創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(6)ライフタスクとはなにか

    Contents

    はじめに

    動画での説明

    ・この記事の「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください

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    アルフレッド・アドラーとは、プロフィール

    ・アルフレッド・アドラー(1870-1937)はオーストリアの心理学者、精神科医

    ・主な著作は『器官劣等性の研究』。

    ・フロイト、ユングと並ぶ心理学における三大巨頭として挙げる人もいる。

    ・フロイトと袂を分かち、独自の「アドラー心理学(個人心理学)」という理論体系を発展させた。日本ではあまり知られていなかったが、岸見一郎さんと古賀史健さんによる「嫌われる勇気」(2013)がベストセラーとなり、多くの人に知られるようになった。

    前回の記事

    【創造発見学第二回】創造性とはなにか

    動画の分割について

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(1)心理学の基礎知識

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(2)アドラー心理学の理論

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(3)劣等感とはなにか

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(4)劣等コンプレックスとはなにか

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(5)ライフスタイルとはなにか

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(6)ライフタスクとはなにか

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(7)アドラー心理学の哲学(共同体感覚)とはなにか

    創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(8)アドラー心理学の技法(勇気づけ)とはなにか

    記事が長すぎて重いので8つに分割することにしました。動画では1つにまとめています。長い動画は分割するべきなのか迷い中ですが、どちらかだけでも一体的に一つの場所で確認できる手段が欲しいので今後もそのままかもしれません。

    「ライフタスク」

    「ライフタスク」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    ライフタスク人間が人生(ライフ)においてたまたま遭遇するのではなく、避けて通ることのできない、直面せざるをえない課題(タスク)のこと。

    アドラーは仕事の課題交友の課題愛の課題の3つが私たちに突きつけられる主要な課題であるとした。それぞれの問いは「人類の発展、人間社会、異性に対する関係」から生じ、それらは全て「人類の避けられない問いに対してどう行動するか」という1つの問いでつながっているという。

    ・アドラーはライフタスクをどう解くかで「人間の価値」が決まると考えている。ライフタスクから逃げていることは人間の価値につながらないと考えていることになるのだろう。

    結局は「共同体感覚や共通感覚」をもっているかどうかが「人間の価値」につながる。いくらお金をもっていても、友人がいても、頭が良くても、顔が良くても、それは「価値」につながるとは限らない。そんなもので人間の価値は決まらない

    ・アドラーはライフタスクを解くことが人類の運命であり、幸福に欠かせない要素だと考えている。仕事の課題より交友の課題、交友の課題より愛の課題が難しいという。それぞれみていこう。

    キーワード:ライフタスク

    「人間は人生の中でさまざまな課題に直面します。この課題をアドラーは『ライフタスク』と呼び、次の3つに分類しました。」
    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,14P

    「アドラーは人生に避けて通ることのできない課題がある、といいます。仕事の課題、交友の課題、愛の課題です。人生の課題に向かうには努力も忍耐もいります。ところが、それらの課題を解決する能力がない、と考えて、人生の課題から逃れようとするところがあります。」
    岸見一郎「アドラー心理学入門」,134p
    「哲人『いえ、これ(引用者注:ライフタスク)はもっぱら対人関係を軸とした話だと思ってください。対人関係の距離と深さ、ですね。そこを強調するためにも、アドラーは「3つの絆」という表現を使うこともありました。ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。この「直面せざるをえない」という意味において、まさしく「タスク」なのです。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,111p

    「多くの心理学者が指示する確実な基盤から離れたとき、私たちの手元にあるのは、人間を測る唯一の尺度、つまり『人類の避けられない問いに対してどう行動するか』である。わたしたちに突きつけられている問いは3つあります。社会、仕事、愛にどう向き合うかです。この3つは、1つの問いでつながつています。たまたま遭遇するのではなく、人間には避けられない課題です。それぞれは、人間社会、人類の発展、異性に対する関係から生じています。こうした課題を解くことが人類の運命であり、幸福に欠かせない要素なのです。人間は全体の一部です。そのため、人間の価値も、それぞれが3つの課題をどう解くかで決まります。答えを出すべき数学の問題のように考えればいいのです。」
    アルフレッド・アドラー「生きる意味――人生にとっていちばん大切なこと――」,長谷川早苗訳,6-7p

    「仕事のタスク」

    仕事のタスクとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    仕事のタスクすべての個人が役割としてもっている「生産活動」をきちんと行うこと。

    たとえばサラリーマンや医者、農家といった「職業」における生産活動だけではなく、学生なら勉強(学問)が、主婦(主夫)にとっては家事や育児が仕事のタスクとなるという。アドラーは職業に貴賤はないと述べていたことから、「生産活動」にも貴賤はないということになる。どんな生産活動をするかという「結果」よりも「健全な態度」を重視する傾向がある。おそらくは健全な態度から健全な結果も生まれるという予測も含意しているのだろう。不健全な態度ではそもそも生産活動すら回避しがちだからである。

    もっと広義的に表現すれば「私たちが社会で生活するうえで生じる義務や責任」が仕事のタスクだという。

    たとえば環境保護や動物の保護、ボランティア活動なども仕事のタスクに含まれるという説明する人もた。

    仕事のタスクの本質は条件つきの「信用関係」である。環境保護活動に貢献することは自分の幸せのため、動物の保護も自分の幸せのためというギブアンドテイク関係が重要になるのだろう。たとえば企業の環境保護活動も、ただ慈善でやっているのではなく、節税や企業のイメージアップという目的があるといえる(なんらメリットがなければ株主が許さないだろう)。

    キーワード:仕事のタスク

    「社会の中で与えられた仕事のことです。」
    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,14P
    「すべての生産活動を仕事のタスクと呼ぶ。職業だけにとどまらず、私たちそれぞれが役割としてもっている生産的な活動すべてを指す。私たちが社会で生活するうえで生じる義務や責任も、仕事のタスクにあたる。環境の浄化や動植物の愛護など、人間以外の自然や環境との付き合いも仕事のタスクに含まれる。遊びも、仕事のタスクに分類できる。仕事のタスクをこなせない場合、他のタスクをこなすのも難しい。」
    岩井俊憲「アドラー心理学入門」,76-77p

    「対人関係で傷つきたくない」引きこもりやニート

    この段階でつまずいてしまったのが「ニート」や「引きこもり」と呼ばれる人達らしい。就職活動の失敗や上司からの叱責などで「自分は価値がない」と思わせられることを恐れているかもしれない。根底には「対人関係で傷つきたくない」という目的がある。

    就職活動さえうまくできていれば自分はなんでもうまくいったのにと「可能性の中で生きる」という優越性なども目的にしているのかもしれない。

    もちろん「ニート」や「引きこもり」の場合でも他人のせい、社会のせい、トラウマのせいにして逃げるのではなく、課題にきちんと向き合っている場合、努力している場合はその足取りが重いにせよ、まずいていないのだろう。

    他の課題も同様であるが、「課題から言い訳をして逃げたり、避けたりしていること」が「つまずいている」状態だと言える。いわば転んだまま立ち上がらずに止まっている状態である。一時的に無職であるからと言って必ずしも逃げているとは限らない。

    キーワード:ニート、引きこもり
    「哲人『そして、この段階の対人関係でつまづいてしまったのが、ニートや引きこもりと呼ばれる人たちです。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,112p

    その場かぎりの関係性

    たとえば仕事先の人間は、取引が破綻すると困るから裏切らないだろう、というような条件つきの「信用関係」で結ばれている。

    また、仕事の時間だけの関係であり、仕事をやめたりすると関係が途切れる。いわゆる「その場限りの関係」である。次に扱う交友の関係とは区別される。たとえば仕事場で上司と談笑をした、仕事外で飲み会をしたからといって、上司と交友の関係を結んでいるとは必ずしも言えない。アドラーの言う交友(信頼関係)はわれわれが思う以上にハードルが高い。我々が友人だと思ってる人すら、交友関係が結べていないことはありうる。

    キーワード:その場限りの関係性
    「青年『ああ、そうなんですよ!学校や職場のような「場」があれば、まだ関係も築けるんです。もっとも、その場かぎりの、表面的な関係ではありますが。ところが、そこから個人的な関係にまで踏み出すこと、あるいは学校や職場とは別の場所で友人を見つけること。これはきわめてむずかしい。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,114p

    「交友のタスク」

    交友のタスクとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    交友のタスク周囲の人との対人関係を良好にすること。たとえば友人などがその顕著な例である。

    ・仕事の課題よりは難しいという。この段階でつまずいてしまったのは「ぼっち」などと呼ばれる孤立した人達かもしれない。

    交友の場合は無条件の関係」で結ばれているということになる。無条件に相手を信頼することは信用することよりも難しく、勇気のいることである。友人にお金を担保なしで借す場合を考えてみればその難しさがわかる。

    ・職場の上司や同僚と「友達」になれといっているわけではない。しかし彼らと「友達」になるなといっているわけでもないだろう。同僚が大切な親友であり、かつ仕事仲間であるということはありうるのではないだろうか。この場合は信用しつつ信頼するという表現は一種の形容矛盾であるから、信頼に1本化されるのだろう。

    「仕事場で同僚や上司を無条件に信じることは適切なのか」と問われれば私も困る。しかしアドラーの言う「無条件」とは「何でもかんでも鵜呑みにする」というイエスマン的なものではなく、いかなる場合も関係を切ってはいけないというような聖人的なものでもない。無条件の信頼はあくまでも対人関係を良くする、対等で横の関係でいられるための「手段」であると考える。

    キーワード:交友のタスク

    「周囲の人との対人関係を良好にすることです。」
    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,14p
    「交友のタスクとは、他人とどう付き合うかという課題を指す。職場の上司や同僚や部下、友人や隣近所の人々などとの付き合い方の問題。交友のタスクでは、まわりへの思いやりが仕事のタスクよりも必要とされている。交友のタスクがうまくいっているということは、他人と人間同士としてお互いに尊敬しあい、協力して生きている状態のことをいう。」
    岩井俊憲「アドラー心理学入門」,78p

    交友には「この人と交友しなければならない理由がひとつもない」

    岸見さんによれば交友には「この人と交友しなければならない理由がひとつもない」という。とはいえ、入口として仕事づきあいという理由があったとしても、その経過のうちに理由が溶けて消えることはあるだろう。

    これは言い方の問題であるといえる。なぜならば目的のない行動はないのであり、理由のない行動もないからである。したがって、「しなければならない」という強制的な面に注目する必要がある。たとえば仕事場では、ほとんど強制的に信用関係を結ばざるをえない。嫌な上司や同僚、取引先とも関係せざるをえない。

    しかし個人的な友人関係ではそのような強制はない場合が多い。「この人が好きだ」という内発的な、非強制的で自発的な動機、理由によって結ばれる関係だという。これは相手からしてもそうであり、だからこそ勇気がいるもの、仕事の対人関係よりも築くことが難しいものとなる。

    キーワード:「この人と交友しなければならない理由がひとつもない」
    「哲人『一方、交友には「この人と交友しなければならない理由」が、ひとつもありません。利害もなければ、外的要因によって強制される関係でもない。あくまでも「この人が好きだ」という内発的な動機によって結ばれてく関係です。先ほどあなたのいった言葉を借りるなら、その人の持つ「条件」ではなく、「その人自身」を信じている。交友は、明らかに「信頼」の関係です。』」
    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,184p

    「われわれは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」

    アドラーは「われわれは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」と述べているという。これは共同体感覚の定義であり、共同体感覚を「交友」を通して学んでいくことが述べられている。

    そして重要なのは、交友のタスクを回避するような人間は共同体に居場所を見いだすことができないという。つまり、幸せを感じることができないということになる。また、さらに重要なのは人間が最初に交友を学ぶ場所が「学校」だという。それゆえにアドラーは教育を重視しているのである。

    キーワード: 「われわは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」

    「哲人『「交友」についてアドラーは、こんなふうに語っています。「われわは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶ」のだと。』」
    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,178p

    キーワード:学校、教育

    「哲人『子どもたちが最初に「交友」を学び、共同体感覚を掘り起こしていく場所。それは、学校なのです。』」
    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,179p

    ライフスタイルを人によって使い分けることは可能か?

    岸見さんは「人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分けられるほど器用な存在ではありません」と説明し、「もしもあなたが誰かひとりでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を『縦』でとらえているのです」という。

    この考えを引き伸ばすと、誰か一人でも信用関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちにあらゆる対人関係を「信用関係」でとらえているということになりかねない。信用関係が縦の関係を伴わない場合は別かもしれない。意識の上では横の関係で、信用関係を結ぶということは可能か。銀行員が自転車操業の中小企業に対して、意識の上では見下したりせずに、対等な人間同士と考えつつ、しかし担保を求めるということはあるだろうか。おそらくあるだろう。いや、可能だろう。可能だろうか。電気屋があきらかにコスパの悪い在庫のパソコンを「おすすめ」といって売りつける場合はどうだろうか。古くからあるテーマであり、カントの定言命法ともつながる。

    1. 仕事のタスクをこなすことは信用関係を築くことである。
    2. 交友のタスクをこなすことは信頼関係を築くことである。
    3. 信用関係を築くことは信頼関係を築くことと矛盾する。それゆえに、信用関係を信頼関係へと変えていく必要があるのか。

    キーード:ライフスタイルを使い分けることはできない
    「哲人『とはいえ、あなたは親や上司、また後輩やその他の人びとに対して、縦の関係を築いているはずです。』…哲人『ここは非常に重要なポイントです。縦の関係を築くか、それとも横の関係を築くか。これはライフスタイルの問題であり、人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分けられるほど器用な存在ではありません。要は「この人と対等に」「こっちの人とは上下関係で」とならないのです。』…哲人『もしもあなたが誰かひとりでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです』」
    岩井俊憲「アドラー心理学入門」,214p

    競争原理から協力原理へ、出発点から通過点へ

    信用関係は「出発点」として考え、いつか乗り越えられる踏み場と考えていくとする。一生、並行関係として使い分けるようなものではないと考えていく。岸見さんは「意識の上で対等であること、主張すべきことは堂々と主張すること」を強調している。

    もし仮に、取引先と職責として担保付で契約しなければならないとしても、意識の上ではこの取引先の人とは対等なんだ、信頼しようという状態になることが重要なのだろう。いわゆる「仲間」であるという意識、「競争原理」ではなく「協力原理」の上で相手と接するのである。なんでもかんでも無担保で貸し付けることが協力とはならないだろう。相手が自分で担保を用意するというのは「相手の課題」であると考えていく。もちろん担保についてアドバイスなども勇気づけになりうる場合がある。相手を蹴落とそうとして過剰な担保を要求したり、同僚より業績を出すために過剰な担保を要求する場合は不適切だということになる。仮面をかぶって「仕事」だからを言い訳にするのではなく、「仲間」だから適切な担保を要求するのだろう。共に生産する仲間として見ていくのである。

    たとえば店員のミスに大声を出して激怒したり、近所の人にちょっとしたことで罵倒したり、職場の上司に失礼な口をきいてしまったりするケースはどうだろうか。怒らないほうが良いサービスをしてもらえるというような見返り意識や、怒って良いサービスをしてもらうというような敵意識は好ましくないだろう。

    キーワード:競争原理、協力原理、ほんとうの民主主義

    「哲人『競争原理ではない、「協力原理」に基づいて運営される共同体です。…他者と競争するのではなく、他者との協力を第一に考える。もしあなたの学級が協力原理によって運営されるようになったら、生徒たちは「人びとはわたしの仲間である」というライフスタイルを身につけてくれるでしょう』」
    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,139p

    追記(2024/04/29):アドラー心理学は「民主主義の心理学」

    POINT

    民主主義の心理学・競争原理ではなく、協力原理によって成り立っているような政治体制のこと。言い換えれば、縦の関係ではなく横の関係による政治である。岸見さんはアドラー心理学は「横の関係に基づく民主主義の心理学」だと述べている。

    メモ:どのような政治体制が望ましいのか、という政治の分野の素材となるので記憶しておく

    キーワード:本当の民主主義

    「哲人『そんな事態を招かないためにも組織は、賞罰も競争もない、ほんとうの民主主義が貫かれていなければならないのです。賞罰によって人を操作しようとする教育は、民主主義からもっともかけ離れた態度だと考えてください。』」
    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,139p

    「哲人『一方、アドラー心理学の提唱する「横の関係」を貫くのは、協力原理です。誰とも競争することなく、勝ちも負けも存在しない。他者とのあいだに知識や経験、また能力の違いがあってもかまわない。学業の成績、仕事の成果に関係なく、すべての人は対等であり、他者と協力することにこそ共同体をつくる意味がある。…アドラー心理学は、横の関係に基づく「民主主義の心理学」なのです。』」

    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,141p

    交友の関係とは、単なる友人関係にとどまるもの

    このケースは仕事のタスクか交友のタスクか迷うところはある。しかしいずれにせよ、順序の問題で考えられる。信用から信頼へ、信頼から愛へと成長させていく必要があるからである。そうした意味では交友ですらもある意味では踏み場であり、愛への経過点である。比喩として適切かどうかはわからないが、銀行員が企業にお金を貸す際も、まるで「家族」のように愛をもって貸すのである。一緒にこの国を、この世界を豊かにしていこうという仲間意識で、協力意識で行う。家族だからといってなんでもかんでもお金を貸すのが「甘やかし」で不適切なように、企業にもできるだけ自立を促すように接する。

    岸見さんの説明では「交友の関係とは、単なる友人関係にとどまるものではありません」と断言している。つまり、友人以外にも、同僚や近所の人、店員に対して交友の関係を、信頼の関係を築くことは重要だということになる。

    キーワード:友人関係

    「哲人『ここは多くの人が誤解するところですが、「交友」の関係とは、単なる友人関係にとどまるものではありません。友人とは呼べない仲であっても、「交友」の関係を結ぶことはよくあります。』」
    岸見一郎、古賀史健、「幸せになる勇気」,179p

    まずは目の前の人と横の関係を、信頼関係を築くということが重要

    岸見さんはマザーテレサが「世界平和のために、われわれはなにをすべきですか」と問われたときに「家に帰って、家族を大切にしてあげてください」という回答を引用している。まずは目の前の人と横の関係を、信頼関係を築くということが重要だという話である。自分のできることからコツコツとしていく。それがやがて平和に繋がるという話である。もちろん、他人を信頼するためにはまず自己受容が必要になる。この自己受容のために出発点として仕事のタスクは重要になると考える。

    ・するべきこと、役割というものが共同体ごとに漠然とあり、それらを守ることがまずは重要になる。家族では年長者に従うこと、学校では先生に従うこと、仕事場では上司に従うことが漠然と共通感覚(コモンセンス)となっている。

    もちろん、必ず従うべきというわけではなく、より大きな共同体の視点(共同体感覚)から見た場合に従うべきではないケースもある。従わないとしても課題につまずいていることにはならないだろう。しかしその判断がなかなか難しい。共同体感覚が育っていないとそもそも判断できないだろう。

    ・「友人が多ければ多いほど課題を解決しているわけではない」ことに注意する必要がある。とはいえ、この「友人」というのがどういう意味かにもよるだろう。「交友のタスク」における交友で満ちている人は、多くてもいいのではないかと考える。そもそも人類全員と仲間意識、交友意識をもてればそれにこしたことはないからである。一般的なイメージでは「親友」に近い。一般的には信頼はしていないが会ったら話す程度でも「友人」と呼ぶ場合もあるだろう。

    「関係の距離と深さ」が重要だという。たとえばほとんど話さず、特に信頼もあまりない「友人」が100万人いても、数人の互いに信頼、尊敬できる「親友」がいたほうが課題をこなしているといえるのかもしれない。

    「愛のタスク」

    「愛のタスク」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    愛のタスク主に異性関係と家族関係の2つの対人関係を良好にすること。

    ・最も難しい課題だという。詳細は勇気づけの項目で扱う。一言で言えば、自己中心化から脱自己中心化へ向かう過程だと言える。

    「夫婦や親子などの家族関係やパートナーシップのことです。」
    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,14p
    「愛のタスクは異性関係と家族関係の2つからなる。性的な対人関係では、もっとも親密な形でのコミュニケーションとお互いの協力を必要とする。愛のタスクはライフタスクの中では一番難しいもの。」
    岩井俊憲「アドラー心理学入門」,80p

    「セルフタスク」

    「セルフタスク」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    セルフタスク自分自身との付き合いのことで、自分を受け入れること。また、健康、趣味、遊び、自分をくつろがせることも含まれる。

    ※アドラーの直接的な考えではなく、「現代のアドラー心理学」で追加されたものだという。「自己受容」と関連するものであると考えられる。

    キーワード:セルフタスク

    「自分自身との付き合いのことで、自分を受け入れることです。また、健康、趣味、遊び、自分をくつろがせることも含まれます。」

    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,14p

    「スピリチュアルタスク」

    「スピリチュアルタスク」とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    スピリチュアルタスク人間を超えた存在との付き合いのこと。例えば大自然、神仏や宇宙、瞑想や宗教儀式など。

    ※アドラーの直接的な考えではなく、「現代のアドラー心理学」で追加されたものだという。「他者貢献」に関連し、愛が人間を超えてどこまでも広がっていくようなイメージに関連すると考えられる。

    特定の個人や共同体より「大きな共同体」という意味、またその向こうのあらゆる生物を含めた極限の共同体という意味では「人間、人類を超えた存在」だといえる。

    とはいえ、特定、不特定問わず宗教や政治団体に加入することを推奨しているわけではないだろう。いわば態度や意識の問題であるといえる。

    キーワード:スピリチュアルタスクとは
    ※現代のアドラー心理学で追加されたもの
    「人間を超えた存在との付き合いのことです。大自然、神仏や宇宙、瞑想や宗教儀式のことです。」
    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,14p

    「縦の関係」と「横の関係」

    縦の関係とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    縦の関係上下関係で判断する人間関係のこと。

    たとえば「褒める」という行為には能力のある人が能力のない人に下す評価という上下関係がある。また、そのような縦の関係には「操作」という目的があるという。

    上下は「金銭」、「年齢」、「職業」、「業績」、「職責」、「学歴」や「容姿」など様々な価値観に基づいて判断される。

    アドラーは縦の関係を明確に否定しているという。ちなみに「褒める」や「叱る」というのも縦の関係であるということに強く注意する必要がある。

    また、縦の関係の中からそもそも(他者との比較による)「劣等感」や「劣等コンプレックス」が生じる。

    また、他者の課題に不必要な「介入」をしてしまうという。いわゆる「土足で相手の領域に踏み入る」というもの。

    キーワード:縦の関係

    「哲人『誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。あなたにしても、縦の関係に生きているからこそ、ほめられてもらいたいと思っている。アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,198p

    横の関係とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    横の関係「同じではないけれど対等」という人間関係のこと。

    稼ぎや年齢、職業は違ったとしても働いている場所や役割が違うだけで「人間的には対等」だと考えていく。たとえば大人と子どもでは筋肉、知識、身長や稼ぐ量などは違う。しかし「対等」であると考えていく。特に「心」という領域は対等だという点が重要である。それゆえに「教えてあげる」という目線ではなく、尊敬する目線で、まるで親友のように対等な関係において教育を行うことが重要になるという。とにもかくにも、まずは相手を信じることが重要である。

    アドラーは横の関係を重視しており、横の関係において「勇気づけ」が可能になるという。

    問題は「適切、良好な対人関係」とはなにかという点である。

    まず、大前提として「ケースバイケース」であるといえる。時代、文化、諸状況次第であり、「これは絶対に良好な対応ではない」と言い切ることは難しい。日本社会では適切ではないコミュニケーションとされがちな「空気を読まないこと」も適切な場合がありうるだろう。

    良好な対人関係には「共同体感覚」を伴っているというような何らかの基準が考えられる。その具体的なあり方のひとつが「横の関係」だろう。アドラーの諸概念は結局は「共同体感覚」につながっていく。

    キーワード:横の関係

    「哲人『経済的に優位かどうかなど、人間的な価値にはまったく関係ない。会社員と専業主婦は、働いている場所や役割が違うだけで、まさに「同じではないけれど対等」なのです。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,199p

    「哲人『そもそも劣等感とは、縦の関係の中で生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。』」

    仕事の課題における人間関係について

    他者との協力なしで成立する仕事は基本的にない。それゆえに、直接的・間接的に必ず対人関係が問題になってくる。

    我々が使っているパソコン、スマホ、シャーペンや椅子、机すら誰かの仕事(協力)によってはじめて可能になっている。購入する際の貨幣も、誰かの仕事によって維持されているのである。自分一人だけでなんでもかんでも仕事において生産をしているわけではない。

    上司との関係、会社の中の様々な部署の人間との関係、取引先との関係、顧客との関係、ライバル企業の社員との関係、さまざまな人間関係の中で我々は仕事をしている。

    なにかを「生産」するためには彼らと良好な関係を築いていく必要がある。周りを「敵」だと思うような関係ではなかなか難しいだろう。ただし現実問題として、何でもかんでも相手を信頼しているとビジネスでは痛い目に遭うことがある。「まずは疑うことが基本」という言い分もわからなくはない。また、ビジネスの失敗は自分だけの問題ではない。

    それゆえに「横の関係が重要だから損をしてもいい」という考えは必ずしも通用しない。結局は1か0かではなく、また公私は別という仮面として割り切るのでもなく、バランス感覚(共同体感覚)に基づくことが重要なのだろう。「何が他者に自立を促すのか?」という問いもヒントになる。甘やかしと援助(勇気づけ)の違いもヒントになる。

    仕事場や生活において信頼関係で横の関係でいるなんてことはできるのか。不可能ではないか、と思われることもある。しかしアドラーはこのようにいう。

    誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

    「哲人『もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,282p

    交友の課題における人間関係について

    交友の課題は周りへの思いやりが仕事のタスクよりも必要とされるという。また、交友のタスクがうまくいっているということは、「他人と人間同士としてお互いに尊敬しあい、協力して生きている状態のことを」を指すらしい。

    要するに、共同体感覚に充ちており、横の関係でいられるということである。横の関係は全ての関係で重要になるが、特に重要になるのが交友と愛なのだろう。交友が仕事へ、愛が交友へとだんだんと広がっていく、浸透していくようなイメージであると考える。

    例えばモノづくりの職人は営業職なと比べると関わる人が少なく、また素晴らしいものを作っていれば最低限の課題を達成できる。間接的には多様な人々が確かに関わっているが、交友のように直接的な関係として直面することは少ないように思える。

    やることをやっている」という点を仕事の課題だとすれば、交友の課題はプラスアルファであるといったところだろうか。自分の仕事の課題と、同僚や上司との飲み会は必ずしも強い関係がない場合がある。「やること」という具体的な量として見えるものではなく、「良好な関係自体」という抽象的な質にあるといえる。「行為」ではなく他者の「存在そのもの」に価値があると思えるような、そうした態度である。

    「プライベートは係わりたくない」といって仕事の課題のみに目を向ける人もいる。もちろん、飲み会などの社外の付き合いに参加することが良好な対人関係とは限らない。

    しかし交友は仕事の課題と重なることもある。仕事場の同僚や上司との人間関係も固有の課題に含まれるからだ。ちょっとしたことでも「ありがとう」や「ごめんなさい」を言うことができるのかなども大事だろう。そうしたちょっとした交友関係が、仕事の生産性につながっていくこともある。自分より劣っているから感謝しない、謝罪しないというような縦の関係で「やること(仕事)はやっているから問題ない」という態度は不適切だろう。

    キーワード:「存在そのもの」
    「このような危険を回避するために、『存在』そのものに注目したいのです。何かをしたからではなく、ただ『存在』していることがすでに喜びであるということを伝えてみます。ともすれば子どもたちやまわりの人についての理想を頭に描いてしまいます。たとえば、親のいうことには一切口答えをしない理想的に従順な子どもを考えます。そうなると現実の目の前にいる子どもはその理想から引き算することになります。」
    岸見一郎「アドラー心理学入門」,72p

    愛の課題における人間関係について

    愛の課題では最も親密な形でのコミュニケーションとお互いの協力を必要とするという。アドラーは「支配」や「束縛」といった対人関係を認めないという。そうした対人関係は「不信感の現れ」であるという。

    だからといって積極的に浮気を肯定しているわけではなく、やはり「横の関係」が重要だという。お互いに対等な人格と見ることによって、相手に対して「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えるような関係が「愛」だという。家族の関係でも過度に甘やかしたり、競わせたり、放置したりといったものは良好な対人関係とはいえないだろう。

    キーワード:愛

    「哲人『一緒にいて、どこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋ではあっても愛とは呼べない。人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,116-117p

    縦の関係の例

    あいつは能力が低いから価値がない、あいつは顔が悪いから価値がない、あいつは能力が高いから積極的に助けよう、あいつは褒めておけば調子に乗って手伝ってくれるというようなケースが考えられる。

    かといって足手まといの人間に過度に介入し、甘やかすことが適切なことだとはいえない(これも上から下の態度である)。しかし援助を求められてきたら、なんらかの助け船を出してあげるべきだろう。では、「どのような助け舟を出すべきか」というのはケースバイケースである。

    自分が協力できる分だけ、あるいは相手の勇気づけになる方向で行う援助が重要になる。ポイントは相手に自立を促すような援助である。何でもかんでも答えばかりを教えてあげるのでは自立につながらない。自分で考える力も重要である。

    縦の関係は「幸せ」へと導かない

    縦の関係は逆投射され、「私も彼らにそう思われているのかもしれない」と常にビクビクすることになる。「自分は能力が人よりないと価値がない」と思うようになる。

    常に他者と比較し、比較されていると感じるようになる。そしてもしそのショックや不安に対して努力することからも逃げるようになると、とうとう「言い訳」をはじめるようになる。親の教育があいつはたまたまよかっただけだ、運が良かっただけだ、顔が良かっただけだなど。そうしてますます努力から遠ざかり、また遠ざかっていることに不安を感じる。ハリネズミのように常にトゲを出し、仲間であるはずのハリネズミにも常にトゲを出されているように感じ、接することを恐れるようになるイメージかもしれない。

    「課題の分離」

    課題の分離とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    課題の分離自分と他者の課題をきちんと分けること。

    対人関係は「課題の分離」が出発点だという。「これは誰の課題なのか?」と問うことが重要である。自分と他者の課題を判断する基準は「誰が責任をとるか」である。

    たとえば子どもが宿題をしないという選択をした場合にその結末の責任を引き受けるのは「子ども」であり、宿題は親の課題ではなく「子ども」の課題となる。

    自分について他者がどう思うかは他者の課題であり、自分の課題ではない。

    ほとんどあらゆる対人関係のトラブルは「課題の分離に失敗していること」から生じている。相手の課題に土足で介入したり、介入されるとトラブルになり、悩むようになる。これは「他所は他所」といって相手を敵と見たり、無関心の態度ではないことに強く注意する必要がある。仲間だからこそ、その自立を助けるために介入するかどうかを見極めることが重要だという話である。

    ・他者への課題の土足の介入は「縦の関係」に基づいている。上から下へと「やってあげる」という態度、あるいは条件つきの「見返り」の態度がある。「横の関係」に基づいていれば、介入ではなく「信頼」が重要になる。相手は自分の課題をなんとか克服できることを信頼する。

    相手がこちらに頼んできた場合に「それはあなたの課題だ」と全て断ることを推奨しているわけではない。話し合って自分が手伝える範囲の手伝いは良好な関係を築くことになる。人は他者の協力が直接的・間接的になければ生きていくことはできない。適切な「援助」や「勇気づけ」は対等な人格という横の関係から生じてくる。

    キーワード:課題の分離

    「ところが誰の課題かわからないほど混同されているのが現状ですから、もつれた糸をほぐすように、これは誰の課題、これは誰の課題というふうに課題をきちんと分けていかなければなりません。これを『課題の分離』といいます。頼まれもしないのにこちらが勝手に判断して、相手は助けを必要としているであろうと考えて口出しをしないということです。」
    岸見一郎「アドラー心理学入門」,75p
    「しかし対人関係は、課題を分離したところで終わるものではありません。むしろ課題を分離することは、対人関係の出発点です。」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,178p
    「哲人『およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと――あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること――によって引き起こされます。』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,140p
    「誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。『その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?』を考えてください。」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,141p

    特定の対人関係を切ることについて

    ただし、この人と対人関係を築きたくないと思った場合は切ることも重要だという。切るかどうかは自分の課題であり、他者の課題ではない。援助を断るかどうかも「自分の課題」である。八方美人になれといっているわけではない。

    他者の目を、承認ばかりを気にして生きていく「承認欲求にまみれた人生」をアドラーは否定している。そこに「自由」がないからである。不自由な人は承認ばかりを気にするので人目を気にし、人を切ることができない。そうやって押しつぶされていく。こうして考えると、アドラー心理学は「答え」を授けるのではなく「考える態度」を授ける学問であるように思えてきた。自分に自信がなく、なんでもかんでも他者に甘え、マニュアルや正解を求めている人は「役に立たない」と感じるのかもしれない。あるいは「変わる必要がある」と感じるかもしれない。

    メモ(2024/04/29):対人関係をよくしたいとおもう相手に「無条件の信頼」を手段として用いる。もしよくしたいと思わない相手には「無条件の信頼」を手段として用いずに、関係を切っていいということになる。もし誰も彼も無条件に信頼しなさいというのは「お人好しのお馬鹿さん」だという岸見さんのくだりはたしかにその面もあるかもしれないと感じた。しかしなお、難しい。もし我々意識が広がっていくとすれば、我々の身体の病気の盲腸やがん細胞が切り取られる感覚で、特定の部分が切り取られていくのだろうか。この比喩は危険思想にも繋がりかねないが、重要な要素を孕んでいる。いずれにせよ切除の基準が重要になる。単なる快不快の基準では望ましくないだろう。それが社会のためになるか、というもう1つの基準も重要になる。自由と貢献の間で揺れている。個人は完全な我々意識になることはできない。それゆえに揺れ続けなければならない。

    キーワード:対人関係を切る

    「哲人『ここは明確に否定しておきましょう。アドラー心理学は、道徳的価値観に基づいて「他者を無条件に信頼しなさい」と説いているわけではありません。無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築くための「手段」です。もし、あなたがその人との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切ってしまってもかまわない。断ち切ることについては、あなたの課題なのですから』」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,234-235p

    できうる限りの予測の責任

    とはいえ、「対人関係を切る問題」はなかなか難しい。共同体感覚に照らし合わせて、援助を断ることが適切なのか、関係を切ることが適切なのかが決まる。

    単なる個人の自己中心的な快不快で決めてよいものではないだろう。個人の快に共同体への貢献が重なるという点が重要であり、援助や関係を切ることがそれとどう関係しているかを明らかにする必要がある。無限に広がるようなプラスやマイナスの連鎖があり、ある項目を犠牲にすることが結果的に全体にプラスになる場合もあれば、周りまわってマイナスになることもある。

    そうした正味の正確な機能の計算を人間は完全ではないのですることはできない。しかし不完全ながらも「できうる限り」そうした計算を試みていく必要、責任はあるだろう。その「できうる限り」の予測の責任を全うせずに、結果に対して貢献したという意味付けを行うことは難しいと私は考える。これはウェーバーから学んだことである。

    おすすめ記事: 【基礎社会学第四回】マックス・ウェーバーの価値判断や価値自由とははなにか?

    「共通の課題」

    共通の課題とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    共通の課題当事者が話し合って共同の課題にするという了解がある場合の課題のこと。主に共通の課題になるのは「自分ではどうしても解決できない課題」である。

    基本的にはライフタスクは「個人の課題」であり、本人の責任において解決しなければならないものだという。つまり、自分の課題に介入させない、他者の課題に介入しないが基本となる。そのうえで協力や援助をしていこうという話。では、介入と矛盾しない援助とは具体的にどのようなものか、という疑問が生じる。これは「勇気づけ(技法)」と関連してくるものである。

    たとえば漫画が売られるケースを考えてみる。漫画家はストーリーを考えたり、ネームを書いたりする課題がある。しかしどうしても一人では連載に追いつかない場合、アシスタントにペン入れなどを依頼する場合がある。

    お互いが話し合い、ここは私ならできる、ここはできないなどと話し合って課題の分担を行うことになるだろう。

    また、漫画が完成したら、あるいは完成の過程で編集の担当者が誤字脱字やコンプライアンスなどについてチェックする。さらに印刷工場への依頼、販売担当者への依頼、グッズの管理の依頼などさまざまなタスクの分担があるだろう。

    各々の課題はあるものの、しかし共通の「漫画を世に送り出す」という課題は共通のものであるといえる。あるいは「共に収入を稼ぐ」という共通の課題があるのかもしれない。一人よりも協力して課題に取り組んだほうがより大きな成果を出せるというコラボレーション効果、創発効果も期待できる。

    キーワード:共通の課題

    「…このような場合には、相手の課題が自分との『共同の課題』となるので、課題の克服に貢献するようにします。もちろんある程度のラインは必要です。『ここまでは協力できる』『ここからはできない』と線引きしておかないと、責任の所在があいまいになつてしまい、かえって人間関係にヒビが入る可能性があります。…他人に踏み込みすぎると人間関係をこじらせる。境界線を見極めること。」
    永藤かおる「勇気の心理学アドラー超入門」,64p

    「本来は先に見たように個人の課題であり、本人の責任において解決しなければならないのです。共通の課題にするためには、まず、共同の課題にしてほしいという依頼があり、共同の課題にしようという了承があることが必要です。すなわち、両方、あるいは、複数の当事者が話し合って共同の課題にするという了解が必要なのです。いずれにしても共同の課題にするのはどうしても自分では解決できないことについてだけです。」
    岸見一郎「アドラー心理学入門」,76-77p

    境界のぼやけについて

    ところで、「我々という感覚」である共同体感覚が拡大していく場合、「私の課題」や「あなたの課題」という境界がぼやけてくることになるといえる。この場合に「介入」という概念は成り立つのだろうか。

    そうした適切な境地に達している場合は適切な援助ができる状態であり、そうした心配をしなくていいとも言える。もし不必要な介入ばかりをするようであれば、「我々という感覚」という外面の内側に「私のため」という隠された目的があるケースなのかもしれない(メサイアコンプレックス)。いわゆる「善意の押しつけ」である。〇〇は人類で共に大事にするべきだ、あなたもするべきだ、あなたは〇〇を使ってはいけない、あなたの〇〇は〇〇に悪いから捨てておいたなどのケースが考えられる。

    センスについて

    アドラー心理学を学んでいて思うのは、ところどころ「センス」が問題になってくるのだと思う。なぜなら「絶対的な正解は分からない、他者は理解できない」という前提でアドラーは話しているからである。この前提の上で、より正解だと、適切だと思えるようなセンス≒共通感覚を磨いていくことになる。ベイトソンがバリ島のセンスを綱渡りというバランス感覚で表現したことをわたしは思い出す。また、「動いていった先に、過程で、自ずとバランスが取れている」というようなイメージともつながる。

    例えば「お金を貸す」という手伝いは拒否する場合もある。子どもの教育の場合は「アドバイスをする」というのはOKだが、「宿題を代わりにやる」というのはNGだろう。

    行動面の目標と心理面の目標

    行動面の目標と心理面の目標とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

    POINT

    行動面の目標①自立すること。②社会と調和して暮らせること。

    POINT

    心理面の目標①わたしには能力がある、という意識。②人々はわたしの仲間である、という意識

    ・これらの目標は「ライフタスク」と向き合うことで達成できるという。

    自立することは「他者に過度に甘やかされない」という対人関係につながっている。社会との調和は縦の関係ではなく横の関係という対人関係につながっている。

    自己能力の意識は「自己受容」につながり、他者への仲間意識は「他者受容」につながっている。

    そして行動面の目標と心理面の目標は、「他者貢献」へとつながっているのである。「他者貢献によってのみ人間は幸せを感じることができる」とアドラーは述べている。

    また、自己受容、他者受容、他者貢献が「共同体感覚」の条件だとも述べている。結局は共同体感覚に収束しているのであり、また共同体感覚から始まっているのである。では、この共同体感覚という思想はいったいどういうものなのかを見ていく。アドラーの最も重要で最も議論(批判)が多い項目である。

    キーワード:行動面の目標と心理面の目標
    「行動の目標が、次の2つ。①自立すること。②社会と調和して暮らせること。そして、この行動を支える心理面の目標として、次の2つ。①わたしには能力がある、という意識。②人々はわたしの仲間である、という意識。…そしてこれらの目標は、アドラーのいう『人生のタスク』と向き合うことで達成することができるわけです。」
    岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」,110p

    参考文献リスト

    今回の主な文献

    岸見一郎、 古賀史健「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」

    岸見一郎、 古賀史健「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」

    岸見一郎、 古賀史健「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」

    岸見一郎、 古賀史健「幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII」

    岩井俊憲「人生が大きく変わる アドラー心理学入門」

    岩井俊憲「人生が大きく変わる アドラー心理学入門」

    永藤かおる、 岩井俊憲「図解 勇気の心理学 アドラー超入門 ライト版 B5サイズ」

    永藤かおる、 岩井俊憲「図解 勇気の心理学 アドラー超入門 ライト版 B5サイズ」</p

    岸見一郎「アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書) 」

    岸見一郎「アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書) 」

    アルフレッド・アドラー、長谷川早苗(訳)「生きる意味―人生にとっていちばん大切なこと」

    アルフレッド・アドラー、長谷川早苗(訳)「生きる意味―人生にとっていちばん大切なこと」

    心理学 改訂版 (キーワードコレクション)

    心理学 改訂版 (キーワードコレクション)

    汎用文献

    米盛裕二「アブダクション―仮説と発見の論理」

    米盛裕二「アブダクション―仮説と発見の論理」

    トーマス・クーン「科学革命の構造」

    トーマス・クーン「科学革命の構造」

    真木悠介「時間の比較社会学」

    真木悠介「時間の比較社会学」

    モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」

    モリス・バーマン「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」

    グレゴリー・ベイトソン「精神と自然: 生きた世界の認識論」

    グレゴリー・ベイトソン「精神と自然: 生きた世界の認識論」

    グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」

    グレゴリー・ベイトソン「精神の生態学へ (上) (岩波文庫 青N604-2)」

    マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」

    マックス・ウェーバー「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」

    参考論文

    ※他の記事を含めて全編を通しての参照した論文です

    ・髙坂康雅「共同体感覚尺度の作成」(URL)
    – 「共同体感覚」の定義の参照

    ・髙坂康雅「大学生における共同体感覚と社会的行動との関連」(URL)

    ・山田篤司「アドラー心理学「共同体感覚」とは何か」(URL)
    – 「共同体感覚」の定義の参照

    ・姜信善,宮本兼聖 「共同体感覚が社会的適応および精神的健康に及ぼす影響についての検討 : 共同体感覚の形成要因としての養育態度に焦点を当てて」(URL)
    – 「共同体感覚」の定義の参照

    ・吉武久美子・浦川麻緒里「青年期の内的作業モデルと, 共同体感覚や SNS での友人とのつながりとの関連性についての検討」(URL)
    – 「共同体感覚」の定義の参照
    ・阿部田恭子,柄本健太郎,向後千春「ライフタスクの満足度と重要度および共同体感覚が幸福感に及ぼす影響」(URL)
    – 統計データ、考察、成人版

    千葉建「共通感覚と先入見: アーレント判断論におけるカント的要素をめぐって」(URL)
    – アーレントの「共同体感覚」の参照。アドラーへの言及は皆無なのだが、しかし人類にとって切実であろうことを語っており、面白かった。これもまた「創造の目的」に繋がりうるものであるといえる。ただし、私はアーレントの主張全体をよく理解しておらず、今回は断片的な摂取に留まる。いずれにせよまずはカントの解説から記事・動画で扱うべきだろう(飛ばしてもいいが)。

    ・熊野宏昭「新世代の認知行動療法」(URL)
    – 認知行動療法について参考に。また、行動主義や機能主義についても参考になる
    ・坂野雄二「不安障害に対する認知行動療法」(URL)
    – 認知行動療法、不安障害について参考に
    ・森本康太郎「論理療法と個人心理学」(URL)
    – アルバート・エリス「論理療法と個人心理学」の翻訳
    – 論理療法、アドラーの主張についての理解
    ・森本康太郎 「アドラーの個人心理学における理性と情動 アルバート・エリス」(URL)
    – アドラーの怒り、悲哀、不安などについて参考になる
    ・森本康太郎「アルバート・エリス博士へのインタビュー マイケル・S・ニストゥル」(URL)
    ・松田英子「夢を媒介とする心理療法の歴史と展開.」(URL)
    – アドラー、フロイト、ユングなどの夢解釈について参考に
    ・中村正和「行動科学に基づいた健康支援」(URL)
    – 行動療法について参考に
    ・石倉陸人, 林篤司, 岩下志乃 「認知行動療法を用いた心理教育 Web アプリケーションの提案」(URL)

    – 認知行動療法について参考に
    ・川合 紀宗「吃音に対する認知行動療法的アプローチ」(URL)
    – 認知行動療法について参考に・増田豊「自由意志は 「かのようにの存在」 か-ディスポジション実在論と行為者因果性論の復権」(URL)
    – ファイフィンガー、二元論、デカルトについて参考に。ディスポジション実在論もなかなか面白そうだ。
    ・小西 美典「法における擬制」(URL)
    – ファイヒンガーの「かのようにの哲学」について参考になる

    ・平山正実「青年のメンタルヘルスと教会」(URL)
    – メサイアコンプレックスの定義の参考に
    吉岡恒生「子どもを援助する者の心の傷とその影響」(URL)
    – メサイアコンプレックスの説明の参考に

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    蒼村蒼村

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    創造を考えることが好きです。
    https://x.com/re_magie

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