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【1ワード社会学第十三回(12)】ウェーバーにおける「行動/行為/社会的行為」
- 2026/3/23
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(4) [B]コミュニケーション的行為関連
[4-1]ウェーバーにおける「行動/行為/社会的行為」
ウェーバーにおける社会的行為とは
マックス・ウェーバーは行動は「主観的意識がないような無意識的・反射的な出来事」であり、行為は「単数或いは複数の行為者が主観的な意味を含ませている限りの人間行動」であると定義している。
主観的な意味とは、たとえば動機などがその例である。目的をもって行動する、昔からそうだからという理由で行動する、そうすべきだから行動するといったものが主観的な意味づけである。
また、社会的行為を「他者とのかかわりにおいてなされる行為」であると定義している。この「社会的行為」を基礎にして、秩序などの社会構造を記述していこうというタイプの行為理論ということになる。
1ワード社会学第十二回で整理したように、行為の定義はなかなか難しい。たとえば哲学者のフォン・ウリクト(1977)は行為を「意図的に世界(自然)において変化を起こしたり、慎んだりすること」であると定義している。
テオ・ヘルマン(1989)は行為は「出来事」であり、「主体の観察可能な身体的な動きとして理解できる」必要があるという。
さらに、「ある特定の状況や行為に関与するものの状況把握、制度上の条件、社会的ルールのもとで成立するという条件も存在する」という。
【基礎社会学第十四回】マックス・ウェーバーの社会的行為の四類型とはなにか
新たな行為の定義の必要性
ハーバーマスはウェーバーの行為理論を批判している。「コミュニケーション的合理性」という近代で発展した新たな合理性の側面を主題的に分析できていないからである。
「コミュニケーション的合理性」を分析するためには、そのための行為理論を新たに整備する必要があるというわけだ。
ハーバーマスの行為理論の特徴は、第一に、目的合理的行為(戦略的行為)とコミュニケーション的行為が明確に区別されているという点にある。
ただ区別されるだけではなく、「コミュニケーション的行為こそがあらゆる社会的行為の土台であり、基礎であり、目的合理的行為は寄生的行為にすぎないこと」を示せるかどうかがポイントとなる。ウェーバーはあらゆる社会的行為の土台としてどういった行為があるかを分析しきれなかったというわけである。
第二に、ハーバーマスは個人の主観、意味づけに基づいて世界を理解するような哲学的態度を批判している。
「個人の意識」ではなく、「言葉を介したコミュニケーション、意思疎通過程」によって世界を理解しようという「コミュニケーション的転回」を重要視するからである。
まず孤立した主観があるという近代哲学的な発想をハーバーマスは批判しているのである。「他者との言語的なやりとり」が先であり、その中で個人が形成されるという考え方をハーバーマスは重視する。
たとえばJ.H.ミードは自我は社会的経験と社会的活動の過程において生じてくるものだという説(自我の社会説)を唱えていた。デュルケムも同様に、まず社会ありきで、そこから「個人」という概念が生じてくるという考え方である。
ハーバーマスの場合も、「個人になってから他者と関わる」のではなく、「他者との言語的やりとりの中で個人になる」という視点をとっている。
こうした考え方は「間主観性」とも呼ばれ、フッサールやシュッツの現象学と関連する考え方である(間主観性は生活世界の項目で後で扱う)。
我々は「言語能力」を発揮させることができる能力を持ち、それを通して文化を共有することができ(社会化)、また同時に独自の心的世界をもつこともできるのである(個人化)。
いかなる社会化の影響も受けずに、また言語能力も発揮せずに、個人化を達成することは難しい。
人格間の交流が第一であり、主観はそこから分節化されると考えれば、人格観の交流である「コミュニケーション的行為」こそが世界を理解するための土台、基礎となるべきという考えにつながっていく。
社会を理解するためには一番基礎的な社会的行為を見出す必要があり、ハーバーマスはそれが「コミュニケーション的行為」だと主張するのである。
【基礎社会学第二十四回】G・H・ミードの「主我と客我(IとMe)」とはなにか
【基礎社会学第三九回(7)】エミール・デュルケムにおける「トーテミズム」を解説
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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