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【1ワード社会学第十三回(6)】ウェーバーの「鉄の檻」について
- 2026/3/18
- マックス・ウェーバー, ユルゲン・ハーバーマス
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Contents
(3) [A]合理性関連
[3-5]ウェーバーの「鉄の檻」について
マックス・ウェーバーにおける「鉄の檻」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
ウェーバーは官僚制のような道具的理性の発達、つまり近代的な合理化を「歴史的な運命」と見なしていると解釈されることがよくある。
つまり、道具的理性、目的合理化が発達し、社会に強く根づいてしまった後では変えることが難しいという悲観的な態度、諦念を示しているのである。ウェーバーはこのような変え難さを「鉄の檻(硬い殻の方が翻訳として適していると言う人もいる)」とも表現している。
鉄の檻(独:ein stahlhartes Gehäuse):確立してしまった資本主義のシステムの中に人間は守られて生きていくしかなく、そこから外に出ていくことは難しいという二つの意味をもつ概念のこと。
※荒川敏彦さんによればGehäuse(ゲホイゼ)には「ケース」、「外装」、「貝殻」などの意味があり、無理やり閉じ込めるといった意味合いはなく、むしろ中のものが傷つかないようにする意味合いが正しいらしい。この意味で翻訳していれば、それほど悲観的なニュアンスが漂わなかったのかもしれない。
救済の確証にこだわらず、ただ神を信じて善行(労働)に励むひとたち、さらには神からの救済の確証を求めて善行(労働)に励むひとたちがいた。しかしそうした宗教的な要素は薄れていき、資本を増大させること自体が目的となっていったことをウェーバーの項目で説明した。
現代(資本主義が完成した後)の我々のほとんどにおいては、利益の増大それ自体を目的とすることはほとんど強制されているし、強制という言葉すら不自然に思えるほど、「当たり前」となっている。資本主義を批判しようとすれば白い目で見られるのが今では普通ですらある。そうしたことを自然だと思い、目的としないようでは「まとも」とみなされない。
それぞれの諸個人の自由の問題、単なる価値観の問題だけではない。国家が資本の増大能力を失えば他国に攻め込まれるというリスクの増大を意味するのであり、そうせざるをえないのである。
我々はある枠組み、(チキン)ゲームの中で生きていくしかできなくなるのである。「われわれはこのゲームをやめた」と容易に宣言できないのである。個人レベルで山に籠もって自給自足をしているつもりでも、周りで安全が保証されていることが前提となる。我々は目的合理化を前提とした世界の中で生きざるをえないような状況になっているというわけである。端的に言えば、鉄の檻の中で生きているのである。
【基礎社会学第二十二回】マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とはなにか
3つの可能性
鉄の檻の中で生きていく人間の将来の3つの可能性をウェーバーは説明している。①新たな預言者が現れる。②かつての思想や理想が復活する。③変革が起きることなく、自己陶酔で粉飾された機械的硬直化が起こる。
ウェーバーは可能性を示すだけであり、またこうした運命にたいして「どうするべきか」という処方箋(価値判断)を直接的には出していない。
カール・マルクスは社会主義革命という手法によって抜け出すことを提示していたが、ウェーバーは特段賛同していない。
アドルノやホルクハイマーも同様に、「革命」という手法を積極的に賛同していない。「資本主義を打倒すれば、新しく素晴らしい社会が実現するという新たな進歩思想」に懐疑的なのである。実際、社会主義国家ではむしろ合理化は強化されると考えられている。たとえば市場の代わりに官僚的統制によって経済が目的合理的に操作されるようになるのであり、ソ連では実際にそうしたことが歴史的に起きた。
「将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも──そのどちらでもなくて──一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化すことになるのか、まだ誰にもわからない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現れる『未来人たち』にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』と。」
(「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、365-366P、マックス・ウェーバー、大塚久雄訳、岩波文庫、1989初版、2006年第39版)
【基礎社会学第二十二回】マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」とはなにか
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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