【1ワード社会心理学第十五回(3)】「沈黙の螺旋理論」の教訓

社会心理学

動画での説明

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はじめに

社会心理学とは、人間の社会的な振る舞いの法則や仕組みを解明する学問である。

この動画シリーズは下の図に示すように、創造発見学に位置づけられている。

この記事のシリーズは創造発見学に位置づけられている。要するに、アイデアをひらめくための情報を学ぼうというわけである。ビジネス、友人関係、学業、さまざまなものにそれぞれ活かしてほしい。

できるだけ1ワードに説明する対象を絞っていく。※社会心理学だけではなく他の心理学を扱うこともある。

基本的な説明プロセスは、上の図の通りである。

得られる教訓

嫌われる勇気

多数派認知は行動に善くも悪くも影響を与える。多数派認知は意識的なものとはかぎらず、無意識に形成されている場合もある。

我々は幼少の頃から社会のルールを教え込まれ、それに基づいて「常識」を知り、この常識に著しくズレたものは少数派であると推測できる簡便な能力をもっている。「粋じゃない、和じゃない」といった抽象的なルールで、「同じ大騒ぎ」でも善いか悪いかがその場その場で判断できる。

第十一回のポライトネス理論で学んだように、ある場面である言葉を用いることは「冗談」で済むと考える人は多数派かと考えてみればわかりやすい。

もちろん常識では測れない新しい問題もときには社会問題として浮上してくる。こうした問題こそ、目立つ事件によっていつのまにか螺旋的に反対意見が多数になっていくことがありうる。

たとえば「AIを利用していたから問題が起きた」という目立つニュースがあれば、それを起爆剤にして、「AIはよくない」という意見が多数派認知として広がる可能性がある。「〇〇という発言はいじめだ」という新しい解釈が生まれれば、「〇〇という発言はよくないらしい」という多数派認知が形成されるかもしれない。

多数派認知に基づいて黙ること、喋ることは両方とも個人単位で見れば、特定の社会範囲で「孤立しないメリット」として考えることができる。

しかし社会単位でみれば、「見かけ上の世論」が構成されうる可能性があり、より良い意見へ向けた批判的な検討の機会を失う可能性もある。ハーバーマス的にいえば、「討議」できなくなるといえる。多数派の意見を絶対的に固定させるのではなく、状況の変化によっていつでも変動可能になるように、批判可能になるようにしておく自由な空気が同時に必要になる。

【1ワード社会学第十三回(42)】ハーバーマスの「討議倫理学」

社会心理学では他者の政治的立場にたってその意見が理解できることを「パースペクティブ・テイキング」という。ミード的にいえば他者の役割取得になる。

他者の意見を理解でき、他者の意見に寛容になり、自分の意見に磨きがかかることが「民主主義的な理想」とされている。ハーバーマスの理想とも重なる話である。常に批判の余地を、余白を残すという意味で一定の「少数派のおしゃべり」が必要とされるともいえる。

孤立するリスクをとってまで、自分が少数派であると考えている意見を言う動機はどこからくるのだろうか。

たとえば少数派の意見を言ったために、仕事を失ったり、家族を傷つけられたりする可能性はないといえるのか。あるいは同僚や友人に心理的な距離を置かれないといえるのだろうか。討議すべき重要な倫理的問題ほど、そうしたリスクは大きくなる可能性がある。パンかご飯かという対立では揉めないがAIの是非、LGBTの是非、死刑制度の是非、夫婦別姓の是非、外国人労働者の取り扱いの是非などは揉める可能性がある。

公共的な問題に時間的リソースを使うことも個人にとっては私的な問題をおろそかにしてしまうというリスクがある。

そもそも「正しいと思う少数派の意見」の根拠として、どれだけの知識や経験が必要になるのか。そうしたリソースを使わない人は、自分の少数派意見を「どうせ素人の考えだ」として自信をもって表明しにくい。しかし専門家やマスメディアに従属的な多数派認知だけでは柔軟性のリソースとして十分ではない。多種多様で具体的な生活に根ざした貴重な批判意見こそが重要になる。

前回の記事(14回)でもそうだったが、「人間関係は面倒である」という視点が重要である。対立的な意見をもつ人との議論はなおさらである。

情報認知には歪みが生じうることや、沈黙が偏った世論形成につながる可能性があることを意識するのは重要である。しかし、それでもなお「沈黙しない」という選択を少数派はとる勇気が存在するのか。アドラー的にいえば「嫌われる勇気」をもてるのかという話につながっていく。

創造発見学第三回:「アドラー心理学と創造性」(8)アドラー心理学の技法(勇気づけ)とはなにか

悪魔の代弁者

POINT

悪魔の代弁者あえて反対意見や批判的な立場をとって議論を深める役割や人のこと。

ディベートの世界では悪魔の代弁者という言葉がある。ここで大事なのは、本心で反対しているとは限らないということである。議論が一方向に偏らないようにするために、「本当にそれでいいのか」と別のありうる視点を提示する役割のことである。

悪魔の代弁者は日常においては「水を差す」ような人物であり、一定の人たちに嫌われる可能性がある。たとえば旅行計画で盛り上がっているときに、「雨が降ったらどうする」と言ってくる人は怪訝な顔をされるかもしれない。

「それって、あなたの主観ですよね」といって客観的なデータを求める人も怪訝な顔をされがちである。権威ある人たちが議論している中で、素朴な疑問をぶつけていく人も怪訝な顔をされがちである。

「この人は冷やかしではなく、自己利益のためでもなく、社会のためになにかをやっていそうだ」という信頼はいかにして可能になるのか。

生産的な批判なのか、批判自体が目的なのか、冷やかしなのか、特定の利益をもとに行動しているのか、特定が難しい。

いわゆるステークホルダー(ある事柄に利害関係を持つ人や組織全般)の場合の批判は、「何か裏があるのではないか」と思ってしまうかもしれない。

たとえばパン屋は米の値段が上がることに賛成かもしれないが、カレー屋は米の値段が上がることに反対だろう。パン屋が自分の利益のためにたんに米の価格低下を批判しているのではないか?と疑われると生産的な批判になりにくい。

社会学ではカールマンハイムが「自由に浮動するインテリゲンチャ(知識人)」という概念を提唱している。

【基礎社会学第三十二回】カール・マンハイムの「相関主義」と「自由に浮動するインテリゲンチャ」とはなにか

学者、政治家、農家、フリーター、ニートなど、どんな人もその人の立場、職業、階級、所属集団などの影響を受けるステークホルダーであるといえる。職業の中で、相対的に自由に発言できる階層も存在する。しかし自由に発言できたとしても、さまざまな立場や役割に触れ、他でもありうる可能性を感受する能力、「全体性」を把握する能力が備わっていないと自由に浮動することは難しい。

分裂生成

人類学者のグレゴリー・ベイトソンは分裂生成理論を通して、相互作用がエスカレートする現象を分析している。

POINT

分裂生成理論個人や集団の相互作用が徐々にエスカレートし、対立的または補完的な関係が強化され、やがて破局的な分裂に至るプロセスを扱う理論のこと。 

分裂生成理論は対称的分裂生成と、相補的分裂生成に大きく分かれている。

POINT

対称的分裂生成相互促進的な行動が本質的にAとBで同じであることでエスカレートするパターン。 

POINT

相補的分裂生成相互促進的な行動が本質的にAとBで違っていても、互いが適切にかみ合うことでエスカレートするパターン。 

沈黙の螺旋過程はどちらかといえば、相補的分裂生成であるといえる。多数派が支配であり、少数派が服従であると考えれば、支配が服従を生み、服従が支配を生むといったエスカレートとして考えることができる。あるいは多数派同士が優劣を競うというかたちでも分裂生成が生じているかもしれない。

ベイトソンの例では上司の威圧的な態度が部下の萎縮をよび、さらに上司が威圧的な態度をとるといった自己強化的循環として考えられている。

しかし沈黙の螺旋過程は必ずしも社会的にマイナスの結果をもたらすとは限らない。

そもそもなにをもって、どの期間を、どの範囲をマイナスとするのかも把握が難しい。政治哲学者のマイケル・サンデルが「正義」について考えることの難しさを語っていたこととも通じる問題である。功利主義、自由主義、共同体主義などさまざまな観点・立場から「社会的なプラス(正義)」が議論されている。

もし多数派の意見が「社会的にマイナスの結果をもたらす」として、それに歯止めをかける作用が社会的な装置として存在しない場合は問題になる。

螺旋過程が加速している時、誰かがリスクを引き受けて「悪魔の代弁者」となってなにか批判的な声をあげたらどうなるのか。多数派に内省を促したり、生産的な議論に展開させていくことは本当に可能なのか。

ベイトソンによればこうした分裂生成のパターンは生得的なものと後天的なものの両方の性質があるという。しかし人間が仮に備えているとしても、それを「抑え込む学習(社会化)」も可能であり、実際にそうした学習が可能となっている文化も存在する(バリ島など)。

分裂生成を和らげるために、役割を交換する文化なども確認されているという。たとえば祭りで支配者と被支配者が役割を交換することも、エスカレートを食い止める仕組みになっている。

とはいえ、現代資本主義社会において分裂生成的なパターンをもった人間のほうが有利にはたらく場合もある。むしろ必要不可欠な態度とされる場面が多い。

また、ある国が軍備の生産を止めてエスカレートを食い止めたとしても、他の国が軍備の生産を止めるとは限らない。

理想的な人間のあり方、社会のあり方が想定できたとして、しかしそれは現実に可能なのかという問題が常に既に存在する。個人単位で理想を目指した結果、短期的にその個人は不利益を被ることもある(生きている間中、その実践が報われないこともあるかもしれない)。

しかしそれでも理想を考えること、ほかでありうる可能性を考えることをやめることは社会的に、そして長期的に見て不健全である。

・特に参考にしたページ

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』,175-176p

続きの記事

参考文献

おすすめ文献

ノエル=ノイマン (著),池田 謙一 (翻訳) 「沈黙の螺旋理論[改訂復刻版]: 世論形成過程の社会心理学」

ノエル=ノイマン (著),池田 謙一 (翻訳)「沈黙の螺旋理論[改訂復刻版]: 世論形成過程の社会心理学」

汎用文献

社会心理学 補訂版 (New Liberal Arts Selection)

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デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) 「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」

デイヴィッド・マクレイニー (著), 安原 和見 (翻訳) 「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」

亀田 達也(監修)「眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学」

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参考論文

安野智子「沈黙の螺旋理論の展開 (< 特集> パワフル・メディア論再考)」(2002)[URL]

小川 祐樹, 山本 仁志, 宮田 加久子「Twitterにおける意見の多数派認知とパーソナルネットワークの同質性が発言に与える影響(原子力発電を争点としたTwitter上での沈黙の螺旋理論の検証) 」(2014)[URL]

林 浩輝, 梅原 英一, 小川 祐樹
「否決された大阪都構想のTwitter投稿における世論形成理論成立の考察」(2020)[URL]

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