【1ワード社会学第十三回(43)】得られる教訓(複雑性、偶発性、多様性、柔軟性)

ユルゲン・ハーバーマス

動画での説明

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(9) 教訓

[9-1]複雑性、偶発性、多様性、柔軟性

世界は複雑であり、我々はそれを何らかの形で縮減することによって社会秩序を維持・生成・変化させている。

社会学理論とは、簡単に言えば社会の複雑性を縮減するための道具である(同時に複雑性、いわばリソース、柔軟性を増大させることをも目的とするわけだが)。

もちろん小難しいこの道具を使わなくても、我々は日常生活で無意識的に他者の身振りなどの模倣によって縮減方法を学び、縮減しているといえる。しかしいざそれを「説明」しようとすると難しい。そこで、より体系的、論理的、包括的に説明するための科学理論が必要とされるというわけである。

今回学んだハーバーマスの「コミュニケーション行為理論」は、主に社会構造の記述のための道具であるといえる。そしてその目的には強い規範意識が存在する。つまり、「より善い社会のための理論」という意識である。

社会秩序はどのような条件によって可能になるのかという問題を「意思疎通の成立の普遍的条件」と関連づけ、そこから得られる概念をもとにあるべき社会の姿を考えていこうとする姿勢がハーバーマスには存在する。

従来の合理性理解は「道具的合理性」ばかりに注目してしまい、合理性概念の多様性や柔軟性を見逃してしまっていた。

合理性の両義性やほかでもありうるという偶発性、柔軟性を指摘することにより、近代化における弊害を乗り越えようという姿勢がハーバーマスにはあった。また、ほかの学者と議論することにより、「こうでもありうるかもしれない」と積極的に考え方を柔軟に採り入れている姿は輝かしく感じた。それと同時に、人間の能力(コミュニケーション的理性)への「ほかではありえない」という強い信頼と期待を感じた。

システムからものごとを考える、という道具は日常的にも使える。生活世界からものごとを考える、という道具も日常的にも使える。後者の場合はエスノメソドロジーなどで特に理解されようとしているものだといえる。

「なぜこの場には秩序があるのか、あるいはないのか」と日常にふと現れる「ひび割れ」を通して疑問に思うことはあるはずだ。システムから考え、生活世界から考え、あるいは両者の関係から考えるというパースペクティブ(視点)が得られることは能力の柔軟性へと確実に寄与しているのではないだろうか。一つの視点よりも二つの視点で捉えられる方が等価な可能性や選択肢を見つけやすいという意味で柔軟性が高い。

私は「社会がどうあるべきか」を真剣に考える社会学者が好きだ。ハーバーマスの熱い思いと冷静な分析を見ていくことはとても楽しかった。

今まで動画で扱ってきたウェーバー、デュルケム、シュッツ、パーソンズ、ルーマンなどの知見が総動員されている内容がハーバーマスの内容だともいえる。ハーバーマスの社会学が理解できれば、古典的な社会学の内容はほとんど理解できるといっていいかもしれない。

私が最初に学んだ社会学者はマックス・ウェーバーであった。

「倫理的な善悪を原則的に討論可能であり、実践理性の法定に訴えることによってその当否、甲乙の決着をつけることが可能である」という趣旨をウェーバーは主張していた。社会学者の中岡成文さんによると、ハーバーマスは「わたしはウェーバーのような天才ではないですよ」と言っていたそうだ。

ウェーバーはこのようにもいっている。

人びとは倫理的に非難すべき行為に直面したとき、その行為を拒絶しながらも、決してそれを他人事とは思わず、自分もまた被造物として同じ過ちをまぬがれないと考えて、倫理の規範に共に従おうとするのであるが、すくなくとも、その限りにおいて、倫理的規範の『普遍妥当性』は人々のあいだに共同体をつくりだすものといえる。

あるいはこのようにもいっている。「われわれの認識手段が──絶対の観点からすれば──いかに取るに足らない価値しかもたず、いかに弱点だらけのものであるかを弁えるすべを心得、またそのことを日頃つねに自分に言い聞かせている者は、物事というものは必ずわれわれの経験をはみ出すものであり、それを捉えようとする理論はつねに誤謬を犯す可能性があるということを思い知らされたとしても、だからといって認識への努力そのものを放棄しようとは夢にも思わないでしょう。……君がいま初めて自分に提起されたこの課題をどう解くか、それはもっぱら君自身の問題であり、君の良心と君の知性、君の心が責任を負うべき事柄です。」(アルフレートへの手紙から引用)

ハーバーマス的に解釈すれば、「我々自身の問題であり、我々自身の良心と我々自身の知性、我々自身の心が責任を負うべき事柄です」ということになるかもしれない。

社会問題は孤立した個人においてではなく、諸個人のコミュニケーションにおいて解くべき問題なのである。もし良心と知性と心に照らし合えば、強制や偽りが社会問題の解き方として正しくないということに気づくはずである、ということになる。

人間には理性があるはずであり、人を不可避的に配慮してしまう性質があるとする。すくなくともそうした能力の種はもっていて、話し合えばきっと良い方向に向かうはずだというわけだ。

その「理性」が原初的にいつごろ芽を出したのか、もっといえばいつごろ「自我」が芽生えたのか、そうした生物学的な言及も必要かもしれない。生成論的な視点は置いておいて、静態論的にはどうやらそういう能力をもっているという点からスタートするという考え方もある。

偶然であれ必然であれ、どういうわけか我々はそういう理性を発達させてきたのであり、その理性を通して社会秩序をなんらかの形で維持し、あるいは破壊してきた。

ハーバーマスは近代化による社会秩序の歪みを理論的に指摘し、その歪みを「誰もが従うべきと考える規範」によって修正しようとした。具体的には理想的な討議の条件やルールを提示したわけである。

参考文献リスト

今回の主な文献

J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」

J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」

中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」

中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」

汎用文献

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

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大澤真幸「社会学史」

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新睦人「社会学のあゆみ」

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本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる

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アンソニー・ギデンズ「社会学」

社会学 第五版

社会学

社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)

クロニクル社会学

クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

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参考論文

永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]

永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]

永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]

嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)

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