えたとされている。

ただし、知識社会学者ピーター・バークによれば、マンハイム以降、知識社会学の分野において1930年代から1960年代にかけて唯一目立った活躍をしたのはマートンだけであり、途切れてしまっているという。ただし、マートン、バーガーやルックマンは「認識論」を棚上げしているという点で、マンハイムの哲学的な志向よりは経験主義的な志向の傾向がある。例えばマートンは真理に関する問題は取り扱わずに、科学的研究法を重視する傾向がある。対照的に、C・W・ミルズはマンハイムのように「認識論」の領域も社会学で取り扱うべきだと擁護している。

「知識社会学は、確かに重要なのである。しかし、偉大な個人が大規模な業績を作り上げ、学界の注目を浴び、たくさんの人々が盛んに論評するのだが、後継者が登場しない。学説史を振り返ればわかるように、名を知られた人物の業績が点として存在するだけで、すぐに途切れ、また別のところから別の人物が別様に貢献し、そしてまた途切れる。毎度その繰り返しである。考えるほどに不思議な領域である。イギリスの著名な思想史家・兼・知識社会学者のピーター・バークは、次のように書いている。

「知識の社会学的研究は、始まりはめざましかったものの、すでに述べた三カ国[フランスとアメリカとドイツ]いずれにおいても、他の社会学の領域と比して、事実上途絶えてしまうか、あるいは少なくともめっきり著作が書かれなくなってしまう。一九三〇年代から六〇年代にかけて、唯一目立った活躍をしたのは、アメリカの社会学者ロバート・マートンであった。マートンが書いたピューリタニズムと科学の関係についての著作は、王立協会などの科学機関に多くの関心を払ったものだったが、本質的には、ピューリタニズムと資本主義に関するマックス・ウェーバーの思想を継承発展させたものであった。」(ピーター・バーク『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』、井山弘幸・城戸淳訳、新曜社二〇〇四年、十七頁)」

犬飼裕一「コミュニケーション研究のヨーロッパ種とアメリカ種 上 : マートン知識社会学の研究」,1-2P

知識とはなにか

POINT

知識・知識は自然科学的なものと、歴史的・社会的なものに二分され、後者の知識が、知識社会学の主要な対象とされている。

例えば1+1=2であるという知識や、水は100℃で沸騰するという知識は自然科学的なものである。

例えば法律に関する知識や、カトリックよりもプロテスタントのほうが自殺率が高いといった知識は社会科学的なものである。

千葉芳夫さんによれば、たとえばシェーラーは宗教、形而上学、実証科学という三種類の知識が考察の対象となり、マンハイムは政治的、社会的思想の領域が対象となるといったように個々の研究者によって変わるが、「世界観の一領域」という点では共通しているという。

「マートンは、マンハイムが存在拘束的な知識の領域や類型をはっきりとは規定しておらず、このことが彼の理論に曖昧さをもたらす一つの原因になっている、と批判している(Merton;pp.496-498,訳、四五三一四五五頁)。だが、知識を自然科学的なものと歴史的・社会的なものとに二分後者のみが存在拘束的なものだとする点では、マンハイムは一貫している。知識類型の問題として曖昧さが残るのは、歴史的・社会的知識であっても、抽象的で形式的なものは存在拘束的ではないのかどうか、という点だけである。確かにマンハイムは、ある所では、形式的・抽象的な知識が存在に拘束されないという意味のことを述べ(Pre.;p.39.訳、一四五頁、I.u.U.;S.163,訳、三〇三頁)、又ある所では、形式的知識といえども時代的状況の影響を受けるのだと主張している(Wis.;S.261,訳、三四八十三四九頁)。しかし、このことを曖昧さとしてではなく、自然科学的知識、形式的な歴史的・社会的知識、形式的ではない歴史的・社会的知識という三種の知識類型が区別されているのだ、と解釈することもできる。」

千葉芳夫「歴史主義的知識社会学の視座」,41P

「マートンの「知識社会学とマスコミュニケーション序説」にあって最も鋭利な指摘は、「ヨーロッパ種」の知識社会学研究にみられる研究対象の曖昧さである。「ヨーロッパ種」にあっては「知識や思考が極めてルーズに解釈され、殆んどあらゆる観念や信念が包括されている」(四〇一頁)。ここでもマートンの面目躍如である。言い換えれば、ヨーロッパの「知識社会学」の弱点がここにある。つまり、「知識社会学のいう肝心の〝知識”とは一体全体何なのだ?」という質問や、「科学的に検証可能な定義として提示してくれ」という要求に、ヨーロッパ系の知識社会学者は容易に答えられないのである。ここで主に言及されているのは、カール・マンハイムの仕事である。ある時期には知識社会学の代名詞のように扱われていたマンハイムの名前は、マートンにとっても偉大な先行者である。ただし、アメリカの経験主義の風土に育った人間にとって、マンハイムの議論は戸惑いの対象となる。」

犬飼裕一「コミュニケーション研究のヨーロッパ種とアメリカ種 上 : マートン知識社会学の研究」10P

「突き放した視点からいえば、マンハイムは、「下層階級」や「社会的政治的意義」や「進歩的集団」や「ユートピア的衝動」や「社会変革の力」といった言葉を毎度頻繁に用いるが、これらを厳格に定義し、検証可能な命題として提示しているのか?と疑うわけである。もっといえば、たとえば「ユートピア的衝動」のような用語は確かに哲学的、文学的には魅力的な言葉であるが、魅力的であるがゆえに厳密に定義することは困難である。また、これらの言葉概念ではない―を用いて、少なくともマートンがいう意味で「科学的な」―英語圏の著者は英語のscienceと、ドイツ語のWissenschaftとの違いをしばしば強調したがる検証に耐えうる命題を構成するとなると、ほとんど絶望的に困難である。ところが、マンハイムのようなヨーロッパの著者は、そんなことが必要であるということすら考えようともしないというのである。これは鋭い指摘であるといわざるをえない。この種の議論では、難しい用語同士がぶつかり合い、過去の学説の説明や人文科学系の薀蓄が開陳される。文体からして魅力的で、深い思想や高度に抽象的な思弁を語っていることは間違いないが、それを現実の社会生活で検証できるのかというと困ってしまう。一言でいえば、「まるで空中戦のような議論」である。これは社会学の学会で理論系の学者と実証系の学者が同じ部会で報告するとき、実証家がよく口にする皮肉である。」

犬飼裕一「コミュニケーション研究のヨーロッパ種とアメリカ種 上 : マートン知識社会学の研究」11P

「おおよそ教科書的な説明は以上のようなものだが、両者には別の側面もある。それは経験帰納法が現場(フィールド)を重視するのに対し、仮説演繹法が仮説を生み出す特定の少数者に関心を集中することである。言い換えれば、「社会」を論じることを責務とする社会学にあって、経験帰納法は「現場」に生活する多くの人々に直接対面しなければならない。他方、仮説演繹法は書斎の知識人や業務を統括する専門家、あるいは権力者の思考の総体漠然とした「知識」に関心を抱く。

「ヨーロッパ種は、知識の社会的根源を掘りだし、知識や思考がその環境をなす社会構造によってどんなふうに影響されるかをひたすら研究する。ここでは、社会による知的視界の形成が主な焦点となっている。この学問領域では、第十二章や第十三章で示唆するように、知識や思考が極めてルーズに解釈され、殆んどあらゆる観念や信念が包括されている。それにしてこの学問領域の核心をなすものは、系統的な証拠によって多少とも確認されるような知識が、どんな社会的脈絡から生じたか、ということに対する社会学的関心である (a sociological interest in the social contexts of that knowledge which is more orless certified by systematic evidence)。 すなわち、知識社会学がいちばん直接的な関心をもっているのは、科学であれ、哲学であれ、また経済思想であれ、政治思想であれ、とにかくそれらの専門家の知的所産 (the intellectual products of experts)なのである。」(四〇一頁)

実はこの一文に出会ったことが、本稿を準備するきっかけであった。 ヨーロッパの知識社会学 (Wissenssoziologie) は 「専門家の知的所産」に集中するというのは、まさにその通りである。この一文は、 ヨーロッパ系の社会学に取り組んできた人々には、相当に意味深長であるにちがいない。 具体例は、ほとんど無限に思いつくはずであ る。とりわけ、これはマンハイムの「知識社会学」について突き放した地点から最も的確に説明していると評価することもできるだろう。」

犬飼裕一「コミュニケーション研究のヨーロッパ種とアメリカ種 上 : マートン知識社会学の研究」13P

「知識社会学の対象は、もちろん知識であるが、個々の研究者が対象とする知識の領域は様々である。このことは、シェーラーとマンハイムに関してもあてはまる。シェーラーの場合には、宗教、形而上学、実証科学という三種の知識が考察の主な対象となっている。これに対してマンハイムが対象としたのは、主として政治的・社会的思想の領域である。このように、彼等が対象とした知識領域は、一見、非常に異なったものである。しかし、それらが世界観(の一領域)であると考えられているという点では、共通である。」

千葉芳夫「知識社会学の成立と世界観学」,1P

コラム:マートンとカール・マンハイムの関連性について

ロバート・マートンはマンハイムの「知識」に対する規定が曖昧だと批判している。マンハイムは知識社会学をヨーロッパ種とアメリカ種にわけ、マンハイムをヨーロッパ種に区分し、「知識や思考が極めてルーズに解釈され、殆んどあらゆる観念や信念が包括されている」と批判している。

マンハイムは社会科学的な知識であっても、「形式的・抽象的な知識は存在に拘束されない」と主張している。しかし一方では、「形式的な知識でも時代的状況の影響は受ける」とも主張している。このように、知識に関する規定が曖昧だといえる。

一方で、千葉芳夫さんはマンハイムのこのような知識の規定の曖昧さを、三種類の知識類型として解釈し直すことも可能だと主張している。

「自然科学的な知識」、「形式的で抽象的な歴史的・社会的知識」、「形式的で抽象的ではない歴史的・社会的知識」の3つである。そして、知識社会学の本来の対象は「形式的で抽象的ではない歴史的・社会的知識」であるという。

ただし、このような知識は「個々の知識内容」ではなく、「ある集団の世界観全体」を対象とするという。誰か一人だけが所有しているような知識ではなく、ある世代といったような、集団の知識、世界観という点が重要になる。

「マートンによると、「〔ヨーロッパの〕知識社会学はたいてい規模壮大な理論を好む人々のやる仕事であって、彼らは精巧な思弁や印象主義的な結論を超克する可能性が差当りあるかどうかを、時には全く顧慮せずに、ただ問題が広く重要でさえあれば、専ら理論に没頭していてもいいのだと考える。大体、知識社会学者は、『われわれのいうことが真実かどうかは分からないが、少くともそれは重要な意義をもっている。』という旗印を高く掲げた人達であった」(四〇〇頁)。これに対して、「世論とマス・コミュニケーションの研究をやっている[アメリカの]社会学者や心理学者は、それと反対の経験主義者の陣営に多く見られ、その旗印には幾分違ったモットーが書かれている。すなわち、「われわれのいうことに特に意義があるかどうかはわからないが、少くともそれは真実である」と。ここでは一般的主題に関係のあるデータ、換言すれば実質的に証拠としての価値があるデータを蒐集することに重点がおかれていた。しかし最近までは、これらのデータが理論的問題に対して意義があるかどうかについては殆ど関心がもたれず、ただ実際的な情報を蒐集しさえすれば、ただちに科学的に適切な事実観察を蒐集したことになる、というように誤解されていた」(四〇〇一四〇一頁)とのことである。知識社会学は規模壮大な理論を好み、マスコミ研究者は経験主義者で、ともかく事実を収集する。ヨーロッパ系知識社会学は、意味(意義)を事実(真実)に優先させ、対するアメリカ系マスコミ研究は、意義(意味)よりも真実(事実)を優先するというわけである。」

犬飼裕一「コミュニケーション研究のヨーロッパ種とアメリカ種 上 : マートン知識社会学の研究」,8P

「こうした批判にたいしてまず確認されるべきであるのは、マンハイムは、そもそも知識人の立場を、普遍妥当的な知識を獲得しうるような、存在拘束性を被らない特権的な立場と考えているわけではないという点である。知識人の認識もやはり存在拘束的なものであることに変わりはない。また現実的にみて、多種多様な知識人が存在することはむしろ当然であろう。マンハイムも述べているように、知識人と呼ばれる集合体には、さまざまな社会的出自の者がたえず流れこんでいる。そして、知識人は、プロレタリアートに、あるいは保守主義的集団に加担しイデオローグになることもあれば、また逆に、現実との関係を断ち切り、純粋な体験を求めて自己のうちにひきこもることもあるかもしれない。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,83P

「確かにマンハイムは、ある所では、形式的・抽象的な知識が存在に拘束されないという意味のことを述べ(Pre;p.39.訳、一四五頁、I.u.U.;S.163,訳、三〇三頁)、又ある所では、形式的知識といえども時代的状況の影響を受けるのだと主張している(Wis.;S.261,訳、三四八十三四九頁)。しかし、このことを曖昧さとしてではなく、自然科学的知識、形式的な歴史的・社会的知識、形式的ではない歴史的・社会的知識という三種の知識類型が区別されているのだ、と解釈することもできる。この区別の基準は知識内容の差異という点にある。自然科学的知識は、時代や立場が異なっても、本質的には内容に差異の生じない知識であり、形式的な歴史的・社会的知識は、時代によって異なりはするが、同一の時代においては立場による差異は生じない知識、形式的でない歴史的・社会的知識は、時代的にも立場的にも差異の生じる知識だと考えられている。そして、第二の種類の知識が存在拘束的であるかどうかに関して曖昧さが存在するということは、この理論の本来の対象が第三の種類の知識であることを意味している。」

千葉芳夫「歴史主義的知識社会学の視座」41~42P

存在拘束性とはなにか

POINT

知識の存在被拘束性(Seinsverbundenheit)・知識は社会的存在に依存ないし帰属し、方向付けられているということ。社会的条件によって制約されているということ。イデオロギー性やユートピア性と言い換えられることもある。

Qなぜ自然科学的な知識が、知識社会学の対象とならないのか

A「知識の存在被拘束性」との関わりが弱いから

存在被拘束性とはなにか

M・ホルクハイマーのマンハイム理解では、知識の存在被拘束性は、このような図になる。

「このように思考や考えかたは,そのときどきに人々が社会的に置かれた状況,存在位置に根を下ろしており,そこにあってこそ成り立つとされる。そして,そのときどきの〈思考の存在被拘束性〉とは『人間の思考のイデオロギー性』にほかならず,『ある決まった特定の歴史的・社会的存在位置Seinslageにとうぜん帰属するものの見方Aspekt,および,ものの見方に結びついた世界観Weltan-schauungと考えかたDenkweiseとをあらわす』概念を,マンハイムはイデオロギー概念と称する。」

水野邦彦縹渺たる存在被拘束性」83P

「知識の存在拘束性の理論は、マンハイム知識社会学の中心に位置するものである。では、この理論は、何を解明しようとするものなのだろうか。論文「知識社会学」の中でマンハイムは、知識の存在拘束性とは、社会過程が認識過程を方向づけ、更に認識の視座構造の中に構成的に入り込むことを意味するのだ、と説明している(Wis.;SS.230-234.訳、二九八三〇六頁)。社会的要因あるいは認識者の立場が、歴史的・社会的認識の成果や理論の内に入り込む、というような表現は、彼の諸論文中の到る所に見出されるものである。このことは、彼の関心が認識の差異に向けられている、ということを意味している。つまり、知識の存在拘束性の理論は、知識に対する理論外的な要因の作用一般を問題とするのではなく、認識の差異の様相を明らかにし、その差異の原因を究明しようとするものなのである。」

水野邦彦縹渺たる存在被拘束性」41P

「知識社会学の用語。人間の意識や知識は、それ自体の内的諸法則のみでなく、外在的諸要因、つまりその担い手の置かれているさまざまな社会的諸条件によって制約され拘束されているということ。マンハイムは、そのような存在要因の拘束性はたんに発生的な外的意義をもつにとどまらず、人びとの視座構造にまで入り込み、意識の内容と形式を規定していると主張した。」

「社会学小辞典」,309P

ホルクハイマーによるマンハイムへの批判

ホルクハイマーによれば、マンハイムは「拘束ということがなぜ、どのようにして起るのか」をほとんど説明していないそうだ。また、「存在」の内容についても十分に説明されていないという。

つまり、「知識の存在被拘束性」が曖昧な規定のままであるという批判である。知識と社会的存在の間に「形式的対応関係」があるということを示しているにすぎないとさらに批判している。存在被拘束性というアイデアは良いが、精神的な側面だけではなく、「存在」について、すなわち「物質的成立条件や存在条件」について追求するべきだという。

「マンハイムは、思考を制約する「存在」というものを社会的階層や階級としてしか見ておらず、しかも、「拘束」ということがなぜ、どのようにして起こるのかをほとんど説明していない。そのため、ホルクハイマーにいわせれば、精神的な「世界観の全体性」と階級の「社会状況」との間に「形式的対応関係」だけを求めているのである[Horkheimer1930:287]。そして、イデオロギーの「物質的成立条件や存在条件」[Horkheimer1930:288]、つまり、その発生や社会で果たす役割(社会的機能)を考慮することなく、「世界観の全体性」をイデオロギーと見なした観念の精神的次元での総括によって追求しようとするのである。マンハイムにおいては、「現実の人間の荒っぽい権力闘争」の精神的面だけを取りあげているがゆえに、存在と意識の関係は、「外的な並列、運命的定め」となってしまうのである[Horkheimer1930:289]。」

袰岩晶「批判理論にとっての「イデオロギー」とは何か?―M.ホルクハイマーのKマンハイム批判―」,167P

自由と存在被拘束性の関連性について

マンハイムへの「知識の存在被拘束性」への批判として、「知識に対する社会的存在の優位は人間の自由意志や主体性を否定するものである」というものもある。

ただし、マンハイムは「知識の存在被拘束性」を自覚してこそ、真の自由が得られるという。無意識に従っていたイデオロギーを自覚し、さまざまな部分的なイデオロギーを比較したり結びつけたりすることによって、「全体性志向」をもつことができるという。

「マンハイムの「存在被制約性」の論理への批判の一つに,「思考」に対する「社会的存在」の優位性は人間の自由意志や主体性を否定するものであるという論点がある。しかし,この批判が誤解にもとずくものであることは以上の論義においても明らかであろう。マンハイムは,英訳版の『イデオロギーとユートピア』の序文で次のように述べる

「人が客観性を獲得したり,あるいは自己の世界についての独自の見方との関連で自己を確立するのは,自己の行為への意志を放棄したり,自己の判断を停止することによってではない。それはまさに自己と対決し,自己を検討することのなかではじめて可能になる……われわれが,われわれ自身にとって可視的になるのは認識主観自体という,しごく模然とした形においてではない。これまでわれわれから隠薇されてきた一定の役割のなかで,またこれまでわれわれにとって不可解だった状況のなかで,あるいはこれまでわれわれが気づかなかった無意識に着目する場合にはじめてそれが可能になる」すなわち,マンハイムにとって,いかに人間の自由を主張しようとも,その主張する行為自体の背後にある「制約性」を自覚しない限り,社会的制約に盲目的に従う者と同一である。真の自由は「存在制約性に関する洞察の深下に比例して増大」すること,いいかえれば,さまざまに制約する諸力による「無意識的動機」を「暴露」し,それを「意識的・合理的な決定の対象」に転ずることにより可能となるのである」

馬居政幸「「知識社会学」 再考 (1)」,12P

全体性とはなにか、意味

POINT

全体性・部分的な見方を自己に受けいれつつ、不断にそれを打ち破り、一歩一歩、認識の自然の歩みにつれて自己を拡大してゆく全体への志向。視野の拡大をマンハイムは重視している。マンハイムがはじめて「社会の全体性」を問題にしたという。

視野の拡大をマンハイムは重視している。マンハイムがはじめて「社会の全体性」を問題にしたという。

知識がある特定の社会的存在に拘束されているというのが「部分」であるとすれば、そうした部分同士を「総合」して関係付けていき、視野を拡大していくことが「全体性志向」にあたる。このような立場は「相関主義」ともいわれる。

マンハイムは実証科学が全体性への関心を放棄し、部分認識にしがみつき、また哲学は「全体の状況」との接触点を失っていると非難している。また、宮台真司さんによればこのような「全体性」を参照しようとする能力が知識人には必要だといい、日本人にはそれが欠けているという。

「すなわち,マンハイムにとって「全体性」とは,「部分的な見方を自己に受けいれつつ,不断にそれを打ち破り,一歩一歩,認識の自然の歩みにつれて自己を拡大してゆく全体への志向」をさす。そしてそこで追求されるものは、時代に関係なく適用可能な結論ではなく、可能な限りの『最大限の視野の拡大』である。すわち、上述したように、マンハイムは、科学が究極的価値判断をなしえないことを認める。しかし,彼の現実に対する危機意識は,科学が単に事実関係の把握にのみ止まることを許さなかった。彼は『意欲する意志』を現実化さす方途を提示せざるをえなかったのである。」

馬居政幸「「知識社会学」 再考 (1)」、8P

「マンハイムは,実証科学が「より高次」の方法という美名のもとに「全体性」への関心を哲学に明けわたし,部分認識のみにしがみついていること,他方,その役割を与えられた哲学は「より高列の領域にしがみつき,「全体の状況」との接触`点を失っていることを非難する。I.U.,S.9o~91(215頁」

馬居政幸「「知識社会学」 再考 (1)」、53P

「ヨーロッパの大学の知的システムは、ヴィッセンシャフトリッヒです。『学的』とか『学問的』と訳します。アメリカの知的システムは、サイエンティフィックです。『科学的』と訳せます。ヴィッセンシャフトリッヒとサイエンティフィックの違いはどこか。ウェーバーから二、三〇年後に活躍したカール・マンハイムの『知識人』の定義が役立ちます。マンハイムは、あるべき知識人を『浮動するインテリゲンチュア』だとします。そのなかでトータリテート(全体性)という概念を出します。あるべき知的存在がフロート(浮動)しなければならない理由は、何かに帰属するとステークホルダー(利害当事者)になるからです。そうならないよう絶えずフロートする必要があるのです。普通は『中立性を保つためめに不可欠だ』と言うところですが、マンハイムは『全体性に近づくために不可欠な立場取りだ』と言うのです。マンハイムは、哲学で一般的ヘーゲル的な全体性概念──<世界>──の全体性とは別に、<社会>の全体性を問題にした最初の人だと思います。マンハイムが出した全体性という概念は、三十年後、先ほど紹介したフランクフルターが繰り返し参照する概念になります。ヴィッセンシャフトリッヒ(学)という概念は、全体性を参照しようとするオリエンテーション(志向)に裏打ちされた知的営みを指します。サイエンス(科学)という概念は、全体性という(専門知識)──なかでも実証科学の方法に裏打ちされたもの──が科学なのです。だから、同じ社会学でも、ヨーロッパ的伝統と、アメリカ的伝統では、方向性が違います。」

井庭崇,他「社会システム理論」73P

社会的存在とは、意味

POINT

社会的存在・階級、世代、生活圏、宗派、職業集団、学派などの多義的な用語。端的に言えば社会集団。

マンハイムは社会的存在の具体的な内容について明確に規定してるわけではないそうだ。

「そのさい、まず重要であるのは、マンハイムのいう『存在』の概念が、必ずしも具体的な社会集団のみを意味するものではないという事実である。文化の解釈学の時期において、文化的事象が関係づけられていたのは、先にみたように、『世界観総体性』であり、『社会的体験連関』、『接続的な経験連関』であった。マンハイムは、知識と社会的存在(具体的な社会集団)のあいだに、いわば『意味的存在』ともいうべき媒介項をさしはさむ。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,57P

「ただ、ここでいう『社会的存在』の具体的な内容について、マンハイムは、必ずしも明確に規定しているわけではない。たとえば、まだ比較的早い時期の『知識の社会学の問題』(一九二五)のなかには、マルクス主義でいう階級を重視しているとみなされうる箇所もある。また、論文『知識社会学』のなかのある箇所でも、社会的存在として、世代、生活圏、宗派、職業集団、学派といった多様な項目が列挙されている。しかし同時に、論文『知識社会学』では、次のようにも述べられている。

「『内在的な精神史』において『精神的弁証法』として説明されていた歴史的な運動形式というものは、知識社会学からみるならば、まさに世代の交替と、競争が、精神史のうちにもたらす運動の韻律のなかに、ほぼ解消することができる」

また、『精神的なるものの領域における競争の意義』においても、マンハイムは次のように述べていた。

「『精神生活のいわゆる弁証法的な(したがって、まずもって直線的・連続的ではない)発展・運動の形式が、社会的生活のまったく単純な二つの構造上の制約性、つまり世代の存在と──今日の報告のなかで私が示唆したいと思う──競争という現象の存在にはほぼ還元されると推測するにしても、けっして誤った道をたどっているわけではないと私は考えます』」

これをみても、マンハイムにおける『社会的存在』の意味を理解するうえで、『世代』と『競争』に関する議論の考察が不可欠であることがわかるだろう。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,60P

Q自然科学的な知識は、社会集団によって変化するか

たとえば、「プロテスタントのほうがカトリックよりも自殺率が高い」という知識はある時代の、ある社会集団に依存、つまり拘束されている。たとえばある時代ではプロテスタントのほうが自殺率が高いが、ある時代ではカトリックのほうが高い、ということがありえる。この場合、時系列によって、つまり世代によって知識は変化しうるということを意味している。

それに対して、「1+1=2である」という知識が時代によって、あるいは社会集団によって変化するとは考えにくい。

マンハイムは「2×2=4という言明は、この言明が誰によって、いつ、どこで、そのように定式化されたのかということを考えるわけにはいかない」と述べている。要するに、マンハイムは数学や自然科学を研究対象から除外したのである。

こうしたマンハイムの自然科学に対する考え方に対して、ブルアは数学や自然科学すら、社会的条件に拘束されると主張している。ブルアはクワインの「決定不完全性のテーゼ」やハンソンの「理論負荷性」をもとに、自然科学における知識も社会的存在に拘束されていると主張している。

また、トーマス・クーンは「科学もまた一定の科学的共同体に共有された思考の枠組み、『パラダイム』に拘束されると主張している。新しい科学的知識が正しいかどうかというより、科学者や世間に承認されるかどうかという点も重要になってくるという意味で、自然科学においても「知識の存在拘束性」が認められるという点は重要である。

たとえば天動説が認められていなかったのは、宗教上の理由で社会的存在に承認されなかったからだ、と考えることができる。

「知識社会学の営みを一言でまとめるなら、知識(生成)の社会的条件の研究ということになろう(1)。しかし、その知識社会学も、当初、数学や自然科学を研究対象から除外する方針を採ってきた。マンハイムは知識の存在被拘束性の適用可能な思考領域を、「内在的な発展法則」や「純粋に論理的な可能性」ではなく、「存在条件」と言える諸々の「理論外的条件」によって決定される領域としたからである[Mannheiml929=1975:298]。科学哲学からも、科学の心理・社会的研究に残されているのは、理論外の誤りなどの二次的な問題だけであると論じられることもあった[Lakatos1978=1986:174]。科学的知識の社会学の創始者、D.ブルアは、このように除外されてしまった領域への社会学の介入を理論的に根拠づけた。マンハイムが抱えた、数学や自然科学をめぐる知識社会学の困難は、懐疑主義的なウィトゲンシュタイン解釈によって克服できるとブルアは論じる[Bloor1973]。ブルアは、デュエム―クワインの「決定不全性のテーゼ」やハンソンの「理論負荷性」にそって、数学の公理でさえもそれじたいの観点からだけでは従うことができないこと[Bloor1983:chap.5]や、(ラボアジェの酸素発見によって覆されることとなった)プリーストリーが支持したフロギストン説も、ある目的からすれば実在との満足な対応を成し遂げていること[Bloor1976=1985:50-4,197一9]などを主張していく。」

中村和生「知識社会学から知識の実践学へ」,174P

世代論とはなにか、意味
POINT

世代論・マンハイムは世代を「知識や文化を新しいものへと変化させていくもの」として考え、世代を「世代状態」、「世代連関」、「世代統一」という言葉で説明した。

たとえば若い学生などの世代は、旧来の世代における知識を変化させる力をもっているという。

1:「世代状態」とは、同じ時期、同じ社会空間に生まれた人々の集まりを意味する。

たとえば2000年に日本で生まれた23歳の人々などは同じ「世代状態」であるといえる。同じ2000年生まれであったとしても、ロシアで生まれた人々と日本で生まれた人々は同じ世代状態にあるとはいえない。

2:「世代連関」とは、同じ世代状態に属していて、さらに(とりわけ青年期に)特定の歴史的・社会的事件を「共通の運命」として形成している人々を意味する。

たとえば高校生の頃に戦争を経験した人々や、大地震を経験した人々などが挙げられる。

3:「世代統一」とは、複数の具体的集団を包括する概念である。たとえば感染病が流行る中で、マスクはするべきだという人々と、マスクはしなくていいという人々の両方が同じ世代状態・世代連関の中にいる。この二つの具体的な集団はまとめて「世代統一」だといえる。

「つまり、学問は本来、生活と密接に関連したものであり、そこから自らの原動力をうるものである。そして生活と学問を媒介する回路のひとつが、若き学生たちである。たえず変化する環境にみあった、新しいものの見方をたずさえて学問の世界へと流れ込んでくる若き世代は、学問をいくらかなりとも変化させる力を有している。しかし現状においては、この若き世代の力が学問的機構によって型にはめられ、抑圧されてしまっているというのである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,14P

「次に、世代論について。マンハイムが彼の世代論を定式化したのは、『世代の問題』(一九二八)においてであった。マンハイムの世代のとらえかたの特徴は、第1章でみた『学問と青年』においても感じられるように、世代を、知識や文化を新しいものへと変化させていく駆動原理とみなすという点である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,62-63P

「『世代状態』は、同じ時期に生まれた人々の集まりであり、いわゆる出生コーホートにほぼ対応するものである。ただしマンハイムは、同じ世代状態に属する人々は『同一の歴史的・社会的空間』に属していなければならないとする。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,63P

「したがって、同じ世代状態に属しており、なおかつ、とりわけ青年期に、特定の歴史的・社会的事件を『共通の運命』として体験し、それに刻印づけられた人々、こういった人々が『世代連関』を形成することになる。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,63P

「世代統一は、複数の具体的集団を包括するものであり、特定の支配的な世界解釈を係留点として形成されるゆるやかな集まりである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,64P

競争論とはなにか、意味
POINT

競争論・「存在の公的解釈」を求めて人々が戦っているという考え。

存在の公的解釈:元々ハイデガーの言葉であり、われわれは生まれた時点で、なんらかのかたちで意味付与され、解釈されている世界に投げ込まれていることを意味する。ただし、あらゆる人間が既にある存在の公的解釈を所与とするという意味ではない。それを求めて人々が競争し、「これが正しい存在の公的解釈だ!」というように競争するという点がマンハイムのポイント。

たとえば「人を殺してはいけない」、「命は尊い」、「平和は善いこと」、「民主主義は正しい」、「核兵器はよくない」といったようなことを日本人の多くは「正しい(真理)」だと思っている。なぜなら、親にそう教わるから、学校で習うから、みんながそう思っているからというような、すでに解釈されているものを根拠としている。

・「存在の公的解釈」は「他の存在の公的解釈」と互いに「競争」するという点が重要

たとえば「共産主義が正しい」という存在の公的解釈をする側は、「資本主義が正しい」という側と「競争」することになる。このような競争は、自らの世界解釈に社会的正当性を付与しようとする志向だという。

ただし、単なる敵対関係で終わるものではなく、競争の過程において、相手の有利な成果を自分の中に取り入れるというような事態もありうるという。このような事態を「事後的な合意」という。たとえば「共産主義」が「資本主義」のある側面を取り入れる、ということもありえる。福祉型資本主義のような、資本主義の問題である「貧富の格差」を修正しようとする制度もそのひとつなのかもしれない。

「ここでマンハイムが互いに『競争』していると考えるのは、すでに述べた、多様な『世界解釈』である。そのさい、競争の目標となるものを、マンハイムは、M・ハイデガーの語を借りて、『存在の公的解釈』と呼ぶ。ハイデガーによれば、われわれは生まれた時点で、なんらかのかたちですでに意味付与され、解釈されている世界に投げ込まれる。マンハイムの表現を借りれば、

『われわれは誕生とともに、この、すでになんらかのかたちで判読されており、意味付与によりすきまなく満たされている世界に足を踏み入れる。生とは何であるか、誕生や死とは何であるか、ある感情やある考えをどう受け取らなければならないか、そういったことはすでに多かれ少なかれ明確に定められている』(一九四)。

このような、人間の存在や世界の事象にもっとも根底的な意味をあたえる解釈が、『存在の公的解釈である』。たださらに、マンハイムは次のように述べる。

『社会学的分析は、この存在の公的解釈が、たんにそこにあるとか、考え出されるとかいうものではなく、それを求めて戦われるものであるということをしめしている』(一五〇)。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,61P

イデオロギー

イデオロギーとはなにか、意味

POINT

イデオロギー(ideology)・一般的には「世界や人間について人々が抱くさまざまな観念や信念の多少なりとも体系化されたもの」という意味がある。マンハイムで言えば「(拘束された)知識や世界観」にあたる。正確なマンハイムの定義では、「特定の歴史や、社会における存在位置に必然的に属している見方、およびそれと結びついている世界観ないし考え方」である。

1:古く遡れば起源はプラトン(前427-前347)であるとされている。

2:イデオロギーという用語をはじめて用いたのはフランスの哲学者であるデステュット・ド・トラシー(1754-1836)であるとされている。彼は政敵のナポレオンから「空虚な観念をもてあそぶもの」という軽蔑の意味を込めて「イデオローグ」と呼ばれていた。

3:マルクス(1818-1883)やエンゲルス(1829-1895)において「社会的イデオロギー」が確立されるようになる。

[イデオロギー]「人間・自然・社会についての一貫性と論理性をもった表象と主張の体系。それは諸個人と生活に根底的な意味を与え(価値体系)、自己と環境世界および両者の関連についての合理的認識をもたらし(分析体系)、自己の願望と確信とによって潜在的エネルギーを意志的に活性化する(信念体系)とともに、具体的なイッシューについての日常的な意見の体系(政治的プログラム)を提起する。このような内容をもった意識形態が現実に特定の階級や組織によって担われているとき、それを『社会的イデオロギー』と呼ぶ。また、この社会的イデオロギーが、人々の生活諸過程の経験的諸条件に規定されながら、個人意識のうちに内面化され屈折させられているとき、それを『個人的イデオロギー』と呼ぶ。イデオロギーの概念は、萌芽的にはプラトンの『国家』に生成しているが、一般的には19世紀はじめ、フランスの唯物論者学者デステュット・ド・ドラシーの『イデオロジー要論』(1801-1815)によって成立した。さらにマルクス=エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』(1845-1846)によって社会的イデオロギーの概念が確立され、マンハイムからマートンへの社会心理学的イデオロギー分析のなかから個人的イデオロギーの概念が産まれてきた。観念形態とも訳される。」

「社会学小辞典」,22P

「SQ5-4.マンハイムはこのような社会主義において用いられているイデオロギー概念を、どのようにして社会科学研究に利用できるようなものに作り替えようとしているか?「存在拘束性」という概念をつかって説明しなさい。マンハイムは、イデオロギー概念を、先にみた2つの偏りから解き放つことにより、その概念のもつ本質的な意味と意義をより一層混じりけのないものとして取り出し、社会学的に有用な概念として再構築しようとしている。マンハイムはイデオロギーを「特定の歴史や、社会における存在位置に必然的に属している見方、およびそれと結びついている世界観ないし考え方(224-225)」として再定義し、こういった思想の存在拘束性の説明を続けている」

長島美織「スタディ・クエスチョンで読む古典 : 「政治学は科学として成りたちうるか: 理論と実践の問題」(マンハイム)を読む(その3)」,151P

マルクスとイデオロギーの関連

(1)マルクスにおける「上部構造と下部構造」

マルクスは法律、政治制度、文化、芸術、哲学、宗教、習慣、道徳といったものを「上部構造」だとし、生産関係による経済構造を「下部構造」だとした。そして、上部構造は下部構造によって決定されると主張した。ただし、上部構造もまた、下部構造に影響を与えうるとされている。

例えば「中世封建制」という下部構造は、「贅沢は悪だ」というような上部構造を決定し、「資本主義」では「贅沢は憧れだ」というような上部構造を決定する。

マンハイムはマルクスの命題の核心的意義を「人間の意識が人間の存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在が人間の意識を規定する」という点だと述べている。

つまり、下部構造が上部構造を規定している、というアイデアのことである。ただし、相手を攻撃するためだけに、イデオロギーが使われていることをマンハイムは否定している。マルクスのイデオロギー概念はそのままでは社会学的に用いることができず、修正する必要がある。

マルクスは原始共産制、古代奴隷制、中世封建制、資本主義という順番で「階級闘争」の歴史が繰り広げられてきたと主張している。特に資本主義における「疎外」がキーワードであり、労働者が生産物や労働物から除け者にされていること、またそのせいで連帯できなくなることを問題視している。例えばある工場である部品を作る仕事で雇われている人は、その部品がどう組み立てられるか、何になるか、どこで売られるか「知らない」こともあり、除け者にされている。このような問題点も階級闘争へ到る原因のひとつである。

資本主義においては「資本家」と「労働者」の階級闘争であり、やがて階級のない新しい社会主義、共産主義へと「発展」していくと主張している。これがいわゆる「唯物史観」である。マルクスは生産関係の発展といった「物理的なもの」が歴史を動かす原動力だと考えていた点が重要である。

(2)マルクスにおけるイデオロギー論
POINT

マルクスにおけるイデオロギー・「思想が利害関係や社会や自然条件によって制約されている現象」のこと。

・マルクスにとってイデオロギーの概念は多義的であり、この動画では説明しきれない。今回はマンハイムにおけるマルクスのイデオロギー解釈のみを扱う。

ざっくりといえば、「上部構造」にあたるものが広義のイデオロギーだと考えられる。また、狭義のイデオロギーでは、「虚偽意識」、いわゆる学者などの「イデオローグ」たちの誤った考え方などを意味する。たとえば経済における「市場に国家が介入するべきではない」というイデオロギーはマルクスにとっては虚偽意識にあたり、闘争の対象となる。

ここで重要なのは、マルクス主義における考え方はイデオロギーを超えている、つまり自分たちの考えはイデオロギーから自由であるとマルクスが考えているという点である。

マンハイムは『イデオロギーとユートピア』の第二論文において、以下のことを述べている。

「どんな理論の背後にも特定の集団によって制約された見方が働いている、ということがここで見ぬかれる。こういうふうに、思想が利害関係や社会や自然条件によって制約されている現象を、マルクスはイデオロギーと呼んでいる」

「ただし、マルクスにとって「イデオロギー」とは一義的な概念ではなく、上記のヘゲモニーの意味内容に集約されるものでもない。たとえば『ド・イデ』においては、イデオロギーとは「理論的妄念」(土台の「必然的な昇華物」でもある)のことであり、実践から遊離したドイツの哲学者などによって産み出されたものである。これは狭義のイデオロギー概念と名づけることができるだろう。それに対し、『経済学批判』「序言」には、「・・・人間がそのなかでこの[経済的生産諸条件における]衝突を意識し、それをたたかいぬくところの法的な、政治的な、宗教的な、芸術的な、あるいは哲学的な諸形態、簡単にいえば(kurz)イデオロギー的な諸形態(ideologischeFormen)」(MEGAII-2,S.101.)とある。ここではイデオロギーが、観念諸形態を包括する語として便宜上用いられたともとれるし、あるいは上部構造全体に相応する概念であるとも考えられる。いずれにしても、こちらは広義のイデオロギー概念だと言える。この違いをふまえたうえで、渡辺憲正の議論を参考に、マルクスの「イデオロギー」概念をあえて整理すれば、①精神的労働と物質的労働の分業から生じたイデオローグたちの観念的生産物、②虚偽意識(周知のように、マルクスはこの語を用いていない)、転倒した認識が生み出した観念形成物、③「普遍性(一般性)」を標榜する支配的思想、④物象化あるいは「商品フェティシズム」と結びついた抽象的思想、といった四つの側面がある。」

明石英人「マルクスにおけるイデオロギーとヘゲモニー」,9P

「SQ5-2.マルクスのいうイデオロギーとはどのようなものか?答えは、以下の部分である。

『どんな理論の背後にも特定の集団によって制約された見方が働いている、ということがここで見ぬかれる。こういうふうに、思想が利害関係や社会や自然条件によって制約されている現象を、マルクスはイデオロギーと呼んでいる。(223-224)』

ここで、この第2論文において初めて「イデオロギー」という言葉が登場する。マルクスが一番初めにイデオロギーという現象に光をあてたわけであるが、マンハイムは、このことを「きわめて重要な発見」であり、「政治思想一般に通じる問題の核心を含むものである」と評価している。マルクスの考えるイデオロギーとは「思想が利害関係や社会や自然条件によって制約されている現象」である。」

長島美織「スタディ・クエスチョンで読む古典 : 「政治学は科学として成りたちうるか: 理論と実践の問題」,150P

視座構造とは、意味

POINT

視座構造(Aspektstruktur)・社会的に共有された枠組みであり、「どのように事象を見て、その事象において何を把握し、どのような事態を思考のうちで構成するかという仕方」であるとされている。

知識と存在の間にある媒介項であり、「意味的存在」とも呼ばれる。1931年の『知識社会学』で言及されている。「思考様式」とも呼ばれている。

また、同論文では、「イデオロギー概念」を利用するのを避け、「存在拘束的な視座構造」について述べていくとも主張されている。したがって、イデオロギー、とくに全体的イデオロギーの分析は視座構造の分析と等しいことになる。つまり、知識社会学は「視座構造」を明らかにする試みであるということができる。構成方法を明らかにすることが目的であり、特定の具体的なイデオロギーを明らかにすることが目的ではないことがわかる。

視座構造が異なれば何が「事実」や「現実」として構成されるか、何が「真理」とみなされるかも異なってくることになる。それゆえに、トーマス・クーンのパラダイムとも類似していると言われている。

また、視座構造は以下の5つの性質をもつという。

①もちいられている中心的な概念の意味内容、あるいは特定の概念が欠如していることそれ事態、②カテゴリー装置、③支配的な思考モデル、④抽象のレベル、⑤前提とされている存在論

[視座構造]「マンハイムの知識社会学における中心概念の一つ。たんに人間の認識活動が社会的存在に制約されているにとどまらず、認識の構造そのものにまで社会的・歴史的要因が組み込まれていることを示す概念。すなわち、人間が事実を見るとき、その見方そのものが、さまざまな社会的条件に制約されており、したがって個々人はその社会的条件に応じてそれぞれ独自なものの見方をすることになる。それを視座構造という。」

「社会学小辞典」,224P

「視座構造とは、社会的に共有された『思考の枠組み』、『どのように事象をみ、その事象においてなにを把握し、どのように事態を思考のうちで構成するかという仕方』を指し示している。各々の視座構造の性質は、①もちいられている中心的な概念の意味内容、あるいは特定の概念が欠如していることそれ事態、②カテゴリー装置、③支配的な思考モデル、④抽象のレベル、⑤前提とされている存在論といった側面から特徴づけることができる。そして、視座構造が異なれば、なにが問題として設定されているか、なにが『事実』として構成されるか、さらになにが真理とみなされるかということも、それにおうじて異なってくることになる。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,58P

「なおマンハイムは、一九三一年の論文『知識社会学』になると、この全体的イデオロギーについて、『われわれは、知識社会学の領域では、荷がかちすぎた「イデオロギー概念」を利用するのをよりいっそう避けて、今後は、知識社会学的な語法で、思考するものの「存在被拘束的な──あるいは立場に拘束された──視座構造」について述べていこうと思う』(一五四)と述べている。したがって、『イデオロギーとユートピア』でもちいられる『イデオロギー』という概念、とりわけ『全体的イデオロギー』という概念、とりわけ『全体的イデオロギー』の概念に関しては、それを先にみた『視座構造』を分析する立場、と考えても問題ないだろう。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,67P

第一論文、第二論文、第三論文の各イデオロギーの概念

マンハイムにおけるイデオロギー

マンハイムにおけるイデオロギーを整理すると、このような図になる。順に説明していく。

  1. 第一論文:『イデオロギーとユートピア』→全体的と部分的、普遍的と特殊的、価値自由と評価的というイデオロギー概念
  2. 第二論文:『学問としての政治は可能か?』→全体的、普遍的・価値自由なイデオロギー概念
  3. 第三論文:『ユートピア意識』→評価的なイデオロギー(ないしはユートピア)概念

「具体的に言えば、時期的にはもっとも後に執筆されたと考えられる『第一論文』において、マンハイムは、全体的と部分的、普遍的と特殊的、価値自由と評価的というイデオロギー概念の分類を導入する。そして、そのうえで、『第二論文』では、全体的、普遍的・価値自由なイデオロギー概念をもちいており、また、『第三論文』では、評価的なイデオロギー(ないしはユートピア)概念をもちいていると述べられている。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂65-66P

「まず、『第一論文』においてもちいられているイデオロギー概念については、それが、分析の対象となるなんらかの観念や意識の性質(たとえば、それが『虚偽』であるといった性質)を特徴づけるものではなく、むしろ分析それ自体の姿勢・立場をめぐる分類であるということをふまえたほうが理解しやすい。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂66P

部分的イデオロギーとはなにか、意味

POINT

部分的イデオロギー(particular ideology)・他者の言説の一部分について、そこに含まれている意識的・無意識的な虚偽・隠蔽を、利害心理学的な地平で暴露する立場のこと。個人の関心や利害から生まれる考えのこと。

例えば自分の応援している政党の主張は正しいと考えたりするケースが考えられる。自分の応援している政党の勢力が拡大すれば、自分の所属している企業にとって有利になる場合、その政党の主張が正しいと、意識的にせよ無意識的にせよ思い込みやすいといえる。

貧乏人からすれば資本主義は悪に見えるかもしれないし、金持ちからすれば共産主義こそ悪に見えるかもしれない。例えばある政党を批判する学者に対して、あなたはその政党を批判すると利益があるのでしょう、と暴露するようなケース。あなたは男だから、女性の社会進出に対して否定的なのでは、と暴露するようなケースも考えられるのかもしれない(本人が気づいていない場合もある)。

全体的イデオロギーとはなにか、意味

POINT

全体的イデオロギー(total ideology)・他者の言説の全体について、その背後にある思考・意識の構造を、精神論的・社会学的地平で解明する立場。所属している社会的存在に規定された考えのこと。

たとえば昭和世代と、平成世代、令和世代というように、同じ場所においても世代(社会的存在の例)によってイデオロギーは変わっていく。いわゆる「ゆとり世代」でくくられる世代は、「みんな違ってみんな良い」というイデオロギーを正しい、真理のように考えがちだと言える。あるいは昭和世代では、「男性は仕事をして女性は家を守るもの」であるというイデオロギーが正しいと考えがちなのかもしれない。

[部分的イデオロギー]「マンハイムの用語。思想や観念の一部を、その言明内容に関してだけ陳述する人間の心理(意図・動機・利害・下意識など)と関連付けて相対化し、それらに拘束されたイデオロギーとして捉えたもの。」

「社会学小辞典」,537P

[全体的イデオロギー]「マンハイムの用語。部分的イデオロギーに対する、思想や観念の内容だけでなく、その根底にある世界観の全体を、認識の基本的範疇まで含めて、担い手集団が占めている社会的存在状況と関連付けてイデオロギーとして相対化したもの。」

「社会学小辞典」,380P

「『部分的イデオロギー』とは、他者の言説の一部分について、そこに含まれている意識的・無意識的な虚偽・隠蔽を、利害心理学的な地平で暴露する立場である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,66P

「それにたいして、『全体的イデオロギー』は、他者の言説の全体について、その背後にある思考・意識の構造を、精神論的・社会学的地平で解明する立場であった。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,66P

特殊的イデオロギーとはなにか、意味

POINT

特殊的イデオロギー(special ideology)・敵対者の思想や観念をイデオロギーとして捉え、相手の立場の歴史的・社会的相対性や虚偽性を暴露して、その主張の価値を引き下げようとするが、自分自身の思想や観念は、イデオロギーとして考察しようとしないもの。

たとえばマルクス主義は特殊的イデオロギーに属するとマンハイムは分析している。たとえばブルジョワジー(資本家)という特定の階級に属するイデオロギーをマルクス主義は敵対者と想定している。敵対者を攻撃するために、もっぱらイデオロギーという言葉が用いられていた。

・マルクス主義のイデオロギーの誤りについて

マンハイムは以下の2点を挙げている

1:「政治思想におけるイデオロギー的なものを敵の側に認めるだけで、自分の思想は疑いもなくイデオロギーを超えていると思いこんでいる」という点

2:「意識的政治上の欺瞞という否定的な評価を含んだ意味のみで使われている」点

要するに、マルクス主義(社会主義、共産主義)は自分以外の考えはすべてイデオロギーであり、自分たちの考えはイデオロギーを超えている、いわばイデオロギーではないと考えているということである。たとえばお金儲けは良いことであるというのはイデオロギーであり、労働者は搾取されるべきではないというのはイデオロギーではないというわけである。自分たちもプロレタリア(労働者)という社会的存在であり、またその存在によって考え方が規定されているという自己批判、相対的な自覚を欠いている。

普遍的イデオロギーとはなにか、意味

POINT

普遍的イデオロギー(universal ideology)・イデオロギー的見方を敵対者に対してばかりでなく、自分自身にも適用する勇気をもち、いっさいの思想や観念を、それぞれの担い手の社会的存在位置と関連付けてイデオロギーとして捉えたもの。

知識社会学は普遍的イデオロギーとしてイデオロギーを捉える立場にある、という点が重要になる。イデオロギーではないような考え方など存在しないのではないか、と考えていく。

全体的イデオロギーが普遍的な段階に至るのは「原理上一切の立場、したがって自分の立場をもイデオロギー的なものと考える勇気を持つ時に」かぎられるという。

[特殊的イデオロギー]「マンハイムの用語。敵対者の思想や観念をイデオロギーとして捉え、相手の立場の歴史的・社会的相対性や虚偽性を暴露して、その主張の価値を引き下げようとするが、自分自身の思想や観念は、イデオロギーとして考察しようとしないもの。」

「社会学小辞典」,462P

[普遍的イデオロギー]「マンハイムの用語。イデオロギー的見方を敵対者に対してばかりでなく、自分自身にも適用する勇気をもち、いっさいの思想や観念を、それぞれの担い手の社会的存在位置と関連付けてイデオロギーとして捉えたもの。」

「社会学小辞典」,538P

「そしてさらに、マンハイムは、この全体的イデオロギーを、『特殊的イデオロギー』と『普遍的イデオロギー』に区分する。特殊的イデオロギーは、他者の言説の存在拘束性のみを問題にする立場であり、マルクス主義の立場がこれに該当するとされる。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂66P

「それにたいして、普遍的イデオロギーは、自らの言説をも含めたあらゆる言説の存在拘束性を承認する立場であり、知識社会学の立場がこれに該当するとされる。より正確に言えば、知識社会学は、全体的・普遍的・価値自由なイデオロギーの立場をとるものであり、対象にたいする評価を留保したうえで、思考の存在拘束性を事実としてあとづけようとする。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂66P

「SQ5-3.マンハイムによれば、社会主義において用いられているイデオロギー概念にはどのような「過ち」があるか?マンハイムからみると、社会主義ないし共産主義流に考える場合におけるイデオロギーの誤りは以下の2点である。(ア)「政治思想におけるイデオロギー的なものを敵の側に認めるだけで、自分の思想は疑いもなくイデオロギーを超えていると思いこんでいる(224)」という点(イ)「意識的政治上の欺瞞という否定的な評価を含んだ意味(224)」のみで使われている点」

長島美織「スタディ・クエスチョンで読む古典 : 「政治学は科学として成りたちうるか: 理論と実践の問題」(マンハイム)を読む(その3)」,150P

「全体的イデオロギーが普遍的な段階に至るのは,「原理上一切の立場,したがって自分の立場をもイデオロギー的なものと考える勇気を持つ時に」(Mannheim1929=1968:47傍点:原著者)かぎられる。「普遍的イデオロギー」とは,歴史的・社会的な集合的主体に制約されたイデオロギー的な性格を有するものとして,自己のものも含め人間の思考全般を捉えることである。マンハイムによれば,「全体的イデオロギー概念の普遍的な把握」が行われるとき,イデオロギー論は知識社会学へと発展するという。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,97P

没評価的なイデオロギーとはなにか、意味

POINT

没評価的なイデオロギー・単にイデオロギーと社会的存在の「関係」が問題とされるのであり、イデオロギーの正当性、虚偽性は問わないような立場のこと。

評価的イデオロギーとはなにか、意味

POINT

評価的なイデオロギー・単にイデオロギーと社会的存在の「関係」を事実づけるだけではなく、評価もする立場のこと。この際の評価の基準は「現実」と一致しているかどうかであるという。

没評価的イデオロギーは部分的イデオロギーや特殊的イデオロギーのように批判・否定されるものではなく、評価的イデオロギーへと到るための重要なステップだという。両者の関係を事実づけてこそ、評価がはじめて可能になる。

「さて、以上の『第一論文』、『第二論文』にたいして『第三論文』でもちいられているのは、評価的イデオロギーである。これは、文字通り、たんに事実をあとづけるのみならず、思考の性質を『評価』する立場である。そして、そのさい評価の基準となるのは、その思考が『現実』と一致しているかどうかという点である。ここに至って、先に見た『第一論文』における全体的イデオロギー概念とは区別される。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂67P

「 あくまで意識構造と存在状況の関係が問題とされるのであって, 思惟の正当性あるいは 思惟の虚偽性は問われない。 これをマンハイムは 「没評価的イデオロギー概念」と名付けた。 この没評価的立場も,それを徹底して押し進めた時, 評価的立場が得られるものとマンハイムはみなし、 それを 「評価的イデオロギー概念」とした。 つま りこの没評価的イデオロギー概念は評価的イデオロギー概念の前提条件なのである。」

小松君代「イデオロギー論と虚偽意識」,130P

「しかし没評価的イデオロギー概念と評価的イデオロギー概念は,いずれかが否定されるものとしてうち立てられたものではなく,没評価的イデオロギー概念はあくまで評価的イデオロギー概念へと移行するための前提であり,重要なステップとして位置づけられているのである。それは相補的な関係,相互依存的関係にある概念である。そしてここにおいてマンハイムの「相関「主義」の問題が生じる。」

小松君代「イデオロギー論と虚偽意識」,130P

価値自由と没評価的イデオロギーとの関連性について

POINT

ウェーバーにおける価値自由・ひとりひとりの個人が、実践的価値と科学的事実認識とを、別種の精神活動として峻別した上、両者を緊張関係において区別して堅持すること。重要なのは、学者は価値判断をするべきではない、事実判断のみをするべきだ、という主張ではないという点。

1:マンハイムのウェーバー解釈では「科学的認識から価値判断を排除する」という意味合いになっている。

2:マンハイムはウェーバーの「価値自由」を「事態をあまりにも簡単なものにしてしまう」と批判している。

たとえば共産主義の立場から資本主義に対して、相手は価値自由を犯していると批判し、また逆の立場からも同じように批判するような状況が起こりうる。

知識社会学においては、それぞれの社会的存在と世界観(知識、イデオロギー)の関係を明らかにし、より総合的、全体的な立場から見通すことを重視している。このような立場こそ、「新しい価値自由」だとマンハイムは考えている。ただ個々に、相対的に立場を明らかにするだけではなく、総合という段階があるという点が重要になる。

「そして、さらに興味深いのは、『価値自由』の公準を犯していると批判された当のアドラーが、第四回大会において、批判に答えて、マルクス主義は価値自由の公準にしたがうものであり、恣意的あるいは無意識的な評価から成るものではないと主張している点である。そこでは、両者がともに自らの価値自由を主張しつつ、相手の立場が混入したものとして、あるいはイデオロギーとして批判するという状況が生じていた。このようななかで、マンハイムが意図したのは、あい争う複数の主張が組み込まれている世界解釈、さらにその世界解釈に関与する具体的集団の動きを吟味すること、いいかえればそれらの主張の『存在拘束性』を吟味することである。そして、それぞれの立場を相対化し、全体の情勢をより総合的な視野から見通すことをつうじて、はじめて、新たな意味での価値自由を構想しうる地平が開かれうる、とマンハイムは考えた。大会の、『結びの言葉』におけるマンハイムの言葉を借りれば、『それゆえ、私が求めているのは──簡潔にいえば──価値自由への根本的意志をもう一度活性化することなのです』」

「澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂20P

「すなわち,知識社会学は,その志向する論理的必然性として,自己の認識も含め,個々の認識に対し,その「被制l約性」の把握を「意味や歴史的な存在の全体の脈絡」に関係づけることに止まらず,その認識の「動的全体」における「位置価Stellenwert」を評価することを課題とせざるをえなくなるのすなわち知識社会学は,一方で科学における事実判断と価値判断の分化を前提にしながらも,他方,その両者を媒介する契機を探究することにおいて成立したと言える。従って知識社会学における「評価」が価値判断に代替することでないことは明らかである。」

馬居政幸「「知識社会学」 再考 (1)」,6P

ユートピア

ユートピアとはなにか、意味

POINT

ユートピア・一般的には「どこにも存在しない場所」、「理想的社会」、「空想的社会」を意味する。トマス・モアが1516年に『ユートピア』という著作で理想的社会という意味合いで使ったことが起源として知られている。

POINT

マンハイムにおけるユートピア・未来に準拠しており、現実を追い越してしまっている意識あるいは視座構造のこと。

たとえばキリスト教における千年王国などもユートピアの一種だといえる。終末の日がくれば、最後の審判があり、イエス・キリストが再臨し、そして天国が始まるという話である。

現在においてはまだ実在していないが、未来において実在すると考えられているという点がポイント。マルクスの共産主義も同様であるといえる。科学が発展し、必要な労働が減り、「自由の国」が到来するというある種のユートピアだといえる。

「分析の対象となる思考や意識の性質を評価するための対概念としての、イデオロギーとユートピアの概念が導入される。この場合、イデオロギーもユートピアも、『現実』を覆い隠してしまうという意味で『虚偽』と評価される意識や視座構造を特徴づけるものである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂67-68P

ユートピアとイデオロギーの違いとはなにか

1:ユートピアが「未来」に準拠しているのに対して、イデオロギーは「過去」に準拠している。「昔からそうだから」という理由で年功序列は正しいというイデオロギーなどが過去に準拠している例として挙げられる。

2:どちらも、現実に追いついていない意識である。現在に準拠している意識や世界観ではないという話。

3:相対的ユートピアは、「新しい現実」を作り出していく可能性がある。例えば、神に救われるという「未来」のために勤勉に働いていったプロテスタントたちが資本主義社会の形成への一端を担い、現実を改変していったと考えることもできる。

「そのさい、イデオロギーは、過去に準拠しており、『現実』にいわば追いついていない意識あるいは視座構造である。これにたいして、ユートピアは、未来に準拠しており、『現実』をいわば追い越してしまっている意識、あるいは視座構造である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂68P

相対的ユートピアと絶対的ユートピアの違いとはなにか

POINT

相対的ユートピア・「秩序変革機能」をもつ可能性があるユートピア

POINT

絶対的ユートピア・「秩序変革機能」をもつ可能性がが低いユートピア

マンハイムにおけるユートピアのポイントは、「新しい現実をつくりだしていく可能性がある」という点にある。

このような「秩序変革機能」をもつ可能性があるユートピアを、マンハイムは「相対的ユートピア」と呼んでいる。現時点では存在を超越していても、古い現実を変化させ、新しい現実を作り出していく可能性をもつユートピアである。こうした可能性をもちにくい、存在を完全に超越してしまっているユートピアを「絶対的ユートピア」と呼んでいる。

「相対的ユートピア」をマンハイムはポジティブに評価していることがわかる。一方で、トマス・モアのユートピアは「幸福と安楽を感じる場所があって欲しいが、しかしそんな場所はない」というようなネガティブな意味で用いられている。

たとえば支配者集団は、現状を維持し、再生産を望むという。資本家や既存の支配政党は現実の変化を好まず、現在を正当化しがちである。それゆえに、イデオロギー性を帯びやすいという。

一方で、被支配者集団は、現状を打破しようとし、変化させようとする。それゆえに、ユートピア性を帯びやすいという。

「現実」とはなにか

マンハイムによれば、「何が現実とみなされるかは、視座構造による」と述べている。

たとえば社会主義者からみれば、資本主義者に対して「もっと現実をよく見ろ」ということになり、逆の立場から見れば「あなたこそもっと現実をよく見ろ」ということになる。

つまり、「現実」は人それぞれ、あるいはある社会集団によって、政党によって、宗派によって、世代によって「相対的」にすぎないものであるということになる。絶対的に正しい現実というものはなく、それぞれの社会的存在によって構成されてくるということである。あなたの主観、感想にすぎませんよね、とお互いに言い合うような状態です。戦争は悪いというのは確かに多数の意見であり、いわゆる「客観的」な意見ですが、しかし絶対的に正しい意見ではなく、ある特定の時代の特定の集団の支配的な考え方、いわば「多くの主観の集まり」にすぎないというわけです。

Qマンハイムの結論は、結局「相対主義」なのか

もし視座構造やイデオロギーの定義だけを見れば、真理というものは結局視座構造ごと、イデオロギーごとに存在することになり、「絶対的な真理」などというものは存在しないことになる。つまり、知識やイデオロギーの数だけ、相対的な真理が存在することになる。

誰もが正しい、あるいは誰もが正しくないというような相対主義の立場ではない、とマンハイムは主張している。

相関主義とはなにか、意味

POINT

相関主義(英;relationism,独;Relationismus)・一定の立場からする、展望的なものとしての認識の部分性を、相互に関連付けて総合的に評価することにより、その時代に最も妥当性のある認識に到達することが可能であるという主張

マンハイムは自分の立場は相対主義ではなく、相関主義であると主張している

次回はこの相関主義を中心に説明する予定

[相関主義]「マンハイムの知識社会学の主要概念の一つ。一定の立場からする、展望的なものとしての認識の部分性を、相互に関連付けて総合的に評価することにより、その時代に最も妥当性のある認識に到達することが可能であるという主張。」

「社会学小辞典」385P

「マンハイムは次のように述べている。『相関主義が意味しているのは、ただあらゆる意味的要素の相互の関連性、そしてそれらの意味的要素が互いに基礎づけあいながら、あるひとつの特定の体系のうちで意味をもつということにすぎない。しかしこの体系は、ある特定の種類の歴史的存在にとってのみ可能であり、妥当するにすぎないし、それがこの歴史的存在の適切な表現であるのはしばらくのあいだのことでしかない。存在が変位すれば、以前にそこから『うみだされた』規範体系もまた疎遠なものとなる。同じことは認識についても、歴史的視野についてもあてはまる』したがって、相関主義とは、知識や認識に限らず、意味をになうあらゆる要素がそもそも有意味なものとなりうるのは、特定の意味的・社会的存在の関係性のうちにおいてのみであるとする立場である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,72P

「このことは再び,つぎの問題を提起する。「知識社会学は,真理が,『相対的』である」,すなわち,「認識主体の主観的な立場そして、社会的状況(the subjectivest and point and the social situation of the knower)に依ること」を意味するのであろうか。マンハイムのこれに対する答えは,否定的である。というのは,知識社会学の観点からの歴史研究は,いかなる絶対的真理をも明らかにしないからであるから,このことは,「相対主義」ではなくて、「相関主義」を意味するからである。観察者,認識主体の視座構造は,その社会的立場とともに変化するであろう可能性は大きいものがある。しかし,「どの社会的立場が,真理の最適の条件(anoptinum)に到達する最善の機会であるか」という問題は,やはり残っているのである。(p.71)不幸なことに,マンハイムはさらに進んで,真理と妥当性の「相関主義」の意味をさらに明らかにしなかった。彼は要するに問題を解決していなかったと,自覚していた。」

山田隆夫「カール・マンハイム研究(4):《イデオロギーとユートピア》《インテリゲンチヤ》《現代の診断》《エピローグ》」,168P

「一九二九年二月に、ハイデルベルク大学において開かれたA・ヴェーバーとの合同セミナーの席上でマンハイムが述べているように、「知識社会学は、いくつかの思考の立場がイデオロギー闘争において互いに盲目になり、それぞれが唯一の真理の名のもとに対抗しあっている段階の克服を意味している」(1929b:300-1-J190)。そして、マンハイムが重要視するのは、こうした相対化をへて、各々の立場が、自らの立場に閉塞するのではなく、逆に、自らの立場の部分性を他の立場をつうじて補完することに開かれてあり、視野を拡大していくということである。『イデオロギーとユートピア』において、マンハイムは次のように述べている。「われわれの時代における・・・・・・歴史的研究の役割は、まさしくこうした一時的な必要のために余儀なくされる不可避の自己実体化をくり返し後退させ、自己神化をたえまない対抗運動のなかでくり返し相対化すること、こういう仕方で、自己を補完してくれるものにたいして開かれてあることを強いるという点にある」(1929a:40=J197)。「全体性とは、部分的な視野を自らのうちに受けいれつつ、不断にそれを越えていこうとする、全体への志向を意味するものである。この志向は、認識の自然な進行のなかで一歩一歩自己を拡大していく。そのさい目標として切望されるのは、時間を超えて妥当する最終的結論ではなく、われわれにとって可能な、最大限の視野の拡大である」(1929a:63=J217)。ここで述べられているのは、いわば、「補完への開放性」、「視野の拡大」といった、規範的要請である。すなわち、自己絶対化に向かうことなく、自己の立場の部分性を認識し、自己を相対化すると同時に、自らの部分的な視野にとどまることなく、他の視野に開かれてあり、それによって自らを補完し、自らの地平を拡大していくこと、いわば「自己相対化と自己拡張の連動」が求められることになる。こうした精神的態度のなかで、新しい社会的・政治的方向性を探り出していくことが、ここのマンハイムの基本的姿勢であった。「相関主義」や「白山に浮動するインテリゲンチア」というよく知られた概念も、このような精神的態度を体現するものにほかならない。」

澤井敦「マンハイムとラジオ」,6-7P

今回の主な文献

カール・マンハイム「イデオロギーとユートピア」

※私が使っているのは旧訳です

カール・マンハイム「イデオロギーとユートピア」

澤井 敦「カール・マンハイム―時代を診断する亡命者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学) 」

澤井 敦「カール・マンハイム―時代を診断する亡命者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学) 」

汎用文献

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

大澤真幸「社会学史」

大澤真幸「社会学史」

新睦人「社会学のあゆみ」

新睦人「社会学のあゆみ」

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる!

アンソニー・ギデンズ「社会学」

社会学 第五版

社会学

社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)

クロニクル社会学

クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

参考論文

・水野邦彦「縹渺たる存在被拘束性」(URL)

・山田隆夫「カール・マンハイム研究(4):《イデオロギーとユートピア》《インテリゲンチヤ》《現代の診断》《エピローグ》」(URL)

・千葉芳夫「歴史主義的知識社会学の視座」(URL)

・澤井敦「マンハイムとラジオ」(URL)

・犬飼裕一「ルーマン, 意味と歴史の循環論: 高橋徹 『意味の歴史社会学ルーマンの近代ゼマンティク論』(世界思想社 2002 年) に触発されて」(URL)

・犬飼裕一「コミュニケーション研究のヨーロッパ種とアメリカ種 上 : マートン知識社会学の研究」(URL)

・「社会学入門」のスタートにあたって(URL) ※サイト、連字符社会学に関する説明の参考に

・中村和生「知識社会学から知識の実践学へ」(URL)

→「知識社会学」の定義の参考に  マンハイム以降の知識社会学についてためになる ブルアについてもこちら

・白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」(URL)

→マックス・シェーラーについて参考に

・澤井敦「マンハイム知識社会学の研究」(URL)

→マンハイムのパラドックスについて参考に

・袰岩晶「批判理論にとっての「イデオロギー」とは何か?―M.ホルクハイマーのKマンハイム批判―」(URL)

→イデオロギーについて参考に。存在拘束性の図なども参考に。

・千葉芳夫「知識社会学の成立と世界観学」(URL)

→知識について参考に。シェーラーとの関連性についても参考に

・明石英人「マルクスにおけるイデオロギーとヘゲモニー」(URL)

→マルクスにおけるイデオロギー概念の参考に

・ 長島美織「スタディ・クエスチョンで読む古典 : 「政治学は科学として成りたちうるか: 理論と実践の問題」(マンハイム)を読む(その3)」(URL)

→マンハイムにおけるマルクスのイデオロギー概念の参考に

・小松君代「イデオロギー論と虚偽意識」(URL)

→「評価的イデオロギー」の参考に

・山田美幸「ユートピア再考察: 生きる人間の現実としてのユートピア」(URL)

→ユートピアの参考に

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