動画での説明
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はじめに
社会心理学とは、人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である。
この動画シリーズは下の図に示すように、創造発見学に位置づけられている。
この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある。
基本的な説明プロセスは、上の図の通りである。
(3) 社会関係資本とは
コールマンにおける社会関係資本とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
(コールマンにおける)社会関係資本(英:social capital):自己利益の達成を目指す主体との関係においてはじめて明らかになる社会構造の資源的側面のこと。
コールマンはアメリカの社会学者であり、合理的選択理論などで知られている。代表作は『社会理論の基礎』(1990)であり、そこで社会関係資本が解説されている。
コールマンにおいて重要なのは、社会関係資本が人と人との間に存在するものであり、ある個人が孤立的に所有できるようなものではないという点にある。
コールマンはアメリカの社会学者であり、合理的選択理論などで知られている。代表作は『社会理論の基礎』(1990)であり、そこで社会関係資本が解説されている。
コールマンにおいて重要なのは、社会関係資本が人と人との間に存在するものであり、ある個人が孤立的に所有できるようなものではないという点にある。
コールマンは「人的資本は点にあたり、社会的資本は点を結ぶ線にあたる」という言い方をしている。
要素ではなく形式を見つめるといえば社会学者のジンメルを参照するとわかりやすい(※ジンメルについては基礎社会学第五回の動画を参照)。
・特に参考にしたページ
「社会学」、有斐閣、第十一刷,230p
佐藤誠「社会資本とソーシャル・キャピタル」[2003],1-3-4p
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),70-74p
コールマンによる社会関係資本の具体例
コールマンの出した社会関係資本の具体例では、「学校のつながり」、「医師と患者の信頼関係」、「地域で子どもを見守る関係」などが挙げられている。
たとえばコールマンは「学力は学校よりも家庭背景の影響が大きい傾向がある」と主張している(1966)。また、「カトリック系私立学校のコミュニティ的つながりが学力向上に寄与している」と主張している(1980年代)。
ただし、社会関係資本はある人にとって有益でも、別の人には不利益となる場合もあるという。
たとえば学校でわからない箇所を教え合う人間関係が生じていたとして、わからないところが少ない立場の人では自分のペースで勉強できないという不利益が生じている可能性が考えられる。もちろん、別の面(たとえば頼られて嬉しいなど)で利益を得ている可能性もある。
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),73-74p
コールマンにおける「物的資本」、「人的資本」、「社会関係資本」の違いとは
コールマンは「物的資本」と「人的資本」を区別し、社会関係資本を「人的資本の拡張」として位置づけている(人的資本と機能的に関連づけている)。※延長は性質は同じだが、拡張は性質が変わるというイメージである。
「おそらく過去三〇年の教育経済学の最も重要で最も独創的な発見は,……物理的資本が人的資本をも含むように拡張されうるという考えであろう」とコールマンは述べている(1990)。
ただし、物的資本や人的資本が「私財的側面」が強いのに対して、社会関係資本は個人にただちに利益がもたらされるわけではなく、時間をかけて社会全体に利益がもたらされるという点で「公共財的側面」が強いとされている。
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),73-74p
佐藤誠「社会資本とソーシャル・キャピタル」[2003],1-3-4p
「物象的親ネットワーク論」とは
コールマンの社会関係資本理解で重要なのは、物的資本の拡張で他の資本が位置づけられているという点にある。経済的資本の形成を促すような人的資本、人的資本の形成を促すような社会関係資本といったような関係にある。資本形成を促すような資源だから、その資源も実質的には資本に等しい。
物的資本の拡張として人的資本があるゆえに、社会関係をコト(関係)ではなくモノのように測定、分析しようとする姿勢がコールマンにはある。「資本」という言葉自体にも「モノ」というニュアンスが漂っている(もともとは比喩として用いられていたのだが)。
教育学者の高野良一さんはコールマンの立場を「物象的親ネットワーク論」と表現している。関係をモノのように捉え、かつ家族などのネットワークを重視しているわけである。
たとえば親の数(片親か両親か)、兄弟の数、接触の頻度などの「数値」に変換されてコールマンは社会関係資本の分析を行っていく。
関係(社会学的事実)を統計などの数値によって分析する姿勢はデュルケムの『自殺論』をふまえて考えるとよりわかりやすいだろう。
社会学者のデュルケムの場合も「モノのように」という比喩を重視した(※デュルケムのこの考えについては基礎社会学第三七回の動画を参照)。
もちろん、モノ(要素)としてどこまでコト(関係)を正確に変換できるのかという点が問題になる。全体には部分に還元できない要素がある複雑な事態と考えると、いかにして近似的にでも理解していくのかが課題となる。
【基礎社会学第三八回(1)】エミール・デュルケムの『自殺論』の目的を解説
【基礎社会学第三七回(1)】エミール・デュルケムの「社会的事実を物のように考察せよ」を解説
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),75p
ケネス・アローによる批判と、ナン・リンの擁護
たとえば経済学者のケネス・アローは社会関係資本は資本と呼べないと批判している。資本には本来、「将来の利益のために、現在コストを払う」という性質があり、それを社会関係資本は満たさないというのである。
社会関係は投資して増やすものとして扱いにくいというわけだ。例えば友人との付き合いによって利益が得られるかどうかは不確定である。
社会学者のナン・リンはこうした批判を受け止め、資本を「市場の中で利益を生むことを期待してなされる投資」と定義することを提案している。
友人との付き合いによって将来の情報共有、助けあいなどの非物質的な利益を期待できるというわけである(利益の概念も拡張されている)。社会学者の佐藤誠さんは、「無理に資本と呼ぶより『社会的資源』と呼ぶ方が適切である」という。資本と呼ぶからこそ「モノ」や「実体」の側面が強く意識されすぎて、過剰な数量化が生じやすくなるからである。
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),70-71p
佐藤誠「社会資本とソーシャル・キャピタル」[2003],23-27p
参考文献
おすすめ文献
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) 「孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生」
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) 「孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生」
汎用文献
社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)
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デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) 「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」
デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) 「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」
亀田 達也(監修)「眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学」
亀田 達也(監修)「眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学」
参考論文
佐藤誠「社会資本とソーシャル・キャピタル」[2003][URL]
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014)[URL]
稲葉陽二,戸川和成,「社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察」(2019)[URL]
長谷川 眞理子「タテ社会日本と学術」(2022)[URL]
北岡一道「研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ」(2007)[URL]
松村茂樹 「日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み」(2022)[URL]






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