動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(8) [F]治療法関連
[8-2]【病原】ベイトソンの「ダブルバインド」
ハーバーマスの「体系的に歪められたコミュニケーション」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
体系的に歪められたコミュニケーション:表面上は了解が成立しているように見えるが、実際には隠された力関係や操作によって自由で対等なコミュニケーションが歪められている状態のこと。ハーバーマスの概念。
言語行為論の項目で、コミュニケーション的行為と戦略的行為の区別は諸個人の内心に依存することを我々は見てきた。
たとえば「自由に意見を出してください」と上司が部下に言った場合、上司はいったいどんな意図を実際にもっているのだろうか。「本当に出してきたら冷遇するぞ、黙って言われたことに従え。あくまでも周りに善い上司だと思われることをこっちは目的としているだけだ。言葉通りに解釈するんじゃないぞ。」と思っているかもしれない。あるいは言葉通りに、本当に自由に意見を求めているだけかもしれない。我々は日常において、言語外の慣習、態度、発話者の性格などによってそれを察しようと努めるのである。
部下は上司に、「それはほんとうはどういう意味ですか」と問うことは難しい。上司は「文字どおりだよ」と弁明できるからであり、またそのように質問することは失礼にあたることがある。
もし部下が文字どおりに解釈し、自由な意見を出して上司のアイデアを批判したとする。その結果、上司は嫌な顔をして、部下を冷遇しはじめるかもしれない。部下は「言っていることとやっていることが違う」と思うだろう。しかもそれを部下は権力関係のせいで簡単に指摘(批判)できないのである。コミュニケーションが歪んでいると、人間の精神も歪む可能性があるとハーバーマスは考える。
たとえば隠れた意図で他者を操作しようとしたり、情報を他者に与えずに操作しようとしたり、権力で他者を操作しようとしたりする人がいる。専門的な権威や難解な用語で他者を操作しようとしたり、選択肢を制限したりする人もいる。
戦略的行為は批判可能性がないことに特徴があり、コミュニケーション的行為は批判可能性があることに特徴があったことを思い出すとわかりやすい。コミュニケーションの歪みは戦略的行為において生じやすいというわけだ。
コミュニケーションが歪んでいるかどうか、聞き手は言葉だけではわからない。行為や態度との違いなどで感じ取ることができるだけである。
また、話し手すら「自分が歪めている」という意識がないかもしれない。受け手も歪められていると顕在的に意識できるかどうかわからない。自分も戦略的行為をする側であり、「そういうものだから」と自然に操作し合うのかもしれない(たとえば上司に対して思ってもいないことを言うなど。上司もまたモラハラなどと言われるから指摘しにくい。)。「そうすることが効率の良いものだから」と戦略的行為を学習するようになると、もはや明確に意識されなくなってくることがありうる。画家が顔の描き方を逐一意識しないのとも似ている。
巷では人をコントロールするためのハウツー本がベストセラーになることもある。本心でどう思ってるかどうかではなく、他者にどう思われるかが中心となっていく。他者をコントロールできる言葉選びや態度のあり方が学習されていくのである。
本心から、対等に意思疎通をする機会は公共の場においてはめったにないのかもしれない。私的な場においてすら難しくなっているかもしれない。内は内、他所は他所と完全に分離した志向を人間は維持できず、他所における態度は内における態度に越境してくるのではないだろうか。
・特に参考にしたページ
「クロニクル社会学」,有斐閣アルマ,第一六刷,143p
「クロニクル社会学」,有斐閣アルマ,第一六刷,148p
グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
ここで私が思い出すのは、人類学者であるグレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」である。
※ちなみにルーマンはベイトソンの影響を受けているという点が個人的なポイントではある。ハーバーマスが参照しているかどうかは分からないが、ルーマンの主張を十分に検討しているハーバーマスならば、ベイトソンの主張を理解していてもおかしくはない。
ダブルバインド:同じ関係の中で、互いに矛盾する命令やメッセージを同時に受け取り、しかもその矛盾を指摘したり関係から逃れたりすることが禁止されている状況のこと。
たとえば親と子がいるとする。親が子どもを罰して、「これを罰と考えてはならない」、「私を処罰する人間とは思ってはいけない」、「この罰におとなしく屈してはならない」というメッセージを言葉や身振りで伝えるケースなどである。
要件は以下の4つに主にまとめることができる(詳細は別の機会で扱う)。
第一に、1人以上の人間が存在すること。第二に、くり返されること。第三に、禁止命令が存在すること。第四に、より抽象的なレベルで第一の命令と衝突するような第二の命令が存在することである。
たとえば親の命令に従ってもだめであり、従わなくてもだめという状況で子どもはおかしくなってしまう(もちろん、遺伝的な影響がまったくないとベイトソンが述べているわけではなく、全てを遺伝のせいにではできないと述べているのである)。この病気は「分裂精神病(現在でいう統合失調症)」と呼ばれている。
親は口では「これは罰ではない」と言いながら、態度では無視したり、暴力をふるったりするのである。あるいは「愛しているよ」と言いながら、身体に触れられるのを避けるような身振りをするのである。
そうして子どもは論理階型を区別しなくなるように「学習」してしまうのである。「言っていることとやっていることが違う」といった論理階型の区別ができなくなり、比喩や冗談を理解できなくなる。
親からすれば、子どもは「おかしくなってしまった。なんらかの病気が(自分とは関係なく)生じた」ということになる。R.D.レインやフーコーの「狂気」とも重なる話である。会社なら退職すればいいかもしれないが、しかし現実的に退職する行為は勇気がいる。
子どもは「いったいそれはどういう意図なのか。あなたは言ってることとやっていることが違う」と言えない。もしそれを言ってしまえば親を非難することになってしまうからである。非難したところで「そんなつもりはなかった、あなたを愛しているのよ」とかわされてしまうかもしれない(しかし態度は変わらないままである)。
矛盾を指摘したり非難することもできず、その場から逃げ出すこともできない。命令に従っても態度で「それは違う」と言われ、従わなくても親から「言うことを聞けない子だ」と非難されてしまう。もうどうすることもできないような状況に陥るのである。権力(親子関係)によって歪んだコミュニケーションの例だといえる。
ベイトソンいわく、「分裂病の人間」などというものはどこにも存在しないそうだ。あるのは「分裂病的システム」だという。「怒りっぽい性格」なども同様に存在せず、人と人との間、関係の中で創発的に帯びる性質であるということになる。人格や意識といった要素の実在論的な歪みではなく、要素同士の関係性の歪みなのである。
システムが歪んでいるから、人間も歪むというわけである。近代化に伴い核家族が増え、矛盾の状態を指摘してくれたり、子どもを守ってくれる人間が減っていることも関連しているのだろう。信頼が生活世界のベースになければ近所付き合いも減っていくのであり、気軽に話しかけると不審者扱いされる可能性すらある(隠れた意図が怖い)。
ベイトソンは以下のように目的的な合理性について語っている。
「芸術、宗教、夢その他の現象の助けを借りない、単に目的的な合理性は、いずれはかならず病に至り、生を破壊してしまう。(……)生というものは、人間の意のままにならぬさまざまな回路が複雑に絡みあって成り立っている。だが人間の目的心は、それらの回路のなかのごく短い弧の部分しかたどることができない。意識に見えるのは回路の一部でしかないのだ。目的合理性が破壊的なのはそのためである。このように、我々が生きている世界とは、循環するさまざまな回路からなる世界なのだ。そしてそこで愛が生き続けるためには、叡智(すなわち、循環という事実を認識すること)の声を響かせなくてはならないのだ。」
グレゴリー・ベイトソン『原初的芸術のスタイル・グレイス・インフォメーション』(1967)
たとえばDDT(強力な殺虫作用をもつ有機塩素系化合物)の使用は目的合理的行為(道具的行為)の典型例である。人間は自然を思い通りに制御、支配、操作しようと試みたのである。
しかし自然はさまざまなシステムが複雑に関わっており、人間はそのすべてを計算することは困難である。毒にやられた虫を食べた鳥が死ぬだけでは済まない。問題はより広範囲に波及するのである。そして殺虫剤によって食糧が増え、人口が爆発的に増大した結果、世界はどうなるのか。そこまで予測することは本当に可能なのだろうか。
まず大前提として、「認識枠組み(エピステモロジー)」の誤りそれ自体はそこまで問題ではないという。
たとえば、「目的意識」という認識枠組みは誤りであるかもしれない。しかし過去百万年間も続いてきたとされ、産業革命以前までは大きな帰結をもたらす可能性はそれほど高くなかったという。
誤った認識枠組みがなぜ現代において「危機」なのかというと、産業革命以降、「高いテクノロジー」との組み合わせが生じてきたからである。
もしテクノロジーがそれほど発展していなければ、戦争で特定の国家が壊滅的に滅んだりすることはあるかもしれないが、核戦争で全生物が死滅するほどの危機や生態系が壊滅する可能性は非常に低いだろう。しかしテクノロジーが発展していればそうした危機が現実味を帯びてきている。「人々の性格がずる賢くなっている、利益重視になっているから治しましょう」という単なる道徳的、倫理的な話、学校でするような「平和的で対等な仲良しグループになりましょう」という話でもない。「これからこの世界が維持できるかどうか」という深刻な話なのである。
「自分たち自身の捉え方も、他人の捉え方も、とにかく思考の全体を組み立て直さなくてはならない。これは面白がっていられることではない。」、「自分たちと自然界との関係をこんなふうに捉えているものが、高度なテクノロジーを手にしたとしたら、それが生き続けていく可能性は地獄の雪玉ほどのものでしょう。」とベイトソンは強く主張している。
ベイトソンは危機の根を「3つの原因」にまとめている。
- テクノロジーの進展
- 人口増加
- 西洋文化の思考のあり方と世界に対する姿勢(アティチュード)の誤り
図にするとこのようになる。
それぞれの原因は相互作用関係にあり、それぞれは独自に自己促進的な増加を生じさせ、さらにそれぞれの原因の増加を強化するような仕組みになっている。いわゆる負の連鎖である。
- 人口の増加はテクノロジーを増加させ、人々の不遜を増加させる
- テクノロジーの増加は人口を増加させ、人々の不遜を増加させる。
- 人々の不遜(悪い認識枠組み)の増加はテクノロジーを増加させ、人口を増加させる。
それでは、こうした諸問題、「病原」を治療するためにはいかなる手段が可能なのだろうか。
人口の増大やテクノロジーの増大を直接的に減少させることは難しいという。人口を適切な量に維持したり、テクノロジーの方向を改善させるためには、「不遜な認識論」、つまり「悪い認識論」を「正しい認識論」に改善していく必要があるということになる。
しかし、認識論を変えるというのはわれわれが想像する以上に難しいという。「怒りっぽい性格」を変えるというような一部の、表面的なものの変革だけではなく、もっと「根底的な変化」である。ベイトソンの用語でいえば学習2や学習3に相当するものである。クーンでいえばパラダイムシフトにあたるものであり、デュルケムでいえば集合的沸騰が極大にまで達するときに変化するイメージだろう。
認識論の変化は、「戦略的行為中心の見方から、コミュニケーション的行為中心の見方へ」とハーバーマス的にいえば理解できるのかもしれない。
また、単に「意識を変えれば世界はなんとかなる」と考えるだけではなく、「現実的にどうするのか」という問題が存在する。たとえばハーバーマスの場合は後で扱うように、「(理想的な討議のための)法の整備」などを提案している。
「対話でなんとかなる」、「認識論の変化でなんとかなる」というだけではなく、理想と現実を織り合わせる必要がある。そのためには理想と現実の両方に精通する必要がある。
ウェーバーでいえば冷たさと温かさを同時に備え持つような不可能とも思えることを成し遂げなければならない。社会学者はいわば「天使」にならなければならないのかもしれない。あるいはマキャベリの君主論とも共通するものかもしれない(愛や誠実性だけを君主が備えていても、統治は上手くいかない。)。
【基礎社会学第三九回(14)】【コラム】「来たるべき社会とその聖」をベイトソンから考える
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)





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