動画での説明
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はじめに
社会心理学とは、人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である。
この動画シリーズは下の図に示すように、創造発見学に位置づけられている。
この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。
できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある。
基本的な説明プロセスは、上の図の通りである。
(3) 社会関係資本とは
ブルデューにおける社会関係資本とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
(ブルデューにおける)社会関係資本(social capital):「人とのつながり」を意味し、文化資本と相互に支え合い、ともに象徴資本を形成するものだとされている。
ブルデューにおける「経済資本」、「文化資本」、「社会関係資本」、「象徴資本」の違いとは、解説
ブルデューの「経済資本」とは
ブルデューは資本を経済資本、文化資本、社会関係資本、象徴資本の4つに分類している。
経済資本は収入・資産・土地、所有物など、市場で交換可能であり、直接的に経済的利益を生む資源を意味する。
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),76p
ブルデューの「文化資本」とは
文化資本(英:cultural capital):家庭環境や学校教育などを通じて各個人に蓄積され、さまざまな社会的行動の場面において有利、不利を生み出す有形・無形のもののこと。
たとえば本や楽器、美術品は有形であり、話し方、振る舞い方、知識、学歴、資格、習慣などは無形である。
【1ワード社会学第三回】ブルデューの「ハビトゥス」とはなにか
ブルデューの「象徴資本」とは
象徴資本は経済資本、文化資本、社会関係資本が社会的に正当で価値あるものとして認知されたときに現れる「評価としての資本」のことである。
たとえば有名大学の学歴は高く評価されるものとして認識されているのであり、なんら評価されていない場では資本とみなされない。
学歴が評価される場合と評価されない場合があるのと同様に、貨幣もまた評価されないと力を持たないような非実体的な側面を有している。つまり、経済資本も象徴資本としての形態をとりうるとされる。
われわれは紙幣を信頼、つまり紙幣を発行する政府を信頼するからこそ、経済資本が資本として機能しているのである。資本はただもっているだけで成立せず、価値があると社会的に認められている必要がある。
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),71-72p
ブルデューにおける「界(場)」とは
たとえば見知らぬジャングルでは紙幣が象徴資本として機能しない場合がある。ブルデューの用語で言えば「界(場)」の存在に資本の価値は依存しているのである。界は社会的文脈よりも狭義であり、ルール・序列・競争などが構造化された場を意味する。
たとえばある学問の世界では「真理にどれだけ貢献したか」といった基準がルールとして存在し、その具体的な形として査読付き論文の数や学歴、引用数、研究費の額などが資本として価値をもっていくといえる。
【1ワード社会学第三回】ブルデューの「ハビトゥス」とはなにか
ブルデューにおける文化資本、ハビトゥス、社会関係資本の違い
ブルデューにおける文化資本、ハビトゥス、社会関係資本の違いがわかりにくい。
たとえば教養や知識などは体現化された文化資本であり、本や道具、作品などは客体化された文化資本であり、学歴や資格は制度化された文化資本であるという。文化資本は主に「自分の中(身体)に蓄積され、存在する資源」であるといえる。学歴は紙に宿っているわけではなく、身体に宿っているものを可視化したものにすぎないといえる。道具や芸術作品も有効に使いこなせる能力、鑑賞できる能力が重要になる。
ハビトゥスは「人が日常の中で身につけていく心的傾向」であり、必ずしも文化的な価値として現れているとは限らない。
多くの社会的な場で無価値と見なされるものであっても、ハビトゥスといえるのである。すぐイライラしてしまう心的傾向を幼少期に家庭において身につけ、たとえそれが社会で評価されていないとしてもハビトゥスだといえる。
しかし文化資本は「資本」であり、その社会の一定の地位や収入を保証するもの、すくなくとも社会的に価値があるものと認識されていなければならない。
したがって、どんな心的傾向でも適切とは限らず、社会的な地位を高めるために有利な心的傾向である必要がある。もちろんどんなものが有利かは「界」に依存する。
文化資本が個人に内在する文化的資源だとすれば社会関係資本は諸個人の間に存在する社会的資源、いわば「ネットワーク資源」だといえる。
もちろんどちらも人と人との関係において、社会的な環境において形成されるという点では似ているが、その現れ方が異なるというイメージだろう。たとえば「文字を読むことができる能力」と「友人から助言をもらえる環境」といった違いを考えればわかりやすい。
しかしどんなネットワークでもいいかというと、そうではない。
たとえば反社会的な集団につきまとわれている場合もある種のネットワーク、人間関係だが、それが社会の一定の地位を保証するとはほとんどの場合いえないだろう。しかし、そうしたケースでさえ人間関係資本といえるような特殊な状況も想定することは可能だろう。「社会的に価値がある」という場合の社会をどの範囲で切り取るかも問題になってくる。たとえば刑事(警察という組織社会内)ならうまくそうした人間関係を活かすことのできる資産だと考えることができるかもしれない(情報源などとして)。
【1ワード社会学第三回】ブルデューの「ハビトゥス」とはなにか
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),79-80p
「社会心理学」,有斐閣,補訂版第二刷,254p
コールマンにおける資本とブルデューにおける資本の考え方の違い
コールマンにおける人的資本は「個人の能力」として位置づけられていた。
もちろん、そうした能力が形成されるかどうかは階層や人間関係が関わっているとコールマンも考えている。しかし、社会関係資本や人的資本が物的資本の形成を助ける限りで、つまり物的資本の生産性を高める限りで評価されるという観点の強調が強い。コールマンが合理的選択理論の立場にあること、それゆえに経済学的視点が重視されることと関連してくるのだろう。
また、コールマンは「ネットワークと資本の区分がはっきりしていない」とナン・リン(2001)によって批判されている。
人と人との関係、つながり、ネットワークそのものを資本として扱ってしまっているというわけだ。リンによると、ネットワークがあるだけでは資本とはいえず、そこに信頼や互酬性があってはじめて資源として機能するのだという。たとえば親子関係が単にあるだけでは資本とはいえずに、信頼性や互酬性を必要とするということになるのだろう。コールマンは信頼性などにも触れているが、その言及が十分ではないというわけだ。たとえば情報源を信用できなければ関係をもっていても有用でないといえる。
ブルデューの場合はコールマンと異なり、ネットワークと資本は区別されて考えられている。たとえば「ネットワークのおかげで動かすことのできる資本」といったようにブルデューは表現している。
しかしネットワークと資本をつなぐ要素をパットナムのように信頼や互酬性の規範であるとはブルデューは明確には主張していない。
ブルデューにおけるネットワークの維持、強化、再生産、変化、逸脱について
ブルデューはネットワーク(構造)が自然に生まれたり、自然に維持されるとは考えない。維持、強化、再生産されなければネットワークは消滅してしまうものとして考えている。
もちろん、単に固定的に再生産されるだけではなく、変化や逸脱の可能性も認めている。たとえばフランスの社会革命では文化がもはやそのままの形では維持できずに、大きく変化していったといえる。
ブルデューは経済学者のマルクスのように文化(上部構造)の変化を単純に経済(下部構造)の変化に還元せずに、他の質の違う資本との相互作用を含めて複雑に考えている。
経済資本は文化資本にどのように変換されたのか、あるいは文化資本は経済資本にどのように変換されていくのかといった分析が重要になる。一方通行の因果関係の分析というよりも、循環的、再帰的な特定の場における相互作用を分析しようという立場であるといえる。
人々の行為や態度のミクロな積み重ね、たとえば飲み会や、贈り物、挨拶などによって関係が維持されるのであり、いわば「投資」にあたる。
この関係が価値があるものかどうかは界によって定まるのであり、「認知」を必要とする。信頼や互酬性の規範は関係の前提というよりも、関係の結果として形成されるものなのだろう。というより、前提であると同時に結果であるというような、ルーマンでいえばシステム(構造)と要素の再帰的な関係とも似ている。
・特に参考にしたページ
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014),79-80p
参考文献
おすすめ文献
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) 「孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生」
ロバート・D. パットナム (著), Robert D. Putnam (原名), 柴内 康文 (翻訳) 「孤独なボウリング: 米国コミュニティの崩壊と再生」
汎用文献
社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)
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デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) 「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」
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亀田 達也(監修)「眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学」
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参考論文
佐藤誠「社会資本とソーシャル・キャピタル」[2003][URL]
高野良一「社会関係資本のエートス論── 教育理論の 「可能性の中心」──」(2014)[URL]
稲葉陽二,戸川和成,「社会関係資本, 経済格差, 投票率との関係 都道府県データによる考察」(2019)[URL]
長谷川 眞理子「タテ社会日本と学術」(2022)[URL]
北岡一道「研究ノート: ちいさな両手と 2 つのハコ」(2007)[URL]
松村茂樹 「日本における 「サーバントリーダーシップ」 導入:「タテ社会」 を変える試み」(2022)[URL]







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