動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(7)[E]システム関連
[7-4]ジンメルの「両義性」
「両義性」の話題で忘れてはならないのは、社会学者のゲオルク・ジンメルだろう。代表作は『社会学の根本問題』、『貨幣の哲学』など。デュルケム、ウェーバーと並ぶ社会学の創始者と表現されることがある。
ジンメルは『貨幣の哲学』において、貨幣を「交換可能性の純粋な形式」であるとした。
例:ダイヤモンドが欲しいと考えるとする。簡単には手に入らず、ダイヤモンドへの「距離」を感じるとする。このときにダイヤモンドには客体としての「価値」が生じている。しかし自分の牛と交換してもらえるだろうか、自分の布と交換してもらえるだろうか、交換できるとしてどのくらいの量が必要だろうか、といったように物々交換では「欲望の二重の一致」がなかなか難しい。対話してみなければ一致するかどうかがわからない。今日は一致するが明日は一致しないかもしれない。
そこで「貨幣」を通すことによって、欲望の二重の一致がより容易になる。ダイヤモンドが欲しいなら100万円なり1000万円なりを払えば入手することができる。
ジンメルにとって交換とは心的な相互作用であり、具体的な「内容」を手に入れるための貨幣はそのためのもっとも純粋な「道具(形式・手段)」だということになる。
それ自体は全く価値がない(紙切れ同然)という点、もっとも内容がなく、もっとも形式的であるという点で大事である。
ゴールドやシルバーなどは内容(価値)をもちやすいので、紙幣のほうがより純粋に交換のために用いることができるのである。
貨幣のポジティブな面として、ジンメルは「自由」や「個性」を生みだしたことをあげている。
たとえば昔は税を「物」で支払うことによって、職業の選択の自由などがなかったという。農家はずっと米などを領主に納めなければいけないのであり、選択肢がない。「貨幣」を納めればいいとなれば、どの職業でもいいということになる。また、物を貨幣で購入することによってその生産者と人格的に関わらなくて済む。
貨幣のネガティブな面として、ジンメルは「空虚」を生みだしたと述べている。
たとえば、自分がかけがえのないと思える質的・個性的な仕事も、最もそうでないと思えるような仕事と同様に時給1000円でありうる(労働の抽象化が生じている。マルクス的にいえば物象化である)。貨幣を集めること自体に価値を感じるケチや貨幣を使うこと自体に価値を感じる浪費家なども出てくる。単なる手段が目的となってしまうような事態である(転回)。
ジンメルは「自由なき平等」よりも「平等なき自由」を高く評価する傾向がある(明示的にではないが)。
ジンメルは「幸福な時代が来て、こういう多様性が美しく調和するに至れば、あの活動における衝突や闘争が残っていても、それは人類にとって単に障碍ではなく、却って、人類に呼びかけて新しい力を開発させ、人類を新たなる創造へ導くことになるのであろう」と希望的に述べている。
【基礎社会学第十一回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (前編)
【基礎社会学第十三回】ゲオルク・ジンメルの『貨幣の哲学』を学ぶ (後編)
【基礎社会学第三九回(12)】【コラム】ジンメルにおける「適切な距離」
契約の前契約的要素
ハーバーマスは「システム的合理化」に、解放的側面と疎外的な側面をみてとっている。これはジンメルの診断と重なるものである。
また、ハーバーマスは理想的な対話の状態として「人々の違い、個性」も重視していたこととも重なってくる。アーレントの他者性の重視とも重なる。そしてルーマンですら、全体主義を危険であると考え、そのための防波堤として社会システムの機能分化の必要性を考えていたほどである(ルーマンの数少ない規範的表明である)。個性が押しつぶされるほどの全体主義的な画一化は避けたいというのが、彼らに共通している価値判断なのだろう。彼らに共通して言えるのは、「(合理的な範囲の)柔軟性、複雑性、リソース(社会的資源)の保持」だといえる。
また、ジンメルは「信頼」に重きをおいているという点で、デュルケム的な意味での「契約の前契約的要素」、あるいはハイデガーの「解釈的循環」とも重なるものがある。
貨幣はそれ自体に価値がないゆえに、価値があるという信頼が大事になってくる。信頼を保証するのは政府であり、政府への信頼と言える(そして理念上、政治や行政は我々の代表、代理であり、政府への信頼は我々の我々に対する信頼でもある)。ジンメルは「信頼」を他者たちに対する心の原初的態度(社会関係を可能にする基礎的態度)であると考えているのではないだろうか。
レヴィナスが「慈悲」を、ジンメルが「信頼」を重視したという点はかなり面白い(面白がっていられるような事態ではないが)。
いずれにせよ我々は他者を、社会を、世界を信頼しなければ生きていけない。フッサールが述べたように、生活世界の根底には不可疑的で超越的な直観で溢れている。スーパーで売っている水が安全かどうか、ワクチンが安全かどうか、パンが安全かどうか、原発が安全かどうか、われわれの多くは専門技術をもって確かめているわけではない。専門家でさえも全ては把握できない。つまり、我々の「暗黙的な了解」によって成り立っているのである。契約以前の諸要素である慈悲や信頼といった土台の崩壊、その存在の確かさを疑い始めることは一種の危機である。
他者や社会を信頼できないとすれば、我々は「疑う」ことになる。他者はいつでも自分を欺く戦略をとっていることを常に前提とするようになり、また、それを前提にさらにシステムは効率化されていく(たとえば騙されても保険でお金が保証されるといったように)。
世界大戦ではドイツに都合の良い降伏条件を出しながら、それをまもらないという「戦略」がその後の大悲劇になんら無関係であるといいきれるだろうか(1918年のウィルソンの十四か条では表面的に対等性や対話性、自律性を並べ立てておきながら、実際に締結された1919年のヴェルサイユ条約ではほとんどその反対の内容であった。ヒトラーの台頭は時代的にはその後である。)。
ハーバーマスが生活世界を重視する理由、ヒューマニスティックで理想的なものを過剰に重視する理由はここにも関係してそうである。
人間は効率を過剰に重視すると、ときには野蛮な選択もとれてしまうのである。こうした話はゲーム理論、いわゆる囚人のジレンマでもおなじみである。双方が合理的な選択をとるゆえに、全体では悲惨な結果になってしまうというものである。しかし慈悲を与えろ、信頼しろ、対話しろといってなんとかなるほど簡単な、制御可能な社会ではなくなってしまっているという現実的な側面もある。どのようにして理想と現実を折り合わせていくのか、平等と自由を折り合わせていくのかがポイントとなる。
・特に参考にしたページ
「社会学」,有斐閣,51-53p
クリスティアン・ボルフ「ニクラス・ルーマン入門」、18-19p
【基礎社会学第三六回(4)】エミール・デュルケムの「非契約的要素」を解説
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)





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