【1ワード社会学第十三回(31)】ハーバーマスの「無傷の間主観性」

ユルゲン・ハーバーマス

動画での説明

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はじめに

社会学とはなにか

社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。

なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。

【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか

この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。

できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。

記事の分割

(準備中)

(6)[D]生活世界関連

[6-9]ハーバーマスの「無傷の間主観性」

ハーバーマスの間主観性の捉え方は、おそらくアルフレッド・シュッツの間主観性の捉え方を踏まえていると想定することができる。

間主観性を現象学的に、つまり超越論的還元によって捉えることをしない」という立場をとっているということである。つまり、私と独立した他者が存在することを所与である、自明の前提であると考えて次に進んでいこうとする立場をとるわけである。

もちろん素朴な所与というより、言語行為をするならば前提として肯定されなければならない必然的なものといったニュアンスがある。

他者がいると信じるしかないといった意識中心の考え方というよりも、「現にコミュニケーションが行われている」という状態から逆算して、コミュニケーションを成立させるために必要な前提、構造、要素を取り出そうとしているのである。こうした出発点の捉え方、コミュニケーションから物事を考えるという捉え方が「ハーバーマスの間主観性の哲学」なのであり、「コミュニケーション的転回」と呼ばれるものである。

ハーバーマスは意識哲学的な、独我論的な前提を批判している立場である。

・特に参考にしたページ

中岡成文「ハーバーマス」,講談社,163p

中岡成文「ハーバーマス」,講談社,284p

ハイデガーの贈与とパーソンズの所与、デュルケムの社会

たしかにフッサールはデカルト的な意味での独我論ではない。しかし素朴に他者の客観的存在を前提とする立場でもない。フッサールは「他者が存在すること、他者が自分と同じような意識を持つことをいかにして自分は意識するのか」といった生成論的問題にこだわり続けた。フッサールはこの生成問題を掘り下げて掘り下げて、結局は前提とするしかないもの、それ以上何も言えないものである「原事実(原時間、原意識など)」にたどり着いたのである。

フッサールに影響を受けたドイツの哲学者であるハイデガーの場合はこうした原事実を「エス・ギプト(es gibt)」であると解釈した。つまり、「贈与」である。

ハイデガーの考えでは存在は主観が構成するものではなく、贈与されたものであり、我々はそれに感謝し、思索し、そして詩作しなければならないという。これはのちの「解釈論的還元」と深くつながる考え方である。

結局は「他者が私の意識がなくとも存在すること」は我々の自我や意識の「前提(所与)」であり、「贈与」されていることになる。「身体」を贈与され、「言語」を贈与されているのであり、我々は自分でそれらを創ったわけではない。

パーソンズは「たとえばキャノンのホメオスタシスの分析は、高等な有機体では体温が一定に保たれるという観察結果(事実)から出発するが、もちろんその次のステップは、なぜ恒常的な体温が維持されるのかというメカニズムの解明であり、それは目的論的な問いではない」と述べている。ハーバーマスの所与性と意味合いは違うが、共通する発想であるといえる。

たとえばデュルケムは社会が先で、個人が後だと考えていた。そもそも「私は他者とは違う」という意識を持つことができるためには、社会が先に存在する必要があるのである。

もちろん、その社会は原初的になぜ、どのように最初に生じたのかという生成論的な問題はあるが、しかし現在、そしてこれから生きていく我々には先に社会があるという事実が覆るわけではない。

・特に参考にしたページ

谷徹「これが現象学だ」,218p

【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか

【基礎社会学第三九回(8)】エミール・デュルケムにおける「神と社会はひとつである」を解説

ハーバーマスにおける「間主観性」のイメージ

(かなり簡易的に)図にするとこのようなイメージとなる。

もちろんコミュニケーションは合理的なものもあれば、非合理的なものもあるだろう。それらは人と人とのつながり方の違いに過ぎない。

そこに社会があるといえるなら、必然的に間主観性(コミュニケーション、相互行為的な性質)が存在しているのである。ハーバーマスはこうした相互行為を出発点として置いている。個人や自我、主観といったものは間主観性の中で、人と人との交流の中で派生(寄生)的に生じるというわけである。

もちろん人間には個人的、先天的にそのような能力の「芽」が備わっている、あるいは人類史の長い適応の過程で獲得してきたのかもしれないが、しかしなにも刺激しなければそうした能力を発揮することは難しい。

たとえばあらゆる伝統やあらゆる他者が存在しないような架空の世界において、人間は主観を発達させ、私と他者は異なる存在であり、他者は私と同じような意識をもっていると認識することは可能だろうか。それはもはや我々がイメージするような「人間」といえるだろうか。他の動物とどのようにちがうのだろうか。

先程、間主観性には合理的なものと非合理的なものもあると述べた。

近代に伴い合理化が促進するということは、人と人との関係の性質が合理的になっていくことであるといえる。さらにハーバーマスはこの合理化を幅のあるものと考え、認知・道具的合理化とコミュニケーション的合理化に主に区分する。

道具的合理化は決してそれ自体なくすべき悪ではないが、生活世界におけるコミュニケーションにおいて過度に進むと危険だということをハーバーマスは指摘する(生活世界の植民地化)。

・特に参考にしたページ

中岡成文「ハーバーマス」,講談社,163p

中岡成文「ハーバーマス」,講談社,284p

一方で、生活世界においてコミュニケーション的合理性(理性)が発揮されることは望ましいとされている。つまり、生活世界、我々が日常的に生きている世界において「理想的な間主観性のあり方」というものをハーバーマスは想定しているのである。これを「無傷の間主観性」という。

POINT

無傷の間主観性(独:unverstellte Intersubjektivität)・外部からの歪みや権力的介入がないといった理想的な条件下で形成される諸個人の相互作用の性質のこと。

平等性、自由性、透明性、非自己中心性などさまざまな理想をハーバーマスは想定している。もっとも「具体的な内容」にはできるだけ踏み込まず、あくまでも「形式」が重視されている。

ただし、ハーバーマスは個性をなくして人びとが融合してしまうような自体を望ましい事態だとは思っていない。むしろ、差異性、個性を重要なものだと考えている。

デュルケムが個人主義を評価していたことを私は思い出す。社会秩序に反しない範囲でという条件がデュルケムにおいては重要だった。ハーバーマスもおそらくこれをふまえ、社会的合理性を歪ませない範囲で、ということになるのだろう。権力や偽り、非合理的な根拠などによって他者からの納得や批判へと開かれない状態で自分の個性を実現しようとする立場は到底受け入れられないということだ。とはいえ、差異性と普遍的なルールに基づく同意の両立は現実問題としては困難が伴うだろう。

・特に参考にしたページ

中岡成文「ハーバーマス」,講談社,284p

参考文献リスト

今回の主な文献

J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」

J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」

中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」

中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」

汎用文献

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

大澤真幸「社会学史」

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新睦人「社会学のあゆみ」

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本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる!

アンソニー・ギデンズ「社会学」

社会学 第五版

社会学

社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)

クロニクル社会学

クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

参考論文

永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]

永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]

永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]

嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)

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