【基礎社会学第二十三回】タルコット・パーソンズの「パターン変数」とはなにか

    1:概要

    ざっくり要約

    1. パターン変数:ジレンマに直面した行為者の行為選択を五つの二項対立軸で記述したもの。最終的には四つの二項対立に絞られ、この四つの二項対立の組み合わせによってAGIL図式が構成された。
    2. 五つの二項対立軸は、「感情性 vs 感情中立性」、「無限定性 vs 限定性」、「個別主義 vs 普遍主義」、「所属主義vs 業績主義」、「集合中心的志向 vs 個人中心的志向」。最後の「集合中心的志向 vs 個人中心的志向」が外された。
    3. 行為者は特定の分かれ道を選ぶように導かれている。でたらめでランダムな選択ではなく、特定のパターン(型)を選ぶようになっている。特定のパターンの組み合わせはそれぞれの社会に特有なものがある。それぞれの個人は特定の役割をお互いに期待されている(相補的期待)。特定のパターン変数の選択は、特定の役割として現れる。
    4. 特定のパターン変数を選ぶように導くものは、文化であり、共通の価値・規範である。文化は選択的な指向(志向)の基準を個人に提供する。個人は共通価値を内面化し、さらに共通価値が社会において制度化されることで、社会の秩序が安定する。内面化とは「文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティシステムの一部となること」であり、制度化とは「文化システムの価値や規範が社会システムの制度として正当性を付与され、それらからの逸脱が報酬と制裁によってコントロールされること」である。

    ・以前の記事

    【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか

    【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか

    【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか

    ・次回の記事

    【基礎社会学第二十八回】タルコット・パーソンズのAGIL図式とはなにか

    動画での解説・説明

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    タルコット・パーソンズとは

    タルコット・パーソンズ(1902-1979)はアメリカの社会学者で、行為の一般理論(行為の準拠枠)、構造機能主義、AGIL図式などを提唱したといわれている。秩序問題をとりあげた社会学者の代表格。デュルケーム、ジンメル、ウェーバーなどの知識を受け継いで独自の理論を作り上げたとされている。主な著書は『社会的行為の構造』(1937)や『社会体系論』(1949)。

    2:パターン変数

    パターン変数とは、意味

    POINT

    パターン変数(Pattern variables)ジレンマに直面した行為者の行為選択を五つの二項対立軸で記述したもの。5つの対立軸とは、「感情性 vs 感情中立性」、「無限定性 vs 限定性」、「個別主義 vs 普遍主義」、「所属主義vs 業績主義」、「集合中心的志向 vs 個人中心的志向」。5つのパターン変数の説明は後で扱います。他にもいろいろな定義があるみたいです。「共通価値、秩序形成のあり方」。「人格システムや社会ステムの型(構造)を決定する組み合わせ」。「社会的行為者が直面する行為の方向を解決するべきジレンマの組合わせ」。「行為者が客体(他者)に関わるときの関係の性質を記述するときに使う『あれか/これか』式の選択肢」。「行為者が社会的客体に対したときに、どのようなジレンマに直面しているのか、ということに関するパターン」。「行為のオリエンテーション(志向)のパターンを分類する概念装置。「行為それ自体を記述するもの」。「主体から見た客体とのコミュニケーションのあり方を規定する変数」「5つの志向の分かれ道=変数」。型の変数や類型変数ともいわれる。なお、5番目の「集合志向的──自己志向的」が除かれることもある。特定の組み合わせはそれぞれの社会に特有なものがある。

    ジレンマとは一般に、「二つの相反する事柄の板挟みになること。矛盾。両方を選択することはできないような状況」のことです。

    二項対立とは一般に、「一般に、二つの概念が存在しており、それらが互いに矛盾や対立している」ことです。

    たとえば感情性と感情中立性を両立させることは難しいです。感情性をあたたかさ、感情中立性をつめたさに例えるならば、あたたかさとつめたさを両立させようとしているようなものです。つまり、相反する事柄の板挟みになっているわけです。部屋をあたたかくしようとすれば、つめたさは失われ、部屋を冷たくしようとすれば、あたたかさは失われます。あちらを立てればこちらが立たずというわけです。

    ジレンマは一般に、どちらを選んでも不利益があるものを意味します。たとえば「城から出れば殺される、城から出なくても殺される」というような八方塞がり的なイメージが一般的です。

    しかしパターン変数におけるジレンマはどちらかといえば、いいとこ取りができない、片方を選べばもう片方は選べないというような両立ができないようなニュアンスだと思います。コーヒーの暖かさを冷たさを同地には両立できず、基本的にどちらかしか選べませんよね。しかしどちらも選択肢も利益になりえます。

    こういうものは具体例で考えるとわかりやすいんですよね。医者(行為者は)5つの二項対立軸でいうとどの軸を選ぶのか、つまり二項のうちどちらを選ぶパターンがあるのか、という問題です。この二項の「分かれ道」を「変数」というわけです。2つに「変化するもの(variables)」なので「変数」です。パーソンズによれば医者の場合は「感情性か感情中立性」の二項対立軸でいうと、感情中立性を選ぶパターンがあるそうです。

    私のような文系には「変数」という言葉が直観的になかなかわかりにくいです。たとえば変数x時間勉強すれば、司法試験に合格できる可能性がy%上がるとします。この場合、xは変数になります。より詳細にいえばxは独立変数で、yは従属変数です。もっと理系的にいえばyはxの関数であるといいます。2時間なり200時間なり2000時間なり、xの数値は主体的に変化するわけです。このxが二通りしか無いような状況が二項対立軸なわけです。司法試験のたとえでいうと、1000時間コースと2000時間コースしかないようなものです。どちらかしか選べない。しかし1000時間か2000時間か選ぶことができ、どちらかに変化させることは出来るわけです。それにしたがって結果として1000時間なら20%、2000時間なら40%というようにyの変数も決まるというわけです。これが数学的に正しいかどうかはよくわかりませんが、そういうイメージです。

    パターン変数で重要なのは、ここでいうyが社会秩序なのです。つまり、社会秩序を安定させるように行為者はXを選ぶというわけです。医者のほとんどが感情的だったら病院の秩序は難しいですよね。どうやら人間は価値(規範)へ向かう生き物らしいのです。無秩序か秩序だったら、秩序を選ぶような傾向がある。規範からの逸脱よりも同調したほうが行為者の利益に結びつくからです。こういった志向を規範的志向といいます。詳細は後で扱います。

    「日本語に訳すと『変数』ですが、variablesは『変化するもの』という意味ですから、数字でなくてもかまいません。では『パターン変数』とは何かというと、行為者が客体(他者)に関わるときの関係の性質を記述するときに使う『あれか/これか』式の選択肢です。つまり、行為者が社会的客体に対したときに、どのようなジレンマに直面しているのか、ということに関するパターンなのです。」

    大澤真幸『社会学史』399P

    「いまの引用に「諸変数の相互依存」という特徴的な表現があった。これはパーソンズの行為理論にとって中心的な概念なので、少し詳しく解説しておきたい。諸個人が行為するとき、五つの、それぞれに対をなす志向の「分かれ道」(dichotomy)があって、諸個人は必ずそれらのうちのどちらかを選択しなければならない、とされる。五対の「分かれ道」とは次の五つをいう。①感情性と感情中立性(自我の態度に関わるもの。医者は患者に対して感情中立的でなければならないが、親が子供に対する場合はそうであってはいけないだろう。)②限定性と無限定性(これも自我の態度。医者の患者への関心は病気の治療に限られる、すなわち限定的であるが、親の子供への関心は無限定的である。)③普遍主義と個別主義(他者への志向のタイプ。親は我が子を特別の対象として考えるが、医者にとって個々の患者に差別はない。前者を個別主義、後者を普遍主義という。)④所属本位と業績本位(これも他者への志向のタイプ。他者の身分、家柄、肩書きを重んじる態度が前者、後者は他者の業績を評価する。「資質と遂行」ともよばれる。)⑤自己中心志向と集合体中心志向(自我と他者の双方に関わるもの。自分の価値観を重視するか、所属する集団の価値観を重視するか、の違い。)パーソンズはこれら五対の「分かれ道」を「変数」(variables)とよび、諸個人は、各々の行為にあたって、五対の変数に関してでたらめに選択を行うのではなく、ある特定のパターン(型)に従って選択を行うように導かれる、と主張した。その「特定のパターン」はその社会に特有のものであって、それは、また「文化」ともよばれる。社会体系の「自己維持」は何よりもまずこの「パターンの維持」(patternmaintenance)によるものとされ、パーソンズはこれを、社会体系における文化の固有の機能であると主張する。」

    山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」、58-59P

    「パターン変数は20世紀中葉のアメリカを代表する社会学者であったパーソンズが提案した概念であり、五つの軸によって行為選択のジレンマを表現するものである(ParsonsandShils1951=1960:122-123)。このパターン変数は主意主義的行為理論というパーソンズが考案した研究の枠組みに準拠している。主意主義的行為理論とは要するに自我を持つ行為者の価値合理的な主体的行為選択を重視する行為理論であり、例えばこの行為理論は行為者に外在する社会的事実が行為者を拘束するとみなすデュルケーム実証主義を、行為者に内在する社会的事実が行為者の自発的なふるまいとしてそれを拘束すると再解釈した(Parsons1937=1982:110-120)」

    小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」、41P

    「本稿の序論で確認したようにパターン変数とは、ジレンマに直面した行為者が行う行為選択を五つの二項対立軸で記述したものである(ParsonsandShils1951=1960:122-123)。このパターン変数は「志向」とその「客体」という基本的要素によって記述される行為概念、という1950年代当時にパーソンズが依拠していた概念図式を前提としている。パターン変数の五組は以下の通りであった。(1)感情性―感情的中立性(2)自己中心的な志向―集合中心的な志向(3)普遍主義―個別主義(4)所属本位―業績本位(5)限定性―無限定性ParsonsandShils(1951=1960:124-125)に基づくこの五組のうち、(1)、(2)、(3)は行為を構成する「志向」の選択の分析から導出され、(4)、(5)は「客体」をどう捉えるべきかという問題についての検討から構成された(ParsonsandShils1951=1960:123-124)。」

    小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」46~47P

    「したがって、行為者のレヴェルを、集団にとるにせよ、個人にとるにせよ、行為を記述するための概念が必要となる。この点で、行為のオリエンテーションのパターンを分類する概念装置であるパターン変数が役立つ。ベイルズのコミュニケーションの十二のカテゴリーと比較すれば、パターン変数の方が、変数群の定義とそれらの相互関係がより明瞭であり、またコミュニケーションとしての行為だけでなく、すべての行為に適用可能である点で、より一般的である。さらに、役割・規範・価値などの、行為システムの分析的諸要素にも適用可能であると考えられるので、理論的な射程範囲もより広い。……他方、パターン変数は、いわば行為それ自体を記述するものである。」

    溝部明男「パーソンズのAGIL図式-その形成における基本的問題-」5P

    「パーソンズによれば、諸個人は、不安よりは安定を、逸脱よりは秩序を選ぶ傾向、すなわち「合理性」をもっている。パーソンズは、行為が「規範に指向する」という言い方で、これを説明しているが、すなわち、社会体系の成員である個々人の行為の動機づけが、社会体系のもつ「規範的な文化的基準」「価値の規範的なパターン構造」と合致することを言っている。なぜ行為が「規範に指向する」かというと、体系の成員である個人にとって、「規範への指向」(または「基準への同調」)は、その反対のもの(すなわち、規範からの「逸脱」)よりも「その行為者たちの利益に結びつく」からである。逸脱は、規範的パターンの「攪乱」であり、「緊張」であるとされる。」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」、61P

    「客体類別と客体への態度をパターン化した上の四組の変数は,主体からみた客体とのコミュニケーションのあり方を規定する変数と理解することができる」

    春日 淳一「N.ルーマンのメディア論について」、9P

    「構造-機能分析についてさらに説明する前に、パーソンズの作った概念をいくつか紹介しておきます。それらは、構造-機能分析の理論とは独立に、かなり役立つからです。」

    大澤真幸『社会学史』399P

    「彼はこの共通価値を……5組の選択肢からなるパターン変数として示している」

    「クロニクル社会学」、44P

    「行為者は、結局(とパーソンズは考えたのだが)、図2で示したような五つの行為状況での選択を避けるわけにはいかない。パーソンズはこれを、人間行為におけるジレンマ(矛盾)とその解決(選択)ととらえたのである。ちなみにこれを『型の変数』と呼ぶ理由は、これらの二項的選択肢のどちらかを選びとること、およびその組み合わせが、人格システムや社会システムの『型』(構造)を決定することになるからである。」

    中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』57P

    1:感情性 vs 感情中立性

    POINT

    感情性 vs 感情中立性(affectivity vs affective neutrality)客体に対して情動的な態度をとるかとらないかの区別。※情動:一般に、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、不安というような激しい感情の動きのこと。

    感情的に接するか、感情を抑えて接するかの区別。欲求の充足を重視するか、規律を重視するかの区別。感情移入(カセクシス)の問題は従来の功利主義がとりあげてこなかった「非合理性」の問題であり、非合理性を考慮することは重用になる。指向(志向、態度)の分類に属する。自我の態度に関わるもの。

    人間の行為は感情を発露する場合も、抑制する場合もあるというのはわかります。それだけなら単純です。重用なのは、この「どちらを選ぶかという選択」の際に人間の行為に影響を与えるもの、人間の行為を規制するのものはなにかという問題です。何の制限もなく完全に自由に人間はランダムあるいは合理的に選択しているわけではありません。

    たとえばTwitterで気に入らないアカウントがあったとして、「あなたが嫌いです」と直接言う人は少ないですよね。自分の感情をそのまま表に出すのはどこかよくないことなのではないか、という規制が働くわけです。別に嫌いだと言って逮捕されたり、民事で訴えられる可能性はほとんどありません。しかしそれが道徳的にどこかよくないことだという空気を感じ、感情中立的に指向することがあります(これを共通の価値が内面化されているという)。つまり、自由に対して制限する要素があるのです。これがパーソンズでいうところの共通価値であり、究極的目的であり、道徳的規範であり、社会的規範であり、文化でもあります。

    そんなこと言うのはひどいよ、抑えなよ、というように周りから批判(制裁)を受けることもありますし、あんなこと言われたのによく感情を抑えたね、というように報酬を受けることもあります。(こうしたものを制度化されているといいます。要するに共通の価値にそった行為をすることが正統だとしっかり思われているような状況です。法律という形で保証されることもあります)。

    例:利益になったとしても嫌いな相手とは接しないのは感情性。利益になるから嫌いな相手とも感情を抑えて接する感情中立性。

    「1、感情的(affective)/感情中立的( affective neutrality)」。たとえば、ある編集者が私と関わるときに、『大澤は苦手だけど、良い本を書くんだよな』と思っていたとします。そうすると、嫌いだけど、感情を押し殺して、感情中立的に関わる。これに対して、彼が趣味であるサーフィンに一緒に行く友達は、好きか嫌いかの問題だけで選ぶ。嫌いなのに無理して一緒に行くことはない。それが感情的ということです。」

    大澤真幸『社会学史』、400P

    「やや通俗的にいうと、行為の規範という観点からは、ひとは単にある行為において自らの感情を発露するか、それとも抑制するかだけではなく、行為状況に応じて、これをどう扱うべきか文化的規範によって決まっていることも少なくない。こうして、親しい仲間内では変に感情を抑制していると、冷たいとか、他人行儀だとかと非難を受けることにもなるし、逆に、フォーマルな関係で、みだりに感情を露呈するのは、はしたないことだと考えられてリウ。また、医師が患者の感情的動転に付き合っていたら正しい医療行為を行うことができなくなるであろう。行為状況に応じて、このどちらを選ぶべきかが第一のジレンマである(感情性対感情中立性)。」

    中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』58-59P

    「I.「満足すること」と「規律に従うこと」のジレンマ感情(affectivity)―感情中立(affective neutrality)」

    池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、18P

    小門裕幸「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」,41P

    2:無限定性 vs 限定性

    POINT

    無限定性 vs 限定性(diffusenes vs specificity)客体に対して多面的な関心を寄せるか、限られた側面だけに関心をよせるかという態度の区別。相手の特定の側面にのみ興味を持つか、すべての面に興味を持つかという区別。客体への態度(指向)に属する。自我の態度に関わるもの。対象における利害の見通しに関する定義。行為の関わる範囲をどう決めるかという問題。機能的拡散性(全体性)──機能的限定性ともいう。

    全人格的に関心を限定せずに相互行為をする機会が人生の間どれほどあるでしょうか。友人との関係ですら限られた側面だけに関心をよせている場合があります。学校においては独りだと気まずいから仲良くしておく、大学においては課題などの内容を教えてもらうといった一面的な利害関係のみが存在するケースもあります。恋人などはすべての側面に関心があるかもしれませんが、そういった理想的な恋人関係はなかなか難しそうです。あなたの全てに関心がある、すべてを受け入れると瞬間的に感じたとしても、数日後にはあなたのそういうところが受け入れられない、この関係になんの利益があるのかと思ってしまうのが人間です。仕事においてはなおさら、お金にならないならあなたと相互行為をする必要がない、コミュニケーションを取る必要がないという状況は多々あるはずです。

    例:恋人の多くの面に関心をよせるのは無限定性。仕事の取引相手に限られた側面だけ関心をよせるのは限定性(利益になるかどうかという関心のみなど)。

    「前者は客体の限られた側面にだけ関心を寄せるか,多面的な関心を寄せるかの区別であり,後者は客体にたいしで情動的な態度をとるかとらないかの区別である。」

    春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、141P

    「たとえば今、この社会学史に関わっている何人かの人がいます。そのときにそれぞれの関心事は、『大澤にそれだけの知識や能力があるか』……つまり、互いに相手の特定の側面に興味をもっているわけです。逆に言えば、それ以外のことについては興味がない。これが限定性です。それに対して、無限定性はすべての側面ということになります。たとえば、誰かと意気投合して一生の友人になりました。これは無限定性です。彼のすべてが好きなんだと。それに対して仕事の必要の範囲でのみ関わるのは、限定性です。」

    大澤真幸『社会学史』401-402P

    「V.対象における利害の見通しに関する定義個別性(specificity)―拡散性(diffusivity)」

    池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、19P

    「最後のジレンマは、行為の関わる範囲をどう決めるかに関係する。恋人、夫婦、親しい友人たちの関係は相互に全人格的な関わりを予想していよう。お互いに、プライバシーのなかにまで入り込んだ人間と人間とのつき合いが期待されてもいる。他方、デパートで買い物をするとか、医者の診断を受けるなどというときは、われわれは決して相手との関係で人格のすべてを関わらせるわけではない。その相互行為にとって必要な部分においてのみ、われわれは相手との関係に入る。したがって、男性の意志が女性の患者に対して医療行為上着衣を脱がせたとしても、それは診療行為の範囲にとどまるし、またとどまるべきものとされるのである。この型の変数は、機能的限定性対機能的拡散性(全体性)と名付けられた。」

    中野秀一郎「タルコット・パーソンズ」61P

    3:所属主義 vs 業績主義

    POINT

    所属主義 vs 業績主義(ascription vs achievement)客体を所属という基準で見るのか、業績という基準で見るのかの区別。「『何が出来るのか』と『誰がするのか』の区別」。資質──遂行、所属地位──業績地位とも呼ばれる。例えば教師が生徒の成績で判断する場合は業績主義、生徒の親が誰か、生徒と仲が良いかで判断する場合は所属主義になる。

    特に近代以降においては業績主義の傾向があるようです。昔はいくら仕事ができても、頭が良くても身分違いの人間とは基本的に結婚できなかったと聞いたことがあります。これは所属主義です。現代は基本的に自由に結婚ができます(もちろん家柄等を強く気にする人もいると思いますが)。公務員なども基本的には資格試験の成績や適応能力が重視され、誰がという所属はそれほど重視されません。能力と適性があれば公務員になることができます。もっとも、市役所などの一部の地方公務員は「誰が」という要素が強いと聞いたことがあります(地元の有力者の息子などは優先的に採用されやすい)。実際問題としてテストの成績だけではなく、最終的には面接を通して総合的に判断されるので、コネが介入する余地はありますよね。

    例:生徒の親が誰か、人種はなにかという基準で判断する場合は所属主義。教師が成績という基準で生徒を判断する場合は業績主義。

    「これは社会学では一番よく使われるかもしれません。人間を評価するときに、その人の先天的な属性(人種・性別など)によるのか、その人が獲得してきた業績によるのか。たとえば、コネで採用するのは属性主義です。それに対してその人の業績を選ぶのが業績主義」

    大澤真幸『社会学史』401P

    「客体をその業績でみるか属性でみるかの区別である」

    春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」141P

    「④所属本位と業績本位(これも他者への志向のタイプ。他者の身分、家柄、肩書きを重んじる態度が前者、後者は他者の業績を評価する。「資質と遂行」ともよばれる。)」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」、59P

    「第四には、行為の対象(他者)をどうみるか(評価)するかという選択肢である。パーソンズ用語では、業績主義対帰属主義と呼ばれている。前者では他者は『何ができるのか』(能力)で評価されるのに対して、後者では『かれは誰か』(帰属)で認知されるのである。大学の教師は学生の成績にはこだわるが、かれがどのような家柄・門地の出身であるかは関係ないことである。この発送は、人類学者のリントンが提唱した『帰属的地位』と『達成的地位』の概念に基づいていると言われている。」

    中野秀一郎「タルコット・パーソンズ」60-61P

    「社会的対象[=社会的客体]の「諸様相」の間の選択」

    池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、18P

    4:普遍主義 vs 個別主義

    POINT

    普遍主義 vs 個別主義(universalism vs particularism)客体を普遍的な規準にもとづいて扱うか,主体との特定の関係にもとづいて扱うかの区別。「自己の動機と直結させて客体に対処するか、一般化された法律などの準拠枠を採用するかの区別」。例:親は子どもを特別扱いするので個別主義、教師は生徒を平等に扱うので普遍主義。

    たとえば法律は基本的に「法の下の平等」が原則としてあります。天皇だろうが総理大臣だろうが社長だろうがホームレスだろうが、殺人をしたら同じ罪に問われるわけです。生活保護の申請のケースで、たとえばまったく同じような条件なのに片方だけが許可され、片方だけが却下されるといった不平等はあってはいけません。法律においても行政においても基本的に普遍主義的な選択を期待されます。またその期待に答えて裁判官や公務員は対応すると予測できます。一方で、弁護士はとにかく依頼人の利益を優先するので個別主義であるともいうことができます。弁護士が相手の検事にも依頼人にも平等に対応するということは通常考えられません。

    例:教師が生徒を平等に扱うのは普遍主義。親が自分の子供を特別扱いするのは個別主義。

    「第三には、規範基準の適用原則に関するジレンマがある。パーソンズの専門的な術語では、これは感傷的標準と認識的標準の選択であるといわれる。前者の場合、行為者は自己の動機と直結させて客体に対処するが、後者の場合には、ある一般化された準拠枠を採用する。たとえば、ウェーバーの合法的支配は近代社会の特徴をあらわすひとつのシンボル的制度だが、そこでは法(律)はすべての人々に平等に適用されるべきものとされている(一般化された準拠枠)。」

    中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』60P

    「普遍的な価値とか理念とか正義とか信義とかのためにやるのか、それとも特定の自分たちの利益とか自分たちなりの価値観や習慣、あるいは自分たちの存続とか伝統を重視するのか。」

    大澤真幸「社会学史」、400P

    「III.価値志向選択のタイプの間の選択 普遍主義(universalism)―個別主義(particularism)」

    池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」、18P

    「他者への志向のタイプ。親は我が子を特別の対象として考えるが、医者にとって個々の患者に差別はない。前者を個別主義、後者を普遍主義という。)」

    山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」、58-59P

    「客体を普遍的な規準にもとづいて扱うか,主体との特定の関係にもとづいて扱うかの区別」

    春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、141P

    5:自己中心的志向 vs 集合中心的志向

    POINT

    自己中心的指向 vs 集合中心的指向(self-orientation vs collectivity-orientation)個人的な利害と集合体の利害との区別。「利益や規律の基準を自分個人におくか、それとも他者を含めた集合体全体におくかのジレンマ」。自己志向的──集合志向的ともいう。例えば株のトレーダーは自己の利益を中心に、利己的に行為するが、医者は社会の成員の全体の利益を考え、利他的に行為する。戦争における特攻などは集合中心的志向(集団のために自己を犠牲にする)。個人同士の相互行為というより、集合体と個人の相互作用を含むのでパターン変数から除外されることもある。

    例:自分の利益にしか関心のない株トレーダーは自己中心的志向。戦時中の特攻などは集合中心的志向。

    このパターン変数はパターン変数に含まれないことがあります。というより最終的には含まなくなった、という言い方のほうが正しいですね。

    1:1939年の「専門職と社会構造」では3つのパターン変数が紹介されていて、自己中心的指向──集合中心的指向はそのうちのひとつでした(自己関心──無関心と当時は表現されていました)。他の2つのパターン変数は、機能的限定性──機能的多面性、普遍性本位──個別性本位です。

    2:1951年の「行為の一般理論をめざして」では感情性──感情中立性と帰属性本位──業績性本位のパターン変数が加えられます。これで5つになります。帰属性本位──業績性本位のパターン変数は文化人類学者であるR.リントンの区別をそのまま借用したものだそうです。1951年の「社会体系論」ではパターン変数のうちの「動機志向」に分類されている。しかし、同じ1951年の「行為の一般理論」ではある箇所ではパターン変数として分類され、ある箇所ではパターン変数から除外されている(中立的なものと扱われている)らしい。

    3:1953年の「行為理論の作業論文」では自己中心的指向──集合中心的指向が完全に削除される。パーソンズは「この第五のパターン変数は,行為システムを分析するうえでの最も一般的な目的のためには無視することができる」とまでいっている。

    4:第五のパターン変数が除外される理由は、「孤立したものとして考えられた各行為の内部問題というよりも,むしろ相互作用システムの内部問題にかかわるものだから」です。簡単に言えば、1対1の関係ではなく、1対集団の関係を扱うものになる。ある一人の患者さんに対して感情的になるか、感情中立的になるかというのは1対1の関係ですが、国のために特攻した戦時中の日本の兵士の行為は、特定の一人に対する態度ではありません。

    「これは、自分のためにやるのか、会社のためにやるのか、といったことです。たとえばお家の名誉のために命を捨てるというのは集合志向的だけど、俺にとってはそんなことはどうでもいいと思って自分のことだけを考えれば自己指向的になる。」

    大澤真幸『社会学史』400P

    「第二のジレンマは、自己志向対集合志向という名前がついているが、その意味は次のようなことである。すでにみたように、パーソンズは近代資本主義を観察していた。そこでは、経済行為主体が自己の利益を極大化しようとして他者と相互作用を行う(たとえば、市場におけるものの売買)。他方、かれが関心をもっていたもう一つの社会現象、専門職、とくに医師の行為を観察していると、医師の患者との関係は決してかれ自身の利益の極大化を目指すものではなく、むしろ患者(他者)の幸福(病気の治癒)というような利他的な動機づけが医師の行為を支配していることに気がつく。利益や規律の基準を自分個人におくか、それとも他者を含めた集合体全体におくかというジレンマは、われわれがまた日常生活のなかで頻繁に経験するところであり、ひとはときに応じて、このような選択に決着をつけなければならない。」

    中野秀一郎「タルコット・パーソンズ」60P

    「パターン変数にはもうひとつ,自己指向/集合体指向(self-orientationvs.collectivity-orientation)というペアがあるが,これは集合体とその成員の関係を規定するものであり,成員間の相互行為の様式には直接のかかわりをもたないので,さしあたりとりあげない」

    春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、142P

    パターン変数ができた経緯(ゲマインシャフトとゲゼルシャフト)

    POINT

    パターン変数ができた経緯・パーソンズによれば、フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト」という分類から分析的に取り出されたものがパターン変数。つまり、きっかけはテンニースの分類、およびその分類への不満にある。

    テンニースについての詳細および出典は前回の記事を参照してください。

    【基礎社会学第十五回】フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」とはなにか

    1. ゲマインシャフト:協同社会。親密な本質意志に基づいた感情的・情緒的結合。 例:家族
    2. ゲゼルシャフト:利益社会。契約的な選択意志に基づき、他者を手段化した結合 例:自発的結社
    3. テンニースは「歴史的発展として、ゲマインシャフトの時代からゲゼルシャフトへの時代へ移行していく」と主張した。

    パーソンズによれば、テンニースの分類では不十分。たとえば医者の治療はゲマインシャフトかゲゼルシャフトかのどちらか一方だけに分類できない。さらに細かく分析的要素に分ける必要があるという。それがパターン変数へとつながっていく。

    例:医者は自己利益を第一とせず、公平無私であるという点ではゲマインシャフト的。合理的で分業(専門職)的という意味ではゲゼルシャフト的。どちらか一方だけにおおざっぱに分類できない。

    ゲマインシャフトとゲゼルシャフトをパターン変数で分類する。

    テンニースの分類ではいろいろな要素が混同されていたが、整理し直すとこのような要素の集まりとして分類できるというもの。

    パーソンズのパターン変数は医療社会学の研究から医師など医療従事者の専門職としての職業的な役割を分析するなかで始められた試みであり、社会的行為者が直面する行為の方向を解決するべきジレンマの組合わせを表している。

    ※医者の例は後ほど見ていく

    要するに、共同体か利益社会か、あるいは本質意思か選択意思かといった分類をテンニースは行ったわけです。パーソンズはこうした分類だけでは不満で、さらに多くの要素、つまり多くの組み合わせを作ったということです。

    テンニースと最も違う点は「主体的自我」がゲマインシャフト的な要素においてあるかどうかです。テンニースの場合はゲマインシャフトにおいては主体的自我が乏しく、近代化に伴ってゲゼルシャフト化していくにつれて出現したという理解だそうです。一方で、パーソンズの場合はゲマインシャフトの場合においても主体的な自我が想定されています。

    パーソンズの場合は「主意主義的行為理論」といって行為者の主体性や人間の自由意志による選択を重視する立場です。したがってゲマインシャフトの場合でも人間は主体的な自我をもって自由に選択していることになります。とはいったものの、完全に自由ではなく、共通価値によって規制されています。

    「パーソンズによると、パターン変数は、『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』という概念の中に含まれていたことを、分析的に取り出したものです。いま見たようにパターン変数は五組の二項対立です。簡単に言えば、感情的・集合指向的・個別主義・属性主義・無限定性がゲマインシャフト的な系列で、感情中立的・自己指向的・普遍主義・業績主義・限定性がゲゼルシャフト的な系列です。『ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト』という対立には、いろいろな要素がごちゃまぜになって入っていたが、それを解きほぐすと、この五つの対立になる、というのがパーソンズの理解です。」

    大澤真幸『社会学史』402-403P

    「パーソンズは、年代初期にパターン変数()─型の変数とか類型変数とも訳される─と称される概念図式の構成を行っている。これは、パーソンズが、医療社会学の研究から医師など医療従事者の専門職としての職業的な役割を分析するなかで始められた試みであり、社会的行為者が直面する行為の方向を解決するべきジレンマの組合わせを表しているものである。そして、この理論の発想の源泉となったのが、テンニースの著名なゲマインシャフトとゲゼルシャフト()という対立軸であったこともよく知られているところであろう。」

    木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」6P

    「この「分解」で注意すべき点が二つある。一つは、自我の主体的な行為選択のジレンマというパターン変数の定義に関連する。テンニース自身の議論を参照すればわかるように、人間が生来的に有する意志を基盤に相互連関的な統一を形成する有機的共同体というゲマインシャフトの定義には主体的な行為者が含まれない。ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの変動というテンニースの議論の要旨は、まさにここでいう主体的な自我を持つ行為者が出現したということに他ならない。他方でパターン変数概念は、例えばゲマインシャフト的な所属本位とゲゼルシャフト的な業績本位とを主体的自我を持つ行為者が選択する、という様式に基づいている。このような文脈の相違の一方で、二つ目の注意点として両者の共通項を取り上げることもできる。それは端的にいえば、両概念が前近代から近現代へという進化論的文脈を共有している点である。例えば所属本位―業績本位は、客体があらかじめ有している特質に基づいて評価される前近代社会から何を成し遂げたのかによって客体を評価する近現代社会へ、という文脈にしばしば埋め込まれる。」

    小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」48P

    パターン変数の変遷、最終的に4つになった

    ・パターン変数は最終的に全部で4つの二項対立軸となった

    1. 1939年の『専門職と社会構造』では3つ
    2. 1951年の『行為の一般理論をめざして』では5つ
    3. 1953年の『行為理論の作業論文』では4つ
    4. 最終的に外されたのは5つ目の集合中心的志向 vs 自己中心的志向の二項対立軸。

    ・1939年の時点では、自己関心vs無関心、機能的限定性vs機能的多面性、普遍性本位vs個別性本位という3つのパターン変数が例証されている。

    ただし、1939年の時点ですてに4つだったらしい(4つ目は未分化な形で提出されていたという)。4つ目というのが「感情性vs感情中立性」

    ・1951年になり、「帰属性本位vs業績性本位」が新たに追加されることになる。このパターン変数は文化人類学者であるR.リントンの区別を借用したものだという。

    ・1953年になり、集合中心的志向 vs 自己中心的志向のパターン変数が削除され、4つのパターン変数として確定する。

    ※他の変遷については後ほど扱う(なぜ5つ目が外されたのか、なぜ4つになったのかなど)。

    「「専門職と社会構造」1939<文献a>。パーソンズは,この論文が書かれた17年後,『経済と社会』の中で,パタン変数の四組のうち三組まではすでにここで「例証されている」と明言している〈文献f,p.34.footnote,訳書I,61頁〉。彼が,専門的職業人としての医者と患者の役割・役割期待関係を主として例解しながら,最初に提示するパタン変数の対立する組みあわせは次の三通りである。(1)自己関心(self-interest)対無関心(disinterestedness)。(2)機能的限定性(functionalspecificity)対機能的多面性(functionaldiffuseness)。(3)普遍性本位(universalism)対個別性本位(particularism)。(1)の二つの対立変数は,いわゆる「利己的(egoistic)」対「利他的(altruistic)」の区別と同じものではない。しかしながら,self-interestには「私利私欲」,disinterestednessには「公平無私」という意味あいが強くうかがわれる点からでもあろうか,後にこれは,より一般的な用語,すなわち自己志向(self-orientation)対集合体志向(collectivity-orientation)に変えられているく文献b,c>。」

    川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、187P

    主体と客体

    ・主体は「行為者」あるいは「自我(ego)」と呼ばれる。特に行為者同士の相互作用においては自我という。ただし、パーソンズにおける「行為者」は個人だけではなく、複数の個人かならる集合体としての行為をも含んでいる。個人の状況に対する志向は、集合体の状況に対する志向にも適合するとパーソンズは考えている。例えば医者は特定の個人だけではなく、医者たちという複数の集団で考えても同じような選択をする、ということになる。

    ・客体は「社会的対象」と「非社会的対象」の二種類がある。社会的対象は「個人」あるいは「集合体」などの他者を意味する。非社会的対象は「物理的対象」あるいは「文化的対象」(シンボル)を意味する。

    上の図が、主体と客体に対する関係の図。『超自我と社会システム論』(1952) 44Pの図。この図の詳説は省略する(図は川越さんのものを孫引きしました)。フロイトの制震構造の図式を大幅に修正したものらしい。パーソンズにおいてはこれがパーソナリティシステムにあたる。社会システムとは,自我(ego)と他者(alter)の相互的な志向(行為)連関,すなわち相互作用システムに他ならない。

    重要なのは、客体が社会的対象と非社会的対象に分かれること、社会的対象は「他者」のことであり、非社会的対象は「文化的対象」と「物理的対象」であるということ。主体と客体(他者)は相互作用状況内にあること。主体は文化的対象を内面化しているということ。

    例:お墓を蹴ってはいけないという文化を自己が無意識的にも意識的にも取り入れていく(内面化)。お墓を蹴れば非難される(制度化)。こうした文化は主体の選択に基準を提供し、客体にたいしてどういう相互作用をするか、行為をするか、評価するか、態度をとるかといった志向のあり方に影響を与えていく。

    「社会システム,パーソナリティ・システム,文化システムの関係は次のように整理されよう。まず,行為の準拠枠の諸成分は「主体(thesubject)」と「客体(theobject)」とに大別される。主体とは「行為者一主体」のことであり,相互作用状況内では「自我(ego)」とよばれ,その状況に対する行為の志向(orientation)のあり方が分析上の問題とされる。行為者-主体は単に「行為者」とよばれる場合があり,それは常に「ひとつの行為システム」である。かかるものとしての行為者は,(a)単数のパーソナリティ(apersonality)であるか,(b)単数の社会システム(asocialsystem)であるか――すなわち,個人としての行為者であるか,複数の個人からなる集合体としての行為者であるか――のいずれかである。(b)は(a)の集合にほかならないから,行為の一般理論の目的にとっては、状況に志向する「行為者」は必然的に(b)にも適合する,とパーソンズは考えているようである(この点に関して私も異存はない。……社会的対象とは,「主体」の場合と同様「行為者」すなわち「行為システム」(ただし複数形で示される)のことであるが,相互作用状況内では,これは自我に対して「他者(alters)」とよばれ,分析上問題とされるのはその「客体」としての側面である。かかるものとしての他者は自我の場合と同様――ただし複数形で示される–(a)パーソナリティ(個人)であるか(b)社会システム(集合体)であるかのいずれかである。また,非社会的対象は,(1)物理的対象と(ii)文化的対象(すなわちシンボルないしはシンボル・システム)とに区別される。(ii)は行為の準拠枠という観点から文化システムをとらえて,それを抽象化したものである。以上の関係をパーソンズは図1のように整理している……」

    川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、189P

    「社会システムとは,自我(ego)と他者(alter)の相互的な志向(行為)連関,すなわち相互作用システム(interactionsystem)に他ならない,とするのがパーソンズの基本認識である。それは,ミニマムには図にみるように二項行為者モデルとして提示されている。もちろん,すでにみたように,複数の社会システム(集合体)がいわば「集合的自我」なり「集合的他者」として相互作用を行ない,より上位の社会システムを構成することは理論的に可能である。」

    川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、190P

    志向様態と対象状況の区別

    POINT

    志向様態と対象状況の区別(mode of orientation and object situation)主体(自我)はどういう態度をとるか、客体をどう捉えるかという区別。志向様態の優位性の問題か、対象状況における不確実性の問題かという区別。別の言い方そすれば「態度の側」か、「対象カテゴリー化の側」かという区別。社会対象に対して態度をいかに組織化するか、社会対象それ自体を相互関係の中でいかにして組織化するかという区別。

    様態(ようたい):物事のありかた

    例:感情的な態度を他者にとるというのは志向様態。他者を業績という基準で接するというのは対象状況。

    1. 志向様態に分類されるパターン変数:感情性 vs 感情中立性、限定性 vs 無限定性
    2. 対象状況に分類されるパターン変数:所属主義 vs 業績主義、普遍主義 vs 個別主義

    ※自己中心的志向 vs 集合中心的志向は最終的にはどちらにも分類されないものとみなされ、(一般理論の構築のための)パターン変数から外された。

    難しいですよね。~性という場合は「態度を組織化する側の変数」を意味し、主義(本位)という場合は「対象を組織化する側の変数」を意味するというわけです。組織化とは要するに共通価値によって制御を受けるということです。

    たとえば感情性か感情中立性かというジレンマにおいては、自分の態度(志向)が共通価値によって制御されています。患者に対して医者は感情中立性という態度を選ぶという場合などですね。この場合、感情中立性への方向づけは共通価値によって制御、つまり組織化されています。

    一方で、属性主義か業績主義かというジレンマにおいては、対象が共通価値によって制御されています。たとえば教師が学生の成績のみで判断するようなケースの場合は属性主義ですよね。ここでいう対象は「生徒(客体、他者)」になります。生徒をどのように扱うか、つまり客体をどのように文化価値によって規定するかという問題です。裁判官が被告を平等に扱う場合も、客体(被告)をどのように文化価値にによって規定するかという問題になります。裁判官の場合は法律によって客体(被告)を平等に扱うことが規定されることになります。

    わかったような、わからないような気がしてきますよね。自分は他者に対してどういう態度をとるかという問題と、他者(対象)のどういう側面を扱う態度をとったらいいのか、という区別でしょうか。教師が生徒を平等に扱うというときは「生徒の扱われ方」が問題となり、教師自身のなにかが特別に問題となるわけではないのです。たとえば彼氏が彼女にたいして特定の面だけではなく、多くの面で接するというような場合は、彼氏自身の態度が問題となります。

    客体をどうとらえるかについての分析(客体類別、他者への志向のタイプ)指向(志向)の選択の分析(自我の態度に関わるもの。)

    (1)所属本位──業績本位

    例:他者を同じ国民かどうかで好き嫌いを判断する 他者に対して所属を基準にして好きという態度をとる

    ・他者をBを基準にしてAという態度をとる

    (1)感情性──感情中立性

    例:他者に対して怒る態度 他者に対して怒るという態度。好きだから仕事をする、嫌いだから仕事をしない、嫌いだけど仕事をするなど。

    ・他者に対してAという態度をとる

    (2)普遍主義──個別主義

    例:他者を普遍的な基準にもとづいて等しく平等に扱う 他者に対して普遍的な法律を基準にして許可という態度をとる

    ・他者をBを基準にしてAという態度をとる

    (2)限定性──無限定性

    例:他者に対して限定的に関わる。商品の支払いの受付のみで関わるという態度をとる。

    ・他者に対してAという態度をとる

    (?)自己志向的──集合志向的

    例:他者よりも自分を優先する態度

    この変数は他の変数とはすこし違う。なぜなら集合体と成員の関係を規定するものであり、成員間(1対1)の関係とはすこしずれる。他のパターン変数は1:1も、1:複数も、複数対複数もそれぞれ含んでいるようにみえる。

     

    (1)から(3)は客体類別で、(4)から(5)は志向様態という分類が可能になります。自分が感情的かどうかというのは自分の態度の問題ですよね。一方で、所属本位や業績本位は客体が何を成し遂げるか、客体が有している特質に関する問題、基準の問題になります。

    自分(主体)が感情的になるか、感情を抑えるかという心の態度の問題です。もちろん行為とは基本的に相互関係なので、他者(客体)も関係します。たとえば医者が患者(他者、客体)にたいして感情移入するかどうかです。正直な話、指向と客体類別の違いよくわからないですよね。どちらも客体は関係しているわけです。客体に対してAという態度をとることと、客体に対してBという基準によってAという態度をとることの違いなんですかね。

    たとえばAさんが貴族だから感情中立的に接するという場合、地位を判断基準にして態度をきめているので、これは所属主義ともいえます。単純にAさんだから(所属や業績に関係なく)感情中立的に接するという態度をとるという場合は感情中立性といえます。明確な基準(貴族かどうか、法律という基準があるかどうかなど)があるかどうかの違いなんですかね。友達だから怒る、という場合は所属(主体との関係性)を基準にしているので、やはり所属主義ともいえます。友達でも成績が悪いから怒る、というような場合は業績主義だといえます。

    たとえば会社でコネで採用される(所属本位)か、学業の成績で採用されるかという二項対立を考えてみましょう(業績本位)。

    「行為の対象(他者)をどういう基準で見るか、どう評価するか」という問題です。自分がどういう方向性をとるかというより、他者をどう捉えるかという客体の問題です。たとえば教師は生徒(他者)を親が金持ちだとか、貴族であるとかそういった所属地位で評価するのか、内申点が良いといったような業績で評価するのかという問題です。

    限定性と無限定性は指向性の問題です。たとえば患者(他者、客体)の一面的な部分だけ(たとえば治療という限定的な部分だけ)で関わるのか、プライベートまですべて含めて関わるのかという態度の問題です。

    わかったような、わからないような気がします。感情的になるか、感情中立的になるかについても何らかの基準が存在するのでは?と思いますよね。たとえば権力者なら感情を抑え、よくしらない失礼な他人なら感情を抑えないという基準があるかもしれません。したがって、基準があるかどうかが志向様態と客体類別の違いではなさそうです。どちらかといえば、その基準が、より主観的な場合か客観的な場合かという違いのような気がします。たとえばムカつくから怒る、というような主観的な場合は志向様態です。社会では店員に限定的に対応することが要求されている、というような場合は客観的であり、客体類別だといえそうです。

    とはいったものの、志向様態も客体類別もどちらも「規範」によって制御される行為です。つまり、社会ではどういう態度をとるか、どういう基準をとるかという方向を規範によって規定されているわけです。こういう場合は感情を抑えるべきだ、といように行動をある程度規定され、また本人もその方向へと努力するわけです(規範的志向)。つまり、どちらも客観的な文化的価値・規範を参照するわけですが、規定されつつも、どういう態度をとるかという問題では志向様態、規定されつつも、どういう基準をとるかという問題では客体類別という感じでしょうか。

    「それによると客体類別は普遍性/特殊性(universalismvs.particularism),遂行/資質(performancevs.quality)の二つの軸で行なわれる。前者は客体を普遍的な規準にもとづいて扱うか,主体との特定の関係にもとづいて扱うかの区別であり,後者は客体をその業績でみるか属性でみるかの区別である。……一方,客体への態度は限定性/無限定性(specificityvs.diffuseness).情緒性/中立性(affectivityvs.affectiveneutrality)の二軸で類別される。前者は客体の限られた側面にだけ関心を寄せるか,多面的な関心を寄せるかの区別であり,後者は客体にたいしで情動的な態度をとるかとらないかの区別である。」

    春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」、141P

    「(1) 感情性 対 感情中立性。(2) 自己志向 対 集合体志向(《I》の自己関心 対 無関心の改訂)。 (3)普遍性本位 対 個別性本位。(4)帰属性本位 対 業績性本位(のちに特質本位 対 遂行本位と 改訂)。(5)(機能的)限定性 対 (機能的) 多面性。(1), (2),(3)の対立変数は状況内対象に対する行為者の志向様態(mode of orientation)のディ レンマ(志向様態間の優位性の問題)から導出されたものであり, (4), (5)の対立変数は対象状況 (object situation)に内在するディレンマ(対象状況における不確定性の問題)にかかわるも である。この「志向様態」,「対象状況」という二つの用語は同テクスト <p.253,訳書405頁参照> に第五図として提示された「動機志向」「価値志向」にそれぞれ対応するはずである。この図表は, 同じ年に出版された文献 c, p.105(訳書114頁参照)で「パタン 変数のグルーピン グ」と銘うたれて,より簡明なかたちに変換され,図3のように示されているし,さらにまたテクスト《III》にお いてもこの図表はそのまま引用されている<文献e, p.67>。」

    川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」,193-194P

    「①感情性と感情中立性(自我の態度に関わるもの。医者は患者に対して感情中立的でなければならないが、親が子供に対する場合はそうであってはいけないだろう。)②限定性と無限定性(これも自我の態度。医者の患者への関心は病気の治療に限られる、すなわち限定的であるが、親の子供への関心は無限定的である。)③普遍主義と個別主義(他者への志向のタイプ。親は我が子を特別の対象として考えるが、医者にとって個々の患者に差別はない。前者を個別主義、後者を普遍主義という。)④所属本位と業績本位(これも他者への志向のタイプ。他者の身分、家柄、肩書きを重んじる態度が前者、後者は他者の業績を評価する。「資質と遂行」ともよばれる。)⑤自己中心志向と集合体中心志向(自我と他者の双方に関わるもの。自分の価値観を重視するか、所属する集団の価値観を重視するか、の違い。)」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」58~59P

    「価値志向と動機志向」とパターン変数との関連性

    ・図にするとこのような感じになる。集合中心的志向 vs 自己中心的志向は中途半端な存在として扱われている。

    ・動機志向が志向様態に、価値志向が対象状況に対応しているというのがポイント。

    POINT

    志向(orientation)・行為の準拠枠において行為が目的との関連で行為者により行為に付与された意味によって導かれること。行為者が客体に対して何らかの関心を向けること。指向ともいう。

    POINT

    動機志向(motivational-orientation)・行為者が客体に対して欲求の充足を期待すること。動機指向ともいう。自分の欲求との関係だけで考えること。例:お腹が空いたから食べる。お腹が空いたから奪う。

    POINT

    価値志向(value-orientation)・行為者が客体に対して文化的な価値の実現を期待すること。自分がもっている、あるいは信頼している文化的な価値との関係で考えること。価値指向ともいう。例:より美しく食べる。

    POINT

    規範的志向(normative orientation)・人間は諸刺激に単に反応するだけではなく、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとすることに関心があるというもの。また、そのような傾向へと自らを方向づけること。単位行為における単位として扱われることがある。現実には規範的志向に沿わないような行為もあるが、行為の準拠枠においてはすべて規範的志向をもつものに限定される(単純な反射的行動などが除外されるように)。人間は規範に従おうと「努力」する存在である(また、その意味において自由であるという)。

    四単位のうちの規範は規範的”志向”と言われることがある。志向とは関心を向けることであり、心の中の動き、方向である。おそらく規範は行為者に完全に外在しているようなイメージで考えると、行為単位レベルではなく行為体系レベルになってしまうからだろう。つまり、行為体系レベルで生じる創発特性が規範的要素にあたるもので、これは個人レベルでは生じない。極端な話、無人島で生まれて1人で暮らす人間(原子論的個人のイメージ)が、争いはよくないだとか、愛はよいだとかそういう規範へ志向するのかという問題。無人島で独りで暮らす人間にそもそも社会的行為は不可能であり、ほぼすべて行動になる。

    もちろん象徴(シンボル)という言葉が単位行為にあるように、ある規範は行為者の心の中にのみ存在するという意味では行為者に内在している(たとえばお墓そのものに規範が存在しているわけではなく、お墓を神聖だと思う行為者の心に規範が存在している)。ポイントは、この心が行為者1人だけに由来するものか、集団で共通に心の中に存在するような望ましいものかということ。殺人は善いというようなものも心の中に存在し、目的や手段を規定しているという意味では規範になるのか。共通に望ましいかどうかは個人の段階ではわからないのではないか(独断的に思うことはできるが、それでいいのか)。それぞれ自分勝手な規範へ志向したら秩序は解決しないのではないか。

    POINT

    規範的要素・「あるものが、(1)集合体の成員達にとって(2)集合体の一部の成員達にとって(3)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素」。要するに、ある集合体に共通して望ましいと思われているような要素を規範的要素というわけです。別の用語で言えば「共通価値」であり、「究極的価値」です。ただし究極的価値他の目的のための手段ではなく、論理的に最上位の目的であり、まさにそれ自体を目的としているのですこし印象が違います。

    規範と規範的要素は違う。規範的要素の中に、規範が含まれている。さらには価値や社会的規範をまとめて1937年時点では規範的要素と言っていることがある。端的に言えば多くの人間が共通して望ましいと思っているような要素を言う。たとえば平和や愛などはどちらかといえば価値に、老人に電車で席を譲るというのは社会的規範にあたる(抽象度の違いで区別、あるいは価値は外側から制御し、規範は内側から制御するというイメージ)。

    POINT

    規範(norm)・単位行為における規範とは、「手段と目的を関連づける基準」であり、規範的要素における規範とは、「望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述」である。さらに規範的要素となると、「複数の人間にとって共通して望ましいとされる基準」となる。一般に規範とは、「社会や集団において、成員の社会的行為に一定の拘束を加えて規整する規則一般」を意味する。

    (単位行為の文脈における)規範:手段と目的を関連づける「基準」。合理的なものもあれば非合理的なもの、没合理的なものもあるとされる。

    (規範的要素のうちのひとつの)規範:規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述。ここでは望ましいかどうかは個人の判断のみであり、複数の行為者による共通の承認という要素がないとも考えられる。その意味で、単位行為レベルでは創造的な余地、能動的な余地が残されていると解釈されるケースがある。たとえば、集団で人種差別は望ましいと思われていた場合でも、ある個人が自分の意思で能動的に、人種差別は善くないという規範へと志向するなどといったブレイクスルー(創造、革命的)要素。

    POINT

    価値(value)・具体的な個々の状況を超えて行為者はこうすべしという格率

    POINT

    行為体系における構造的要素・行為体系は「究極的目的(究極的価値)」、「内在的中間領域」、「究極的手段」の3つの構造的要素にわけることができる。

    ・行為体系における3つの構造的要素(中期以降ではパーソナリティ体系、社会体系、文化体系などに行為体系から分化していくことになるが、初期ではまだ分化していない。)

    【1】究極的な条件:たとえば遺伝や森や海などはそれ自体としては有意味ではない。しかし行為者によって意味づけされることで、主観的に、心の中で価値のあるものとなる。また、行為には欠かせないという意味で、行為の条件や手段である。

    【2】内在的中間領域:目的──手段関係の中間領域。目的を達成するために行為者は必要な手段を選択し、主体的に活動していく領域。

    【3】究極的価値:目的ー手段の連鎖の最上位に位置するようなもの。例えばお金を稼ぐため(目的)に仕事をする(手段)が、お金を稼ぐというのもさらに何かの目的のための手段であると考えられる。この連鎖の最上位、なにかのための手段ではなくそれ自体が目的というような分析的な概念を究極的価値という。この究極的価値は規範的要素(共有価値)にあたる(定義的には下位の目的でもよいとありますが、目的そのものという意味からはそう解釈できる)。秩序を形成する本質的な要素。究極的価値(究極的目的)は共通価値の「具体的な現れ」とも表現されている。

    ・パーソンズは究極的価値(究極的目的)を非経験的なもの、宗教的なものと考えた。

    ・人間の中間領域、つまり目的と手段の連鎖を統合するような、頂点で支えているような要素が「究極的価値」である。

    例:生きるために食べる、食べるために稼ぐ、稼ぐために働く、働くために学ぶ…といった目的と手段の無数の連鎖がある。その最上位の目的が究極的目的(価値)である。ある目的が究極といえるかどうかという価値判断ではなく、目的と手段の連鎖には論理的に最上位の目的と最下位の手段があるということ。究極的目的の「具体的な中身」については時代や社会などによって異なる。その意味でパーソンズの理論は抽象的な一般理論であり、個別具体的な理論ではない。比喩的に言えば「入れ物」であり、「枠組み(準拠枠)」である。

    たとえば生きる目的は神から救済されるため、遺伝子を残すため等。それにたいして最下位のものが究極的条件であり、手段をとるための基礎をなすものであると考えることが出来る。学ぶためには脳みそが機能していて、文字が読めて、図書館を利用できて、といった条件が最下位付近にはある。木材は中間領域で人間が目的の達成に価値がある手段だと考えることで、はじめて意味をもってくる。木材それ自体に人間から離れて独自に、客観的に意味をもっているわけではない。

    ・このように考えると、究極的価値や究極的条件は基本的に個人レベルにおいてはコントロールが及びにくく、ある程度外在しているものであると考えられる。人間は中間領域において、究極的価値へ向かって自ら(下位の連鎖の)目的や手段を意志的に、努力によって選択していく存在であり、その意味で主意主義的であると考えることができる。

    「まず、行為者が客体に対して何らかの関心を向けることを『指向(orientation)』といいます。その『指向』には二種類ある、というのがポイントです。『動機指向(motivational-orientation)』と『価値指向』。動機指向とは、行為者が客体に対して欲求の充足を期待する、ということです。そして価値指向は、行為者が客体に対して文化的な価値の実現を期待するということ、にあたります。」

    大澤真幸『社会学史』393P

    「パーソンズのオリジナリティのポイントは、『価値指向』のほうにある。行為者に価値志向があるがために、社会秩序は可能になる、というわけです。つまり、共通の文化的価値や規範が、行為者に『内面化』され、社会システムに『制度化』されているがために、社会秩序が可能になる、ということがパーソンズの結論です。」

    大澤真幸『社会学史』395P

    「以上が五つの二価的な構造をもつ型の変数であり、パーソンズによれば、人間の行為における規範的志向の選択は、これで尽きているというわけである。一つの行為が五つの二価値のいずれか一つを選択するとすると、その組み合わせは全部で三十二になる。そこで、論理的には行為を三十二の類型に分けることが可能になるわけだけれども、これは大変煩雑であるから、実際の適用には若干の単純化が施される。繰り返すが、ここで析出される三十二の行為類型は、まず文化の要素としての規範の構造であり、より具体的には『役割期待』の形で人々の行為を拘束する。さらに、これがパーソナリティのなかに内面化されたときには、その人間の様式を決定する基準(動機づけ)の構造となって人格の一部を形成しているのである。さらに、こうした行為の様式を決定する基準(動機づけ)の構造となって人格の一部を形成しているのである。さらに、こうした行為者による行為が集合的に秩序立った全体を構成したときには、それは社会の(制度的)構造としても現出する。こういうわけで、この変数群によって決定される『型』は、文化、人格、社会を横断(通底)するのである。」

    中野秀一郎『タルコット・パーソンズ』62P

    「行為システム一般の準拠点として,一方の極に動機志向を,もう一方の極に価値志向を置きながらパーソンズは次のように述べる。「パタン変数の二つのもの(感情性一中立性と,多面性–限定性・筆者)は準拠システムの一方の極(動機志向・筆者)に特別に関連しており,他の二つのもの(普遍性本位一個別性本位と,帰属性本位一業績性本位・筆者)はもう一方の極(価値志向・筆者)にとりわけ関連し,第五のもの(集合体志向-自己志向・筆者)は,いわば両極のあいだで『中立的』である。」

    川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」、194P

    「規範的という語の定義を引用しておこう。「あるものが、(1)集合体の成員達にとって(2)集合体の一部の成員達にとって(3)単位としての集合体にとって、それ自体目的である(他の目的のための手段であってもよい)という感情を、一人以上の行為者に抱かせるような、行為システムの一つの側面、部分ないし要素に、ふさわしい語として、規範的という用語が用いられる」この定義の特徴は、ある要素が、成員聞に共通して望ましいと認められていること、ないし認められるべきだと行為者が考えているということ、つまり成員間における共通性(ないし共有性)が強調されていることである。規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、「規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コlスの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である」)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた「手段と目的を関連守つける基準」という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員聞に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。」

    溝部 明男「初期パーソンズの諸問題 主意主義と秩序問題」11P

    「こうしてパーソンズは、「人間は、諸刺激に単に反応するだけではなくて、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとする(これが規範的指向 引用者)、するという経験的事実」を分析の出発点にして、この規範的指向を、行為の根本的な要素とみなすことになる。けれども、この「経験的事実」の反面、つまり共通のパターンに一致しない行為の可能性が存在することも確かである。パーソンズの主旨は、後者を否定するのではなくて、前者の事実に問題領域を限定する、ということである。このことを彼は明確に自覚していて、次のように述べている。「空間が古典力学にとって、根本的であるのと同じ意味で、規範的指向は、行為図式にとって根本的である。空間的位置の変化以外に運動がないのと同様に、規範に従おうとする努力(effort)以外に、行為はない。どちらの場合も(力学と行為理論 引用者)この命題は、定義ないし定義からの論理的な帰結である。けれども、人間行為が、実際に規範的に指向しているかどうかという問題を提起することは、今の目的にとって必要がない」。この文章は要するに、システム・レヴェルにおいて採用されている概念閲式を明示しているものと考えられる。「規範に従おうとする努力」という行為の定義スケッチは、彼の種々の定義スケッチの中で、(「秩序問題」が彼の第一のテーマであるとするならば)最も直裁的な表現であろう。」

    溝部 明男「初期パーソンズの諸問題 主意主義と秩序問題」12-13P

    「規範は、規範的要素の一つである。上の引用文のすぐ後に、『規範とは、望ましいと考えられている行為の具体的コースの遂行を、行為者に命令する言語的な記述である』(『社会的行為の構造』,75P)と定義されている。この定義だけならば、単位行為に関連して述べられていた『手段と目的を関連付ける基準』という定義と変わらない。けれどもパーソンズの論旨の展開においては、成員間に共通する規範的要素としての規範が、重要なのである。だから何らかの一般的な妥当性を主張できないような基準、つまりある特定の行為者のみが独特に採用している基準がありうるとしても、そのような基準は、規範的要素としての規範から排除されているのである。規範的要素のもう一つの主要な要素は、目的であるが、これについても同様である。以上から明らかなように、「規範的要素」という概念は、複数の行為者から成るシステムを前提にしてむり、複数の行為者による共通の承認ということを含んでいる」

    溝部 明男「初期パーソンズの諸問題 主意主義と秩序問題」11P

    「社会や集団において、成員の社会的行為に一定の拘束を加えて規整する規則一般を意味する。成員たちが多少とも共有している価値との関係でいうと、その価値に誘導されて行為を規整するのが規範であるから、規範は価値よりも、行為を具体的に特定化する度が大きい。したがって、規範は、行為において追求される目的選択の基準や、その実現に取られるべき行為の様式に関する指示を含んでいる。社会規範は通常、①慣習(伝統、流行、風俗を含む)、②習律(モーレス)、③法、に分類される。規範はすべて、それへの同調のチャンスを高めるような社会的サンクション(報酬と罰)を伴っている。サンクションは誇りや恥の感じをもたらす無定型の圧力から、明示的な非難、称賛を経て物理的強制に至る多様なかたちをとる。

    「社会学小辞典」、有斐閣、108P

    「『社会的規範』は、個々の相互行為を統制するものである。社会と時代が異なれば、それに応じて異なった規範がその社会と時代に通用するだろう。「価値」と「規範」の違いは、その内容の抽象性が高いか(価値)、それとも具体的な状況にある程度対応して具象的に表現されているか(規範)の違いである。たとえば、教育制度において、身分、出自、性差などの個人の属性に関わらず、教育の機会を与えることが、教育制度における「価値」であろう。他方、学生は試験に際して、カンニングをしてはいけないという決まりは、「社会的規範」である。(1937年当時のパーソンズは、「価値」と「社会的規範」をまとめて「規範的要素」と呼んでいる。)以上のように、「価値」は具体的な個々の状況を超えて行為者はこうすべしという格率であるのに対して、「規範」は、具体的な相互行為の場面を想定し、「社会の秩序」を維持するために、あるいは、「社会システム」が活力を持って作動してゆくためにプラスとなる行為を奨励し、マイナスとなる行為を禁止する決まりであると基本的には考えられる。」

    溝部 明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された3つの理論的課題」、31~32P

    「まず,社会的行為を構成する要素は究極的価値=規範的要素ultimatevalue,内在的中間領域intrinsic-intermediatesector,究極的条件ultimateconditionのいずれかに区分される。。言い換えれば,社会的行為は究極的価値,内在的中間的要素,究極的条件という三大要素から構成される」

    小松 秀雄 「パーソンズ社会学における宗教-ウェーバーからパーソンズへの転換-」73P

    「そのうえでパーソンズは、究極的目的と道徳的規範は社会の成員により共有されている共通価値の具体的な表れであるとみなすことによって、『行為者が共通価値に裏打ちされた道徳的規範を義務として遵守し、同じく共通価値から派生する究極的目的の実現に努力するならば、社会秩序を形成、維持できるにちがいない』と結論づける。」

    「クロニクル社会学」,40P

    「「秩序問題」に対する(1937 年当時の)パーソンズ自身の解答は、次のようなものだった。コンフリクトを生み出さないような相互に調和的な価値を社会のメンバーたちは共有しており、そのことによって社会のまとまりが形成され、その社会は支障なく作動してゆく。また、個々の行為は社会的規範によって規制されており、とくに暴力と欺瞞を手段とすることは禁じられている。規範に違反する行為に対しては、社会統制が作用して、人々が規範を遵守するように促す。こうして一つの社会システムがまとまりを維持しつつ作動し、その内部は規範と社会統制によって規制されている(この状態をパーソンズは「共通価値統合」と呼んだ)ので、そこに、「万人の万人に対する闘争」が発生する可能性はない。」

    溝部明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された3つの理論的課題」、20-21P

    「ここでパーソンズは,功利主義の科学的な合理性による行為ではなく,価値や理念によってなされる行為を想定する。つまり,科学的に検証可能な合理的知識という観点から見た場合,非合理的と見える行為である。宗教的行為などがそれにあたるのであるが,パーソンズにとってはそうした価値こそ,行為を成り立たせるための重要な要素となるものであった。この価値は,個々人の総和を超えたところに生成する創発特性であると同時に,社会的に望ましいものとされる。また,行為者にもそうした価値を帯びて内面化されることによって,行為を導く要素となるのである。パーソンズは、功利主義批判を通して,以上のような「共通価値による統合」をもって,「ホッブス問題」を解決しようとしたのである。」

    村井重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」、46P

    パターン変数と社会秩序

    前期パーソンズと中期パーソンズ、後期パーソンズの整理

    ※今回は主に中期パーソンズのパターン変数を中心に検討します。AGIL図式にはあまり触れません。

    初期以前:1935年『社会学理論の中で究極価値が占める位置』

    初期パーソンズ(1937年~1951年):行為の準拠枠、主意主義的行為理論関連、共有価値の理論など 『社会的行為の構造(1937年)』(この段階でパターン変数は3つだけ)

    中期パーソンズ(1951年~1966年):社会システム関連(パターン変数やAGIL図式、制度化、内面化) 『行為の総合理論を目指して(1951年)』 『価値・動機・行為体系(1951年)』(4つのパターン変数、5つのパターン変数はここで扱われる) 『社会体系(1951年)』『行為理論の作業論文(1953)』

    後期パーソンズ(1966年~):サイバネティクスがAGIL図式と結び付けられる。コントロールハイアラーキー(L→I→G→A)など。

    パーソンズの一番目の著作は1937年の『社会的行為の構造』です。主意主義的行為理論や共通価値統合、ホッブズ的秩序問題に取り組みました。初期パーソンズとして分類されます。行為の準拠枠もこのあたりですね。

    パーソンズは1951年に『行為の総合理論を目指して(Toward a General Theory of Action )』をシルスと共編著で刊行し、1953年にベールズと共著で『Working Papers in the Theory of Action』を刊行しました。後者の方は邦訳すると『行為理論の作業論文』ですね。『Working Papers in the Theory of Action』のほうではじめてAGIL図式が説明されたそうです。このあたりが中期パーソンズです。

    パターン変数の説明は1951年の『行為の総合理論を目指して』のほうです。また3つのシステムや制度化と内面化の説明もこちらです。AGIL図式ではさらに行動有機体というシステムが加わり、4つのシステムになります。1951年の『行為の総合理論を目指して』のあたりから社会システム論を展開していったようです。1951年には他にも『社会体系論』などがあり、そこでは役割や相互行為などが説明されています。

    1:パーソンズ初期においては個人の行為や近くに重点が置かれている。個人の役割が強調されている。主意主義的行為理論。人間の自由な選択意志がメイン。功利主義への批判外面。

    2:パーソンズ中期においては「動機づけ」に注意が集中している。秩序安定のシステムについて関心が向かう。

    初期パーソンズ

    ※初期パーソンズについては以前の記事を参照。出典は省略する。

    【基礎社会学第十七回】タルコット・パーソンズの「ホッブズ的秩序問題」とはなにか

    【基礎社会学第十九回】タルコット・パーソンズの「主意主義的行為理論」とはなにか

    【基礎社会学第二十一回】タルコット・パーソンズの「分析的リアリズム」とはなにか

    1:1951年代以降を中期、それ以前を初期とする。『行為の一般理論をめざして』(1951)において「制度化」と「内面化」という考え方が出てくる。また、3つのシステム(文化システム・社会システム・パーソナリティシステム)から社会が考えられている。更に重要な「役割」という考え方も出てくる。パターン変数が4になったのも、この論文(5つと表記される箇所も同時にある)。『専門職と社会構造』(1939)の時点では3つ。

    2:『行為理論の作業論文』(1953)において、AGIL図式という考え方が出てくる。パターン変数が4つに確定したのはこの論文。AGILという4つの機能に合わせて、4つのパターン変数の組み合わせ(対立ではなく親和的なもの)が考えられる。

    ・今回は主に1951年における制度化と内面化、3つのシステムを扱う。AGIL図式にはあまり触れない。※各システムを形成する行為システムやそれらを形成する単位行為の説明はすでに行ったので省略する。

    ・初期パーソンズの復習

    1:『社会的行為の構造 』(1937)では「いかにして社会秩序は可能なのか」というホッブズ的秩序問題が重要だった。

    2:その解決方法は、「共通価値統合」にある。この解決方法は中期の『行為の一般理論を目指して』(1951)では「制度的統合」という言葉に代わっていく。

    3:「共通価値」とは初期パーソンズにおいて、個人のレベルでは存在せず、集団において生じる「創発的特性」である。個々人の総和を超えたところに生成する価値であると同時に、社会的に望ましいものとされている。個人にのみ焦点を当てても確認されないような要素である。

    ・共通価値の具体的な表れが究極的価値(究極的目的)や道徳的規範、社会的規範である。価値は抽象度が高く、規範は抽象度が低いというイメージ。たとえば「人に優しくするべき」は抽象度が高く、「電車で妊婦に席を譲るべき」は抽象度が低い(具体度が高い)。

    ・ただし、共通価値は必ずしも倫理的に善いものというわけではなく、共通して集団においてもたれている価値であり、共有されているということが重要。

    ・パターン変数でいえば、共通して見られるような特定の変数。例:医者は感情中立であることが望ましいと共有されている場合、これは共通価値になる(共通価値の世俗化、具体的な現れともいえる)。

    4:万人の万人に対する戦いを生み出さないような価値(規範)を共有しているから、社会の秩序が生成される(この解答は規範解ともいわれる)。

    ・パーソンズによれば人間は価値へと志向する生き物だという。人間の行為は条件に規定されつつ、規範にも規定され、さらに規範へと意志や努力をもって志向する(意志や努力という点で行為を捉えるので、主意主義的行為理論という)。

    ・初期パーソンズにおいては、「人間は、諸刺激に単に反応するだけではなくて、行為者と集合体のメンバーによって望ましいと評価されるパターンに、自分達の行為を一致させようとするという経験的事実(『社会的行為の構造 』(1937),76P)」と規範的志向について説明している。動機志向だけではなく、価値志向をもつ生き物という前提がある。また、価値や規範においては合理的なものだけではなく、非合理的なものも含まれているのがポイント。非合理的(没合理的)なものの例としては宗教などが挙げられる。

    ・中期パーソンズにおいては、なぜ人々が規範的志向をもつのかというと、諸個人は不安よりは安定を、逸脱よりは秩序を選ぶ傾向、そのような「合理性」があるからだという。超自我というものが人間にはあり、それらが価値を内面化して、私的利益よりも集合的利益を優先するようになっているらしい。

    「パーソンズによれば、諸個人は、不安よりは安定を、逸脱よりは秩序を選ぶ傾向、すなわち「合理性」をもっている。パーソンズは、行為が「規範に指向する」25という言い方で、これを説明しているが、すなわち、社会体系の成員である個々人の行為の動機づけが、社会体系のもつ「規範的な文化的基準」「価値の規範的なパターン構造」と合致することを言っている。なぜ行為が「規範に指向する」かというと、体系の成員である個人にとって、「規範への指向」(または「基準への同調」)は、その反対のもの(すなわち、規範からの「逸脱」)よりも「その行為者たちの利益に結びつく」からである。逸脱は、規範的パターンの「攪乱」であり、「緊張」であるとされる。行為理論においては、「役割」はつねに「他者の役割期待」と表裏一体の(相補的な)ものとして存在する。すでに確立した規範があって、個人はそれへ一方的に同調することを求められているのではなく、「規範への指向」が規範を確立するという相互作用によって「共通の価値志向の型の内面化」が達成され、ついでその価値が制度化されることで、堅固な社会体系が成立するとされる。」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」61P

    内面化と制度化(中期パーソンズ以降)

    POINT

    内面化(internalization)文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティシステムの一部となること。社会化(学習による獲得)を通じて、一定の「共通価値」への同調が行為者の欲求の一部となること。特定のパターンの組み合わせが行為者の欲求の一部となることを意味する(パターン変数の内面化)。内面化はパーソナリティシステムにおいて行われる。

    例:市民社会の諸個人には、商取引は公明正大でなければいけないという共通の価値が内面化されている。学校で教わったり、他人の行為を見たり、そういうことの積み重ねで学習され、内面化される。パーソンズによれば人間は価値へと志向するもの、つまり価値を内面化する生き物であるとされている。

    POINT

    制度化(institutionalization)文化システムの価値や規範が社会システムの制度として正当性を付与され、それらからの逸脱が報酬と制裁によってコントロールされるこ。「行為者のもっている期待を、人々が分かちもっている価値の型と統合すること」。社会統制とも呼ばれる。パーソナリティシステムにおける内面化だけではパターン変数の安定性が保証されないので、社会システムにおいて制度化されている必要がある。共通の価値の内面化(秩序を維持させるような、特定のパターン変数の内面化)はパーソナリティシステムや社会システム、文化システムをつなぐ側面がある。内面化され制度化された共通価値を文化と呼ぶ。文化は個人(パーソナリティ)と社会を媒介する重要な要素である。文化は選択的な指向や秩序付の基準を提供する。

    共通価値が内面化され、制度化されたものが「文化」である。文化は個人に内面化されつつ、社会システムの制度であもるので、個人と社会を媒介し、統合し、秩序付ける役割を持っている。例:「挨拶は善いものだ」という共通価値が学習によって内面化され、かつ日本文化といえば挨拶だというような「制度」になっているケース(挨拶をするものは常識人だと報酬を受け、挨拶をしないものは無礼だと制裁を受ける)。あるいは犯罪行為を法律で罰する等。

    POINT

    社会化・指向の基本的な型をパーソナリティに内面化する動機づけの過程。

    POINT

    動機づけ・状況にどう立ち向かうかという行為の指向を形成するメカニズム。役割制度に強制的かつ自発的に順応させるメカニズム。

    POINT

    役割・「行為者の志向のなかで、相互作用の過程への彼の参加を構成し、また規定するような、組織化された部分。相補的期待を含んでいる」。パーソンズによれば社会構造のもっとも重要な単位は人間ではなく役割である。

    POINT

    相補的期待・個人は社会体系に参加する際に、他者の期待によって規定される。また、他者もこちらの期待によって規定されるので、相補的期待という。

    制度化と内面化を図にしたもの。行為を制御する価値や規範が社会システムにおいて制度化され、パーソナリティシステムにおいて内面化される。共通価値の制度化と内面化を通して、社会が安定し、秩序が生まれるという。

    このような秩序生成を、「制度的統合」ともいう。

    ただし、価値や規範は所与のものであり、価値や規範そのものの生成システムを説明しきれていない、価値がどう維持されるかの説明をしているだけ、という批判がある。

    パターン変数の内面化:特定のパターンの組み合わせが行為者の欲求の一部となることを意味する。パターン変数とは共通価値の具体的な現れである。

    ・なにが具体的に共通の価値であるかは、時代や社会によって異なる。たとえば前近代ではゲマインシャフト的な組み合わせが秩序につながったが、近代以降では人口が増え、分業などゲゼルシャフト的な組み合わせが秩序につながるということもある。時は金なりと思われる時代もあれば、そう思われない時代もある。神の救いが切実に認識されていた時代もあれば、認識されなくなる時代もある。

    「少し用語を解説しておくと、まず内面化(internalization)」というのは、社会化(学習による獲得)を通じて、一定の文化的価値と規範への同調が、行為者の欲求の一部となることです。」

    「社会学史」、大澤真幸、395P

    「社会的相互作用の体系が安定化しうるのは共通の価値志向の内面化を通じてである。これをパーソナリティに関する用語に翻訳するなら、当該個人の役割による志向の型の一つびとつに対応して、超自我の組織という要素があることを意味する。あらゆる場合、超自我の要素の内面化は、適当な限界内で適当な機会に、私的利益に対する集合的利益の優先を承認しようとする動機づけを意味する」

    タルコット・パーソンズ「行為の総合理論をめざして」、p.238

    「制度化(institutionalization)というのは、一定の文化的価値と規範が社会システムの制度として正当化を付与され、それからの逸脱がサンクション(報酬と制裁)によってコントロールされることを意味しています。」

    「社会学史」、大澤真幸、395P

    「社会システムにおける<望ましいもの>を定義している規範的概念、それが文化要素としての価値である。それが個々人の行為を制御するのは、社会化のメカニズムを通して人格システムの中に内面化し、行為の動機づけを形成するからであり、またこうした行為の集合状態としての社会構造を基礎づける。そのことを、価値・規範の制度化と呼ぶ。」

    「タルコット・パーソンズ」、中野秀一郎、94P

    「動機づけとは、状況にどう立ち向かうかという行為の指向を形成するメカニズムのことであり、そしてその状況には役割構造も含まれている。それゆえ、もしもそうした指向が、社会の共通した基準に従ってあらかじめ行為者としてのパーソナリティ・システムのなかに組み込まれていれば、役割相互行為は努力や意志といった主意的で不確実な要素に依存すること無く、自動的かつ確実に遂行されることになる。こう考えるパーソンズにあっては、指向の基本的な型をパーソナリティシステムに内面化する動機づけの過程としての社会化と、そこから逸脱した行為を再度適正な方向へと動機づける社会統制とが、社会システムの秩序にとって決定的な意味をもつことになる。こうして、彼の行為の準拠枠を構成する要素は、行為者、指向、状況へと変更されることになる。」

    「クロニクル社会学」,42-43P

    「社会体系とは、行為理論の関係枠のなかで分析された、複数の人間の相互作用の体系である。それは、もちろん、個人としての行為者の関係によって、ただそのような関係だけによって成り立っている」

    タルコット・パーソンズ「行為の一般理論をめざして」、37P

    「社会学は「共通価値による統合という属性によって理解することのできる社会的行為体系に関する分析的理論の展開をめざしている科学である」と定義することができよう」(Parsons,1937=1989:)

    「「整合された体系」とは秩序・安定・均衡・統合を具備した体系であり、その根底にあるのは、内面化・制度化された「共通的価値」である(「共通的価値なしにいかなる秩序もない」21)。パーソンズはこの「内面化され制度化された共通的価値」を「文化」とよぶ。」

    ※21=タルコット・パーソンズ「家族」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」、60P

    「われわれが選び取った概念化の基本方針によれば、文化的要素は、コミュニケーションおよび相互行為過程にみられる指向の相互性のその他の側面を媒介し、規制するパターン化された秩序の要素なのである。行為の動機づけの構成要素にたいする文化の関係には、つねに規範的側面がみられ、すなわち、文化は選択的な指向や整序づけの基準を提供している、とわれわれは主張してきた」

    タルコット・パーソンズ「社会体系論」、327P

    「制度化とは、「行為者のもっている期待を、人々が分かちもっている価値の型と統合することである」[ParsonsandShils(eds.)1951,p.20,訳,31頁]。つまり行為者の保有する価値や規範が社会において承認され、社会の価値や規範になることである。これに対して、内面化とは、文化システムの価値や規範が学習され、行為者のパーソナリティ構造の一部になることである。パーソンズのいう制度化と内面化を図示すると図1のようになる」

    友枝敏雄「方法論的個人主義にもとづく社会理論の問題点 : パーソンズとロールズを中心として」6P

    「社会構造のもっとも重要な単位は人間ではなく役割である。役割とは、行為者の志向のなかで、相互作用の過程への彼の参加を構成し、また規定するような、組織化された部分である。それは、行為者自身の行為と、彼が相互作用する他の人々の行為に関する一組の相補的期待を含んでいる」

    タルコット・パーソンズ『行為の一般理論を目指して』、37P

    「もちろん、個人は強制された・不自由な存在とされてはいないが、個人は社会体系に「参加」する際に、「規定」「組織化」を受けるものとされている。何によって「規定」されるかというと、他者の「期待」であるが、他者もこちらの「期待」によって「規定」されるわけだから、「相補的期待」とよばれる。……「役割」とは、端的に言えば、「機能の担い手」であるから、パーソンズらは社会を「諸機能の体系」として見ていることになる。この考え方は、現代社会を大企業または大組織(官庁その他)をとおして見る場合に有効なもので、ふつう構造的機能主義とよばれる。さて、「社会構造のもっとも重要な単位」は、マルクス主義的準拠枠では、「商品」であった。パーソンズらがそれを「役割」と言い換えたということは、社会をモノの体系ではなく、「機能の担い手」である個人の行為の体系としてとらえようとする新しい準拠枠の提示なのであるが、「役割」とは「行為者の志向のなか」の「組織化された部分」だという主張の意味をまず考える必要があろう。」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」、57P

    パターン変数とAGIL図式との関連

    POINT

    AGIL図式・パーソンズはどんな社会にも4つの機能要件があると考えた。機能要件とは「それが満たされなくては社会システムが維持できなくなるような社会の目的」である。この4つの機能要件のそれぞれの頭文字がA、G、I、LなのでAGIL図式という。それぞれAdaptation(適応)、Goal Attainment(目標達成)、Integration(統合)、Latent pattern maintenance and tension management(潜在的なパターンの維持と緊張緩和)である。

    ※今回はAGIL図式の詳細には触れません。

    4パターンの二項対立の組み合わせは4×4で全部で16通りあります。そのうちの4通りにあたるものが、AGIL図式を構成するそうです。残り12通りは、社会の4つの機能要件にははいらないということになります。パーソンズは社会システム以外に、文化システム、行動システム、パーソナリティシステムがあると考えたのです。それぞれのシステムに4通りの組み合わせがあります。

    AGLI図式、すなわち社会システムにあたるものは以下の4通りの組み合わせです。1:「普遍主義+限定性」(適応)、2:業績主義+感情性(目標達成)、3:無限定性+個別主義(統合)、4:所属主義+感情中立性(型の維持)です。

    ※4番目は業績主義+感情中立性と書いていましたが、正しくは所属主義+感情中立性ですm(_ _)m 2023 0120追記 訂正済み

    今回はAGIL図式にもパターン変数が関係しているという点、行為を説明するに16通りのパターンがあり、そのうちの4通りのパターンが社会システムを説明する際の行為のパターンだという点を確認して終わります。詳細が気になる方は以下の引用から論文を参照してみてください。論文にはなぜそのような組み合わせになるのかの説明がないので、パーソンズの原典を参照したほうがいいかもしれません(タルコット・パーソンズ『社会システムの構造と変化』 )。社会学基礎として扱う内容ではないと思うので省略します。AGIL図式についてはパーソンズの最終回に扱う予定です。

    「そして最終的には,4組の2項対比で与えられたパターン変数のすべての組み合わせ(16通り)が行為システムのサブシステムのサブシステム(全部で16個ある)り「行為システム」という表現はないが,である」([21]90頁)のひとつずつに割り当てられて図2のような対応ができあがる。図2は『社会システムの構造と変化』の第8図(81頁)パターンパーソンズは「型の変数は行為システムの構造おをそのまま示しておよびシステム間の関係の下に横たわり,基礎をつくっているメタ・アクション・カテゴリーと見ているのだから,図2は図1の右上区画の「行為システム」を16分割したものと解釈してよいだろう。少なくとも図2の右上4区画が「社会システム」に対応することは,『経済と社会』の第一章末尾の「術語についてのノート」の記述からも明らかである([23]訳I59頁)。」

    春日 淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」141P

    「ロッシェは、つの機能のそれぞれが、対象の様相に関するつのパターン変数の選択と、対象への方向性づけに関するつのパターン変数の選択に結びつけられていると述べ、これを図のような図解によって要約を行っている)。その後のパーソンズの研究歴では、ほとんど図式だけが縦横に駆使されることになるが、彼は死去の前年にも私の知的な歴史の中で非常に重要な役割を演じたとしてパターン変数の意義を認めていたのである。」

    木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」6-7P

    役割とパターン変数の関係

    ・役割とパターン変数の関係

    役割は任意のものではなく、「社会システムを維持・安定・統合するための役割」。この役割のあり方が「パターン変数」として表される。

    例:コンビニの店員は客に「限定性」であることを求め、客もコンビニの店員に「限定性」であることを求める。お互いにプライベートな事柄には関与してほしくないとのぞみ、商品の売り買いという限定的な要素のみの役割を期待している(相補的期待)。また、そうした相補的期待が社会システムを安定させ、相互行為を安定させる。こうしたものが社会秩序につながる。

    ・ダブルコンティンジェンシーとパターン変数

    パターン変数の安定は、ダブルコンティンジェンシー(二重の不確実性)を緩和させる。ダブルコンティンジェンシーとはお互いに相手の出方が不確実であるという状態。社会が安定していれば、相手の出方を予測し、期待できる。共通の価値が個人に内面化され、社会で制度化されているからこそ、その期待はより高まる。

    「五対の「分かれ道」の選択において、自我は自らの欲求性向の充足を求めつつ、他我の反応を考慮するわけだが、他我の反応は必ずしも完全に予想できるものではないし、その結果として、それに対する自我の反応も完全に予想できるものではないことになる。パーソンズは、社会的行為に固有のこの二種類の不確定性を「二重の相互依存性」(doublecontingency)として概念化した。もし個人がその時々の気まぐれに従ってでたらめな選択を行うとしたならば、そこにはいかなる秩序もないであろうが、実際には、社会にはこのような混乱を「規制するパターン化された秩序」が存在する。そのメカニズムが「期待の相補性」および「内面化され制度化された共通の価値」すなわち「(文化の)規範的側面」の働き(=「パターン維持」)である、とされる。すでに何度か触れたように、行為理論の準拠枠の中心概念は「役割」である。社会体系において諸個人が担う「役割」は、任意の役割ではなく、「社会体系を維持・安定・統合するための役割」であり、それがどのように形成されるのかに対する答えが「共通の価値志向の型の内面化」と「制度化」であることを見た。社会体系の安定性・一貫性は、その成員である諸個人が「共通の価値志向の型の内面化」のための学習を安定的に行うためにも必要とされる。」

    山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」、60-61P

    医者のケース

     

    図にするとこんな感じです。医者の場合は5つの二項対立軸のうち、感情中立性、限定性、普遍主義、業績主義、集合志向的を選択する傾向、パターンがあるというパーソンズの分析です。医者はそういう行為を選択するように「役割」を期待されているので、そういう選択になるわけです。具体的にいえば患者は医者にそのような選択を期待しているということになります。反対に医者も患者に「役割」を期待しています。同じように二項対立軸から選択していき、患者は感情、自己志向的、個別主義、所属主義、無限定性を選択する傾向があるそうです。

    感情中立性

    医者は病気に立ち向かう際には患者の個人的背景などに考慮することはむしろ職務の邪魔になり、感情の中立性が期待されている。

    ・患者についての個人的な好き嫌いを診療行為のさいに表現しない

    限定性(個別性)

    医者の資質は個々の専門領域に収斂する傾向があるために個別性をもつ。

    ・患者の個人的な要件をあいだにはさまずに、患者の治療だけに専念する

    普遍主義

    専門的科学者であるという意味での普遍性を追求する。

    ・患者のコネの有無にかかわりなく公平に診る

    業績主義

    意志の能力を評価や名声は、業績達成によって病者のみならず同業者からも評価される

    ・診療時の患者の症状や告知に注目する

    集合志向的

    医師の職務は、個人の利害というよりも病人を救うという、社会の集合体への奉仕という道徳性をもたされる。

    ※成員間の間の相互作用の様式には直接関わりを持たないので、とりあげられないことがある。つまり上の4つの二項対立軸のみでも考えることが出来る。

    どうやら医者にはこのような行為のパターンがあるらしい、というものがわかったとして、それをどのように活かすのでしょうか。たとえばある病院で無秩序状態が生じていたときに、この5つのパターンとは逆の要素、つまり患者から期待されていない行為が医者によってされているかもしれません。たとえば病院の経営陣が利益ばかりを追求し、お金持ちには感情的に寄り添い、貧乏人には感情中立というよりむしろ冷たくしているかもしれません。あるいは業績ではなく親が誰か、いくら献金しているかなどが重視されたり、専門領域に欠けた人間ばかりが集まっているかもしれません。

    ある個人(あるいは集団)と個人の期待が一致するにはどのようなパターンをとるとうまくいくのか、という観点で考えても面白いかもしれませんね。社会関係の性質を分析するためにパターン変数は有用という意味が少し分かった気がします。経営者目線でいえば、社員はどういう役割を顧客に求められているか、という点が重用になり、その役割に答えるために社員にどんな行為のパターンを教えるかという話になります。顧客の期待に寄り添いすぎても経営がうまくいかなくなる(経営者側の期待と一致しない)ので、ちょうどいいところを取る必要がありそうですね。需要と供給の一致という経済学の「均衡」的な考え方と近いのかもしれません。

    「パターン変数は、人間の行為がどのような複数の〈性質〉の二価的な対極的評価軸によって価値づけられてゆくのか、について解説したものであることは確かである[1974:65;1951:59]。当該箇所のパーソンズの叙述は、理論的というよりも、何か具体的な事象を念頭においた上での抽象化であると推測できるが、それを彼が具体的に示していないので、読者はその理解に困難を極める原因になっている。いずれにしても、パーソンズは5つの二価的な対極的評価軸の説明を終えたあとに、それらを2つのジレンマと2つの選択および1つの定義として、あわせて5項目をパターン変数の評価軸として次のようにまとめる[1974:72-73;1951:67]。『社会体系論』の邦訳のように英語用語を加えるとこの二価的な対極的評価軸がとても見えにくくなるので、ここでは註釈に廻し日本語の翻訳だけを以下に示してみよう6)。パーソンズの役割定義のパターン変数I.「満足すること」と「規律に従うこと」のジレンマ感情―感情中立II.「個人的利害」と「集合体の利害」のジレンマ自己指向―集合体指向III.価値志向選択のタイプの間の選択普遍主義―個別主義IV.社会的対象[=社会的客体]の「諸様相」の間の選択業績達成―地位帰属V.対象における利害の見通しに関する定義個別性―拡散性以上のように説明した後に、同書第X章において、医師が用いる行為(actions)についてこれらの5つの二価的な対極的評価軸のうち、どちらが優先するかをパーソンズは解説する。それによると医師役割のもつパターン変数は、(1)感情中立(affective neutrality)、(2)集合体指向(collectivity-orientation)、(3)普遍主義(universalism)、(4)業績達成(achievement)、(5)個別性(specificity)から成り立っている[パーソンズ1974:429-430]【表.2】。」

    池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」8~9P

    国のケース

    たとえば国(社会)の分類では4通りのパターンで説明ができています。たとえば普遍主義と業績主義の組み合わせを持つのはアメリカ、普遍主義と帰属主義の組み合わせを持つのはドイツといったように分類して比較することができるそうです。他の感情性──非感情性などの変数パターンを使わず、特定の変数パターンの組み合わせで分析できるというのもポイントですね。

    1. 業績主義 + 普遍主義】例:アメリカ:関係ある人々に関わりなく適用される規則によって個人的業績に高い価値をおく社会
    2. 業績主義 + 個別主義】例:古代中国:行為者にふくまれている個別的に関係ある人脈を考慮する規則にしたがって、個人的業績に高い価値をおく社会
    3. 所属主義 + 普遍主義】例:ドイツ:行為は普遍的規範によって導かれるが、伝統的な地位のヒエラルキーが社会システムの内部に支配的に重要なものとして残っている社会
    4. 所属主義+個別主義】例::ラテンアメリカ:行為者の地位により、そして行為の個別的人脈によって変化する規範によって行為が導かれる社会。

    小門裕幸さんによれば、日本は感情性、集合体中心的志向、個別主義、所属主義になるそうです。上記のボックス的に言えば、所属主義+個別主義になります。パーソンズでいうところのゲマインシャフトの組み合わせが日本のパターンであり、アメリカはその反対にゲゼルシャフトの組み合わせであるというのは重要かもしれません。

    「そこで、パーソンズは、パターン変数のうち、対象様相のパターン変数と呼ばれる普遍主義個別主義と業績性帰属性というつの組み合わせを用いて社会構造の比較分析を試みた。それは、ロッシェの図解によれば、以下のつのボックスの形に表現することができるようになっている(図))。そして、ここに例として挙げられた社会のなかに、アメリカ、古代中国、ラテンアメリカとともに、普遍主義と帰属性を組み合わせた場所にドイツが登場していることに注意をしたい。」

    木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」、7P

    「日本人は(i)の欲求充足と規律という項目では感情中立というよりは感情性が強い範疇におり、(ii)の私的関心と集合的関心でも自我思考ではなく集合体志向の範疇にあり、(iii)の価値志向基準でも普遍主義でなく個別主義にあると言える。そして業績より帰属性をもとめる。タルコット・パーソンズのパターン変数では、日本人はすべからく前近代の特徴を示しているのではないか。」

    小門裕幸「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」40P

    参考文献

    参照論文リスト

    1:山本 祥弘「パーソンズ医療社会学の形成について― 初期専門職研究と医療社会学の差異に着目して ―」(URL)

    ・主にパーソンズ全体の概略的な理解の参照にしました。

    2:小川 晃生「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考― ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参照して ―」(URL)

    ・主にパターン変数や主意主義的行為理論の定義を参照しました。内容自体は基礎的ではなく、応用的です。

    3:木村雅文「T.パーソンズとドイツ社会論」(URL)

    ・パターン変数の詳細について参照しました。AGIL図式との関連についても参照。

    4:宇賀博「初期パーソンズ研究」(URL)

    ・主にパーソンズ全体の概略、とりわけデュルケームとフロイト、ミードとの関連

    5:池田光穂「病気になることの意味 : タルコット・パーソンズの病人役割の検討を通して」(URL)

    ・主に役割期待とパターン変数の説明の参照

    6:小門裕幸「四つの象限論のその後と日本人:キャリアデザイン的視点から」(URL)

    ・前近代と近代のパターン変数の参照,日本人のパターン変数

    7:山田吉二郎「広報メディア研究の「準拠枠」―パーソンズ行為理論の適用可能性について―」(URL)

    ・パーソンズの用語全般の参照

    8:大黒正伸「パーソンズとシュンペーター合理性をめぐる出会い」(URL)

    ・究極的目的の説明に関する参照、目的手段の図を参照

    9:大黒正伸「パーソンズにおける経済社会学の可能性─社会システムとしての経済─」(URL)

    ・究極的目的の説明に関する参照

    10: 小松 秀雄 「パーソンズ社会学における宗教-ウェーバーからパーソンズへの転換-」(URL)。

    ・究極的目的の説明、究極的条件、究極的価値、中間、聖なるものに関するもの等の参照。

    11:溝部 明男「初期パーソンズの諸問題 主意主義と秩序問題」(URL)

    ・主に主意主義と規範的指向の参照

    ・規範的要素の定義の参照

    12:溝部 明男「社会システム論と社会学理論の展開 : T. パーソンズ社会学と残された3つの理論的課題」(URL)

    ・主にパーソンズ全体の用語の解説の参照 

    ・価値と規範の違い

    ・規範的要素が価値と社会的規範を合わせたものという説明

    13:山田吉二郎「広報メディア研究の『準拠枠』 : パーソンズ行為理論の適用可能性について」(URL)

    ・主にパーズン全体の用語の解説の参照 

    14:溝部明男「パーソンズのAGIL図式-その形成における基本的問題-」(URL)

    15:高旗正人「 パーソンズの子ども社会化パラダイムの検討 」(URL)

    16:友枝敏雄「方法論的個人主義にもとづく社会理論の問題点 : パーソンズとロールズを中心として」(URL)

    ・内面化や制度化、パーソンズの用語全般について参照

    17:春日淳一「社会科学における説明図式の次元構成 : 3次元か4次元か」(URL)

    ・パターン変数とAGIL図式との関連について、及びパターン変数の医者の例について参照

    18:春日淳一「N.ルーマンのメディア論について」(URL)

    19:名部圭一「パーソンズの行為理論における諸問題」(URL)

    ・パターン変数の説明について参照

    20:川越次郎「『パタン変数』 の批判的再構成: 三つのテクストにおけるパラドックスを中心に」(URL

    ・パターン変数の説明について参照 特に客体類別

    21:新 睦人「パーソンズからルーマンとハバーマスへ(佐藤報告に対する討論)」(URL)

    主意主義に関して

    22:新明正道「タルコット・パーソンズについて──その学問的業績の全体像──」(URL)

    主意主義に関して

    23:小松秀雄「パーソンズ社会学における宗教 -ウェーバーからパーソンズへの転換- 」(URL)

    主意主義に関して。構造的要素、デュルケーム

    24:佐藤勉「社会的なものの論理―T・パーソンズのばあい―」(URL)

    主意主義に関して

    25: 大束貢生「パーソンズの主意主義的行為理論について」(URL)

    ・主意主義に関して、単位行為の詳細

    ・行為体系の定義、創発特性の定義

    26:大束貢生「 パーソンズのマックス・ウエーバー解釈について」(URL)

    主意主義に関して

    27:川上周三「ピューリタン系譜の社会思想家の比較研究―マックス・ヴェーバー、賀川豊彦、タルコット・パーソンズ―(上)」(URL)

    主意主義に関して

    28:山下雅之 「パ ーソンズにおける社会学の成立」(URL)

    マーシャルに関して

    29:赤坂真人「パレート社会システム論再考(II)―歴史における社会システムの均衡―」(URL)

    パレートに関して

    30:霜野寿亮「権力概念の検討 : タルコット・パーソンズの場合」(URL)

    31:鈴木幸毅「行為理論と協働理論 (その 2)」(URL)

    単位行為 主に分析と記述

    32:村井,重樹「目的-手段図式から習慣へ : パーソンズとブルデューの功利主義批判を通して」(URL)

    ・主に創発特性

    33:田野﨑昭夫「タルコット・パーソンズにおける行爲体系理論の考察」(URL)

    ・主に努力

    34:遠藤雄三「主意主義的行為理論の生成過程 パーソンズの初期論文を中心に」(URL

    ・主意主義・努力

    35:奥村隆「行為とコミュニケーション ふたつの社会性についての試論」(URL

    ・行為の準拠枠 メモ:ルーマンとの関連など面白いので後で参照する。奥村さんの説明は全体的に柔らかく分かりやすい。

    36:奥村隆「距離のユートピア──ジンメルにおける悲劇と遊戯──」(URL)

    ・主にジンメルの自由について

    今回の主な文献

    タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』

    ※全5冊あるみたいです

    タルコット・パーソンズ『社会的行為の構造 』

    高城和義『パーソンズとウェーバー 』

    高城和義『パーソンズとウェーバー 』

    中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」

    中野秀一郎「タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)」

    汎用文献

    佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

    佐藤俊樹「社会学の方法:その歴史と構造」

    大澤真幸「社会学史」

    大澤真幸「社会学史」

    本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる

    本当にわかる社会学 フシギなくらい見えてくる!

    アンソニー・ギデンズ「社会学」

    社会学 第五版

    社会学

    社会学 新版 (New Liberal Arts Selection)

    クロニクル社会学

    クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る (有斐閣アルマ)

    社会学用語図鑑 ―人物と用語でたどる社会学の全体像

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