【基礎社会学第三十三回】カール・マンハイムの「甲羅のない蟹」とはなにか

カール・マンハイム
  1. はじめに
    1. 動画説明
    2. カール・マンハイムの論文整理
    3. カール・マンハイムとは
  2. 甲羅のない蟹
    1. 甲羅のない蟹とは、意味
    2. 近代以前はどのような社会だったのか
    3. なぜ近代化は人々の絆を弱めるのか
    4. ヒトラーはどんな戦略をとって人々を支配したのか
    5. 甲羅のない蟹のポジティブな側面
      1. 【コラム】クーリーによる第一次集団と第二次集団の区別
  3. 機能的合理性と実質的合理性
    1. 機能的合理性とはなにか、意味
      1. 「分業」は機能的合理性の例か
      2. 「官僚制」は機能的合理性の例か
    2. 機能的合理性の判断力麻痺作用とはなにか、意味
    3. 実質的合理性とはなにか、意味
      1. 機能的合理性は生産性や能率性を高めるが、もしそうした機構や組織が崩壊するとどうなるのか
      2. 相関主義との関連性
      3. 大衆社会とはなにか
    4. 【コラム】マックスウェーバーによる形式合理性と実質合理性
    5. 否定的民主化とはなにか、意味
  4. 自由のための計画
    1. 自由のための計画とはなにか、意味
      1. 社会計画と自由のための計画
      2. 自由と規制をどのように考えるか
    2. 戦闘的民主主義とはなにか、意味
    3. 基本的な協調性とはなにか、意味
    4. 媒介原理とはなにか、意味
      1. マンハイムの出した媒介原理の例
      2. 【コラム】マックス・ウェーバーの理念型
      3. 【コラム】社会過程と社会関係の違い
      4. 【コラム】ジンメルの心的相互作用
    5. 構造とはなにか、意味
      1. 構造への介入
    6. 社会技術とはなにか、意味
      1. 社会技術はそれ自体としては善でも悪でもない
    7. 「教育」の重要性
      1. 基本的な同調性(民主主義的な価値観)をどのように子どもたちに身につけさせるのか
      2. 社会的自覚の重要性
      3. 計画するものを誰が計画するのか
  5. 連字符社会学
    1. 一般社会学とはなにか、意味
    2. 連字符社会学とはなにか、意味
      1. マンハイムの「知識社会学」は連字符社会学のうちのひとつ
    3. 文化社会学とはなにか、意味
      1. 接続的な経験空間とは、意味
      2. 集合表象とはなにか、意味
      3. 伝達的認識と接続的認識
  6. 参考文献リスト
    1. 今回の主な文献
      1. カール・マンハイム「イデオロギーとユートピア」
      2. 澤井 敦「カール・マンハイム―時代を診断する亡命者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学) 」
    2. 汎用文献
      1. 佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」
      2. 大澤真幸「社会学史」
      3. 新睦人「社会学のあゆみ」
      4. 本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる
      5. アンソニー・ギデンズ「社会学」
      6. 社会学
      7. クロニクル社会学
      8. 社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像
    3. 参考論文

はじめに

動画説明

・この記事の「概要・要約」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください

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カール・マンハイムの論文整理

『世界観解釈の理論への寄与』(1921~1922)

『文化社会学的認識の特性について』(1922)

→文化社会学

『文化とその認識可能性についての社会学理論』(1924) 草稿

→文化社会学

『知識社会学問題』(1925)

『保守主義的思考』(1927)

『世代の問題』(1928)

『精神的なるものの領域における競争の意義』(1929)

『ドイツにおける社会学の問題性について』(1929)

『イデオロギーとユートピア』(1929)→第一論文(3つの論文が合わさった著作)

『学問としての政治は可能か?』→第二論文

『ユートピア意識』→第三論文

『知識社会学』(1931)

『インテリゲンチアの社会的及び政治的意義』(1932)

『社会学の現代的課題 』(1932)

→連字符社会学

『ドイツ社会学』(1934)

『変革期における人間と社会』(1935,英;1940)

→自由のための計画

→媒介原理

→計画する者を誰が計画するのか

→社会技術

→大衆社会

「計画社会と人間のパーソナリティ」(1938) ※オックスフォードの講義の記録 

→基本的な同調性

『現代の診断』(1943)

→小論「ナチスの集団戦略」

カール・マンハイムとは

POINT

カール・マンハイム(1893-1947)ハンガリー生まれの社会学者。ドイツへ亡命し、さらにイギリスへと亡命していった。主著は『イデオロギーとユートピア』(1929)。マルクス主義的イデオロギー論を克服しようと新しいイデオロギー論を唱えた。また、「自由のための計画」を掲げ、自由に浮動しつつ「時代診断」をする知識人像を提唱した。知識社会学ではロバート・マートン、ピーター・バーガー、トーマス・ルックマンなどに影響を与えている。また、ミルズやカルチュラルスタディーズの分野に影響を与えたとも言われている。

「ハンガリー出身の社会学者。ドイツでフランクフルト大学教授となったが、ナチスの脅威が強まるなかでイギリスに亡命し、ロンドン大学へと移った。ジンメルに師事した。一九二九年に出版した『イデオロギーとユートピア』(一九二九、一九三六年)では、マルクス主義的イデオロギー論を克服しようとし、一躍脚光を浴びた。『自由のための計画』を掲げ、自由に『浮動』しつつ『時代診断』をする知識人像を提唱した。」

井庭崇、他「社会システム理論」145P

甲羅のない蟹

甲羅のない蟹とは、意味

POINT

甲羅のない蟹・集団の絆という甲羅を失い、精神的な抵抗力を壊された状態のこと。近代社会以降、特に顕著な現象。

1:近代化によって、急速な社会変動が生じていく。

2:その結果、集団の絆を人々は失う。

3:ヒトラーはそうした背景に加え、さらに戦略的に、集団から個人を切り離そうとした。

重要な点はヒトラーの残虐な行為や独裁主義の是非ではなく、ヒトラー登場以前にすでに人々は「甲羅のない蟹」と化していたという点。

「『現代の診断』(一九三四)におさめられた、もともとはBBCの海外向け放送のためにつくられたものである小論『ナチスの集団戦略』において、マンハイムは次のように述べている。『ヒトラーの戦略上の秘策は、諸個人が所属している諸集団を解体することによって、諸個人の精神的な抵抗力を打ち壊すことにあった。彼は、集団の絆を失った人間が、ちょうど甲羅のない蟹と同じようなものであることを知っていたのだ』(三八二)。たとえば青少年であればヒトラー・ユーゲントにみられるように、それまで属していた集団から個人を切り離し、新たな組織へと組み込むことが、人々の同調性を調達するためのヒトラーのひとつの戦略であった。しかし、こうしたヒトラーの戦略背景となっているのは、そもそも近代社会に生きる人々が、急速な社会変動の帰結として、集団の絆という『甲羅』を失い、あまりにも脆弱で不定形な姿を外気にさらす、『甲羅のない蟹』化しているという一般的状況である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂95P

近代以前はどのような社会だったのか

・村落のように、小さなコミュニティだった。そのため、制度と個人の関係、個人と個人の関係は比較的はっきりと見えていた。伝統や習慣の影響が強く、集団で価値が共有されていた。

例えば近所の人がどういう人かを知っていたり、同じような価値観を共有していた。挨拶はしっかりしなさい、自然は大事にしなさい、仕事はしなさい、親を大事にしなさい等々。価値観が大きくズレた人は、「村八分」という言葉があるように、仲間はずれにされることもある。現代と違って気軽に引越すことも難しい。

我々の時代、特に都市では近所の人がどういう人かよく知らないことのほうが多い。いろいろな価値観の人々が住んでおり、バラバラである。良く言えば、伝統や慣習に縛られていない。悪く言えば、伝統や慣習といった価値が共有されず、何が正しいのか、どうすべきか人々は不安な状態にあり、人々同士の絆が弱くなっている。M・ウェーバーの言葉では「神々の闘争」の状態。宗教の力も弱まっている。

なぜ近代化は人々の絆を弱めるのか

近代化とは一般には「国家・社会・文化が、以前より市民的・合理的なものに変わること」を意味する。

例:産業合理化や都市化などが近代化の例として挙げられる。伝統にとらわれすぎると、作業の自動化をするべきではない、遺伝子組換えはするべきではない、ロボットに接客をさせるべきではない、能力よりもコネが重要だといった意見も出てくる。しかしそうした伝統にとらわれすぎていると、人口の増加に対して物やサービスの供給が追いつかなくなることもある。あるいは他の国の企業にシェアを奪われてしまうかもしれない。産業化や都市化、資本主義の発達は社会を急激に変化させ、その変動に対応できない人は淘汰されていく。そうして伝統や習慣は弱まっていく。

メモ:近代化のメリット・デメリットについては、自由との関連で「時間の比較社会学」で重要になる

ヒトラーはどんな戦略をとって人々を支配したのか

たとえば「ヒトラーユーゲント」の組織という手段を挙げることができる。10歳から18歳の青少年の加入が義務付けられ、「ヒトラー青少年団」とも呼ばれている。

青少年たちは人種差別などのイデオロギーを教え込まれていた。今までの学校や家族などの小さなコミュニティのつながりから青少年たちを引き離し、集団を解体していく。なにを信じたらいいか、どういう価値が重要なのかがはっきりとしない段階で、ある特定の価値、イデオロギーを植え付けていく。

他にも、ラジオなどのメディアを通した支配なども挙げられている。いわゆる国民ラジオであり、プロパガンダ(特定の思想へ誘導する行為)の手段とされている。

甲羅のない蟹のポジティブな側面

伝統や慣習に縛られていないということは、「自由浮動性」を帯びているともいえる。

つまり前回の動画で学んだように、「自由に浮動するインテリゲンチャ」になりうる土壌にもなっているともいえる。

【基礎社会学第三十二回】カール・マンハイムの「相関主義」と「自由に浮動するインテリゲンチャ」とはなにか

自由に浮動するインテリゲンチャ:知識が存在拘束的でありながらも、社会的条件からみて他と比較すると、自らの存在拘束性から相対的に自由になっている知識人階層のこと。

相関主義:知識や認識が社会的存在に拘束されているということを認めつつ、それぞれの拘束された相対的な知識や認識を相互に関連付け、総合することで、視野の拡大と補完の開放性を目指す立場のこと。

たとえば近代化によって都市化が発展するが、この都市化は多様な価値観を持つ人々の交流を促し、「教養文化」を形成していく。そしてこの教養文化は相関主義の発達の土壌ともなる。

ただし、伝統や慣習といった価値があまりにも共有されない場合は「所属感」を喪失し、「責任感」をも希薄化させてしまうという。

このように生活の指針が欠落し、何が正しくて何が悪いかといった価値が諸個人で対立していくようになると、「空虚感」が増大していく。その結果、ヒトラーのような特定のイデオロギーを集団に流し込んでいくことが可能になっていく。多様性の増大ではなく、逆に画一性が増大していく。

「もちろん、先に見た知識人に関する議論と関連づけていえば、集団の絆を喪失し、ある意味では『自由浮動性』を帯びているともいいうるこうした状況は、場合によっては、『実験的』な態度へとつながり、『視野の拡大』をもたらすものとなりうる。この意味では、かの状況は、小集団に閉じ込められた状態からの解放ともいいうるだろう。しかし、近代社会において、多くの人々は、むしろ『所属感』を喪失し、さらにその帰結として、なにかにたいして具体的に感じるものである『責任感』をも希薄化させている。このような状況下で、判断や行為を統制する規範は、不安定で、なおかつ予測のつかない仕方で推移するものとなる。『現代の診断』において、マンハイムは次のように述べる。『われわれの生活においても、また食事や作法やふるまいのような基本的な習慣のレベルにおいてさえも、見解が対立していないものはなにひとつとして存在しない。われわれは、このように意見が著しく分かれていることが、はたして善いことなのか悪いことなのかということについてさえも、また、過去のようにもっと強い同調性が好ましいのか、それとも近代のように個人の選択を強調することが好ましいのかということについてさえも、意見の一致をみることがない』」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂97P

【コラム】クーリーによる第一次集団と第二次集団の区別

POINT

第一次集団(primary group)・クーリーによると、以下のような特徴をもつ。①直接的接触による親密な結合、②メンバーのあいだに存在する連帯感と一体感、③成長後も持続される、幼年期の道徳意識を形成する社会的原型としての機能、④この集団外における社会関係を強化し、安定化させる機能などにあり、家族・近隣集団・遊戯集団などが代表的な集団である。

POINT

第二次集団(secondary group)・クーリーによると、以下のような特徴をもつ。学校・組合・政党・国家などのように、特殊な利害関心にもとづいて大なり小なり意識的に組織され、成員の間接的な接触をその特色とする集団。

POINT:近代化に伴い、第二次集団が優位になっていく

「クーリーのつくり出した集団概念(『社会組織論』1909)。その特徴は、①直接的接触による親密な結合、②メンバーのあいだに存在する連帯感と一体感、③成長後も持続される、幼年期の道徳意識を形成する社会的原型としての機能、④この集団外における社会関係を強化し、安定化させる機能などにあり、家族・近隣集団・遊戯集団などが代表的な集団である。その後、第一次集団の機能に対する関心の集中は、実体概念としての第一次集団に代わって、組織の内部における人間関係のダイナミックスやその機能を明らかにする操作概念としての小集団という概念を生み出すにいたっている。」

「社会学小辞典」401P

「学校・組合・政党・国家などのように、特殊な利害関心にもとづいて大なり小なり意識的に組織され、成員の間接的な接触をその特色とする集団。ときには派生集団(derivative group)あるいは特殊利害関係集団(special-interested group)とも呼ばれる。近代社会の特色の一つは、第二次集団の占める領域やその果たす機能が第一次集団に対して相対的に優位に立っているところにある。」

「社会学小辞典」412P

機能的合理性と実質的合理性

機能的合理性とはなにか、意味

POINT

機能的合理性・一連の行動が所与の目標を効率的に達成することができるように機能的に組織され、かつ第三者(観察者)から見て予測可能であるという意味での合理性のこと。

例1:エアコンの機能は部屋を暖めたり、冷やしたりすることにある。もしエアコンをつけても部屋の温度が変わらなければ、エアコンは機能していないといえる。部屋が異常に暑いからエアコンの設定温度を下げた、という行為は第三者に予測可能であり、合理的。部屋が異常に暑いのにエアコンの設定温度をさらに上げるという行為は第三者が予測不可能であり、非合理的。寒さに弱いペットのためなど、目的が分かれば合理的だと予測できる。

例2:ある人物がダイエットをするためにポテトチップスを我慢するとする。そうした行為は痩せるという目的に合致している場合、合理的だといえる。また、第三者から見ても予測可能になる。もし痩せたいなら、お菓子を食べることは我慢するだろう、というように予測できる。ダイエットのためにポテトチップスばかり食べることは予測が難しく、非合理的にみえる。

【機能的合理性】「マンハイムの用語。一連の行動が所与の目標を効率的に達成することができるように機能的に組織され、かつ第三者(観察者)から見て予測可能である場合、その行動のシステムを機能合理的であるという。近代社会に固有な行動の組織化原理である。」

「社会学小辞典」,106P

「機能的合理性とは、一連の行動が、あらかじめあたえられた目標を達成するために、もっとも効率よいかたちで組織されている、という意味での合理性である。そして、このように組織化されているがゆえに、それらの一連の行動の成り行きは、第三者から見て予測可能なものとなる。ただ、この場合、これら一連の行動のあらかじめあたえられた目標が、突きつめて考えていくと最終的にはどのような究極的な目的に奉仕するものとなるのか、ということは必ずしも明確に意識されていない。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,99P

「分業」は機能的合理性の例か

分業とは一般に、生産過程をいくつかの部門・工程に分け、異なった人々がこの分割された特殊的部分に専門的に従事することを意味する。

例:スマホの部品を作る人、組み立てる人、販売する人、それらを管理する人などに分けられている。昔は今と比べて、ほとんどの作業を一人の職人が行っていることが多かった。

分業は大きく、「技術的分業」と「社会的分業」に区別される。

技術的分業の概念はA.スミスが確立したとされており、労働生産力の増進を目的として、一人でできる労働を数人に分割することを意味する。たとえばスマホのディスプレイのみを作る能力をひたすら鍛えることで、生産力が上がっていく。ディスプレイだけではなく、他の部品も、さらに販売も同時に行うと、生産力が下がる可能性がある。

身近なところでは、大規模なレストランでは料理人と注文を受ける人、皿を洗う人などがわけられている。さらに料理人の中でも、火を使う人、下ごしらえをする人、スイーツだけを作る人などなど、労働が分割されていく。

社会的分業の概念は特にデュルケムが確立したとされている。分業が能率を増進させるという側面よりも、複数の個人のあいだに道徳的連帯を生み出すという事態が重視されている。

デュルケムによれば社会内部の相互作用の密度が増大するにつれて分業は増大し、機械的連帯は有機的連帯へ移行していくという。※デュルケムの各用語の詳細については以前の記事を参照

【基礎社会学第二回】エミール・デュルケームの「社会的分業」とはなにか?

ポイントは、デュルケムは有機的連帯を好ましいのと考えていたこと。

復習:有機的連帯とは「個人は個性化し、互いに異なる機能をはたし、相互に依存する傾向を強めるような連帯」のこと。個性化するということは、同時に個人の自由が増大するということ。個人の自由が増大すると有機的連帯も強くなり、社会の道徳的密度も増大する。

有機的連帯が強まるということは、マンハイムの用語で言えば「機能的合理性」が高まるということになる。

例:スマホの販売者はスマホがなければ意味をなさない。また、スマホの製造者はスマホの販売者がいなければ意味をなさない。自分で作り、自分で売り、自分で管理するというような体系は小規模なコミュニティでないと難しい。人口が増え、交流が盛んに、複雑になっていく。部品の部品、更に部品、またその部品を作る機器、その機器を作る機器、というように複雑になる。近代では分業化、いわゆる産業化が進まないと社会の維持が難しくなる。例えば一切分業が行われないような状態で卵が全世帯に安価に供給されることは難しい。

【社会的分業】「技術的分業や経済的分業に対置される概念。これについて説いた学者は多いが、とくにデュルケムは分業が能率や経済効率を増進させるという側面よりも、複数の個人のあいだに道徳的連帯を生み出す事実に注目して、社会的分業を体系的に明らかにした。そして、この分業の発達が社会を機械的連帯から有機的連帯へと、連帯の性質そのものの変化を伴って進むものと見た。また、とくに有機的連帯が正常な道徳的連帯を生まない場合の無規制的分業、高速的分業などの異常携帯と見て、現代社会を批判した。」

「社会学小辞典」,268P

「デュルケムにとって社会の進化とは、社会の内部に多様性が生み出され、個人のあいだに多様な差異が生ずることである。そのとき、社会を維持するためには多様性を統合する作用、すなわち分業が必要であるというのである。」

「社会内部の相互作用の密度が増大するにつれて分業は増大し、機械的連帯は有機的連帯へ移行していく。デュルケムは有機的連帯の概念によって、共同体の解体が進行する産業社会での望ましい社会のあり方を示唆したと言えよう。個人の自由が増大するほど諸個人は有機的連帯を強め、それにともなって社会の道徳的密度も増大すると考えたのである。」

「クロニクル社会学」、那須壽編、有斐閣アルマ、P26-27

「官僚制」は機能的合理性の例か

POINT

官僚制・端的に言えば合法・合理的な支配の原理を第一とした制度であり、「合理的・能率的な組織の制度」を意味する。マックス・ウェーバーの用語。

伝統性やカリスマ性によって支配するのではなく、法律などの「規則」によって支配の正当性が裏付けられている。官僚制は行政組織だけではなく、私的企業、教会、学校、軍隊などさまざまな組織に浸透している。M・ウェーバーにとって近代化とは合理化を意味し、合理化の過程の一つに「官僚制化」がある。この官僚制化は政治だけではなく、社会一般に広がっている。

たとえば神様が正しいと決めたから、伝統ではそうだから、と人に優しくするというのは官僚制的ではない。

法律で決まっているから、会社ではそのように定められているから、というのが官僚制的。部下なのに年上だから従う、という場合は官僚制的ではない。

・官僚制が発達した理由:①他の制度より技術的に優れていたから、②資本主義の発展とともに官僚制が必要とされたから③技術的に(治水や治安など)必要とされたから、④大衆民主主義の発展とともに官僚制が必要とされたから

※官僚制についてはウェーバーの記事を参照

【基礎社会学第十八回】マックス・ウェーバーの「官僚制」とはなにか

・マンハイムは近代社会が到達した機能的合理化の最終段階を「官僚制」においてみいだすことができると述べていた。

ウェーバーは官僚制は鉄の檻(硬い殻)であると表現した。一度確立してしまえばそれを破壊することは難しい。しかし官僚制(機械)を最終的にコントロールするのは政治家のトップ(カリスマ的指導者)であり、このトップがカリスマ性をもつことによってある程度コントロールすることができる。だから政治家にはカリスマ性が政治家の資質として求められるという。

・個人は機械の部品のようなものであり、決められた動きをするよう(機能を満たすよう)に設計され、要求される。

例:営業社員はもっぱら営業のみを行い、経理や清掃、管理や製造などを行わない。自分勝手な判断で営業マンが経理の仕事をしたり、製造の仕事をしたりすると、会社全体が機能しなくなることもある。

・機械の部品(個人)は、その動きが機械全体の中でどのようなはたらきをしているものなのか、知る必要はない。全体性(トータリテート)へのアクセスとも関連する。

たとえばパソコンのグラフィックボードのあるネジを製造する人間がいたとする。その人間はそのネジが何のために使われているか、知る必要はない。ただネジを作ることだけが要求される。その目的を知っているのは主に会社の管理者である。

近代以前は、自分が作る部品がどのように使用され、またどのように売られるかを比較的よく知っていた。これはマルクスの「疎外」とも関連してくる。生産物と労働者の関係が疎遠になっていく(労働の疎外化)。マンハイムはマルクスに影響を受けていたことが知られている。

「マンハイムは、近代社会が到達した機能的合理化の最終段階を、おそらく官僚制においてみいだすことができると述べている。すでにM・ウェーバーが、官僚制的組織における個人は『機械の歯車』のような境遇におかれると述べていたのと同じく、機能的合理化の進行した組織においても、個人は、機械の部品のような立場におかれるといえるだろう。機械の部品は、最初の設計どおりに精密に動くことを要求されるが、その動きが機械全体のなかでどのようなはたらきをしているものなのか、知る必要はない。また、その機械が結局なんのために使われているものなのかも、理解する必要はないのである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,100P

機能的合理性の判断力麻痺作用とはなにか、意味

POINT

機能的合理性(funktionable Rationalitat)機能的合理性の徹底が、組織全体や社会全体について判断する力を失わせてしまうような作用をもたらすこと。

例:会社では上司のいうことに従っていればよく、自分の判断で勝手に動いてはならない場合が多い。もちろん、自分勝手な判断で上司に逆らって、逆に会社全体が機能不全に陥ることもある。しかし、会社全体、社会全体のことを考えずに盲目的に上司に従っているだけでは、部下は「自分で考える」という能力が麻痺してしまう。まるでロボットのようになってしまう。

全体を見渡した上で部分について判断する能力は、次に扱う「実質的合理性」とかかわってくる。

「とはいえ、集団の絆の喪失という事態は、ただちに、人々が集団に所属しないようになったということを意味するものではない。産業化の進展にともなって、分業化が進み、新たな経済的組織が形成されていくにしたがって、人々もまた、そうした組織、マンハイムの表現によれば「機能的合理性」が浸透した組織へとあらたに組み込まれていくことになる。この「機能的合理性」とは、一連の行動が、あらかじめあたえられた目標を達成するために、もっとも効率よいかたちで組織されているという意味での合理性である。こうした合理性が貫徹した組織において、人々は、組織全体、さらに社会全体における自らの行動の位置やはたらき、またその究極的意味について考えることを徐々に放棄していく。これをマンハイムは「機能的合理性の判断力麻痺作用」と呼ぶ。」

澤井敦「マンハイムとラジオ」,9P

実質的合理性とはなにか、意味

POINT

実質的合理性(substantive rationality;materiale Rationalitat)・所与の状況における諸事物や諸事象の相互関係を知的に明瞭化し把握したうえでなされているという意味での合理性。

組織や社会全体を見渡して判断する能力を失う人々が増えてしまうと、少数者にそうした判断が集中してしまうという。

そうなってしまうと、ヒトラーのような独裁制にいたり、アウシュビッツのような悲劇(大量虐殺)を生んでしまうこともある。

機能的合理性は生産性や能率性を高めるが、もしそうした機構や組織が崩壊するとどうなるのか

マンハイムは経済恐慌や失業者の増大を「危機の時代」だとしている。

たとえば上司の命令にだけ従っていればよかった会社員が、会社の倒産によって自分の力で生きていかなければいけない状態になったらどうなるか。戦争状態になって自分の判断で家族を守らなければいけないときにどうなるか。自分で考える力を組織の管理者につねに明け渡していると、判断力が麻痺してしまう。常に不安に陥り、指導されることにますます慣れていく状況は危険ではないのか。

相関主義との関連性

1:相関主義では「実験的生活」、「視野の拡大」、「補完の開放性」、「教養」が重視される。更には自分が規定されている「イデオロギー」を明確にしていくことも重要になる。

2:実質的合理性、すなわち判断力を形成するためには、相関主義における態度が身についている必要がある。全体を見ないで部分に盲目的に従うロボットのような狭い視野ではなく、全体を見て、その中に位置づけられた部分を洞察し、自己の行動を判断していくことが重要になっていく。

※各用語は前回の記事を参照

【基礎社会学第三十二回】カール・マンハイムの「相関主義」と「自由に浮動するインテリゲンチャ」とはなにか

こう考えていくと、危機の時代の処方箋として相関主義を考えていくこともできるかもしれない。

極論として、組織の管理者、たとえば政治家や官僚がきわめて優秀で聖人君子であり、全体を通して物事を考えられる人物であれば、判断力を鍛える必要はないのか。右へ倣えをしている国民が多い方が政治はうまくいくのではないか。

そういう考えもできるかもしれないが、なかなか難しい。全体性へアクセスできるリーダーを増やすためにはどうすればいいのかという教育の問題とも関わってくる。すくなくとも、仮に(社会全体にとって)好ましくない政治家が上に立っていた場合に、NOと突きつけられる国民、つまり判断力が麻痺していない国民が必要ではないか。それが少数しかいなかった場合、民主主義制度では、好ましくない政治家だとしても支配者として上に居続けることになる。

「マンハイムは次のように述べる。『産業的合理化はたしかに機能的合理性を高めはするが、しかし自ら判断をかたちづくる能力という意味での実質的合理性の育成に、社会的に寄与するところはますます少なくなる。』(四七)。ここでいう『実質的合理性』とは、『所与の状況を見据えて、物事の連関についての自らの洞察にもとづいて、判断力ある行動をする能力』(四七)である。機能的合理化の貫徹した組織において、人々は、組織全体、さらには社会全体について洞察することを自ら放棄し、結果的に、決定権を組織者に引き渡してしまう。そのため、組織や社会全体を見渡し、その方向性について判断をくだす力は、ますます少数者のもとに集中していくことになる。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,100P

「以上のようなマンハイムの議論に、ここで付け加えておくとすれば、彼のいう『実質的合理性』とは、結局のところ、すでにみたような、『実験的』態度あるいは『教養』をつうじて自らの視野を拡大し、結果として、社会全体の状況を構造的に把握することができる能力ということを意味している。この意味で、実質的合理性という概念もまた、かの規範的要請と通底するものである。そして、こうした能力が、近代社会の特質そのものによって侵食されつつあるということこそ、マンハイムの診断のひとつの重要な論点にほかならない。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,101P

大衆社会とはなにか

・整理

機能的合理性:一連の行動が、あらかじめ定められた目標を達成するために効率的に組織され、それぞれの行動諸要素に適切な位置と役割が与えられているケース。

実質的合理性:所与の状況における諸事物や諸事象の相互関係を知的に明瞭化し把握したうえでなされているケース。

大衆社会:機能的合理性の拡大と、それにともない実質的”非”合理性の浸透を特徴づられた社会。すなわち、判断力が麻痺した民衆による社会である。

「『大衆社会』という新たに造り出された用語によって現代社会を捉えたうえで、そこに進展しつつある情況を、『機能的合理性』の拡大とそれにともなう『実質非合理性』の浸透によって特徴づけようとするこの書は、まさにナチズムの興隆を目のあたりにしたマンハイムが、『科学の良心が問われるとき』という自覚のもとに『近年の諸経験を社会学的に解明しようと企てた』ものだったのである。」

「クロニクル社会学」、那須壽編、有斐閣アルマ、P132-133

【コラム】マックスウェーバーによる形式合理性と実質合理性

POINT

形式合理性(英;formal rationality)・特定の価値的な理想や目的とかかわりなく、事象の経過が推論ないし計画に従って無駄なく行われる合理性のこと。

POINT

実質合理性(英;substantive rationality)・特定の価値的な理想や目的を前提として、それとの一致の程度で測られる合理性のこと。

例:統計的に夏はチョコレートよりアイスを多く仕入れたほうが商品が沢山売れるな、というような計算可能性を伴うものは形式合理性だといえる。

例:神様に死んだあと救われるために、勤勉に働き、無駄遣いはしないように投資や貯蓄に回そうというものは実質合理性だといえる。

マンハイムの用語と混同しやすいので注意する必要がある。ウェーバーは形式合理性-実質合理性、マンハイムは機能的合理性-実質的合理性。

【実質合理性】「M.ウェーバーの用語。形式合理性の対概念である。貨幣等によって計算可能な行為は形式合理性をもつが、さらにその行為の成果が、ある価値尺度(倫理的・功利的・社会主義的・平等主義的要請など)に照らして、『価値がある』『目的にかなう』と判断される場合、実質合理的であるといわれる」

「社会学小辞典」,234P

【形式合理性】「M.ウェーバーが設定した重要な合理性概念の一つで、実質合理性と対をなす。特定の価値的な理想や目的を前提して、それとの一致の程度で測られるのが実質合理性であり、そういう理想や目的とかかわりなく、事象の経過が推論ないし計画に従って無駄なく行われるのが形式合理性である。計算可能性がその本質をなす。ウェーバーが歴史を不変合理化と捉える場合、それは形式合理化をさし、実質合理性との矛盾が問題となる。」

「社会学小辞典」,145P

否定的民主化とはなにか、意味

POINT

否定的民主化・基本的民主化という過程が、時として、民主化そのものを否定してしまうような傾向を自らうみだす事態

「このように、基本的民主化という過程が、時として、民主化そのものを否定してしまうような傾向を自らうみだす事態を、マンハイムは、『否定的民主化』と呼んでいる。独裁制の成立にしても、これは、非民主的な敵によって民主主義が外部から破壊されたと考えるべきものではなく、むしろ、民主主義の内部にあるまさにそれ自身のい特質によって、民主主義が自らを否定してしまったことの帰結と理解すべきものである。『独裁制は、まさしく大衆民主主義の否定的に作用する諸力そのものからうまれてくるものである。それは、自由主義の進展のある偶発的な一局面を、それが孕むあらゆる欠陥をも含めて、ある特定の集団の一面的な利益のために都合のよい方向で存続させ固定化しようという、暴力的な試み以外のなにものでもないのである。』(九八)」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,104P

自由のための計画

自由のための計画とはなにか、意味

POINT

自由のための計画・最大限の自由と自己決定を許容するような計画の形式のこと。「第三の道」や「計画の民主主義的様式」、「戦闘民主主義」とも呼ばれる。

社会計画と自由のための計画

POINT

社会計画・①広義には、経済・社会・文化の諸政策を統合し、各政策の志向すべき将来社会の社会像を示す包括的計画をさし、②狭義には、経済計画と並列すべき、より人間生活の福祉向上にそった社会的側面の計画を意味する。

1930年代にマンハイムは自由放任の時代から計画時代への移行をするべきだと考えていた。また、ナチス的な道でも共産主義的な道でもない、第三の道として「自由のための計画」を提唱した。

自由と規制をどのように考えるか

たとえば極端な自由主義として、自由放任主義(レッセルフェール)の立場がある。フランス語で「なすに任せよ」という意味合いがある。

経済学では一般に「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を意味する。

マンハイムは「一切の規制に反対することは、自動車のブレーキをもたないことと等しい」という。

つまり、あらゆる分野が「自由」にあればいいということではなく、一定の「規制」が重要になる。

たとえば公道で誰も彼もが時速制限という規制や信号という規制を守らずに自由に走った場合、多くの死者が出る可能性がある。このような規制がない場合、「混沌」状態に陥ってしまう。

もし仮に、人々が実質的合理性、つまり物事を全体的に、相関主義的に判断できる能力をもっていれば、混沌状態に陥らない可能性もある。

たとえば人のものは盗まない、老人や家族を大事にする、お酒を飲んで車を運転しないといった最低限の行為を規制なしに人々が主体的にしていくことも理想論としては可能かもしれない。

あるいは「甲羅のない蟹」に陥る前の人々なら、たとえ判断力が欠けていたとしても、伝統を重んじ、同調性が無意識に働き、「そうするのが正しいから」という理由で規制なしに可能だったかもしれない。

伝統が弱まり、判断力も麻痺している大衆をどのように導いていくかが重要になっていく。

どのような分野に規制を行うべきか、だれがどのような理由で行うべきか、どのように決めるのか。

自由と規制をどのようにうまく「調和」させていくのか。問題は山積している。

戦闘的民主主義とはなにか、意味

POINT

戦闘的民主主義・民主主義の基本的価値観(基本的な同調性)を侵害し、破壊するものにたいしてのみ、戦闘的になるという民主主義のこと。

自由の計画は多様性、個性や創造性を重視するが、基本的な同調性を破壊するような個性などに対して許容するものではないという点が重要になる。

「マンハイムが望ましいと考えるのは、自由そのものを保証するような統制をおこなうこと、『最大限の自由と自己決定を許容するような計画の形式』(七)である。これがマンハイムのいう、『自由のための計画』である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂107P

「『現代の診断』において、マンハイムは次のように述べる。『一方の全体主義的な画一的管理と、他方の自由放任段階での価値体系の完全な解体とのあいだには、なにかが、つまり第三の道が存在するにちがいない。そしてこの第三の道こそが、私が、計画の民主主義的様式、あるいは自由のための計画と呼ぶものなのだ』(二七二)。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂108P

「自由のための計画は、人々の多様性を奨励し、個性や創造性の自由な発展をうながす。この点で、それは、多様性を最大限許容しようとする。しかし他方、それは、かの民主主義の基本的価値観を侵害し、破壊するものをも許容するわけではない。そうした破壊や侵害にたいしてのみ、それは戦闘的になり、かの価値観を積極的に擁護しようとする。この意味で、それは『戦闘民主主義』なのである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂110P

【社会計画】「①広義には、経済・社会・文化の諸政策を統合し、各政策の志向すべき将来社会の社会像を示す包括的計画をさし、②狭義には、経済計画と並列すべき、より人間生活の福祉向上にそった社会的側面の計画を意味する。語源としては社会計画のほうが社会開発よりも古く、1930年代にマンハイムが、自由放任の時代から計画時代への移行として把握し、ナチス的な道でも共産主義的な道でもない第三の道として『自由のための計画』というかたちで問題にした。」

「社会学小辞典」251P

基本的な協調性とはなにか、意味

POINT

基本的な同調性(民主主義の基本的価値観)・社会における合意や協力がそれなくしては成立しなくなってしまうような、人々の基本的な同調性。社会秩序が成立するための基盤となる価値観。

POINT:「基本的な同調性、価値観」を破壊するものは許容できない

・『社会計画と人間のパーソナリティ』ではフェアプレー、親切心、共同体精神、正義の感覚、労働意欲などにかかわる最小限の同調性と具体例が出ている

・『変革における人間と社会』では社会の他の成員との一体感、共同の責任感、われわれの態度や行動に関して共通の背景をもっていることの必要性と表現されている。

・『現代の診断』においては、社会秩序が平穏にはたらくための基盤となる基本的な価値観や徳性として、「同胞愛、相互扶助、親切心、社会正義、自由、他者の尊重」が挙げられている

「一九三八年にオックスフォードのマンチェスター・カレッジでおこなわれた講義の記録である『社会計画と人間のパーソナリティ』において、マンハイムは、自発的な活動を尊重しつつも、社会における合意や協力がそれなくしては成立しなくなってしまうような、人々の基本的な同調性をはぐくむことが重要であると述べる。それは、たとえば、フェアプレー、親切心(decency)、共同体精神、正義の感覚、労働意欲などにかかわる最小限の同調性である。そして、ひとたびこうした基本的な同調性が保証されれば、あとは、教育、また、その他の活動領域においても、最大限の自由と個性の尊重が保証されなければならないという。ちなみに、こうした同調性を支える、いわば民主主義の基盤となる価値観について、マンハイムは、『変革期における人間と社会』英語版では、『社会の他の成員との一体感、共同の責任感、われわれの態度や行動に関して共通の背景をもっていることの必要性』(318)と表現している。また『現代の診断』においては、社会秩序が平穏にはたらくための基盤となる基本的な価値観や徳性として、『同胞愛、相互扶助、親切心、社会正義、自由、他者の尊重』(243)があげられている。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂108-109P

媒介原理とはなにか、意味

POINT

媒介原理・個別的で一回的な事象がそこに組み込まれているところの、ある程度の規則性をもった(しかし法則ではない)社会的傾向あるいは趨勢。必ずしも一般法則には含まれない特定の具体的歴史的状況の徳性を限定しているような合法則性や相互関係。

・歴史を越えた一般法則ではない。

・特定の時・特定の場所に働く、様々な要因から統合される具体的背景における普遍的な力のこと。

マンハイムの出した媒介原理の例

初期資本主義の段階における旧中間階級の反プロレタリア的態度。※プロレタリアとは他に一切の生産手段を持たず、自分の労働力を資本家に売り渡して生活する賃金労働者のこと。サラリーマンが代表的。

なぜ、反プロレタリア的態度をもつようになったのか、そうした動機づけや社会的状況が重要になる。

マンハイムによると、社会的上昇の希望が個人の実際の社会的位置を曖昧にするような仕方で個人に影響を与えるという一般的な心理法則が働いているという。

たとえば小農のような中間層は自分たちの労働力だけで、農業経営を行っている(僅かだが資本をもっている)。企業に雇われて賃金で働くような資本をもっていないプロレタリアに対して反感がある層。

・中間階級は下層階級と上層階級に挟まれているという点がポイントになる。

・上層階級はいわゆる資本家である。※資本家とは一般に、人を雇用したり、事業を経営などする人。イメージしやすいのは、利子だけで生活する人。

・上層階級からすれば、中間階級や下層階級も同じ「労働者」である(どちらも生活のために労働する必要がある)。しかし、中間階級は自分たちが下層階級と一緒に、つまり生産能力をもたないプロレタリアと同じだと扱われることに反感を持っていたことになる。

・中間階級は下層階級と違い、社会的上層への希望がある

たとえば職人や小農、小商店主などは事業がうまく行けば、人を雇って上層階級へと参入できる可能性がある、という希望があるかもしれない。

一方で、プロレタリアートは生産能力がなく、役職がすこし上がって賃金が増える程度しか希望がないかもしれない。このようなプロレタリアートとは一緒に扱われたくない、という態度が中間階級に生じていると解釈できる。上層でも下層でもない、曖昧な社会的位置に自分がいるというような心理的な影響を、希望は与えている。

後期資本主義でもホワイトカラー(いわゆる新中間層)はブルーカラーへ反感をもつ、という点も面白い。確かに製造業や建設業の肉体労働者よりも、大手企業の賃金労働者のほうが階級移動に希望をもちやすいと解釈することもできる。

だからといって、こうした心理法則がいかなる歴史的状況においてもあてはまる、と考えるべきではない。特殊な歴史的状況において、一般的心理法則が個別化されたケースだといえる。日本でも同じような現象がかならず起きるとは限らない。

【コラム】マックス・ウェーバーの理念型

・媒介技術は一般法則ではないという意味で、マックス・ウェーバーの「理念型」に近いのかもしれない。

理念型:文化事象を理解するために手段として利用できる概念的な分析モデル。

例:仮にある社会が完全に交換経済によって組織され、完全な自由競争が行われ、経済主体が完全に合理的に行為するというモデルを考える。このモデルをもとに、市場をめぐっていかなる現象が起こるかを考える。このモデルでは、現実には存在する独占や非合理的な行為をする人間は捨象される。つまり、不純物として捨て去られる。

【基礎社会学第六回】マックス・ウェーバーの「理念型」とはなにか(概略編)

【コラム】社会過程と社会関係の違い

あるいは、単に「社会過程」や「社会関係」とも表現することができるかもしれない。

社会過程:現実的な相互作用の動的な過程

社会関係:規範的な様式的行為の静的な安定した相互期待状態

たとえば、100円の利益よりは100万円の利益を日本人の多くは優先する。わざわざその他の条件が同じであるのにも関わらず、少ない利益を優先する人は少ない。

A商人とB商人のやりとりを想定すると仮定して、A商人はB商人が100万円の利益を優先してC商品を買うだろう、と期待できる。このような相互作用は安定しており、「社会関係」と呼ぶことができる。

一方で、田中さんが気分で今日は利益を優先しない、というようなこともありえなくはない。このような標準ではない特別な相互作用はどちらかというと「社会過程」と呼べる。

【コラム】ジンメルの心的相互作用

社会学者のジンメルは社会を個人間の心的相互作用としてとらえ、その諸形式を対象とする学問である「形式社会学」を提唱した。

心的相互作用:信頼関係、闘争関係、支配関係など、個人間に生じる人間関係の形式

ジンメルは諸個人間の微視的な相互作用を重視していたのに対し、マンハイムはどちらかといえば集団間の巨視的な相互作用を重視している。また、マンハイムはジンメルに学んでいたという点もポイントとなる。

・マンハイムの媒介原理は「特定の社会形態の特殊な性格を規定してる規則性や相互連関」である。

言い換えれば特定の社会の「相互作用」を意味する。そしてその相互作用には静的な「社会関係」もあれば、動的な「社会過程」もある。静的にとらえすぎれば「法則」があるようにみえるが、しかしそれらが動的に変動することもマンハイムは重視している。

・媒介技術は不変不動なものではないが、ある程度恒常性をもっている。つまり、予想の範囲内として安定した性質をたもっているように見える。

たとえば、借金をする理由はお金が欲しいからだ、と予想できる。電車で優先席を譲るのは、そうしたものが慣習として、マナーとして好ましいと思われているからだ、と予想できる。

静的な社会では媒介技術は安定しているため、法則的なもののようにみえる。しかし、動的な社会、変動期では、そうした安定が崩壊することもある。また、そうした慣習は極端な話、中世や古代まで遡ればまるで違うこともあり、時代によって変化していくと言える。実際に、「男尊女卑はよくない」、「LGBTの権利は守られるべき」という価値観が現代では浸透しつつあり、新しい媒介原理が定着しつつある。

たとえば「契約は守られる」、「盗みはよくない」、「民主主義はいいものだ」という、日本では比較的安定した価値観が崩壊することもある。どこかの国と日本が戦争するような事態になった場合、民主主義で解決している場合ではない、あるいは紙の契約よりも武力が優先されることもありえなくはない。要するに、社会の状況が変化すれば、媒介原理も変化していくのである。

【基礎社会学第五回】ゲオルク・ジンメルの「形式社会学」とはなにか

「マンハイムによれば、媒介原理とは、『いずれの社会においても作用しているのではなく、特定の社会形態の特殊な性格を規定してる規則性や相互連関』(一三二)である。媒介原理とは、個別的で一回的な事象がそこに組み込まれているところの、ある程度の規則性をもった(しかし法則ではない)社会的傾向あるいは趨勢である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂110P

「sociological Psychologyが探究するものは,歴史を超えて妥当する一般的法則でなく,また個別的・一回的事例に働く特殊関係でもなく,特定の時・特定の場所に働く種々の要因から統合される具体的背景における普遍的な力である51)。即ちこれは媒介原理(principiamedia)と呼ばれるもので,必ずしも一般法則には含まれない特定の具体的歴史的状況の特性を限定しているような合法則性や相互関係を意味する。マンハイムが挙げる一例によれば,初期資本主義の段階における旧中間階級(小商店主,職人,小農など)の反プロレタリア的態度には,社会的上昇の希望が個人の実際の社会的位置を曖昧にするような仕方で個人に影響を与えるという一般的な心理法則が働いているだろう。後期資本主義の段階でもその生活条件が未だ徹底的にプロレタリアート化しない限り,彼らの態度が反プロレタリア的である可能性は強く,さらに大規模な企業管理の所産である新中間階級(ホワイト・カラー)の態度と行動も旧中間階級に類似する傾向を持つ場合もある。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」、194P

【社会過程】「広義には社会の動的状態一般をさすが、社会を諸個人の相互作用から成るとすれば、ここに相互作用の現実的な動的経過としての、狭義の社会課程の概念を得る。後者は、ドイツ形式社会学によって明らかにされた。ジンメルは、社会学の研究対象を相互作用の様式である社会化の形式に求めて、社会課程の微視的研究に道を拓いた。ウィーぜは、この社会化の形式が、相互作用の現実的な動的過程と、様式化された規範的な静的期待関係の両者を含んでいることを明らかにし、前者を社会過程、後者を社会関係と呼んで区別した。いわば社会関係が、規範的な様式的行為の静的な安定した相互期待状態であるのに対して、社会過程は、現実的な相互作用の動的な過程をさす。このような社会過程は、その方向によって大きくは結合と分離の両極に分けられるが、さらにこの両者の中間にさまざまな混合形態、たとえば適応、同化、競争、闘争などが区別される」

「社会学小辞典」,250P

【社会関係】「相互作用と同一視されることもあるが、狭義には区別され、持続的に営まれる相互作用の規範化された様式をさす。相互作用が反復して行われることによって、行為社相互のあいだに他方の地位の承認と役割の期待を生み、相互作用は互いに期待され規制しあうことによって様式化され、ここに安定した持続的な相互期待の状態が成立する。これを社会関係という。これは、制度化され規範化された様式として、顕在的で動的な現実の相互作用すなわち社会過程とは区別され、安定した静的な潜在的状態として理解される。このような社会関係は形式社会学、とくに関係学によって社会学の主要な対象として分析された。一般には、対象者間の結合関係(協同)と反対関係(分離)に分けられるが、これらに不平等間の上下関係が加えられ、さらに関係の質に従って、それぞれの下位区分がなされている。」

「社会学小辞典」,250P

構造とはなにか、意味

POINT

構造・複数の媒介原理の相互関係。

例:経済的領域における構造的失業と心理的態度の変化の相関関係。資本主義の性質の変化と司法のありかたの変化の相関関係。

1:歴史のある現象は単一の媒介原理に支配されているわけではない

2:多くの媒介原理の相互関係である、構造によって支配されている

たとえば政治の次元、経済の次元、文化の次元、イデオロギーの次元にはそれぞれの媒介原理があり、またそれぞれの媒介原理がまとめられた次元がある。さらにそれらの多くの次元の関係をまとめあげるような多次元的相互依存関係として、「構造」がある。

このような話を聞いて思い出すのは、パーソンズのAGIL図式だろう。政治、経済、社会共同体、文化という4つの次元の相互関係として捉えられている。機能を満たすように構造が決定されていく。

白石哲郎さんはマンハイムの「構造」概念を分析概念や思考モデルの体系として混同されてはならないものだという。構造は直接には観察できないが、できるだけ多くの媒介原理を発見して、それらの間の諸傾向・諸結果の相互依存関係を経験的に正確に記述することによって接近することができるという。パーソンズの抽象的なAGIL図式(思考モデル)による分析というよりも、マンハイムには具体的な記述を重視するという傾向がみられるといえる。

構造への介入

・マンハイムはこうした構造を促進したり、抑制したりするかたちで「介入」する必要があるという。

構造はつねに変動しているので、今まさに生成しつつある動向を抑えることが重要になる。

マンハイム「変動しつつある社会を再建することは、新しい土台のうえに家屋を立て直すようなことであるというよりはむしろ、動いてる汽車の車輪を取り替えるようなものである」

「ただ、マンハイムの考えでは、各領域の媒介原理を把握するだけでは不十分である。むしろ、複数の媒介原理の相互関係、つまりは『構造』を把握することが重要である。『互いに関係づけられた複数の媒介原理は、構造をうみだす。複数の媒介原理の相互依存的な変化は、構造変動をうみだす』(一五二)。『われわれが今日、実際に観察することのできる大部分のものは、政治的、経済的、技術的、心理的などの領域におけるさまざまな『媒介原理』の相互依存的変化である。これらの変化は相互依存的に観察され粘らなない。つまり、たとえば、政治的領域における変化が経済的領域における変化と関連してくる場所、またこれらの二つの領域における変化が新しいタイプの心的態度へと転化する場所がみいだされなければならない』(一五三)。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂112P

「『現代の診断』において、マンハイムは次のように述べる。『「社会的技術」とは、私の理解では、人間行動に影響をおよぼすことを意図し、統治機関の手中にある場合には、社会統制のための非常に強力な手段として作用するような諸方法の総体のことである』(二三四)。具体的には、社会技術とは、たとえば、暴力的強制装置としての軍議技術、社会組織の管理技術、人間行動の統制技術、また、新聞やラジオなどのメディアの利用、学校における教育、社会福祉事業の導入などである。 」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂113P

【社会技術】「マンハイムが『変革期における人間と社会』(1940)で使った用語(social technique)。社会関係の形成を目標とする社会的実践の総称。民主主義が崩壊してくナチズムのなかで、彼は、すぐれた社会技術による計画化社会は自由を擁護すると唱えた。組織・宣伝・社会統制(とくに教育)の技術をさして用いたが、今日では組織化の技術、広く社会設計の技術(social technique,sociotechnics)をいう。」

「社会学小辞典」,250P

【社会統制】「社会およびその内部の集団が秩序を維持するために、内的に発生する逸脱、犯罪・緊張を処理して均衡を回復する過程。統制が行使される場面は、国際関係から非公式な小集団にまでわたる。統制手段はさまざまな正および負の制裁である。同調を促進する正の制裁(positive sanction)は事前的には奨励、事後的には表彰というかたちで褒賞を与える。逸脱を阻止する負の制裁(negative sanction)は事前的には禁止、事後的には懲罰というかたちで嘲笑・非難、暴力・法的処罰などを通して威嚇し剥奪する。統制主体は道徳的非難や集団的絶交という非公式的(informal)・拡散的な制裁を行使しやすいのに対して、法による場合には強制を任とする治安・司法上のスタッフがもっぱら公式的(formal)で特定化された制裁を行う。ただし、この区別は相対的である。なお、社会統制は限られた範囲内でのみ逸脱を許容することによって、かえって秩序を有効に維持するという側面を含む。」

「社会学小辞典」,269P

「こうしてマンハイムは構造の概念に新しい規定を加えるに至った。「相互に関係づけられた多数の媒介原理は一つの構造を形成する。そして多くの媒介原理に相互依存的な変化が起るとき構造的変化が成立する53)。」歴史上の或る一つの時期は唯単一の媒介原理に支配されているのではなく,それらの全系列によって支配されている。例えば,政治・経済・文化・イデオロギーなどの諸領域は研究老や観察者が一つの歴史的現実から取り出した横断面であって,これらの領域はそれぞれ諸々の出来事が一つの全体としてまとめられた単一の次元を示すものであるが,実際はこれらの諸領域とそこに働く具体的な媒介諸原理との間には,相互関係が成立しているのである。歴史的現実をこういう多次元的相互依存関係として把握するため「構造」という概念が用いられる。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,194P

「マンハイムのいう「構造」は,常にどんな部分的状況よりも一層全体的・包括的であるため決して直接に観察できないが,社会的現実そのものの組織原理を指す対象概念であって,分析概念または思考モデルとしての体系と混同されてはならないものである61)。われわれが構造に接近することができるのは,できるだけ多くコの媒介原理を発見してこれらの間の諸傾向・諸結果の相互依存関係を経験的に正確に記述することによってである。マソハイムの主張する構造的接近め立場は一方では全体的相互依存性を見失わないで現実を綜合的に把握しようとする点で機能主義の立場と合致する所を持つが,他方彼の構造概念は分析のための思考モデルでなくむしろ記述と農望を重視する対象概念であって,そこにはどこまでも歴史的具体性に迫ろうとする要請が滲み出ているのである。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,195P

社会技術とはなにか、意味

POINT

社会技術(social technology)・社会関係の形成を目標とする社会的実践の総称。

Q では、どのような手段で構造に介入するのか

A 社会技術を用いて介入する

マンハイムは組織・宣伝・社会統制(とくに教育)の技術をさして用いたが、今日では組織化の技術、広く社会設計の技術をいう。

マンハイムの定義では「人間行動に影響をおよぼすことを意図し、統治機関の手中にある場合には、社会統制のための非常に強力な手段として作用するような諸方法の総体」

例:暴力的強制装置としての軍議技術、社会組織の管理技術、人間行動の統制技術、新聞やラジオなどのメディアの利用、学校における教育、社会福祉事業の導入

社会技術はそれ自体としては善でも悪でもない

  1. 社会技術はそれ自体としては善でも悪でもない
  2. 社会技術がどのような目的のために利用されるかが重要
  3. 近代社会において、秩序を維持するためには社会技術の利用が不可欠
  4. 「自由のための計画」という理念のもとに、社会技術の使用を意識的に管理していく必要がある(構造への意識的な介入)

例:ナチスはラジオなどの社会技術を通して、少数の者が社会全体を支配することを可能にした捉えることもできる。過度な言論統制、人種差別などの不自由な計画とも呼べるような方向へ行く可能性もある。現代社会ではラジオの代わりにインターネットが新しい技術として発達している。

ラジオの他にも、新聞・映画・ポスターなどが用いられたという。マンハイムの文脈でいえば、特定のイデオロギーを宣伝することであり、またそれに慣らす手段としてラジオが利用されたといえる。

「教育」の重要性

POINT

教育(読み)・説明

・マンハイムは社会技術の中でも、特に教育を重視している。そして、教育は社会技術の一つであり、学校はそれをになう社会統制の機関である。

1:まず最初に優先されるべきなのは集団への同調性のための教育だという。

2:次に、多面的でバランスの取れたパーソナリティ形成のための教育が必要になるという。

基本的な同調性(民主主義的な価値観)をどのように子どもたちに身につけさせるのか

A 教え込んだり説教する形ではないという。自然に納得できるような形が重要だという。

・基本的な同調性が培われた後で、個人の自発的な選択や自由な実験的態度による試行錯誤を重んじる教育が必要となってくるという

ここで重要になるのが、相関主義である。知識や認識を相互に関連付け、総合していき、視野の拡大と補完の開放性を高めていく。そうすることで、社会に対して盲目、つまり「甲羅のない蟹」にならず、自分で判断できるような人間になっていく。

社会的自覚の重要性

POINT

社会的自覚・自らがおかれている全体的な状況を観察しようという姿勢ができているということ。自らの行為を目前の仕事や目的に方向づけるだけでなく、より包括的なヴィジョンのもとに基礎づけようとする姿勢ができているということ。

教育の帰結として、人々が社会的自覚をもてるということをマンハイムは重視している。たとえばあるライバル企業を潰せば自分の企業は莫大な利益を得るが、その地域で社会的な損失や利便性が著しく低下する場合、我々はどのように選択するべきなのだろうか。

「『現代の診断』において、マンハイムは次のように述べている。『段階をふんだ教育、すなわち、最初に集団への同調性のための教育、そして次に多面的でバランスのとれたパーソナリティ形成のための教育』(三一四)。つまり、教育的戦略として、まずは、先にみたような、同胞愛や相互扶助など民主主義の基盤となる価値観を、子供たちに、教え込んだり説教したりするのではなく、自然に納得できるようなかたちで身につけさせる必要がある。そして、このような、社会の秩序を成立させる基盤となる社会的同調性がひとたび培われたなら、次には、個人の自発的な選択、自由な実験的態度による試行錯誤を重んじる教育をおこなうことがむしろ必要となる。このようにして、『合意された同調と、自由のあいだのバランス』のとれた『調和のとれた態度(blended attitude)』(三一三)を育むことが、民主主義的教育の目標となるのである。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂115P

「そしてさらに、以上のような教育の帰結となるべきであるのは、人々が『社会的自覚(social awareness)』をもつということである。『現代の診断』におさめられた『教育、社会学および社会的自覚の問題』において、マンハイムは次のように述べている。『「自覚」ということが、合理的な知識のたんなる集積であるという理解を私はしていない。自覚とは、個人の生活および共同体の生活のいずれにおいても、自らがおかれている全体的な状況を観察しようという姿勢ができているということ、そして、自らの行為を目前の仕事や目的に方向づけるだけでなく、より包括的なヴィジョンのもとに基礎づけようとする姿勢ができているということを意味する。こうした自覚のひとつの現れが、状況についての正確な診断ということなのだ』(三三八)。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂118P

計画するものを誰が計画するのか

Q計画するものを誰が計画するのか

Aすでに存在している人間集団からのみ補充される

「大規模した近代社会において、秩序を維持するためには、社会技術の使用は不可欠である。であるからこそ、『自由のための計画』という理念のもとに、社会技術の使用を、『諸統制の統制』たる議会制の機能をつうじて、意識的に管理していく必要がある。そして、この点に関連して問題となってくるのが、すでに『変革者における人間と社会』ドイツ語版においてマンハイムが提起していた、『計画する者を誰が計画するのか』という問いである。これについて、マンハイムは次のように答えている。『その現実的・政治的意味においては、かの問いは、誰も計画者を計画しはしなかったということになる。ここから結論としてでてくるのは、計画者は、すでに存在している人間集団からのみ補充されうるということである』(67)。マンハイム自信、この問いに宗教的な観点から答えることも可能だとしており、この時点ではまだ一義的な解凍を提示してはいない。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂114P

連字符社会学

・マンハイムは社会学を、一般社会学、連字符社会学、文化社会学の3つに分類した。

一般社会学とはなにか、意味

POINT

一般社会学・社会の一般原理を扱う一般社会科学のこと。専門科学(特殊科学)としての社会学のこと。

マンハイムは、社会学にはあらゆる社会学的知識の必須条件を扱う一般社会学の部門がなければならないという。

例:宗教団体Aや企業B、学校Cなど具体的な内容に共通して、闘争という社会形式が存在しうるものであることが挙げられる。

社会形式のような非歴史的・公理的概念を知ることによって、具体的な歴史現象において一般的・共通的な諸要因を発見することが可能になるという。

例:未開人における秘密結社と中世後世のギルドには、歴史学や政治学からみれば共通のものを発見しづらいが、社会学的見地からすれば「閉鎖性」という社会形式を見出すことができる、など。

マンハイムは一般社会学の研究方法の三つの基準を挙げている。このうち、1と2をとくにマンハイムは重視している。

  1. 非歴史的=公理的方法
  2. 比較類型的方法
  3. 歴史的=個性化的方法

安村克己さんによれば、現状の社会学ではすべての特殊社会学に理論を提供できるような理論社会学というものはまだないという。

それゆえに、理論社会学も連字符社会学のひとつとして捉えることもできる。そして、それが社会科学としての社会学の苦しいところだという。このあたりはパーソンズの一般理論が一部で失敗したとみなされたところと重なってくるかもしれない。

連字符社会学とはなにか、意味

POINT

連字符社会学(れんじふしゃかいがく;(独)Bndestrich-Soziologie)・具体的特殊領域に社会学理論を適用する個別諸学科別の社会学のこと。マンハイムが命名した言葉。端的に言えば、「特定の領域を扱う社会学」のこと。

連字符とはハイフンのこと。ハイフンとは、語と語とをつなぐ時などに用いる、短い棒のしるしのこと。

具体的特殊領域とは、たとえば経済、法、家族など。そうした特殊領域をハイフンで社会学に結合させ、経済-社会学、法-社会学などをつくることができる。論理的には、領域の数だけ作ることができるという。

マンハイムの「知識社会学」は連字符社会学のうちのひとつ

つまり、知識-社会学ということ。

知識社会学:知識と社会的存在の関係、知識の生成の社会的条件を明らかにしようとする社会学。「知識の存在被拘束性」や「普遍的イデオロギー」の分析。

【基礎社会学第三十一回】カール・マンハイムの「イデオロギー」とはなにか

連字符社会学は「社会一般の原理を扱う理論社会学(一般社会学)に対して、特定の領域を扱う社会学」とシンプルに定義されることもある。たとえばルーマンの社会システム理論などが理論社会学にあたる。

連字符社会学の例としては、科学-社会学、医療-社会学、宗教-社会学なども挙げられる。特定の領域と社会の関係を考察するという点が重要になる。たとえば、医療-社会学では病気がどのように捉えられてきたかどうか、時代や社会によって変動することを考察していく。「狂人」などの捉え方なども面白い。

「社会学のテーマが夥しい数であるのに応じて、社会学にはテーマごとに連字符社会学という、特定分野ごとに多数の特殊社会学が存在します。連字符社会学は、カール・マンハイムが命名した用語です。連字符というのはハイフンのことですが、ハイフンでその前・後の言葉をむすぶように、テーマや対象領域と社会学を――ハイフンなしですが――つなげたのが、連字符社会学です。たとえば、連字符社会学を思いつくままに列挙すれば、家族社会学、都市社会学、農村社会学、産業社会学、政治社会学、経済社会学、歴史社会学、知識社会学、科学社会学、教育社会学、数理社会学、……といった具合に、その数は限りがないようにみえます。そして、観光社会学も、もちろんあります。多様な領域の異次元なテーマがありすぎて、連字符社会学をすっきり類型化することは、どうもできそうにありません。さらに、連字符社会学には理論社会学というのもあります。私(筆者)自身の専攻として、観光社会学と並べて、理論社会学をあげることがあります。先ほど、特殊社会学としての連字符社会学という言い方をしましたが、理論社会学は、特殊社会学を統括する一般社会学のようにもみえます。しかし、実際に理論社会学は、すべての特殊社会学に理論を提供できるような一般社会学とはなっていません。理論社会学も、連字符社会学として、特殊社会学の一つということでしょうか。このあたりが社会科学として、社会学の苦しいところです。」

参照URL

「ひろく知られているように,連字符社会学という言葉は,Kマンハイムの『社会学の現代的課題』(1932)という小冊子のなかではじめてあらわれた.当時,かれは知識社会学の体系を完成し,現代社会の総合分析への道を開いたところであった.また,かれは,ドイツの社会学が,一方ではすべての事象を対象にして根なし草的存在になりやすく,他方では研究者の関心が拡散して社会学の本体の内部が空洞化することを憂慮していた.その小冊子では,かれは,社会学の体系を,①専門科学としての社会学(一般社会学),②個別諸学科別の社会学(連字符社会学すなわちハイフン付きの社会学),③文化,文化的発展の社会的性格,ならびに文化的諸領域における生成物の相対的連関にかんする学としての社会学(文化社会学)の3部門に区分した.」

副田義也「福祉社会学の課題と方法」5P

【連字符社会学】「マンハイムは、社会の一般原理を扱う一般社会科学と具体的特殊領域に社会学理論を適用する分科社会学とを体系的に区別したが、後者の分科社会学をこう呼んだ。社会の特殊領域の名称(法、経済、家族など)に連字符=ハイフンをつけて社会学の語に結合させること(法-社会学、経済-社会学、家族-社会学など)によって、論理的にはその領域の数だけ連字符社会学をつくることができる。」

「社会学小辞典」,630P

「社会学には,あらゆる社会学的知識の必須条件を扱う一般社会学の部門がなければならぬ。ここでは,普通にGesellschaftschlechthinと呼ばれるもの,即ち時に応じてさまざまの社会形式を作り出す社会化過程の諸条件と諸形態が研究される。もちろん社会化過程は具体的文化内容と一体となっているが,一般社会学(allgemeineSoziologie)の中心課題は,これらの文化内容を一応捨象してそのなかで社会化が生起する所の諸力や諸形態を扱うことにある22)。この一般社会学の研究方法として彼は,(a)非歴史的;公理的方法,(b)比較類型的方法,(c)歴史的=個性化的方法,という三つの基準を挙げ,特にドイツの社会学は「誇張された歴史主義」の圧力を排して,(a),(b)の方法をもっと積極的に受容しなければならぬ,と論じている」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,189P

「マンハイムは『社会学の現代的課題』(1932)のなかで,「三つの社会学の本質的諸形態」として,①専門科学としての社会学(社会関係や社会構造を広範に扱う一般社会学),②個別諸学科の社会学(いわゆる連字符社会学),③文化および文化的発展の社会的性格と,文化的個別諸領域における生成物の全体的連関に関する学としての社会学をあげるが,文化社会学と同定されているのは③であり,知識社会学自体は,経済社会学,法社会学,宗教社会学,文芸社会学,芸術社会学,言語社会学,教育社会学とともに②に含まれている。しかしながら,「一定領域を社会過程に関連づけるのではなく,文化的諸領域の総体を社会的生活との連関において観察する」(Mannheim1932=1976:289)ことを主題に設定し,斯かる連関付け(Verklammerung)を基点として精神的な諸現象を総合的に把握しようとするマンハイム流の文化社会学の姿勢は,「相関主義」の立場を強調する知識社会学との親近性を暗に示しているともいえる。なお附言すれば,個別諸学科の社会学は,実際には社会的生活との連関において総体をなす「文化的個別諸領域」を対象としている以上,文化社会学の諸部門として捉えなおす余地があろう。」

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」,101P

文化社会学とはなにか、意味

POINT

文化社会学(;cultural sociology)・文化事象全般を、知識に限らず、その背後にある接続的な経験空間に関連付けて考察する社会学。

文化社会学で重要なキーワードは「接続的な経験空間」と「集合表象」である。これらの連動関係を把握することが重要になる。

接続的な経験空間とは、意味

POINT

接続的な経験空間・社会的に共有された体験の流れ。社会的体験連関とも呼ばれる。

例:電車で杖をついた老人が入ってきた場合、私とその老人にはある関係が生じる。たとえば強者ー弱者関係が生じるかもしれない。このような関係を「存在的関係」と呼び、これによってある種の雰囲気が生まれる。これが接続的な経験空間である。

たとえば日本では、電車で杖をついた老人が入ってきた場合、席を譲る人が多い。

こうした雰囲気、空間は必ずしもどの社会でも共通している、普遍的なものではない。それぞれの社会に固有の接続的な経験空間というものがある。人の目を気にした電車などの複数の人間関係だけではなく、ある友人と私の特定の関係における接続的な経験空間というものもある。例えば悪口は冗談であり、むしろ褒めているというような特殊な空間が共有されている場合もある。他の空間で同じことを言うと、人を傷つけてしまうこともある。

集合表象とはなにか、意味

それぞれの社会の、それぞれの時代における「接続的な経験経験」の内部では「集合表象」が生み出されるという。

たとえば「優先席」という言葉が生まれる前においても、老人に席を譲る人はおそらくいた。

日本では無意識のうちに、日本文化の固有の「」を実現させているといえる。たとえば意識せずとも、電車では空席が目立つ時はひとつ席を開けて座り、杖をついた老人がいれば席を譲り、ご近所さんには挨拶をする。

POINT

精神的連関・ある特定の接続的空間において、接続的な経験の結果として自然に蓄積され維持される意味的連関・継承。

伝達的思考と接続的思考

伝達的認識(伝達的思考):思考を通した合理的な認識。複数の持続的な経験空間を相互に関係づけ、特定の経験空間を超えた妥当性を有する思考。例:1+1=2など。

【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか

このように文化として自然に蓄積され、維持されてきたものが「精神的現実」である。制度、習慣などが代表的なもの。もし意識的に「自分は席を老人に譲っている」と反省の目が向けられれば、そうした「型」は「概念」となる。たとえば今私は、普段無意識に行っていた「席をひとつ空けて座る」という行為を言葉として概念化させている。

他にも普段気づいていないような型、外国に行って「比較」してはじめてわかる日本独自の型があるかもしれない。家に入るとき靴を脱ぐ、ゴミの分別、相槌、曖昧な返事、本音と建前など。有名なベネディクトの「恥」の文化などもそうした型のひとつかもしれない。必ずしもそうした精神的現実は言葉によって概念化されているわけではない。だからこそ、恥の文化などが評価を受けている。

伝達的認識と接続的認識

・マンハイムは行為者が有する知の体系を二つに区分している

POINT

伝達的認識・思考を通した合理的な認識。複数の持続的な経験空間を相互に関係づけ、特定の経験空間を超えた妥当性を有する思考。例:1+1=2など。

POINT

接続的認識・相手との相互行為の中、行為モデルを身につけるなかで養われる認識。同じ接続的な経験空間に参与しているものにしか十分に理解されないような、感覚的、身体的な実践知。例:一度は善意の申し出を断る日本の習慣など。

「周知のようにドイツにおいても、形式社会学の克服は文化社会学となってあらわれ、この文化社会学の方向づけは、象学的方法を把んだ・シェーラーや知識社会学、思想の社会的存在拘東性の理論を樹立したマンハイムや視界の相互性を説いた・リット等によって、社会学の現実接近とその社会科学的有効性を検証する方向へと進み、ジンメルによって開かれた社会化形式という無味乾燥性を生き生きした具体性をそなえた歴史性と文化性におきかえた。かくして歴史と文化に重点をおいた社会学的接近は、結局、歴史社会学と文化社会学をして、「診断学としての「社会学」という姿勢をとらせたのである。この時に、いわゆる論理的で解釈論的立場にあった現実遊離的な社会学が現実への有効性ある社会学にかえさせた。」

上林良一 「政治社会学の問題意識」,160P

「文化社会学をめぐる二つの草稿、『文化社会学的認識の特性について』(一九二二)と、一九二四年頃に執筆されたと考えられる『文化とその認識可能性についての社会学理論(接続的思考と伝達的思考)』は、マンハイムの存命中には公表されることなく、一九八〇年代になってはじめて公刊され、その存在をひろく知られるようになった。『世界観解釈の理論への寄与』に続く時期の、なおかつ知識社会学の定式化以前の著作であるが、ここにおいてマンハイムは、規模において知識社会学を上まわる『文化の社会学』を構想している。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,49P

「たとえば、恋人たちは、その自発的な愛において、ある文化に固有の愛の型を無意識のうちに実現させている。そして、そのような『精神的現実』としての恋愛関係に意識的に反省の目が向けられると、恋愛の『概念』がかたちづくられることになる。そのさい、この概念は、それ自体が提示されることによって、逆に、恋愛関係の今後のありかたにも影響をおよぼす。このように、『接続的な経験空間』、および、その内部でうみだされる集合表象としての『精神的現実』と『概念』の三者は、互いに連動しつつ変化していく。そして、この三者の連動関係をそのつど具体的に把握するのが文化社会学である。このようにみると、知識に限らず、文化的自称全般を、その背後にある接続的な経験空間に関連付けて考察することが、ここでの基本的構図であるといえる。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,51-52P

「議論の出発点となるのは、『存在的関係』である。これは、主観と客観がそれぞれ対象化され、対置される以前の、両者をふくみこんだ関係それ自体である。たとえば、見知らぬ人が私のいる部屋に入ってきた場合、かりに彼・彼女と話をかわすことがなくても、そこには私と彼・彼女との存在的関係が生じ、ある種の雰囲気が生まれる。部屋の外の風景に目をやっても、風景は、この雰囲気の醸し出す視点、『パースペクティブ』をつうじてのみ目に入ってくる。二者関係に限らず、よりひろい範囲の社会的生活の基底にも、規模の大小はあれ、こうした存在的関係がある。これをマンハイムは、『接続的な経験空間』、あるいは『社会的体験連関』と呼んでいる。これらは、社会的に共有された体験の流れであり、時間とともに刻々と変化していく。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,49-50P

「そして先の概念や言語と同じく、ここでもまた経験の流れを固定化する役割をはたす精神的連関が存在する。マンハイムは、これを、E・デュルケムの述語を借りて『集合表象』と呼ぶ。……マンハイム流にいえば、集合表象は『パースペクティブ的ではあるが、定型化された、つまり、ある特定の経験空間に関係した接続的経験の沈殿物』である。そしてこお集合表象もまた、それが属する特定の経験空間に参与している者にとってのみ『客観性』(したがって普遍的妥当性ではない)を有する。マンハイムは、この集合表象の内容を、『精神的現実』と『概念』に区分している。『精神的現実』とは、ある特定の接続的空間において、接続的な経験の結果として自然に蓄積され維持される意味的連関・継承である。」

澤井敦「カール・マンハイム」、東信堂,51P

「儀礼を行うのに必要な実践的な知識はそれぞれの共同体に独自のものであるが、それは説明を通して学習される類のものではない。それは儀礼を繰り返すうちにいつの間にか身についてしまうようなハビトゥス化された知識である。すでに20年代にマンハイムは、行為者が有する知の形態を二つに分けている。一つは、思考を通した合理的な「伝達的認識kommunikativesErkennen」であり、もう一つは、相手との相互行為のなか、行為モデルを身につけるなかで養われる、上述のような「接続的認識konjunktivesErkennen」である。ドキュメンタリー方法は、特にこの後者の知識形態に焦点を当てる。この知識は、特定の共同体における今ここの状況、マンハイムの言葉で言えば「接続的な経験空間konjunktiverErfahrungsraum」を共に体験し、実存的に関わり合う私達のみが知っている、感覚的、身体的な実践知であり、逆にそれを共有していない者に伝達することのできないものである。マンハイムが、社会的現実とは「何か」ということよりも、行為者達が社会的現実を「どのように」作り出していくかということに着目したように、接続的認識の考察の際にもまた、行為者の振る舞いの根底にある、行為者を行為へと方向付けるハビトゥスが問われる。」

高松みどり「教室のドラマトゥルギー:ゴッフマンの思想について」,115P

参考文献リスト

今回の主な文献

カール・マンハイム「イデオロギーとユートピア」

カール・マンハイム「イデオロギーとユートピア」

澤井 敦「カール・マンハイム―時代を診断する亡命者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学) 」

澤井 敦「カール・マンハイム―時代を診断する亡命者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学) 」

汎用文献

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

大澤真幸「社会学史」

大澤真幸「社会学史」

新睦人「社会学のあゆみ」

新睦人「社会学のあゆみ」

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる

本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる!

アンソニー・ギデンズ「社会学」

社会学 第五版

社会学

社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)

クロニクル社会学

クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

参考論文

副田義也「福祉社会学の課題と方法」(URL)

白石哲郎「ドイツ社会学における文化概念の再検討」(URL)
上林良一 「政治社会学の問題意識」(URL)

高松みどり「教室のドラマトゥルギー:ゴッフマンの思想について」(URL)

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