【1ワード社会学第十四回(3-3)】行政の変化と人間の言語多様性が与える出版資本主義への影響

ベネディクト・アンダーソン
  1. 動画での説明
  2. はじめに
    1. 記事の分割
    2. 社会学とはなにか
  3. 行政と言語
    1. 行政中央集権化
      1. ローマによる帝制とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      2. ローマ帝国滅亡後の封建制
      3. 封建制から中央集権制へ
      4. 俗語が行政語として採用される
    2. 人間の言語多様性
      1. ラテン語の衰退や宗教改革がなくてもナショナリズムは生じていた?
      2. 人間の言語的多様性とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      3. なぜ言語が多様なのか
      4. 出版資本主義が進展する条件
    3. 言語の宿命性について
    4. 出版語と国民意識の関連性
  4. 参考文献リスト
    1. 今回の主な文献
      1. ベネディクト・アンダーソン (著), 白石隆 白石さや (翻訳) 「定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行」
      2. ベネディクト アンダーソン (著), 糟谷 啓介 (翻訳)「比較の亡霊: ナショナリズム・東南アジア・世界」
      3. ヴァルター ベンヤミン (著), Walter Benjamin (原名), 浅井 健二郎 (翻訳), 久保 哲司 (翻訳) 「ベンヤミン・コレクション (1)」
      4. J.(ユルゲン) ハーバマス (著), 三島 憲一 (翻訳) 「近代の哲学的ディスクルス I 」
    2. 汎用文献
      1. 佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
      2. 大澤真幸「社会学史」
      3. 新睦人「社会学のあゆみ」
      4. 本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
      5. アンソニー・ギデンズ「社会学」
      6. 社会学
      7. クロニクル社会学
      8. 社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
    3. 参考論文

動画での説明

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はじめに

記事の分割

社会学とはなにか

社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する(多様な捉え方が存在する)。

※「ちょっとした日常会話における秩序」から「政治闘争における秩序」まで、社会はどうなっているか(事実判断)、どうあるべきか(価値判断)を峻別しつつバランスよく分析することが重要である。このシリーズではそうした分析の枠組み(道具)や道具を通した分析例(ケース)を学んでいく。

日常に使えるパターンの発見を探すことも行っていきたい(パターン・ランゲージの作成)。

この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。

できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。

行政と言語

行政中央集権化

ローマによる帝制とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

まずは政治体制の一般的知識から説明していく。

古代では部族社会や都市国家、共和制、さらにローマによる帝制が存在していた。帝制とはようするに、広大な領域を単一の最高権力である皇帝(君主)が統治するという体制である。

2世紀には現在のイタリア、フランス、スペイン、イギリス、トルコ、シリア、エジプトなどにあたるさまざまな地域がローマ帝国によって支配されていた。

ローマ帝国は395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂した。476年に西ローマ帝国はゲルマン人によって滅ぼされた。一方、東ローマ帝国(いわゆるビザンツ帝国)は1453年まで帝制を続けた(オスマン帝国に滅ぼされるまで)。

西ローマ帝国において各地を支配していた皇帝がいなくなり、支配された領地ではゲルマン王国が成立していくことになる。

たとえばフランク王国(のちのフランス)、西ゴート王国(のちのスペイン)、東ゴート王国(のちのイタリア)などである。

各地の支配者は東ローマ帝国に従属したり、フランク王国のカール大帝のようにローマ教皇(レオ3世)に「ローマ皇帝」として任命されていった(西ローマ帝国は滅亡したが、東ローマ帝国ではローマ皇帝が存続していた)。

ローマ帝国滅亡後の封建制

ローマ帝国が滅びた後、西ヨーロッパでは一つの強い中央帝国がすぐ再建されるのではなく、複数の王国が並立した。しかしそれらの王国は近代国家のように中央が全国を直接統治する体制ではなく、地方における権力の分散が基本構造となった。

重要なのは「王が意図的に土地を分配した」というより、中央の統治能力が弱まる中で、各地域の有力者(領主)が軍事力と土地支配を事実上確立し、それを王権が後から承認する形で制度化されていった点である。

この結果、封建制では土地支配と軍事奉仕が結びついた主従関係(封建関係)が形成され、王権は形式的な頂点として残りつつも、実質的な統治は各地の領主に分散する構造となった。

日本でいうならば、幕府が全国を直接統治するのではなく、中世のように守護や地頭、大名といった地域支配者の実力を追認しつつ統制する形に近い。上杉氏や細川氏がそれぞれの地域を実質的に支配する構造は、この分権的構造の具体例として理解できる。

封建制から中央集権制へ

封建制は徐々に崩れ、中央集権制へ移行していく。

移行の理由としては、封建制では外部の敵に対抗しにくくなったことなどが挙げられる。13世紀までは主に騎士中心の小規模な戦争だったが、14世紀には歩兵や長弓が台頭し、15世紀から16世紀にかけて、火薬兵器や常備軍が登場するようになる。各領地の騎士団だけでは対抗できず、大量の資金、継続的な軍事力、組織力が必要とされるようになったのである。

とくに代表的な体制が「絶対王政」の成立である。王が軍事、税、行政を集中的に掌握し、地方の領主の自立性を抑える体制である。

その過程で、王に直属する官僚が各地の統治を担うようになり、統治は世襲的・個人的な主従関係から制度重視・能力重視の行政へと再編されていった。いわゆる官僚制の登場である。日本の行政官が基本的に公務員試験などの「能力」で採用されることを考えるとわかりやすい。

俗語が行政語として採用される

王たちの行政中央集権化の手段のひとつとして「俗語が行政語として採用された」という点が出版資本主義との関連で重要になる。

国家による行政俗語の採用は宗教改革や印刷技術の登場よりも早い(浸透したのはもっと後だが)。

13世紀から14世紀における王権の強化の時代に補助的に俗語が採用され、14世紀から15世紀にかけてさらに俗語の行政文書が増加した。15世紀から16世紀にかけて印刷技術に伴い、行政言語がラテン語から俗語に置き換わっていった。

たとえばフランスでは1539年にヴィレ=コトレ勅令によってフランス語が公用語として法によって定められている。

そもそもなぜ行政俗語を採用する必要があったのか。アンダーソンは「語への過程には、なんらかの根深いイデオロギー的衝動、ましてプロト・ナショナルな衝動など、まったく伏在していなかったことにも注意しておく必要がある」(80p)と説明している。※プロト・ナショナルとは、、近代的なナショナリズムが成立する前段階の、集団への帰属意識や一体感のこと。

ようするに、特定の言語に深く根ざすような理由がないというわけである。

たとえばフランス語やドイツ語がその地域の誇るべき、価値ある言語であるから浸透させようだとか、言語が集団の連帯感をもたらすからといった意図的、計画的な要素はなかったというわけである(結果的にそう機能したとしてもである)。

アンダーソンによれば行政俗語は「実用」を第一とした理由で発展していったという。

ラテン語のままだと多くの地方役人や住民が理解できず、そのために命令伝達や徴税の不安定化が生じてしまう。ラテン語を覚えさせるためのコストもかかる。技術が発達している世界において、こうした不安定化は即座に国防の危機に強く関わる。

こうした理由によって行政語が徐々に各国で浸透していったのであり、特定の言語を支配下の民衆に押しつけようとするイデオロギー(思想)に強く基づいて意図的に計画されたものではないというわけである。

・特に参考にしたページ

ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳) 書籍工房早山、9刷,82p

人間の言語多様性

ラテン語の衰退や宗教改革がなくてもナショナリズムは生じていた?

アンダーソンはこれら「3つの要因(ラテン語の秘儀化、宗教改革、中央集権化)」がなかったとしても、ナショナリズムは生じていたと主張している。

あくまでも「推進」させた潤滑油として考えられ、アンダーソンの言葉でいうと、「ラテン語を王座から追放し、キリスト教世界という聖なる共同体の腐食に貢献したという意義をもつだけ」(82p)なのである。

印刷技術と資本主義は学んできたが、「人間の言語多様性」とは一体何を意味するのか。

・特に参考にしたページ

ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳) 書籍工房早山、9刷,82p

人間の言語的多様性とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT人間の言語的多様性(英:human linguistic diversity):人類が単一の共通言語ではなく、多数の異なる言語に分かれて使用されている状態のこと。

どうやら歴史を観察すると、人間は地域ごとに異なる言語を話してきたし、話しているということがわかる。日本語、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語といったように異なる言語を我々は話している。

日本語の中でも大阪弁と青森弁があるように、フランス語やドイツ語もさらに口語として多様性が存在し、ときにはお互いに全く伝わらない場合もある。

青森弁を流暢に話されるとほとんどの地域の人は何を言っているのかわからない場合を想定するとわかりやすい。琉球の言葉やアイヌの言葉はより相互了解が困難だろう。たとえばフランスであってもオイル語系とオック語系では相互理解が難しい。

さらにアンダーソンは人間の言語的多様性は「宿命的」であるという。資本主義がいくら発達しようとも同じである。

つまり、単なる偶然ではなく、人間は必然的にそのような性質をもってしまう生き物だというニュアンスとなる。なぜなら、歴史を振り返ってみても「人類の言語的統一はこれまでなかった」からだという。なぜ複数の言語空間へ分かれてしまうのかについてアンダーソンは詳しく説明していない。

・特に参考にしたページ

ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳) 書籍工房早山、9刷,83p

なぜ言語が多様なのか

近代以前では「交通手段」がそれほど発達していない。ほとんどの人は歩いて行ける距離において生活するのであり、その範囲内においてコミュニケーションがとれれば社会秩序の維持が可能だったといえる。

また、社会の範囲が狭ければ、外部の社会集団と合わせる必要性は乏しい。その社会独自の言語や語彙が発達、維持しやすかったのだといえる。

さまざまな技術が発達すると、より多くの「外部の社会集団」とコミュニケーションしなければいけない事態が発生する。

自由に、主体的に、単なる好みとして交流するというより、そうしなければ周りに置いていかれるような事態を想定することが重要だろう。AI技術を好むかどうかにかかわらず、採用しなければ周りの会社に置いていかれる状況とも似ている。情報を摂取し、利益を出さなければ国力が衰え、侵略されるリスクが上がっていくのである。

当時の環境を歴史をふまえて、整理していこう。

現代のように人々の識字率は高くなく、多くの人々は読み書きができなかったため、国家が政策として口語を統一することは技術的に困難であったと仮定できる。また、言語を統一しようという動機もまだそこまでなかったと仮定できる。アンダーソンは「相互了解の不可能性は、歴史的に、資本主義と印刷・出版が一言語だけを知る大量の読者公衆を創出してはじめて重要性をもつにいたったのである」(83p)と述べている。

仮に出版技術があったとしても、利潤を稼ぐという動機やそれと適合する他のシステムが整わない場合、出版資本主義として広がっていかない。

ラテン語は教会や学問、法の領域で用いられる上層の共通語であったが、民衆の言語とは大きく乖離しており、社会全体の言語は統一されていなかった。

出版資本主義が進展する条件

さらに出版技術や教育制度も未発達であり、現代のように学校や教科書を通じて標準語を普及させることのできる環境は整っていない。

出版によって同一言語が広域に流通し、それを読み取る識字能力や学ぶ動機があって初めて言語統一は進むが、当時はその条件が欠けていたということになる。

支配層は民衆と異なる言語を用いることで自らの地位を示す傾向もあった。たとえばロシアでは貴族がフランス語を貴族同士の会話で用い、庶民はロシア語(近代以前には標準ロシア語はまだ確立されていないが)のみを用いるといったように、言語は「社会的区別の指標」としても機能していたわけである(ブルデュー的に言えば文化資本として言語が用いられている)。

同じ言語に統一されると「違い」がなくなり、上層のひとたちの権威が落ちるとも考えられていたのかもしれない。

人間は放っておくと、多様な口語で人々とコミュニケーションをとってしまう生き物であり、そうした「宿命」にあるとアンダーソンは考えている。

しかし出版資本主義と交わることによって、多数の俗語(口語)から「一つの俗語」が推進される。たとえば日本語の「標準語」として大阪弁や青森弁ではなく、東京に近い言語が便宜的に選ばれるようにである。日本語の教科書が方言ごとに出版されることは基本的にないことをイメージすればいい。

資本主義的に考えれば言語は統一したほうが有利だという視点もとれる(需要が増えるから)。しかし、言語的統一は現代においてもされていない。アンダーソンの言葉では、「死と言語は、資本主義の征服しえぬ二つの強力な敵」(83p)である。

そして言語的統一がなされないゆえに、「我々の言語」、「同じ言葉を話す我々」という共同体意識が生じやすくなる点がポイントである。いわゆる「俗語ナショナリズム」であり、後の項目で扱う。

言語の宿命性について

アンダーソンは「人間の言語多様性の宿命性」と「特定の言語の原初的な宿命性」の違いに注意を促している。

「人類には多数の言語が存在し続ける」という宿命性は、特定の言語の本質的な要素に依存していない。いわば「言語的多様性という一般性」についての言及である。フルーツが好きだからといってりんごが好きとは限らず、りんご特有の本質にフルーツの本質は依存しない。

「日本人には日本語しかわからない(言語だけを読み書きできたとしても、その土地で生まれ、文化を引き継がなければ文書を本当の意味で理解したことにはならない)」 、「ドイツ民族にはドイツ語が自然に対応している」といったような本質主義的、自然主義的な考え方をアンダーソンは批判している。

ナショナリストはしばしばこうした思想をもちがちであるという。民族と言語の結びつきは自然な関係ではなく、歴史的・社会的に形成されているという視点をもつことが重要である。

「自分たちの国の言語が固有に素晴らしく、それによって多くの人々を言語が結びつけ、国民意識(ナショナリズム)を形成したのだ」という考え方は安直なのである。

たとえば共通言語がないような国でも国民意識は生じていた(スイスなど)。独立前のアメリカでは宗主国と同じ言語を用いられていたが、国民意識が生じている。

・特に参考にしたページ

ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳) 書籍工房早山、9刷,83p

出版語と国民意識の関連性

出版語は3つのやり方で「国民意識(ナショナリズム)の基礎(胚)」を築いたとアンダーソンはいう。

第一に、「コミュニケーションの統一的な場」をつくるというやり方である。多様な口語の中から採用された標準語(出版語)によって人々が交流しやすくなったという。

話し言葉では何を言っているかわからないものも、書き言葉ではなんとか理解する事ができる場合があるという点が重要である。

たとえば日本語話者にとって流暢な英語の会話は難しいが、本は時間をかければ読むことが可能である(辞書などを用いて)。現代ではAIの発展により、同時的に翻訳が可能になりつつあり、ますます言語的多様性は維持可能になっているのかもしれない。

ある特定の俗語を理解すればコミュニケーションできる経験は、同じ言語を理解できる(顔も知らない、匿名の)人が何十万、何百万もいるという「想像力」を生じさせるひとつの契機(きっかけ)であるといえる。

こうした想像力を生じさせる「」を生み出す力が俗語を通した出版物にはあるのである。

第二に、「言語を固定させ、古さのイメージを作り出す」というやり方である。

印刷技術が発達する前にも当然、書籍は存在した。しかしテキストを一つ一つ手で書き写すという形式であった。たとえば「15世紀のフランスのヴィヨン(詩人)には12世紀の先祖の言葉がわからない」とアンダーソンは述べている。現代の多くの日本人が源氏物語を容易に読めないこととも似ている。

第三に、「出版語の出現によって、権力の言語を創造する」というやり方である。

出版語が多様な口語(方言)をベースとするため、いずれかの口語に近いか遠いかという差が生じる。口語が出版語に近ければ近いほど優位なのである。

大阪弁と東京弁の違いよりももっと違いがあり、そもそも何が書いてあるか読めないことすらある。

出版語に遠すぎる口語は社会的地位を失っていくのであるが、しかしそれゆえに、「差異」が強調されることにもなる。

たとえばA語を話す人とB語を話す人をまとめて支配する国があるとする。もしB語が出版語として流通したり、行政語として採用されれば、A語を話す人たちは劣勢になる。しかしそれゆえに、「劣勢である我々」、「B語を話さない我々」という同胞意識が生じうるのである。

・特に参考にしたページ

ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳) 書籍工房早山、9刷,83-85p

参考文献リスト

今回の主な文献

ベネディクト・アンダーソン (著), 白石隆 白石さや (翻訳) 「定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行」

ベネディクト・アンダーソン (著), 白石隆 白石さや (翻訳) 「定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行」

ベネディクト アンダーソン (著), 糟谷 啓介 (翻訳)「比較の亡霊: ナショナリズム・東南アジア・世界」

ベネディクト アンダーソン (著), 糟谷 啓介 (翻訳)「比較の亡霊: ナショナリズム・東南アジア・世界」

ヴァルター ベンヤミン (著), Walter Benjamin (原名), 浅井 健二郎 (翻訳), 久保 哲司 (翻訳) 「ベンヤミン・コレクション (1)」

ヴァルター ベンヤミン (著), Walter Benjamin (原名), 浅井 健二郎 (翻訳), 久保 哲司 (翻訳) 「ベンヤミン・コレクション (1)」

J.(ユルゲン) ハーバマス (著), 三島 憲一 (翻訳) 「近代の哲学的ディスクルス I 」

J.(ユルゲン) ハーバマス (著), 三島 憲一 (翻訳) 「近代の哲学的ディスクルス I 」

汎用文献

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

大澤真幸「社会学史」

大澤真幸「社会学史」

新睦人「社会学のあゆみ」

新睦人「社会学のあゆみ」

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる!

アンソニー・ギデンズ「社会学」

社会学 第五版

社会学

社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)

クロニクル社会学

クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

参考論文

原田一美,「「ナチズムと人種主義」考(1) : 20世紀初頭までの系譜」(2006)[URL]
・人種主義の参考に

牲川波都季「『想像の共同体』 試論: ナショナリズムにおける言語の役割に着目して」(2005)[URL]
・アンダーソンの主張の参考に

粟津賢太「記憶と追悼の宗教社会学: 追憶の共同体をめぐる考察」(2015)[URL]
・ナショナリズム全般の参考に、特にウェーバー

竹内詩織< 査読付研究ノート> 1980 年代のナショリズム研究とローカリティ接続の試み:「創られた伝統」 と 「想像の共同体」 からの系譜(2022)[URL]
・アパデュライの主張の参考に

竹内詩織「<査読付論文>二項対立からの脱却を目指すということ:ノンダモンの視点から戯曲『タージマハルの衛兵』を記述するという試み」(2021)[URL]
・アパデュライの主張の参考に

大森いさみ 「「感覚」をつなぐ媒体としての食物:テレビ番組「今日の料理」をとおした「味」の共有」(2014)[URL]
・アパデュライの主張の参考に

梅森直之「想像の共同体」 以後のナショナリズム研究(2006)[URL]
・「比較の亡霊」の参考に

三尾稔「人類学における比較とナショナリズム: 比較の視線の転回を求めて」(2010)[URL]
・「比較の亡霊」の参考に

蔡悦「中国におけるファンダム・ナショナリズム: 現状と発展要因の考察」(2025)[URL]
・中国におけるナショナリズム論の参考に

山口裕之「歴史の天使が現れる世界ーあるいは, ベンヤミンのメシアニズムにおける二つの時間構造について」(2015)[URL]
・メシア的時間、歴史の天使の理解の参考に

三宅晶子 「ベンヤミンの< 想起> と私たち三宅晶子最終講義 (2020 年 1 月 28 日) II. テクストにおける 「想起」(2020)」[URL]

・ベンヤミンテーゼの理解に

上田廣美「ベンヤミン 「複製技術時代の芸術作品」 を読み直す」[URL]
・ベンヤミンの「複製技術の時代」の参考に

新倉 貴仁「海賊版としてのナショナリズム : ナショナリズムとメディアをめぐる理論的視座の構築」(2008)[URL]

-アンダーソンの構築主義的アプローチについて参考に

新倉 貴仁「ナショナリズム研究における構築主義 ベネディクト・アンダーソンの知と死」(2008)
[URL]

-アンダーソンの構築主義的アプローチについて参考に

遠藤英樹「ツーリズム, 創造性, オーセンティシティ」(2002)[URL]
– ヴィクター・ターナー関連
板東充彦, 飯嶋秀治, 髙橋紀子「社会科学分野におけるコミュニティ研究の概観─ 臨床心理学的コミュニティ・アセスメントへの接続─」[URL]
– ヴィクター・ターナー関連

土佐昌樹 「リミナリティと東アジアの近代性をめぐる理論的ノート」(2024)[URL]
– ヴィクター・ターナー関連
– アガンベンのホモ・サケル

井口由布「B・アンダーソン 「想像の共同体」 再考:「文化」 概念の脱構築:「文化」 概念の脱構築: 報告 2 (< 企画> シンポジウム: 世界システムの変容と地域研究の再定義)」(2004)[URL]
– アンダーソン関連

三宅晶子「「小さな門」 は開くのか?-ヴァルター・ベンヤミン 「歴史の概念について」 最後の言葉」(2002)[URL]
– 「歴史の天使」関連

鳥光美緒子「ベンヤミンは実存哲学者か?(コメント論文, 歴史に非常ブレーキをかけるもの-歴史の天使が眼差す行方-, Forum 1)」[URL]

– ベンヤミン関連、特にハーバーマスのベンヤミン解釈

小野 文生「夜が織りあげたものを昼がほどく : シェリングとベンヤミンをめぐる「交感の非歴史的テーゼ」の序にかえて(コメント論文,歴史に非常ブレーキをかけるもの-歴史の天使が眼差す行方-,Forum 1)[URL]

池田 全之「歴史に非常ブレーキをかけるもの : 歴史の天使が眼差す行方(報告論文,歴史に非常ブレーキをかけるもの-歴史の天使が眼差す行方-,Forum 1)」[URL]

井尻 直志「『密林の語り部』とナショナリズム小説—語りの構造をめぐって—」(2014)[URL]
– ベンヤミンの均質で空虚な時間意識の参考に
– アンダーソンの均質で空虚な時間意識の理解、及び「小説」についての理解。とくにジョナサン・カラーの主張。

浜 日出夫「記憶と場所 近代的時間・空間の変容」(2010)[URL]
– 時間意識の変遷について参考に

長谷正人「複製技術時代における思考の可能性-ベンヤミンの複製芸術論を読み直す」(2019)[URL]

菅谷優「ベンヤミンにおける習慣化の契機について」(2024)[URL]

佐藤貴史「問いとしての余白 拙著 『ドイツ・ユダヤ思想の光芒』 をめぐって」(2017)[URL]
– ユダヤ神秘教について

新田滋「資本主義, 資本主義的生産, 資本主義社会の区別について」(2020)[URL]
– 資本主義について

長島誠一「資本主義発展の段階理論」(2021)[URL]
– 資本主義について

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