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【1ワード社会学第十三回(24)】フッサールの生活世界
- 2026/3/30
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動画での説明
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はじめに
社会学とはなにか
社会学とは、「社会を対象とする学問」のことである。そして社会とは基本的に「人々の社会的行為の相互作用の集まり」を意味する。
なぜ社会学が存在するのかについては多種多様な立場があるが、根本的には「社会を分析し、よりよい社会へ導くため」だといえる。社会とはなにか、どう変動していくのかという事実判断やどうあるべきかという価値判断の両方のバランスをとる必要のある学問である。
【基礎社会学第三六回(1)】エミール・デュルケムの社会学とはなにか、学ぶ意味や価値はあるのか
この動画チャンネルシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。
記事の分割
(準備中)
(6)[D]生活世界関連
[6-1]フッサールの「生活世界」
ここでは現象学における「生活世界」のみを簡素に扱うことに留める(フッサールの現象学の詳細については応用哲学第一回の記事を参照)。
【応用哲学第一回】フッサールの現象学における「志向性」とはなにか
(フッサールにおける)生活世界:我々が普段生きている具体的で実践的な日常経験の領域のこと。「日常生活世界」とも表現される。
目に見え、手で触れられる具体的な経験の世界が生活世界である。フッサール的にいえば直接経験できる領域の世界だといえる。聞いただけ、知っているだけの世界は「伝聞・情報の世界」とされ区別される。神話の世界や、哲学のイデア(理想)的な世界とも区別されている。
たとえば目の前に石があり、触って硬い、つるつるしている、灰色であると感じたとする。これは疑うことが難しい領域のものである。
もちろん、そうした具体的で直接的な経験を言語化しようとすれば人によって異なるかもしれないが、知覚的なレベルでは体験の多くが共通了解の可能性をもっているといえる。「すごくつるつるしている」と言う人もいれば、「すこしつるつるしている」と言う人もいるかも知れないが、しかし体験は類似しているはずである。また、つるつるしているのに「ざらざらしている」と勝手に解釈することも難しい領域である。
生活世界ではこの不可疑的で直接的な体験を土台として、共通了解が生じているのである。言語も、科学も、哲学も、ありとあらゆるものがこの生活世界を土台としてきたのである。
しかしフッサールによればそうした考え方が「危機」に陥っているという。科学革命頃から、数学的、科学的に捉えられた世界(理念化された世界)こそが真の世界であり、生活世界は偏見や妄想などが混じった「主観的な世界」にすぎないと軽視されるようになったというわけである。
本来、科学的な世界は生活世界における、生活上の目的を実現するための「手段」にすぎないものであった。しかし、その「手段」にすぎないものが目的化していったわけである。この自己目的化はウェーバーの鉄の檻や、近代合理化ともつながる大事な話である。
近代科学において、生活世界は理念的世界(客観的世界)を把握するための手段、道具にすぎないものと捉えられてしまうようになったわけである。
フッサールは現象学によって他の学問を基礎づけようと試みている。しかし、「主観的世界(生活世界)」によって「客観的世界(理念的世界)」を基礎づけ直そうと試みているわけではない。
そもそもそうした主観と客観の独立的な存在を前提とした対立、主観と客観を一致させようとする真理観を批判しているのである。そもそも主観とは無関係に客観的世界が存在しているかどうか、人間には認識することが不可能であり、問うことはナンセンスなのである。
しかしどうやら人間は客観的世界が存在していると不可疑性を伴って意識してしまう生き物であるというのも事実である。では、なぜ人間はそのように自分の意識とは無関係に対象が存在すると思ってしまうのか。
そうした意識の構造、いわゆる「志向性」の構造を分析しようというのが初期のフッサールの現象学の意味合いである。たとえばサイコロのある一面しか見ていないのにもかかわらず、我々はサイコロのすべての面を補って見てしまう(超越してしまう)といった分析を行う。
「志向性の構造」を明らかにするためには、人間が自分勝手に、理念的に、抽象的に理論を構築するわけにはいかない(カントなどがここでは想定されている)。
「生活世界」における直接的な体験を、できるだけ偏見なしに観察することで、その普遍的な(多くの人に共通する)構造をとりだすという手法をフッサールはとる。このような作業を「本質直観」や「現象学的還元」、「超越論的還元」などと呼ぶ。また、客観的世界が主観にかかわらず存在するのはあたりまえといった常識などを一旦中断することをエポケーと呼ぶ。素朴で自然的な態度を一旦やめるわけである。
参考文献リスト
今回の主な文献
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
J.(ユルゲン) ハーバーマス (著), 河上 倫逸 (翻訳), 平井 俊彦 (翻訳) 「コミュニケイション的行為の理論 上」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
中岡成文「ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)」
汎用文献
佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
大澤真幸「社会学史」
新睦人「社会学のあゆみ」
本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
アンソニー・ギデンズ「社会学」
社会学
社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)
クロニクル社会学
社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
参考論文
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (上)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (中)」(1993)[URL]
永井彰「コミュニケーション行為理論の論理構造 (下)」(1993)[URL]
嘉目道人「発語媒介効果の不可逆性とフィクションの倫理的責任」(2020)
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