動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(6)[D]生活世界関連
[6-11]アーレントの「差異性」
アーレントにおける「差異性」とは
ハンナ・アーレントはドイツ出身のアメリカの政治学者である。代表作は『全体主義の起源』(1951)である。
ハーバーマスはアーレントを参照することが多く、影響を強く受けているとされている。
たとえばアーレントは労働(生命維持のための営み)や仕事(生活向上のための営み)は私的領域であるという。それに対して言葉によって他者へ働きかける営み(活動)は公的領域であり、活動をより重視している。
古代ギリシアではそのように区別されていたが、近代以降では自由な言論空間が消失し、労働が公的領域まで拡大していったという。労働の価値が過度に重視され、人びとは有用性や効率性においてあらゆる活動を判断され、人間の本来的なあり方が見失われてしまったという。
今まで整理してきたハーバーマスの道具的行為とコミュニケーション的行為の区別、近代化に伴う生活世界の植民地化が起きているというハーバーマスの主張とアーレントの主張は類似している。
また、アーレントのいう公的領域の喪失はハーバーマスの最初期の著作である『公共性の構造転換』と強く類似してる。たとえばコーヒーハウスが廃れて、人びとが討議し合う場所(公共圏)がなくなってきたことに危機をハーバーマスは感じていた。
アーレントが強調するのは「差異性」であり、人々の価値観・ライフスタイルの多様性である。日本でいうと金子みすゞの「皆違って、みんないい」というフレーズを私は思い出す。「全体主義」が徹底されている社会では差異性や多様性はほとんど重視されない。
たとえばナチスにおいては、従わないと反逆罪として処刑されることもあった。アーレントはユダヤ人であり、ナチスから逃れてアメリカへ亡命している。
多様性が発揮されるためには、効率性や生産性といった尺度だけが基準であってはならない。
また、権力によって過剰に発言や態度が抑制されるような状況も好ましくない。これはハーバーマスのいう理想的対話状況や無傷の間主観性と強く重なる概念である。
もちろん自由な討論といっても、「それぞれがそれぞれの価値観において利己的で本能的、一方的に意見を出し合う」というのは理想的な状態ではないという。そのような討論では合意に達することはできないからである。単に個性や自由、多様性が無条件に、無規定に推奨されているのではない。
つまり、差異性には一定の制約があるということになる。アーレントによれば、各人はできるだけ普遍性のある判断をこころがけるべきだという。多様な他者を想定し、できるだけ中立的な立場に身をおいて、個人的な利害を超えて思考し、そのうえで意見を出し合うというわけである。
他者の役割取得という意味でミードの「一般化された他者」をここでは想定していいだろう。あるいはデュルケムが述べたように、社会の秩序に関わる範囲での自由や個性、多様性が許容されると考えてもいいのかもしれない。
そのような素晴らしい能力が人間にはあるのか。そもそもなぜ強い立場にいる人が弱い立場にいる人のことを考慮しなければならないのか。そうした問題は山積みである。
ウェーバー的にいえば「冷静にかつ情熱的に」といった相矛盾する要求ともいえるような難しい問題だと言えるのではないだろうか。
「現実と理想のバランスが大事だ」と口でいうのは簡単だが、しかしどの尺度においてそれがバランスを保っていて、望ましいといえるのだろうか。
たとえば社会学者のウルリッヒ・ベックがリスク社会で述べたようなことを考えると、弱い立場にいる人を放置しておくことは社会全体にとって「危険(リスク)」であると考えることもできる。
もはや「そんなことは私の問題ではない、慈善の問題である」と自己中心的になっていられない社会になっているともいえる(単なる配慮の問題ではなくなってきている)。テロや核兵器は一部の人だけにふりかかる危険ではないのである。また、一部の社会だけにふりかかると単純に考えられなくなるほど、世界は相互に関わり合ってしまっているのであり(グローバル化)、技術は発達してしまっている。
特に参考にしたページ
大澤真幸,「社会学史」,講談社現代新書,第二刷,528-529p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,257p
中岡成文「ハーバーマス」,講談社,279p
山竹伸二「本当にわかる哲学」,220-223p
竹田青嗣「哲学入門」,160-165p
他者の視点をとることができる能力については心理学者であるアルフレッド・アドラーの理論を考慮すると気づきが多いと考える。
※アドラーの動画(創造法第四回)で使用した図だけを乗せておく。
こちらもアドラー関連の図。
創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(7)アドラー心理学の哲学(共同体感覚)とはなにか
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)





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